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2009年11月14日 東北学院大学オープンリサーチセンター公開講演会
宗教戦争としてのドイツ三十年戦争と民衆
ヴュルテンベルクの「預言者」ハンス・カイルの事件を通じて
出村 伸
はじめに
1648年2月、ヴュルテンベルク公国の一村落ゲルリンゲンに天使が出現し、あるブドウ栽培農
民に預言を与えたというセンセーショナルな報せが駆け巡る。
三十年戦争(1618年〜1648年)。通説的には最後の宗教戦争、スウェーデン、フランスの参戦
を経て宗教戦争の性格を失い、国際化。ヴェストファーレン和議で終結。
1.ヴュルテンベルク公国と三十年戦争
神聖ローマ帝国西南部の有力領邦ヴュルテンベルク公国、首府シュトゥッツガルト、テュービ
ンゲン大学(1477年創設)。1519年から帝国を追放されていたウルリヒが1534年に公国を回復、
宗教改革を導入、旧修道院領の領土への組み込み。ウルリヒの息子、クリストフのもとで十六世
紀後半には西南ドイツの指導的ルター派領邦へと発展。
豊かな土地、ワイン用のブドウ栽培。人口稠密。十七世紀初頭、三十年戦争直前の人口はおよ
そ35万人。
当初、1620年代前半まで戦争の影響は小さい。エーバーハルト三世の統治(1628/33年)開始
頃には西南部に戦争の舞台が移動。スウェーデンとの同盟関係。1634年、ネルトリンゲンでの敗
北後に公は亡命。1635年冬にかけてペストの大流行。人口は戦前の3分の1に減少。
公国への帰還時(1638年)にエーバーハルト三世に許された領土は戦前の半分(ヴェストファ
ーレン和議で旧領土を回復)。1640年代も軍隊の宿営・行軍に伴う略奪、甚大な財政負担。
2.事件の経過
1)天使の出現と「預言」
1648年2月4日、ゲルリンゲンのブドウ栽培農民、ハンス・カイルが、天使が出現し、ヴュルテ
ンベルク公へのメッセージを委ねられたと報告。証拠として血を吹き出す六本のブドウの枝。2月7日、二度目の天使出現。
人々が悔い改めなければ、神の裁きが下る。「主はキリスト教世界全体を三十年にわたって戦
争と流血、飢餓と物価の高騰、ペストなどあらゆる罰で懲らしめてこられたが、人々はいまだに
罪を悔い改めようとしないばかりか、日々、ひどくなっている」。人間の罪とは、
①悪口と誓い、②姦通、③華美な衣服、④税取り立ての際のごまかし、⑤高利貸し、⑥安息日
違反および日曜・祝日の狩猟、⑦聖職者の貪欲さ。
人々が改心し、罪を悔い改めるのならば、「雪が日の光に溶けるように、煙が風に散らされる
ように、月満ちた赤児が母体を離れるように、災いは取り去られ、戦争は終わりを告げ」るだろ
う。さもなければ、「キリスト教世界に災いがふりかかり、ヴュルテンベルクの七つの都市が滅
び、三つの都市が火に焼き尽くされ、異教徒がキリスト教世界を支配する」。
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2)奇蹟譚の流布と当局の対応
天使出現の報の流布。ゲルリンゲンへの巡礼者とカイル支持者の出現。カイル本人に対する審
問と聖職者による審問と意見書提出(HStA Stuttgart, A 209, Bü 1462a, Nr. 4-5)
ゲルリンゲンを巡るさまざまな「奇蹟」の報告。プリントメディアの流布 → プリント参照
3月下旬、カイルの逮捕。ホーエンノエイフェン要塞での拘留と尋問。4月上旬から5月に全面的
な自白。6月にニュルティンゲンの刑事裁判所に移送。テュービンゲン大学、シュトラースブルク
大学からの鑑定書をもとに判決。9月23日に刑の執行。
3.神の裁きとしての戦争解釈と領邦教会
三十年戦争期のルター派神学は戦争を人間の罪に対する神の裁きと解釈。戦争の克服は、人間
が罪を自覚し、悔い改めることのみに求められる。
ヴュルテンベルクの教会当局は、まだ戦争の影響をほとんど受けていない一六二〇年代前半に
すでに悔悛(悔い改め)祈祷日を設定。戦争の長期化・激化に伴い、宗派的危機意識。戦争の神
学的な説明はいよいよ人間の罪や科に集中。カイルの「預言」は当時の説教主題の急進化。
カイルの思考の枠組みは政治的共同体としてのヴュルテンベルク。カイルが「預言」を伝える
べき相手は、ヴュルテンベルク公国の君主であるエーバーハルト三世。エーバーハルト三世が公
国に「悔い改め」を命じなければならない。
当局は制度外の新たな「預言者」を必要としない。「預言」を検討した宗務局(教会官庁)の
意見書は、資格の欠如を指摘。カイルにとっては天使との邂逅という「奇蹟」こそが、「預言者」
としての行動を正当化する宗教的資格。
まとめ
• ルター派領邦教会の申し子としての「預言者」ハンス・カイル。
• メディアを通じた関心は「奇蹟」に集中。カイル支持者は「預言」の社会批判的な部分に共鳴
(租税反乱の懸念)。
• 宗教戦争としての三十年戦争。「世俗化」された戦争とは?
史料と参考文献 Hauptstaatsarchiv Stuttgart, A 209, Bü 1462a: Acten die von Hanns Keylen zu Görlingen angegebene
Visionen betreffendt, 1648-1650. Ebd., A 63, Bü 83: Gebete während des Dreißigjährigen Krieges und nach dem Westfälischen Frieden. Stadtarchiv Ulm, H Furttenbach, Nr. 2 (1635-1650). Hermann Dreher: Hans Keil, „der Prophet“. in: Blätter für württembergische Kirchengeschichte 8 (1904), S.
34-61. Norbert Haag: Frömmigkeit und sozialer Protest: Hans Keil, der Prophet von Gerlingen. in: Zeitschrift für
württembergische Landesgeschichte 48 (1989), S. 127-141. Thomas Kaufmann: Dreißigjähriger Krieg und Westfälischer Friede. Kirchengeschichtliche Studien zur
lutherischen Konfessionskultur. Tübingen 1998. David W. Sabean: Ein Prophet im Dreißigjährigen Krieg. Buße als soziale Metapher. in: Ders.: Das
zweischneidige Schwert. Herrschaft und Widerspruch im Württemberg der frühen Neuzeit. Berlin 1986, S. 77-112.
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ドイツ三十年戦争略年譜(日付はグレゴリウス歴) おもな出来事 ヴュルテンベルク公国
1617 宗教改革 100 周年記念祭
1618 プラハ城窓投下事件(5/23)、プロテスタント貴族によるベーメン統治
彗星の出現
1619 プファルツ選帝侯フリードリヒ五世、ベーメン王に選挙
皇帝フェルディナント二世即位(1637†)
1620 プラハ郊外、白山の戦いでプロテスタント・ベーメン連合軍、皇帝・カトリック軍に大敗。フリードリヒ五世の亡命
1621 プファルツ領の占領 プロテスタント同盟(Union)の解体
1623 バイエルン公マクシミリアンに選帝侯位を授与
1625 デンマーク王クリスチャン四世の参戦
皇帝軍総司令官としてヴァレンシュタイン登用
1628 ヴァレンシュタインにメクレンブルク公位を授与
ヴュルテンベルク公エーバーハルト三世即位(直接統治は 1633 年から)
1629 教会領回復令
リューベック和議でデンマークが戦争から離脱 皇帝・カトリック軍の宿営拡大
1630 スウェーデン王グスタフ・アドルフのドイツ上陸 旧修道院領の回復、進む。
ヴァレンシュタイン解任
アウクスブルク信仰告白 100 周年記念祭
1631 ライプツィヒでプロテスタント諸侯・帝国都市の同盟成立
マグデブルクの破壊(5/20) 西南ドイツに侵入した皇帝軍に降伏
ブライテンフェルトの戦いでスウェーデン軍大勝、南ドイツへ進撃。ヴァレンシュタインの再任
1632 スウェーデンによるバイエルン占領
リュッツェンの戦いでグスタフ・アドルフ戦死
1633 スウェーデンを含むハイルブロン同盟
1634 ヴァレンシュタイン暗殺
ネルトリンゲンの戦いでスウェーデン・プロテスタント連合軍大敗
エーバーハルト三世、シュトラースブルクへ亡命
1635 フランスがスペインに宣戦布告(5/19) ペストの大流行、人口の激減
プラハ和議(5/30) 皇帝軍による占領統治
1636 皇帝がフランスに宣戦布告
1637 皇帝フェルディナント三世即位
1638 スウェーデン・フランス連合軍の進出 エーバーハルト三世、公国へ帰還
1640/41 レーゲンスブルク帝国議会
1642 ブライテンフェルトの戦いでスウェーデン軍大勝
1643 ヴェストファーレンで和平交渉開始
1645 和平交渉の本格化
1647 バイエルン=フランス・スウェーデン間の休戦(9月破棄)
1648 ヴェストファーレン和議(10/24) ヴュルテンベルク公国旧領土の回復
ハンス・カイルを巡る事件の経過(日付はユリウス歴)
日付 おもな出来事
1648 年 2/4 カイルが最初の天使出現を知らせる。公国政府・宗務局への報告
2/7 2 回目の天使出現。各地からの巡礼者がゲルリンゲンへ。
2/9 宗務局でのカイルの審問。宗務局の鑑定書
2/12 宗務局でのゲルリンゲン教区牧師シェルトリンの審問
2/23 ゲルリンゲンにおける調査。住民 70 名余に対する聞き取り
3 月中旬 この頃までにビラ(瓦版)、小冊子が広範囲に出回る。
3/22 カイルの逮捕、ホーエンノエイフェン要塞への連行
3/29 ホーエンノエイフェン要塞での天使出現
4/8 カイルによる最初の自白
4/14 ヴュルテンベルクの全教区でカイルとその「奇蹟」に関する議論を禁止
4/25 カイルの脱走と再逮捕
5/6 カイルによる全面的な自白
6 月〜・8月 ニュルティンゲン刑事裁判所への移送と判決
9/23 刑の執行。晒し台につけられた後、むち打ち。領内からの永久追放
1648 年ヴェストファーレン条約後の神聖ローマ帝国
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①ハンス・カイルについて報じる小冊子の表紙と本文(HStA Stuttgart, A 209, B・ 1462a, Nr. 1)
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・ ②カイルの事件とともにザクセンとマグデブルクでの天使出現を伝えるビラ(HStA Stuttgart, A 209, B・ 1462a, Nr. 6)
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③ケンプテンで起きたパンの奇蹟を伝えるビラ(1646年)(StA Ulm, H Furttenbach, Nr. 2)
④小冊子やビラを商う小売人の姿。1630年頃
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