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1 2018 年度 研究旅行奨励制度実施レポート(報告書) 古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽 ―世界遺産ピアッツァ・アルメリーナのカサーレ別荘調査を中心に― 19AR091 池田亜月

古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽 ―世界遺産 …6 第一章 古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽 第一節 ピアッツァ・アルメリーナのカサーレ別荘

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Page 1: 古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽 ―世界遺産 …6 第一章 古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽 第一節 ピアッツァ・アルメリーナのカサーレ別荘

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2018年度 研究旅行奨励制度実施レポート(報告書)

古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽

―世界遺産ピアッツァ・アルメリーナのカサーレ別荘調査を中心に―

19AR091 池田亜月

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目次

はじめに 今回の研究旅行について

・研究旅行の目的

・期待される成果

・調査日程

第一章 古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽

弟一節 ピアッツァ・アルメリーナのカサーレ別荘

第二節 古代ローマの人々と娯楽のモザイク画

第三節 野生動物の狩猟のモザイク画

第二章 モザイク画以外にみる古代ローマの娯楽

第一節 ギリシャ劇場での観劇

第二節 円形闘技場での闘技観戦

第三節 音楽堂(オデオン)

おわりに まとめ

参考文献

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はじめに

研究旅行の目的

人はなぜ娯楽を求めるのだろうか。そもそも娯楽とは、私たちにとってどのような存在な

のだろうか。近年、日本では長時間労働やそれによる過労死が問題視されている。「働き方

改革」などという見直しが行われているが、労働時間の短縮は難しい。そこで重要になって

くるのが、余暇の時間の過ごし方だ。私たちの多くが余暇の時間に娯楽を求め、娯楽は私た

ちに楽しみや喜び、癒しを与えてくれる。この過労死の時代、どのような娯楽を選んで余暇

の時間を過ごすかということが、人の生き方の質を大きく左右すると言っても過言ではな

いだろう。

古代ローマは娯楽に溢れた時代であった。その実態を、時代を超えて知ることが出来る場

所がある。イタリア、シチリア島のほぼ中心に位置する町ピアッツァ・アルメリーナの郊外

から出土したローマ時代の遺跡、カサーレ別荘という世界遺産だ。そこには、3500 ㎡以上

の大規模な別荘の床に、圧倒的なスケールの表現力豊かなモザイク装飾がのこされており、

当時のローマ市民たちが様々な娯楽に興じる姿を見ることができる。例えば、古代では珍し

いビキニの水着姿の少女たちがスポーツ競技を楽しむ様子や、小さな子どもたちが可愛ら

しく戦車競走(4頭建て馬車の周回競技)の真似ごとをして遊ぶ姿などだ。その姿は実に楽

しげで、想像力豊かな遊びの世界を描き出している。またローマのコロッセオのような円形

闘技場の剣闘士競技で使用するライオンなどの猛獣を苦労して捕獲し、船に乗せて運ぶ姿

など、娯楽そのものではないが、明らかに当時の娯楽を支えた古代ローマ社会のシステムや

習俗を窺い知ることもできる。

現在は科学技術の発達により様々な娯楽産業や、それを楽しむための商業施設、システム

が用意されている。私たちは概して受動的にその世界に身を置き、そこで提供された範囲内

で楽しむ。ディズニーランドなどの強大テーマパークなどがその好例だろう。一方、そうい

うものが出現する以前の時代の娯楽は、比較的主体的な要素が大きかったように思う。自分

が楽しむためにはどうしたらいいのか、人々は遊び心と想像力を働かせて、独自の余暇を創

造し、楽しんだのではないか。娯楽における楽しみ、喜びのポイントが現代とは違うように

思う。

現在楽しまれている娯楽の中には、その起源を古代ローマや古代ギリシャにもつものも

多いという。劇場での観劇や音楽コンサート、スタジアムでの競技観戦などである。変わら

ない娯楽の本質と時代ごとの多様性を研究したいと考えた。この研究旅行ではカサーレ別

荘のモザイク装飾から、古代ローマの娯楽のモザイク画に注目し、彼らの想像力豊かな娯楽

の多様性を調査する。また、シチリアやローマを中心とした古代劇場やオデオン(音楽堂)、

円形闘技場をめぐりながら、モザイク装飾からだけでは分からない娯楽と古代ローマ社会

の関係を考察する。この2点が本研究旅行の目的であった。

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期待される成果

・娯楽という人間になくてはならない文化の歴史、およびその本質について考察すること

で、現代やこれからの娯楽の在り方について大きな示唆を得ることができる。

・古代の娯楽の多様性を調査することで、それらが現代の娯楽に与えた影響や変化について

考察することができる。

・実際に現地へ赴き、五感を使って調査を行うことで、写真や文献からでは知ることのでき

ない新たな知識を得ることができる。

・卒業論文の作成のために、現地でしか手に入れられない貴重な情報資料を獲得できる。

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調査日程

出発日 2018年 8月 20日

到着日 2018年 8月 30日

旅行日数

11日間

滞在地 行動・調査内容

第 1日目

8月 20日

福岡→香港 移動

第 2日目

8月 21日

香港→ローマ 移動

第 3日目

8月 22日

ローマ→カターニャ

→ピアッツァ・アル

メリーナ

移動

第 4日目

8月 23日

ピアッツァ・アルメ

リーナ

カサーレ別荘でのモザイク装飾視察調査

図録・文献資料の収集

第 5日目

8月 24日

ピアッツァ・アルメ

リーナ→カターニャ

→タオルミーナ

移動

タオルミーナのギリシャ劇場、サンタ・カタリー

ナ教会裏の音楽堂跡での調査

第 6日目

8月 25日

タオルミーナ→シラ

クーサ

移動

シラクーサ州立考古学博物館での調査

オルティージャ島へ移動

第 7日目

8月 26日

シラクーサ→カター

ニャ→ローマ

シラクーサのギリシャ劇場、古代ローマの円形闘

技場跡での調査

移動

第 8日目

8月 27日

ローマ ローマ国立考古学博物館(本館マッシモ宮殿)、ロ

ーマ国立博物館(別館ディオクレティアヌス帝浴

場)での調査

第 9日目

8月 28日

ローマ コロッセオでの調査、図録・文献資料の収集

第 10日目

8月 29日

ローマ→香港 移動

第 11日目

8月 30日

香港→福岡 移動

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第一章 古代ローマのモザイク画に描かれた娯楽

第一節 ピアッツァ・アルメリーナのカサーレ別荘

ローマから南イタリアのカターニャへ移動し、ピアッツァ・アルメリーナという町を目指

す。そこには、かつて古代ローマの元老院議員であったルフィーノ・アルビーノという貴族

が住んでいたとされる大きな屋敷がのこされていた。カサーレの別荘と呼ばれるその屋敷

は、63室、42の床に面積3500㎡の広範囲にわたるモザイク画を有し、3000万個

もの敷き詰められた小石が37色の鮮やかな色彩を放っている。現在、筆者は、「古代ロー

マ人の娯楽」というテーマで卒業論文を作成している。そこで、カサーレ別荘の大規模なモ

ザイク画の中に、古代ローマの人々が娯楽を楽しむ姿を描いたものが存在することを知り、

実際にこの目で見ることで研究に役立てたいと考えカサーレ別荘を訪れることを決めた。

第二節では、娯楽を楽しむ古代ローマ人のモザイク画を、そして第三節では娯楽を間接的に

支えた古代ローマ人のモザイク画を取り上げたい。

第二節 古代ローマの人々と娯楽のモザイク画

⒈運動を楽しむビキニ水着の少女たち

「娯楽」と聞くと、どのようなものを思い浮かべるだろうか。現代は様々な技術の発達に

より、テーマパークや映画といった、私たちが受動的に楽しめる様々な娯楽が存在する。で

は一方で、私たちが主体的に楽しむ娯楽とはどういったものか。例えば「運動」である。多

くの人が余暇の楽しみとして運動に取り組み、様々な設備のある大規模なスポーツジムも

存在する。ここで取り上げる一つ目のモザイク画からは、体を動かすことが古代ローマの

人々にとっても楽しみの一つであったことを知ることができる。

(写真1 ビキニ水着の少女たち 筆者撮影)

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写真1は、カサーレ別荘のモザイク画の中でも特に有名な代表作である。少女たちはオリ

ンピックに参加するための練習をしているのだという。種目は、幅跳び、円盤投げ、徒競走、

球技などからなる五種競技というものだ。上段左の少女は手にアレイを持ち、跳躍の準備を

している。その隣には円盤投げをする少女、さらに隣の少女はリレー走をしており、右端の

もう一人にタッチする瞬間だ。下段では2人の少女がカラフルなボールで球技を行う様子

が描かれている。中央の2人は競技で勝利した少女で、左端には審判役の少女が賞品を手渡

している。バラの冠と椰子の葉が勝利の印であった。古代では珍しいビキニの水着を着て

様々な運動に取り組む彼女たちの姿は実に楽しげである。

⒉少女たちの薔薇の飾りづくり

(写真2 少女と薔薇① 筆者撮影) (写真3 少女とバラ② 筆者撮影)

写真2と3はどちらも少女たちが薔薇の花を摘み、それをつなげて飾りにする姿が描か

れたモザイク画だ。かわいらしい薔薇がたくさん描かれているが、なぜ薔薇なのだろうか。

というのも薔薇は栽培の歴史も古く、特に西洋では「花の中の花」として人気があったとい

う。薔薇好きで有名だった皇帝ネロをはじめ、薔薇は古代ローマの人々に愛されてきた。彼

女たちがなぜ薔薇の飾りを作っているのかというと、4月下旬から5月上旬にかけて行わ

れたフロラリアの祭のためである。フロラリアの祭は、ローマ神話に登場する花と春と豊穣

を司る女神フローラに敬意を表すために行われた。穏やかな表情で薔薇の花に触れる少女

たちが描かれている。私たちにも、何かイベントが行われる時には、わくわくした気持ちで

飾りを作った経験があるはずだ。実は、筆者自身も、造花などを使って季節に合わせたリー

スなどの飾りを作ることを楽しみとしている。そのため、このモザイク画の少女たちにとっ

ても楽しみながら薔薇の飾りを作ることは娯楽の一つであったのではないかと考えられる。

⒊子どもたちの娯楽

現代は子ども用の遊び道具として様々商品が販売され、子どもがのびのびと遊べるよう

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な施設も整えられている。では、古代ローマの子どもたちはどんな遊びに興じていたのだろ

うか。その答えを知ることができるモザイク画が存在する。

(写真4 遊ぶ子どもたち 筆者撮影)

写真4では、子どもたちが鳥に馬車を引かせて戦車競技の真似ごとをして遊んでいる。馬

車を引く鳥は、ガチョウ、孔雀、フラミンゴ、鳩だ。フラミンゴに馬車を引かせ、赤いベス

トを着た子どもが赤組で、鳥が花の首輪をつけて春を表している。ガチョウに鞭を振り下ろ

し、白のベストを着ているのが白組で夏を表し、首輪は麦の穂だ。青組の孔雀にはブドウの

房の首輪が付けられて秋を表し、最後に鳩が引く緑組が冬を表している。

現代は、子どもたちが実際に乗り物に乗って競走をするということはないが、多くの子ど

もたちがゲームなどを通して勝負を楽しんでいる。また、チーム分けをする際に、いくつか

の色を使うことはよくあるが、色に加えて「季節」を盛り込んでいる点が面白く、古代ロー

マの人々も現代の私たちと同じように四季を楽しんでいたのではないかと感じる。

第三節 野生動物の狩猟のモザイク画

第三節では、第一節、第二節と違い、人々が受動的に楽しんだ娯楽を取り上げる。コロッ

セオをはじめとする円形闘技場での催し物は、古代ローマの人々を大いに熱狂させた娯楽

の一つである。その中でも、猛獣を使った催し物、帝国内外から輸入された珍しい動物のハ

ンティングショーは特に人気があったという。

今回、筆者は、さまざまな猛獣たちが捕獲され、円形闘技場へと輸送される姿を描いたモ

ザイクを通して、娯楽を支えた古代ローマ社会を確認することができた。カサーレ別荘にの

こる大狩猟のモザイクは幅3m、全長59.63mという驚くべき規模を誇るモザイクで、

ひときわ人々の注目を浴びていた。

実は、あらゆる地方で行われた狩猟は、休日を過ごす単なる娯楽目的と狩った獲物の売買

で収益を得るという商業目的で行われていた。当時、猛獣の捕獲や輸送は、様々な危険を伴

う非常に厳しい仕事であったが、その分多大な収益を得ることができた。そのため、収入に

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魅せられた多くの人々が猛獣の捕獲、輸送、そして売買に従事し、この事業は飛躍的に拡大

していった。

(写真5 ダチョウの輸送 筆者撮影)

(写真6 ゾウの輸送 筆者撮影)

(写真7 牛が引く荷車 筆者撮影)

捕獲された動物たちは頑丈な檻に入れられ、肩に担がれたり、または牛が引く荷車で港ま

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で運ばれたりして、そこからローマの港オスティアへと輸送された。様々な動物たちを大人

数で捕獲したり、輸送したりしている姿からは、登場人物たちにとって、猛獣狩りは非常に

大変な一日であっただろうという想像をかきたてる。

(写真8 子虎の捕獲 筆者撮影)

写真8のモザイクは、一見、丸い形をした檻に入れられた子虎を親虎が助けようとしてい

る姿に見えるかもしれないが、そうではない。これは、虎の赤ん坊たちの捕獲シーンを描い

ているのだという。1人の騎士が囮となり母虎を誘導し、タイミングを見計らって水晶玉を

投げる。すると母虎は水晶玉に小さく写った自分の姿を自分の子だと思い、しばらく立ち止

まる。その隙に全ての子虎を捕獲し、船に誘導するというものであった。

(写真9 奴隷を鞭打つ官吏 筆者撮影)

奴隷一人の値段は最高 30,000デナロだったが、ライオン一頭はその5倍もの 150,000デ

ナロに相当した。この場面は、そのような当時の経済的な問題を描いている。

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第二章 モザイク画以外にみる古代ローマの娯楽

第二章では、モザイク画以外から知ることのできる古代ローマの娯楽を取り上げる。筆

者が本研究旅行で訪れた、ローマや南イタリアのギリシャ劇場、円形闘技場、音楽堂(オデ

オン)の3つについて、当時の人々の楽しみ方と、実際に訪れて感じたことを合わせて述べ

たい。

第一節 ギリシャ劇場での観劇

シチリアにのこるギリシャ劇場

(写真10 タオルミーナのギリシャ劇場 筆者撮影)

ここを訪れたドイツの有名作家ゲーテは「この劇場から見るパノラマは世界一の美しさ

だ」と語ったという。筆者が訪れた日はあいにくの天気ではあったが、劇場の後ろに広がる

壮大な景色は、思わず息をのむほどの美しさだった。タオルミーナのギリシャ劇場は、ヘレ

ニズム時代にギリシャ人によって建設されたが、古代ローマ人によって一度、闘技場に改築

された。現在の劇場は2世紀に再建されたものであり、現在もなお、オペラなどのイベント

が開催されている。この日もちょうど夜にオペラが開催される予定で、準備やリハーサルが

行われていた。

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(写真11 シラクーサのギリシャ劇場 筆者撮影)

シラクーサのギリシャ劇場はヨーロッパ一の大きさを誇る。紀元前5世紀に、建築家ダモ

コポスによって岩盤をくりぬいて造られ、15,000 人もの観客を収容できた。シラクーサの

人々にとって、重要な娯楽の場であった。ここもタオルミーナのギリシャ劇場と同じように、

現在も劇場として使われており、毎年5月から6月にかけてギリシャ悲劇が上演されてい

る。

古代ローマの演劇

ローマではじめて恒久的な劇場が建てられたのは前1世紀半ばであった。前3世紀、リウ

ィウス・アンドロニクスがはじめて筋のある台本としてギリシャ劇の翻訳を行って以来、ロ

ーマ風にアレンジされた演劇が上演されるようになった。ローマ人の芝居の好みは、悲劇を

重んじるギリシャ人と違って、日々の生活を題材にしたミモス劇と呼ばれる大衆演劇で、劇

場はいつも笑いに包まれていた。作品の筋立ても、男と女の情事や離婚話、詐欺といった人

間臭いテーマが主流だった。驚くことに、観劇は基本的に無料で、市民に限らず旅行者でも

自由に入場できたという。役者たちはいったいどこから収入を得ていたのかが気になる。

第二節 円形闘技場での闘技観戦

古代ローマ人が特に熱狂した娯楽の一つが、円形闘技場での闘技観戦だ。その起源につい

ては、はっきりしたことは分かっていないが、エトルリア起源で、葬儀に結びついて開催さ

れたと言われている。記録上最も古い剣闘士闘技は、紀元前 264年にローマのマルクスとデ

キムス・ブルトゥスの兄弟が、父ブルトゥ・ペラの葬儀に際してボアリウム広場で三組の剣

闘士試合を行ったとのことである。人々は、人間と猛獣の闘い、犯罪人の公開処刑、そして

待望の剣闘士同士の闘いという順で流血ショーを楽しんだ。

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(写真12 コロッセオの内部 筆者撮影)

コロッセオは、9代皇帝ウェスパシアヌスが71年に着工し、息子の10代皇帝ティトウ

スによって、紀元80年に一部完成の状態で奉献された。オープニングセレモニーとして、

5000頭の野獣の出場、剣闘士闘技、摸擬海戦が行われた。試合場には砂が敷かれ、血で

汚れると、砂の入れ替えが行われた。この砂場が「アリーナ」の語源である。地下部分には、

32ヶ所の猛獣用の檻を収納する場所があり、連絡通路が張り巡らされ、さらにアリーナに

接続するエレベーターがあった。筆者が訪れた現在のコロッセオ内部は、アリーナの床がな

いため、複雑な構造の地下施設がむき出しになっていた。4層に分かれた客席には、約5万

人もの人が収容可能だ。実際に客席に立って競技場を見下ろす。古代ローマの人々は、私た

ちが野球などのスポーツ観戦を楽しむのと同じように殺し合いショーを楽しんだのだろう。

(写真13 シラクーサの古代ローマの円形闘技場 筆者撮影)

写真13は、シラクーサのネアポリ考古学公園にある古代ローマの円形闘技場だ。ローマ

のコロッセオ、ヴェローナのアナーレという円形闘技場に次いで大きなものだという。中央

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にある四角い穴は、模擬海戦の時に使用したというプールの跡だ。意外と客席から離れてお

り、小さく感じた。

第三節 音楽堂(オデオン)

(写真14 タオルミーナの音楽堂 筆者撮影)

タオルミーナのサンタ・カタリーナ教会の裏にのこる音楽堂跡だ。オデオンには原則とし

て屋根がついていたため、概して劇場より小規模で屋根を支える長方形の壁の中に収めら

れるのが普通だ。今日の劇場や映画館に由来する。遠くからは確認することができなかった

が、このオデオンは、はるか昔ギリシャ時代の神殿の上に建てられたものであるため、かつ

て存在したギリシャ神殿の柱などものこっているという。音楽堂とはコンサートホールの

ようなもので、人々はここで合唱隊の歌を聴くなどして楽しんだ。

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おわりに

まとめ

古代ローマの人々は、現代の私たちと同じように、体を動かすことやものづくりに取り組

むこと、また娯楽のために造られた施設に身を置いて何かを体験することで余暇の時間を

楽しんでいた。現代のように様々な技術がない中で、多くの、非常に興味深い娯楽が誕生し

ていることから、彼らの想像力の豊かさが窺える。娯楽とは楽しみや癒しである。古代ロー

マのモザイク画に描かれた彼らの明るい表情は、娯楽の本質が、当時から変わっていないこ

とを伝えてくれる。

また、古代ローマ社会と娯楽の関係は切っても切れないものであった。円形闘技場への猛

獣の輸送のモザイク画などからは、娯楽を通じて莫大な額の金銭のやりとりが行われてい

たことが分かり、古代ローマ社会と娯楽はお互いに支え合うような関係だったといえる。

今回の研究旅行で訪れた施設の中には、残念ながら、研究の対象となる作品や資料が見つ

からなかった施設もあったが、多くの収穫があった。この研究を、今後の卒業論文の作成な

どに活かしていきたい。

参考文献

中川良隆(2012)『娯楽と癒しからみた古代ローマ繁栄史』鹿島出版会

Giuseppe Di Giovanni(2000)『ピアッツァ・アルメリーナ モルガンティーナ カザレの別

荘のモザイク』(翻訳:河村悦子)

ステファン・ウィズダム(2002)『グラディエーター』(訳:斉藤潤子)新紀元社

本村凌二(2011)『帝国を魅せる剣闘士』山川出版社

新保良明(2012)『古代ローマ人のくらし図鑑』宝島社

洋泉社(2012)『図解 古代ローマ人の日常生活』

中尾真理(2010)「薔薇の文化史(その一):「花の中の花」」、『奈良大学紀要』、38号、302-

280頁