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China Focus FUJITSU RESEARCH INSTITUTE No. 11 中国経済の発展、イミテーションからイノベーションへの道 富士通総研経済研究所 客員研究員

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China FocusFUJITSU RESEARCH INSTITUTE

No. 11

中国経済の発展、イミテーションからイノベーションへの道富士通総研経済研究所 客員研究員 柯 隆

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China Focus

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1China Focus No.11

China Focus

TOPICS

しかし、世界を凌駕しているとされる中国へ行ってみると、大都市を走る車の多くは外国ブランドのものばかりである。そして、海外旅行を楽しむ中国人観光客は、遠路はるばる海外に来て、中国製の外国ブランドの商品を大量に購入して帰って行く。中国経済の実力はいったいどれぐらい強いのだろうか。

今回の米中貿易戦争においてアメリカ政府は、中国の通信機器メーカーのZTEに対して制裁措置を取った。それによってZTEはまるで張り子の虎のようにすぐさま生産不能に陥った。なぜZTEはこんなに弱いのか。原因は、ZTEの技術のほとんどがアメリカに依存していることにある。

かつて、中国大手電機メーカーの工場を視察したことがある。そのメーカーが製造する発電機は発電容量でみた場合、世界一の規模と言われ、確かに優れた発電機を造っている。視察の最後に資材置き場の倉庫をみせてもらった。そこでびっくりしたのは、倉庫に敷き詰められていたのは日本メーカーから仕入れた特殊鋼ばかりだったのである。工場長に「なぜ中国メーカーの鋼材を使わないのか」と尋ねたら、「品質の安定性が不十分」と言われた。

この2つの事例からわかるのは、中国企業はオールドエコノミーもニューエコノミーもコアの技術を持ち

経済統計上、中国経済はすでに世界で2番目の規模になっている(ドル建て名目GDP)。中国人の主観的認識では、中国経済はもはや世界一のレベルに達していると思われている。確かに、海外旅行を楽しむ中国人はその財布の豊かさから経済発展を自慢する根拠があるかもしれない。北京、上海、広州などの大都市へ行ってみればわかるように、街中を走る車は先進国の大都市よりも排気量の大きい高級車が多い。ただし、ここで問われるのは中国経済の実力である。

振り返れば、1990年代半ばまで中国共産党幹部や学者は、日本に来て謙虚に学ぶ姿勢があった。1998年、日本は深刻な金融危機に見舞われ、日本経済は未曽有のデフレにより体力が徐々に失われていった。それに伴って中国人の日本を見る目も変わっていった。中国にとって、日本に学ぶところはほとんどないと思われるようになった。

2010年、中国経済は統計上、ドル建てのGDPで日本を追い抜いて世界で2番目の規模となった。それを境に中国人の心のなかでは、日本に学ぶどころか、アメリカでさえ中国が学ぶところはもはやなくなった。

「中国は科学技術においてすでにアメリカを全面的に超越している」とまで豪語する学者も現れた(清華大学胡鞍鋼教授)。

中国経済の発展、イミテーションからイノベーションへの道

客員研究員

柯 隆

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2 富士通総研 FUJITSU RESEARCH INSTITUTE

た。直接投資と国際貿易は中国経済をけん引する重要なエンジンである。そのなかで、経済成長率に比べ消費の拡大は遅れている。過去20年間、中国政府は一貫して内需振興の政策を掲げている。しかし、統計上、GDPに占める民間消費の割合は4割を下回り、主要国のなかで一番少ない。仮に中国経済が内需に依存するものであれば、米中貿易戦争は起きなかったのかもしれない。たとえアメリカが中国に対して制裁措置を取っても、中国は今ほど困らなかったはずである。

40年間にわたる経済成長を支えてきたのは、中国の人口ボーナスだった。中国の農村部には大量の余剰労働力が存在していた。中国政府は農村の余剰労働力を制度的に都市部に移住させなかったが、農民は自主的に都市部へ出稼ぎしている。実は、農民の出稼ぎが制度的であるかどうかの背景には、重要なカラクリが隠れている。すなわち、仮に農民の出稼ぎが制度的なものであれば、「農民工」と呼ばれる労働者は都市部の住民と同じように市民権が付与され、社会保険に加入することができる。しかし実際には、「農民工」には市民権は付与されず、社会保険にも加入できない。たとえ賃金が遅配となっても、裁判を起こすことすらできない。「農民工」の賃金が不当に低く抑えられていた結果、それが輸出製造業のコスト競争力の増強に寄与してきた。むろん、経済発展とともに、「農民工」の人権意識が徐々に高まり、しかも、出生率の低下により人口ボーナスが消失しつつあるため、低付加価値の輸出製造企業は比較優位を失いつつある。

2012年以降、習近平政権になってから、消失する人口ボーナスに代わって、李克強首相は「都市化ボーナス」の概念を繰り返し口にするようになった。都市化ボーナスとは、農民の一部を都市部に移住させることである。農業よりも鉱工業のほうが労働生産性が高いため、経済成長に大きく貢献することができるという想定である。具体的な都市化計画については、農民を既存の都市に移住させるのではなく、新たに新興都市を建設するという考えだったようだ。新興都市を建設するプロセスにおいて大規模なインフラ整備と不動

合わせておらず、キーコンポーネントが輸入に頼っているということである。この現実の一斑を中国人に知らしめているのが、アメリカのトランプ大統領である。

かつて、中国の愛国青年たちは、日本の政治家による靖国神社参拝に抗議して日本製品の不買運動を呼びかけ、中国にある日本のスーパーマーケットなどを破壊してしまった。そして中国人若者たちは同様に、韓国におけるアメリカの防衛ミサイル配備に抗議するため、韓国製品の不買運動を呼びかけた。

しかし今回、トランプ大統領が仕掛けた理不尽な貿易戦争に対し、中国の愛国青年たちはなぜか沈黙を保っており、愛国行動をまったくみせない。その理由の一つの可能性として、日本や韓国と違って、アメリカは実力的に強い国だからである。もう一つの可能性は、中国政府が愛国青年の愛国行動を煽っていないからである。さらに、三つ目の可能性として、愛国青年たちはアメリカの対中貿易赤字が実在するものであり、すべての非がアメリカにあるとは言えないと思っているのかもしれない。

問題は、中国経済がどうなるかにある。日本企業にとり、中国は世界の工場であり、潜在的な巨大市場でもある。多くの日本企業にとって、ここで中国から完全に撤退する選択肢などないはずである。しかし現実問題として、中国で生産した製品や商品をアメリカへ輸出しているため、トランプ大統領によって発動されている報復関税に阻まれてしまうということである。今回のレポートでは、中国経済の針路と中国経済の実力を検証し、その課題を明らかにする。

1.中国経済の奇跡の問題点

中国経済はこれまでの40年間で、年率8〜9%の成長を成し遂げてきた。中国経済成長の基本的なモデルは、国内の廉価な労働力と外国資本を利用して安い製品を大量に生産し輸出することで、外貨を稼ぐやり方だった。こうして資本が徐々に蓄積されるにつれ、国内のインフラを整備し、生活環境も急速に改善され

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3China Focus No.11

China Focus

TOPICSレッジを削減すれば、中国経済はかなり減速する可能性がある。結果的に、レバレッジ削減の政策は額面どおりには実施されていない。

2010年に中国のGDPが日本を追い抜いて世界で2番目の規模となったあとの軌跡を検証するまでもなく、高度成長期を終えた中国経済は新たな成長モデルを創り出せていない。投資、消費、輸出のいずれも軟調に推移しており、これからどのようにして中国経済を振興させていくのかについては、喫緊の課題となっている。

2.中国が直面する「三つの罠」

本来、中国のように1人当たり年収3000ドル未満の低所得国から5000ドル以上の中所得国に経済発展すれば、産業構造も徐々に高付加価値化へシフトしながら、製造業に加えてサービス業の振興も求められる。中国の産業構造の高度化は明らかに遅れている。このままいくと、中国は「中所得国の罠」にはまってしまう可能性が高くなる。

中所得国の罠とは、世界銀行の報告書のなかで提起された一つの命題である。それは、新興国が低賃金の労働力などを原動力として経済成長し、中所得国に仲間入りを果たしたあと、自国の人件費の上昇や後発新興国の追い上げ、先進国の先端イノベーション(技術力など)との格差などにあって次第に競争力を失い、経済成長が停滞するという現象である。中国がこのまま成長して先進国に仲間入りできるかどうかは、その技術進歩にかかっていると言える。

ここでは、中国が中所得国の罠にはまるかどうかについて議論するよりも、中国における技術進歩の現実を考察したほうがよかろう。

過去40年間の「改革・開放」で中国の低付加価値製造業の世界シェアはかなり拡大している。次ページの図1に示したのは、一般消費財に占める中国ブランドのシェアである。「ビール」や「ミルク」などの一般消費財において、中国ブランドは大きなシェアを占

産建設が行われることで経済成長を促進できると考えられている。

むろん、新たな問題も浮上している。都市部に移住する農民の多くは体力と経済力のある中年以下の者がほとんどである。その前に若い農民はとっくに「農民工」として都市部へ出稼ぎに行っている。すると、農村に残っているのは高齢者と子どもだけとなる。そのうえ、都市化のプロセスで多くの農地は浸食される。農地も若い農民も激減すると、農業が荒廃する心配がある。

中国共産党幹部とメディアと一般の知識人の多くは、農業生産性の向上が農地と農民の減少を補うことができると信じているようだ。中国の農業専門家の袁龍平氏は水稲を交配させることで単位面積当たりの生産量を大きく増やすことができた、という報道がある。農産物を交配させることは、アメリカなどで行われている遺伝子組み換え(GMO)と異なり、人体に悪影響を及ぼすことがないと言われている。水稲を交配させる技術により食糧の生産性は増加するかもしれないが、その増分は、農地の浸食および農民減少の悪影響と、相殺できるのだろうか。1995年にレスター・ブラウン氏が提起した「誰が中国を養うのか」の命題は、再度現実性を帯びるかもしれない。

こうした問題を克服するには、ややラフな考えとして、工業とサービス業が発展すれば、農産物の生産量がたとえ減少しても、海外から輸入できるようになる。だが、中国の食料需給は慢性的に不均衡となる可能性がある。

あらためて中国の政策決定をみると、経済成長至上主義がその基本理念だった。共産党中枢において、経済成長こそ共産党統治の正当性を実証できる証左だというのはコンセンサスになっているようだ。ただ、40年間にわたって、レバレッジを効かせた景気浮揚策が実施されてきた結果、国有企業を中心に大量の過剰設備を抱えることになった。

習近平政権になってから、デレバレッジ(レバレッジの削減)政策が打ち出されているが、実際にレバ

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めているのに対して、「化粧品」や「チョコレート」など高級品は外国ブランドが圧倒的に優勢である。

そして、図2に示したのは、中国を含む世界主要国における労働者1万人当たりのロボット使用数の比較である。日本の305体に比べ、中国はわずか49体と大きく後れを取っている。

これまでの比較優位政策により中国経済は規模こそ大きく拡大したが、技術力の強化は十分ではなかった。従来の研究では、豊富な労働力を有する中国に投資する内外の企業は、その廉価な労働力を最大限に利用することが目的のため、ロボットの投入など機械化には消極的だった。これこそが、中国企業が大量の過

剰設備を抱えるようになった背景であり、米中貿易戦争の遠因である。中国経済が中所得国の罠にはまらないためには、中国企業の技術力、すなわち、全要素生産性(TFP)を向上させる必要がある。

そして中国は、もう一つの罠、すなわち「タキトゥスの罠」にはまりつつある。タキトゥスの罠とは、政府に対する国民の信頼が大きく失われると、真実だろうと嘘だろうと、政府が何を言っても国民に信頼されなくなることである。現在の中国社会は、まさに信頼の危機に直面していると言っても過言ではない。中国共産党はこうした信頼の危機を乗り切るために、経済成長を維持しようとしている。すなわち、経済成長が大きく減速した場合、社会が不安定化し、共産党下野につながる可能性がある。問題は、経済成長が政府に対する信頼回復につながるかどうかにある。

さらに、中国が直面するもう一つの罠は、「トゥキディデスの罠」である。この命題はハーバード大学の政治学者グレアム・アリソン氏によって提起され、古代ギリシャ歴史家トゥキディデスにちなんで名づけられた。具体的には、「既存の覇権国家とそれに挑戦する新興国とのぶつかり合いが戦争状態をもたらす」というものである。これを米中貿易戦争に当てはめれば、米中貿易戦争は単純に貿

図1 一般消費財に占める中国ブランドのシェア(2016年)

図2 世界主要国の一般製造業のロボット使用数

注:労働者1万人当たりのロボット使用数資料:European Chamber “China Manufacturing 2025”

資料:マッキンゼー

(%)

(体)

中国 外国

0

20

40

60

80

100

ヨーグルト

ミルク

ビール

キッチン雑巾

キッチン洗剤

ミネラルウォーター

ティッシュ

ジュース

粉ミルク

歯磨き粉

ボディソープ

紙おむつ

シャンプー

チューインガム

チョコレート

化粧品

0

100

200

300

400

500

600

中国

世界平均

英国

スロバキア

オーストラリア

チェコ

スロベニア

スイス

オランダ

フィンランド

フランス

オーストリア

カナダ

スペイン

イタリア

ベルギー

アメリカ

デンマーク

台湾

スウェーデン

ドイツ

日本

シンガポール

韓国

531

398

305 301

212190188

170 169160150 136 128 127 126 120 119 110 93 86 79 71 6949

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China Focus

TOPICS易不均衡だから起きたというよりも、起きるべきことが起きたと言ったほうがよかろう。James Steinberg & Michael E. O'Hanlon(2014)1は、「一方の国が明確に優位にあるとき、弱い方の国は強い国の命令に自分を合わせることを余儀なくされる2。だが、力関係が均衡する、あるいは、挑戦者がチャンピオンを追い抜き始めると、新たに台頭してきた側はそれまで支配していた側の要求に関係なく、国益について自分の考えをより自由に追求することになる。一部の理論家たちは、この『権力の移行』が不可避的に紛争をもたらすとみる」としている。

今一度この論点を整理しておくと、40年前、共産党は統治を続けるために「改革・開放」を決断し、経済成長を実現した。それを成し遂げた最高実力者だった鄧小平氏は中国国民から支持を集めた。鄧小平氏の名声に傷がついたのは、1989年6月4日の天安門事件のとき、中国人民解放軍に、無防備の学生や市民に発砲を命じたことだった。

しかし、経済発展とともに、マクロ経済の限界生産性が次第に低下した。共産党は、さらなる成長を目指すために投資を増やした。その過剰なレバレッジは過剰設備をもたらし、ところが、それが中国国内で十分に消費されないため、輸出されるようになる。このなかで中国は世界の工場となった。しかし、中国の工場、とりわけハイテクを駆使する工場の多くは、中国企業ではなく、中国に進出している外国企業の工場である。グローバルのサプライチェーンは中国を軸に形成されているが、その主役は中国に進出している外国企業である。

中国政府は国内企業の技術レベルの低さに危機感を抱き、李克強首相が「創新(イノベーション)」を呼びかけた。中国政府はイノベーティブな企業に巨額の補助金を支払っているとみられるが、詳細については

発表されていない。そこで問題なのは、中国企業は地道に研究開発を行うのではなく、外国企業から技術を取得するショートカット(近道)を選んだことである。一部の中国企業は外国企業から技術を盗み、外国企業の知的財産権を侵害したと言われている。これらの中国企業は、不当な手段で手に入れた技術を使って新たな製品を開発し売り出している。結果的に共産党指導部は、補助金を支払った自国の企業に騙された形となり、中国の国力は世界の覇権国家アメリカを超越したとまで誤解しているようだ3。

こうした事態をより複雑にしたのは、アメリカのトランプ大統領が国内で十分に支持されていないため、中国との貿易不均衡や知的財産権侵害に対処する余力などないだろうと思われていたことである。だが内外の事態は、中国共産党指導部の想定と真逆に突き進んでいった。

3.習近平国家主席の夢

中国で直近、政権交替が行われたのは2012年だった。胡錦濤国家主席が引退し、新たに選出されたのは習近平国家主席である。中国の政権交替がどのような手続きを踏まえて行われているかは極めて不透明である。言うまでもないことだが、指導者は選挙によって選ばれていない。あえてラフに表現すれば、共産党指導者の後継者は長老たちの「話し合い」、すなわちパワーゲームによって決まるのである。習近平国家主席を選出するプロセスのなかで、おそらく一番の実力者は江沢民元国家主席だったとみられている。胡錦濤前国家主席は同じ派閥の李克強首相を推したはずだったが、力の強さにおいて江沢民元国家主席に及ばないため、最後の妥協案として李克強候補が首相に就任した。それ以外のもう1人の実力者の薄熙来氏は長老の

1 James Steinberg & Michael E. O'Hanlon(2014), Strategic Reassurance and Resolve (邦訳:『米中衝突を避けるために──戦略的再保証と決意』村井浩紀、平野登志雄訳、日本経済新聞社)P35-P372 Thucydides, History of the Peloponnesian War, 402(Book 5, P89)3 清華大学胡鞍鋼教授(経済学)

Note

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6 富士通総研 FUJITSU RESEARCH INSTITUTE

の中国成長モデルはすでに限界にきているということである。

それでもそれに代替する新たなモデルが開発されていないため、廉価な中国商品を大量に輸出する比較優位政策をこのまま続けるしかない。そのとき、トランプ大統領の中国商品制裁関税という壁にぶつかったのである。

本来ならば、政府の役割は、市場競争のルールを守らせるレフェリーとして機能することである。国有企業の過剰設備だろうが、ゾンビ企業だろうが、政府がこれらの企業を保護しないのであれば、企業は自ら経営の合理化を図り、過剰設備を削減する努力をする。政府が市場活動に直接介入するから、国有企業の過剰設備とゾンビ企業の存続のように経済構造が歪んでしまう。

習近平政権は「国有企業をより大きくより強く育てていく夢」を国民に唱えている。国有企業を大きくすることは、表面的には中国国力の増強とみられるが、技術力の弱い巨大国有企業は単なる「メタボ」にすぎず、競争力が強くなるはずはない。

そしてもう一つの難題は、国民の信頼を勝ち取ることである。習近平国家主席は中国共産党第19回全国代表大会で、党員に対して「歩む道を信じ、社会主義理論を信じ、社会主義制度を信じ、中国の文化に自信を持つ」と4つの自信を唱えた。しかし、共産党による統治に強い自信を示す習近平政権は、これまで以上に言論統制と報道統制を強化している。その結果、指導部に迎合する言論がメディアとウェブサイトに充満するようになった。

中国経済は40年前に比べ、奇跡的な成長を成し遂げた。その成果からも共産党は国民に強く支持されるはずだが、実際には、共産党は国民からのちょっとした批判も受け入れることができず、弾圧している。この現実から、共産党は自らの統治についてほとんど自信がないと言わざるを得ない。もっとも愚かなのは、再び鎖国状態に戻すことができないなか、ネットだけ統制しても国民が情報を入手する手段などいくらでも

支持を得られず、終盤に入ってから失速してしまい、最後は腐敗を理由に追放されてしまった。

長老によって選ばれた習近平国家主席にとって一番の悩みは、脆弱な権力基盤だった。結果的に、習近平国家主席は権力基盤を強化するために、腐敗撲滅を行うなかで政敵を一掃することにした。腐敗撲滅は国民から支持され、なおかつ政敵を一掃すれば権力基盤も強化できる一石二鳥の措置だった。中国共産党第19回全国代表大会(2017年10月)の発表によると、それまでの5年間、計153万人の幹部が追放されたと言われている。新たに選出された共産党中央委員会のメンバーのほとんどは習近平国家主席の側近である。

いかなる国の政治家でも、もっとも長けているのは権力闘争のはずである。しかし、国民の支持を得るには国民に幸せな生活を提供しなければならない。そのためには、社会を安定させ経済を発展させなければならない。習近平政権にとってのチャレンジは、経済成長を持続させ、中所得国の罠から抜け出すことと、国民から信頼される政府、すなわち、タキトゥスの罠からも脱出することである。

まず、経済政策として、習近平政権は北京オリンピック・パラリンピックのときのような高成長を実現することは難しいと認識し、国民に対してこれからの経済が「新常態」にあると唱えた。すなわち、無理に高成長を目指さないということである。同時に、胡錦濤政権が残した負の遺産の国有企業の過剰設備を削減し、採算の取れない国有ゾンビ企業を畳むことを決心した。これらの目標はいずれも正しいが、実現するのは簡単ではない。なによりも、過剰設備を削減し、国有ゾンビ企業を畳むと、雇用維持が今まで以上に難しくなる。また、これらの国有企業に融資を行った国有銀行のバランスシートに巨額の不良債権が出現する可能性が高い。李克強首相は毎年の全国人民代表大会の政府活動報告で、過剰設備の削減とゾンビ企業の閉鎖を国民に繰り返し誓うが、実際の作業は遅々として進まない。なによりも、中国企業の技術レベルと多国籍企業とのギャップはなかなか埋まらない。「薄利多売」

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China Focus

TOPICSあるということである。中国政府の発表によれば、毎年1億2000万人の中国人が海外旅行に出かけている。これだけの中国人が海外に行けば、自由自在にさまざまな報道を目にすることができる。彼らが旅行から帰って海外で見た、聞いたことを親戚や友人に伝えれば、最低数億人の中国人が、中国で目にすることのない情報を手に入れることができる。要するに、開放された社会での言論統制には、ほとんど意味がない。

それでも、世界の中国研究者および中国国内の学者の多くは、習近平国家主席が毛沢東時代に逆戻りしようとしていると指摘する。確かに習近平国家主席自身は毛沢東時代に教育を受け、毛の政治に対するあこがれがあるはずである。しかし、どんなに検証しても、習近平国家主席は毛沢東になれるはずがない。習近平国家主席は中国社会において毛ほどの強い権威を持っていない。権威なき権力は十分に強くなれない。そこで習近平国家主席が考え出したのが、「the rule by law」のスキームである。2018年3月に開催された全国人民代表大会で憲法が改正され、国家主席の任期制限が撤廃されてしまった。この措置は何を意味するのだろうか。

それは習近平国家主席が第2の毛沢東になるためと言われているが、その指摘は残念ながら間違っている。実は、習近平国家主席はシンガポールのリー・クアンユーになろうとしているのである。シンガポールの建国の父リー・クアンユーは、名目上の民主主義、実質的な独裁政治を実現した。しかも、東南アジアでもっとも輝かしい経済繁栄を実現することで、国民と周辺諸国の批判を見事にかわした。これこそ習近平国家主席の夢なのである。

むろん、中国のような13億の人口と56の民族を持つ巨大国家が、シンガポールのような都市国家のモデルを導入しても、成功するかどうかはわからない。

4.「改革・開放」政策2.0のチャレンジ

習近平政権が実現しようとする中国の夢は、最高実

力者鄧小平が決断した「改革・開放」政策と明らかに違うものである。共産党指導部は、鄧小平路線の先にあるのが資本主義だとはっきり認識している。しかし、中国が資本主義体制になれば、共産党は下野する公算が高くなる。最近、中国国内で民営企業の私有財産を共産化しようとする論調が少しずつ台頭している。

上で述べたように、たとえ習近平国家主席がシンガポールの独裁政治を手本に経済建設を試みようと考えても、中国社会の土壌は王様の社会に回帰しようとする力が働く。中国の民営企業のビジネスにとって現在の社会環境は、日増しに悪化していると言える。政府の経済政策は国有企業援助に傾斜している。一つの典型的な事例が、金融制度の歪みである。国有銀行は民営企業への融資を拒むため、民営企業は地下銀行などインフォーマルな金融システムで資金を調達するようになる。中国において、シャドーバンクの規模が拡大するのは、国有銀行などフォーマルな金融機関は民営企業の資金需要に応えないからである。

胡錦濤政権(2003〜2012年)が残した負の遺産の一つは、2009年、リーマン・ショックの影響を食い止めるために、4兆元の財政政策を拙速に出動したことである。4兆元の財政資金のほとんどは国有企業に流れ込み、それを手に入れた国有企業は豊富な資金力をもって民営企業を買収したのである。このトレンドは「国進民退」と呼ばれている。その「国進民退」はさらに進み、政府は国有企業と民営企業との混合所有制を推進しようとしている。混合所有制において国有企業は株式の過半数を握れるようになり、これは民営企業が国有企業によって飲み込まれることを意味するものである。

このトレンドは、「改革・開放」政策2.0バージョンと揶揄されている。むろん、このような政府の思惑がほんとうに実現するかどうかは明らかではない。なぜならば、政府が混合所有制によって民営企業を強引に飲み込もうとすれば、民営企業は大挙して海外へ逃げてしまう心配がある。すなわち、習近平政権が考える

「改革・開放」政策2.0バージョンにおいて政府と市場

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は、技術の盗みが目的とみられるようになっているからである。

中国が中所得国の罠から抜け出すには、イミテーション(偽造品の生産)からイノベーション(技術革新)に姿勢を転換させなければならない。そのために、知的財産権を法によって守られるようにする必要がある。目下の状況をみるかぎり、知的財産権の保護は極めて不十分と言わざるを得ない。

5.長期化する貿易戦争と日本企業の対応

そもそも米中貿易戦争は不可避なことである。グローバルバリューチェーンのなかで、中国は付加価値のもっとも低い生産加工を集中して行っている(図3)。中国の対米輸出のなかで、ハイテク製品の輸出の多くは外国企業によるものである。中国としては、当然のことながら技術力を上げたい。ただし、技術力を上げるには、時間がかかる。そこで考案されたのが、「中国製造2025」計画であり、言い換えれば、習近平大躍進のようなものである。

中国沿海部で自動車と半導体などの産業クラスターが形成される過程での主役は日本企業だった。中国ハイテク産業の輸出は、日本や韓国などから素材と部品

(キーコンポーネント)を輸入し、中国で組み立てた製品や商品をアメリカなどへ輸出するという構図であ

がそれぞれどのような役割を果たすかを、政府は明らかにする必要がある。

長い間、中国政府の成長戦略として、外国企業からの技術移転をターゲットに種々の措置を取ってきた。一つは、外資誘致政策の一環として、中国市場の一部を外国企業に譲る代わりに、外国企業から技術を譲り受ける。この戦略は一部の産業において功を奏した。たとえば、中国のあるエアコンメーカーは日本のエアコンメーカーの製品を代理販売する代わりに、インバーター技術を譲り受けた事例がある。ただし、自動車産業については、中国政府の当初の思惑は奏功せず、地場メーカーの技術力が思ったより向上していない。2017年、中国で生産・販売されている自動車は約2900万台と言われている。地場メーカーの市場シェアは約4割に過ぎない。

むろん、中国政府は地場企業による技術の自主開発も進めている。政府系研究機関、大学、企業による産官学の連携はその基本系になっている。たとえば、中国の多くの大型製造業企業には「ポストドクターステーション」が設置されている。大学で博士号を取得した研究者はこのポストドクターステーションで研究活動を続けることができる。政府はこれに人件費と研究費の一部を助成していると言われている。ただし、その研究の多くはいわゆる基礎研究ではなく、既存の技術を改良するための応用研究がほとんどである。

この二つの開発法以外にも、中国企業はこれまでの10年間、技術力のある外国企業を積極的に買収している。有名なのは、自動車メーカーの吉利汽車がボルボ・カーズを買収した事例である。

トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争において問題となっているのは、中国企業による外国企業の知的財産権の侵害である。これには、製造業にかぎらず、農業など農産物の栽培方法などでも侵害している事例がみられる。こうした違法行為は、中国企業の海外進出の妨げにもなっている。すなわち、中国企業の海外進出

図3 グローバルバリューチェーン スマイル曲線と「中国製造2025」

付加価値

研究開発

デザイン

ブランド戦略

生産加工物流・流通

マーケティング

サービス

「中国製造2025」

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China Focus

TOPICSる。言ってみれば、中国の輸出のうち、かなりの部分は代理輸出である。これで中国がもっとも得しているのは、雇用機会を得ていることである。

日本企業は、1990年代初期のバブル崩壊以降のデフレ進行と超円高進行の影響を克服するために、工場の一部を東南アジア、そして中国へ移転した。企業は競争力を強化するために、部品加工と組み立て工場を1カ所に集約させる。中国には廉価な労働力が豊富に存在し、将来、有望な市場になるとみられた。こうしたなかで、中国は資本と技術力不足を補う手段として外国企業の直接投資を誘致するために、免税や減税などの優遇措置を講じていた。

日本の専門家の多くは、早い段階から工場が中国に集中しすぎるとリスクが高まるため、その一部を東南アジアに分散すべきと警鐘を鳴らしていた。確かに一部の日本企業は工場を東南アジアに移転したが、それはリスクの分散というよりも、実際には、中国国内で人件費が上昇したからである。しかし、多くの日本企業、とりわけハイテク企業は依然として中国に工場を集約させている。これらの企業は今回の米中貿易戦争によりアメリカの制裁関税に直面している。とはいえ、工場の移転はそれほど簡単なことではない。工場の立地としての東南アジア諸国の弱点は、裾野産業の欠如と物流ネットワークの未整備である。中国では、裾野産業がすでに育っており、物流ネットワークも整備されている。

日本企業が、asset reallocation(経営資源の再配置)を考えるならば、米中貿易戦争の行方を見極める必要がある。そのなかで、中国がどのような形でアメリカに妥協するのかが重要である。すなわち、このままでは米中貿易戦争は終わらないため、強い外圧にさらされている中国はいかなる形であれ、市場開放と経済改革を進めなければならない。このことは日本企業にとって間違いなく大きなチャンスとなる。このタイミングでドタバタの工場移転は決して得策ではない。

米中関係がぎくしゃくするなかで、日中関係が改善する方向へ動いているのは日本企業にとって一番の朗

報かもしれない。アメリカが実施する制裁関税は、日本企業の中国からの輸出にとりコスト増になるが、中国は日本企業の中国離れを危惧しており、引きとどめるためには、さらなる優遇措置を講じる可能性がある。そのうえ、今まで消極的だった知的財産権保護も大きく前進するかもしれない。結論的に言えば、日本企業は米中貿易戦争をきっかけに、asset reallocationを含む新たなグローバル戦略を考案することが重要である。

柯 隆(カ リュウ/Ke Long) ● 著者Profile

富士通総研経済研究所 客員研究員中国南京市生まれ。1988年来日。92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。長銀総合研究所を経て富士通総研経済研究所主任研究員、2006年より主席研究員、2018年4月より客員研究員。現在、東京財団政策研究所主席研究員、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授兼務。主な著書に『中国「強国復権」の条件──「一帯一路」の大望とリスク』(慶應義塾大学出版会、2018年)、『中国の不良債権問題──高成長と非効率のはざまで』(日本経済新聞出版社、2007年)など多数

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