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ファースト・スター 宇宙の一番星の誕生 謎の「暗黒時代」に育った星と光を初めて再現 吉田直紀(東京大学数物連携宇宙研究機構) 宇宙の年齢は現在137億歳であると考えられている.星や銀河が光輝く美 しい宇宙の姿になるにはそれほどの長い年月が必要だったようだ.広い宇宙の 中では人間はほんのちっぽけな存在にすぎないので,これまでの宇宙の進化の ほとんどを知らないとしてもとくに不思議ではないだろう.しかし,実際には, われわれ人類は宇宙進化史の多くの部分を解明してきたと言ってよい. 現在では,ハワイにあるすばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡を用いることで, 宇宙が生まれてから 8 億年ほど経った時期に存在した銀河からの光を検出し, 当時の宇宙の様子をうかがい知ることができる.また,全天から来るマイクロ 波背景放射を観測することで,宇宙が38万歳だった頃の姿もほぼ直接知るこ とができる.残った最大の謎はちょうどこの間,誕生してから数億年の頃まで にある.この時期は宇宙の「暗黒時代」と呼ばれ,これまでどのような波長で も観測がなされていない.つまり,この時代を伝える「光」をわれわれはまだ 捉えることができておらず,その様子を知ることができないでいるのである. 最初の数億年の間,星や銀河などが生まれる前の宇宙には,ガスと暗黒物質が 薄く漂い,それにビッグバンの名残である弱い電磁波が飛び交うだけで,文字 通り暗黒の宇宙だったと考えられる. 暗黒宇宙に光を灯したのは,宇宙に生まれた最初の星──ファースト・スタ ー──である.ファースト・スターの誕生により暗黒宇宙は終焉し,やがて光 輝く銀河宇宙へと変貌をとげていく.以下ではわれわれが最近行った大規模コ ンピューター・シミュレーションの結果を交えながら,暗黒時代の謎に迫りた い. 人を形作る元素の由来とは ファースト・スター形成は,究極的にはわれわれの起源につながる重要な事 柄である.それは次のような事実から考察できる.星や銀河などがまだ存在し ない初期宇宙には,元素としては水素やヘリウムなどの軽いものしか合成され

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ファースト・スター:宇宙の一番星の誕生 謎の「暗黒時代」に育った星と光を初めて再現 吉田直紀(東京大学数物連携宇宙研究機構)

宇宙の年齢は現在137億歳であると考えられている.星や銀河が光輝く美

しい宇宙の姿になるにはそれほどの長い年月が必要だったようだ.広い宇宙の

中では人間はほんのちっぽけな存在にすぎないので,これまでの宇宙の進化の

ほとんどを知らないとしてもとくに不思議ではないだろう.しかし,実際には,

われわれ人類は宇宙進化史の多くの部分を解明してきたと言ってよい. 現在では,ハワイにあるすばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡を用いることで,

宇宙が生まれてから 8 億年ほど経った時期に存在した銀河からの光を検出し,当時の宇宙の様子をうかがい知ることができる.また,全天から来るマイクロ

波背景放射を観測することで,宇宙が38万歳だった頃の姿もほぼ直接知るこ

とができる.残った最大の謎はちょうどこの間,誕生してから数億年の頃まで

にある.この時期は宇宙の「暗黒時代」と呼ばれ,これまでどのような波長で

も観測がなされていない.つまり,この時代を伝える「光」をわれわれはまだ

捉えることができておらず,その様子を知ることができないでいるのである.

最初の数億年の間,星や銀河などが生まれる前の宇宙には,ガスと暗黒物質が

薄く漂い,それにビッグバンの名残である弱い電磁波が飛び交うだけで,文字

通り暗黒の宇宙だったと考えられる. 暗黒宇宙に光を灯したのは,宇宙に生まれた最初の星──ファースト・スタ

ー──である.ファースト・スターの誕生により暗黒宇宙は終焉し,やがて光

輝く銀河宇宙へと変貌をとげていく.以下ではわれわれが最近行った大規模コ

ンピューター・シミュレーションの結果を交えながら,暗黒時代の謎に迫りた

い. 人を形作る元素の由来とは ファースト・スター形成は,究極的にはわれわれの起源につながる重要な事

柄である.それは次のような事実から考察できる.星や銀河などがまだ存在し

ない初期宇宙には,元素としては水素やヘリウムなどの軽いものしか合成され

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ていなかった.ところが,普段われわれが目にするものは,これらの軽い元素

以外..のものを大量に含んでいる.たとえば人体は元素レベルで考えれば主に酸

素,炭素,窒素などから成り,重さの割合で考えると,一酸化炭素分子とそれ

ほど違いはない.(なのに一酸化炭素ガスが人体に有毒なのは不思議な気がす

る.)また,地球は主に鉄やケイ素,マグネシウムなどから成り,水素やヘリ

ウムといった宇宙初期から豊富にあるはずの軽元素はむしろマイナーな構成要

素でしかない.炭素や鉄などの重元素はいつ,宇宙のどこで合成されたのだろ

うか.

重元素合成を効率よくおこすことができる場所,それは星である.太陽のよ

うに自ら光輝く星(恒星)はその中心部で核融合反応をおこして軽元素から重

元素を合成し,その際に発生するエネルギーによって自重を支えている.重元

素は星の中で合成され,超新星爆発などの際に宇宙空間へ放出される.そして

それらの重元素を含む星間ガスからまた新しい星が生まれる,というサイクル

を繰り返して,地球や人体を構成する元素ができてきたのだ.「われら星の子」

といわれる所以である.

“伝説”の時代を第一原理的に再現する

さて,ものには何でも「始まり」がある.宇宙暗黒の時代,水素とヘリウム

だけから成る始原ガスが集積し,やがてファースト・スターが生まれ,進化の

後に超新星爆発をおこして最初の重元素を宇宙にばらまく.ここから“すべて”

が──銀河形成,惑星形成,そして最終的には生命の誕生が──始まる.ファ

ースト・スターはいわば伝説の英雄のような存在だ.かつてどこかに間違いな

く存在したはずだが,まだどのような観測によっても見つけられてはいない.

はるか昔に姿を消してしまったのか,宇宙でまだ観測されていない場所に隠れ

ているのかもしれない.

将来の観測による発見が待ち望まれるが,ファースト・スターの正体に迫る

には,理論的研究がとりわけ有効である.それは次のような理由による.(1)

近年の宇宙マイクロ波背景放射の観測から,初期宇宙の状態が詳しくわかり,

宇宙の構成要素や宇宙膨張の歴史がはっきりと定まった.理論のよりどころと

なる標準宇宙モデルが定まったと言える.(2)宇宙初期の星形成に関わる物

理過程は重力,気体力学,化学反応など数多いものの,それらはいずれも既知

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の物理であり,基本的には実験室で確かめられたものばかりである.つまり,

極言するならば,ファースト・スターの形成は,現代物理学を結集すれば解け

るはずの問題なのだ.

われわれの研究グループは,この問題にスーパーコンピューター・シミュレ

ーションを使って挑んだ.関連する基礎物理過程をすべて第一原理的に取り入

れるという,手間はかかるが確かな結果を得ることができる方法を採った.従

来の星形成や銀河形成のコンピューター・シミュレーションでは,星間ガスが

どう変化するかについて,いくつかの仮定をおき,簡潔な数式として与えてい

た.いわば進化の道筋を入力していたことになる.われわれの計算では逆に,

やがて星となるガスの進化は計算の結果(出力)である.水素-ヘリウムガス中

におこる化学反応や放射輸送過程をすべて考慮し,次にどのような密度,温度

になるのかを逐一計算した.

シミュレーション領域内の解像度についても,ついに物理的要請を満たすレ

ベルに達したと言うことができる.天体形成の問題で最も重要な物理量は「ジ

ーンズ質量」と呼ばれる,ガスの圧力と自己重力の拮抗によって定まる最小の

質量である.われわれのシミュレーションでは,差し渡し10万光年という大

領域を設定しつつも(図1),その中で個々の星形成ガス雲を,そのジーンズ

質量以下まで解像することに成功した.映像の画質にたとえると,10兆ピク

セルに相当する.シミュレーションの解像度依存性という長年の問題はもはや

物理的に....

なくなったのだ.

われわれのシミュレーションはいわば「初期宇宙の実験」である.特別に意

図して「星をつくるシミュレーション」を行ったのではない.初期宇宙の状態

を忠実に再現し(脚註 統計的なリアライゼーション[仮想空間]を作るのであ

り,現実の宇宙をそっくりつくりあげるわけではない),そこで「何がおこる

か」を確かめたのである.そして,計算機上の初期宇宙に星が自然にできるの.........

を観察した.....

,ということになる(図2).

そもそも,「宇宙で最初にできる天体は何か」ということは,天文学の長年の

謎だった.宇宙初期には惑星のような小さな天体ができるのか,巨大なブラッ

クホールができ始めるのか.われわれが今回行った大規模コンピューター・シ

ミュレーションからは,個々の星が誕生すると結論づけられる.一つの問題に

終止符が打たれたと言ってよいだろう.

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一番星は小さく生まれ大きく明るく育つ

得られた結果は次のようにまとめられる.まず,ファースト・スターが誕生

したのは宇宙創成から3億年ほど経った頃である.われわれの計算では宇宙の

平均的な場所を仮定したが,場所によって多少の差があるため,宇宙の一番星

が光り出したのは1億~3億年の頃というのが妥当であろう.いずれにせよ1

37億年の宇宙の進化史のかなり早い段階であることになる.次に,原始星(生

まれたばかりの星)の質量は太陽の100分の1程度であった.中心温度は絶

対温度1万度を超え,また密度は1cm3 あたり 0.001g 程度,ちょうど空気と水

の密度の間くらいに相当する.まわりには大量の温かいガスが存在し,それら

が中心にむかって落ち込んでいくため,この小さな星の種はすぐに成長し,巨

大な星になると考えられる.実際に3次元シミュレーションから得られたガス

の降着率を用いて,原始星進化の詳細な理論計算をおこなったところ,最終的

には質量がおよそ太陽の100倍以上にもなることがわかった.どうやら初期

宇宙の星は小さく生まれて大きく育つようだ.質量が太陽の100倍というの

は明るさでは太陽の百万倍以上にもなる.宇宙がまだ数億歳という若さの時に,

このようなとても明るいファースト・スターが闇を照らし出し,暗黒時代に終

わりを告げたのだろう.

* *

さて,この理論は一体どうすれば確かめられるのだろうか.ファースト・ス

ターの探索は21世紀の天文学の最重要事項の一つであり,この先10年で大

きな進展が期待される.アメリカの次世代宇宙望遠鏡 JWST は,宇宙最初の数億

年からの光を捉えることを主要な目標に掲げている.打ち上げは2013年の

予定である.天の川銀河の中にファースト・スターあるいはその痕跡を探す観

測プロジェクトも進行している.3年前にはすばる望遠鏡を用いた観測で,鉄

の量が太陽の10万分の1以下という,重元素量がきわめて少ない星も発見さ

れた.意外にも近くにファースト・スターの生き残りが存在するのかもしれな

い.この先数年の内にも期待されるファースト・スター発見は,天文学の一大

ニュースになるのみならず,われわれが自分自身の起源についても思いを馳せ

るような出来事となるだろう.

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図1 コンピューター・シミュレーションで再現された宇宙年齢3億年の頃の物質分布.

色の濃い部分にガスが集まって密度が高くなっており,網目状構造の節点にあたる部分に「星の

ゆりかご」ができはじめている.

図2 ファースト・スター周辺のガス分布.左から右に中心部分をクローズアップ.このシミュレーシ

ョンは,差し渡し10万光年という大きな宇宙空間の中で,太陽半径程度の微細な構造までも解像

している.1天文単位とは地球と太陽との距離で定められ,およそ1億 5000 万 km.左から順に巨

大な暗黒物質の塊(ダークマターハロー),その中央にできた分子ガス雲,その高密度中心部,そ

して一番右のパネルの赤い部分が生まれたばかりの原始星で,その質量はまだ太陽の100分の

1でしかない.