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三谷坂 [妙寺駅~丹生都比売神社・町石道] 三谷坂は、丹生酒殿神社を起点として丹生都比売神社に参拝し町石道へ、あ るいは笠松峠から直接町石道へのぼり高野山を目指す古代からの参詣道で す。沿道には笠石(南北朝時代)・頰切地蔵(鎌倉時代初期)などの仏教関連の 石造物があり、まさに信仰の道です。大正13年、丹生都比売神社が官幣大社に 昇格したことを祝う祭りに向かう天皇陛下のお使いが通られたことから、勅使 坂とも呼ばれます。 0m 400m 200m 600m 800m 1000 m 0.2km 5分 1.1km 21分 0.6km 11分 2.2km 25分 0.3km 8分 1.4km 20分 0.6km 17分 1.3km 20分 1.0km 20分 0.9km 14分 0.7km 15分 殿宮滝 丹生酒殿神社 妙寺駅 5 笠石 鋒立て岩・経文岩 頰切地蔵 まっとう岩 笠松峠 涙岩 4 4 2 1 1 1 六本杉 二ツ鳥居 丹生都比売神社 八町坂 3 5 5 3 丹生酒殿神社 3-B 丹生酒殿神社 3-B かつらぎ体育センター 平和祈念館 かつらぎ公園 三谷こども園 丹生酒殿神社石碑 案内板 案内板 三谷橋 紀の川 JR和歌山線 笠石 3-C 鋒立て岩・経文岩 3-C 宮滝 3-B 宮滝 3-B 空海の笠が雨引山から風に飛ばされてこの石に 掛かったといわれる石造物で、笠と塔身からな り、下部を地中に埋め込む埋込式の笠塔婆です。 通常は、宝珠が笠の上に飾られますが、塔身の 上端を尖らせて笠を突きやぶる特異な形態となっ ています。笠の形態も、ほぼ自然石のままの特異 なもので、軒などの加工が存在しません。これは 木製から石製に変化した原初形態の可能性があ り、全国的に見ても非常に貴重です。 塔身の上部には、阿弥陀如来坐像が半肉彫さ れ、その形態から、南北朝時代のものと推定され ます。 鋒立て岩は、丹生都比売神が鋒を立てた といわれている岩で、もとは現在より大き かったのですが、道路工事の際に切断され てしまいました。鋒ノ御跡岩ともいわれ、 紀伊続風土記に次のような記述がありま す。 榊山の南十町権兵衛坂といふにあり 丹 生津姫尊天野へ御通ひの印石といふ岩に鋒 の跡あり 経文岩は、経文が書かれた岩を意味する と思われますが、現在のところ、文字や、 文字が刻まれた痕跡等は確認できません。 丹生酒殿神社の西の谷、左右か ら迫りくる対称形の両岸壁とかす かに射す日の光のなかで、この滝 は、厳かに流れ落ちます。 六月の晦日に、丹生都比売神社 の神主が社人六人を率いて、その 日まで食べなかったキュウリをこ の滝にお供えし、村中の子どもた ちがそれを食べると疱瘡が軽く なったといわれています。 紀伊続風土記には、宮ノ滝とも 書かれており、上記のほかに「河 童の患いも免れた」との記述があ ります。 ※滝の前まで行くのは大変危険 ですのでおやめください。 涙岩 3-D かつてこの谷を流れ る清水は、どんな日照 りにもかれることな く、人々の渇きをいや し、下流の田畑を潤し ていました。 いつのころからか、村 人はこの舌状の岩を涙岩 と呼び、岩をつたって流 れ落ちる水を、拝水とい うようになったといわれ ています。 丹生都比売神社 3-E 丹生都比売神社 3-E 頰切地蔵(ほきれじぞう) 3-D 頰切地蔵(ほきれじぞう)3-D まっとう岩 3-D 自然石から一重塔を造り出し、北正面 に金剛界大日如来、東側面に釈迦如来、 西側面に阿弥陀如来を半肉彫し南背面は 自然石のままという、全国的にも極めて 特異な石造仏です。仏像の立体的形態 や、笠のおおらかな形態から、鎌倉時代 初期のものと推定されます。 大日如来のほほの割れ目が傷のように みえることから首から上の病に効くとい われ、地蔵信仰とあいまって頰切地蔵と いわれるようになったと考えられます。 祭神、丹生都比売命 は天照大神の妹君とさ れ延喜式内大社でし た。空海が、この神の 子、高野明神(狩場明 神)が飼っていた黒白 2匹の犬に導かれて高 野にのぼったという話 は有名で、以来高野の 守護神として敬われて います。 尾根筋の端に、見上げるほ ど高くそびえ、どっしりと腰 を据えて座す巨石です。周辺 が杉林となる前までは、遠く 紀の川の対岸からもよく見え たため、天野を目指す人の目 印となったとされています。 「まっとう」の語源は未だ よくわかっていませんが、目 印ということから「的」を意 味するといわれることもあり ます。 まっとう岩 3-D 六本杉 4-D 二ツ鳥居 4-E 二ツ鳥居 4-E 大杉の見事な並木 が続いていたともい われ、昔の絵図に描 かれたものがありま す。高野山、丹生都 比売神社、丹生酒殿 神社、慈尊院のそれ ぞれに通じる道が交 差する場所として重 要であり、追分とも 呼ばれていました。 弘法大師空海が建 立されたと伝わって いるこの鳥居は、二 つとも高さ約6mの 花崗岩製、一脚の重 さ約4.5トン。現在 は鳥居に額はないで すが、丹生・高野両 大明神の鳥居とされ る重要な遺構です。 六本杉 4-D この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を 複製したものである。(承認番号 平28情複、第427号) この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を 複製したものである。(承認番号 平28情複、第427号) 涙岩 3-D 神社名は、崇神天皇(または応神天 皇)の時代、丹生都比売神がこの地に降 臨したとき、酒を初めて神前に供えた ことに由来するといわれています。社 殿の裏にある鎌八幡宮は明治 44 年、隣 村の兄井から移され、イチイガシの大 木をご神木とし、祈願成就のため鎌を 打ち込んだことからこの名がありま す。祈願成就のときは鎌が幹に食い込 んでいくが、不成就のときは脱け落ち ると伝承されています。 0 500m 1000m 1:12,500 凡 例 トイレ 見晴らし 休憩所 神社 携帯感度 世界遺産誘導板・補助板 道標 3 三 谷 坂 世界遺産登録 関連資産 世界遺産登録区間 世界遺産登録区間 八 町 坂 町 石 道 紀の川 クリーニング店 ヘアーサロン JA紀北 かわかみ 六本杉へ 急な登り坂 道を下る 少し登る 丹生都比売神社へ 道標 道標 道標 道標 休憩所 頰切地蔵 急な登り坂が続く 丸太の橋 案内板 迂回路案内 迂回路を下る 迂回路を登る 迂回路 案内 迂回路 案内 迂回路案内 工事看板 通行止 案内板 笠石 かつらぎ 体育センター かつらぎ公園 平和祈念館 三谷橋へ 紀の川 妙寺駅から 道標 堤防の道に上がる 鎌八幡へ みかん畑 丹生酒殿神社 石標 宮滝 案内板 案内板 トイレ 笠石へ 笠松峠から 説明板 案内板 丹生都比売神社へ 道標

三谷坂[妙寺駅~丹生都比売神社・町石道]katsuragi-kanko.jp/mitanizaka.pdf三谷坂[妙寺駅~丹生都比売神社・町石道] 三谷坂は、丹生酒殿神社を起点として丹生都比売神社に参拝し町石道へ、あ

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三谷坂[妙寺駅~丹生都比売神社・町石道]  三谷坂は、丹生酒殿神社を起点として丹生都比売神社に参拝し町石道へ、あるいは笠松峠から直接町石道へのぼり高野山を目指す古代からの参詣道です。沿道には笠石(南北朝時代)・頰切地蔵(鎌倉時代初期)などの仏教関連の石造物があり、まさに信仰の道です。大正13年、丹生都比売神社が官幣大社に昇格したことを祝う祭りに向かう天皇陛下のお使いが通られたことから、勅使坂とも呼ばれます。

0m

400m 200m

600m 800m 1000m 0.2km

5分 1.1km 21分

0.6km 11分

2.2km 25分

0.3km 8分

1.4km 20分

0.6km 17分

1.3km 20分

1.0km20分

0.9km 14分

0.7km 15分

鋒立て岩・経文岩

宮 滝

笠 石

涙 岩

頰切地蔵

まっとう岩

妙寺駅

六本杉

丹生酒殿神社

宮滝 丹生酒殿神社

妙寺駅

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笠石

鋒立て岩・経文岩

頰切地蔵

まっとう岩 笠松峠

涙岩

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六本杉

二ツ鳥居

丹生都比売神社

八町坂

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■丹生酒殿神社 3-B ■丹生酒殿神社 3-B

かつらぎ体育センター

平和祈念館かつらぎ公園

三谷こども園 丹生酒殿神社石碑

案内板

案内板

三谷橋

紀の川

JR和歌山線

■笠石 3-C

■鋒立て岩・経文岩 3-C

■宮滝 3-B ■宮滝 3-B

世界遺産・町

世界遺産・町

 空海の笠が雨引山から風に飛ばされてこの石に掛かったといわれる石造物で、笠と塔身からなり、下部を地中に埋め込む埋込式の笠塔婆です。  通常は、宝珠が笠の上に飾られますが、塔身の上端を尖らせて笠を突きやぶる特異な形態となっています。笠の形態も、ほぼ自然石のままの特異なもので、軒などの加工が存在しません。これは木製から石製に変化した原初形態の可能性があり、全国的に見ても非常に貴重です。  塔身の上部には、阿弥陀如来坐像が半肉彫され、その形態から、南北朝時代のものと推定されます。

 鋒立て岩は、丹生都比売神が鋒を立てたといわれている岩で、もとは現在より大きかったのですが、道路工事の際に切断されてしまいました。鋒ノ御跡岩ともいわれ、紀伊続風土記に次のような記述があります。  榊山の南十町権兵衛坂といふにあり 丹生津姫尊天野へ御通ひの印石といふ岩に鋒の跡あり  経文岩は、経文が書かれた岩を意味すると思われますが、現在のところ、文字や、文字が刻まれた痕跡等は確認できません。

 丹生酒殿神社の西の谷、左右から迫りくる対称形の両岸壁とかすかに射す日の光のなかで、この滝は、厳かに流れ落ちます。  六月の晦日に、丹生都比売神社の神主が社人六人を率いて、その日まで食べなかったキュウリをこの滝にお供えし、村中の子どもたちがそれを食べると疱瘡が軽くなったといわれています。  紀伊続風土記には、宮ノ滝とも書かれており、上記のほかに「河童の患いも免れた」との記述があります。  ※滝の前まで行くのは大変危険ですのでおやめください。

■涙岩 3-D  かつてこの谷を流れる清水は、どんな日照りにもかれることなく、人々の渇きをいやし、下流の田畑を潤していました。  いつのころからか、村人はこの舌状の岩を涙岩と呼び、岩をつたって流れ落ちる水を、拝水というようになったといわれています。

■丹生都比売神社 3-E ■丹生都比売神社 3-E

■頰切地蔵(ほきれじぞう) 3-D ■頰切地蔵(ほきれじぞう) 3-D

■まっとう岩 3-D

 自然石から一重塔を造り出し、北正面に金剛界大日如来、東側面に釈迦如来、西側面に阿弥陀如来を半肉彫し南背面は自然石のままという、全国的にも極めて特異な石造仏です。仏像の立体的形態や、笠のおおらかな形態から、鎌倉時代初期のものと推定されます。  大日如来のほほの割れ目が傷のようにみえることから首から上の病に効くといわれ、地蔵信仰とあいまって頰切地蔵といわれるようになったと考えられます。

 祭神、丹生都比売命は天照大神の妹君とされ延喜式内大社でした。空海が、この神の子、高野明神(狩場明神)が飼っていた黒白2匹の犬に導かれて高野にのぼったという話は有名で、以来高野の守護神として敬われています。

 尾根筋の端に、見上げるほど高くそびえ、どっしりと腰を据えて座す巨石です。周辺が杉林となる前までは、遠く紀の川の対岸からもよく見えたため、天野を目指す人の目印となったとされています。  「まっとう」の語源は未だよくわかっていませんが、目印ということから「的」を意味するといわれることもあります。

■まっとう岩 3-D

■六本杉 4-D

■二ツ鳥居 4-E ■二ツ鳥居 4-E

 大杉の見事な並木が続いていたともいわれ、昔の絵図に描かれたものがあります。高野山、丹生都比売神社、丹生酒殿神社、慈尊院のそれぞれに通じる道が交差する場所として重要であり、追分とも呼ばれていました。

 弘法大師空海が建立されたと伝わっているこの鳥居は、二つとも高さ約6mの花崗岩製、一脚の重さ約4.5トン。現在は鳥居に額はないですが、丹生・高野両大明神の鳥居とされる重要な遺構です。

■六本杉 4-D

この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を 複製したものである。(承認番号 平28情複、第427号) この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を 複製したものである。(承認番号 平28情複、第427号)

■涙岩 3-D

 神社名は、崇神天皇(または応神天皇)の時代、丹生都比売神がこの地に降臨したとき、酒を初めて神前に供えたことに由来するといわれています。社殿の裏にある鎌八幡宮は明治 44年、隣村の兄井から移され、イチイガシの大木をご神木とし、祈願成就のため鎌を打ち込んだことからこの名があります。祈願成就のときは鎌が幹に食い込んでいくが、不成就のときは脱け落ちると伝承されています。

0 500m 1000m 1:12,500

凡 例トイレ

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神社

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世界遺産登録関連資産

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六本杉へ 急な登り坂

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道標

道標

道標

道標

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急な登り坂が続く

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妙寺駅から

道標 堤防の道に上がる

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笠松峠から

説明板 案内板

丹生都比売神社へ

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慈尊院へ

大門へ

急な下り坂

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かつらぎ町 ・ かつらぎ町教育委員会

■黒河道(世界遺産)  黒河道は、橋本から高野山への近道とされ、橋本市賢堂から高野山の千手院橋へ通じる高野参詣道として、大和国からの参詣客がしばしば利用することから大和口とも呼ばれました。文禄3年(1594)の豊臣秀吉の高野参詣の帰途に用いられたことが文献にみえ、高野参詣の主要な道の一つであったことがうかがえます。周辺地域では、地域の産物を高野山へ奉納する「雑事(ぞうじ)のぼり」にも利用されたとみられ、物資の輸送にも使われたことが推定されています。

■大峰道  大峰道は、大峰・洞川から奈良県境の天狗木峠を越えて桜峠から高野山・奥之院に至る道であって大峰山と高野山という二つの霊場を結ぶ道として役行者を浮彫した石の道標も点在しています。沿道には野川弁財天をはじめ弘法大師空海にちなむ伝説がいくつも残され、かつて修験者や巡礼者の往来で昭和の初め頃まで大いに賑わっていました。

■小辺路(世界遺産)  小辺路は、熊野本宮と高野山につらなる紀伊山地の山々を南北に結ぶ全長約72㎞の山岳道です。世界遺産金剛三昧院の参道脇から分岐し、伯母子峠・三浦峠・果無峠と3つの峠を越えて熊野本宮に至る道中には石畳や苔むした石仏など、昔の古道の雰囲気が色濃く残っています。

■相浦道  相ノ浦集落は、高野山を南へ下ったところに位置し、『紀伊国名所図会』に織田信長の重臣・佐久間信盛が追放され、住み着いた所と記載されています。相浦道は相ノ浦から笠松峠、内護山の東を経て高野山の内子谷川源頭を結ぶ古道であって、相ノ浦から紀伊山地の山々を南に続く山岳道は龍神・熊野へと至ります。

■有田龍神道  龍神道は、熊野参詣道の「中辺路」から北へ分岐し、龍神温泉を経て、南側から高野山を目指す街道です。現在の有田川町からの「有田街道」と辻の茶屋で合流し龍神口に至ります。合流点の辻の茶屋には昭和28年の水害後まで茶屋があり、「高野登り」の休憩所として利用されていました。また、龍神道の新子には、4軒の宿屋があって賑わっていました。

■女人道(世界遺産)  高野山は、明治5年まで女性が山内に入ることを禁じていました。そのため、高野山の入り口それぞれには女性のための籠り堂として女人堂があり、これらの堂を綴るように八葉蓮華の峰々をめぐり、山内を遥拝したといわれています。現在は不動坂口にのみ女人堂が残されていて、女人禁制であった高野山の戒律の厳しさを今日に伝えています。

■町石道(世界遺産) 町石道は、高野山麓の九度山町慈尊院から大門を経て高野山の奥之院に至る約24㎞の参詣道です。弘法大師空海の高野山開創の頃から千二百年を経た今日に至る町石道には、五輪卒塔婆をかたどった鎌倉時代にさかのぼる町石が1町(約109m)ごとに立ち、高野山へのかつての表参道として上皇・皇族から庶民までが歩いた信仰の道の面影を残しています。

■三谷坂(世界遺産) 三谷坂は、丹生酒殿神社を起点とし、丹生都比売神社に参拝し町石道へ、あるいは笠松峠から直接町石道へのぼる高野参詣道です。久安三~六年(1147~1150)に仁和寺の門跡(代表職)である御室御所覚法法親王が通った記録のあることから、12世紀にまで遡ることがわかり、紀伊山地の参詣道のなかでも最古級となります。沿道には笠石(南北朝時代)・頰切地蔵(鎌倉時代初期)などの仏教関連の石造物があり、まさに信仰の道です。大正13年には、丹生都比売神社が官幣大社に昇格したことを祝う祭りに向かう勅使が通ったことから、「勅使坂」とも呼ばれます。

■麻生津道(西国街道) 麻生津道は紀の川沿いの大和(伊勢)街道の高野辻から分かれ、麻生津峠を越えた後、矢立で町石道に合流する高野山への参詣道です。江戸時代、この道は和歌山方面から高野山へ向かうメインルートで多くの旅人が利用しました。街道沿いの6か所には六地蔵が祀られています。

■京大坂道不動坂(世界遺産) 京大坂道は、京都からの東高野街道と、堺からの西高野街道、そして大坂からの中高野街道・下高野街道が河内長野までに合流し、高野街道京大坂道となって紀見峠を越え、高野山に至る参詣道です。室町時代頃から利用者が多くなり旅籠や茶屋で賑わうようになりました。堺からの沿道には1里(約4㎞)ごとに里道標石が建てられ、高野山女人堂までに13基の里石が残されています。 不動坂は、かつては高野山を眼前にして京大坂道での最後で最大の難所として知られていました。大正4年高野山開創千百年にあわせて急峻で険しい不動坂に並行して新たな道が整備されたことにより、以後百年の間利用されなくなりました。山中に取り残された不動坂は、近年の古道整備により沿道に残る史跡とともに再び高野参詣道としてよみがえり、中世から江戸時代までの参詣道の姿がそのままに保たれています。 この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を

複製したものである。(承認番号 平28情複、第427号) この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を 複製したものである。(承認番号 平28情複、第427号)

三 谷 坂

世界遺産登録関連資産

町 石 道

金剛峯寺

徳川家霊台

大門

金剛三昧院

奥之院

壇上伽藍 金剛峯寺

徳川家霊台

大門

金剛三昧院

奥之院

壇上伽藍

町 石 道

三 谷 坂 0 1km 2km 1:30,000 かつらぎ町教育委員会

      生涯学習課 かつらぎ町産業観光課

TEL.0736-22-0303 TEL.0736-22-0300

制作:高野七口再生保存会 2017.3

和歌山JCT 和歌山JCT

矢立

笠田

世界遺産

三谷坂(勅使坂)

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橋本 粉河

妙寺 九度山 極楽橋 高野山

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三 谷 坂

京大坂道不動坂

小 辺 路

相 浦 道

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女 人 道世界遺産登録関連資産

町 石 道

三 谷 坂

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かせだ おおたに

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町 石 道