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1 ICOSA ミャンマー研修 監事 石井政夫 12 月 1 日より 10 日までのミャンマーの視察がベトナム、バングラデシュに続く 3 回目の視察 になります。飽和しつつあるタイ、中国、ベトナムに続くアジアの生産基地をどの国にするかが 課題になっています。米中貿易摩擦などの要因で世界の生産基地だった中国や次の投資先を探 す韓国、欧州が機会を狙い、選択の幅を絞っています。この中で人口ボーナスの終了が 2060 年 代のインド、フィリピンに続き終了年が 2050 年代のバングラデシュと並ぶ優位性を持つミャン マーの可能性が見られたことが今回の視察の大きな成果でした。 1、成長エネルギーの人口ピラミッド ミャンマーの人口はこの 30 年で 1300 万人増加し、人口ピラミッドから推定すれば人口ボー ナス終了の 2050 年までの今後 30 年間に約 800 万人増加する(2040 年から減少)と推定されま す。現在 5440 万人ですので、2050 年の人口は 6240 万人強と想定されます。2050 年の日本の人 口推定は 1 億人と言われていますが、ミャンマーの人口はそのころおそらく、インド(16 億 3920 万)、インドネシア(3 億 3090 万)、パキスタン(3 億 3800 万)、バングラデシュ(1 億 9260 万)、 フィリピン(1 億 4450 万)に次いでタイ(6594 万)と同程度になるのでしょう。 2、インフラの遅れ 視察中にも停電が何回かありました。電力網が成長に追いつかない発展途上国の特徴があり ます。交通網も渋滞はともかく高速道路の整備が急務です。港湾も遠目で見た感じではヤンゴン 港の荷下ろし用のガントリー・クレーンも数が少なく、河川港が多く水深が浅そうに見えました。 ダウェやモーラミャンの深耕港の整備が急がれます。インド、欧州へ向けのアンダマン海の海路 やタイ、中国、ベトナムへの陸の物流拠点としての地位確保のためにも整備が必要です。マンダ レーのミョータ工業団地の説明では千トンくらいの船舶を使いフロート式河川港から深耕港に 繋げる構想を聞きました。 3、工業団地の充足度 今回、ヤンゴンで 3 か所、マンダレーで 2 か所の工業団地を見ました。ヤンゴンの日本が関係 したミンガラドン、ティラワの 2 か所はいずれも整備されていて日系企業は無停電装置を導入 するなど電力対策はできていました。マンダレーのミョータは膨大な構想の下、進出が始まった ことは視察できましたが、まだ時間がかかりそうです。ヤンゴンの南ダゴンやマンダレーの工業 団地は老朽化が激しく、取り付け道路整備や下水道の整備が行き届いていませんでした。 4、終末製品、部品の生産基地としての発展 70 年代に台湾、韓国に生産が移管された電気部品や綿製品は 90 年代にタイ、中国に移ってい きました。2000 年代にはベトナム、インドネシアでした。これからはミャンマーなどで生産が おこなわれます。日系 2 企業はいずれもトランスやコイル、釣り針、データの打ち込みなどの作 業をしていました。今後は終末製品の生産で若い女性を必要とし、投資額の少ない産業が進出す るでしょう。地場産業も成長する企業はまず終末製品を手掛け、徐々に技術力を蓄積していくで しょう。SDGs は進んでいませんでしたがリサイクル活動の動きは視察できました。 5、観光資源 ヤンゴンのシュエダゴン・パコダやヤンゴン日本人墓地などに行きました。バカンのパコダや 日の出、日没も見ました。ヤンゴンからバカンの間で国内航空が途中の HEHO 空港を経由するこ とを知らず飛行機を降りてしまったのは今回の視察の最大の失態でした。観光地には多様な外 国人が来ていてマナーを守ろうという表示がありましたが破られていたのが気になりました。 世界遺産としての今後の課題です。

ICOSA ミャンマー研修€¦ · レーのミョータ工業団地の説明では千トンくらいの船舶を使いフロート式河川港から深耕港に 繋げる構想を聞きました。

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Page 1: ICOSA ミャンマー研修€¦ · レーのミョータ工業団地の説明では千トンくらいの船舶を使いフロート式河川港から深耕港に 繋げる構想を聞きました。

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ICOSAミャンマー研修 監事 石井政夫

12月 1日より 10日までのミャンマーの視察がベトナム、バングラデシュに続く 3回目の視察

になります。飽和しつつあるタイ、中国、ベトナムに続くアジアの生産基地をどの国にするかが

課題になっています。米中貿易摩擦などの要因で世界の生産基地だった中国や次の投資先を探

す韓国、欧州が機会を狙い、選択の幅を絞っています。この中で人口ボーナスの終了が 2060 年

代のインド、フィリピンに続き終了年が 2050年代のバングラデシュと並ぶ優位性を持つミャン

マーの可能性が見られたことが今回の視察の大きな成果でした。

1、 成長エネルギーの人口ピラミッド

ミャンマーの人口はこの 30 年で 1300 万人増加し、人口ピラミッドから推定すれば人口ボー

ナス終了の 2050 年までの今後 30 年間に約 800 万人増加する(2040 年から減少)と推定されま

す。現在 5440万人ですので、2050年の人口は 6240万人強と想定されます。2050年の日本の人

口推定は 1億人と言われていますが、ミャンマーの人口はそのころおそらく、インド(16億 3920

万)、インドネシア(3 億 3090 万)、パキスタン(3 億 3800 万)、バングラデシュ(1 億 9260 万)、

フィリピン(1億 4450万)に次いでタイ(6594万)と同程度になるのでしょう。

2、 インフラの遅れ

視察中にも停電が何回かありました。電力網が成長に追いつかない発展途上国の特徴があり

ます。交通網も渋滞はともかく高速道路の整備が急務です。港湾も遠目で見た感じではヤンゴン

港の荷下ろし用のガントリー・クレーンも数が少なく、河川港が多く水深が浅そうに見えました。

ダウェやモーラミャンの深耕港の整備が急がれます。インド、欧州へ向けのアンダマン海の海路

やタイ、中国、ベトナムへの陸の物流拠点としての地位確保のためにも整備が必要です。マンダ

レーのミョータ工業団地の説明では千トンくらいの船舶を使いフロート式河川港から深耕港に

繋げる構想を聞きました。

3、 工業団地の充足度

今回、ヤンゴンで 3か所、マンダレーで 2か所の工業団地を見ました。ヤンゴンの日本が関係

したミンガラドン、ティラワの 2 か所はいずれも整備されていて日系企業は無停電装置を導入

するなど電力対策はできていました。マンダレーのミョータは膨大な構想の下、進出が始まった

ことは視察できましたが、まだ時間がかかりそうです。ヤンゴンの南ダゴンやマンダレーの工業

団地は老朽化が激しく、取り付け道路整備や下水道の整備が行き届いていませんでした。

4、 終末製品、部品の生産基地としての発展

70年代に台湾、韓国に生産が移管された電気部品や綿製品は 90年代にタイ、中国に移ってい

きました。2000 年代にはベトナム、インドネシアでした。これからはミャンマーなどで生産が

おこなわれます。日系 2企業はいずれもトランスやコイル、釣り針、データの打ち込みなどの作

業をしていました。今後は終末製品の生産で若い女性を必要とし、投資額の少ない産業が進出す

るでしょう。地場産業も成長する企業はまず終末製品を手掛け、徐々に技術力を蓄積していくで

しょう。SDGsは進んでいませんでしたがリサイクル活動の動きは視察できました。

5、 観光資源

ヤンゴンのシュエダゴン・パコダやヤンゴン日本人墓地などに行きました。バカンのパコダや

日の出、日没も見ました。ヤンゴンからバカンの間で国内航空が途中の HEHO 空港を経由するこ

とを知らず飛行機を降りてしまったのは今回の視察の最大の失態でした。観光地には多様な外

国人が来ていてマナーを守ろうという表示がありましたが破られていたのが気になりました。

世界遺産としての今後の課題です。

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6、 日本語学校の見学

SANKOUと J-SATの 2か所の日本語学校を視察しました。SANKOUは 1年間で男女 300名ずつ教

育する日本語学校で実践教育を見せてもらいました。校庭での整列や体操、個人別発声など野球

部の選手のようなことを行っていました。また、ごみの分別、寮生活を想定した料理教室などは

興味をひかれました。日本文化を理解させることに時間を割いていました。J-SAT はミャンマ

ーに進出している日系企業従業員向けに日本語や文化を教育して派遣する企業でした。私の顧

問先もお世話になっています。実習先として系列のさくらタワーで教育をして満足度を上げて

います。

7、 ホテルと治安の関係

ヤンゴン、マンダレー、バカンとホテルはよく整備されていました。海外はシャワーが多いこ

とで特に問題はありませんでした。毎朝、1時間散歩をしますが、マンダレーでは道路の舗装状

態が悪く砂埃で長く歩けませんでした。バカンはリゾートホテル内を散歩しました。治安は安全

でヤンゴンでは毎日ホテルから離れて問題なく散歩が出来ました。公園では人々がダンスや体

操をしていたことで生活の余裕が見て取れました。ホテルのマッサージは 1時間 20ドルでした

が、市内では半額くらいでした。ゴルフ場も 5 千円~1 万円+CDF20$でできます。見た目はよ

く整備されていました。

8、 ショッピングセンターでの買い物

ヤンゴン市内には 2013年にオープンした 270店舗もあるジャンクション・スクエアでショッ

トバーの席が空くのを利用し見学をしました。あらゆる物があり、また安かったです。店で焼酎

を購入し、バーに持ち込みましたが問題ありませんでした。ヤンゴンではもう 1か所見学し、ベ

ランダでビールを飲みましたが安かったです。総じて物価が安く、店は新しく快適なのが魅力で

す。当然トイレもきれいでした。ビールは 250円前後でした。只、市内の店舗の多くは伝統的で

すが。

9、 食事と飲酒

昼食、夕食ともキンキントラベラーズが吟味して選定してくれたことがわかる内容でした。ど

こも日本人が十分おいしく食べられるレストランでした。夜はヘリバ―で飲んだがまだ安かっ

たです。若者が夜遅くまで数千円を使って飲んでいるのを見ると、数年で値段が高くなるのがわ

かります。それだけ所得が増え(月 4~5 万円)て、可処分所得が増加しているということでしょ

う。

10、 総括

渡航前はさほど成長が感じられないのではないかと想定していましたが、その予測は見事に

はずれ、すでに成長過程に入っていることがよく分かりました。私は、工業省中小企業振興局 Aye

Aye Win 局長に対し、2020 年の GDP の伸びが予想通り 7.1%であれば、「今後 10 年で 15%に達

し、各国からの投資が制限なく行われる」のではないかとお話ししました。此れは過去の例から

の推測でしたが、アジアでの優位性を背景に考えればミャンマー投資は最後のチャンスの局面

に差し掛かったのかもしれません。

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知られざるマンダレー 開発進むミャンマー第 2の都市

「アジア最後のフロンティア」として注目を

集めてきたミヤンマー。マンダレー市は、ミャ

ンマーの中央に位置し、ビルマ最後の王朝が存

在した都市である。マンダレーは、中国とイン

ドをつなぐアジアの東西回廊上に位置し、外国

企業の進出を期待してマンダレー・ミョータ工

業団地の開発が進んでいる。そのビッグプロジ

ェクトの構想力に驚かされつつも、将来どのよ

うに変わっていくか楽しみにて注目したい。

ミョータ工業団地は、開発予定の総面積が

4,400ヘクタールと、ミャンマー最大級の

規模になっている。マンダレー・ミョータ工業

開発社(MMID)が開発しており、シンガポール

の Singapore Institute of Planners(SIP)が

デザインを担当している。最終的には、基礎産

業のほか、伝統産業、ハイテク、サービス業な

どを誘致し、学校・病院・ホテルなどを有する、

25万人が居住する一大工業都市となる計画

である。

ミョータ工業団地の最大の強みは、ミャンマ

ーの物流ハブであるマンダレーに直接距離で

58キロと近いことである。マンダレーは、ア

ジアハイウエイ1号線、2号線、14号線の途

上に位置する。また、中国=ミャンマー国境(ムセ)からインド洋(チャオピュー深海港)を結

ぶ道路と、マンダレー=ヤンゴンを結ぶ道路の交差上にあり、物流の要衝となっている。陸路輸

送では、南下すれば首都ネピドーを通ってヤンゴンに到着し、北に行けば中国、東に行けばタイ、

西に出ればインドへと出荷可能であり、この地理的優位性を生かした物流ハブとしてのポテン

シャルが高い。

マンダレー空港も、同工業団地から33.5キロ、車で1時間程度の距離である。現在、ミョ

ータ工業団地から同空港へはバイパス道路の整備が行われており、その道路はヤンゴンーマン

ダレー高速道路へもつながる。完工すれば、空港までの時間は20分に短縮される。

水上輸送については、工業団地から1

7.8キロの距離にエヤワディ川のセミコ

ン港がある。同港は、MMID社が201

7年 4月から整備しており、完工すれば、

ヤンゴン港まで 5 日かかっていた輸送が

2.5日に半減する見通しである。エヤワデ

ィ川は満潮と干潮の差で水深10メート

ルの差が出るため、フローティング・クレ

ーンが導入されている。

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ヤンゴンなどへの国内輸送、中国・タイ・

インド向け輸送で便利な立地に加え、工業

団地内インフラも比較的良好かつ、土地リ

ース価格・税制上も競争力がある等にて注

目されつつある。最近になって、複数の日

本企業が工場の建設候補地として訪問して

いるほか、米中貿易摩擦の影響で、中国に

工場を持っていた中国企業や欧米企業が視

察に来ている。輸出加工メーカー、農産品

加工・食品メーカーのほか、地理的な優位

性を利用した物流企業・商社などを中心に

今後も同工業団地に入居が進みそうであ

る。

中国と合弁のくつ工場「Longyear Shoes Factory」

中国と合弁の自動車工場「Gold AYA Car Assembly」

建設中の日系金属リサイクル工場「AIDA Amazing Co.,Ltd.」

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ミャンマー研修旅行に参加して 2020.01.10

野水俊夫

ICOSA の海外研修旅行は 2018 年のベトナムに次いで 2 回目の参加となります。前回同様、入

念に準備された日程で、息を抜く暇もなく、事業所を訪れ、話を聞き、質問をし、現場を見て歩

きました。帰国後はほっとして、何か書いておかなくてはと思いながら、年末ということもあり、

あっと言う間に新年を迎えてしまいました。

1. 中小企業家としての見地から

私は千葉県中小企業家同友会の代表理事を昨年から引き受けています。経営者と幹部を対象に、

『同友会大学』を開いています。13 講座で夕方 6 時からの 3 時間で、もちろん黒瀬先生にも登

壇願っています。今年は『高付加価値経営への転換』がテーマでした。

日本国内では、少子化が進み、新しく労働力年齢になる方が、減少してきています。また、働

き方改革ということで、時間外で不足する労働力をカバーすることもできない状況です。一人当

たりの労働生産性の向上が強く求められている状況です。また、資金需要が少ないために、金融

機関も借り手がなく困っています。金利は 1%を切る状況です。

□金融の面

ミャンマーでは予想していたこととはいえ、金利が高いことと、低賃金の若い方があふれんば

かりにいることに驚きました。お茶のウカカさんでは 13%という話が出て、若い女性工員は月

給 1万 5千円という説明も受けました。

個人的な高利貸、資産家による信用組合、信用金庫のような仕組みもできているのでしょうが、

お金の回る仕組みについてはどのようになっているのかとは思いました。後述のミョータ工業団

地の資金集めの方法は、資産家の活用として注目点と思います。

軍政から民主的政権に代わり、日が浅いわけですが、平和裏にいまの 7%程度の経済発展が進

むことを日本としても応援するべき時だと感じました。特に資金的に脆弱な社会では、人が担保

の金融がまかり通るので、第三者保証制度など、知りたいところでした。(日本もまだ 5 年前に

経営者保障のガイドラインができたところですが)

□会社と社員との関係性について

どのような関係性にあるのか知りたいところではありました。まだ、労働力が豊富にある状態

ですので、働く側は弱い立場にあり、会社側と対立する状況等は見られないのかもしれません。

単純労働の職場を見せてもらうことが多かったので、そこでは少しでも良い待遇のところにすぐ

に転職してしまうという声が多く聞かれました。

アースタムラさんでは昼夜 2交代の工場で 1000人からの社員が働いているが、エアコンが完

備されていることを社員定着の大きな魅力としているとのことでした。また、有給休暇は年間

40日という説明もありました。

□社員教育

愛社精神をもって長く務めるという考え方が定着していません。少しでも良い待遇があれば代

わりたいという考えが支配的。ティラワでは、事業者間の交流があり、日本の企業同士ではお互

いに引き抜きはしないような話はしているそうです。

□事業の継続性について

戦乱も多かった中で、今回訪問した地元企業では、50 年以上続いている事業所さんもみられ

ました。1928 年創業の製茶業のウカカさんは、現社長は 4 代目となり、説明をしてくれたチョ

ーさんは、創業者のひ孫にあたるということでした。日本でも 100年企業は食品関係に多いとい

われますが、共通するものを感じました。

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2. 工業団地運営者の立場として

私は千葉県白井市にある白井工業団地協議会の代表理事を 4 年勤めています。19ha の工業専

用地域で、300社近くの会社があり、7,000名の方々が働いています。そこに 230社が加盟して

協議会を組織して、親睦、市への要望と課題解決、労働基準監督署と連携しての安全講習会の実

施等を行っています。

今回は、いくつもの工業団地を見て回りました。また市内のお店の 2階が制服工場という会社

もありましたし、当然、街中の工場もありました。工業団地という域を超えて、広大な地域開発

の一部として進んでいるところもありました。見てきたことがどう生かせるか迄はいきませんが

参考にはなりました。

□見学した主な工業団地と会社名

① ミンガラドン工業団地 12月 2日 PM 空港から北へ 10キロ イイダエレクトロニクス

三井物産が 1990年代に開発したということだが、今は管理がどこまでされているのかと

いう状況。

② タゴン工業団地 12月 3日 AM アースタムラ

1994年に市街地の工場を移転させるために出来た。

道路は非常に傷んでおり、補修はされる見込みないように話していた。

インフラとしての交通網はなく、社員は各社のバスでの送迎で賄っている。アースタムラ

さんは 27台のバスを出して、社員の送迎に充てている

③ ティラワ開発区 12月 3日 PM ヤンゴン中心部から南へ 25キロ

2,400haの広大な開発地域 2019年 3月操業のスーパーホテルのレストランにて和食

Myanmar Japan Thilawa Development Ltd 2014年 1月設立

日本の民間企業 39%、JICA10%、ミャンマーの民間企業 41%ミャンマー政府 10%

管理委員会があり諸手続きがワンストップでできる仕組みを構築

管理事務所には、銀行、保険会社、医療機関が入居

現在の労働人口は 11,000人 10キロ圏内の家から通勤している

3万人を超えると住区が必要となる見込み

日本政府が橋を含めてサポートをしている。

④ マンダレー工業団地 12月 4日 AM 繊維工場とビスケット工場

1990年創業のビスケット工場。近辺は舗装もされておらず、インフラの継続的整備が課題

⑤ マンダレー・ミョータ工業団地 12月 5日 ゴルフ場も併設

マンダレー地方政府と開発会社の合弁事業 4400ha 2012年から農地を買収

富裕農家 160名を含む 1600人の投資家と 55%はライエン家が株主。

現在 10社が操業、33社が来年工場完成予定

3. ミャンマーの印象

朝暗いうちに街に散歩に出てみましたが、ヤンゴンでは危険な感じを受けませんでした。

托鉢に歩いている赤い衣装をまとった僧が入れ物を持ち歩いて、その人たちを待っているように、

食べ物を用意している方を通りでよく見かけました。

ヤンゴンの象徴のようなシュエダゴンパゴダは暗い中にも金色に輝いています。朝 6時ころ歩

いて行ってみましたが、多くの方々がお参りに来ていました。僧侶がお経を唱えており、人々は

次々にお参りしており、仏教が生活の中に生きていることを見ることができました。このパゴダ

はホテルのベランダからも見えるようになっています。市街地はこのパゴダが見えるように 8

階以上の建物の建築が規制されているそうです。

市内は、自転車やオートバイの通行規制があり、自動車は多いものの、クラクションのけたた

ましい響きに圧倒されるベトナムとは違って、落ち着いた印象を受けました。公園の緑も多く、

これから日本からの観光客も多くなるのではないかと思います。但し、ロヒンギャンへの弾圧が

欧米メディアに大きく取り上げられて、欧米からの観光客が減っているので、我々が行くような

外人向けのレストランはすいているということでした。

終わりに 和田先生の詳細なレポートを参照させていただきましたことを付記いたします。

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令和 2年 1月 10日

ミャンマーの起業家から得たもの

―日本人の起業家精神の復活に向けてー 津島 晃一

1. はじめに

今回、私にもっとも大きな興味を抱かせたのは発展著しいミャンマーの起業家たちだった。そ

して、彼らによって同行メンバーの経営者たちが強く刺激を受けた姿を見たが、それが私にとっ

て改めて起業家精神について考える契機となった。本レポートは、日本の起業家精神を如何にし

て高揚させるかを問題意識とし、その手がかりを探るために作成する。

2. 日本の起業の現状と仮説

中小企業白書 2019年版による日本の起業に関する主な問題は以下の 4点である。

① 起業を希望する者の減少

② 25歳以下の後継希望率の減少

③ 起業無関心者の割合が一貫して高水準

④ 国際比較で起業意識が相対的に低い

これらの問題に対して東洋大学の安田武彦教授は 2015年の論文で、起業家教育で起業家が増え

ると考えるのは絵空事だと指摘した上で、次の 2点を提唱している。

① 起業をありふれたものとする努力が必要

② 非起業家教育の強化と起業家体験の拡充

しかし、いずれも日本の政府としてあるいは小さな行政単位として取り組むには非常に難し

い課題である。誰かの起業家精神にもっと直接的な刺激を与える方法があるのではないだろう

か。その方法の 1つを今回見つけたのかも知れない。

ミャンマー国内では、未だ起業がありふれたものではないらしい。ただし、出会った起業家た

ちが起業家精神をたぎらせて企業を発展させている姿には、無条件で胸を打たれた。彼らミャン

マーの起業家たちが私たちに与えたものは何だったのだろうか。もしかしたら、日本の起業家育

成に必要な何かかも知れない。加えて、ミャンマーの起業家に出会うこと自体が起業家精神の発

揚に効果的なのかも知れない。

こうした仮説のもとに以下に分析を行う。まずは、著名な起業家論にもとづいたフレームを形

成し、ミャンマーの中小企業の置かれた現状を分析する。その上で今回収集したインタビューデ

ータの中から関係する箇所を抽出して整理する。

3. ミャンマーの起業家の分析

① 分析フレーム

『アントレプレナーシップ入門』(D.J. Storey、2004)によると、「ある特別の性質や性格を

持つ個人は、他の人々と比べて自営業者/中小企業のオーナー(起業家:筆者注)になりやすい」

という。起業家特有の性質や性格の中でも、Storey は、心理学の研究から得られた成果の中か

ら特に次の 2つに注目している。1つ目は、起業家の性格が楽観的であることである。この性格

には、物事を自分にとって都合よく考えることも含まれる。2つ目は、リスク愛好的であること

である。リスクを取る個人は起業家になることをより好むとされる。

この Storey が指摘する起業家の性格の特徴によって、ミャンマーで出会った起業家の分析を

行う。すなわち、それぞれの起業家の楽天的側面とリスク愛好家的側面を抽出して検討する。そ

の前に、ミャンマーにおける中小企業の置かれた現状を整理する。

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② ミャンマーの中小企業の現状

③ ミャンマーの起業家の特徴

A) 日系企業

現状 悲観的要因 想定されるリスク

電力不足 停電の頻発 自家発電によるコスト増

原材料の国内確保が困難 輸入への依存 輸入によるコスト増

知的財産権の軽視 模倣品の増加 ブランドが毀損される恐れ

基礎的な生産技術力不足 生産人材の獲得難人材育成・離職防止コスト負

海外の先進技術導入に遅れ 技術移転に時間を要す他国の企業に比し成長が遅れ

優秀な人材の海外流出 経営幹部候補の獲得難 経営幹部に要するコスト増

外国人による土地の買取禁止 不動産の資産価値が不安定 担保不足による資金難

優良な適地不足経済特区や工業団地の選択肢

が狭い進出への決断の遅れ

廃棄物管理が未整備 環境基準が不明確 摘発の予測が困難

中小企業政策の整備の遅れ 中小企業への優遇策が乏しい 大企業との競合で不利

進出企業の増加 競争の激化 売上利益の低迷

企業名・経営者名 楽観的側面 リスク愛好的側面

IIDA ELECTRONICS(MYANMAR)

CO., LTD.

藤井寛 Director

新事業の来年4月立ち上げで既存の

工場が埋まる予定(当初から広大

な工場を建設)

経験のない電子データ加工サービ

ス事業に進出済み、今後はコール

センター事業への進出を意図

MYANMAR SANKOU CO., LTD.

津田俊二 C.E.O

トータル的には中国人よりミャン

マー人の方が問題が少ない(10年

以上実績を積んだ中国からミャン

マーへ移転して4年目)

介護人材を求められて今年第1陣を

送り出す(介護人材に限り受入れ

企業から費用を徴収)

Earth Tamura Electronic

(Myanmar) Co., Ltd.

加藤一久 Managing Director

この工場では人材管理能力が商品

力になっており、むしろそれしか

ない(低賃金を最大の武器として

戦略化)

EMSなど本業の電気関係とは全く

異分野の釣り糸加工に進出

RK YANGON STEEL CO., LTD.

Shin Kim Team Leader

・“半歩先”の勇気と決断(森田良幸

会長

:https://www.youtube.com/watch

?v=gtVBw8zLTp8)、大手が出る前

に進出する戦略だがまだ赤字

・近隣の工科大学で会長が講演し

多数の学生を採用

・ミャンマー国内の要求水準は日

本国内より低く、ミルシートで中

国製と差別化し価格を1割高く設定

・大阪本社からの派遣の6名は全員

が20代

株式会社ジェイサット

西垣充代表取締役 森川晃ゼネラ

ルマネージャー

・’98年ミャンマーで広告代理店で

創業したが軍政およびアメリカ経

済制裁時代は日本企業が大幅に減

少するもテレビ番組制作で乗り切

・現在は日本企業へN3レベルの大

卒人材のみ紹介が事業の中心

・技能実習生や特定技能外国人は

扱わず高度外国人材に特化

・一人2800ドルの授業料は入学時

に徴収せず求人票が来た時と日本

への渡航前に半分ずつ徴収

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B) ミャンマー企業

C) 中国系企業

企業名・経営者名 楽観的側面 リスク愛好的側面

ZALATWAH BISCUITS

U Khin Maung Hia C.E.O

食品関係は永遠に続けられると思い

参入した

ISO9000sを取得予定でそのために

工場を改修している

Lay Mon Garment Factory School

Uniform

Daw Lay Lay Mon Managing

Director

今後は事業を拡大し教員や会社の制

服にも進出したい大学教員を辞めて母親の後を継いだ

U Kar Ka

Kyaw C.FO

商品作りに特有のレシピなど企業秘

密のようなものはなく、社長による

材料の目利きと仕入れ価格の判断が

商品力の決め手

販売がミャンマーの地方に偏ってい

るが都市部に拡大し、米国のミャン

マーコミュニテーでのブームを他の

国に拡大したい

MANDALAY MYOTHA

INDUSTRIAL DEVELOPMENT

PUBLIC CO., LTD.

Dr. Tun Tun Aung(洪世能)

Managing Director

・将来的に22万人の雇用創出で貧困

の撲滅が目標

・洪ファミリー(オーナー一族)で

全株の55%所有、他は公募で現在

1600人の株主

・ミャンマー初の官民一体の大規模

開発

・資金調達は総額7千億ドルに上る

予定

C.I.S Group of Companies

Aye Aye Mu General Manager

・紙の業界でリーディングカンパ

ニーになりたい

・ヤンゴンの労働者は長期の継続雇

用を好まないので雇用契約は結ばな

い ・最低賃金は毎年上がるが、ヤ

ンゴン市内の賃金はそれ以上に上昇

する

・今後国内の紙の需要は増大してい

・短期の労働力はヤンゴン市内に17

ある移動型労働者の斡旋機関に依存

している

・従業員は少し技術を取得すると転

職する

Wa-Minn Group

Myint Wai会長

・自分は日本で学んだので日本のや

り方で経営している

・日本との合弁事業では技術と資金

を期待した

・省エネ技術はあまり求められてお

らず生産の増大が優先

・大気汚染についてはあまり信じて

いない

企業名・経営者名 楽観的側面 リスク愛好的側面

CYT INDUSTRIAL LIMITED

U Tun Naing Managing Director

・自社製品の品質が中国製に近づい

てきている

・材料購入のため農家へは現金払い

で売掛金回収は遅れる

・これまで中国企業所有の2工場を

買収して拡張してきた

・政府系の金融機関から常に借入が

あり金利は13%

Gold AYA Car Assembly

電気自動車工場の予定だったが、政

府の電力政策が不明のため現状はエ

ンジン車を製造

ミャンマー南部地区へのスズキ、ト

ヨタの進出に対抗

Longyear Shoes Factory 人材は簡単に集まる現在従業員が500名以上だが義務づ

けられている看護師は不在

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4

4. 考察

ミャンマーで出会った起業家たちには、例外なく楽観的側面とリスク愛好的側面と見做され

る発言が確認できた。それは、彼らの国籍、企業の資本構成、立地する地域、性別などに関係な

く認められた。彼ら起業家の楽観的側面とリスク愛好的側面に接することで、同行メンバーであ

る日本の経営者が強い刺激を受けたと考えられる。

ただし、こうした背景には、ミャンマー経済がこれから大きく飛躍する可能性があることも見

過ごせない。ミャンマーの起業家たちには、国の経済発展に対する期待以上の確信が感じられた。

起業家たちの明るい予測が、彼らをより楽観的にしかつリスク愛好的にしているのは間違いな

い。

黒瀬先生によると、こうした国の雰囲気はかつての日本の高度成長期にもあったもので、当時

はその雰囲気によって多くの起業家が誕生したという。残念ながら、現在の日本ではかつてのよ

うな経済成長への期待は持ち得ない。ならば日本国内で起業家が楽観的かつリスク愛好的にな

ることが至極難しいのは当然であろう。

一方で、ミャンマーのようなこれから発展する国の起業家と日本の経営者が出会えば、日本の

起業が活発化する可能性があるのではないだろうか。さらには、日本国内にいる起業無関心者と

呼ばれる人々に、ミャンマーのような将来性豊かな国に目を向けさせることが出来れば、少しは

起業への関心を持つ層が増えるかも知れない。

日本では、大企業が、ネタ探しの段階から自社の新規事業を外部へ丸投げする事態が起こって

いる。こうした事態は、起業そのものへの無力感や新規事業開発への無気力な姿勢を示している。

まさに、日本の経済の 1つの深刻な危機である。こうしたことが続けば、日本の経済力が低下し

ていくのに歯止めがきかなくなる。今一度、起業家精神をいかに発揚させていくかを真剣に考え

なければならない時期に来ている。

この度、ミャンマーの起業家たちと出会えたことで一縷の望みが持てたと感じた。それは、日

本人の起業家精神の後退という深刻な事態を改善する可能性が見えたことである。今後の ICOSA

の活動としても、ミャンマーなどの大きな可能性を持った国の起業家と日本の経営者とを結び

つける役割が重要であろう。

以上

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1

ミャンマー研修旅行を終えて

― リーダーたちの顔 - 2020年1月14日

川浪年子

今回の研修旅行で私が出発前から興味を持っていたのは、訪問するミャンマーの企業経営者た

ちがどんな顔立ちの方々であるかという点であった。今日までどのような道を歩んで来られた

のか、どのような困難を乗り越えて来られたのか、ミャンマーにはどのように貢献されて来ら

れたのか、どのようなタイプのリーダーであるのか、そしてこれからのビジョンはどんなもの

なのか等々、実際にお会いして、自分の目で確かめてみたいことがいくつもあった。

その昔、アメリカの16代大統領、エイブラハム・リンカーンが「男は40歳を過ぎたら、自

分の顔に責任を持て」と言ったそうだが、今の時代、この名言は当然女性にもあてはまるであ

ろう。事実、我々が訪問した企業の経営者たちは、それぞれが、年齢、性別にかかわらず、内

面にある人間性と、これまでの生き様がにじみ出ているような、魅力ある顔立ちをされてい

た。自分で起業したにせよ、親から引き継いだ事業であるにせよ、彼らの道のりは決して順風

満帆ではなかったはずだ。厳しいミャンマーの環境下で、必死になって努力し、働いて来たに

違いない。普通に考えれば、鬼のような面相をしていてもおかしくないと思うが、各々が、生

い立ちにかかわらず、優しく、イキイキとした精悍な顔立ちであった。と同時に何ものにも屈

せず、立ち向かって行く鋭い気迫も感じさせてくれた。

更に、お会いした経営者たちが、私を快く驚かせてくれたのは、ひとりひとりが、私の期待以

上に、「第5水準のリーダー」であったことである。「第5水準のリーダー」というのは、数

えきれないほど存在する リーダーシップ概念の中で、私が長年もっとも魅せられており、若い

リーダーたちに紹介し続けている「Level 5 Leadership」という理論である。2001年にア

メリカの経営コンサルタント、ジェームズ・コリンズ が、『ビジョナリー・カンパニー② 飛

躍の法則』という本の中で、飛躍する企業の法則としてまとめ、発表したものである。

この本の中でコリンズは、偉大な実績を生み出し続ける企業はすべて、決定的な転換の時期に

優れた経営幹部の存在があったことを指摘しており、彼らを「第5水準のリーダー」と名付

け、リーダーシップの要素として以下の特徴を挙げている。

・個人としての謙虚さと職業人としての意思の強さを併せ持つ

・野心は何よりも会社に向けられていて、自分個人には向けられていない

・次の世代でさらに偉大な成功を収められるように後継者を選ぶ

・成功を収めたときには窓の外を見て、結果が悪かったときには鏡を見る

理想的なリーダーというと、一般的にはカリスマ的な力でメンバーを強く引っ張っていく華々

しいイメージがあり、またそういうリーダーばかりがメディア等で頻繁に取り上げられてきた

が、この本の中でジェームズ・コリンズが挙げている第5水準のリーダーはそうではなく、地

味で目立たない存在として描かれている。反面、会社の発展に対しては飽くなき野心を抱いて

おり、その目標の実現のためにはあらゆる困難に立ち向かう強い意志と的確な判断でメンバー

を導いて行くリーダーシップのことである。

ミャンマーで我々が訪ねた経営者たちの顔立ちは、正に「第5水準のリーダー」そのもので、

個人としての謙虚さと経営者としての強い意志を感じさせてくれた。

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2

もう一つ、「第5水準の経営者」の要素としてジム・コリンズが提唱しているのは、「針鼠の

概念」である。これは、『ハリネズミとキツネ』という古代ギリシャの寓話から考えられた概

念であり、キツネよりもはるかに非力なハリネズミが、唯一の武器である全身の棘で、強力な

外敵からの攻撃に打ち勝つことが出来るという話で、これに伴い、ビジネスの世界において

も、他社に絶対に負けないような、以下の 3つの特徴を持った事業を展開することが大切であ

るとしている。

1)情熱を持って取り組めるもの

2)自社が世界一になれるもの

3)経済的原動力になれるもの

これら三つの点においても、訪問したそれぞれの企業が、見事に自社の強みを認識しており、

自社の将来像を明確に描いていることに感動を覚えた。

以下が私に「第5水準のリーダーシップ」を思い出させてくれたリーダーたちである。

訪問日 訪問先 お会いした経営者

12月4日 Za Lat War Biscuit Factory Mr. Khin Maung Hla

4日 Lay Mon Garment Factory Ms. Lay Lay Mon

6日 C.I.S Group of Companies Ms. Aye Aye Mu

6日 Wa Minn Group of Companies Mr. Myint Wai

12月4日に訪れた Za Lat War Biscuit Factory の Khin Maung Hla 社長は、マンダレー工

業団地の管理委員会委員長も兼ねている、立派な経営者であった。仏教に基づく安息日である

にも拘わらず、我々のために操業してくれ、心から歓迎してくれているという印象を受けた。

応接間での質疑応答でも、ひとり一人の質問に真剣に耳を傾けてくれている彼の温かい人柄が

顔いっぱいに表れていた。

同じ日に訪問した Lay Mon Garment Factory では大勢の従業員が店の前で私たちを出迎えてく

れた。20年前まではマンダレー大学の数学の教授だった Lay Lay Mon 社長は、父の跡を継

ぎ、ミシン3台の零細企業を工場二か所、ミシン75台という中小企業に発展させてきた女性

経営者である。常にほほ笑みを絶やさず、スタッフの育成に情熱を注ぎ、デザインは学校から

のニーズに基づき、スタッフからの提案を重視しているという、正にロールモデルと言えるよ

うな経営者であった。引退した両親を大切にしながら、「銀行からの借金はしない」という彼

らの教えを忠実に守る一方、資金が貯まるまで事業を拡大できないという側面に悩みもしてい

る。ますます発展して欲しいと祈らずにはいられない顔立ちであった。

12月6日に訪問した C.I.S Group of Companies は C.I.S Printing Press Co. Ltd.、

Construction Installation Service Co. Ltd ,そして Taw Win Myint Mo Co., Ltd. の 3社か

ら成り立っている。Aye Aye Mu 副社長はミャンマーの女性経営者を代表する一人であり、ミャ

ンマーAOTS同窓会の副会長でもある。TWWM & C.I.S Co. は 1985年にご主人と二人で、輸入紙

の販売と輸入紙取扱い商社として創業した。社長はご主人であるが、生産や営業は、Aye Aye

Mu 氏が担当しているとのことであった。承継に関する質問が出た際、息子はダンサーになって

いるので、タイで MBAを取得した娘が継ぐことになっているという話をされ、我々の間には多

少の驚きの雰囲気が流れたが、一方では子供に好きな道を選ばせたという点が、実に立派であ

ると思った。

将来のビジョンとして、「紙のトレーディング業界及び関連ビジネスにおいて、リーディン

グ・カンパニーになること」を明確に打ち出していた。加えて、Mission や Value も簡潔にク

リアに述べている点が、「針鼠の概念」を思い出させてくれた。

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12月6日の昼食前に訪問した Wa Minn Group の Myint Wai 会長は戦後のミャンマーから初

めて日本へ留学した一人であった。大阪外語大で 1年日本語を学び、東工大に入学して経営工

学科を卒業し、そのあと AOTS研修生として東芝で 1年間の研修を終え帰国した。更に、帰国後

ミャンマー日本留学生会(MAJA)会長として長年日緬親善に努め、日本政府から旭日小綬章を受

章している。日本の中古車の輸入販売、チーク材の輸出、金鉱山の開発から始め、現在は、縫

製、ステンレス製品、琺瑯製品、モーター、トイレの浄化槽の製造や、建物のメンテナンス、

ソーラー・ELD事業など様々な業種が合併して多角的経営を営む企業の会長である。彼の人材

育成にかける情熱も半端ではない。500人の従業員のうち、すでに20名を日本での研修に

送り込んでいる。彼の顔に表れていた 一本、一本の皺が、並大抵の努力では実らなかったであ

ろう現在の成功を物語っているようであった。

ミャンマー人の経営者に加えて、今回の旅行でお会いした 日本人の経営者お三方は、海外進出

の成功事例であるという強烈な印象を与えてくれた。

まず、到着した翌日、12月2日に訪問した Myanmar Sankou 日本語学校の津田俊二 CEOか

ら、ミャンマー人技能実習生の派遣前研修について説明を受けたが、校内を見学する中で、生

徒がみな、燃えるような情熱と若さで研修を受けている姿に感心した。津田氏は経歴も非常に

ユニークで興味深かった。元々中国で食品加工業をやっていたが、外国人を使い始めたことが

きっかけで、紆余曲折を経た結果、2015年にマンダレーで工業省の学校を作り、それ以来人材

教育事業へ転換したとお聞きした。ミャンマーと日本との違いを基に、独自の教育訓練方式を

工夫しながら、今日に至っているというお話では、意気込みの違いがひしひしと伝わってき

た。

12月5日の夕食に行ったヤンゴンの日本料理店「華味鶏」では、幸運にも トリゼンフーズ会

長の河津善博氏が来緬されており、海外進出事例の見本となるようなお話を伺うことができ

た。日本の店舗で経験を積んだミャンマー人を信頼し、経営を任せ、昨年2月に開店に至った

経験をシェアしていただいた中で、特に印象に残ったことが二つある。まず、河津会長が、ミ

ャンマーの孤児救済運動に昔から参加していたことがきっかけでミャンマーでの「華味鶏」の

開店を考えたという点である。彼がミャンマーの子供たちの目が丸くてキラキラしているのに

感動したという話をされた時、河津社長の目も輝いているように感じた。

二つ目は、開店当時、博多本店でパート従業員であった 小江仁子さんを女将として抜擢したこ

とである。海外で仕事がしたいという小江さんの希望を聞き入れ、直ちにチャレンジさせる決

定は、懐が大きな経営者でない限り、簡単にはできないであろう。小江さんがレストランの従

業員たちに、次々と日本流のおもてなしを教え込み、日夜工夫を凝らして女将の役割を担って

いる姿を、河津社長は来緬のたびに、温かく見守っているに違いないと感じた。

12月7日に訪問した J-SAT グループ の 西垣 充 代表もミャンマーに進出して成功している

日本人経営者の一人であろう。彼は 1996年、日本の大手コンサル会社を退職して以来、今日ま

でミャンマーに 23年もの長い間暮らしている。進出の日系企業が人材確保で悩んでいることを

知り、次第に日本企業に人材を紹介する事業に専念することになったという。日本語の学習だ

けではなく、日本文化とミャンマー文化の違いを生徒たちに理解させることをメインにした適

切な研修を行い、日系企業で働ける人材を数多く育成し、日本に供給している。今でこそ、ミ

ャンマーでもっとも成功している人材派遣会社になったが、当初の苦労は相当なものであった

ようだ。石の上にも三年どころか、23年もの長い間、ひたすら頑張って来られた忍耐が温厚な

お顔に表れていた。

今回の研修を通して私は、優れたリーダーたちは、年齢、性別、国籍等に拘わらず、共通した

凛々しい顔立ちをしていることを確認した。未来を信じ、現実を直視し、適切な人材を選び、

リスクを恐れず、常に情熱と向上心を持って事業を展開させて行く勇気、そんな彼らのリーダ

ーシップが、訪れた我々を大いに叱咤激励してくれた。と同時に、ICOSA の一員として、今

後、ミャンマーに寄与できることがあれば、是非とも参加したいという思いで一杯になった。

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2020/01/25 ミャンマー報告会(兼村)

昨年末、参加したミャンマー研修旅行につき、現地調査にもとづく「ミャンマーの中小企業」

については紙面の制約もあり別の機会に譲るとして、ここではそのなかで特に印象に残った企業、

そこからの「気づき」を中心に述べたい。

① 外国人による現地スタッフへの指導・教育(スーパーホテルミャンマー・ヤンゴン・ガバエロード)

最初に取り上げるのは同ホテルで、ここには研修旅行の前、個人的に訪問した。同ホテルはテ

ィワラのホテルに先立ち、スーパーホテルとしてはタイ、ベトナム(2つ)に続いて 4番目の海

外拠点である(2015年 11月オープン)。同グループは 2013年よりアジア進出を進め、ミャンマ

ーについても民主化の進展等により、外資の投資が急増しホテル需要はさらに高まると判断して

の決断であった。この見通しの通り、多くは日本人・企業に利用されているが、現地の責任者(支

配人)は日本で 6年、タイで 2年の経験を積んだ中国人が務めている。それ以外のスタッフも全

てミャンマー人であり、日本的サービス(おもてなし)が求められるホテル業にも係らず、立ち

上げ当初から日本人駐在員はゼロである。

それでも顧客から支持されているのは支配人の従業員教育による。支配人によれば、日本のサ

ービスは日本人が共通してもつ「常識」の上になりたっている。しかし現地従業員にはそれがわ

からず、いきなり日本と同じサービスを求めても無理である。そのため、サービス以前の教育が

必要と判断し、支配人自ら、自身の経験に基づいた教育を実施している。「自分も外国人、昔は

わからなかったが、やればここまでできる」と自分自身の変化を説明している。これは日本人で

はできない、外国人ならではの指導・教育であり、従業員の定着と経験の蓄積、サービス向上に

つながっている。具体的には 1ヶ月 1回面談を実施、従業員から話を聞く機会をつくる、積極的

に声掛けを行うなど人間関係づくりを重視しているという。また副支配人はミャンマー人だが、

日本で研修を受けた女性をおいている。彼女は現地人への通訳者としての役割も果たすとともに、

従業員の母親的な存在となり、良き相談相手になっている。日本の「常識」がわからなかった外

国人こそ指導・教育者としての適性が高いといえるかもしれない。

② 新事業展開の可能性(RK YANGON STEEL CO., LTD)

同社は大阪の鉄鋼商社(従業員 15 名)会長の個人出資として 2016 年に創業した。海外に 4

ヶ国目の拠点であり、先行したベトナム(ハノイ)では 30 年の歴史を有している。各拠点とも

日本と同様、鉄鋼材料の卸売だが、このミャンマーだけは他国では手掛けない鋼材加工業(コイ

ルセンター)を実施している。理由は、加工業まで広げればより多くの利益を獲得できることに

加え、ミャンマーには日本やタイではみられる加工業者の進出がないこと、他国で彼らは同社の

顧客にあたるが、その顧客に気兼ねする必要なく進出できることがある。このようにミャンマー

では「未充足な需要」が残されており、中小企業が新事業展開に取り組むにあたって良好な環境

と言える。

但し、新事業(加工業)のゆえ、技術の獲得が必要である。この点について、同社は技能実習

制度でこの技術を日本で勉強したベトナム人を活用している。技能実習生のなかには帰国後、そ

の技術を活かす仕事に就いていない場合が少なくなく、満足な報酬も得られていない。そこで同

社は日本の仕入先に勤務していたベトナム人を採用し、技能実習時に近い給料で雇用している。

これにより彼らも満足でき、当社も人材育成にかかるコストを抑えながら新技術の獲得ができる。

これが可能になるのも、ミャンマーではベトナムやタイで求められるほど高い加工技術が要求さ

れないということもある。

前記したようにミャンマーには日本製鋼板の加工品を扱う業者はないが、中国製との競合はあ

り、価格で 10%負ける。しかし原価に占める鋼板費の割合が低い分野、そして品質(安全性)

が求められる分野(非常階段向けなど)や輸出(外需)向けでは日本製が使われている。これら

の分野では品質保証書が必要になり、中国製にはそれがないからである。現在、手掛けるのは国

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内で需要拡大するインフラ向けの厚物(1.2㍉以上)が中心だが、自動車・電気など加工組立産

業の現地生産の拡大に合わせて、より付加価値の大きい薄物(1.2㍉未満)に進出する予定であ

る。

このように「未充足な需要」に対して、自社にとって経験のない新分野で必要な技術をもたな

い企業でも進出をみせている。但し、これには前提条件もある。チャンスがありながら他社の進

出がみられないのは足下の需要規模では採算が合わないからである。したがって、現状では「持

ち出し」となり、採算の乗る規模になるまで耐えられるか否かということがポイントになる。同

社の場合、ベトナムでの蓄積が大いに役立っているというが、このようにチャンスがあるからと

いって、全ての企業がこれを獲得できるわけではく、一定の資本力が必要にある。

今回の訪問先のうち IIDA Electronics (MYANMAR) Co. LTD も新事業分野に進出していた。本

業は電子部品の生産だが、新事業はこれとは全く関係のないデータ入力サービスであった。日本

から受注し、多くのワーカーを使って現地で入力、それをデータで日本に送付するという「安い

労働力」を活かしたミャンマーならではのビジネスである。前記の「未充足な需要」も「安い労

働力」も現地に進出しているからこそ「気づき」を得ることができる。このようにミャンマー進

出は新たなビジネスチャンスを発見する機会にもなる。

③ 日本の味を現地で再現(博多「華味鶏」)

最後に夜の食事会で訪問した日本料理店・博多「華味鶏」ヤンゴン店を取り上げたい。同店は

昨年 2月、海外 11店目としてオープンした。訪問の際は幸運なことに同チェーンを運営するト

リゼンフーズ㈱ 河津善博代表取締役会長が来店しており、会長から直接、話を聞くことができ

た。

「国際経営論」の世界では、本国の製品・サービスを進出先国に持ち込んでも、そのまま現地

市場に受け入れられる訳ではない。本国と現地では所得水準から気候、生活習慣まで全てが異な

るため、それが受け入れられるためには、現地市場へのカスタマイズが必要との指摘がある。国

や民族によって味覚や嗜好が異なる「食」はなおさらで、外食産業はカスタマイズが最も求めら

れる分野といえる。事実、これまで成功してきた外食産業は全てカスタマイズに成功している

(例:中国の味千ラーメン)。

ところが氏によれば、ヤンゴンで現地人から求められているのは「現地向けの味付け」ではな

く、「日本の味」であるという。それだけ現地の人も旅行や通販などを通じて「本物」を知る機

会が増え、ヤンゴンにいながら「日本の味」を求めるようになったのであろう。これまで重要だ

った現地市場へのカスタマイズが不要になり、「日本製品・サービス」がそのまま受け入れられ

るようになったのである。

これは、これまでの「国際経営論」では通用しない分野が表出していることを意味するのと同

時に、日本とは異なる環境のミャンマーでも「日本の味」を再現できる環境や条件が整う、また

企業にとって整えるための経営努力が必要となってきているといえる。

④ おわりに

以上、訪問先のなかから印象に残った企業、示唆を得た企業についてみてきた。最後にこれら

3社に共通するのは、ミャンマー進出は初めての海外進出ではなく、二次・三次展開であること

である。アジアのなかでも後発国であるがゆえ、コストメリットが残るミャンマーで起きうる話

だが、彼らは他国での国際ビジネスの経験をもつ。だからこそミャンマー展開がスムーズに運べ

たのか、初進出にはどのような企業があり、経験の浅さをどのように克服しているのか、今後の

研究課題である。(了)

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ミャンマーで考えたこと 2020 年 1月 10日 MW

概観

ミャンマーはここ 5~10年で、経済成長期に入ったところ。これから発展する国。今後所得が

上昇するに連れ、新しい需要が生まれ、どんどん拡大。まだ参入企業のない市場が多くあり、起

業を考えるには大きな可能性のある国、という印象。ただ地元の人が新しいビジネスを起業する

には、資金調達などハードルが高く、外資に有利な面も。

大きな人口、親日的で真面目な性格の人々、ASEAN の中でも最低の賃金、今後急速な国内市場

の拡大が期待できること、また ASEANを中心とする海外市場へのアクセスの良さ、ASEAN経済圏

でのサプライチェーン活用の可能性などから、日系企業にとって、今は進出のチャンスと考えら

れる。

問題としては、インフラ整備の遅れ(外国支援資金に頼らざるをえない財政状況)、政治体制

の(政権への軍部の影響力。政府の行政事務の煩雑さ。今年 11月の総選挙の結果は?)、教育

問題(多様な高級人材の教育システム構築の遅れ)等がある。

こうしたなか、日本政府としても、より良い投資環境を作る方向で、これら分野での支援、協

力を進めており、その効果は十分期待できる。

全体として、今は、ミャンマーで新しいビジネスを始める良い時期と考えられる。

以下、調査旅行をもとにしたいくつかの角度からの考察を記す。

1.ミャンマーにおける起業モデル

今回の調査では、15の企業を訪問し、その事業内容、事業開始の経緯などを質問することが

できた。そこにはミャンマーにおいて起業する際の、多様なモデルを見ることができる。今後の

起業を考えるときの参考になると思う。

1)日系企業の事例

①商社系の企業によるミャンマーでの製造業進出。

この際、製造後の販売を日本市場に焦点を合わせるか、地元市場に合わせるか、の選択がある。

前者は、日本国内に顧客を持つが、国内での調達が難しくなり、顧客への供給を維持するため、

自らミャンマーで生産するという道を選んだというケース。

後者は、国内の調達先に遠慮して国内での生産を避けてきたが、商社としての市場情報などを

活用し、ミャンマーでの生産、販売を選んだケース。

事例:

・IIDA Electronics:ミャンマーでの電子部品の生産と日本への輸出

・RK Yangon Steel:鉄筋、鉄板加工品のミャンマーでの市場拡大を狙った製造業への進出。

②製造業の工場移転

日本国内での生産コスト上昇に伴い、工場の海外移転を行うケース。ここでは、ミャンマーで

の市場の拡大状況を見てミャンマー市場を狙った進出。また工場の移転をすでに中国、マレー

シア、タイへ行っていたが、そこで人件費高騰などでさらに移転を迫られ、ミャンマーに移転

することを決めた場合もある。なお、市場としては、日本への輸出や中国、タイなど第三国、

ミャンマー市場を狙う場合など、様々。いずれにしても、生産コストの低減を図るため、生産

場所を移転、販売は既存ユーザーを重点に考えるか、新規ユーザーの開拓かで、戦略は異なる。

事例:

・Earth Tamura Electronics:当初、地元企業に技術移転し生産委託、後に合弁形態に。

・日本での生産の縮小と、タイ市場が狙い。

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③日本企業向け人材教育訓練、派遣事業

日本市場での人材不足への対応で急成長している海外技能者派遣事業、またミャンマーに進出

する企業への人材斡旋事業の開業。この分野は市場拡大が急激で、すでに多くの企業が設立さ

れている。ただ、日本の勤務システムを理解し、日系企業で効率的に働ける人材を教育し、斡

旋、派遣するための工夫が必要。ミャンマー、日本双方の社会構造を十分理解し、それをカリ

キュラムに取り入れる工夫がされている。

製造業から人材派遣業へ転換したケース、ミャンマーでのコンサルティング業を拡大し人材教

育、派遣に進出したケースがある。

事例:

・Myanmar Sankou:製造業からの転身ケース。人材教育、派遣事業の成長性を見込んだ決断。

・J-SAT:ミャンマーに在住 20年以上で、ミャンマーと日本の文化の違いを細かく理解し、き

め細かい教育を行い、日系企業から信頼され、アドバイスも行っているよう。

④高級和食料理店の進出事例

ミャンマーでの日本文化への高い関心と受容。社長のミャンマーへの個人的関心で、ミャンマ

ー進出を決定。ヤンゴン在住の日本人ばかりでなく、地元ミャンマー人に評価されている高級

和食レストラン。日本文化への関心が高く、今後所得が上昇する中で、日本食のレストランの

進出余地は拡大するはず。

事例:

・博多「華味鶏」:社長の決断。日本ではチェーン店展開をしているが、海外では単独店舗。

今後の展開は不明。シェフは日本の店で働いていたミャンマー人を採用。女将は海外勤務

を希望していたパート職員を派遣。人材に恵まれた。

2)中国系企業

①中国での人件費上昇に伴う生産の海外移転、OEM方式。

縫製業や製靴業に見られる。中国として、どこに工場を移すかの選択の中で、ミャンマーが選

択される事例が始まっている。北ミャンマーは中国雲南省と国境を接しており、経済交流があ

り、ミャンマーにおける中国の影響力の拡大が見られる。かつての中国発展モデルのミャンマ

ーでの再現。

事例:

・ANATIMIC(龍源鞋業):本社は中国、部品、デザイン、販売先などすべて本社が管理。中国

企業による OEM生産が始まっている。ミャンマー市場を狙ったものではない。

②自動車ノックダウン:中国企業の、意欲的な海外市場開拓

中国電気自動車メーカーの BYDの進出。当面エンジン車のノックダウン。近い将来電気自動車

の生産も狙いか?日本、韓国から自動車メーカーの進出が相次いでいるが、中国からは BYD が

進出。これはミャンマー市場を狙ったもので、電気自動車の生産では一番乗りを目指している

のかも。日系企業はタイの部品工業の集積を活用した生産体制を考えているようで、中国企業

の動きは一歩進んでいるかも。

事例:

・Gold AYA Motor :BYDによるノックダウン方式、当面はエンジン車。

3)ミャンマー資本企業

①繊維産業

ミャンマーにとって最重要産業だがサプライチェーンが整っていないという現実。

外資系による OEMではなく、地元資本による国内市場向け事業。原綿から紡糸を手掛ける企業、

国内市場で女性用学生制服などの製造を手掛ける企業、コングロマリット企業で、一部女性用

礼服(西洋風ドレス)を手掛ける企業など。

紡糸は、原綿を国産綿とし、農家にインド綿の種を供給、原綿を買取り、紡糸する企業。

紡糸の品質向上、種類の多様化などに努力している。製品は輸出用というより国内市場向けで、

輸入品の代替効果は重要。

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女性用学生服メーカーは、社長は大学教授であったが親の縫製会社を引き継だもの。80もの

学校と提携し、制服をデザイン、提案、供給することで成功している。原料布は輸入、製品は

国内向け。

縫製業はミャンマーの輸出品の主要部分占めるが、生産のためのサプライチェーンが国内でで

きておらず、付加価値が低いのが問題。後進国の経済成長期は皆同じ状況。それを今後どのよ

うに克服していくかが課題。ここではそれなりの努力が見られる。

事例:

・CYT Co.,Ltd.:マンダレーで 1998年創業の企業。原綿を国内調達、製品は国内販売中心。

ミャンマーの伝統的衣装であるロンジー向けの糸、綿布を製造し、原料の国産化に寄与。

・Lay Mon Garment:女性用制服メーカー。社内デザイン力向上にも力を入れており、成功して

いる。ミャンマーとして、手本とすべき企業の一つか。ただ、生地はポリエステルで国産

はなく、輸入品。縫製業における国内サプライチェーンの構築が課題。逆に日本企業とし

ては現地化で起業の可能性があるということ。

②コングロマリット企業への成長。起業チャンスが多く、多角経営に走る。

ミャンマーにも多くの財閥企業が育ってきているようである。おそらくその多くは政府との特

別の関係を利用した発展成果ではないかと思われるが、経営者の市場を見る感覚の鋭さで、将

来性のある市場でどんどん起業し、結果的にコングロマリット化した企業が出来上がっている。

経済が急速な成長段階にあるとき、むしろ一つの分野に留まらないで、何にでも手を出すとい

う経営方式が成功することもあるということか。

事例:

・Wa Minn Group:社長は日本に留学、東工大で経営工学を学び、帰国後貿易業(中古車輸入)、

金鉱山開発などのビジネスを始め、その後次々に新しい分野に進出、15社を束ねる大企業

に成長。縫製品、ステンレス製品、琺瑯製品、モーター、浄化槽、建物のメンテナンス、

ソーラーエナジ-など多角経営。経済発展期の企業経営の一つのモデル。

③食品加工業における成功事例。(ビスケットとお茶のケース)

所得の上昇期、食品市場も変化し、先進国での日常的製品がミャンマー市場にも現れることに

なる。当初は輸入品が市場に現れ、次第に国産化されるといった経過をたどる事が多い。また

伝統的食品でも、包装の変化、品質向上、新品種の開発などにより、伝統食品に新しさを加え、

成功する事例が見られる。

事例:

・Za Lat Wah Biscuit: 国産小麦粉を使用し、近代的工場でのビスケット製造。パッケージ

などを新しくし、スーパーなどでの販売が可能になる。ビスケットのネーミングも、子供

向けに工夫するなど、新しい市場の開拓に成功している。

・U Kar Ka:飲料用、食用茶の生産。伝統食品の海外市場開拓の事例。

ミャンマーの伝統的食品である食用茶。アメリカのミャンマーレストランで提供されてい

た食用茶が、口コミでアメリカ人の間で注目を浴び、アメリカ市場向けに製造を開始する

ことにした。食料品嗜好の国際化が進んでいるということか。伝統製品はどちらかと言う

と内に閉じこもりがちだが、国際市場で評価を受けることで、市場拡大のチャンスを掴む

ことがあるということ。

④印刷業。所得上昇による、印刷業への新しいニーズの発生。

経済活動が活発になると、それまでの政府系印刷物以外に多様な印刷需要が発生。この分野で

発展を勝ち取っている企業がある。宣伝用パンフレット、広告ポスター、各種パッケージング

など。これからもまだ増える分野は考えられる。ただ印刷インキや上級紙の調達は輸入に頼る

ことになり、ここでもサプライチェーンの問題が生じる。IT 化による印刷物の縮小を上回る

印刷物の需要増が期待できる。

事例:

・Taw Win Myint Mo:印刷会社。紙の輸入から始まり、印刷業へ。国内市場を開拓。成長して

いる。(政府からの発注もかなりある。)

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⑤伝統工芸品。伝統技術の伝承と、今後の新しい発展の可能性。

バガンで伝統工芸品の漆器工房を見学。竹細工の基盤を使って、漆を重ね塗りし、細密な色絵

付け製品を販売。木彫製品も含め、十分世界に通用する工芸品で、うまく宣伝することが重要。

ミャンマーの伝統工芸品はパゴダを中心とする仏教寺院での装飾として現在も使われ、その技

術が継承、維持されている。

事例:

・バガン漆器工房:多くの工程からなり、それぞれの工程の専門家がいて、代々家族で伝えら

れていると言う。日本の工芸品と似た形で技が継続されているよう。工房の脇に製品の展

示場があり、作品を販売している。図柄はほとんど仏教関連。伝統技術を使った新しい製

品を開発して、地場産業として振興を考えては?

以上、色々の起業モデルを見ることができた。それだけ、多くの起業の可能性があることを意

味していると考えられる。ミャンマーの場合、手がつけられていない新しい市場はいくらでもあ

り、それを一番乗りして掴んで行くといった積極性が求められる。

また、ミャンマーの資本も色々努力しているが、日本企業との協力の可能性もある。各産業の

サプライチェーンの中で、素形材、部品など多くの欠如部分があり、輸入品を国産化により代替

することで補完することが重要。また、ミャンマーの伝統的商品を、外からの価値観で評価、新

商品開発につなげることなどが考えられる。

2.ミャンマーにおける中小企業政策

2011年 4月に、工業省に中小企業振興局(SME Development Center)が設置され、ミャンマ

ーにおける中小企業政策が本格的に始動。中小企業支援の重要性は十分理解しており、金融支援

策、人材育成、技術水準の向上などを重要課題としている。ただ、具体的施策はこれからか。2030

年にかけてマスタープランを策定するという。

効果的産業政策の実現には、十分な現状把握と将来のあるべき姿についての検討をベースにし

た政策の立案、その政策を実行するための具体的支援策の準備、そしてその政策実施のための組

織構築が必要となる。ミャンマーにおける中小企業政策についてもこうした手順に基づく対応が

必要となる。こうした政策の策定、実施に関する流れについては、日本としてアドバイスができ、

協力、支援をすべき。

今後のミャンマーにおける中小企業政策の実効性を高めるためには、

① 中小企業の実態把握の努力、ここでは中小企業白書などの取りまとめも効果的か?

② 中小企業政策の取りまとめ。

政策を取りまとめるため、行政ばかりでなく民間企業や経営者、学者などからなる検討委

員会を設け、多くの関係者間で政策の目的意識を共有する仕組みを作ることが政策の実施

効果を上げることに繋がる。こうした体制で、これからのミャンマーにおける中小企業の

あり方、そのための取るべき政策を検討し、とりまとめるべき。

③ 政策実施組織の設置

多様な政策内容があり、それぞれに対応した実行組織が必要となる。ところで、中小企業

の活動は地域経済に密着しており、中央政府ではきめ細かい対応ができない事が多く、地

方政府の役割が重要。15の中小企業振興局の地方支部の組織強化、活動の活性化を図る

必要もあろう。

④ なお、体系的政策立案、実施をすすめる一方、中小企業金融支援システムの構築(起業、

インキュベーション支援も含む)、人材育成、技術やマーケティングなど各種アドバイス

組織を設置することなどを急ぐことが必要。

3.SEZと工業団地のこと。新しい地域開発手法の導入。

2011年、軍事政権からの民主化後、経済開発、外資誘致などの政策に沿って、SEZ構想が生ま

れた。Tilawa SEZは、ミャンマー政府の要請に基づき、日本政府、民間部門の参加が決まり実

行に移されることになった。こうして始まった SEZは新しい経済開発手法を導入している。すな

わち、物流、電力、通信、上下水、公害対策などの総合的インフラ整備、地域の管理業務、入居

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者への各種サービス業務、さらに新しい都市づくりの構想を含む綜合開発プロジェクトになって

いる。

その後、北西部のチャオピュー(Kyauk Phyu) SEZ、南部のダウエー(Dawei) SEZ 構想が続き、

それぞれ、中国、タイ政府が協力、ミャンマー経済の国際化に大きな影響を持ちそう。

一方、マンダレーの Myotha 工業団地は、SEZ構想とほぼ同時期に開発が始まっている。マン

ダレー地方政府が主導、地元資本が参加、シンガポールの開発企業により、開発がすすめられて

いる。ここでも、海外との物流を考えたインフラ整備、新しいまちづくりも含めた総合的地域開

発プロジェクトになっており、ミャンマーにおける新しい産業都市開発手法のモデルとなろう。

ミャンマーには多くの工業団地があるが、それらは、道路など物流インフラばかりでなく、環

境対策、貸工場などのインキュベーション施設の整備も不十分で、また工業団地としての維持管

理体制もできていないところがほとんどのようで、今後、既存の工業団地をどう改善していくか

も、重要課題と考えられる。できれば国土綜合開発計画のようなものがほしい感じ。

4.インフラ整備と都市開発のこと

国の一体化を図るため、総合的インフラ整備が重要。

特に地方における道路、鉄道、上下水道、電力供給などのインフラ整備が遅れており、地方開

発計画の策定と、資金確保をどうするかの問題があり、その解決が必要。

一方、対外的経済活動や、人的交流を図るため、港湾、空港、海外と連結した鉄道、道路の整

備は、世銀、アジア開銀、外国よりの資金支援により、一部進んでいるが、全体的開発計画とそ

の効果を十分把握しておく必要がありそう。

5.環境対策

ミャンマーは高度経済成長期に入ろうとしている。まだ公害関係で深刻な問題は発生していな

いようだが、一部に水質汚濁問題が報道されているよう。今後、製造業の発展は大気汚染や水汚

染、また廃棄物問題が生じることは必至で、今からの対策が重要。

法令の整備、その監視体制の構築が求められるとともに、個々の企業、地方政府では、具体的

防止対策の実施が必要。その技術的、資金的支援が求められる。

6.観光産業のこと

海外からの観光客数は 300万人とも言う。仏教文化を中心として、昨年世界文化遺産に登録さ

れたバガンなど、観光産業の将来性は大きい。バガンではホテル・レストランなど海外観光客を

想定した立派な施設ができており、また観光バスによるツアーも行われており、ガイドの質も高

い。バガンでは、すでにそれなりの観光産業の基盤ができつつある。今後さらなる観光客の増加

などに対応するべく、観光施設、観光サービス業の充実などが必要となろう。

なお、所得水準の上昇により、国民による国内観光ブームが期待される。ミャンマーは多民族

国家で、それぞれ特異な文化を持ち、それはまた新しい観光資源となり、地域活性化にもつなが

る。新しい観光スポットの開発、整備のほか、道路など移動手段のインフラ、宿泊、食事、土産

物、さらにそれらをコーディネートした観光案内サービスなど、より良い観光資源開発の努力は

求められる。これからの観光産業のあり方を議論したい。

7.伝統工芸産業の新しい展開と可能性

今回の調査では、漆器、木彫、竹細工、木工品、伝統衣装の刺繍などで、新しい展開の可能性

の余地があることを感じた。うちにこもりがちな伝統的工芸品の価値を外の目で評価することで、

新しい発見があり得る。伝統的工芸品の新しい展開のための技術工房、国立研究所、大学があっ

ても良いのでは。

8.新しい流通、小売業の展開。近代化する流通、小売業と、零細小売業の今後。

今回の調査では、アウンサン市場、バゴンの朝市、また郊外の路端の露店商、ヤンゴンでは、

ホテルと同じビルの近代的ショッピングモールの Taw Win Centerを見る機会があった。所得水

準が高まる中で、近代的商業施設の発展がはじまっている。日系企業もすでにこの分野に参画し

ている。ここでは、流通、小売業部門で大きな変革が始まっていることを感じる。そうした動き

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の中で旧来の露店中心の小売流通システムの縮小、崩壊といった事態への対応をどうするかの配

慮が必要か?アウンサン市場のように、観光スポットとして生き残る可能性のあるところはある

が、郊外や地方における露店の零細小売店舗などは、近代的小売業に転身できるか。ここでは、

流通小売業における競争の激化、選別が行われることになる。中小小売店舗の生き残り、発展の

機会をどう考えるかが問題か?

9.農林業の近代化の問題、可能性

ミャンマーの地形を見たとき、広大な平地、森林地帯が広がり、それら地域が必ずしも効率

的に活用されていないように感じる。農地や森林の所有、維持管理・活用の仕組みが解らないの

でなんとも言えないが、今後の地域発展のためにも、農林業における生産から加工、販売に至る

バリューチェーンを把握し、農林業を近代化し、土地利用効率を高めていく努力が必要で、また

その余地は大きいと感じる。

林業については、ミャンマーはチーク材の世界的産地とされ、材木としての輸出が多いようだ

が、その国内での活用法をもっと考えてよいのでは。郊外や田舎を回っても、しっかりした木造

家屋の姿をほとんど見かけなかったが、建築材料としても、国内での活用があってもよいのでは。

また木工家具は輸出産業に発展する可能性もあろう。

農業では、米、小麦粉の輸出がされているが、その他作物の栽培、加工製品の開発、販売シス

テムの改善などで、農家の収入を高めることにより、地方経済の発展と地域格差の是正などに寄

与できるのでは。郊外、田舎の貧しさは、農業、林業の生産性向上、付加価値製品の生産販売な

どにかかっていよう。外部からの工場誘致ばかりでなく、地域での自律的開発の努力を期待した

い。

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ミャンマー海外視察について

令和最初の師走は とても刺激的で有意義なものとなった。新潟を 11/30に出発し 12/8 に帰

国するまでの約 10日間は、私のこれからの”仕事感”や”経営感”に影響を与える事になり

そうです。

まず はじめて訪れたミャンマーにも関わらず滞りなく全日程を円滑に安全に過ごせた事に

感謝申し上げます。主催者団体である ICOSAの佐藤先生や 皆様をはじめ 現地でお世話にな

ったキンキントラベルのメンバーや関係者の方々 本当にありがとうございました。そして今

回のミャンマーで得た何よりの収穫は ICOSA の皆様との交わりでした。新潟での黒瀬先生との

出会いが無ければ、おそらくこのような貴重な体験もできなかったはずです。あの日の宴会で

酔った勢いで”ミャンマー行き” を決断して大正解でした。

さて、私は 10名程度の社員を抱える中小企業の経営者ですが、日々わたしの周りで起こる

(起こり得る)ほとんどの事に対して まずは”儲かるのか?” という視点で物事を見ていま

す。つまり社長としての目線や思想に偏りがちになるのですが、大学教授をはじめとした多種

多様な経験を有する ICOSA の皆様の考え方や見解に触れる事で もっと自分がグローバルで多

角的な視点を持ち経営する必要がある事に気がつきました。

実際にミャンマーの現状を見て触れて感じましたが、まだまだ発展途上でありながらも”み

なぎる生きるエネルギー” と”スピード感” には本当に圧倒されました。「このままでは追

い越される」さらには「世界から取り残される」・・・ もはや先進国ではない日本! 閉塞感

を感じながらも平和な日本! そんな国で成り立っている弊社を含む中小企業に危機感を抱きま

した。

では ミャンマー視察をとおし、自分の(自社の)現状を踏まえたうえで”海外進出” (ミャ

ンマーに限らない) についていくつかの可能性に着目しました。

▪︎まずは海外を知ることが大切。とくに地方の企業にとって海外は決して身近な存在ではない

が 近隣諸国であれば”県外へ出張” くらいの感覚で「あーだ こーだ」いう前に まずは行

ってみる事だ。身軽さと行動力が重要視される。また自ら視察や研修などの機会を求め、参

加し体験することからはじまる。

▪︎既に進出を果たしている企業 またはこれから進出する企業などに 同行して海外での時間を

共有させてもらう。これ以上の生きた教材は無いので 多少面倒くさがられても付いていく!!

(笑)※経営者であれば 1人や 2人くらいは周りにこのような社長がいるはず

▪︎現地(現地の人)とのパイプやコネクション(今回で言えばキンキン) または現地企業とのパ

ートナーシップが必要。信頼関係構築のために 何度も現地へ足を運ぶなど行動力が絶対条件

とされる。

▪︎ヤンゴンのティラワ工業団地やマンダレーのミュータ工業団地などの経済特区の存在を知っ

た。多くの日系企業が集まる特定の地域への参入は現地での情報不足やコミニケーション不

足の解消につながり、結果 進出や事業継続へのリスクを軽減する。

▪︎不動産(土地)や株への投資、または他社への出資などをとおし、なるべくスピーディーに低

リスクでの 簡易的な海外進出もひとつのカタチだ。

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▪︎海外進出の始動時(初期)の事業形態を デザイン・設計・監修(監理)などの ソフト分野に絞

る。現地(海外)での活動を最小限に抑え、日本国内からの遠隔参入に比重をおき、中小企業

が抱える体力的・金銭的なデメリットを軽減する。

▪︎単独(自社のみ)での進出は難しい。JVもしくは合同会社の設立などパートナー企業 複数社

と協力体制を構築しタッグを組む事が海外進出への近道。

”志(こころざし)” を共にできる仲間(企業)が集まり お互いが得意分野を持ち寄って 中長

期ビジョン(戦略)を共有! そのうえで海外へ挑戦してみたい。

▪︎用意周到な準備・潤沢な資金よりも海外進出には「センス・スピード・度胸」 が必要ではな

いか? ビジネスである以上 戦略や方針も重要ではあるが、目的地への完璧な地図が無くて

もとりあえずスタートし「走りながら考え、その都度 決断していく」このようなスピード感

で行動しなければ世界に付いていけないと思う。

▪︎そもそも海外進出を検討するうえで、母体となる国内事業が安定しいて健全な経営を行って

いる事が大前提となる。大多数の中小企業にとって海外は未知で挑戦の領域となる。つまり

余力で冒険できる体力が我々には必要とされる。(国内事業を捨てるのであれば別だけど)

▪︎弊社 10年ビジョンでも海外進出・海外事業展開を中長期戦略で掲げています。しかし日本経

済は それよりも(弊社の中長期戦略よりも)早いスピードで 失速・縮小しそうな勢いであ

る。また 世界の発展途上国に日本が追い越されるのも同様でしょう。私は! ハーヴィッド

は! ここ 2〜3年で海外への足掛かりを見つけ出し、次世代メンバーと共に海外進出に挑戦し

たい! 将来 世界でも戦える企業に成長したい! と考えています。

以上

2020.01.05

株式会社ハーヴィッド

代表取締役社長 小田利洋

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ICOSA海外視察研修旅行レポート

令和 2年 1月 7日

㈱R-CRAFT 塚原裕康

今回初めてICOSAの海外視察研修に参加させていただきまして誠にありがとうございま

した。

実はICOSAとは何で、ミャンマーに何をしに行くのかも理解しないままの参加で大変申

し訳なく思っております。

そんな私でも黒瀬先生、佐藤さんをはじめ参加メンバーの皆様にお世話になりながら全日程

を全う出来た事本当に感謝しております。ミャンマーも素晴らしいと思ったのですが、会員さ

ん一人ひとりとの雑談の中での学びが大変大きく会員さんのスペックの高さに驚きと感動を覚

えておりました。

海外視察研修について

私は暑さ対策の仕事をしているのですが、漠然とですが海外進出したい、という想いはあり

ました。

今回の研修で日本の行政機関、ミャンマーの行政、現地に進出している日本の企業、金融機

関、日本語学校、ミャンマーの中小企業、ミャンマーの財閥企業、マンダレーの工業団地、ミ

ョータの工業団地と大変盛沢山で、ミャンマーを理解するためにありとあらゆる角度で考える

ことができる、大変考えられた日程だった事を、帰国した今しみじみと感じております。

漠然と海外進出といっても沢山の関わり方があることを知りました。現地で会社を立ち上げ

る関り、投資や買収する関り、海外人材登用という関り、現地で会社を立ち上げるにしても単

独であったり、日本や、現地企業とのジョイントがあったりで、選択肢は沢山あります。

自分に何ができるのか?

私としては物事を理解する近道としてはまずやれることからやってみる事が重要と思ってい

ます。

正解を考えるのではなく動きの中で正解を探ってみようと思います。

今回おかげ様で視察先の Wa-Minnグループの Myint Wai会長とつながることができ、具体的

な案件の見積にかかっております。実際に取り掛かってみると、より具体的に物事を考えるこ

とになりますので、凄く勉強になります。経過は追って報告させていただきます。

ミャンマーについて

立地についての優位性、人口ピラミッド、手付かずのアジア最後の国と、勢いと可能性を強

く感じました。

ほとんど観光の無い日程の中で行ったシュエダゴン・パゴダで見た真摯な信仰と、貧しい国

でありながら寄付額が世界の上位にいる国民性が素晴らしいと思いますし尊敬しております。

海外を見たことで私の中で対比の基準がもう一つ備わった感があります。

現在社業の方では関東進出が一つのテーマとなっていましたが、世界から見た日本との基準

で考えるとハードルが下がったように感じています。

やれることを一つ一つやりながら、おさらいして行こうと思います。

あと日本って良い国だなとホントに感じました。

また報告させていただきます。ありがとうございました。

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ミャンマーにおける経営環境と中小企業の変化

私は 2001年、2002年に行われた“Myanmar-Japan Joint Study for Economic Structural

Adjustment in Myanmar”(「ミャンマー国経済構造調整政策支援のためのミャンマー・日本共同

調査」)に参加し、ヤンゴン・南部ミャンマー、マンダレー・中央ミャンマーの中小企業の訪問

調査とアンケート調査(690社、2001年 7月より半年間実施)を行った。この時に得られた知見

を頭に置きつつ、現在の中小企業とその経営環境につき、今回の訪問結果をまとめる。まずは、

経営環境の変化から。

1.消費市場の変化:新中間層の形成

ヤンゴンでもマンダレーでも先進国で見られるような現代風のショッピング・モールや洒落

たレストランが格段に増えているのが目に付いた。ヤンゴンでレストランバー「ハリーズ」(シ

ンガポールで約 30店舗を展開)に入り、赤ワインを飲んだところ一人当たり金額は 2000円台だ

った。「2019年度アジア・オセアニア進出日系企業実態調査」(ジェトロ、2019 年 11月)による

とミャンマー進出日系製造業企業・作業者の年収(残業、諸手当、賞与、社会保障含む、2019年

度時点)は 2,261ドル、月収換算 188ドル=19,900 円(2019年 8月の平均為替レート 1ドル=

106 円で計算)、したがってミャンマーの庶民にとっては相当高価なはずだが、夜遅くまで若者

や家族連れでにぎわっていた。

先進国で見られる今日風のショッピング・モールや高価なレストランの出現は、購買客となり

うる中所得層がそれなりの厚みで形成されていることを示す。「デロイト トーマツ コンサルテ

ィング合同会社 プロセスセクター」が 2015年に発表した「ミャンマー消費者調査」は次のよう

に述べている。

「ミャンマーにおける中間所得人口は、2020年までに倍増すると予想される。 こうした中流

階級の台頭を背景に、美容・パーソナルケア製品、ホームケア製品など、生活必需品ではない商

品の売上高が 伸びている。美容・パーソナルケア製品の市場規模は、2009年から年間 14%の成

長率で拡大し、2013 年には 3 億 1,800 万 ドルに達している。 高額商品についても、需要の増

加が見込まれている。」

中流層はどのような職種の人たちなのか。外資系企業の勤務者には月給 10 万~15万円は珍し

くないと言われている。上記ジェトロ調査によると、ミャンマー進出日系製造業企業・エンジニ

アのひと月あたり収入(残業、諸手当、賞与、社会保障含む)は 490ドル(52,000円)、同マネ

ージャーは 1,262ドル(134,000円)である。ミャンマーでは高校(15~16歳)就学率でも 32.1%、

専門的知識を持った人材が少ない。国内有名大学や外国の大学で高等教育を受けたり、国外で勤

務経験あるような専門人材は貴重である。彼らを管理者や技術者として必要とし、労働者より高

給で処遇できるのは、外資系企業、民間大企業である。これらの大企業が増加・拡大するととも

に「新中間階級」*の厚みが増し、中所得層として現れているのではないか。 *もともと資本家階級に属していた機能である労働者管理、生産管理などを代行し、労働者の上に立ち、労

働者より高度の業務を行うので、資本家と労働者の間の階級とされる。「旧中間階級」は個人事業主など

で、資本を所有し現場労働も行う資本主義成立以前から存在する階級。

しかし、これのみに目を奪われるのは危険である。70%が農村人口であるミャンマーの一人当

たり購買力平価 GDP(2018 年)は 6,227ドル、世界 133位、ASEAN10ヶ国中 9位(最下位はカンボ

ジア)である。賃金はミャンマー進出日系企業においても製造業・作業者の平均年収は 2,161ド

ルだった。また、後出のマンダレー・Myotha 工業団地進出の中国系企業では、賃金の平均は残

業込みで月 20万チャット(15,000円、1チャット=0.075円で計算)、年収換算 180,000円(1,700

ドル)だった*。低所得の一般庶民の大海のなかに、高給者=新中間層が出現しているだけであ

る。 *ミャンマーのワーカーの賃金は法定最低賃金 4,800チャット(360円)/日(8時間)が基準で、これに技

能手当がつく場合とつかない場合がある。日給制が多いようである。

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2

2.労働力

ミャンマーは、人口 5,147 万人のうち 15~59歳が 62.5%(2014年国勢調査)を占め、従属人

口の中でも特に老齢人口の少ない人口ボーナス期にあり、豊富な労働力市場に恵まれている。

だが、ローカル企業が豊富な労働力供給を享受しているかというと断言はできない。

労働力の供給源は農村で、若者が農村外へ流出しているが、ミャンマーでは海外への流出が多

く、2018年 1~9月の国民の就職は国内 16万人以上、国外 18万人以上と初めて国外が上回って

しまった(J-SAT グループ代表西垣充「毎月 2 万人以上が海外に流出 ― 今、ミャンマーは」

『みらい No.19 Feb.2019』、原資料はミャンマー労働局発表)。2015年に 3,600 チャットとされ

た 1日の最低賃金が、2018 年に 4,800 チャットにあげられたにもかかわらず、電気料金の値上

げで生活コストが上昇、高給を求め、労働者の海外流出が加速した。後藤健太・工藤年博「縫製

産業におけるパフォーマンス格差とその要因」(久保公二編『ミャンマーとベトナムの移行戦略

と経済政策』アジア経済研究所双書 NO.606 2013 年)によると、2010年時点でのヤンゴン市で

の調査ではほとんどの縫製企業で労働力不足が最大の問題とされ、不足の理由として海外への

出稼ぎ、特に隣国タイへの出稼ぎがあげられていた。今回調査では、紙の輸入販売、印刷などを

行っているヤンゴンの C.I.S Group of Companies の General Manager、Aye Aye Mu 女史から

「能力の高い労働者の獲得が困難」という声があったが、 海外流出による労働力の獲得難は確

かめられなかった。だが、近年、海外流出はむしろ増え、労働力に関する海外との競合が強まっ

ている。賃金引き上げが困難なローカル企業への影響が懸念される。

日系企業にとっては、労働力の質も問題である。上記西垣充では、ミャンマー人材は日本企業

向きだとして、・識字率が高く勤勉な国民性、・伝統を重んじ目上の人を敬う精神、・他国と比べ

圧倒的に多い親日派、・母国や家族のためのハングリー精神、・穏やかで面倒見がよく調和を好

む、・謙虚で慎み深く調和を好む、・日本語がうまく勤労意欲が盛ん、をあげている。しかし、J-

SAT訪問時のスピーチでは、このような国民性とは別の、次のような特徴も指摘していた。

ミャンマー人は「働き方を知らず、時間通りに来ない」「言われたことでない仕事をする」「親

がサラリーマンではないのでアルバイト感覚で来る」「義務として仕事をする感覚がない」。

また、上記 Aye Aye Mu女史は「従業員とは雇用契約を結んでいない。半年、1年と働き、よ

ければもっと働くという調子だ。雇用契約を結ぼうとすると拘束されると思いやめてしまう」と

語っていた。

ジェトロ調査によると、日系企業のあげる経営上の問題点として「従業員の質」が 3番目に多

く、半分以上の企業が指摘している(図表1)。また、この調査による問題点として「従業員の

質」をあげた割合(56.8%)は調査対象国 19か国中バングラデシュ(61.9%)についで 2位だ

った。

図表1.ミャンマー進出日系企業の経営上の問題点(上位 5項目 複数回答)

2019年 2018年

1.電力不足・停電(18) 69.2 42.3

2.原材料・部品の現地調達の難しさ(17) 65.4 65.4

3.従業員の質(84) 56.8 57.9

4.競合相手の台頭(コスト面での競合)(72) 52.2 47.5

5.従業員の賃金上昇(74) 50.0 53.4

6.人材(中間管理職)の採用難(74) 50.0 41.4

「2019年度アジア・オセアニア進出日系企業実態調査」ジェトロ 2019年 11月

「従業員の質」に関する問題は、ミャンマーの都会に出てきた若者の多くが農村出身であり、

工場や企業で勤務したことのない農民に育てられているため、工場労働者や企業勤務者に必要

な規律を持ち合わせていないことに由来する。この点は、近年まで農業中心の経済発展段階にあ

ったどの発展途上国にも多かれ少なかれ共通する。ミャンマー人材は豊富で、国民性は日本企業

と親和性があるが、工場労働者として陶冶される前の人材だということに留意すべきである。

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3

3.インフラの変化

(1)電力問題

17,8年前のミャンマーの最大の問題は電力不足だった。2001年に訪問した男性用ロンジ-の

織布企業(Aung Chan Mya Weaving Factory、Wundwin 市内)の経営者は「1ヶ月数十時間しか

電気が来ない。今月の電気代は6万チャットだが、電気が来ていないのにどう計算しているのか

わからない。自家発電用の油の値段が上昇している。1ガロン 950 チャットする(9月7日現

在)。利益は全部油代に消えてしまう感じ」と述べていた。訪問した国営織布企業でさえ、扇風

機を回すことができず、話を聞いている私たちの背後から女性従業員何人かが団扇で風を送っ

てくれたのを思い出す。停電と無関係なのは軍隊と僧院だけと聞いたことがある。別の織布企業

の経営者だが「自由に仕事ができ、電気があって、安定した原料さえあれば、安定した供給がで

きる」(SEIN THARAPHU & PAPHLAR Weaving Industry)と言ったのが印象的だった。

今回は訪問先すべてでクーラーが備えられ、実際に停電に出会ったことはなかった。民間電力

会社の参入が電力事情を好転させたと言われている。しかし、図表1によると経営上の問題点と

して「電力不足・停電」をあげる進出企業は 2018 年度 42.3%、19年度 69.2%で、19年度では

問題点の 1位になっている。現に、IIDA ELECTRONICS GROUP(ヤンゴン・Mingaladon工業団地、

12月 2日)での聞き取りによれば、停電は 1日 1~2回(1回当たり 1時間)ある。雨量が少な

く暑い 3,4月に多い。同社は 40秒で切り替わる自家発電により切り抜けていた。実際に停電に

出会わなかったのはこの自家発電のためだろう。ヤンゴンの Thilawa工業団地でも日本の ODAで

建設した発電施設が近隣にあり、マンダレーの Myotha 工業団地でも自家発電施設を備えており、

改善されたとはいえ電力不足は依然継続しているのだろう。なお、Myotha 工業団地での聞き取

りではマンダレーは電力供給に余力はあるが、ヤンゴンに送電しているために停電があるとの

ことだった。電力需給関係については公的統計もあるはずなので、今後正確な検討が必要である。

(2)立地環境

17,8年前、工業団地に向かう車に乗っていると、道が悪くなり自動車がバウンドを始めると

団地に入ったことがわかった。当時の工業団地は名ばかりで、政府の命令で工場を集める地域と

いう意味しかなく、道路は未舗装が多く、キュービクル、工業用水供給施設、廃水処理施設など

の施設も見かけなかった。ヤンゴンの Dagon South 工業団地Ⅰの管理委員会の書記は「廃水処理

設備はない、流すだけ。水は各工場が掘った井戸から」と言っていた(2001 年 4 月 28 日)。た

だし、団地により多少の差はあった。中小企業用とされている Dagon South 工業団地Ⅱでは、政

府が変圧器 17基、街路灯 324本を設置との説明があった。また、同団地の目標として技術情報

の交換、大企業への発展、輸入代替・輸出促進など、産業政策的な目標が掲げられていた。ただ

し、日本の中小企業政策による工場団地(工場等集団化事業)で推奨されていた中小企業による

共同事業などは行われていなかった。なお、Dagon South 工業団地Ⅲ、Hlaing Tharyar(フライ

ン・タヤ)工業団地も中小企業用とされていた。

今回 Dagon South 工業団地Ⅰを再訪したが基本的な変化はなかった。ここに立地している

Earth Tamura Electronic (Myanmar)の説明者は、工場前の道路が車で通れるようになっただけ

ましになったと述べていたが、変化はその程度だった。また、マンダレー工業団地(1992 年創

業、ミャンマー最古の工業団地、1,243社操業、全社ローカル企業)においても、舗装道路でも

穴だらけで、訪問した紡績会社 CYT Industrial Ltd.の周辺環境は比較的良好だったが、ビスケ

ット製造の Zalatwah Biscuits Factory の周辺は区画も整理されておらず、汚水の溜まった道

をたどってようやくたどり着き、工場敷地もデコボコの更地だった。

以上に対し、今回初訪問した、新設のヤンゴンの Thilawa工業団地(Thilawa 経済特区、2015

年開業)、マンダレーの Myotha 工業団地(2013 年開発開始)は、日本流の工業団地と違い、居

住区、ホテル、ゴルフ場(Myotha工業団地)を含む都市づくりであり、域内の物的インフラは充

実し、企業経営に必要な諸手続きもワンストップで可能な制度も整備されていた。既成の工業団

地とはまさに様変わりだった。

しかし、Thilawa工業団地では地元企業の入居はなく、Myotha工業団地は、地元の伝統的産業

の中小企業もターゲットに掲げていたが、入居は確かめられなかった。履物を製造している企業

はあったが、中国企業だった。外国企業を対象とする最新の工業団地とローカル企業が入居して

いる既成の工業団地における立地環境の差は歴然としており、立地環境の二層構造が形成され

つつある。

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4.ミャンマー製造企業の分類

以下では今回の訪問企業の分析を行うが、そのためにミャンマー製造業の分類を行っておく

(図表 2)。

図表 2.製造業企業分類

1.大企業

①国営企業

・軍関連企業

1988年新軍事政権は民営化、対外開放を政策に掲げ、食品、雑貨、繊

維系など軽工業に属する国営企業の閉鎖や民営化が進んだが、インフラ

系、重工業系企業の民営化は進んでいない(工藤年博「ミャンマー産業

の歴史的変遷」アジア中小企業協力機構セミナー2019 年 7月 12日)。

②民間独立大企業

a.多角化

企業集団型

b.専業型

a.ミャンマーには財閥と呼ばれる企業集団が 15~20 存在している(「ミャン

マーの企業分類」ミャン株ドットコム 2017 年 12 月 3 日

http://myakabu.com)。財閥とは同族が資本を独占し、コンツェルン型の発

展をしている企業集団を指すが、実態は分からないので多角化企業集団型と

しておく。

b.特定業種で規模を拡大し、支配的な地位を占めている企業。

③国際下請型

大企業

下請の多くは C.M.P.。外国企業から原料を無償支給され、設備も提供さ

れ、特定製品を受託加工する。そのための技術指導も受ける。設備代は加工

賃から差し引かれるために貨幣資本の調達も少なくて済む。中小企業から成

長した大企業も多い。経営者にはバックグランドに恵まれた中国系が多い。

2.中小企業

①在来工業型

中小企業

a.農業・

農村母体型

b.都市職人工業

母体型

在来工業とは各国において産業革命以前の段階から見られる伝統的工

業。生産様式は手工業・マニュファクチュア、機械制小工業で、労働集約

的。企業性の確立していない生業的経営が多い。地方都市で依然大きな比

重を占めている。

a.米、豆等、国内農業食品を原料とする加工度の低い食品工業(アグロインダ

ストリー)、織布(ロンジー)、毛布など農業繊維(輸入もあり、廃棄物もあ

り)を原料としている繊維工業。

b.仏像(石工、鋳造)などの工芸品、調理器具、食器等、日用生活用品、その他。

②近代工業型

中小企業

a.機械、同部品

関連の中小企業

b.紡績、アパレル、

食品、建設、そ

の他

近代工業とは機械化された労働集約的製造業や重化学工業及び近代的都

市生活と関連が深い製造業。この分野では大企業も形成されているが、中

小企業が多い。その多くは特別に恵まれたバックグランドがあるわけでは

なく、当初は資本が少なくて済む商業に携わり資本を蓄積し、アップグレ

イドを求めて製造業に進出した。在来工業型からの近代化もある(後述)。

生業性は脱出しているが、銀行借入や他人からの出資に依存せず、得られ

た利潤の範囲内で徐々に設備を拡大してきたタイプが多い。

a. ・トランス、鋳物部品などの(相対的)量産型企業、・各種農機具、各種工

作機械を設計製作するエンジニアリング型企業、・機械部品の修理・製作、

トラック修理など

b.綿紡績、アパレル、ビスケット等の菓子、床材など

3.外資系企業

a.輸出向け低賃金

単純労働者活用

b.内需開拓型

c.アジア人材活用

増加がいちじるしい。2012年度と 18年 10月~19年 9月期(会計年度変

更)におけるミャンマー投資委員会による外国投資認可件数はそれぞれ 94

と 282(製造業 80%)、外国投資認可額はそれぞれ 1,419百万ドルと 4,158

百万ドル。ミャンマー日本商工会議所会員数は 2011年度末 53社、2019年

9月 401社。

a.ミャンマーの低賃金単純労働者を活用し、輸出向け生産をする。多くは原料

支給の受託生産(C.M.P.)。

b.ミャンマーの内需市場の拡大を見込んでの進出

c.企業の中核人材としてのアジア人材の活用を狙った進出、中小企業に見ら

れる。

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なお、ミャンマーにおける中小企業定義は図表 2のとおり。

図表 2 ミャンマーの中小企業定義 典拠「中小企業発展法」2015年公布

セクター 従業員数 資本金 売上

中企業

製造業 50名超

300名以下

5億チャット超

10億チャット以下 ー

労働集約型

製造業

300名超

600名以下

5億チャット超

10億チャット以下 ー

卸売 30名超

60名以下 ー

1億チャット超

3億チャット以下

小売 30名超

60名以下 ー

5千万チャット超

1億円チャット以下

サービス 30名超

100名以下 ー

1億チャット超

2億チャット以下

その他 30名超

60名以下 ー

5千万チャット超

1億円チャット以下

小企業

製造業 50名以下 5億チャット以下 ー

労働集約型

製造業 300名以下 5億チャット以下 ー

卸売 30名以下 ー 1億チャット以下

小売 30名以下 ー 5千万チャット以下

サービス 30名以下 ー 1億チャット以下

その他 30名以下 ー 5千万チャット以下

5.民間企業の状況

今回訪問の民間企業を上記の分類にあてはめ、特徴点を記す。訪問企業には通し番号を付す。

なお、訪問企業に在来工業型はなかった。

(1) 民間独立大企業

① Wa Minn Group of Companies(ヤンゴン市街、12月 6日):多角化企業集団型

当社は多角化企業集団型の発展をしている民間独立大企業である。

創設者の Myint Wai氏は日本での留学(大阪外国語大学で 1年、東京工業大学で 4年)、東芝

での研修(1 年、AOTS 制度による)を終え、1966 年に帰国、数少ない知日派として政府の経済

政策に尽力、そのうち琺瑯製品の一貫工場の運営を政府から依頼され、工場長(Factory General

Manager)に就任するなどしていたが(「特集 スペシャルインタビュー:ミン・ウェイ氏」Yangon

Press 2016年 4月 1日)、1996年 Wa Minnを設立、地方で作った衣類やカットした原木の日本

への輸出、日本からの中古車の輸入を始めた。当時、車は少なかったためよく売れ、利益も大き

かった。これらによる資金蓄積がその後の事業展開のステップになったと推測される。

2007年に金の採掘事業に進出、Myint Wai氏はこれ以降を事業の第 2段階と位置付けている。

ホームページによると長男の Kun Naung Myintwai 氏の Wa Minnへの入社が、Myint Wai氏の新

事業進出を可能にした。

その後、進出分野は拡大、現在では琺瑯製品、ステンレス製品、縫製、水質検査、浄化槽組立・

販売、水力発電、建設、アルミ建材、ホテル経営など多岐にわたる分野で事業を展開している。

資本金総額 200億円、グループ企業 15社、他に合弁企業 6社を擁している。

ホームページによると、組織のトップに置かれているのが Board of Directors で、Myint Wai

氏は Patronとされ、長男(Kun Naung Myintwai氏)が会長(Chairman)、次男(Naung Kun Myintwai

氏)が CEO・副会長として実務をこなす同族経営である。その下に 7名からなる Senior Management

Team があり、各種事業、各種職能を分担している。Team のメンバーはヤンゴン大学や国軍出身

のエリート層のようである。上述した新中間層の事例をここに見ることができる。

当企業集団はホームページでミャンマーtop10 企業を目指すと宣言している。上記のとおり、

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ミャンマーで財閥と呼ばれる多角化企業集団は 15~20 あると言われており、当企業集団をこれ

らに伍するものとして位置づけてよいのか、わからない。いずれにしろ当企業集団は 1988 年か

らの新軍事政権による民営経済化済化方針の下――その実行は不十分なものとはいえ――この

機会を活かし、多様な産業分野に進出し大規模化した企業の存在を示すものである*。 *ミャンマーでは所管官庁が違う事業は別企業にしているようである(J-SATグループ代表西垣充氏談)。

当企業集団の場合も訪問した工場敷地に複数(10 社)の企業が存在しており(建屋が同じものもあり)、

感覚的には、それぞれは企業というより事業部門である。同族が所有する資本の下、各種産業で支配的

地位を占めている企業からなる集団が先進国で見られるコンツェルン=財閥だが、そのようなものと

は言えない。ミャンマーで「財閥」と呼ばれるものも先進国に見られるようなコンツェルンといえるの

か、筆者には不明である。

しかし、このように大発展した当企業集団だが、生産現場を見ると、床はデコボコが多く、作

業スペースと運搬スペースを色やラインで区分することもされてなかった。半製品をパレット

にも載せず、床に直置きしたり、縫製工場では床に座り込んでの工程もあった。今回訪問したロ

ーカル企業のどの工場も生産管理は後進的だが、当企業も例外ではなかった。

② C.Y.T. INDUSTRIAL LIMITED(マンダレー工業団地、12 月 4日):専業型大企業

当社は紡績専業企業で、2001年にも訪問した。当時の従業員数 250人に対し現在 1,200人(女

性 800人以上)、上記の中小企業定義に照らし、大企業へと成長していた。ロンジ-用、毛布用

の綿糸を生産、タイにも輸出しているが、国内向けだけでも供給が追い付かないという。01 年

当時、マンダレーに紡績企業が 5社あり、当社は中位規模だったが、工場長によれば現在国内ト

ップ企業であり、さらなる拡大を目指している。現工場ではこれ以上生産能力を拡大するのは無

理で、工場新設を示唆していた。このような発展の要因は何か。

第 1は原料問題の改善である。

18年前にこの企業の経営者が挙げていた最大の問題が原料だった。国内産の原綿は質が悪く、

40 番手の糸までしか生産できず、80番手のような細番手の糸を生産できない。中国産の品質は

良いが高価格で買えない。第一工業省傘下の国営企業があり、綿花を優先的に購入するので入手

できないこともあり、紡績工場の増加で価格も上昇している。

それに対し、現在は、ミャンマーの農民がミャンマー産より繊維の長いインド産と同じ綿花の

栽培を始めたので(商社が種を供与)、細番手の糸の生産ができるようになった。当社は農民へ

の委託栽培もおこない、良質の原料を確保している。また、国営企業の買い付けで原料が入手で

きないということはなくなった。当団地にあった国営企業は民営化され、他地区に国営紡績工場

が 1社残っているが、力が弱っている。原料綿花は民と民の取引となり自由に買えるようになっ

た。

第 2は、中国製品に対し優位たつことができたことである。

従来は中国製品に品質で対抗できなかった。2001 年当時、綿糸の使用者であるロンジ-用生

地の製織企業を訪問すると、ミャンマーでは 80番手の綿糸は生産できず太番手しかできない。

太番手でも 20番手までしか使えず、40番手になると中国製とまぜる必要があるという声が上が

っていた(Amarapura の織布企業)。だが、上記のとおりミャンマー製綿糸の品質は向上した。

さらに、ミャンマーでは各地に糸のバイヤーがおり、彼らが市場に合うように染色している。当

社も Wundwin(ロンジ-工場の集積地)に染色工場を持ち、市場への適合を図っている。中国か

らの輸入品はこのような市場適合に遅れている。なお、当団地内にあった中国系企業が倒産し、

当社が買収した。

綿紡績における輸入中国製品に対する優位は、ミャンマーにおける輸入代替型工業の発展で

あり*、また、川下(縫製業)中心のミャンマー繊維産業における自前の川上セクターの形成と

位置付けられ、産業発展史的にも注目される。 *ミャンマーでは、輸出志向型工業、国内市場の拡大による内需型工業、輸入代替型工業の発展が工

業化の 3 本柱と言え、この紡績企業の発展は産業政策的にも注目される。

発展の著しい当企業だが、問題もある。

1 つは設備の老朽化である。設備の多くは 1980 年代の中国製であり、品質を向上させるため

に新設備への投資が必要である。設備老朽化が進んでいるのは、ミャンマーでは銀行の融資は 1

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年以内の短期融資であり、長期資金の調達が難しいためと推測される。なお、運転資金の借入は

している。原料農家には現金で支払い、製品代金の回収は遅いため、銀行借り入れが必要で、政

府系銀行から借り入れている。年利は 13%。

もう一つは劣悪な労働環境である。訪問時は宗教上の安息日で操業されていなかったが、工場

は綿埃が舞い、マスクをしていても耐え難かった。発展途上国ローカル企業の労働環境は概して

劣悪だが、当企業も例外ではなく、労働環境の改善を置き去りにした大企業への発展と言える。

(2) 近代工業型中小企業

今回訪問企業の中には在来工業型中小企業は見当たらず、皆、近代工業型中小企業に分類でき

るものであった(和田正武氏によるとバガンでは在来工業型中小企業の存在が目立ったとの由、

筆者はパガンを訪問せず帰国)。

③ C.I.S. Group of Companies(ヤンゴン市街、12月 6日 )

Construction Installation Services Co., Ltd. と Taw Win Myint Mo.,Ltd.の2社と C.I.S.

Printing Press(企業登記はされていない模様)からなる企業グループだが、各社ごとの事業内

容を正確には把握できなかった。3企業まとめて社員を雇っているとのことで、事実上、一企業

中の 3事業部門と思える。なお、3企業全体の従業員数は確認できなかったが、中小企業上層規

模と推測する。

応対してくれたのが Taw Win Myint Mo.,Ltd.(正社員 60人、製本作業などの臨時従業員含む

と 100人)の Director(General Manager)の肩書を持つ Aye Aye Mu 女史。1985 年に夫が紙を取

り扱う小企業を設立、その当時、紙の輸入ができず、他社から購入していた。1999年、輸入がで

きるようになり、貿易会社として登記、夫が社長に。夫は 2005年商工会議所会員になり、15年

会議所の仕事を続けている。Aye Aye Mu 女史は 2003 年に経営に参加、2006 年ヤンゴン商工会

議所で AOTSの研修を受け、日本でも 3回研修を受けている。研修では経営理念の必要性、信頼・

正直・敬意が必要なことを学んだ。

2009年、印刷・製本事業にも進出。政府、出版社、紙のパッケージの使用者などが顧客。自社

ブランドのノートも製作。印刷機械の設置、インクの供給も行っている。例えば、ミャンマーの

新聞の 9割は政府各省の発行だが、それに必要な機械の設置、インクの供給を行っている。入札

により仕事を獲得する。スイカやキューリをラッピングする再生紙の生産も始め、中国に輸出し

ている。

紙は、タイ、中国、インド、マレーシア、韓国、日本から輸入している。(女史によると)紙

はミャンマーでは生産されていない。3つの国営企業があるが、資金、技術の問題で操業をスト

ップしている。一社は民営化するために落札した業者がいたが、設備老朽化のために返上した。

中国の協力で操業していた一社もストップした*。印刷機械はインドから輸入、インクは日本の

TOYO INKを輸入している。息子と娘がいるが、後継者は経営に関心があり、外国で M.B.A.をと

った娘の予定。 *旧第一工業省に製紙化学公社があり、2005 年、中国の技術と資金で Thabaung(タバアン)にパルプ

工場を建設したことを指すと思われる。

かつて紙の輸入が禁止されていたのは国営製紙工場を保護するためと思われる。輸入解禁と

いう環境変化、経済成長に伴う紙消費量増加に支えられ、加えて印刷など紙関連分野にも進出と

いう積極策で当社は成長してきた。Taw Win Myint Mo.,Ltd.のマーケットシェアは上位 5社に

入っている由。

一方、Aye Aye Mu女史は次のような問題点を述べていた。

・代金の回収には 1 か月かかる。新しい顧客とは支払いまでの期間が会話の中心となる。ま

た、政府発注の仕事には 10%の資金を用意しないと入札に参加できない。一方、銀行借り入れ

には担保が必要。資金難が最大の問題だ。

・能力の高い労働者の確保が困難。従業員とは雇用契約を結んでいない。20 年働いている人

もいるが、6 か月、1年と働き、よければもっと働くといった調子。雇用契約を結ぶと拘束され

ると思いやめてしまう。賃金は最低賃金(4,800 チャット/日)が基準、働き続ければ昇給はあ

るが、仕事ができるようになると転職してしまう。

・紙などを輸入しているので為替差損が発生する。

・税金を払わず闇で輸入している業者と競争しなくてはならない。

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④ ZALATWAH BISCUITS FACTORY(マンダレー工業団地、12 月 4日)

経営者の U Khin Maung Hla 氏はマンダレー工業団地管理委員会会長。1990 年設立、ビスケッ

ト部門:女 42人、男 8人、パン部門:女 40人、男 30人、計 120人。ビスケットの有名ブラン

ド企業。

小麦、砂糖、油、卵で作った生地を投入して板状にし、モールドのたくさんついたロールでス

タンピング後、コンベアに載せ、途中に段差をつけ 1個ずつにばらし、コンベアで長いドライヤ

ーをくぐらせる。自然冷却後、選別工程で女性が不良品を除き、パッケージへの封入は機械で行

う。パッケージを何個かにまとめて一袋にする。ドライヤー以前の上流工程は男性、不良品の選

別とパッケージを一袋にまとめる工程は女性で、人手の大部分は女性担当の工程。

2001 年 3 月に訪問した当工業団地の別のビスケット工場でもコンベアシステムを取っていた

が、同時に手作業でのスタンッピングとモールドのたくさんついた板でのスタンピング(動力使

用)も併存し、その半製品は薪を燃料とする炉で、バッチシステムで焼いていた。今回訪問企業

にはバッチ工程は全く見られず、バッチシステム→コンベアシステムという生産方法の進歩を

確認できる。

今回訪問企業の経営者は唐辛子、ウコンを栽培し、マンダレーのマーケットで販売していた。

1988 年の新軍事政権成立後 90 年代にビジネスブームが発生、食品関係は常に需要があると思

い、500万チャットで起業した。当時の物価水準は今より低かったので、現在価値はもっと高い。

社長が全額出資した。マンダレーにはビスケット企業が 3社しかなかったが 100社に増えた。華

僑系が多いが、これらライバルとの闘いに苦労した。味で勝負するため韓国企業に倣って消費者

に試食させた。以前は量り売りだったところにこの国の企業としては初めてパッケージで販売

をした。パッケージは自社でデザインする。製品ブランドには「NARUTO」という日本のアニメか

らとったものもある。94 年に当社製品の人気がでた。年に 2 種類新製品を開発し、パッケージ

も変える。創業時に製造したものに近い製品の価格は 50チャット、同種のタイ製品は 200チャ

ット。製品が販売されている地域はヤンゴンとその近郊及び西部地域、各地域にある食品問屋経

由で、地元の小売店に置かれる。スーパーなどには置かれていない。パンは 2000年に始めた。

「ISO2015」(ISO9001 の 2015 年改訂版を指すと思われる)をとり、輸出をしたい。そのため

に工場も建て替える。

当企業は庶民用のビスケット市場で外国製品に対しては低価格で勝負し、国内同業者には逸

早いパッケージ包装で差別化し、ブランドも浸透させた。新製品開発にも積極的である。

拡大している庶民用菓子の市場での成長企業だが、敷地は未舗装、工場は暗く、安息日のため

休業にもかかわらず私たちのために出勤してくれた従業員の労働環境は良くなかった。これを

指摘すると上記のとおり工場は建て替えるとのことだった。

なお、2001 年訪問のビスケット工場では労働者は子供だった。学校が休みのために働いてい

るのではなく、貧しくて小学校に通えない子供を使っていた。小麦粉の量で賃金をリーダーの子

供に払い、他の子に分配させていた。分配の仕方は関与しないとのことで、一種の下請制と言え

る。同年訪問した鋳物工場(ヤンゴン・北オクラパ)は竹製の壁の土間工場だったが(この当時

ミャンマーには cottage industryという分類があり、それにぴったりの工場だった)、ここでも

子供が取鍋に「湯」を入れ運んでいた。当時、小企業では児童労働は珍しくなかったのではない

か。U Khin Maung Hla氏は、もはや児童労働は存在しないと断言していた。

⑤ U KAR KA COMPANY(マンダレー市街、12月 4 日)

各種お茶を毎日 100トン出荷、2016年には「食べる茶葉」(Lahpetsoラペソー)にも進出、毎

月 3 トン出荷、うち半分はアメリカ向け。レストランも経営(我々も食事をした)、ここで当社

製品も販売している。従業員 150人以上。

1928年創業。創業者 U KAR KA氏は 14歳の時ミャンマーに来た中国人で、妻 Daw Seinと出会

いミャンマーで暮らすことにし、夫婦で「U Kar Ka Daw Sein」を設立。食品を販売していたが

お茶に専業化。2代目は娘の Daw Kyin Thanで(夫婦は 10人の子供をもうけたが何番目の子供

かは不明)、茶に詳しく、品質管理、葉の変化による価格設定などに優れていた。茶を米袋に入

れ大量に売れるようにした。3代目はその甥で、茶をパッケージにし、B to Bから B to Cへ進

出した。現社長 Daw Nyo Nyo Sein は 4代目で創業者の孫(女性)、90%を B to Cにした。説明

してくれた Kyaw(チョー)氏は、現社長の甥(創業者のひ孫)で「現場責任者」、5 代目就任が

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予定されている。同族経営による老舗企業である。

ホームページによると、当社は小さなファミリービジネスとして出発したが、第二次世界大戦、

大きな政治的変動、21 世紀に入っての急速な社会経済の変化を生き残り、従業員は 150 人以上

となった。それは、企業の文化と伝統を守りながら革新(innovation)と誠実(integrity)を遂

行したからであり、今日ではミャンマー茶産業における評判の有名ブランドであり、マーケット

リーダーである。

2016年に販売を開始した「食べる茶葉」は、茶葉を土に掘った穴で 3~6か月発酵させ、洗浄

後、唐辛子や生姜で味付けしたもので、ミャンマーでは結婚式や来客時に供せられる。生産して

いる企業は 1,000社あり、よい企業から仕入れている。アメリカにはミャンマー人のコミュニテ

ィーがあり、またレストランではやっているので、発酵させたものを密封し、輸出を始めた。賞

味期限の長い商品の開発を行い、他社との差別化を図るため、「食べる茶葉」用の安全衛生工場・

製造ライン(ミャンマーにはほとんどないクリーンルーム環境)を構築した(「みらい株式会社」

野元 伸一郎氏指導)。

この現在進行中の革新は、中小企業による輸出志向型工業の開発としても注目される。ミャン

マーの輸出志向型工業は、労働集約的な電機部品や縫製品の外国大企業からの受託生産(C.M.P.)

が多いが、この場合は、中小企業によるミャンマーの伝統産業を基盤にした自己ブランでの輸出

である。輸出の脱 C.M.P.が望まれるが、中小企業がその一角を担いうることを示している。

当社は在来工業からの近代化型中小企業と位置付けられるが、Kyaw(チョー)氏によるとミャ

ンマー中小企業に共通の問題も抱えていた。

第 1は銀行融資が短期のため、拡大したくともできない。第 2に、販売員はいるが、茶の戦略

を考えるような専門人材がいない。

また、原料茶葉の入ったジュート袋を 2階にある製茶工程に人力で運ぶが、担いだ個数で賃金

が払われるとのことだった。旧態的な労働システムが推測される(安息日の工場休業で労働現場

は目撃できなかった)のも気になるところである。

⑥ Lay Mon(マンダレー市街、12 月 4日)

学校制服の縫製、他社には一時期だけ(例えば新学期の始まる 6月頃)制服を製作する企業は

あるが、当社は制服専業。従業員は 80人、縫製は労働集約的産業だから「小企業」に該当する

と思われ*、今回訪問した製造企業では最小である。だが、縫製業に多い下請企業ではなく、学

生服に専業化し、市場をほぼ独占している独立専門小企業である。デザインも顧客の言うがまま

ではなく、社内でデザインを出し合い顧客に提案する能動性を持っている。 *「中小企業発展法」中に「労働集約的産業」の定義、具体的産業名見当たらないため、断言を差し

控える。

現社長 Lay Mon女史は 2代目、元マンダレー大学数学教授。2週間 AOTSで研修を受けたこと

がある。母(初代社長)の時代はミシン 3台だったが現在 75台、2000年に社長を交代した。姪

(6歳)が 3代目候補との由。訪問したミャンマー・ローカル企業では後継者について尋ねると

躊躇なく家族や同族をあげる。U Kar Kaは同族により 90年以上経営を継続してきた。ミャンマ

ー企業の強い家業意識・同族経営意識を感じる。

ミシンは JUKI と JACK(中国企業)、布(ポリエステル)はタイと中国製。ミャンマー製は品

質が悪く、すぐ汚れて黒くなる。布の価格は上がっており、大量に注文して安くするため、6か

月分の在庫を抱えている。

80 校が顧客、もっと増やせるが生産能力が不足している。また、先生用と会社用制服にも進

出したいが裁断機が必要となる(現在は鋏)。だが、第 2 工場を建設したばかりなので、資金に

余裕がない。

銀行からは借りない。母から、家を担保に入れてはいけない、利息は払うべきではないと教え

られている。だが、当企業は決して現状維持的な経営をしているわけではない。学生服に特化し、

専門性を武器に独立的に発展してきた。内部資金で設備投資も行い、新たな分野への進出も考え

ている。小企業にもかかわらず、Sagaing(ザガイン)にある大学の学生を毎年 20~25人インタ

ーンシップ(22 日間)で受け入れるという先進的な活動も見られる。外部資金に頼らず、内部

資金蓄積の範囲内で成長していくというのはミャンマーの中小企業によく見られるタイプだが、

当企業の場合は、借り入れ条件を踏まえた戦略的な判断の結果と思われる。

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6.外資企業について

外資企業は日系、外国系を含め、低賃金単純労働者利用型、内需開拓型、アジア人材活用型に

分類できる。

(1) 輸出向け低賃金単純労働者活用型

⑦ IIDA ELECTRONICS (MYANMAR) CO., LTD.(ヤンゴン・Mingaladon工業団地,12月 2日)

電子部品商社飯田通商により 2013 年設立、2017 年正式稼働。事業はトランスの受託製造

(C.M.P.)と電子データ加工サービス。従業員 503 人:トランス製造 222人、電子データ加工サ

ービス 242人、間接部門 39人。

トランス(coil device)製造は段ボールだけが現地調達、資材はタイから、部品は香港経由

中国から無税で輸入され、製品は全量輸出(ほとんど日本)される。バンコク―ヤンゴン間の陸

送はかつて 72時間かかったが、新ルート開通(2015 年)で 36時間(輸送 20 時間、通関・積み

替え 16時間)に短縮した。

飯田通商は中国、タイにも受託生産企業を設けているが、中国では設計技術・製造技術の必要

なもの、タイではクリーンルームが必要なもの、ミャンマーでは人手のかかるものを生産してい

る。ミャンマーでは材料が割高になるので、大人数で労働集約的に生産しないと中国より安くな

らない。日本では生産をしていないので日本とのコスト比較はできず、海外生産拠点同士での比

較になるのが、時代の変化を感じさせる。

電子データ加工サービスは、CADへのデータ入力、画像加工(写真の切り抜きなど)、AI開発

のための教師データ作成、名刺入力などで、プログラミングは行わない。大卒人材を採用しプロ

グラミングを行う企業はヤンゴン市内にある。当社は人手のかかる単純作業を受託する。名刺入

力はパソコン上の名刺からメールアドレス、電話番号などを名刺管理ソフトに入力するもので、

100人でやっている。工場を建設したものの仕事がなかったので始めた。電子データ加工サービ

スの顧客はすべて日本で、「ベトナムではこんな仕事ができたが、こちらではどう?」といった

調子で引き合いが来る。24時間 365日体制のミャンマー最大級の受託センターで、「単純な仕事

でもやる」が「売り」である。

従業員の平均年齢 23.5歳、地方出身 75%・ヤンゴン出身 26%、女性 86%・男性 14%、作業

者に限ると女性 93%・男性 7%。学歴では高卒が主力となっている。地方出身の若年女性労働者

の大量動員による単純労働を基盤とする企業である。

⑧ Earth Tamura Electronic (Myanmar) CO., Ltd.(ヤンゴン・South Dagon工業団地Ⅰ、12月 3日)

トランスと電動工具用スイッチ等生産。タムラ製作所と Earthグループとの合弁企業で、タム

ラより受託生産(C.M.P.)している。タムラ製作所は 1998 年から前身の Earth Industrial

(Myanmar) CO., Ltd.に設備、材料支給でトランスなどを生産委託(C.M.P.)、2014年、設備増

強のため合弁に切り替えた(日本側出資比率 60%)。出荷先はタイのエアコンメーカー向けが最

大で、中国、マレーシア、ヨーロッパ向けにも出荷、日本向けはない。

タムラは全世界に 40ヵ所生産拠点を持ち、うち電子部品関係 8ヵ所、マレーシアを縮小し、

当企業を電子部品関係のアセアン・グループの中核と位置付けている。競争相手は同じタムラグ

ループの中国生産拠点で、現在、従業員直接部門 400人、間接部門 100人だが、“トランプ大統

領のおかげ”で中国拠点からの移転を急速化しており、1,300人体制を目指している。

従業員の殆どは女性で、平均年齢は 23歳、多数の若い女性労働者を基幹労働力とする点で IIDA

と同じである。工程の中心は 200台ある巻線機で、一人で 1日に 100~300個作る。ただ、当社

のトランスは 3,000種類あるので同じラインで 1日 3回製品が変わる。段取りに 15分かかり、

これによる生産性低下をいかに防ぐかが生産管理のポイントだという。もはや日本には工場が

ないので、生産技術や管理技術を本社に頼ることはできず、中国でもミャンマーでも技術は現地

で改良している。日本国内の技術の空洞化を改めて感じさせられた。

⑨ Long Year Shoe Factory(マンダレー・Myotha 工業団地、12月 5日)

中国企業の独資での進出。サンダル等履物、革靴は見かけず。従業員 500人。作業者の殆ど

は女性。原料は中国から、ヨーロッパ向けに生産。中国本社から生産を指示される。

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糊をつける、貼って叩く、型でマークを印字するなどに工程は細分化、殆ど手作業で一部に

ミシンが見られる程度、各ラインに中国人スーパーバイザーが配置されている。現代版マニュ

ファクチュアと言える。

従業員は近在の村から、遠い人は寮に住む。寮費は食事代を含め無料。

賃金は法定最低賃金の 1日(8時間)4,800チャット、残業は 1時間 600 チャットで 2時間あ

る。ミャンマーでは 1週間の総労働時間の限度が 60時間とされている。月額賃金は 20万チャ

ット(15,000円)程度。なお、説明役の大卒女性の月額は 17万チャット(12,000 円)だった。

(2) 内需開拓型

⑩ GOLD AYA(マンダレー・Myotha工業団地、12 月 5日)

北京汽車と現地企業との合弁会社、中国側出資比率 90%。2019年 7月から操業開始。従業員

120人、うち中国人 29人(技術者 18人)。中国人は近くの寮に住んでいる。

当初電気自動車の組立を予定していたが、ミャンマー政府の方針が分からないのでエンジン

自動車を組み立てている。ミャンマー自動車市場の将来性に期待し、進出した。マンダレーの

直販店で販売している。3車種を生産、ミャンマー市場に合わせ、モディファイしている。1台

300万円。現在日産 8台。部品はヤンゴン川を遡って運ばれてくる。現地部品調達は考えてい

ない。生産台数が少ないせいか、工場は閑散としており、本格稼働前の段階と思われる。

ミャンマーではすでに大手 5社が生産(スズキ 13年:新車市場では 1万台強を販売し独走、

起亜自動車 13年、日産自動車と米フォード・モーター17年、現代自動車 19 年)、トヨタは輸

入車販売のみだったが(価格高く 3,000台の販売)、21年にピックアップトラックのハイラッ

クスの生産を開始する(Thilawa工業団地)。当社はこれらの牙城に食い込めるのか。ヤンゴ

ンでなくモータリゼーションが遅れているマンダレーで作り、マンダレーで販売するのは、競

合の少ない市場を狙うという戦略に基づくのか、興味のあるところである。

工場の責任者は 30歳を少し超えた程度。英語が堪能で、各国に駐在経験がある。若い幹部は

中国企業の特徴だが、外国でも若手が活躍している。

(3) アジア人材活用型

⑪ RK YANGON STEEL CO., Ltd.(ヤンゴン・Thilawa 工業団地、12月 3日)

鉄鋼商社のアール・ケイ(本社=大阪市西区、森田良幸会長、従業員 15人)が 2016年 12月

に設立、従業員 200人。日本から輸入したスチールロールを切断して成形を行い、ミャンマーの

建設プロジェクトなどに供する。

同社はベトナム、パキスタン、ミャンマーなどアジア諸国に鉄を輸出してきた。鋼板を加工し

て輸出するが、日本の加工外注先で働いている技能実習生のベトナム人が母国に帰国すると仕

事がない。ベトナムには鋼材加工企業があるため、加工工場を建設するとつぶしてしまう。ミャ

ンマーには鋼材加工企業はなく、その心配はない。そこで、元技能実習生のベトナム人をリーダ

ーとし、その下でミャンマー人が働く工場を建設した。ベトナム人は英語ができず、言葉は通じ

ないが、何とかなっている。また、説明をしてくれた Team Leaderの肩書を持つ Shin Kim氏は

横浜生まれ、タイ育ちの韓国人で、日本本社に入社し、1年目から当企業で働いている。日本の

中小商社がアジア人材を活用し、海外で製造業へ進出している。

ミャンマーでのライバルは中国材を扱っている企業で、価格は当社製より 1割安い。だが、日

本材は高炉企業の品質証明がつくが、中国材の 99%はつかない。日系ゼネコンが顧客だが、実

績をつけるためミャンマーゼネコンも開拓している。ミャンマーは鋼材需要がまだ少ないので

特定製品に特化せず、厚物、薄物のコイルを用いた各種製品、住宅用のパイプなどを作る造管事

業というように総合鋼材加工業を目指している。

上記の、日系大企業による中国+1、タイ+1という文脈の上に立つ低賃金単純労働者狙い

の進出に対し、本ケースは、日本の中小企業が専門能力を獲得した外国人人材を活かすために

進出し、ミャンマーに新たな製造業を起こし、ミャンマー内需の開拓により自身の新展開にも

つなげる――という志を持った進出である。前者はあくまで資本の論理に立つ進出、後者はミ

ャンマー内需市場の開拓もあるが、アジアの人材育成や産業発展への寄与という思いを込めた

進出と言える。当社パンフレットに載っている次の文章は印象的である。

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「私たちの使命はミャンマーのエンジニアを教育・訓練して高度なスキルを持つ専門家に

し、この国での活躍(the development in this land)に貢献することである。RKYSはミャン

マー製造業の発展と革新に積極的な役割を果たす」。

なお、このような、日本の中小企業による専門能力を持つアジア人材活用型の進出は、日本

への技能実習生や留学生の多いベトナムで増えつつある。

7.民間企業に関するとりまとめ

以上、今回訪問した製造企業をタイプ別に総覧した。以下では、主に中小企業の発展性・問

題性という視点に立ち、重要点をまとめる。

(1) 中小企業の発展性

今回訪問で確認できたのは、①②のように中小企業から大企業への発展が見られること、③

④⑤のように中小企業層内での上向も見られること、⑥のように小企業においても専門企業的

に発展している企業のあることである。間違いなく、ミャンマーで企業の活発な上向運動が起

きている。その底で新企業の参入も活発化しているはずだが、今回それを確かめることはでき

なかった。

企業の上向運動には主体的要因と客体的要因がある。

主体的要因としてまずあげられるのは、経営者の市場機会を敏感につかみ取り積極的に行動

を起こす企業家的能力であり、上記企業でもこのような企業家能力の発揮があったに違いな

い。これは市場経済を基本とするどの国でも見られる「基本法則」である。

ミャンマーや発展途上国に特有なものとして、発展している中小企業の経営者には高学歴者

が多いことである。高度成長期までの日本の中小企業経営者は同業中小企業の労働者出身の

「たたき上げ」が多かった(現在ではほとんどが大卒者だが)。ミャンマーの中小企業経営者

も農産品の小商いや同業企業出身の「たたき上げ」が多いが、発展的な中小企業に関しては高

学歴者が多い印象を受ける。また、そういう経営者の企業では日本など先進国から導入したマ

ネジメント知識や技術知識、また、先進国関係者との人的関係が大きな役割を果たしている。

今回訪問企業の中では①がその典型だった。AOTS の研修をうけた経営者もいた(③⑥)、日本

人コンサルトの支援を受けていたのが⑤である。なお、⑧の前身の Earth Industrial(Myanmar)

CO., Ltd.の女性経営者は、日産自動車の代理店を経営している父が彼女を日本の兼松江商で修

業させ、ミャンマー帰国後同社の代理店になったという経歴を持つ。また、ミャンマーではな

お政府の力が強く、経営者が政府関係者と密な関係を持つことが経営発展に有利になるとの見

方もある。そのような経営者も高学歴者が多いだろう。

ミャンマー特有の主体的要因として、同族経営もあげられる。ミャンマーでは同族により企

業を継続させるという意識が強い。経営の中枢を同族に限るのは、外部からの有能な人材の加

入を防ぐというマイナス面があるのは勿論だが、わが家系のためわが家系により企業を存続さ

せるという強い意思が経営のモチベーションになっている印象を受ける。

企業上向運動の客体的な要因は、1988年の新軍事政権によるミャンマー式社会主義の放棄で

ある。政府は方針を掲げただけで GDPの 30%を占めている国営企業の民営化や対外開放が速や

かに進んだわけではないが、民営企業重視の姿勢は 90年代に民間の経営活動を活発化させる効

果はあった。ミャンマーの経済成長率は 1981-88 年に-1.3%だったが、1989―99年は 4.5%

に上昇した。2011年に成立したテイン・セイン政権が民主化と外国投資を積極的に誘致する対

外開放路線への転換を表明し、米国や欧州の制裁の緩和が始まり、外国からの投資や外国の輸

入制限解除が進んだ。軽工業国営企業の閉鎖・民営化、輸入統制の解除も行われた。2011-15

年の成長率は 6.3%になった(経済成長率は工藤年博「ミャンマー産業の歴史的変遷」アジア

中小企業協力機構セミナー2019年 7月 12日、原資料は World Development Indicators)。

以上による効果は今回訪問企業にも見られた。②は国営紡績工場の衰退で原料問題の好転に

恵まれた。③は紙の輸入統制の解除で発展の道を歩み始めた。④⑥は経済成長による消費市場

の拡大に恵まれた。

(2) 中小企業の問題性

ミャンマー中小企業の発展性について述べたが、中小企業はいくつかの問題と闘いながら発

展に努力している。上記中小企業からの聞き取った問題点を箇条的に整理する。

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第 1は、資金難である。これは殆どの企業が指摘していた。特に長期資金の調達が困難だ。銀

行は 1年以内の短期融資のため、銀行から設備投資に必要な長期資金を得られない。長期資金調

達のためには短期融資の借り換えを繰り返すしかない。また、銀行は担保主義で事業評価をして

くれないため、長・短資金にかかわらず豊富な不動産担保を持たない中小企業は資金調達できな

い。ミャンマーでは代金回収に時間がかかり、運転資金融資も必要とされている。なお、金利

13%は高いが、物価上昇率を勘案しての評価が必要だろう。

第 2は、能力の高い労働者や専門人材の不足である(③⑤)。例えば、販売員はいるが製品

のマーケティング戦略を考えるような人材がいない。一般人材の不足に関する声は聴かれなか

ったが、農村からの海外流出の影響を受けている企業もありうる。

第 3は原料問題である。かつてのように国営企業が原料を優先吸収することはなくなったよ

うだが、多くは輸入に依存しているためチャットの下落による原料高に見舞われる。

第 4は、労働者管理の問題である。労働者を企業の人的資源として尊重するという姿勢が欠

けているように見える。労働環境の劣悪さがその象徴である。これでは人材を企業の大事な経

営資源として包摂することはできない。人を使い捨ての経営資源として見るべきではない。

第 5は、生産管理の問題である。アジアでは日本式の 5S活動が普及し、日本企業以上のレベ

ル達している工場も見かけるが、今回訪問企業では 5Sに関する標語は見かけなかった。また、

工場を作業スペース、保管スペース、運搬スペースに区別するための色分けやラインが施され

ていないなど、初歩的なことも行われていなかった。

第 6は、立地環境の問題である。中小企業が移転させられたミャンマーの既成の工業団地の

インフラは劣悪であり、外資が立地する工業団地と天地の差がある。

(3) 生業的企業の存在

今回の訪問企業は皆企業性の確立した企業ばかりだった。だが、ミャンマーには生業的企業

も多く存在しているはずである。

2001年に行った頭記アンケート調査によると、ミャンマーのローカル中小企業には企業性未

確立の企業が多くあった。

家計と経営の分離は生業から企業への第一歩である。家族のみからなる事業体であっても家

計と経営が分離していれば企業と言える。しかし、図表 3によると企業支出と家計支出が区別

されていない企業が半分に達している。「従業員 10人未満」では区別されていない企業が 7割

もある。従業員規模の拡大につれて区別されていない企業は減るが、100人以上層でも 10社に

1社は未区別である。これを反映して、帳簿をつけていない企業も多い。図表 4は帳簿の有無

を尋ねたものだが、「無回答」は帳簿がないものとみなすのが自然だろう。「無回答」に「そ

の他」、「 帳簿はない」を加えたのを帳簿のない企業とみると、全体でやはり 5割を少し超え

る企業が無帳簿企業となる。それに対し複式簿記をつけている企業は 34.5%にすぎない。

当時のヒアリング調査では「経営の目的は 1日 2回食事ができること」「今日の売上からお

米を買いに行く」といった発言に出会った。このように生計維持が目的で、売上収入から家計

費をまかなう企業性の確立していない“企業”が多かった。利潤を目的に、合理的な価値計算

を行うのが資本制的市場経済のプレイヤーだとするならば、それ以前の“企業”が、ローカル

中小企業の半分を占めていた。

図表3.Do you distinguish household expenditure from business expenditure? (Single Choice) <%>

Yes No<10 N=333 28.8 71.210-19 N=126 54.0 46.020-49 N=130 72.3 27.750-99 N=37 75.7 24.3100+ N=64 89.1 10.9Total N=690 49.7 50.3

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図表 4 Do you keep the following books? (Single Choice) <%>

1. Double-entry book keeping

2. Single-entry book keeping

3. Others (specify)

4. No separate book keeping

5. NR

今回調査でミャンマー工業省ヤンゴン SME振興局を訪問した際(12月 2日)、この調査結果を

紹介し、約 20年後の今日、こういう状況は変わったと思うが、どうかと尋ねたところ、「今でも

その通りだ。中小企業のサポートをしなかったためで、中小企業サポートは 2012年に始まった

ばかりだ。ただ、20~25%の中小企業には変化が見られる」とのことだった。マンダレー工業団

地管理委員会(MIMC)のメンバーとの懇談会の席で(12 月 4 日)同じことを尋ねたが、ある参

加者は変わったと断言したが、他の参加者は疑わしそうな顔をしていた。

生業的企業の存在価値は決して低くなく、現代でも人の独立的な生き方として、また地域経済

の柱として重要である。だが、生業とはいえ、市場経済下で存続のためには経済合理性の追求が

必要である。ミャンマー中小企業の抱える課題として指摘しておく。

(4) 企業間関係の視点からのまとめ

以上は中小企業の発展性・問題性という視点からのまとめだったが、製造業におけるミャンマ

ーの企業間関係に関する問題をつけ加えておく。

ミャンマーでは原料、部材、部品を輸入に依存しているため国内製造業内での分業関係が未発

展である。多くの外資企業が国内で調達できるのは段ボールぐらいと言っていたが、これは筆者

が前回訪問した 2001,02 年と同じ状況である(もっとも前回訪問時には段ボールさえ調達でき

ないと言っていた日系企業もあった)。この時期にある程度の規模で広がっていたのはロンジー

用生地を製織する業界での下請分業関係に限られていた。親企業の織布企業が整経した糸を無

償でベーダン(bay tan)と呼ばれる下請企業に供与し、賃加工させるものである。

しかし、他で分業関係形成の芽がないわけではなかった。それは国営機械工場と中小部品企業

間の下請分業である。国営の農業機械工場(MAMI),工作機械工場(MTEI),自動車工場(MADI)は機

械に必要な多くの部品を作りきることはできず、輸入に依存していたが、当時、外貨がひっ迫し

輸入も途絶えていたからである。国営工場と中小部品企業のマッチングも試みられ、一部では取

引も成立したようだが、その後、この分業関係が発展した様子はない。今回訪問したミャンマー

工業省のミャンマー中小企業振興局(MSMED)での聞き取りによると(12 月 2 日)、一時自動車

部品企業が増えたが、自動車輸入をビジネスとする軍関係企業の圧力で部品販売が禁止され、倒

産した。だが、現在は外国自動車企業の組立工場進出で部品生産の機運は高まっているとのこと

である。

今回の訪問では中小部品企業を訪ねることができず、中小企業側にサポーティングインダス

トリーとしての発展可能性があるか確かめることはできなかった。現状では大企業セクターと

中小企業セクターは取引関係のない「二重状態」にある。大企業と中小企業が有機的な分業関係

を形成できるか、ミャンマー製造業の大きな課題である。

以上

追記:以上の分析に基づきあるべき中小企業政策を論じたいところだが、他日を期す。