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LA MADRUGADA

La madrugada#1

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Japanese Photo Essay from Okinawa #1

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LA MADRUGADA

   

背中は斯く哲を語りき  背中は 実に多くの物事を語る  人々は 親や兄弟や上司などの背中をみて 日々学び成長している  そんな中でも特に 猫の背中は 世を鋭く批評し哲を語る  自分の人生を左右するのは まさに自分であるという真理を 彼らはいつも背中で語っているのだ 

今見ている桜の木と、さっきまでみていた桜の木の違いは、わからない。

どっちも桜だ。名もなければ個性もあるかわからない。

確かに違うけど、何が違うか言い表せない。桜。

隅田川沿い、どこに行っても大体見えてしまうスカイツリー。奴は唯一無二のスカイツリー。

の展望台から桜をみたら、桜は桜並木でしかなくなる。今、確かに違うけれど違いがわからない

桜たちの違いすらも飲み込んで、桜並木を桜としてしまう。

権力のスカイツリーに登った連中が、ピンクの塊でしかない人々を綺麗だと言う。

最早気ですら無い、一輪の花、ひとひらの花弁にすぎない人々を綺麗だと言う。

未だ、花弁にすらなっていなかったものが、花弁になろうとする季節。

春。

スカイツリーからは気がつかない芽が吹く季節。

景色に名前がつく日が来ないとは限らない。

写真・文=満員トレイン

ホーリー祭(

Holi)

は、インドやネパールで開催されるヒンドゥー教最大のお祭りだ。元々は豊作

祈願の祭りで、この日は誰もが色粉や色粉を溶かした色水を誰かれ構わず塗り合ったり、掛け合っ

たりする。特に観光客は狙われやすく、全身が色粉まみれになること間違いなしである。

インド暦の第11月の満月の日(太陽暦では3月)の午前中がクライマックスである。お祭り当日

は、歩いているだけで色粉などを掛けられたり、顔に塗られたりと滅茶苦茶。でも決して誰も怒っ

たりはしない。祭りが終わると皆その喜びをたたえ合って、街中で健闘を祝い合うように「ハッピ

ーホーリー!」と、お互い抱き合うのだ。

3月6日、オレと友人の野元は、ホーリー祭りに参加するべくインドの「ジャイプール」に到着し

た。気温は暑くも寒くもない、快適な25度くらいだった。少し乾いた土埃と、インド独特の香辛

料の匂いが混じった空気にも少しだけ慣れてきた頃だった。

「ホーリーの粉って、目に入ったらやばそうだよな?」野元が恐る恐る僕に聞いてきた。彼は粉の

せいでカメラが壊れないように、持っていたファミリーマートのレジ袋でカメラを覆い、レンズだ

け出るように袋に穴を開けていた。

確かに目に入ったらどうしよう。あんな色取り取りの粉、絶対目に入ったらヤバいに決まっている

。そんなことを考えつつ、駐車場を見ながらタバコを吸っていると、駐車場の向こうからラージさ

んがレジ袋を持ってこちらに向かって歩いてきた。

「Hello

!

ナマステー!」

僕たちがデリーで雇ったツアーコンダクター兼ハイヤーの運転手であるラージさん。いつも表情が

硬くテンションは低めの彼だったが、今日の表情は明らかに違っていた。思わず笑顔が綻びている

。彼は英語で「昨日あげたウイスキーはどうだった?」と尋ねてきた。そういえば昨晩、トランク

の底に隠されていた不気味な新品のウイスキーを渡されていた。それには、「ホーリーの日くらい

お酒でも飲んで女の子と遊んじゃいなよ」といった意味が備わっていたと思う。しかし、僕らがレ

ストランで見かけた外国人女性(大半がヨーロッパ系)に声を掛けられるわけがなく、部屋に籠り

二人で3分の1程度飲んだところで昨日は寝てしまっていた。しかし、そんな経緯をラージさんに

説明するわけもなく、「最高だったよ〜!ありがとう☆」と笑顔で返事をしておいた。

「それは良かったな!」となぜか爆笑していたラージさんは、突然「じゃあ、ちょっと目を瞑って

!」と言ってきた。一瞬戸惑ったが、野元とおれは素直に目を閉じた。すると突然ラージさんは「

ハッピーホーリー!」と言って、ガサガサとした大きな手でおれの顔に何かを塗りたくってきた。

(げ、ホーリー始まっちゃった…!)それは好きでもない相手にファーストキスを奪われた感覚と

似ていた。なんの準備もせず、彼は30秒近くおれの顔に何かを塗りまくっていた。粉は掛けるも

のだと思っていたが、どうやら基本は「塗る」ことらしい。

ラージさんの手が野元に移ったところで目を開けて二人を見る。ラージさんは、生涯ナンバーワン

に濃く鮮やかな緑色の粉が入ったレジ袋に手を突っ込み、野元の顔をキャンバスに見立て、とにか

く緑色に塗っていた。これがホーリーの始まりだった。

「おっ、お前の顔超やべーよ!」おれたちは爆笑するほかなかった。「じゃあ、次は二人の番だよ

」ラージさんは野元と僕に粉を分けてくれた。思わず、「ハッピーホーリー!」と叫びながらラー

ジさんの顔に緑色を塗り込んでいく。多分許されるだろうと思って、ちょっと膨らんだお腹にも(T

シャツの下から)色を塗ってみた。彼はとても嬉しそうだった。

一通り塗り終えると、「最後はこうやって抱き合うんだ」とラージさんは言い、ハッピーホーリー

の言葉とともに僕たちは抱き締め合った。全てが許され、僕らは世界と和解した気分になった。

その後、現地の他のツアーコンダクターたちや、クライアントなど、総勢50人くらいの人たちが

駐車場にあつまり、皆がお互いに色を塗りたくりまくっていた。ホテルから観光客が駐車場にやっ

てくると、みな彼(彼女)をロックオンし、3秒前まで普通の観光客だった彼らを、一瞬にしてホ

ーリーのカオスに飲み込んでいった。

途中からは現地のバンドも参戦し(といっても楽器はドラム缶と木の枝だが…)、そこにいた誰も

が色の洪水にまみれ、天を見ながら踊っていた。気がつくと、僕らの体はiT

unes

のミュージックカ

ードのように、全身色まみれになっていた。髪から足の爪先まで。そして、それはそこにいた他の

人たちも同じだった。最初は忌み嫌いそうにこちらを見つめていた英国人風のおばあさんも、いま

では隣でカラフルに踊っている。ホーリーは、そこにいる誰をも取り込んでしまう。これがインド

の真の雄大さなのかもしれない。

その後、ホテルの敷地から飛び出した僕たちは、近所に粉を買いに歩き出した。全部で6色くらい

の粉が量り売りされている屋台が、3階建ての建物の1階にあった。

僕は野元と二人で色を選んでいた。「オレンジ足りなくね?」そんな話をしていると、いきなり空

から大量の水が降ってきた。一瞬で全身がびしょ濡れとなり、僕は一瞬何が起きたかわからなかっ

た。しかし、なんとか溺れかけたプールからはい出るように意識を取り戻すと、状況がつかめた。

屋台の屋上から、バケツをひっくり返されたのだ。

野元はカメラが壊れていないかと、必死になって袋の水を取り払っている。その間僕が上を見ると

、3人の少女がこちらを向いて笑っていた。

「Hey

!!! Wh

at are you d

oin

g!?!?

思わず英語が口から飛び出した。少女たちは「ハッピーホーリー!」といって今度は水鉄砲をかけ

てきた。「ちょ、一旦引き上げよう!」野元が深刻な表情でおれに言う。それはまるで戦場のよう

だった。

一旦ホテルの駐車場に引き返すと、野元と僕は落ち着きを取り戻し、作戦会議に入った。「なんと

かカメラは無事だったけど、水って卑怯すぎるだろ!」普段は冷静な野元も、今日ばかりは動揺を

隠しきれてないようだった。僕はラージさんに事情を説明すると、彼は奥からたっぷりと水が入っ

たバケツを持ってきた。「トモ、ノモト、A

ll you n

eed is th

e W

ATER

GU

N!

ラージさんに連れられ、僕たちは別の屋台で水鉄砲を入手した。しかし、それは鉄砲のような形を

しておらず、どちらかというと昔の水鉄砲、つまり棒を押し出し、その水圧で水を噴射する形式の

ものだった。約20円(!)で二つの水鉄砲を手にし、バケツと共に僕らは例の屋台の前に陣取っ

た。

注射器に水を入れるように僕らはバケツから水を入れ、建物の屋上を目掛け一気に水を噴射した。

「ハッピーホーリー!」インドでこの日知っておくべき言葉はこれ一つで十分かもしれない。汲ん

では噴射、汲んでは噴射を繰り返す。すると、向こうも水鉄砲をこちらに向けて噴射してきた。向

こうもなかなかのやり手である。「あれ、おれの水漏れてる…!」どうやら野元の水鉄砲は不良品

だったらしい(さすがインドである)。どこかに穴があるらしく、棒を押しても水がきちんと噴射

されない。それにつけこんだ少女たちは、反撃の水を容赦なく浴びせてくる。やはり上からの攻撃

は有利すぎた。

3分くらいの激戦が続いた後、見知らぬおばあさんが屋上に現れ、「うちにいらっしゃい」と手招

きしてきた。思わぬ休戦に野元と僕は手を止め、目を合わせてしまった。

まさかインドの民家にお邪魔するとは。階段を登り屋上へ着くと、さっきまで敵であった少女たち

3人と、その兄弟やご両親と思われる方々が屋上に集まっていた。

「ハッピーホーリー!よく来たね。さあ、座って休んで行ってくれ。」彼女たちのお父さんだろう

か。少女たちは、「さっきはごめんね☆」といった表情でにこにこと笑っていた。お父さんから一

通り家族の紹介がなされると、おばあさんが奥からお菓子とお水を持ってきてくれた。「このお菓

子は私が作ったの。美味しいと思うから食べてみて。」見た目は白い甘納豆のようであった。一口

食べると、それが嘘をついているように甘い。カレーは辛く、お菓子は甘い。緩急つけすぎのイン

ドである。

お菓子を食べて、おばあさんのお菓子の説明を聞いている頃、野元と僕は多分同じことを考えてい

た。(この水、大丈夫かなあ…。)よって、おばあさんのお菓子の説明はほぼ覚えていない。内容

は聞き流していたが、笑顔で興味深そうに話を聞いていたため、おばあさんに気に入ってもらえた

らしい。そのため、別のお菓子も出してくれた。こちらは芋けんぴのような見た目のお菓子で、味

は少々しょっぱいものだった。

塩気のものを食べると、どうしても水が飲みたくなってくる。ああ、こんな時に水が飲めたら最高

だろうなあ。だけど、これまで僕らはミネラルウォーターだけを必死に飲み続け、腹痛のリスクを

回避してきた嫌いがある。しかし、この目の前のグラスに入った水は、これまで飲んだどんな水よ

り魅力的に見えた。まさに、禁断の水である。

先に手を出したのは、僕の方だった。(もうどうにでもなれ!)と、気づいたら僕は水をガブガブ

と飲んでいた。それにつられて野元もがぶりと一杯やっていた。普通に美味しい水だった。もう、

腹痛など、どうでも良いのだ。彼らと笑っている時間が、今は一番愛おしかった。

その後、彼ら家族と写真を取り合い、子供たちからバケツ3杯くらいの水をかけられその場を離れ

た。「本当に良い思い出になりました。お菓子も美味しかったです。ありがとうございました」そ

う深謝し、僕らはその家を後にした。まさに、一期一会だ。本当にインドに来て良かった。野元と

そんなことをしみじみと感じながらホテルへ向かって歩いていた。そんな清々しい思いもつかの間

、僕らはまた別の屋上から水をかぶっていた。

日本へ帰国した後、僕と野元は案の定お腹を壊した。こんなに下痢と腹痛が続くようなら、あんな

無茶しなきゃよかった。そう思いつつも、ホーリーの思い出は僕らにとってかけがえのないものと

なっていた。

インドへ行ったことも遠い思い出に感じられてきた、桜が舞い散る今日この頃、たまに箪笥の中で

、ホーリー祭りで着ていたハーフパンツを見かけることがある。パレットを洗った水が染み込んで

いるような、様々な色でぐちゃぐちゃに染められたハーフパンツ。洗っても、洗っても、決して落

ちることはないだろう。思わず匂いを嗅いでみると、当時の情景があっという間に蘇ってくる。そ

して、少し笑ってしまう。

ホーリーの思い出も、今日見かけたハーフパンツの色や匂いのように、僕の心にずっと染み付いて

いくんだろうな。

「ハッピーホーリー。」

なにが欲しいんだい

タバコ?

ジュ ー

ス?

それとも

世界平和かい?

写真  S

hiba-dog

文   T

KFM7

 

消えゆく電話ボックス或いは歩道橋

電話ボックスとか歩道橋

なんだかこの電話ボックスという単語を聞くと

自分が奔放そのものだった幼少期を思い出してしまう

ランドセルの外側に入った10円玉

そしてドラえもんが描かれた映画グッズのテレフォンカード

あまり電話するなんてことは無かったんだけれど

妙にたくさんもっていたような気がする

一方で歩道橋

渡っている最中に崩れ落ちはしないかと

子どもながらに肝を冷やしたものである

車の往来を上から眺める子どもたち

中には物を落とす悪がきもいた

罪の意識はないのだから罪ではないのだけれどもね

近い未来それらが完全に撤去され

我々の記憶の中にのみ存在する代物となってしまえば

『懐かしいね』

と言わざるを得まい

歳にかかわらず気分は中高年である

年月を経ることは

どうも物哀しいことであると感じる日暮れであった

写真 ×

エッセイ

最高の組み合わせが創りだす

 

雰囲気・ワクワク感

書き手にも 読み手にも

新鮮さを 

与 える 一冊を

発行2015年 4月 10日

#1  S

hiba-dog,

 北見知陽、満員トレイン T

KF

M7