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87 名城論叢 2019 年 3 月 西安における都市観光の現状と課題 文化遺産の保存と活用を中心に張   海 燕 はじめに 西安は,中国の西北部における最大の中心都 市であり,3000 年以上の歴史を有する古都と して知られている。現在,西安には漢長安城, 唐長安城等の有名な「遺址」(遺跡)を含め, 国家級文化遺産が 41 か所,省級文化遺産が 65 か所,市県級文化遺産が 176 か所あり,政府に 登録されている文化遺産が 2944 か所もある (1) 世界的には,秦始皇帝陵および兵馬俑坑が 1987 年に世界遺産に登録されている。さらに, はじめに 第 1 章 古都西安の都市観光の現状と位置 1.西安における都市観光の発展 2.「十三王朝」の古都としての西安と文化遺産 第 2 章 西安における文化遺産の保存と観光活用 1.西安における旧市街地の保存と観光活用 2.世界遺産の秦始皇帝兵馬俑坑と観光 3.唐長安城大明宮遺跡の保存・復元と観光活用 4.漢長安城未央宮の保存整備 第 3 章 西安における都市計画と文化遺産の保存・活用による観光開発 1.西安における都市計画と文化遺産の保存・活用 2.曲江新区(大雁塔・大唐芙蓉園の唐代の文化観光区)の開発 3.第 4 回「西安都市全体計画(20082020年)」と国際観光都市を目指して おわりに 2014 年にユネスコは「長安(西安)を起点と した天山回廊までの交易路網(シルクロード) が紀元前 2 世紀から後 16 世紀にかけて,文化 と人の交流,宗教の伝播に多大な影響力を持っ ていたことを示している」 (2) として,中国とカ ザフスタン,キルギスの交易路沿いに点在する 宮殿跡,交易拠点,石窟寺院や要塞跡などの 33 件構成資産を「絲綢之路:長安 - 天山廊道 路網」(シルクロード:長安 - 天山回廊の交易 路網)という名で世界遺産に登録した。その中 では,シルクロードの起点とされる西安には興 ⑴ 西安文物局 HP「文宝単位」 ここで言う国家級・省級・市県級文化遺産は,1960 年に発表された中国初の文化遺産の保護法案である「文 物保護管理暫行条例」(文化遺産の保護に関する管理条例)において,文化遺産の価値によって国家級文化遺産, 省級文化遺産,市級文化遺産,県級文化遺産というランクに分類されたものを指す。これらのランクに指定され ていない文化遺産については,それぞれの地方政府に登録され,管理されている。 ⑵ 聨合国教科文組織 HP「絲綢之路:長安―天山道路網」(ユネスコ HP「シルクロード:長安―天山回廊の交易 路網」)

西安における都市観光の現状と課題国国家観光)の「最佳文化旅游目的地」(最優 秀文化観光地)に選ばれたのである(6)。 しかし,西安は,中国の他の観光都市と比較

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Page 1: 西安における都市観光の現状と課題国国家観光)の「最佳文化旅游目的地」(最優 秀文化観光地)に選ばれたのである(6)。 しかし,西安は,中国の他の観光都市と比較

87名城論叢 2019 年 3 月

西安における都市観光の現状と課題─文化遺産の保存と活用を中心に─

張   海 燕

はじめに

 西安は,中国の西北部における最大の中心都市であり,3000 年以上の歴史を有する古都として知られている。現在,西安には漢長安城,唐長安城等の有名な「遺址」(遺跡)を含め,国家級文化遺産が 41 か所,省級文化遺産が 65か所,市県級文化遺産が 176 か所あり,政府に登録されている文化遺産が 2944 か所もある(1)。 世界的には,秦始皇帝陵および兵馬俑坑が1987 年に世界遺産に登録されている。さらに,

はじめに第 1 章 古都西安の都市観光の現状と位置 1.西安における都市観光の発展 2.「十三王朝」の古都としての西安と文化遺産第 2 章 西安における文化遺産の保存と観光活用 1.西安における旧市街地の保存と観光活用 2.世界遺産の秦始皇帝兵馬俑坑と観光 3.唐長安城大明宮遺跡の保存・復元と観光活用 4.漢長安城未央宮の保存整備第 3 章 西安における都市計画と文化遺産の保存・活用による観光開発 1.西安における都市計画と文化遺産の保存・活用 2.曲江新区(大雁塔・大唐芙蓉園の唐代の文化観光区)の開発 3.第 4 回「西安都市全体計画(2008―2020 年)」と国際観光都市を目指しておわりに

2014 年にユネスコは「長安(西安)を起点とした天山回廊までの交易路網(シルクロード)が紀元前 2 世紀から後 16 世紀にかけて,文化と人の交流,宗教の伝播に多大な影響力を持っていたことを示している」(2)として,中国とカザフスタン,キルギスの交易路沿いに点在する宮殿跡,交易拠点,石窟寺院や要塞跡などの33 件構成資産を「絲綢之路:長安 - 天山廊道路網」(シルクロード:長安 - 天山回廊の交易路網)という名で世界遺産に登録した。その中では,シルクロードの起点とされる西安には興

⑴ 西安文物局 HP「文宝単位」  ここで言う国家級・省級・市県級文化遺産は,1960 年に発表された中国初の文化遺産の保護法案である「文

物保護管理暫行条例」(文化遺産の保護に関する管理条例)において,文化遺産の価値によって国家級文化遺産,省級文化遺産,市級文化遺産,県級文化遺産というランクに分類されたものを指す。これらのランクに指定されていない文化遺産については,それぞれの地方政府に登録され,管理されている。

⑵ 聨合国教科文組織 HP「絲綢之路:長安―天山道路網」(ユネスコ HP「シルクロード:長安―天山回廊の交易路網」)

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教塔,唐長安城大明宮遺跡,大雁塔,小雁塔,漢長安城未央宮遺跡,彬県大仏寺石窟,張騫墓の 6 件が世界遺産に登録されている(3)。西安は

「天然歴史博物館」(天然の歴史博物館)(4)と称せられ,西安には中国のみならず海外からも多くの観光客が訪れている。 特に,2013 年に中国国家主席習近平が提唱した「一帯一路」絲綢之路経済帯和 21 世紀海上絲綢之路)(「一帯一路」(シルクロード経済ベルトと 21 世紀海洋シルクロード)(以下「一帯一路」))経済構想(5)は,観光の拡大や観光プロモーションにも言及し,起点として位置付けられた西安における観光業も目覚ましい発展を遂げるようになった。2017 年には西安に訪れた観光客数が 1.8 億人にも達し,過去最高を記録したのである。西安市政府は積極的に文化遺産を観光資源として活用し観光の発展を促進しており,2018 年に西安は,『中国国家旅游』(中国国家観光)の「最佳文化旅游目的地」(最優秀文化観光地)に選ばれたのである(6)。 しかし,西安は,中国の他の観光都市と比較し,都市観光の競争力が低いとみられる。本稿の目的は,西安における都市観光の現状を分析し,特に西安における文化遺産の保存と活用の現状と課題について検討する。 西安における文化遺産に関する先行研究は,考古学や都市計画論からのアプローチが多くみられる。考古学の研究については,主に中国における最も代表的かつ典型的である漢長安城遺跡に関するものである。中国の西安文物局(日

本の文化庁文化財部に相当する)が出版した『西安大遺跡保護』(西安における大遺跡の保護)

(2009),『漢長安城遺跡保護』(漢長安城遺跡の保護)(2012)などが代表的である。主な内容は西安における遺跡の現状を紹介し,考古学の視点から遺跡の保存方法や活動を分析する。また,遺跡を「真正性」と「持続可能な保存性」がある歴史文化遺産公園として創り上げるという長期的な計画を提示した。 都市計画の視点からの研究は,中国では田涛

(2017)『古城復興:西安城市文化基因梳理及其空間規劃模式研究』(古都再生:西安における都市文化の分析及び空間計画のモデル研究)や,劉淑虎(2017)『西安城市空間結構演進研究(1978―2002 年)』(西安における都市空間の構造の進化に関する研究(1978―2002 年))等が挙げられる。田涛(2017)は,古都の街づくりについて詳細に紹介し,特に西安の街づくりにおける現状と課題を指摘した。劉淑虎(2017)は,1978 年から 2002 年の 20 年間における西安都市計画の変遷について分析した。 日本では,考古学の視点からは奈良文化財研究所と中国社会科学院考古研究所との共同調査

(1996 年~ 2001 年)に基づいた『漢長安城桂宮の発掘調査報告書』が代表的である。都市計画の視点からは,妹尾達彦(2001),奈良大学文学部世界遺産コース(2001),大西國太郎・朱自煊(2001),応地利明(2011)などが挙げられる。 観光の視点からは西安の文化遺産に関する研究を行った張祖群(2014)が代表的である。張

⑶ 西安市政府(2018)「西安概況」⑷ 西安市政府(2018)「西安概況」⑸ 国家発展改革委外交部商務部(2015)「推動共建推动共建絲綢之路経済帯和 21 世紀海上絲綢之路的願景与行動」(「シルクロード経済ベルトと 21 世紀海上シルクロードの共同建設を推進するビジョンと行動」)『人民網』2017年 4 月 25 日日付。

⑹ 『中国国家旅游』は中国国家観光局の指導下で 2011 年に作られた国家級雑誌である。 「2018《中国国家旅游》年度榜単颁奨盛典円満落幕」(2018 年度『中国国家観光』ランキング大会無事に終了)『中

国国家旅游』2018 年 11 月 18 日日付。

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89西安における都市観光の現状と課題(張)

祖群(2014)は,中国における北京,西安,荊州という 3 つの古都を例に挙げ,それぞれの古都における遺産観光の問題点を分析した。特に西安の例では,張は中国における最も代表的かつ典型的な都城遺跡である漢長安城遺跡の保存の問題点について分析した。しかし,都市観光の視点から西安における文化遺産の活用に関する研究はあまり多くないのが現状である。 本稿は,これまでの先行研究や現地調査(7)

に基づいて,都市観光の視点から西安における文化遺産の観光活用の現状と課題を分析する。筆者は,今まで中国における近代歴史的な文化

遺産の観光活用を中心に研究を進めてきたが,本研究はそれの延長線上にある(8)。本稿の研究対象は,中国で最も典型的な古都である西安であり,西安の都市観光における歴史的な文化遺産の意義と課題について研究を進める。

第 1章 古都西安の都市観光の現状と位置

1.西安における都市観光の発展 西安は,紀元前と紀元後にまたがる 3000 年以上の都市文化があり,ローマ,カイロ,アテネと並ぶ「世界四大古都」と称され(9),中断も

出所: ジェトロ北京事務所(2018)『JETRO ビジュアルで見る世界の都市と消費市場―西安スタイル』日本貿易振興機構(ジェトロ)pp. 8―11 に基づき,筆者作成。

注: 西安の 11 区は中心市街地の新城区,碑林区,蓮湖区,雁塔区,㶚橋区,未央区という 6 区と閻良区,臨潼区,長安区,高陵区,鄠邑区という 5 区であり,2 県は藍田県,周至県である。

図表 1 西安行政図および主な文化遺産の分布

⑺ 現地調査については,2018 年 11 月 2 日~ 4 日に西安における旧市街地および秦始皇帝陵兵馬俑坑,大雁塔,漢長安城未央宮,唐長安城大明宮などの文化遺産について実施したものである。

⑻ 今まで筆者は,中国の大連市・青島市における近代歴史的な文化遺産の観光活用について研究を進めてきた。本研究は,西安における歴史的な文化遺産について検討しており,これまでの研究と一貫するものである。

⑼ 西安市政府(2018)「歴史沿革」

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あるものの長きにわたり中国の政治,経済,文化の中心として栄えてきた。特に,唐代(618年―907 年)の西安(当時は長安)は,100 万人の人口を有する国際都市であり,東西の貿易,文化交流の道であるシルクロードの起点として繁栄を極めたのである(10)。 現在の西安は,陝西省の省都として人口1,220 万人余りを擁する大都市である。11 区と2 県からなり,都市面積は約 1 万 km2 にも及ぶ中国の西北地区の最大都市である(11)。中国政府は,西安を「西部大開発」の拠点都市に位置付け,経済発展に力を入れ国家級のハイテク産業の「5 開発区 2 基地 1 港」を建設した。こうして西安は重工業(特に国防産業)からソフトウェア産業,ハイテク科学技術,航空技術,宇宙産業技術,サービス業の都市へと変貌を遂げた(12)。

 同時に多数の文化遺産を有する西安は,観光産業も目覚ましい発展を遂げている。図表 2 が示したように,21 世紀以降から西安に訪れる観光客数は増加し,特に 2010 年代に急増している。2000 年に推進された国家プロジェクト

「西部大開発」を契機に,2000 年の 1,500 万人台から 2008 年に 3,000 万人台に増えたが,2010 年には一気に 5,000 万人に急増し,2013年に初めて 1 億人を突破した(13)(図表 2 を参照)。 さらに,2013 年に中国主席習近平が東南アジアで提唱した「一帯一路」経済構想に基づき,西安は「一帯一路」経済構想の起点として再び脚光を浴び,観光客数も 2017 年に 1.8 億人に上回った。2000 年代には 4 億元台も達してなかった観光収入は 2013 年の 8 億元台に倍増し,

図表 2 西安における観光客数と観光収入

出所: 西安統計局・国家統計局西安調査隊(2017)『西安統計年鑑 2017 年』p. 18 により筆者作成。

⑽ 西安市政府(2018)「歴史沿革」⑾ 西安市政府(2018)「西安概況」⑿ 西安市政府(2018)「西安概況」  ここで言う西部大開発は,2000 年に中国政府が中国の内陸西部地区を経済発展させるために実施した開発政

策である。また,ここで言う「5 区 2 基地 1 港」とは,西安高新技術産業開発区,経済技術開発区,曲江新区,滻㶚生態区,灃東新城という 5 つの開発区と,閻良国家航空産業基地,国家民用航天産業基地という 2 つの産業基地と,国際港務区という 1 つの国際内陸港のことを指す。

⒀ 西安統計局・国家統計局西安調査隊(2017)「年度数据―旅游人数及収入」(年度データ―観光客数および収入)『西安統計年鑑 2017 年』p. 18。『西安統計局 HP』

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91西安における都市観光の現状と課題(張)

2017 年 16 億元台に激増したのである(14)(図表2 を参照)。 もちろん,西安に訪れる観光客のほとんどは中国人であるが,13 王朝(15)の古都であり,中国の悠久な歴史を有する西安は,海外観光客

(香港,マカオ,台湾を含む)(16)も多数訪れている。海外観光客は,図表 3 の見るように,2003 年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の拡散および 2008 年のリーマンショックによる世界景気低迷を除き,順調に増加している。西安の海外観光客数は 2007 年に初めて 100 万人に増加した。リーマンショックの影響で 2008 年

には 63 万人に下落したものの,それ以降年々増加しつつあり,2013 年には 2 倍の 121 万人に達したのである(17)。 すなわち,2013 年以降,長年横ばいだった中国のインバウンド観光(18)は,中国政府による「一帯一路」経済構想の提唱により,「一帯一路」沿線国からの観光客が増え,2 年連続増加した。中国全体では,2016 年には中国に訪れる海外観光客数は延べ 1.38 億人に達し,前年比で 0.8%増え,過去最高を記録したのである(19)。シルクロードの起点であり,「一帯一路」経済構想の起点でもある西安における 2013 年

図表 3 西安における海外観光客数(単位:万人)

出所:西安統計局・国家統計局西安調査隊(2017)『西安統計年鑑 2017 年』p. 18 により筆者作成。注:2013 年度以降の数字は原資料に統計がない。

⒁ 西安統計局・国家統計局西安調査隊(2017)「年度数据―旅游人数及収入」(年度データ―観光客数および収入)『西安統計年鑑 2017 年』p. 18。『西安統計局 HP』

⒂ 黄留珠・杜文玉(2014)『西安十三朝』によれば,ここで言う 13 王朝とは西周,秦,前漢,新,後漢,西晋,前趙,前秦,後秦,西魏,北周,隋,唐である。なお,その他 10 王朝説,11 王朝説などの見解もある。

⒃ 海外観光客とは,中国大陸以外の地域から中国大陸を訪問する観光客のことである。つまり,香港,マカオ,台湾からの観光客は国内観光客としてカウントされるのではなく,海外観光客に含まれる。中国語では「入境游客」と表記される。

⒄ 西安統計局・国家統計局西安調査隊(2017)『西安統計年鑑 2017 年』p. 18。 『西安統計局 HP』「年度数据―旅游人数及収入」(年度データ―観光客数および収入)⒅ JTB 総合研究によれば,インバウンド(Inbound)とは,外国人が訪れてくる旅行のこと。日本へのインバウ

ンドを訪日外国人旅行または訪日旅行という。中国でも,『人民網』日本語版では,同じような意味合いで用いられており,すなわち,海外観光客(香港,マカオ,台湾を含む)が中国に訪れる旅行のことをインバウンド観光と呼ぶ。

⒆ 中国国家統計局(2017)「年度数据―旅游業」。(年度データ―観光業)

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以降の海外観光客は若干増加していると予想される。 図表 4 に示したように,中国に訪れる海外観光客数の都市ランキングでは,西安がトップ 20位内には姿を見せていない。トップ 20 位内の洛陽が 133 万人からして,西安の海外観光客数は 120 万~130 万人前後であろうと推測される。 また,外国人観光客(海外観光客から香港,マカオ,台湾を除く)の内訳は,『人民日報』の日本語サイト『人民網』によれば,韓国と日

本を除くとアメリカ,オーストラリアおよびヨーロッパ各国である。アメリカ(99,847 人),韓国(93,755 人)からの観光客が最も多く,そのほか日本(36,701 人)やオーストラリア

(31,443 人),カナダ(23,688 人)やヨーロッパの国(イギリス 36,604 人,ドイツ 26,894 人,フランス 26,780 人)となっており,合計が約38 万人である(20)(図表 5 を参照)。 西安は,中国における都市観光競争力が必ずしも上位にあるとは言えない。西安は中国の都市観光競争力のランキングでは 11 位に,外国人観光客が訪問したい都市のランキングでも10 位に位置している(図表 6,7 を参照)。北京,上海などの主要観光地から遠いという地理的な問題も考えられるが(21),豊かな文化遺産に恵まれる西安は必ずしも外国人観光客にとって訪問したい観光都市にはなっていない。 以上のように,西安における都市観光の振興には,インバウンド観光の成長の伸び悩みが大きな課題となっている。西安は,「世界の 8 番

図表 4 中国における都市に訪れる海外観光客数のランキング(2017 年)

位 都市 海外観光客(万人)1 深セン 1,2072 広 州 9003 上 海 8734 杭 州 4025 北 京 3926 アモイ 3867 重 慶 3588 天 津 3459 成 都 30010 武 漢 25011 桂 林 24912 黄 山 23813 寧 波 18714 蘇 州 17315 佛 山 14616 泉 州 14517 青 島 14418 温 州 13919 昆 明 13420 洛 陽 133

出所:中国ランキングサイト HP。

図表 5 2016 年 1 月~ 9 月の西安に訪れる外国人観光客の内訳

出所: 人民網日本語版 2016 年 11 月 30 日日付「外国人観光客が西安を愛する」に基づくものである。

⒇ 人民網日本語版(2016)「外国人観光客が西安を愛する」『人民網』2016 年 11 月 30 日日付に基づくものである。人民網は中国の共産党中央委員会の機関紙である。

 ここで言う外国人観光客数は,言うまでもなく香港,マカオ及び台湾からの観光客を含まない。21 北京から西安までは,約 1,120km であり,高速鉄道を利用して 4.5 時間がかかり,上海から西安までは,約

1,509km であり,高速鉄道を利用して 6 時間余りかかる。北京からも上海からも飛行機を利用して約 2 時間かかる。

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93西安における都市観光の現状と課題(張)

目の不思議」(22)であると称される秦始皇帝兵馬俑という世界遺産をはじめ,中国古代の 13 王朝の都が残された多数の文化遺産を有し,崋山や渭水などの自然的資源も豊富であるにも関わらず,ランキングの順位が低いのである。 次に,西安都市観光の振興における問題を提示し活用方策を検討するために,西安における文化遺産と都市観光の現状を分析する。

2.「十三王朝」の古都としての西安と文化遺産 西安の都市観光における文化遺産の観光活用を分析する前に,まず西安の都市発展と文化遺産についてみておこう。 西安は,中国の歴史において「13 王朝」の都であり,都市としての歴史が 3,000 年以上も有しており,世界的に有名な古都である。ここで言う 3,000 年の都市の歴史とは,紀元前 1046年の西周の都から現在までの歴史である。西安は,この 3,000 年において,都として繁栄を果たした時期もあれば,廃都になり,地方の一行政都市としての時期もあった。 紀元前 1046 年の西周(前 1046 ~前 771 年)では,西安に鎬京という都城(23)(現在の首都にあたる)が建設され,この都城は西周 12 代350 年も使われた。その後,秦(前 221 ~前207 年)は,紀元前 350 年に都城を咸陽に移し,

「世界の中心にふさわしい大規模な都城プランを実施に移し始めた」のである(24)。この咸陽

位 都 市

1 北 京

2 上 海

3 蘇 州

4 重 慶

5 南 京

6 大 連

7 広 州

8 杭 州

9 成 都

10 天 津

11 西 安

図表 6 中国の都市観光競争力ランキング

出所: 佟志偉(2014)『中国城市旅行競争力統計』(中国都市観光競争力統計)p. 79。

位 都 市

1 北 京

2 上 海

3 深セン

4 広 州

5 杭 州

6 重 慶

7 成 都

8 南 京

9 天 津

10 西 安

図表 7 外国人観光客が訪問したい都市

出所: 中国社会科学院財経戦略研究院(2017)『中国城市営銷発展報告(2017)』(中国都市マーケティング発展報告(2017))。

22 前フランス大統領シラクが 1978 年に秦始皇帝陵兵馬俑を訪れた際に,兵馬俑は「世界の 7 不思議」に次ぐ「世界の 8 番目の不思議」であると発言したとされる。

23 都城とは,城郭に囲まれた都市をさすが,一般には特に国の首都ないし副都心となった都市をさすことが多い。いわゆる現代の「首都」に近い概念である。人文地理学者である応地(2011)は,都城を「〈コスモロジー―王権―王都〉の三位一体的な連環を体現する至高の『都の城』と定義している。ここでいうコスモロジーは王権の権力行使を可能にし,正統的な権威を認証し付与するのである。応地(2011)によれば,都城は王権が所在する至高の都市であり,王権による政事,祭事,軍事の諸権力の顕示と行使の場である同時に,王権と王都がコスモロジーとは連環していることが不可欠であると主張している。例えば,日本では平城京,中国では漢長安城や唐長安城が都城である。こういった「都城」の遺跡は一般に「都城遺跡」と呼ばれている。応地利明(2011)pp. i―x。

24 愛宕元(1991)p. 52。

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では,多数の宮殿が増改築され,また阿房宮などの壮麗な宮殿が新たに建設された。現在,阿房宮遺跡は遺跡公園として保存され,1961 年に中国国家級文化遺産に指定されている。また,秦始皇帝陵および秦始皇帝の陵墓を守る副葬品として造られた兵馬俑坑は,1987 年に世界遺産に登録された。 劉邦によって創始された前漢(前 202 年~ 8年)では,秦都咸陽のほぼ真南に新たに漢長安城という都城が築かれた。漢長安城の造営は,秦都咸陽を手本にしたとされ,正殿としての未央宮と長楽宮と城外の建章宮の三大宮殿群から成り立つ。漢長安城遺跡は中国における最大であり,最もよく保存されている都城遺跡として国家級文化遺産に指定されている。漢長安城遺

跡の一部分である未央宮遺跡は 2014 年に「絲綢之路:長安 - 天山廊道路網」(シルクロード:長安 - 天山回廊の交易路網)の一部として世界遺産に登録されている。その後の王朝も 1 世紀の新・後漢から 6 世紀の北周も西安に首都を設け,この漢長安城を継承して都城とした。 589 年に北周を滅ぼした後に創始された隋

(589 ~ 618 年)では,それまでの漢長安城の東南約 10km が離れた場所に大興城と称される都城を建設した。この大興城はのちに唐にもそのまま継承された。「この大興城の都市プランを貫く大原則は,整然たる左右対称の配置方式であった。都の中央北端におかれた宮城とその南の皇城の中央部を貫く幅 150m の朱雀大路は,都城の中心軸として機能したメインスト

図表 8 西安の歴史沿革と主に調査した文化遺産

王朝 年代 都市名および場所 主に調査した文化遺産

「13王朝」の都城時代

西周 前 1046 ~前 771 年 鎬京(西安の近郊と推定)

秦 前 221 ~前 207 年 咸陽宮(現在の西安市の西,咸陽市の東) 秦始皇帝陵博物館(兵馬俑含む)

前漢 前 206 ~ 8 年 漢長安城(現在の西安市の北西) 漢長安城遺跡(未央宮遺跡を含む)

新(8 ~ 23 年),後漢(25 ~ 220年),西晋(265 ~ 316 年),前趙

(304 ~ 329 年 ), 前 秦(351 ~394 年),後秦(384 ~ 417 年),西魏(535 ~ 556 年),北周(556~ 581 年)

漢長安城を引き継ぐ

隋 589 ~ 618 年 大興城(現在の西安旧市街地)

唐 618 ~ 907 年 長安城(大興城を引き継ぎ,長安と改名)唐長安城遺跡

(唐長安城大明宮遺跡を含む)大雁塔

廃都以降

五代十国(907 ~ 960 年),北宋(960 ~ 1127 年),南宋(1127 ~1279 年)

京兆府(現在の西安旧市街地)

明 1368 ~ 1644 年 西安府(現在の西安旧市街地) 明代城壁西安鐘楼・鼓楼

清 1616 ~ 1912 年西安府(現在の西安旧市街地)国民党

政府 1911 ~ 1949 年

中華人民共和国 1949 年 5 月~現在 西安市

出所:西安市政府 HP「歴史沿革」および寺田隆信(1997),妹尾達彦(2001)等に基づき,筆者作成。注:ここで言う都城は首都にあたる。府とは,地方の一行政単位である。

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リートである」(25)。この軸の左右に均等に官庁街や寺院が配置されたが,この当時の都市計画はのちに日本の平城京や平安京の建設にも大きな影響を与えたとされている。 618 年に建国された唐(618 ~ 907 年)では,隋の築いた大興城を引き継いだが,さらに大明宮と興慶宮を建設し都城を完成させ,長安城と改名した。唐の長安城は,東西は 9,711m,南北が 8,651m で,基盤目状の 110 坊からなっており,皇城の中央南の朱雀門から明徳門までの中心軸に朱雀大路を配し,左右対称の街路配置にしている。この碁石のように整然と並ぶ街並

みなどは,「それまでの都城の成果を集大成し,その規模の雄大さ,機能配置などの面で,中国の封建時代前期を代表する都城を完成させた」(26)と評価され,現在の西安市の中心部の骨格をなしている。 唐の都としての西安(当時は長安)は繁栄を極めたが,廃都によって衰退していく。五代十国の時期における西安の面積は唐長安城の 16分の 1 になり,南宋が終わるまでは大きな変化はなかった。唐の以降は,西安が再び都城はならなかったが,その後京兆府と呼ばれ,中国の西部における交通要塞の都市とされた(27)。

図表 9 隋唐時代における長安城の平面図

出所:応地利明(2011)『都城の系譜』p. 329 により。

25 松浦友久・植木久行(1987)p. 70。26 大西國太郎・朱自煊(2001)p. 140。27 西安市政府(2018)「歴史沿革」。  ここで言う「京兆府」とは,古代の漢民族が中国全土を九つの州に分け,長安の所在地である雍州は,唐代に

おいて京兆府と指定し,府という行政名が初めて使われたのである。その後,五代十国の時代には「京兆府」という名称を継承し,長安城を含めた雍州地域を「京兆府」と称していた。また,明代に代わると,「京兆府」から「西安府」へと改名したのである。現在の西安市という都市名もここから由来している。

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 その後,西安は,明(1368 ~ 1644 年)に初めて西安府と名付けられ,都市の大拡張も行われた。それは西北,西南からの攻撃を守備するためであった。具体的には,北,東の城壁をそれぞれ 3 分の 1 延長し,城内の面積を元の5.2km2 か ら 7.9km2 ま で に 拡 大 し た の で ある(28)。また,鐘楼を中心に東,西,南,北の 4つの方向に大通りが伸びる街づくりを行い,それぞれの方向に城門も設置した。現在でも,これらの城壁や城門遺跡は西安のランドマークとして保存されている。続いて,明に続く清

(1616 ~ 1912 年)は,城内の東北部に満城を築いたが,1911 年の辛亥革命によって,この満城は完全に焼失され,国民党政府の統治に置かれた(29)(1911 ~ 1949 年)。 1949 年に西安は中華人民共和国の一地方都市になった。2013 年に西安は中央政府の「一帯一路」経済構想の起点として再び歴史の表舞台に登場したのである。 こうして,西安は紀元前 1000 年頃から現在に至るまで,中国の王朝の都城としての歴史は1,000 年も経て,都市としての歴史は 3,000 年も超えている。西安には世界にも誇る数多くの歴史上の重要な文化遺産も保存されている。文化遺産のほかに,唐代に世界最大の国際都市であった長安城の面影を伝える歴史的町並みも残され,さらに,崋山や渭水など美しい自然も恵まれている。すなわち,西安は観光資源の豊富な総合的な観光都市であると言えよう。

第 2章 西安における文化遺産の保存と観光活用

 前述したように,西安における文化遺産は,3,000 年の長い歴史の中で,地震や気候の変化という自然的要因および王朝の交代に伴う戦争や破壊などの人為的な要因によって,保存状態は必ずしも完全ではなく,多くの建造物は原形をとどめない。西安市政府は,建造物の痕跡などの遺跡については,手を加えながら修復し,保存された文化遺産を核に地域全体の統一性に配慮した観光整備を行っている。建造物の原型が残っていない文化遺産については,遺跡の基壇や構造を保存した上で,当時の建築様式を模倣し,建造物を復元し遺跡公園として観光整備しようとしている。以下,主な文化遺産の保存状況と観光活用についてみてみる

1.西安における旧市街地の保存と観光活用 現在の西安の中心市街地は,唐長安城に重なる位置にある。西安の中心市街地は長い歴史を経てきたため,歴史的町並みや歴史的建造物が残されている。特に,14km にわたって囲む明代城壁に,東側の文昌門,西側の安定門,南側の永寧門,北側の安遠門と東西南北に 4 つの門および,鐘・鼓楼という 5 つのランドマークが西安ならではの歴史的景観を形成している。「鐘楼を中心としてまっすぐ伸びる東大街,西大街,南大街,北大街により,明確な中軸線が構成され,中国全国で唯一完全に残されている城壁と碁盤目の道路構成などの歴史的景観は現代にも継承されている」(30)と言われている。 西安鐘楼は 1384 年に建造され,現在の中国

28 朱士光(2004)pp. 52―53。29 大西國太郎・朱自煊(2001)p. 142 および西安市政府(2018)「歴史沿革」  国民党政府は満城の城壁を取り除き西安府城内を一体化し,廃城跡の道路整備を進めて近代化を図った。また,

1936 年に有名な「西安事件」が起き,中国の解放戦争において重要な転機となった。30 曹婷(2006)p. 2。

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において最も大きい,保存状況も最も良好な鐘楼である。この鐘楼は明代の建築技術を用いただけでなく,唐の技術も利用しているため,その建築様式は明代当時の首都であった南京の建造物よりも価値が高いと評価されている(31)。西安鐘楼は 1996 年に国家級文化財に指定されており,現在は建物の中を博物館のように一般公開し,定期的に中国伝統的な楽器演奏も行われている。西安鐘楼は,秦始皇帝陵兵馬俑に次ぐ西安の 2 番目に人気がある観光スポットとなっている。 旧市街地を囲む明代城壁は,南・北がそれぞれ約 4.2km,東・西がそれぞれ約 2.6km もあり,高さ 12m に達する雄大なものである。城壁の頂部の幅は 12 ~ 14m もあり,当時は馬が引く戦車もすれ違うことができたと言われている(32)。現在は,城壁に上る観光客向けに自転車レンタルサービスが行われている。600 年の歴史のある城壁の頂部で,自転車に乗り,古都西安の都市景観を眺めるという西安ならではの体験ができるため,毎日,多くの観光客が訪れている。 実際に現地を訪れると,西安鐘楼から明代城壁の南門までのメインストリートは,西安の旧

市街地の中心を貫いており,唐代に整備された中国における最も古い街の雰囲気を漂わせていた。この 1,000m 余りの南大街には,銀行,百貨店,事務所,レストランなどが立地し,歩道も観光客が散策できるように整備され,多くの観光客で賑わっていた。旧市街地の中心にある鐘楼は,唐代と明代のスタイルを融合し中国の伝統的な建築様式の美しさが際立っていた。また,南大街に出店するスターバックスや,西安市公安局の建物は西安鐘楼に合わせて中国の伝統的な建築様式で建てられており,街並みの統一性への配慮を感じさせた。さらに,現代的建造物の高さは,西安鐘楼に合わせて低い屋根の連続した景観が広がっている(写真①を参照)。それは,西安市政府が歴史的町並みの保存を図り,旧市街地における現代的建造物に対する高さ制限を徹底しているからであると考えられる。夜間には,明代城壁も含み,多くの建造物がライトアップされ,古代と現代が融合した西安独自の都市景観を演出している(写真①②を参照)。ここから,西安市政府は意識的に文化遺産を観光へと結び付けて,文化遺産を観光資源としてアピールするようにと工夫が凝らされているように感じられた。

31 西安観光局「景区簡介」(観光スポット紹介)32 大西國太郎(2001)p. 151。

写真① 西安鐘楼のライトアップの様子と高さ制限の建造物群

出所:2018 年 11 月 2 日,筆者撮影。

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2.世界遺産の秦始皇帝兵馬俑坑と観光 秦始皇帝兵馬俑坑は,紀元前 221 年に,中国大陸を初めて統一した秦の始皇帝の死後の陪葬坑であり,始皇帝の冥土における近衛軍団で,ほぼ実物大の陶土製の軍馬と兵士の整然とした大隊列を地下深く収めた坑である。兵馬俑は1974 年に地元の住民によって発見され,中国政府による文化遺産として保護された。1976年には 1 号坑館の基礎工事が開始され,その後,2 号坑,3 号坑,4 号坑も次々と発見され,1979 年には秦始皇帝兵馬俑博物館が設立された(33)。 秦始皇帝兵馬俑博物館の 4 つの陪葬坑は,それぞれ部隊として分けられる 1 ~ 3 号坑と未完成の 4 号坑も含めて,始皇帝の陵を守るように配備され布陣している。全体面積は 2 万 m2 余にも及んでいる。これらの陪葬坑からは,平均身長の 180cm 強の実物大の兵士の陶俑 8000 余体や馬車,青銅製兵器などが数十万件も出土した(34)(写真③を参照)。 しかし,これらの俑坑の遺跡は,秦,漢の政権交代の戦乱,さらには失水などの自然現象に

よって,多くは破損されていた。 発見された後に,考古学的発掘と修復が専門家によって,現在も注意深く地道に,しかも科学的に進められている。これらの兵士俑の顔つきはすべて異なり,一つひとつ精緻で完成度が高く,また兵士俑の持つ青銅器兵器などは秦帝国の技術水準の高さを示し,世界的な文化遺産として高い評価が与えられている。これにより,1987 年に「秦始皇帝陵および兵馬俑坑」が世界遺産登録された(35)。 さらに,秦始皇帝兵馬俑博物館には,始皇帝の巡行車馬を模した銅車馬も展示されている。この銅車馬は金・銀製の装具を惜しみなく使い,車馬の本体のみならず,壁や天井の内外にも色鮮やかな吉祥模様を施しており,威厳と華やかさを備えているため,「青銅之冠」(青銅の冠(最高水準の青銅製品である))と称せられている(36)。 秦始皇帝兵馬俑博物館が,一般開放されて以来,国内外の観光客を含めて合計 7,000 万人強を受け入れた。また,世界の 40 か国や地域の80 都市で兵士俑を展示し,海外で約 2,000 万人

33 秦始皇帝陵博物館(2013)「秦陵秦俑考古工作紀実:一号坑的発見,発掘和研究」(秦陵秦俑の考古調査の記録:1 号坑の発見・発掘と研究)

34 秦始皇帝陵博物館(2015)「40 年来秦俑考古発掘与科技保護」(40 年にわたる秦俑の考古発掘と科学技術による保護)

35 秦始皇帝兵馬俑は「20 世紀の考古学上における最も偉大な発見のひとつ」であると評価されている。36 秦始皇帝陵博物館(2012)「秦陵銅車馬」。

写真② 西安の明代城壁のライトアップの様子

出所:2018 年 11 月 2 日,筆者撮影。

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の見学者を集めた。2017 年に秦始皇帝兵馬俑博物館を訪れた観光客数は 685 万人で,故宮に次ぐ 2 番目の集客効果と誇っている(37)。 現地でのガイドの聞き取り調査によれば,2018 年の一日の観光客は 3.5 万人くらいであり,前年比 28.3%増加しているという(38)。秦始皇帝陵博物館の受付では,外国人観光客に対応するために英語や日本語のガイド案内が用意されていた。これは,博物館が外国人観光客に対応するための観光サービスの整備であると見受けられるが,英語や日本語以外も必要と感じ

た。実際に現地を視察すると,中国人観光客は団体観光客が多く見受けられが,外国人観光客は個人観光が多くみられた。また,博物館には有料電動カートも整備され,広い博物館の移動手段とされていた。 博物館の周辺には,中国古代の建築様式に模倣した西安の地元料理のレストランが多く立ち並んでいた。地元住民の住宅から改造された宿泊施設も多くあり,入口の門を中国古代の建築様式に改造し,秦始皇帝陵の雰囲気に合わせていると分かる。秦始皇帝陵博物館の開館によ

写真③ 秦始皇帝兵馬俑博物館の正面と第 1 号坑の様子

出所:2018 年 11 月 3 日,筆者撮影。

37 田虎・連品潔(2018)「秦始皇帝陵博物院 2017 年接待中外游客 685 万人次」(秦始皇帝陵博物館の 2017 年の国内外観光客数は 685 万人に)『人民網』2018 年 1 月 3 日日付。

38 陶明撮(2018)「秦兵馬俑迎来参観旅游高峰」(秦兵馬俑が観光ブームを迎えた)『人民網』2018 年 7 月 18 日日付。

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り,地元の活性化につながったと思える。 公共交通機関は,西安駅から兵馬俑博物館までは約 30km 離れており,公共交通機関(市バス)で 1.5 時間もかかる。観光客は西安駅までの移動も含めると,さらに時間が必要となるため,市バスはあまり利用しないとのことである。団体観光客だと観光バスで移動するが,個人観光客だとタクシーやレンタカーが一般であった。しかし,博物館には 1 日 3.5 万人の入館者も対応できる大きい駐車場が整備されていないため,博物館の周辺には路上駐車が多く,道は混雑していた。秦始皇帝陵博物館には,観光客を受け入れるための観光サービスは充実させているが,観光インフラ整備には多くの課題が残されているように見えた。

3.唐長安城大明宮遺跡の保存・復元と観光活用 唐長安城大明宮遺跡には,宮殿の建物は残されていないものの,建造物の基壇が保存されている。西安市政府は,これらの基壇を保存しながら,建物を復元して,遺跡公園に整備した。この復元した遺跡の観光活用の現状と問題についてみておこう。 大明宮は唐の政治文化の中心となる場所であり,唐長安城の宮殿の中で規模が最も大きい 3宮殿のひとつである。宮殿城壁は全長 7.6kmぐらい,東西南北に合わせて 11 の城門があり,明・清の宮殿である故宮(紫禁城)の 4 倍くらいの大規模なものである(39)。中国の歴史上の最も立派な宮殿のひとつである。 歴史的に見ると,大明宮は,安史の乱

(755 ~ 763 年)後に太極宮に代わって唐の政治の中核地として機能し続けた。安史の乱後の

唐は,1 世紀近く統治したが,領土の縮小による王朝財政の危機や,中央政府の統治力の弱化により地方軍閥が台頭し,弱体化していくことになった。大明宮の建築構造には①軍事防衛構造の強化,②内廷における行財政・軍事機関の増大,③王朝儀礼の大規模化,④道教関係建築の突出という特徴があり,当時の世界の最大国際都市であった唐長安城の歴史を物語っている(40)。 しかし,大明宮は,主要な建造物である含元殿を含め木造建造物であり,また,地震などの自然災害や人為的な戦火などに度々見舞われたため,1000 年以上も経た現在,建造物は失われ,基壇のみ残っている。その上,その基壇も風化によって破壊状況が深刻であり,そのまま放置すると,基壇まで消えてしまう可能性も高まっていた。そのため,現存の遺跡である基壇はこれ以上破壊がしないように,保存活動を行うことは急務であった。また,この大明宮遺跡には多くの民家と工場が建てられていたため,西安市政府は,最初に住民の移住と工場の立ち退きを行ったのである。 1959 年に中国文物局によって大明宮遺跡の発掘調査が行われ,1961 年には国家級文化遺産に指定された。しかし,1966 ~ 1976 年の文化大革命の影響で大明宮遺跡の保存活動は滞った。 1995 年に中国政府は日本政府に文化遺産無償協力を要請し,ユネスコと日本政府は北京で

「保護唐朝大明宫含元殿遺跡行動計画書」(唐朝大明宮含元殿遺跡保護の行動計画書)を調印した。その内容は日本のユネスコ信託基金を利用し,「大明宮含元殿遺址保護修復工程」(大明宮

39 大明宮国家遺跡公園 HP「走進大明宮―大明宮簡介」(大明宮概要―大明宮の紹介)40 妹尾達彦(2001)p. 182。  これについて,妹尾達彦(2001)は大明宮を「唐代の安史の乱後の中国史の新しい展開を象徴する歴史空間で

あった」と評価している。

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含元殿遺跡保存修復事業)により主に含元殿の基壇遺構の保存・修復作業を進めた(41)。この事業では,大明宮含元殿遺跡の保存・修復のマスタープランに基づき,含元殿遺跡の基壇の保存修復(2003 年)および含元殿の建築資材であるレンガ焼成用の窯址遺構を復元(2004 年),さらに出土遺物等を展示するための資料館の建設などの環境整備が行われた(42)。 さらに,西安市政府は,大明宮遺跡を国家級遺跡公園として整備する計画を立て,2008 年にオーストラリアの設計会社 IAPA(International Architectural Platform Australia)に設計・建設を依頼し(43),2010 年に大明宮国家遺跡公園は完成し,現在一般公開している。 現在の大明宮国家遺跡公園では,大明宮の南門は唐代の様式をまねて建築され,また,公園内部には,1,100 軒の大明宮の宮殿建築が 15 分の 1 に縮小して再現されている。この建造物群は,高いものは約 5m,低いものでも約 0.5m

あり,その建築様式は完全に史料に基づいて再建されたと言われている。建造物の内部は,唐の繁栄を示すために金粉で装飾が施され,夜間には建造物がライトアップされている。大明宮国家遺跡公園では,観光客のために電動カートが用意され,また,当時の様子を体験できるように最新の VR 技術や,映画鑑賞のホールも整備されており,唐代にタイムスリップさせるような「テーマパーク」化した観光スポットになっている(図表 11 を参照)。 こうして,中国政府と日本政府,ユネスコの三者の協力により大明宮含元殿の基壇などの遺跡を保存・修複することは,唐の文化遺産の破壊を食い止めることになったと評価できる。しかしその後,西安市政府は観光客を誘致するために,唐の建築様式に基づく建造物や文化を模した「テーマパーク」的な遺跡公園として整備したのである。

図表 10 日本による大明宮含元殿遺跡保存環境整備計画の完成予定図

出所: 国際協力事業団・国際航業株式会社(2002)「中華人民共和国大明宮含元殿遺跡保存環境整備計画基本設計調査報告書」により引用。

41 国際協力事業団・国際航業株式会社(2002)「中華人民共和国大明宮含元殿遺跡保存環境整備計画基本設計調査報告書」pp. 1―3。

42 国際協力事業団・国際航業株式会社(2002)「中華人民共和国大明宮含元殿遺跡保存環境整備計画基本設計調査報告書」pp. 1―3。

43 大明宮国家遺跡公園 HP「拯救大遺跡―記大明宮国家遺跡公園建設史:還大遺跡以尊厳」(遺跡の保存―大明宮国家遺跡公園の建設史:遺跡が甦るのに)2014 年 4 月 10 日日付。

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4.漢長安城未央宮の保存整備 西安における漢長安城は,「13 王朝」における 10 王朝 800 年以上も都城として政治中心の役割を果たした(44)。この漢長安城遺跡は中国の都城遺跡で最も規模が大きく,遺跡が豊富に残り,保存状況も良好であり,文化的価値が高いとされている(45)。2000 年経過した現在は,建物そのものは残存していないが,建造物の基壇や城壁跡など豊富な遺跡が残されている。 漢長安城は,秦末戦乱の後,項羽が秦の都城咸陽を焼き払った後に紀元前 202 年に建てられたものである(46)。総面積約 36km2 にも達した

漢長安城は,秦の咸陽宮を手本にしたとされ,その 3 分の 2 の区域を宮殿建築群が占めた。城内には未央宮,長楽宮,桂宮,北宮,明光宮といった宮殿建築群が配置された。未央宮の宮殿は四角形の敷地で東西の長さは約 2,250m で,南北の幅は約 2,150m で,総面積は 4.8km2 もある壮大なものであり,前漢時代の皇権政治の中枢として役割を果した(47)。この未央宮は紀元前 140 年頃に使者張騫による 2 度の西域派遣の起点であり,この東アジアとヨーロッパを結ぶ交通路はのちにシルクロードと名付けられた。この漢長安城は,東西の貿易・文化の交通路の

44 西安市未央区人民政府 HP「走進未央―歴史沿革」(未央概要―歴史沿革)45 張(2014)p. 57。46 朱士光(2004)p. 49。47 西安市未央区人民政府 HP「走進未央―名勝古跡」(未央概要―名所旧跡)

写真④ 大明宮国家遺跡公園の看板と観光客用の電動カート

出所:2018 年 11 月 4 日,筆者撮影。

図表 11 大明宮国家遺跡公園の全体図

出所:大明宮国家遺跡公園 HP により引用。注:ここで表記している番号は,大明宮国家遺跡公園の見学施設を示している。

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要衝であった。 2011 年 9 月に,中国国家文物局と陝西省政府は,西安で「漢長安城国家大遺址保護特区工作会議」(漢長安城国家大遺跡保護特例区域プロジェクト会議)を開き,「漢長安城国家大遺址保護特区」(漢長安城国家大遺跡保護特別区域)を設立した。2012 年 8 月に「西安漢長安城国家大遺址保護特区実施方案」(西安漢長安城国家大遺跡保護特区建設の実施案)を発表し,

「漢長安城国家大遺跡保護特区」を西安の「5項重点工作」(5 つの重点的なプロジェクト)のひとつとして位置付けたのである(48)。 現地を訪れると,漢長安城未央宮遺跡は工事中で,写真⑤のように広大な敷地が広がるだけで,建造物は何も残っていない状態である。一部分の地域は土地の表面を保護するために緑のシートで覆われている。工事中のため,園内への出入りも禁止されている(写真⑥を参照)。 遺跡の案内板を見ると,世界遺産に登録以降,2015 年には,漢長安城遺跡公園の整備には中国政府から 2,500 万元が投資され,1.9 万本の樹木も植えられた。予定としては,漢長安

城内では緑化面積が 3,359ha にも達するのである(49)。案内図を見ると,将来的に森林公園のように整備していくであろうと推測される。そのほかに,遺跡の周辺のインフラ整備や遺跡博物館の建設も相次いで進めるとされていた。 以上をまとめると,西安における文化遺産の保存・観光活用の方策は主に 3 つに分類できるように思える。1 つ目は,旧市街地にある鐘楼,明代城壁および秦始皇帝兵馬俑のように,現存する文化遺産は学術的に保存し,文化遺産の原形を保持しながら修復を行う。さらに観光インフラ整備を加えて一般公開で観光客を誘致する活用方法である。2 つ目は,唐長安城大明宮遺跡に見たように,建造物の基壇は考古学的に保護した上で,唐代の建築様式を模して建造物を復元する。さらに現代技術を用いて唐代の歴史文化を再現し,観光客に体験させ,「テーマパーク」として整備にする活用方法である。3 つ目は,漢長安城遺跡に見られるように,観光活用を行うよりは遺跡そのものの保護を重視する活用方法である。

写真⑤ 漢長安城未央宮遺跡公園の工事現状

出所:2018 年 11 月 4 日,筆者撮影。

写真⑥ 出入り禁止の看板

出所:2018 年 11 月 4 日,筆者撮影。

48 西安市未央区人民政府(2016)「西安市未央区国民経済和社会発展第十三个五年規劃綱要」(西安市未央区国民経済と社会発展の第 13 回 5 ヶ年計画綱要)p. 13。ここで言う「5 項重点工作」(5 つの重点的なプロジェクト)とは,①渭北工業区建設(渭北の工業地域の建設)②漢長安城保護建設(漢長安城の保護)③秦嶺山麓生態保護

(秦嶺山脈の生態の保護)④八水潤西安(西安の水生態のシステム構築)⑤交通枢紐建設(交通インフラの整備)である。

49 2018 年 11 月 4 日に漢長安城未央宮遺跡公園にて実施した現地調査及び案内板によるものである。

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第 3章 西安における都市計画と文化遺産の保存・活用による観光開発

1.西安における都市計画と文化遺産の保存・活用

 以上みてきたように,西安市政府は,積極的に文化遺産を保存し,観光活用にも力を入れているように窺える。これらの西安における文化遺産の保存活動及び観光活用は西安の都市計画に基づくものであると考えられる。最後に,西安における都市計画と文化遺産の観光活用についてみておこう。

(1)第 1 回「西安城市総体規劃(1953―1972 年)」(西安都市全体計画(1953 ~ 1972 年))と文化遺産の保存整備

 西安市政府は長い時間を経て育んできた西安独自の歴史的景観を保存した。中華人民共和国の建国直後に,すでに西安の文化遺産の保存・整備という内容を含む都市計画が打ち出されている。1952 年に発表された第 1 回西安都市全体計画(1953 ~ 1972 年)では,秦阿房宮遺跡,漢長安城遺跡,唐長安城遺跡,明代城壁および,鐘楼・鼓楼,大小雁塔などの文化遺産の保存に言及した。これらのうち,中国政府は,1961 年に秦阿房宮遺跡,漢長安城遺跡,唐長安城遺跡,明代城壁および大小雁塔を国家級文化遺産に指定した(50)。また,明代城壁内の旧市街地については,唐長安城の格子状の道路網

をそのままに継承し,歴史的雰囲気を保つために旧市街地は改造しない原則を定めたのである(51)。しかし,計画の当時は文化大革命(52)にあたる時期(1966 年 5 月~ 1976 年 10 月)と重なり,「旧思想,旧文化,旧風俗,旧習慣を打破する『破四旧』」と呼ばれる運動が展開され,西安における唐長安城遺跡や漢長安城遺跡などの歴史的価値の高い文化遺産の多くは破壊された(53)。

(2)第 2 回「西安城市総体規劃(1980―2000 年)」(西安都市全体計画(1980 ~ 2000 年))と旧市街地の保存整備

 文化大革命後の 1980 年代以降に,西安市政府は第 2 回西安都市全体計画(1980~2000 年)を打ち出した。ここでは,明代城壁内の旧市街地を核に新市街地は建設する原則を明確にし,また,旧市街地における歴史的景観や町並みを完全に保護し,建物の高さ制限も厳しくコントロールするように規定したのである(54)。 この全体計画に基づき,西安市政府は,「国や省の援助を得て 2 億元の巨費を投じ,明代城壁の大々的な修復整備事業など多くの文化財の保存や,文化施設の整備」(55)を行った。同時にこの計画では旧市街地の建物高さを制限するルールも打ち出したのである。具体的には,「城内では城壁から 100m の範囲を建物高さ 9m 以下の地区に,その内側の 20m の範囲を高さ12m(城壁の高さ)以下の地区としている。そ

50 国家文物局(1961)「第一批全国重点文物保護単位」(第 1 回国家級文化遺産)51 西安都市規劃局(1952)「西安城市総体規劃(1953 ~ 1972 年)」(西安都市全体計画(1953 ~ 1972 年))52 文化大革命とは,毛沢東主導下で 1966 年 5 月から 1976 年 10 月にわたって行われた無産階級文化大革命と言

われる革命運動で,中国の多くの重要な文化遺産の破壊と経済活動の長期停滞をもたらし,人々に深刻な災難を及ぼした内乱である。

53 西安網(2013)「文革期間的西安大遺跡(中)」(文化大革命期間における西安大遺跡)『鳳凰網』2013 年 3 月15 日日付。

54 西安都市規劃局(1980)「西安城市総体規劃(1980 ~ 2000 年)」(西安都市全体計画(1980 ~ 2000 年))。55 大西國太郎・朱自煊(2001)p. 155。

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して,その内側に鐘楼の軒高 22m 以下に制限する地区と,36m 以下の地区を設けている。また省政府の庁舎と四つの公共施設予定地は45m 以下の地区としている。城壁の外に向かっては,それぞれ 18m,30m,45m,60m 以下の地区を設け,その外側は高度無制限の地区としている」として文化遺産の景観を保全する環境整備が行われた(56)。 これにより,西安は 1982 年には,国家「歴史文化名城」(歴史文化都市)にも指定された(57)

が,現代都市建設と古都風貌をいかに統一,協調するかという問題については,認識や理解は一致していないため,一部の文化遺産の破壊が進んだとされる(58)。

(3)第 3 回「西安城市総体規劃(1995―2010 年)」(西安都市全体計画(1995 ~ 2010 年))と旧市街地の保存整備と「文化観光区」の開発

 西安市政府は,第 3 回西安都市全体計画(1995―2010 年)で,西安を「歴史文化都市」にするための総合的な保護と継承の政策を打ち出した。ここでは,「突出西安特色,从城市的発展戦略,規劃布局,城市設計等方面的統籌考慮,採取総合措施,使保護与建設相協調,在有利于城市社会経済発展的同時,促進歴史文化遺産的保護与継承。」(西安の特色を重視しながら,都市発展戦略,計画設置,都市設計などの

面から統一的に配慮すべきであり,総合的な対策をとる。さらに保護と建設は調和させ,都市経済に有利するとともに,歴史文化遺産の保護と継承を促進する)(59)と述べ,「歴史文化遺産」の保護と継承の取り組みをより積極的に打ち出した。具体的な保護方針としては,「保護明城的完整格局,顕示唐城的宏大規模,保護,周・秦・漢・唐の重大遺址」(明代の都市配置は完全に保護するとともに,唐代の広大的な規模も体現し,周代,秦代,漢代,唐代の重要な文化遺跡を保護する)(60)とされる。 この計画の背景には,中国政府は,1992 年に「保護為主,搶救第一」(保護を主とし,緊急救助を第一とする)方針が打ち出され,緊急を要する文化財及び遺跡などの修復,保護及び発掘を実施したことにある(61)。さらに,中国政府は,1995 年に「有効保護,合理利用,加強管理」(有効的保護,合理的利用,管理強化)の原則を掲げ,文化財の保護はまず国の責任であるとともに,社会全体の義務であることを強調し,社会全体が文化財の保護に参与することを要請したのであった(62)。 こうして,西安の都市計画においても,貿易や科学技術に関する産業とともに観光が主要産業に位置付けられ,西安高新技術産業開発区や技術開発区などのハイテク経済開発区とともに曲江新区(大雁塔や大唐芙蓉園)という文化観

56 大西國太郎・朱自煊(2001)p. 156。57 国家文物局(2014)によれば,「歴史文化名城」(歴史文化都市)とは中国の文化遺産保護制度の一つであり,

中華人民共和国国務院が 1982 年に制定した制度である。歴史的価値や記念的価値が高く,現在も継続して存在する都市を保護する制度である。

58 張天翺等(2004)pp. 843―844。59 西安都市規劃局(1995)「西安城市総体規劃(1995―2010 年)」(西安都市全体計画(1995―2010 年))60 西安都市規劃局(1995)「西安城市総体規劃(1995―2010 年)」(西安都市全体計画(1995―2010 年))61 国際協力事業団・国際航業株式会社(2002)「中華人民共和国大明宮含元殿遺跡保存環境整備計画基本設計調

査報告書」pp. 1―3。62 国際協力事業団・国際航業株式会社(2002)「中華人民共和国大明宮含元殿遺跡保存環境整備計画基本設計調

査報告書」pp. 1―3。

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光開発区が設けられた。これにより 2 章で見た「大明宮含元殿遺跡保存修復事業」にあわせて,次に見る「曲江新区」に大雁塔や大唐芙蓉園を中心とする唐代の文化観光区が建設されたのである。

2.曲江新区(大雁塔・大唐芙蓉園の唐代の文化観光区)の開発

 2002 年に陝西省政府及び西安市政府は観光を主要産業とする「曲江新区」という経済開発区を設けた。最初の取り組みは,2003 年の大雁塔の整備であった。大雁塔は都市広場に整備され,文化遺産を現代的施設に融合させ,観光客の誘致に成功した。また,2005 年建設された大唐芙蓉園は,唐の歴史文化を背景に唐の皇室庭園を模して創り上げられた「テーマパーク」であり,文化遺産を生かした新たな観光開発の手法として中国各地の観光都市から注目を浴びている。

①大雁塔 大雁塔は 652 年に唐代の高僧である玄宗三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存する塔であり,仏教が中国に融合する象徴的な証拠として価値を高く評価されている(63)(写真⑦を参照)。中国政府は,1961 年に大雁塔を第1 回目の国家級文化遺産に指定し,1964 年に大雁塔の修復も行った。こうして,大雁塔は国家級文化遺産として保存され,観光スポットにもなり,観光客も呼び込んだ。 2003 年に西安市政府は,第 3 回の「都市全体計画」で言及した「促進歴史文化遺産的保護与継承」(歴史文化遺産の保護と継承を促進す

る)という方針に従い,大雁塔の周辺を含め整備に取り組んだ。 同時に,2003 年に日本の建築設計会社「日建設計」にマスタープランを委託し,大雁塔北広場を開発した。この広場は,第一期開発に 5億元が投資され,大雁塔村の住民を強制移住させた後に,唐の歴史文化の要素を取り入れたものとして建設された。大雁塔北広場には,10万人の観光客も収容できるアジア最大の音楽噴水広場や雁塔西苑民俗博覧園,東苑劇曲博覧園,大慈恩寺遺跡公園などの文化緑化広場も設けられ,大型の都市文化レクリエーション空間が作られている(64)。こうして,大雁塔北広場は古都の風貌と現代の雰囲気を融合させようとしたと言えよう(65)。大雁塔北広場は,2003 年12 月に一般公開して以来,一日平均観光客数が 8 万人余り来訪し,長期休暇中には 1 日 35万人の観光客で賑っている(66)。 現地で実際に大雁塔を登ると,大雁塔の最上階からは西安の碁盤目の街づくりを眺めることができ,唐長安城の繁栄さを想像することもできる。塔内には,中国観光客のみならず外国人観光客も訪れていた。夜間になると,北広場の音楽噴水のライトアップや西安の街燈やネオンで西安の代表的な夜景となり,観光客を呼び込むことに成功している。大雁塔北広場は,文化遺産と現代的な施設及び,周辺の環境と一体化できた観光開発のモデルとなっている。

②大唐芙蓉園 大唐芙蓉園は,2005 年に唐の歴史文化をもとに作られた「テーマパーク」である。唐の皇室庭園の遺跡である「芙蓉園遺跡」の北側に敷

63 西安市政府「歴史沿革」64 登坂誠(2006)p. 17。65 鎖言涛(2011)p. 151。66 人民網「西安旅游接待人数和収入再創新高」(西安における観光客数と収入は過去最高記録に)2018 年 5 月 2

日付。

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地面積は約 67ha の広さで造られた。 大唐芙蓉園は 13 億元を投資され,唐の皇室庭園をモデルに建設された。園内の建築物はすべて唐の建築様式を模倣して新しく建てられた。また,園内には帝王文化区,女性文化区,茶文化区,道教文化区や仏教文化区などの唐代の象徴的な 14 文化区があり,それぞれの文化区では唐の多様な文化を体験することができる。さらに,最新技術を用いた世界最大の水幕スクリーンに映した映画も鑑賞できる(67)。この大唐芙蓉園は体験型観光,レクリエーション観光およびレストラン,アミューズメントを一体化しており,2011 年には国家観光局によって国家 AAAAA 級観光スポットに指定された(68)。 大唐芙蓉園は文化遺産ではないが,歴史的ストーリーを元にして創り上げられた総合的な

「テーマパーク」であり,歴史文化を現代文化と融合させた新しいモデルであると言えよう。 この曲江新区の文化観光区には文化遺産の大

雁塔および広場をはじめ,大唐芙蓉園という唐の歴史文化を再現したテーマパークの以外にも,西安曲江海洋館という水族館も建設されている。こういった総合的な観光開発については,前西安市委員書記である袁氏が「曲江開発為西安如何把単純的観光式旅游与体験式旅游相結合,如何把文物資源和歴史文化由点到面的展開,提供了一个新的概念,新的方向,新的范示,新的路径」(曲江の開発は,いかに周遊型観光と体験型観光を結びつけるか,いかに文化遺産資源と歴史文化を点から面に展開するかという課題に,新しい概念,新しい方向,新しいモデル,新しいルートを提示したのである)と評価している(69)。また張祖群(2014)によれば,

「“曲江模式”成為国内文化遺産保護開発与旅游,文化産業発展的范本,吸引了天津,洛陽等国内很多大中型城市前住学習」(曲江モデルにおける成功は,中国国内における文化遺産の保存開発と観光のモデルとなっており,天津や洛陽などの他の観光都市からの見学団が相次いで

67 大唐芙蓉園 HP68 国家観光局(2011)「旅游景区」http://zt.mct.gov.cn/was5/web/search?channelid=211942  ここで言う国家 AAAAA 級観光スポットとは,中国国家観光局が定める各地の観光地の等級であり,

AAAAA が最高級である,69 鎖言涛(2011)p. 195。

写真⑦⑧ 大雁塔および大雁塔から眺めた西安の町並み

出所:2018 年 11 月 3 日,筆者撮影。

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いる)(70)としている。 このように曲江新区開発区は,文化遺産を現代的施設と融合させ,歴史文化を重視した新たな観光開発を行い,2007 年に中国初の「国家級文化産業モデル区」として指定された(71)。この曲江新区開発区の観光開発モデルは,観光客を誘致することに成功して経済効果をもたらした。

3.第 4回(西安都市全体計画(2008 ~2020 年))と国際観光都市を目指して

 曲江新区の文化観光区は開発の成功とともに,西安市は歴史的な文化遺産を都市発展に結び付け「国際観光都市」を目指している。 2007 年,中国共産党西安市第 11 次代表大会では「人文西安,活力西安,和諧西安」(人文的資源のある西安,活気のある西安、調和された西安)という目標を掲げ,これに基づき2008 年に西安市政府は,第 4 回「西安都市全体計画(2008―2020 年)」を発表した。この計画では文化遺産資源を保護し,歴史文化の中身を深く掘り出す。中心の旧市街地における文化遺産については重点的に保護する同時に,都市の伝統的な風貌を全面的に体現させ,都市文化の品質を向上させようとしている。こうして,

「将西安建設成為中国伝統文化与東方城市営建的展示基地,打造国際一流旅游目的地」(中国の伝統的文化と東アジアの都市の建築様式を展示できる教育基地を建設し,一流の国際観光目的地を目指す)(72)と述べ,西安が国際観光都市

を目指すことを明確に打ち出したのである(73)。 現在,西安市政府は,第 4 回「西安都市全体計画(2008―2020 年)」に基づき,国際観光都市を目指し,古都の文化遺産を全面的に保存するだけでなく,文化遺産の環境整備も含めた,総合的な歴史的な文化観光区の構築を試みている。具体的には,これまで見た①旧市街地を主とする明代,清代の文化観光ゾーン,②秦始皇帝陵を主とする秦代の文化観光ゾーン,③唐長安城大明宮遺跡を主とする文化観光ゾーン,④大雁塔や大唐芙蓉園を主とする唐代の文化観光区および⑤漢長安城遺跡を主とする漢長安城国家遺跡保護特区等の文化遺産を中心とした観光開発を積極的に展開しているのである。

おわりに

 以上のように,古代のシルクロードの起点として繁栄を極めた西安は,中国における典型的な古都であり,旧市街地の歴史的町並みや秦始皇帝兵馬俑坑や漢長安城や唐長安城などの世界に誇れる数多くの文化遺産を有している。また,西安は,崋山や渭水など美しい自然的資源を併せ持っている。さらに唐の文化遺産と融合したテーマパークや現代的な観光施設など,豊富な観光資源を有する総合的な観光都市である。 一方で,西安市政府は,文化遺産を観光資源として積極的に観光開発を行っている。旧市街地におけるランドマークである西安鐘楼を中心に明代城壁を含む歴史的町並みについては一体

70 張祖群(2014)p. 84。71 中国文化部(2006)「文化部関于命名第二批国家文化产业示范基地的决定」

http://zwgk.mct.gov.cn/auto255/200901/t20090108_465678.html?keywords(文化部による 2 回目国家文化産業モデル区の指定に関する決定)=

72 西安都市規劃局(2008)「西安都市全体計画(1995―2010 年)」(西安城市総体規劃(2008―2020 年))73 2009 年 7 月 22 日に中国政府は「文化産業振興規劃」を発表した。これは文化産業が国家戦略上の産業となっ

たとも言えよう。国家による上位計画にあわせて下位政策としての地方政府の政策が策定されるのが当然であるが,西安は中央政府の政策を先取りしていたのである。

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109西安における都市観光の現状と課題(張)

化を重視し整備を進め,また,秦始皇帝兵馬俑坑の世界遺産登録によって観光客の誘致に成功した。唐長安城大明宮遺跡についても,建造物の基壇という遺跡を保存するだけでなく,唐の建築様式に模して建造物を復元させ,唐の文化も観光客に体験させるように試み,国家遺跡公園に指定された。さらに,漢長安城未央宮遺跡についても,文化遺産の保護を目的に遺跡公園を整備し,緑化に配慮した森林公園の建設を予定している。開発が進む現在の中国では,このような文化遺産の保存と観光活用の試みは,文化遺産の歴史的価値を保全しつつ観光活用を進めるものとしての意義は大きく,文化遺産の観光活用による持続可能な都市発展につながるように思える。 しかしながら,他方で,西安の曲江新区の観光開発では,大雁塔北広場の整備および大唐芙蓉園のように唐の皇室庭園モデルを模して再建した人工的なテーマパーク化している。このような観光開発では,文化遺産を現代的施設と有効的に融合が試みられ,唐代の文化を疑似体験させる上で有効かもしれない。しかし,文化遺産の保存の視点から見ると,文化遺産の真正性を失わせているのではないかと考えられ,文化遺産の歴史的価値を後世に伝えられるかについては疑問である。このような人工的な「テーマパーク」化は,短期的に高い集客効果があっても,長期的に見て観光の持続可能な発展につながるかどうかについては,今後の推移を見守る必要がある(74)。 とはいえ,2013 年の中央政府の「一帯一路」

経済構想の提唱により,「国際観光都市」を目指す西安は再び注目を集めた。西安における観光業は,2017 年の観光客が 1.8 億人に急増し,観光収入も 16 億元に倍増し,目覚ましい発展を遂げた。今後,「一帯一路」経済構想の展開のプロセスで,西安の観光業の課題は,中国の西部にある地理的・時間的距離をどのように克服するのか。また,現在のシルクロードの拠点として周辺諸国の外国人を呼び込むことができるのか?秦始皇帝兵馬俑博物館の現地調査で見たように,交通手段や駐車場などの観光インフラはどのように整備するのか?さらに,西安市が推進している唐文化のテーマパーク事業は,多くの観光客に地理的,時間的問題を克服し,訪問されるような魅力的な観光資源となりうるのかという問題が浮かび上がってくる。 こうした西安における文化遺産を中心とする観光業と都市発展については,「一帯一路」経済構想の展開の中で今後の課題と研究を進めていきたい。

謝辞 この研究は,2018 年度の経済・経営学会研究助成金を受けて実施した研究である。ここで深く謝意を表する。

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74 失敗例としては,2000 年に秦阿房宮遺跡の近くに阿房宮を再現したような「テーマパーク」が.2013 年には取り壊されていた。2013 年に西安市政府は 380 億元という莫大な投資をし,「阿房宮文化観光基地」を作り上げようとし,阿房宮を再び復元させようとした。しかし,中国中央政府の反腐敗キャンペーンの一環として国家主席習近平はこの計画に歯止めをかけたのである。すなわち,これら文化遺産を中心に人工的施設を建設することは,必らずしも文化遺産の保存・活用を目的としていない。これには短期的に集客できても,長期的にみると有効的な手段であると言い難いのである。

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