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要約:本稿は,ネオリベラリズムやナショナリズム,デモクラシーといったものの布置に ついて検討し,現代政治の基本的な構図を明らかにすることを目的としている。 まず,ネオリベラリズムの概念的な特徴を検討する。そうして示されるのは,ネオリベ ラリズムの概念が,「経済的自由主義」と「政治的反自由主義」という二つの特徴によって 理解できるということである。 この整理にもとづき,以降はネオリベラリズムに関する意識の経験的な検討を中心的に 行っていく。そうした意識のうち,本稿では「競争志向」「自己責任志向」「反福祉志向」 という 3 つの志向に注目するとともに,強権的な政府を求める志向(「強権志向」)や,そ うした政府に政治を委任する志向(「委任志向」)に注目し,これらの諸志向の関連を分析 する。加えて,以上の 5 志向とナショナリズムをめぐる諸意識との関連をも分析する。分 析によって最終的に明らかとなるのは,これらの一群の意識が「弱肉強食志向」と呼ぶべ き心性を介して結びついているということである。 最後に,この弱肉強食志向に支えられたネオリベラリズムへの対抗措置として,他者と の共存を肯定する志向(「共存志向」)に支えられたデモクラシーの可能性について論じる。 キーワード:ネオリベラリズム,ナショナリズム,デモクラシー,弱肉強食,共存 目次 1.はじめに 2.ネオリベラリズムの概念的特徴 2-1.政治的自由と経済的自由 2-2.リベラリズムの歴史的変遷 2-3.ネオリベラリズムの成立 3.ネオリベラリズムに対する肯定的な意識 3-1.経済的自由主義にかかわる 3 つの志向 3-2.政治的反自由主義にかかわる 2 つの志向 3-3.経済的自由主義と政治的反自由主義との関係 4.ネオリベラリズムとナショナリズム 4-1.排外的ナショナリズムを伴うネオリベラリズム 4-2.日本優越感・日本特別感 4-3.日本の経済的利益をめぐる意識 ──────────── 同志社大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程 2016 9 16 日受付,2016 9 30 日掲載決定 論文 ネオリベラリズム・ナショナリズム・ デモクラシー ──現代政治の基本構図── 野々村元希 81

ネオリベラリズム・ナショナリズム・ デモクラシー...を,ここでは「古典的リベラリズム(Classical liberalism)」と呼ぶ。(3)ソーシャルリベラリズム

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Page 1: ネオリベラリズム・ナショナリズム・ デモクラシー...を,ここでは「古典的リベラリズム(Classical liberalism)」と呼ぶ。(3)ソーシャルリベラリズム

要約:本稿は,ネオリベラリズムやナショナリズム,デモクラシーといったものの布置について検討し,現代政治の基本的な構図を明らかにすることを目的としている。まず,ネオリベラリズムの概念的な特徴を検討する。そうして示されるのは,ネオリベ

ラリズムの概念が,「経済的自由主義」と「政治的反自由主義」という二つの特徴によって理解できるということである。この整理にもとづき,以降はネオリベラリズムに関する意識の経験的な検討を中心的に

行っていく。そうした意識のうち,本稿では「競争志向」「自己責任志向」「反福祉志向」という 3つの志向に注目するとともに,強権的な政府を求める志向(「強権志向」)や,そうした政府に政治を委任する志向(「委任志向」)に注目し,これらの諸志向の関連を分析する。加えて,以上の 5志向とナショナリズムをめぐる諸意識との関連をも分析する。分析によって最終的に明らかとなるのは,これらの一群の意識が「弱肉強食志向」と呼ぶべき心性を介して結びついているということである。最後に,この弱肉強食志向に支えられたネオリベラリズムへの対抗措置として,他者と

の共存を肯定する志向(「共存志向」)に支えられたデモクラシーの可能性について論じる。

キーワード:ネオリベラリズム,ナショナリズム,デモクラシー,弱肉強食,共存

目次1.はじめに2.ネオリベラリズムの概念的特徴2-1.政治的自由と経済的自由2-2.リベラリズムの歴史的変遷2-3.ネオリベラリズムの成立

3.ネオリベラリズムに対する肯定的な意識3-1.経済的自由主義にかかわる 3つの志向3-2.政治的反自由主義にかかわる 2つの志向3-3.経済的自由主義と政治的反自由主義との関係

4.ネオリベラリズムとナショナリズム4-1.排外的ナショナリズムを伴うネオリベラリズム4-2.日本優越感・日本特別感4-3.日本の経済的利益をめぐる意識

†同志社大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程*2016年 9月 16日受付,2016年 9月 30日掲載決定

論文

ネオリベラリズム・ナショナリズム・デモクラシー現代政治の基本構図

野々村元希†

81

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4-4.軍事的争点に対する態度5.弱肉強食志向と共存志向5-1.結節点としての弱肉強食志向5-2.共存志向への着目5-3.弱肉強食志向・共存志向・デモクラシー

6.ネオリベラリズムとデモクラシー7.おわりに

1.はじめに

現代の政治的・経済的状況において,ネオリベラリズムは支配的な潮流を形作っている。このネオリベラリズムについて,その概念を整理しつつ,それを支持するような意識のありようを計量データを用いて検討するのが本稿の目的である。ところで今日,ネオリベラリズムは世界を席巻しながらも,同時に多くの批判にさらされている。にもかかわらず,ネオリベラリズムからの脱却を図るような動向は,世界的に見ても未だ大きなうねりを形成するまでには至っていない。では,ネオリベラリズムとは抗うことのできない必然的な「摂理」なのか。われわれは「ネオ・リベラル思想に対峙させうるものは何もない」「ネオ・リベラル思想は自明的であり,それに対するオールタナティヴはありえない」といった言説を受け入れるしかないのか(Bourdieu1998 : 34=2000 : 57)。本稿はまた,こうした言説に異を唱え,ネオリベラリズムへの抵抗を試みるために,デモクラシーの重要性を改めて検討するものである。

2.ネオリベラリズムの概念的特徴

2-1.政治的自由と経済的自由はじめに,リベラリズムの歴史的変遷をごくおおまかにたどりつつ,ネオリベラリズム以前に現れたリベラリズムのいくつかの形態を整理しておきたい。その整理を踏まえた上で,ネオリベラリズムの概念的特徴を検討しよう。この作業のために,本稿では以下の 2つの軸を用いる。一方の軸は,その両極に政治的自由主義と政治的反自由主義とを持つものであり,さしあたって,個人の自由が国家権力に拘束されることなく個々人に確保されているか否かということにかかわる。もう一方の軸は経済的自由主義から経済的反自由主義へと至るものであり,経済的行為をどの程度個人の自由に委ねるべきかということにかかわる。また,後述するように,前者が文字通り個人の政治的自由に関連しているのに対して,後者は言うなれば個人の(結果としての)経済的平等にも関連している。この 2つの軸にもとづき,以下では「絶対王政」の登場を起点として,それ以降の歴

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史の流れを概観していこう。

2-2.リベラリズムの歴史的変遷(1)絶対王政16世紀以降,ヨーロッパは中世的な封建国家を脱し,君主が絶対的な主権によって人びとを支配する絶対王政の時代を迎えた。この体制において,君主は王権神授説を背景に,政治的には官僚制度や常備軍に支えられた専制政治を展開した。また経済的には,度量衡や通貨制度を整備するとともに,自国の輸出産業を保護・統制し,貿易の差額によって国富としての金銀を増大させる重商主義をとった。こうした〈政治的反自由主義-経済的反自由主義〉の体制は,その後の市民革命の成立や,産業革命を伴う近代資本主義の勃興によって,政治的にも経済的にも姿を変えていく。政治,経済のいずれの観点から見ても共通して言えるのは,そうした体制の変化が,個人の自由の尊重とそれに対する国家の不干渉を志向していたということである。(2)古典的リベラリズム市民革命の時代,ジョン・ロックは,個人が自然状態において持っている,生命・自由・財産に対する権利を「自然権」として規定した。彼によれば,個々人はこれらをよりよく保護するために自然状態を脱し,自然権を統治者に移譲することで「政治社会」をつくり上げることになる。それは,自然権を譲られた統治者に対して個々人が服従する体制ではなく,自然権を保全するために,個々人が法によって統治者を拘束する体制である。また,産業革命の時代になると,アダム・スミスによって「市場社会」のあるべき姿が描き出されていく。市場社会を成立させるのは国家による介入や強制ではなく,不可侵の自己保存権を持つ個々人の「利己心」である。彼は,重商主義政策によらずとも,自然のなりゆきに従って,個々人が最大の利潤を求めて自由に資本を移動させれば,おのずと社会全体の利益が増大すると考えた。それは,政府の役割を市場の監視や国防,治安維持に限定する「小さな政府」の発想へとつながっていく。ロックが専制政治を批判し,自然権や立憲主義といった政治的自由主義の原理を基礎づける一方で,スミスは重商主義の経済規制を批判し,自由放任にもとづく経済的自由主義の原理を基礎づけた。この〈政治的自由主義-経済的自由主義〉のカップリングを,ここでは「古典的リベラリズム(Classical liberalism)」と呼ぶ。(3)ソーシャルリベラリズム産業革命はヨーロッパ社会に繁栄をもたらしたが,しかし同時に大きな経済的不平等を生じさせることにもなった。とりわけ 19世紀末から第一次世界大戦直前までのヨーロッパでは,資本所有の格差が空前絶後の水準へと拡大する(Piketty 2013 : 535-98=

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Page 4: ネオリベラリズム・ナショナリズム・ デモクラシー...を,ここでは「古典的リベラリズム(Classical liberalism)」と呼ぶ。(3)ソーシャルリベラリズム

2014 : 350-91)。そしてそれは,倒産や失業,貧困,犯罪など,さまざまな社会問題を引き起こした。その後,戦間期の世界恐慌に直面し,古典派経済学の言う素朴な経済的自由主義はいよいよ修正を迫られる。不平等をなくし,本当の自由を実現するためには,たんなる自由放任では不十分だという認識が生じるのである。それによって,あるべき政府の姿は「小さな政府」から「大きな政府」へと転換していく。たとえばケインズは,不況下においては政府が市場に対して積極的に介入し,「有効需要」をつくり出すことで失業に対処すべきだと主張した。このように,経済的自由主義のもたらす社会問題に対しては,国家が積極的に対処しなければならない。こうした思想は「ソーシャルリベラリズム(Social liberalism)」や「ニューリベラリズム(New liberalism)」と呼ばれている。それは,経済的な意味での反自由主義を志向する思想だということになるだろう。ところで,ソーシャルリベラリズムの唱える経済的反自由主義の成立は,実は政治的な側面における自由に新たな意味が付与されることを前提としている。つまり,ここにおいて個人にとっての政治的自由は,古典的リベラリズムの目指した「国家からの自由」という意味のみならず,「国家による自由」という意味を持つことになるのである。ごく教科書的な言い方をすれば,前者の自由を要求するのが「自由権」,後者の自由を要求するのが「社会権」ということになるだろう。自由権は,身体や信教の自由,経済活動の自由などを保障する。一方,社会権は「生存権的基本権」とも呼ばれ,労働に関する権利や,社会保障を受ける権利などを保障するのである。ソーシャルリベラリズムにおける経済的反自由主義は,こうして更新された政治的自由主義の発想によって可能となる。それは,かつての重商主義的な反自由主義ではなく,国家が経済的自由主義のもたらす経済的不平等を是正し,個々人の生存権を確保するために,市場に積極的に介入することをよしとする反自由主義である。ケインズ主義や,それにもとづく福祉国家政策は,この〈政治的自由主義-経済的反自由主義〉の類型に含まれる。

2-3.ネオリベラリズムの成立こうした変遷を踏まえると,ネオリベラリズムは,ソーシャルリベラリズムの〈政治的自由主義-経済的反自由主義〉を起点として形成されてきたと考えることができる。まずは経済的自由の観点からこのことを見ていこう。ミシェル・フーコーによるならば,「ネオリベラリズム(Neoliberalismus, Neo-liberalism)」は第二次世界大戦後,西ドイツの「オルド学派」によって創始されたと言うことができる(Foucault 2004=2008)。ワルター・オイケンを中心とするこのオルド学派が目指したのは,経済的自由

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を保証することによって持続的な成長を達成し,西ドイツを国家として再興することである。そのために,彼らはケインズ主義的な経済政策を批判し,何よりも競争を重視した。その結果,古典的リベラリズムが直面したような経済的不平等がおのずと生じることになる。しかし,ネオリベラリズムはソーシャルリベラリズムとは違って,そうした問題を福祉政策など,国家の介入措置によって是正しようとはしない。たとえ人が競争に負けたとしても,それは自由な競争の結果である以上,負けた当人の責任にすぎず,人はその結果を自ら引き受けるしかないのである。オルド学派の思想は,シカゴ学派のミルトン・フリードマンを経て,1980年代に現れたサッチャー,レーガン,中曽根らの保守政権へと引き継がれていく。ニクソンショック,オイルショックによる「福祉国家の危機」の後に登場した彼らは,国営企業の私営化や規制緩和といった政策を通じて国家を極小化し,教育や社会保障など,国家が担っていたさまざまな役割を市場原理に任せていった。ここにおいて,政府のあり方は再び「大きな政府」から「小さな政府」へと移行していく。この動きはその後も進行し,それによって多くの事柄が個々人の「自助努力」「自己責任」に委ねられていくことになる。成長を前提とし,市場における経済的自由を奨励するという点において,こうしたネオリベラリズムの試みは古典的リベラリズムへの回帰とも言いうる。ネオリベラリズムとはまず,経済的反自由主義から経済的自由主義へと向かうベクトルとしてとらえられるのである。しかし,経済的自由主義を信奉すると言っても,それはネオリベラリズムがスミスの言うような自由放任を標榜するということを意味するわけではない。国家の市場への非介入を旨としていたかつての古典的リベラリズムの自由放任主義に対して,ネオリベラリズムは国家が進んで市場に介入し,市場を競争のための環境として人工的に整備することを目指す。さらに,それによって市場を創出するのみならず,社会全体を市場というモデルに即して再構成していくのがネオリベラリズムの企図なのだ(Foucault 2004 :150-2=2008 : 179-80;二宮 1999 : 59-62;仁平 2012 : 220)(1)。これは古典的リベラリズムとネオリベラリズムとを区別する最も重要な論点だと言っていい。そして,この論点が示しているように,ネオリベラリズムの概念を考える上では,政治的自由の観点もまた必要となるのである。ネオリベラリズムにおいて,市場という経済的自由主義の空間をつくり出すのは国家の政治権力である。だとすれば,その国家は,市場に介入することができるだけの強権的な政府を備えていなければならない。事実,「小さな政府」を目指した先述の諸政権は,しばしば強権的な様相を呈していた。そうした強いリーダーシップがあるからこ

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そ,政府はさまざまな「抵抗勢力」をものともせず,「既得権益」の掘り崩しや「過剰規制」の緩和など,野放図な経済的自由主義を推進することができるのである(2)。その姿勢はグローバル大企業に利益をもたらす一方で,経済的自由主義の論理によって社会の周辺に追いやられた人びと(それは高齢者かもしれないし,障害者かもしれない。小規模農家かもしれないし,ソーシャル・ワーカーかもしれない)の政治的自由,端的に言えば「生そのもの」(白石 2008)を否定することになるだろう。このように,ネオリベラリズムはまた,政治的自由主義から政治的反自由主義へと向かうベクトルとしてとらえることができる。したがって,ネオリベラリズムの概念は,経済的反自由主義から経済的自由主義へと向かうベクトルと,政治的自由主義から政治的反自由主義へと向かうベクトルの和として考えられるのである(中野 2008 ; 2015)。ここまで述べてきたことをまとめると,図 1のようになる。

さて,ネオリベラリズムを論じるための切り口はいろいろとあるだろう。しかし,それをイデオロギーととらえるにしろ,政策的言説ととらえるにしろ,統治の形態ととらえるにしろ(Steger & Roy 2010 ; Flew 2014),ネオリベラリズムを考える上で,それを支え,許容している人びとの態度や価値観が重要な位置を占めていることに変わりはない(3)。以下では計量データ(4)を用いて,ネオリベラリズムに対する肯定的な意識のありようを分析していく。

3.ネオリベラリズムに対する肯定的な意識

3-1.経済的自由主義にかかわる 3つの志向まず,ネオリベラリズムの経済的自由主義にかかわる意識として,次の 3つに注目したい。第一に,競争志向。ネオリベラリズムの中核にあるのは,市場での競争を通じて,社会をよりよい方向へと進めようとする考え方である。これは「競争志向」と呼ぶことができるだろう。本稿で用いるデータには,「他人との競争を通じて,社会は繁栄してい

図 1 ネオリベラリズム成立の概略

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くものだ」という質問項目がある。分析に際しては,回答カテゴリーの「そう思う」から「そう思わない」までに 5点から 1点を与えた上で,この項目を競争志向の指標として用いよう(5)。第二に,自己責任志向。ネオリベラリズムは,市場での競争を奨励する一方で,競争の敗者には配慮することがない。競争の結果は各人が自らの責任において背負うべきであるとみなされる。こうした考え方は「自己責任志向」と呼べるものである。本稿では「社会で失敗する人には,多くの場合その人自身に原因がある」という質問項目を用いて,この自己責任志向を測定することにしよう。第三に,反福祉志向。ネオリベラリズムは競争の結果を自己責任に委ねる以上,競争の敗者を公的な福祉政策によって支援しようとはしない。競争の結果生じた経済的な不平等は,是正されるとしても競争によってなされなければならないのである(6)。こうした考え方を,ここでは「反福祉志向」と呼ぼう。使用するデータには,「低所得者層への支援の増額」という政治的争点についての意見を問う質問項目がある。以下の分析では,この項目に設けられた「賛成」から「反対」までの 5段階の回答カテゴリーに対し,「反対」であるほど得点が高くなるよう 1点から 5点を与え,これを反福祉志向の指標として用いることにする。表 1は,3つの志向のそれぞれが,他の 2つの志向との間に示す相関関係を表したものである。競争志向,自己責任志向,反福祉志向の 3つは,常識的な見方をすれば相互に関連していてもおかしくないように思われる。しかし表を見るとわかるように,3つの志向の間には正の相関関係があるものの,それらはごく弱いものとなっている。3つの志向は,経験的には明確に関連しているとは言えないのである。

3-2.政治的反自由主義にかかわる 2つの志向次に,ネオリベラリズムの政治的反自由主義にかかわる意識について述べていこう。

表 1 競争志向・自己責任志向・反福祉志向の相関関係

競争志向 自己責任志向 反福祉志向

競争志向RpN

1

186

自己責任志向RpN

0.0700.342185

1

190

反福祉志向RpN

0.0720.339181

0.1020.169183

1

184

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ここでは以下の 2つに注目する。一つ目は強権志向である。先に述べたように,概念的に見れば,ネオリベラリズムの推進する奔放な経済的自由主義の背後には,政府の強権的な姿勢がある。ゆえに,ここではネオリベラリズムに対する肯定的な意識の一つとして,政府の強権的な姿勢を支持するような意識をとらえたい。こうした意識は「強権志向」と呼ぶことができるものである。そして,使用するデータには「社会のためには,力強いリーダーが国と国民をひっぱっていくことが大切だ」という質問項目がある。以下の分析では,この項目を強権志向の指標として用いよう。二つ目は委任志向である。政府の強権的な姿勢を支持するような意識は,そうした姿勢をとる政府に自らの政治的判断を委ねようとする意識としてとらえることができるだろう。このような意識を,ここでは「委任志向」と呼び,「みんなで議論するよりも,有能な指導者にまかせたほうが政治はうまくいくものだ」という質問項目を用いて測定する。表 2は強権志向と委任志向との相関関係を表したものである。表からわかるように,両者には正の相関関係がある。政府の強権的な姿勢を支持する者ほど,そうした姿勢をとる政府に政治を委任しようとするのである。

3-3.経済的自由主義と政治的反自由主義との関係経済的自由主義にかかわる競争志向,自己責任志向,反福祉志向と,政治的反自由主義にかかわる強権志向,委任志向とは,それぞれどのように関連しているのだろうか。そのことについて分析した結果が表 3に示されている。ここでは競争志向,自己責任志向,反福祉志向のそれぞれに焦点を置きながら表の結果を解釈していこう。競争志向は強権志向,委任志向と正の相関関係にある。競争志向の強い者は,「力強いリーダーが国と国民をひっぱっていくこと」を支持し,そうしたリーダーに政治を委ねようとするのである。すでに見たように,ネオリベラリズムは市場での自由な競争を重視するものの,市場を放任するわけではなく,国家が市場に強権的に介入し,それを

表 2 強権志向と委任志向との相関関係

強権志向 委任志向

強権志向RpN

1

188

委任志向RpN

0.2420.001188

1

188

表 3 競争志向・自己責任志向・反福祉志向・強権志向・委任志向の相関関係

経済的自由主義

競争志向 自己責任志向 反福祉志向

政治的自由主義 強権志向委任志向

0.158*0.240**

0.137†0.137†

−0.158*0.021

N=180 **p<.01 *p<.05 †p<.10

ネオリベラリズム・ナショナリズム・デモクラシー88

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競争のための環境として設定することを目標とする。競争志向と強権,委任志向との結びつきは,こうした経済的自由主義と政治的反自由主義の概念的な関連が,データによっても確認できるということを示すものである。そして,自己責任志向も同様に,強権志向,委任志向と正の相関関係にある。自己責任志向の強い者は,ネオリベラリズムを推進する中でしばしば個人の自己責任を強調する強権的な政府の姿勢を望ましいものと考えるのだろう。これに対して,反福祉志向は強権志向と負の相関関係にある。この結果は,先に見たネオリベラリズムの概念的特徴とは適合しないものだ。これまで見てきたように,経済的自由主義に関する意識として提示した競争志向,自己責任志向,反福祉志向は,それぞれ相互に結びついているわけではない。また,この3つの志向はいずれも,強権志向,委任志向と何らかの関連を示しはするものの,競争志向,自己責任志向が強権志向と正の相関関係にあるのに対して,反福祉志向はそれと負の相関関係にあるというように,その関連の仕方は一様なものではない。ネオリベラリズムに関する 5つの志向は,一枚岩の結びつきを示しているわけではないのである。

4.ネオリベラリズムとナショナリズム

4-1.排他的ナショナリズムを伴うネオリベラリズムここまでの分析によってネオリベラリズムをめぐる諸志向の全体像がとらえられたとは言い難い。そこで,さらに分析を進めていくために,ここでは次の事実に注目しよう。それは,たびたび指摘されているように,ネオリベラルな経済政策の推進が,排外的なナショナリズムの出現を伴うということである。たとえば日本において,ネオリベラルな構造改革の旗手である小泉純一郎が,首相在任中,靖国神社に参拝し,中国や韓国に対する国内の敵対感情を煽ったという出来事は,ネオリベラリズムに付随するナショナリズムの出現を象徴的に示すものである。また,小泉政権においては,アメリカ同時多発テロをきっかけに制定されたテロ対策特別措置法(2001年)をはじめとして,武力攻撃事態法(2003年)や国民保護法(2004年)といった有事関連法の整備も進められた。その後,ネオリベラリズムの推進と足並みをそろえるかのように,こうしたナショナリズムは中央政府の内部にとどまらず,社会に広く行き渡っていくことになる。とりわけ,2007年に発足した「在日特権を許さない市民の会(在特会)」が,その後各地で在日コリアンに対するヘイトデモを繰り返したように,排外的なナショナリズムは近年しばしば公然と顔を出すようになった(7)。こうした動きは,ネオリベラリズムが社会にもたらした不安を埋め合わせるための「秩序」を模索する動きであったと考えることがで

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きるのかもしれない(Harvey 2005=2007;樫村 2007;中村 2016)。いずれにせよ,このような動向が,個々人の生活を支える政治的自由を多かれ少なかれ脅かすものであることは確かだろう。ネオリベラリズムを考える上で問題となる政治的反自由主義の要素は,すでに見た政府の強権的な姿勢にとどまらないのである。では,ネオリベラリズムは,こうした排外的ナショナリズムとどのような関係にあるのだろうか(8)。それを明らかにするために,ここからは先に扱った 5つの志向と排外的ナショナリズムにかかわる意識との関連を分析していく。

4-2.日本優越感・日本特別感まず注目するのは,「日本はほかのどの国よりもすぐれている」「日本人の大和魂やわび・さびの精神などは外国人には理解できない」といった項目である。これらは,日本を他国よりも優越していると考える意識,日本を特別だと考える意識を測るものだ。これらの意識を,ここではそれぞれ「日本優越感」「日本特別感」と呼ぼう。競争志向,自己責任志向,反福祉志向,強権志向,委任志向は,この日本優越感,日本特別感とどのように関連しているのだろうか。表 4が示すように,競争志向,自己責任志向,反福祉志向と日本優越感,日本特別感との間には,いずれも有意な相関関係は認められない。経済的自由主義にかかわる 3つの志向は,他国に対する排外的な姿勢へと向かいそうなこれらの意識とは,直接結びついているとは言えないのである。一方,強権志向は日本優越感,日本特別感と,委任志向は日本特別感と正の相関関係を示している。日本を他国よりも優越していると考えたり,特別だと考えたりする傾向の強い者は,強い政治的リーダーを立てることによって,日本の国際的な優越,特別さを他国に誇示しようとするのかもしれない。

4-3.日本の経済的利益をめぐる意識次に注目するのは,経済的な事柄をめぐるナショナリズムである。ネオリベラリズムの 5つの志向は,表 5にあるような,日本の経済的利益を他国のそれよりも優先しようとする意識とどのように関連しているのだろうか。

表 4 5つの志向と日本優越感・日本特別感との相関関係

経済的自由主義 政治的反自由主義

競争志向 自己責任志向 反福祉志向 強権志向 委任志向

日本優越感日本特別感

−0.0140.028

0.0180.020

0.0950.052

0.129†0.211**

−0.0050.157*

N=180 **p<.01 *p<.05 †p<.10

ネオリベラリズム・ナショナリズム・デモクラシー90

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競争志向は,「外国企業の日本への進出を制限すべきだ」という項目と負の相関関係にある。つまり,競争志向の強い者は,他国の企業が日本に進出することを肯定する傾向にあると言っていい。競争を重視する彼らにとっては,自由な競争の環境が万人に対して平等に与えられていることが重要なのであって,競争のアクターが日本企業であるか外国企業であるかは問題にならないのだろう。問題となるのは,競争相手が日本企業であろうと外国企業であろうと,その競争に勝つかどうかだ。彼らには「他国のものだから」という理由で日本から何かを排除する必要がないのである。とはいえ,競争志向の強い者も他国に対して協調的であるばかりではない。彼らは,

「日本政府は,国際支援活動などにお金を使いすぎている」と考える傾向にある。ある国が経済的な支援を必要とする状況に置かれているとしても,その国はそうした状況を競争によって乗り越えるべきだと考えるのが競争志向の強い者の発想なのだろう。自己責任志向は,「他の国と紛争や摩擦が生じた際には,日本は自国の利益を中心に考えなければならない」という項目と正の相関関係にある。自己責任志向の強い者は,国際関係上のトラブルが発生した場合,そのトラブルの責任が他国にあると考え,日本の利益を優先すべきだと考えるのである。また,反福祉志向の強い者も同様に,日本の経済的利益をめぐって,他国に対して否定的な態度を示している。しかしながら,強権志向,委任志向について言えば,委任志向が「日本政府は,国際支援活動などにお金を使いすぎている」という項目と正の相関関係にあることを除けば,経済的な事柄をめぐるナショナリズム項目とは特に注目すべき相関関係を示してはいない。

4-4.軍事的争点に対する態度続いて,軍事や国防をめぐるいくつかの争点に注目しよう。使用するデータには,「憲法 9条の改正」「自衛隊の増強」「日本首相の靖国神社参拝」

表 5 5つの志向と日本の経済的利益を優先しようとする意識との相関関係

経済的自由主義 政治的反自由主義

競争志向 自己責任志向 反福祉志向 強権志向 委任志向

外国企業の日本への進出を制限すべきだ −0.125† 0.000 0.124† 0.079 0.062

他の国と紛争や摩擦が生じた際には、日本は自国の利益を中心に考えなければならない

0.103 0.155* 0.163* 0.017 0.101

日本政府は、国際支援活動などにお金を使いすぎている 0.225** 0.037 0.071 0.105 0.139†

N=180 **p<.01 *p<.05 †p<.10

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についての意見を問う項目が含まれている。これらの項目に設けられた「賛成」から「反対」までの 5段階の回答カテゴリーに対し,いずれも 5点から 1点を与え,これらを 3つの軍事的争点への肯定的な態度を測る指標とした上で,ネオリベラリズムの 5つの志向とこの 3つとの関連を分析してみよう。その分析の結果を示したものが表 6である。競争志向は,「日本首相の靖国神社参拝」を肯定する態度と正の相関関係にある。日本の首相が靖国神社を参拝し,その結果日中関係,日韓関係が悪化することになれば,日本にとっても,自由な競争が政治的な要因によって阻害されることになり,経済的な不利益が生じそうなものだ。この結果は,競争志向をこれまでのように経済的自由主義にかかわる意識の尺度として考えていては説明できないように思われる。つまり,ここで競争志向がとらえているのは,中国や韓国に対して挑発的な態度を示し,相手の優位に立とうとする,政治的な場面での競争の姿勢なのかもしれない。このことからも,競争志向の強い者の他国に対する非協調的姿勢,対外的配慮のなさがうかがえる。自己責任志向は「自衛隊の増強」を肯定する態度と正の相関関係にある。自己責任志向の強い者は,自国の国防は自国の責任で引き受けようと考えるがゆえに,自衛隊の増強を望ましいこととみなすのだろう。反福祉志向,強権志向は,どの軍事的争点への態度とも有意な相関関係を示していないのに対して,委任志向は「自衛隊の増強」と正の相関関係にある。

5.弱肉強食志向と共存志向

5-1.結節点としての弱肉強食志向ここまでの分析の結果から言えるのは,ナショナリズムとの関連を分析してもなお,ネオリベラリズムをめぐる諸意識が,やはりいま一つまとまりを欠いたままだということである。とはいえ,これらがいずれもネオリベラリズムを肯定する意識の一端をとらえているとすれば,これらの背後には何か通底する要因があってもいいのではないか。そうした要因として,ここでは「弱肉強食志向」とでも呼びうる心性に目を向けよ

表 6 5つの志向と軍事的争点に対する態度との相関関係

経済的自由主義 政治的反自由主義

競争志向 自己責任志向 反福祉志向 強権志向 委任志向

憲法 9条の改正自衛隊の増強日本首相の靖国神社参拝

0.0790.1050.211**

0.0300.156*0.000

0.0860.1090.073

−0.0660.1200.092

−0.0020.217**0.054

N=180 **p<.01 *p<.05 †p<.10

ネオリベラリズム・ナショナリズム・デモクラシー92

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う。ネオリベラリズムのもたらす政治的・経済的状況に対して肯定的な姿勢を見せる者は,この弱肉強食志向を共有しているのである。表 7には,ここまでの分析で扱ってきた諸意識と弱肉強食志向との関連を分析した結果が示されているが,ここで言う弱肉強食志向は,「生きていく以上,弱肉強食の原理に従うべきだ」および「社会に適応できない人が不幸になるのはしかたがない」という2つの質問項目の得点を主成分分析にかけることで得られる第 1主成分得点(9)によって測定されている。また,「日本優越感・特別感」は表 4の 2つの質問項目を,「日本利益優先志向」は表 5の 3つの質問項目を,「軍事的争点への肯定的態度」は表 6の 3つの項目をそれぞれ主成分分析にかけ,得られた第 1主成分得点をその尺度とするものである(10)。表 7が表しているように,ここまで検討してきた諸意識は,一貫して弱肉強食志向と正の相関関係を示している。ネオリベラリズムや,それに伴う排外的ナショナリズムを肯定する者は,「弱肉強食の原理」を掲げ,その原理に「適応」できない人が不幸になるのは「しかたがない」と考える冷淡な心性を共有しているのである(11)。こうした弱肉強食志向が,競争志向,自己責任志向,反福祉志向と,そして強権志向,委任志向と親和的な関係にあるということについては,今さら多くを述べるまでもないだろう。弱肉強食志向の強い者は,その心性ゆえに,一方では市場における苛烈な競争を是認すると同時に,そこでの競争の敗者を顧みることがなく,他方ではそうした市場の構築に余念のない強権的な政府を支持し,それに政治を委ねるのである。また,弱肉強食志向は,日本優越感や日本特別感,日本の経済的利益を優先する意識,軍事的争点に対する肯定的態度の基礎にも存在している。なぜネオリベラルな政策の進行と連動して排外的ナショナリズムが出現すると言われるのか。それは,両者がその根底において,この弱肉強食志向を共有しているからだと考えられる。弱肉強食志向を持つ者ほど,自らの属する日本こそを「強者」,それに対して他国を「弱者」とみなし,後者に対して非協調的な態度を見せるのかもしれない。このように,ネオリベラリズムをめぐる諸意識は,こうした弱肉強食志向を結節点として結びついているのである。

表 7 ネオリベラリズムをめぐる諸意識と弱肉強食志向との相関関係

経済的自由主義 政治的反自由主義 ナショナリズム

競争志向 自己責任志向 反福祉志向 強権志向 委任志向 日本優越・

特別感日本利益優先志向

軍事争点肯定

弱肉強食志向 0.290** 0.370** 0.222** 0.170* 0.191* 0.251** 0.254** 0.237**

N=178 **p<.01 *p<.05 †p<.10

ネオリベラリズム・ナショナリズム・デモクラシー 93

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以上で分析してきた変数間の関連は,図 2のように示すことができる。

5-2.共存志向への着目ここからは,ネオリベラリズムと,その背後にある弱肉強食志向に対抗するための拠点を探っていきたい。そのとっかかりとして,まずは先の分析によって導出された弱肉強食志向に対立する,別の心情的要因を見定めよう。このことを念頭に置きながら調査データを見ていると,「価値観は人によって異なるので,みんなが満足できるような社会をつくっていくことはできない」「立場の違う人とは,結局のところわかりあうことはできない」といった質問項目が目にとまる。回答形式は双方とも「そう思う」から「そう思わない」までの 5件法だが,このとき「そう思う」から「そう思わない」までに 1点から 5点を与えると,これらの項目は,得点が高くなるほど,他者の多様な差異を認めつつ同じ社会で共存しようという志向を測るものとなるだろう。こうした「共存志向」は,弱肉強食志向と好対照をなすものだと考えられる。ここではこの 2つの項目を主成分分析にかけ,その第 1主成分得点(12)を共存志向の指標として用いよう。表 8は,この共存志向の程度ごとに弱肉強食志向の平均値を見たものである。事実,共存志向の高い者ほど,弱肉強食の発想を望ましいと考える程度は弱い。このように,共存志向は弱肉強食志向と相反する傾向を持っている。したがって,弱肉強食志向

図 2 ネオリベラリズムをめぐる諸意識の全体像

表 8 共存志向の程度ごとに見た弱肉強食志向の平均値

弱肉強食志向

平均値 N

共存志向・高共存志向・中共存志向・低

−0.370−0.125.0.436

(69)(47)(72)

合計 .0.000 (188)

F 値 13.542

有意確率 0.000

ネオリベラリズム・ナショナリズム・デモクラシー94

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に対抗する上では,この心性が一つの重要な要因になると考えられるのである。

5-3.弱肉強食志向・共存志向・デモクラシー弱肉強食志向は,ネオリベラリズムの推進を支える諸意識の結節点に位置していた。ならば,弱肉強食志向に対立する共存志向は,どのような意識の下支えとなっているのだろうか。本稿では,共存志向に支えられたものとして,デモクラシー,特に政治活動や社会活動への参加意欲に注目する。他者との共存に対して前向きな者ほど,他者の境遇を考慮し,自らの窮状を訴える者がいればその状況を変えることを欲して,さまざまな政治活動や社会活動に参加すると思われるからだ。分析では,データにある「天気が悪くても,選挙に行くと思う」「多少体調が悪くても,選挙に行くと思う」「旅行の予定が入っている場合,旅行の予定をずらして選挙に行くと思う」という 3つの項目の得点を主成分分析にかけた上で,その第 1主成分得点(13)を「選挙への参加意欲」の指標とする。また,選挙に対する意識を測るものとして「自分の得にならなければ選挙に行ってもしかたがない」という項目にも目を向けよう。同時に,「老人ホームでの手伝い」「災害被災地の復興活動」「障害者施設での手伝い」

「刑務所への慰問活動」「ホームレスへの炊き出し活動」への参加意欲を問う項目の得点(いずれも回答カテゴリーの「参加したい」から「参加したくない」までに 5点から 1

点を付与)の第 1主成分得点(14)を「社会活動への参加意欲」の指標として用いる。また,これに関連して,「人々は社会全体のことを議論するよりも,まず自分の生活をどうよくするかを考えるべきだ」という項目も分析の対象とする。表 9は,弱肉強食志向,共存志向と以上の諸項目との相関関係を示したものである。このとき,弱肉強食志向と共存志向とでは,各項目との間に示された相関係数の正負がいずれも逆になっているということに注意しよう。この二つの志向の対抗関係は,デモクラシーという場面においていっそう際立つのである。表からわかるように,共存志向の強い者は,弱肉強食志向の強い者と比べて,選挙に対する参加意欲が強く,また損得勘定を超えて選挙に参加しようとする傾向にある。ま

表 9 参加意欲と弱肉強食志向・共存志向との相関関係

弱肉強食志向 共存志向

選挙への参加意欲 −0.201** 0.124†自分の得にならなければ選挙に行ってもしかたがない 0.229** −0.172*

社会活動への参加意欲 −0.255** 0.196**人々は社会全体のことを議論するよりも,まず自分の生活をどうよくするかを考えるべきだ 0.139† −0.264**

N=178 **p<.01 *p<.05 †p<.10

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た,彼らは社会活動に参加しようとする意欲も強く,自分の生活のみならず,「社会全体のこと」にも関心を向ける傾向にあるのである。共存志向とは,参加というデモクラシー的な契機を基礎づけている心性だ。選挙や社会活動への参加意欲は,他者との共存を志向する開かれた心のありように支えられているのである。

6.ネオリベラリズムとデモクラシー

弱肉強食志向と共存志向とは対立的な関係にある。そして,弱肉強食志向がネオリベラリズムや,それと共振する排他的なナショナリズムの基礎に存在するように,共存志向は選挙や社会活動への参加意欲というデモクラティックな感情の基礎に存在するようだ。以上の議論を踏まえると,ネオリベラリズムとデモクラシーとの関係もまた,対立的なものであると理解することができる。そこで,ここではデモクラシーを,ネオリベラリズムに対抗するためのものとして検討したい。まずは〈ネオリベラリズム-デモクラシー〉という対立軸の概念的位置づけを示すことから始めよう。すでに用いた図をここでも用いると,その軸は図 3のように示されることになる。この図が表しているのは,デモクラシーが,経済的自由と政治的自由をめぐってネオリベラリズムと対立しているということである。すなわち,ネオリベラリズムが経済的自由主義と政治的反自由主義を志向するのに対して,デモクラシーは経済的反自由主義と政治的自由主義を志向する。言い換えれば,デモクラシーは,生存権の保障を目的とする政治的自由の見地から,経済的平等の実現を要求するのである。デモクラシーと

図 3 ネオリベラリズムとデモクラシーの概念的布置

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は,ネオリベラリズムによって損なわれた政治的自由と経済的平等を回復させる試みだと言えるだろう(15)。ところで,デモクラシーをこのように位置づけると,それはある種のソーシャルリベラリズムを志向するものとして示されることになる。事実,ネオリベラリズムの対立項として,ソーシャルリベラリズム,福祉国家(社会)といったものを挙げる論考が少なくないように(Held 2005=2007;竹中・山口 2008;二宮 2009 ; Ayers and Saad-Filho

2015),両者の対立は,今なお経済政策における基本的な対立軸をなしていると言えよう(16)。だが,本稿の言うデモクラシーを,ソーシャルリベラリズムへの単純な回帰を目指すものとして考えることはできない。というのも,第一に,日本におけるかつての福祉国家体制は,経済成長を目的として福祉の拡充による格差の是正を行っていたからである。そこでは経済成長を促進するためのものとして福祉政策が打ち出されていた(横山 2003 : 179)。しかし,われわれの社会が今後,かつてのような経済成長を控えているかどうかが疑わしいとすれば,われわれは,成長が止まっても人間が人間らしく生きられるような社会のあり方を考えなければならないだろう(平田 2015;井手・古市・宮﨑 2016 : 43-6)。第二に,デモクラシーは,ただ富の再分配を目的とする福祉国家的な介入を目標とすることに還元できるようなものではない。政治的自由と経済的平等を要求することは,必ずしも福祉国家による富の再分配を要求することにとどまるわけではなく,人びとが個々の状況に応じて,さまざまな欲求を公的な場で発露する運動でありうる。デモクラシーとは,人びとが公的生活への参加を求めて,デモやストライキ,投票など,形態を問わず自らの意志を表示する運動,その現れ自体を指すのである。そして,デモクラシーは,この雑多なありようによってこそネオリベラリズムに対抗する。ジャック・ランシエールの言うように,デモクラシーとは,ネオリベラリズムによって政治的自由と経済的平等とを奪われた人びとが,それらを取り戻すべく,各々の仕方で公的な場に出現する「闘争(lutte)のプロセス」なのである(Lancière 2005 : 62=2008 : 77)(17)。

7.おわりに

ネオリベラリズムを中心として展開する現代政治の基本的な構図とはいかなるものなのか。このことを探るために,本稿ではネオリベラリズムに関する意識として,競争志向,自己責任志向,反福祉志向,強権志向,委任志向,さらには排外的ナショナリズムにかかわる意識に注目し,これらの全体像を分析してきた。分析によって明らかとなっ

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たのは,これらの意識の中核には弱肉強食志向という冷酷な心性が存在するということである。さらに,本稿ではこの〈ネオリベラリズム-弱肉強食志向〉に〈デモクラシー-共存志向〉を対置し,ネオリベラリズムに対する抵抗の可能性を論じた。弱肉強食志向に支えられたネオリベラリズムに対抗するためには,選挙や社会活動への参加意欲,そしてそれを支える共存志向に準拠することが必要となるのである。現代政治をめぐる一連の検討から浮かび上がってきたのは,ネオリベラリズムとデモクラシーとの対立関係である。そして,その対立を支えているのは,弱肉強食を志向する不寛容さと,他者との共存を志向する寛容さという,二つの心性の対立であるようだ。このように,不寛容さに対して寛容さを持ち出し,その重要性を説くというのは,あまりにも月並みな議論だと思われるかもしれない。しかし,その月並みさは,事柄の本性に属する月並みさでもあるだろう。われわれは,こうした両者のせめぎ合いに各々の仕方で立ち会い続けるしかないのではないか。シャンタル・ムフの言うように,政治の本質とは集合的アイデンティティの対立にある。そして,その対立は集合的な「情動」の対立として現れるがゆえに,決して消去することができないのである(Mouffe 2005=2008;山本 2015)。弱肉強食志向を基礎とするネオリベラリズムへの抵抗は,他者との共存を恐れない開かれた心のありようを,われわれが政治的な情動として知覚すること,またその情動を肯定的に包摂するような政治集団が出現し,ネオリベラリズムに対する抗争的な立場を表明することから始まるだろう。

注⑴ 日本の場合を見てみよう。たとえば横山寿一が指摘するように,村山内閣のもとで閣議決定され,実質的には橋本政権の経済社会計画として継続して用いられた『構造改革のための経済社会計画』には,次のような一節がある。すなわち,「自由で活力ある経済社会の創造」を実現するためには,「自

,自由な個人・企業の創造力が十分に発揮できるようにすることが重要で」あり,さらには「このため,市場メカニズムが十分働くよう,規制緩和や競争阻害的な商慣行の是正を進め,個人,企業の自由な活動を確保する環

ことが重要である」と(経済企画庁 1995 : 6筆者強調)。また横山は,橋本内閣が掲げた「構造改革」において,社会保障制度がいかに市場に適応的な仕組みとして抜本的につくり変えられていったかを論証している(横山 2003)。

⑵ こうした動向の前提には,政府自身が市場を無邪気に信頼し,経済的自由主義にもとづく成長志向を望ましいものと考えているという事実がある。ネオリベラリズムは国家を,国家がそのように考え,市場に強権的に介入するものとしてつくり変えるのである。つまり,国家は市場を管理しているように見えて,実のところ市場に屈服しているのだ。「政治権力の包括的行使を,どのようにして市場経済の諸原理にもとづいて規則づける(régler)ことができるだろうか」(Foucault 2004 : 137=2008 : 163)。フーコーが指摘するように,これこそネオリベラリズムにとっての重要な関心事なのである。

⑶ 日本においては,2000年代の小泉構造改革への支持,あるいは投票行動を扱う研究において,ネオリ

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ベラルな政策に対する意識に注目した計量分析がなされてきた(濱田 2013)。しかしながら丸山真央が言うように,ネオリベラリズムそのものへの意識を計量的に分析した研究はまだ少ないのが現状である(丸山 2011 : 126)。

⑷ 本稿で使用するデータは,2009年 7月に同志社大学で行われた質問紙法による調査から得られたものである(調査は 2005年から現在まで継続的に実施されており,筆者はその調査において,2013年から調査票の設計や報告書の作成に携わっている)。この年の調査対象は同志社大学に在学する 1~4年生である。有効回答数は 191で,その内訳を見ると,男性 88人,女性 103人となっており,また 18歳 44人,19歳 43人,20歳 47人,21歳 27人,22歳以上 28人(無回答 2人)となっている。そして,こうしたデータの性質上,本稿で提示される結論は 1つの仮説であり,依然として経験的な検討の余地を残したものであると言わなければならない。

⑸ 分析で用いる質問項目の回答形式は,特に断りのない限り,「そう思う」「ややそう思う」「どちらでもない」「あまりそう思わない」「そう思わない」の 5件法である。また,分析に際しては,いずれの項目についても,質問に対して肯定的な回答をしているほど得点が高くなるよう,それぞれの回答カテゴリーに 5点から 1点の値を付与している。

⑹ 逆に言うと,ネオリベラリズムは民間のサービス供給にもとづく社会福祉の拡充には肯定的でありうる(仁平 2012 : 267-70)。そして当然ながら,それはネオリベラルな政策による公的支出の削減と表裏一体である。

⑺ 他にも,石原都政下の東京都において国旗の掲揚や国歌の斉唱を義務化する通知が都立の学校の職員に出されたり(2003年),「ヘイト本」の先駆けと言われる『マンガ嫌韓流』が出版されたり(2005年),2007年度から使用されるすべての中学歴史教科書の本文から「慰安婦」についての記述が消えたりと,2000年代の日本におけるネオリベラリズムの進行と時を同じくして,復古的・排外的ナショナリズムがたびたび出現するようになったことが指摘されている(中野 2015 : 126-32)

⑻ このことを計量分析によって検討したものとして,先にも言及した丸山の論考がある(丸山 2011)。⑼ この第 1主成分によって,2項目に対する回答の分散の約 64.3%が説明されている。主成分と 2項目との相関係数は 0.802である。

⑽ 「日本優越感・特別感」の場合,第 1主成分は 2項目への回答の分散の約 65.0%を説明する(主成分と 2項目との相関係数は 0.806)。「日本利益優先志向」の場合,第 1主成分は 3項目への回答の約 49.7%を説明する(主成分と各項目との相関係数は最大で 0.750,最小で 0.676)。「軍事的争点への肯定的態度」の場合,第 1主成分は 3項目への回答の約 58.0%を説明する(主成分と各項目との相関係数は最大で 0.841,最小で 0.640)。

⑾ ピエール・ブルデューの言うように,ネオリベラリズムは「それ固有の論理,いわゆる市場法則,つまり強

に支配された経済世界の現実的基準をあらゆる人間活動の規範,つまり理想的ルールとしようとしている」のである(Bourdieu 1998 : 40=2000 : 66筆者強調)。

⑿ この第 1主成分によって,2項目に対する回答の分散の約 71.0%が説明されている。主成分と 2項目との相関係数は 0.842である。

⒀ この第 1主成分によって,3項目に対する回答の分散の約 66.2%が説明される。主成分と各項目との相関係数は最大で 0.909,最小で 0.640である。

⒁ この第 1主成分によって,5項目に対する回答の分散の約 61.3%が説明される。主成分と各項目との相関係数は最大で 0.856,最小で 0.668である。

⒂ なかには,デモクラシーの存立がネオリベラリズムに依存しているということを指摘する論者もいる。しかし,こうした論述においてはデモクラシーと代表制とが混同されていると言えよう。代表制はデモクラシーと同一視されることもあるが,実際それは公の問題に従事する資格をもった少数のエリートによる支配に過ぎず,「その起源において,デモクラシーと正反対のものである」(Lancière 2005 : 60-1=2008 : 73-4)。ジャック・ランシエールによれば,ネオリベラリズムと親和的なのはデモクラシーではなく,代表制なのである。

⒃ 一方で,福祉国家もまた国家による社会への介入を行う以上,ネオリベラリズムと同様,ある種の介入主義的,全体主義的なものにほかならず,両者を対立するものとみなすことはできないという指摘

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も当然ある(Foucault 2004=2008;佐藤 2016 : 209-10)。⒄ こうした観点から言えば,フランスで始められた反ネオリベラリズム運動としての「ニュイ・ドゥブー(Nuit Debout)」は,きわめて注目すべきデモクラシーの一例である。

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This article addresses the relationship among neoliberalism, nationalism and democracy, andattempts to outline the basic structure of modern politics. First of all, the concept of ‘neoliberal-ism’ is considered. Its most basic meaning lies in the combination of ‘economic liberalism’ and‘political anti-liberalism’.

Next, on the basis of such conceptualization, the article analyzes consciousness about neo-liberalism based on a survey data. I focused on three attitudes advocating free competition andmarket, ‘self-responsibility’-forcing someone to do everything at his or her risk-and anti-welfare principle, and follow with consideration of attitudes desiring a strong government andwilling to entrust political administration to such government. I examine the connection amongthese five attitudes, as well as the connection between these and other attitudes related with na-tionalism. The analysis lastly shows that people scoring high on the scales of these attitudesshare a value that can be called ‘law of the jungle’.

Finally, in order to find a countermeasure to a neoliberalism based on the law of jungle, thepossibilities of democracy based on the principles of coexistence with others is discussed.

Key words : Neoliberalism, Nationalism, Democracy, Law of the jungle, Coexistence

Neoliberalism, Nationalism, and Democracy :Basic Structure of Modern Politics

Motoki Nonomura

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