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ミツバチ科学 (1995)16(3):129-131 スイスの養蜂 HansMaag 中部 ヨーロッパの内陸国家, スイスの面積 は 4 1293km 2で, 九州 とほぼ同 じ広 さであ る. 国土 の 60%4 m 級 の蜂 が連 な るアル プスの山岳地帯,30%は平 均 標 高 580m の中 部平原,10%が ジュラ山脈 であ る.中部平原 は 温暖な気候 に恵 まれ,商工業が発達 し,都市 も 集中 している.ジュラ山脈 は平均標高 700m が, モ ミの木 の香 る緑深 い山 々 といた るところ を流れる清流が魅力的な山間地帯である. 山岳国家のイメージが強いスイスだが,実 は 国土 の 4 分の 3は可耕地 とな って い る.これ は スイス人 が長年 にわた って営 々 と木 を切 り,岩 や石 を取 り除 いて手 に入 れ た ものであ る. しか しこの美 しい牧草地,麦畑を支える農林牧畜従 事者 は労働人 口のわずか 7%にす ぎない. 元来,小国家が集 まって連邦 とな ったスイス では 26 ある州の自治意識 も高 く, 共通のスイ ス語 は存在 しない.今年 ア ピモ ンデ ィア第 34 回国際養蜂会議が開かれ るローザ ンヌを含む西 部 で は フラ ンス語 (20.1 %) が話 されて い る. 最 も多 く話 されている ドイツ語圏 (73.5%) スイス中部か ら東部 に広 が り,南部 テ ィツ ィー ノ州 で はイ タ リア語 (4.5%) ,東部で一部 レー トロマ ンシュ語 ( 1.0%)が話される(図1). 歴史ある養蜂 スイスで は養蜂 は長 い伝統 が あ り,今 日で も 海抜 200m~2,000m の変化に富んだ国土の全 域で養蜂が続けられている.地理的条件,文化 的背景の違 いか ら地域により作業方法,蜂具, ミツバ チ生産物等 に も違 いが見 られ る. 2万 5千人余 りのスイスの養蜂家の中に専業 の養蜂家はいない.副業 として,あるいは趣味 として蜂を飼 う人々ばか りなのである.総飼養 蜂群数 は約 30 万群,一人平均 12 群 とな り,副 業 として 50 群以上を飼養する養蜂家は育種家 1%を占めるにすぎない.理由は様々あろう が,スイスに専業の養蜂家がほとんどないのは 養蜂のみでは充分な定収入が得 られないことが 最大 の理 由 と思 われ る. 蜂群の密度 は 1km 2当たり7 群 と他 の諸国 に 較 べ高 い. しか しその分布 は実 際 には非常 に偏 りがあり, 中部平原の主要都市近郊では 1km 2 当たる 20 群 に もな るこ とが しば しば見受 け ら れ る一 万,人 もまば らな山岳地方 の蜂 の密度 は 国 の平均 よ りは るか に低 い. -チ ミツの一群 当 た りの収量 は, スイス全 国 平均 8kg /年 で他 の中郡 ヨー ロッパ諸 国 に較 べ か な り少 ない. これ は限 られた蜜源 に高密度 で 巣箱が置かれているためと, もともとハチ ミツ をた くさん収穫す ることを至上命題 とは して い ない養蜂家の方針によるものである. 伝統的なスイス型巣箱 による,移動はごく限 定 した範囲のみの定置養蜂がスイスの典型的養 蜂 ス タイルであ る. この スイス型巣箱 は特 に ド イ ツ語 圏 に多 く見 られ るが, それ以外 に もフラ ンス語圏 や テ ィツ イーノ州 で広範囲 に用 い られ ている.収益を増すため,盛んに移動を行 う養 蜂家 か ら見 れば,す っか り時代遅 れ にな った養 蜂 スタイルで あ ろ うが, ミツバ チを愛 す るが故 に巣箱 を置 いて いる人 々 には最適 な,管理 しや すい方法なのである.一年中 ミツバチを手元に 置 き,暇 を見 つ けて は愛 す る ミソバ チの活動 を JL、ゆ くまで観察す ることこそが専門家ではない 1 スイスの言語分布

スイスの養蜂 HansMaag - TAMAGAWAlibds.tamagawa.ac.jp/.../566/1/16-3_1995_129-131_Maag.pdfミツバチ科学(1995)16(3):129-131 スイスの養蜂 HansMaag 中部ヨーロッパの内陸国家,スイスの面積は

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ミツバチ科学 (1995)16(3):129-131

スイスの養蜂

HansMaag

中部ヨーロッパの内陸国家,スイスの面積は

約 4万 1293km2で, 九州とほぼ同じ広さであ

る.国土の60%は4千 m級の蜂が連なるアル

プスの山岳地帯,30%は平均標高 580mの中

部平原,10%がジュラ山脈である.中部平原は

温暖な気候に恵まれ,商工業が発達 し,都市 も

集中している.ジュラ山脈は平均標高 700mだ

が,モミの木の香る緑深い山々といたるところ

を流れる清流が魅力的な山間地帯である.

山岳国家のイメージが強いスイスだが,実は

国土の4分の3は可耕地となっている.これは

スイス人が長年にわたって営々と木を切り,岩

や石を取り除いて手に入れたものである. しか

しこの美 しい牧草地,麦畑を支える農林牧畜従

事者は労働人口のわずか 7%にすぎない.

元来,小国家が集まって連邦となったスイス

では26ある州の自治意識も高 く, 共通のスイ

ス語は存在 しない.今年アピモンディア第 34

回国際養蜂会議が開かれるローザンヌを含む西

部ではフランス語 (20.1%)が話されている.

最も多く話されているドイツ語圏 (73.5%)は

スイス中部から東部に広がり,南部ティツィー

ノ州ではイタリア語 (4.5%),東部で一部 レー

トロマンシュ語 (1.0%)が話される (図 1).

歴史ある養蜂

スイスでは養蜂は長い伝統があり,今日でも

海抜 200m~2,000mの変化に富んだ国土の全

域で養蜂が続けられている.地理的条件,文化

的背景の違いから地域により作業方法,蜂具,

ミツバチ生産物等にも違いが見られる.

2万 5千人余りのスイスの養蜂家の中に専業

の養蜂家はいない.副業として,あるいは趣味

として蜂を飼 う人々ばかりなのである.総飼養

蜂群数は約 30万群,一人平均 12群となり,副

業として 50群以上を飼養する養蜂家は育種家

の 1%を占めるにすぎない.理由は様々あろう

が,スイスに専業の養蜂家がほとんどないのは

養蜂のみでは充分な定収入が得 られないことが

最大の理由と思われる.

蜂群の密度は 1km2当たり7群と他の諸国に

較べ高い. しかしその分布は実際には非常に偏

りがあり,中部平原の主要都市近郊では 1km2

当たる20群にもなることがしばしば見受けら

れる一万,人もまばらな山岳地方の蜂の密度は

国の平均よりはるかに低い.

-チ ミツの一群当たりの収量は,スイス全国

平均 8kg/年で他の中郡 ヨーロッパ諸国に較べ

かなり少ない.これは限られた蜜源に高密度で

巣箱が置かれているためと,もともとハチミツ

をたくさん収穫することを至上命題とはしてい

ない養蜂家の方針によるものである.

伝統的なスイス型巣箱による,移動はごく限

定 した範囲のみの定置養蜂がスイスの典型的養

蜂スタイルである.このスイス型巣箱は特に ド

イツ語圏に多 く見られるが,それ以外にもフラ

ンス語圏やティツイーノ州で広範囲に用いられ

ている.収益を増すため,盛んに移動を行う養

蜂家から見れば,すっかり時代遅れになった養

蜂スタイルであろうが, ミツバチを愛するが故

に巣箱を置いている人々には最適な,管理 しや

すい方法なのである.一年中 ミツバチを手元に

置き,暇を見つけては愛するミソバチの活動を

JL、ゆくまで観察することこそが専門家ではない

図 1 スイスの言語分布

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130

図 2 高原の蜂場

アマチュア養蜂家の最大の喜びである.フラン

ス語圏とティツイーノ州の養蜂家には継箱 (特

に Dadant型)を使 う人が多い.

このような厳 しい諸条件にもかかわらず,ナ

タネ類やセイヨウタンポポの開花時期には特に

高原地帯で多量の-チ ミツが収穫できる.夏

期, ジュラ山脈,エメンタル,およびアルプス

山脈のすそ野にひろがるヨーロッパモミ, ドイ

ツトウヒの森では,中部平原の落葉樹林や針葉

樹林, シャクナゲ,アザレアが咲き乱れるアル

プスの葦原と同 じように良質の甘露-チ ミツが

敬れる.ティツイーノ地方の森にはマロニエ,

シナノキ,ニセアカシアが多く,豊富な蜜源と

なっている.都市近郊の緑地帯は蜂群建勢期の

蜜源として利用されている.

-チ ミツの生産量は不安定で,各地方とも変

動が大 きいが,さらに移動養蜂を取 り入れれば

向上も望めよう.スイスのハチ ミツ消費量は年

間一人当たり1.4kgであり,その半量は外国産

-チミツである.国内の養蜂的要素が強 く,収

穫された-チミツも身近の消費者に直接販売さ

れることが多い.そのため販売者,消費者間の

信頼関係が確立 していて, 比較的高価格で (1

kg当たり約 18スイスフラン)続いている-チ

ミツの販売にこれまでは特に困難はなかった.

しか し将来は-チ ミツの品質維持と販売促進に

力を入れる必要があるだろう.

一部の養蜂家は花粉とプロポリスの収穫を専

門にしているが,国内ではまだこれらの高品質

ミツバチ生産物への関心は低 く,消費はごく限

られている.この方面での販売促進活動はこれ

からの課題である.

農業作物,野生植物に対する不可欠の花粉媒

介者としての蜂の役割は十分理解されている.

養蜂家は農家からの要望や地域の環境基準に適

合 した適正な養蜂を行う努力を続けている.

スイスで飼養されているミツバチには大きく

分けて 3系統ある.黒い蜂であるmelliferaは

中部スイスと東部で,カーニオラン系 carnica

が ドイツ語圏の北部とフランス語圏で,ティツ

ィーノ州ではイタリアン Iigusticaが飼われて

いる.これらの異なった亜種は互いに接近 して

飼養されたため,ある程度の雑種は避け難 く,

特に Buckfastbeeの導入以来顕著になって

いる.純系維持のためにフランス語圏の養蜂家

はこれまで数十年にわたり組織的に活動を続け

ており,高山で隔離された交配場を利用 してカ

ーニオランの純系を保つことに成功 している.

養蜂関連団体

養蜂家の多 くは地元の養蜂グループや,地域

の養蜂団体に属 し, 全国 25州には州の養蜂家

組合がある.これらは使用言語地域別に3つの

全国協会に分かれて活動 している. ドイツ語圏

には Verein Deutschschweizerischer und

R畠toromanischerBienenfreunde(VDRB)が

あり,会長 W.Spiess氏以下会員数は約 1万

8千名 であ る. フランス語 圏 には Societe

d'ApicultureRommande(SAR)があり,P.

Girod会長以下会員およそ 4千名.M.Bosia

図 3 蜂場からアルプスを望む

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図4 色とりどりの巣門を並べた蜂舎

氏が会長 をっ とめる SocietA Ticinesedi

Apicoltura(STA)はイタリア語圏の協会で,

会員数約 800名である.これらをまとめる連合

組織として Fed色rationdesSocietesSuisses

d'Apiculture (FSSA) が作られ, その会長

Jean-PaulCochard 氏は今回の会議の組織委

員 会 会 長 で も あ る, 専 門 的 組 織 で は

Schweizerische Pollenimkervereinlgung,

Verein SchweizerWanderimker,Associa-

tionSuissedesEleveursdeCarnica,Asso-

ciation SuissedesAmisdelaRacedu

Pays,SAR内の Groupementdeseleveurs-

moniteures等が活動 している.

これらの養蜂団体の目指すものは養蜂技術の

普及振興と情報の交換,及び優良系の育種であ

る.初心者,中級者向け養蜂講習会を開催する

とともに,養蜂指導,優良系育種,-チミツの

品質検査等を行えるアドバイザーの育成もすす

めている.これらの活動にはリーベフェルト連

邦酪農試験場の養蜂部門から技術面での指導,

支援を受けていて,これまでに養蜂指導者 150

名,育種専門家 50名,ハチミツ品質検査法の

習得者 200名がうまれている.彼らは毎年の再

訓練の講習を含め,この方面の活動をすべて余

暇を利用して行っている.アルバーズヴィルに

はモデル蜂場があり,養蜂訓練などの教育活動

に利用されている.その他にもスイス各地には

地域の養蜂団体が入念に管理 している講習用の

養蜂場が多数ある.育種のための交配場も国内

各地に数多く造られている.

各養蜂全国協会は 100年以上の歴史を誇る

観察蜂場をもち,気象の変化とそれが蜂群,坐

131

産物へ与える影響を記録 しつづけており,これ

は毎月発表されている.

養蜂関連出版物としては3つの養蜂全国協

会がそれぞれの言語で月刊雑誌を出している.

ドイ ツ語 圏 で は Schweizerische Bienen-

zeitung(1万 7千部)が興味深い専門誌として

養蜂家に広 く読まれており,SAR はRevue

Suissed'Apiculture(5千部),STAは L'Ape

(l千部)をそれぞれ発行 している.

リーベフェルタ連邦酪農試験場の養蜂部門

(主任 PeterFluri博士は大会組織委員会のミ

ツバチ科学,養蜂技術部門責任者)は国内で唯

一の国のミツパテ科学研究組織で,養蜂に関す

る相談窓口ともなっている.現在の主な研究テ

ーマはミツパテへギイタダニの生態,ダニ対

策,およびミツパテ生産物の生産,品質管理な

どである.さらに蜂病予防対策の仲介機関とし

て,家畜の伝染病を担当する各州の獣医師会と

緊密な連携をとって対策を進めている.このた

めに500名の養蜂家が選ばれて,特別研修を受

けて蜂場調査官となり,本業の傍ら,全国各地

で活動している.また,養蜂部門は農薬被害に対

するミツバチの予防,保護対策もおこなう.

リーベフェル ト研究所は 1907年の設立以

莱,長年にわたり学術研究を通 じての国陽交流

をめざし,促進してきた.スイスのミツバチ研

究を代表する R.Burri,0.Morgenthaler,A.

Maurizio,W.Fyg,H.Wille,LGerig等の世

界に知られた卓越 した研究者が輩出している.

彼らの研究分野は蜂病から蜂の進化におよび,

配偶行動の生物学研究や新らしい蜂群管理法の

開発と進められている.

この様にスイスにはミツバチを飼養したいと

強く動機づけるような健全で,しかも多様な養

蜂の見本が国中にちりばめられているのである.

※この記事は1995年 8月にスイスローザンヌ市で

開催される第34回国際養蜂会議のセカンドサーキ

ュラーに掲載された「スイスの養蜂」の一文を,スイ

スアピモンディア大会委員会の許諾を得て,翻訳,掲

載したものである.

(翻訳 榎本ひとみ)