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燃料電池の利用可能性についての研究ノート(竹田・増井) 56 要旨 燃料電池は、1960 年代には実用化された技術であ るが、固体高分子型と呼ばれる分野における技術革新 によって、1990 年代後半になって初めてエネルギー 源の分散化を実現する技術となり、技術開発と用途拡 大が急進展している。本稿では、燃料電池の開発の歴 史と特性を概観した後、燃料電池が、定置用の発電機 としては発電場所と発電主体の両面での分散化を促 し、自動車等の内燃エンジンの代替エネルギー源とし ては製品アーキテクチャのモジュール化を促進し、モ バイル機器用としては出力密度の向上によって反対に 製品アーキテクチャのインテグラル化を促進するとい うインパクトを与えうることを指摘する。 SUMMARY Application area of fuel cells has been rapidly broad- ened since 1990s when innovation of the technology called PEFC that realizes autonomous distributed ener- gy systems was occurred. This paper reviews a short history of development of fuel cells, characteristics of the four types of fuel cell technology, and their impact on the power generation, the automobiles and the mobile appliances areas. Several hypotheses are pro- posed. First, progress of fuel cell technologies would make power-generation systems more geographically distributed and would change who generates electric power. Second, product architecture of automobiles and mobile appliances would be influenced by adopt- ing fuel cell technologies. Although fuel-cell cars would be more modularized than the present cars that have internal-combustion engines, architecture of mobile appliances would be more integral. 1. 30 年間の助走 2002 7 2 日、当初の予定より 1 年前倒しして、 トヨタ自動車が年内に燃料電池車を発売することを発 表した。トヨタの発表は、燃料電池の開発と利用が昨 今急激に加速しつつあることを象徴するニュースであ った。燃料電池の原理が発見されたのは今から約 200 年前のことであり、1950 年代末から 1960 年代にかけ て宇宙開発用に実用化された。しかし、燃料電池は優 れた発電効率 (1) を持ち、燃料も無尽蔵にあるなど、潜 在能力は極めて大きい技術であるに関わらず、その後 30 年間は一部の限られた用途のみに使われ、他方式 の発電や電池、内燃機関など既存のエネルギー源と代 替するような技術としては見られていなかった。状況 が変わったのは、1990 年代に入って、個人向け製品 の動力源や家庭用電源に適した固体高分子型燃料電池 の開発が進展して、燃料電池が持つ「エネルギー源の 分散化」という特性が表出してからである。企業が環 境問題に対応することがより厳しく求められるように なったことも圧力として加わり、燃料電池の用途が急 速に拡大し、開発競争が激化したのである(燃料電池 の開発の歴史は 2 章参照)燃料電池が 1950 年代末の実用化から約 30 年間の助 走を経て、1990 年代に利用が拡大した過程は、イン ターネットの歴史と類似している。インターネットも、 軍事用の開発を背景に 1960 年代には存在していたが、 利用が拡大したのは、1980 年代後半にパーソナル・ コンピュータと LAN (Local Area Network) が普及し、 1990 年代半ばに Web ブラウザが現れてからである。 インターネットの分散ネットワークという特性は、パ ーソナル・コンピュータによるネットワークの普及と Web ブラウザによって、コンピュータ技術者や研究 者だけでなく一般ユーザーを巻き込む力を与えられ た。燃料電池の持つエネルギーの分散化という特性も、 1990 年代の固体高分子型燃料電池の技術進歩をきっ かけに、さまざまな産業の企業や一般消費者にとって 真に意味のあるものになって来ているのである。 本稿では、燃料電池の開発の歴史と各種の燃料電池 の特性を概観した後、事業用や家庭用の電源となる定 置用、自動車、列車、船舶等の輸送機械用、ユーザー が持ち歩く情報機器等の電力供給源となるモバイル用 燃料電池の利用可能性についての 研究ノート 横浜国立大学大学院 環境情報学府 博士課程前期 増井俊介 横浜国立大学大学院 環境情報研究院 助教授 竹田陽子 Impacts of Fuel Cells Techno- logies on Industries Shunsuke Masui Post-graduate Student, Yoko Takeda Associate Professor Graduate School of Environment and Information Sciences, Yokohama National University ■研究ノート

Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

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燃料電池の利用可能性についての研究ノート(竹田・増井)56

要旨

燃料電池は、1960年代には実用化された技術であ

るが、固体高分子型と呼ばれる分野における技術革新

によって、1990年代後半になって初めてエネルギー

源の分散化を実現する技術となり、技術開発と用途拡

大が急進展している。本稿では、燃料電池の開発の歴

史と特性を概観した後、燃料電池が、定置用の発電機

としては発電場所と発電主体の両面での分散化を促

し、自動車等の内燃エンジンの代替エネルギー源とし

ては製品アーキテクチャのモジュール化を促進し、モ

バイル機器用としては出力密度の向上によって反対に

製品アーキテクチャのインテグラル化を促進するとい

うインパクトを与えうることを指摘する。

SUMMARY

Application area of fuel cells has been rapidly broad-

ened since 1990’s when innovation of the technology

called PEFC that realizes autonomous distributed ener-

gy systems was occurred. This paper reviews a short

history of development of fuel cells, characteristics of

the four types of fuel cell technology, and their impact

on the power generation, the automobiles and the

mobile appliances areas. Several hypotheses are pro-

posed. First, progress of fuel cell technologies would

make power-generation systems more geographically

distributed and would change who generates electric

power. Second, product architecture of automobiles

and mobile appliances would be influenced by adopt-

ing fuel cell technologies. Although fuel-cell cars

would be more modularized than the present cars that

have internal-combustion engines, architecture of

mobile appliances would be more integral.

1. 30 年間の助走

2002年 7月 2日、当初の予定より 1年前倒しして、

トヨタ自動車が年内に燃料電池車を発売することを発

表した。トヨタの発表は、燃料電池の開発と利用が昨

今急激に加速しつつあることを象徴するニュースであ

った。燃料電池の原理が発見されたのは今から約 200

年前のことであり、1950年代末から 1960年代にかけ

て宇宙開発用に実用化された。しかし、燃料電池は優

れた発電効率(1)を持ち、燃料も無尽蔵にあるなど、潜

在能力は極めて大きい技術であるに関わらず、その後

30年間は一部の限られた用途のみに使われ、他方式

の発電や電池、内燃機関など既存のエネルギー源と代

替するような技術としては見られていなかった。状況

が変わったのは、1990年代に入って、個人向け製品

の動力源や家庭用電源に適した固体高分子型燃料電池

の開発が進展して、燃料電池が持つ「エネルギー源の

分散化」という特性が表出してからである。企業が環

境問題に対応することがより厳しく求められるように

なったことも圧力として加わり、燃料電池の用途が急

速に拡大し、開発競争が激化したのである(燃料電池

の開発の歴史は 2章参照)。

燃料電池が 1950年代末の実用化から約 30年間の助

走を経て、1990年代に利用が拡大した過程は、イン

ターネットの歴史と類似している。インターネットも、

軍事用の開発を背景に 1960年代には存在していたが、

利用が拡大したのは、1980年代後半にパーソナル・

コンピュータと LAN (Local Area Network) が普及し、

1990年代半ばに Webブラウザが現れてからである。

インターネットの分散ネットワークという特性は、パ

ーソナル・コンピュータによるネットワークの普及と

Webブラウザによって、コンピュータ技術者や研究

者だけでなく一般ユーザーを巻き込む力を与えられ

た。燃料電池の持つエネルギーの分散化という特性も、

1990年代の固体高分子型燃料電池の技術進歩をきっ

かけに、さまざまな産業の企業や一般消費者にとって

真に意味のあるものになって来ているのである。

本稿では、燃料電池の開発の歴史と各種の燃料電池

の特性を概観した後、事業用や家庭用の電源となる定

置用、自動車、列車、船舶等の輸送機械用、ユーザー

が持ち歩く情報機器等の電力供給源となるモバイル用

燃料電池の利用可能性についての研究ノート

横浜国立大学大学院 環境情報学府

博士課程前期 増井俊介横浜国立大学大学院 環境情報研究院

助教授 竹田陽子

Impacts of Fuel Cells Techno-logies on Industries

Shunsuke MasuiPost-graduate Student,

Yoko TakedaAssociate Professor

Graduate School of Environment and Information Sciences,Yokohama National University

■研究ノート

Page 2: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

研究ノート 57

の 3つの分野における燃料電池の利用可能性について

報告し、燃料電池が、定置用の発電機としては発電場

所と発電主体の両面での分散化を促し、自動車等の内

燃エンジンの代替エネルギー源としては製品アーキテ

クチャのモジュール化を促進し、モバイル機器用とし

ては出力密度の向上によって反対に製品アーキテクチ

ャのインテグラル化を促進するというインパクトを与

えうることを指摘したい。

2.燃料電池開発の歴史

燃料電池開発の歴史は、原理の発見、宇宙開発にお

ける実用化、民生用への展開、個人向け製品用途の拡

大の四つのフェーズに区切ることができる。

第一フェーズ:原理の発見

燃料電池は、1801年、イギリスのデーヴィによっ

て初めてその原理が発見された。この時デーヴィが発

表したのは、固体の炭素を燃料とする燃料電池であっ

た。しかし、デーヴィの燃料電池は原理的には証明さ

れているものの製作が難しく、現在にいたるまで実際

に作られていない。

現在の燃料電池開発につながる水素と酸素の化学反

応により電流を得る燃料電池としては、イギリスのグ

ローブが 1839年に実験に成功している。グローブは

白金の電極を入れた管を電解質である希硫酸に浸し、

水素と酸素を反応させて電気を発生させた。1889年

にイギリスのモンドとランジャーが粗製水素 (炭酸ガ

ス) と酸素の代わりに空気を使った燃料電池の実験に

成功し、1899年にはドイツのネルンストが安定化ジ

ルコニアの酸化物イオン導電性を確認するなどその後

も原理的な発見が続いた。

燃料電池の実用化を目指した研究が始まったのは

1932年で、この年、ベーコンが燃料電池の実用化の

研究を始めた。1952年には、アルカリ型燃料電池の

原型となる電解質に水酸化カリウムを使った燃料電池

の開発し、特許を取得した。その後、5kW (キロワッ

ト) の電力を発生させることのできる燃料電池の試験

にも成功している。

第二フェーズ:宇宙開発における実用化

燃料電池が初めて実用化されたのは宇宙開発におい

てであった。1958年にアメリカのユナイテッド・エア

クラフト社 (後のユナイテッド・テクノロジー社) が

ベーコンの燃料電池の特許権を獲得し、アルカリ型燃

料電池として実用化に成功した。ユナイテッド・テク

ノロジー社のアルカリ型燃料電池は、軽量でコンパク

トなうえ発電効率が高いことが注目され、1968年か

らアポロ計画に採用されている。また、それと前後し

て 1965年には GEがナフィオン膜を使用した高分子

型燃料電池を開発し、ジェミニ計画に採用されている。

現在注目されている固体高分子型の燃料電池の実用化

は、これが最初であった。

その後、宇宙開発の分野では、固体高分子型は耐久

性や燃料となる水素に制約が多いなどの問題があるこ

とから、アルカリ型燃料電池が主流となった。ユナイ

テッド・テクノロジー社のアルカリ型燃料電池は現在

のスペースシャトル計画でも改良を重ねられて利用さ

れている。後に GEは、固体高分子型の商用化の見通

しが立たないとして、1984年に固体高分子型燃料電

池の技術の権利を他社に売却している。

第三フェーズ:民生用への展開

宇宙開発での実用化成功を受けて、民生用燃料電池

の開発も始まった。宇宙利用の際には純水素が利用さ

れていたが、燃料に不純物を含まない純水素を利用す

ることはコストがかかり民生用としてはふさわしくな

かった。そのため、民生用として開発が進んだのは、

宇宙開発に用いられたアルカリ型燃料電池ではなく、

燃料に多少の不純物を許容するリン酸型燃料電池であ

った。

リン酸型を中心とした民生用の燃料電池開発は、米

国が中心になっておこなわれた。初期の大規模な開発

プログラムとしては、1967年にガス会社主体で行わ

れた小型の燃料電池に関する TARGET計画や、電力

会社が主体となり大型燃料電池の開発に取り組んだ

FCG-1などがあり、定置用の発電用途が想定されてい

た。この時、宇宙利用の燃料電池を開発していたユナ

イテッド・テクノロジー社も参加している。

また、日本においても、ほぼ同じ時期に、電力事業

やオフィスビルなどで使われる比較的大容量の燃料電

池を中心に開発が始まった。1981年からは、オイル

ショック後の石油代替エネルギーの開発を目的とした

国家プロジェクトムーンライト計画の一環としても開

発が推進された。開発が開始された初期には、アルカ

リ型とリン酸型が中心であったが、その後、制約の多

いアルカリ型の開発は打ち切られることになった。

1990年代に入ると、リン酸型に代わって、大容量の

発電に向いている溶融炭酸塩型と固体酸化物型の開発

が推進されるようになった。

第四フェーズ:個人向け製品用途の拡大

1990年代に入ってからは、事業用だけでなく、自

動車やモバイル機器、家庭用電源など個人向け製品用

の開発が活発に進められ、燃料電池の新たな可能性が

注目されている。そのきっかけは、カナダのバラード

Page 3: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

燃料電池の利用可能性についての研究ノート(竹田・増井)58

(バラード・パワー・システムズ) 社が 1987年にデュポ

ン社やダウ・ケミカル社のパーフルオロスルホン酸膜

というフッ素系のイオン交換樹脂を用いて、体積あた

りの出力量(出力密度)が飛躍的に大きく、低コストの

固体高分子型の燃料電池を開発したことであった。

GE社が宇宙利用のために開発した固体高分子型の燃

料電池は構成材料にコストがかかり民生利用されなか

ったが、バラード社の成功により固体高分子型燃料電

池の民生用としての利用の展望が大きく開けたのであ

る。

時を同じくして、地球規模で環境問題への関心が高

まっていた。1997年の地球温暖化防止京都会議にお

いて、1990年比で二酸化炭素排出量を日本は 6%、米

国は 6%、EU は 8 %削減するという合意がなされ、

各国は二酸化炭素削減に向けた対策が必要となったの

である。その後、米国は京都議定書の離脱を表明した

が、その米国においても、1996年にカルフォルニア

州が、自動車メーカーに対して、2003年から 2008年

にカルフォルニアで販売する自動車の 10%以上を無

公害車にするというカルフォルニア ZEV (Zero

Emission Vehicles) 規制を定めている。こうした世界

的な環境に対する規制強化も燃料電池を普及させるた

めの開発を後押ししている。

バラード社による固体高分子型燃料電池の開発が進

展したことにより、自動車産業では、1997 年から

1998年にかけて、主要メーカーが一斉に 2004年から

2005年の燃料電池車の実用化を発表した。家庭用発

電機の燃料電池の開発も、自動車業界における燃料電

池開発が牽引役となり進みつつある。また、固体高分

子型は他の種類の燃料電池に比べ小型化が可能なこと

から、モバイル機器用の燃料電池の開発も始まり、

2001年には、NEC、ソニー、日立製作所などの日本

の大手電機メーカーがモバイル機器向けの燃料電池開

発を相次いで発表した。

3. 燃料電池の種類と特性

3-1 燃料電池の原理

燃料電池は、燃料電池本体へ燃料である水素を供給

し、酸素を含む空気と反応させることにより電気を発

生させる。燃料電池による発電の基本的な原理は、水

の電気分解の逆の反応を利用したものである。水の電

気分解は、水に電気を流すと、水が分解されて水素と

酸素が発生するという反応である。化学式であらわす

と、

H2O + 電流 → H2 + 1/2O2

となる。燃料電池の場合、この水の電気分解を逆にし

て酸素と水素を結合させることにより、電流と熱を発

生させる。化学式であらわすと、

H2 + 1/2O2 → H2O + 電流 + 熱

となる。

燃料電池の基本構造は、電子を通さずイオンのみを

通す電解質とそれをはさむ水素極と酸素極の 2つの異

なる電極からなる。燃料となる水素が燃料電池に供給

されると、水素はイオンのみを通す電解質の性質によ

り電子と水素イオンに分離され、水素イオンのみが電

解質を通過する。電子は水素極から導線をたどり電気

を発生させて再び酸素極で水素イオンと酸素を含む空

気と反応し水になる。この電解質と電極の組み合わせ

が燃料電池の最小の単位であるセル(図1)であり、こ

れがいくつも積層して燃料電池の本体であるスタック(2)

を構成している。

H2(水素)

H2O(水) O2(酸素)

2H+

2H+ + 1/2O2 + 2e-

2H+   2e-

電解質

(固体高分子型では電極の皮膜)

水素極

酸素極

電子の流れ

図 1:燃料電池の基本構造(セル)

Page 4: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

研究ノート 59

3-2 燃料電池の種類と特性

燃料電池の種類は電解質に使われる物質の違いにより

分類される。現在、主流となっている燃料電池の種類

は溶融炭酸塩型(MCFC)、固体酸化物型(SOFC)、リン

酸型(PAFC)、固体高分子型(PEFC)の四つである。こ

れらの種類の燃料電池は作動温度の違い等から利用さ

れる分野が異なってくる。各種類の大まかな特性の違

いと適用分野を表 1に示した。

燃料電池の用途を決める最も重要な特性は、電解質

の種類によって異なる作動温度である。作動温度が高

いほど、作動温度に達するまでの昇温に時間がかかる

ため起動は遅くなる。作動温度の高い燃料電池は、定

置用の発電機には利用できるが、すばやく起動する必

要がある輸送機械やモバイル用には向いていない。そ

の一方で、作動温度が高いほど排熱も高温になるため、

排熱を利用して再び発電に利用することが可能にな

る。作動温度の低い燃料電池は、排熱を暖房や給湯な

どに利用すること(コジェネレーション)は可能である

が、発電用として再利用することはできない。

溶融炭酸塩型と固体酸化物型は作動温度がそれぞれ

600~700℃、約 1000℃で、作動温度の高いグループ

に属する。燃料電池から発生した高温の排熱を使って

再び発電をおこなう複合発電が可能であり、大規模な

電力事業などの用途が考えられている。また、固体酸

化物型は電解質が固体であるため形状が自由に変えら

れることも大きな特徴といえる。

作動温度が 200℃前後と中程度であるリン酸型の燃

料電池は、宇宙開発から民生用へと実用化の用途が拡

大する際に開発が進み、現時点でもっとも普及してい

るタイプの燃料電池である。国内では既に 190台を越

える納入実績があり、耐久性、信頼性については実用

のレベルに達している。電力と熱を同時に供給する需

要の多い工場やホテル、病院などで利用されている。

固体高分子型燃料電池は、現在もっとも注目されて

いる種類の燃料電池で、作動温度が約 80℃と最も低

いため、起動が早く、取り扱いが容易である。また、

固体高分子型が注目されているもう一つの理由は、単

位体積あたりの電気出力量(出力密度)の高さである。

電極を高分子膜の溶液で被覆して触媒としているた

め、電極の反応面積を大きくすることが可能となり、

高い出力密度が得られるのである。固体高分子型燃料

電池の作動温度の低さと高い出力密度という特性が、

家庭用自家発電や、輸送機械、モバイル機器用など、

民生用の燃料電池の用途を拡大することとなった。ま

た、電解質が固体であるため振動に強いこと、大量生

産が容易なことも、利用用途が拡大している要因とな

っている。コスト面で見ても、作動温度が低いため、

他の種類の燃料電池に比べて特殊な素材を使用するこ

とが少なく、優位性がある。

リン酸型と固体高分子型燃料電池のコスト上のボト

ルネックは、電極触媒として貴金属である高価な白金

を利用しなければならないことである。自動車用の固

体高分子型燃料電池を例にとると、図 2に示したとお

表1:燃料電池の分類と特性の比較

Page 5: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

燃料電池の利用可能性についての研究ノート(竹田・増井)60

り、電極触媒のコスト比率 43%と最も高くなってい

る。現在、この電極触媒で使用されている白金の使用

量を減らす研究が進められており、その最新の研究成

果の一つとして、低い電圧で効率よく電子を出す新炭

素素材カーボンナノチューブ等を使う方法が考案され

ている。NECは、カーボンナノチューブの一種であ

るカーボンナノホーンを使うことで、同量の白金を使

用した場合に比べ出力を 20%向上させることに成功

している。

4. 燃料電池の利用分野

燃料電池の利用分野は、1)発電機として据え置いて

電力を供給する(定置用)、2)自動車や列車のように自

ら移動する製品の動力源になる(輸送機械用)、3)携

帯電話、PDA、ノート・パソコン、デジタルカメラ、

ビデオカメラなど人が持ち歩く情報機器等の製品の電

力供給源になる(モバイル用)、の三分野に分けて考え

ることができる。2002年秋現在、唯一実用化に至っ

ているのが定置用で、輸送機械用では燃料電池車が実

用車 1号の発表直前、モバイル用はまだ試作品の段階

である。

野村総合研究所によると、モバイル用も 2003年に

は実用化のフェーズに入り、普及は自動車用よりも早

く進む。2006年にはモバイル機器の 1%が燃料電池

対応になり、2010年には 10%に達するが、燃料電池

車が量産化されるのは 2010年という予測である。(日

経エレクトロニクス 2001年 10月 22日号)。

また、矢野経済研究所の 2002年 8月の推計では、

2010年度における固体高分子型燃料電池の国内市場

規模は 4011 億円(家庭用発電機 66 %、モバイル用

11%、自動車用 18%)、出荷台数は 432万台(家庭用

発電機 20%、モバイル用 76%、自動車用 3%)とな

る見込みである(日経エレクトロニクス 2002年 9月 9

日号)。

出典:燃料電池開発情報センター『燃料電池 PEFC』(1999年)を参考に著者作成

図 2 自動車用固体高分子型燃料電池のコストシェア

4 -1 定置用燃料電池

(1) 現状

定置用の燃料電池の用途としては、広域電力供給用

の大規模発電、中規模なものとして学校・工場・オフィ

ス・病院などの事業用自家発電、小規模なものとして

家庭用自家発電などが挙げられる。定置用には、前述

の全種類の燃料電池が使われているが、規模により使

われる燃料電池の種類がある程度特定される。

大規模発電用

現在、電力会社による広域の電力供給に使われてい

る火力発電、水力発電、および原子力発電はそれぞれ

エネルギーをタービンで運動エネルギーに変換し、発

電機を作動させ電気を発生させている。一方、燃料電

池発電は、化学反応の際発生する化学エネルギーを直

接電気エネルギーへと変換できるため、他の発電方式

と比較した場合、発電効率が高いことが特徴である。

また、現在 5%ほどある送電時のエネルギー損失が極

めて小さくなることも特徴である(燃料電池実用化戦

略研究会 2001)。

しかし、現在のところ、コストは既存の発電方法に

比べてまだ高い水準にあるようである(表 2)。

大規模発電用利用が進められている燃料電池は、作

動温度が高い溶融炭酸塩型と固体酸化物型の 2種類が

主流である。溶融炭酸塩型の場合、アメリカではすで

に 2000kWの実験を経て、5000 kW級のプラントの実

用化が進められている。日本では、1999年に中部電

力の川越発電所に 1000kW級パイロットプラントが建

設されるなどの運転試験の実績がある。

中規模発電用 (学校・工場・オフィス・病院・ホテルなど

での利用)

現在、定置用燃料電池の中で最も実用化が進んでい

るのが中規模発電用で、リン酸型が中心である。排熱

が有効利用でき、コスト効率が高いため、ホテルや病

院など熱の再利用(コジェネレーション)の需要が高い

Page 6: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

研究ノート 61

場所で利用されている。

日本はリン酸型燃料電池の開発に積極的に取り組ん

でおり、2000年までに導入されたリン酸型燃料電池

は国内約 200台で、海外の約 180台を上回っている。

出力は 200kWのものが主流であり、燃料は天然ガス

が多いが、LPガス、メタンガス、化学工場で副生的

に発生した水素が利用できるなど目的に応じた選択が

可能である点でも完成度が高い。

小規模発電用 (家庭用電源としての利用)

家庭用電源など小規模発電用の燃料電池としては、

固体高分子型の開発が進められており、発電効率は、

2001年 10月に大阪ガスが世界最高の 37.5%を達成し

ている。さらに、排熱も含めた総合効率(3)は 70%か

ら 80%になり、既存の火力発電と比較するとほぼ 2

倍である。

固体高分子型の作動温度は約 80度と低い。この温

度の排熱では、ホテルや病院などで冷暖房や給湯に再

利用することは難しいが、家庭用ならば台所、風呂へ

の供給、床暖房などの用途で充分に利用可能な温度で

ある。また、起動時などの取り扱いが容易なことも家

庭用として適している。燃料としては、インフラスト

ラクチャの整った都市ガスを改質して水素ガスを得る

ことができる。都市ガスの改質器は、東京ガス、大阪

ガス、東邦ガスが開発を行っているが、ガスから水素

を生成する割合は 90%にも達している。

燃料電池実用化戦略研究会報告(2001)は、家庭用燃料

電池の普及を考えた場合、システム全体として 30万

から 50万円程度になることが必要であり、そのため

には高分子膜の低コスト化と性能の向上、触媒として

利用される高価な白金の使用量の低減を可能にする電

極の開発がさらに必要であるとしている。

もうひとつの課題は、耐久性である。家庭用燃料電池

の耐久年数目標を 10年とした場合、約 4万時間の運

転に耐える必要がある。新エネルギー・産業技術総合

開発機構 (NEDO) によると、2000年度までの研究成

果で確認された燃料電池の耐久時間は 5000時間で、

まだ十分な水準には程遠い。

また、家庭用と自動車用の固体高分子型燃料電池は

期待される機能として大きな違いがあるわけではない

ので、燃料電池車の開発を行っているトヨタやホンダ、

GMも、家庭用の固体高分子型燃料電池に取り組むな

ど、業界を超えたデファクト・スタンダード獲得のた

めの開発競争が行われている。自動車産業で固体高分

子型燃料電池の開発が進めば、量産効果による低コス

ト化も期待できる。

(2) 発電システムの分散化

燃料電池の登場で、需要地で必要とされるだけの量

の電力を発電する分散型発電システムが注目されてい

る。従来は、火力や原子力では発電効率を向上させる

ために、水力では地理的な制約のために、大規模で集

中的な発電が行われ、発電施設は、環境問題や安全性、

自然条件のために都市部などの大需要地から離れて建

設されるのが通常であった。

発電システムの分散化の流れは、制度面の変化にも

後押しされている。卸分野における参入規制は、1995

年に電気事業法が改正され、原則撤廃された。小売分

野では、1999年に、受電電圧 2万 V以上、契約電力

2000kW以上の大口需要者を対象とした電力小売事

業新規参入の自由化が導入され、2002 年 4 月には、

経済産業省の総合資源エネルギー調査会が初めて電力

小売分野での全面自由化の方向性を打ち出した。

電力自由化と燃料電池の技術革新は、どこで発電す

るのか(場所)、誰が発電するのか(主体)、という 2つ

の次元の分散化を促す。第一の発電場所の分散化は、

発電所が遠隔地における集中発電から需要地に接近し

  石油火力 水力 原子力 リン酸型燃料電池

発電コスト(/kWh) 10.0円 13.6円 5.9円 22円

表 2:発電コスト比較 *

*従来型発電のコスト(左欄)は、2002年 2月の経済産業省資源エネルギー庁の公表したデータ、燃

料電池の発電コスト(右欄)は、同省の「総合資源エネルギー調査会新エネルギー部会報告」(2001)に

基づいて算出(耐久年数 10年と仮定)した。両欄は、データの出元が異なり、算出方法も異なると

考えられるため、正確な比較ではないことに留意されたい。

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燃料電池の利用可能性についての研究ノート(竹田・増井)62

た立地に移動する、工場など大口需要者の敷地内に発

電施設が設置されるようになる(オンサイト発電)、住

宅や店舗といった建設物そのものが発電施設を兼ねる

ようになる、設備・機器の一部分に発電システムが組

み込まれる、といったさまざまなレベルでのシフトが

考えられる。従来、エネルギーのインフラストラクチ

ャ整備のコストが高いために設置、建設できなかった

場所に、通信基地局、自動販売機などの設備や、店舗、

事業所、娯楽施設、小規模工場、住宅などを配置する

ことが可能になり、都市計画や立地計画の考え方に影

響を与えるようになるかもしれない

第二は、発電の初期投資額が小さくなり、参入規制

が緩和されることにより、電力供給に新規の参入者が

促されると同時に、企業や家庭が電力会社から電力の

供給を受けるのではなく、自ら発電する動きが広がる

ことによって、電力供給の主体が変化することである。

事業者や家庭の自家発電の手段としては、従来からデ

ィーゼル発電機やガスタービン発電機、マイクロガス

タービン発電機があったが、分散発電の市場が未発達

であったためにコストダウンが進まず、普及が進んで

いない。固体高分子型燃料電池は定置用だけでなく、

巨大な市場規模をもつ自動車産業で利用されうること

を考えると、大量生産によるコストダウンの見込みは

高い。発電システムにも、パーソナル・コンピュータ

とインターネットにより小規模事業所や家庭を巻き込

んだ自律分散型ネットワークが実現したのと似た現象

が起こりつつある。

4-2 輸送機械用燃料電池

(1) 現状

自動車

自動車産業で燃料電池車の開発が急ピッチで進んで

いるのは、排気ガス規制等の環境問題や天然資源の枯

渇問題への対応だけではなく、バラード社の固体高分

子型燃料電池の実用化以降、燃料電池の動力源として

の優秀性が認知されてきたことがある。自動車にこれ

まで搭載されてきたガソリンによる内燃エンジンのエ

ネルギー効率(4)を燃料電池と比較すると、内燃エンジ

ンが 15~20 %であるのに対し、燃料電池の場合は

30%以上と高い水準にある。また、低騒音、低振動で

あることも内燃エンジンと異なる点である。

現在、自動車に搭載される燃料電池として最も実用

化が進んでいるのは、固体高分子型である。固体高分

子型は小型で高出力なため自動車用の燃料電池として

適している。固体高分子型燃料電池はカナダのバラー

ド社が高分子膜の性能の向上と大幅なコスト低減に成

功し、さらに 1993年に同社が固体高分子型燃料電池

を搭載した燃料電池バスの試作車の開発に成功したこ

とから自動車用としての用途の道が開けた。同年、バ

ラード社はドイツのダイムラー社(現ダイムラー・クラ

イスラー社)と本格的に提携を結び、自動車メーカー

による燃料電池の開発競争が激化することになる。

欧米メーカーは、燃料電池車の 2003年から 2004年

の実用化予定を発表している。燃料電池をめぐる開発

競争では、バラード社と手を組むダイムラー・クライ

スラーが、水素タンク方式の燃料電池車 NECARIを

1994年に他社に先駆けて製作した。GMは、1997年

前後に燃料電池の開発を本格化し、トヨタとの共同開

発にも着手している。2002年 1月に開かれた北米国

際自動車ショーで、GMは、燃料電池のコンセプト・

カーを「自動車の歴史において 20世紀は内燃機関の

時代だったが、21世紀は燃料電池の時代になる。そ

の中でこの新型燃料電池車は単なる『1章』ではなく、

まるごと『1 巻』を担うことになる」と紹介した。

(日経エレクトロニクス 2002年 1月 28日号)

日本の自動車メーカーでは、トヨタとホンダが

2003年に予定していた発売を一年前倒しの 2002年末

におこなうことを発表した。日産も、発売を 2年前倒

しして、2003年に発売することを発表している。し

かし、自動車では新規技術の開発には安全性の審査な

どのために長い期間を要することから、本格的に量産

化されるのは 2010年~ 2030年と言われ、それまでは

ハイブリッド車が中心になるだろうと見られている。

経済産業省の燃料電池実用化戦略研究会報告(2001)

は、燃料電池車の普及目標を、2010年に累積 5万台

(普及率約 0.07%)、2020年に 500万台 (同約 6.9%)と

している。そのためには、改質器その他の周辺機器を

含む燃料電池システムのコストを、既存のエンジンと

同程度のレベルまで下げることが求められている。燃

料電池実用化戦略研究会報告では現状のエンジンのコ

ストとの比較で換算された燃料電池のコスト条件は、

出力 1kWあたり 5,000円(25万円/台)程度である。

燃料電池車の普及にあたってもう一つの重要な課題

は、燃料供給のインフラストラクチャ整備の問題であ

る。現在、固体高分子型燃料電池車の燃料としては、

水素そのものを搭載する方式、メタノール搭載して改

質する方式、ガソリンを搭載して改質する方式の三種

類があるが、燃料電池車の燃料として何が選択される

かは、技術的な可能性とともに燃料供給インフラスト

ラクチャの状況にも依存する。ガソリンを搭載する方

式は、全国で約 5万 5000箇所の既存のガソリンスタ

ンドを燃料供給インフラストラクチャとして利用でき

る点で有利であるといえるが、改質技術が相対的に困

難であることや、改質時に二酸化炭素が他の燃料に比

Page 8: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

研究ノート 63

べ多く排出されるといった課題も多い (燃料電池実用

化戦略研究会報告 2001)。直接水素を供給する場合は、

ガソリンなどと比較して整備にコストと時間が必要と

なるであろう。燃料電池普及を目指した新エネルギ

ー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプロジェクトで

は、2002年末までに全国で 8箇所の水素ステーショ

ンの建設が予定されている。政府主導のインフラスト

ラクチャ整備の動きが急ピッチで進んでいることも、

日本の自動車メーカーが相次いで燃料電池車の発売の

前倒しをおこなった背景の 1つになっていると言われ

ている(日経エレクトロニクス 2002年 8月 26日号)。

列車

列車への燃料電池導入に関しては他の分野に比べ研

究が遅れており、国内で進められている研究は、JR

東日本が車両動力システム開発の一環として燃料電池

の可能性を挙げているにとどまるが、列車での燃料電

池の利用可能性は、他の分野に比べても高いと考えら

れる。現在、列車はレールと高架線から電流を取り入

れ走行するが、その電力供給は発電所から電力を独自

に交流から直流に変換して送電している。燃料電池か

ら発生する電気は直流であるから、変換することなく

直接電力を利用できるため、発電効率を高めることが

できる。また、燃料電池を列車の電力源にする方法と

しては、各駅に燃料電池を設置して架線に送電する方

法と、列車自体に搭載する方法が考えられるが、各駅

に燃料電池を設置した場合には、燃料電池の排熱は駅

の空調などに再利用できる。発電の規模は駅の規模に

応じて調整することが可能であるし、既存のシステム

に比べ送電ロスも低減できる。列車自体に燃料電池を

搭載する場合は、送電を利用せずに燃料電池のみの動

力で駆動できれば、送電ロスはさらに解消される。排

熱は車両内の空調に利用することが可能である。自動

車と比較した場合には、スペース的な制約も少なく、

また出力量が足りなければ送電とのハイブリットも可

能であるため導入しやすいと考えられる。

船舶

船舶での燃料電池の利用可能性については、日本造

船研究会が詳細な研究を行っている。船舶用燃料電池

の種類としては、作動温度が低く、負荷の変動に強く、

出力密度が高く、振動・動揺に強いという条件から固

体高分子型が想定され、燃料は貯蔵が容易で小型化の

可能性が高いメタノールが考えられている。1996年

の研究結果では、効率面では目標値をクリアし、負荷

変動性能、容積・重量、安全性の項目で従来船と同等

の水準を達成できるとしている。また、燃料電池本体

に対する課題として次の項目を挙げている。第一に、

一酸化炭素許容濃度を改質ガス中の一酸化炭素が

500ppm程度であること、第二に、1スタックあたり

の出力が 100kW以上であること、第三に、動揺・傾斜

時にも燃料電池の内部に生成水が滞留しないこと、第

四に、耐久性が 5年 (40000時間) あることである。

現在では開発が進み、一酸化炭素許容濃度の問題が解

決されつつある。まだ耐久性やコストに問題を残して

いるが、実用化の可能性は高い。

輸送機械用燃料電池のその他の例としては、米国の

サイエンティフィック社がイタリアの自転車メーカー

のアプリらとの共同開発で、燃料電池を搭載したペダ

ルをこがなくても時速 30キロで走行する自転車「ハイ

ドロサイクル」を開発した例がある。同社はその他に

も燃料電池を搭載した車椅子や掃除機などの実用化を

進めている。

(2) 内燃エンジンからの転換に伴う製品アーキテク

チャの変化

これまで、列車を除くほとんどの輸送機械の動力源

は、ガソリン等を燃料とする内燃エンジンであった。

内燃エンジンは、ガソリンを爆発させたエネルギーを

直接運動エネルギーにするのに対し、燃料電池は化学

的に発生させた電気エネルギーをモーターで運動エネ

ルギーに変換する。この動力源のメカニズムの違いは、

製品アーキテクチャに影響を与える可能性がある。

内燃エンジンを中心とするシステムは、基本的に動

力が機械系のシステムによって発生し、伝えられてい

くので、エンジンとトランスミッション、サスペンシ

ョン、シャーシといったすべての構成要素を相互に調

整して乗り心地や安定性といった機能を達成する必要

があった。一方、燃料電池システムでは、電力によっ

て動力を伝え、制御することができるので、内燃エン

ジンシステムに比べ、燃料電池システムでは、駆動部

とその他の構成要素の間の相互依存性が低くなる。ま

た、燃料電池の低騒音、低振動という特性は、これま

での内燃エンジンが生み出していた振動や騒音などの

制約を緩和するため、部品間の相互依存性を一層低め

る効果がある。したがって、燃料電池が内燃エンジン

に代替することで、これまでより部品間の相互の調整

を必要としないモジュール化が進む可能性がある。ま

た、燃料電池の位置は内燃エンジンほど制約を受けず、

モーターをタイヤごとに取り付けるなど、車体内に分

散させることも可能である。本格的な燃料電池車は、

これまでにない革新的なデザインになるかもしれな

い。

Page 9: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

燃料電池の利用可能性についての研究ノート(竹田・増井)64

4-3 モバイル用燃料電池

(1) 現状

携帯電話や PDA、ノートパソコン、デジタルカメ

ラ、デジタルビデオカメラなど、人間が持ち運んで使

う機器の電源としての燃料電池は、小型でも高出力の

発電が可能な固体高分子型の開発が進んだことにより

実用化の可能性が高まった。モバイル用の固体高分子

型の主な燃料供給の方式は、水素ガスを水素吸蔵合金

に収める「純水素方式」、メタノールを改質し水素を取

り出す「メタノール改質方式」、水素ではなくメタノー

ルを直接電池に投入する「ダイレクト・メタノール方

式」の三つがある。現在主流の燃料供給方式はダイレ

クト・メタノール方式である。

モバイル用の電源として現在最も普及しているの

は、交流電源から充電する二次電池のリチウムイオ

ン・バッテリーであるが、リチウムイオン・バッテリ

ーの性能向上は鈍ってきており、近い将来、大きさを

維持したまま従来より高出力を出すことは難しくな

る。一方、燃料電池の出力密度は、理論的にはリチウ

ムイオン・バッテリーの 10倍以上である。燃料電池は、

モバイル用としては急激に消費電力を上昇させること

が難しいという弱点があったが、電気二重層コンデン

サや二次電池との併用によってこの問題は解決されつ

つある(日経エレクトロニクス 2001年 10月 22日号)。

モバイル用の燃料電池の開発は、リチウムイオン・

バッテリーの代替品として始まったため、2001年に

相次いで実用化計画を発表した企業は、ソニーや

NEC、日立製作所など自社グループ内でリチウムイオ

ン・バッテリーなどの二次電池を開発している企業で

あった。これらのメーカーは早くても 2005年を実用

化目標としていたが、2002年 3月、二次電池を事業

として持っていないカシオが 2004年という最も早い

段階での実用化を発表し、20時間駆動が可能な燃料

電池搭載のノート・パソコンの試作品を公開して、業

界を驚かせた。カシオの開発した燃料電池は、現在主

流であるダイレクト・メタノール方式ではなく、メタ

ノール改質方式で、体積はリチウムイオン・バッテリ

ーと同じであるが、重さはおよそ半分、駆動時間はリ

チウム・イオンバッテリーが 5時間に対し、カシオの

燃料電池は 20時間と 4倍である(表 3)。他にも、ドイ

ツの Fraunhofer Institute社等が燃料電池駆動のノー

ト・パソコン、米国の M o t o r o l a 社、 S a m s u n g

Advanced Institute社等が燃料電池内蔵の携帯電話の

試作品を発表し、東芝が自社製の PDAにダイレクト・

メタノール方式の燃料電池を接続して、駆動させるこ

とに成功した。(日経エレクトロニクス 2002 年 6月 3

日号)

  燃料電池の体積(ml) 重さ(g) 駆動時間(時間)

リチウムイオン・バッテリー 105 168 5

ダイレクト・メタノール方式 502 600 20

メタノール改質方式(カシオ) 105 92 20

表 3:燃料電池とリチウムイオン・バッテリーの性能比較

日本経済新聞 (2002年 3月 12日付) をもとに著者作成

(2) 出力密度がモバイル機器のアーキテクチャに与

える影響

既存のモバイル製品に搭載されているリチウムイオ

ン・バッテリーに燃料電池が代替すれば、同容量で

3~7倍、同重量で 6~7倍の電気を発生させることがで

きる。この出力密度の大きさが、モバイル製品の進化

の方向を変えていく可能性がある。

これまでモバイル製品はバッテリーの制約を大きく

受け、省エネのためにパフォーマンスを制限せざるを

得なかった。最近では特に急速にモバイル製品の機能

が多様化し、それに伴う消費電力の増加がバッテリー

の制約を高めている。例えば、携帯電話の機能はこれ

まで通信機能が主体であったが、最近ではデータ処理

など通信以外の機能が多様に拡張している。また、通

信機能自体も、通話や、電子メール以外に静止画や動

画のデータ通信が発達したことで消費エネルギーもさ

らに増加している。例えば、2001年 10月に発売され

た NTTドコモの第三世代携帯電話「FOMA」は、従来

よりも大幅に高機能・多機能化が進んだが、その結果、

待ち受け時の消費電力が従来の約 8倍にもなってい

る。このような携帯端末の高機能・多機能化による消

費電力の増加に対応するために既存のバッテリー性能

の向上が必要となっているが、既存のバッテリー性能

を飛躍的に向上することは困難である。燃料電池が注

目される理由はそこにある。第三世代携帯電話の事例

Page 10: Impacts of Fuel Cells Techno- 燃料電池の利用可能性についての …

研究ノート 65

で明らかなようにモバイル機器の技術的なボトルネッ

クは消費電力である。燃料電池の高出力密度という特

性は、このボトルネックを大幅に解消すると考えられ

る。

消費電力というボトルネックが解決されれば、モバ

イル機器に搭載する機能はさらに多様化・高度化させ

ることが可能になる。この機能の多様化・高度化は、

モバイル機器の製品アーキテクチャに大きな影響を与

えることが予想される。モバイル機器は限られた空間

的な制約の中でさまざまな機能を詰め込む必要がある

ため、構成要素間でさまざまな干渉が生じ、構成要素

間で複雑な調整が必要となる。この構成要素間の相互

依存性は空間的制約が変わらなければ、機能が多様

化・高度化するほど複雑性を増す。燃料電池が消費電

力のボトルネックを大幅に解消することで機能の多様

化・高度化が進めば、その結果、構成要素間の調整作

業はさらに複雑性を増し、製品アーキテクチャをより

インテグラルに変化させると考えられる。

モバイル機器の場合、燃料電池が搭載されることに

よりアーキテクチャがインテグラルな方向に進むとい

う予想は、よりモジュール化がすすむと予想される自

動車の場合とはまったく逆の結論である。この結果の

差異は、2つの理由が考えられる。一つめは、自動車

がもともと内燃機関という機械式の動力を利用してお

り、モバイル機器は電気出力を動力としていたという

違いである。機械制御の場合は電気制御にくらべ構成

要素間の相互依存性は高い傾向にある。モバイル機器

の場合、電気制御という点では大きな変化はないが、

自動車の場合には機械制御から電気制御へと転換する

ことで、構成要素間の調整量の減少はモバイル機器の

それと比べて大きくなると考えられる。二つめは、燃

料電池を搭載することで出力密度がどれほど変化した

かである。自動車の内燃機関の出力密度(5)はもともと

高いため、出力密度に関しては大きな変化はない。一

方、主にリチウムイオン・バッテリーの代替として利

用されるモバイル機器では、燃料電池の採用により出

力密度が飛躍的に向上し、一定の空間制約の中で機能

の多様化・高度化がますます進み、構成要素間の相互

依存性を高める結果になると考えられるのである。

5. エネルギー源の分散化のインパクト

燃料電池は 1960年代には実用化されていたのに関

わらず、燃料電池の市場は、なぜ 1990年代に固体高

分子型の燃料電池の技術革新が起こって初めて急激に

広がり始めたのであろうか。その理由は、主要自動車

メーカーが燃料電池車の開発を相次いで発表するなど

の出来事を通じ、燃料電池の開発企業だけでなく、ユ

ーザー企業や個人が燃料電池は各分野で実用に足るも

のになると認識し始めたからであると考えられる。エ

ネルギーの分散化は、事業向けの発電などではリン酸

型燃料電池ですでに実用化されていたが、家庭用発電

や自動車、モバイル機器等の個人向け製品の電源への

拡大といった本格的な「エネルギー源の分散化」が社

会的な認知を獲得できたのは、1990年代後半になっ

てからである。

規模の大きい発電に使われていたそれまでの燃料電

池は、発電主体や発電場所の分布を大きく変えないた

め、既存の発電方式の代替でしかなく、従来型の発電

方式の効率が改善されれば、技術開発のインセンティ

ブは下がってしまう。技術的な困難度が高い燃料電池

に取り組むよりも、既存の発電方式を改善する意思決

定の方が短期的には合理的である。しかし、家庭や事

業所にも置ける固体高分子型燃料電池発電機は、発電

システムを質的に転換させる潜在力を持っている。地

理的な分散化と発電主体の分散化によって、新しい市

場、新しいビジネスモデルが生まれ、企業がこれに投

資するインセンティブが高まったのである。

発電システムの分散化に加えて、固体高分子型燃料

電池のもたらしたもう一つの分散化は、定置用発電機

から自動車やモバイル機器等の個人向け製品の電源へ

の利用拡大である。自動車の場合は、環境規制という

外的制約の発生が、燃料電池の技術革新の時期とタイ

ミング的に合っていたことにより、開発が急ピッチで

進み出した。モバイル機器の場合は、リチウムイオ

ン・バッテリーの性能向上の鈍化と、モバイル機器に

求められる性能が年々高度化していることが促進要因

となった。

自動車と同じ輸送機械でも、もともと電気制御で動

く列車の場合は、環境規制に直接関わらないため、燃

料電池採用のメリットは大きいのに関わらず、開発、

採用が進展していない。モバイル機器の場合は、もと

もと電気制御であるが、出力密度の向上という、固体

高分子型燃料電池のもう一つの特徴に期待が集まり、

開発競争が促進された。

このように、燃料電池が用途分野によって異なる影

響を与えうることは、理論、実務の両面で注目すべき

点である。燃料電池の技術と用途は当面激しく変化す

ることが予想されるが、非常に潜在力の大きい分野で

あるため、その社会的インパクトの理論付けと実証を

継続的に行なっていくべきであろう。

参考文献

・石井弘毅(2001)『燃料電池がわかる本』オーム社

・エネルギー総合工学研究所(2001)『固体高分子形燃

料電池』財団法人エネルギー総合工学研究所

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燃料電池の利用可能性についての研究ノート(竹田・増井)66

・清水和夫・平田賢(2000)『燃料電池とは何か』日本

放送出版協会

・資源エネルギー庁編(1999年)『新エネルギー便覧―

平成 10年度版―』通商産業調査会出版部

・日本電機工業会燃料電池発電システム技術専門委員

会(2001)『平成 13年度燃料電池の導入促進と実用

化に関する助成策要望書』日本電機工業会

・日本船舶研究会(1996)『新形式舶用電気推進システ

ムの試験研究』日本船舶研究会

・『日経エレクトロニクス』 (2001年 10月 22日号、

2002年 1月 28日号、6月 3日号、8月 26日号、9

月 9日号)日経マグロウヒル社

・『日本経済新聞』(2002年 3月 12日)日経新聞社

・燃料電池実用化戦略研究会(2001)『燃料電池実用化

戦略研究報告』経済産業省

・燃料電池開発情報センター(1999)『燃料電池 PEFC』

・広瀬研吉(1992)『燃料電池のおはなし』日本規格協

・広瀬隆(2001)『燃料電池が世界を変える』日本放送

出版協会

・堀内義実(2000)「実用段階を迎えた燃料電池」『信学

技報』電子情報通信学会

・資源エネルギー庁新エネルギー対策課『総合資源エ

ネルギー調査会新エネルギー部会報告-今後の新エ

ネルギー対策のあり方について-』2001年 6月

注記

(1)発電効率=発電システムで電気エネルギーに転換

された量/発電システムに投入した全エネルギー

(2)スタックとは、複数枚の単セルを積層したものを

一つの構成単位としたもので、類似語に積層電池

があるが、積層電池が容器の中に入って燃料電池

になるのに対し、スタックは容器を含めた一つの

燃料電池の意味で使われる。

(3)総合効率=コジェネレーション・システムで利用さ

れる電気エネルギーと熱エネルギーに転換された

量/コジェネレーション・システムに投入した全エ

ネルギー量 ただし、この場合の総合効率はコジ

ェネレーション・システムを想定している。

(4)エネルギー効率=自動車で車輪を駆動する動力の

エネルギーに転換された量/自動車に投入した全

エネルギー ただし、この場合のエネルギー効率

の式は自動車に限定している。

(5)自動車の場合には電気出力ではないので、この場

合にはエネルギー出力を指す。

本研究は、平成 14年度学術振興会科学研究費 若手研

究(B)課題番号 14730098を受けています。