18
EmilyDickinsonの初期の詩について の一考察 -1860 年から 1865 年一一 EmilyDickinson30歳から 35歳,つまり。 1860 年から 1865 年に 至る数年間に書かれた詩は,非常に problematicである O この時期の詩 を考察する際,参考となる出来事は,その前年頃より,彼女が,全く教会 へも行かなくなったということである (1) キリスト教一色の町で生まれ, その中心ともいえる AmherstCollege MountHolyok Female Seminary で、宗教教育を受けた人間が,内面的なキリスト教拒否に止まら ず,外的にも教会へ行かなくなる事実が,どの程度の影響をその人間に及 ぼすかは宗教生活を験せぬ人の想像を絶して,余りあるものである.同様 の体験を持つ者としてDi ckinson の耳元ったであろう reactionを挙げて みると,第ーに恐れがある.キリスト教の次元で、育った者が,他の全員に 逆い,一人だけそれを拒むことによる罪悪感と永遠に救われないのではな いかという恐れである.第二は,皮肉である.自身が教会へ行かぬ理由付 けとして,又,罪悪感を消す一助と L"(,教会へ行く人を皮肉る態度,さ らに,キリスト教自体を皮肉る態度である.第三には,キリスト教にかわ って 9 自身の没頭できるものを見出したいという願いである@そして最後 は,盲滅法な9 無我夢中の試みである.定まった方向も何もない,あがき である.以上の四つが,バラパラに,しかも 9 執ように,繰り返し,彼女 を襲う時期,これが, 1860 年以降の 2 3 年である. この他にも,この時期には,さまざまなことが起っている. Wadsworth という,年上の牧師との恋愛と失恋,白いドレスをまと L 、,自分の部屋に

Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

  • Upload
    others

  • View
    3

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩について

の一考察

一-1860年から1865年一一

田池 子直

Emily Dickinsonの 30歳から 35歳,つまり。 1860年から 1865年に

至る数年間に書かれた詩は,非常に problematicである O この時期の詩

を考察する際,参考となる出来事は,その前年頃より,彼女が,全く教会

へも行かなくなったということである (1) キリスト教一色の町で生まれ,

その中心ともいえる Amherst College も MountHolyok己 Female

Seminaryで、宗教教育を受けた人間が,内面的なキリスト教拒否に止まら

ず,外的にも教会へ行かなくなる事実が,どの程度の影響をその人間に及

ぼすかは宗教生活を験せぬ人の想像を絶して,余りあるものである.同様

の体験を持つ者としてDickinsonの耳元ったであろう reactionを挙げて

みると,第ーに恐れがある.キリスト教の次元で、育った者が,他の全員に

逆い,一人だけそれを拒むことによる罪悪感と永遠に救われないのではな

いかという恐れである.第二は,皮肉である.自身が教会へ行かぬ理由付

けとして,又,罪悪感を消す一助と L"(,教会へ行く人を皮肉る態度,さ

らに,キリスト教自体を皮肉る態度である.第三には,キリスト教にかわ

って9 自身の没頭できるものを見出したいという願いである@そして最後

は,盲滅法な9 無我夢中の試みである.定まった方向も何もない,あがき

である.以上の四つが,バラパラに,しかも 9 執ように,繰り返し,彼女

を襲う時期,これが, 1860年以降の 2,3年である.

この他にも,この時期には,さまざまなことが起っている. Wadsworth

という,年上の牧師との恋愛と失恋,白いドレスをまと L、,自分の部屋に

Page 2: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

2 Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

である.これらの出来事の全部は,当時のDickinsonに影響を与えている

知人の死は,彼女の恐れに拍車をかけた.キリスト教に替わり,没頭でき

るものを求めていた彼女の前に現れた Wadsworthは,彼女の心を満7こ

し,単なる霊的指導者lC対して以上の気持を,彼女に抱かぜることとなっ

た.そして,白いドレスをまとい,自室のドアを関めたのは, "¥司Tadsworth

が,転勤により,カリフォノレニアへ去った後のことであった.しかし,何

といっても.この時期の最大の変化は9 彼女がこの時期に,その一生涯を

通じ,最も多くの詩を書いた(2) ということである.

この数年間に書かれた詩は,前述の,彼女の心を反映してか,様々なも

のがある.盲滅法にあらゆる方向に走ったり,キリスト教を皮肉ったりし

ているもの(3)も多々ある.しかしヲそれ等の雑多な詩の中に Ecstasy,

Despairと後になって, Immortality というテーマを持つ流れが存在す

る.そして,そのテーマで歌われた詩には,傑作が多いのである.狂わん

ばかりの愛や Ecstasyと,身を切るような Despairとを歌う詩は, 1860

年から62年頃迄に非常に多く,その中から,次第にImmortalityを歌うも

のが,後Iこ多くなり始めるのである 1864年,彼女ii,“Theonly News

1 knowfIs Bulletins all DayfFrom Immortality" (827) 14)と歌ってい

る.Immortartalityに目を据えた,きっぱりとした態度である@ここに

至る過程を,二つの大きなテーマである Ecstasyと Despairという流

れを中心に,探ってゆきたい.

く1>

1860年より数年間に書かれたDickinson の恋愛詩は9 “Summer

Poems"と呼ばれる. 北国の短い, けんらんたるこの季節はヲ 愛と悦惚

を歌うに適した symbol であろう. 彼女は夏を愛し, 手紙の中で,

極くひんぱんに,すばらしいことを表す際には,このことばを使っている.

Page 3: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

There came a Day at Summer's full,

Entirely for me--

1 thought that such ¥vere for the Saints,

Where Resurrections-一-be-(322)

3

彼女に訪れた愛の悦惚を歌った詩の第一連である 1860年頃より,彼女は,

妻子と共に幸せな家庭を持つ年上の牧師 Wadsworthl'こ対L,自身の霊

的指導者以上の感情を抱くようになった 彼女の想いは,上記の詩中9

“Summer's full“ということばに示されるように,激しいものであった.

1 taste a liquor never brewed--

From Tankands scooped in Pearl--

Not all the Vats upon the Rhine--

Yield such an Alcohol!一一

Inedriate of Air--am 1--

And Debauchee of Dew-一一

Reeling--thro endless summer daysー-

From inns of Molten Blue (214)

1860年に書かれた,愛に酔いしれるさまを歌い上げる,非常にすばらしい

詩である Dickinson は,このように endlesssummer daysに砕って

いたのであるが,破局は待ち構えていた 1862年4月, Wadsworthは.

西部カリフォノレニアの教会への転任を発表することになるのである Dic-

kinsonは, 1861年 9月填より,このことを予知しており,別離への苦悩

と共に,より一層9 愛の炎は燃え上がっていった.“Succss is counted

sweetest By those whose who ne'er succeed." (67)と彼女自身が以

前に歌った通りである. 1861年から62年にかけて書かれた恋愛詩は,失う

が!故に,より愛の偉大さを感じたものばかりである.

Wild nights! Wild uights!

Page 4: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

4 Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

Were 1 with thee,

Wild nights should be

Our luxury (249)

これは, 1861年, Wadsworthの転任を予知しているだけの段階での歌で

ある.しかし翌年,別れが現実となるや,彼女は,激しい苦痛の為,次の

ように叫び,断定せざるを得なくなる.

Mine by the right of white election!

Mine by the royal seal!

Mine by the sign in the scarlet prison,

Bars cannot conceal! (528)

この詩や9 “Titledivine-is mine!" (1072)は,悦I砲を歌ったものであ

るが,同時に,苦痛より生じた絶叫であろう.愛する者が身近にある時は,

そのことを当然としてとらえ,愛する者の身近にあることの本当の良さを

理解することができなかった.が,愛する者を取り去られた状態となると,

愛する者の身近にある状態の良さが,実感としてよくわかるようになった

のである.この間に書かれた詩は,全て身を切られるような,苦痛や恐怖

に裏打ちされたが故に,より大声を出さねばいられないという心理状態が

反映されている.

きて,少し視点を変え, Dickinsonの恋愛詩を,時の流れの!慎に取り上

げて,その中に見られる特徴を考察してみよう.

A something in a summer's Day

As slow her flambeaux burn away

Which solemnnizes me. (5)

1859年,極く初期の作品である.

Just lost, when 1 was saved!

Just fe1t the world go by!

Page 5: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

Just girt me for the onset with Eternity, (6)

When bre丘thblew back,

And on the other side

I heard recede the disappointed tide! (160)

5

前述の“1taste旦 liquornever brewed--"と同年の1860年に警かれ

たものである. 1862年の“Therecame aDay at Summer's full・3 に

なると次のようである。(第二連以下〕

The time was sc呂rceprofaned by speech;

The symfol of a word

vVas needless, as at Sacrament,

The Wardrobe --of our Lord一一一

Each was to己achThe Sealed Church,

Permitted to commune this --time--

Lest we to 出馬rkwardshow

At Supper of Lamb. 17)

The Hours slid fast一一一 asHours will,

Clutched tight, by greedy hands一一-

So faces on two Decks, look back,

Bound to opposing lands

このようにして見てゆくと,極めて初期の段階よれ恋愛の激しい感情

を歌う際に,下線を施した solemnize,save, Eternity, liquor等の,

宗教的な含みを持ったことばが使われていることがわかる.愛の極めて高

まった 1862年の作品になると, sacrament, wardrobe of our Lord,

church, commune, supper of the Lambと,聖さん式に作われること

ばが駆使されている.

恋愛詩に於いて,宗教のことばや表現を使うことは,必ずしも唐突で、あ

るという訳ではない.中世の secularな恋愛詩が, sacredな詩の表現を借

Page 6: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

6 Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

りて歎われるのは,よくあることである.当時 Amherstは, 外部の影響

から遮断され,しかも伝統的 Puritanismを貫こうとする,宗教的雰閤気

の濃い村であった.その村で育ち,宗教的教育を受けた人聞が,自身の愛

を歌う際,最適な symbolとして思い浮かぶのは,キリスト教の symbol

特に mass,聖さん式をおいて他にないであろう. 従って, Dickinson

が,愛のすばらしさを認識すればする程,それを表現する為に,キリスト

教の symbolを選んだのは,当然であるともいえるだろう.

しかしながら,それだけでは釈然としない問題があるように私には思わ

れる Dickinsonの lovepoemsは,単なる lovepoems以上の要素

を含んでいるのではないか,という疑問である.昔の恋愛を回想して歌っ

ているのではないと明らかに思われるような後期,しかも,彼女の求めて

止まぬ Immortality をテーマに歌い続けている時期の作品にも,同じ

massや sacramentが symbolとして使われているからである.自身の

恋愛を歌っていた頃の詩の中にさえ,よく詩人がそれと意識していなかっ

たにせよラ詩人の生涯を賭けた, Immortalityへの飽くなき追求が秘めら

れているのではなかろうか massや sacramentの symbolは,その表

れと考えることはできないだろうか.この疑問を明らかにする鍵ともなる

ものは9 同時期に書かれた,おびただしい数にのぼる, death poemsを

中心とした,絶望的な詩であろう,と私は考えるのである.

く2)

1860年から 65年迄に Dickinsonは, love poemsとほぼ同数の death

po巴msを書いている.この事実は,愛と同様に,死も,彼女の心を捕えて

離さなかったということを物語るものであろう.そして最初の二。三年は,

death poemsの方が少なく, 1864年からの二年間には, death poemsが

love poemsの約二倍にもなり,しかも,その表すものは,初期の death

poemsとは違ってきている.

Page 7: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察 7

彼女が,この時期に於いて,死をテーマにした詩を書かさ守るを得なかっ

たのは,外的に9 彼女が多くの知人の死に出逢ったということも挙げられ

る.“There'sbeen a Death, in the Opposite House" (389-1E62年)

にもあるように,南北戦争の影響もあり,彼女はこの数年間のうちに, 12

人もの親しい知人を失っているのである.その中には,年寄りもいるが,

戦争で死んだ若者,二歳以下の幼児,また彼女と同年輩のヲ学校時代の友

人も含まれていた為に,彼女は,死を他人事としてではな心身近なもの,

自分自身にもいつおこり得るかわからぬものとして,深刻に考えざるを得

なかったのである.

1 fe1t a Funeral, in my Brain,

And Mourners to and fro

Kept treading--treading--till it seemed

That Sense was breaking through-一一一 (280-1861年〉

この詩には,第一連の“treading-treading"のような,音に関連する表

現が,どの連にもみられる.そしてそれは9 この詩のテーマである 9 自分

が死んでゆくさまを,実に巧みに描き出す一要素となっているのである.

具体的に9 音を取り上げると,第二連の9 αA Service, like a Drum-j

Kept beating-beatingooo…九第三連の,“A creak across my Soulj

With those same Boots of Lead,……,第四連の,“Asall the He-

avens were a BeU,"である@しかも,各々の音に,完全な死へ至る状態

が一段一段とをすすむさまが合わされている. “treading" V.こ対しては,

"Sense was breaking",“Drum"には,“Mindgoing numbヘ“Creak"

には,“liftthe box"の音,そして弔いの“Bell"に対しては,“Wrec-

ked, solitary"の如くである.人が近ずく音から始まり,次第に音が高く

なればなる程,棺の中にいる自分は衰え, wreckedに迄なってしまう.そ

して,音が高まり過ぎ9 どうにも耐えられなくなった時,最後迄残ってい

た Reasonも砕け,遂に, α…1 dropped d仇引 anddown一 IAnd

Page 8: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

8 Ernily Dickinsonの初期の詩についての一考察

hit a W or1d, at every plunge, I And Finished knowing-then-"

と,全く何も無い状態になってしまうのである.

肉体の死に対する,このような激しい恐怖は,初めから Dickinsonに

つきまとったが, 1862年頃より,彼女の deathpoemsに,別の新たな

恐怖が,影を落とし始めるのである. "1 heard a Fly buzz - when 1

died-"という,これまた自分の死んでゆくさまを歌った詩には,次のよ

うな連がある.

The Eyes aroundー hadwrung them dry-

And Breaths were gathering firm

For that last Onset-when the King

Be witnessed in the Room-一一

. And then it was

There interposed a Fly

¥Vith Blue-uncertain stumbling Buzz-

Between the light and me--

And then the Windows failed-and then

1 could not see to seeー (465,1862年〕

これは,前述の詩と,全く同じテーマを扱った作品であるが,一箇所異な

った点がみられる.それは, “King be witnessed"という表現である.

Kingとは神のことであわこれによって,死が永遠への扉であると彼女

が考えたことがうかがえる 1863年9 再び同じテーマで、書かれた (Dic-

kinsonは,このテーマで,非常に多くの詩を書いた。〕傑作,“Because1

could not stop for Death" の第一連には, この考えがはっきりと表わ

されている.

Because 1 could not stop for Death--

He kindly stopped for me--

Page 9: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

The Carriage held but just Ourselves--

And Immortality. く712)

9

死という恋人と二人して,遠乗りにでも行くかのような調子で書かれたの

がこの詩であるが,遠乗りの旅への carriageの乗客は,彼女と,死と,

Immortalityである.死と Immortalityとの関係を,彼女は,不可分な

ものとして,とらえていたのである.

しかしながら,“1heard a Fly buzz"においても,“Because1 could

not stop for Death"の最後から二番目の連においても,死は必然的に

Immortalityをもたらしてくれるだろうという,彼女の期待は,無残にも

打ち砕かれてしまうのである.“King"は,一匹の虫色によって見えなくな

ってしまうのであり,旅の終着点一一そこで Immortalityとの輝かしい

生活を想像していたのだが は栄光の影など全くない,ほんの,“swel-

ling of the Ground"181で、しかなかったのである.この時期に彼女が,自

分自身の死について歌う詩の最後の部分は,常にといっていし、程,みじめ

なものである. “1 read my sentence steadily" ( 412, 1862年)におい

ても,彼女に与えられる刑は, "extremest"なものである a この為,この

時期の deathpoemsは,非常に desperateな toneを強く持っている

のである.

Puritanismの中で育った Dickinsonにとって,死は, それ自体の持

つ恐怖を除いてはヲそれ程 desperateなものではないはずで、ある.それはラ

彼女自身も前述の詩の中で述べているように,死がImmortalityへの門だ

からである.ところが,彼女の歌う,自分自身の死は,非常に d色sperate

なものである.それは,彼女が,キリスト教の信仰を持つことができない

為,彼女自身には, Immortalityを得るチャンスが無いと感じていた為

であろう.他人が死ぬことや,漠然と死を歌うことではなく 9 他人と区別

して, r自分」が死んだら,と考え始め, Immortalityとの関連で「自分」

の死を絶望的に歌う詩の多くなったのは,1861年以降である Wadsworth

Page 10: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

10 Ernily Dickinsonの初期の詩についての一考察

の転任を予知し始め,それが実際となった時と一致するのである.彼が去

ったことと,彼女が「自分」の死を,他人のものと異なるものとして意識

し,絶望することが,同時になされるということは,何を意味するのであ

ろう.それは,正統のキリスト教では得られなかった Immortalityヘ至

ることのできるパスポートを, Wadsworthを通して得ょうとしていたこ

とを意味するのではなかろうか. Wadsworthの Dickinsonに宛てた

手紙には,

. Believe me, be what it may, you have all my sym-

pathy, and my constant, earnest prayers.

1 am very, v巴ryanxious to learn more definetely of your

triali91--and though 1 have no right to intrude upon your

sorrow yet 1 beg you to write me, though it be a 、有lord.(10)

と警かれており,彼も,彼女のなしていることを,牧者の日から見て,

trialだと考えていたことが理解できる.

愛の悦惚の瞬間は,永遠へと通ずるものを彼女にもたらLたが,この愛

~ì,それ以上に,彼女の得たいと願っていた Immortality を得る為のヲ

最後の賭けだと,彼女自身感じていたのだろう 1860年に書かれた,“Just

10st, when 1 was saved!"の詩も,その前年, j皮女が,全く教会と手を

切ってしまったことを考え合わせると,何故愛を歌う際 saveということ

ばをわざわざ使ったかということが理解される. Dickinsonは詩を書く際,

ことばを丹念に選んでいる為l凶愛を歌う際に使う“solemnize"等のこと

ばや masslmageなどには,彼女の Immortality を得たいという願い

が反映していると考えることは,決して読み込みすぎという訳ではないで

あろう.そして,だからこそ,愛は余計に燃え上がっていったのだろう.

(最初は,多分,彼女自身は,そうはっきりと意識してはいなかっただろ

うが……〕時がすぎ,別れなければならなくなると,彼女にも, vVads¥v-

orthの存在が,愛の対象であると同時に, Immortalityへ通ずる最後の

Page 11: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察 11

道だったことが,痛感されるようになり,それ故に,より醸しい愛の慌惚

感と,自分はもう決して救われることがなくなる,という絶望感に襲われ

ることになったのである.

これらのことは9 彼女の lovepoernsの中にむはっきりと見ることヵ:で

きる 1861年の, "Wild Nights -Wild nights!" (249) という詩の第

二・三連には,愛の1光惚の中に, Eden Z'見出したし、という願いがこめら

れている.

Futile - the Winds--

To a Heart in port

Done with the Cornpass--

Done with the Chart!

Rowing in Eden--

Ah, the Sea!

Might 1 but rnoor - Tonight -

In Thee!

正統派のキリスト教を棄てた (donewith the cornpass, done with the

chart!)彼女が,愛という Eden にいかりをおろせたら,彼女の回りに

吹きあれる,永遠の死という嵐も 9 何でもなくなるのだ,いかりをおろせ

さえすれば9 という激しいねがいが,ここにある.また,以前の詩の中で

も,彼女が酔いしれた酒は,正統派の教会で使うぶどう酒ではなく,少し

別のもの, “liquor never brewed"だと彼女は述べている.従って,遂

に,愛が自分から去ることがわかった時 Irnrnortalityへの trialが,

中途にして断ち切られ,一入閣の中ヘ取り残されるという不安が生じたの

である.“Therecarne a Day at Surnrner's full" (322)の第五・六連に

見られる,“faceson two decks look back,jBound to opposing lands"

という表現は,東部と西部という土地を直接に指し,別れを歌ったもので

あろうが9 折角振り向き合い,共通のゴールへと向かい始めたのに,歩み

Page 12: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

12 Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

は中断され,一人は Immortalityの方へ,他の一人は,反対の方へと向

かわねばならなくなったことへの嘆きとも解される.そしてその結果,

"aU the time had failed"となり,ただ9 “Each bound the other's

crucifix, I We gave no other bond. (1昔でしかなかったと,彼女は歌う

のである.従って,自分がもし死ねば,“finishedknowing then" とな

り,“King"を見ることも出来ず,行き着く所は,単なる “swelling of

the ground"でしかないのである Dickinsonは,激しい恐怖に襲われ

たのである@その苦しみは,悲痛を極め,彼女は,次のように歌わざるを

得ないのである。

The Heart asks Pleasure一一-first

And then--Excuse from Pain-一-And then-一一-those little Anodynes

That deaden suffering-一一

And then--to go to sleep --

And then-if it should be

The will of its Inquisitor

The priviledge to die一一 (536, 1862年〕

また,“Mylife closed twice before its close" (1732)という詩にも,

その大きさを推し測ることができる.苦痛の中でDickinson の出来たこ

とは,彼女の手紙の示す通り,歌うことだけしかなかったので、ある.

1 had a terror--since September-一一 1could tell none--and

so 1 sing, as the Boy does by the Burying Ground 一一一 because1

am afraid.一 一 ……同

大声を張り上げて歌うこと,それは"夏の日を繰り返し,陽の沈む頃に,

太陽を再び作り出町1~ そうという試みであった.大声で,立つ断定的に,

"Mine by the Right of White Election"と歌い続けねばいられない,

しかもそうしていても,底知れぬ deathの不安に襲われるという,悪夢

Page 13: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Ernily Dickinsonの初期の詩についての一考察 13

のような二年間だったのである.

く3)

“After great pain, a formal feeling comes" (341)と自らが歌うよ

うに,愛をもぎ取られるというできごとの後の“formalfeeling"を,彼女

は味わい,それを見詰めねばならなかった.そうして, "formal feeling"

の中から,新たなものが生じ始めた 1862年の終り買より, Dickinsonの

詩の toneは変化し始め,激しい愛の詩は,少しずつ影をひそめ de旦th

poemsにある絶望も, 身を裂くようなものが減わひらき直りのような

ものが,そして次には,少しずつ,自信のようなものが生じ始めるのであ

る.他の者の力 キリスト教や愛一ーによっては, Immort旦lityを得る

ことが出来ないことを悟らざるを得なくなった Dickinsonはタその目を9

自らの内へ向け始めたのである@それが残された唯一のものだったからで

ある e 死後の世界にではなく,現在生きているということの中に Imm-

ort旦lityを求めるしか道のなくなった Dickinsonが, 1862年に書いた詩

に次の様なものがある.

The Color of the Grave is Green--

The Outer Grave--1 mean--

The Color of the Grave is white

The outer Grave--1 mean--

The Color of the Grave within--

Y ou've seen the Color--maybe-一

Upon a Bonnet bound一一一 (411)

墓の外側の色が GreenとWhiteというのは,それが,死 (white)と共

Page 14: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

14 Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

に Immortality (Green) U唱を表していると,普通の人には (outer

color) 思われているのだ,というのである.けれども, 内側の色,つま

り本当の意味での Immortality の色左は,誰でも皆が見たことのある

(you've seen)色,換言すれば,生の色である,というのである. 1863年,

過去のことを客観的に振り返る余裕ができてきた Dickinsonは, それ迄,

自身の歩いてきた過程を,軽いタッチで、歌っている.前に一部を引用した,

“Because 1 could not stop for Death"がそれぞれである自分Jの

死んでゆくさまを歌ったものであるがタッチは以前の同様のテーマを持つ

詩に比べ,非常に軽しこの中にも,彼女の心の変化をうかがし、知ること

ができる.恋人を遠乗りへ,という気楽さで, Immortality を得ること

ができると信じ,死への旅をした自分を,半ば comicなものとして描い

d ている.最後の連では,現在のことを9 全く異った調子で,次のように歌

っている

Since then--'tis Centuries--and yet

Feels shorter than the Day

1 first surmised the Horses' Heads

Were toward Eternity-一一 (712)

無我夢中で Immorta1ityを求めた頃のことを Surmise という暖昧な

ことばで回想していること Immortality ということばが,これまた少

し漠然とした Eternityということばに置き換えられていること, feelと

いう暖味なことば,これらが,この連の特色である.以前の彼女の痛々し

い程の愛に対する 9 そして,それを通しての Immortalityへの希求9 そ

の努力を,今の彼女は, surmiseという形でしか想い出せないのである.

あの時自分は Immortality の方へ方向を定めたのに,行~先は,ぼんや

りとした Eternityの方へ向いたようだったというのである.自分の努力

が,無邪気な, comicなものに映る程である.これらは, 1863年当時の,

以前の自分に対して下した評価で、ある. feelということばから,彼女は,

Page 15: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察 15

以前と同じ時の感覚を失ってしまっていることがわかる.現在生きている

事自体が,以前とは全く異った次元で、なされていることが,この一連によ

く表現されている.

1862年頃より,彼女は“Mine,by the right of White Election"に

もあった様に,白のドレスをまとい,自室にこもって,外的世界とは没交

渉となった.これは, Dickinsonの,ただ生きているだけの生を拒み,今,

生きていることそのものの中に Immortalityを見出してゆこうとしづ 9

積極的な態度である 1862年に次のような詩を彼女は書いた.

1 died for Beauty --but was scarce

Adjusted in the Tomb

When One who died for Truth, was lain

In an adjoining Room --

He questioned softly"why 1 failed勺

“For Beautyヘ1replied 一一一

“And 1一一一 forTruth--Themselves are One--

'vVe Brethren, are", He said-一一 (449)

Dickinsonは,人の選ばぬ scarceな道を選んだ@それは,美の道であ

った.美の道は,真実の道であった. 美に生きるという決意を, 彼女は

手紙の中で,はっきり断言している 1862年のことである. “Perhaps

you smile at me. 1 could not stop for that - -my Business is

Circumference一一州国また,同じ頃書かれた他の手紙の中でも ?εrhaps

the whole United States are laughing at me too ! 1 cant stop for

that日明Ibusiness is to siJ1g."' 'J~ と宣言している.白のドレスは, Dic-

kinsonの,詩人としての衣装でもあったのかもしれない.

以上の様にして, Dickinsonは,自身の人生を,詩人として歩み始め,

この時から,生の意味のみを凝視する,本当の戦いが開始されたのであ

Page 16: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

16 Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

The Missing All--prevented Me

From missing minor Things.

If nothing larger than a W orld's

Departure from a Hinge--

Or Sun's extinction, be observed--

'Twas not 80 large that 1

Could lift my Forehead from my work

For Curiosity. (985, 1865年〕

minor thingsこそ Immortalityであり,それ以外には,何の関心を

示さないという,撤底した態度である,だからこそ9 初めに挙げた様に.

w

o

hwdr

IDu町

U

A則

的い

a

d

N

m

m

片山地

m

n

b

I

o

y

j

i

unH

e

B

x

h

T

h

F

と歌い得たのである.

詩人Dickinsonの以後の中で課題は,全てが transcientである,とい

うことの認識であったと私は考える.それは,自身の愛の体験に根差す処

が多くヲ若人や子供の死に逢ったこと, 1864年に,自身が目を患ったこと,

だんだん年を取ってきたこと等にも影響されている 1865年以前の作品で

秀れたものは,愛と死をテーマにしたものが多い,が,後期の作でよいも

のは Transcientであるということをふまえたものであると,私は考え

ている.ハチドリのすばやい動作を歌った作品凶や, New England地方

独得の lndianSummer側や,夏の終りを扱った数々の作品側等がそうで

ある.これらは,いずれを取ってみても,それが去ること,一瞬の出来事

に過ぎぬことを,前もって認識しており,却って,去るが故iこ,一瞬なる

が故に,美しいのだ,その一瞬こそ Immortalityなのだという考えに,

Page 17: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察 17

裏打ちされたものである.私は,それらを9 初期の "sumlnerpoems"に

対し,“latesummer poems"あるいはラ “Indian summer poems"と

名付けてもよいのではないかと考えているのである.

Dickinsonは,混沌とした闇の中で,苦悩し,あえぎ,さまざまなtrial

をした.時にはその trialは,直接に Immortalityへと向かい,ある時

は,全く逆方向へと向かった.しかし,その中で生み出された詩の,すば

らしいものは,どれを取ってみても,自身の苦しみと, Immortalityへの

切なる願いが背後にあるものばかりである. 1860年以降数年間の,地獄の

ような苦しみは9 詩人としての EmilyDickinsonの以後の方向を決定付

けるものであった.詩人 EmilyDickinsonにとっての museは,愛や

苦悩の仮面を持った, Immortalityだったのである.

注)

(1) Dickinsonは 20歳の頃より,自分がキリスト教に入れないと感じてはいた

が,教会には習漬的に出掛けていた。

(2) 1860~65年の問に,彼女は, 1775篇中,半数以上に当たる, 900篇以上の詩

を書いた。

(3) 105“To hang our head一一一 ostensibly一一一"

324. “Som巴 k巴巴pthe Sabbath going to Church一一一"

401.“vVhat Soft一一CherubicCreatures一一一"等があるo

(4) The Poems 01 Emily Dickinson, ed by T. Johnson, Dickinsonの詩には,

題がない為,以下, Johnsonによってつけられた番号と,詩の第一行で表す

こととする o

(5) 下線は,筆者が施した。

(6) 上に同じ。

(η 上に同じ。

(8) 712番の詩“Because1 could not stop for Death"の第五連“Wepaused

before a House that seem色dJAS"アellingof th巴 Ground一一一"

(9) 下線は,筆者が施した。

UO) The Letters 01 Emily Dickinson, P. 392

制 276,“Manya. phrase has English language-一一"や, 1126,“Shall 1 take

Page 18: Emily Dickinson の初期の詩について の一考察...2 Emily Dickinson の初期の詩についての一考察 閉じ込もるようになったこと,彼女の親しい知人達の死にあったこと,等

18 Emily Dickinsonの初期の詩についての一考察

thee, the Poet said"に表れている。 1126の詩のの第一一連は,次のようであ

る。

Shall 1 take thee, the Poet said

To the propounded word?

Be stationed with the Candidates

Till 1 have finer tried --

同 322,“There came a Day at Summ~r's full"の第六連

M The Letters of Emily Dickinson, P. 404

同 307,"The One who could repeat the Summer daγ'の TheOne who

could repeat the Summ巴rday一一/…一 AndHe --could reproduce

the Sun ←ー JAtperiod of going down一一

の部分である。

嶋 TheLetters of Emily Dickinson, P. 358,“Why did you bind it in green

andぎold?The immortal colors"

帥 TheLetters of Emily Dickinson, P, 412

0司 TheLetters of Emily Dickinson, P. 413

M) 1463,“A Routεof Evanescence"

同 Indian Summer:土, New England にみられる,小春日和のような天候であ

る。夏も過ぎ,冬が近ずいている頃,突如として,暖かな,陽ざしの強い,

夏のような日がやってくることがある。これが IndianSummerである。こ

の翌朝に 6インチも,雪が積もっていることもあるという。

制約30篇あり,その中でも傑作と考えられるものは, 1068 "Furthur Summer

than the Birds", 1臼33却0“Wi抗th加O叩u凶1北ta smile 一一一 Wi抗thou叫1枕ta Throe♂"ヘ,

I臼35臼3

Grief"などがある。