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人間文化第 27 号 - AGUkiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_02F/02__27F/02__27_110.pdf · 2014. 1. 25. · 神 山 重 彦 物乞いと布施 『ボーディサットヴァ・アヴァダーナ・カルパラター』第

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『ボーディサットヴァ・アヴァダーナ・カルパラター』

第55章への補注

神 山 重 彦

物乞いと布施

『ボーディサットヴァ・アヴァダーナ・カルパラター』第55章は,鳩がサルヴァムダ

ダ王 (一切布施王)に保護を求め 王が自らの肉を猟師(実はインドラ神の化身)に与

える物語である。

この類話である,鷹が鳩を追う説話は,日本でもよく知られたも ので,平安時代の説

話集『三宝絵詞』などに収められている。

L び

『三宝絵詞』 上 一 1 F'毘王の慈悲心を試すため,帝釈天が鷹に,毘首掲磨天が鳩に

化し,鳩が鷹に追われて王の懐へ逃げ入る。王は鳩を救うために, 自分の全身の肉を切

り取って,鷹に与えてしまう。その時,帝釈天は天の薬を注ぎ,戸毘王の身体はもとど

おりに回復した。

これと似た物語が,ギリシアにもあるのは興味深い ことである。

『ギリシア哲学者列伝.! (ラエルティオス)第 4 巻第 2 章「クセ ノクラ テス」 ク セ ノ

クラテスはプラトンの弟子だった。ある時 一羽の小雀が鷹に追われて,クセノクラテ

スの懐へ飛び込んで来た。彼は「保護を求めるも のを,引き渡しではならないからね」

と 言い,その小雀をやさ しくなでて,放してやった。

『カルパラター』や『三宝絵詞』においては, 鳩を追う猟師も鷹も,その正体は実は

インド ラ神(=帝釈天)だった。 神・あるいは仏が人間の姿になってあらわれ,物を乞

うというのは,仏教説話にしばしば見られる設定である。

「今昔物語集』巻20-40 冬の 日, 元興寺の僧義紹院が路辺の乞食に衣を与える。 と

ころが,義紹院が馬に乗ったまま衣を投げかけたこ とを乞食は怒 り , 衣を投げ返して姿けにん

を消す。「化人 (=神仏の化身)であったのか」と義紹院は悟り,礼拝する。

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人間文化第27号

古くは『日本書紀』にも見られる 。

ひつぎのみこ

『 日本書紀』 巻22推古天皇21年 十二月一日 , 皇太子(=聖徳太子) が片岡山に出か

けると,飢えた人が道に倒れていた。太子は飢えた人に飲食を与え, 自分の衣服を脱い

でかけてやった。 そして「安らかに寝ておれ」と言い r し な て る片岡山に飯に飢て

・・」 の歌をうたった。 二日,太子は使者を送 り ,様子を見に行かせる。 飢えた人はすひじ り

でに死んでいた。太子は墓を作り r この人は凡人ではあるま い。真人であろう」と

語った。

キリ ス ト教の伝説にも,同様のものがある。

「黄金伝説.JJ 160 r聖マルテ ィ ヌス 」 聖マルティヌスがまだ洗礼を受けていない時,

冬の日に馬でアミアンの市門を通ろう として一人の裸の乞食に出会う。 マルティヌスは

自分のマ ン ト の半分を剣で裂いて乞食に与える。その夜,マルティヌスの夢に,半分の

マ ン ト を まと っ たキリ ス ト があ らわれ,天使たちに 「マルティヌスがこのマ ン ト を私に

着せて く れた」 と 言う。

神や仏が人の慈悲心を試すために,繰り返し物乞いをする とい う物語もあ る。

せんさい

『撰集抄』 巻 3 - 7 冬の寒さを訴える女に,膳西上人が小袖を与える。翌日,同じ女

が来て「小袖を失った」と言うので,上人は再び与える。その次の日も , 女は着物を乞

いに来る。 上人が 「もう与えられぬ」と断ると , 女は「汝は心小さき人」と言い捨て

て, 姿を消した。 謄西上人は r化人が, 私の心をはか り給う たのだ」 と悟って,悔い

悲しんだ。

『閑居の友』 上 l 天竺へ渡る真知親王が, 大柑子を三つ持っていた。飢え疲れた

人が乞うので, 親王は小さな柑子を与える。飢え人は r心小さき人のほどこ しは受く

べからず」と言って姿を消す。「化人であったのか」 と親王は驚き , 悔やむ。

『三国伝記』巻 5 - 8 二子と犬を連れた貧女が斎会の場に現れ,食を乞う。僧が女と

二子の分, 飯三膳を与えると , 女は犬の分も乞い, さらに「我が腹中の子にも食を給

え」と望む。僧が 「不当なり。去れ」 と怒ると , 女はたちまち文殊菩薩と変じ,犬は獅

子, 二子は善財童子 ・ 優填王となった。

これも仏教説話に限られる話柄ではなく , 西欧に類話がある。

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『ボーディサットヴァ・アウゃアダーナ・カルパラター』第55章への補注(神 山)

「黄金伝説.JJ 27 r慈善家聖ヨハネス」 物乞いの巡礼に,聖ヨハネスは銀貨六枚を与え

た。しばらくして同じ乞食が姿を変えてやって来ると,ヨハネスは金貨六枚を与えた。

三度目に乞食が現れた時には,ヨハネスは金貨十二枚を与えるよう会計係に命じ r主

イエス・キリストに試されているのかもしれないのだ」と言った。

以上の例は,食物や衣服や金貨などを物乞いに与えるのであった。しかし本稿で問題

にするのは,身体の肉を切り取って与えねばならないという事態である。

対立するこ者の調停

第55章においてサルヴァムダダ王(一切布施王)が直面したのは,鳩の命を救うだ

けではなく,猟師の生活も保障せねばならない と いう問題である。鳩と猟師, どちらも

生きていかねばならない。あちらを立てればこちらが立たず, という状況である。

利害の対立する A'B二者があり,それを第三者が裁く物語としては,いわゆる 「漁

夫(=漁父)の利」 の話がある。 A と Bが争い 通りかかった第三者が A と B を獲物

として得るというものである。

『戦国策』 第30 r燕」 ドブガイ(あるいはカラスガイ・ハマグリ)が肉を出して,

日にさらしていた。シギ(あるいはカワセミ)がその肉をついばんだので, ドブガイは

貝を合わせてシギのくちばしをはさんだ。両者が争っているところへ漁父が来て,両方

とも捕えた。

イソップにも類似した話がある。

『イソ ッフ。寓話集.JJ (岩波文庫版) 147 r ライオンと熊」 ライオンと熊が,鹿の仔をめ

ぐって争い,互いに傷つき横たわる。そこへ狐が通りかかり,仔鹿を取って立ち去っ

た。

こういう乱暴な解決とは異なり,争う両者の言い分をよく聞き, A' B両者の言い分

をそのまま認めることによって,公正な裁きをする物語もある。

『葉陰比事.JJ 110 r斉賢両易 J r財産配分が不平等だ」と言って甲と乙が争い, とも

に r分け前が相手よりも少ない」 と主張した。丞相張斉賢が甲乙両者の言い分を聞き ,

甲を乙の家に,乙を甲の家に入れた。 二人ともこの裁きに従うほかなかった。

一方が不正 ・不正直で、ある場合も,その不正 ・ 不正直の側の言い分を,そのまま認め

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人間文化第27号

て裁く物語がある。

『カレンダーゲシヒテン(暦話).J (へーベル) r名裁判官」 金持ちが七百ターラー入

りの袋を落とし r拾った人に謝礼百ターラーを支払う」と広告する。正直者が袋を届

けると,金持ちは謝礼を払わずにすまそうと考え r君は謝礼の百ターラーを先に取っ

たんだね。袋の中には八百ターラーあったんだよ」と言う。裁判官が金持ちに rそれ

ならこれは,お前が落としたのとは違う袋だ」と言って,正直者に袋を与えた C*東洋

での出来事だ, として記される〕。

『沙石集』巻 7-3 唐に正直な夫婦があり 南挺( =上質の銀)六つの入った袋を

拾って届けた。ところが落とし主が r七つあったはずだ。一つ隠しただろう」と言い

がかりをつける。すると裁判官が rそれならこれは,お前の落としたのとは別の袋で

あろう」と言って,南挺六つをすべて正直夫婦に与えた。

ところで第55章は,対立する A.B二者をともに救おう, という物語である。次の

「日本書紀』の例などは,そういうものである。 A と B が争い,通りかかった第三者が

争いをやめさせて, A. B 双方の命を救うのである。

『日本書紀』巻 19欽明天皇即位前紀 二頭の狼が山で戦い,血だらけになっていた。はたのおほっち

秦大津父という人が通りかかり rあなた方は貴い神で,荒々しいわざを好みます。猟

師に遭ったら捕らえられてしまうでしょう」と言い,二頭の噛み合いをやめさせた。そ

して血で汚れた毛を拭い洗って放してやり 二頭の命を助けた。この報いであろうか,

後に彼は欽明天皇に召され,重んぜ、られた。

さらにいえば,第55章は,裁く人(王)が自らの身を犠牲にして,鳩と猟師の双方

を救うのであった。ややかけ離れた印象を与えるかもしれないが,落語などで知られる

いわゆる「三方一両損」の物語も,裁く者が自らの金を出して,争う二者の調停をする

という点では,一切布施王の行為と共通する。「三方一両損」の物語は,古くは『大岡

政談』に見られる。

『大岡政談.J r畳屋・建具屋出入りの事ならび、に一両損裁許の事」 三両拾った建具屋

が,落とし主の畳屋を訪ねるが,畳屋は「三両は,拾ったお前のものだ」と言って,っ

き返す。畳屋も建具屋も,互いに相手に「三両受け取れJ と言って,争いになる。大岡

越前が自分の懐から一両出して合計四両とし,畳屋と建具屋に二両ずつ与える。越前は

「畳屋も建具屋も三両得るはずのところ 二両になって一両の損。この越前も一両の損」

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『ボーディサットヴァ・アヴァダーナ・カルパラター』第55章への補注(神 山)

と説 く。

「三方一両損」とは言いながら,金を落とした者と拾った者は,考えようによっては,

二両得したわけである。これに対して, 裁いた奉行は自分の懐の一両を出して与えたの

だから,金銭的には損害を受けただけである。

さて,一切布施王は自らの肉を切り取って,猟師に与えたのだったが,生きた人間の

身体から肉を切り取るとい う と,まず連想されるのが 『ヴ、エニスの商人』であろ う。 こ

れも賢明な裁きの物語であ る。

「ヴェニスの商人.! ( シ ェイクス ピア)第 4 幕 ヴェニスの商人アン トーニオは親友

パッサーニオのために,ユダヤ人シャイロックから三千ダカットを借り I期日 までに

返せなければ胸の肉一ポン ドを切 り 取って与える」と の契約をかわす。パッサーニオの

婚約者ポーシヤが法学博士に扮し I契約書には肉一ポンド と だけ書いであるので, 血

は一滴たりとも流してはな らぬ」 と宣告する。

しかし第55章では,このような論弁とも思えるようなことは言わず, 正直に肉を切っ

て与える。ところが,王が自らの肉を多く切り取って秤にかけても,鳩よりも軽かっ

た。これはIT'エジプトの死者の書』の, 冥府の審判の時の秤を思わせる展開である 。

「エジプトの死者の書』では,人間の心臓と一片の羽毛の重さを比べる。当然,心臓の

方が重いはずで、あるが,それではいけないのである。重い心臓と軽い羽毛が,秤の上で

釣り合わなければならない。

『エジプ ト の死者の書.! I私(書記生アニ)J は死んで霊界へ行き,女神マアトの前で

秤の審判を受けた。「私」の身体から心臓が抜き取られ,天秤皿の一方に置かれる。他

方の皿には,一片の羽毛が置かれる。生前に 「私」の犯した罪が羽毛よりも重ければ,

心臓の載った皿が下がる。すると「私」 の心臓は獣に喰われ I私」は地下の凶霊の国

(=地獄)へ落とされる定めだ。さいわい「私」の心臓と羽毛はつり合って,天秤はど

ちらへも傾かなかった。「私」は霊として永遠に生きることを許された。

受苦の仏教説話

日本の説話には,如来や菩薩が(具体的には仏像が) 人聞を助けて代わりに傷を受

ける, というものがよく見られる。

『今昔物語集」 巻 16-3 周防の判官代が敵の待ち伏せに会い,身体中を斬られるが,

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人間文化第27号

少しも傷を負わない。彼は, 三井寺の観音が身代わりになった由の夢を見て,急、ぎ参詣

すると,観音像が満身傷だらけになっていた。

めのわらわ

『沙石集』巻 2-3 金持ちの主人が,赤く焼けた銭を女童の片頬に当てて罰した。

その後で主人は持仏堂へ行き,本尊である金色の阿弥陀立像を拝む。すると阿弥陀像の

頬に,銭の形が黒くついていたので,主人は驚く。女童を呼んで頬を見ると,少しの傷

もなかった。阿弥陀像の銭形は,金箔を何重に貼っても隠すことができなかった。

こういう物語のバリエーションで,飢えた人に,仏像が自分の身を食べさせるという

ものがある。

『古本説話集』下 53 丹後国の山寺に冬ごもりする僧が,飢えて観音に助けを求め

る。鹿が現れたので,僧は鹿の両腿の肉を切り,鍋で煮て食う。春になって村人たちが

寺を訪れると,鍋に木切れがあり,観音像の両腿がえぐられていた。僧は「観音が鹿に

化身されたのならば,もとどおりになり給え」と祈り,観音像の傷口は見る聞にふさがなりあい

る。以来,この寺を成合寺という C* ß"今昔物語集』巻 16-4 の類話では,観音は猪に

化して僧に食われる〕。

これは観音が自らの肉を与えて 僧を飢え死にから救ったということである。一切布

施王が猟師に肉を与えたのと同じことをしているわけである。第百章においては,王

が「無上の等正覚を求める」という真実語を発すると,王の肉体はもとどおりになる。

『古本説話集』では僧が「鹿が観音の化身ならば,もとどおりになり給え」と言うと,

観音像の傷口はふさがった。成合寺の観音の説話は,この第55章や戸毘王の物語など,

インドの話を原典として出来上がったものであろう。

近代小説で、は,自分の身を犠牲にして他の人を救う物語は少ない。犠牲的行為を偽善

と見なしてしまうからであろうか。飢え死に寸前の少年を見ても何もしない, という次

の小説などは,近代小説の主人公の一つの典型で、あろう。

r灰色の月 JJ (志賀直哉) 終戦後まもない昭和二十年十月十六日の夜。「私」は東京駅

から山手線に乗った。隣に十七~八歳の少年工が腰掛けていた。眼をっぷり,口をあ

け,上体を前後に揺すっている。乗客の一人が少年工を見て,餓死寸前だという意味の

ことを言った。少年工は窓外を見ょうとして重心を失い I私」によりかかってきた。

「私」は反射的に,肩で突き返してしまった。「私」は少年工のために何もしてやれず,

暗潅たる気持ちで,渋谷で降りた。

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『ボーテ。ィサット ヴァ・アヴァダーナ ・ カルパラター』第55章への補注(神 山)

ところで, 一切布施王や成合寺の観音のごとく,飢えた人聞に肉を与えるという物語

としては,次の説話が有名である。こ こにも帝釈天が登場する。

『今昔物語集』巻 5-13 帝釈天が,兎・狐 ・猿の心を試すために老人に変身し I我

を養え」と請う。狐と猿は,それぞれ食料を捜して来て老人に食べさせるが,兎は無力

で何も捜せない。 兎は「私の身体を焼いてお食べ下さい」と言い,焚き火に飛びこ む。

帝釈天は兎を哀れみ,兎が火に飛び、入った形を月の中へ移して,一切衆生に見せるため

に月面にとどめた。

手塚治虫の長編『ブッダ』 が,冒頭と結尾の二ヵ所にこの物語を引いている。彼の

「ジヤ ング、ル大帝』 も,同様の物語である。

『ジャングル大帝.! (手塚治虫) 不思議な力を持つ月光石を求めて A ・ B両国の探

検隊が海抜5530メートルのムーン山に登馨し, 白ライオンのレオが同行する。しかし

激しい吹雪で隊員たちは次々 に倒れ, ヒ ゲオヤジ以外は皆死ぬ。レオは「わしを殺して

肉を食べ,毛皮を着て下山しなさい」と告げ,わざと ヒ ゲオヤジのナイフに刺されて死

ぬ。

以上の,動物(兎やライオン)が, 自分の肉を人聞に与えるのとは逆に,人聞が自分

の肉を猛獣や羅利などに与える物語もある。

r三宝絵詞』上 一11 国王の三人の王子たちが竹林に出かけ,七頭の子を産んで衰弱

した一頭の虎を見た。長男の王子が「この虎は, 食物を探すことができず,飢えて自分

の子を喰うであろう」と言った。末子の薩極王子が 「虎の命を救おう」と考え,衣を脱

いで竹にかけ, 自分の身を虎に喰わせた。

『大般浬繋経.! (40巻本) I聖行品」 帝釈天が羅剰に化身し,ヒマラヤ山へ下って,

「諸行無常。是生滅法 (諸行は無常である。これが生成と消滅の道理である ) J の備を唱

えた。苦行者(=雪山童子。 仏陀の前世) が rこの教えのためなら命も惜しく ない」

と思い, 自分の身体を羅剰に食わせる約束で,偶の後半「生滅々己。寂滅為楽(生成と

消滅の繰り返しがなく なった時, まったくの静寂の安楽が得られる ) J を聞かせても

らった。羅利は帝釈天の姿に戻り,苦行者を讃嘆した。

ところで第55章は,動物が肉を人聞に与えるのでもなく,人聞が肉を猛獣や羅利に

与えるのでもない。王が猟師に肉を与える。つま り人聞が人聞に肉を与える物語であ

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人間文化第27号

る。ここが気にかかるところである。もっとも,猟師は実は人間ではなくインドラ神で

あり,また,王の肉を切り取っただけで食べてはいないので,もう少しはっきりした例

をあげてみよう。

「大般浬繋経.! (40巻本) I光明遍照高貴徳王菩薩品」 貧しい男が自分の身体を金五

枚で売り,その金で仏陀への布施物を買って届ける。男の身体を買った人は悪性の病気

で,薬として毎日,人肉を(田上太秀氏の現代語訳では百五十グラム)食べねばならな

い。男は毎日,自分の肉を切って病人に与えるが,仏陀から教わった詩備を念じていた

ので,痛みを感じなかった。病人は人肉を一ヵ月間食べて治癒した。男の身体の肉を切

り取った傷も,跡形なく消えた。

人肉を食べた男は病気が治り,人肉を与えた男も傷あとは消えたのだから,めでたし

めでたしの結末である。しかし結果が良かったからといって 人聞が人間の肉を食べる

ことを正当化できるのだろうか。これは,きわめて罪深いことではないだろうか。

人肉食

敵対する人物によって,知らずに肉親の肉を食べさせられた, という物語が,西欧に

しばしば見られる 。 一例だけあげると,父親が,知らずに我が子の肉を食う物語がグリ

ムにある。

『びゃくしんの話.! (グリム) KHM47 継母が先妻の子を殺し肉汁にして,帰宅した

父親に食べさせる。父親が「せがれはどうした ?J と聞くと,継母は「親戚の家へ泊ま

りに行った」と答える。父親は「変だなあ」と言いつつも,肉汁を「うまいうまい」と

言って全部食べてしまう。

日本では『かちかち山』がある 。

『かちかち山.! (昔話) 狸が婆を殺して婆に化け,畑から帰ってきた爺に「狸汁を」

とすすめる 。 何も知らぬ爺が舌鼓を打って食べおわると,狸は正体をあらわし I婆汁

食った爺ゃい。流しの下の骨を見ろ」と言って逃げる。

ただし,子供向けの絵本では, この部分が削除されていることが多い。私自身,子供

の頃はまったく知らず,大学の三年生の時,太宰治の『お伽草紙』が文庫本になったの

で喜んで買い,その中のー編『カチカチ山』を読んで,ずいぶん驚いた思い出がある。

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『ボーデイサットヴァ・アヴァダーナ・カルパラター』第55章への補注(神 山)

飢餓に迫られれば,人肉と知りつつ食べる ということも起こってくる。

『海神丸.1 (野上弥生子) 小谷船長・三吉・五郎助・八蔵の四人が乗った帆船海神丸

が,嵐に遭い漂流する。食料が尽き,八蔵は人肉を食おうと考え,五郎助をそそのかし

て,三吉の頭を斧で打ち割り殺す。しかしさすがに死体を食べるこ とはできず,三吉の

死体は海へ投げこまれる。数十日後に三人は救助され,船長は「三吉は病死した」と報

告する。

『野火.1 (大岡昇平) レイテ島の敗兵田村一等兵は人肉を食べようとするが,肉を切

り取るために剣を持つ右の手首を,左手が握ってと めるので驚く 。出会った仲間の兵か

ら田村は猿の干肉をもらい,何日かの閉それを食べて命をつなぐ。実はそれは人肉だっ

た。

人聞の肉を食べた者は身体のまわりが光る , という話もあり,人肉食は,もはや人の

道を踏み外したこと, と見なされているのであろう。

『ひかりごけ.1 (武田泰淳) 第二次大戦末期。冬の根室海峡で小型船が難破する。死

んだ船員の肉を食べて,船長一人が生き残る。人間の肉を食べた者は,首の後ろに仏像

の光背のごとき緑金色の光の輪が出る。

『蕨野行.1 (村田喜代子) 凶作の年。隣人を殺し 肉を塩漬けにして食いつないだ男

がいた。雨の降る晩,道を歩く男の四辺に,ホタル火より小さい燐光がチラチラと舞っ

ていた。村の年寄りが「人を食ったに違いない」と言い,男は役人に捕らえられて死罪

となった。

じきにんき

仏教に関わる物語としては 死後食人鬼と なってしまった僧の話がある。

『食人鬼.1 (小泉八雲『怪談.1) 山村の寺僧が道心なく,僧職を「衣食を得る手段」と

ばかり考えていたため,死んで食人鬼に生まれ変わった。それ以来,食人鬼の僧は,葬

儀のある家へ行って,遺骸をむさぼり食って生きてゆかねばならなく なった。旅の夢窓

国師が訪れたので,僧は「どうか施餓鬼をお願いいたします。この恐ろ しい境涯からお

救い下さい」と請い,消え失せた。

ところが,これと似た物語で 愛するがゆえに人肉を食う というものが存在するの

である。

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人間文化第27号

「雨月物語」 巻之 5 í青頭巾」 下野国の山寺の僧が,寵愛する寺童の死を惜しみ,つ

いにその遺骸を食い尽くした。その後,僧は夜になると里に出て人を襲い,新墓をあば

いて屍肉を食うようになった。諸国行脚の快庵禅師が寺を訪れて,僧に「江月照らし松

風吹く,永夜清宵何の所為ぞ」の句を与え,成仏させた。

美女に求婚した男たちが,その美女の肉を食べるという物語もある。

寅御石(高木敏雄『日本伝説集」第 14) 弘安 (1278""-'88) の頃。長者の娘お寅は絶

世の美女だったので,近郷近在の大勢の男が求婚した。誰を婿に選んでも, 他の求婚者

たちから恨まれる。長者は思い悩み,ある決心をして,求婚者たちを家へ招く。酒宴の

席で,血の滴る生肉を盛り 上げた大皿が出る。それはお寅の腿肉だった。求婚者たちは

お寅の死を知り,生肉を食べ尽くして涙ながらに引き上げた。彼らが申し合わせて供養

塔を建立したのが,今の寅御石の起こりである (埼玉県南埼玉郡河合村馬込)。

これは美女が, 自分を愛する大勢の男たちに身を分けて食べさせるのであるから,

切布施王の行為とやや似たところがあるともいえる。さら に,次のような物語さえあ

る。

『遠野物語拾遺.J 296 昔ある所に,たいそう仲の良い夫婦がいた。夫が長旅に出てい

る間,妻は,近所の若者たちの悪戯に悩まされ,川へ身を投げた。そこへ夫が帰って来すすき

て,妻の屍に取りすがって夜昼泣き悲しんだ。夫は,妻の肉を薄 の葉に包んで持ち帰

り,餅にして食べた。これが,五月五日の節句に薄餅(=薄の新しい葉に,揚きたての

水切り餅を包んだもの)を作って食べるようになった始めである。

愛する人の肉を食べることが, 愛情の表現であり ,供養にもなる, ということなのだ

ろう。妻は夫に食われることによって,成仏したのかもしれない。もっ とも,この物語

の原型は,仏教が日本にもたらされる以前のものかもしれず\そうであれば,成仏とい

う 言い方は適切ではない。

物乞いと布施, という物語についていろいろな類話をあげて考えていくと,人聞が人

間の肉を食べるという,あってはならぬ物語群に行きついてしまう 。 『物語要素事典』

を作成する立場からは,こう い う物語からも目をそらすことはできないのである。「人

肉食」 の物語は「近親婚」の物語とならんで,人間存在の根源にふれる,きわめて恐ろ

しい物語であろう と思うが, これらを検討した上で,仏典説話をあらためて見直して行

きたいというのが,私の現在の考えである。

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