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上越教育大学研究紀要 第1!巻 第2号平成4年3月 BulL Joetsu Univ.Educ.,Vol.11,No.2,Mar・1992 ヘミングウェイの短編小説作法 “The Batt1er” 広* (平成3年10月30日受理) アーネスト・ヘミングウェイの作品は自伝的色彩がかなり濃厚である。とりわけニック・アダ ムズが登場する短編小説は,彼の生活や経験の断片をそのまま材料にしたかの観がある。そこで 一波がわずかながら明らかにしたことのある短編小説の創作方法を手掛かりとし,若干の伝記的事 実を照合しながら,彼が25歳の時に執筆した“The Batt1er”を分析する。そうすることによって, 彼の短編小説に共通する創作技術の一端を明らかにし,この作品のテーマとのかかわりを考えた い。 KEY WORDS Iceberg Theory 氷山の理論 impIication 含まれた意味 “The Batt1er’’ 「拳闘家」 fact and fiction事実と作り事 art of lying 嘘をつく技術 Nick Adams ニック・アダムズ アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の短編小説は,他の作家に較べて自伝 的な色彩がかなり濃厚である。1そのことを視野に入れて彼の創作の仕方について調べると,い くつかの特色に気づく。 (1〕作品のなかの出来事は,著者自身の実際の体験と作り事(嘘)が渾然一体となっている。 そのためどこまでが彼の体験でどこからが作り事なのかが気になるのだが,これまでの研究 によって判然としている部分とそうでない部分がある。ヘミングウェイは体験した出来事を フィクションに転化させていく際,事実に沿って忠実に描写してゆくということをしていない。 むしろ二連の出来事のあちらこちらに,部分修正を施すかのように作り事を混じり合わせる。 それがあまりにも見事なために,どこまでがファクトでどこからがフィクションなのかを見透 かすことは難しい。それほどに彼の短編小説は技巧を凝らしたものであり,その効果は,あた かも彼自身の体験をありのままに保存したかのように新鮮である。 (2) 「氷山の理論」(‘‘Iceberg Theory”)が使われている。 ヘミングウェイがと一きおり繰り返して明らかにした彼の小説の技法に「氷山の理論」という ‡言語系教育講座

ヘミングウェイの短編小説作法 “The Batt1er” 前 川 …Iceberg Theory 氷山の理論 impIication 含まれた意味 “The Batt1er’’ 「拳闘家」 fact and

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上越教育大学研究紀要 第1!巻 第2号平成4年3月BulL Joetsu Univ.Educ.,Vol.11,No.2,Mar・1992

ヘミングウェイの短編小説作法 “The Batt1er”

前 川 利 広*

(平成3年10月30日受理)

要 旨

アーネスト・ヘミングウェイの作品は自伝的色彩がかなり濃厚である。とりわけニック・アダ

ムズが登場する短編小説は,彼の生活や経験の断片をそのまま材料にしたかの観がある。そこで

一波がわずかながら明らかにしたことのある短編小説の創作方法を手掛かりとし,若干の伝記的事

実を照合しながら,彼が25歳の時に執筆した“The Batt1er”を分析する。そうすることによって,

彼の短編小説に共通する創作技術の一端を明らかにし,この作品のテーマとのかかわりを考えた

い。

KEY WORDS

Iceberg Theory 氷山の理論

impIication 含まれた意味

“The Batt1er’’ 「拳闘家」

fact and fiction事実と作り事

art of lying 嘘をつく技術

Nick Adams ニック・アダムズ

アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の短編小説は,他の作家に較べて自伝

的な色彩がかなり濃厚である。1そのことを視野に入れて彼の創作の仕方について調べると,い

くつかの特色に気づく。

(1〕作品のなかの出来事は,著者自身の実際の体験と作り事(嘘)が渾然一体となっている。

そのためどこまでが彼の体験でどこからが作り事なのかが気になるのだが,これまでの研究

によって判然としている部分とそうでない部分がある。ヘミングウェイは体験した出来事を

フィクションに転化させていく際,事実に沿って忠実に描写してゆくということをしていない。

むしろ二連の出来事のあちらこちらに,部分修正を施すかのように作り事を混じり合わせる。

それがあまりにも見事なために,どこまでがファクトでどこからがフィクションなのかを見透

かすことは難しい。それほどに彼の短編小説は技巧を凝らしたものであり,その効果は,あた

かも彼自身の体験をありのままに保存したかのように新鮮である。

(2) 「氷山の理論」(‘‘Iceberg Theory”)が使われている。

ヘミングウェイがと一きおり繰り返して明らかにした彼の小説の技法に「氷山の理論」という

‡言語系教育講座

224 前 川 利 広

のがある。次に引用するものは,1932年に出版されたヘミングウェイの闘牛解説書刀eα肋肋肋e

λガem00mのなかの一節である。

If a writer of prose knows emugh about what he is writing about he may omit things

that he knows and the reader,if the writer is writing truly enough,wi11have a feeling

of those things as strongly as though the writer had stated them.The dignity of

movement of an ice-berg is due to on1y one-eighth of it being above water.A writer

who omits things because he does not know them on1y makes honow places in his

Writing.2

ここで考えねばならないことは,“he may omit things that he knows”というところである。

この‘‘thingsthatheknows}と限定することによって,ヘミングウェイがどの程度のことを

その範囲内に含めて考えていたのかは,漠然としている。この疑問はひとまずそのままにして

おくことにして,一 vするに「作家が自分の書いていることについて知り尽くしているのであれ

ば,分かっていることは省略してもよい。そうすることによって,読者は省略されずに残され

た部分から強い印象を受け,それは氷山のように威厳をもつ」とまとめることができる。

(3)ヘミングウェイの文章には含み(’‘imp1icatiOn”)を持たせたものがかなり多い。

これは’‘mderstatement”といってもよい。ヘミングウェイは早くから作家になることを志

した。持ち前の才能に加えて修業も徹底していたせいか,若くしてかなり高度な文体的技巧を

自家薬籠中のものとしていた。彼の“implicatiOn’’は彼の才能の顕れとしてこれまで以上にもっ

と注目されるべきものである。

本稿ではこれら3つの特色を視点として,ヘミングウェイが弱冠25歳のときに書いた短編小

説“The Battler”の創作方法を調べ,そのテーマに関わる効果を明らかにしたい。

ヘミングウェイは作り事をすること,つまり「嘘をつく」こと それも「上手な嘘」をつ

くこと一は創作の上で必要不可欠の技術であることを強く意識していた。ジェフリー・メイ

ヤーズ(Jeffery Meyers)はヘミングウェイの伝記のなかで次のように述べている。

Hemingway...believed that the art of lying was part of his training as a writer.He

boasted to gu11ible people of his Indian blood and his Indian daughters,and made up

true-to-1ife stories like“Indian Camp”(which never actually took p1ace)about a wife’s

gory childbirth and a husband’s savage suicide.3

ヘミングウェイの少年時代,彼とその家族は毎年夏になるとシカゴからミシガン半島北部に避

暑にでかけた。ペトースキーに近いワルーン湖の岸辺に彼らの別荘があったのだ。当時その別

荘からペトースキーまでは馬車を使っても↓日を要した頃なので,父親は近隣に住む住民やイ

ンディアンのなかに具合の悪いものが出れば,診てやったという。インディアンは肺炎にかかっ

ヘミングウェイの短編小説作法一」‘TheBattler”一 225

たり骨を折ったりしたとき,ヘミングウェイの父親を頼った。4しかし父親がインディアン女性

の出産に少年時代のヘミジグウェイを連れていったという事実はなかった。5技が苦痛にあえ

ぐ女性の出産に遭遇したのは,新聞記者としてギリシア・トルコ戦争の取材をしていた際,戦

火から逃れる難民の列の中に目撃した時である。6それにメイヤーズが言うように,もちろん少

年時代のヘミングウェイは,インディアン女性の夫が刃物で喉をかき切って自殺するところを

目撃したことはなかった。

これらの場面が実は作り事であることの意味を考えてみれば,ヘミングウェイの想像力のパ

ターンには一定の方向性があることに気づく。.まずインディアン女性の陣痛が与えるイメージ

があり,ジャックナイフで麻酔薬もなしに帝王切開をするという,生身を切り裂く激しい痛み

のイメージが続く。さらにその女の激痛を耳にする夫の,刃物による自殺という血みどろのイ

メLジが来る。どれもこれもが,助手をさせられたニックには強烈であったはずである。つま

りヘミングウェイは,鮮烈で印象の強いイメージを生み出すために事実を変え,「嘘」を創り上

げた。“The Batt1er’’を見てみよう。

ヘミングウェイが“TheBatt1er”の執筆をしたのは,1924年12月から翌年の3月初めの間で

あったと推定される。7彼がこの短編小説の材料になる旅行をしたのは,まだ十代半ばの頃のこ

とである。友人のルー・クララハンを説得し,1969年6月10日午後5時に二人で出発した。彼ら

はまず船に乗り,ミシガン半島北西部にあるオネカマというところからマニスティ川に沿って

歩き始めた。途中場所を選んではテントを張り,キャンプをしてはマスを釣りながら,13日に

はウォルトンに着いた。ウォルトンからペトースキーに向けて北上するには鉄道を利用するの

が一番手っ取り早い手段であったがそうはせず,あっちに寄って釣りをしたり,釣った魚をこっ

ちの村でミルクと交換したりしてハイキングを続け,部分的には列車を使ってカルカスカに

至った。カルカスカからラピッド川という名の急流までハイキングをし,そこにある小さな水

力発電所でニジマスを釣って夜を明かした。朝になってカルカスカに戻り,そこでルー・クラ

ラハンと別れた。ヘミングウェイはさらにそこから一人で15マイル歩いてマンセローナに到達

すると,そこで7時間待ってペトースキー行きの列車に乗り,ペトースキーに戻った。この旅

行で,ヘミングウェイは小説やエッセイの材料を蓄積したという記録を日記に残している。8

“The Batt1er”の冒頭のシーンでは,初めに述べた3つの特色のうち1番目と3番目が観察

できる。

Nick stood up.He was all right.He1ooked up the track at the1ights o士the caboose

going out of sight around the curve.There was water on both sides of the track,then

tamarack swamp.9

「ニックは立ち上がった。体には異常がなかった」という書き出しは,例えば解説を目的とす

る文章や何かを論理的に主張する文章には,めったに使われることがない。ヘミングウェイが

これ・を使ったのは,頭の中に“implication}によって伝えたいものがあり,読者がそれによっ

てあやまたずに同じものをイメージとして思い浮かべることを期待しているからである。つま

りここではニックはなんらかの事情で「低い姿勢にあった」という漠然としたことを知らせ,

その次の描写で,「ニックには身体に異常があっても不思議ではないようなことが発生したのだ

が,さいわいなことに異常がなかったのだな」と読者に感じさせる。

226 前 川 利 広

ニックはウォルトンで貨物列車にひそかに乗り込み,カルカスカは無事通過した。マンセロ

ナの手前まで来たところで制動手に発見され(あるいは乗り込むときにすでに発見され),殴ら

れて列車から落とされた。実際にはヘミングウェイ少年はこの地点を通過するときは列車に

乗っていたわけではなく,歩いていたことが前出のカルロス・ベイカーによる伝記からはっき

りしている。制動手から殴り落とされるということは,発生のしようがなかったことになる。

この短い引用のなかに,作り事はあと2つある。1つは,いまニックは叩き落とされた地点

から線路の軌道を見上げていることでわかるように,軌道が堤のような高みのあ.る位置にある

ことだ。(軌道が高いところにあることは,そのしばらく後のところの描写でよりはっきりと知

れる。“He wiped his hands on his trousers and stood up,then climbed the embankment to

the raiIs’’[97]. “A man dropPed down‡he railroad embankment and came across the

c1earmgto the f1re’’[100コ)私はこの物語の舞台である土地 カルカスカからマンセロー

ナの間一をニックとは逆方向に車で走ったことがある。1oそのとき,ここにある風景描写との

違いに思わず声をあげた。私が見たのは物語の背景となっている時代から70年も後のことであ

るからいくらかは土地改良もなされたのかも知れないが,線路はまっ平なところにベタッと敷

かれてあり,線路に沿って南北に走る道路との高度の差はまったくなかった。

そしてもう1つの作り事は,線路の両側に沼地が続いているという情景描写である。実際に

は,沼は存在しなかった。牧歌的な田園風景のなか,ひろびろとした平野には家が点在し,沼・

川・湖といったものはニックが殴り落とされたあたり一マンセローナから南に数マイル下

がった地点 には気配さえ感じさせなかった。

この沼地が私達に与えるイメージは不吉なものであり,不安感を生む。

Now he must be nearly to Mancelona.Three or four mi1es of swamp.He stepped

along the track,wa1king so he kept on the ballast between the ties,the swamp ghostly

in the rising mist.(98)

そのようなイメージのなか,ニックは歩いてゆく。“Itwasdarkandhewasa1ongwayoff

from anywhere”(97)というセンテンスは,もちろん夜の暗さとニックの位置という物理的

情報を伝えるが,比喩的なイメージによって暗示される意味のほうが抜きんでて明瞭である。

それは,「ニックの今後にはなにが待ち受け,どういうことが起こるのかまったくわからない」

と言い換えることができるだろう。

このイメージは様々に繰り返される。行く手には橋が架かっている。橋を渡るときニックが

緩んだイヌくぎを蹴ると,それは下を流れる水に落ちて音をたてる。橋の下は危険である一と

いうより,橋を渡った向こうは剣呑な場所であることを暗示する。そこを渡ると,向こうには

闇にゆらめく妖しげな火が見える。あたかもここから先は大人の世界,何が患いているのかわ

からぬ百鬼夜行の闇夜とでもいいたげな描写である。

ここで沼地(‘‘swamp’’)の意味するものに戻りたい。ヘミングウェイはこれがニックにとっ

てどのような意味を持つのかをいちいち説明することはしない。しかし“Big Two-Hearted

River”をすでに読んでいる読者には,著者の意図が的確に伝わるにちがいない。このことを理

解するために,私達はヘミングウェイの短編小説の技巧の1つである「氷山の理論」(“Iceberg

Theory}),つまり私が始めに掲げた3つの特色のうちの2つめを吟味することにする。

ヘミングウェイの短編小説作法一“TheBattler’’ 227

ヘミングウェイは「氷山の理論」の発想をどこで得たのか一このことについて彼の資料が

すべて明らかにされているわけではないので断定は控えるが,比較的妥当性を持っていると考

えられる説がある。

ヘミングウェイがまだ22歳になってまもない頃の1921年夏,彼と結婚する直前であったハド

レイ(Had1ey Richardson)が作家志望のヘミングウェイを励ます意味で書き送った手紙の中

にこの言葉が見えるという。1工

I wish I knew how to work up a subject,e1aborate and spread it out clear1y but

revealing1y in its compIexities....If one cou1d only feeI as if a light broke over many

things;if one cou1d find the scheme behind any subject tack1ed.I found something like

that in music a1ittle once,buキyou’ve got a magnificent grip on it_a magnificent grip

on the form back of the materia1no matter how strange it is,like icebergs.工2

一八ドレイがピアニストとしてかなりな腕前の女性であったからこそ,芸術的効果ということに

向ける視線と寄せる関心にはヘミングウェイと共通するものがあったのであろう。蝸さもなけ

れば,このようなヒントを与えることは難しかったに違いない。この頃二人は頻繁に手紙のやりとり一 �オていたのだが,時に習作を書いては彼女に送るということをしていたヘミングウェ

イにとって,‘‘1ikeicebergs”という言葉は直感的に響くものがあった。しかしながら,それが

すぐさま彼の書く作品のなかに表れるというような簡単なことではなかったはずである。氷山

の重々しい動きを脳裏に描いでそのような効果の存在を認識することと,作品のなかの描写に

そのような効果を持たせる技術を獲得することとの間には,途方もない隔たりがあったはずで

ある。言い換えれば,才能と努力の掛け算が必要であった。しかしヘミングウiイの場合,そ

の径ほどなくしてその努力が作品のなかに結実することになる。

ヘミングウェイとハドレイは1921年9月3日,ミシガン半島北部にある小さな町ホートン・

ベイの,湖を眺める丘に立つ教会で結婚式を挙げた。それからほぼ三ケ月後,ヘミングウェイ

は新婦を伴いシャーウッド・アンダーソンの紹介状を懐にしのばせ,パリで生活をするために

ニュー.ヨークの港から欧州に旅立つ。

λ〃。m〃e Fe耐はヘミングウェイが後年になってパリでの修業時代を回顧して綴ったも

のであるが,この時期に「氷山の理論」を自分独自の創作の技術として身につけたことがうか

がえるところがある。

It was a very simb1e story ca11ed“Out of Season”and I had omitted the reaI end of it

which was that the old man hanged himseIf.This was omitted on my new theory that

you couId omit anything if you knew that you omitted and the omitted part would

strengthen the story and岬ake people feel sbmething more than they mderstood.14

228 前 川 利 広

これをすでに序において見たDe励肋肋eλガemoomでの場合と比較すると,ヘミングウェイ

が考えていた「技術としての省略」がより理解しやすくなる。ここに触れられている作品“Out

of Season”は1923年4月に書かれたことを考えれば,この独自の小説作法を編み出すのにさほ

ど年月はかからなかったといえよう。15

ここで上にすぐ続く部分を引用する。彼はパリでは歩道にテーブルを並べるカフェで習作を

書くことが常であった。この日もウエイターが運んできたクリーム入りコーヒーがテーブルの

上ですっかり冷えてしまったものを半分ほど飲み,残りをそのままにしてまた書き続けた。

When I stopped writing I did not want to1eave the river where I could see the trout

in the poo1,its surface phshing and swe11ing smooth against the resistance of the1og

-driven pi1es of the bridge.The story was about coming back from the war but there

was no mention of the war in it.16

ここで言及されてい一る作品はもちろん‘‘BigTwo-HeartedRiver”であり,この作品の執筆時

期は1924年5月から11月の間とされる。17登場人物はニック・アダムズただ一人。ニックはミシ

ガン湖とシュピアリア湖に挟まれるいわゆるUP(アッパー・ペニンジュラ)地域の,ほぼ中央

を流れる川にマス釣りに行く。かなりな重さになるキャンプ道具を背負い,長い時間をかけて

目的地まで歩く。荷の重さが心地よい。途中休息をとらねばならないほどに疲れるが,その疲

労が千ックにはかえって心地よい。横になって休んでいると,背に伝わる地面の感触が心地よ

い。シダの香りが心地よい。幸せである。身体を使って活動していると,頭が働きだすという

ことがない。「ある事」を考え始めるのを食い止めておくことができる。一だからここにキャ

ンプに来たのだとでもいわんばかりに,身体を動かす。テントを張る具体的方法の一部始終か

ら食事の準備に至るまで,こまごまとした描写が続く作品である。

ニックは異常と感じられるほど必死に頭が働きだすのを防ぎ止めようとしている。その時の

ほとんどパニック寸前までの心のありようが読む者に感覚的に伝わってくる。そこでこの作品

を読んだ批評家たちはほとんど一致して,ニックは戦争での恐怖を思い起こさないようにして

いるのであるという具合に,この作品と戦争の精神的後遺症を結びつけた。作品のなかに戦争

への言及がまったくないにも拘わらず,批評家たちの意見は一つの方向に流れてきた。その批

評の流れはケネス・リン(KemethLym)のヘミングウェイ伝に要領よくまとめられている。1昌

まず,1939年にエドマンド・ウイルソン(Edmund Wilson)が,ユ944年にマルカム・カウリー

(Ma1colm Cow1ey)がそう主張し,さらに戦後フィリップ・ヤングがそれを継承した上,十

数編あるニックの短編小説をニックの成長という時間的順序のなかでニック・アダムズ・ストー

リーズとして配列し直してから,戦争の後遺症を背景とする読み方で推移してきた。そうした

つながりのなか,著者のヘミングウェイ自身がλ〃0mαろZe Fm∫左でその解釈を肯定して,こ

の作品は“about coming back from the war’’と明言したのである。

このヘミングウェイの言葉をそのまま鵜呑みにするならば,“Big Two-Hearted River’’で

“omit’’されたものはニックと戦争の結びつきの部分であり,それがあたかも水面下に存在す

る氷山のように働き,水面上に現れている八分の一の部分をかえって強める作用をするという

ことになる。

しかしながらケネス・リンは1987年に出版した伝記のなかで,これまでの読み方のみならず

ヘミングウェイの短編小説作法一“The Batt1er” 229

ヘミングウェイ自身の言葉までをも否定する解釈を,それもなかなか説得力を持つ読み方を提

出した。それは6ぺ一ジと少々にわたって論じられており,ここに根拠充分と認められる分量

の抜き書きをすることはできない。だが要点を引用すれば次の通りである。

Emest spent the summer of1919thinking and writing-He aIso spent it in bitキer

contention with his mother.The fo11owing summer,the ill will between the two of

them exploded into open warfare....And fina11y,the activity of his mind that keeps

threatening to overwhelm his contentment cou1d be rage.19

つまり,“Big Two-Hearted River”のニックが頭の中で考えないようにしようと必死になる

ほど思い悩んでいたのは,戦争で垣間見た死の恐怖ではなく,当時ヘミングウェイの態度を峻

烈極まる口調と手紙で非難し続けていた母親とのいさかいであると言うのだが,もちろん作品

中にその明確な証拠はない。

またこの作品自体には,戦争がもとで精神の均衡がくずれた状態であると証明するものもな

にもない。それにもかかわらず,エドマンド・ウィルソンにしろマルカム・カウリーにしろフィ

リップ・ヤングにしろニックは戦争での負傷が原因で,トロウマからの立ち直りを図るために

釣りに来たのだと言い立てたのであるから,どちらの見方も証拠不充分ではある。一という

より,「氷山の理論」は作品の著者以外に証明ができない理論ということになろう。

ヘミングウェイ本人にはともかくとして,ほかの人にとって「氷山の理論」がいかに輪郭の

不明確なものであるかを例示するのは難しいことではない。ジュリアン・スミス(JulianSmith)

はこの理論をかなり狭く定義し,“Out of Season’’がその理論を使った例であるとした上で,

ヘミングウェイの創作の技術について次のように論じている。

But the excision of the early scene from“Indian Camp”is the kind of editorial cut

many authors make without great1y a1tering the effect or meaning of a story-What

I mean by The Thing Left Out is i11ustrated in“Big Two-Hearted River,”which

Hemingway ca11ed a story“about coming back from thewar but there was no mention

of the war in it.’’20

どこで触れられている二つの短編小説には,それぞれに水面下の部分がある。やっかいなこと

にそれらの部分はそれぞれの作品解釈に重大な影響を与える。後者の作品については私達はす

でにそれにまつわる論争の流れを見てきたのでここではひとまず描くとして,前者,つまり

“Indian Camp’’について若干の説明を加えておきたい。

ヘミングウェイが1925年に世に出した短編集∫m Omηmeの冒頭の物語ζして掲載された

“Indian Camp”は,その前半部分が切り取られた形で出版された。21削除された部分の分量

は手書き原稿で8ぺ一ジのものだが,これはのちに凧e Mc尾〃αm5∫わガe5のなかで“Three

230 前 川 利広

Shots’’と題して’‘IndianCamp”の直前に配置され,出版された。22これを読めば,“Indian

Camp”の冒頭でインディアンが準備したボートに乗り込むまで,ニックと父親と叔父のジョー

ジは湖畔でキャンプをしていたことが確認できる。父親は産婦人科の医者が当然携行すべき器

具を持ち合わせていなかったのは不思議ではない。だからジャックナイフと釣り糸で帝王切開

をするという窮余の策に頼らざるを得なかった。また手術が上首尾に終了したとき,父親がニッ

クにもはっきり分かるほど昴揚した気分で自らの腕前を得々としてしゃべるところの気持ちの

動きも理解しやすい。

このように削除された部分があって,それがまさに水面下の八分の七の氷山のように“dig-

nity’’を生むにも拘わらず,これを「氷山の理論」と考えないとするジュリアン・スミスの見方

一つまり「削除」は「氷山の理論」ではないという考え方 は極論であるかも知れない。

一方ジョセフ・フローラ(Joseph Flora)は,ジュリアン・スミスより遥かに広範囲な定義

をしていることが特徴的である。“Big Two-Hearted River’’の創作の技術を論じるなかで,

次のように述べる。

He1earned a great dea1about the code of fishing and hunting from his father-and

those details in the story are a link to him,a part of the mstated,of the submerged

iceberg of the story.23

この作品をニックと父親のつながりという観点から論じた例はフローラが初めてであろう。

ニックの物語が互いにつながりがあることは,だれでも承知している。しだいに成長してゆく

時間的な軸のなかに配列したものを読めば,ニックの成長過程と家族環境等の周辺も明らかに

なるというのは,フィリップ・ヤングのヘミングウェイ論の柱であった。そのうちの幾つかに

登場する父親の像をつなげていけば,その肉付けもできあがってくる。そのように論を推し進

めていくために,例えばニックはコーヒーを入れる段になってふと友人であるホプキンスの

ガールフレンドのことを思い出すが,フローラはこのことさえも「氷山の理論」として考えて

いる (This is the tip of the iceberg-a reference to Hop’s gir1....)。24

ニコラス・ゲロギアニス(NicholasGerogiamis)は“TheBattler”を論じるなかでこれも

耳に新しいものを「氷山の理論」のなかに含めた。

But Hemingway omits the true similarity between Ad Francis and Nick Adams from

‘‘

she Battlerl’’1..To understand the mass beneath the surface of this story we

should consider brief1y other materia1.2島

ゲロギアニスの論における「アド・フランシスとニックの類似性」とは,どちらもが近親相姦

の気があることを指す。彼はいくつかの点でこの二人が似た特徴を持つとしたうえ,アドと彼

の妻との関係が“mock-incest”であると読み,一方ニックは“The Last Good Country’’の

削除された原稿を調べればわかるように,妹との関係が近親相姦に近接していると論を広げて

いる。26

ジュリアン・スミス,ジョセフ・フローラ,ニコラス・ゲロギアニスの3人の例を挙げて「氷

山の理論」の解説例を並べてみたが,統一した理解にはまだ至っていないといわねばならない。

ヘミングウーエイの短編小説作法 “TheBattler’’ 23!

このように極端に異なる解釈が提出されるほどに水面下が不透明な「氷山の理論」は,非常

に誤解を招きやすい。しかしヘミングウェイの短編小説はその仕掛けを解読することが容易で

なく,読者はあたかもあちこちにパズルが配置されている迷路を手探りで進むかのような錯覚

にとらわれる。

「氷山の理論」に直接的に関係して,最後にもう一つ挙げておかねばならないヘミングウェ

イ自身の言葉がある。これは!959年に彼によって書かれたものではあるが,いわくがあって公

表されたのは1981年の丁殉e PακゐRm5mにおいてである。したがってなかなか読む機会がな

かったものである。その題名は’’The Art of the Short Story’’という。

A few things I have found to be true.工f you leave out important things or events that

you know about,the story is stengthened.27

ここではこれまで使われてきた“0mit’’のかわりに,“1eaVe Out’’が使われていることが異な

るだけである。そしてこの部分にすぐ続いてλMOmαろZeハ狐左にあったのと同じように,“Big

Two-Hearted River’’が実は戦争から帰還した男についての物語であると繰り返している。大

事なのは同しべ一ジの,すぐその後に続く部分である。作品のなかでニックが釣りをする川の

名前は……

The River was the Fox River,by Seney,Michigan,not the Big Two-Hearted.The

ch阜nge of name was made purpose1y,not from ignorance nor carelessness but because

Big Two_Heart♀d River is poetry,and because there were many Indians in the story,

just as the war was in the story,and none of the Indians nor the war appeared。

川の名前を変更したのは無知や不注意によるものでなく,考えがあってのことだったと,いわ

ば創作上の計算であった王とを認めている。それは今日のこの作品に対する評価という定規で

計れば,どの批評的視点から考えても「上手に嘘をついた」といえる例になった。

ニックがマス釣りをする川の名が実は‘‘BigTwo-HeartedRiver”ではなくて“FoxRiver”

であるというのは,ヘミングウェイを研究している者にとっては初耳ではない。23だが,借用さ

れた名が“pOetヰy’’であるというのはともかくとして,「ちょうど背景には戦争の影があるのと

同じように,この物語にはインディアンがたくさんいたからだ」というところは,私達の意表

をつく。推測の域を出ないのだが,「インディアンがたくさんいた」というのは,ニックの背景

に戦争での後遺症があることと同列には扱えないのではないか。ニックがインディアンと付き

合いが少なからずあったことは,彼の少年時代を描いた幾つかの短編小説に明らかではある。

しかしここで医者である.ニックの父親に付き従ってインディアン部落に行き,出産に立ち会っ

たときに出会ったインディアンを当てはめ一でみたり,湖岸に流れ着く流木を切る手伝いにやっ

てきた‘‘The Doctor and the Doctor’s Wife’’のディック・ボウルトンを考えに入れてみたと

232 前 川 利 広

ごろで㌧もちろん場違いなだけである。あるいは一時的にせよニックのガールフレンドであっ

た“Ten Indians”のプルーデイないしは“Fathers and Sons}のドゥルーディを連想してみ

ても,違和感は甚だしい。結局ここではニックがつき合ったインディアンを指して言っている

のではないと考えたい。‘‘becausethereweremanyIndiansinthestory”という響きには,

もっと数多くのインディアンたち,だぶんUP(UpperPeninsu1a)一とくにこのシニー周辺

一のインディアンの歴史の厚さを感じさせるくらいに数多くのインディアンの影を感じ取

る。ヘミングウェイはそれくらいの重みと厚みを“BigTwo-Hearted’’に凝縮したつもりであ

ると受け取るべきではないだううか。ミシガンの地名にはインディアンに縁があるものがいた

るところに存在する。“Two-Hearted’’という言葉の響きは,かつてのインディアンの生活と

歴史の臭いを漂わせる。これはこの言葉によってその背景を感じさせるという意味合いにおい

て「含み」のある言葉であり,“impliCatiOn’’であると結論したい。

要するにヘミングウェイがThe Art of the Short Story”で言及している「氷山の理論」に

は,(1)“omission”によって“dignity”が生じる,(2〕“impIication’’によって背景が感じられ

る一の二つが含まれているものと考えていいようだ。

“TheBatt1er”に戻りたい。一連のニック・アダムズの物語では,まずインディアン部落に

おいて生命の誕生と終焉を目撃したことに始まって,ニックがさまざまなことを目撃・体験し

て成長してゆくさまが描かれている。しかしそれらは彼が成長する順序に従って描かれている

わけではないので,私達は点をつないで線にするように,ニックの物語を順序よく結びつけて

イメージを作り上げてきた。その結果ニック・アダムズという男の像を,あたかも映画のなか

の登場人物であるかのように思い描くことができるようになった。

その流れのなかで‘‘The Batter’’のニックを位置づけるとすれば,それは戦争に行く前の思

春期の頃であり,一方“BigTwo-HeartedRiver”のニックはそれから数年後の,戦争から戻っ

てしばらくしてからの時期にあたる。ところが,それら双方の物語が執筆された時期を調べて

みれば,この順序は逆転してしまう。“Big Two-Hearted River”は1924年5月中頃に書き始

められ,完了したのは同年11月のかなり遅くなってからのことである。29’‘TheBattler”はと

いえば,その書き始めの時期は同じ年の12月中句である。だからこの二作はほぼ継続的に書か

れたといえる。30

ニックを主人公とした二作がほとんど継続して執筆された事実に加えて,もう一点注意を向

けるべきことがある。先に書かれた“Big Two-HeartedRiver’’は“swamp’’を最後の言葉と

して終わっている。次に書かれた“TheBatter’’では,すでに見てきたように冒頭の数行のう

ちに‘‘tamarack swamp’’(97)が現れる。そしてこれら両者の“swamp’’はともにその言葉

の抱えるイメージがほとんど同一である。“Big Two-Hearted River’’では,‘‘In the swamp

fishing was a tragic adventure”(180)と不吉さを感じさせ,‘‘The Batter’’では‘‘9hostly

in the ri§ing mist’’(98)とあって,臭わんばかりに無気味さが立ち込めている。

これらの含意の類似性と執筆時期の連続性という点は見過ごされるべきではない。ヘミング

ウェイの意図の上では“The Batter”の“swamp”の背景にあるものは,ニックの危うい青春

ヘミングウェイの短編小説作法一“TheBattler” 233

期において一度は通過しなければならないエアリアを‘‘imply”する。それはこの人の世のいや

らしさも無気味さも裏切りも危険も同居して,ま・だニックが見たことも聞い牟こともないよう

なバケものがうごめき百鬼夜行するところであり,大人の世界なのである。ここに入り込まず

に比較的安全なところを歩む限りにおいては,ニックに大人へのイニシエーションはない。‘‘

sheBatter”における“swamp’’は,‘‘implication}によって背景を感じさせる「氷山」で

ある。

しかしチラチラ明滅する火の光は妖しげであるがゆえに,強くニックを惹きつける。ニック

は線路の土手を下りてゆき,注意深く近づいてゆく 。その焚火のそはには男が一人すわっ

ていた。ニックとその男の会話は奇妙な始まりかたをする。ニックが「ハロー!」と呼び掛け

るのに対し,男は挨拶を返さずにいきなり「その目のアザはどこでつくったんだ」(98)と説く。

行間に含まれる内容は意味が濃い。ヘミングウェイは説明をほとんどつけることなしに“imp1i-

CatiOn”の連続によって読者に伝えようとする。男の言葉から,男の関心が通常の人間が思うこ

とと異なることを言外に語っていると同時に,すぐあとでわかるように元ボクサーであったと

いう経歴と結びつけている(ボクサーにはアザはつきものだ)。さらに男はニックと僅かに言葉

を交わしただけで,ニックの未熟さと経験の浅さを感じとる一このことも私達には含まれた

意味によって伝わる。男はニックを嘲笑するように言う。「おメエたち若いもんはツエエもんな」

(98)。この椰楡の真の意味は,次の二人のやりとりで知れる。つまりこの男には肉体的な強さ

が自慢であり,ニックはヒョッ子ということだ。私が序のなかで掲げた3つの特色のうち3つ

目はこのような“imp1icatiOn’’を指し,「氷山の理論」においてのそれとは規模において異なる

が,多用されることによって効果は強い。

やがてニックにはこの男がアド・フランシスという,かつては名の知れたボクサーであった

ことがわかる。アドの話しかたにはそのように自分の強さを誇示するところが何度かある。し

かしヘミングウェイはアドの自慢を言葉によって説明するよりは,行間に語らせている。彼は

つぷれた耳を見せ,みんな俺をぷったたいたけどだれも参らせることはできなかったと言う

(99)。そしてニックに脈拍を数えさせ,心臓の強さを誇る(99-100)。

しばらくして黒人がやってくる。名をバグズといい,旅をしながらアドの世話をしている人

物である。彼は夕食として食べるものを(人里から)持って戻ってきた。バグズはアドと比較

するとまだまともである。普通の挨拶を交わすことを知っているし,ニックに対して親切に接

する。そうしながらもバグズはアドベの注意を怠っていないことから,私達はバグズもアドを

用心しているのがわかる。アドの執拗さと異常を感じさせるやりとり(“Hear that,BugsP’’’’I

hear most of what goes on.’’ ‘‘That ain’t what I asked you.’’.“Yes,I heard what the

gentlemansaid”[100])にもそれが感じられる。読者はあちこちに張り巡らされた“implica-

tiOn’’から,アドの異常性をしだいに確信していくことになる。その最も明白なものは,アドが

しだいにものを言わなくなり,黙り込み,ニックに対して敵意を強くし,緊張が高まっていく

ところである。

Ad did not answer.He was looking at Nick.‘‘

lr.FrancisP”came the nigger’s soft voice.

Ad did not answer1He was looking at Nick.

“I spoke to you,Mr.Francis,”the nigger said soft1y.

234 前 川 利 広

Ad kept on looking at Nick.He had his cap down over his eyes.Nick fe1t nervous、

(101)

やがてアドがニックに闘いを仕掛けるというクライマックスを迎えたあと,アドの後ろに忍

び寄ったバグズはブラックジャックを使ってアドを気絶させる。バグズにはこの方法以外にア

ドが傷害沙汰を引き起こすのを止める手だではないからである。ここでニックはバグズに大事

な質問をする(“What made him crazy~”[102])。バグズはアドの悲惨な過去をニックに

語ることになる。

アドの気が狂った一つの原因はボクサーとして頭を殴られ過ぎたことだと,バグズはコー

ヒーをすすりながら語り始める。「しかしそれはただ彼の頭をいくらか単純にしただけだ」

(102)。アドには相思相愛の美しい女性がいた。彼女はアドのマネジャーをしていたが,アド

と双子と言われるくらいよく似ていた。新聞には兄妹とさかんに書き立てられた。二人は結婚

したが,マスコミは近親相姦と騒いだ。それで女のほうは雲隠れしてしまった。女に逃げられ

たアドは,人をやたらに殴り始めた。そして刑務所にフチこまれ,バグズと知り・あった。バグ

ズは刃傷沙汰で服役していた。二人が出所したあと,女はいまでもアドに金を送ってくる。そ

の金で,バグズはアドを世話している。アドの世話をしているぶんには,バグズも人を切る必

要がない一。

アドはかってはまともな人間だった。いまでこそ無気味で醜い顔付きに変わってしまっては

いるが,かつては美男子であった(‘‘Shewasanawfu1good-Iookingwoman-Lookedenough1ike him to be twins.He wouldn’t be bad-looking without his face all busted” [103コ)。

残酷な世間に自分の領域を侵され,恋人を失った。社会との妥協点を見い出し得ないのである。

ひたすらかつての自慢であった強さを誇りにするが,肉体的強さだけでは社会では通用しない。

「子供っぽい顔付きである」(‘‘His mutilated face1ooked chi1dish in repose’’[103])とい

うのは,このかっての‘‘batt1er”の内面を象徴している。そしてニックは青二才の未熟者であ

り,自分を殴り落とした列車の制動手にいつか仕返ししてやる(“I’nbusthim”[98])と罵っ

ていたが(つまり“battler”),アド(“battler’’)のなれの果てを目の当たりに見ることによっ

て,この世にはどんな陥葬が待ち受けているのか分からないことを悟るのである。

意識を取り戻しかけたアドを刺激しないようバグズに言い含められ,ふたたび鉄道の堤に

戻ってゆくが,そこに至って初めてニックは,自分の手のなかにあるサンドイッチに気がつい

た。ここに含まれる意味は,二人の放浪者との遭遇がニックにとっていかに強い衝撃であった

かを伝えている。こうしてニックは一つの大人の世界への過程を通過した。

“TheBattler”はヘミングウェイの体験という下地に幾つかの作り事を織り込み,「氷山の

理論」によって背景となるものを援用しつつ,“imp1iCatiOn’’を極限にまで使うことによって,

ニックが大人の世界にさしかかる時を描いたものである。

ヘミングウェイの短編小説作法 “TheBattler” 235

ラ主

1JacksonJ.Bens㎝,“EmestHemi㎎wayasShort StoryWriter,”inτ加Sゐ。κ∫ま。伽

φ亙mesオHem加gm〃..Cm.あ。αJ亙∫∫妙∫,ed.Jackson J.Benson(Durham:Duke Univ.Press,

1975),p.288.

2Emest Hemingway,Dm肋5m肋λ加moom(New York:Scribner’s,1932),p.132、

呂 Jeffrey Meyers,Hem加gmαツ、・λ励。馴妙伽(New York1Harper&Row,1985),pp115

-16,

4Constance C.Montgomery,Hem伽gm妙加M肋勧m(New York:Fleet Pub1ishing

Corporation,1966),pp.56-60.

5Ernest Hemingway,〃e Mc尾λ励㈱∫オ。mIe∫(New York:Scribner’s,1972),p.238.

6Michael Reyno1ds,Hm勅gmαツ..〃e肋桃γems(Oxford:Basi!B1ackwell,1989),p.

77.

7PauI Smith,λReαde〆5Gm肋勿伽∫肋材∫‘om-es〆亙me∫サH舳伽gmαツ(Boston:G.

K.Hall&Co.,1989),pp.117-18.

8 Carlos Baker,亙me∫まHem加gm〃jλZ狛Sチ。η(New York:Scribner’s,1969),pp.

25-26,

9Emest Hemingway,丁肋Comμe姥∫ゐ。ガ∫わm’e5ぴ亙me5チHem加gm⑳(New York:

Scribner’s,1987),p.97.Hereafter,references to this book appear parenthetica11y in this

eSSay・

10 0ctober,1990.

11 Susan F.Beege1,Hem加gmoツ’8Cκ助げ0m5∫sタ。m.’Fom Mm枷。m枇肋mμe∫(Am

Arbor UMI Research Press,1988),p,12.

12 Petgr Griffin,λ’omg m肋γom肋’Hem加gm軌乃e亙αψγm灼(New York:Oxford

Univ.Press,1985),pp.212-13.

13Michae1S.Reynolds,丁肋γomng肋m加gωψ(Oxford:Basi1Blackwe11.1986),p.150.

14Emest Hemingway.λMomα物Fe鮒(New York:Scribner’s,1964),p.75.

15Smith,λ沢eαae〆∫Gm肋,p.16.

Io メ⊥ルf0〃eαあZeκe側去,p176,

17Smith,λRmae〆∫Gm肋,p.85.

13Kemeth Lym,此m肋gmαツ(New York:Simon and Schuster,ユ987),pp.102-108.

10 ∫あ46.,pp1103-104.

2.Julian Smith,‘‘Hemingway and the Thing Left Out,”in凧2」∫ゐ。れ8彦。m.esげ五例es’

肋〃mgmツ Cγ倣。〃ふs⑳∫,ed,Jackson J.Benson(Durham:Duke Univ.Press,1975),p.

136.

別 Philip Young,“’Big Wor1d Out There’:The Nick Adams Stories,}in乃e∫肋材

Sオ。m’e∫げ亙me∫サHe〃ngm妙 Cm.此ατふ5αツs,ed.Jackson J.Benson(Durham:Duke Univ.

Press,1975),p.32.

22Emest Hemingway,me Mc冶λ励m5∫去。m-e8(New York:Scribner’s,1972),pp.13

-15.

236 前 川 利 広

朋 JosephM.Flora,亙mesオHem効gmツ、・λ∫切φぴ伽S尻。れハ。あm(Boston:Twayne

Publishers,1989),p,52.

別 ∫切a.,P.581

25 Nicholas Gerogiannis,‘‘Nick Adams on the Road:‘The Batt1er’as Hemingway’s

Man on the Hill,”in Cm.地α’ふsαツs om亙m蹴Hm加gmα〆∫“∫m Om乃me’’,ed.Michael

S.Reyno1ds(Boston:G.K.Ha11&Co.,1983),p.184.

舶 ∫あ4a.,pp.183-84.

27Emest Hemingway,“The Art of The Short Story,’’〃e此m’s Re〃刎,23,No.79

(1981),p.88.

2目 Sheridan Baker says, “...there rea11y is a Two_Hearted River_with forks

usua11y ca11ed’Big’and‘LittleLsome thirty or forty rugged crowflight miles to the northe乞st

of Seney.’’ See his“Hemingway’s Two-Hearted River,”in〃e醐。材S看。mIe∫げ亙7msf

Hem励gmダCm’此〃ふ5ψ5,ed.Jackson J.Benson(Durham:Duke University Press,1975),

pp.150-59.

29Smith,λRe〃e〈Gm肋,pp.85-86.

30 ∫あ4a.,P.115.

AStudyofHemingway’sArtofShortFiction_‘‘ she Batt1er”

Toshihiro MAEKAwA*

ABSTRACT

Many of Emest Hemingway’s stories are very much autobiographical;“The Nick

Adams Stories” are especially strong1y tied,in one way or another,to his own life and

experiences.Comparing autobiographica1facts of his life with depiction in the story,and

using his art of short stories as a c1ue to his intention,we will examine “The Batt1er’’

written by him at the age of25.Through doing this,some more of his vei1ed way of creating

fiction wi11be cIear to us,enab1ing us to see the relationship between his technique and this

story,s theme、

Division of Languages: Department of Foreign Languages