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修士論文 1997 年度(平成 9 年度) アジア太平洋地域における多国間安全保障協力 協調的安全保障・信頼譲成措置の限界性と ARF プロセス慶應義塾大学 大学院 政策・メディア研究科 神保 謙

アジア太平洋地域における多国間安全保障協力4 序章 問題の所在 1990 年代に入ってからのアジア・太平洋地域における安全保障分野での多国間協力(多

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修士論文 1997 年度(平成 9 年度)

アジア太平洋地域における多国間安全保障協力

—協調的安全保障・信頼譲成措置の限界性と ARF プロセス—

慶應義塾大学 大学院 政策・メディア研究科

神保 謙

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目次

序章 問題の所在

第1章 多国間安全保障協力の分析枠組み 第1節 多国間安全保障協力の先行研究

1 多国間安全保障協力の類型と協調的安全保障の位置づけ

(1) 多国間協調主義の原理と安全保障システムの類型

(2) 「集団安全保障」「共通の安全保障」「協調的安全保障」

(3) アジア太平洋地域への視角

2 信頼譲成措置:概念の展開

(1) 信頼譲成措置の概念

(2) CSCE プロセスにおける信頼譲成措置

(3) 信頼譲成措置の三段階論

(4) アジア太平洋地域への視角

第2節 多国間安全保障協力の限界性をめぐる考察

1 協調的安全保障の限界

(1) 「抑止・対応」機能の補完原理としての協調的安全保障

(2) 協調的安全保障の機能する条件

2 信頼譲成措置の限界

(1) 協力のレベルと利得の非対称性

(2) 信頼譲成措置の曖昧性・自発性

第2章 アジア太平洋地域の多国間安全保障協力プロセスと主要参加国の対応 第 1 節 アジア太平洋地域の多国間安全保障協力プロセス

1 ARF の成立過程 [1990-1994]

2 第 1 回~第 4 回 ARF の概要 [1994-1997]

第 2 節 ARF プロセスにおける主要参加国の対応

1 日本

(1) CSCE 型安保提案と日本政府の対応

(2) 佐藤試案から中山提案へ

(3) 宮沢首相の説得外交

(4) 日本政府の第1回~第4回 ARF 会合への対応

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2 ASEAN

(1) ASEAN をとりまく安全保障環境の変化

(2) ASEAN 首脳会議での方針決定

(3) ASEAN 提案の背景

(4) 第1回~第 3 回 ARF 会合への対応

3 米国

(1) 「アジア・太平洋戦略報告」(1990,1992)と多国間安全保障協力

(2) 米国の方針転換(拒否→サブリージョナル容認→PMC 容認)

(3) 米国方針転換の要因

(4) 第1回~第4回 ARF 会合への対応

4 中国

(1) 中国の基本認識と多国間安全保障協力への否定的対応

(2) 多国間安全保障協力への転機

(3) 中国方針転換の要因

(4) 第1回~第4回 ARF 会合への対応

第3章 多国間安全保障協力の限界性と ARF プロセス 第 1 節 協調的安全保障

1 アジア太平洋地域における協調的安全保障の限界

(1)「抑止・対応」機能の必要性

(2)協調的安全保障の機能する条件の不備

第 2 節 信頼譲成措置

1 アジア太平洋地域の信頼譲成措置:合意および履行状況

2 ARF における信頼譲成措置の限界性

(1) 協力レベルと利得の非対称性

(2) 信頼譲成措置の曖昧性・自発性

(3) 信頼譲成措置進展の条件の不備

第 3 節 評価と展望:限界と限界突破をめぐって

終章

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序章 問題の所在 1990 年代に入ってからのアジア・太平洋地域における安全保障分野での多国間協力(多

国間安全保障協力)は急速に進展してきている。アジア・太平洋地域において多国間安全

保障協力がいかなる意味を持っているのか、またどのようなレベルまで進展するのかとい

う課題は、この地域の安全保障研究の主要なテーマの一つといってよい。

これまでの多国間安全保障協力をめぐる研究では大きくわけて二つの次元からのアプロ

ーチが試みられた。第一は、多国間協調主義(Multilateralism)に基づく安全保障体制として

の位置付けを試みたものである(システムレベル)。これには国連が当初目指したような「集

団安全保障」、CSCEプロセスで展開された「共通の安全保障」、冷戦後特に着目されて

いる「協調的安全保障」などの類型が含まれる。また、K・ドイッチュ(Karl Deutsch)の「多

元的安全保障共同体」、R・コヘイン/J・ナイ(Robert O. Keohane and Joseph Nye, Jr.)の

「複合的相互依存」等の理論によっても多国間のコミュニケーションの拡大が紛争の可能

性を軽減させるものとしてとらえられている。これらは、主に古典的現実主義の対抗軸と

して有望視された60年代以降のリベラルパラダイムに基づく国際関係のイメージであり、

そこでは軍事力を中心とした国策追求を過剰なものとみなし、さまざまなチャンネルの交

流やレジームの形成が国際秩序形成に大きな役割を果たすとするものである。

第二のアプローチは、多国間安全保障協力の具体的な措置について検討しようとするも

のである(アプローチレベル)。これについては欧州安全保障協力会議 (CSCE)の進展と共

に関心が高まった「信頼醸成措置(CBMs)」の研究が代表的なものである。アジア太平洋

地域においても全域レベル及びサブ・リージョナルなレベルでの信頼譲成措置に着目し、

主にその可能性に関する研究が徐々に蓄積されている。信頼譲成措置の研究の多くは、こ

れを顕在的・潜在的に敵対する国家との協調を目的とする安全保障措置として位置づけ、

その概念およびこれまで実施されてきた措置を高く評価している。

しかし、こうした多国間安全保障協力の促進は自動的に安定的な国際関係を約束するの

であろうか。前者および後者のアプローチは、その実態に反して過度に肯定的に評価され

てきたのではないだろうか。本稿の問題提起の主旨はここにある。

多国間安全保障協力に関する上記のシステムレベルとアプローチレベルにはそれぞれ安

全保障システムおよびその具体的な措置として重大な限界がある。そして、この限界は地

域的な安全保障の枠組みを考察する上で不可欠の視点をもたらすものである。なぜならば、

安定的な安全保障体制の構想は、そのような多国間安全保障協力の持つ限界性の認識の上

にはじめて成り立つからである。

第一のアプローチで指摘しなければならないのは、安全保障分野での多国間協調主義が

持つ限界性であり、とりわけ本稿で検討される「協調的安全保障」が内包する限界性であ

る。本稿では協調的安全保障について、①紛争抑止及び対応機能の欠落、また②有効に機

能する条件が限定的であること、という側面からそれぞれ限界性を検討していく。

第二のアプローチについては、信頼譲成措置が進展していけばいくほど国際システムは

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安定するとは必ずしもいえない、という限界性である。この点についても、第1章で詳し

く検討する①協力レベルと利得の差、②概念および措置の曖昧性・自発性の陥弄および③

信頼譲成措置の段階移行条件の検討というそれぞれの側面について、信頼譲成措置が安定

的な安全保障秩序に寄与するには不十分であり、その機能の深化が困難であることを指摘

する。

本研究の着想の契機は、多国間安全保障協力の量と機能には限界があり、各国家が多国

間安全保障協力によって得る利得はそれぞれ異なることを論証する必要性を感じたことで

ある。多国間安全保障協力は構造(システムレベル)における制約と、具体的な措置(ア

プローチレベル)が抱える制約という二重の制約の下に置かれているのである。

本研究は、多国間安全保障協力に関する以上の二つのアプローチに基づく先行研究の成

果を踏まえ、それぞれのアプローチの限界性を検討しながら、現在進行中のアジア太平洋

地域の多国間協力の抱える限界性と、そのプロセス進展に対する考察を行うものである。

以上の問題提起を踏まえた上で、まず多国間安全保障協力に関する先行研究として、第

一に協調的安全保障、第二に信頼譲成措置を概観し、それぞれの限界性がどのように検討

可能であるかを提示する(第1章)。

次に、第1章で検討した枠組みを基礎に、アジア・太平洋地域の多国間安全保障プロセ

スを概観し、地域主要諸国(ここでは日本、ASEAN、米国および中国を取り上げる)

が多国間安全保障協力にこれまでどのように関与し、また多国間安全保障協力のレベルを

どのように設定していると考えられるかを検討する(第 2 章)。

最後に、本研究の概念試論と事例研究によって明らかになった結果を基に、第3章では

アジア太平洋地域における多国間安全保障協力の二つのアプローチの限界性を検討し、こ

の限界性に対する評価を検討する(第3章)。

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第1章 多国間安全保障協力の理論枠組

第 1 節 多国間安全保障協力の先行研究

1 多国間安全保障協力の類型

(1) 多国間協調主義の原理と安全保障システムの類型

多国間安全保障協力を理論的に考察するにあたり、ここでは分析の対象を多国間協調主

義(Multilateralism)に基づく地域的な安全保障協力とする。この理由は、現存するアジア太

平洋地域の全域的な安全保障体制が、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)

によって形作られ、それは不特定の分散した脅威をかなりの程度集団のなかに取り込んだ

性質を持ち、行動原則を一般化させようとしている点で、以下に説明するような多国間協

調主義に基づく安全保障体制に他ならないからである。

J・ラギー(John J. Ruggie)によって定義された多国間協調主義とは、「三カ国以上の国

家の関係を一般化された行動の原理に基づいて調整する制度的形態」である1。ラギーの整

理に基づけば、多国間主義は①「一般化された行動の原理」(generalized principles of

conduct)、②「不可分性を持つ規範」(indivisibility among the members of collectivity)、

③「拡散された互恵主義」(diffuse reciprocity)より構成される2。

「一般化された行動の原理」とは、「参加国の自己利益や個々の事件における戦略的要求

に対する考慮なしに、ある活動分野に関する適切な行動を明示するもの」である。つまり、

どのような条件のもとでも差別なく適用される原理のことをいう。たとえば安全保障の分

野では、どこで戦争(侵略)が起きたか、あるいは誰が侵略を起こしたかに関わらず、そ

れに対して無差別に一定の手段を提供すること(すなわち集団安全保障:後述)がそれにあ

たる。

「不可分性を持つ規範」とは、ある一定の社会秩序の構築(レジーム規範の構築)にあ

たり、「戦争の勃発を防ぐ」ことや「貿易の拡大は基本的に望ましい」といった価値が不可

分であることを共有することを意味する。それは当然ながら、一般化された行動の原理を

導く基底となるものである。「拡散された互恵主義」とは、長期的に見て全ての参加国にお

おまかに平等な便益が配分されるという期待である3。

そして、ラギーは多国間協調主義の核心が「一般化された行動の原理」にあると主張す

る4。すなわち多国間主義は、参加国間に共有された不可分の規範を基底として作られた「一

般化された行動の原理」を核心としながら、その権利義務関係と、それによって生じる利

益が平等に配分されることを特徴とするものである。

山本吉宣によって整理された国際的安全保障システムの類型は、この多国間安全保障協

力を説明しやすいものにしている5。山本は①脅威が特定のものか、不特定なものか[脅威の

特定性-不特定性]、②脅威が外部にあるのか、内部に取り込むのか[脅威の外部性と内部性]、

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③安全保障の手段として、主として軍事分野に限って考えるのか、あるいはより広く政治・

外交、さらには経済などの分野をも考えるのか、という三つの要因に基づいて安全保障シ

ステムを類型化した。

第 1 図 国際安全保障システムの類型

a1 抑止・対抗型 (同盟)

b1 域外脅威対処型の同盟

a2 (COCOM 型)

b2 (MTCR 型)

c1 危機管理

d1 集団安全保障

c2 共通の安全保障

d2 協調的安全保障

(出所)山本吉宣「協調的安全保障の可能性—基礎的な考察」

『国際問題』第 425 号(1995 年 8 月)4 頁

山本の類型に基づき、これを多国間協調主義に基づく安全保障体制という観点から検討

すると以下のようなことがいえるだろう。第一に、「一般化された行動の原理」、すなわち

差別なく適用される原理は、基本的に脅威を外部化(差別化)する安全保障体制と相容れ

ない性格を持つ。この結果、同盟や特定の国々を対象とした軍備管理体系は多国間協調主

義に含めることはできない。第二に、山本の想定した危機管理(c1)は、①ユニラテラル

に政策決定や交渉過程におけるルールの設定(A・ジョージのいう「危機管理6」)と、②自

分のほうから軍縮のイニシアティブをとり、相互主義に基づいた軍縮のプロセスを生起さ

せようとするもの(R・オズグッドのいう「GRIT7」)の二つである。これはともに当事者

すべてによって合意された原理や互恵への期待ではないために、多国間協調主義と位置づ

けることは困難である。その結果、残された「集団安全保障」(d1)、「共通の安全保障」(c2)、

そして「協調的安全保障」(d2)が本稿で分析される多国間安全保障協力ということになる。

(2) 「集団安全保障」・「共通の安全保障」・「協調的安全保障」

脅威の性格

特定 不特定

非包括

包括

非包括

包括

脅威の所在

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「集団(的)安全保障」(collective security)は同盟とは区別される概念であり、国際社会

全体、あるいは地域参加国全体のために国際機構・地域的機構を設け、それを通じて諸国

が共同して相互の安全を維持しようとする考え方のことである。具体的には、そのような

国家集団において、①武力不行使の義務を設定し、国際紛争を平和的に解決することを目

指し、②それに違反した国を構成国が共同で経済制裁ならびに軍事的制裁を行う制度のこ

とである8。集団的安全保障体制における脅威は原理的には集団の中に存在し、かつそれは

あらかじめ特定されないものとされる9。

「共通の安全保障」(common security)とは、冷戦期のヨーロッパにおける東西対立、特

に戦略的核相互抑止の状況に対処する方策として生まれた概念である10。冷戦期のヨーロッ

パでは、東西両陣営が敵対関係を継続する中で、もし戦争が勃発すれば核戦争を含む耐え

難い被害が双方に及ぶという認識をそれぞれの陣営が共有していた。この「戦略的な相互

依存関係」において安定的な秩序を保っていくためには、「敵と協力する」ことが共通の利

益と考えられたのである。これが共通の安全保障の基本的な考え方である。

概念としての共通の安全保障がはじめて提出された1982年のパルメ委員会の報告書では、

「東側、西側が核兵器による破局を逃れることができるかどうかは、平和的関係、自制、

軍拡競争を改善という必要性の相互認識にかかっている」という見解が示された11。まさに

そこでは「敵と協力する」必要性が謳われたのである。同報告書が提案した概念には、例

えば相手を挑発しない防衛体制としての「非挑発的な防衛(non-provocative defense)」、ま

た自国の防衛に専念し他国を攻撃する能力を持たない「防御的防衛(non-offensive or

defensive defense)」などがあった。それら概念は必ずしも現実の場で採用されることはな

かったが、パルメ委員会が示した共通の安全保障の基本的な考え方である「敵との協力」

は、1975 年に発足した全欧安全保障協力会議(CSCE)において実践され、東西双方の軍

事予算や軍隊の展開などの軍事情報(兵員数、装備、配備、予算など)の毎年の交換、相

互の基地の訪問、大きな部隊移動・演習の事前通知、軍事演習の制限などの信頼譲成措置

が始められたのである。

「協調的安全保障」(cooperative security)は、不特定の、分散した脅威を内部化しつつ、

それが顕在的な脅威や武力衝突にならないように予防することを旨とし、さらに紛争の平

和的な解決を図り、また不幸にして武力衝突となった場合でも、あらかじめその被害を最

小限にとどめることを図る枠組みを指す12。協調的安全保障を特徴づけるのは、制度化され

た安全保障対話、安全保障に対する包括的アプローチ、信頼譲成措置あるいはトラストビ

ルディングの実施などである。協調的安全保障は、集団的安全保障などとは異なって強制

措置を含まず、もっぱら非対決的な方法を用いて参加国に平和の構造を根づかせていこう

とするものであるため、軍事的次元よりも政治、外交などの非軍事的次元に重点が置かれ

る。

(3) アジア・太平洋地域への視角

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これまで検討した多国間安全保障協力の類型は、アジア太平洋地域に現存する安全保障

体制にいかなる視角を与えるであろうか。第一に、集団安全保障および共通の安全保障は

現在この地域に成立していない。前者の集団安全保障についてはその成立条件、およびそ

れが有効に機能しうる条件が著しくこの地域の実状にそぐわないためであり、後者の共通

の安全保障はそもそも冷戦期のヨーロッパにおける明確な東西の対立関係の構造を前提と

しており、そのような構造は冷戦期にもまた冷戦後にも、朝鮮半島というサブリージョン

を除いてこの地域に存在しないからである13。

したがって、ここでは協調的安全保障を有力な多国間安全保障協力の概念として検討す

ることが求められる。協調的安全保障の特質を、①多国間協調主義に基づき、②不特定の

分散化した脅威を内部化しつつ、③紛争予防を目的とする枠組ととらえた場合、サブリー

ジョナルなレベルでは1967年に成立したASEANは既に協調的安全保障のシステムを既に

進展させてきたといえるであろう。また、アジア太平洋地域全域レベルでは、1994 年に

ASEAN 地域フォーラム(ARF)が設立され、年次会合を重ねているARFプロセスは、協

調的安全保障の枠組みとして位置づけることができる。本稿では主に後者の ARF を分析対

象とする。

2 信頼譲成措置研究

(1) 信頼譲成措置の概念

信頼醸成措置とは、一般に潜在的、顕在的に敵対しあう国家(群)間の誤解や意志疎通

不足に基づく武力紛争の発生や紛争の拡大を防止するための諸措置を意味する14。その基本

的性格は、①潜在的、顕在的に敵対した勢力同士での軍事力による「抑止」の機能による

安全の保持ではなく、「相互の信頼」を高めようとする措置であること、②情報の不足によ

って生じる「囚人のジレンマ」ゲーム的な不必要な軍備拡張競争、先制攻撃の可能性を低

下させる、③軍事的意図について再保証を設定しようとするものであるが、究極的に関係

国の軍事能力について制限を課すものではない、というものである。

この点で、信頼醸成措置と軍備管理とは紛争の予防、拡大防止という「目的」を同じく

するが、両者の間の「手段」は大きく異なる。軍備管理措置が典型的には、兵器や兵力の

数を削減し、制限しあるいはバランスさせることによって、国家の軍事「能力」に変化を

加えるのに対して、信頼醸成措置は軍事面における透明度を高めまたは侵略的意図のない

ことを再保証することによって一国の軍事的「意図」を扱うものである15。

信頼醸成措置という言葉及び基本概念は、冷戦時代に厳しい東西対立関係にあったヨー

ロッパにおいて 1960 年代後半に生まれたものとされている。1981 年に提出された信頼醸

成措置に関する国連事務総長報告書によると、信頼醸成措置の具体的措置として、①軍事

活動及び安全保障関連情報の公開及び交換、②軍事予算の相互削減、③軍事演習の事前通

告、④軍事演習への軍事オブザーバーの派遣、軍事代表団の交流、⑤軍備管理・軍縮協定

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の実施を促進する協議機関の設置、⑥一定の軍事行動の制限、⑦非核地帯、非武装地帯、

平和・協力地帯の設置、⑧信頼醸成措置の検証手続の精巧化、など広範な分野にわたり検

討されている16。

(2) CSCE プロセスにおける信頼譲成措置の意義の変遷

欧州における信頼譲成措置の導入と発展は、CSCE プロセスにその典型をみることがで

きる。以下では、CSCE プロセスにおいて信頼譲成措置がいかなる意義を持ち、またそれ

が時代的な変遷の中でどのように変化したのかを辿る17。

1975 年の CSCE で採択された「ヘルシンキ宣言」では、2 万 5 千人以上の兵力の大規模

演習の事前通告を義務とた。またオブザーバー受け入れ、大規模移動の通告などを自発的

に行えるものとした(前述の国連事務総長報告書の①③④に相当)。この段階での信頼譲成

措置の意義は、短期的な軍事活動に関する意図や情報を明らかにする情報公開・コミュニ

ケーションに関する「透明化」にとどまっていた。

1985 年の「ストックホルム文書」では、ヘルシンキ信頼譲成措置と比べて、その措置の

強化、適用地域の拡大、義務性の拡大、そして検証措置の強化などによって安全保障措置

としての役割を拡大させた。信頼譲成措置は透明化という初期的な役割から、規制措置の

導入、検証措置の強化へと拡大した。

冷戦の崩壊とともに東西両陣営の対立構造が終わりを告げたことは、CSCE プロセスが

基本的性格としてもっていた共通の安全保障(既述)という役割に変質を迫るものとなっ

た。そこでは冷戦期に開始された信頼醸成措置は廃棄されることなく継続され、むしろ大

きく拡充されていくのである。「パリ憲章」(1990)「ウイーン文書」(1990,92)を通じて、具

体的な措置としては軍事情報の交換内容の拡大、また軍関係者の日常的な対話や交流の促

進などが盛り込まれ、信頼醸成措置の確立と履行の義務化を強めた。冷戦後の欧州の安全

保障環境に対応するために、CSCE(OSCE)における信頼譲成措置は長期的な政治的安定

措置としての意義を持つようになったと指摘されるのである。

(3)信頼譲成措置の三段階論

CSCE における信頼譲成措置は、「危機回避」(1975 年ヘルシンキ宣言)、「軍備管理や軍

縮の推進」(1986 年ストックホルム文書)、「政治的安定装置」(1990、1992 年ウイーン文

書)と意義を賦与させながら進展してきた。そして、その意義を実効性の高い措置として

再保証していたのが、規制措置および検証措置の発展であった。信頼譲成措置は、①意義

の拡大および②権利義務関係の明確化という目的と手段との相互関係によって進展してき

たのである。

このような信頼譲成措置の進展の構図を検討したのは、J・マッキントシュ論文「軍備管

理プロセスにおける信頼譲成措置」である。マッキントシュは、信頼譲成措置の意義と権

利義務関係の差異に着目し、信頼譲成措置の種類を三つに分類した18。

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第一は、「情報・交流・コミュニケーション型」信頼譲成措置である。この措置の中には、

①情報交換措置:(防衛全般、兵器体系および兵力構成に関する情報、防衛予算、兵器開発

に関する情報)、②交流措置:(軍人間交流、安全保障専門家交流、共同訓練・合同演習、

軍事ドクトリン・戦略および技術問題に関わるセミナー)、③コミュニケーション措置:(ホ

ットラインの敷設、共同危機管理センター等)④通知措置:(軍事演習・部隊の移動に関す

る情報の通知)、などが含まれる。

第二は、「検証・監視型」信頼譲成措置である。このタイプは、①軍事活動の監視措置:

(軍事活動に関するオブザーバー派遣等)、②一般的な監視措置(オープンスカイズ条約等)

③査察措置:(センシティブな軍事活動に関する特別オブザーバーの派遣、一定の兵力・施

設に対する査察)④モニタリング措置:(突出地域のモニタリング、立ち入り禁止区域のモ

ニタリング)⑤検証措置:(以上の監視活動を阻害しないように検証する措置)などによっ

て構成される。

第三は、「規制型」信頼譲成措置である。この中には、①軍事活動規制措置:(国境にお

ける挑発的な軍事活動の禁止等)②軍事展開規制措置:(第三国に脅威を与える装備の実験

の禁止、センシティブな区域における軍事展開の禁止、兵力の制限、非核地帯)③技術規

制措置:(特定兵器の更新の禁止、特定兵器の開発の禁止)などが含まれる。

マッキントッシュによって整理された三つのタイプの信頼譲成措置は、それぞれ初期の

信頼譲成措置と、発展した形態である権利義務関係によって規定された信頼譲成措置を峻

別している。その意味において、この分類は信頼譲成措置の三段階論としてとらえること

ができよう。

この信頼譲成措置の三段階論は、第一段階から第三段階に至るまで、徐々に成立が難し

くなる性格を持っている。それは、後者になるに従い、各国の安全保障政策に対する規制

は高くなり、さらに履行プロセスを厳しく検証することによって、参加国の政治的なコス

トが上昇するからである。信頼譲成措置の実効性という側面から考えれば、権利義務関係

を明記した後者は卓越性が高いといえよう。しかし、実行により政治的なコストが伴う後

期段階のほうが、信頼譲成措置として安定的な安全保障秩序を作ることに長けていること

を自動的に意味するものではない。後に検討するが、各国が規制措置から得る利得が異な

る場合、規制の強化はその利得の差を固定化させることにつながるからである。

信頼譲成措置はこのように初期段階では具体的措置の実効性に甘く、後期段階では各国

の利得に抵触するという関係を持つ。信頼譲成措置がその最大の実効性を保つためには、

特定の地域がどのような安全保障体制を持ち、またどのような問題を抱えているのかとい

う条件に依存する。その意味で、権利義務関係の明確化ばかりが優れた措置であると判断

する理由は乏しい。しかし、同時にそれは実効性の低い信頼譲成措置を推奨することを意

味するものではない。信頼譲成措置はこのような微妙なバランスの下に、地域の安全保障

環境を反映した形で適用されるべきであろう。

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第 2 図 CSCE の機構化と信頼譲成措置の意義変化

(出所)坪内淳「欧州安全保障協力会議の機構化と信頼譲成措置の意義変化—冷戦終結の文脈の中で」

『早稲田政治公報研究』第 49 号(1995 年 8 月)80 頁

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(3) アジア太平洋地域への視角

1980 年代後半に至るまで、アジア太平洋地域が「一地域」として、信頼醸成・軍備管理

などの安全保障政策構想の対象となることはほとんどなかった。安全保障面での地域的な

取り組みが欧州と比べて発達しなかったことは、しばしば「地域的に遅れている」という

否定的な観念でとらえられがちであった。しかしこれは遅れているのではなく、ヨーロッ

パとアジア太平洋地域の冷戦期の戦略環境の差異から生じたものである。冷戦期に①東西

両陣営に二分された対立構造が明らかであり、②地続きの戦略環境であったヨーロッパに

おいて「共通の安全保障」が成立しやすい状況にあったのに比べて、①多様な脅威認識と

勢力の分裂、②海洋を隔てた戦略環境、③未解決の領土問題、国家の正統性をめぐる問題

の存在、などを特徴とするアジア・太平洋地域において欧州をモデルとした多国間のアプ

ローチが著しく困難であったという理由によるものである19。実際、わずか数年前までは、

アジア・太平洋地域において地域的な信頼醸成措置、ましてや軍備管理などが地域単位で

成立する余地はないと見られてきたのである20。

その結果、この地域の信頼譲成措置はむしろ二国間・サブリージョナルレベルで実施、

発展してきた。1970 年代ころから ASEAN を中心として軍事交流、安全保障対話、海洋協

力、国境協力、合同軍事演習などの信頼譲成措置がサブリージョナルレベルで実施されて

きた21。それが冷戦終結後にARFとして全域的な協調的安全保障枠組みへの布石となった

のである。この意味で、ARFの設立と共に信頼譲成措置がゼロから始まったわけではな

く、サブリージョナルな枠組みで進展してきた信頼譲成措置を全域レベルに援用させるこ

とでそれが形成されてきたのである。

ARFで提案、合意された信頼譲成措置は主に第 3 章での検討課題となる。

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14

第2節 多国間安全保障協力の限界性

これまで第一節において、多国間安全保障協力がどのように定義、類型化が可能である

かを検討し、その具体的措置である信頼譲成措置についてこれまでの研究を概観した。本

節では、多国間安全保障協力の促進が果たして安定的な国際秩序を約束するのかという検

討を以下の二つの側面からおこなう。第一は、多国間安全保障協力の概念が持つ国際シス

テムの安定化に関する限界性の指摘である。本節では特に協調的安全保障がいかなる限界

性を有しているのかという点に着目する。第二は、信頼譲成措置が持つ限界性である。前

節で定義された信頼譲成措置は安全保障機能としての限界はどのように求められるのであ

ろうか。本節はこれら二つの側面の限界性を明らかにすることにより、多国間安全保障協

力がその本質において有する協力の難しさを指摘したい。

1 協調的安全保障の限界性

(1)「抑止・対応」機能の補完原理としての協調的安全保障

協調的安全保障が持つ限界性として第一に指摘しなければならないのは、協調的安全保

障がそれ自体では安全保障システムとして不十分であることである。それは紛争対処の手

段として軍事的な制裁を含む集団安全保障との対比によって明らかになる。集団安全保障

は、侵略が起きた場合、最終的には軍事的に対抗することを特徴とするのに対し、協調的

安全保障は、武力対立を未然に予防しようとすることを旨とし、それを非軍事的な手段で

達成しようとしているところにその特徴がある。つまり、協調的安全保障は基本的な性質

として紛争への「予防」を念頭においているのであり、紛争が起こった場合の「対処」に

は不向きなシステムなのである。

以上のことは、協調的安全保障の枠組みは、それが完全に武力衝突の可能性を無くすこ

とに成功しない限り、侵略なり武力衝突が実際に起きたとき、それに対処する装置が別途

必要であることを意味している22。つまり、万一危機や紛争が発生するか、それが急迫して

いるときには、予防的な措置のみでは対処できないのである。そのような場合には依然と

して関係する特定主要国、同盟機構、あるいは強制行動規定をもつ地域機関による対処以

外想定し得ない。すなわち、協調的安全保障はその基本的な構成要因が変化しない限り、

「紛争予防アプローチ」に特化された枠組みであり、その枠組みの中でのみ発展が可能な

システムなのである。したがって、常に強制力の維持を想定する「紛争抑止・対処アプロ

ーチ」に付随する形でのみ存立が可能なのである。その意味では、協調的安全保障は「紛

争抑止・対処」を有する同盟関係のサブシステムであるということができよう。

(2) 協調的安全保障の機能する条件の限定性

協調的安全保障の限界性の第二は、協調的安全保障が有効に機能するための条件が、あ

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らゆる地域で容易に成立するわけではない、という性質に起因するものである。協調的安

全保障が有効に機能するためには、以下の三つの条件が満たされていなければならない。

それらの条件とは、①域内の全主要国が多国間協議に参加すること、②協議によって協調

的安全保障の目的に添った実効的な措置を決定すること、③域内の全主要国が協議の決定

を尊重し、共同行動に参加する意思を持つこと、である23。この三条件は、協調的安全保障

の定義とその手段と目的の考察によって導かれる。第一節で定義した協調的安全保障は、(a)

潜在的敵性国を含む域内すべての国が体制に参加し、(b)諸国の協調によって紛争を予防す

ることを目的とし、(c)そのため非対決的な手段を用いて参加国に平和の構造を根づかせよ

うとするものである。したがって、それぞれを対応させるならば(a)は①の条件を必要とし、

また(b)と(c)は②③によって裏付けられなければ実効性を保ち得ないことは容易に想像でき

よう。

問題は、これらの条件を達成することはそれほど容易ではないということである。①の

条件に関していえば、全主要国が少なくとも緩やかな枠組みで安全保障対話の枠組みを持

つことは比較的達成可能である。欧州の OSCE を始めアジア太平洋の ARF、中東における

ACRS(Working Group on Arms Control and Regional Security)など、多くの地域で協

調的安全保障に分類されうる地域安全保障枠組みが現存していることがその証左でる。し

かし、潜在的に敵対し合う国家同士で②および③の条件を満たすことは極めて困難である。

②③の条件がなぜ成立困難なのかというアプローチレベルの問題は、次項「信頼譲成措

置の限界性」で詳しく扱うことになる。ここでは、システムとしての協調的安全保障が②

③の条件の成立を阻む要因を共通の安全保障との対比によって論じる。すなわち、冷戦期

の CSCE(共通の安全保障)でなぜ信頼譲成措置の実効性を高めうる規制措置及び検証措

置が発展したのか、その発展構造との比較の視点が必要であろう。

冷戦期の CSCE における信頼譲成措置の導入および確立の最も強い誘因となっていたの

は、情報不足や相互の不信感から生じる核戦争へのエスカレーションに対する両陣営の懸

念であった24。例えば 1975 年のヘルシンキ宣言で合意された軍事演習の事前通知などは、

軍事活動についての誤解又は誤認が著しい危険をもたらす懸念を反映したものである25。そ

れは、いったん紛争が発生したときの著しい国家的損失を想定したものである。したがっ

て、信頼譲成措置は「大規模戦争の回避」という明確な目的の下、必要性の高い措置とし

て認識されていたのである。そのため、具体的な措置は規制と検証を必要としたと理解す

ることができよう。つまり、規制と検証の発展プロセスは両陣営が必要とする条件が、大

規模で顕在的な対立という背景によって支えられていたのである。

一方、協調的安全保障はそのような敵対関係が顕在化する以前の国際関係を想定してい

る。そのため、信頼譲成措置は急迫した問題への対応ではなく、曖昧な目標に添って形作

られ、また具体的措置を明確な権利・義務の関係によって規定することへの誘因は低くな

る26。また、権利・義務関係を明確化することによって生じるコストは、当然大規模紛争へ

の回避といった共通の安全保障が抱えていた利益によって相殺されず、コストとして残存

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した状況になる。その結果、参加各国がこのような規制・検証措置の導入に消極的になり

やすい国際環境を、協調的安全保障は当初から有しているというべきであろう。

この点で、冷戦後の CSCE(→OSCE)は共通の安全保障という枠組みからは脱し、むし

ろ協調的安全保障と性格付けられるべきなのに、なぜ冷戦後も規制・検証措置を強めるこ

とができたのかという問題が当然提起されてしかるべきであろう。しかし、ここでも重要

なのはそのような規制・検証措置の基盤は既に冷戦期の CSCE の経験の上に成立したもの

であるということである。冷戦期に培われた信頼譲成措置のルール、規範、意思決定の手

続きが定着し、冷戦後の国際環境に合っても参加国同士の「取り引きコスト」(Transaction

Cost)を逓減させたのである。したがって、冷戦後の CSCE の発展は必ずしも協調的安全

保障が固有に持つ発展プロセスとはいえないのである。協調的安全保障における信頼譲成

措置には緊急かつ著しいコストへの認識を含む共通の基盤が参加国に形成されないため、

明確な目的に基づく信頼譲成措置とその規制・検証措置の導入は困難だという条件を抱え

ているのである。

2 信頼譲成措置の限界性

信頼譲成措置は、これまでみたように東西対立の舞台であったヨーロッパにおける CSCE

のプロセスの中で確立・発展し、危険の軽減、紛争エスカレーションの防止などの意義を

賦与させながら、冷戦後には地域的な政治協力の機能を併せ持つものとして評価されるよ

うになった。地域的な信頼譲成措置は欧州ばかりではなく、アジア太平洋地域やラテンア

メリカ、中東にまで採用される概念となり、概念としては全世界的に受け入れられるよう

になりつつある。

しかし、信頼譲成措置は地域安全保障および一国の安全保障にとり、必ずしも肯定的な

結果ばかりもたらすものではない。それは前節で指摘したような協調的安全保障が有する

限界性ばかりにとどまらない。そこには、信頼譲成措置そのものが内包する限界性がある

のである。こうした信頼譲成措置への否定的な評価は、デスジャーディンズ論文「信頼譲

成措置の再考」(サブタイトル:合意への障害とプロセスの過大評価の危険性)によって初

めて広範に指摘されるに至った。デスジャーディンズは信頼譲成措置の肯定的な側面を評

価しながらも、「信頼譲成措置はその最も意欲的な目標に到達することができず、またしば

しば安全保障環境を改善しないばかりか、悪影響さえ与え得る」可能性を指摘しているの

である27。

以下では、(1)信頼譲成措置に関する「参加国の協力レベルと利得の非対称性」に起因す

る問題、および(2)信頼譲成措置の「自発性」に起因する問題、の二つの側面に分類し、信

頼譲成措置が内包する限界性について検討する。

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(1) 「協力レベルと利得の非対称性」に起因する限界性

信頼譲成措置が内包する限界性の第一はその意思決定過程の問題である。信頼譲成措置

の具体的措置への合意は、基本的にはコンセンサス方式、すなわちレジームの中で全会一

致の方針で決定されるということである。このことは必然的に、全参加国が拒否権を有し

ていることと同義である。その結果、信頼譲成措置は、レジーム内で最も協力のレベルの

低い国を基準とした場合にのみ合意形成が可能となる。したがって、信頼譲成措置の合意

形成はそもそも各国の利益を脅かすような協力(しばしば地域安全保障には効果的である

にもかかわらず)を期待することが困難な構造になっているのである。

第二の限界性は、信頼譲成措置が参加各国にもたらす利得がそれぞれ異なることである。

すなわち、信頼譲成措置が参加各国に対称的に実施させるのに対し、参加各国の利得は非

対称的なのである。

利得の非対称性に関する第一の特徴は、地政学的あるいは戦略的な利益の差異に起因す

るものである28。それは例えば米国が海軍中心、ソ連が陸軍中心の兵力構成となっていた冷

戦期の CSCE 交渉において、海軍分野、陸軍分野の信頼譲成措置に互いが踏み込むことを

牽制し合ったことに象徴される29。このように、信頼譲成措置がもたらす利得が異なること

は、結果として具体的な措置を提案する際には、自国(自陣営)にとり有利なものとなっ

て表れやすいのである30。

利得の非対称性に関する第二の特徴は、資源、経済力、人口そして軍事力など国力を構

成する諸要素が参加国の間で異なる国々の間で生じる信頼譲成措置の効果の差である31。こ

のことはとりわけ、小国あるいは非同盟中立国と大国の間には信頼譲成措置に対する利得

の差異が表れやすい。例えば、1977 年のベオグラード再検討会議会議において、西側諸国

が 2 万 5 千人以上の部隊の移動の告知(1975 年のヘルシンキ合意)を、「1 万人以上」に削

減することを提案したとき、最も強硬に反対したのはスイスを中心とする中立諸国であっ

た32。それら国々にとって小規模な兵力移動が国防上死活的と判断され、1 万人という数字

は小国に不公平な基準だと判断されたのである。このようにしばしば信頼譲成措置と国益

とが衝突するケースは存在し、それはまた信頼譲成措置がもたらす利得の差異によって助

長されている。

軍事情報の透明化措置を例にとった場合、一般的に小国は大国に比べて透明化の促進に

消極的である33。なぜならば、小国はしばしば兵力構成の情報の曖昧性に抑止力を依拠して

いるからである。R・ジャービスは抑止力の第一の定義として①十分な報復力を持ち、報復

意志を明示し、相手側もそれを了解していることを挙げた。これが今日考えられている抑

止の一般的な定義であろう。しかし同時に、第二の定義としてジャービスは、②抑止とは、

相手に複雑な計算を強いることによって、相手の有害な行動を未然に阻止すること、を挙

げている34。ある国家が第二の定義に抑止の重点を置く場合、軍事情報の透明性の拡大は相

手の計算を「単純化」させ、むしろその国家を脆弱化させることにつながりやすいのであ

る。そのため、国力やその国がおかれた諸条件により、「透明性」をめぐる信頼譲成措置は

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常に利益となるとは限らないのである。

第三に、そのような非対称的な利得は、信頼譲成措置が地域の安全保障に寄与しないば

かりか、むしろ軋轢を生む原因をもたらす可能性さえ指摘できる。第一節で検討されたマ

ッキントッシュの信頼譲成措置の三段階に基づけば、初期信頼譲成措置は実効性が低く、

後期信頼譲成措置は利得の差異を固定化する効果を持つ。信頼譲成措置が「ヘルシンキ宣

言」型の初期のきわめて拘束力の弱い段階から、「ストックホルム文書」のような規制措置

および検証措置を含む一定の拘束力を含む措置へと進化した場合、それまで各国が抱えて

きた信頼譲成措置による利得の差異が固定化されるのである。

第 3 図 信頼譲成措置の段階と利得の差異の固定化

(出所) 筆者作成

(2) 信頼譲成措置の曖昧性・自発性に起因する限界性

信頼譲成措置の段階

利得の差異の固定化

第一段階

「情報・交流・コミュ

ニケーション型」

信頼譲成措置

第二段階

「検証・監視型」

信頼譲成措置

第三段階

「規制型」

信頼譲成措置

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信頼譲成措置は非論争的アプローチで対処する幅も柔軟性に富むという特徴によって卓

越性があることがしばしば指摘されている35。しかしはからずともそのような特徴は、これ

まで検討したような潜在的な敵性国を含み、さらに協力レベルが非対称的な国々と協力す

るためには、非論争的で柔軟な、換言すれば曖昧な措置に頼らざるを得ないからである。

このような曖昧性は、主に二つの側面から形成される。第一は自発的なコミットメント、

第二に検証措置の不在である36。第一に、初期の信頼譲成措置措置は曖昧な権利・義務関係

によって構成され、条約や協定のように法的な拘束を伴うものではない。この場合、具体

的な措置の履行は参加国の「自発性」(Voluntary)に委ねられる場合が一般的である。その

理由は、初期の信頼譲成措置の段階では、全参加国に合意しやすく、また政治的コストが

低い基準が採択されやすいからである。とりわけ協調的安全保障の枠組みにおける信頼譲

成措置はその傾向が強い。このような信頼譲成措置の合意には、例えば実施に関する時間

的枠組みに関する規定、条項の廃棄や見直しに関する規定、実施した場合に発生する問題

点に対する規定などは通常入らない。つまり「自発性」に委ねる信頼譲成措置は参加国の

善意に対する期待と推測に基づいているのである37。

第二に、初期信頼譲成措置には参加国の履行状況を検証する基準が存在しない。検証措

置の目的は①合意された信頼譲成措置の履行状況の確認、および②違反の防止・発見にあ

る。そのような検証措置の不在は、フリーライドに対する抜け道をつくることにつながる。

そのため「透明化措置」に関していえば、実態とは異なる情報を提供すること等の「欺瞞」

(Cheating)が発生する可能性がある。このような可能性が示唆され、抜け道を利用する参加

国が多く現れた場合、信頼譲成措置の信用性は低下し、参加国の同措置に対する期待も低

落することになるであろう。

信頼譲成措置が以上のように「非論争的で柔軟」であることは、参加国が合意すること

は容易となるが、反面、地域的な安全保障に対するアプローチが不十分となり、またその

合意内容が曖昧であるがゆえに信頼譲成措置の機能に限界が生じるのである。

まとめ

本節では多国間安全保障協力の限界性を(1)協調的安全保障、(2)信頼譲成措置という二つ

の側面から検討した。協調的安全保障は①抑止・対応機能の欠落、②機能する条件の限定

性から限界性が露呈され、また信頼譲成措置は①協力レベルと利得の差、②概念および措

置の曖昧性・自発性の問題点、それぞれのもつ限界性を指摘した。

以降の章では、アジア太平洋地域における多国間安全保障協力の実態を把握し、これま

で検討した多国間協力の限界性がいかなるかたちで現れているのかを検討する。

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第2章 アジア・太平洋地域の多国間安全保障協力プロセスと各国の対応 第1節 アジア太平洋地域の多国間安全保障協力プロセス

1 ARF 設立の経緯 [1990-1994]

1994 年 7 月に開催された第一回 ARF 会合は、アジア太平洋地域が全域レベルで開催す

る初の安全保障対話の場となった。ARF の「A」が ASEAN を示すように、ARF は最終的

に ASEAN のイニシアティブによって誕生したものである。しかし、ARF の設立に至る過

程には、ASEAN 以外のアジア太平洋諸国が相次いで地域的な安全保障協力の枠組みの構築

を目指す提案が出された経緯があった。ARF 設立の経緯は、地域安全保障の枠組みのあり

方、イニシアティブのあり方をめぐる各国の模索のプロセスであった1。

アジア太平洋地域に地域的な安全保障協力枠組みをつくろうとした最初の試みは、1960

年代のブレジネフ、および 1980 年代のゴルバチョフによって提案された「全アジア安全保

障構想」に求めることができる。この構想は、西側同盟体制に楔をいれるものとして、日

本と米国に拒否され、また中国包囲網を形成するものとして中国の反発を招き、結局ソ連

は 1990 年に同構想を取り下げた。しかし、この外交攻勢はアジア太平洋諸国に、地域的な

安全保障の構想を促す契機となったのである2。

1990年にはオーストラリアとカナダがCSCEをモデルとした地域安全保障構想をそれぞ

れ提案する。これら提案はアジア太平洋の諸問題を解決するために、ヘルシンキ型のプロ

セスを同地域へ適用させることを目指したものであった。しかしこの提案も、地政学的に

も歴史的経験からも、また安全保障上の問題の性質からいってもヨーロッパとは異なるア

ジアに適用することは不適切だとする米国を中心として、日本、ASEAN および中国に退け

られることになった。

ソ連、オーストラリアおよびカナダの諸提案に対応する過程で、日本および ASEAN 諸

国では地域安全保障のあり方を検討する気運が高まった。当時の日本政府の検討の結果は、

1991 年 6 月の佐藤行雄国際情報調査局長の「佐藤試案」と同年 7 月の中山外相による「中

山提案」にみることができる。この一連の日本政府の構想は、CSCE 型のプロセス導入の

色彩を弱め、また二国間の同盟体制の機能に悪影響を及ぼす可能性を排除し、ASEAN が

1970 年代から進めてきた対話の枠組みを用いながら地域的な安全保障の対話の場の設定を

目指そうとするものであった。中山外相は同年7月のASEAN拡大外相会議(ASEAN-PMC)

において、①アジア太平洋の相互の安心を高める政治対話の場として PMC を活用し、②

PMC での政治対話を円滑に進めるために高級事務レベル会合( SOM)を設置すべきである

との「中山提案」を行った。

中山提案は、直ちに各国に受け入れられるには至らなかった。しかし、同提案は 1992 年

1 月の ASEAN 首脳会議で採択された「シンガポール宣言」において、ASEAN-PMC

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第 4 図 ARF の設立過程

(出所)拙稿「ASEAN 地域フォーラムの成立過程にみるアジア・太平洋地域の多国間関係」

(総合政策学部卒業論文、慶応義塾大学湘南藤沢学会、1996 年)

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安全保障対話の場として活用することが明記されたことによって、実質的にその骨子が継

承されることになったのである。

1992 年 7 月の ASEAN 外相会議では安保対話のための具体的な枠組みが議題として取り

上げられた。その後一年間の検討の結果、1993 年 7 月に ASEAN 外相会議のための SOM

が開催され、新たな安全保障対話の参加国を PMC と外相会議を繋ぐ構成国という形で決定

し、またフォーラムの名称を「ASEAN 地域フォーラム」とした。

このようなけ経緯から、「ASEAN6カ国」(インドネシア・マレーシア・シンガポール・

タイ・フィリピン・ブルネイ)、「対話国6カ国1機関」(日本・米国・カナダ・オーストラ

リア・ニュージーランド・韓国・EU)、「協議国2カ国」(中国・ロシア)および「オブザ

ーバー3カ国」(パプアニューギニア・ベトナム・ラオス)の合計 17 カ国 1 機関によって

ARF が発足した。

2 第 1 回~第 4 回ARF会合の概要 [1994-1997]

第 1 回 ARF の会合は 1994 年 7 月にタイのバンコクで開催された。その議長声明は、同

会議の歴史的意義を強調すると共に、アジア太平洋の一尾における動きが地域全体に影響

を及ぼしうることを認識、ARF が政治安全保障上の共通の問題に関して建設的な対話と協

議の慣例化を促進し、かつ信頼醸成と予防外交に向けて重要な貢献をおこなう立場にある

ことを確認する。また、今後の検討事項として、①信頼醸成、②核不拡散、③PKO 協力、

④非機密軍事情報の交換、⑤海上安全保障問題、⑥予防外交を挙げた3。

第 2 回 ARF は 1994 年 8 月にブルネイのバンダリスリブガワンで開催された。この会合

では、ARF の目的、組織等について ASEAN の中で一年半にわたり協議された結果をコン

セプト・ペーパーとして形にした4。そこでは、①信頼譲成措置の促進、②予防外交メカニ

ズムの発展、③紛争解決メカニズムの発展の三段階を想定し、当面は信頼醸成の検討に重

点をおくとされた5。また、ARF のプロセスを参加国の政府(第一トラック)によるものと、

1993 年に発足した参加国の政府系シンクタンクの集まりである CSCAP などの準政府組織

(第二トラック)が行うものの双方とし、前者では信頼醸成、PKO 協力、捜索救難活動な

どの分野で会期間会合(Intersessional Meeting)を開催し、後者も各種テーマの ARF セミナ

ーを断続的に開いている。

第 3 回会合は、1996 年 7 月にインドネシア・ジャカルタで開催された。ここでは新たに

ミャンマー、インドの参加が認められ、会議形式がそれまでの一方的な提言でなく、議長

主導のテーマ別協議となった。また地域の安全保障環境に関する意見交換では、①朝鮮半

島情勢、②CTBT、③ミャンマー、④南シナ海領有権問題、⑤麻薬などの問題について

討議が交わされた。

第 4 回会合は 1997 年 7 月にマレーシア・スバングジャヤにて開催された。この議長声明

では ARF の進展速度について「全参加国にとって受け入れ可能なペースで進展してき

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第 5 図 ARF プロセスの歩み

(出所)外務省編『平成 9 年度版外交青書』48 頁

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た」と説明している6。討議内容は、①ミャンマー、②対人地雷、③CTBT、④南シナ海、

⑤カンボジア情勢、⑥朝鮮半島情勢、⑦核廃棄物の越境移動など多岐に及んだ。

第2節 ARF プロセスにおける主要国の対応

1 日本の多国間安全保障協力7

(1)欧州安全保障協力会議(CSCE)型安保提案と日本政府の対応

日本政府の多国間安全保障協力への対応は、主に冷戦期にソ連側から提案された 1969 年

のブレジネフによる集団安保構想、そして1986年以降のゴルバチョフによる全欧安保提案、

1990年に提案されたカナダ及びオーストラリアによるCSCE型安保提案への対応などを契

機に、それらへの対応という形で検討された。日本の対応は、当初ソ連提案の有効性を否

定することに重点を置いていた8。そのために、日本政府は CSCE プロセスを進展させてい

る欧州とアジア・太平洋地域の安全保障環境が本質的に異なることを重視したのである。

1991 年 1 月に中山外相は国会での外交演説の中で、以下の理由を挙げて CSCE 型の安保

提案がこの地域にふさわしくないことを指摘した9。①アジア・太平洋地域の最大の関心事

が経済発展にあり、軍事的な緊張緩和を最大の関心としてきた欧州と異なること、②同地

域は東西関係では律しきれない多様な要因があり、国際政治上の力関係が多極的であるこ

と、③また朝鮮半島、カンボジア問題、日ソ間の北方領土問題など未解決の紛争や対立が

存在すること、④欧州におけるEU統合の動きと対照的に、アジア太平洋地域ではむしろ

国家、地域の政治的、社会的、文化的な多様性や経済発展段階の相違を基礎としつつ、経

済的な相互依存関係が追求されている。

これら CSCE 型安保提案は域内諸国の支持を得ることができず、結局ゴルバチョフ大統

領は 1991 年 4 月に訪日した際、従来のソ連提案を口にせず、事実上多国間安全保障体制構

想はソ連側から取り下げることとなった。また、このころまでにオーストラリアとカナダ

も CSCE をモデルとしたアプローチを取り下げるのである10。日本政府はこの頃から、こ

の地域の実情に合ったアプローチを求めて、関係国の間のコンセンサスの形成を重点的に

検討する方向へと移行する11。CSCE型安保構想を否定したとはいえ、冷戦終結後のアジ

ア太平洋地域の戦略環境の不確実性を懸念していたのは、日本政府も同様であったからで

ある。

(2)佐藤試案から中山提案へ

アジア・太平洋地域における望ましい多国間安全保障アプローチを探る日本政府の作業

において中心的役割を果たしたのは、外務省情報調査局長(当時)の佐藤行雄だった。ア

ジア太平洋地域の秩序に関する政府内での検討の結果生まれた彼の認識は以下の通りであ

る12。第一に、この地域には安全保障の上では米国との二国間のネットワーク、また第二に

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地域協議体としては ASEAN 外相会議、拡大外相会議などがあり、第三に経済協力として

APEC・PECC など、地域の安定を促進するメカニズム(Multiplex Mechanism)がすでに存

在している。しかし「政治対話」のプロセスが欠如しており、その「政治対話」の場とし

て望ましいのが ASEAN 拡大外相会議(PMC)である。そして、メンバーシップについて

は韓国の参加を含め、将来はロシア・中国の段階的な参加も排除するべきではない。

佐藤試案の特色は、従来の各国案と異なり、アジア・太平洋地域の大国・小国の安全保

障観に慎重に配慮し、受け入れられやすい内容の作成に努力したことである。例えば、第

一に、米国に対しては東アジア諸国との二国間ネットワークを重視し、特に日米同盟の重

要性を確認した。さらに、従来の安保提案のような米軍にとって不利な内容に触れず、米

軍の行動の妨げにならないように留意した。第二に、ASEAN に対しては、ASEAN が中心

となり協議をすすめていた既存の ASEAN-PMC を用いることによって、ASEAN 主導の秩

序形成を促した。さらに、「政治対話」であることを強調し、東南アジア平和・自由・中立

地帯(ZOPFAN)宣言などの原則には影響が及ばないことを確認する。第三に、中国やロ

シアに対しては「政治対話」が両国を排除するものではなく、この地域への協力が利益に

なることを呼びかけて将来の参加を促した。

1991 年 7 月に開催された ASEAN-PMC に日本から出席した中山外務大臣は、政府内で

検討された佐藤試案をさらに発展させる形で、以下の提案を行った13。

(1)アジア・太平洋地域には相互信頼のためには「政治対話」の場が必要とされており、

ASEAN-PMC がその場にふさわしい。また、(2)そのために ASEAN-PMC の下に高級事務

レベル協議(SOM)の場を設置し、そこでの検討結果を本会議で話しあう、というもので

ある。この提案は直ちにアジア太平洋諸国に受け入れられるには至らなかったものの14、翌

年 1 月の ASEAN 首脳会議にそのアイディアは受け継がれ、「シンガポール宣言」のなかで

「ASEAN-PMC を利用して、政治及び安全保障に関する域外国との対話を強化するべきで

ある」と指摘されるに至ったのである15。この「中山提案」に示されたアイディアが ASEAN

に受容されたことをうけて、それ以後の日本外交の課題はこの提案の主旨をいかに他のア

ジア太平洋諸国(とりわけ米国)に浸透させるかということになった。

(3)宮沢首相の説得外交

宮沢首相は、ASEAN-PMC をアジア・太平洋諸国間の「政治対話」の場として活用する

ことを提起し、これについて日米両国で合意され、1992 年 1 月の日米首脳会談で「日米グ

ローバルパートナーシップ行動計画」が作成された。また、1992 年 7 月に宮沢首相がナシ

ョナル・プレス・クラブにおいて行った演説では、この地域の更なる協力推進のために政

治対話の場としての ASEAN-PMC、経済協力の場としての APEC という「トゥー・トラッ

ク・アプローチ」が提唱された16。宮沢演説の直後に開催されたミュンヘン・サミットの政

治宣言において日本提案は受け入れられ、「アジア太平洋地域においては、ASEAN-PMC、

APEC といった既存の地域的枠組みが、平和と安定を促進する上で重要な役割を有する」

Page 26: アジア太平洋地域における多国間安全保障協力4 序章 問題の所在 1990 年代に入ってからのアジア・太平洋地域における安全保障分野での多国間協力(多

26

との表現が盛り込まれた。こうして、日本はアジア・太平洋地域における地域的な安全保

障対話の必要性を徐々に国際社会に浸透させることに成功したのである。

日本政府の対応は地域安保対話アイディアの提供とその浸透への努力というプロセスで

あった。その性格は、「ASEAN 加盟国の連帯と強靱性の強化への自主努力に対して積極的

に協力し」、と謳った 1977 年の福田ドクトリン以来の対東南アジア外交の延長という側面

があると同時に、域外国を ASEAN の会議外交の枠組みに取り込む支援という新しい側面

をつけ加えるものでもあった17。

(4)日本政府の第1回~第4回 ARF への対応

1994 年 7 月 25 日に開催された第1回 ARF にて、河野外務大臣は日本が軍事大国になら

ない旨を報告した後に、日本の経験を引き合いに出し、「軍縮を促進」と発言した18が、し

かしこの発言は必ずしも具体的な軍縮提案を主旨としていたのではない。日本政府はまず

米軍のプレゼンスの重要性を確認し、中山外務大臣の演説でも用いられた「相互理解、相

互信頼を高めるための措置」(Mutual Reassurance Measures)という概念を利用して、多

国間協力を進めていくことを提唱したのである。

具体的には(1)各国の政策の透明性を高めるための「情報の共有」(国防白書の発行)、(2)

相互の理解と信頼を得るための「人的交流」(安全保障関係者の交流)、(3)「グローバルな

活動の推進に向けての協力」(国連活動の支援、PKO に関するセミナー)などがその内容と

なっている19。第 2 回 ARF(1995 年 8 月 1 日)では、日本政府は引き続き各国が国防政策文

書を提出することを求めている。

1996 年 7 月に開催された第 3 回 ARF では、同年 4 月に日米首脳会談において発表され

た「日米安全保障共同宣言」の主旨を説明することが一つの焦点となった。池田外務大臣

は、米国のこの地域への関与を確認したことが重要だと述べ、日米の役割に変更のない点

を強調した。また、朝鮮半島問題では北朝鮮を含めた政府レベルの多国間協議の場を北東

アジアでつくる必要性を唱え、さらに ARF への北朝鮮の参加を求める発言も行った。第4

回 ARF(1997 年 7 月 27 日)では、「日米防衛協力の指針」見直しに際して、日米が透明性を

保ちつつ進める旨を説明した20。

日本政府は第1回~4回 ARF に際して、主に日米同盟を説明し、信頼醸成措置の促進、

南シナ海問題の平和的解決などを提案するとともに、自らは軍事大国とならないとの意志

を表明した。また、日本は 1995 年、1996 年に ARF プロセスを補完する信頼醸成に関する

政府間支援グループ(ISG)の議長をインドネシアと共に務めている。

2 ASEAN の多国間安全保障協力

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27

(1) ASEAN をとりまく安全保障環境の変化

ASEAN は 1967 年の結成以来、伝統的に地域の安全保障問題を公式に話し合うことを敬

遠してきた経緯があった。その理由は、ASEAN(インドネシア、マレーシア、フィリピン、

シンガポール、タイおよびブルネイ)の間には、そもそも安全保障上の脅威認識の差があ

り、共通の仮想敵が存在しにくかったからである。また、ASEAN 内にも多数の領土問題が

存在することから、安全保障協力を公式に持ち上げることを慎重に避けてきた21。

ところが、冷戦の終結以降の安全保障環境の変化は、ASEAN にも少なからず影響を与え

た。第一に、ソ連がこの地域から撤退を開始し、その脅威が低下することが歓迎された。

しかし同時に、ソ連と対峙することを大きな存在理由としていたフィリピンの米軍を含め、

米国のプレゼンスが今後どのように推移していくのかについての懸念が生まれた。第二に、

カンボジア問題においてインドシナ半島という域外の問題を ASEAN が政策対応を促され

ることになった。第三に、1990 年末の頃よりいわゆる「中国脅威論」が浮上してくる。今

後の中国をどのように分析し、関係を規定していくかということが重要な課題として浮上

してきた。

これらの安全保障環境の変化、新たな課題の浮上は、ASEAN が域内および域外に対して

どのような共通の政策を持つのかという基本的な考えの構築を迫られた。さらに、1991 年

には ASEAN-PMC の場においてオーストラリアが CSCA 提案を持ち出してきたこともあ

り、ASEAN としても地域の安全保障をどのようにするか、という問題に着目する必要性が

生じたのである。

地域安全保障問題をどうするか、という課題に取り組むには、前述の理由から公式に議

論することは好ましくなかった。そのため、「準公式(第二トラック)」(戦略研究所レベル)

のフォーラムを用いて検討が進められることになる。

ASEAN では、1988 年に域内各国の政府系シンクタンクにシンクタンクの連合体である

ASEAN-ISIS(ASEAN Institute of Strategic and International Studies:ASEAN 戦略問

題研究所)を組織させた。そこで、1990 年 5 月頃から地域安全保障問題に関する域内での意

見の集約をはかるため、本格的な討議を重ねさせた22。

その検討の結果、1991 年 5 月にジャカルタで開催された ASEAN-ISIS グループ会議(佐

藤外務省国際情報調査局長も参加)において、ASEAN-ISIS は、会議の終了にあたって6

月に公表した『イニシアティブのとき(A Time for Initiative)』という報告書の中で、

「ASEAN-PMC の最後に[ASEAN 拡大外相会議を基盤とする会議(an "ASEAN-PMC

initiated conference")]」を開催するよう提案した23。そして、この会議の議題の設定や進め

方の準備をするために、ASEAN とその対話国全ての代表が参加する高級事務レベル会議

(SOM)を設定するよう求めたのである。

この提案は、ASEAN-PMC を基盤として安全保障対話を促進していこうとする「佐藤試

案」と軌を一にしていた。また、この地域に CSCE 型の安全保障機構は望ましくなく、相

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互の信頼を高める措置(MRM)としての対話のプロセスが重要だという認識においても、

日本側の提案と同様であった。

それにもかかわらず、1991 年 7 月の ASEAN-PMC の席で「中山提案」が直ちにASE

AN諸国に了承されなかった。その理由は、これらの検討結果が外相レベルまで十分に達

せず、具体的な組織、運営方法、議題などについて十分な協議・合意に達していなかった

から、と理解することができよう。

(2) ASEAN 首脳会議での方針決定

第二トラックにおける検討の結果が、ASEAN の外交実務レベルに達し、ようやく公式に

表明されたのが、1992 年 1 月に開催された ASEAN 首脳会議である。この会議では、1971

年以来の ZOPFAN 構想をどの ように取り扱うかについての意見のズレがあったものの、

ASEAN-PMC を ASEAN 域外の安全保障を強化する手段として用いることに合意がみられ

た。

そして、1992 年 1 月 28 日に ASEAN 首脳会議は「シンガポール宣言」の中で、「ASEAN

拡大外相会議を利用して、政治及び安全保障に関する域外国との対話を強化するべきであ

る」と指摘したのである。

この経緯からみてわかるとおり、ASEAN 拡大外相会議を政治・安全保障対話の場として

活用しようという考え方は、日本と ASEAN の関係者が異なった立場から考えて同じ結論

に達したものである。

(3) ASEAN の提案の背景

ここで ASEAN が日本と同じように、ASEAN-PMC をアジア太平洋の対話プロセスとし

て提案した背景を考えてみたい。そこには、ASEAN が冷戦後のアジア・太平洋地域の安全

保障をどのように考え、また ASEAN の立場をどのように規定していったか、という特徴

が如実に表れているからである。

第一の要素は、<二つの冷戦>の終結のインパクトである。ASEAN が提案を出した時期

が、ASEAN にとっての<二つの冷戦>、つまり「東西冷戦」と「インドシナ半島における

カンボジア問題」という冷戦終結の直後であったことは決して偶然ではない。「東西冷戦」

の終結は、ソ連の軍事力がこの地域から撤退し、大きな緊張緩和をもたらした反面、米国

の将来のプレゼンスについては懸念がもたれるようになった。ASEAN は ZOPFAN(Zone

of Peace, Freedom and Neutrality:東南アジア平和自由中立地帯構想)を 1971 年に宣言し

て以来、「域外大国の干渉を排除しながら、域内諸国の自主性を守っていく」という基本的

な主張を繰り返してきた。しかし、ASEAN にとって東アジアにおける米国のプレゼンスが

なくなることは、安全保障上かならずしも望ましいことではなかった。ASEAN は大国に干

渉されることなく、米国のコミットメントを維持する方策を考える必要があったのである。

また、「カンボジア問題」の収束は ASEAN の結束を高め、ASEAN 域外での安全保障問

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29

題に関しても ASEAN が主導してアプローチしていけるという自信を得た。もっとも、カ

ンボジア問題に関する共通アプローチは、①インドシナ3国との対立、②域外国の影響力

の誘因、③ASEAN諸国内の外交路線の相違という三つの問題を抱えてはいた24。しかし、

1992 年にベトナムとラオスが東南アジア諸国と「友好条約」を締結し、さらにベトナムの

ASEAN 正式加盟の展望もこのころ開けてきたのである。こうして地域の問題に対する

「ASEAN のアプローチ」に自信が深まるのである。

第二の要素は、この時期に台頭してきた「中国脅威論」への対応である。ASEAN 諸国の

間では 1989 年頃から、超大国の撤退によって「力の真空」が生じ、これを埋めようと進出

する勢力が現れるのではないかという危惧が生まれた25。その勢力として着目されたのは中

国である。その理由は、①中国がASEANの3カ国(フィリピン・マレーシア・ブルネ

イ)と石油・天然ガスの産出が期待される、南シナ海の南沙諸島の領有権を争っている、

②近年中国は経済発展と共に国防の近代化をはかっている、③中国は過去に南シナ海での

紛争で武力を行使した26、④中国は石油の需給が逼迫し始めており、南沙群島近海の石油資

源を欲している、⑤中国はかつて ASEAN 諸国の共産勢力を支援し、合法政府を武力で妥

当しようとした歴史的経緯がある、という五点に集約されるであろう27。

ASEAN は、域内を結集させたとしてもとても中国に対抗できるような軍事力を持ち合わ

せない。それが可能なのは唯一米国のみである。そこで、ASEAN は米軍のプレゼンスを今

後も維持するために、米国に個別に軍事施設提供など米国のコストをできるだけ削減でき

るような努力を行った28。しかし、米軍のプレゼンスを将来にわたり維持していく保証はど

こにもない以上、中国への「対抗的」な姿勢もさることながら、中国との交渉を持って「信

頼醸成を行わない限り、中国の脅威を緩和することはできない」という結論に到達するこ

とになったのである。

ASEAN は、この思考様式に基づき、インドネシアの政府系シンクタンクである ISIS の

下に、1990 年 1 月から毎年、「南シナ海の潜在的紛争の制御に関するワークショップ」を

開催することになった。この会議の第一回には ASEAN とカナダのみの参加であったが、

第二回からは中国・台湾・ベトナム・ラオスの参加を取り付けることに成功する(中国と

台湾が同時に参加できるのも、第二トラックという準公式の会議であるからに他ならない)。

こうして、ASEAN は安全保障問題をめぐる対話の交流を始めたのであった。

ASEAN は中国との相互信頼のための措置を公式なレベルでも求め始めるようになるの

である。ASEAN にとっては、国際会議の場に中国を引き出し、かつ中国に圧倒されないよ

うに、他の大国の影響力を借りながら、目的としての「中国脅威」を軽減するという課題

が浮上したのである。

第三の要素は、1990 年頃から多くの国によってアジア・太平洋地域の安全保障をめぐる

提案され、ASEAN もそれら提案に対応しなければならなくなったことである。特に「中山

提案」以降、PMC を活用する案については、日本にある大使館や種々の国際会議を通じて、

日本側のアプローチが積極的になってきた。こうした経緯のもとでの ASEAN の地域的な

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安全保障における願望は、以下の四点にあった。①南シナ海の問題、特に中国の脅威を軽

減、②大国の干渉の回避、③ 地域対話の主導権の確保、④米軍のプレゼンスの確保。以上

のような四つの課題にどのような方策が望ましいか、という検討の結果、最も望ましい形

として、「ASEAN拡大外相会議」を安全保障対話の場として発展させていくアイディア

にたどり着いたのである。

(4) 第 1 回~第 4 回 ARF 会合における ASEAN の対応

1990 年代初期の地域安全保障対話をめぐる諸構想の相克の末に、ASEAN が PMC を母

体として第 1 回 ARF 会合を迎えたことは、ASEAN が域外大国をみずからの会議外交の枠

組みに取り込みながら、イニシアティブを発揮していく好機ととらえたに違いない。その

意味で、第 1 回会合は、ASEAN を主役とする地域安全保障対話の舞台づくりであったとい

えよう。その手段として、ASEAN はかつて自らが手がけた安全保障政策をアジア太平洋地

域に応用する形で ARF への適用を試みるのである29。

例えば ASEAN の提案した安全保障政策の提言には相互尊重と友好的共存に特徴づけら

れた国家関係は、東南アジア友好協力条約(TAC)の精神と合致している。具体的な措置

についても、軍事行動の透明化のための合同演習や各国軍の交流(インドネシア・フィリ

ピンなど提案)などは、ASEAN 諸国の過去の実績から導き出されたものであろう。また、

潜在的な紛争地域に関するワークショップの開催と対話の積み重ねによる紛争の解決につ

いては、1980 年代以降の ASEAN の会議外交の自信、および 1990 年以降の南シナ海のワ

ークショップなどの経験によるものであろう30。第 1 回 ARF はこのように ASEAN の経験

から導かれた安全保障協力の具体的な措置を域外にも適用するという ASEAN の努力の表

われであった。

第 2 回 ARF で採択された議長声明、および「コンセプトペーパー」も ASEAN の特徴が

色濃く反映されるものとなった31。コンセプトペーパーでは、協議方法とアプローチの欄に、

「ARF の成功は全ての参加国の活発で完全かつ対等な参加と協力を要する」としながら、

「しかしながら、ASEAN は第一の推進力たる義務を果たす」という一文を挿入し、ASEAN

のリーダシップの必要性を強調している。また、トラック I はもちろん ASEAN が議長国

を勤め、またトラック II 会合における共同議長の一カ国に ASEAN が入るというプロセス

を確立し、全体のプロセスにおける ASEAN の影響力の保持を確認している。

第 3 回 ARF での最大の焦点はミャンマーとインドの ARF 参加の承認である。ミャンマ

ーは ASEAN に加盟したことにより、またインドはシンガポールのイニシアティブにより

ARF の参加が認められることとなった32。

第 4 回 ARF 議長声明はミャンマーを建設的に関与させた ASEAN の努力を賞賛すると共

に、フン・セン第二首相によるクーデターの発生したカンボジア情勢の打開のためにウン・

フォット外相の要請に基づき、ASEAN のイニシアティブを支持することが表明されている。

また、例年のごとく地域の安全保障環境を向上させる上で ASEAN が果たしている役割を

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31

評価している。この年、ASEAN はコンセプトペーパーに沿って、第一段階の信頼譲成措置

から第二段階の予防外交に移行することを諮ったが、中国がこれに慎重な姿勢を示してい

る33。

3 米国の多国間安全保障協力34

(1)「アジア・太平洋戦略報告」(1990,1992)と多国間安全保障協力

1990 年に報告された米国防総省の『アジア太平洋地域の戦略枠組み』によれば、アジア・

太平洋地域における米国の安全保障政策は、中心的発想として同盟国及び友好国に前方展

開する米軍のプレゼンスとそれら諸国の協力(基地の提供)という「ハブ-スポークス関

係」こそが、この地域の平和と安定を守り、そしてこれ米国の国益に合致する、というも

のである35。米国が特に強調していたのは、アジア・太平洋における海軍力の重要性である

36。米国は①グローバルな展開力を持つ米海軍にとり、地域を限定した海軍軍縮は受け入れ

られないこと、また②海軍を北東アジア展開の要としている米国と陸空軍の大規模駐留が

可能なソ連との均等の海軍軍縮は両国に均等な利益をもたらさないという認識を示した。

したがって、米国はこの地域におけるソ連ペースの海軍軍縮提案を断固として退けてきた

のである。

米国は異常な基本原則を掲げながら、アジア・太平洋地域に多国間安全保障協力枠組み

を導入することには反対してきた。前述の『アジア太平洋戦略枠組み』に示された見解で

は、海軍軍縮への懸念に加え、多国間安全保障協力は米国と同盟国及び友好国との二国間

関係の基盤に悪影響をもたらすことが指摘された。またソ連以外からの提案も、その内容

によっては海軍軍縮とのリンケージに結びつきやすく、米国にとって信頼醸成のプロセス

に着手すること自体、受け入れがたかったのである37。

このような経緯から、米国は前述のゴルバチョフの全アジア安保提案、またオーストラ

リアとカナダによる CSCE 型の安全保障枠組をアジアに導入するという提案をことごとく

拒否し、退けてきたのである。1991 年 7 月の「中山提案」に対し米国側が反発したのも、

日本側の根回し不足に加え、このような米国の基本原則の復唱だったのである。

(2)米国の方針転換(拒否→サブリージョナル容認→PMC容認)

米国の姿勢に変化の兆しが見えはじめたのは、1991 年の秋になってからである。ベーカ

ー国務長官は『フォーリン・アフェアーズ』に「アジアにおけるアメリカ」という論文を

発表し、「太平洋共同体を目指す構造の出現」という副題と共に、アジア政策の構造の変化

を明らかにしている38。この中で、ベーカーは「冷戦後の新たな環境に見合うアジア政策を

立て直す必要がある」と述べ、カンボジア問題や、南シナ海に関する非公式フォーラムへ

の多国間アプローチを評価している。そして安全保障の分野においても「このような多国

間主義の可能性を模索すべきときにきている」という見解を示した39。ただし、ベーカー論

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32

文は「ハブ-スポークス」関係を継続する重要性を指摘しており、多国間安全保障協力へ

の肯定的な言及も、その対象はサブリージョナルな地理的範囲だったことに留意する必要

があるだろう。

米国がアジア太平洋地域全域を含んだ地理的範囲での安全保障対話に対して、肯定的姿

勢へと転ずるのは 1992 年を迎えてからである。前述の 1992 年 1 月初旬の「日米グローバ

ルパートナーシップにおける行動計画」では、米国が ASEAN-PMC の枠組みを「政治対話」

の場として評価した。そして同年 7 月に開催された ASEAN-PMC に出席したベーカー国務

長官は、先に ASEAN 外相会議で採択された「南シナ海宣言」と、インドネシアの(PMC

等での緊張緩和の)努力を支持する姿勢を明らかにした40。また、同席したゾリック国務次

官は、同年 1 月の ASEAN 首脳会議における「シンガポール宣言が」が、ASEAN-P

MCを安全保障対話の場とすることを歓迎した41。このように、ブッシュ政権は 1992 年に

入り、徐々に多国間安保を受け入れる姿勢に傾きつつあったとみることができる。

クリントン政権誕生後の 1993 年 3 月に、ロード国務次官補は上院外交公聴会において、

「同盟関係の安定した基盤を維持しつつ、多国間の安全保障協議の枠組みをつくること」

を指摘し、ASEAN-PMC の枠組みでの安全保障対話の促進に、米国も積極的に取り組む考

えを示した42。クリントン大統領自身も、同年 7 月に韓国国会における演説で、「我々は新

たな安保対話を必要としている。(中略)ASEAN 拡大外相会議はそうした対話を促進する

良い機会である」と述べ、さらに「アジアの安保対話は米国とアジア各国の同盟関係や米

国の軍事プレゼンスにとって代わるものではなく、逆にそれを発展させ、補強するものだ

と理解している」と表明した43。米国の姿勢はこの時期には既に明確に ASEAN-PMC の場

において地域安保対話を積極的に行っていくことに賛成し、さらにこのことは米国の同盟

関係を補強するものである、との意義付けに変化したのである。

(3)米国による方針転換の要因

米国はなぜ ASEAN-PMC を母体とする安全保障対話を支持するようになったのであろ

うか。米国は第一に同盟関係の悪化に対する懸念、また第二に海軍軍縮への懸念から、か

つての地域的なアプローチ案にはかつては反対してきた経緯は、これまでみたとおりであ

る。

米国の政策転換の第一の要因は、ASEAN-PMC を用いた地域安保というスタイルが、米

国が抱えていた懸念を呼び起こすようなものではないと判断したことにあるだろう。地域

安保対話提案の原型でもある「佐藤試案」にも示される通り、1991 年から 1992 年に日本・

ASEAN が構想した地域対話の目的は、相互の信頼を高めるための措置(MRM)であり、緩

やかなフォーラムの下で対話を進めていくことにあった。したがって、地域安保対話の受

け入れが米国の懸念するような同盟関係の代替や海軍軍縮にはおよそ結びつかない性質で

あるとの理解が浸透したことは想像に難くない。問題は、なぜ 1991 年 7 月の「中山提案」

には賛意を表明せず、翌年 1 月の「シンガポール宣言」は歓迎するという混乱が生じたか

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ということである。これは「中山提案」時には①多国間安全保障協力に反対する官僚政治

的なルーティン、及び②「ハブ-スポークス」戦略の拠点である日本からの提案が米国を

刺激したが、その後の米国政府内での検討の結果、同構想の性質に対する理解が 1992 年初

頭までに浸透したと考えるべきであろう。その意味で、この米国の方針変更の期間に、緊

密な意見交換を重ねてきた日本政府の説得外交は重要な役割を果たしたと評価できるであ

ろう。

米国の政策転換を促した第二の要因は、「中国脅威論」の浮上とそれに対応する ASEAN

の「会議外交」に手がかりをみつけたことであると考えられる。1992 年 2 月に中国は領海

法を公布し、その前後に南シナ海での活発な軍事行動を展開した。ASEAN はこの動きに対

応して、同年 7 月の ASEAN 外相会議に前回同様に中国・ロシアをゲストとして招き、「南

シナ海宣言」を採択し、名指しを避けながらも実質的に中国を牽制する措置をとった。こ

の「南シナ海宣言」は、「いわば ASEAN がアジア・太平洋地域の会議外交を取り仕切る協

議機関としての求心力と、その実行力を国際社会にアピールすることに成功した44」といえ

よう。その結果、ベーカー国務長官は同年の PMC に出席し、南シナ海問題に関する地域協

議への努力を支持する意向を示した45。こうして、米国は中国脅威論の浮上と共に、中国を

牽制する役割を果たしている ASEAN の会議外交に肯定的な評価を与えるようになるので

ある。これが ASEAN-PMC を多国間安全保障対話の場として肯定的に評価することになる

もう一つの理由であろう。

(4)第1回~4回 ARF における米国政府の対応

米国政府は、第1回 ARF に際して、①国防費を含む地域軍備の登録、②米軍と一度に二

ヶ国以上の ASEAN 諸国の軍隊との軍事演習の実施などの提案を行った46。また、第2回

ARF に先立ち、クリストファー国務長官はナショナル・プレス・クラブでの演説で、ARF

が協議、コンセンサスといった"ASEAN-Way"ともいうべき協議スタイルを反映していると

の理解を示した後に、「ARF および北東アジアにおける安全保障対話は、米国の同盟関係と

前方展開能力の重要な補強である」という認識を示した47。これは 1995 年 2 月に米国防総

省より報告された『東アジア戦略報告』(EASR)に示されている認識と同様である48。

第3回 ARF でクリストファー国務長官は、ARF の政府間会合で信頼醸成、PKO、捜索

救難、災害救助、対人地雷問題等が検討されていることに率直な歓迎を示し、「政府間会合

での議論が更に進展し、特に ARF が予防外交のフォーラムへ発展することができれば、米

国の ARF への関与はより深まるであろう」と表明した49。これは、第2回 ARF で示された

「コンセプトペーパー」に示された、紛争への三段階のアプローチについて、速やかに信

頼醸成の段階から予防外交の段階へ移行させたい意志の表れである。それは裏返せば、ARF

の進展の遅さに対する苛立ちとも受け取れるかもしれない。事実、クリストファー長官は

同スピーチのなかで、「我々は、ARF において重要な地域安全保障の課題を、意味ある方法

で議論することを担保しなければならない」(下線部、筆者)と述べ、ARF にある重要議題

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を回避する性向への懸念を示したものと解釈できるだろう。

第4回 ARF では、前回同様、引き続き予防外交へ進展させるべきことが謳われた。しか

し、オルブライト国務長官のステートメントの大半は、国内情勢が混乱していたカンボジ

ア問題と ASEAN に新たに加盟したミャンマーの人権問題に割かれた。とりわけミャンマ

ーの ASEAN 加盟に当初から反対していた米国は、ARF 席上で、ミャンマーの人権状況、

麻薬取引、政治体制を強い口調で牽制した50。

第1回~4回の ARF における米国の多国間安全保障協力に対する姿勢は、一貫して二国

間同盟による米国の関与を補完・補強するという立場である。そこから、「抑止・対応アプ

ローチ」と「予防アプローチ」という二つの安全保障アプローチを二重構造としてとらえ、

ARF を後者として位置づける構図が明らかになるだろう。第3回 ARF 以降は、より「予防

外交」への進展を促している点が特徴的である。

4 中国の多国間安全保障協力51

(1)中国の基本認識と多国間安保への否定的反応

1980 年代における中国の対外政策の方針は特定の勢力を「主要敵」と見なすことはなか

ったものの、基本的には「独立自主の外交政策」であり、そこでは、①中国がいかなる大

国あるいは国家ブロックにも依存するつもりがないこと、②平和五原則が社会主義国をも

含め、全ての国との関係に適用されることなどが強調されている52。

この基本政策を掲げる中国は、安全保障の分野に大国が介入するような協力には拒否的

な反応を続けることになる。1986 年のウラジオストク演説におけるゴルバチョフの外交攻

勢に対しては、中国とソ連の関係改善の手がかりとしてこれを歓迎した。しかし、同演説

のもう一つの柱である、全アジアの安全保障機構をつくる提案に対しては否定的だった。

同様に、1990 年のカナダとオーストラリアの CSCE 型の安全保障機構をアジアに導入する

地域安保提案に関して、中国は「この地域にはそぐわない」としてこれらの提案を退けた。

こうして、中国の多国間安全保障協力に対する姿勢は、「アジアはヨーロッパと異なる」と

いう理由を表明しながら、否定的な態度をとり続けてきたのである。

(2)多国間安全保障協力への転機

中国は、以上のような基本政策を持ち続けたにも関わらず、1990 年代に入ってから多国

間の安全保障対話に対して妥協的な姿勢を示し始めるようになる。おそらく、その転機の

源は、中国の対外関係を全面的に悪化させた 1989 年の天安門事件に求められるであろう。

天安門事件以降、米国を中心とする先進諸国から経済制裁を受けた中国は、貿易・投資

を中心とした改革・開放経済にブレーキがかかり、また東欧社会主義体制のドミノ的崩壊

は社会主義国家として孤立感を強めることになり、さらに 1991 年のソ連邦の解体は中国の

戦略的価値を著しく低下させることとなった。中国がこのように三重に孤立化した国際環

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境の中で、改革・解放政策を維持するには、資本主義諸国の国際市場との接触が不可欠で

あった。中国は、自らの共産党指導体制を維持しながら、国際関係の建て直しに取りかか

る手段として活路を求めなければならなかったのである。

こうした国際環境の下で、中国は特に ASEAN との関係を強化していく路線を明確に打

ち出した。まず、二国間の外交関係については、1990 年にインドネシア、シンガポールと

国交を回復し、1991 年にはベトナム、ブルネイとの関係を正常化させた。また、当時国際

的な懸案であったカンボジア問題に関して、中国はポルポト派に支援を中止することによ

ってパリ和平協定に協力し、東アジアの安定化に対する関心の高さをアピールした。

中国はASEANとの関係強化の過程で、ASEAN を中心とした地域的な政治対話に徐々

に関心を示すようになった。中国には、ASEAN との経済協力を進めていく上で、ASEAN

の地域的な努力を積極的に評価する必要があったのである。1991 年 7 月には ASEAN 外相

会議にゲストとして招かれ、中国は銭基 外相をオブザーバーとして派遣した。銭基 外

相は ASEAN の ZOPFAN 宣言や東南アジアの非核地帯化構想を支持することを表明し、A

SEANとの協力関係を進めていくことを表明した53。また、この年中国は、ASEAN メン

バーが主催する「南シナ海における潜在的紛争処理のためのワークショップ」に台湾が参

加しているにも関わらず、第二回会議から参加している。

1992 年 1 月、楊尚昆国家主席は、シンガポール・マレーシアを歴訪、両国首脳と会談し、

「同地域と世界の平和と発展を促進するため、ASEAN 諸国と共に引き続き努力したい」と

述べ54、ASEANとの協力の重要性を確認した。このように中国は当初経済的な必要性か

らASEANとの協力に活路を求めたが、同時に ASEAN の地域的な対話努力を評価する

外交姿勢を打ち出していく必要があったのである。

南沙諸島問題で、中国は 1990 年に主権棚上げおよび共同開発を呼びかけ、これを受けて

翌年 ASEAN が開催する南シナ海に関するワークショップで紛争の平和解決と自制を呼び

かける共同声明を発表した。このころから中国は ASEAN の呼びかけに応えて「自制と協

力」を語るようになる55。しかし中国の協力の姿勢も「自制」に対する同意のみであり、1992

年 7 月の ASEAN 外相会議では、「南シナ海に関する宣言」を採択して「全ての関係国」に

「自制」を求めることを呼びかけたが、同時に銭基 外相は南シナ海問題を公式の国際会

議で協議することに消極的な姿勢をみせたのである56。

以上のような懸案にも関わらず、中国は地域安保対話について、ついにこれを肯定する

姿勢を 1993 年に入って示すことになる。1993 年 5 月末に日本を訪問した銭基●外相は、

アジア太平洋の安保枠組みをつくるには期が熟していないとしながらも、今後も安保対話

は必要であり、中国もこれに加わる用意があることを表明した57。さらに、中国側の地域安

保対話に対する姿勢をより明確に示した銭基●外相の 7 月のシンガポールでのコメントで

は、「安全保障協力に関する我々の見解は、この地域の多様性を考慮し、多様なチャンネル

を通じた異なるレベルでの二国間協力、また多国間の安保対話からスタートさせるべ来き

である」と発言し、地域安保対話に賛成する意思を明確にしたのである58。

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(3)政策転換の要因

中国はなぜ、1992 年から 1993 年にかけてアジア・太平洋地域の安保対話に肯定的な態

度を示すようになったのであろうか。中国の懸案は、多国間安全保障対話は、①南シナ海

の領有権の問題に対しては「二国間問題」、②中台問題に関しては「国内問題」という従来

の位置づけを越えた「多国間」のアプローチが適用されてしまうことであった。このリス

クを中国はどのようにとらえ、地域安保対話に肯定する姿勢を示すに至ったのであろうか。

第一の理由は、1991 年から 1992 年にかけて台頭してきた「中国脅威論」に対して反論

する必要があったことである59。中国の経済発展と軍事費の増大、1992 年の領海法の制定

によって南沙諸島の主権を主張したことなど、ASEAN・日本・米国などでは、「中国脅威

論」が多くの新聞、雑誌で取り上げられた。中国がこれらの議論を放置し、多国間協議の

提案に対して反対し続けることは、周辺諸国の疑念を高め、ついにはソ連に代わる「仮想

敵」とされかねないという判断があったものと思われる。

中国は当初そのような「中国脅威論」に対しては、透明性の低い実態説明を行うことに

よって対処しようとした60。しかし、「中国脅威論」に有効に反論するには、国防費の増加

に対しては有効な数字を示して反論しなければならなかったし、海軍力の増強に対しても

戦略的な意図を客観的に示す必要があった。中国が自らに差し向けられた脅威論を払拭す

るには、独立自主的な安全保障政策の下に周辺諸国との協力を拒否し続けることには限界

があったと考えるべきであろう。中国が有効に反論するためには、中国が周辺諸国との協

力を安全保障対話の領域まで広げることができることを身をもって示さなければならなか

ったのである。

第二の理由は、南シナ海の領有権問題を「二国間問題」として、また中台問題を「国内

問題」として多国間のアプローチを受け付ける姿勢をみせなかったが、ASEAN 方式の地域

安保対話の形式は緩やかで拘束力が弱く、参加してもこの問題に対する損失は生じないと

判断したことであろう。本稿の米国の政策転換の分析でも触れたとおり、1991 年から 1992

年に日本・ASEAN が構想した地域対話の目的は、相互の信頼を高めるための措置(MRM)

であり、緩やかなフォーラムの下で対話を進めていくことにあった。従って、中国が懸念

するような問題を直接取り上げて、対応策を各国が一致して検討する形式にはなりにくい

と判断したのであろう。

第三に、経済的相互依存の深化が急激に周辺諸国と進んだことも重要な要因であろう。

中国が国際経済にコミットするにつれ、中国は守るべき国益を外に持ち始めたのである。

1994 年の統計では、中国は貿易額で世界 10 位を占め、中国自身の国境外投資も 51.9 億ド

ルに達するなど、経済的相互依存の深化がかつてなく進んだ。中国の貿易依存度は、1993

年には輸出で 16.6%、輸入で 18.8%と、日本や米国の 10%以下に比べて高い数値を示して

いる。このことは、中国が持続的な経済発展を進めるうえで、安定的な国際関係を維持し

ていくことが重要であることを認識するものとなる。この意味で経済情勢認識における「三

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つの三角論」が、安全保障の戦略として表されたと分析することも可能である。[大三角]

は中国、日本、米国、[中三角]は中国、NIES、ASEAN、[小三角]は中国大陸、台湾、香港

を指す。「中国にとって、最良の選択は、[小三角]を拠り所とし、[中三角]の支持を取りつけ、

[大三角]と渡り合っていくこと61」であり、そこには ASEAN との協力関係をまず発展させ

る、という論理が伺える。

第四の理由として、中国はすでに ASEAN 外相会議のオブザーバーとして参加し、AS

EANとの友好関係を築く過程にあり、中国としては ASEAN が推進する地域安保対話を

断ることは著しく困難であったことが考えられる。既に明らかにしたように、中国は 1992

年から1993年にかけてASEANとの協力関係を緊密にする努力を進めていくことを公式に

宣言していた。この時期に、ASEAN が主導する地域安保対話のフォーラムを中国が断るこ

とはこれまで中国が ASEAN と築いてきた関係に悪影響を与えたであろう。中国政策決定

者の損得計算とともに、ASEAN の会議枠組みに既に中国が組み込まれていたことを軽視す

るべきではない。

(5)第1回~4回 ARF における中国政府の対応

第1回 ARF に際して、銭外相は ARF の進展は各国の国情に合わせ、漸進的に進めて行

くべきであることを主張した。また、国内紛争・問題への信頼醸成措置や予防外交の不使

用を提案した62。ここには中国にとっての ARF が過度に進展しすぎることに予め楔を打っ

ておくという姿勢がみられる。

第2回 ARF は、1994 年末の南沙群島における中国軍によるミスチーフ島占拠や、1995

年 5 月の地下核実験に伴う ARF 参加国からの批判を受けての会議だった。中国は批判に応

えるように、国防白書を公開する旨を表明し、また南沙諸島問題についても多国間協議を

容認する意志を示した。信頼醸成措置に関しては軍事的な分野だけでなく政治、経済、社

会など広範囲な信頼措置を進めていくべきことを提言した。

第3回 ARF における中国は第1回、2回に比較すると協力をより積極的に謳うようにな

った。銭外相は「積極的に ARF 活動に参与し、建設的な役割を引き続き担っていく」とい

う高い評価であった63。最も特徴的だったのは、政府間支援グループ(ISG)である「信頼醸

成部会」の共同議長になることを表明したことである。

しかし、この積極的な関与の姿勢は、この地域の信頼醸成措置および予防外交の進展へ

の肯定的な姿勢を意味してはいない。むしろ中国は ARF を主体的な制御の下に置きながら、

自国に有利な環境を整えていく姿勢と評価できよう。第一に、中国は 1997 年 3 月に北京で

開催された「信頼醸成部会」でとりまとめられた提言には国家主権の尊重、内政不干渉と

いった平和五原則の内容や信頼醸成措置は「漸進的」に行われるべきことを明記するので

ある64。第二に、中国は冷戦後の日米安保体制の再確認に対する批判の手段として ARF を

利用し始めた。例えば、前述の「信頼醸成部会」後の記者会見にて陳健外交部長助理は、「二

国間軍事同盟が地域の平和と安全保障を維持するための基礎となるという考え方は受け入

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れられない」と語り、その上で ARF が地域の安定維持のための中心的役割を果たすべきだ

と主張した65。同様の主張は第4回 ARF の席上でも中国から表明された66。

第4回 ARF にて、ASEAN 側は ARF の機能について信頼醸成から予防外交の段階に進

めたい考えだが、銭外相は「ARF は地域の現実から逸脱するべきではない」と牽制し、あ

くまで「信頼醸成が中核的任務」との見解を示した67。ここにも中国の ARF の進展に対す

る制御の姿勢が表れている。

中国が一方で「ARF における予防外交への進展の懸念」を表明し、他方で「多国間安保

こそが時代の潮流」と一見矛盾する主張をしなければならないのは、日米安保の再確認を

批判しつつ、ARF の進展を受け入れやすいペースに制御するという二つの異なる目標を、

ARF という同一の土俵上の戦術としているからと考えられよう。中国は ARF 政策において

こうしたジレンマに直面しながら、外交上の優先順位に応じてレトリックを使い分けてい

ると考えられるだろう。

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第3章 多国間協力の限界性と ARF プロセス

第1節 協調的安全保障

1 アジア太平洋地域における協調的安全保障の限界性

(1)「抑止・対応」機能の必要性

協調的安全保障が基本的には対話や説得という手段を用いながら、潜在的敵性国との協

調をすすめていく枠組みであることは第 1 章において明らかにした。対話や説得を中心と

した諸措置は、紛争対処のための軍事力の裏付けなしには地域の平和を維持することがで

きない。これら予防的な措置は、もしそれが失敗して実際に武力紛争が開始されてしまっ

た状況になったときには、ほとんど対処能力がないからである。したがって、そのような

場合には予防的アプローチとは別途の紛争対処への枠組みが必要とされるのである。

現在のアジア太平洋地域においてそのような紛争抑止・対処へのアプローチを担ってい

るのは二国間同盟によって裏付けられた米国の軍事プレゼンスである。現在のアジア太平

洋地域では朝鮮半島を除き急迫した軍事的危機が迫っているわけではないが、D・ボール

によればこの地域には大小合わせて 25 に及ぶ潜在的な紛争要因が存在する1。言うまでもな

く、米軍のプレゼンスはこれらの紛争のすべてに抑止・対処機能を有するわけではない。

しかし、その主要な紛争について米国は以下のようなコミットメントの用意があることを

明らかにしている。

第一に朝鮮半島の不安定な情勢については、在韓米軍は大規模な武力紛争の発生を抑止

する上で大きな役割を果たしている。米国は「米韓相互防衛条約」に基づき、第 2 歩兵師

団、第 7 空軍などを中心とする約 3 万 7 千人の部隊を韓国に配備し、韓国軍と共に米韓連

合軍司令部をい設置している2。もし武力紛争が勃発した場合、同条約に基づきその軍事介

入が義務化され、またその介入は日米安全保障体制によって維持されている在日米軍の展

開能力によって補強される構造となっている3。

第二に、台湾海峡について米軍の介入を義務化させた条約は存在しない。しかし、1979

年に米国と台湾の間で締結された「台湾関係法」には、①台湾の将来を、非平和的手段に

よって決定しようとするいかなる試みも米国の重大な関心事であること、②台湾に防御的

性格の武器を供給すること、③台湾の人、社会、経済体制を危機にさらす武力行使や、別

の形の強制にも抵抗することが示されている4。つまり、米国の台湾への軍事介入は米国の

政治判断に依存している。そして、米国はここ数年、台湾への軍事的コミットメントを強

めている傾向がある。

例えば、1996 年 3 月に中国が大規模な軍事演習を台湾海峡において実施した際、米国は

インディペンデンスとニミッツの空母 2 隻を派遣し、実質的に中国を牽制し、台湾を擁護

する政治措置をとった。また、日米防衛協力のガイドラインの見直しに関する一連の議論

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で、台湾が防衛範囲に含まれるか否かという論点が浮上したが、紆余曲折の末、当時の梶

山官房長官が当然含まれるという見解を示し、日米安保体制が台湾海峡問題を対象として

含むことはほぼ当然視されている。

第三に、南沙諸島問題を含む東南アジアへの米国のコミットメントは 1969 年の「ニクソ

ン・ドクトリン」以来、明確な形では示されていなかった。実際、南シナ海では 1974 年と

1988 年の 2 度にわたって中国とベトナムの間に軍事衝突が起こっているが、その際に、米

国は非難の声明を出したものの、軍事介入は慎重に避けてきた経緯があった。しかし、1995

年 5 月にジョセフ・ナイ国務次官補は「米国の南沙及び南シナ海に関する政策」を発表し

た。この中で米国は、南シナ海における一方的な行動様式が同地域の緊張を高めているこ

とへの懸念を示した上で、①対立する主張を解決する手段として、軍事力の使用又は脅し

に訴えることに強く反対する、②1992 年の南シナ海に関する ASEAN 宣言を歓迎している、

③航海の自由を維持することは、米国にとって根本的な国益である、④南シナ海の当初に

関する争いで、米国は法的なメリットを得る立場にはないが、1982 年の国連海洋法条約を

含む国際法に合致しない南シナ海での海洋検疫の主張、海洋活動の制限には重大な関心を

持っていると述べている。この政策発表は、明らかに中国への牽制を意としながら、南沙

諸島での武力紛争が生起した状態にも米国が強い態度で望むことを示したものである。

以上のように、米国は朝鮮半島においては米韓相互防衛条約、台湾海峡に対しては台湾

関係法、また南沙諸島に関しては政策ステートメントという形で、異なるレベルとはいえ、

軍事的なコミットメントの用意があるという意志を示している。協調的安全保障としての

ARF が別途必要とする「紛争抑止・対処」のメカニズムは、このような形で米国の軍事力

の展開を背景に平時から準備されているのである。

この結論は同時に、アジア太平洋では二国間の同盟関係の安定性が協調的安全保障の進

展の基礎にあると位置づけることを可能にする。なぜならば、安定的な同盟関係は「紛争

抑止・対処」のレベルを一定にし、残された問題を協調的安全保障の課題とすることがで

きるからである。その反対に、もしも「抑止・対処」のレベルが不安定であったとすれば、

安定的な安全保障秩序への基礎機能が抜け落ちることになり、各国はこの基礎機能を自力

で、あるいは別の国と共同で補完しなければならなくなる。このような各国の軍事力を背

景とした「抑止・対処」機能の向上は周辺国同士の緊張関係を招きやすい。そのため、対

話や説得を中心とした協調的安全保障の諸措置を進める上で、安定的な協力関係を阻害す

る結果を招くであろう。すなわち、アジア太平洋地域において、米国との二国間同盟は多

国間安全保障協力を進めるための基盤となっているのである5。

協調的安全保障の限界性の(1)の条件は、第一に多国間安全保障協力としての ARF が果た

し得ない「紛争対処・抑止」の機能を米国との二国間同盟が担っていること、また第二に

ARF における多国間安全保障協力の進展の基盤を提供しているのが米国との二国間同盟で

あること、の二つの側面によってアジア太平洋地域に適合しているといえよう。

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(2)協調的安全保障の機能する条件とARF

協調的安全保障が有効に機能するためには、①域内の全主要国が多国間協議に参加する

こと、②協議によって協調的安全保障の目的に添った実効的な措置を決定すること、③域

内の全主要国が協議の決定を尊重し、共同行動に参加する意思を持つこと、の三条件が必

要とされることを第 1 章で指摘した。この条件を現在のアジア太平洋地域の実状に照らし

合わせて考えたい。

アジア太平洋地域では、ARFの参加国の構成から見て、①の条件は必ずしも完全では

ない。確かに、冷戦期には多くのアジア太平洋諸国(特に北東アジア)、にとっての脅威だ

った旧ソ連の継承国であるロシアが参加し、また中国やベトナムも ARF に参加している。

その意味において、潜在的に敵対し合う主要な国々が ARF の参加国を構成していることに

は協調的安全保障としての大きな意義があるといえる。

しかし、このことは①の条件が完全に満たされていることを意味しない。なぜならば、

顕在的に対立し合う国および当事者の参加は現在のところ達成されていないからである。

北朝鮮は第 1 回 ARF から参加を打診した経緯があるが、これまで北朝鮮の参加は見送られ

ている。また、中台問題の一方の当事者である台湾は中国の反対のために ARF の参加がで

きずにいる。そして、第 3 回 ARF にて「ARF 参加国は主権国家に限定される」という趣

旨の議長声明が採択されたため、台湾が ARF に参加する道筋は実質的に閉ざされたといえ

る。

②および③の具体的な議論は本章第 2 節にて検討される。結論を先取りすれば、現在の

ARF において提案された信頼譲成措置は未だ初期的な段階にすぎず、その進展プロセスも

実効的な信頼譲成措置をあくまで漸進的にすすめていくという形で制限されている(②の

不十分さ)。また、信頼譲成措置の措置の実施に関しては各国の自発性に委ねられ、その効

果および安定的な安全保障システムへの貢献度数は未知数(③の不徹底)であり、ARF プ

ロセスの今後の進展についても参加国間の間には対立が生じている。

このように現在のアジア太平洋地域では①、②、および③のそれぞれの条件が不十分な

ものとなっているのが実状である。また、この条件が将来満たされる可能性についても楽

観的な材料が乏しいのが実状である。その理由には中国の ARF プロセス進展に対する慎重

な行動がある。

中国は第 1 回 ARF 会合において二国間の問題および国内問題を扱うべきではないと主張

して、南沙諸島や中台問題や香港問題など、中国が関係する係争事項がフォーラムの議題

とされることを牽制した。また、共同行動(③)についてはその実施に反対の姿勢を取り

続けている。第 2 回 ARF 会合において中国はアジア太平洋地域の多様性を理由に、ARF

はあくまで対話と意見交換の場に留めるべきだという立場を強調した。またすでに述べた

ように、第4回 ARF 会合にて、米国や ASEAN 側は ARF の機能について信頼醸成から予

防外交の段階に進めたい考えだが、銭外相は「ARF は地域の現実から逸脱するべきではな

い」と牽制し、あくまで「信頼醸成が中核的任務」との見解を示した。このように、中国

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は②および③の条件について妥協する姿勢をみせていない。このような状況の中で、協調

的安全保障は現在、また将来においてもその不十分さを抱えたまま歩んでいくと予想され

る。(2)の限界性は、以上のような協調的安全保障が有効に機能するための三つの条件が必

ずしも満たされていないという形でアジア太平洋地域に適合するのである。

第2節 信頼譲成措置

1 ARFにおける信頼譲成措置:合意および履行状況

第一回 ARF 議長声明に示されたように、信頼醸成措置は発足当初から ARF の主要な検

討課題とされている。第二回 ARF では信頼譲成措置を促進することが最優先課題として合

意された。同会合では「コンセプトペーパー」が示され、今後の ARF の活動の道筋を①信

頼醸成措置の促進、②予防外交の推進、③紛争へのアプローチの充実という三つの段階に

沿って漸進的に進められることが確認された6。また、ARF プロセスを進展させる制度につ

いては、公式の政府レベル(第一トラック)と非政府組織(第二トラック)が実際の作業

を担うことになる。

第2回 ARF 会合におけるコンセンサスに基づき、第一トラックでは「ARF 信頼譲成措置

に関する支援グループ」(ARF Inter-sessional Support Group on Confidence Building)が

信頼譲成措置に関する包括的な討議を行う場として設定され、その継続が確認されている。

また、特定のテーマに沿って具体的な信頼譲成措置の検討についてはこれまで「捜索救難」

「PKO」および「災害救助」についての会期間会合(Intersessional Meeting)が開催され

た。

これまでの ARF 会合での検討作業を経て、信頼醸成の具体的な措置の内容として合意さ

れたのは、①軍事交流、②安全保障対話、③国防白書の発行、④国連兵器移転登録制度の

四分野である。また第三回 ARF 会合では ARF のコンタクト・ポイントの設置、自然災害

時における軍の役割に関する情報交換、軍事演習の事前通告と演習へのオブザーバー招聘

に関する情報交換が新たに合意された7。

第一の軍事交流では第 2 回 ARF 会合では軍事研究機関、国防大学、訓練を通じた相互交

流を高めることの有益性が確認され、第 3 回会合では①ARF-ISG-CBM 及び ARF-SOM へ

の各国国防当局者の参加、②自国の軍事交流実績の ARF-SOM への報告、③参加国国防大

学間の情報交換および人的交流を奨励することが合意されている。

第二の安全保障対話では、ARF プロセスを継続していくことが毎回の会合で確認されて

いる。第 2 回 ARF では二国間、サブリージョナルおよび全域の三つのレベルで安全保障対

話を強化していくことが合意された。また、第 3 回 ARF でも ARF プロセスの中で安全保

障対話を継続することや、各国ベースで進められている安全保障対話の実績に関する情

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第6図 アジア太平洋地域における信頼譲成措置の合意と提案

(出所)山元菜々「アジア・太平洋地域における信頼譲成措置—重層、補完、補強の発展構造—」

『国際関係論研究』第 11 号 82 頁

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報交換を継続することが合意されている。

第三の国防白書発行では、第二回 ARF 会合において参加国が任意ベースで「国防政策に

関する文書」を提出すること、また第 3 回 ARF では国防白書の年次発行を推進することが

それぞれ合意された。現在はすでに国防白書を発行している国々がその発行の意義を強調

し、他の参加国に同様に情報を定期的に公開することを求めている。

第四の国連兵器移転登録制度では、第 3 回 ARF 会合にて、①国連軍備管理登録制度の改

善に関する議論の継続、②任意ベースで ARF にも同様のデータの提出、③同制度の拡大の

ために、国連と共同行動を行うことが合意された。

このようなアジア太平洋地域における信頼譲成措置には以下のような特徴がある。第一

に、信頼譲成措置の内容が軍事的な分野に限定されず、広範な分野と内容を持っているこ

とである。これは、ARF が参加国間での安全保障対話を継続するにあたり、まずは相互理

解と信頼関係の促進を念頭においていることが挙げられる。同時に ARF のモメンタムの維

持のために、軍事的な分野に限った活動を進展させていくよりも、より非論争的な分野で

の合意を目指そうとする動きと理解できよう。

第二は現在のアジア太平洋地域の信頼譲成措置はその履行が各国の自発性に委ねられる

性格を持っていることである。これは CSCE におけるヘルシンキ宣言と同様に、初期の信

頼譲成措置に共通してみられる特徴である。

このように ARF における信頼譲成措置は、安全保障に特化しない非論争的な分野から進

められているため政治的なコストが少なく、また自発性に委ねられているため参加国の義

務のレベルが低い。このような特徴によって、ARF の信頼譲成措置は「全参加国に受け入

れ可能なペースで進展」(第4回 ARF 議長声明)しているのである8。

2 アジア太平洋地域における信頼譲成措置の限界性

(1) 協力レベルと利得の非対称性

a. ARF 議長声明のドラフト作成過程

信頼譲成措置の第一の限界性は、各国の協力レベルと利得の差に基づくものであり、そ

れを構造化させているのが、多くの信頼醸成措置の意思決定がコンセンサス方式で行われ

ていることである。ARF のこれまでの意思決定プロセスもコンセンサス方式に基づくもの

であり、第 4 回 ARF 議長声明でもこの方式を継続することが確認されている。しかし、ARF

の意思決定のプロセスに関する問題は、さらにこのコンセンサスがどのように形成されて

いるかというところに溯る。

ARF が ASEAN のイニシアティブによって発足したことにより、ASEAN は ARF におけ

る「重要な牽引役」(第 2 回 ARF 議長声明)を担うことが確認されている。発足より現在

まで ARF は ASEAN 各国が年次交代で議長国を務めることが慣例化し、名目どおり

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第7図 ARF の合意形成プロセス

(出所)筆者作成

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ASEAN が会議の中心的な位置に存在し、ASEAN 域外国を招聘するというシステムとなっ

ている。

ARF 閣僚会合の準備のため、例年 5 月上旬には ARF-SOM が開催される。ARF-SOM に

おける次官級の会合で、地域の安全保障問題についての意見交換が行われるとともに、今

後の活動方針が議論される。通常この議論の結果が 7 月に開催される ARF-SOM のたたき

台となる。しかし、ASEAN はこの間に例年 ASEAN-中国会議を開催し、ARF で討議され

る内容についての打診を行う。7 月の ARF-SOM に提出される議長声明のドラフトは、こ

の ASEAN-中国会議の結果を経て議長国が行うことになっている(第 7 図参照)9。このよう

に ARF 会合の事前に ASEAN 諸国の間、また ASEAN が利害関係を持つ国との調整のもと

に決定されているというのが実状なのである。すなわち、コンセンサス方式の実状は

ASEAN を中心に進められているものであり、非 ASEAN 諸国が調整として介入できる場が

限られている構造となっているのである。

B. 主要参加国の協調と対立

日本・ASEAN・米国および中国が ARF プロセスにおける信頼譲成措置に関してどのよ

うな対応をしてきたのか、以下ではその協調している側面と対立している側面を示す。

多国間安全保障協力に対する認識に協調が見られるとすれば、それは第一に、日・

ASEAN・米・中は、同じ理由または異なる理由が混在しながらも ARF を必要とし、今後

の継続を望んでいることである。日米両国および ASEAN は信頼関係を発展させ、紛争の

危険を軽減する「予防アプローチ」に期待をかけ、ARF プロセスの進展に努力している。

また、中国はARF発足当初は中国脅威論軽減の方策として、また最近ではそれに加え望

ましい信頼醸成措置の進展の制御と二国間同盟に対する牽制の手段として ARF に積極的に

関与するようになっている。

第二に、多国間安全保障協力は自国および二国間同盟の安全保障機能を損なわない範囲

内で行われるという点でも共通している。日米が二国間同盟を基軸として多国間協力を「代

替するものではなく補完」と明記しているのは、ARF における「予防的アプローチ」と日

米同盟による「抑止・対処」のアプローチを厳格に区別しているからである。ARF におけ

る協力と具体的な措置の進展に積極的な日米も、前者のアプローチは後者の領域に踏み込

んではならないという認識を堅持しているのである。また、中国も台湾のARF加盟反対、

台湾問題への言及の牽制、また信頼醸成措置の進展の制御という手段を用いて、多国間安

全保障協力に一定の留保をつけながら協力を捉えている。後述するように、日米中の「予

防的アプローチ」への認識は異なるが、限られた範囲内での多国間協力という性格はいず

れの国家も有していると捉えるべきである。

これら主要参加メンバー間の ARF プロセスにおける対立の第一は、ARF の達成すべき目

標とその進展のプロセスについての対立である。日米はともに ARF の議論を更に深め、具

体的な合意を達成し、その合意を域内各国が遵守することにより協力を拡大していくとい

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う考えを持っている。ARF の中期目標である 3 段階のアプローチのうち、「信頼醸成」から

第二段階の「予防外交」への検討を日米両国が促しているのは以上の理由による。

これに対して中国は、ARF はあくまで信頼醸成を主眼としたフォーラムであり、具体的

な安全保障上の合意を義務づけたり、責任を伴う規定をつくることは望ましくないと考え

ている。そして、信頼醸成を含むあらゆる合意は各国の任意ベースで行うべきであり、そ

の合意も漸進的に検討されなければならない。そのために、信頼醸成措置の分野を軍事に

限らず非軍事を含めた広い分野に拡大するべきであるというのが中国の主張である。

第二に、アジア太平洋地域における二国間同盟と多国間安全保障協力体制の位置づけに

対する認識にも著しい差異がみられる。日米は二国間同盟をこの地域の安全保障の基軸と

考え、多国間協力はこれを補完ないし補強するという二重の構造で捉えている。これに対

し、中国は、少なくとも発言の上では、二国間の軍事同盟、特に日米安保体制は地域の安

全保障に有益であるという考え方を否定しながら、多国間協力こそが時代の潮流と位置づ

けている。

既に述べたとおり、中国の多国間安全保障協力への肯定的評価は必ずしも ARF の進展に

協力的であることを意味しない。中国は上記第一、第二の理由をもって ARF が重要である

という認識と ARF の進展が望ましくないという考え方を両立させようとしているのである。

(2) 信頼譲成措置の「自発性」

ARF における信頼譲成措置は第一に、信頼譲成措置およびその発展形態をめぐる概念に

曖昧性がみられる。ARF の信頼譲成措置の位置づけは第二回会合における「コンセプトペ

ーパー」に示された三段階のアプローチに象徴されている。しかし、この三つのアプロー

チのそれぞれの概念の位置づけは必ずしも明確ではない。第一段階の信頼譲成措置と第二

段階の予防外交では、具体的な措置として何がそれぞれの段階を峻別するものなのかとい

う定義は現在のところ存在しないのである。この概念の混乱は、既に(1)で述べたようなプ

ロセス進展に対する概念上の対立へと導かれる。つまり、中国が第一段階から第二段階へ

のシフトを拒んでいることは、一般に権利義務関係に拘束された措置の定着化をはばもう

とするものであって、予防外交を拒否しているのと同義ではないのである。

第二に、具体的な措置が基本的には「自発性」に委ねられている事情はヘルシンキ第一

段階の CSCE と類似している。現在のところ、具体的な措置として①国防白書の発行②国

連軍備登録制度である。しかし、これまで公開された国防白書の具体的な内容には差が見

られ、各国が示している内容に統一された基準は存在しない。国連軍備登録制度は、①各

国における「移転」の定義の相違等に起因して、武器輸出国と輸入国の提出データに食い

違いが見られる、②保有量および国内生産等に関するバックグラウンド情報を提出する国

が少ないといいう問題を抱えている。移転に関する規定のみであり、生産に関する情報開

示の規定が存在しないのは当然主要装備を輸入に頼る国にとっては不公平であるという主

張も生まれよう。

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第三に、紛争可能性のある地域に対して ARF が行っていることは、基本的には自制の要

請にとどまっている。「留意する」ということが実質的に何か効果を持つかといえば、控え

めにいっても参加国が共通の関心を示しているといった弱い規範の形成にとどまる程度で

あろう。

(3) 信頼譲成措置が進展する条件の不備

これまで(1) で信頼譲成措置が利得の差の固定化を招きやすく協力が難しいこと、また(2)

では信頼譲成措置が曖昧で抜け道が多いことを理由に、信頼譲成措置の導入および実行に

関する問題点を指摘してきた。しかし、もし(1)および(2)の問題点を克服することができる

ならば、信頼譲成措置の進展は望ましいといえるのではないか、という期待が当然抱かれ

よう。つまり、(1)に関していえば①利得の差自体がほとんどない状態であるか、②信頼譲

成措置によって得る利益が利得の差よりも大きい場合、(1)で掲げた問題点は克服可能であ

ろう。また(2)に関しては、信頼譲成措置を明確に定義し、参加国に誤解の余地のないよう

にすることである。このような状態を達成できるならば、信頼譲成措置を進展させること

には、これまで検討したような問題は生じないはずである。

しかし、アジア太平洋地域における信頼譲成措置はそれほど進展するものなのであろう

か。ARF の「コンセプトペーパー」に示された三段階のアプローチが、具体的にどのよう

な措置に裏付けられながら進展していくのかは未だ明らかではない。しかし、①信頼譲成

措置、②予防外交、および③紛争へのアプローチというそれぞれの措置が明確な目的を持

ち、実効性を保つためには、少なくともマッキントシュの定義した第一段階の「情報・交

流・コミュニケーション型」信頼譲成措置から、第二段階の「検証・監視型」信頼譲成措

置へ移行させる必要があるだろう。

このように信頼譲成措置が段階を隔てて移行するには以下の二つの条件が満たされてい

なければならない。その条件は、①参加国が現状のままの安全保障環境の維持には満足し

ていないこと、②参加国が特定の安全保障環境の改善に共通の信頼譲成措置の枠組みの導

入を求めていること、である10。なぜならば、共通の枠組みの信頼譲成措置の導入があって

はじめて「検証・監視」に関する権利義務関係への発展は可能だからである。

しかし、この条件はアジア太平洋地域には十分に適合しているとは言えない状況にある。

第一の条件でいえば、確かに朝鮮半島問題、台湾海峡問題、南沙諸島問題、軍備拡張問題、

拡散問題などの安全保障上の諸問題は、参加国間の共通の懸案材料である。しかし、懸案

材料であることは現状を変化させようとする共通の意思があることを意味するものではな

い。それが第二の条件での齟齬を生み出す。すなわち、朝鮮半島、台湾海峡、南沙諸島な

どの上記の諸問題にそれぞれに参加国に共通した解決策があるわけではないのである。し

たがって、二つの条件はそれぞれアジア太平洋地域には成立しにくい性質を持っているの

である。

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第3節 評価と展望:限界と限界突破をめぐる一考察

本稿はアジア太平洋地域の多国間安全保障協力を考察する上で、協調的安全保障および

信頼譲成措置の限界性を同地域に当てはめながら検討してきた。アジア太平洋地域での多

国間安全保障協力はシステムレベルおよびアプローチレベルそれぞれから限界性および問

題点が浮かび上がり、協調的安全保障については常に同盟関係のサブシステムであること、

信頼譲成措置については第二段階(検証・監視型)および第三段階(規制型)へ移行が極

めて難しいことを指摘した。

しかしこのような限界性は、アジア太平洋地域が安定的な安全保障秩序を将来にわたり

保てないということを意味するものではない。「紛争抑止・対処」アプローチが安定的に保

たれている限り、この地域において大規模な紛争の発生する可能性は極小化されるからで

ある。本稿が意図したのは、多国間安全保障協力が主眼とする「予防アプローチ」の進展

の難しさを示すことである。

では、このような「予防アプローチ」を主眼とした多国間安全保障協力はどのような形

で進展が可能なのであろうか。いわば本稿が示した限界性を突破する可能性は、三つの側

面から検討が可能であろう。第一は、現在のアジア太平洋地域では、信頼譲成措置の第二

段階および第三段階への移行をそもそも必要としていないとする視点である11。第二は、そ

のような段階への移行が必要であり、何らかの手段を考えなければならないという立場で

ある。第三は、信頼譲成措置そのものを必要としなくなるような国際環境が招来するとい

う考え方である。

第一の可能性は、アジア太平洋地域における安全保障対話の制度化を急がずに、ルール

設定各国の自主性に委ねる Levy=山本吉宣のいう「奉賀帳外交」(tote-board diplomacy)の

可能性である12。奉賀帳外交とはある問題についてのルールを決めようとするとき、協議に

よって一定のゆるやかな「モデル」(ルール)を設定する。そしてそのモデルに付して「奉

賀帳」が各国に配られ、それぞれの国は「奉賀帳」に自国がそのモデルを採用するかしな

いかを自主的に書き込むような外交様態をいう。

第 1 章において、信頼譲成措置に付されている自主性は、明確な権利・義務関係を規定

していないために、ひとつの措置の内容に様々な解釈を生み、憶測や騙し、選択的な不履

行などさまざまな弊害を生むことを述べた。しかし、この奉賀帳外交は、そのような規定

による明示的な制裁ではなく、まさに「奉賀」という形式を取る結果、他の国々や国内か

らの説得やプレッシャーが生じ、外側と内側からの圧力が生じ、結果的に国家が協調的な

外交姿勢を強めざるを得ないという期待を念頭においている。

山本自身述べているように、このアプローチは「タダ乗りや、レジームのルールに帰依

しない国の存在を原則的に許容」し、また「レジーム形成にも時間がかかる」という欠点

を内包する13。それは信頼譲成措置の自主性という問題が抱える問題の基本的な性質の延長

線上にあるものである。しかし、これまで指摘したような欠点をかろうじて免れているの

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は、そこにピアープレッシャーを想定していることである。すなわち、信頼醸成の具体的

な措置への合意、履行に際し、あからさまに勝手な解釈や不履行を繰り返すことがその国

の内外からの信用性の低下につながるのである14。このような奉賀帳外交が各国の死活的な

利益を脅かすような共同措置が提起されるまでの間、一定の効果をあげること期待できる

であろう。

第二の可能性は、あくまで権利義務関係の生じる多国間安全保障協力を制度化すること

である。この第一の方法は、先に示した「協調的安全保障が有効に機能する条件」、および

「信頼譲成措置の段階移行の条件」が整うことである。その際、両者に共通するのはいか

に問題領域についてのコンセンサスを参加国間で形成するかという問題である。そして、

それぞれの条件で重要な要素となるのは、多国間安全保障協力に消極的な国々の認識の問

題であろう。国際レジーム論の議論にあるように、レジームの形成と継続過程において、

取り引き費用の軽減と共通の規範の拡大が、参加アクターの協力的な態度を引き出す要素

があることは事実であろう15。しかし、いくらレジームが参加国の協力的な認識を醸成する

効果があるとはいえ、それが第二段階、第三段階への信頼譲成措置の発展を可能にするか

どうかは疑問である。それには少なくとも、中国が自らの軍事情報および軍事活動に対し

て参加国に査察・検証を認めるような認識変化が必要となるが、そのような可能性は現在

のところ想定しにくいからである。

そこで、筆者は第二の方法論を想起する。それは、「暗黙の制度化」 (Tacit

Institutionalization)である16。暗黙の制度化とは、参加国の ARF プロセス進展の意図と制

御方法から離れた、いわば自律的なメカニズムを用いて、レジームの整備を進めようとす

る考え方のことである。第一の奉賀帳外交があくまで各国の自主性に委ねたアプローチで

あるのに対して、この暗黙の制度化はいわばなし崩し的な制度化を目論むものである。

暗黙の制度化は、レジームの意思決定過程の中間段階におけるシステムを変化させなが

ら、最終的な合意の内容に影響を与えていくという方法をとる。その基本概念は協力レベ

ルの低い特定の参加国の認識の制御の範囲を超えたメカニズムで制度化の進展を目指すと

いうものである。それは信頼譲成措置の制度化に関する認識論と制度論との相克なのであ

る。

暗黙の制度化を推進する具体的な措置としては、例えば①トラック II レベルの会合をト

ラック I に結び付ける、②政府間会合における議論、合意事項を次年度の ARF 会合におい

て議題化する、等のメカニズムを挙げることができるであろう。例えば①についていえば、

CSCAP に代表されるようなトラック II の協議機関が ARF に対する具体的な措置およびプ

ロセス進展に対する提言を採択し、それを ARF の本会合で報告、そして議題化するような

システムをつくる。これにより、実質的に ARF 全参加国が含まれているトラック II 協議の

合意事項が本会合で報告され、ARF の具体的な措置と制度化の進展に影響を与えることが

できる可能性がある。また②では、政府間会合で検討された具体的なイシュー領域での合

意事項を ARF の議題とすることを制度化し、実質的に具体的な措置へのアプローチを有効

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に進める手段とする。このような方法による暗黙の制度化が ARF にて推進される可能性も

残されている。

第三の可能性はアジア太平洋地域に信頼譲成措置そのものが必要なくなるような国際環

境が訪れることである。それは、安全保障共同体(security community)と呼ばれる秩序がア

ジア太平洋地域に成立した場合である。安全保障共同体とは、共同体成員相互の大規模な

武力紛争を想定できない共同体をいう。典型的には、複数の国家間において戦争の可能性

がほぼ考えられない状態が確立した国家関係である。

理論的には 1950 年代にK・ドイッチュ(Karl Deutsch)にによって提示された概念であり、

「地域統合」「国際統合」の理論の構築の過程で、「不戦共同体(Non War Community)」の

必要性を提起したことにある。ドイッチェによれば、安全保障共同体は既に統合している

集団(国家関係)と考えられている。すなわち、「公式・非公式の制度・慣習が伴った共同

体意識、『長い』期間にわたって『無理のない』確実さでもって集団構成員どうしの平和的

変更を保障するのに十分な強固で広範な意識、に到達すること17」であるとされる。ドイッ

チュは「統合」の概念を掲げつつ、統合の基本属性として国家の主権的存在を否定せず、

主権国家が併存する体系の中で成立する「多元的安全保障共同体(pluralistic security

community)」にその意義を置くという特徴がある。

安全保障共同体は、武力行使の禁止の事実や違反に対する強制力の存在といった法的側

面(条約・協定)を必ずしも必要としない概念である。その意味では、軍事同盟を典型と

する域外に対する集団防衛体制(collective defense system)や域内の武力を背景とした秩序

維持を目的とする集団的安全保障体制(collective security system)が自動的に安全保障共同

体を意味するわけではない。むしろ、複数国家の構成員が武力紛争の可能性を想定してい

ないという文化・心理的な側面が必要十分条件なのである18。ドイッチェ自身も相互依存の

程度が高いことに加え、国家体制・歴史などの価値を共有していること(community of

interest)を重要視している19。

このような安全保障共同体の概念を中軸に据えられるのが欧州統合のプロセスでありそ

の結果として成立したEUであろう。また、スカンジナビア半島の Nordic Council、ASEAN、

オーストラリアとニュージーランド、日本と米国などは安全保障共同体の典型的な例であ

る。

しかし、アジア太平洋地域においてこのような安全保障共同体を構築するには、アジア

太平洋地域諸国の係争問題の解決を待たねばならない。また、そこには第二次大戦の戦勝

国と戦敗国との間で継続された心理的・政治的な隔たりもある。アジア太平洋地域におけ

る安全保障共同体はこのような問題のそれぞれの論理的な解決の上にはじめて構築される

ものである。それにはまだ長い時間が必要とされよう。

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終章

アジア太平洋地域諸国が ARF に集い、協調的安全保障の枠組みの中で信頼譲成措置を進

展させつつあることは率直に歓迎すべき状況であるといえよう。先行研究が示すように、

この安全保障体制の可能性に着目した研究によって培われた知的コミュニティのコンセン

サスが、実際のプロセス進展に果たした役割は無視できない。その点でいえば、本稿のよ

うにやみくもに限界論を述べ立てることは現在のアジア太平洋地域諸国の信頼譲成措置に

関する知的および政治的努力への積極性(例えば CSCAP に代表される TRACKII における

知的コミュニティの活動や、1995 年以降の中国の南沙諸島に対する態度の変化や ARF へ

の関与の姿勢)を見失うことにつながりかねない。そのような危険を回避する意味で、多

くの論者が取っている立場は、アジア太平洋地域の多国間安全保障協力はプロセスそのも

のが重要なのだ、という考え方である。

しかし、そこに欠落しているのは多国間安全保障協力プロセスが行き着く先はどのよう

な地点かという視点である。現在あるいは将来のアジア太平洋の安全保障環境の下で、多

国間安全保障協力がいかなる機能を持つことが求められるのか。多国間安全保障協力を他

の安全保障システムを組み合わせて、重層的な安全保障システムを構築するには、どのよ

うな機能バランスが求められるのか。筆者はこの問題に接近する鍵を、多国間安全保障協

力の限界性の分析に求めたのである。もちろん、第 3 章第 3 節「評価と展望」で示したよ

うな、限界を突破する可能性を模索し、今後もこの地域の多国間協力の可能性は肯定的に

模索されなければならない。その突破の先にどのような安全保障の秩序が見えてくるのか、

それは今後の動向分析に委ねられる。この問題の結論を出すに至るには程遠いが、本稿が

この地域の安全保障システムの考察に何らかの参考になれば幸いである。

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註 第 1 章 1 John Gerald Ruggie, "Multilateralism: The Anatomy of an Institution," In John Gerald Ruggie ed., Multilateralism Matters: The Theory and Practices of an Institutional Form (New York: Columbia University Press, 1993), p11. 2 Ibid, pp.8-14.なお、このラギーの三つの基準を厳格に適用すれば、多国間協調主義に基づ

くレジームなど現存しないという批判もありえよう。例えば、「一般化された行動原則」が

全ての国に普遍的に適用されるという解釈をとった場合、そのような国際組織は存在しな

くなるのではないか。そのため、地域に限定した形での他国間協調枠組みを多国間協調主

義と呼ぶかどうかについては、ラギーの定義を柔軟に解釈し、「負の外部効果を持たない」

地域機構(山本吉宣)であることが必要とされるであろう。また、多国間協調主義を目的

と手段にわけて論じる議論もある、詳しくは James A. Caporaso, "International Relations

Theory and Multilateralism: The Search for Foundations," in Ruggie ed., Multilateralism Matters pp.51-90. 本稿では多国間協調主義の最も厳しい解釈はあえて採

用しない。それは分析枠組みを著しく狭めることになるからである。多国間協調主義は「主

義」であり、ある一定の枠組みからみたものの見方を示す。したがって、実際の制度が多

国間協調主義に基づくか否かはその組織がどのような規範を持ち、どのような理念型に基

づき運営されているのかによるのである。この点で「多国間主義の制度」(Institution of

Multilateralism)と「多国間の制度」(Multilateral Institution)に分類したマーティンの議

論は参考になる。Lisa L. Martin, "The Rational State Choice of Multilateralism" in

Ruggie ed., Multilateralism Matters pp.91-122. 3 「拡散された互恵主義」はそもそも複合的相互依存を論じた R・コヘインの用いた概念で

ある。Robert O. Keohane, "Reciprocity in International Relations," International

Organization (Winter 1985), Vol. 40. 4 Ruggie, op. cit. p.11. 5 山本吉宣「協調的安全保障の可能性—基礎的な考察」『国際問題』第 425 号(1995 年 8

月)。 6 Alexander George, ed., Avoiding War, (Boulder: Westview, 1991). 7 GRIT: Graduated Reciprocation In Tension Reduction. Charles E. Osgood, An Alternative to War or Surrender, (Urbana: University of Illinois Press, 1962). 8 この定義は、香西茂『国連の平和維持活動』(有斐閣、1991 年)7~9 頁、筒井若水『国

連体制と自衛権』(東京大学出版会、1992 年)5 頁、杉山茂雄「集団的安全保障」川田侃・

大畠英樹編『国際政治経済辞典』(東京書籍、1993 年)306~307 頁、を参照しながら筆者

が整理した。 9 山本吉宣「協調的安全保障の可能性」7 頁。 10 この定義について参照したのは、同上書、5 頁、David Dewitt, "Common, Comprehensive

and Cooperative Security," The Pacific Review , Vol.7, No.1 (Oxford University Press, 1994) pp.4-7.; Jeoffrey Wiseman, "Common Security In the Asia-Pacific," The Pacific

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Review, Vol.5, No.1 (Oxford University Press, 1992) pp.42-48. 11 Olaf Palme, et al., Common Security: A Blue Print for Survival (New York: Simon and Shuster, 1982). 12 協調的安全保障の概念について、これまで最も包括的な検討をしている山本吉宣の定義

を参照した。山本吉宣「協調的安全保障の可能性」。 13 神谷によって整理された集団的安全保障の成立条件は、①機構が、いかなる平和破壊者をも圧倒できるだけの軍事力を持つこと。②構成国、特に主要国が、自国の国益を集団全体の利益に従属させ、機構の集団的措置の発動に協力する意思を持つこと。③構成国、特に主要国が、どのような平和が守られるべきか(維持されるべき現状をどのように定義するか)、そしてどのような行為を平和破壊的と認定するかについて共通の認識を持つこと、である。それぞれの条件の成立はきわめて困難であり、その結果、歴史上有効な集団安全保障体制は存在していないといえる。神谷万丈「アジア太平洋における重層的安全保障構造に向かって—多国間協調体制の限界と日米安保体制の役割」『国際政治』第 115 号(1997年 5 月)151-155 頁。また、神谷がこれら条件を案出するにあたって参照した文献は、Hans J Morgenthau and Kenneth W. Thompson, Politics Among Nations: The Struggle for Power and Peace, sixth edition (New York: Alfred A. Knopf), pp. 452-457. 香西茂『国連の平和維持活動』34-36 頁。 14 山本武彦「信頼譲成措置」川田侃・大畠英樹編『国際政治経済辞典』(東京書籍、1993

年)338 頁。 15 浅田正彦 「信頼醸成措置の概念について」『外交時報』1988 年 4 月号。 16 藤田久一、浅田正彦「信頼醸成措置の包括的研究(国際連合事務総長報告書)(一)(二)」

『関西大学法学論集』第 35 巻 1 号(1985 年 4 月)、第 35 巻 2 号(1985 年 6 月)。 17 CSCEプロセスと信頼譲成措置の意義の変遷について中心的に参照したのは、坪内淳

「欧州安全保障会議(CSCE)における信頼醸成措置(CBM)の確立と発展」『早稲田政治

公法研究』第 47 号(1994 年 7 月 20 日)。また、坪内淳「欧州安全保障会議(CSCE)の

機構化と信頼醸成措置(CBM)の意義変化」『早稲田政治公法研究』第 49 号(1995 年 8

月 20 日)。 18 James Macintosh, "Confidence Building In the Arms Control Process: A Transformation View," Prepared for The Non-Proliferation, Arms Control and disarmament Division, Department of Foreign Affairs and International Trade, Arms Control and disarmament studies, No.2., October 1996. pp. 53-54. 19 森本敏「アジア・太平洋の安全保障とその枠組み」『外交時報』1993 年 10 月号、また納

屋政嗣「アジア・太平洋における予防外交の構想」森本敏・横田洋三編『予防外交』(国際

書院、1996 年)。 20 Richard Snyder, "Regionalism in East Asia," in Robert Scalapino and Masataka Kosaka, eds., Peace, Politics and Economics In Asia: The Challenge to Cooperate (Washington, D.C.: Pergamon-Brassey, 1988). 21 アジア太平洋地域における二国間・サブリージョナルレベルでの信頼譲成措置、全域レ

ベルでの信頼譲成措置、および両レベルの関係について検討したのが、山元菜々「アジア・

太平洋地域における信頼譲成措置—重層、補完、補強の発展構造」『国際関係論研究』第 11

号、1997 年。

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22 山本吉宣「協調的安全保障の可能性」8 頁。 23 この三条件は以下の文献を参照した上、筆者が修正したものである。西原正「多国間協

調主義の脆弱性」『防衛大学校紀要』第 68 号(1994 年 3 月)22 頁、神谷万丈「アジア太

平洋における重層的安全保障構造に向かって—多国間協調体制の限界と日米安保の役割」

153 頁。 24 もっとも、米ソが核戦争の危険回避の手段として信頼譲成措置をそれほど高く評価して

いなかったという指摘もある。Barry M. Blechman, "Efforts to Reduce the Risk of

Accidental or Inadvertent War" in Alexander L. George, Philip J. Faley and Alexander Dallin eds., US-Soviet Security Cooperation: Achievements, Failures, Lessons (Oxford: Oxford University Press, 1998), p.479. 25 Conference on Security and Cooperation in Europe: Final Act (London: her Majesty's Stationery Office, August 1975). 26 この議論についての根拠は、マッキントシュ論文における信頼譲成措置の進展する条件①である「安全保障環境の現状を変更しようとする意志の共有」、が協調的安全保障の枠組みではそもそも想定されていないことである。 27 Marie-France Desjardins, Rethinking Confidence-Building Measures: Obstacles to Agreement and the Risks of Overselling the Process, ADELPHI Paper 307, (IISS, Oxford University Press, 1996) p.60. 28 Desjardins, Rethinking Confidence-Building Measures, p.33. 29 Pauline Kerr, "Maritime Security in the 1990's: Achievements and Prospects" in Andrew Mack ed., A Peaceful Ocean? Maritime Security in the Post-Cold War Era (Canberra: Australian National University, 1993), p190. また、米国側の見方は U.S.

Department of Defence, "A Strategic Framework for the Asian Pacific Rim: Looking Toward the 21st Century," (April 1990), pp.22-25. 30 Desjardins, Rethinking Confidence-Building Measures, p.36 31.Ibid. p33. 32 John Borawski, From the Atlantic to the Urals: Negotiating Arms Control at the Stockholm Conference, (London: Pergamon-Brassey's, 1988), pp.78-79 および

pp.120-121. 33 Desjardins, Rethinking Confidence-Building Measures, pp.33-34. 34 抑止の定義およびその心理的な影響について検討したR・ジャービスらの著作としては、Robert Jervis, Richard Ned Lebow and Janice Gross Stein, Psychology and Deterrence (London: Johns Hopkins University Press, 1985) 35 坪内淳「「信頼醸成」—国際安全保障理論の新たな視角」『早稲田政治広報研究』第 51 号

(1996 年)44~47 頁。 36 この三つの側面は、Desjardins, Rethinking Confidence Building Measures, p38 を参照の上、筆者が修正した。 37 Desjardins, Rethinking Confidence-Building Measures, p.41.

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第 2 章 1 ARF の設立過程に関して、主に以下の著作・論文を参照した。佐藤行雄「1995 年の節目

に向かって--アジア太平洋地域の安全保障」『外交フォーラム』64 号(1994 年 1 月)、西原

正「アジア・太平洋地域と多国間安全保障協力の枠組み」『国際問題』415 号(1994 年)、

菊池努『APEC—アジア太平洋新秩序の模索』(日本国際問題研究所、1995 年)第 7 章、佐

藤孝一「ASEAN 地域フォーラム(ARF)—アジア太平洋における安全保障協力の試み」財

団法人日本学術協力財団編『冷戦後のアジアの安全保障』(日本学術協力財団、1996 年)、

Michael Leifer, ASEAN Regional Forum—Extending ASEAN's Model of Regional Security, ADELPHI Paper 302 (IISS, Oxford University Press, 1996), 拙著「ASEAN 地

域フォーラムの成立過程にみるアジア・太平洋地域の多国間関係」(総合政策学部卒業論文、

慶應大学湘南藤沢学会、1996 年)。 2 菊池努『APEC』260 頁。 3 Chairman's Statement, The First ASEAN Regional Forum, July 1994. Available in http://www.aseansec.org/politics/pol_arf1.htm. 4 The ASEAN Regional Forum: A Concept Paper, August 1995. Available in http://www.aseansec.org/politics/arf_ch2c.htm 5 The Chairman's Statement, The Second ASEAN Regional Forum, August 1995. Available in http://www.aseansec.org/politics/pol_arf2.htm. 6 The Chairman's Statement, The Fourth ASEAN Regional Forum, July 1997. Available in http://www.aseansec.org/politics/pol_arf4.htm 7 日本の多国間安全保障対話への対応経緯についての業績としては、佐藤行雄「1995 年の

節目に向かって--アジア太平洋地域の安全保障」『外交フォーラム』64号(1994 年 1 月)、

西原正「アジア・太平洋地域と多国間安全保障協力の枠組み」前掲論文、菊池『APEC』

前掲書、第7章、Yoshihide Soeya, "The Evolution of Japanese Thinking and Policies on

Cooperative Security in the 1980s and 1990s", Australian Journal of International Affairs, Vol.48, No.1 (May 1994). などを参照。 8 佐藤行夫「1995 年の節目に向かって」13 頁。 9 第 120 回国会中山外務大臣外交演説、1991 年 1 月 21 日。外務省『外交青書---わが外交

の近況』(1991 年版・第 35 号)379 頁~386 頁。 10 菊池努『APEC』263 頁~264 頁。佐藤行雄「1995 年の節目に向かって」前掲論文、14

頁。 11 佐藤行雄「1995 年の節目に向かって」14 頁。 12 以下の文章は、佐藤局長が 1991 年 6 月 5 日-7 日にマニラで開催されたフィリピン・タ

イ外務省主催の国際会議、及び 6 月 10 日-14 日にジャカルタで開催された第5回アジア・

太平洋ラウンドテーブルにて亭主された論文の抜粋・要旨である。論文名は、Yukio Sato,

"Asia-Pacific Process for Stability and Security". 13 『朝日新聞』1991 年 7 月 21 日(夕刊)。 14 「中山提案」が直ちに各国に受け入れられなかった理由としては、外務省の根回し不足

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が指摘されている。例えば、西原正「アジア・太平洋と多国間安全保障協力の枠組み」前

掲論文、65 頁。佐藤局長の認識によれば、同提案が「藪から棒であったかといえば、そう

ではない」という。その理由は、佐藤が ASEAN-PMC の開催された一ヶ月前に開催された

マニラでの国際会議において、すでに佐藤試案として ASEAN の政府担当者にペーパーと

して示していたからだという。しかし、佐藤孝一「ASEAN 地域フォーラム(ARF)--アジア

太平洋地域における安全保障の試み」日本学術協力財団編『冷戦後のアジアの安全保障』

(日本学術協力財団、1997 年)190 頁、における同氏のユスフ・ワナンディ(インドネシ

ア国際戦略問題研究センター)へのインタビューに依れば、「(同提案の時期は)時間があ

まりに短すぎたことと、なんで日本が(提案したのか)という気持ちが、我々にはあった」

(括弧内筆者)ということである。この認識の差は興味深い。この時点では、ASEAN

側では ASEAN-PMC を基盤とした安保対話について原則的に支持していたが、具体的な運

営方法等については、十分な協議を経た合意には達していなかったと理解することができ

よう。 15 ASEAN Head of Government Meeting, Singapore Declaration of 1992, Singapore, January 28, 1992. 16 外務省『外交青書--わが外交の近況』(1992 年度版・第 36 号) 404 頁~410 頁。 17 福田ドクトリンとの関連で冷戦後の地域安保対話と日本の対東南アジア外交を論じたも

のとしては、添谷芳秀「日本外交の中のベトナム」西原正・ジェームス・モーリー編著『台

頭するベトナム—日米はどう関わるか』(中央公論社、1996 年)231~257 頁。 18 外務省『外交青書—我が外交の近況』(1995 年度版・第 39 号) 179 頁。 19 同上、180 頁。 20 外務省安全保障政策課、「第4回 ASEAN 地域フォーラム(ARF)閣僚会合」(平

成 9 年 7 月 27 日)。 21 この経緯については、佐藤孝一「ASEAN をめぐる安全保障協力:ポスト冷戦期への対

応」『東京都立大法学会雑誌』第 35 巻 2 号(1994 年)、山影進『ASEAN—シンボルからシ

ステムへ』(東京大学出版会)[1991]を参照。 22 佐藤孝一、「ASEAN をめぐる安全保障協力」365 頁。 23 ASEAN-ISIS, A Time for Initiative, 1991. 24 玉木一徳「冷戦後を模索するASEAN:<功利主義>の限界」『国際政治』第 100 号

(1992 年 8 月)185 頁。 25 佐藤孝一「南シナ海をめぐる国際関係」『国際問題』(1993 年 10 月号)。 26 中国は、1974 年 1 月と 1988 年 3 月に南シナ海において、ベトナムと交戦している経緯

がある。 27 この五点に関して簡略的にまとめ、かつ詳細にわたり言及しているのは、佐藤孝一、前

掲論文;および佐藤孝一「中国の動向-中国脅威論の再検討」である。 28 佐藤孝一、前掲論文 363 頁。 29 佐藤孝一「ASEAN 地域フォーラム(ARF)—アジア太平洋地域における安全保障協力の試み—」176 頁。

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30 同上、同頁。 31 コンセプトペーパーのドラフティングはシンガポール外務省が行ったとされている。Michael Leifer, ASEAN Regional Forum p.39. 32 佐藤孝一「ASEAN 地域フォーラム」180 頁。 33 『読売新聞』朝刊(1997 年 7 月 28 日)。 34 米国のブッシュ政権、クリントン政権期における多国間安全保障協力に対する認識、及

び対 ASEAN 政策を取り扱った業績としては、添谷芳秀「米国のアジア太平洋政策におけ

る ASEAN--冷戦後安全保障への一視角」『国際政治』第 116 号(1997 年 10 月)114 頁~129

頁、Larry M. Wortzel, "The ASEAN Regional Forum: Asian Security without an

American Umbrella," Strategic Studies Institute (December 13, 1996), 佐藤孝一「ア

メリカ合衆国のアジア太平洋政策と ASEAN—会議外交をめぐる摩擦と共存--」『外交時報』

1323 号(1995 年 11・12 月合併号)57 頁~74 頁、Douglas Stuart and William T.Tow, A US

Strategy for Asia-Pacific, ADELPHI Paper 299 (Oxford: Oxford University Press, 1995)などを参照した。 35 U.S. Department of Defence, "A Strategic Framework for the Asian Pacific Rim: Looking Toward the 21st Century," (April 1990), p8. 36 U.S. Department of Defence, Ibid, p23. 37 U.S. Department of Defense, "A Strategic Framework," pp.22~25. 38 James A. Baker, III, "America in Asia: Emerging Architecture for the Asian Pacific Rim: Looking Toward the 21st Century," Foreign Affairs, Vol.70, No.5 (Winter 1991/1992). 39 Ibid., pp.5~6. 40 Robert G. Sutter, "East Asia: Disputed Islands and Offshore Claims-- Issuesn for U.S. Policy," CRS Report for Congress, Congressional Research Service, The Library of Congress, (July 28, 1992). この PMC でのベーカーの態度については、佐藤孝一「アメリ

カ合衆国のアジア太平洋政策と ASEAN」前掲論文、63 頁~64 頁を参照。 41 Robert B. Zoellick, "US Relations with Asia and the Pacific: A New Era, Address before the ASEAN Post-Ministerial Meeting, Manila, Phillipines,July 26, 1992," U.S. Department of State Dispatch, Vol.3, No.31, (August 3, 1992). 42 「ASEAN 拡大外相会議、米が重視の方針説明」『朝日新聞』1993 年 4 月 2 日(朝刊)。W・

ロードの発言については、Winston Lord, "A New Pacific Community-Ten Goals for

American Policy," Opening Statement at Confirmation Hearings for Ambassador Winston Lord, (March 31, 1993). 43 「多国間のアジア安保対話を進める」クリントン演説(韓国国会・7 月 10 日)『世界

週報』(1993 年 8 月 17 日-24 日)。 44 佐藤孝一「アメリカ合衆国のアジア太平洋政策と ASEAN」前掲論文、63 頁。 45 同上、63 頁。ベーカーの発言については、 Robert G. Sutter, "East Asia...". 46 Far Eastern Economic Review (August 11, 1994). 47 Warren Christpher, "America's Strategy for a Peaceful and Prosperous Asia-Pacific:

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Address to the National Press Club, Washington, D.C., July 28 1995," U.S. Department of State Dispatch, Vol.6, No.31 (July 31, 1995). 48 U.S. Department of Defense, "United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region," (February, 1995) p.13. 49 Warren Christpher, "Written Statement by Secretary of State Warren Christpher at

the ASEAN Regional Forum," Jakarta, Indonesia (July 23, 1996). 50 Madeleine K. Albright, "U.S. will continue to meet its responsibilities to ASEAN: Statement to the ASEAN Regional Forum, Kuala Lumpur, Malaysia, July 27, 1997," as Released by the Office of the Spokesman in Kualalumpur, Malaysia, Department of State. 51 中国の多国間安全保障協力についての研究業績としては、高木誠一郎「中国とアジア・

太平洋の多国間安全保障協力」『国際問題』No.442 (1997 年 1 月) 53 頁~67 頁、田中恭子

「ASEAN 諸国と中国--建設的エンゲージメントへ」『国際問題』No.418 (1995 年 1 月)

17 頁~29 頁、国分良成「中国にとってのアジア・太平洋協力」岡部達美編『ポスト冷戦の

アジア太平洋』(日本国際問題研究所、1995 年)101 頁~131 頁、Banning Garrett and

Bonnie Glaser, "Multilateral Security in the Asia-Pacific Region and its impact on Chinese Interests: Views from Beijing," Contemporary Southeast Asia, Vol.16, No.1 (June 1994), pp.14~34, 等がある。 52 石井明「世界史の中の中国」、姫田光義他『中国20世紀史』(東京大学出版会、

1993 年) 302 頁。 53 「中国、新秩序作り提唱:ASEAN と中国新局面へ」『朝日新聞』1991 年 7 月 22 日(朝

刊)。 54 「中国、ASEAN との連携を強化」『北京週報』(1992 年 1 月 21 日)。 55 Michael Antolik, "The ASEAN Regional Forum: The Spirit of Constructive Engagement," Contemporary Southeast Asia, Vol.16, No.2, (September 1994) pp.121-129. 56 佐藤孝一、「対東南アジア関係」『中国総覧』(1994 年) 204 頁。 57 『読売新聞』1993 年 6 月 1 日(朝刊)。 58 1993 年6 月 24 日、シンガポール外国記者協会における銭基深外相の演説。"China Ready

to Take Part in Asian Security Dialogues", Beijing Review, (July 24, 1993). 59 同様の見解は、高木誠一郎「中国にとってのアジア・太平洋多国間安全保障協力」前掲

論文、国分良成「中国にとってのアジア・太平洋協力」前掲論文、Banning N. Garrett and

Bonnie Glaser, "Multilateral Security in the Asia-Pacific Region and its impact on Chinese Interests," など。 60 高木誠一郎「安全保障-「中国脅威論」『中国総覧』(霞山会、1994 年)142 頁。 61 黄範章「東亜地区経済的形成及各局兼論中国在該地区経済戦略」『世界経済』1993 年第

8 期;引用元は、浅野亮「中国の安全保障とアジア太平洋地域」『外交時報』No.1309(1994

年 6 月) 62 Far Eastern EcoSnomic Review (August 11, 1994).

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63 『人民日報』1996 年 7 月 24 日。 64 Chairman's Statement, The Fourth ASEAN Regional Forum(ARF), ANNEX C. 65 「北京で ASEAN 地域フォーラム作業部会」『東亜』(1997 年 4 月号)61 頁~64 頁。 66 外務省関係者からの、1997 年 8 月 25 日の筆者のヒアリングによる。 67 『読売新聞』朝刊(1997 年 7 月 28 日)。

第 3 章 1 Desmond Ball, "Arms and Affluence: Military Acquisitions In the Asia-Pacific Region" International Security, Vol. 18, No.3 (Winter 1993/94), p.86. 2 U.S. Department of State, "U.S.-South Korea Relations, Fact sheet released by the Bureau of East Asian and Pacific Affairs, February 10, 1997," Available in http://www.state.gov/www/regions/eap/fs_us_so_korea_relations.html. 3 U.S. Department of Defense, U.S. Security Strategy for the East Asia-Pacific Region (Washington, D.C.: USGPO, February 1995). 4 Taiwan Relations Act, Public Law 96-8 96th U.S. Congress, Available in http://www.iijnet.or.jp/sekai/gv/data/TAIWAN.html. 5 同様の主旨は、Michael Leifer, ASEAN Regional Forum p.57, および Courtney Purrington, "The Future of Japan-U.S. Security Relations: The Challenge of Adversity to Alliance Durability" in Jonathan D. Pollack and Hyun-Dong Kim eds., East Asia's Potential for Instability and Crisis (RAND, 1993) pp.211-212. 6 Concept Paper 7 Chairman's Statement, The Third ASEAN Regional Forum Meeting. 8 Chairman's Statement, The Fourth ASEAN Regional Forum Meeting. 9 CSCAP 日本委員会委員に対する筆者のインタビューに基づく。 10 この二つの条件の案出にあたっては、James Macintosh, "Confidence Building in the Arms Control Process: A Transformation View," p.36.を参照。 11 山本吉宣はそのような形態を「柔らかいレジーム」と表現している。山本吉宣「協調的安全保障の可能性」11~12 頁。 12 奉賀帳外交(tote-board diplomacy)について、Mark A. Levy, "European Acid Rain: The

Power of Tote-Board Diplomacy" In P.M. Haas, R. O. Keohane and M. L. Levy, eds., Institutions for Earth, Cambridge: MIT Press, 1993, Chapter 3. また、山本吉宣「協調

的安全保障の可能性」12-15 頁を参照。尚、以下の奉賀帳外交を説明した箇所は山本論文を

参照している。 13 山本吉宣、同上、14 頁。 14 例えば、第 3 回 ARF に際し、中国が南沙諸島問題を議題として触れることを了解し、当

年度の政府間会合の信頼醸成部会に共同議長として立候補したことは、第 1 節で述べたよ

うな中国の戦略的意図によるもの、との解釈が可能である一方、他の参加国との関係上ピ

アープレッシャーが有効に働いたという解釈にも十分考察の余地があるだろう。 15 このような分析としては、Oran Young, International Governance: Protecting the Environment in a Stateless Society (London, Cornell University Press, 1994) Chapter 4. pp.81-116. 16 「暗黙の制度化」(Tacit Institutionalization)という概念は筆者の出席したアジア太平洋

の安全保障をテーマとした会議で外務省関係者の用いた概念である。以下のアイディアも

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彼の議論に負う部分を参考に発展させたものである。 17 Karl W. Deutsch, Political Community at the International Level: Problems of Definition and Measurement, (Garden City, N.Y.: Double day, 1954). 18 山影進 「非軍事的安全保障の国際関係理論的基礎---国際交流をめぐる問題からの接近」

『国際関係理論の新展開』(東京大学出版会、1994 年)。 19 Karl W. Deutsch The Analysis of International Relations (3rd ed.), (Englewood Cliffs, N.J.: Prentice Hall, 1988)