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Journal of Asian and African Studies, No.89, 2015 資 料 大衆蜂起の言説* インティファーダ(19871993 年)とリーフレット研究の可能性 鈴 木 啓 之 The Discourse of the Uprising Palestinian Intifada (1987–1993) and Analyses of the Leaflets SUZUKI, Hiroyuki is article aims to contribute to future studies of the First Palestinian Intifada, the huge popular uprising from 1987 to 1993, through the analysis of political leaflets. Some Palestinian organizations issued political leaflets during the Intifada. However, only a fraction of those leaflets have been analyzed in pre- vious studies, and the rest of the leaflets remain open to fresh analysis. e main reason for this problem comes from the lack of available firsthand mate- rials. ere are some books and library collections of leaflets, but none cover all Palestinian political parties and the entire period of the Intifada. e Nablus Municipal Library’s leaflet collection (861 leaflets) is of great importance. is collection includes the work of most of the parties we could expect as well as leaflets issued from the very beginning of the Intifada to the late 1990s. Although there is no collection catalog and some mis-categorization of the leaflets (for example, Fatah’s file includes some leaflets from the unrelated organization Fatah al-Intifada), this collection remains important because it includes locally issued leaflets, which are rarely collected elsewhere. ere are three categories of leaflets: (1) regular numbered leaflets, (2) non-numbered leaflets, and (3) local leaflets. e first group was mostly issued by the United National Leadership (UNL) and by the Islamic Resistance Movement (Hamas) and usually includes mobilization instructions. Most previous studies analyze this group. e second group was issued by political formations, such as the UNL, Hamas, Islamic Jihad, Fatah, the Popular Front for the Liberation of Palestine (PFLP) and the Democratic Front for the Liberation of Palestine (DFLP). is type of leaflet was mostly intended to present a political position or opinion about the developing uprising, Israel’s repressive actions, or an organization’s relationship with the other formations. Local leaflets, the last Keywords: Middle East, Palestine/Israel, the West Bank and the Gaza Strip, Intifada, Leaflets キーワード : 中東,パレスチナ/イスラエル,西岸・ガザ地区,インティファーダ,リー フレット 本稿は日本学術振興会科学研究費補助金特別研究員奨励費 248429の助成を受けたものである。

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Journal of Asian and African Studies, No.89, 2015資 料

大衆蜂起の言説*インティファーダ(1987~1993年)とリーフレット研究の可能性

鈴 木 啓 之

The Discourse of the UprisingPalestinian Intifada (1987–1993) and Analyses of the Leaflets

SUZUKI, Hiroyuki

This article aims to contribute to future studies of the First Palestinian Intifada, the huge popular uprising from 1987 to 1993, through the analysis of political leaflets. Some Palestinian organizations issued political leaflets during the Intifada. However, only a fraction of those leaflets have been analyzed in pre-vious studies, and the rest of the leaflets remain open to fresh analysis. The main reason for this problem comes from the lack of available firsthand mate-rials. There are some books and library collections of leaflets, but none cover all Palestinian political parties and the entire period of the Intifada.

The Nablus Municipal Library’s leaflet collection (861 leaflets) is of great importance. This collection includes the work of most of the parties we could expect as well as leaflets issued from the very beginning of the Intifada to the late 1990s. Although there is no collection catalog and some mis-categorization of the leaflets (for example, Fatah’s file includes some leaflets from the unrelated organization Fatah al-Intifada), this collection remains important because it includes locally issued leaflets, which are rarely collected elsewhere. There are three categories of leaflets: (1) regular numbered leaflets, (2) non-numbered leaflets, and (3) local leaflets. The first group was mostly issued by the United National Leadership (UNL) and by the Islamic Resistance Movement (Hamas) and usually includes mobilization instructions. Most previous studies analyze this group. The second group was issued by political formations, such as the UNL, Hamas, Islamic Jihad, Fatah, the Popular Front for the Liberation of Palestine (PFLP) and the Democratic Front for the Liberation of Palestine (DFLP). This type of leaflet was mostly intended to present a political position or opinion about the developing uprising, Israel’s repressive actions, or an organization’s relationship with the other formations. Local leaflets, the last

Keywords: Middle East, Palestine/Israel, the West Bank and the Gaza Strip, Intifada, Leaflets

キーワード : 中東,パレスチナ/イスラエル,西岸・ガザ地区,インティファーダ,リーフレット

* 本稿は日本学術振興会科学研究費補助金(特別研究員奨励費 24・8429)の助成を受けたものである。

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Ⅰ. はじめに

本稿は,パレスチナ人の大衆蜂起「インティ ファーダ」1)のなかで配布されたアラビア語リーフレット2)の資料的意義に着目し,その収集状況や刊行資料の特徴を検討するものである。1987年 12月に始まったインティファーダは,その後 5年以上にわたって続き,国際的にも大きな関心を集めた。この対イスラエル抗議活動は,自然発生的に開始されたと述べても間違いではない。しかし,発生から 1ヵ月を過ぎた頃から,この蜂起を指導

する組織の存在が徐々に明らかになる。特にメディアや先行研究で注目されたのは,パレスチナ解放機構(Munaẓẓama al-Taḥrīr al- Filasṭīnīya,略称 PLO)参加の一部組織3)が 合同した「インティファーダ統一民族指導部」 (al-Qiyāda al-Waṭanīya al-Muwaḥḥada li-l-Intifāḍa,以下,統一指導部)と,その主なライバル組織である「イスラーム抵抗運動」(Ḥaraka al-Muqāwama al-Islāmīya,以下,ハマース)である。これらの二つの組織が発行するリーフレットには,日付を指定した動員指令が含まれ,少なくとも発生から 1年目には蜂起の展開が徐々にこれらの指令の内容

group, were issued and circulated at the local level, and they refer much more often to local incidents.

By relying on the Nablus collection, it becomes possible to analyze the Intifada from the most local level up to the national level because this collection includes many local leaflets in addition to regular numbered and non-numbered leaflets. This article includes examples of leaflets, presents an original catalog, and suggests how leaflet analysis will contribute to future studies of the Intifada and to Palestine studies.

Ⅰ. はじめにⅡ. リーフレットとインティファーダ 1. リーフレットに関する先行研究 2. リーフレットの発行状況と特徴 3. リーフレット資料の刊行および収集状況Ⅲ. ナーブルスとインティファーダ 1. 政治活動におけるナーブルスの重要性 2. ナーブルス市立図書館資料の概観:発

行の傾向Ⅳ. リーフレットの例示 1. ナーブルス近隣村での事件と組織間対

立の回避

 2. 統一指導部とハマース 3. オスロ秘密交渉公開後のファタハⅤ. おわりに:リーフレット研究の可能性資料 1  ファタハよりハマースとの和解に関

して・1991年 11月 16日資料 2  統一指導部とハマースの共同作成

リーフレット・1992年 12月 20日資料 3  ナーブルスのファタハによるオスロ

合意支持集会の呼びかけ・1993年 9月末

資料 4  ナーブルス市立図書館保管リーフレット

1) 本稿では単にインティファーダと述べた場合,1987年から 1993年まで展開された蜂起を指し,2000年からのものは「アル=アクサー・インティファーダ」と別途標記する。

2) アラビア語では,bayān(声明)または nidā’(呼びかけ)と呼ばれる。本稿では英語で定訳として当てられる leafletの名称で総称する。

3) 統一指導部に参加した組織は,ファタハ,PFLP,DFLP,パレスチナ共産党の四党派である(各党派の詳細は初出の脚注を参照)。

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121鈴木啓之:大衆蜂起の言説

に従って整えられていったことが明らかにされている[Suzuki 2014]。すなわち,デモやストライキ,イスラエル製品の不買運動などが,ガザ地区とヨルダン川西岸地区の各地で連動する形で展開された。インティファーダのなかで配布されたリーフレットは,設立間もないハマースの政治思想の形成過程や,統一指導部による政治姿勢の変化,また両者のライバル関係を明らかにする資料として,先行研究で注目されてきた。しかし,リーフレットの発行は,決してこの両者に限られるものではない。後に言及する通り,インティファーダ以前から政治リーフレットの発行は被占領地のさまざまな組織によって行われており,この大衆蜂起のなかでもそれは変わらなかった。つまり,統一指導部とハマースのみらなず,他の組織のリーフレットも参照することによって,たとえば和平交渉の展開(1991年~)や湾岸危機の発生(1990年)などに関する,それぞれの時期のパレスチナ各党派の姿勢を分析すること

が可能になるのである。こうした意味でインティファーダのリーフレットは,パレスチナ問題が大きく変容した 1980年代後半から 90年代前半までにかけてのパレスチナ各党派の政治的立場を伝える重要な資料として位置づけられる。本稿では,このリーフレットの内容分析の前提となる,刊行資料と収集資料の特徴と課題を提示し,特に注目すべき資料として,ナーブルス市立図書館収蔵資料の重要性を指摘する。リーフレットに関する総体的な研究は,利用できる刊行資料の少なさから決して十分になされてこなかった。特に書籍の形で刊行された資料は,統一指導部とハマースのものに限られ,具体的な分析においては統一指導部ばかりが取り上げられる傾向が見られる。しかし,一部の収蔵資料からは上記の二組織以外によって発行されたリーフレットの存在が提示され,より総体的な研究が待たれている。本稿では,筆者の調査の限りで最も多くのリーフレットを収蔵するナーブルスの資料

地図 1 被占領地(ヨルダン川西岸地区およびガザ地区)と周辺地域    (出所)Abū Sitta[2007]などを参照し筆者作成

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を分析することを念頭に,リーフレット資料に関する先行研究の概観,リーフレット資料を対象として扱う際の留意点などを整理していきたい。以下ではまず,第二節で先行研究を整理し,その到達点と限界を確認する。ここでは,インティファーダのリーフレット資料として現在利用できるものを可能な限り提示し,またリーフレット資料そのものの特徴を整理してみたい。次に,第三節では筆者が特に注目するナーブルス市立図書館収蔵のリーフレット資料の重要性を確認し,その収集の状態と組織ごとの収集本数について数量的に示す。この節では,ナーブルスという都市が,パレスチナの政治運動において占める位置づけについても述べておきたい。つづいて,第四節では,ナーブルス保管の資料のなかでも特徴的なリーフレットを例示し,リーフレットが資料として価値あるものであることを改めて確認していく。これらの作業をとおして,リーフレットの分析がインティファーダ研究,さらにはパレスチナ研究全体にもたらす積極的意義を確認し,ナーブルス保管資料がその発 展に貢献する可能性について述べていきたい。

Ⅱ. リーフレットとインティファーダ

蜂起のなかで配付された文書の内容から蜂起の本質,さらには同時代の雰囲気までも分析の範疇に収めた好著として,増谷英樹による『ビラの中の革命』がある[増谷 1987]。増谷は,国立文書館や市立図書館に資料として保管されていた 1848年ウィーン革命の街頭ビラの内容から,「民衆の近代」の躍動する姿を描き出した。インターネットや携帯端末が存在しないメディア環境の点では,1987年開始のインティファーダは,近年のネットワーク化の著しい大衆運動よりも,前近代に

おける蜂起や革命との類似性を指摘することができよう。しかし一方で,コピー機の普及,ファックスやラジオ放送の存在,国際メディアの発達など,インティファーダを取り巻く時代的特徴も存在する。インティファーダのリーフレットは,タイプライターで作成された後にコピー機で大量印刷され,街の各所で配布された。この点で,前近代の街頭ビラとは異なる性格を持つものである。

1. リーフレットに関する先行研究インティファーダのリーフレットに着目した研究は,パレスチナ人自身によるものが圧 倒的に多い。Muṣṭafā[1988]と Anonymous [1988]は,同じく統一指導部のリーフレットに着目した先駆的な研究である。Muṣṭafā [1988]は,統一指導部が設立からしばらくは 指導力を確立できず,第 3号リーフレットまで表現が安定しなかった点などを指摘した。 はじめてタイトルをつけられた第 11号リーフ レットから内容が,闘争,保健,農業,教育などに分化した点などを明らかにし,イスラエル当局による偽装リーフレットの問題も指摘するなど,リーフレット発行第一年目の特 徴を整理した良作である。また,Anonymous [1988]は,さらに詳しくイスラエル当局による偽装リーフレット問題を取り上げ,パレスチナ共産党4)や統一指導部の署名を用いた運動の攪乱が行われたと述べる。また,ヘブライ語によるイスラエル軍兵士に向けたリーフレットも発行されたと述べられ,統一指導部のリーフレット内容にもさらに詳しく政治面,経済面などから分析を加えている。これらの議論をさらに進展させたのが al-

Sharafī[1989]とKayyālī[1989]である。al-Sharafī[1989]は,同じく統一指導部のリーフレットを参照しながら,その内容の特徴を以下の 4点に手短にまとめている。つま

4) 共産党(パレスチナ共産党,Ḥizb al-Shuyū‘ī al-Filasṭīnī)。統一指導部を形成した四党派のなかでは唯一,被占領地内部に本部を持っていた(当時)。

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123鈴木啓之:大衆蜂起の言説

り,リーフレットは,(1)闘争のプログラム(al-barnāmaj al-niḍālī),(2)明確な指示(ta‘līmāt wāḍiḥa),(3)現段階における要求の提示(ibrāz al-maṭālib al-marḥalīya),(4)政治的立場(al-mawqif al-siyāsī)から構成されており,この分類に従って彼は初年度の 30本近くのリーフレット内容を分析した。また,Kayyālī[1989]は,インティファーダのなかで結成された民衆委員会(al-lijān al-sha‘bīya)に着目した論考ながら,統一指導部との関係性という組織論に踏み込んだ最初期の論考である5)。このなかでは,既存の女性団体や青年団体,職能組合などがインティファーダの動員力の背景にあり,これらと深い関係をもつ地元組織である民衆委員会がインティファーダの「真の指導部である」とすら述べられている。以上の論考はいずれも優れたものであるが,ただし掲載媒体がPLO系雑誌であることも手伝って,統一指導部のみを扱う限界を抱えていた。統一指導部に加えてハマースによるリーフレットに注目した論考は,インティファーダが 2年を経た頃から見られるようになる。al-Ḥūt and al-Ḥūt[1990]を典型的な例として,リーフレット発行における両党派のライバル関係と微妙な協力関係に注目がなされ,Cobban[1990]など英語による学術的研究も見られるようになった。この時期には資料の収集・蓄積も進み,Ṣāliḥ[1990]のように,域内外の研究者を念頭に置いた資料紹介も執筆されるようになる。また,リーフレット内容そのものの外国語訳や6),日本語による論考も充実していった[森戸 1990; 中島 1994]。また,出色の研究として,リーフ

レットに使用される字体の類型化にまで踏み込んだ Legrain[1991]による分析も発表された。しかし,これらすべての論考は統一指導部のリーフレット分析を中心としてハマースを取り上げ,またインティファーダの全期間を含めない点で限界を抱えていた。インティファーダの指導部に改めて注目がなされるのは,2000年に「第二次インティファーダ」とも呼称されるアル=アクサー・インティファーダ(Intifāḍa al-Aqṣā)が発生 した後のことである。日本語によるものを含め,多くの研究が二つのインティファーダの比較分析に尽力した[一例としてHammami and Tamari 2001; Beitler 2004; Pearlman 2011; 錦田 2012]。しかし,これらの研究の多くは組織論的観点から指導部に注目しており,実際のリーフレット内容の分析には踏み込んでいない。したがって,インティファーダの終了時(1993年 9月,オスロ合意7)の署名)まで包括したリーフレットの内容分析はなされておらず,この点で依然として課題は残されている。

2. リーフレットの発行状況と特徴ここで,問題となるリーフレットそのものの発行状況を確認しておきたい。インティファーダにおけるリーフレットの発行第一号は,1987年 12月 14日付けのハマースによるものである。後に「統一指導部」と名乗ることになる連合体が「パレスチナ民族主義勢力」の署名で発行したリーフレットが 1988年 1月 8日付けであるため,この点は揺るがない8)。しかし,後に詳述するとおり,党派の見解や方針を文書で配布するという行為

5) こうしたインティファーダに対する組織論的なアプローチは,Hiltermann[1991]や Alimi[2007]などによってさらに発展された。

6) リーフレット内容の外国語訳として,Legrain[1991](フランス語),パレスチナ蜂起統一民族指導部[1993](日本語),Mishal and Aharoni[1994](英語)が刊行されている。

7) オスロ合意はイスラエル政府と PLOのあいだで結ばれた相互承認の取決めであり,のちのガザ地区と西岸地区の一部地域での暫定自治開始(1994年)の端緒となった。

8) イスラエル人ジャーナリストのゼエヴ・シフ(Ze’ev Schiff)とイフード・ヤアリ(Ehud Ya’ari)によれば,アル=ビーレ在住の DFLPの活動家がエルサレムの印刷所に「統一指導部」の署 ↗

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は,決してインティファーダに限られるものではない[鈴木 2014a, 2014b]。この点で,動員指令を含まないハマースの第一号リーフレットは,それ以前からの被占領地における政治活動の延長として捉える方が妥当である。インティファーダのリーフレットは,(1)連番が振られること,(2)日付を指定した動員指令が含まれること,の 2点において,それ以前の政治声明と区別することができる。こうした新しいタイプのリーフレットの働きによって,自然発生的に始まったインティファーダは,被占領地全土でストライキやデモの日程を統一した大衆運動へと発展することができた。後に統一指導部もハマースも,それぞれのリーフレットに連番を振って動員の指令を発していくが,この 2点においては統一指導部が先んじていたことは明記すべきである9)。指導部が複数存在する点で,インティファーダはピラミッド型の動員構造を持つことはなく,常に党派対立の危険性を内包していた。しかし一方で,イスラエル当局による取り締まりも容易には機能しなかった点も留意されてしかるべきだろう。当時の指導部に詳しい PFLPの元活動家は筆者に対して,統一指導部は一つの組織というよりも,参加する四党派から 1人ずつ若手幹部が出席する調整の枠組みであったと述べている10)。インティファーダのリーフレットには,連番が振られた定期版に加えて,緊急の呼びかけなどを発する臨時発行版が存在する。ハマースが自らのリーフレットを整理した資料集『イスラーム抵抗運動・ハマース文書

集』では,「定期リーフレット」(al-bayānāt al-dawrīya)の他に,臨時のものとして「統一指導部および PLOとの関係に関する声明」,「国家元首ならびに各種組織に対する声明」,「祝賀声明」,「連帯声明」,「教育関連」,「アル=アクサーモスク放火非難声明」,「他地域の人々への呼びかけ」,「攪乱リーフレットへの注意喚起」といったものが整理されている[Ḥaraka al-Muqāwama al-Islāmīya 1990]。加えて,ビールゼイト大学(ラーマッラー)教授のサーリフ・アブドゥルジャワード・サーリフは,リーフレットには全域レベル(‘alā ṣa‘īd ‘āmm)で発行されたものと地方レベル(‘alā ṣa‘īd maḥallī)で発行されたものが存在し,主な発行組織としては「統一指導部,ハマース,イスラーム聖戦,PLO参加組織,PLO非参加組織」があったと指摘した[Ṣāliḥ 1990]11)。これらの情報を整理すれば,インティファーダのリーフレットはおよそ以下の 3つの類型で示すことが適切であろう。第一は,統一指導部やハマースによる定期発行のリーフレットである。この類型は,これまで多くの研究で分析の対象とされてきたが,その最大の特徴は連番が付されること,そして日付を指定した動員の指令が含まれる点である。この類型に当てはまるリーフレットは,被占領地全域レベルで配布され,統一指導部のものに至ってはダマスカスやバグダードを拠点とする PLO系のラジオ放送局から内容が放送され,PLO系の雑誌にも内容が転載された。いわば,リーフレットのな

↗ 名が入った最初のリーフレット原稿を持ち込んだが,その印刷所のオーナー(ファタハ・メンバー)

がこれを出し抜いて「パレスチナ民族主義勢力」の名で第一号を発行したと伝えられる[Schiff and Ya’ari 1990]。

9) 統一指導部は,1988年 1月 10日発行の第 2号から連番を振り,日付を指定した動員指令は 1988年1月 8日付けのリーフレットから行っている。一方のハマースはこれを追う形で 1988年 5月 27日付けの第 21号より連番を振り,動員の指令は 1988年 2月 16日(または 11日)付けリーフレットで「次の土曜日および日曜日をゼネストの日」とし,3月 4日付けリーフレットで「3月 7日は衝突 の日」と初めて日付を指定した指令を行っている[Legrain 1991, HMS04A, HMS04B, HMS07]。

10) アタ・ケマリ氏(東エルサレム在住)。2013年 8月 25日,東エルサレムにてインタビュー。11) シャウール・ミシュアルとルーベン・アハロニによる研究も,発行主体としては「統一指導部,ハ

マース,イスラーム聖戦,その他左派」とこの点ではほぼ一致している[Mishal and Aharoni 1994]。

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125鈴木啓之:大衆蜂起の言説

かで最も「公的」なものであり,翻訳資料や党派自身が発行する資料も,ほぼこの類型のものに限られる。つまり,最も分析の対象としやすいグループである。第二の類型は,それぞれの党派が特に意図をもって発行する臨時発行版であり,こちらは連番がなく,また日付を指定した動員指令も基本的には含まれない。発行のタイミングは,PLOによる何かしらの政治判断の前後(独立宣言の発表,和平会議への参加決定など),イスラエル当局による攪乱,規制行動の後(攪乱リーフレットの発行,指導者の被占領地からの追放など),他の党派との関係性の変化の後などである。統一指導部とハマースに限らず,ファタハ12)やパレスチナ解放人民戦線(PFLP)13),パレスチナ解放民主戦線(DFLP)14)など多くの組織が含まれ,インティファーダ特有のリーフレットというよりも,それ以前から続く党派ビラに近いものであると述べて構わない。ハマースのように発行組織自身がこうしたリーフレットを後に資料として刊行することは稀であり,多くは研究機関や研究者による収集資料によってその内容を知ることができる。第三の類型として,地元レベルで発行されたリーフレットを挙げることができる。こちらはよりローカルなレベルでの党派間の関係調整や大衆動員を目的としており,扱う内容がさらに具体的な点が特徴である。インティファーダでは,街区レベルで「民衆委員会」が結成されたことが有名であるが,この組織が発行した声明と限りなく近い。民衆委員会のリーフレットは,筆者の手元には

PLO発行雑誌『革命パレスチナ』(Filasṭīn al-Thawra)のシリーズとして刊行された書籍に収録された 2本のみしかないが,地元の著名人や具体的な地名に触れるなど,特徴が似通っている[Sulaymān 1988a: 545-546, 1988b: 572]。この類型にあたる資料は非常にすくなく,ビールゼイト大学が公開するウェブ資料と,本稿が着目するナーブルス市立図書館資料を除いてほとんど参照が難 しい。以上に加えて,イスラエルによる攪乱リーフレットを第四の類型として加えることもできるだろう。しかし,いずれにしても第一の類型のものを除き,研究の蓄積は十分ではない。その背景には刊行および収集資料の問題があり,その点を整理することなしに,リーフレットの分析を行うことはできない。

3. リーフレット資料の刊行および収集状況インティファーダのリーフレットは,資料集として一部が刊行され,また一部の研究機関などが収集をしている。ここでは,翻訳資料,発行組織そのものが刊行した書籍,研究機関が収蔵,または個人が収集した資料の 3点に分けて整理をしていきたい。第一に,他の言語に翻訳され,書籍として刊行されたものが挙げられる。英語によるものではMishal and Aharoni[1994],日本語によるものではパレスチナ蜂起統一民族指導部[1993]が典型である(Legrain[1991]もフランス語訳を掲載しているが,現物のコピーをすべて収録している点で前二者とは異なる)。また,論集や研究書ではあるが,巻

12) ファタハ(パレスチナ解放運動,Ḥaraka al-Taḥrīr al-Waṭanī al-Filasṭīnī)。代表(当時)のアラファートは PLO議長としても著名であり,1965年 1月 1日にはじめて武装攻撃を行ったことでも有名である。

13) PFLP(パレスチナ解放人民戦線,al-Jabha al-Sha‘bīya li-Taḥrīr Filasṭīn,英語表記:Popular Front for the Liberation of Palestine,略称:PFLP)。武装闘争によるパレスチナ全土解放を強く主張し,1970年代にはハイジャック闘争など大胆な武装闘争で知られた。

14) DFLP(パレスチナ解放民主戦線,al-Jabha al-Dīmuqrāṭīya li-Taḥrīr Filasṭīn,英語表記:Democratic Front for the Liberation of Palestine,略称:DFLP)。PFLPから分派した組織であり,ファタハと比較的近しく,パレスチナ部分解放(西岸・ガザ地区の解放を念頭に置く)にも理解を示した。

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126 アジア・アフリカ言語文化研究 89

末資料としてリーフレットの一部を紹介するLockman and Beinin[1989]や森戸[1990]もこのグループに加えて構わないであろう。これらの翻訳資料は,参照の点では非常に便利ではあるが,翻訳作業に不可避的に付随する誤訳の可能性を排除できないことに加え,原典の記載がないためにアラビア語の言葉遣いを確認できないことに課題がある。実際に,こうした翻訳資料の抱える問題は,Mishal and Aharoni[1994]のハマースに関する箇所に顕著にあらわれている。この研究がハマースの第 18号リーフレットとする文章は,al-Ḥurūb[1997]などハマース研究の多くが「第 1号」と指摘するものである15)。こうした例に見るように,この第一の類型に属する資料は,学術的検討の際には原典との照合が不可欠である。第二の類型として,発行組織そのものが刊行したアラビア語資料を指摘することができる。統一指導部やハマースなどの名前で立て続けに刊行された一連のアラビア語書籍は,アラビア語原典での参照を可能にする貴重な資料である[Munaẓẓama al-Taḥrīr al-Filasṭīnīya 1989; Anonymous 1989; al-Qiyāda al-Waṭanīya al-Muwaḥḥada 1990; Ḥaraka al-Muqāwama al-Islāmīya 1990]。また,PLOの発行誌『革命パレスチナ』に転載されたものや,PLO広報機関のパレスチナ報道情報局(WAFA16))が現在ウェブサイト上で公開する統一指導部のリーフレット

100点あまりも,この類型に加えることが可能であろう[WAFAウェブ資料]。これらの書籍や雑誌,ウェブ資料は,発行組織そのものが編集しているため,イスラエル当局が運動の攪乱を狙って偽造した「攪乱リーフレット」の特定にも役立つ。しかし一方で,再録する際にコンピュータを使用した打ち直しで一度書式面などを整えているために,単純な誤植や文章の欠落などに加えて,編集上の修正の可能性を排除しきれない。リーフレットには議論を呼びかねない見解や他の党派への批判なども含まれるため,この点は注意してしかるべきである。リーフレットの資料として第三の類型として指摘できるのが,研究者や研究機関などによって収集された現物または現物のコピーである。書籍としては,Legrain[1991]を典型として挙げることができよう。1988年末までのものに限られるが,攪乱リーフレットも含めて圧倒的多数を収録している。また,オランダの国際社会史研究所(IISH)の所有するコレクションや,ラーマッラーのビールゼイト大学がウェブサイト上で公開する文書コレクションも参照に値しよう17)。これら研究機関などが収集した資料には,統一指導部とハマース以外の組織が発行したリーフレットも複数含まれ,少なくともファタハやPFLP,イスラーム聖戦18)によるリーフレットが参照可能である19)。また両コレクションには,ラーマッラー市内で独自に発行された

15) これが第 1号であることは,ハマース創設者アフマド・ヤースィーンが第 1号に書き入れたと証言する故事「私は溺れている。なぜ〔いまさら〕濡れることを恐れるだろうか?」という文言が一致していることからも明かである[Manṣūr 2003: 171]。

16) アラビア語名称(Wikāla al-Anbā’ wa al-Ma‘lūmāt al-Filasṭīnīya)の頭文字を取った略称。英語でも略称はWAFAと表記される。

17) IISH収蔵のリーフレットは 70本であり,統一指導部のものが圧倒的多数を占める。一方で,ビールゼイト大学のコレクションはインティファーダの時期に限れば 255本のリーフレットが公開されるが,重複を除けば 150~ 200本と見込まれる。統一指導部のものにWAFAからの転載データが含まれるため,オリジナルのものはさらに数が少ないと推測される。

18) イスラーム聖戦(Ḥaraka al-Jihād al-Islāmī fī Filasṭīn)。1970年代末から 1980年にかけての時期にガザ地区でムスリム同胞団の元メンバーによって設立された。

19) こうしたパレスチナ側,または国外の資料に加えて,イスラエル国防軍がイスラエル国立図書館に保管するアーカイブ資料に関して,ヘブライ大学のエイタン・アリミ(Eitan Alimi)教授,ならびにコンコルディア大学大学院(カナダ)の Alon Burstein氏より指摘を頂いた(イスラエル ↗

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127鈴木啓之:大衆蜂起の言説

ものも数点含まれるため,地元レベルでの蜂起の展開を伝える貴重な資料となっている。こうした他の組織による発行の一つとして,イスラエル当局による攪乱リーフレットの存在も興味深い。これに注目した研究書であるṢāliḥ[1991]は巻末にコピーを多数掲載しており,この第三の類型に加えることができよう。以上まで見てきた資料を,収集資料の特徴を付記してまとめたものが表 1である。これ

を参照すると,資料ごとに収録数,収録期間ともに差異が大きく,どの組織を対象とするのかという点にも大きな違いが見られる。したがって,リーフレット分析には,この資料 の制約をまず克服することが求められている。

Ⅲ. ナーブルスとインティファーダ

ナーブルス市立図書館に保管されるリーフレット資料は,その収集本数と収集期間にお

↗ 国立図書館収蔵・閲覧と複写には軍担当者からの許可証を要する,2014年 9月現在)。こちらは今後の調査で改めて検討したい。

表 1 インティファーダのリーフレット関連資料

資料名 収録数 収録期間 対象組織 その他

Mishal and Aharoni[1994]

51本 1987年 12月~1991年 5月

統一指導部ハマース

ハマースの収録番号に一部誤りあり

パレスチナ蜂起統一民族指導部[1993]

47本 1988年 1月~1989年 10月

統一指導部 欠番なし(第 1号~第 47号)

Anonymous[1989] 49本 1988年 1月~1989年 12月

統一指導部

Munaẓẓama al-Taḥrīr al-Filasṭīnīya[1989]

30本 1988年 1月~1988年 12月

統一指導部

al-Qiyāda al-Waṭanīya al-Muwaḥḥada[1990]

30本 1988年 1月~1988年 12月

統一指導部 欠番なし(第 1号~第 30号)

Ḥaraka al-Muqāwama al-Islāmīya[1990]

62本 1989年 11月~1990年 11月

ハマース 連番付の通常版に加えて,臨時声明も収集

WAFAウェブ資料 89本 1988年 1月~1994年 3月

統一指導部

Legrain[1991] 149本 1987年 12月~1988年 12月

統一指導部ハマースイスラエル当局(イスラーム聖戦)

(PFLP)

攪乱リーフレット 18本を収録

IISHコレクション 70本 1988年 1月~1989年 7月

統一指導部PFLPパレスチナ共産党(DFLP)(ファタハ)

(ハマース)

圧倒的に統一指導部が多い

ビールゼイト大学ウェブ資料

約 150~200本

1987年 12月~1994年 8月

統一指導部ハマースイスラーム聖戦

一部にWAFAからの転載があり,重複が多数存在

Ṣāliḥ[1991] 80本 1988年 1月~1991年 6月

イスラエル当局 その他 8本の文書が参考資料として付随

(出所)収集資料から筆者作成(注)(1)「対象組織」で括弧付は収録数が極端に少ないことを示す

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128 アジア・アフリカ言語文化研究 89

いて,本稿で見てきたような既存の資料をはるかに超える規模を誇る。コピーによる重複が一部に存在するが20),収集本数は 861本, 収集されたリーフレットの発行期間は1987年 10月から 2000年 10月までにおよぶ。コレクションの来歴はあまり明らかではないが,筆者の調査(2013年 8~9月,2014年 9月)

の限りでは,市立図書館の職員自身も収集に加わったものであるとの回答を得た。収集の場所や日付が手書きで付記されたものも数多く,市内で配布されたものを根気強く集めたものであることが覗われる。この資料の重要性は,占領下におけるナーブルスという都市空間そのものの重要性を理解することでより明確となろう。

1. 政治活動におけるナーブルスの重要性ナーブルスは,オスマン帝国末期にエルサレム,アッカーと並びサンジャク(アラビア語でリワーとも呼称21))が置かれた歴史ある都市である。北をアイバール山,南をジャルズィーム山(ゲルジム山)に囲まれた谷間の街であり,旧市街の中央にはオスマン帝国期の時計塔が残っている。現在イスラエル北部の都市となっているアッカーを中心にハイファーやナザレを含むアッカー・サンジャク,ヤーファーやヘブロン,ガザまでも含む広大なエルサレム・サンジャクに挟まれる形で設置されたナーブルス・サンジャク(バルカー・サンジャクとも呼称)は,パレスチナ

の中心部に位置し,現在はヨルダンの都市となっている商業都市サルトに繋がる重要な地域であった。ナーブルスにおける盛んな手工業の詳細については割愛するが,オリーブ・オイルや,そのオリーブを原材料とした石けんなどで現在でも有名である。活発な経済活動は,エルサレム(1936年)に次いで 1943年に商工会議所が設立されていることからも覗えよう[鈴木 2014a]。こうして栄えたナーブルスは,都市空間という点で当然ながら盛んな政治活動の場となった。ナーブルスの出身であり,後にエルサレムのシャリーア法廷判事,ヨルダンのワクフ大臣を経て,1984年からパレスチナ民族評議会(PNC)の議長を務めたアブドゥルハミード・サーイフ師(al-Shaykh ‘Abd al-Ḥamīd al-Sā’iḥ)の回顧録には,1931年8月にナーブルスで開催された大規模会議でデモの実施などが取り決められたことや,翌年に政治組織(イスティクラール党)が結成される様子などが生き生きと描かれている[al-Sā’iḥ 1994: 28, 33-34]。こうした経済的・政治的重要性は,イスラエルが建国され,ナーブルスが西岸地区北部の都市となった 1948年以降も変わらなかった。ヨルダンが西岸地区の自国への併合に際し,エリコに続いて名望家による会議を開催させたのもナーブルスである(1948年 12月・ナーブルス会議)。また,1967年のイスラエルによる占領後に,当局による管理が厳しかったエル

20) 内容の重複は,多党派が参加した共同リーフレットにほぼ限られる。ハマースとファタハによる1991年 6月 3日付の共同声明(3本が同内容),同じくハマースとファタハによる 1991年 11月16日付の共同声明(ほぼ内容が同じものが 5本存在),統一指導部とハマースによる 1992年 12月20日付のハマース・メンバー大量追放への非難声明(2本が同内容),日付はないもののハマースとファタハ双方の責任者の署名入り文書(2本が同内容)である。また,以下の 4例に関しては同組織内での重複があった。

UNL(Nab_N.D.)_9とUNL(Nab_N.N.)_25,IL_1とH(N.N.)_1,H_21に添付とH(N.N.)_24, PF_11と PF(N.D.)_7

21) 地理区分としてサンジャク(sanjak)はウィラーヤ(wilāya)の下位区分にあたり,サンジャクの下にはカダー(qaḍā),ナーヒヤ(nāḥiya)が存在する。ナーブルスはオスマン帝国のウィラーヤ設置法(1864年)を転機として,ベイルート・ウィラーヤに属するナーブルス・サンジャクの中心都市となった[Rāfiq 1990: 862-865]。なお,置かれる官職の名称からサンジャクをムタサッリフィーヤ(mutaṣarrifīya),カダーをカーイマカーミーヤ(qā’imaqāmīya)と呼称する場合がある。

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129鈴木啓之:大衆蜂起の言説

サレムに支援を送り,さまざまな抗議活動を展開したのもナーブルスをはじめとする地方都市であった。その様子は,収集されたイスラーム系諸団体や商工会議所,諸個人によって発せられた政治声明から覗うことができる[Mu’assasa al-Dirāsāt al-Filasṭīnīya 1968]。さらに,1976年には占領下で第二回目の地方議会選挙が実施され,ナーブルスに加え,ヘブロンやラーマッラーなどの都市部で PLO支持派が勢力を伸ばした。イスラエルによる一方的併合によってアラブ人市長職が廃されたエルサレムに対して,西岸地区ではこうした地方都市が公の政治空間として存在感を増していったのである。インティファーダにおいてナーブルスは,ガザ地区から最初に蜂起が伝播した地域として知られる。交通事故をきっかけとするガザ地区での最初のデモが 1987年 12月 8日であったが,その翌々日にはナーブルス郊外に位置する西岸最大の難民キャンプ・バラータでの抗議活動が報じられた。パレスチナ暫定自治政府の文化大臣や外務大臣を歴任したズィヤード・アブー・アムルー(Ziyād Abū ‘Amrū)は,PLO幹部ハリール・ワズィール(Khalīl al-Wazīr,通称アブー・ジハード[Abū Jihād])を扱った自著のなかで,1980年代に被占領地の動員に尽力したアブー・ジハードがバラータに非常に関心を払い,インティファーダの発生以前にここを拠点に大衆蜂起を画策していたとすら記述している[Abū ‘Amrū 2013: 76-78]。初期のインティファーダ研究である al-Ḥūt and al-Ḥūt[1990]も,バラータが域外の諸組織とつながりを持つ「新世代」の活動のモデル的拠点であったと指摘した[p. 994]。政治活動が盛んであり,かつエルサレムのように占領当局の厳しい管理が及んでいなかった点で,ナーブルスに資料が残された可能性が高いと言えるだろう。エルサレムにおいてもシャリーア法廷などに資料が多数保管されていたが,インティファーダのなかではイスラ

エル当局による文書持ち出しが問題化している(1991年 11月 19日)。そうした取り締まりの手から若干離れていた点は,資料の保管に有利に働いたに違いない。また,エルサレムに次いで市の行政が早期に確立され,地元の手工業を基盤として比較的豊富な財源が確保されていたことも資料の保存に役立ったと考えられる。旧市街を西に外れた場所に設置された市立図書館は,3階部分に資料室を構え,パレスチナ人囚人による手記や 1948年の難民発生時の手書き資料,占領下で発行されていたアラビア語新聞,オスマン帝国期の書籍資料(これは複写だという)など多数を保管,公開している。コンピュータ設備など,施設面では最近改装が進むアル=ビーレ市立図書館に及ばないが,1960年設立のナーブルス市立図書館は文書資料の収蔵において他の市立図書館を圧倒している。特に政治文書 に関しては精力的に収集していることが覗われ,本稿で注目するインティファーダのリーフレットに加え,その後の 2000年代に発行された政治声明も多数保管されている。1930年代のアラビア語新聞など一部のものは,ビールゼイト大学が公開するウェブ・アーカイブから参照が可能である。

2. ナーブルス市立図書館資料の概観:発行の傾向ナーブルス市立図書館保管のリーフレットを,保管状態によって示したものが表 2である。リーフレットは党派ごとにファイルに納められ,さらにビニール製の小袋で発行年度や連番の有無などによって細かく分類されていた。一見して明らかなように,保管数においては圧倒的にファタハのものが多く,その次に統一指導部,ハマースが続く(混入したリーフレットや共同リーフレットを整理すると,統一指導部よりもハマースのものが若干多くなる,後述)。これは前節で整理した他のいずれの資料にも見られない特徴である。また,この三組織以外に関しては,PFLP,

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DFLP,共産党,イスラーム聖戦といった少数ながら比較的保管数の多いグループ(10以上 100未満)と,その他の保管数が圧倒的に少ないグループ(10未満)に大別することができる。ナーブルスという一都市に保管されていた資料のみでの断言は避けねばならないが,被占領地内部での組織活動に経験があったハマース,ファタハ,PFLP,DFLP,共産党,イスラーム聖戦と,あくまで外部

を活動の拠点としたアラブ解放戦線22),解放党23),ファタハ・インティファーダ24),バアス党25)との違いと考えることができよう。こうした保管されるリーフレットの傾向は,Mishal and Aharoni[1994]や Ṣāliḥ[1990]が指摘する発行主体から大きく逸脱するものではない。一点のみ,ファタハのリーフレット数の多さは特筆に値するが,ナーブルスにおいてハマースとの勢力が拮抗していたこと

22) アラブ解放戦線(Jabha al-Taḥrīr al-‘Arabī)。イラク・バアス党の影響下にあった組織であり,1969年の設立とともに PLOに参加した。

23) 解放党(Ḥizb al-Taḥrīr)。1950年代にエルサレムで結成されたイスラーム主義組織であるが,イスラエルによる占領後に被占領地で活発に活動した形跡は見当たらない。

24) ファタハ・インティファーダ(Fataḥ al-Intifāḍa,自称:パレスチナ解放運動・ファタハ)。レバノン侵攻(1982年)における軍事作戦の失敗の責任を問うサイード・ムラーガ(Sa‘īd al-Murāgha,通称:アブー・ムーサー,Abū Mūsā)大佐が 1983年にファタハから離反して設立した。レバノンを拠点として,ファタハに対抗した。

25) バアス党(Ḥizb al-Ba‘th al-‘Arabī al-Ishtirākī)はアラブ民族主義を掲げ,イラクのサッダーム・フサイン政権やシリアのハーフィズ・アサド政権の基盤を成す。パレスチナにおいてもバアス党活動家として知られる人物が少なくないが,組織として統一的な活動をしていたとは言いがたい。

表 2 ナーブルス市立図書館「リーフレット」資料コレクション(保管状態)

保管組織名(保管ボックス) 計 注記

ファタハ 309

ビニール製の分類ファイルは,「ナーブルス発行」,「連番なし」など細かく 18に分かれるファタハ・インティファーダの声明が 5本,PLOの声明が 3本,統一指導部の声明が 1本,民衆委員会の声明が 1本,「ナーブルス市民民族主義勢力」の声明が 1本,「民衆法廷」の声明が 1本混入

統一指導部 214連番有りと無しで分類ファイルが分かれる。ファタハの声明が 3本,ファタハ・インティファーダの声明が 1本,少なくとも 3本のイスラエル当局による偽装リーフレットが混入(詳細は本稿第三節第二項を参照)

ハマース 212

ナーブルスと印字されたものに加え,トゥールカリム発行と印字されたものが複数含まれるエルサレムのイスラーム指導部(al-Ittijāh al-Islāmī fī al-Arḍ al-Ribāt)署名の声明が 3本(うち 2本は同内容),ナーブルス・イスラーム運動の声明が 1本混入

PFLP 41 民衆委員会発行の声明が 1点混入

DFLP 36 発行地に「エルサレム」表記が多数民主連合(FIDA)の声明が 1本混入共産党 18 共産党革命派とファタハ・インティファーダによる合同声明が 1点混入イスラーム聖戦 14解放党 8アラブ解放戦線 7バアス党 2

総計 861

(出所)収集資料から筆者作成(注)(1)「共産党」には改称後の「人民党」のリーフレットも含む

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131鈴木啓之:大衆蜂起の言説

を踏まえれば納得できよう26)。実際に,発行地がナーブルスと記載されたものは 130本だ が,収集のファイルでは 200本を超える数のリーフレットが「ナーブルス発行」として分類されており,地元発行の本数がファタハ全体の数を押し上げているのは明らかである。こうしたリーフレット資料は,「発行組織名」に加え,「日付」,「号数」,「タイトル」の 4点によっておおよそ正確に特定が可能である。本稿では,ナーブルス保管のものに関して末尾に目録を作成したが,他の出典によるリーフレットを参照する場合にも参考に なろう。ただし,同じ内容を打ち直した別版リーフレットが存在する点は,このリストでは十分に明示することができなかった。たとえばナーブルス収蔵のリーフレットを例に挙げれば,UNL(N.D.)_118~127は,それぞれに同番号のリーフレットの内容を,改めてタイプライターで打ち直したものである。また,ファタハにも F(94-99)_17と F(94-99)_18を典型として,字体の異なる同 内容のものが見られる。こうした打ち直しが作られた背景は定かではないが,コピーの繰り返しによる不鮮明化からの必要性,また音声情報によって内容が伝達された可能性が示唆される。保管されている声明のなかには発行日が印字されていないものが二割ほど(176本)含まれるが,収集時に手書きで併記された日付や「インティファーダ開始から何週間」といった内容により日付不明のものは一割以下(67本)に抑えることが可能である27)。また,収集時の混乱から別組織のファイルに収められたリーフレットも複数存在するため,分析の前には丹念な整理が必要となる。これらを

踏まえて,収集されたコレクションを発行年度ごとに改めて整理したものが表 3である。ここで目を引くのは,統一指導部が蜂起の初年度である 1988年を頂点として徐々に保管数を減らしていったのに対し,ハマースのリーフレットは徐々に保管数が増えていることである。統一指導部に関しては,連番が振られたものがほぼ欠番なしで揃っている。興味深いのは,WAFA資料やビールゼイト大学資料でも欠番となっている第 84号,第 96号,第98~100号が同じく欠番となっており,これらに相当するリーフレットが発行されていない可能性が示唆される点である28)。統一指導部のリーフレットは,時に同番号ながら別内容のものも見られ,その逆に番号を飛ばしてしまう事態も起こりえたと考えられる。また, Anonymous[1988]が指摘したように,ヘブライ語によるイスラエル軍兵士に向けたリーフレットも 1点確認され[UNL_(N.D., N.N.)_3],地元発行のリーフレットを中心として他の資料では原典確認が難しかったものを多数参照することができる。一方でハマースに関しては,ナーブルスの保管数は初年度の収集本数が明らかに少ない。Legrain[1991]やMishal and Aharoni[1994]によれば,ハマースは 1988年におよそ 30本から 35本のリーフレットを発行しているが,ナーブルスでの保管数は 16本に留まる。初年度のハマースの声明に関しては何らかの理由(ナーブルスで配布されなかった,または収集対象とされなかった)で収集されなかった可能性が指摘できよう。しかし,それを考慮したとしても,1990年から 1992年にかけての保管数の多さ(42~51

26) たとえば,ナーブルスに位置するナジャーフ大学における学生選挙で,ハマース系のイスラーム・ブロックとファタハ系の学生組織シャビーバは,隔年で多数派としての立場が入れ替わる激しい選挙戦を展開している。

27) 年号のみであれば,さらに 2本が特定可能であり[UNL(N.N.)_48, F(N.N.)_168],発行年度の不明なものは 65本となる。

28) 一方で,WAFAで欠番ながらナーブルスの資料で確認できたものは,第 37号,第 51号,第 53号,第 56号,第 93号であり,ビールゼイト大学資料のみで確認できるものは第 75号である。

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132 アジア・アフリカ言語文化研究 89

本)は特筆に値する。1988年 8月よりハマースは声明に連番を振るため,1988年以降に関しては欠番の少なさが,収集率の高さを示している。この二組織に,同じく保管数の多いファタ

ハを加えて図示したものがグラフ 1である。残念ながらファタハの声明は連番がなく,また比較できる資料がないために,実際の発行数を推定することは難しい。しかし,グラフ1を参照すれば明らかな通り,統一指導部と

表 3 各党派別の保管数(ナーブルス市立図書館)

組織 1987(12月) 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 その他 総計

ファタハ 0 6  19(6) 71(29) 51(28) 45(19) 37(15) 72(33) 301(130)ハマース 1 16(2) 16(3) 42(6) 48(15) 51(6) 8(3) 35(3) 217(38)統一指導部 0 46(14) 43(17) 45(18) 21(5) 16   7  28(14) 206(68)PFLP 0 2  4  7  8  7  3  11   42  DFLP 0 0  3  13   12   4  0  6(1) 38(1)共産党 0 3(1) 3(1) 3(1) 2  6(2) 0  1  18(5)イスラーム聖戦 0 1  0  1  6  1(1) 2  3  14(1)解放党 0 0  0  0  0  0  0  8  8 アラブ解放戦線 0 0  2  1  3  1  0  0  7 ファタハ・ インティファーダ 0 0  0  3  2  1  0  0  6 

PLO 0 0  0  0  0  2  1  0  3 バアス党 0 0  0  0  1  0  0  1  2 その他 (民衆委員会,アンサール・サウラ,民主連合など)

0 4  1  1  0  0  0  6  12  

計 1 78(17) 91(27)187(54)154(48)134(28) 58(18)171(51) 874  

(出所)収集資料から筆者作成(注)(1)括弧内は左数字中でナーブルス発行と印字されたものを示す     [例:16(1)全 16本,うち 1本がナーブルス発行と印字]   (2) 「その他」には日付不明のものと 1987年 12月以前および 1993年以後に発行されたものが含ま

れる   (3)複数党派による共同発行は重複して表記した F(N.N.)_35:ファタハ,DFLP,共産党 F(Nab)_135:ファタハ,ハマース F(Nab)_137:ファタハ,ハマース なし(F(Nab)_137に添付):F(Nab)_135と同内容 F(Nab)_152:ファタハ,ハマース(ハマースの単独発行,第四節を参照)

H(N.D.)_3:ハマース,PFLP,DFLP H(N.D.)_4:ハマース,PFLP H(N.N.)_48:ハマース,ファタハ(内容は F(Nab)_137と同様)

H(N.N.)_77:ハマース,ファタハ PCP_12:共産党革命派,ファタハ・インティファーダ   (4)以下の 4例の重複はそれぞれ 1本として記載した UNL(Nab_N.D.)_9とUNL(Nab_N.N.)_25 IL_1とH(N.N.)_1 H_21に添付とH(N.N.)_24 PF_11と PF(N.D.)_7   (5) 共産党には改名後の人民党のものも含め,ブラック・パンサー(ファタハ系)やイッズッディー

ン・カッサーム大隊(ハマース武装部門)など党派系組織と判明しているものは母体党派に含めた。

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133鈴木啓之:大衆蜂起の言説

ハマースで保管数が入れ替わる時期にファタハのリーフレットも多く保管されており,このことから三党派の発行数が 1990年を一つの転換点としたと仮説的に示すことが出来よう。1990年は湾岸危機の発生によって PLOとハマースのパワーバランスが変化した年であり29),またアル=アクサーモスク虐殺事件(1990年 10月 8日)30)など注目すべき事件が発生した年である。このため,この年を一つの転換点と考えることは決して難しくない。また統一指導部のリーフレット(第 44号,1989年 8月 15日付)に「ファタハ会合への挨拶」といったタイトルがすでに 1989年時点で見られることから,徐々に統一指導部を形成する四党派の関係性が,ファタハが優位なものに変化していたことも覗われる。特に,統一指導部のリーフレット発行が月に 1~2本に安定した 1991年以降に,ファ

タハの保管数が比較的高いまま維持される点は興味深い(1991~1993年)。この時期に発行数を維持または微増させるのはハマースであり,この点でMishal and Aharoni[1994]など先行研究で指摘される統一指導部とハマースの「文書戦争(paper war)」は,ナーブルスでは 1990年代にハマースとファタハのものへと入れ替わったと指摘することができよう。なお,ナーブルスに保管されているリーフレットの中には,筆者が確認した限りで 3点の攪乱リーフレットが統一指導部のものに確 認できた[UNL_9, UNL_20, UNL_30]。い ずれも,Ṣāliḥ[1991]および Legrain[1991]で同じ連番,字体のコピーが確認でき,先行研究でイスラエル当局による偽装と判断されているものである。他の党派への批判や議論を呼びかねない内容を一部に含むことを除け

29) PLOとハマースのパワーバランスは,湾岸危機において PLOがイラク支持を表明したことによって大きく変化した。湾岸産油国からの PLOへの資金援助が止まったばかりか,クウェートからパレスチナ人出稼ぎ労働者が大量に追放されたため,彼らによる送金も途絶えた。一方でサウジアラビアなどは対抗的にハマースに資金を投入したため,被占領地内部でのパワーバランスはハマースが優位なものに変化していった。

30) 1990年 10月 8日にユダヤ人の超正統派の一派が「ユダヤ神殿」の礎石を置く挑発行為を行い,パレスチナ人による抗議活動のなか 20名近いパレスチナ人が犠牲となった。

グラフ 1 統一指導部,ハマース,ファタハによる発行数(ナーブルス市立図書館保管)     (出所)収集資料から筆者作成     (注)(1)左目盛りが党派別,右目盛りが他党派も含めた保管総数        (2)合計はナーブルス保管のすべてのリーフレット数を示す

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134 アジア・アフリカ言語文化研究 89

ば,使用する冒頭文や連番と日付の関係,その他の形式など,一目で見分けるのは大変に難しい。偽装された攪乱リーフレットの存在は,リーフレット研究が取り組まざるを得ない難題である。ただし,多くの偽装リーフレットは,その後の真正リーフレットにおいて,日付やタイトルなどを指定して注意喚起が呼びかけられていることから,リーフレット内容の分析を進めることで大部分は特定が可能である。

Ⅳ. リーフレットの例示

リーフレット資料を参照することで,インティファーダの展開をいかに描き出すことができるだろうか。本節では具体的にリーフレットの内容を参照することで,これから読み取ることができる当時の情勢を一部紹介したい。以下では,特に本稿第二節で類型化した第二,第三のグループに属するリーフレットの内容に着目し,ナーブルス保管の資料から読み取れる蜂起のなかでの言説を例示する。なお,出典の詳細については本稿末尾のリストを参照願いたい。

1. ナーブルス近隣村での事件と組織間対立の回避ナーブルスで独自に発行されたリーフレットのなかには,党派間対立が危機的な状況に陥りながら回避される様子が記されている。事の発端は,1991年 9月にナーブルス近郊の村タルフィートで発生したハマース・メンバーの車両に対する銃撃事件である。村の入り口で,9月 21日にハマース・メンバーの車列が止められ,一人が射殺され四人が負傷する事件が起きた。ハマースは事件の直後からナーブルス発行の複数のリーフレットで,車を止めたのがファタハの活動家であると声高に非難しており,ファタハ側から何の弁明もないことに不信感を募らせている[H_34, H_35, H_36, H_48]。一方でファタハ側の

声明は 10月 4日に初めて確認され,ハマースの声明が虚偽を申し立てていると非難した[F(88-93)_4]。この時点で,両党派はお互いに譲歩の姿勢を見せず,深刻な党派対立へと発展する可能性があった。しかし,ハマースが 10月 11日付けの声明で,殺害を実行したのは「ファタハを装ったイスラエルの諜報員」と明かしたことで,事態は新たな方向へと向かう[H_37]。10月 16日には,ファタハとハマースによる共同声明として,「ファタハとハマースの闘争の統一」と「事件の真相究明のための委員会設立」が宣言された[F(Nab)_152]。これによって事態は打開されたかに見えたが,今度はファタハの側が,10月 21日付けで「共同声明を発表することは合意していたが,ハマースが事前の協議なくファタハの署名を入れたリーフレットを発行した」としてハマースを強く非難した[F(N.N.)_121]。ここに,被占領地という閉じられた空間における党派間関係の複雑さと難しさを見てとることができよう。最終的に両党派の対立は,11月 16日付けで改めて合同声明が出されることで,とりあえず収束に向かったようである[H(N.N.)_58, F(N.N.)_127]。この時期は,PLOがマドリード和平会議に参加する時期と重なり,政治的な見解の違いが表出していた。そのようななかで起きたナーブルスでの事件は,両党派の暴力を用いた衝突へと発展しかねない危険なものであったと言えるだろう。ここでは,事件の幕引きとなったファタハとハマースによる 11月 16日付けリーフレットを訳出する(翻訳はファタハのものを用いた)。

日本語訳(原文は資料 1)慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名においてこれ汝ら,信徒の者よ,毅然として正義を順守し,アッラーの前に証言せよ。たとえ〔その証言が〕自分自身や両親,或は近親の者に不利であろうとも。31)

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全能なるアッラーは真実を話される

パレスチナ解放運動・ファタハ,およびイスラーム抵抗運動・ハマースによる声明

アッラーと民族,歴史に対する自らの責任に鑑み,忍耐強い民衆の良心に応え,ファタハとハマース両組織の間で 1990年 9月 21日に署名された文書32)の精神に則り,身体的にも権利の上でも冒涜と破壊の機会をうかがう民族の敵に隙を与えぬため,我々は両組織の構成員間での最近の摩擦に関して共に検討を行い,差異の溝よりも対話の場が重要であることを深く,また客観的に見出した。したがって,我々は,我々が生きる現実と過ごす非常に深刻な状況に対する行動のあり方を規定するために,以下の指針を宣言する。(1)政治的見解の相違は,権利を獲得し,強

奪した者たちからそれ〔=権利〕取り返そうとするすべての闘争的な民族運動に不可避の現象であり,したがって,ある党派が他の党派にその政治的思索や見解の表明を禁じる権利などない。むしろ,我々が現状に直面する中で多くの見解が存在することは,巨大な危機を目の前に した民衆の全体的立場にとって力となる。

(2)いかなる党派も,解決策となる選択肢に関して自らの立場を表明する自由があるとの取り決め,また,この表明は差異とともに理性的な性格を持つべきであるとの取り決めから,我々はこの原則に反するすべての事柄,特に以下を拒否する。

A. 民衆や,意見を異にする集団に対する暴力の行使や攻撃。意見は強制されるものではなく提示されるべきものであり,民衆はそれに〔支持のために〕集い,または〔拒否のために〕それを払いのける。

B. 他の立場に対して,個人への冒涜や中傷,

人を雇っての攻撃や非難など,金銭的手段に訴えること。これには,壁に書き付けること,拡声器や檀上,連帯または抗議デモや集会において発言することも含まれる。

C. 民族的な党派の行動が闘争や破壊にさらされること。意見表明の権利は,言説,デモ,集会,ストライキにおいてすべての者に認められており,これらすべては見解を表明するための演壇であって,必ずしも民衆に見解を押し付けるものではない。他の〔党派の〕発言を抑圧することも,管理することも〔あらゆる〕党派には認められない。

(3)大学や学校,学習教室など,学生や若者が集う場所は,意見表明の場であって,非難の場ではない。これらは非常に重要な場であり,教育活動に悪影響を及ぼす摩擦や意見の相違が現れることをすべて避けることがふさわしい。我々は各所にフォローアップ委員会を設立し,意見表明に伴うすべての悪しき現象を停止させることを呼びかける。

(4)イスラエルの情報機関は,対立と摩擦のすべてに喜び沸き立っている。したがって,我々は民衆にたいして,我々を無限の闘争に落とし込む目的を持ったこれらの情報筋から情報を得ないように呼びかける。情報の差異や取るに足らない出来事の氾濫が我々の強固さを覆い隠している。諜報情報に十分に注意せよ。

(5)占領を否定する手段と生活のあり方としてインティファーダを選んだことは,我々全員の選択である。すべての党派がインティファーダを支持し,これに手段と参考となる指針を求める権利がある。誰もが占領を望んでおらず,手段は変化するのである。

31) クルアーン女章第 135節。翻訳は井筒[1957]に依拠した。32) ファタハとハマースの間で合意文章が 1990年 9月 21日に署名されている。日付が 9月 19日と若

干異なるが,Ḥaraka al-Muqāwama al-Islāmīya[1990]には,この共同文書が収録されている。

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136 アジア・アフリカ言語文化研究 89

(6)我々は〔事態の〕フォローアップを認め, 起こっているすべての事態と意見の対立を解決するうえでお互いに近しくある。 占領を拒絶する塹壕に我々は〔共に〕入っ ており,我々はすべてのメンバーと幹部に対して,この指針を順守し,対話と真実の判定がなされることを呼びかける。

英雄的なわが民衆よ。諸君が皆,占領の抑圧を克服し,自由と独立の光にたどり着く我々の助けとなるために,我々は諸君に対してこの指針を示す。

諸君のうえに平穏とアッラーの慈悲と恵みがあらんことを

パレスチナ解放運動・ファタハイスラーム抵抗運動・ハマース33)

1991年 11月 16日

上記のリーフレットの内容から読み取れることは,両党派がイスラエル当局の脅威に対して統一を保つことの必要性を合理的に認識し,政治的見解の相違を認めることでお互いにイデオロギーや行動原則の根幹を問うことなく協調関係を維持しようと試みていることである。特に対立の場として大学などの教育機関に言及していることから,若者らによる衝突を危惧していたことが覗われ,また実際に衝突や誹謗中傷が行われていた可能性が示唆される興味深い内容となっている。

2. 統一指導部とハマース先行研究で主にライバル関係に焦点があてられる統一指導部とハマースであるが,ナーブルス保管のリーフレットからは,ハマースによる統一指導部と PLOへの敬意,そして統一指導部からのハマースに対する気遣いも

随所で読み取ることができる。もちろん,ハマースは 1988年 8月に発表したその憲章において,「パレスチナ解放機構は,もっともイスラーム抵抗運動に近しいものである。これのなかには父,もしくは兄弟,親類,友人がいる」(ハマース憲章第 27条)と述べているため,元来対立関係のみではなかった点は留意すべきであろう34)。これはファタハとのライバル関係とは別に,PLOという枠組みそのものが持つ正統性との関係から考察すべき事柄である。1990年 10月 11日付けの第65号リーフレットでハマースは,統一指導部が第 63号リーフレットで呼びかける行動 への支持を表明しているが,その統一指導部が第 63号を発するのはおよそ二週間後の 10月 28日のことである[H_30, UNL_76]。また同じく 10月 31日付けの第 66号リーフレットでハマースは,まだ未発行であった統一指導部の第 64号リーフレット(11月 20日に発行)が呼びかける行動への支持を表明している[H_31, UNL_77]。ハマースがPLOの枠組みそのものを敵視していなかったことは,PLOがマドリード和平会議への参加を決定するために招集した第 20回パレスチナ民族評議会(PNC,1991年 9月 23~28日にアルジェリアで開催)の初日に発せられた臨時発行版リーフレットを参照すれば明らかであろう[H(N.N.)_56]。このなかでハマースは,PLO指導部の方針をただすために,「パレスチナ民族評議会に参加する準備を始めた」とすら発言している。一方で統一指導部の側もハマースの存在は常に意識しており,1990年 10月 1日付けの第 62号声明ではハマースとファタハの間での合意文書署名(1990年 9月 21日)を歓迎している。また,初年度のリーフレットの分析から,ハマースが先に呼びかけたストライキの日程を統一指導部が尊重し,異なる行動

33) ハマースのもの[H(N.N.)_58]では,署名でハマースが先となっている。また,地名としてナーブルスと表記される。

34) ハマース憲章の日本語訳に関しては,清水[2011],または鈴木[2011]を参照。

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137鈴木啓之:大衆蜂起の言説

を同日に呼びかけないようにしていたとの指 摘もある[al-Ḥūt and al-Ḥūt 1990: 1002]35)。 さらに,推測の域を出るものではないが,1991 年 10月頃からの数か月間にのみ確認される「カーワマ」(Qāwama,「抵抗する」の意)と の略称は,「ハマース」(Ḥamās,「情熱」の意)

という語呂の良いライバル組織の略称を意識した可能性もあろう。この一時期を除き,統一指導部の略称は「Q. W. M」(アラビア語で「統一民族指導部」の頭文字)に統一されている。そんな統一指導部とハマースが共同で発表したリーフレットが 1992年 12月 20日付けの「追放者たち」と題された臨時発行版リーフレットである[UNL(N.N.)_71, H(N.N.)_105]。1992年 12月 18日 に, イスラエル当局は数日前から大量に逮捕していたハマースなどイスラーム組織メンバー 415人をレバノン南部へと強制追放した。この大量追放を受けて発表されたものが,以下の緊急リーフレットである。

日本語訳(原文は資料 2)慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において「いやいや,我らが真理を掴んで虚偽にはっしと投げつければ,向うはたちまち頭を割ら

れて,たちまちにして滅び去る」36)

インティファーダの声より高き声なし追放者たちの呼びかけ

わが民衆全体の権利に対する直近の出来事とイスラエルの不正な行為,特にイスラーム抵抗運動(ハマース)に対する現在の攻撃,そして被占領地ガザ地区の住民に対する孤立封鎖と数千人の逮捕,闘争的な我がパレスチナ民衆の息子たち数百人の追放,イスラエル軍が市民に向けて乱射して 6人が死亡し,数

十人が負傷したハーン・ユーニスの民衆に対するおぞましい虐殺行為。我々はラビンとそのファシスト政権,骨を砕く政策の立案者にして,わが民衆の子供たちの殺害者,集団追放政策の統括者に,〔これらの事態の〕全責任があると考え,国際法廷で戦争犯罪として裁かれることを望む。

備えある民衆よ統一指導部〔Q.W.M〕とハマースのあいだで,歩みを統一し,追放された同胞の帰還と占領への力強い抵抗を筆頭としたジハードをあらゆる形で強化する調整がなされた。これに基づいて,我々はパレスチナの大衆に,そのすべての派閥と党派で以下の行動を求める。 1. 統一指導部とハマースが過去に呼びかけたゼネストの中止と,ストの日程の全面闘争の日への転換

2. 国際赤十字の事務所,特に我々の国の首都であるエルサレムにある中央事務所での公開ストの宣言

3. 追放者と逮捕者に連帯する行進とデモを,占領された故郷全土で実施

4. 我々は「攻撃部隊」(al-Qūwāt al-D. āriba) と「前衛部隊」(al-Sawā‘id al-Rāmiya)に,抑圧的な占領軍兵士の靴の下の大地を燃えがらせるための統一行動に向けた調整を呼びかける。

5. 我々は追放された我々の同胞の受け入れを拒否したレバノン政府の立場を歓迎する。占領軍が我が同胞を武器による威嚇のもとにレバノン領へと追い立てることを防ぐために,人間の堤防を打ち立てることを,レバノン大衆とパレスチナ大衆に呼びかける。

35) インティファーダにおけるストライキは,それ以前から抗議活動が行われていた日程(バルフォア宣言記念日,国連分割決議記念日など)に合わせる場合が多く,実際には多くのストライキが細やかな調整を経ずとも合同で行われていた側面がある。

36) クルアーン預言者章第 18節。ハマース憲章の第 3条に同じ個所の引用がある。翻訳は井筒[1958]に依拠した。

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6. 追放され,逮捕された同胞に行動的に連帯することを民衆に呼びかける。我々は民衆のスムード37)を歓迎し,その忍耐とジハードを祝福しつつ,闘争的な我らが同胞を追放する政策に対して非難と拒絶を示した世界やアラブ,イスラーム,国際〔社会〕の立場を評価する。

「アッラーは偉大なり,アッラーに栄光あれ」「戦う民衆のインティファーダよ永遠なれ」インティファーダ統一民族指導部イスラーム抵抗運動(ハマース)

パレスチナ国家 日曜日ヒジュラ暦 1423年ジュマーダー・アーハル月 26日 西暦 1992年 12月 20日

このリーフレットは,統一指導部のリーフレットの特徴とハマースのリーフレットの特徴が入り交じった興味深いものである。冒頭にクルアーンを引用するリーフレットはハマースのものに多く,一方で「インティファーダの声より高き声なし」という標語は統一指導部が主に使用するものである。末尾の日程に関しても,ハマースが発行に関与したことでヒジュラ暦が併記されており,共同声明であることがよく現れている。一方で,「PLO」に関して一切言及がない点は,統一指導部の発行するリーフレットとしては異例であり,ハマースとの共同発行の過程で何らかの事情で掲載が見送られた可能性が指摘できる。統一指導部のリーフレットでは必ずPLOに言及がなされるため,この点はきわめて珍しい。

3. オスロ秘密交渉公開後のファタハ最後に紹介するのはイスラエル政府とPLO の間でオスロ合意が締結された前後に公表されたリーフレットである。グラフ 1(本稿第

三節)で示した通り,1993年のリーフレットに関しては圧倒的にファタハのものが多く収集されている。したがって,この時期のリーフレットの分析ではファタハのものを中心と せざるを得ない。オスロ合意締結の見通しは,このファタハにとってすら驚きであった。それを覗わせるのが,1993年 9月 10日付けで収集されているファタハ軍事部門アースィファの声明である[F(88-93)_6]。ここでは,「合意について性急に判断すべきではない」と冒頭に掲げられることからも,当時の被占領地の中で激しい議論が展開されていたことがわかる。興味深いのは,軍事部門としての自負と,自らの代表であるアラファートが関わる交渉との間をなんとか繋ぎ止めようとする文言がみられることである。「諸民族を支配する最高の権威であるアメリカと,不吉なバルフォア宣言の当事者であるイギリス,わが民衆の殺害に精通したアラブ諸国からこの合意が支持を受けていることは秘密のことではない」との文言には,容易に支持を表明しえない武装部門としての自負が感じられる。一方で,合意が 9月 13日に実際に署名された後に収集されたリーフレットでは,支持の姿勢が鮮明に打ち出されていく。以下に訳出するのは,非常に短いながらナーブルスという地方都市でのファタハの動きを伝えるリーフレットである[F(Nab)_237]。発行日は印字されていないが,1993年 9月末と考えるのが妥当であろう。それまでのリーフレットと比較して,地方色が非常に強まり,また指示も地元に密着した具体的なものに変化している点が注目される。また,この時期になるとコンピュータを用いたプリンター出力と思われる字体の整ったリーフレットが増えるのも興味深い。

37) スムード(ṣumūd)は「忍耐」などの意を示すアラビア語。被占領地のなかで武器を持たずとも居住地に留まり,土地や家屋から離れないことでパレスチナ人の権利を守ろうとする活動を総称する際にたびたび使われた。

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日本語訳(原文は資料 3)慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

フッラ・アームード地区38)のパレスチナ解放運動(ファタハ)は,ガザ・エリコ合意支持の集会に出席することを以下の通り諸君に呼びかける。日付:金曜日,1993年 10月 1日場所:ナーブルス女子学校時間:4時から 6時

諸君の出席はパレスチナの決定への支持であり,パレスチナ解放機構への支持であって,その筆頭には司令官ヤースィル・アラファート同志がいる勝利の日まで革命を

高等委員会の同志よりフッラ・アームード

こちらのリーフレットは,一見して前者 2本とは異なる形式をしている。長さも短く,内容も地元の集会の呼びかけであって,すでにインティファーダのリーフレットの形を成していない。インティファーダは,PLOとイスラエル政府の初めての相互承認合意であるオスロ合意をもって終了したとみなされるが,一次資料のうえでもこれが確認ができる。

Ⅴ. おわりに:リーフレット研究の可能性

インティファーダのなかで発行されたリーフレットは,いわば蜂起のなかに新しく立ち現れた政治空間における公の通信記録である。そのなかには,当時の文脈から読み解くべき言説に加え,現在のパレスチナ情勢を考察するうえで示唆的なものも含まれる。もちろん,リーフレットの内容が必ずしも当時の当該党派の姿勢を示すものではないが(地方

発行リーフレットはその典型であろう),むしろ主張や意見の揺らぎのなかに,躍動する蜂起の姿を見出すことができる。特に,ファタハとハマースの対立と協調の入り交じった複雑な関係性は,現在のパレスチナ問題を理解するうえでも有益である。1990年を境界として,それまでの統一指導部とハマースという対立軸が,ファタハとハマースのものへと置き換わっていく様は,その後の両党派の関係性をすでに示しており,大変に興味深い。本稿で紹介してきたインティファーダのリーフレットは,その資料的制約さえ解決されれば,当時の被占領地における政治活動を解き明かすばかりか,当時の各党派の政治的見解の相違と変化を示す有益な資料である。ナーブルスのものをはじめとして,利用可能な資料が複数存在するなかで,改めて分析する価値はあると言えよう。もちろん,イスラエル当局による攪乱リーフレット混入の問題は,内容の丹念な分析によって克服すべき難題である。しかし,それがこのリーフレット資料の価値を減ずるものではない。最後に,リーフレット資料に依拠した今後の研究発展の可能性に言及して本稿を終えたい。第一に,本稿ですでにその一端を明らかにしたように,リーフレットから読み取れる党派間関係の変化を検討することが考えられよう。特にファタハとハマースの対立軸がどのように変化し,これに他の党派がいかなる見解を述べ,または関与してきたのかを明らかにすることは,現在の情勢を分析するうえでも有益なものとなるだろう。既存の利用可能な資料では,統一指導部とハマースの関係性に注目がなされてきたが,ナーブルスの資料を活用することで,ファタハをはじめとする他の党派も分析の対象に加えることが可能になる。被占領地における党派間関係は,統一指導部に参加したファタハ,PFLP,DFLP,共産党とハマースやイスラーム聖戦といった

38) ナーブルス市内の地区の名称。

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140 アジア・アフリカ言語文化研究 89

諸組織によって形成されており,リーフレットの内容分析はこれら諸組織間関係の変化を明らかにする可能性を持っている。第二に,各党派が近隣諸国の動向を含めた国際情勢にいかなる関心を向けていたのかを明らかにすることで,被占領地の政治活動と国際情勢の関係性を検討することができよう。特にインティファーダの展開された時期は,湾岸戦争,マドリード和平会議,そしてオスロ合意の署名など,パレスチナ問題が大きく変動した時代である。この時期の各党派の政治姿勢を知るうえで,リーフレットはこれ以上ない貴重な資料となる。例えば,1991年 10月に開催されたマドリード和平会議に関して,ハマースは「和平会議」(mu’tamar al-salām)をアラビア語の語根そのままに「降伏会議」(mu’tamar al-istislām)と言い換えるなど,反対姿勢を伝わりやすく表現している。こうした表現のありかたそのものも,蜂起のなかでの言説として大変に興味深い。第三に,本稿ではその存在を指摘するに留まったが,イスラエル当局が発行した攪乱リーフレットの内容から,占領者との関係性を考察することもできよう。本稿で指摘した通り,攪乱リーフレットに関してはアラビア語による研究が一点あるが,真正のリーフレットとの相互関係に関しては十分に踏み込んで議論がなされているとは言いがたい。真正のリーフレットにはたびたび攪乱リーフレットへの注意が書かれるが,攪乱リーフレットがいかなる目的をもって発行されたのかを分析することは,当時の情勢の展開をイスラエル当局がどのように捉えていたのかを明らかにする一助となろう。以上に見てきたとおり,資料の制約さえ克服されれば,リーフレットの内容を通したインティファーダの分析,さらには党派間関係から国際情勢との関係性まで,研究発展の余地は多く残されている。すでに 20年以上が経過したが,インティファーダが展開した時期はパレスチナ問題が最も大きく変化した時

代であり,今後も引き続き検討していくに値する。

文     献

◉日本語文献◉井筒俊彦訳 1957 『コーラン(上)』(井筒俊彦訳)

岩波文庫(青)813-1,岩波書店。―訳 1958 『コーラン(中)』(井筒俊彦訳)

岩波文庫(青)813-2,岩波書店。清水雅子 2011 「ハマース結成の理念―『イスラーム抵抗運動「ハマース」憲章』―」『イスラーム世界研究』4(1-2): 441-475.

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Kitāb “Filasṭīn al-Thawra” No. 9. Nicosia: Mu’assasa Bīsān li-l-Ṣiḥāfa wa al-Nashr.

◉雑誌◉Filasṭīn al-Thawra (Nicosia).

◉ウェブ資料◉Birzeit University “Birzeit University Palestine

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WAFA (Wikāla al-Anbā’ wa al-Ma‘lūmāt al-Filasṭīnīya) “Bayānāt al-Intifāḍa”<http://www.wafainfo.ps/atemplate.aspx?id=3973>(参照:2014年 3月 13日)

◉研究機関・資料館収蔵資料◉International Institute of Social History (IISH,

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142 アジア・アフリカ言語文化研究 89

tion ID: ARCH01770. (注)統一(united)は「muwaḥḥada」と受動態で発音するが,目録ではmuwahhidaと能動態での登録となっている

ナーブルス市立図書館 .「インティファーダ・リーフレット」(Bayānāt al-Intifāḍa).

(注)収集は組織別のボックスに収められ(本論表 2参照),その中で発行地別,発行年度別に小袋で分類され,それぞれに連番が振られていた。統一指導部とハマースを除き目録は作成されていない(2013年 9月時点)。

原稿受理日―2015年 1月 7日

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143鈴木啓之:大衆蜂起の言説

資料 1 ファタハよりハマースとの和解に関して・1991年 11月 16日

(出所)F(N.N.)_127

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144 アジア・アフリカ言語文化研究 89

資料 2 統一指導部とハマースの共同作成リーフレット・1992年 12月 20日

(出所)H(N.N.)_105

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145鈴木啓之:大衆蜂起の言説

資料 3 ナーブルスのファタハによるオスロ合意支持集会の呼びかけ・1993年 9月末

(出所)F(Nab)_237

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146 アジア・アフリカ言語文化研究 89

資料 4 ナーブルス市立図書館保管リーフレット

保管番号は収集ファイルの分類に則り,以下の法則によって表記する。大分類:収録ファイル(F:ファタハ,UNL:統一指導部,H:ハマース,PF:パレスチナ解放人民戦線,DF:パレスチナ解放民主戦線,PCP:パレスチナ共産党,PPP:パレスチナ人民党,PIJ:イスラーム聖戦,LP:解放党,ALF:アラブ解放戦線,B:バアス党)

下位分類(大分類の後に括弧で併記):収蔵分類(Nab:ナーブルス発行,N.N.:発行連番なし,N.D.:発行日無し,N.D.,N.N.:発行連番・発行日なし,Sha:ファタハ若手組織シャビーバ発行,その他年号など保管ビニールファイルに記載のものを使用)

収蔵番号:資料室での収蔵連番(各資料左上に円形のシールで記載)

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号1 F(88–93)_1 ファタハ 1988/8/11 2

2 F(88–93)_2 ファタハ・インティファーダ 1990/10 14

3 F(88–93)_3 ファタハ・インティファーダ 1991/3 17

4 F(88–93)_4 ファタハ 1991/10/4 45 F(88–93)_5 ファタハ 1992/3 1

6 F(88–93)_6 ファタハ 1993/9/10 4

7 F(Nab_No)_7 ファタハ 1990/04 1

8 F(Nab_No)_8 ファタハ 1992/6/22 2

9 F(Nab_No)_9 ファタハ 1993/5/20 1

10 F(N.N.)_2 ファタハ 1988/2/211 F(N.N.)_3 不明 1988/1112 F(N.N.)_4 ファタハ 1988/12/2713 F(N.N.)_5 ファタハ 1988/1214 F(Nab)_6 ファタハ 1988/6/1215 F(Nab)_7 ファタハ 1988/0816 F(N.N.)_8 ファタハ 1989/6/2917 F(N.N.)_9 ファタハ 1989/7/6 トゥールカリム

18 F(N.N.)_10 ファタハ 1989/8/2 トゥールカリム難民キャンプ

19 F(N.N.)_12 ファタハ 1989/8/11

20 F(N.N.)_13 攻撃部隊 1990/03

21 F(Nab)_15 ファタハ 1989/2/5 ナーブルス

22 F(Nab)_16 ファタハ 1989/2/12 ナーブルス

23 F(Nab)_17 民衆委員会 1989/2/13 ナーブルス24 F(Nab)_18 ファタハ 1989/3/16 ナーブルス

25 F(Nab)_19 ナーブルス市民族主義勢力 なし ナーブルス

26 F(Nab)_20 ファタハ 1989/5/1 ナーブルス27 F(Nab)_21 ファタハ 1989/7/1028 F(Nab)_23 ファタハ 1989/8/2929 F(Nab)_24 ファタハ 1989/9/2830 F(Nab)_25 ファタハ 1989/10/531 F(Nab)_26 ファタハ 1989/1032 F(Nab)_27 ファタハ 1989/1133 F(Nab)_28 ファタハ 1989/1134 F(Nab)_29 ファタハ 1989/11

35 F(Nab)_30 ブラック・パンサー 1989/12

36 F(Nab)_32 ファタハ 1989/12 ナーブルス37 F(N.N.)_33 ファタハ 1990/1/1

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147鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号38 F(N.N.)_34 ファタハ 1990/03

39 F(N.N.)_35ファタハDFLP共産党

1990/3/22

40 F(N.N.)_36 ファタハ 1990/0441 F(N.N.)_37 ファタハ 1990/04

42 F(N.N.)_37 (前者と同番号)

ファタハ・インティファーダ 1990/5/9

43 F(N.N.)_38 ファタハ 1990/06

44 F(N.N.)_39 ファタハ 1990/07

45 F(N.N.)_40 ファタハ 1990/7/27

46 F(N.N.)_41 ファタハ・インティファーダ 1990/7

47 F(N.N.)_43 ファタハ 1990/9/1048 F(Nab)_44 ファタハ 1990/949 F(N.N.)_46 ファタハ 1990/950 F(N.N.)_47 ファタハ 1990/1051 F(N.N.)_48 ファタハ 1990/1052 F(N.N.)_49 民衆法廷 1990/10/2753 F(N.N.)_50 ファタハ 1990/1154 F(N.N.)_51 ファタハ 1990/11/1055 F(N.N.)_52 ファタハ 1990/12/956 F(Nab)_53 ファタハ 1990/1/1 ナーブルス57 F(Nab)_54 ファタハ 1990/1/12 ナーブルス58 F(Nab)_55 ファタハ 1990/1/12 ナーブルス59 F(Nab)_56 ファタハ 1990/1/12 ナーブルス60 F(Nab)_57 統一指導部 1990/01 ナーブルス61 F(Nab)_58 ファタハ 1990/0162 F(Nab)_59 ファタハ 1990/0263 F(Nab)_60 ファタハ 1990/0264 F(Nab)_61 ファタハ 1990/2/2065 F(Nab)_62 ファタハ 1990/0266 F(Nab)_63 ファタハ 1990/3/2

67 F(Nab)_63 (前者と同番号) ファタハ 1990/3/2

68 F(Nab)_64 ファタハ 1990/03 ナーブルス

69 F(Nab)_64 (前者と同番号)

ブラック・パンサー 1990/3/14

70 F(Nab)_65 ファタハ 1990/3/1571 F(Nab)_66 ファタハ 1990/3/2072 F(Nab)_68 ファタハ 1990/04 ナーブルス73 F(Nab)_69 ファタハ 1990/4/1274 F(Nab)_70 ファタハ 1990/4/16 ナーブルス

75 F(Nab)_71 ブラック・パンサー 1990/4/26

76 F(Nab)_72 ファタハ 1990/04

77 F(Nab)_73 攻撃部隊・フッワーラ 1990/05 (フッワーラ)

78 F(Nab)_74 ファタハ 1990/05 ナーブルス79 F(Nab)_75 ファタハ 1990/0680 F(Nab)_76 ファタハ 1990/06 ナーブルス81 F(Nab)_77 ファタハ 1990/06 ナーブルス82 F(Nab)_80 ファタハ 1990/07 ナーブルス83 F(Nab)_81 ファタハ 1990/07 ナーブルス84 F(Nab)_83 ファタハ 1990/08 ナーブルス85 F(Nab)_84 ファタハ 1990/8/386 F(Nab)_85 ファタハ 1990/8/7 ナーブルス87 F(Nab)_86 ファタハ 1990/08 ナーブルス88 F(Nab)_87 ファタハ 1990/8/2089 F(Nab)_88 ファタハ 1990/08 ナーブルス

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148 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号90 F(Nab)_89 ファタハ 1990/08 ナーブルス91 F(Nab)_90 ファタハ 1990/9/392 F(Nab)_91 ファタハ 1990/09 ナーブルス93 F(Nab)_92 ファタハ 1990/0994 F(Nab)_93 ファタハ 1990/9/1395 F(Nab)_94 ファタハ 1990/09 ナーブルス96 F(Nab)_95 ファタハ 1990 ナーブルス 297 F(Nab)_96 ファタハ 1990/9/23

98 F(Nab)_97 ファタハ 1990/10 ナーブルス 1

99 F(Nab)_98 ファタハ 1990/10/4100 F(Nab)_99 ファタハ 1990/10 ナーブルス101 F(Nab)_100 ファタハ 1990/10/26 ナーブルス102 F(Nab)_101 ファタハ 1990/11

103 F(Nab)_102 ファタハ 1990/11/15 ナーブルス

104 F(Nab)_103 ファタハ 1990/11 ナーブルス105 F(Nab)_104 ファタハ 1990/11/28 ナーブルス106 F(Nab)_105 ファタハ 1990/12/25 ナーブルス107 F(N.N.)_106 ファタハ 1991/01108 F(N.N.)_107 ファタハ 1991/3109 F(N.N.)_108 ファタハ 1991/4/3

110 F(N.N.)_109 ファタハ 1991/5/1

111 F(N.N.)_110 ファタハ 1991/5/15112 F(N.N.)_111 ファタハ 1991/6/12113 F(N.N.)_112 ファタハ 1991/6/19

114 F(N.N.)_113 ファタハ 1991/7/9 デイル・ブルート

115 F(N.N.)_114 ファタハ 1991/7/14116 F(N.N.)_115 ファタハ 1991/08117 F(N.N.)_117 ファタハ 1991/8/21118 F(N.N.)_119 ファタハ 1991/09119 F(N.N.)_120 ファタハ 1991/9/8120 F(N.N.)_121 ファタハ 1991/10/21121 F(N.N.)_122 ファタハ 1991/11122 F(N.N.)_123 ファタハ 1991/11/7 ジェニーン

123 F(N.N.)_124 ファタハ 1991/11/14

124 F(N.N.)_125 ファタハ 1991/11/15125 F(Nab)_126 ファタハ 1991/11/15 ナーブルス

126 F(N.N.)_127 ファタハ   ハマース 1991/11/16

127 F(N.N.)_128 ファタハ 1991/12/24128 F(Nab)_129 ファタハ 1991/03 ナーブルス129 F(Nab)_130 ファタハ 1991/3/14 ナーブルス130 F(Nab)_131 ファタハ 1991/4/22 ナーブルス

131 F(Nab)_132 ファタハ 1991/04

132 F(Nab)_133 ファタハ 1991/4/30 ナーブルス133 F(Nab)_134 ファタハ 1991/03 ナーブルス

134 F(Nab)_135 ファタハハマース 1991/6/1 ナーブルス

135 F(Nab)_136 ファタハ 1991/6/1 ナーブルス

136 F(Nab)_137 ファタハハマース なし

137なし(前者に付属)ファタハハマース 1991/6/3 ナーブルス

138 F(Nab)_138 ファタハ 1991/06 ナーブルス139 F(Nab)_139 ファタハ 1991/6/12 ナーブルス140 F(Nab)_140 ファタハ 1991/6/13 ナーブルス

141 F(Nab)_141 ジャバル・ナールの殉教者 1991/6/14 ナーブルス

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149鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

142 F(Nab)_142 ジャバル・ナールの殉教者 1991/6/21 ナーブルス

143 F(Nab)_143 革命的治安部隊 1991/07 ナーブルス144 F(Nab)_144 ファタハ 1991/7/16 ナーブルス

145 F(Nab)_145 パレスチナ・コマンド部隊 1991/07

146 F(Nab)_146 ファタハ 1991/7/27 ナーブルス147 F(Nab)_147 ファタハ 1991/7/29 ナーブルス148 F(Nab)_148 ファタハ 1991/8/2 ナーブルス149 F(Nab)_149 ファタハ 1991/8/4 ナーブルス150 F(Nab)_150 ファタハ 1991/9/13151 F(Nab)_151 ファタハ 1991/9/13 ナーブルス

152 F(Nab)_152 ファタハ ハマース 1991/10/16

153 F(Nab)_153 ファタハ 1991/10/22 ナーブルス154 F(Nab)_154 ファタハ 1991/10/24 ナーブルス

155 F(Nab)_155 ファタハ ハマース 1991/11/16 ナーブルス

156 F(Nab)_157 ファタハ 1991/12157 F(N.N.)_158 ファタハ 1992/1/1

158 F(N.N.)_159 ファタハ 1992/1/1

159 F(N.N.)_160 ファタハ 1992/2160 F(N.N.)_161 ファタハ 1992/3/28161 F(N.N.)_162 ファタハ 1992/4/16162 F(N.N.)_163 ファタハ 1992/4/23

163 F(N.N.)_164 ファタハ・インティファーダ 1992/5

164 F(N.N.)_165 ファタハ 1992/7/9

165 F(N.N.)_166 PLO 1992/9/27

166 F(N.N.)_167 ファタハ 1992/11/2167 F(N.N.)_168 ファタハ 1992168 F(Nab)_170 ファタハ 1992/1169 F(Nab)_171 ファタハ 1992/3/16 ナーブルス170 F(Nab)_172 ファタハ 1992/3/27171 F(Nab)_173 ファタハ 1992/3172 F(Nab)_175 ファタハ 1992/4/17173 F(Nab)_176 ファタハ 1992/4 ナーブルス174 F(Nab)_177 ファタハ 1992/6/10 ナーブルス175 F(Nab)_178 ファタハ 1992/7/4176 F(Nab)_179 ファタハ 1992/7/13177 F(Nab)_181 ファタハ 1992/7/23178 F(Nab)_182 ファタハ 1992/7 ナーブルス179 F(Nab)_183 ファタハ 1992/7 ナーブルス180 F(Nab)_184 ファタハ 1992/8/23181 F(Nab)_186 ファタハ 1992/08 ナーブルス182 F(Nab)_187 ファタハ 1992/08 ナーブルス183 F(Nab)_188 ファタハ 1992/9/18 ナーブルス184 F(Nab)_189 ファタハ 1992/9/20 ナーブルス185 F(Nab)_190 ファタハ 1992/10/9 ナーブルス186 F(Nab)_191 ファタハ 1992/10/9 ナーブルス187 F(Nab)_192 PLO 1992/10/12188 F(Nab)_193 ファタハ 1992/10 ナーブルス189 F(Nab)_194 ファタハ 1992/10/18190 F(Nab)_195 ファタハ 1992/10191 F(Nab)_196 ファタハ 1992/10/20 ナーブルス192 F(Nab)_197 ファタハ 1992/10 ナーブルス

193 F(Nab)_199 ファタハ 1992/11

194 F(Nab)_200 ファタハ 1992/11/15 ナーブルス195 F(Nab)_201 ファタハ 1992/11

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150 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号196 F(Nab)_202 ファタハ 1992/12/11 ナーブルス197 F(Nab)_203 ファタハ 1992/12/17198 F(Nab)_204 ファタハ 1992/12/18 ナーブルス199 F(Nab)_205 ファタハ 1992200 F(Nab)_206 ファタハ 1992/9 ナーブルス201 F(Nab)_207 ファタハ 1992202 F(N.N.)_208 ファタハ 1993/1/1203 F(N.N.)_209 ファタハ 1993/4/20204 F(N.N.)_210 ファタハ 1993/5/25205 F(N.N.)_211 ファタハ 1993/9/4206 F(N.N.)_212 PLO 1993/9/12 チュニス207 F(N.N.)_213 ファタハ 1993/12208 F(Nab)_214 ファタハ 1993/1 ナーブルス209 F(Nab)_215 ファタハ 1993/01210 F(Nab)_216 ファタハ 1993/01 ナーブルス211 F(Nab)_217 ファタハ 1993/1 ナーブルス212 F(Nab)_218 ファタハ 1993/02213 F(Nab)_219 ファタハ 1993/2/21 ナーブルス214 F(Nab)_220 ファタハ 1993/03 ナーブルス215 F(Nab)_221 ファタハ 1993/03216 F(Nab)_222 ファタハ 1993/03 ナーブルス217 F(Nab)_223 ファタハ 1993/3/30218 F(Nab)_224 ファタハ 1993/4/18 ナーブルス219 F(Nab)_225 ファタハ 1993/4/20220 F(Nab)_226 ファタハ 1993/04221 F(Nab)_227 ファタハ 1993/4/26222 F(Nab)_228 ファタハ 1993/04223 F(Nab)_231 ファタハ 1993/7/6224 F(Nab)_232 ファタハ 1993/8/5 ナーブルス225 F(Nab)_233 ファタハ 1993/8/14 ナーブルス226 F(Nab)_234 ファタハ なし227 F(Nab)_235 ファタハ 1993/9/11 ナーブルス228 F(Nab)_236 ファタハ 1993/09229 F(Nab)_237 ファタハ 1993/10/1230 F(Nab)_238 ファタハ 1993/10/12 ナーブルス231 F(Nab)_239 ファタハ 1993/10/14232 F(Nab)_241 ファタハ 1993/10/22233 F(Nab)_242 ファタハ 1993/11/20 ナーブルス234 F(Nab)_243 ファタハ 1993/11/23 ナーブルス235 F(Nab)_244 ファタハ 1993/12

236 F(Nab)_245 ファタハ 1993/12/24 ナーブルス

237 F(Nab)_246 ファタハ 1993/12 ナーブルス238 F(Nab)_247 ファタハ 1993/12/29239 F(Sha)_1 ファタハ 1990/11 1240 F(Sha)_2 ファタハ 1991/4/7 ナーブルス 3241 F(Sha)_3 ファタハ 1991/7/14242 F(Sha)_5 ファタハ なし243 F(Sha)_6 ファタハ なし244 F(Sha)_7 ファタハ なし245 F(Sha)_8 ファタハ なし246 F(94–99)_1 ファタハ 1994/1/1247 F(94–99)_2 ファタハ 1994/1/4248 F(94–99)_3 ファタハ 1994/1249 F(94–99)_4 ファタハ 1994/2/25250 F(94–99)_5 ファタハ 1994/2251 F(94–99)_6 ファタハ 1994/3/12252 F(94–99)_7 ファタハ 1994/5/6253 F(94–99)_8 ファタハ 1994/5/20254 F(94–99)_9 ファタハ 1994/5/31 カルキーリーヤ255 F(94–99)_12 ファタハ 1994/8/10256 F(94–99)_13 ファタハ 1994/9/1257 F(94–99)_14 ファタハ 1994/10/5

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151鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号258 F(94–99)_15 ファタハ 1994/10/17259 F(94–99)_16 ファタハ 1994/11/15260 F(94–99)_17 ファタハ 1994/11/20 ガザ261 F(94–99)_18 ファタハ 1994/11/21262 F(94–99)_19 ファタハ 1994/11/21 チュニス

263 F(94–99)_20 ファタハ 1994/12/31 ラーマッラー

264 F(94–99)_21 ファタハ 1999/8/4

265 F(94–99)_22 ファタハ 1999/8/4 ジェニーン266 F(Nab_94)_23 ファタハ 1994/01267 F(Nab_94)_24 ファタハ 1994/1/1268 F(Nab_94)_25 ファタハ 1994/1/1269 F(Nab_94)_26 ファタハ 1994/1/14270 F(Nab_94)_27 ファタハ 1994/1/19 ナーブルス271 F(Nab_94)_28 ファタハ 1994/1/29 ナーブルス272 F(Nab_94)_29 ファタハ 1994/3/11273 F(Nab_94)_30 ファタハ 1994/3/15274 F(Nab_94)_31 ファタハ 1994/3/16275 F(Nab_94)_32 ファタハ 1994/3/18 ナーブルス276 F(Nab_94)_33 ファタハ 1994/3/21 ナーブルス277 F(Nab_94)_34 ファタハ 1994/03278 F(Nab_94)_35 ファタハ 1994/4/26 ナーブルス279 F(Nab_94)_36 ファタハ 1994/5280 F(Nab_94)_41 ファタハ 1994/7/7 ナーブルス

281 F(Nab_94)_42 ファタハ 1994/8/2 ナーブルス

282 F(Nab_94)_43 ファタハ 1994/9/27 ナーブルス283 F(Nab_94)_44 ファタハ 1994/11/19 ナーブルス284 F(Nab_94)_45 ファタハ 1994/10 ナーブルス285 F(Nab_94)_46 ファタハ 1994/10/30 ナーブルス286 F(Nab_94)_47 ファタハ 1994/11/8 ナーブルス287 F(Nab_94)_48 ファタハ なし ナーブルス288 F(Nab_94)_49 ファタハ 1994/12/8289 F(Nab_94)_50 ファタハ 1995/1/13 ナーブルス290 F(Nab_94)_51 ファタハ 1995/2/13 ナーブルス291 F(Nab_94)_52 ファタハ 1995/3/1 ナーブルス292 F(Nab_94)_54 ファタハ 1995/4/11 ナーブルス

293 F(Nab_94)_58 ファタハ 1995/7/23 ナーブルス

294 F(Nab_94)_59 ファタハ 1995/8/27 ナーブルス295 F(Nab_94)_60 ファタハ 1995/9/15 ナーブルス296 F(Nab_94)_61 ファタハ 1995/9/21 ナーブルス297 F(Nab_94)_62 ファタハ 1995/10/3 ナーブルス

298 F(Nab_94)_64 ファタハ 1995/10/7

299 F(Nab_94)_65 ファタハ 1995/11/19300 F(Nab_94)_66 ファタハ 1995/12/1 ナーブルス301 F(Nab_94)_67 ファタハ 1996/3/6 ナーブルス302 F(Nab_94)_68 ファタハ 1996/8/22 ナーブルス303 F(Nab_94)_69 ファタハ 1996/9/26 ナーブルス304 F(Nab_94)_70 ファタハ 1997 ナーブルス305 F(Nab_94)_71 ファタハ 1997/7/19 ナーブルス306 F(Nab_94)_72 ファタハ 1997/7/21 ナーブルス307 F(Nab_94)_73 ファタハ 1997/8/5 ナーブルス308 F(Nab_94)_74 ファタハ 1997/8/14 ナーブルス309 F(Nab_94)_76 ファタハ 2000/10/14 ナーブルス310 UNL_1 統一指導部 1988/1/10 2311 UNL_2 統一指導部 1988/1/18 3312 UNL_3 統一指導部 1988/2/5 6313 UNL_4 統一指導部 1988/2/13 7314 UNL_5 統一指導部 1988/2/20 8315 UNL_6 統一指導部 1988/3/2 9

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152 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号316 UNL_7 統一指導部 1988/3/10 10317 UNL_8 統一指導部 1988/3/19 11318 UNL_9 **統一指導部 1988/3/31 12319 UNL_10 統一指導部 1988/4/3 12320 UNL_11 統一指導部 1988/4/13 13

321 UNL_12 統一指導部 1988/4/20 14

322 UNL_13 統一指導部 1988/4/30 15323 UNL_14 統一指導部 1988/5/21 17324 UNL_15 統一指導部 1988/5/24 17325 UNL_16 統一指導部 1988/5/28 18326 UNL_17 統一指導部 1988/6/8 19327 UNL_18 統一指導部 1988/6/8 19328 UNL_19 統一指導部 1988/6/22 20329 UNL_20 **統一指導部 1988/7/4 21330 UNL_21 統一指導部 1988/7/21 22331 UNL_22 統一指導部 1988/8/5 23332 UNL_23 統一指導部 1988/8/22 24333 UNL_24 統一指導部 1988/9/6 25334 UNL_25 統一指導部 1988/9/25 26335 UNL_26 統一指導部 1988/10/9 27336 UNL_27 統一指導部 1988/10/30 28337 UNL_28 統一指導部 1988/11/20 29338 UNL_29 統一指導部 1988/11/20 29339 UNL_30 **統一指導部 1988/11/23 29340 UNL_31 統一指導部 1988/12/5 30341 UNL_32 統一指導部 1988/12/22 31342 UNL_33 統一指導部 1989/1/9 32343 UNL_34 統一指導部 1989/1/24 33344 UNL_35 統一指導部 1989/2/2 ナーブルス 1345 UNL_36 統一指導部 1989/2/11 34346 UNL_37 統一指導部 1989/3/26 35347 UNL_38 統一指導部 1989/3/14 36348 UNL_39 統一指導部 1989/3/16 36349 UNL_40 統一指導部 1989/3/29 37350 UNL_41 統一指導部 1989/4/12 38351 UNL_42 統一指導部 1989/4/30 39352 UNL_43 統一指導部 1989/5/22 40353 UNL_44 統一指導部 1989/6/13 41354 UNL_45 統一指導部 1989/7/4 42355 UNL_46 統一指導部 1989/7/25 43356 UNL_47 統一指導部 1989/8/15 44357 UNL_48 統一指導部 1989/9/25 46358 UNL_49 統一指導部 1989/10/3359 UNL_50 統一指導部 1989/10/15 47360 UNL_51 統一指導部 1989/10/18361 UNL_52 統一指導部 1989/11/10 48362 UNL_53 統一指導部 1989/12/24 50363 UNL_54 統一指導部 1989/12/25 50364 UNL_55 統一指導部 1990/1/4365 UNL_60 統一指導部 1990/1/20 51366 UNL_61 統一指導部 1990/2/15 52367 UNL_62 統一指導部 1990/3/6 53368 UNL_63 統一指導部 1990/3/6 53369 UNL_64 統一指導部 1990/3/26 54370 UNL_65 統一指導部 1990/4/19 55371 UNL_66 統一指導部 1990/5/11 エルサレム 56372 UNL_67 統一指導部 1990/5/26 57373 UNL_68 統一指導部 1990/6/12 58374 UNL_69 統一指導部 1990/7/1 59375 UNL_70 統一指導部 1990/7/30 60376 UNL_71 統一指導部 1990/8/1 60

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153鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号377 UNL_72 統一指導部 1990/8/31 61378 UNL_73 統一指導部 1990/10/1 62379 UNL_74 統一指導部 1990/10/5380 UNL_75 統一指導部 1990/10/17381 UNL_76 統一指導部 1990/10/28 63382 UNL_77 統一指導部 1990/11/20 64383 UNL_78 統一指導部 1990/11/30 65384 UNL_79 統一指導部 1990/12/31 66385 UNL_80 統一指導部 1991/1/13386 UNL_81 統一指導部 1991/1/30 67387 UNL_82 統一指導部 1991/2388 UNL_83 統一指導部 1991/3/1 68389 UNL_84 統一指導部 1991/3/1 68390 UNL_85 統一指導部 1991/4/1 69391 UNL_86 統一指導部 1991/5/1 70

392 UNL_87 ファタハ・インティファーダ 1991/5/9 18

393 UNL_88 統一指導部 1991/6/1 71394 UNL_89 統一指導部 1991/6/30 72395 UNL_90 統一指導部 1991/8/1 73396 UNL_91 統一指導部 1991/9/1 74397 UNL_92 統一指導部 1991/10/24 76398 UNL_93 統一指導部 1991/11/24 77399 UNL_94 統一指導部 1991/12/31 78400 UNL_95 統一指導部 1992/1/4401 UNL_96 統一指導部 1992/2/1 79402 UNL_97 統一指導部 1993/2/18403 UNL_98 統一指導部 1992/3/1 80404 UNL_99 統一指導部 1992/2/16405 UNL_100 統一指導部 1992/4/2 81406 UNL_101 統一指導部 1992/4/12407 UNL_102 統一指導部 1992/5/1 82408 UNL_103 統一指導部 1992/6/1 83409 UNL_104 統一指導部 1992/8/1 85410 UNL_105 統一指導部 1992/09411 UNL_106 統一指導部 1992/10/1 88412 UNL_107 統一指導部 1992/10/11

413 UNL_108 統一指導部 1992/10/16

414 UNL_109 統一指導部 1992/11/1 89415 UNL_110 統一指導部 1992/12/1 90416 UNL_111 統一指導部 1993/1/1 91417 UNL_112 統一指導部 1993/2/1 93418 UNL_113 統一指導部 1993/2/15

419 UNL_114 統一指導部 1993/5/6 95

420 UNL_115 統一指導部 1993/5/18421 UNL_116 統一指導部 1993/8/1 97422 UNL_117 統一指導部 1994/3/2 101423 UNL(N.D.)_118 統一指導部 なし 13424 UNL(N.D.)_119 統一指導部 なし 16425 UNL(N.D.)_120 統一指導部 なし 20426 UNL(N.D.)_121 統一指導部 なし 21427 UNL(N.D.)_122 統一指導部 なし 32428 UNL(N.D.)_123 統一指導部 なし 44429 UNL(N.D.)_124 統一指導部 なし 58430 UNL(N.D.)_125 統一指導部 なし 70431 UNL(N.D.)_126 統一指導部 なし 79432 UNL(N.D.)_127 統一指導部 なし 85433 UNL(N.D., N.N.)_1 統一指導部 なし 1

434 UNL(N.D., N.N.)_2 アンサール・サウラ なし

435 UNL(N.D., N.N.)_3 (統一指導部) なし

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154 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号436 UNL(N.D., N.N.)_4 統一指導部 なし437 UNL(Nab_N.D.)_5 統一指導部 なし ナーブルス438 UNL(Nab_N.D.)_6 統一指導部 なし ナーブルス439 UNL(Nab_N.D.)_7 統一指導部 なし ナーブルス440 UNL(Nab_N.D.)_8 統一指導部 なし ナーブルス

441 UNL(Nab_N.D.)_9 統一指導部 なし ナーブルス

442 UNL(Nab_N.D.)_10 統一指導部 なし ナーブルス443 UNL(Nab_N.D.)_11 ファタハ なし ナーブルス444 UNL(Nab_N.D.)_12 統一指導部 なし ナーブルス445 UNL(Nab_N.D.)_13 統一指導部 なし ナーブルス446 UNL(Nab_N.D.)_14 統一指導部 なし ナーブルス447 UNL(Nab_N.D.)_15 統一指導部 なし ナーブルス448 UNL(Nab_N.D.)_16 統一指導部 なし ナーブルス449 UNL(Nab_N.D.)_17 統一指導部 なし ナーブルス450 UNL(Nab_N.D.)_18 統一指導部 なし ナーブルス451 UNL(Nab_N.D.)_19 統一指導部 なし ナーブルス452 UNL(N.N.)_1 統一指導部 1988/6/30453 UNL(N.N.)_2 統一指導部 1988/09 フッワーラ454 UNL(N.N.)_3 統一指導部 1988/9/20455 UNL(N.N.)_4 統一指導部 1988/10/10456 UNL(Nab_N.N.)_5 統一指導部 1988/2/22 ナーブルス457 UNL(Nab_N.N.)_6 統一指導部 1988/4/10 ナーブルス458 UNL(Nab_N.N.)_7 統一指導部 1988/5/11 ナーブルス459 UNL(Nab_N.N.)_8 統一指導部 1988/06 ナーブルス460 UNL(Nab_N.N.)_9 統一指導部 1988/6/7 ナーブルス461 UNL(Nab_N.N.)_10 統一指導部 1988/6/21 ナーブルス462 UNL(Nab_N.N.)_11 統一指導部 1988/8 ナーブルス463 UNL(Nab_N.N.)_12 統一指導部 1988/07 ナーブルス464 UNL(Nab_N.N.)_13 統一指導部 1988/10/25 ナーブルス465 UNL(Nab_N.N.)_14 統一指導部 1988/10/29 ナーブルス466 UNL(Nab_N.N.)_15 統一指導部 1988/11/10 ナーブルス467 UNL(Nab_N.N.)_16 統一指導部 1988/12/2 ナーブルス

468 UNL(Nab_N.N.)_17 統一指導部 1988/12 ナーブルス

469 UNL(N.N.)_18 統一指導部 1989/1/28

470 UNL(N.N.)_19 統一指導部 1989/01

471 UNL(N.N.)_20 統一指導部 1989/4/30472 UNL(N.N.)_21 統一指導部 1989/5/18473 UNL(N.N.)_22 統一指導部 1989/8/8 トゥールカリム474 UNL(Nab_N.N.)_23 統一指導部 1989/1/20 ナーブルス475 UNL(Nab_N.N.)_24 統一指導部 1989/02 ナーブルス

476 UNL(Nab_N.N.)_25 統一指導部 1989/02 ナーブルス

477 UNL(Nab_N.N.)_26 統一指導部 1989/2/23 ナーブルス478 UNL(Nab_N.N.)_27 統一指導部 1989/3/12 ナーブルス479 UNL(Nab_N.N.)_28 統一指導部 1989/03 ナーブルス480 UNL(Nab_N.N.)_29 統一指導部 1989/4/25 ナーブルス481 UNL(Nab_N.N.)_30 統一指導部 1989/5/30 ナーブルス482 UNL(Nab_N.N.)_31 統一指導部 1989/7 ナーブルス483 UNL(Nab_N.N.)_32 統一指導部 1989/7 ナーブルス484 UNL(Nab_N.N.)_33 統一指導部 1989/7/20 ナーブルス485 UNL(Nab_N.N.)_34 統一指導部 1989/11/8 ナーブルス486 UNL(Nab_N.N.)_35 統一指導部 1989/10 ナーブルス487 UNL(Nab_N.N.)_36 統一指導部 1989/12 ナーブルス488 UNL(Nab_N.N.)_37 ファタハ 1989/12/29 ナーブルス489 UNL(Nab_N.N.)_38 統一指導部 1989/12 ナーブルス490なし(前者に添付) 統一指導部 1989/12 ナーブルス491 UNL(N.N.)_44 統一指導部 1990/4/20 トゥールカリム492 UNL(N.N.)_45 統一指導部 1990/6/11 ジェニーン493 UNL(N.N.)_46 統一指導部 1990/7/12494 UNL(N.N.)_47 統一指導部 1990/9/10 ガザ

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155鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

495 UNL(N.N.)_48 統一指導部 ファタハ 1990

496 UNL(Nab_N.N.)_49 統一指導部 1990/01 ナーブルス497 UNL(Nab_N.N.)_50 統一指導部 1990/2/2 ナーブルス498 UNL(Nab_N.N.)_51 ファタハ 1990/2/8 ナーブルス499 UNL(Nab_N.N.)_52 統一指導部 なし ナーブルス500 UNL(Nab_N.N.)_53 統一指導部 1990/03 ナーブルス501 UNL(Nab_N.N.)_54 統一指導部 1990/3/17 ナーブルス502 UNL(Nab_N.N.)_55 統一指導部 1990/3/29 ナーブルス503 UNL(Nab_N.N.)_56 統一指導部 1990/03 ナーブルス504 UNL(Nab_N.N.)_57 統一指導部 1990/4/7 ナーブルス505 UNL(Nab_N.N.)_58 統一指導部 1990/4/7 ナーブルス506 UNL(Nab_N.N.)_59 統一指導部 1990/4/7 ナーブルス507 UNL(Nab_N.N.)_60 統一指導部 1990/4/15 ナーブルス508 UNL(Nab_N.N.)_61 統一指導部 1990/4/21 ナーブルス509 UNL(Nab_N.N.)_62 統一指導部 1990/05 ナーブルス510 UNL(Nab_N.N.)_63 統一指導部 1990/5/18 ナーブルス511 UNL(Nab_N.N.)_64 統一指導部 1990/7/1 ナーブルス512 UNL(Nab_N.N.)_65 統一指導部 1990/7/1 ナーブルス513 UNL(Nab_N.N.)_66 統一指導部 1990/08 ナーブルス514 UNL(Nab_N.N.)_67 統一指導部 1990/9/8 ナーブルス515 UNL(Nab_N.N.)_68 統一指導部 1990/11 ナーブルス516 UNL(N.N.)_69 統一指導部 1991/1/27517 UNL(N.N.)_70 統一指導部 1991/6/13

518 UNL(N.N.)_71 統一指導部 ハマース 1992/12/20

519 UNL(Nab_N.N.)_72 統一指導部 1991/5/1 ナーブルス520 UNL(Nab_N.N.)_73 統一指導部 1991/06 ナーブルス

521 UNL(Nab_N.N.)_74

ファタハ ハマース 共産党 PFLP DFLP

1991/6/10 ナーブルス

522 UNL(Nab_N.N.)_75 統一指導部 1991/6/12 ナーブルス523 UNL(Nab_N.N.)_76 統一指導部 1991/10/12 ナーブルス524 H_1 ハマース 1988/8/18 28525 H_2 ハマース 1988/10/5 30

526 H_3 ハマース 1988/10/27 31

527 H_4 ハマース 1989/2/25 36

528 H_5 ハマース 1989/4/5 39

529 H_6 ハマース 1989/4/17 40

530 H_7 ハマース 1989/5/2 41

531 H_8 ハマース 1989/5/28 42

532 H_9 ハマース 1989/6/19 43533 H_10 ハマース 1989/7/15 44

534 H_11 ハマース 1989/7/21 45

535 H_12 ハマース 1989/8/11 46

536 H_13 ハマース 1989/10/4 48537 H_14 ハマース 1989/10/27 49

538 H_15 ハマース 1989/11/27 50

539 H_16 ハマース 1989/12/17 51

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156 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

540 H_17 ハマース 1990/1/18 52

541 H_18 ハマース 1990/2/14 53

542 H_19 ハマース 1990/3/11 54

543 H_20 ハマース 1990/3/27 55544 H_21 ハマース 1990/4/16 56

545なし(前者に添付) ハマース 1990/4/6

546 H_22 ハマース 1990/5/21 57

547 H_23 ハマース 1990/6/14 58

548 H_24 ハマース 1990/6/27 59

549 H_25 ハマース 1990/7/10 60

550 H_26 ハマース 1990/8/3 61

551 H_27 ハマース 1990/8/13 62

552 H_28 ハマース 1990/8/29 63

553 H_29 ハマース 1990/9/26 64

554なし(前者に添付) ハマース 1990/9/30 64

555 H_30 ハマース 1990/10/11 65

556 H_31 ハマース 1990/10/31 66

557 H_32 ハマース 1990/12/3 67

558 H_33 ハマース 1990/12/17 68

559 H_34 ハマース 1991/9/24 ナーブルス 公論 2

560 H_35 ハマース 1991/9/27 ナーブルス 公論 3

561 H_36 ハマース 1991/10/1 ナーブルス 真実と 歴史 4

562 H_37 ハマース 1991/10/11 ナーブルス 真実と 歴史 5

563 H_38 ハマース 1991/1/12 69

564 H_39 ハマース 1991/2/4 70

565 H_40 ハマース 1991/3/7 71

566 H_41 ハマース 1991/3/26 72

567 H_42 ハマース 1991/4/21 73

568 H_43 ハマース 1991/5/3 74

569 H_44 ハマース 1991/6/1 75570 H_45 ハマース 1991/7/1 76

571 H_46 ハマース 1991/8/3 77

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157鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

572 H_47 ハマース 1991/9/4 78

573 H_48 ハマース 1991/10/7 79

574 H_49 ハマース 1991/10/29 80

575 H_50 ハマース 1991/12/1 81

576 H_51 ハマース 1992/1/2 82

577なし(前者に添付) ハマース 1992/1/4 82 号追記

578 H_52 ハマース 1992/2/4 83579 H_53 ハマース 1992/3/4 84

580なし(前者に添付) ハマース 1992/3/27 84 号追記

581 H_54 ハマース 1992/4/7 85

582 H_55 ハマース 1992/5/7 86

583 H_56 ハマース 1992/6/3 87

584 H_57 ハマース 1992/7/5 88

585 H_58 ハマース 1992/8/3 89

586 H_59 ハマース 1992/9/5 90

587 H_60 ハマース 1992/10/5 91

588 H_61 ハマース 1992/11/7 92

589 H_62 ハマース 1992/12/4 93590 H_63 ハマース 1993/1/4 94

591 H_64 ハマース 1993/2/3 95

592 H_65 ハマース 1993/3/5 96593 H_66 ハマース 1993/4/5 97594 H_67 ハマース 1993/5/5 98595 H_68 ハマース 1994/1/6 106596 H_69 ハマース 1994/3/2 108

597 H_70 ハマース 1994/3/15 109

598 H_71 ハマース 1994/12/5 118

599 H_72 ハマース 1995/6/7 124

600 IL_1 エルサレムのイスラーム指導部 1987/10/16

601 IL_2 エルサレムのイスラーム指導部 1989/8/1

602 H(N.D.)_1 ハマース なし

603 H(N.D.)_2 ハマース なし

604 H(N.D.)_3ハマース PFLP DFLP

なし

605 H(N.D.)_4 ハマース PFLP なし

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158 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

606 H(N.D.)_5 ハマース なし トゥールカリム難民キャンプ

607 H(N.D.)_6 ハマース なし

608 H(N.D.)_7 ハマース なし

609 H(N.D.)_8 ハマース なし

610 H(N.D.)_9

イズッディーン・カッサーム大隊 ハマース軍事部門

なし

611 H(N.D.)_10 ハマース なし612 H(N.D.)_11 ハマース なし ナーブルス613 H(N.D.)_12 ハマース なし

614 H(N.D.)_13

イズッディーン・カッサーム大隊 ハマース軍事部門

なし

615 H(N.N.)_1 エルサレムのイスラーム指導部 1987/10/16

616 H(N.N.)_3 ハマース 1987/12/14

617 H(N.N.)_4 1988/2

618 H(N.N.)_5 ハマース 1988/3/4619 H(N.N.)_6 ハマース 1988/4/8620 H(N.N.)_7 ハマース 1988/4

621 H(N.N.)_8 ハマース 1988/4/7

622 H(N.N.)_9 ハマース 1988/4/29

623 H(N.N.)_10 ハマース 1988/6

624 H(N.N.)_11 ハマース 1988/6/17

625 H(N.N.)_12 ハマース 1988/8/21

626 H(N.N.)_13 ハマース 1988/10/17 ナーブルス

627 H(N.N.)_14 ハマース 1988/11/10

628 H(N.N.)_15 ハマース 1988/1629 H(N.N.)_16 ハマース 1988/12/22 ナーブルス

630 H(N.N.)_17 ハマース 1989/10/6 ナーブルス

631 H(N.N.)_18 ハマース 1989/3/10 ナーブルス

632 H(N.N.)_19 ハマース 1989/7 ナーブルス

633 H(N.N.)_20 ハマース 1990/1/22

634 H(N.N.)_21 ハマース 1990/2/18 ナーブルス

635 H(N.N.)_22 牢獄にあるハマース 1990/3

636 H(N.N.)_23 ハマース 1990/3/6 ナーブルス

637 H(N.N.)_24 ハマース 1990/4/6

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159鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号638 H(N.N.)_25 ハマース なし

639 H(N.N.)_26 ハマース 1990/5/2 ナーブルス

640 H(N.N.)_27 ハマース 1990/5/20

641 H(N.N.)_28 ハマース 1990/5/25

642 H(N.N.)_29 ハマース 1990/6/22 ナーブルス

643 H(N.N.)_30 ハマース 1990/7

644 H(N.N.)_31 ハマース 1990/7645 H(N.N.)_32 ハマース 1990/8/3 ナーブルス

646 H(N.N.)_33 ハマース 1990/8/14

647 H(N.N.)_34 ハマース 1990/9 ジェニーン

648 H(N.N.)_35 ハマース 1990/9/10 トゥールカリム649 H(N.N.)_36 ハマース 1990/9/13

650 H(N.N.)_37 ハマース 1990/9/10

651 H(N.N.)_38 ハマース 1990/9/22 ナーブルス

652 H(N.N.)_39 ハマース 1990/9/22

653 H(N.N.)_40 ハマース 1990/10/8654 H(N.N.)_41 ハマース 1990/10/9655 H(N.N.)_42 ハマース 1990/10/14656 H(N.N.)_43 ハマース 1990/11/29657 H(N.N.)_44 ハマース 1990/12/27658 H(N.N.)_45 ハマース 1991/4/6659 H(N.N.)_46 ハマース 1991/4/8

660 H(N.N.)_48 ハマース ファタハ なし

661なし(前者に添付) ハマース ファタハ 1991/6/3 ナーブルス

662 H(N.N.)_49 ハマース 1991/6/15663 H(N.N.)_50 ハマース 1991/7/7 ナーブルス

664 H(N.N.)_51 ハマース 1991/7/10

665 H(N.N.)_52 ハマース 1991/7/10

666 H(N.N.)_53 ハマース 1991/8/13 ナーブルス

667 H(N.N.)_54 ハマース 1991/9/19

668 H(N.N.)_55 ハマース 1991/9/22 ナーブルス

669 H(N.N.)_56 ハマース 1991/9/23

670 H(N.N.)_57 ハマース 1991/10/17

671 H(N.N.)_58 ハマース ファタハ 1991/11/16 ナーブルス

672 H(N.N.)_59 ハマース 1991/11/6

673 H(N.N.)_60 ハマース 1991/11/11 ナーブルス

674 H(N.N.)_61 ハマース ファタハ 1991/11/16

675 H(N.N.)_62 ハマース 1991/11/20 ネゲブ?

676 H(N.N.)_63 ハマース 1991/11/19

677 H(N.N.)_64 ハマース 1991/11/29 ビドヤー(サルフィート)

678 H(N.N.)_65 ハマース 1991/12/4

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160 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

679 H(N.N.)_66 ハマース 1991/12/23

680 H(N.N.)_67 ハマース 1991/12/25

681 H(N.N.)_68 ハマース 1991/12/27 ナーブルス

682 H(N.N.)_69 ハマース 1991/12/28

683 H(N.N.)_70 ハマース 1991/12/31 トゥールカリム

684 H(N.N.)_71 ハマース 1992/1/1 トゥールカリム

685 H(N.N.)_72 ハマース 1992/1/6 トゥールカリム

686 H(N.N.)_73 ハマース 1992/1/8 トゥールカリム687 H(N.N.)_74 ハマース 1992/1/17688 H(N.N.)_75 ハマース 1992/2/6689 H(N.N.)_76 ハマース 1992/2/7 ナーブルス

690 H(N.N.)_77 ハマース ファタハ 1992/3/26 ナーブルス

691 H(N.N.)_78 ハマース 1992/3/9

692 H(N.N.)_79 ハマース 1992/4/9693 H(N.N.)_80 ハマース 1992/4/9694 H(N.N.)_81 ハマース 1992/4/10695 H(N.N.)_82 ハマース 1992/4/15696 H(N.N.)_83 ハマース 1992/4/24 ナーブルス697 H(N.N.)_84 ハマース 1992/6/21

698 H(N.N.)_85 ハマース 1992/7/16

699 H(N.N.)_86 ハマース 1992/7/18

700 H(N.N.)_87 ハマース 1992/7/20

701 H(N.N.)_88 ハマース 1992/8

702 H(N.N.)_89 ハマース 1992/8 ナーブルス

703 H(N.N.)_90 ハマース 1992/8/12

704 H(N.N.)_91 ハマース 1992/8/26

705 H(N.N.)_92 ハマース 1992/9

706 H(N.N.)_93 ハマース 1992/9

707 H(N.N.)_94 ハマース 1992/9/9708 H(N.N.)_95 ハマース 1992/12/17709 H(N.N.)_96 ハマース 1992/9/24 ナーブルス

710 H(N.N.)_97 ハマース 1992/10/4 ナーブルス

711 H(N.N.)_98 ハマース 1992/11/11

712 H(N.N.)_99 ハマース 1992/10/18

713 H(N.N.)_100 ハマース 1992/12/8

714 H(N.N.)_101 ハマース 1992/12/12 6

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161鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号715 H(N.N.)_102 ハマース 1992/12/14

716 H(N.N.)_103 ハマース 1992/12/17

717 H(N.N.)_104 ハマース 1992/12/17

718 H(N.N.)_105 ハマース 統一民族指導部 1992/12/20

719 H(N.N.)_106 ハマース 1992/1/27

720 H(N.N.)_107 ハマース 1993/1/30 ナーブルス

721 H(N.N.)_108 ハマース なし722 H(N.N.)_109 ハマース 1993/3/18 ナーブルス723 H(N.N.)_110 ハマース 1993/12/28 ナーブルス724 H(N.N.)_111 ハマース 1994/11/19725 H(N.N.)_112 ハマース 1994/11/20726 H(N.N.)_113 ハマース 1995/3/10 ナーブルス

727 H(N.N.)_114 ハマース 1995/7/28

728 H(N.N.)_115 ハマース 1995/7/29

729 H(N.N.)_116 ハマース 1996/1/6

730 H(N.N.)_117 ハマース 1996/6/4

731 H(N.N.)_118 ハマース 1997/5/21

732 H(N.N.)_119 ハマース 1999/4/29

733 H(N.N.)_120 ハマース 1999/11/1

734 H(N.N.)_121 ハマース 1999/11/29

735 H(N.N.)_122 イスラーム運動 1999/12/24 ナーブルス

736 PF_1 PFLP 1988/11/16737 PF_2 PFLP 1988/11/2738 PF_3 PFLP 1989/6/4

739 PF_4 PFLP 1989/01

740 PF_5 PFLP 1989/11/2741 PF_6 PFLP 1989/12742 PF_7 PFLP 1990/09

743 PF_8 PFLP 1990/7/8

744 PF_9 PFLP 1991/9/17745 PF_10 PFLP 1991/12/8

746 PF_11 PFLP 1991/09 ダマスカス

747 PF_12 PFLP 1991/6/5748 PF_13 PFLP 1991/2/9749 PF_14 PFLP 1991/11750 PF_15 PFLP 1992/11

751 PF_16 PFLP 1992/6/27

752 PF_17 PFLP 1992/1/5

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162 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

753 PF_18 PFLP 1992/6/4

754 PF_19 PFLP 1992/9/23755 PF_20 PFLP 1992/9/26756 PF_21 PFLP 1992/12757 PF_22 PFLP 1993/12/9

758 PF_23 PFLP 1993/2/19

759 PF_24 PFLP 1993/03

760 PF_25 PFLP 1995/6/14

761 PF_26 PFLP 1995/12/6

762 PF_27 民衆委員会 1998/5/15

763 PF(N.D.)_1 PFLP なし

764 PF(N.D.)_2 PFLP なし

765 PF(N.D.)_3 PFLP なし

766 PF(N.D.)_4 PFLP なし

767 PF(N.D.)_5 PFLP 1991/12

768 PF(N.D.)_6 PFLP なし

769 PF(N.D.)_7 PFLP なし ダマスカス

770 PF(N.D.)_8 PFLP なし771 PF(N.D.)_9 PFLP なし

772 PF(90)_1 PFLP 1990/2/15 1

773 PF(90)_2 PFLP 1990/3 2

774 PF(90)_3 PFLP 1990/3/30 3

775 PF(90)_4 PFLP 1990/5/1 4776 PF(90)_5 PFLP 1990/5/20 6

777 DF_1 DFLP 1989/1/1

778 DF_2 DFLP 1989/2/22

779 DF_3 DFLP 1989/10/20

780 DF_4 DFLP 1990/2/1

781 DF_5 DFLP 1990/2/22

782 DF_6 DFLP 1990/6/5

783 DF_7 DFLP 1990/8/23

784 DF_8 DFLP 1990/9/17 エルサレム

785 DF_9 DFLP 1990/8/28 エルサレム

786 DF_10 DFLP 1990/11/2

Page 45: 大衆蜂起の言説* - Tokyo University of Foreign Studiesrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/88473/1/jaas089005...鈴木啓之:大衆蜂起の言説 121 に従って整えられていったことが明らかにさ

163鈴木啓之:大衆蜂起の言説

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

787 DF_11 DFLP 1990/11/15 エルサレム

788 DF_12 DFLP 1990/11/15

789 DF_13 DFLP 1990/11/28

790 DF_14 DFLP 1990/12/1

791 DF_15 DFLP 1990/12/16

792 DF_16 DFLP 1991/3/1

793 DF_17 DFLP 1991/3/30

794 DF_18 DFLP 1991/4/4

795 DF_19 DFLP 1991/4/17

796 DF_20 DFLP 1991/5/7 エルサレム

797 DF_21 DFLP 1991/6/4

798 DF_22 DFLP 1991/6/5799 DF_23 DFLP 1991/10/30

800 DF_24 DFLP 1991/10

801 DF_25 DFLP 1991/11/15802 DF_26 DFLP 1992/3/11

803 DF_27 DFLP 1992/5/1

804 DF_28 DFLP 1992/6/5

805 DF_29 DFLP 1992/11/5

806 DF_30 DFLP 1994/12/2 ナーブルス

807 DF_31 DFLP 1994/12/9

808 DF_32 民主連合 1995/3/30

809 DF_33 DFLP 1996/1/25 エルサレム

810 DF_34 DFLP 1996/9/25

811 DF_35 DFLP 1991/03

812 DF_36 DFLP 1991/03

813 PCP_1 共産党 1988/02

814 PCP_2 共産党 1988/08

815 PCP_3 共産党 1988/12 ナーブルス

816 PCP_4 共産党 1989/3/30

817 PCP_5 共産党 1989/10 ナーブルス

818 PCP_6 共産党 1990/2/10819 PCP_7 共産党 1990/5/1

820 PCP_8 共産党 1990/06 ナーブルス

821 PCP_9 共産党 1991/7/25

822 PCP_10 共産党 1992/03

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164 アジア・アフリカ言語文化研究 89

No 保管番号 署名組織 発行日付 声明タイトル(一部抜粋) 印字発行地 印字番号

823 PCP_11 共産党 1996/9/26 エルサレム

824 PCP_12共産党・革命派 ファタハ・インティファーダ

なし

825 PPP_1 人民党 1991/12

826 PPP_2 人民党 1992/3/1

827 PPP_3 人民党 1992/3/18 ナーブルス

828 PPP_4 人民党 1992/3/27

829 PPP_5 人民党 1992/4/3

830 PPP_6 人民党 1992/12/6 ナーブルス

831 PIJ_1 イスラーム聖戦 1990/8/1

832 PIJ_2 イスラーム聖戦 1991/5/2

833 PIJ_3 イスラーム聖戦 1991/7/2834 PIJ_4 イスラーム聖戦 1991/8/2 エルサレム

835 PIJ_5 イスラーム聖戦 1991/9/25 エルサレム

836 PIJ_6 イスラーム聖戦 1991/10/2 エルサレム

837 PIJ_7 イスラーム聖戦 1991/10838 PIJ_8 イスラーム聖戦 1992/10/31 ナーブルス839 PIJ_9 イスラーム聖戦 1993/4/3 エルサレム840 PIJ_10 イスラーム聖戦 1993/5/2 エルサレム841 PIJ_11 イスラーム聖戦 1996/1/11

842 PIJ_12 イスラーム聖戦なし エルサレム 24

843 PIJ_13 イスラーム聖戦なし

844 PIJ_14 イスラーム聖戦なし845 LP_1 解放党 1994/11/19846 LP_2 解放党 1994/12/28847 LP_3 解放党 1995/2/17848 LP_4 解放党 1995/4/13849 LP_5 解放党 1995/8/1850 LP_6 解放党 1995/10/19851 LP_7 解放党 1996/7/31

852 LP_8 解放党 2006/9/17

853 ALF_1 アラブ解放戦線 1989/4/6 エルサレム

854 ALF_2 アラブ解放戦線 1989/12/27855 ALF_3 アラブ解放戦線 1990/8/25 エルサレム

856 ALF_4 アラブ解放戦線 1991/10/29 エルサレム

857 ALF_5 アラブ解放戦線 1991/11/24 エルサレム

858 ALF_6 アラブ解放戦線 1991/12859 ALF_7 アラブ解放戦線 1992/10/3

860 B_1 アラブ・バアス党 1991/11/3 エルサレム

861 B_2 アラブ・バアス党 1995/9/25

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165鈴木啓之:大衆蜂起の言説

(出所)収集資料から筆者作成(注)(1)日付イタリックは収集時の手書き記入や声明内容より推定(印字無し)

   (2)発行組織イタリック(**)は,イスラエル当局の攪乱リーフレットと他の資料から確認   (3) タイトルは太字やフォントの大きさなどで視覚的に明らかなものに限り記載し,冒頭に副題的

に記されるクルアーンの章句や「(発行組織)よりの声明」などといったものは,省略した   (4)ハムザや発音記号の表記は,すべて原文の通りとした(従って表記に不統一がある)