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1 春日部福音自由教会 2020 年 5 月 31 日 11:00 同時配信礼拝(ライブ配信礼拝) 聖書 使徒の働き 2 章 40 節-47 節 説教 「日々、家々で 小野信一牧師 おはようございますこの礼拝堂からこえてくる少し増えました。今⽇から10 ほどこの礼拝 まるえていますこれまで同時配信礼拝始まってからは数名、10 らないしか ここにいませんでした。奏楽者もこの礼拝堂奏楽をしてくださることになりましたただちょっとオ ルガンの調⼦悪くて、 わりのもので弾いてもらっています今朝から電気まったりまっ たりありましたけれどもみんなでない⼈数でなんとか対処しながらこの時間を迎えました。 今⽇は聖霊降臨⽇ 今⽇聖霊降臨⽇です復活のイエス「聖霊を受けよ」と⾔われて息を吹きかけてくださいまし そして聖霊がくだった。それが使徒の働き2章、この記念の⽇の出来事です聖霊がくだる時に、 聖霊は私たちを新しく⽣まれさせ、間違いに気付かせ、御⾔葉らせてくださいます。今⽇も、毎年 聖霊降臨⽇に開かれる、使徒の働き2 章4047朗読されました。今⽇予定していた洗礼式は延期 となりました。23 か⽉、または6か⽉の延期となります。いま洗礼を希望して備えている兄妹姉妹の ために皆さんのお祈りをお願いします。教会の誕⽣⽇のようなこの⽇は教会んできた道のりを振 り返り、そしてこれからのみを展望するでもあります今年はこのコロナウイルスの問題私たちはあらためてこの御⾔葉に⽿を傾けようとしています。⼀⾔もう⼀度お祈りをささげましょう天の⽗なる神様。主の⽇、主イエス・キリストがよみがった週の初めの⽇曜⽇の朝を迎えました。い ま私たちはともにあなたの前に出て礼拝をささげます。今⽇は聖霊降臨⽇です聖霊私たちに与えら れ、まれわらせ教会誕⽣させてくださった。その⽇からはじまって今⽇るまで教会を導いておられることを今⽇もう⼀度覚えます。毎年開かれるこの使徒の働き2章の御⾔葉を もって、 今年たちにおりください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。 ⼤切な四つのこと この使徒の働き 2 章 4047 節に最初教会姿最初信者たちの姿記されています。そしてそ こに⼤事なことなのか」ということが書かれています。彼らはいつも⼀緒にいて、りに専念ていた集中していたらが集中していたのかそしてたちは熱⼼であるべきえればいのかにおいてひとつになっているべきかそれを聖書えますたちにはこの 聖書というるべき原点があります。毎年やってくる聖霊降臨⽇、復活祭から 7 週間後のこの⽇、それ かめるです⼤事なのか集中⼼を向けるのか、42 節に四つのこと書い てありますまずその四つを今年もまた確かめていきましょう。 ひとつは聖書です。ここには「使徒たちの教えを守っていた」と書いてあります。これは私たちにと って 66 巻の旧約聖書・新約聖書のことです。聖書を、御⾔葉を開いてんでそしてまず私た

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春日部福音自由教会 2020 年 5 月 31 日 11:00 同時配信礼拝(ライブ配信礼拝)

聖書 使徒の働き 2 章 40 節-47 節

説教「日々、家々で」小野信一牧師

おはようございます。この礼拝堂から聞こえてくる声が少し増えました。今⽇から 10名ほどこの礼拝

堂に集まる⼈が増えています。これまで同時配信礼拝が始まってからは数名、10 名に⾄らない数しか

ここにいませんでした。奏楽者もこの礼拝堂で奏楽をしてくださることになりました。ただちょっとオ

ルガンの調⼦が悪くて、代わりのもので弾いてもらっています。今朝から電気が⽌まったり⽔が⽌まっ

たり⾊々ありましたけれども、みんなで少ない⼈数でなんとか対処しながらこの時間を迎えました。

Ⅰ 今⽇は聖霊降臨⽇

今⽇は聖霊降臨⽇です。復活のイエス様が「聖霊を受けよ」と⾔われて息を吹きかけてくださいまし

た。そして聖霊がくだった。それが使徒の働き2章、この記念の⽇の出来事です。聖霊がくだる時に、

聖霊は私たちを新しく⽣まれさせ、間違いに気付かせ、御⾔葉を悟らせてくださいます。今⽇も、毎年

聖霊降臨⽇に開かれる、使徒の働き2 章40­47節が朗読されました。今⽇予定していた洗礼式は延期

となりました。2­3 か⽉、または6か⽉の延期となります。いま洗礼を希望して備えている兄妹姉妹の

ために皆さんのお祈りをお願いします。教会の誕⽣⽇のようなこの⽇は、教会が歩んできた道のりを振

り返り、そしてこれからの歩みを展望する⽇でもあります。今年はこのコロナウイルスの問題の中で、

私たちはあらためてこの御⾔葉に⽿を傾けようとしています。⼀⾔もう⼀度お祈りをささげましょう。

天の⽗なる神様。主の⽇、主イエス・キリストがよみがった週の初めの⽇曜⽇の朝を迎えました。い

ま私たちはともにあなたの前に出て礼拝をささげます。今⽇は聖霊降臨⽇です。聖霊が私たちに与えら

れ、⼈々を⽣まれ変わらせ、教会を誕⽣させてくださった。その⽇からはじまって今⽇に⾄るまで、聖

霊が教会を導いておられることを今⽇もう⼀度覚えます。毎年開かれるこの使徒の働き2章の御⾔葉を

もって、今年も私たちにお語りください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

Ⅱ ⼤切な四つのこと

この使徒の働き 2 章 40­47 節に最初の教会の姿、最初の信者たちの姿が記されています。そしてそ

こに「何が⼤事なことなのか」ということが書かれています。彼らはいつも⼀緒にいて、祈りに専念し

ていた。集中していた。彼らが何に集中していたのか、そして私たちは何に熱⼼であるべきか、何に

燃えれば良いのか、何においてひとつになっているべきか、それを聖書は教えます。私たちにはこの

聖書という帰るべき原点があります。毎年やってくる聖霊降臨⽇、復活祭から 7 週間後のこの⽇、それ

を確かめる⽇です。何が⼤事なのか、何に集中し⼒を注ぎ⼼を向けるのか、42 節に四つのことが書い

てあります。まずその四つを今年もまた確かめていきましょう。

ひとつは聖書です。ここには「使徒たちの教えを守っていた」と書いてあります。これは私たちにと

って 66 巻の旧約聖書・新約聖書のことです。聖書を、御⾔葉を開いて読んで、そして聞く。まず私た

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ちは聖書に⽣きる。何を⼤事にするかと⾔えば、御⾔葉を⼤切にする。次の三つのことを、御⾔葉を読

むたび聞くたびに思い巡らしてみましょう。

何を聞いたのか?

どう聞いたか、⾃分はどう聞いただろうか?

そしてどう聞いたか何を聞いたかに基づいて、三つ⽬、ではどう⽣きるか?

もう⼀度⾔います。何を聞いたか?どう聞いたか、⾃分はどう聞いたのか?そしてではどう⽣きる

か?この三つを⾃分に問いかけ、そして思い巡らしましょう。そうやって御⾔葉によって1⽇1⽇を⽣き

ていきましょう。御⾔葉を聞いて、⼩さな気づき、⼩さな決⼼を与えられて、そしてやってみる、実⾏

してみる。できたという時もありできない時もある。忘れてしまう時もある、でもまた思い出して歩き

始めます。この三つのことを⾃分に問いかけ、思い巡らす。そしてそれから誰かと互いに分かち合いま

しょう。⼀⼈で家で礼拝する⽇々が続いていましたので、なかなか集まって⼀緒に祈ったり分かち合っ

たりできませんでした。でもこれからまた少しずつそれを再開していきましょう。「この御⾔葉を聞い

て、私はこうしようと思いました」「御⾔葉を聞いて私はこういう思いになりました」それを互いの間

で語るのです。そしてお互いに聴き合うのです。まず⼀つ⽬は使徒たちの教え聖書、聖書によって⽣

きるということです。

⼆つ⽬のことは「交わり」ですね。コイノニア、分け合うこと、共有することです。初代の信者達は

物やお⾦、持っているものや財産、それらも分け合っていました。私たちも私たちなりに⾃分の持って

いる時間、賜物や能⼒、それを神にささげて、皆の益となるために使っていただく、神様の前に差し出

していく、そして分け合う、それがある意味で私たちのなす奉仕です。また献⾦にもそういう意味が

あるでしょう。献⾦は神様へのささげものであり、そして互いに分け合うことの⼀部でもあります。ま

た御⾔葉の中には「喜びを分け合う」「悲しみを分け合う」という⾔葉もあります。私たちは重荷を分

け合い、また共にそれを背負い合う、担い合うのです。「共に喜び共に泣く」。主がくださった恵みを

分かち合い、⼀⼈がいただいた恵みを⼀⼈で持っているだけでなく、他の⼈と分け合い、分かち合い、

また主からいただいた重荷も分かち合って分け合っていく、そういう交わりをこれからも続けまた深め

ていきましょう。そしてだんだんとそれを再び始めていきましょう。分け合うこと、「交わり」です。

そして三つめは「パンを裂き」ということが書いてあります。「パンを裂くこと」。それを⼤事にし

ていたというのですね。これは何でしょうか。これは聖餐式のことであるかもしれません。そしてパン

を裂いて⼀緒に⾷事をするということであるかもしれません。それが三つ⽬です。「パンを裂くこと」。

四つ⽬それは「祈り」ですね。彼らは「祈りをしていた」。いつも共に祈っていたというのです。共

に祈る、祈りに集中していました。祈り会は私たちの教会では5⽉まではお休みにしましたので、集ま

って⼀緒に祈ることがなかなかできませんでした。丘の上の祈り会はズームというインターネットの

ツールを⽤いて、画⾯を通して顔を⾒て、声を聞きながら祈っていたと聞いています。明⽇からもう6

⽉ですけど、今週から祈り会も再開することにいたします。集まり始めていきましょう。あまり密にな

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らないように気をつけながら、再始動していきましょう。もしかしたらオンラインを併⽤してできるか

もしれません。模索しながら祈り会を再開していきたいと思います。

このように四つのことがここに書いてあります。何を⼤事にし、何に集中していたか。「聖書、交わ

り、パンを裂くこと、そして祈り」でした。この中にはなかなか今できないっていうこともある。今こ

の状況の中ではできない。でもできない今だからこそ、やっぱり⼤事だなって改めて思うことがありま

す。それは「聖餐式」と「⾷事を共にすること」です。聖餐式は6⽉は無しにして、7⽉⼀週⽬に⾏うこ

とを⽬標にしたいと思います。そして⾷事を共にするというのも、今はまだできませんけれども、その

時が帰ってくることを願います。普通に⼀緒に顔を合わせて⾷べられた時が懐かしいなって思います。

いつどういう形でそれをすることができるか、気をつけながら少しずつ再開するしかないだろうと思

います。この「交わり」ということと「パンを裂く」ということ、「パンを裂く」というのは聖餐の意

味なのか通常の⾷事の意味なのか、初代教会では聖餐式っていうのは集まって⾷事をするという、その

時間の流れの中に聖餐式があったようですので、この「パンを裂き」っていう⾔葉はどちらを意味して

いるのか、聖餐の意味なのか通常の⾷事の意味なのか、判別が難しいと⾔われていますが、どちらにし

ても、この「交わり」と「パンを裂く」ということの中に⼤事な⾯があることに気がつかされます。

ある英語の注解書には、この⼆つ⽬の「交わり」と三つ⽬の「パン裂き」のところにこういう⾔葉が

2度出てきました。それは“インタ­アクション”という⾔葉と、“インターアクティブ”という⾔葉です。

「パンを裂く」ということは聖餐の意味かもしれないし、⾷事の意味かもしれないけれども、どちらに

しても親しいインターアクションなのだ。親しい相互のアクション、お互いがお互いを受容していると

いうことを⽰しているのです。そして交わり、分け合う共有するっていう⾔葉も、⼈と⼈のインターア

クティブ、インタ­アクティブって何て⾔いますかね、双⽅向ですね。今こちらから話をしていて皆さ

んが聞いている、⾒ている、そしYouTubeでそれが送られて届いている。でも YouTubeはこちらから

送るだけしかできないですよね、だから⽚⽅の⽅向になっちゃうわけですね。同じ場所にいれば顔を

⾒ることができて皆さんの声も聞くことができる。あるいはインターネットでいえば例えばズームとか

ビデオ通話とかであれば、お互いの声が聞こえる、双⽅向、インターアクティブ、お互いにアクティブ

に働きかける、ということができるってことになりますね。ですからこの「パンを裂く」、⾷事や聖餐

も教会の交わりコイノニアも、双⽅向お互いにアクティブに働きかけるという、教会における関係性、

⼈間関係の特徴を描いていると書いてありました。

やっぱり互いにアクティブであるってことが⼤事なのだなっていうことを思いました。⼀⽅はアク

ティブでありもう⼀⽅はパッシブである、教会の中でもですね、ある⼈は能動的に働きかけ、ある⼈は

受け⾝で受動的である、というだけではなくて、⼀⽅は与える⼈⼀⽅は受ける⼈、話す⼈聞く⼈、とか

だけじゃなくて、そういう時もありますけれども、でも互いにアクティブになる、互いに⾃らアクテ

ブに動く、働きかけ合うということが、教会の信者の共同体の基本として⼤事なのだなと改めて確認す

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る思いがしました。交わりを持つこと、パンを裂いて分け合うこと、祈りもそうですね、⼀緒に祈る

こと、誰かに祈ってもらうってことがある。でも今度はその⼈のために祈るってこともできる。お互い

に祈り合うのです。声をかけ合いましょうってことをこの間お話ししましたけれども、誰かが誰かのこ

とを⼼配して声をかける、電話をする、⼿紙を出す、メールを送るってことをする。今度は⾃分を⼼配

してくれている⼈にこちらから電話をかけてみる、とかですね。お互いにし合うことができます。この

四つの⼤切なこと、「聖書、交わり、パンを裂くこと、祈りをする」っていうことの中に、お互いがお

互いに働きかけるってことを⼤切にしていきたい、というふうに改めて思わされます。

Ⅲ このような状況の中で、どんな新しい機会を⾒出すか

さて、さらにこの毎年聞く御⾔葉の中で 、今年私たちはどうこの御⾔葉を聞いたらよいのか 。使徒

の働き2章の40­47節、毎年この季節この⽇に朗読されます。今年はどんなことに⼼が留まるでしょう。

OMFという宣教団体があるのをご存知でしょうか。オーバーシーズ・ミッショナリーズ・フェローシ

ップという宣教師を派遣する団体です。そのニュースレターの中にこういうことが書いてありました。

いろんな国のリーダーたちがインターネットを通して集まった会議で、何度も出てきたフレーズがあっ

た。それは、「このような状況の中でどんな新しい機会を⾒出すか」という問いだった。各国がコロナ・

ウイルスの対応をして、それぞれロックアウトしたりしなかったり、死者が増えてしまったりそうでも

なかったり、病院が危険な状態になったり守られていたり、いろんな今までとは違う状況の中で、「ど

んな新しい機会を⾒出すか」ということが、そのインターネット会議で何度も出てきたというのです。

この状況の中で、私たちは「私たちが⾒出す新しい機会とは何か」という問いにどう答えるでしょう。

いま世界中の⼈たちが、もちろんビジネスの世界でもそうですし、学校の現場でもそうでしょうし、⽂

化や芸術の分野でも、飲⾷店でも、どうやって新しいやり⽅を⾒つけていくか、この状況の中でどうや

って新しい機会を⾒出すか、ということを問うていると思います。そして世界のキリスト教会が、世

界の宣教団体が、この状況の中で新しい機会を⾒出すとしたらそれはなんだろう、ということを互い

に問いかけているのです。皆さんだったらどう答えるでしょう。この機会この状況の中で、これが新

しいチャンスになる、新しい機会になるのじゃないか、っていうことが何かあるでしょうか。もうす

でにそれは起こっているかもしれません。今⽇ここに少しずつ礼拝堂に来られた⽅がいます。来られな

い⽅のためにYouTube を通して映像で届けてくれています。それもまさに新しいことのひとつです。

こういうことが起こらなければしなかったことかもしれません。そしてそれが将来また別な形で活か

されるかもしれません。皆さんはこの問いにどう答えるでしょうか。

私は今回、またもうすぐ聖霊降臨⽇が来る、と思ってこの御⾔葉を読み思い巡らす中で、⼼に留まっ

たのは「⽇々、家々で」という46節と47節にある御⾔葉でした。⽇本語のいろんな聖書、いろんな翻訳

の聖書を⾒⽐べますと、さまざまな訳があります。いま私は“⽇々”と⾔いましたが 、新改訳聖書では

46節と47節に“毎⽇”と訳してありました。2017になっても変わらず“毎⽇”ですね。前は“家で”となっ

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ていたのが、2017新改訳聖書は“家々で”になっています。私はここは“⽇々”、“家々で”という訳が良い

のではないかと思うのです。⼝語訳とフランシスコ会訳では、46節も“⽇々”、47節も“⽇々”でした。岩

波⽂庫の塚本⻁⼆訳では、46節は“毎⽇”、47節は“⽇ごとに”と訳していました。ちなみに46節のところ

は“家々で”と塚本⻁⼆は訳しています。⼝語訳、フランシスコ会訳は“家では”となっていました。新改

訳2017は“家々で”という⾵に変わっているのです。⼀⽅46、47節は“毎⽇”で変わってはいませんでした。

私はここは“⽇々”が良いのじゃないか、“ 家々で“が良いのじゃないか、と思います。この”毎⽇”、“⽇々”

と訳されている46と47節は、同じ⾔葉ですので、訳し変えている翻訳もありますが、同じで良いのじ

ゃないかと思う。両⽅とも“⽇々” で良いのじゃないかと思うのです。そして46節の“家々で“とあります

けど、これは全く同じパターンなのですね、つまり”この⽇やあの⽇に“、そして”この家やあの家で“っ

ていうようなニュアンスであろうと思います。毎⽇っていうに訳しますと、皆さん多分、七⽇間のうち

七⽇することが毎⽇っていうふうに思うのじゃないかと思うのですけれども、必ずしもそうではない

と⾔って良いでしょう。七⽇間のうち、⽉曜⽇と⽔曜⽇と何曜⽇とみたいな感じでも良い。そして全て

の家、20軒50軒家があったら、全部の家に集まらなくてもそのうちの何軒か“この家にあの家に”集ま

っているならば、それは“家々で”というふうに⾔える、そういう意味であろうと思います。ですからこ

こはいくつかの⽇本語翻訳聖書が訳しているように、”⽇々“そして”家々で“、で良いと思うのです。そ

して特にその中で今回は、”家々で集まる“っていうところに⼼が留まりました。

今⽇の週報、昨⽇印刷をしていただいて、それからそれをPDFにして、昨⽇中に載せられなかったの

でやっと今朝インターネットに載せました。実は印刷した時点でですね、説教題が”⽇々家で“ってなっ

ていた間違いに気付いたのですけど、直し忘れて”⽇々家で“のまま印刷してしまいました。本当は司会

者が⾔ってくれたように、”⽇々家々で”だったんです。PDFでは直しましたけれども。この数週間、まさ

に“⽇々家で”、この⽇々が続いてきたわけです。でも、今回私はここから先の数週間については、“⽇々

家々で“という⾵にならないだろうか、というふうに考えたのです。家々で集まるということは、今だか

らできることかもしれません。先週までは、⼀⼈だけ、家族だけで礼拝する状態でした。そしてこれか

ら数週間経って7⽉になったら、みんなで礼拝堂に集まる、それを⽬標にしようとしています。ですか

ら明⽇からの6⽉は、来週から4週間かけて、少しずつ礼拝堂に集まるのですが、それと並⾏して、少し

ずつでも家々で集まって、⼀緒に同時配信礼拝をささげるっていうことができないだろうか、 と考えた

のです。もしかしたらこれは今しかできないかもしれない、今だからできることなのではないか、と考

えています。しかし決して無理することなく、です。少⼈数で短時間で密を避けて、です。皆さんもそ

そのことを少し考えてみて欲しいと思います。今のこの難しい、ややこしい状況だからこそできるこ

となのかもしれない、そしてもしかしたらそれが将来の何かにつながるかもしれない。

これは世界の教会への、いろんな国、いろんな町、都会もあるし⽥舎もある、いろんな場所がありま

すけれども、世界の教会への、古くて新しいチャレンジなのかもしれないな、というふうに感じまし

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た。OMFのニュースレターで、「このような状況でどんな新しい機会を⾒出すか」という問いかけを読

みながら、私はこの御⾔葉を思い巡らして、もしかしたらこれなんじゃないかな、”⽇々“、”家々で“。

れが今の古くて新しい取り組みかもしれないと思いました。聖餐式を⾏うことはもう少し待つとして、

⼀緒に⾷事をする愛餐会を⾏うのはもう少し待つとして、本当に僅かづつでいいのですが、“家々で“集

まって⼀緒に礼拝することはできないだろうか、と考えています。 例えば今まで⼀家族だけ礼拝してい

たけれども⼆家族でとか、夫婦⼆組とかあるいは家族だけでしたけれども家族プラス⼀⼈、とかです

ね、⼩さな集まりを家々で出来ないだろうか、ということです。今後少しずつ段階的に礼拝堂に集まっ

って⾏きます。それと並⾏して、「家々で集まる」ということが分散してできたならば、交わりの再出

発になるのではないかと思うのです。少⼈数で、数名ですね、家族プラス⼀⼈とか⼆⼈、三⼈程度短

時間で。礼拝だけ⼀緒にできたらもう満⾜するつもりでいいのじゃないかと思います。せっかく集ま

ったから⾷事も⼀緒にしたいと思うかもしれませんけれども、もう少し待ちながら、少しずつ進めてみ

てはどうでしょうか。何か⾷べ物を分け合いたいと思ったらお⼟産だけにするとか。計画としては7⽉

から三会堂で礼拝をしたいということです。6⽉終わりくらいには状況が悪くなっていなければ、集ま

った家々で短い⾷事の時ができるかもしれません。 そして7⽉5⽇から中央、丘の上、庄和での礼拝を

再開することを⽬標とし、できればその⽇、聖餐式を久しぶりに⾏う、それを⽬標にしたいと思いま

す。もちろん状況を⾒守りながらまた変更することがありえますし、1歩ずつ慎重に進めましょう。

家々で集まるってことがもしできるならば、そこで何が起こるのでしょうか、どんな古くて新しい恵

みの経験になるでしょうか。もしかしたらそれが今の世界の教会へのチャレンジかもしれないと思い

ます。もしできるならば模索してみてほしいと思います。しかし無理はしないでください。祈って⾏動

してみましょう。私たちにはこの聖書、そして今⽇また開いた使徒の2章という変わらない基本がありま

す。変わらない基本をどう実践していくのか、どう再始動して⾏ったら良いでしょうか。今の状況な

らではのチャレンジ、新たなアイデアは何でしょう。創造的にクリエイティブに考え始めましょう。

お互いがアクティブに、能動的に、主体的に考え、動き始めましょう。

教会学校も再開する予定が決まりました。順次再開が進んでいきます。JY 礼拝も再開します。少し

ずつ気をつけて、⼦供たちのことを⾒守りながら、幼児園もリスタートします。そして⼤⼈も、お互

いがお互いを⾒守りながら、気をつけて⼀歩⼀歩、⼤切に進んでいきましょう。復活の主が私たちに

息を吹きかけて⾔われます。「聖霊を受けなさい」。聖霊に動かされて進んでいきましょう。

祈りましょう。

主イエス・キリストの⽗なる神よ、私たちに聖霊を今⽇もお与えください。聖霊が私たちを導き、私

たちを新しく⽣まれさせ、間違いに気付かせ、御⾔葉を悟らせてくださいますように。毎年のこの⽇

に開かれる御⾔葉を、今⽇も聞かせていただきました。変わらない⼤切なことを⼤切にしながら、今

のチャレンジに⽬を開かせてください。⼀歩⼀歩、先の⾒えない中、あなたと共に歩みます。お導きく

ださい。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。