21
Meiji University Title � -��- Author(s) �,Citation �, 6: 87-106 URL http://hdl.handle.net/10291/20733 Rights Issue Date 2020-02-28 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

  • Upload
    others

  • View
    2

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

Meiji University

 

Title政治改革と議院内閣制 -制度的齟齬がもたらした政治

不信-

Author(s) 渋谷,明憲

Citation 政治経済学研究論集, 6: 87-106

URL http://hdl.handle.net/10291/20733

Rights

Issue Date 2020-02-28

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Page 2: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

研究論集委員会 受付日 2019年 9 月20日 承認日 2019年10月28日

― ―

政治経済学研究論集

第 6 号 2020. 2

政治改革と議院内閣制

―制度的齟齬がもたらした政治不信―

Political Reforms and the Parliamentary Cabinet System

Distrust in Politics brought from Institutional Discrepancy

博士前期課程 政治学専攻 2018年度入学

渋 谷 明 憲

SHIBUYA Akinori

【論文要旨】

日本はイギリス型の議院内閣制(ウェストミンスターモデル)を模範として,1990年代に政治

改革を断行した。そこで本稿では,議院内閣制の観点からの検証を通じて,日本が抱えている制度

的齟齬を明らかにし,国民の政治不信を緩和する手立てを考察するものである。

この政治改革では首相のリーダーシップ強化が目的の 1 つとされたが,政治改革後も首相が真

のリーダーシップを発揮することができず,「決められない政治」に対する批判が相次いだ。この

要因として,ウェストミンスターモデルの本質を理解していなかったことや,議院内閣制の観点か

ら改革を行わなかったことによってもたらされた制度的齟齬が挙げられると仮説を立てている。さ

らに,この制度的齟齬が国民の政治不信をもたらしているのではないかと考えている。

そこで本稿では,議院内閣制の在り方を左右する政府と与党の関係や首相のリーダーシップ,権

力分立などの観点からの検証を試みている。

【キーワード】 議院内閣制,政府と与党の一体化,首相のリーダーシップ,権力分立,目的の分立

はじめに

2019年,政治改革関連法が成立してからちょうど 4 半世紀の節目の年を迎えた。ただ,政治改

革以後も国民の政治に対する信頼が回復しているようには思えない。

政治改革を経ても,国民の政治に対する信頼が回復していないどころか,政治不信がより高まっ

Page 3: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

1 http://www.worldvaluessurvey.org/WVSOnline.jsp において,20102014・ japan・V117. Conˆdence:

Parliament の順に指定するとデータを参照できる。

2 http://www.worldvaluessurvey.org/WVSOnline.jsp において,19901994・ japan・V279. Conˆdence:

Parliament の順に指定するとデータを参照できる。

3 小沢は「与党と内閣の一体化」と表現しているが,本稿では「政府と与党の一体化」で統一する。

4 小堀眞裕は,財政法案に対する下院の特権を例に,『アースキン・メイ』が日本の専門家の間でほとんど読

まれておらず,読まれた場合でも十分に理解されてこなかったとし,藤田晴子が『アースキン・メイ』に正

面から取り組んだ戦後唯一の研究者であるとしている(小堀,2013)。

5 米紙ワシントン・ポストが「決められない政治」への嫌悪感が橋下徹大阪市長(当時)への支持に結びつい

ていると分析しているなど(ワシントン・ポスト2012年 5 月23日付 1 面),「決められない政治」は国民の政

治不信をもたらしていると考えられる。

― ―

ていることを示す 1 つのデータがある。2010年から2014年にかけて行われた世界価値観調査

(World Values Survey)によると,日本で Parliament(議会)を信頼している,あるいは,ある

程度信頼していると答えた人は19.8で1,政治改革直前の1990年から1994年に行われた同調査の

28.32 より8.5ポイント低下している。

リクルート事件以降の「政治とカネ」の問題などをきっかけにして政治改革を求める声が高まっ

ていたなか,1993年に小沢一郎の『日本改造計画』がベストセラーになった。同書のなかで小沢

は,議院内閣制の母体とされるウェストミンスターモデルを模範として,政府と与党の一体化の実

現3 や小選挙区制導入による「ぬるま湯構造」打破によって政治にダイナミズムをもたらすことな

どを提唱した。実際の政治改革においても,制度面においては小沢の構想に沿って行われたと言え

る。しかしながら,以下で見るように,今日の日本政治においては,ウェストミンスターモデルと

は異なる議院内閣制の実態があると言ってよい。

なお,日本が政治改革の模範としたイギリスは,不文憲法であることや,『アースキン・メイー

議会先例』などに象徴されるように慣習的制度に基づくものが多いにもかかわらず,それらに関す

る研究は乏しい4。そもそも,政治制度は,長期間の歴史的事実から学んで現実を捨象しながら理

論化し,モデル化された結果の産物である。つまり,ウェストミンスターモデルの本質を理解する

ためには,慣習も含めたイギリスの政治制度の歴史を理解し,それに基づいた解釈や事実分析を行

う必要がある。筆者はイギリスの政治制度の歴史を学ばずに,表面上の政治制度だけをつまみとっ

て政治改革を行ったことが制度的齟齬を生み出し,その制度的齟齬が今日の国民の政治不信を招い

たと考える。

なお,本稿における「制度的齟齬」は,政治改革で導入された首相のリーダーシップ強化を促進

する政治制度と,その実現を妨げている政治制度との齟齬を指している。また,その制度的齟齬に

よって首相がリーダーシップを発揮できないこと(「決められない政治」)がもたらした国民の政治

への不信感を「政治不信」と位置付けている5。

そこで,日本が採用している議院内閣制の観点から改めて一連の政治改革6 を検証することを通

じて,今日の日本政治が抱えている制度的齟齬を明らかにし,国民の政治不信を緩和する手立てを

Page 4: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

6 今日の政治は,政治改革関連法に加えて,後に行われた行政改革や国会改革で導入された政治制度にも基づ

いて運用されているため,体系的に政治制度を検証する必要がある。そこで本稿では,1994年の政治改革関

連法だけでなく,橋本行革や国会改革も含めて「一連の政治改革」とする。

7 民主党政権は,政治家から官僚への委任関係も問題視しており,「政治主導」によってこの委任関係から生

じるエージェンシー・スラックも解消しようと試みた。

― ―

考察することが本稿の目的である。

第章 政府と与党の一体化

議院内閣制の本質的なメルクマールは,議会の信任によって政府が成立することである。そのた

め,議院内閣制を検証する際,議会の多数派である与党と政府の関係を無視することはできない。

一連の政治改革においても,小沢を中心に政府と与党の関係を見直す動きがあった。小沢の構想

は,政策立案において政治家主導を実現することや,党の役職者を政府に取り込んで党の中枢=内

閣という体制を築き上げることによって,首相のリーダーシップを確立することを志向するもので

あった(小沢,1993)。

確かに,政府と与党の一体化による政策決定の一元化は,国民にとって一定のメリットがある。

今日の民主主義においては,有権者から政治家へ,政治家から官僚へ政策形成が委任されており,

プリンシパル=エージェント理論が成立している。ただ,委任されたエージェンシーが常にプリン

シパル(最終的には国民)の利益を実現するとは限らない(エージェンシー・スラック)。

特に議院内閣制の場合,与党議員(プリンシパル)から内閣(エージェント)への委任関係が生

じることから,エージェンシー・スラックが発生するリスクが高まる。政府と与党の一体化はこの

エージェンシー・スラックを緩和し,国民が不利益を被ることが少なくなると期待される。

2009年に発足した民主党政権は,このエージェンシー・スラックが国民の政治不信をもたらし

ている要因であるとして,政策決定を政府へ一元化することを試みた。このことによって,政策決

定過程を透明化し,責任の所在を明確化することで,国民の政治不信を解消しようとしたが7,成

功したとは言えない。

そこで本章では,政府と与党の一体化が提唱された背景を整理したうえで,一連の政治改革後の

政府と与党の関係を分析して,今後の課題を見出すことにする。

第節 政府と与党の一体化が提唱された背景

まず,1990年代に日本で政府と与党の一体化が提唱されるに至った背景を整理する。政治を分

析するうえでは,理論だけでなく,その時代の権力闘争なども把握しておく必要があるためである。

小沢が一連の政治改革を提唱した背景には,自民党内での権力闘争に敗れたことが関係している

と考えられる。「竹下派 7 奉行」の 1 人と目されていた小沢であったが,竹下内閣の発足を機に,

竹下と小沢の対立は鮮明なものになった。

Page 5: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―― ―

竹下が組閣の際に頭を悩ませたのが官房長官の人事であった。小沢の名前も取りざたされたが,

「調整型」の竹下は小沢の剛腕ぶりや激しい性格を懸念して,小渕恵三を官房長官に据えたという

(後藤,2000)。同じ竹下派の野中広務らは,この起用をきっかけに,竹下と小沢の関係が悪くな

ったと回顧している(五百旗頭ほか編,2008)。また,小沢の知恵袋と称された平野貞夫は,平成

になってからの政治対立は小沢と竹下によるものであり,竹下による小沢つぶしから,小沢を守っ

たのが平野自身であると回顧している(赤坂・奈良岡・村井,上巻,2012)。

小沢を窮地に追いやったのが1992年の佐川急便 5 億円献金問題であった。問題が表面化したの

が 8 月で,党役員が軒並み夏休みをとっていたことから,党内で記者会見を行うことに対する反

対意見が噴出するなかで,小沢は金丸信に記者会見を強行させて批判を受けることとなった。

1993年 3 月に金丸が 4 億円の脱税容疑で東京地検に逮捕されて議員辞職したことに伴って,次

期竹下派会長をめぐる争いが勃発した。原田憲の裁定によって小渕が新会長に選出されたことで,

小沢の敗北は決定的なものになった。そこで,小沢グループは,政治改革を大義として打ち出して

「改革フォーラム21」を結成し,最終的にはこれを母体に新生党を結成するに至った。自民党内で

権力基盤を失った小沢は,政治改革を打ち出して自身の権力基盤の再構築を試みたのであった。

第節 政府と与党の一体化の構想

こうした権力闘争での敗北を受けて,小沢が一連の政治改革を掲げて権力基盤を再構築するため

には,日本政治が直面している課題を見極め,適切な解決策を提示して自身の正統性を確保する必

要があった。小沢が注目したのが首相のリーダーシップの脆弱性であった。

1990年に勃発した湾岸戦争を機に,日本の政治システムはリーダーシップが不明確で迅速な政

策決定が行われないシステムであるとの指摘がなされた。その際,小沢が主張したことが 2 つある。

1 つ目は,自衛隊を含む要員を派遣して積極的な協力を行うべきであり,集団的自衛権の行使に

関する法制局の解釈は首相の決定で変更できるというものであったが,外務省や防衛庁の反対,国

会の混乱により実現には至らなかった。

2 つ目は,日本が湾岸戦争で貢献できなかったことを受けて,小沢は「変化の激しい時代では,

何でも閣議で決める合議制より,首相が責任を持って決断していく方が望ましいかもしれない。」

(小沢,1993,56頁)と,日本政治には首相のリーダーシップ強化が必要であるとし,その方法論

として政府と与党の一体化を主張したのであった。

数々の権力闘争に敗れた小沢に,政府と与党の一体化構想を実現させるチャンスが訪れた。衆参

ねじれで苦しんでいた小渕政権下で,野中官房長官が公明党との連立を見据えて,「悪魔」と称し

ていた小沢が率いる自由党との連立を模索していた。小沢は,これまでの自らの主張が受け入れら

れるならということで連立を承認したという(佐道,2012)。

小沢の要求に基づいて1999年に制定された「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システ

ムの確立に関する法律(国会審議活性化法)」によって,権限が小さく役割が不明確であった政務

Page 6: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

8 イギリスの首相は,内閣委員会の委員長と委員を決める権限を有しており,自身が委員長を務めることによ

ってリーダーシップを発揮してきた。ただ,選挙結果などによっては,首相が委員長職にとどまる正統性を

確保できず,リーダーシップを発揮できないこともあった。メイ政権では,首相が議事立法委員会以外のす

べての委員会で委員長を務めたが,2017年の総選挙で保守党が議席を減らした際に,委員長職をほかの閣僚

に譲らざるを得ず,首相のリーダーシップは弱体化した。

― ―

次官に代わって,副大臣・大臣政務官を導入して政府ポストを増やした。その結果,より多くの与

党議員を政府に取り込むことが可能になり,政府と与党の一体化が実現したと思われたが,これま

で見てきたように,小沢の政府と与党の一体化構想は権力闘争を伴っていたため,緻密に構想を練

ることができていたのか,どこまでイギリス型の政府と与党の一体化を理解していたのか疑問であ

る。

第節 政府と与党の一体化の体系的分析

本節では,模範としたイギリスにおける首相のリーダーシップや政党組織の在り方から,イギリ

ス型の政府と与党の一体化の制度的含意を考察することを通じて,日本が想定していた制度的含意

との相違を明らかにし,日本型の政府と与党の一体化の実情を分析する。

はじめに,イギリスの首相のリーダーシップの分析を行う。ウェストミンスターモデルでは首相

専権論が主張されているが,あくまでも,合議制である内閣やその下にある内閣委員会で意思決定

が行われている8。イギリスの政治学者ローズは,政府内の調整や意思決定は首相のみによって担

われているわけではなく,より広範なネットワークに基づいた政策決定がなされていると論じてい

る(伊藤,2006・高安,2009)。

そもそもイギリスでは,首相が強いリーダーシップを発揮することに対する警戒感があり,「選

挙独裁」や「絶対首相制」,「英国型大統領制」という言葉が用いられて批判されてきたことからも

分かるように,首相への集権を問題視する議論がしばしばなされてきたという(高安,2018)。

これらの首相のリーダーシップをめぐる議論から,イギリス型の政府と与党の一体化は,日本が

志向していた首相のリーダーシップを強化し,トップダウン型の政治を行うための手段であるのか

議論の余地がある。

次に,イギリスの政党組織の分析を通じて,イギリス型の政府と与党の一体化の制度的含意を考

察する。法学者のジャン=ルイ・ド・ロルムが『イギリス憲法論』において,「イギリス議会は男

を女にし,女を男にすること以外のすべてをなしうる」と記しているが,その議会を支配している

院内与党と政府を政治制度上で一体化させるだけで,首相のリーダーシップが強化されると考える

のは早計ではないか。そこで,イギリスの首相の与党内における立場に焦点を当ててみると,以下

に見るように,首相は与党内で必ずしも強いリーダーシップを発揮できていなかったことが分かる。

まず,保守党政権における政府と与党の関係を見てみる。20世紀末まで「当然の政権党」と称

された保守党は党首中心の政党であり,党と党首に対する忠誠心が組織的特徴であるとされてい

Page 7: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―― ―

る。ただ,1998年に党改革が行われるまで院内組織と院外組織が相互に独立しており,各選挙区

ごとに設置されている選挙区協会が独自の判断で候補者選定を行っていたため,ローズの指摘に見

られるように,保守党党首,つまり,首相の権力が絶対的なものであったとは言い難い。

このような保守党の党組織が原因となり,党執行部が党内対立を抑えられず,1997年の総選挙

での敗北につながった。この敗北が保守党の分権的組織構造を見直す契機となり,1998年 2 月に

党組織改革案である「新しい未来」が発表された。この改革によって,総選挙に立候補しようとす

るすべての志願者は,党本部の管理する公認候補者名簿に記載されることが義務付けられ,選挙区

協会の自律性は消滅した。保守党は集権的な政党へと生まれ変わったのである。

なお,1980年代にサッチャー首相が発揮したリーダーシップは,制度的に担保されていたもの

ではなかった。そもそも,保守党は元来,コンセンサスを重視する伝統的な手法を採用していた

が,サッチャーがこの手法に対抗する手段として,首相のリーダーシップ強化を打ち出したに過ぎ

ない。さらに,サッチャーは合議制である閣議や内閣委員会を形骸化させ,大臣との二者間協議な

どの非制度的な協議を多用することでリーダーシップを発揮したのだった。サッチャーのやり方は

例外的な事例であると言える。

次に,労働党政権における政府と与党の関係を見てみる。そもそも,労働党は労働組合運動と社

会主義運動の結節点から結成されたもので,強い理念を有しており,常に理念の対立(路線闘争)

を抱えてきた。労働党の首相は政権担当時でさえ党内対立を抱え,政権運営において制約を受けて

きた。政権を信任する与党内の路線闘争は,当然ながら議院内閣制下で政府の動向を左右すること

になる。

労働党は1979年の総選挙で敗北して下野した後,左派との路線対立が激化して分裂に至る。次

の総選挙でも敗北した後,キノック党首の下で労働組合と左派活動家の影響力を減らし,党首への

集権化を実現するために,党の意思決定において 1 人 1 票制を導入するなどの組織改革を進めた。

その後,ようやく1997年になってブレアが政権を獲得することに成功し,「ニュー・レイバー」

と呼ばれた組織改革を推進した。ブレア政権は,明確で一貫したメッセージを有権者に伝えるため

に強力な内部統制と集権化を試みて,「コントロール狂」と揶揄された。また,1998年の党大会で

は,立候補志願者を事前に審査したうえで全国議員候補者名簿に掲載することが決定され,各選挙

区労働党が行っていた候補者選定を党首の影響下に置くことに成功した。

以上で見てきたように,日本で政治改革が行われていた当時のイギリスの保守党と労働党は,と

もに一枚岩の政党ではなく,党組織改革が行われようとしていた最中であった。つまり,イギリス

の首相は決して絶対的な権力の持ち主ではなく,与党内で異論が噴出すれば,首相の政策方針の転

換を迫られるか,党首選で敗れるリスクと向き合いながら政権運営を行っていたのである。表面上

の政治制度では,政府と与党が一体化していて,首相が強いリーダーシップを発揮しているように

見えるが,そのリーダーシップは,政府を信任する与党内での調整や権力闘争を経て発揮されてい

るものであったと言える。

Page 8: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

9 組織目標を独立変数として,組織を従属変数として捉える組織のモデル。

10 各アクター間の利害対立や調整,権力関係などの結果によって形成される組織のモデル。組織を独立変数と

して,組織目標を従属変数とする。

― ―

意思決定が首相のみによって担われているわけではないとする分析や,首相が強い権限を持つこ

とに対する警戒感があったこと,そして,政党組織が分権的であったことから,イギリスでは合議

によって多様なアクターを束ねてきたことで,政府と与党の一体化が実現していたと考えるべきで

あろう。少なくとも,政治改革の当時においては,政策決定の一元化を志向した日本型の政府と与

党の一体化と,イギリスとの制度的含意は異なっていたのである。

以上の議論を踏まえて,日本における政府と与党の関係を分析する。まず,自民党政権における

政府と与党の関係を見てみる。笹部真理子は,自民党の党組織について,組織政党化を志向した三

木答申の断念や1970年代から後援会による集票を評価しはじめたこと,地方組織(県連)が多様

化していることなどから,自民党は分権的な組織構造を有しているとしている(笹部,2017)。

一連の政治改革で,政治資金規正法の改正や政党助成制度が導入されたことなどによって,政治

制度上は党執行部の権力が増大したことは事実である。しかしながら,自民党は,候補者をめぐっ

て党執行部と地方組織が対立するケースがあるなど,未だに分権的な組織構造を有している。これ

では,政府と与党が分裂する余地が大いにある。

党員から絶大な人気を博して発足した小泉純一郎政権下で,自民党国家戦略本部は首相を中心と

する内閣主導体制の構築を掲げたが,内閣主導で提出された郵政民営化問法案では与党から造反が

出て成立しなかった。結局,小泉首相が衆議院を解散して,総選挙での候補者公認過程や選挙結果

を参議院議員に見せつける形で法案の成立にこぎつけた。この法案成立過程を見る限り,政府と与

党の一体化が実現していたとは言えない。

次に,民主党政権における政府と与党の関係を見てみる。民主党は結党時に2010年における日

本の未来像を描いて(未来からの風),その実現を目指すとした合理的モデル9 の政党であった。

ただ,新進党の消滅や民由合併などによって組織や人員が肥大化したことや,一連の政治改革によ

って野党にも政権担当能力が求められるようになったことで,理念だけで党運営を行うことはでき

なくなり,自然体系モデル10 の政党へ変化していった。自然体系モデルへの変化は,党員が共通の

理念を懐かない組織への変化であるので,党首のリーダーシップや党内連携を弱めることにつなが

る。この潜在的な党内対立が政権を担当した際に顕在化することとなる。

2009年の総選挙で提示された民主党のマニフェスト「鳩山政権の政権構想」では,政府に大臣

・副大臣・政務官・大臣補佐官など国会議員約100人を配置し,政務三役を中心に政治主導で政策

を立案・調整・決定することや,官邸機能を強化し首相直属の「国家戦略局」を設置して,政治主

導で予算の骨格を策定することが謳われていた。さらに,鳩山由紀夫首相は民主党が事前審査を行

う場である政策調査会を廃止して,政策決定の政府への一元化を促進しようとした。

しかしながら,これらの試みは,政策決定に関与できない与党議員から抵抗を受けた11。さら

Page 9: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

11 事前審査の廃止に加えて,議員立法や質問主意書の提出も原則禁止にしたため,与党議員は立法活動に大き

な制約を課された。そのため,与党議員による抵抗は激化し,鳩山政権の政策決定システムは破たんした。

12 道路整備事業財政特別措置法改正をめぐる政府と与党の対立が代表例。政府は財源の問題から,麻生内閣で

「どこまで行っても1000円」とされていた高速料金を2000円に引き上げようとしたが,小沢を筆頭とする与

党の反対で実施できなかった(武蔵,2011)。

13 鈴木宗男が鳩山首相の政治資金規正法改正に取り組む姿勢に関して質問した際に,「お尋ねは,鳩山内閣総

理大臣の民主党代表としての見解に係るものであり,政府としてお答えする立場にない」との答弁があり,

鈴木はこの答弁が民主党が掲げている政府と与党の一体化と矛盾すると指摘している(政治資金規正法改正

に向けた鳩山由紀夫内閣の見解に関する第 3 回質問主意書)。

― ―

に,参議院において鳩山首相に対する問責決議案の提出が模索され始めると,民主党内からも問責

決議案に賛成する者が出るのではないかと心配される事態に陥るなど,鳩山政権では政府と与党の

分裂に苦しんだ。

また,鳩山政権では,政府と与党の一体化に関して運用面でも問題があった。鳩山政権において

は,陳情処理は幹事長室に一任されていたが,小沢幹事長は利益団体からの支持取り付けという選

挙対策の思惑から,恣意的で不透明な運用を行った。その結果として,政府と与党の間に亀裂が入

り,鳩山内閣が立案した政策を実現できない事態に陥った12。政府と与党の一体化を主張していた

張本人が,政府と与党の関係を悪化させたのである。

さらに,政治資金規正法改正にかかわる国会での質問に対して,鳩山内閣は民主党代表と政府の

立場を使い分ける答弁をするなど13,政府と与党の一体化と逆行する対応をとっていた。

結局,政府と与党の分裂に見舞われた鳩山政権における内閣提出法案の成立率は,戦後最低の

55.6にとどまった。このことを受けて,野田佳彦政権は政策調査会での事前審査を復活させ,政

策決定の政府への一元化(政府と与党の一体化)を撤回する方針を表明した。

政府と与党の分裂に苦しんだ小泉と鳩山の共通点は,与党内での事前審査制を廃止したことであ

る。小泉が事前審査制を廃止しようとした際に,宮澤喜一元首相が議院内閣制の下では政府と与党

の意見が一致していなければならないとして反対を唱えた(日本経済新聞2002年 4 月 3 日付)こ

とからも,一連の政治改革後においても,政府と与党の一体化は事前審査を経た党議拘束によって

担保されているにすぎないことが分かる。つまり,与党内での事前調整なしに首相が強いリーダー

シップを発揮することはできないのである。

日本が議院内閣制を採用している以上,政府と与党の関係の見直しや政党組織の分析なくして,

政治改革を成し遂げることはできない。なお,政治学においては,政治制度と政党組織の関係につ

いて体系的な分析がなされていないが,議院内閣制を分析するうえでは重要なテーマであり,これ

らの分析を進めることが政治学の課題であろう。

第章 首相のリーダーシップ強化を目指した橋本改革

議院内閣制の下では,議会の信任を受けた首相が強力なリーダーシップを発揮することが期待さ

Page 10: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

14 今日では,経済財政政策や総合科学技術政策,男女共同参画などの総合的・横断的な課題についての企画も

担っており,性格が不明確な統治機構になりつつある。

― ―

れている(待鳥,2012)。そこで本章では,首相のリーダーシップ強化を志向した橋本行革がどの

ような効果をもたらしたのかを分析する。

一連の政治改革以前における政策決定過程は,日本型多元主義論でも指摘されているように,与

党である自民党の議員と省庁官僚が連携しながら主導するものであり,このネットワークが執政政

治の中心的な担い手になっていた(伊藤,2006)。湾岸戦争時の議論でも指摘されたように,この

ような政策決定の方法では時間を要してしまうため,迅速でトップダウン的な政策決定を行うこと

を目的の 1 つとして,橋本行革が行われた。

1996年の総選挙では,自民党と新進党がともに行財政改革を主張していた。新進党は,小沢と

羽田孜の軋みから党内で亀裂が深まっていたことや,鳩山らが結成した民主党と反自民票の奪い合

いが生じたこともあって得票が伸び悩んだ。さらに,新進党は野中らの工作によって切り崩され

て,自民党が単独過半数を回復するに至った。これらを受けて,橋本は総選挙翌月の11月に行政

改革会議を設置して,総選挙における国民の支持を基盤に行財政改革を推進した。

行政改革会議は従来の臨時行政調査会(臨調)型ではなく,首相直属の機関として設置され,橋

本自らが会長に就任した。この会議のメンバーは財界や学界を中心に構成されており,官僚の影響

力排除を試みたという(大山耕輔監修,佐藤公俊・門松秀樹,2013)。この会議の最終報告が1997

年12月 3 日に提出され,のちに実現された中央省庁再編に関する報告と,内閣機能の強化に関す

る報告から構成されていた。

この最終報告では,従来の分担管理原則を評価しつつも,国家目標が複雑化し,内外環境に即応

した政策を展開していくうえでは限界を露呈しており,国政全体を見渡した総合的な政策判断と機

動的な意思決定ができる行政システムが求められているとして,内閣の機能強化や首相の指導性の

強化,内閣及び首相の補佐・支援体制の強化が骨格に挙げられていた。この最終報告を軸にして,

橋本行革が断行されることとなった。

まず,内閣官房の機能強化に焦点を当ててみる。内閣官房は,内閣および首相と一体となり,国

政の基本方針の決定や省庁間の調整,危機管理や広報などの活動において直接補佐するとともに,

強力な企画立案機能を担う機関へと改革された。さらに,グローバル化や社会構造の複雑化に対応

するために内外から人材を登用できるようにして,総合的な政策形成を行えるようにした。

ただ,内閣官房は規模が小さく,行政国家化して規模が拡大している行政組織を統合することは

難しい。そこで,各分野の行政活動を管理し統制する機関として内閣府が設置された。内閣府は国

家行政組織法の適用を受けず,ほかの省庁よりも高い地位にあることから,内閣による総合調整機

能が強化されたと言える14。

ほかにも,内閣法第 4 条第 2 項の新設によって閣議の発議権を首相に付与したり,各省の枠に

Page 11: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―― ―

とらわれずに総合調整を担う特命事項担当大臣を創設するなど,首相のリーダーシップを明確化す

るための改革が行われた。

橋本行革の成果が顕著に現れたのは,皮肉にも橋本が総裁選で敗れて発足した小泉政権において

であった。2001年の自民党総裁選において,小泉は「自民党をぶっ壊す」「構造改革なくして成長

なし」「改革には痛みが伴う」というスローガンを掲げ,党員から絶大な支持を受けて橋本に勝利

した。組閣の際には,従来の派閥均衡型人事を排して,派閥の推薦を一切受け付けなかった。

派閥に存立基盤を持たない小泉が政権運営に成功した要因として,橋本行革で強化された内閣機

能を駆使したことが挙げられる。経済財政諮問会議において構造改革の基本方針(骨太の方針)を

策定し,閣議の発議権を活用して基本方針を閣議決定して,新自由主義的政策を推進したことは記

憶に新しいであろう。この政策決定過程は,首相のイニシアティヴに基づくものであった。

橋本行革の結果,小泉は一定のリーダーシップを発揮することができたものの,郵政民営化法案

で躓くなど,完全なるリーダーシップを発揮できたわけではなかった。橋本行革はあくまでも執行

府内の改革に過ぎず,執行府と立法府の関係に踏み込んだものではなかった。このことが小泉が躓

いた要因になったと言える(詳細は第 3 章で検証する)。

民主党政権は,小泉の原動力であった経済財政諮問会議を利用せず,さらなる政治主導を確立す

るために政治主導確立法案の成立を目指した。この法案では,経済財政部門に囚われない政策決定

を政治主導で行うために,内閣府の経済財政諮問会議を廃止し,内閣官房の国家戦略室を国家戦略

局に格上げすることを志向していたが,自民党の反対で継続審議の末に廃案となった。

なお,政治改革を検証する際には,アクターのインセンティヴを考慮したうえで,適切な制度設

計がなされていたのかを分析する必要がある。

制度面に焦点を当てると,待鳥聡史は,首相が強力なリーダーシップを発揮することが期待され

ている議院内閣制との制度的齟齬の解消のために,橋本が行政改革を行ったとしている(待鳥,

2012)。

ただ,制度的齟齬の解消だけが橋本のインセンティヴであったとは考えにくい。橋本は第 2 次

臨調で自民党行財政調査会長,中曾根行革の際には運輸大臣として国鉄の民営化を推進し,自らを

「行革派」と称していたことから,政治主導による行財政改革に関心を持っていたのではないかと

の指摘(大山監修,佐藤公俊・門松秀樹,2013)や,政治主導での行政改革を通じて自身の成果

をアピールするためであったとする指摘(石原信雄回顧談編纂委員会,2018)などからも分かる

ように,権力闘争や自身の実績作りの側面もある。

また,父親の代からの厚生族として社会福祉問題への思い入れがあり,高齢化社会到来への危機

認識が橋本を行財政改革に向かわせたとの指摘(佐道,2012)もあり,自身の政治的使命の側面

もあったと考えられる。

このように,政治改革に関与したアクターのインセンティヴを分析することで,制度的整合性に

関する新たな視点を得られる可能性がある。実際,橋本行革によって首相が発揮できるリーダーシ

Page 12: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

15 朝日新聞の世論調査では,郵政民営化に賛成は53であった(反対は21)。http://www.asahi.com/

senkyo2005/special/TKY200509040239.html(最終閲覧日2019年 7 月21日)。

― ―

ップは強化されたが,実績作りのために改革を急いだことから,議会との関係をはじめとする諸制

度との整合性が十分に検討されておらず,首相のリーダーシップ強化は完全には達成されていな

い。議会の信任があってはじめて政府が成立する議院内閣制を採用している以上,首相のリーダー

シップを考える際には,議会との関係を無視することはできない。

次章では,前章の政府と与党の一体化や,本章の橋本行革で志向された首相のリーダーシップ強

化を妨げている制度的要因を分析する。

第章 議院内閣制・権力分立・目的の分立のトリレンマ

日本は政府と与党の一体化や行政改革など一連の政治改革によって,首相のリーダーシップ強化

に取り組んできた。しかしながら,これまで見てきたように,一連の政治改革後においても首相が

リーダーシップを発揮できない場面が見受けられる。

首相がリーダーシップを発揮できない要因として,集権的な議院内閣制と権力分立の相克を見直

さなかったことによってもたらされた制度的齟齬が挙げられる。首相のリーダーシップ強化を実現

するのであれば,集権的な議院内閣制と権力分立の相克を見直すことは避けられない。

また,ここでは,アメリカの政治学者マシュー・マッカビンズらが提唱した「目的の分立」の概

念を援用して議院内閣制を考察する。この概念は,選挙制度は政党システムや政党組織を規定する

だけでなく,首相と議員の政治的行為の一致ないし不一致を生み出すとするものであり,首相が政

党指導者として候補者の公認過程に密接に関与しているか,首相の選出と議会選挙の結果が関連し

ているかなどが判断基準となる(待鳥,2012)。首相が政権運営において困難に直面するのは,権

力分立だけでなく,この「目的の分立」も大きな影響を与えていると考えられている。

本章では,執行権と立法権の権力分立や政府と参議院の関係,目的の分立に焦点を当てて,議院

内閣制を採用している国々との比較を通じて日本政治の現状を確認し,国民の政治不信を緩和する

ための課題を考察する。

第節 議院内閣制と権力分立のジレンマ

本節では,集権的とされる議院内閣制と,執行権と立法権の権力分立の相克に関する分析を通じ

て,今後なされるべき改革の課題を考察する。

第 2 章で見たように,橋本行革によって首相のリーダーシップは強化され,小泉はその機能を

活かして政権運営を行っていたが,郵政民営化法案をめぐっては党内からの造反によって躓いた。

国民は小泉が高い党員人気で総裁選を勝ち抜いたことを知っていたうえに,世論調査においても,

郵政民営化に対して賛成が大きく上回っていた15。しかしながら,小泉内閣が国会に提出した郵政

Page 13: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―― ―

民営化法案が参議院で否決された際に,権力分立の観点から国会審議に介入できない小泉内閣は,

リーダーシップを発揮する余地がなかった。そこで,法案を可決した衆議院を解散して(郵政解

散),郵政選挙をめぐる一連の過程を参議院議員に見せつけるという手段を採用するしか方法がな

かったのである。

ここからは,日本が政治改革の模範としたイギリスにおいて展開されてきた集権的な議院内閣制

と権力分立の相克に関する議論を整理したうえで,日本の議院内閣制の分析を試みる。

イギリスでは19世紀に議院内閣制が黄金時代を迎え,この時代に議院内閣制の本質をとらえた

議論が登場した。特に,ウォルター・バジョットの『英国の国家構造』(1867)が著名である。

当時のイギリスでは,国家構造に関して,立法・執政・司法の三権分立によって相互に抑制と均

衡を図るという解釈と,君主・貴族院・庶民院による主権の共有によって相互に抑制と均衡を図る

という解釈が存在していた。これらの伝統的解釈に対して,バジョットは現実の理解としては妥当

性を持たないと批判し,イギリスの国家構造の優れた秘密は内閣と議会の密接な結合,そのほとん

ど完全な融合であると論じ,伝統的な権力分立の解釈を真っ向から否定した。

日本は「国権の最高機関」である国会が信任を与えた内閣が行政権を行使するとする議院内閣制

を採用することを日本国憲法に明記した。つまり,内閣が国会多数派と結びついて権限を行使する

ことが想定されている。

その一方で,国会以外による実質的意味の立法は,憲法に定めがある場合を除いて許されず(国

会中心立法の原則),国会による立法は国会以外の機関の参与を必要とせずに成立する(国会単独

立法の原則)と解釈されており,バジョットが否定した権力分立についても規定されている。つま

り,日本国憲法は,集権的な議院内閣制と権力分立の双方を規定しているが,これまでこの相反す

る制度の問題が議論されないまま運用がなされてきたのであった。

では,なぜこの相反する制度,すなわち,集権的とされる内閣が権力分立によって国会審議に介

入できない制度を運用することができたのか。大山礼子によると,この問題を克服するうえで事前

審査制が機能しているという(大山,2011)。第 1 章で論じたことにも関連しているが,事前審査

を経て党議拘束をかけ,政府と与党が一体化した状態で国会審議に臨むことによって,内閣が国会

審議に介入できない弊害を解消してきた。事前審査制を廃止した小泉や鳩山政権では,集権的な議

院内閣制と権力分立という相反する制度を運用することができなかった。

小泉や鳩山内閣の決断の背景には,一連の政治改革で確立されたと思われた政府と与党の一体化

や,首相のリーダーシップ強化に関する政治制度を駆使することでリーダーシップを発揮できると

いう思惑があっただろう。しかしながら,国会審議において首相がリーダーシップを発揮できず,

躓くこととなった。真の首相のリーダーシップを確立できていない一連の政治改革が,かえって日

本政治に混乱をもたらしたと考えることができる。

なお,現在の事前審査の民主的正統性については議論するべきである。事前審査は非公開の場で

行われており,政策形成における透明性が低いことから,議員への陳情なども法案に反映される可

Page 14: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

― ―

16 憲法第16条の請願権に基づいて,国民が国政に対する要望を直接国会に訴えることができる請願や陳情の制

度がある(請願は議員の紹介を要する)。ただ,請願は会期末に一括で審議されることになっており,採択

には全会一致の賛成が必要であるため,実質的には機能していない。

― ―

能性が高い。その陳情が審議会や議会などの民主的手続きにしたがって審議されなければ,民主的

・社会的合理性はなく,単なる私的利益の誘導に他ならない16。

さらに大山によると,事前審査制は国会審議にも悪影響をもたらしているという。事前審査によ

って実質的な法案の審議は党内で完了しており,委員会で与野党の論争が行われ,本会議で審議す

べきことがないため,本会議そのものが形骸化しているという(大山,2011)。確かに,本会議の

形骸化によってもたらされる公開の場での居眠りや,携帯電話を操作する姿などが国民の目に映れ

ば,国民の政治不信の増大につながるのは明らかである。

次に,コンセンサスモデルであるフランスを比較対象として,権力分立に関する課題を複眼的に

考察する。なお,フランスを比較対象としたのは 2 つの理由がある。1 つ目は,フランスでは議会

内で政府と与党が自律的に存在しており(大山,2011),日本も第 1 章で見たように,政府と与党

が一体化しておらず,議会内で政府と与党が自律的に存在しているなどの類似点を有しているから

である。2 つ目は,1789年の革命以来,王政や共和制,帝政などの様々な政治体制を通じて,理想

的な執行府と立法府の関係を有する政治体制を模索し続けてきた歴史があり,この歴史から執行府

と立法府の関係における課題を見出せるのではないかと考えているからである。

はじめに,フランスのこれまでの政治体制を概観する。帝政の崩壊は軍事的敗北によるものであ

るが,王政や第 1・第 2 共和制が崩壊した要因は,厳格に権力が分立されていた執行府と立法府の

対立にある。厳格な権力分立の下では,執行府と立法府が相互に自律しており,両者の対立を調整

する手段が用意されていないため,対立が深刻化して政治の停滞をもたらす。ナポレオン 1 世と 3

世は,この停滞の打破を期待されて登場した。

続く第 3 共和制では,議会によって選出される大統領が大臣を任命し,大統領に任命された大

臣らによって組閣された内閣は,議会に対して連帯して責任を負うとする二元型議院内閣制が採用

された。しかしながら,マクマオン大統領と議会の対立や,グレヴィ大統領が議会の解散権を行使

しないことを約束して以来,一元型議院内閣制に変容して議会優位の政治体制が確立された。た

だ,上下両院の権限が対等であったことや,小党分立状態が続いていたことなどから,内閣の存立

基盤が安定せず,頻繁に内閣が交代させられる事態に陥った。

これらの歴史を踏まえて,ドゴールの腹心であり,第 5 共和制憲法の起草を指導したドブレ

は,執行府と立法府の均衡の実現を目指し,「合理化された議院内閣制」をテーマに掲げた。第 5

共和制においては,議会の権限を縮小することで執行府と立法府の均衡を確保している。

政府は議会審議において議会側の修正によって法案がゆがめられるのを防ぐため,政府は法案の

全部または一部について,政府が提出し,または,受け入れた修正案のみを取り入れて,単一の投

票による議決(一括投票)を求めることができる(憲法44条)。さらに国民議会(下院)において

Page 15: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

――

17 イギリスでは毎年マニフェストの進捗度合いの検証がなされている。

――

は,政府は法案の表決に政府の信任をかけることができ,24時間以内に不信任動議が提出され,

過半数の賛成によって可決されない限り,法案を可決したものとみなす制度もある(49条の 3)。

また,予算法律案は40日,社会保障財政法律案は20日以内に国民議会で議決しなければなら

ず,議会で議決されなければオルドナンス(政令)によって施行することが可能である(47条)。

さらに,予算法律案や社会保障財政法律案などの重要法案に関しては,政府が優先的に議事日程を

決定することができる(48条)。ほかにも,首相には両院協議会の開会請求権があり(45条),政

府のメンバーが入ることができるので,政府の方針に反する内容で合意されることは考えにくい。

いま見たように,均衡した政府・議会(政府と与党が一体化していない)関係を特徴としている

コンセンサスモデルのフランスでは,政府が議会に介入して法案の可決を促す制度が数多くある。

政府(首相)は議会におけるこれらの権限を駆使して,政府提出法案の成立を目指している。フラ

ンスと同様に,政府と与党が一体化していない日本において首相のリーダーシップ強化を実現する

には,執行府と立法府の関係を見直し,政府(首相)が一定条件の下で国会審議に介入できる制度

を検討する必要がある。

一方で,国会は憲法第41条で国権の最高機関と規定されているように,現代の民主主義は議会

とともに発展してきた。また,議院内閣制における議会は,信任した政府を監視する役割を担って

いる。首相のリーダーシップを強化するために議会の権限を縮小することは,政府に対する監視機

能(議院内閣制においては,野党による政府の監視とする方が適切であろう)が蔑ろにされる恐れ

がある。

現に,国会で野党の質問時間を減らそうとするなど,議会の監視機能を蔑ろにする提案がなされ

た。結局,質問時間が余った与党議員が般若心経を唱え始める始末で,政府に対する監視機能が失

われつつあることは明白である。議会での審議を形骸化して,決定すること自体が過度に重視され

ては,適切な判断がなされないうえに,政府に対する監視は選挙のみとなってしまう。もっとも,

解散権の行使によって政権側が有利な時期に選挙を行ったり,政権側に都合が悪いデータを選挙後

に出すなど,選挙も監視機能を果たしているのかという疑問はある。

イギリス政治を分析しているアンソニー・キングとアイヴァー・クルーも,イギリス政治のシス

テムの失敗要因として,周辺化された議会と熟議の不足を挙げている。彼らの指摘によれば,政府

が集権的であると,政府のすべての決定が有権者から一括で審判を下されることになるため,党派

を超えた熟議が行われれば取り組まれたであろう難題を先送りにするインセンティヴが政府内に創

り出されるという(King, Anthony and Ivor, Crewe, 2013)。

首相のリーダーシップ強化のための改革においては,首相がいかなる場面でもリーダーシップを

発揮できることと,政府に対する監視機能の落としどころを探ることが求められるのではないか。

イギリスでは両院に設置されている特別委員会による政府の監視が行われている17。特別委員会

Page 16: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

――

18 2019年 3 月に参議院自民党のホームページが開設されるなど,独自性を追求する動きがある。

19 関口昌一自民党参議院議員会長は,2019年 9 月 2 日に首相官邸で安倍首相と面会して,大臣の参議院枠を増

やすように要求した(読売新聞2019年 9 月 3 日付 4 面)。

――

は各省に対応する省別のものと,特定のテーマに関するものが設置されており,首相の説明責任を

追及するための機関となっている。政府は特別委員会の報告書に対して 2 か月以内に回答しなけ

ればならない。この特別委員会の報告書や提言に拘束力はないが,社会への情報提供の機会を増や

し,政府の応答性を高めることにつながっている(高安,2018)。

また,権限が縮小されたフランス議会においても,「対政府質問」の導入や,週 1 回の本会議が

対政府質問に充てられるなど,議会の政府監視機能が強化されてきた。また,2008年の憲法改正

では「執行府の統制」が柱となり,政府提出法案の事前影響調査が義務化され,その調査結果が議

会に提出されるようになるなど,議会の政府監視機能が注目を浴びた(大山,2013)。

拘束力がなくとも,このような仕組みによって首相は自身が発揮したリーダーシップに対して責

任を負うことになるうえに,次の選挙での有権者の判断材料にもなる。日本も首相のリーダーシッ

プ強化を行うにあたって,その歯止めとして,現在のような権力分立ではなく,いわゆる拒否権や

拘束力を持たない監視機能を検討する必要があるだろう。

なお,日本では権力分立(三権分立)を深く考えることなく,フレーズだけが先走っているよう

に思える。今後の政治改革にあたって,まず権力分立の問題と真剣に向き合うことが求められる。

第節 議院内閣制と参議院

日本国憲法において,首班指名における衆議院の優越が規定されていることや,衆議院にのみ内

閣不信任決議権が付与されていることから,政治制度上は衆議院の信任に基づいて内閣が成立する

とされる。そのため,議院内閣制を分析する際には,内閣と衆議院の関係を中心に分析されてき

た。一連の政治改革においても,抜本的な参議院改革が提唱されることはなかった。

しかしながら,いわゆる「強い参議院」の影響による「ねじれ国会」の下で,小渕首相が野党案

を丸呑みしたこと(いわゆる金融国会)や国会人事同意の問題,菅首相が自らの辞職,野田首相が

解散権の行使と引き換えに参議院で赤字国債発行法案の成立を図って短命政権に終わっているこ

と,さらには,参議院での法的拘束力のない首相や閣僚への問責決議案の可決を根拠に野党が国会

審議に応じないことがあったなど,実態としては内閣と参議院に関係がないと考えることはできな

い。

また,「強い参議院」の影響によって,自民党内に参議院自民党が存在していることや18,慣例

で大臣の参議院枠が設けられていることからも19,「ねじれ国会」にならずとも,内閣にとって拒

否権プレーヤーとなる潜在的なアクターが参議院に存在していると言える。したがって,議院内閣

制を考えるにあたって,内閣と参議院の関係を分析することが求められる。

はじめに,他国の上院の権限との比較を通じて,強い権限を有する参議院と内閣の関係について

Page 17: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

――

20 1949年議会法で引き延ばせる期間が 1 年に短縮され,貴族院の権限はさらに縮小された。

21 金銭法案以外の財政法案である歳入法案などにおいて,下院が優越権を持つ慣習のことである。

――

考察し,議院内閣制を考えるうえでの視座を提示することを試みる。

まず,議院内閣制の模範とされたイギリスの庶民院と貴族院の権限や,政府と貴族院の関係につ

いて整理する。イギリスでは名誉革命以来,貴族院は金銭法案を拒否しない慣習となっていたが,

1909年に「人民予算」をめぐって政府と貴族院が対立した。この対立を機に,貴族院の権限が政

治的争点となり,1911年議会法が制定された。この法律によって,金銭法案は庶民院で可決され

た後,貴族院の反対や修正にかかわらず,1 か月で君主の同意を得て成立することになった。その

他の法案についても 2 年引き延ばせるだけになり20,貴族院の権限を縮小するための改革がなされ

てきた。

このイギリスの制度は,日本の国会の制度設計において参考にされた。憲法改正に関する議論が

なされている際に,日本に提示されたマッカーサー・ノートには「予算の型は,英国制度に倣うこ

と」と記されており,1911年議会法が参考にされて衆議院の優越が規定されたという(佐藤,

1964)。

しかしながら,小堀は日本とイギリスの財政制度の相違に焦点を当てて,財政に関する衆議院の

優越が中途半端であるとしており(小堀,2013),この小堀の指摘が示しているものこそ,内閣と

参議院の関係において重大な問題を引き起こしている一因であると考えられる。

イギリスは議会法で金銭法案という考え方を採用していることに加えて,「財政法案に関する下

院の特権21」という議会慣習で,増減税や国債発行なども庶民院だけで決定できる慣習を確立して

いる。

一方で,日本の予算に関する衆議院の優越には,議会法の部分は取り入れられているものの,議

会慣習の部分である増減税や国債発行などに関するものは含まれていないため,参議院でこれらの

法案が否決されると,予算を執行するための歳入が得られなくなる(小堀,2013)。つまり,憲法

で予算に関する衆議院の優越が規定されているものの,予算の執行には「強い参議院」の同意が必

要になるのである。

民主党政権は,予算を執行するための赤字国債発行法案を成立させることができなかった。この

予算に関する衆議院の優越の仕組みを見直さない限り,一連の政治改革で志向された首相による強

いリーダーシップの発揮を実現できるはずがない。

なお,金銭法案以外の法案に関しては,両院の法案に対する意見が一致するまで両院間を往復さ

せる「ピンポン」方式が採用されており,「ピンポン」を繰り返しても 1 年以内に成立しない場合

は,2 年目に庶民院が可決すれば法案は成立する(1949年議会法)。このようにイギリスにおいて

は,貴族院に対する庶民院(政府)の優越が徹底的に確立されている。

ただ,イギリスの庶民院の優越は,貴族院が公選制でなく民主的正統性を有していないことが前

Page 18: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

――

22 ドゴールは上院を職能代表制に改革することを志向し,1969年には経済社会評議会と上院を合体させて職能

代表制を実現するための憲法改正に取り組んだが,国民投票で否決されて辞職した。

23 衆参同時に選挙が行われたのは,1980年と1986年の 2 回だけである。

24 政治改革後,野党は政権交代を目指すことが前提とされていたので,政治を停滞させ政権を追い詰めるため

に,自民党と民主党はともに野党時代に「強い参議院」を利用した。政治改革によってもたらされた競合的

な政権争いが「決められない政治」を生み出したと言える。

――

提であり,公選制で民主的正統性を有している参議院と単純に比較することは困難である。ただ,

参議院が強力な拒否権プレーヤーになっている以上,実質的な一院制が想定されているウェストミ

ンスターモデルとは相容れないものになっていることは念頭に置いておく必要がある。

なお,コンセンサスモデルのフランスでさえも,第 3 共和制において上下両院が対等であるこ

とが政権の不安定の一因であると問題視され,のちにドゴールが上院である元老院の見直しに力を

入れた22。首相のリーダーシップを強化するためには,なおのこと上院(参議院)の見直しが求め

られる。

次に,本章の冒頭でも紹介した目的の分立の観点から参議院を考察する。日本では衆参両院の選

挙が同時に行われることはほとんどなく23,参議院議員通常選挙と衆議院議員総選挙後の特別国会

で行われる首相選出は時期が一致していない。さらに,参議院は 3 年ごとの半数改選であり,こ

の時間軸のねじれも目的の分立に拍車をかけている。

コアビタシオン(保革共存政権)に苦しんだフランスは,上院と下院の違いはあるものの,憲法

改正によって大統領の任期を議会の任期と揃えて,選挙時に党派色を強めることによって,大統領

の選出と首相の任命,議会選挙の結果に関連性を持たせようとした(目的の分立を解消を試みた)。

また,参議院の候補者選定に関しても,都市部の選挙区が中選挙区制であることなどから,小選

挙区比例代表並立制である衆議院議員総選挙における候補者の公認過程に比べて,執行部が及ぼせ

る影響力には限界がある。

さらに,2001年の選挙から比例区において非拘束名簿式が導入されたことにより,当選した議

員は党執行部と支持基盤との間で板挟み状態になりやすい。首相のリーダーシップを強化した一連

の政治改革後であるにもかかわらず,その理念に逆行し,目的の分立を促進する非拘束名簿式が導

入されたことは,一連の政治改革が体系的に行われていないことを象徴している。これまで見てき

たように,選挙制度や候補者公認過程から,参議院は権限が強いうえに,目的も分立していると考

えられ,参議院は首相のリーダーシップ発揮に対して様々な制約を課す統治機構になっている。

以上をまとめると,一連の政治改革では,内閣と参議院との関係について触れられていないが,

強い権限を有し,目的が分立している「強い参議院」の改革なくして,首相のリーダーシップ強化

を実現することはできない。首相のリーダーシップ強化を志向した一連の政治改革と「強い参議院」

の制度的齟齬を抱え込んだままでは,「決められない政治」が批判の対象となり,国民の政治不信

を増大させることになる24。

Page 19: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

――

25 小西+應(2011)「日本におけるセクショナリズムと稟議制の源流―「日本社会」論を前提として」『政経論

叢』79号,413458頁。など。

――

なお,議院内閣制と参議院の問題を考えるうえで,参議院の民主的正統性についても考える必要

がある。任期が短いことや首相による解散が行われていることから,衆議院の方が制度的には民意

がより反映されている(より民主的正統性を有している)とされている。ただ,衆議院議員総選挙

よりも直近に行われた参議院議員通常選挙において野党が勝利した場合,参議院の方が最新の民意

が反映されている(最新の民主的正統性を有している)として,野党が国会審議にすら応じないこ

とがあったなど,国会運営上では参議院の方が民主的正統性を有しているとされることもある。こ

の玉虫色的な概念である民主的正統性も首相のリーダーシップ発揮を阻害する要因となり得る。

おわりに―より良い政治制度を目指して

本稿では,各アクターの政治改革に対するインセンティヴの観点から体系的な制度設計がなされ

たのかを考察して理論と歴史の架橋を試みたうえで,議院内閣制の観点から一連の政治改革を検証

する必要性を論じてきた。本稿が,議院内閣制をはじめとする様々な観点から一連の政治改革を見

直すきっかけになれば幸いである。

一連の政治改革では,首相のリーダーシップ強化(集権的な議院内閣制)の実現が掲げられたに

もかかわらず,政府と与党の関係を抜本的に見直さなかったことによる政府と与党の分裂が露見し

ているうえに,権力分立や目的の分立など首相のリーダーシップ発揮を妨げる制度的齟齬を抱え込

んだままである。首相のリーダーシップ強化を目的の 1 つとして掲げた一連の政治改革後,「決め

られない政治」に対して批判が噴出したことからも,これらの制度的齟齬が国民の政治不信を増大

させていると言える。

今日の安倍政権は,「決められる政治」を行うために,第 2 章で見た経済財政諮問会議や事前審

査の場で政策決定を行うことで,「決められない政治」をもたらしてきた制度的齟齬の影響をかわ

しているが,国会を軽視していると批判がなされており,政治不信を解消できているとは言えない。

本稿は一連の政治改革で志向したウェストミンスターモデルと日本政治の実態との制度的齟齬と

その要因を考察し,その制度的齟齬が国民の政治不信を増大させているのではないかと指摘したも

のである。そもそもウェストミンスターモデルが日本政治・日本社会にとって適切な制度モデルで

あるのかを考察する必要があり,今後の課題としたい。

レイプハルトが記しているように,ウェストミンスターモデルは多数派主体の政治であり,「排

他的・競争的・敵対的」であることが特徴である(レイプハルト著,粕谷・菊池訳,2014)。この

特徴が日本政治・日本社会になじむのかを考える必要がある。

例えば,日本社会には「イエモト・モデル」が現存するなど,一元的な組織構造を持つヨーロッ

パとは異なる社会構造を有している25。ヨーロッパとは社会構造が異なる日本社会において,ヨー

Page 20: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

――

26 日本人が苦手とされる「対話」は,お互いの考え方の相違を回避せずに正面から話し合い,お互いの考えを

深めることを目的にしているのに対して,日本人が日頃行っている「会話」は,お互いの考え方の相違を突

き合わせることはせず,お互いが異なった考え方のまま人間関係を続けていくことを目的としている(小林

正弥(2014)『人生も仕事も変える「対話力」』講談社+a 新書)。

――

ロッパの制度モデルをそのまま導入して成功するとは思えない。

また,日本人は「対話」が苦手とされている26 ことや,競合性の高い二大政党制を模索しつつも,

馴れ合いや談合とも捉えられる国対政治が未だに行われていることからも,コンセンサスモデルの

特徴である「包括的・交渉的・妥協的」な政治運営がなされている。

日本政治が制度的齟齬を抱えている要因として,他国の政治制度を理論的・歴史的に分析せず,

良いと思われる政治制度を表面上だけつまみとってつなぎ合わせていこうとする傾向があること

や,憲法改正が伴いそうな問題を放置してきたことが挙げられるのではないか。日本では,護憲派

が 9 条に固執し,政治制度に関しては思考停止の状態にあるため,抜本的な政治制度改革につな

がらない。さらに,権力闘争などが絡んでおり,体系的な政治制度の設計が行われていないように

思える。政治改革の際には,政治制度そのものだけでなく,改革議論の方法論から考え直すべきで

ある。

最後に,本稿は論点が拡散しており,議論を掘り下げることができなかったが,真の首相のリー

ダーシップ強化にはそれだけの視点が求められるということを強調させていただきたい。今後は,

テーマを絞って議論を掘り下げ,説得力のある論文を執筆することを課題としたい。

参考文献

赤坂幸一,奈良岡聰智,村井良太(2012)『衆議院事務局委員部長 平野貞夫氏オーラルヒストリー』。

アレンド・レイプハルト著,粕谷祐子・菊池啓一訳(2014)『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス

型の36ヵ国比較研究(原著第 2 版)』勁草書房。

石原信雄回顧談編纂委員会(2018)『石原信雄回顧談―官僚の矜持と苦節 第 1 巻 わが人生を振り返る』ぎょ

うせい。

伊藤光利(2006)「官邸主導型政策決定と自民党」『レヴァイアサン』第38号,740頁。

岩崎美紀子(2016)『選挙と議会の比較政治学』岩波書店。

大西祥世(2016)「参議院と議院内閣制」『立命館法学』367号,701750頁。

大山耕輔監修,笠原英彦/桑原英明編(2013)『公共政策の歴史と理論』ミネルヴァ書房。

大山礼子(2013)『フランスの政治制度 改訂版』東信堂。

大山礼子(2011)『日本の国会―審議する立法府へ』岩波新書。

大山礼子(2001)「ウェストミンスターモデルと選挙制度改革―ニュージーランドと日本」『日本選挙学会年報』

16号,2838頁。

小沢一郎(1993)『日本改造計画』講談社。

川人貞史(2005)『日本の国会制度と政党政治』東京大学出版会。

小堀眞裕(2013)『国会改造論―憲法・選挙制度・ねじれ』文春新書。

後藤謙次(2000)『竹下政権・五七六日』行政出版局。

笹部真理子(2017)『「自民党型政治」の形成・確立・展開―分権的組織と県連の多様性』木鐸社。

佐藤達夫(1964)『日本国憲法成立史第 2 巻』有斐閣。

Page 21: Meiji Repository: ホーム - 政治改革と議院内閣制...― ― 研究論集委員会 受付日 2019年9 月20日 承認日 2019年10月28日 政治経済学研究論集 第6

――――

佐道明広(2012)『現代日本政治史 5「改革」政治の混迷 1989~』吉川弘文館。

高安健将(2018)『議院内閣制―変貌する英国モデル』中公新書。

高安健将(2009)『首相の権力』創文社。

橋本龍太郎(1993)『VISION of JAPAN―わが胸中に政策ありて』ベストセラーズ。

福岡英明(2001)『現代フランス議会制の研究』信山社。

待鳥聡史(2012)『首相政治の制度分析―現代日本政治の権力基盤形成』千倉書房。

武蔵勝宏(2011)「民主党連立政権下の立法過程」『北大法学論集』,61号,115150頁。

読売新聞政治部編(2014)『基礎からわかる選挙制度改革』信山社。

Bergman, Torbjeorn, et al. 2003, ``Democratic Delegation and Accountability: Cross-national Patterns.'' In

Kaare Strom, Wolfgang C. Muller and Torbjorn Bergman, eds. Delegation and Accountability in Parliamentary

Democracies. Oxford University Press.

George, Mulgan, Aurelia, 2003, ``Japan's `Un-Westminster' System: Impediments to Reform in a Crisis

Economy.'' Government and Opposition 38(1): 7391.

Kam, Christpher J, 2009, Party Discipline and Parliamentary Politics. New York: Cambridge University Press.

King, Anthony and Ivor, Crewe, 2013, The Blunders of Our Governments (London: Oneworld).

Walter, Bagehot, 1963/1867 [Originally], ``The English Constitution'', Cornell University Press.(清明責任

編集(1980)『バジョット・ラスキ・マッキーヴァ―』中央公論社。)