17
Title 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの「ナラティヴ探究」を手がかりとして( fulltext ) Author(s) 二宮,祐子 Citation 学校教育学研究論集(22): 37-52 Issue Date 2010-10-29 URL http://hdl.handle.net/2309/107549 Publisher 東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科 Rights

教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

Title 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニンらの「ナラティヴ探究」を手がかりとして( fulltext )

Author(s) 二宮,祐子

Citation 学校教育学研究論集(22): 37-52

Issue Date 2010-10-29

URL http://hdl.handle.net/2309/107549

Publisher 東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科

Rights

Page 2: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

* にのみや ゆうこ 社会系教育講座ナラティヴ・インクワィヤリ/実践研究/教師教育/カリキュラム/多文化主義教育

 近年、教育実践研究においても、教師や子どもによ

る行為 action に対する解釈が重視されるようになりつつ

ある。この流れのなか、ナラティヴ narrative という言

語行為の一種に着目した「ナラティヴ探究(Narrative

Inquiry:以下NIと表記)」が脚光を浴びている。NIと

は、カナダの教育学者クランディニンとコネリーによっ

て提唱された教育実践研究のスタンスであり、「教育現

場におけるナラティヴという現象 phenomenon および方

法 method の両方に着目することによって」(Connelly &

Clandinin 1990: 2)、教育実践を探るものである。

 1980年代からカリキュラム論や教師教育論で活躍し

ていたクランディニンらは、デューイやショーンなどの

プラグマティズムの教育哲学を土台として、1990年代

にNIの理論的基盤を整え、2000年にその集大成とし

て『Narrative Inquiry』をまとめた(Clandinin & Connelly

2000)。これ以降、NIは様々な領域に広がっており、

Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索

すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

テーマとする学術書・学位論文・実践研究を輩出してき

た。2010年には『Journal of Educational Research』103巻

でも特集(ex. Kim & Macintyre 2010)が組まれたように、

一大潮流となっている。

 しかし、残念なことに、現在、我が国ではNIの視座に

たつ論文やレビューは見当たらない。日本のナラティヴ・

アプローチの教育学研究(ex. 加藤 2008,杉原 2007,

浅沼 2004,矢野・鳶野 2003,瀬戸 2000,香川大学教育

学研究室 1999)との顕著な違いは、NIが「教師自身の

ナラティヴを用いた教師による教師のための探究の推進」

(Jonson & Golombek 2002: 6)のために、研究機関と現場

の連携、研究者と実践者の協働を推し進めている点であ

る。理論と実践との往還を活性化するための研究方法論

だけでなく、自らの実践を探究できる教師養成のための

授業・現場実習方法の開発にも積極的に取り組んできた

NIのスタンスや成果を学ぶことは、単なる新分野の輸

入にとどまらない意義があるだろう。

 そこで本稿は、NIについて概観した上で、ナラティ

ヴ・アプローチにたつ教育実践研究のあり方について考

察をすることを研究目的とする。論文の構成として、ま

ず第 2 節で従来の研究との違いを対比しながらNIの視

座と研究方法を描き出す。第 3 節で学校教育現場での適

用事例を領域別に示し、第 4 節では学校文化の日米比較

を手がかりとして、それぞれの国における教育実践にナ

ラティヴ・アプローチを適用する意義について考察する。

最終節では、教育実践におけるナラティヴ・アプローチ

の発展にむけた課題について述べる。

 ナラティヴ探究 Narrative Inquiry とは、「教育実践現場に

おけるナラティヴの探究を行うこと inquiry into narrative」

を簡略に表現したものである(Connelly & Clandinin 1990:

2)。

 探究 inquiry 1)とは、デューイがプラグマティックな思

- 37 -

Page 3: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

考のあり方として提唱したものである。デューイは教育

実践を「教育学的な経験の意味を付加し、以後の経験の

進路を方向づける能力を増大させるところの経験の改造」

(Dewey 1916 = 2000)と定義しているが、探究とは、まさ

にこのプロセスにおける〈知〉のありようをさす(Dewey

1951 = 1980)。デューイの教育思想から多大な影響を受け

ているNIでは、教育実践を「教師や子どもによる現場

経験への探究プロセス」と捉えているのである。

 ナラティヴとは「具体的な出来事や経験を順序だてて

語る行為、およびその産物」を同時に表す言語行為の一

形態として定義される(野口 2009)。日本語に翻訳して

用いる場合、状況に応じて、行為としての「語り」、ある

いはその産物としての「物語」と使い分ける。

 このナラティヴという語は、日本語では一言で言い換

えることができないように、日本人にとってはイメージ

しにくい概念である。一方、英語圏では日常的に用いら

れる反面、学術論文においても、必ずしも厳密に用いら

れているとは限らない。ストーリー story 2)と混同された

り、日本語でいうところの「ことば」のような漠然とし

た意味で記述されていることもしばしばある。研究対象

としてのナラティヴの面白さは、行為と産物の両方を含

む点に由来するにも関わらず、先行研究では「物語」あ

るいは行為「語り」の側面のうちのどちらか一方だけ注

目されがちであった。

 たとえば、コール(Cole 1989)やウィザレルら(Witherell

& Noddings 1991) は「教室のなかで教師と子どもによっ

て紡ぎだされる物語」という視座を打ち出し、イーガン

(Egan 1989)は小学校での指導およびカリキュラム編成

のプロセスを「物語形式モデル Story Form Model」で分

析した。NIの提唱者であるクランディニンとコネリー

も、80年代には「教師によって語られた物語」を分析対

象とするカリキュラム論に取り組んでいた(Connelly &

Clandinin 1988, Clandinin 1986)。また教育社会学では、エ

スノメソドロジストたちが、教師から子どもへの「語り」

がどのようにして成り立っているのか、教室における教

師と子どもたちとの間で作り上げられる独特かつ微細な

会話のメカニズムを記述してきた(ex. Mehan 1979)。

 このように、教師や子どもによる「物語」あるいは「語

り」を対象とする実践研究は、NIが提唱される前から

存在していたのである。これらとNIとの明確な違いは、

ナラティヴを研究対象としての「現象 phenomenon」だけ

ではなく、研究の「方法 method」としても用いるという

宣言(Connelly & Clandinin 1990: 2)に起源をもつ。

 ナラティヴを、研究の「方法」に用いるとは、どうい

うことだろうか? これを理解するための補助線として、

野口(2009)が指摘したナラティヴモード/セオリーモー

ド3)という 2 種類の〈知〉の様式の違いについて説明し

た上で、それを研究方法としてもちいる意義について述

べる。まずは、以下の例文をもとにモードの違いを明確

にしよう。

ナラティヴモード:

鈴木さんは、毎日、部活の早朝ジョギングに参加し

たため、マラソン大会で優勝した。

セオリーモード:

毎日ジョギングをすれば、運動能力が向上する

 人々の思考では、固有かつ具体的な意図の帰結や行為

の変遷を扱うナラティヴモードの〈知〉と、数学に代表

されるような一般かつ抽象的な因果を扱うセオリーモー

ドの〈知〉が場面に応じて、お互いに補完しあいながら

用いられている(Bruner 1986 = 1998: 16)。しかし、現場

においてはナラティヴモードの方があふれかえっている

にも関わらず、現場での実践を対象とする研究ではもっ

ぱらセオリーモードの〈知〉の方が尊重されてきた(野

口2002: 27 31)。

 セオリーモードの知では、2 番目の例文にみられるよ

うに任意の値をとりうる変数 variables 間の理論的因果関

係を扱い、未来を確実に予測できるという点に意義があ

る。つまり、登場人物 character が誰であっても「ジョギ

ング」と「運動能力」について、原因と結果という因果

的な筋立て plot で語ることが可能である。ただし、この

例文に主語やエピソードが含まれていないように、1 番

目の例文に埋め込まれた文脈、たとえば朝早く起きるの

が大変だったとか、部活のメンバーと励まし合いながら

頑張ったとか、メダルをもらってうれしかったなど、鈴

木さんにとっての意味 meanings はノイズとしてすべて除

去される。

 これまでの実践研究の多くでは、研究方法としてセオ

リーモードの〈知〉を用いてきたため、研究対象として

- 38 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)

Page 4: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

個人の経験を扱っていても、研究プロセスのなかで、そ

の個人の経験にまつわる固有の意味は削ぎ落とさざるを

得なかった。しかし、実践研究においては、世界中で

たった一人しかいない「鈴木さん」の行為にまつわる意

味こそ、中心に据えるべきではないだろうか。NIがナ

ラティヴモードの〈知〉を研究方法としても採用した背

景にはこのような認識がある。

 以上をまとめると「研究対象として人々のナラティヴ

を扱うだけではなく、研究方法としてもナラティヴを用

いる」というNIのスタンスは、現場のナラティヴモード

の〈知〉が埋め込まれた経験を構成するナラティヴをそ

のまま捉えて、その「語られ方」に注目し、研究関心に

基づいて解釈した上で「語りなおし」をするという一連

の作業をとおして、現場の人々の経験とその文脈を対話

的に捉えようとする姿勢であると言える。

 クランディニンらは、NIが分析方法の一つとしてマ

ニュアル化されるのを危惧して、限定的な表現を使った

定義や方法を提示することは避け、具体例や比較によっ

て説明している(Clandinin & Connelly 2000)。しかし、N

Iを行う際には、従来の研究法との違いを意識しながら

すすめる必要があることを繰り返し主張し、典型的な従

来型の研究方法とNIとの違いを比較している。そこで、

本稿でも①理論と実践との関係、②研究者と実践者との

関係という観点から、NIと典型的な従来型研究を比較

し、それぞれのスタンスの違いからNIの特徴を描き出

す。

 従来型研究では、トップダウン式にせよボトムアップ

式にせよ、実践から抽出されたデータ data を検証する手

続きを経て、最終的には、理論を確立ないし更新するこ

とを研究目的としてきた。たとえば、従来型研究の代表

である「実証研究」では、人々の経験をデータに変換し

て、理論から導き出された仮説との適合性を検証し、そ

の分析結果に基づいて、より説明力のある理論を構築し

ていく。近年、グラウンディド・セオリー・アプローチ

(Glaser & Strauss 1967 = 1996)など、研究者が人々の経験

と直接かかわりながらデータを収集する研究プロセスを

とる領域密着型あるいは領域固有型とも呼ばれる質的研

究法が注目されている。ただ、理論とデータの関係性が

トップダウンであるかボトムアップであるかという違い

や、データの種類が量であるか質であるかの違いによっ

て、その手続きや抽象度の差はあるものの、実践と理論

が切り離されている点は、従来型研究と共通している。

また、実践に貢献することを強く願いつつも、論文執筆

の際、研究目的として特定の学問領域の理論の確立ない

し更新に寄与することを掲げる点も同じである4)。

 一方、NIは実践におけるナラティヴを様々な角度か

ら解釈して、実践に対する理解を広げ、深める。そこか

ら得られた知見と探究関心とをすりあわせて、実践のあ

り方を見直し、新たな教育実践のナラティヴへと再構成

していくことを目指している。

 社会科学は自然科学と異なり、人々の経験が研究対象

となる。自然現象にくらべ、人々の経験を科学的に把握

することはかなり困難であるが、従来型研究では実験や

観察などの様々な工夫をこらして、人々の経験を研究の

枠組みにあわせてデータへと変換し、それを分析対象と

してきた。研究者は、データ化する段階で人々の経験の

多くを誤差やノイズとして除去し、入念にクリーンアッ

プされたデータや変数と向き合ってきたのであり、人々

の経験をまるごと受け止めてきたわけではない。また、

巧妙に筆者の存在を抹消した文体によって、第三者的視

点すなわち神の目線から見下ろすように人々のふるまい

を描き出すというスタンスにも懐疑の目が向けられるよ

うになりつつある。

 一方、NIでは、その対象として、現場の人々におけ

る経験5)を構成するナラティヴへの探究に注目し、それ

を研究者との相互作用のなかで動態的かつ関係論的にと

らえようとする。それまで実践者/研究者として異なる

立場にたつものとされてきた人々は、共に「ナラティヴ

を探究する存在6)」と位置づけられる。NIでは「研究

者」という呼称が研究機関に籍をおく人々にだけ独占さ

れることを否定し、実践研究に携わるものは等しく「ナ

ラティヴ探究者 Narrative inquirer」(Clandinin & Connelly

2000: 48)と呼ばれる。

- 39 -

教育実践へのナラティヴ・アプローチ

Page 5: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

 クランディニンが、NIにおいて利用できる分析方

法を約700ページもの大著で紹介したように(Clandinin

2007)、言語学・社会学・文化人類学・心理学・経営学

など、ナラティヴ・アプローチをとりいれた様々な学問

分野で、それぞれの研究目的にあわせて、ナラティヴ分

析が開発されている。

 しかし、NIの研究方法において最も重要なのは、ど

のナラティヴ分析を採用するかではない。どのように現

場のナラティヴと向き合うかというスタンスこそが大事

なのである。なぜなら、本節でこれまで説明してきたと

おり、NIと従来型研究では、それぞれの研究方法が依

拠している〈知〉がセオリーモードであるのか、ナラティ

ヴモードであるのかという違いによって、実践との向き

合い方だけでなく、研究プロセスも全く異なるからであ

る。

 セオリーモードでは、研究対象を任意の値をとりうる

変数や学術的な理論や方法に基づいて抽出されたデータ

として扱うために、研究者と実践者の関係性は注意深く

隠ぺいされる。これに対し、ナラティヴモードではその

主体と対象との関係性こそが探究のあり方を規定すると

自覚する。このため、NIのプロセスすべてにおいて、

実践現場との相互作用のあり方は重要であり、探究者は

常にそのスタンスと立ち位置を問われる。探究者が実践

現場に参入して人々との関係を作り上げる段階から、解

釈の段階を経て、リサーチテクスト research texts にまと

められるまで、全てが探究関心に基づいた戦略的な相互

作用である「交渉 negosiation」によって探究は構成され

るからである。従来型研究との違いは表 2 のようにまと

められる。

 次に、NIの探究プロセスのうち、従来型研究では

「フィールドワーク」と呼ばれる、フィールドテクストお

よび中間テクストの生成プロセスに焦点をあてて述べる。

 クランディニンらは、3 次元探究空間 three-dimentional

narrative inquiry space という解釈装置を提案している

(Clandinin & Connelly 2000: 4 章)。3 次元探究空間では

デューイの経験観(Dewey 1938 = 2004)に基づき、現場

での経験を構成しているナラティヴを、状況 situation、連

続性 continuity、相互作用 interactionの 3 つの側面から解

釈していく。状況という次元では教室や学校などの場の

特性が追究される。連続性の次元では過去 現在 未来

という時間軸が設定される。相互作用は、個人的なもの

すなわち思考と、社会的なものすなわち他者とのコミュ

ニケーションが注目される。

現場経験のナラティヴ探究とその再構成 仮説検証と理論の確立/更新

現場経験を構成するナラティヴを探究する人々 データ

実践上の探究成果をさらに探究する人 理論をもとにデータ収集/分析する人

現場の人々との相互作用の結果としての

フィールドテクストの生成

     

解釈装置としての中間テクストの生成

読者と想定される人々との対話をめざした

リサーチテクスト執筆

フィールドワークで収集されたデータが

埋め込まれたフィールドノート作成

仮説検証による理論の適合性の判定

あらたな学術理論の提示をめざした論文

執筆

- 40 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)

Page 6: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

 具体的に、リサーチテクスト執筆以前の 3 次元探究空

間を活用した探究プロセスを紹介しよう。小学校教師カ

レンを中心に、クランディニンなど数名によって構成さ

れた探究チームでは、以下のような流れでフィールドテ

クスト field texts と中間テクスト interim texts が生成された

(Clandinin & Connelly 2000: 57 60)。

 まず小学校教師カレンが「自分の教育実践に強い影

響を与えた出来事」として、数年前の初任者だった時

期に担任している子どもたちへの評価方法をめぐって、

当時の校長と対立した出来事を語った。この語りを聞

いた他の参加者から、彼ら自身の教育実践の記憶を

もとにカレンが語った出来事に対するコメントが様々

な視点から提出され、それらを取り込みながら新しい

バージョンのナラティヴへ更新していった。そのプロ

セスはすべてテープレコーダーに録音され、逐語おこ

しを経て、フィールドテクストとなった。

 さらに、数ヶ月後、そのフィールドテクストを読ん

だクランディニンは、自身の子どもの頃の教室の風景

をまざまざと思い出し、その時の印象などを書き綴る

うちに探究の新しい視点として、子どもという観点を

取り入れるアイデアが浮かび上がった。このようにし

て生成された中間テクストは、後日、カレンにフィー

ドバックされた。

 このように、カレンのパーソナルなナラティヴは、探究

チームの他のメンバーのナラティヴを刺激し、次々に生成

されたナラティヴは相互に影響しあい、新しいバージョン

へと更新され、そのプロセスはフィールドテクストとして

書きとめられた。中間テクストでは、対象となった場にお

ける経験だけではなく、それより過去の経験や異なる場

の経験まで想起することによって、探究を深めるための

様々な視点が導き出された。カレンの語りのトランスクリ

プトをデータとしてフィールドノートを記述するのでは

なく、中間テクストという解釈装置を意図的に経由させな

がら、「カレンの実践経験の記憶 memory」として構成され

たフィールドテクストを作り上げていったのである。

 では、この共同的に生成されたフィールドテクストは、

どのようにして論文化されるのであろうか。リサーチテ

クストでは、仮説検証の結果から明らかにされた知見を

記述するのではなく、その執筆プロセスのなかで探究

の「目的」を探索的に設定し、読者と想定される人々か

らの反響と対話しながら執筆をすすめる。クランディニ

ンらのNIの対象は教育実践であるため、この交渉的な

探究プロセスの中では、フィールドで収集された様々な

ナラティヴを手がかりとして「教育学的意義」が追究さ

れる(Clandinin et al. 2006)。残念ながら上述の事例にお

いて、カレンらのフィールドテクストや中間テクストか

らリサーチテクストへの移行がどのようになされたのか、

論述されていないため不明であるが、NIの方法に則れ

ば、彼女らの専攻領域である教師教育論やカリキュラム

論で培われた研究関心に沿って「小学校教師カレンの物

語」が再構成され、リサーチテクストとして完成したは

ずである。NIのリサーチテクストに埋め込まれた知見

が、筆者だけではなく読者が関わっている現場実践にも

還元されるよう強く意識されていることは言うまでもな

い。次節で提示するディランの事例(Clandinin et al. 2006:

9 章)やフェイの事例(Phillion 2008)でも、単に語り手

から聴取した「語り」を提示するのではなく、このよう

にナラティヴの特性を生かした方法でリサーチテクスト

として再構成され論文として提示されている。

 教師教育論 teacher education は、NIで最も実績のある

分野である。教師の専門性の基盤となる知識 knowledge

は暗黙的な性質をもつものとされてきたが(Schön 1991)、

NIでは彼らの独特な〈知〉のあり方をナラティヴモー

ドの思考として、そのナラティヴの内容と形式に注目す

ることにより、以下の事例でも示されるように、専門職

集団の中で共有されている〈暗黙知〉の可視化の端緒が

ひらかれた。

 クランディニンらは『Narrative Inquiry』の発表以前よ

り、教師自身でさえ普段は意識化されない彼らの「実践

的知識 practical knowledge」を記述することによって、教

師としての専門性の発達の解明に取り組み(Clandinin

& Connelly 1995, Connelly & Clandinin 1999)、これに並

行して、教師としての専門性の開発にも活用してきた

(Clandinin et al. 1993, Clandinin et al. 2002)。

- 41 -

教育実践へのナラティヴ・アプローチ

Page 7: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

 このような問題意識を基盤として、NIでは教師にお

ける専門性および教員養成のあり方の追究を一体化して

探究がすすめられている。学部や教職大学院での授業

において、ナラティヴモードの〈知〉を開発するための

ディスカッションやレポートなど、課題の工夫(ex, Latta

& Kim 2010, Laboskey 2002, Craig & Olson 2002)だけで

はなく、現職の教師の自己研修でも活用されている(ex.

Freidus 2002, Rust 2002)

 クランディニンは、教育実習を中心とした一連の教師

教育改革プロジェクトを報告している(Clandinin et al.

1993)。このプロジェクトでは「新米である実習生 熟達

した実習先の指導教師」という従来型教育実習で存在し

た上下関係を乗り越え、対話を通した協働や共同的な学

びを目指す新しい教員養成のあり方が模索された。年間

をとおして、数名程度の固定メンバーによる語り合いや、

実習生 実習先の指導教師との間でやりとりされた手稿

journalによる探究などが継続して行われた。

 このプロジェクトにおける様々な取り組みの中から、代

表的事例(Black, 1993)を紹介しよう。小学校教師ブラッ

クは実習生アンジェラを一時的な滞在者としてではなく、

NIの協働探究者として教室に迎え入れ、ブラック自身

の教室での実践に対するイメージをそれぞれが手稿に書

き留めてやりとりした。この探究プロセスのなかで、教

室で意識しないままに振る舞ってきたことが、実は彼自

身の成育歴に深く影響されており、理想としてきたケア

の思想に裏付けられた教育実践との間にズレが存在する

ことに自ら気づくことができたのである。ある教育実践

に対して、教師自らが記述して振り返るだけではなく、

同時に実習生側の記述も重ねあわせることで、たとえば

「ティーム・ティーチングとは何か?」「異年齢で構成され

たグループ学習とは何か?」といった、ふだんは「あた

りまえ」として深く考えることのなかった教室での実践の

意義や方法を改めて問い直すきっかけとなったのである。

 このような多様な〈イメージ〉や〈声〉を引き出し、

共同でナラティヴを構成/再構成していく取り組みに

よって、実習生自身の探究が深められたのは言うまでも

ないが、指導教師側も従来にない視点で自らの指導のあ

り方を見直すことができたのである。また、参加者たち

の関係性も、上下関係から協働関係へと組みかえられて

いった。語りあいや手稿など、教育実践への新しい「語

り方」を活用した実践研究が、現場と大学との中間地

帯 middle ground として機能し、実践に対する見方や解釈

の仕方だけではなく、人々の関係性までも見直す機会を

提供したのである。

 他に、NIの方法を、教育実践のプロセスを把握す

るためのポートフォリオ Portfolio として活用する取り組

みもある(Lyons 2002, Anderson-Patton 2002)。人格教育

character education のような数値化できない実践は把握が

難しいとされてきたが、教師のナラティヴの特徴に注目

することで、従来のやり方では記述困難であった相互作

用的な側面を可視化することができたのである。

 ラボスキーらは、教師教育でNIを活用する意義とし

て、①専門職としてのアイデンティティーの構成/再構

成が活性化されること、②「語り」という意識的な省察

によって教師としてのあり方を探究できること、③語りの

共同体の創造と協働によって同僚とのつながりが深めら

れること、という 3 つのメリットを挙げている(Laboskey

& Lyons 2002: 190 194)。また、実習生や教師の立場でN

Iの観点にたつ研修に参加した人々から、自らの実践を語

り、さらに新たな視点から語り直していくNIのプロセス

のなかで、新たな知見を獲得できたことから、自らのもつ

創造性を実感することができ、今後の実践にむけてエンパ

ワメントされたことが指摘されている(Richart 2002: 57)。

 伝統的なカリキュラム論では、子どもたちに対し、い

かに効率よく適切な知識を提示するかという関心が根本

にあった。すなわち、カリキュラムとは構造化された知

識や技能の総体であり、その伝達者としての教師、受容

者としての子どもとして、現場の人々を捉えていたので

ある。

 NIでは、社会構成主義にたち、カリキュラムを人々

のナラティヴによって相互作用的に構成されるシステム

として位置づける。この観点にたてば、教師や子どもた

ちを「システムによって規定される変数」ではなく、彼

らを「ナラティヴの産出によってシステムを構成/再構

成する行為者 acter」として捉えられるのである。

 クランディニンらの取り組み(Clandinin et al. 2006)に

沿って、具体的に説明しよう。この本では、学校を子ど

も・教師・校長など様々な人々が産出するナラティヴに

- 42 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)

Page 8: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

よって構成される場ととらえ、それぞれのナラティヴや

その交錯によってカリキュラムが構成/再構成されてい

くプロセスが描き出されている。

 就学経験がないために進級できず、強く登校の意思を

持ち続けているにも関わらず授業参加困難という問題を

抱えて幼稚園に在籍するアボリジニの子どもディランの

事例(Clandinin et al. 2006:9 章)では、本人と担任のみ

ならず、校長など様々な学校関係者たちのそれぞれの立

場からのディランとの関わりを織り込んだ語りが収集さ

れた。これらを重ね合わせることで、各個人のナラティ

ヴだけでは読み取れなかった「ディランの物語」の筋立

て plot を規定している様々な社会的・文化的状況が浮か

び上がってきた。また、それぞれの教師が、様々な困難

を抱えているディランに対し、教室のなかで彼自身の物

語を紡ぎ出していけるよう、どのような支援を行ってい

るのかも明らかとなった。そして、「子どもにとって学校

に来ることは何を意味するのか」と、見直す契機へとつ

ながっていったのである。

 上記の事例では、ある一人の子どもをめぐる語りが探

究対象であったが、学校全体やそのコミュニティー、さ

らには国の学校改革 School Reform の政策まで視野に入れ

たモノグラフもある(Craig 2003)。クレイグは中学校・

高等学校 4 校で、1960年代以降の人種や階層の構成など

に基づいた地域特性や教育政策史と、学校全体の方針の

変遷を踏まえた上で、教育政策と学校カリキュラムの関

係などについて教師へのインタビューや職員会議の観察

などを行っている。その結果、教育政策と現場の教師た

ちのナラティヴとがどのようにしてすり合わせられるの

か記述した。

 以上のように、NIのカリキュラム論からは、ディラン

の事例のような「小さな物語」だけでなく、教室や学校

という組織や集団のナラティヴ、さらに国や州の教育政

策という「大きな物語」まで、様々な次元の多彩なナラ

ティヴの束が相互に循環し重なり合いながら形作られる

教育実践をめぐる「情景 landscape」が見えてくる。

 まず、この数年、多文化主義教育論 multiculturalism に

おいて、NIが注目される背景について述べたい。北

米では、開国以来、移民を積極的に受け入れてきたが、

近年になってようやく多文化教育の理念やESL教育

English as a Second Language Education のあり方が積極的

に議論されるようになった。これらが長年、議論の俎上

にのぼらなかった背景として、マジョリティーであるW

ASPの価値基準にあわせ、マイノリティーの同化を促

すような対応をとってきた学校文化の伝統がある。教育

には、国の将来を担う人材の育成と、その国の伝統や固

有の価値観の継承という機能が求められる一方、単に移

民やその子弟を受け入れるだけではなく、彼らが身につ

けてきた多様な文化、価値観、習慣にも対応していかね

ばならないことが認識されるようになりつつある。現在、

多様な価値観に基づく公民教育 citizenship education とい

う非常に難しい目標にむけ、さまざまな制度やカリキュ

ラムの変革が試みられている(Banks 1994 = 1996)。

 多文化主義教育研究の第一人者バンクスは「多文化教

育のポイント」(同書 : 7 章)として、教師をはじめとす

る教職員のあり方の重要性を強調し、多様な価値観を認

める姿勢や異なる民族との共生意識をもち、それをカリ

キュラムに反映させていくことを求めている。ここで着

目されるのが、ナラティヴモードの〈知〉である。先に

挙げたディランの事例のように、その社会においてマイ

ノリティーである子どもとその家族が抱える数々の難題

に対し、教師が単に彼らのパーソナリティーの問題とし

て対処したのでは、こじれるばかりだからである。

 ESL教師をはじめ、多文化主義にたつことを志向する

教師を育てるために、NIでは教師自身がナラティヴモー

ドの〈知〉を身につけることをすすめている。なぜな

ら、言語や文化の構造や獲得のプロセスに関する知識を

習得して効果的な教授法を身につけるだけではなく、母

国語の異なる人々の経験がどのように構成されているか

理解する方法を学ぶことも大事だからである(Johnson &

Golombek 2002, Pillion 2002, Golombek & Johnson 2004)。

 また、コネリーを中心に、多文化主義にもとづく英語

を母国語としない児童・生徒の経験への探究も行われ

ている(ex. Phillion et al. 2005, Xu et.al. 2007)。たとえば、

フィリオンはホンコンの英語で授業が行われる学校にお

ける、本土から移住してきた中国人の小学生フェイの経

験を多文化主義教育の観点から探究した(Phillion 2008)。

フェイの生い立ちから現在、さらに将来的な見通しまで、

家族・地域・学校関係者などフェイにかかわってきた

- 43 -

教育実践へのナラティヴ・アプローチ

Page 9: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

人々の語りも織り込みながら、論文の著者であるフィリ

オンがナレーターとなって探究のナラティヴが紡ぎださ

れた。ただ単にフェイをめぐるエピソードが語られるの

ではなく、彼をめぐる様々な経験の断片が、多文化主義

にたつ教育学的な観点で再構成され、リサーチテクスト

となったのである。読者は、フェイをめぐる物語を読み

進めることによって、フェイの物語のナレーターである

フィリオンと多文化教育のあり方をめぐってナラティヴ

モードの探究をすることができる。

 幼児教育では、幼稚園教諭の養成課程で、ナラティ

ヴモードの〈知〉に親しむ授業の試みがなされている

(Wong 2003)。幼稚園のクラス活動でもいわゆる「朝の

会 Sharing Time」での子どもによるエピソード語りを、ナ

ラティヴ分析によって、教師によるサポートの発話に関

連づけながら分析する試みもなされている(Tsai 2007)。

 特別支援教育の領域においても、教師の側の「障が

い disability」に対する眼差しの捉えなおしが行われてい

る(Clandinin & Raymond 2006)。

 また、地域や組織のリーダー育成を目的とする成人教

育でも紹介され、様々なとりくみがなされている(Yust

2009, Daniels 2008, Bruce 2006, Dodge et al. 2005, Ospina et

al. 2005)

 本節では「学校文化」を手がかりに、北米と日本を比

較しながら、教育実践にナラティヴ・アプローチを適用

する意義について考えたい。ここで述べる「文化」とは、

「ある社会において特有の行動の様式。その社会を構成

する人々のふるまいによって作り上げられると同時に、

彼らのふるまいを規定する様式」を指す。

 学校文化の中核である「教師文化」に注目して日米比

較した場合、アメリカの教師たちは自らの職務を限定的

にとらえる傾向があると言われている。スペシャリスト

型の専門家として自分のクラスのカリキュラムの編成や

その運用で高い独自性を発揮する一方で、自分の教室の

中だけで担当する領域の指導のみに専念する傾向が強い

ことや同僚たちとの交流がすくないことなどが指摘され

てきた(臼井2001: 231 239)。

 北米で、NIが注目を浴びるようになった理由の一つ

には、これらの弊害を克服するために、教員間の相互の

学び合いを促進しようとする動きが活発になっていると

いう情勢7)があるだろう。また、かつては「社会化」と

いう論理のもと、子どもから大人へ、あるいはマイノリ

ティー側からマジョリティー側への同化を促すという形

で問題解決が図られることが多かったため、教師にとっ

て他者との対話や異文化への理解は必ずしも必要ではな

かったが、前節の多文化教育で述べたように、グローバ

ル化の進展により従来型の関わり方では対応しきれなく

なったという事情も考えられる。

 第 3 節で紹介したNIの成果からも分かるように、ナ

ラティヴモードの〈知〉とその方法を活用することによ

り、ナラティヴが埋め込まれた教育実践だけではなく、

そのナラティヴを共有する人々の関係性まで再構成する

ことも可能となる。教育実践へのナラティヴ・アプロー

チの導入には、単なる指導方法論や研究方法論の改善に

は留まらないポテンシャルが存在するのである。

 では、北米とは異なる学校文化を持つ日本の教育実践

にとって、ナラティヴ・アプローチはどのような意義が

あるのだろうか? 日本の学校文化の長所としては、読み

書きそろばん three R’s だけではなく、人格教育 character

education が重視されるために幅広い見地で教師が子ど

もに関わろうとすること、さらに同僚や保護者も組み入

れた共同体意識が高いことが指摘されている(Lewis &

Tsuchida, 1998)。ただし、民族・地域・階層などの社会

的な視点が弱いため、個々の「差異」のみならず「格差」

までも個人的要因に帰属させて語られがちであるという

短所もある(恒吉2008: 163)。

 「○○能力」「知能」「資質」といった教育現場で個人

的要因を言及するためのタームに対し、セオリーモード

の〈知〉はそういった「語り方」を正当化する理論や分

析方法を提供してきた。しかも、第 2 節でセオリーモー

ドの〈知〉の特徴として述べたとおり、このような「語

り方」の場合、第三者的視点で対象を把握することにな

るため、語り手自身にとっても言及対象との社会的な関

係が見えなくなりがちである。これに対し、ナラティヴ・

アプローチによって、初めて見えてくるものがある。

- 44 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)

Page 10: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

 そのような事例の一つとして、日本で初めて学校レベ

ルでの多文化教育実践を行った神奈川県大和市立下福田

中学校による『外国人生徒のためのカリキュラム』(児

島・清水2006)の数年にわたる取り組みが参考となる。

 この中学校のある教師は、実践報告の冒頭で、実践前

の自分の姿をふりかえり「日本人生徒に焦点をあてた毎

日の授業のなかで、(報告者自身を含め)多くの教員は、

外国人生徒が勉強ができないのは本人の努力不足、家庭

の教育力のなさ、外国人生徒だからしょうがないといっ

た言葉で片付けていた」と述懐した(同書 : 15,括弧部

分は著者による補足)。この見解は、本人が指摘したとお

り「日本人教師における外国人生徒に対する一般的な認

識」と言えるだろう。

 しかし、下福田中学校の教師たちは、外国人生徒のた

めのカリキュラムを作成するにあたって上記のような「語

り方」をやめた。授業の運営を手伝うボランティアや研

究者たちとともに、外国人生徒たちの生い立ちから卒業

後までを視野に入れながら、彼らの重い口から「自分語

り」を引き出し、それを受けとめ、彼らの〈生 life〉や彼

らをとりまく困難な状況を認識することを柱として授業

づくりをすすめた。その結果、授業に参加した外国人生

徒および日本人生徒が変わっていっただけではなく、学

校文化の問い直しが行われ、「疎外的構造におかれた他

の日本人生徒」の発見と働きかけへと広がっていった。

 もともと諸外国に比べて同質性が高いうえに、個人的

要因に帰責する「語り方」になじんでいる日本の学校現

場において、外国人生徒の問題に限らず、教師や生徒自

身で「問題の構造」を内側から発見し、変革を働きかけ

ていくことは決してたやすいことではない。しかし、下

福田中学校では「外国人生徒のためのカリキュラム」の

作成と実施のプロセスにおいて、ナラティヴモードの

〈知〉を活用することにより、新しい境地を切り開くこと

ができた。彼らはナラティヴ・アプローチを名乗ってい

るわけではないが、実質的に同じ発想に立った教育実践

として捉えられるだろう。

 ナラティヴ・アプローチは「語り方」に注目すること

で、文化などのふだんは意識化されない現実 reality の構

成のされ方を明らかにすると同時に、ある「語り方」を

意図的に行うことで現実や人々の関係性を再構成してい

くこともできる。教育実践にナラティヴ・アプローチを

適用することの意義は、これまで紹介してきた様々な事

例から実感されるだろう。

 本稿では、NIとその成果について述べ、教育実践研

究にナラティヴ・アプローチを取り入れる意義について

論じてきた。その結果、教育実践を構成するナラティヴ

に着目し、ナラティヴモードの〈知〉で探究することに

よって、社会的条件、特に他者との関係性を可視化し、

それらの再構成を促す効果があることが示された。

 以上の結果をふまえて、ナラティヴ・アプローチにた

つ実践研究の発展にむけて課題を述べたい。この課題の

中心に据えられるのは、ナラティヴの〈知〉の特性を生

かした探究の「方法」の精錬である。NIは、セオリー

モードの〈知〉に依拠する先行研究の限界を乗り越える

ために、ナラティヴモードの〈知〉を探究の方法として

採用することで、今までにない実践の「語り方」を提示

して優れた実践を生みだしてきたが、これをさらに徹底

していく必要がある。

 そのためには「新しい語り方を活性化するための解釈

装置」を工夫しなければならない。現在、NIでは、第 2

節で示した「 3 次元探究空間」を利用することが多いが、

まだ改善の余地がある8)。そもそも教育実践をめぐるナ

ラティヴは「あるべき姿」にそってパターン化されやす

い傾向があり、しばしば語ること自体が抑圧されるから

である(Richert 2002: 54 55)。しかし、第 2 節で紹介し

た教師教育改革プロジェクト(Clandinin et al. 1993)に見

られるように、語りの場やメディアを工夫することで、

新しい「語り方」があらわれ、よりよい実践へと発展す

る可能性がある。

 参考となる事例を 2 つ紹介しよう。まず、メディアに

着目した事例として、ニュージーランドにおける保育の

公式カリキュラム「テ・ファリキ」に基づいた「学びの

物語 learning story」という記録方法を取り入れた試み(大

宮2010:第 3 章)が注目される。この取り組みでは現職

研修に参加した保育者15名が、書き手にとって「否定的

に見えている子」を対象に、その子における「学びの物

語」を筋立てる「 5 つの視点」に則って、エピソード記

録を取った。「 5 つの視点」とは、対象児の行動を、①何

- 45 -

教育実践へのナラティヴ・アプローチ

Page 11: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

かに関心を持っている時、②何かに熱中している姿、③

困難に立ち向かっている姿、④自分の考えや気持ちを表

現している姿、⑤その子以外の立場から物事を見ている

姿、として捉える解釈枠組を指す。このように解釈され、

記述された子どもの姿に対し、同僚との話し合いなども

行いながら、さらに様々な角度から解釈を加えた。その

結果、否定的に見えがちだった○○ちゃんの姿が、研修

前の書き手の視点では掬いきれないほどユニークな存在

に変貌し、「○○ちゃんの学びの物語」の主人公として、

保育者や友達との関わりのなかで肯定的に捉えられるよ

うになった。つまり「学びの物語」として筋立てられる

○○ちゃんのエピソード記録という、新しい記録方法に

より、書き手における子ども観と関わり方が変貌を遂げ

たのである。

 また、「場」に着目した事例として、家族療法の一分野

であるナラティヴ・セラピー(Mcnamee & Gergen 1992 =

1998)におけるアンデルセンらの「リフレクティング・

プロセス」(Andersen 1991 = 2001)も興味深い。従来のシ

ステム論的家族療法では、セラピストとクライエントで

ある家族によって構成されたセラピー実践にたいし、スー

パーバイザーたちがワンウェイ・ミラーごしに観察し、

スーパーヴィジョンを行っていた。リフレクティング・

プロセスの開発によって、ワンウェイ・ミラーによって

区切られていた「観察される側」と「観察する側」が入

れ替えられ、クライエントたちが専門家の会話を観察で

きるようになったのである。語りの「場」の変更により、

セラピストたちの語り方が変わった。まず、専門家特有

の隠語を使わなくなり、さらに、セラピスト自身のセラ

ピー観や技法へのこだわりを脇に置いて家族の話に謙虚

に耳を傾けるようになった。その結果、より一層、家族

の立場にたったセラピー実践が行われるようになったの

である。この事例から教育実践への応用を考える場合、

職員室や研修室におけるカンファレンスなどにあてはめ

てみたりすることで、様々な示唆が得られるだろう。

 以上、NIを手がかりに、教育実践へのナラティヴ・

アプローチについて考察してきた。論文の冒頭で述べた

ように、北米ではNIが実践研究の新しい潮流を作り出

しているが、日本ではまだナラティヴ・アプローチを自

ら名乗る教育実践研究は皆無と言ってよい。しかし、第

4節で紹介した下福田中学校での外国人生徒のための授

業づくりや、本節で紹介した「学びの物語」のように、

ナラティヴに着目し、その効果を活用した教育実践は各

地の学校や教室で地道に行われているはずである。ナラ

ティヴ・アプローチにたつ教育実践/実践研究の今後の

発展に期待したい。

1) デューイ自身は、探究を次のように定義している。

「不確定な状況を確定した状況に、すなわちもとの状

況の諸要素をひとつの統一された全体に変えてしま

うほど、状況を構成している区別や関係が確定した

状況にコントロールされ方向づけられた仕方で転化

させること」(Dewey 1951 = 1980: 491 492)あるいは

「探究とは、なすところのことと、結果としてくると

ころの帰結との間の特殊な結びつきを発見し、両者

を連続せしめようとする意図的努力である」(Dewey

1916 = 2000)。

 探究と反省的思考 reflective thinking とは非常に類似

しているが、思考という語は心理学的な現象として相

互作用的側面を排除したイメージが強いため、あえ

て、探究という語を採用したと述べられている(Dewey

1951 = 1980: 412)

2) ナラティヴにプロットが加わったもの、すなわち複

数個以上の出来事や経験が筋立てられたものがス

トーリーである。プロットが加わることによって、出

来事間の関係性が明確になり、意味が付与される

(Charniawska 2004: 17 20)。

3) セオリーモードとは、ブルーナーが提唱した論理科学

モード(Bruner 1986: 19)をより正確に把握するため

の下位概念である。野口は、論理科学モードをセオ

リーモードとエビデンスモードに分類して、より厳密

に定義した(2009: 5 8)。医学や福祉の臨床現場にお

いてエビデンスモードの〈知〉は多用されているが、

教育実践現場においてはあまりなじみがないため、こ

ちらの説明は割愛した。

 なお、NIの立場をとる研究者のなかには、このよ

うな〈知〉の様式の違いを否定し、すべてナラティ

ヴモードで一元的に把握できるという主張もあるが

(Hendry 2010)、本稿ではこのような立場はとらない。

- 46 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)

Page 12: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

4) たとえば、グレイサーとストラウスの著書(Glaser

& Strauss 1967)の原題が「The Discovery of Grounded

Theory」となっているように、彼らの主張の核心は

「いかにしてデータから理論を構築するか」(同書 :ⅰ)

にある。このアプローチでは、人々の経験はあらかじ

め「カテゴリー category」というふるいにかけられた

上で「データ化」される。

5) NIではデューイの経験観(Dewey 1936 = 2004)を理

論的基盤としているが、デューイも同書で再三にわ

たって警告しているように、学校という場においても

「教育的でない経験」すなわち「教師との相互作用が

反映されていない経験」は存在する。当然、これら

はNIの対象にはならない。NIでいうところの「経

験」とは、あくまでも「教育的な経験」である。

6) クランディニンらはNIの論文執筆の方法論の確立に

あたって、シカゴ大学付属幼稚園教師ペィリーから多

大な影響をうけたことを述べており(Clandinin 2000:

162 163)、彼女を「ナラティヴ探究者としての教師」

のモデルに据えていると察せられる。ペイリーは日々

の教室における実践の中で生じた子ども達との会話

を録音テープも使いながら詳細に書きとめ、解釈を深

めて論述した後、教室での実践へと反映させていく

という省察的な実践を長年おこなってきた(ex. Paley

2000)。ペイリーの著作は学術研究ではないが、代表

作であり邦訳もされた『ウォーリーの物語』(Paley

1981 = 1994)では、教室におけるやりとりとそれに対

する解釈とが往還する探究のプロセスが具体的に示

されており、現場実践におけるナラティヴモードの思

考と記述のあり方を知ることができる貴重な文献であ

る。

7) NIの導入以外にも、日本の研究授業 Lesson Study

(ex. 秋田&ルイス2008, Stepanek et al. 2007)の輸入な

ど、様々な試みがなされている。

8) クランディニンが編集した探究方法に関する論文

集(Clandinin 2007)には収録されていないが、クリ

ティカル・イベント・アプローチ(Webster & Mertova

2007)という新しい方法も提唱されており、今後が期

待される。

秋田喜代美,キャサリン・ルイス編著『授業の研究 教

師の学習 レッスンスタディへのいざない』明石書店,

2008.

Andersen, T. ed, The Reflecting Team: Dialogues and Dialogues

about thedialogues, Norton, 1991. 鈴木浩二監訳『リフレ

クティング・プロセス 会話における会話と会話』金

剛出版,2001.

Anderson-Patton, V. & Bass, E, “Using Narrative Teaching

Portfolios for Self-Study,” N. Lyons & V. K. Laboskey, eds.,

Narrative Inquiry in Practice: Advancing the Knowledge of

Teaching, New York: Teachers College Press, 2002, 101 114.

浅沼茂,カリキュラム研究におけるナラティブスタディ

の方略(Ⅱ),東京学芸大学紀要第 1 部門教育科学,

55,2004,19 27.

Banks, J. A., An Introduction to Multicultural Education, Allyn

and Bacon, 1994. 平沢安政訳『多文化教育 新しい時

代の学校づくり』サイマル出版会,1996.

Black, K. E., “Restorying Ourselves through Working Together,”

D. J. Clandinin, A. Davies, P. Hogan, & B. Kennard, Learning

to Teach, Teaching to Learn: Stories of Collaboration in

Teacher Education, New York: Teachers College Press, 1993,

146 152.

Bruce, E. M., Theological Education for Social Ministry:

Proposals Based on a Narrative Inquiry. Journal of Adult

Theological Education, 3 (2), 2006, 114 128.

Bruner, J. S., Actual Minds, Possible Worlds, Cambridge:

Harvard University Press., 1986. 田中一彦訳『可能世界の

心理』みすず書房,1998.

Clandinin, D. J., Classroom Practice: Teacher Images in Action,

Philadelphia: Falmer Press, 1986.

Clandinin, D. J. & F. M. Connelly, “Narrative and Story in

Practice and Research,” D. A., Schön, ed., The Reflective

Turn: Case Studies in Educational Practice, New York:

Teachers College Press, 1991.

Clandinin, D. J., A. Davies, P. Hogan, & B. Kennard, Learning

to Teach, Teaching to Learn: Stories of Collaboration in

Teacher Education, New York: Teachers College Press, 1993.

Clandinin, D, J. & F. M. Connelly, Teachers Professional

- 47 -

教育実践へのナラティヴ・アプローチ

Page 13: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

Knowledge Landscapes, New York: Teachers College Press,

1995.

Clandinin, D, J. & F. M. Connelly, Narrative Inquiry: Experience

and Story in Qualitative Research, San Francisco: Jossey-

Bass Publishers, 2000.

Clandinin, D, J., F. M. Connelly & E. Chan, “Three Narrative

Teaching Practice: One Teaching Exsercise,” N. Lyons & V. K.

Laboskey, eds., Narrative Inquiry in Practice: Advancing the

Knowledge of Teaching, New York : Teachers College Press,

2002, 133 145.

Clandinin, D. J. & H. Raymond, “Note on Narrating Disability,”

Equity & Excellence in Education, 39, 2006, 101 104.

Clandinin, D. J., J. Huber, M. Huber, M. S. Murphy, A. M. Orr,

M. Pearce & P. Steeves, Composing Diverse Identities:

Narrative Inquiries into the Interwoven Lives of Children

And Teachers, London: Routledge, 2006.

Clandinin, D. J. ed., Handbook of Narrative Inquiry : Mapping a

Methodology, California: Sage, 2007.

Connelly, F. M. & D. J. Clandinin, Teachers as Curriculum

Planners: Narratives of Experience, New York: Teachers

College Press, 1988.

Connelly, F. M. & D. J. Clandinin, “Stories of Experience and

Narrative Inquiry,” Educational Researcher, 19 (5), 1990,

2 14.

Connelly, F. M. & D. J. Clandinin, Shaping a Professional

Identity: Stories of Educational Practice, New York :

Teachers College Press, 1999.

Craig, C. J. & M. R., Olson, “The Development of Teachers’

Narrative Authority in Knowledge Communities: A Narrative

Approach to Teacher Learning,” N. Lyons & V. K. Laboskey,

eds., Narrative Inquiry in Practice: Advancing the

Knowledge of Teaching, New York: Teachers College Press,

2002, 115 129.

Craig, C. J., Narrative Inquiries of School Reform: Storied

Lives, Storied Landscapes, Storied Metaphors, Information

Age Pub Inc, 2003.

Czarniawska, B., Using Narrative Methods in Social Science

Research, London: Sage, 2004.

Daniels, J., “Negotiating Learning through Stories: Mature

Women, VET and Narrative Inquiry,” Australian Journal of

Adult Learning, 48 (1), 2008, 93 107.

Dewey, J., Democracy and Education : An Introduction to

the Philosophy of Education, New York: The Macmillan

Company, 1916. 河村望訳『民主主義と教育』人間の科

学社,2000.

Dewey, J., Experience and Education, New York: The Macmillan

Company, 1938. 市村尚久『経験と教育』講談社学術文

庫,2004.

Dewey, J., Logic: The Theory of Inquiry, New York: Henry Holt

and Co., 1951. 魚津郁夫訳「論理学 探究の理論」『世

界の名著59 パース・ジェイムズ・デューイ』中央公

論社,1980.

Dodge, J., S. M, Ospina & E. G. Folgy, “Integrating Rigor

and Relevance in Public Administration Scholarship: The

Contribution of Narrative Inquiry,” Public Adminisration

Review, 65 (3) , 2005, 286 300.

Egan, K. Teaching as Story Telling: An Alternative Approach

to Teaching and Curriculum in the Elementary School,

Chicago: University of Chicago Press, 1989.

Glaser, B. G. & A. L. Strauss, The Discovery of Grounded

Theory: Strategies for Qualitative Research, Chicago: Aldine

Publishing Company, 1967. 後藤隆・大出春江・水野節夫

訳『データ対話型理論の発見 調査からいかに理論を

うみだすか』新曜社,1996.

Golombek, P. R. & K. E. Johnson, “Narrative Inquiry as a

Mediational Space: Examining Emotional and Cognitive

Dissonance in Second-Language Teachers’ Development,”

Teachers and Teaching: Theory and Practice, 10 (3), 2004,

307 327.

Hendry, P. M., “Narrative as Inquiry,” Journal of Educational

Research, 103 (2), 2010, 72 80.

Johnson, K. E. & P. R. Golombek, “Inquiry into Experience:

Teachers’ Personal and Professional Growth,” K. E. Johnson

& P. R. Golombek, eds., Teachers’ Narrative Inquiry

as Professional Development, Cambridge: Cambridge

University Press, 2002, 1 14.

加藤繁美『対話的保育カリキュラム 下 実践の展開』ひ

となる書房,2008.

Kim, J. H. & L. M. Macintyre, Narrative Inquiry: Seeking Relations

as Modes of Interactions, Journal of Educational Research,

- 48 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)

Page 14: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

103 (2), 2010, 69 71.

香川大学教育学研究室編『教育という「物語」』世織書

房,1999.

児島明・清水睦美編著『外国人生徒のためのカリキュ

ラム 学校文化の変革の可能性を探る』嵯峨野書院,

2006.

LaBoskey, V. K., “Stories as a Way of Learning Both Practical

and Reflective Orientations,” N.Lyons & V.K.Laboskey, eds.,

Narrative Inquiry in Practice: Advancing the Knowledge of

Teaching, New York: Teachers College Press, 2002, 31 47.

Latta, M. M. & Kim, J. H., “Narrative Inquiry Invites Professional

Development: Educators Claim the Creative Space of

Praxis,” Journal of Educational Research, 103 (2), 2010,

103 137.

Lewis, C. & I. Tsuchida, “The Basics in Japan: The Three C’s,”

Educational Leadership, 55 (6), 1998, 32 37.

Lyons, N. & V. K. Laboskey, eds., Narrative Inquiry in Practice:

Advancing the Knowledge of Teaching, New York: Teachers

College Press, 2002.

Lyons, N., The Personal Self in a Public Story: The Portfolio

Presentation Narrative, N. Lyons & V. K. Laboskey, eds.,

Narrative Inquiry in Practice: Advancing the Knowledge of

Teaching, New York: Teachers College Press, 2002.

McNamee, S. & Gergen, K. J., eds., Therapy as Social Construction,

Sage, 1992. 野口裕二・野村直樹訳『ナラティヴ・セラ

ピー 社会構成主義の実践』金剛出版,1997.

Mehan, H., Learning Lessons: Social Organization in the

Classroom, Cambridge: Harvard University Press, 1979.

野口裕二『物語としてのケア ナラティヴ・アプローチ

の世界へ』医学書院,2002.

野口裕二編『ナラティヴ・アプローチ』勁草書房,2009.

大宮勇雄『学びの物語としての保育実践』ひとなる書房,

2010.

Ospina, S. M & J. Dodge, “It’s About Time: Catching Method

up to Meaning: The Usefulness of Narrative Inquiry in

Public Administration,” Public Adminisration Review, 65 (2),

2005, 143 157.

Paley, V. G., White Teacher: Second Edition, Cambridge:

Harvard University Press, 2000.

Paley, V. G., Wally’s Stories: Conversations in the Kindergarten,

Cambridge: Harvard University Press, 1981. 卜部千恵子訳

『ウォーリーの物語 幼稚園の会話』世織書房,1994.

Phillion, J., M. F. He & F. M. Connelly, eds., Narrative &

Experience in Multicultural Education, California: Sage,

2005.

Phillion, J., Narrative Inquiry in a Multicultural Landscape:

Multicultural Teaching and Learning, Information Age Pub

Inc, 2006.

Phillion, J., “Multicultural and Cross-Cultural Narrative Inquiry

into Understanding Immigrant Students’ Educational

Experience in Hong Kong,” A Journal of Comparative

Education, 38 (3), 2008, 281 293.

Richert, A. E., “Narratives That Teach: Learning About Teaching

from the Stories Teachers Tell,” N. Lyons & V. K. Laboskey,

eds., Narrative Inquiry in Practice: Advancing the Knowledge

of Teaching, New York: Teachers College Press, 2002,

48 62.

瀬戸知也「学校知と実践 ナラティヴとしての教育を考

える」永井聖二・古賀正義編『《教師》という仕事=

ワーク』学文社,2000,95 116.

Savin-Baden, M. & L. Van Niekerk, Narrative Inquiry: Theory

and Practice, Journal of Geography in Higher Education, 31

(3), 2007, 459 472.

Schön, D. A., ed., The Reflective Turn: Case Studies in Reflective

Practice, New York: Teachers Colledge Press, 1991.

Stepanek, J., G. Appel, M. Leong, M. T. Mangan & M. Mitchell,

Leading Lesson Study: A Practical Guide for Teachers and

Facilitators, California: Corwin Press, 2007.

杉原倫美「望見商生の進路の物語」,酒井朗編著『進学

支援の教育臨床社会学 商業高校におけるアクション

リサーチ』勁草書房,2007,43 77.

Tsai, M., “Understanding Young Children’s Personal Narratives,”

Clandinin, D. J. ed., Handbook of Narrative Inquiry : Mapping

a Methodology, California: Sage, 2007, 461 488.

恒吉僚子『子どもたちの三つの危機 国際比較から見る

日本の模索』勁草書房,2008.

臼井博『アメリカの学校文化 日本の学校文化』金子書房,

2001.

Webster, L. & P. Mertova, Using Narrative Inquiry as a Research

Method: An Introduction to Using Critical Event Narrative

- 49 -

教育実践へのナラティヴ・アプローチ

Page 15: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

Analysis in Research on Learning and Teaching, London:

Routledge, 2007.

Witherell, C. & Noddings, N., Stories Lives Tell: Narrative and

Dialogue in Education, New York : Teachers College Press,

1991.

Wong, S. S., “A Narrative Inquiry into Teaching of In-Service

Kindergarten Teachers: Implications for Re-Conceptualizing

Early Childhood Teacher Education in Hong Kong,” Early

Child Development and Care, 173 (1), 2003, 73 81.

Xu, S., F. M. Connelly & M. F. He, “Immigrant Students’

Experience of Schooling: A Narrative Inquiry Theoretical

Framework,” Journal of Curriculum Studies, 39 (4), 2007,

399 422.

矢野智司・鳶野克己編『物語の臨界 「物語ること」の

教育学』世織書房,2003.

Yust, K. M., “Playing with Mirrors: Narrative Inquiry and

Congregational Consultation,” Religious Education, 104 (1),

2009, 84 93.

- 50 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)

Page 16: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

Narrative Approach to Educational Practices:Considering about “Narrative Inquiry” in Practical Research

Yuko NINOMIYA*

In recent educational researches, “Narrative Inquiry: NI” attracts attention in North America. “NI” is a practical research which proposed by Clandinin & Connelly. The study pays its attention to both phenomenon and its method. Unfortunately it is not yet introduced in Japan. In this paper, we review NI and consider about practical study adopting Narrative approach. And cases of adopting narrative approach to educational practices are presented. Then, we compare school culture between North America and Japan to discuss the significance of adopting narrative approach to

educational practices. In the last section, we discuss some problems to develop narrative approach in practical research.

Narrative Inquiry, Educational Research, Teacher Education, Curriculum, Multiculturalism

*Division of Human and Social Science Education

- 51 -

教育実践へのナラティヴ・アプローチ

Page 17: 教育実践へのナラティヴ・アプローチ : クランディニン らの ...Narrative Inquiry をキーワードに設定してEricで論文検索 すると毎年10本以上ヒットするように、様々な領域を

近年、北米を中心にナラティヴ探究 Narrative Inquiry(論文中ではNIと表記)という教育実践研究が注目されている。NIとは、クランディニンとコネリーによって提唱されたナラティヴという「現象」と「方法」の両方に着目した実践研究であるが、残念ながら日本ではまだ紹介されていない。 本稿は、NIを概観した上で、ナラティヴ・アプローチにたつ実践研究について考察をすることを研究目的とする。まず 2 章でNIの視座と研究方法を描いた。3 章では、教師教育論・カリキュラム論・多文化主義教育論における事例を示し、4 章では学校文化の日米比較を手

がかりとして、教育実践にナラティヴ・アプローチを適用する意義について考察した。最後に、教育実践におけるナラティヴ・アプローチの発展にむけた課題について述べた。

ナラティヴ・インクワィヤリ,実践研究,教師教育,カリキュラム,多文化主義教育

 *社会系教育講座

- 52 -

学校教育学研究論集 第22号 (2010年10月)