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310 日本機械学会誌 2007. 4 Vol. 110 No. 1061 可動部のない流体制御装置:プラズマアクチュエータ 1. はじめに 流体をアクティブに制御して剥離制 御や抗力低減を図る試みは,さまざま な形でなされている.しかし,装置が 複雑にならずに大きな効果が得られ, 大きなパワーを必要としないものとな ると,皆無に近いと言ってもよいので はないだろうか.これに対して,近年 弱電離プラズマを利用した流体制御の 研究が一部盛んに行われてきている. 特にここ数年来,「プラズマアクチュ エータ (1) (2) 」と呼ばれる装置に注目が 集まっている. 図 1 にプラズマアクチュエータの構 造を示す.テフロン,カプトンなどの 誘電体の表裏に薄い電極(たとえば銅 の導電テープ)を図に示すように配置 し,1〜10kV 程 度 の 交 流( 周 波 数 1kHz〜10kHz程度)電圧を印加する. 裏面は放電を抑えるため絶縁措置を施 す.こうすると誘電体バリア放電が起 こり,表(おもて)面電極から裏面電 極に向かう向きに外力(ブローイング 力)が発生する.壁付近に誘起される 速度は 10m/s 以下の低いものではあ るが,境界層内の速度分布を修正し流 れの剥離を抑制するのには十分な効果 をもたらす. 2. 原理 交流電圧を印加するだけで一方向に 流れが誘起されるのは,一見不思議な 現象であるが,そのメカニズムも次第 に解明されつつある (3) .誘電体バリア 放電では,持続時間 10ns オーダの電 子ストリーマによる電流パルスが,1 〜10μs程度の不定時間間隔で現れ る.パルスとパルスの間も低レベルの 電流が持続する.たとえば,表面の電 極が正の電位にあるとき,絶縁体表面 付近で空気の絶縁破壊が起こると電流 パルスが発生する.絶縁破壊によって 電離が起こるが(図 2(a)),電子は 移動度が高いために,ごく短時間で表 面電極に移動する.すると正のイオン が過剰になり,印加した電界によって 静電力が発生する.イオンが受けた静 電力は,衝突によって中性粒子に伝達 される(図 2(b)).これを連続流体 の視点からみると,その空間に体積力 (ブローイング力)が発生することに なる.表面電極が負の電位を持つ場合 も同じ向きにブローイング力が発生す るが,これには酸素の負イオンが大き な役割を果たしているとの報告もあ (3) .一般にプラズマとは電気的に準 中性であるものを指している.その観 点から見ると,このプラズマアクチュ エータは,プラズマがプラズマで無く なることによって機能している面白い デバイスである. 3. 応用 ノートルダム大学の T.C.Corke らの グループは,プラズマアクチュエータ を用いて大迎角翼周りの流れの剥 はく 離制 御ができることを示した (1) .この技術 はアメリカ,フランスで精力的に研究 が進められており,最近では国内での 関心も高まっており研究成果も挙がっ てきている (4) .今のところ対象として いる流速は,10〜40m/s 程度であり, 原理的には自動車,航空機,風車など さまざまな機器に応用可能である.た だし,1kV 以上の高電圧を扱うこと, 耐久性など,実用へのハードルは決し て低くない. 4. おわりに 自動車産業に象徴されるわが国の輸 送機器,エネルギー機器技術力の高さ を考えれば,本装置の実用面でのハー ドルを乗り越えてさらなる性能向上を 果たすこともそれほど困難なことでは ないように思われる.本稿を契機に少 しでも多くに方々に関心を持っていた だけば幸いである. (原稿受付 2007 年 1 月 31 日) 〔佐宗章弘 名古屋大学〕 ─ 58 ─ ●文 献 1 Post, M. L. and Corke T. C., Separation Control on High Angle of Attack Airfoil Using Plasma Actuators AIAA J. , 42-11 2004), 2177-2184. 2 )佐宗・藤井・矢部,「局時」によって流れ を変える,日本機械学会論文集, 73-727B 2007),650-654.掲載予定. 3 Boeuf, J., ほか, AIAA Paper, AIAA-2007-1832007). 4 Kimura, N., AIAA Paper, AIAA-2007-187, 2007). 図 1 装置図 放電領域 流れ 誘電体 電極 絶縁層 図 2 作動原理 (表面電極が正電位の場合) a)絶縁破壊により誘電体表面付近に弱電離 プラズマが発生 b)移動度が高い電子が陽極に移動し,正電荷 過剰となる. 正イオンは電界から力を受け加 速,中性粒子と衝突して運動量を伝える. 図 3 試作品によるブローイング力の確認.線 香の煙が中央から右向きに流されている のがわかる.

可動部のない流体制御装置:プラズマアクチュエータ310 日本機械学会誌 2007. 4 Vol. 110 No.1061 可動部のない流体制御装置:プラズマアクチュエータ

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Page 1: 可動部のない流体制御装置:プラズマアクチュエータ310 日本機械学会誌 2007. 4 Vol. 110 No.1061 可動部のない流体制御装置:プラズマアクチュエータ

310 日本機械学会誌 2007. 4 Vol. 110 No.1061

可動部のない流体制御装置:プラズマアクチュエータ

1.はじめに 流体をアクティブに制御して剥離制御や抗力低減を図る試みは,さまざまな形でなされている.しかし,装置が複雑にならずに大きな効果が得られ,大きなパワーを必要としないものとなると,皆無に近いと言ってもよいのではないだろうか.これに対して,近年弱電離プラズマを利用した流体制御の研究が一部盛んに行われてきている.特にここ数年来,「プラズマアクチュエータ(1)(2)」と呼ばれる装置に注目が集まっている. 図 1にプラズマアクチュエータの構造を示す.テフロン,カプトンなどの誘電体の表裏に薄い電極(たとえば銅の導電テープ)を図に示すように配置し,1〜10kV 程度の交流(周波数1kHz〜10kHz 程度)電圧を印加する.裏面は放電を抑えるため絶縁措置を施す.こうすると誘電体バリア放電が起こり,表(おもて)面電極から裏面電極に向かう向きに外力(ブローイング

力)が発生する.壁付近に誘起される速度は 10m/s 以下の低いものではあるが,境界層内の速度分布を修正し流れの剥離を抑制するのには十分な効果をもたらす.2. 原理 交流電圧を印加するだけで一方向に流れが誘起されるのは,一見不思議な現象であるが,そのメカニズムも次第に解明されつつある(3).誘電体バリア放電では,持続時間 10ns オーダの電子ストリーマによる電流パルスが,1〜10μs 程度の不定時間間隔で現れる.パルスとパルスの間も低レベルの電流が持続する.たとえば,表面の電極が正の電位にあるとき,絶縁体表面付近で空気の絶縁破壊が起こると電流パルスが発生する.絶縁破壊によって電離が起こるが(図 2(a)),電子は移動度が高いために,ごく短時間で表面電極に移動する.すると正のイオンが過剰になり,印加した電界によって静電力が発生する.イオンが受けた静

電力は,衝突によって中性粒子に伝達される(図 2(b)).これを連続流体の視点からみると,その空間に体積力(ブローイング力)が発生することになる.表面電極が負の電位を持つ場合も同じ向きにブローイング力が発生するが,これには酸素の負イオンが大きな役割を果たしているとの報告もある(3).一般にプラズマとは電気的に準中性であるものを指している.その観点から見ると,このプラズマアクチュエータは,プラズマがプラズマで無くなることによって機能している面白いデバイスである.3. 応用 ノートルダム大学のT.C.Corke らのグループは,プラズマアクチュエータを用いて大迎角翼周りの流れの剥

はく

離制御ができることを示した(1).この技術はアメリカ,フランスで精力的に研究が進められており,最近では国内での関心も高まっており研究成果も挙がってきている(4).今のところ対象としている流速は,10〜40m/s 程度であり,原理的には自動車,航空機,風車などさまざまな機器に応用可能である.ただし,1kV以上の高電圧を扱うこと,耐久性など,実用へのハードルは決して低くない.4. おわりに 自動車産業に象徴されるわが国の輸送機器,エネルギー機器技術力の高さを考えれば,本装置の実用面でのハードルを乗り越えてさらなる性能向上を果たすこともそれほど困難なことではないように思われる.本稿を契機に少しでも多くに方々に関心を持っていただけば幸いである.(原稿受付 2007 年 1 月 31 日)

〔佐宗章弘 名古屋大学〕

─ 58 ─

●文 献( 1 )Post, M. L. and Corke T. C., Separation

Control on High Angle of Attack Airfoil Using Plasma Actuators AIAA J. , 42-11

(2004), 2177-2184.( 2 )佐宗・藤井・矢部,「局時」によって流れ

を変える,日本機械学会論文集, 73-727, B(2007),650-654.掲載予定.

( 3 )Boeuf, J.,ほか,AIAA Paper, AIAA-2007-183,(2007).

( 4 )Kimura, N., AIAA Paper, AIAA-2007-187, (2007).

図 1 装置図

放電領域

流れ

誘電体

電極絶縁層

図2 作動原理(表面電極が正電位の場合)

(a)絶縁破壊により誘電体表面付近に弱電離プラズマが発生

(b)移動度が高い電子が陽極に移動し,正電荷過剰となる. 正イオンは電界から力を受け加速,中性粒子と衝突して運動量を伝える.

図 3 試作品によるブローイング力の確認.線香の煙が中央から右向きに流されているのがわかる.