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写 真:秋 元 がキューバに興味を持ったの は、10 年 前、環 境 問 題 や 有 機農業という側面からでした。当時 私は東京都庁で農業関係の仕事に 従事していましたから、有 機 農 業や 都市における農業の役割などに関心 があり、海外事例も調べていたので す。意外なことに開発途上国では先 進国以上に都市農業が盛んで、中で もキューバの首都ハバナがその最先 端を行っていることが分かりました。 15 年ほど前、キューバはソ連圏崩 壊と、それに続く米国の経済封鎖政 策の強化で、深刻な経済危機に直 面しました。旧ソ連圏からの食料や 農薬、化学肥料の輸入が激減し、同 時に石油の輸入も半分以下になりま した。停電も続き、生活物資のほと んどが途絶する中、やむにやまれず 200万人の都市ハバナが有機野菜 の自給に取り組んだというのです。 INTERVIEW この人に聞く 200 2008.12 Nikkei Medical よしだ たろう氏 1961年東京都生ま れ。筑波大学自然学類卒業。同大学院 地球科学研究科中退。東京都職員を経 て、現在、長野県農業大学校教授。著書 に『200万都市が有機野菜で自給でき るわけ』『世界がキューバの高学力に注目 するわけ』(以上、築地書館 )など。 吉田 太郎 (長野県農業大学校教授) 先進国並みの健康指標を実現した キューバ医療の秘密とは 先進国並みの健康指標を実現した キューバ医療の秘密とは

先進国並みの健康指標を実現した キューバ医療の秘 …重点を置いた診療をしています。 予防医療は国の医療施策の根幹 でもあります。公衆衛生面では、す

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Page 1: 先進国並みの健康指標を実現した キューバ医療の秘 …重点を置いた診療をしています。 予防医療は国の医療施策の根幹 でもあります。公衆衛生面では、す

写真:秋元 忍

がキューバに興味を持ったの

は、10年前、環境問題や有

機農業という側面からでした。当時

私は東京都庁で農業関係の仕事に

従事していましたから、有機農業や

都市における農業の役割などに関心

があり、海外事例も調べていたので

す。意外なことに開発途上国では先

進国以上に都市農業が盛んで、中で

もキューバの首都ハバナがその最先

端を行っていることが分かりました。

 15年ほど前、キューバはソ連圏崩

壊と、それに続く米国の経済封鎖政

策の強化で、深刻な経済危機に直

面しました。旧ソ連圏からの食料や

農薬、化学肥料の輸入が激減し、同

時に石油の輸入も半分以下になりま

した。停電も続き、生活物資のほと

んどが途絶する中、やむにやまれず

200万人の都市ハバナが有機野菜

の自給に取り組んだというのです。

INTERVIEW この人に聞く

200 2008.12Nikkei Medical

よしだ たろう氏 1961年東京都生まれ。筑波大学自然学類卒業。同大学院地球科学研究科中退。東京都職員を経て、現在、長野県農業大学校教授。著書に『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』『世界がキューバの高学力に注目するわけ』(以上、築地書館)など。

─ 吉田 太郎(長野県農業大学校教授)

先進国並みの健康指標を実現したキューバ医療の秘密とは

先進国並みの健康指標を実現したキューバ医療の秘密とは

Page 2: 先進国並みの健康指標を実現した キューバ医療の秘 …重点を置いた診療をしています。 予防医療は国の医療施策の根幹 でもあります。公衆衛生面では、す

 実際に現地を見たいという思いが

募り、学生時代からの私の有機農

業の師匠である金子美登さんと、ツ

アーを組んで現地視察に向かいまし

た。1999年2月のことです。

 その後、十数回、休暇を取っては

キューバを訪れ、3冊の農業関係の

ルポを著しました。医療は専門外

の私が、現地を取材して、『世界が

キューバ医療を手本にするわけ』を

昨年9月に出版できたのも、この農

業ルポがあったからです。

006年11月に「キューバ友

好円卓会議」という日本の有

志団体が、キューバの女医、アルレニ

ス・バロッソさんを日本に招きました。

その時、「吉田さん、キューバに詳し

いでしょう。対談をしてください」と

頼まれたわけです。

 キューバは開発途上国や、自然

災害の被災国に無料の医療援助を

行っていて、アルレニスさんもパキス

タン北西部の大地震で医療援助に

従事していました。

 アルレニスさんの「人の命を救う

ことが医師の本懐」というメッセージ

は聴衆を魅了しました。一緒に話を

聞いていた築地書館の土井二郎社

長も感動し、「この話をぜひ、本にし

て伝えましょう」と私に執筆依頼をし

ました。私も心打たれるものがありま

したから、分もわきまえず二つ返事

でOKしてしまいました。

 取材には2007年1月と5月に休暇

を取って自費で行きました。予想以

上に効率的な取材ができたのは、現

地のコーディネーター、瀬戸くみこさ

んとキューバの外務省が全面協力し

てくれたのが大きかったです。

 社会主義の国である上、ラテンの

のんびりムードですから、普通は何

週間滞在しても取材は難しいと聞き

ます。有機農業の本を執筆していた

こと、うち1冊が韓国語に翻訳され、

韓国からも視察が増えていること

が、非医師の私が医療の取材をする

際の信用につながったようです。

 ちなみに昨年、マイケル・ムーア監

督の映画『シッコ』が封切られ、米

国医療の悲惨さの対極としてキュー

バ医療が取り上げられて、にわかに

注目を集めました。本の出版とタイ

ミングが合って、宣伝にはなりました

が、それは全くの偶然です。

ーバはとても貧しく、医療水

準は日本と比較して決して高

くはありません。しかし、2006年の

乳幼児死亡率は1000人当たり5.3

人、平均寿命は77.5歳と先進国と

比べても遜色ない健康指標となって

います。医師数も人口1000人当た

り6.5人と先進国を上回っています。

もっとも3分の1は途上国や自然災

害の被災国への医療援助で国外に

いますから、実質1000人当たり4人

ですが、それでも日本の約2倍です。

 こうした豊富な人的リソースを武

器として無料の医療制度が展開され

ています。最大の特徴は80年代半

ばから始まったファミリー・ドクター

制による予防医療です。

 キューバの住民は病気になるとま

ずファミリー・ドクターがいる「コン

スルトリオ」と呼ばれる自宅兼地区

医院に行きます。医師は看護師と組

んで約120家族を担当しており、ど

こでも住民と顔なじみです。

 医師は午前中は診察を行い、午後

は往診をします。診察室には診察台

と流しがあるだけで、基本的に視診

と触診のみで診察を進めます。X線

や超音波などの検査が必要なとき

は、もう少し専門的な治療を行う「ポ

リクリニコ」と呼ばれる地区診療所

に出かけます。これらの診療所で手

に負えない場合、市町村病院、州病

院、全国病院とより高次の機能を持

つ病院に紹介されていきます。

 ポリクリニコでは一応の治療設備

は整っていますが、日本と比べれば

貧弱ですし、経済封鎖でなかなか物

資も手に入らない。そうした中、医師

たちは、健康増進、生活指導、衛生

指導、心の相談といった予防医療に

映画『シッコ』公開を機に、日本でもにわかに注目を集めるキューバ医療の実態を、現地の医師、バイオ研究者、行政官、住民などへのインタビューをもとに生々しくリポート。医療を外交上の戦略商品として位置づける、キューバの国情にも鋭く迫る。

2100円(税込み) 築地書館四六判 268ページ

世界がキューバ医療を手本にするわけ

2012008.12Nikkei Medical

2

キュ

Page 3: 先進国並みの健康指標を実現した キューバ医療の秘 …重点を置いた診療をしています。 予防医療は国の医療施策の根幹 でもあります。公衆衛生面では、す

重点を置いた診療をしています。

 予防医療は国の医療施策の根幹

でもあります。公衆衛生面では、す

べての子どもに実に13種類ものワ

クチンを接種しています。その結果、

伝染病罹患率は先進国並みに抑制

されています。インフルエンザと肺炎

を除けば伝染病による死亡は0.9%

にすぎません。自国開発のワクチン

もあります。例えば、この12月から

日本でもやっと発売されたHib(イ

ンフルエンザ菌b型)ワクチンです

が、キューバではカナダの研究者と

2003年に共同開発した人工合成抗

原ワクチンが使われています。

連崩壊以降の経済危機で

は、医薬品の輸入もストップ

しました。食料不足で未熟児が増え、

衛生状況の悪化で伝染病も復活す

るのですが、国家財政が逼迫する中

でも政府は医療費を削減せず、軍事

予算を大幅に削って医療制度を守ろ

うとしました。

 医薬品や医療機器が足りない状

況が続く中で、平均寿命は若干落ち

るのですが、医師たちの努力もあり、

乳幼児死亡率は悪化するどころかむ

しろ改善しました。

 なぜそこまで医療にこだわるの

か。それは、キューバにとって無料の

医療・教育は絶対に守らなければな

いものだからです。その原点は59年

のキューバ革命にあります。キューバ

革命は脱格差社会、ワーキングプア

によるワーキングプアのための格差

をなくす運動だったととらえると非

常に分かりやすい。ですから、革命

直後から、都市部ではなく、医療過

疎だった農村の医療充実にまず重

点を置いてきたのです。農村も含め

全国を網羅する普遍的医療の充実

は、格差解消の証しでもあるのです。

 ちなみにキューバの医師の月給は

約575ペソ、円にすると約2300円で

す。労働者の平均給与が約375ペソ

ですから、決して高くない。ただ、人

命を助けて人々に尊敬されたり、医

療援助で海外に出る機会があること

から、若者にはとても人気がある職

業です。国際連帯はゲバラの生き方

が模範となっている面もありますが、

海外に出れば国内の10倍近い賃金

がもらえるという実益もあります。

ーバにとって医療は外交上の

重要な戦略商品になってい

る事実も忘れてはなりません。大地

震などの被災国への大規模な医師

団派遣はキューバのお株ですし、ラ

テンアメリカやアフリカの開発途上

国に対しては、医師派遣や医師養成

などの形で多大な医療援助をしてい

ます。2008年の医療援助対象国は

実に81カ国に上ります。

 特に医師派遣が多いのはベネズエ

ラです。南米最大の産油国であるベ

ネズエラは、99年のチャベス政権誕

生以降、親キューバ国となり、キュー

バに有利な条件での石油輸出や、資

金援助が始まりました。

 それと引き換えにキューバは、ベ

ネズエラに大量の医師やコメディカ

ルを“輸出”、医療インフラの整備を

手伝っています。ベネズエラで働く

キューバの医療関係者は約2万人と

いわれています。一説には医師1人

当たり年間25万ドルもの援助金が

支払われているそうです。

 貧しい国には無料の医療援助、産

油国には医療を輸出─。この外交

戦略が何に役立っているのかといえ

ば、米国の包囲網への対抗策として

です。今年10月に開かれた国連総

会でも、米国の経済封鎖政策に賛同

したのは、米国、イスラエル、パラオ

の3カ国だけです。これには各国へ

の医療援助が少なからず影響してい

るでしょう。革命以来の医療の「哲

学」を継承しつつ、医療を外交にした

たかに活用する小国、それがキュー

バなのです。 (聞き手:千田 敏之)

202 2008.12Nikkei Medical

インタビュー

「キューバ革命以来の医療の『哲学』を継承しつつ、医療を外交にしたたかに活用する小国、それがキューバなのです」

キュ