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フィリピンのストリートチルドレン リベラルアーツ学群 国際協力専攻 牧田 東一ゼミ 学籍番号:207d0174 大瀬 由香利 1

フィリピンのストリートチルドレン...序章 テレビ番組などを通して、路上で暮らす子どもや、親に捨てられた子どもについて知り、 子ども、特にストリートチルドレンにとても関心を持った。筆者は、2009

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Page 1: フィリピンのストリートチルドレン...序章 テレビ番組などを通して、路上で暮らす子どもや、親に捨てられた子どもについて知り、 子ども、特にストリートチルドレンにとても関心を持った。筆者は、2009

フィリピンのストリートチルドレン

リベラルアーツ学群

国際協力専攻

牧田 東一ゼミ

学籍番号:207d0174

大瀬 由香利

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目次

序章 .............................................................................................................................. 3

第 1 章 世界のストリートチルドレン ............................................................................. 4

1、ストリートチルドレンとは ..................................................................................... 4

2、事例 1:ブラジルのストリートチルドレン .............................................................. 4

3、事例 2:カンボジアのストリートチルドレン........................................................... 6

4、事例 3:ベトナムのストリートチルドレン ............................................................... 8

第 2 章 フィリピンのストリートチルドレン ............................................................ 10

1、ストリートチルドレンの生まれる背景 ................................................................. 10

2、ストリートチルドレンの現状................................................................................ 11

3、政府の取り組み ................................................................................................... 12

4、ユニセフ・NGO の取り組み................................................................................... 12

第 3 章 スカベンジャーとしての生き方と NPO の取り組み ..................................... 14

1、パヤタスダンプサイトについて........................................................................... 14

2、ストリートチルドレンからスカベンジャーへ ...................................................... 15

3、スカベンジャーの生活 .......................................................................................... 15

4、NPO「ソルトパヤタス」の活動内容 ...................................................................... 16

5、子ども達を支援する NPO の立場から .................................................................. 17

6、NPO や政府の問題の改善にむけて....................................................................... 18

終章 ............................................................................................................................ 19

参考文献 ....................................................................................................................... 21

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序章

テレビ番組などを通して、路上で暮らす子どもや、親に捨てられた子どもについて知り、

子ども、特にストリートチルドレンにとても関心を持った。筆者は、2009 年の 3 月に、CFFという NPO 団体のフィリピンでのワークキャンプに参加した。その際にスタディーツアー

としてマニラを訪れる機会があった。街中を車で走っていても、スラム街のすぐ隣にはキレ

イなホテルやお店や家が建っていて、貧富の差がはっきりしていることを間の当たりにした。

道路にも物売りの子どもがいて、車が止まるたびに彼らが寄ってくるという光景に衝撃を受

けた。そして、フィリピンでは 80%の富を 20%の裕福な人が使い、20%の富を 80%の貧し

い人が使っているという話を聞いた。つまり、不平等な社会なのである。 観光客など多くの人々が集まるマーケットや広場に行ってみると、何も言わずに手を出し

てくる物乞いをする子どもたちや、階段に座り込み物を売る子どもたちがたくさんいた。小

さい子どもを抱きながら、手を出してくる子どももいた。彼らは、毎日のように同じ場所へ

来て物乞いをしているのである。夜に外を歩いてみると、道の端の方で、寝ている子どもを

何人か見かけた。また、スラムのすぐ横には、スモーキーマウンテンと呼ばれる大きなゴミ

山があり、街のゴミが一か所に集められており、そこでゴミを拾っている人の姿もあった。

ひどい臭いのする場所もあり、有害物質などにより病気なってしまう子どももいることを知

った。 フィリピンにはたくさんのストリートチルドレンがいて、多くの子どもたちが首都である

マニラで生活をしている。路上で生活をする彼らは、寝ている間に物を盗まれてしまったり、

犯罪に巻き込まれたり、暴力や、エイズなどの病気にかかってしまうなど常に危険と隣り合

わせにあるのである。そして、彼らは大人になるまでこのような生活を続けていかなければ

ならないのか、彼らに何の問題があってストリートチルドレンになったのか、どうしたら、

彼らを守ることができるのか、などさまざまな疑問が浮かんできた。 1970 年代、フィリピンは経済開発、近代化を進めたが、こうした近代化の中で利益を受

けることのできるのは、やはりお金を持つ人だけで、その裏側では、ストリートチルドレン

は増えるのである。しかし、ストリートチルドレンと一言で言っても、家庭に暮らしながら、

路上で働いている子ども、路上で暮らしてはいるがときどき家庭にもどっている子ども、家

庭を完全に離れて子どもだけで路上で暮らす子どもがいる。彼らには、遊ぶ時間も勉強する

時間もないのである。それは、働かなくてはいけないために勉強時間の不足や体力の消耗、

栄養失調、学費が負担できないからなどの原因がある。 他のアジアの途上国にも多くのストリートチルドレンがいる。まずはストリートチルドレ

ンの現状を、世界のストリートチルドレンという広い範囲から考察し、比較していく。その

際、カンボジア、ブラジル、ベトナムを事例としてあげたい。そして、その中から 1 番関

心のあるフィリピンのストリートチルドレンに焦点をあてたい。フィリピンの経済、社会状

況を知ったうえで、ストリートチルドレンの現状や彼らの抱える問題、NGO はどのような

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対策をしているのかを考察していきたい。

第 1 章 「世界のストリートチルドレン」

第 1 章では、そもそもストリートチルドレンは何かということについて述べ、それから、

ブラジル、カンボジア、ベトナムのストリートチルドレンを事例に現状や背景、政府の取り

組みなどについて述べる。 1、ストリートチルドレンとは 1989 年に世界中の子どもたちを守るための「子どもの権利条約」が国連で採択されたが、

子どもの権利である、生存・成長・参加・保護という権利はまだ十分に守られていない子ど

もたちが世界には数多く存在する。 道端で食べ物やタバコを売り歩く、道路で停車中の車の窓ガラスを磨く、レストランに花

束や物を売りに来る少年や少女たち。アジアやラテンアメリカなどの発展途上国の国々の街

角でよく見かける子どもたちの姿である。彼らは通りに出て、自力で生活費を稼いでいる。

原因はさまざまであるが、家が貧しく働かなければならなかったり、両親からの暴力から逃

れるためなどである。このように、路上で生活する子どもたちをストリートチルドレンと呼

ぶ。現在、ストリートチルドレンは全世界で 1 億人以上いると言われ、今も増えつづけて

いる[工藤 2004:2-3]。寝る場所は、公園やバスターミナルなどで、仲間同士で固まって寝て

いる。服も 1 か月から 2 か月は同じものを着て生活をする。 ストリートチルドレンには 3 つの異なるタイプがある。家庭に暮らしながら、路上で

働いている子ども、路上で暮らしてはいるがときどき家庭にもどっている子ども、家を完全

に離れて子どもだけで路上で暮らす子どもがいる。 前 2 者は、「チルドレン・オン・ザ・ストリート」、後者は「チルドレン・オブ・ザ・ストリ

ート」と呼ばれる。 2、事例 1:ブラジルのストリートチルドレン 2-1 ブラジルの社会現状 ブラジルで も大きく も豊かな都市であるサンパウロ。サンパウロ市郊外にあるファヴ

ェーラという木片などで作った掘立て小屋の連なるスラム地域には、その人口の 10%であ

る 100 万人以上の人が暮らしている。ほとんどのストリートチルドレンは、サンパウロな

どの大都市にあるファヴェーラで生まれる。さらに、古い大きな住宅の内部を細かく仕切り、

1 部屋に 1 家族が住む共同住宅であるコルチッソには 300 万人もの人が住み、40 から 50の家族が、風呂、台所、洗濯室を共有する劣悪住居である。ブラジルの人口 1 億 5000 万人

のうち、10%の富裕層が国民総所得の半分以上を握り、10%の貧困層の所得は 1%にも満た

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なく、これほどの富の集中は前代未聞であり、貧困は拡大しているのである。そのため、コ

ルチッソのような劣悪住居やファヴェーラに暮らす住民の割合は、今も増えている。ブラジ

ルでは、1000 万戸の住宅が不足しているが、新しく住宅が建てられたとしても、資金不足

のために家を購入することができない[ディメスタイン 1992:16]。 しかし、2010 年 10 月現在では、ブラジル経済は堅調に成長している。雇用・賃金の増

加により中間層が増大し、人口 1 億 9000 万人のうち、約 2800 万人が中間層である。社会

政策の実施も効果を示し、国民から高い評価を受けている[外務省 HP,2010,12,23]。 2-2 ストリートチルドレンの現状 ブラジルの児童・青少年の 54%は、月収 35 ドル未満の家庭に暮らしている。1988 年に

は推定、2500 万人の貧困状態の子どもがいるとされ、そのうち 700 万人から 800 万人は路

上生活をしている。子どもたちのほとんどは、家族との関係を細いながらも持っており、捨

て子や親との接触がないという子どもは少数派である。路上生活で家となるのは店の出入り

口、ベンチ、駅の階段などで、段ボールや新聞紙をベッドの代わりとしている。しかし、彼

らはゆっくりと休むことはできない。警官からいつ叩き起こされるか分からない、銃弾をあ

びせられることすらある。また、年上の子どもたちから暴力をふるわれることもある[ディ

メスタイン 1992:20]。 ストリートチルドレンである彼らがいつも考えていることは、食べ物のことである。食べ

物を手に入れるために、物乞い、スリ、ゴミ箱あさり、旅行者からの強奪をする。空腹を紛

らわすためにシンナーを吸う子どもも多くいる。サンパウロ市のストリートチルドレンを対

象とした調査によると、「家庭や学校とのつながりが薄くなればなるほど、ドラッグの使用

量が増すという。シンナー、マリファナ、アルコール、タバコを含む各種ドラッグを毎日

高三種類摂取する『重度常用者』と判定された物は、十七歳以下の子ども百十九人のうち

45%に達した[ディメスタイン 1992:20]。」薬物を使用することで、気分を紛らわせ、寂し

さを忘れるのである。また、薬物を使用する際に使う注射の回し打ちによるエイズ感染も増

えている。 また、サルヴァドール市では、8 歳から 16 歳までの少年 30 人が群れを作り、女性や老

人を狙い、カメラや時計などを盗み、盗んだ物と引き換えに寝場所を得ている。さらに問題

なのは、警察も見逃す代わりに彼らの盗んだものを要求しているのだ。さらに、ブラジルで

は、「死の部隊」、「ジュスティセイロ」と呼ばれるグループがストリートチルドレンたちを根

絶しようと子どもたちを殺している。警察もこれを黙認どころか、警察官も参加しているの

である。一般人もストリートチルドレンに対して無関心であり、敵意さえ持っていて、子ど

もたちに脅威を感じ、自分たちの財産や命を脅かすものとしてストリートチルドレンを見て

いる[ディメスタイン 1992:16-28]。ブラジルでは、路上で暮らす子どもたちを、「『メニー

ノス・デ・ルア(路上の子どもたち)』または『メニーノス・アバンドナーズ(見捨てられた子

どもたち)』[ディメスタイン 1992:193]」と呼ぶことが多い。

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2-3 ストリートチルドレンの生まれる背景と取り組み ブラジルには人口 1000 万人以上の都市が 20 以上あり、全人口約 1 億 5000 万人のうち

75%は都市部に暮らしている。1950 年代から農村から都市への人口移動が始まり、政府は

自国の工業化を進める輸入代替化政策を打ち出した。この政策は 1964 年から 85 年の 21年間におよんだ軍事政権の下、ピークを迎え、内国移民が激増した。この人口移動は、軍事

政権における軍部の希望するものであり、工業化に必要な安い労働力を確保するためであっ

た。1985 年に軍事政権は終わったが、1990 年から厳しい緊縮計画がとられ、家計を支える

ために労働する子どもたちが増え、過去 悪の状況に陥ってしまったのである。ブラジル政

府はストリートチルドレン増加を阻止する方策を何も講じていなかった。ブラジルは「『児

童省』という官庁をもつ数少ない国の一つであり、『子どもに対する暴力の低減・防止に向

けた国家計画』も発表している[ディメスタイン 1992:40]」それにもかかわらず、経済・社

会政策は貧窮を招き、ストリートチルドレンのような子どもを増加させているのである。 1985 年に設立された「ストリート・チルドレン全国運動」は、子どもたちを支援する民間

団体であり、警察暴力の告発や子どもたちに自分の話をする機会を与えることや、シェルタ

ーの運営などを行っている。ユニセフの役割も重要で、エデュケーター・プロジェクトの後

援をしている。児童省が誕生してから、ストリートチルドレンを支援するプロジェクトがい

くつか発足し、良い徴候が見られているが、ストリートチルドレンは増加し続けているのが

現実である。それだけ、根の深い問題でブラジル社会の構造にかかわってくる問題なのであ

ろう[ディメスタイン 1992:16-46]。 3、事例 2:カンボジアのストリートチルドレン 3-1 カンボジアの社会状況 カンボジアの首都プノンペンは、近年高いビルが建つなど、少しずつ都会になってきてい

る。1991 年以前の内戦時代に比べると、活気を取り戻している。しかし、そこに住むのは

ほんの一部の富裕層と、大多数の貧困層である。観光名所が集まるトンレサップ川沿いには、

訪れる観光客に対して物乞いや、ガイドブック売り、お菓子売りをする子どもたちが大勢い

る。この子どもたちは、周辺に住むストリートファミリーの子どもたちである。子どもたち

が路上でお金を稼げる場所はここしかない。他の場所でお金を稼ぐには、ゴミ拾いだけであ

る。プノンペンは、路上で暮らす子どもたちができる仕事がとても少なく、観光客相手にし

かお金を稼ぐ手段がない [工藤 2008:2-4]。 3-2 ストリートチルドレンの生まれる背景

1863 年から 1953 年まで、カンボジアはフランスの支配下に置かれた。1953 年にフラン

スからの独立を果たし、シハヌーク国王が政権を握った。しかし、シハヌーク政権は経済政

策の失敗、社会変革により、国は不安定になった。次に政権を奪ったのは、ロン・ノル将軍

である。ポル・ポト率いるクメール・ルージュは敵対していたシハヌークと協力し、カンプチ

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ア民族統一戦線をつくり、ロン・ノル将軍へ対抗した。これが、カンボジアにおける内戦の

始まりである。そして、1975 年にポル・ポトが政権を握った。ポル・ポトは、都市から人を

立ち退かせ、国民を強制的に農業に従事させるという政策を取り始めた。資本主義的な市場

や通貨なども廃止され、教育も、労働・農業・政治のみに限定され、普通の学校教育や宗教活

動はすべて禁止された。子どもたちは、家畜の世話、建設労働や森林伐採労働をさせられ、

戦争になると、軍隊参加を強制された。教師や大学生など知識を持つ人の多くは殺されるこ

ともあった。次のヘン・サムリン政権が発足するまでの約 4 年間この状況が続いた[工藤 2008:5-8]。 国際的支援により復興が始まったが、都市部には活気が戻ってきたが、農村部に対しては、

経済的復興はなかなか進まなかった。さらに復興により、性産業が拡大し、国内外から来た

女性や売られてきた少女たちが急増し、感染症の拡大も引き起こした。内戦の混乱から、急

に市場経済へ移行したことが多くの人々を苦しめている。カンボジアは人口の 8 割が農村

に暮らしているが、農村以外で開発が進み、農村は置き去りにされている。そんな農民たち

は農村を捨ててプノンペンなどの大都市に集まり、スラムを形成している。農村から都市へ

出稼ぎに来ても、大半の人は教育を受けていないため、定職につくことはできない。路上や

スラムに居場所を求め、ゴミ拾いや物売り、日雇い労働での生活になる。極貧状態のスラム

からは、多くの子どもたちが路上へと押し出され、ストリート・チルドレンとなっているの

である[工藤 2008:8-12]。 2007 年、プノンペンには 2 万人を超えるストリート・チルドレンがいるとされている。

ほとんどの子どもはスラムで家族と暮らし、約 2000 人の子どもは彼らだけで路上生活をし

ている。原因は、親からの虐待、育児放棄である。プノンペンには、多くの市場があり、そ

の周辺には、ストリートファミリーの姿がある[工藤 2008:14]。カンボジアは 1 年中暖かい

国のため、路上で暮らしていても気候の変化に左右されにくい。路上生活の中でも、親は子

どもに教育を受けさせたいと考えている。内戦時に、人々は教育を受けることを禁止されて

いたため、失ったものの大きさを痛感している。しかし、経済的に苦しい生活を送る人々に

とって、子どもを学校に通わせることは困難である。 3-3 NGO の取り組み そこで、路上で暮らす子ども、スラムで家族と暮らしながら路上で暮らす子どもを対象に、

NGO「フレンズ」は、エデュケーションセンターと呼ばれる、無料の学校と保育園を開いて

いる。カンボジアの公立学校と同じ時期に学校が始まるカリキュラムで行っているため、セ

ンターで勉強した子どもたちの約 8 割が、公立学校へ編入している。無料であるため、両

親は喜んで子どもを通わせている。一方で、フレンズの職員は、路上暮らしの子どもたちの

教育が難しいと語る。その理由は、虐待や周囲からの嫌がらせを受けているために、他人に

対して反抗的であること、路上で気ままな生活をしているので、長時間集中することができ

ないということである。路上生活が長い子どもは、薬物依存の問題もあり、学校に通うこと

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すらできない場合もある[工藤 2008:17-18]。 カンボジア政府は、貧困やストリート・チルドレンの問題に対して、もっと積極的に取り

組まなくてはならない。内戦から 20 年経ったが、まだ国際的な援助に頼っている。貧富の

差は拡大しており、人口の 4 割は 貧困層とされ、ストリートチルドレンはなかなか減ら

ない。前にも述べたように、NGO「フレンズ」はストリート・チルドレンに対し、様々なプロ

グラムを実施している。路上を巡回、職業訓練や薬物依存の子どもたちの一時滞在所や宿舎

を運営している。日本の NGO も同じように活動をしている。それは、「国境なき子どもた

ち」である。施設の運営をし、識字教育や職業訓練を行っている。ほかにも、「国際子ども権

利センター」や「シャンティ国際ボランティア会」がカンボジアで活動している。 3-4 ストリートチルドレンの現状

90 年代後半から、ストリート・チルドレンの間で薬物の多用が始まった。カンボジアが「安

価な薬物生産国」になったため、薬物が簡単に手に入るようになったのだ。2007 年の段階で、

7 割の子どもたちが薬物を使用しており、そのうちの 2 割は注射を使っている。注射の使用

は拡大しており、これにより、HIV 感染も拡大している。そこで、2004 年に NGO「フレン

ズ」は、政府の承認を得て、路上やスラムの子ども、若者から使用済みの注射器と針を回収

し、新品と取り換えるという対策を打ち出した。結果は、HIV に関する知識も若者たちの

定着するようになった。さらに、紛争後の復興が始まってから、近隣諸国からの人々が住来、

外国人観光客の増加に伴い、性産業に従事する女性の間で HIV が拡大した。路上で働く子

どもの家庭の 4 割に HIV 感染者がいる。HIV で両親を亡くし、ほかの家族も養えない子ど

もがストリート・チルドレンとなることもある[工藤 2008:21-31]。 カンボジアは、まだまだ経済的に貧しい国である。復興以降、急速な大量消費経済と富裕

層の出現により、ゴミ山が拡大した。不衛生なうえ危険であるために、子どもたちが働くに

は劣悪な環境である。それにも関らず、多くの子どもたちがゴミ山で働いている。1 日に

100 円稼ぐために、ビニール袋 20 キロ、ビン 200 本集めなければならない。大人と共に働

く子どもにとっては、とても大変なことである[工藤 2008:49-52]。 4、事例 3:ベトナムのストリートチルドレン 4-1 ベトナムの社会状況とストリートチルドレンの生まれる背景 ベトナムでは 1986 年以来、「市場経済システムの導入と対外開放化を柱としたドイモイ

路線を継続、外資導入に向けた構造改革や国際競争力強化に取り組んでいる[外務省 HP 2010,1,24]」このドイモイ政策により、ベトナムの経済は発展した。街は華やかになり、

人々の服装なども贅沢になった。しかし、このドイモイ政策の恩恵を受けることができたの

は、大都市に住む人々であり、農村部の人々は貧しく苦しい生活のままである[水野 1997:100]。これは、ストリート・チルドレンを生みだす要因の 1 つであるといえる。ベト

ナムは農業国であり、総人口は 2008 年では約 8,616 万人であった。総世帯数の 50%は農家

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であり、労働人口の 73%を農林水産業が占めている。しかし、人口の 51%は貧困ライン以

下の生活水準の貧困層であり、うち 25%は必要なカロリーを摂取できない栄養失調状態で

ある。また、ベトナムには 55 の民族が住んでおり、全体の 86%をキン族が占めていて、少

数部族との間に貧富の差が生じている[水野 1997:98-101]。

4-2 ストリートチルドレンの現状 市場経済化の影響は子どもたちにも及んでいる。ベトナム全体で、ストリートチルドレン

は、約 1 万 9000 人いるとされている。大都市に行けば、少しはよい生活ができるというこ

とで、農村から職を求めて都市へ出稼ぎにくる人口も増加している。この人々の多くは中卒

以下の農民のため、彼らの仕事はほとんど資金や技能を必要としない、バイクタクシー、屋

台、物売りで、わずかな収入を得て生活をしている。経済的な理由で学校を辞めざるをえな

い状況から、路上へ出て、新聞売りや靴磨きで 1 日の生活費を稼いでいる[今井・岩井 2004:136-137]。ベトナムの初等教育レベルは途上国ではかなり高いレベルにあり、全国で

90%である。しかし、中学就学率、高校就学率となるにつれて、農村に住む人々の就学率は

都市の人々に比べて低くなっている。これは、親の経済力の差でもある [今井・岩井 2004:139]。」

商業の中心であるホーチミン市には、農村から出稼ぎに来ている人々が多く生活している。

住民票を持たない不法滞在者も増加している。統計的には不法滞在者は出てこないのだが、

実際には 700 万人いると言われている。彼らは街の美化のために郊外へ追いやられている

ため、目につきにくい。現在公表されている就学率や識字率に不法滞在者のデーターは含ま

れていない。不法滞在の家庭に育った子どもたちは、就学ができないまま大人になる。そし

てその子どもたちが生む子どもたちも、また同じような状況になるという悪循環が起こる

[今井・岩井 2004:148-150]。

4-3 NGO の取り組み このような悪循環を断ち切ろうと貧困問題を、自分たちの社会問題として取り組む地元

NGO が増えている。日本の NGO 団体である「ベトナムの子どもの家を支える会」は、スト

リート・チルドレンの自立支援のために「子どもの家」を建設、運営を行っている。子ども達

に対しては、職業訓練や精神的ケアも行っている。奨学金等においても、間接的・直接的に

支援をしている[ベトナムの「子どもの家」を支える会 HP 2010,1,26]。 今後、ベトナムが経済成長をするなかで、貧富の差、地域格差は拡大していくだろう。ス

トリートチルドレンや少数民族に対する教育支援をはじめ、地元 NGO の活動における地域

住民との関係も今後重要になってくる。

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第 2 章 フィリピンのストリートチルドレン

この章では、筆者の1番関心のあるフィリピンに焦点を絞り、ストリートチルドレンの生

まれる背景、現状、政府の取り組み、ユニセフ・NGO の取り組みについて述べていく。 その際、1章で述べた国を比較対象として見ていく。 1、ストリートチルドレンの生まれる背景 フィリピンの国民の 93%はキリスト教徒であり、うち 83%がローマカトリック教徒であ

る[外務省 HP 2010,1,30]。ローマカトリック教では、不妊手術、避妊、中絶が禁止されて

おり、望まれない子どもが生まれてしまう。 そして、ストリートチルドレンの生まれる 1 番の原因は、貧困である。フィリピンは、

1970 年代にマルコス大統領の独裁下で近代化、経済開発を進めた。フィリピンでは長年、

大地主の下で働く小作人のような貧しい農民に対して、皆が十分な広さの土地を所有できる

よう農地改革が望まれ、改革が実行された。しかし、大地主や政府の利害が優先され十分な

成果は上がらなかった。工業化は、首都マニラを中心に進められてが、これも成果を上げる

ことができず、1 部の企業家や大統領が大きな富を得ていた。農村での暮らしは、近代化に

より、情報・交通網の広がりをみせ、農民は自給自足の生活を離れ、収入を求めて産業の発

達するマニラへと移動を始めた。だが、収入のよい定職につくことは出来ず、日雇いの低賃

金労働、街頭商人など、スラムで生活をしながら一家総出で働くようになる。こうして、マ

ニラ首都圏のスラム人口は増加した。商業やサービスの発展により、人、モノがあふれる一

方で、それを手に入れることができるは中・上流層のみで、貧困層との格差がはっきりして

いることがわかる。スラム住民の間でも細かい所得格差を生まれ、不平等感を高めた。そし

て、酒や薬物に依存する人も増え、家庭を支える力が弱くなり、ストリートチルドレンが生

まれる[工藤 2000:8-11]。 マニア首都圏のスラムは、除々に圏外への移動を強いられている。先進国に追いつこうと

するフィリピン政府は、スラムなどの悪いイメージにつながるものは、遠くに移動させたい

のである。政府は安価な住宅を圏外に建設するのと引き換えに、スラムの住民に移住を求め

ているが、都心の日雇いなどでお金を稼ぐ彼らにとって、交通費をかけなければ都心に着か

ないのは大きな負担になる。よって、立ち退きを迫られたスラムを出た後も、政府に用意さ

れた住居には入らず、家族で路上で暮らすストリートファミリーやストリートチルドレンが

増えるのである[工藤 2000:12]。 また、国内での失業が増えるにつれて、次第に海外への出稼ぎが増加した。国民の約 6%

が出稼ぎ労働をしているとされ、多くは少しでも高い収入を求める低所得者である。親の出

稼ぎが原因で、家庭に亀裂が入り、家にいれなくなった子どもたがストリートチルドレンと

なる。支えあうはずの家族が、貧しさを解決するための出稼ぎという手段によって壊れてい

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るのである。これらによって、より多くのストリートチルドレンを生みだしている[工藤 2000:13]。 2、ストリートチルドレンの現状 2005 年、フィリピンには 25 万人のストリートチルドレンがいるとされている[日本ユニ

セフ協会 HP 2010,1,30]。11 歳から 14 歳の年齢が も多く、約 80%は男子である。ほとん

どの子どもは学校には行っておらず、1 部の子どもは 1 度も学校へ行ったことがない。学校

に行けない理由としては、やはり経済的困難が上げられる。彼らは、1 日のうち 12 時間を

路上で過ごしている。仕事は、物乞い、盗み、靴磨き、新聞や煙草などのモノ売り、車の監

視をして生計を立てている。平均収入は 1 日に 12~15 ペソ(1 ペソ:2 円)である。75%の子

どもは家族のもとに帰り、スラムで家族と共に生活をしている。30%の子どもは、ほとんど

家族との関わりを持っていないか、家族がいない子どもである[萩原 1996:51]。 彼らの暮らす路上は、決して安全な場所ではない。栄養不足により抵抗力の低い子どもた

ちは、空気や水の汚染や気温の変化により、呼吸器系、消火器系、皮膚の病気にかかりやす

い。ほとんどの子どもは毎日、風呂に入ることができず、公衆トイレや川などで水浴びをす

るため、衛生面でも問題がある。また、睡眠時間を十分にとっている子どもは少なく、スラ

ムの狭い家や歩道、お店の角などにうずくまっているだけなのである。時には、通りがかり

の車にひかれてしまうこともある。また、いつも路上にいるため、賭け事、喫煙、薬物乱用

に陥りやすい。不法な薬物ではなく、有機溶剤やガソリンなどを吸引している。ストリート

チルドレンには、親などの大人の監視がないために、野蛮な価値観や生活様式になってしま

うのである。彼らは、肉体的な危険だけでなく、精神的な危険にもさらされている。他のス

トリートチルドレンに袋叩きされる、犯罪に巻き込まれる、性的虐待などの恐怖から精神的

ダメージを負っている。ストリートチルドレンたちは、自分の安全のために、仲間とグルー

プを作り、物理的に決められた縄張りを持っている。時に、グループで盗みなどの軽犯罪を

起こすこともある[荻原 1996:52-54]。 ストリートチルドレンの約半数は窃盗、賭け事により 低1回は逮捕された経験を持つ。

逮捕されている間は大人の犯罪者と一緒に収容されるため、留置場で不法商売の方法を教わ

る子どもも多くいる。警察官からは、叱責、鞭でうたれ、裸にされるなどの虐待を受け、肉

体的にも精神的にもダメージを受ける[萩原 1996:54-55]。 マニラには、スモーキーマウンテンと呼ばれる巨大なゴミ集積場があり、そこでゴミを拾

たり、店舗で出るゴミを集めたり、リサイクルショップに売れるゴミを集める子どもたちが

いる。彼らはスカベンジャーと呼ばれる。現在は、スモーキーマウンテンは閉鎖されたが、

スモーキーバレーと呼ばれる別のゴミ集積場でゴミを拾っている。彼らは、さらに劣悪な労

働環境に置かれている。強い日差しの下で、ダイオキシンなどの有害物質が発生しているゴ

ミの中を、ハエやウジ虫を踏みつけながらゴミを拾っている。ここで働く子どもの多くは、

皮膚炎などの病気にかかり、周辺のスラムでは障害をもつ子どもが多くうまれている[工藤

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2000:4-6]。 3、政府の取り組み フィリピンでは、政府による貧困に対する取り組みや計画が行われている。社会福祉開発

省、大規模反貧困活動、小規模福祉買うどうが行われてきたが、うまく機能していないのが

現実である。貧困の減少に対しては、ある程度役に立ってはいるが、雇用や所得分配の問題

にはほとんど関わっていなかったのである[萩原 1996:56]。 1980 年代の半ば頃から、ストリートチルドレンの現象は全国的な問題として考えられる

ようになった。国家政策では「児童の福祉を推進し、有意義で幸せな生活の機会を増加させ

る[萩原 1996:52]」としているが、現実はまったくそぐわない状況である。1990 年に子ども

の権利条約を批准したことから、子どもの権利に注目をするようになった。1996 年に、社

会福祉開発庁の中に「ストリートチルドレン・ユニット」が開設された。各地域の福祉事務所

が連携して、「奨学金プログラム」、「愛情教育」、「収入向上プロジェクト」を行い、子どもた

ちが、路上で生活をしなくてよくなるように、家庭や地域環境を整える努力をしている[工藤 2000:61]。そして、2000 年には、ユニセフの協力のもとで、21 世紀における子どもの

ための新しい枠組みである「チャイルド 21」を策定した。これは、「子どもの権利を守る社会

を 2025 年までに実現をすること[国境なき子どもたち HP 2010,1,30]」を目標にして出され

たものである。これにより、子どもの権利を守るための動きが少しずつではあるが始まった。 例えば、性的暴力事件の裁判では、子どもが裁判で証言するときに別室でビデオを通して証

言することによって、子どもが怯えることなく証言ができるようになった[国境なき子ども

たち HP 2010,1,30]。2006 年には、少年司法が整備された。今まで、18 歳未満の子どもは

刑務所に入れられることはないという法があったにも関わらず、大人と一緒に収容され、暴

力やいじめに苦しめられていた。2005 年までに、毎日平均 25 人の子どもたちが逮捕、年

間で 1700 人が収監されているという現状があった。 4、ユニセフ・NGO の取り組み 4-1 ユニセフの取り組み

ユニセフは 1986 年からストリートチルドレンに関する合同プロジェクトを実施した。プ

ロジェクトは、ストリートチルドレンの状況の分析、啓発活動、プログラム開発などのサー

ビスを開始し、その後、促進、統合を行っていくというものである。子どもたちと接触し、

世話や保護を目的とし、6 つの領域に分けられている。 ①プログラム開発 ②啓発活動・・・影響力のある社会部門がその能力と資源を援助にむけるようにするプロセ

ス ③人的資源開発・・・他の分野のワーカーの能力を高めるサービスを提供する技術を向上 ④技術支援・・・必要な助言を与えるための専門家からなる技術チームのサービス提供

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⑤プロジェクト支援のコミュニケーション・・・啓発活動の支援、プログラム活動の遂行を促

進する ⑥プロジェクトの監視と評価・・・これらのプロジェクトがストリートチルドレンにどのよう

に影響しているかなどの調査を行う。 この 6 つの中でも、プログラム開発は特に注目され、子どもたちと接触できるようにする

ためのアプローチや子どもたちの具体的な現実の姿を捉えることが重要とされた。子どもたち

を家族のもとに戻し、家族の保護能力を高めることが目的である[萩原 1996:56-58]。 さらに、全国プログラムから、17 都市に作業委員会が置かれ、プログラムを特徴づける

3 つのプログラムサービスが作られ行われている。第 1 は、ストリートチルドレンの施設収

容に代わる措置となる、コミュニティ中心のプログラムである。家族とコミュニティの能力

を高め、自分たち自身で子どもたちの世話をすることができるようになることを目指してい

る。第 2 は、一時的に暖かい食事と宿泊する場所を提供する、または通学をさせたりと永

続的なサービスを提供し、家がない子どもたちが援助を受けることができるホームを作る施

設中心のプログラムである。子どもたちの性格的な発達を目指している。第 3 は、路上に

おいて子どもたちに接触をする路上でのプログラムである[萩原 2000:59-60]。このように、

ストリートチルドレン問題に対するユニセフの役割はとても大きい。

4-2 NGO の取り組み NGO もストリートチルドレンの現状を知り、少しでも支えようと活動している団体が多

くいる。カトリック系の NGO「パンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン」

は、1989 年から活動しており、フィリピン人スタッフが運営する施設である。7 歳から 17歳の少年の世話をし、支援している。この NGO は、施設にやってくる子どもたちの家庭や

出身地域まで踏み込んで、子どもたちの支えになろうとしているのが特徴である。子どもた

ちの家庭への復帰を支援し、その後の生活をバックアップしている。さらに、施設から家庭

へ復帰した子どもと貧しいスラム地域に暮らす働く子どもを対象に、学校に行くための奨学

金を支給している。フィリピンの貧しい家庭では母子家庭が多い。それは、夫は外で働き、

妻は家を守るという意識が強いために、夫が失業することで、家庭内のバランスが崩れ、夫

による暴力や虐待の結果、母子家庭が生まれている。そんな貧しい家庭の母親の経済的自立

を促すプログラムも行われている。母親が自宅で仕事ができるよう、自営業の方法を教えて

いる。自分の力で仕事と家庭の両立ができるようになると、母親は子どもを支え、生きてい

く自信を持つようになる[工藤 2000:39-46]。 他にも、ストリートチルドレン支援に関わる市民組織の代表によって設立された「チャイ

ルドホープ・アジア」がある。活動の目的は、ストリートチルドレン支援に取り組む人々の仲

介役として、それぞれの仕事を助け、お互いに協力しあえるようなネットワークづくりに貢

献すること。そして、地域や国レベルで、ストリートチルドレン支援に必要な調査などを行

うことである。独自のプログラムやプロジェクトを実施しており、路上での教育とストリー

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トエデュケーターは注目されているプログラムだ。このプログラムの目的は、子どもたちの

相談相手となり、本来の生活に戻るきっかけを作ることである。ストリートエデュケーター

は子どもたちにとって、心の支えとなる存在となる。このチャイルドホープ・アジアは、フ

ィリピン全域だけでなく、タイやカンボジア、インド、ネパールなどのアジア諸国でも活動

している NGO である[工藤 2000:55-59]。

第 3 章 スカベンジャーとしての生き方と NPO の取り組み

第 1 章、第 2 章で世界、そしてフィリピンのストリートチルドレンについて述べてきた。

この章では、ストリートチルドレンとして生きてきた子どもたちが、大人になってから、ど

のように生きていくのか。その 1 つの手段であるスカベンジャーについて述べていきたい。 筆者は、実際にフィリピンに行き、ケソン市北東に位置するバランガイ地区パヤタスにある、

ゴミ山「パヤタスダンプサイト」で、教育・女性収入向上事業・スタディーツアーの 3 つの

事業を行っているNPO「ソルトパヤタス」を訪れ、調査を行った。まず、パヤタスダンプサ

イトとスカベンジャーの生活について述べ、現地で活動するソルトパヤタスの具体的な活動

内容、フィリピン人スタッフの話から政府に求めることなどについて述べていく。1 1、パヤタスダンプサイトについて パヤタスダンプサイトの広さは 30 ヘクタールで、1 日約 520 台のトラックを受け入れ、

ケソン市から出る約 1200 トンものゴミが運び込まれている。1973 年から廃棄物処分場と

して政府から認可がおり、第 1 のゴミ山でゴミの投棄が開始された。1984 年には、第 2 の

ゴミ山がオープンした。90 年以降、ゴミの投棄量は増大し、現在に至っている。 ダンプサイドの周りを囲むように、家々が立ち並んでおり、2007 年の時点で、24,4193

世帯、117,001 人が住んでおり、2009 年にはその約 30%の人々がスカベンジャーとして生

活をしている。彼らの多くは、フィリピンで も貧しい貧農貧漁村地帯の出身者である。さ

らに、1995 年にスモーキーマウンテンとして有名だったトンドダンプサイトが閉鎖され、

多くのスカベンジャーがパヤタスに集まるようになった。そのため、パヤタスには、様々な

地域の人たちが集まってきている。 2000 年 7 月 10 日に、前日からの台風の影響を受け、高さ 30m、幅 100mに渡り、第 1

のゴミ山が崩落し、約 300 名2もの人が亡くなり、その多くは子どもたちであった。2000年 7 月 17 日に第 1 のゴミ山、第 2 のゴミ山ともに閉鎖されたが、2000 年 11 月 7 日に第 2のゴミ山へのゴミ投棄が再開された。しかし、崩落事故をきっかけに、15 歳以下の子ども

1 以下の情報は、筆者の 2010 年 11 月 5 日~6 日に行ったインタビューに基づいている。 2 この 300 名という数字は、身元判明者であり、身元不明者や行方不明者は含まれていな

い。実際には、1000 名近くの人が犠牲になったという説もある。

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はダンプサイトへの入場は禁止された。ダンプサイトへの入場には IDが必要で、

POG(Payatas Operation Group)という市の運営機関により 50 ペソ(1 ペソ=2 円)で発行さ

れる。このIDの発行において、パヤタス居住者であることが条件とされ、IDがあれば、24時間制限なしで入ることができる。

2009 年より第 1 のゴミ山への投棄も再開され、ゴミ山の高層化が進み、現在では第 1 の

ゴミ山と第 2 のゴミ山が一体化し、巨大なゴミ山が形成されている。崩落事故以降ダンプ

サイト周辺に住む人々は、強い雨の降る日など、また事故が起こるのではないかと常に、事

故再発の恐怖にさらされている。 2、ストリートチルドレンからスカベンジャーへ パヤタスダンプサイトでスカベンジングをする子どもたちの中には、過去にストリートチ

ルドレンとして物売りや道路掃除などをして収入を得ていた子どもたちもいる。前章でも述

べているように、ストリートチルドレンやスカベンジャーとして働く彼らは、田舎出身者で

ある人がほとんどである。両親が仕事を求めて、首都であるマニラに家族で移住してきても、

大学を卒業していないと手に職をつけることは難しいというフィリピンの現状では、日雇い

の仕事を転々としなければならなくなる。そして、家計を支えるために、子どもたちがスト

リートチルドレンとして、物売りなどをしている。15 歳以上になると、ゴミ山への入場に

必要な ID をもらうことができるので、パヤタスのようなゴミ山へ来て、スカベンジャーと

して働くようになる。 パヤタスダンプサイトでスカベンジャーとして働く子どもたちの中には、家がなく路上で

生活をしながら、スカベンジングをしている子や、15 歳未満のためにゴミ山に入ることの

できない子どもは、両親の集めたゴミをジャンクショップという、廃品回収業者に運ぶこと

や、ゴミの見張り番などの手伝いをする。それだけでなく、近くのマーケットで出るゴミを

拾い、それを売ってお金を手にする子どもたちもいる。 3、スカベンジャーの生活 スカベンジャーは朝早くから、暗くなる夕方までゴミ山に入りゴミを拾う。そして、集

めたゴミは、ジャンクショップに持って行き、その場で分類され、秤にかけられ現金と交換

してもらう。ゴミの種類に応じて買い取り価格はあらかじめ決まっている(図 1 参照)。 図 1 ゴミの買い取り価格(1 キロあたり) プラスチック 12 ペソ 水のボトル 15 ペソ 段ボール 1 ペソ 空き瓶 1~2 ペソ 鉄類 2.5 ペソ (出典:2010 年 11 月 5 日の筆者による聞き取り)

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プラスチックとミネラルウォーターのボトルが 1 番高く売れる。ゴミの価格は常に変動

しており、今年は特にゴミの価格が下がったため、スカベンジャーの生活は苦しくなってい

る。ゴミの価格が下がることは、スカベンジャーにとっても、ジャンクショップを運営する

方にも、とても大きな影響を与えるのである。筆者がジャンクショップを訪問し、オーナー

に話を聞いたところ、1 人が 1 回に持ってくるゴミは、現金に換算して平均で 100~150 ペ

ソで、今までの 高は 350 ペソだったそうだ。筆者が話をきいた 2010 年 11 月 5 日の 高

は 85 ペソだった。 スカベンジャーのほとんどは、ジプニーの運転手などのいくつかの仕事を転々としており、

定常的な仕事はない。筆者の訪れたジャンクショップには、スカベンジャー達が持ってきた

ゴミを分別している 3 人の男性がいた。話を聞くと、1 人は 16 歳の少年で、学校に通いな

がら、学校がない時にジャンクショップへ来て収入を得ていた。他の男性は、普段はジプ二

―の運転手をしているが、仕事がないときは、スカベンジングをしたりジャンクショップで

仕事をしているそうだ。 4、NPO「ソルトパヤタス」の活動内容 筆者の訪れた NPO「ソルトパヤタス」は、教育支援事業・女性収入向上事業・スタディー

ツアー事業の 3 つを柱に活動している団体である。そのなかでも、子ども達と直接関係の

ある教育支援事業について述べていきたい。 教育支援事業には奨学金・チュートリアル教育・ライフスキルの 3 つのプログラムがあ

る。奨学金やチュートリアル教育は 初から行われていた事業で、活動の基盤であり、アカ

デミックな教育を行ってきていた。奨学金プログラムでは、現在、小学生から大学生までの

約 90 人を支援している。奨学生はパヤタスで生活をしていて、月収が 3000 ペソ以下の家

庭であることや、家庭環境を考慮して選ばれる。こうした支援により、学校に通うことの できる子どもは増え、全く学校に通えていない子どもは約 2%である。その一方で、中途退

学をする子どももいる。その理由は、家庭での精神的・肉体的栄養状態が不足し、授業に集

中することができなく、勉強が遅れてしまう事、学校や地域での悪友の影響である。友人か

らの悪い誘いを断ることが出来ない子どもが多く、そのまま中途退学してしまうのである。

学校に通い、勉強が出来るという環境は整っているけれど、子ども達の気持ちや精神が整っ

ていないのが現状である。 そして、ライフスキルのプログラムは、ソルトパヤタスが今までに行ってきた活動を振り

返り、これから何が子どもたちに必要で、何が出来るかを考えて生まれたプログラムだそう

だ。ゴミ山に暮らす子どもたちは、自分たちの置かれている「貧困」という環境が当たり前に

なってしまっている。子どもたちが自分のことだけでなく、家族やコミュニティについて考

え、貢献できるようになり、社会の仕組みを知り、貧困の根本について考えられるように育

てていく事を目的とし、子どもたちの将来の基盤を作る、草の根の活動をしている。このラ

イフスキルを行っていくことで、学校を中途退学する子どもも減るだろうと現地スタッフの

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方は語った。

5、子ども達を支援する NPO の立場から ここまで、スカベンジャーの生活やパヤタスで子どもたちを支援する NPO ソルトパヤタ

スについて述べてきた。ここでは、筆者が行った、ソルトパヤタスで活動しているフィリピ

ン人スタッフへのインタビュー(2010 年 11 月 6 日実施)に基づいて考察していく。 ①今までの活動での成功点と活動の障害になることは? 成功点は、奨学金プログラムにより、より多くの子どもが学校に行けるようになった事。

やはり、子どもたちが学校へ通い教育を受けることで、大人になりいい仕事3に就くことが

出来れば、今の生活環境を変えていくことができるからである。 活動の障害になることは、NPO や NGO の立場はやっぱり第三者である事。これは、ど

んなに子ども達を支援して教育を受けられるようしたとしても、子どもたちの「家族」の中に

は入れないということである。そこで、子どもだけでなく、保護者に対しての教育も必要で

ある。この問題に対して、ソルトパヤタスでは保護者会を開き、家庭の抱える問題を見つけ

出し、子どもたちの中途退学の原因を見つけようという活動を行っている。 ②これから、「ソルトパヤタス」がやるべきことは? 自分たちの活動を続けていく事。フィリピンの貧困問題に対する活動は、第 2 章でも述

べているが、国連や多くの NGO・NPO によって行われている。その中で、ソルトパヤタ

スの行っている活動はフィリピンの 1 つのコミュニティに対して行う、本当に小さな活動

である。地域の人に密着する分、地域の人々が参加することができるのが強みであり地域の

人々の協力が必要である。NPO として力を与えるのではなく、人々に貧困を脱出するため

の力をつけてもらう活動をこれからも行っていく。そのためにも、ライフスキルプログラム

は重要なのである。 ③フィリピンで活動する他の NGO・NPO に対してどう考えるか NGO や NPO にも、様々な種類があるが何かをやってくれることは、とてもいい事だけ

れど、何かを与えるだけのプログラムには賛成出来ない。実際にそこで生活する人々に力を

つけてもらうことが必要である。ソルトパヤタスのようにコミュニティで活動している

NGO などとは、他の分野であっても協力していきたいし、助けたいという考えを持ってい

る。 ④政府に対にして何を求めるか 2010 年 5 月 10 日に大統領選挙が行われ、6 月 30 日にベニグノ・アキノ 3 世大統領が就

3 フィリピン人にとっていい仕事とは、継続して収入がある仕事のこと。

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任した。重要政策の中に、雇用創出、教育の充実など貧困に対する政策もある。しかし、実

際に質問に対して返ってきた答えは、「政府には何も期待していない」という言葉だった。選

挙の際に掲げる公約は、毎回素晴らしいけれど、実行に移ることはない。票集めのために、

支援を掲げたり、NGO を作る候補者もいる。こうして作られた NGO には政府からの支援

が入るが、一生懸命活動をする NGO に対しての支援はない。市民に支給されるはずの支援

金が、政府関係者やその親戚たちに優先的に渡されてしまうなどといった汚職問題も発生し

ている。NGO が政府に対して抗議をしても、政府内での汚職がなくならない限り、国は変

わることがないのである。さらに、政府の汚職を暴こうと取材をしたり、政府に対して抗議

をしようとすると、自分だけでなく家族が危険にさらされることもあるそうだ。 筆者はこの話を踏まえたうえで、それでも政府が何かしてくれるのであれば、何を求める

かと質問した。すると皆、「雇用がほしい」という答えだった。政府が支援金をくれたとして

も、お金を配って、それっきりで実際の現状はなにも変わらない。雇用があり、仕事に就く

ことができれば、支援なしでも生活していくことができるのである。 6、NPO や政府の問題の改善にむけて この節では、調査結果をもとに、今後の NPO や政府の取り組みに必要なことを提案して

いく。 6-1 NPO に対しての提案 第 2 章、第 3 章でも述べているが、フィリピンの「貧困」という問題に対して取り組む

NPO・NGO 団体は多くある。多くの団体が活動しているからこそ、お互いの活動内容や活

動状況などの情報共有が必要である。ソルトパヤタスのスタッフの方から、以前、同じパヤ

タスで支援を行う NGO や NPO 団体の代表者が月に何度か集まり、情報共有をしていたが、

現在は行われなくなってしまったという話を聞いた。継続的に情報共有を行っていくことで、

コミュニティや地域において効率のよい支援ができるのと同時に、二重支援を防ぐことにも

繋がる。ソルトパヤタスのように地域に密着する NPO や NGO と住民が協力し行政に対し

て行動を起こしていくことが、「貧困」という環境から抜け出す 1 つの手段となると筆者は

考える。 6-2 政府に対しての提案 1980 年代からストリートチルドレンやスカベンジャーとして働く子どもたちは、全国的

な問題として考えられるようになり、ユニセフや NGO だけでなく、政府も社会福祉開発庁

の中にストリートチルドレン・ユニットを設けるなど様々な対策が行われてきた。しかし、

子どもたちが劣悪な環境で働かなくてはならないという現状は、改善されていない。フィリ

ピンには、発展し、経済の中心地である都市部のキレイな部分と、スラムに住み、わずかな

収入でその日暮らしをしなければならない人々の存在、つまり「貧困」という 2 つの顔があ

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ると言われている。政府は、このキレイな部分だけを伸ばそうとし、スラムなど悪いイメー

ジのある部分は立ち退きを強制するなど、隠そうとする。貧困という大きな問題の解決には、

政府の一方的な政策ではなく、市民の参加が必要不可欠である。だからこそ、地域やコミュ

ニティに密着する NGO・NPO との協力が必要である。現地で活動する NGO・NPO は、

資金不足のために、子どもたちへの支援や活動が限られてしまっている。施設の環境が悪く、

子どもたちが施設を抜け出して再び路上で生活をするという現状がある。政府からの、財政

的・施設的な支援が必要である。 政府の行った、奨学金や収入向上プログラムも、第 2 章でも述べたように、少なからず

効果があった。政府と NGO・NPO 間での情報共有や協働が行われるようになれば、「貧困」

という問題に対して、より効果的な対策が出来るようになる。 第1章でのブラジルの事例のように、「ストリート・チルドレン全国運動」での警察暴力の

告発や子どもたちに自分の話をする機会を与えることで、市民の主張を汲み上げていくこと

が、フィリピンにおいても必要であると筆者は考える。

終章 これまで、世界のストリートチルドレン、フィリピンのストリートチルドレン、ストリ

ートチルドレンからスカベンジャーとしての生き方について述べ、スカベンジャーや子ども

達を支援する NPO「ソルトパヤタス」を訪問し、インタビューを通じ、活動や抱える問題に

ついて見てきた。 筆者の関心のある第 1 章から第 2 章で述べてきたストリートチルドレンについて、現地

における施設訪問や現状調査をすることが出来なかった事は今後の課題となるが、NPO「ソ

ルトパヤタス」のフィリピン人スタッフの方々のインタビューを通じて、フィリピン人の立

場からの意見が聞けたことは、とても参考になった。前章でも述べているが、やはり、NGO・

NPO 同士での情報共有、政府との協働、そして何より、コミュニティに住む人々の協力が

必要不可欠なのであり、自分たちの置かれている「貧困」という問題に目を向けていかなけれ

ばならない。 そして、今回の現地調査を通じて、筆者はソルト・パヤタスの行うライフスキルプログラ

ムの重要性を実感した。それは、スカベンジャーやストリートチルドレンとして生活してき

た子どもたちが大人になり、スカベンジャーやストリートチルドレン同士で結婚をし、子ど

もが出来る。その子どもも両親と同じように、スカベンジャーやストリートチルドレンにな

るという悪循環が生まれるという事から脱却するための、有効な手段であると感じたからで

ある。今回の調査では、このような事例に触れることは出来なかったが、こうした現状があ

るのが事実である。だからこそ、子どもたちが、自分のことだけでなく、家族やコミュニテ

ィについて考え、貢献できるようになり、社会の仕組みを知り、貧困の根本について考えら

れるようにする、ライフスキルプログラムが必要なのである。現在は、パヤタスという小さ

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なコミュニティで行われているプログラムではあるが、他の NGO・NPO と協力して、パヤ

タスを 1 つのモデルとして、プログラムをマニラ全体、あるいは全国に広げていくことが

できれば、より多くの子どもたちが大人になったとき、フィリピン社会を変える存在になっ

てくれると筆者は考える。

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JULA 出版局 工藤律子(2003) 『ストリーチチルドレン―メキシコシティの路上に生きる―』岩波書店 工藤律子(2004) 『居場所をなくした子どもたち メキシコシティのストリートチルドレ

ン』JULA 出版局 工藤律子(2008) 『子どもたちに寄り添う カンボジア―薬物・HIV・人身売買との闘い』

JULA 出版局 松井やより(1991) 『アジアに生きる子どもたち』 労働旬報社 三尾忠志(1997) 「ベトナムにおける貧困問題」永野慎一郎編『アジア太平洋地域の経済的相

互依存―民族と国家を越えて―』未來社、97-131 頁 大野拓司・寺田勇文 『現代フィリピンを知るための 60 章』 明石書店 ルーチェンターレス・L(1996) 「フィリピンの社会問題」萩原康生編『アジアの子どもと女

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http://www001.upp.so-net.ne.jp/jass/ 外務省 HP (2010,1,30) http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html 国境なき子どもたち HP (2010,1,30) http://www.knk.or.jp/

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