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アジア太平洋地域における 地域経済統合と日本の戦略 〜「アジア太平洋」・「東アジア」の二つの潮流と、「架け橋」としての日本〜 みずほ総研論集 2012年Ⅱ号 要  旨  1.日本、米国、中国を含むアジア諸国等を包摂するアジア太平洋地域では近年、自由貿易協定( F T A)締 結を軸とした地域経済統合の動きが進んできた。現在その動きは、アジア太平洋全域にわたる動き(「ア ジア太平洋・トラック」)と、日中両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国などの東アジア地域にお ける動き(「東アジア・トラック」)という二つの潮流に大きく分かれている。 2.アジア太平洋・トラックの動きと東アジア・トラックの動きは、この約20年の間、「振り子」が振れるよ うに交互に現れてきた。980年代末からの約0年間は、アジア太平洋経済協力(APEC)を中心とするア ジア太平洋・トラックの動きが進展する一方、東アジア・トラックの動きは、米国の反対や域内諸国の支 持を得られず、進展をみなかった。 3.90年代末以降は一転して、アジア太平洋・トラックの動きが停滞し、東アジア・トラックの動きが加速し た。アジア通貨危機を契機に「東アジア」の地域経済統合の気運が高まる中で、域内諸国は F T A 締結の 積極化という形でその気運を具体化した。しかし、2000年代末に ASEAN を中核(ハブ)とする FTA 網 が構築され、「東アジア」全域にわたる広域 FTA の実現へと関心が移ると、日中両国をはじめとする域 内諸国の思惑の相違などにより、その動きは鈍化した。 4.200年以降、両トラックが交互に活性化するというこれまでのパターンに変化がみられる。現在は、アジ ア太平洋・トラックと東アジア・トラックがともに活発化した状況となっている。アジア太平洋・トラッ クは、「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)」構想や、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉開始により、 2000年代後半よりその動きが活発化していた。一方で、東アジア・トラックの動きもこれらの動きに刺激 され、日中韓 FTA や ASEAN が主導する地域包括的経済連携(RCEP)構想が進展をみせ始めるなど、 現在再活性化している。今後両トラックは、相互に刺激し合い、競合しながら、その歩みを進めていくも のと思われる。 5.その中で日本は、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックの「架け橋」となることで、双方の進展 を促すとともに、自らの国益を追求していくことが望まれる。ここでいう「架け橋」とは、分断された二 者をつなぐという意味ではなく、両トラックにしっかりと足場を築き、両トラックの収斂を主導するとい うものである。そのためには、すでに参加している日中韓 F T A や R C E P の動きに加え、T P P 交渉にも 早期に参加する必要がある。日本は、これらの「架け橋」となることで、アジア太平洋地域における日本 にとって望ましい地域的枠組みの構築を目指すべきである。 政策調査部 上席主任研究員 菅原 淳一 E-Mail:[email protected] アジア太平洋地域における 地域経済統合と日本の戦略 〜「アジア太平洋」・「東アジア」の二つの潮流と、「架け橋」としての日本〜

アジア太平洋地域における 地域経済統合と日本の戦略...アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略 諸国の思惑が激しくぶつかり合っている。最近では、TPP交渉の進展という「アジア太平洋」

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略〜「アジア太平洋」・「東アジア」の二つの潮流と、「架け橋」としての日本〜

みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

要  旨 

1.日本、米国、中国を含むアジア諸国等を包摂するアジア太平洋地域では近年、自由貿易協定(FTA)締結を軸とした地域経済統合の動きが進んできた。現在その動きは、アジア太平洋全域にわたる動き(「アジア太平洋・トラック」)と、日中両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国などの東アジア地域における動き(「東アジア・トラック」)という二つの潮流に大きく分かれている。

2.アジア太平洋・トラックの動きと東アジア・トラックの動きは、この約20年の間、「振り子」が振れるように交互に現れてきた。�980年代末からの約�0年間は、アジア太平洋経済協力(APEC)を中心とするアジア太平洋・トラックの動きが進展する一方、東アジア・トラックの動きは、米国の反対や域内諸国の支持を得られず、進展をみなかった。

3.90年代末以降は一転して、アジア太平洋・トラックの動きが停滞し、東アジア・トラックの動きが加速した。アジア通貨危機を契機に「東アジア」の地域経済統合の気運が高まる中で、域内諸国は FTA 締結の積極化という形でその気運を具体化した。しかし、2000年代末に ASEAN を中核(ハブ)とする FTA 網が構築され、「東アジア」全域にわたる広域 FTA の実現へと関心が移ると、日中両国をはじめとする域内諸国の思惑の相違などにより、その動きは鈍化した。

4.20�0年以降、両トラックが交互に活性化するというこれまでのパターンに変化がみられる。現在は、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックがともに活発化した状況となっている。アジア太平洋・トラックは、「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)」構想や、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉開始により、2000年代後半よりその動きが活発化していた。一方で、東アジア・トラックの動きもこれらの動きに刺激され、日中韓 FTA や ASEAN が主導する地域包括的経済連携(RCEP)構想が進展をみせ始めるなど、現在再活性化している。今後両トラックは、相互に刺激し合い、競合しながら、その歩みを進めていくものと思われる。

5.その中で日本は、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックの「架け橋」となることで、双方の進展を促すとともに、自らの国益を追求していくことが望まれる。ここでいう「架け橋」とは、分断された二者をつなぐという意味ではなく、両トラックにしっかりと足場を築き、両トラックの収斂を主導するというものである。そのためには、すでに参加している日中韓 FTA や RCEP の動きに加え、TPP 交渉にも早期に参加する必要がある。日本は、これらの「架け橋」となることで、アジア太平洋地域における日本にとって望ましい地域的枠組みの構築を目指すべきである。

政策調査部 上席主任研究員 菅原 淳一*

*E-Mail:[email protected]

アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略〜「アジア太平洋」・「東アジア」の二つの潮流と、「架け橋」としての日本〜

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

《目 次》

1.はじめに…………………………………………………………………………………… 3

2.アジア太平洋地域における地域経済統合の二つの潮流……………………………… 4

⑴ アジア太平洋・トラック……………………………………………………………………………… 4

⑵ 東アジア・トラック…………………………………………………………………………………… 6

3.「アジア太平洋」と「東アジア」の相互作用… ……………………………………… 8

⑴ 東アジア・トラックの先行と停滞…………………………………………………………………… 8

⑵ アジア太平洋・トラックの加速…………………………………………………………………… 11

⑶ TPP交渉の進展と東アジア・トラックの再活性化… …………………………………………… 13

4.FTAAPの構築と日本の戦略… …………………………………………………………15

⑴ 二つの潮流の競合と相互刺激……………………………………………………………………… 15

⑵ 二つの潮流の「架け橋」としての日本…………………………………………………………… 17

みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

1.はじめに

「わが国外交が現在当面する重要課題として、アジア諸国との善隣友好、経済外交、対米関係調整の三問題が挙げられる。」これは、�957年に発行された『外交青書』(『わが外交の近況』)第�号の一節である。それぞれの意味するところは当時と現在では異なるが、「アジア」、「経済」、「対米関係」が重要課題であることは、日本外交において戦後一貫して変わっていないことを再認識させられる。

20�2年の日本が直面している環太平洋経済連携協定(TPP:Trans−Pacific Partnership Agreement)交渉への参加問題は、まさにこの三つの課題が交錯する問題である。日本の経済外交の重要な柱のひとつとなっている経済連携協定(EPA:Economic Partnership Agreement)の締結・地域経済統合への参画において、アジア諸国と、また米国とどのような関係を構築するのか。TPP 参加問題は、農業をはじめとする国内改革のあり方などとともに、経済外交の進路について日本国民に選択を迫るものである。

特にこの問題が顕在化しているのが、日本、中国を含むアジア諸国、米国がともに含まれるアジア太

平洋地域の地域経済統合のあり方を巡ってである。白石(20��)は、「昨年、20�0年は、東アジア・アジア太平洋の地域統合の歴史において、大きな節目の年と記憶されることになるだろう。�989年にアジア太平洋経済協力会議(APEC)が創られ、アジア太平洋を枠とする地域協力の時代がはじまった。その後、アジア経済危機をきっかけに、97年、東南アジア諸国連合(ASEAN)に日中韓を加えた『ASEANプラス�』首脳会議がはじめて開催され、アジア太平洋に代えて、東アジアを枠とする地域協力の時代がはじまった。しかし、昨年、振り子の揺り戻しがおこり、またアジア太平洋を枠とする地域協力が主流となりつつある。」と指摘した。アジア太平洋地域の9カ国が参加する TPP 交渉の進展は、まさにこの「振り子の揺り戻し」が具現化したものである。

この指摘が端的に示しているように、この約20年の間、日本を含む東アジア諸国は、域内諸国の地域協力・地域経済統合を優先する「東アジア・トラック」と、米国を含むアジア太平洋全域における地域協力・地域経済統合を目指す「アジア太平洋・トラック」の間を揺れ動いてきた(図表1)。そして現在、この「振り子」の今後の動きを巡り、アジア太平洋

環太平洋経済連携協定(TPP)交渉

図表 1:アジア太平洋自由貿易圏を目指す二つの潮流

(資料)みずほ総合研究所作成

アジア太平洋・トラック

東アジア・トラック アジア太平洋自由貿易圏

(FTAAP)

1989年アジア太平洋経済協力(APEC)発足

2006年APECでアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想検討開始

2008年米国の環太平洋戦略的経済連携協定(P4)への参加表明

1990年マハティール馬首相による東アジア経済グループ(EAEG)構想

・ASEAN+3 による東アジア自由貿易圏(EAFTA)構想・ASEAN+6 による東アジア包括的経済連携(CEPEA)構想→ASEAN主導の地域包括的経済連携(RCEP)構想

アジア

通貨危機

アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

諸国の思惑が激しくぶつかり合っている。最近では、TPP 交渉の進展という「アジア太平洋」

寄りへの「揺り戻し」を受け、振り子を「東アジア」寄りへと引き戻そうとする動きが活発化している。この動きは、「東アジア・トラック」と「アジア太平洋・トラック」が相互に刺激し合い、ともに進展を速める作用をもたらすのか、あるいは、両トラックの競合によって域内諸国の分裂をもたらすのか、論者によって見方は分かれている。

そこで本稿では、この約20年間の「東アジア・トラック」と「アジア太平洋・トラック」の動きを、貿易自由化と自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)締結の試みを中心に先行業績を頼りに概観し、今後の動きを展望したい。また、その中で、日本がどのような戦略をとるべきかにつき、試論(私論)を述べてみたい。

2.アジア太平洋地域における地域経済統合の二つの潮流

⑴ アジア太平洋・トラック

「そもそもアジア太平洋地域とは、アジア、北米、南米、オセアニアという全く異なる地域が集まって形成しているものであり、アジア太平洋地域という概念がもともとあったわけではない」(通商産業省

(�997))。日本を含むこれらの地理的区分上は異なる地域をひとつの「地域」とみなし、地域協力や政策協調を推進しようとする動きは20世紀前半にはすでに存在した(大庭(20�0a))。この動きは、第2次世界大戦を挟んで様々なバリエーションをみせるが、今日の「アジア太平洋」地域における地域協力・地域経済統合の動きの起点は、89年に発足した「アジア太平洋経済協力(APEC:Asia Pacif ic Eco-nomic Cooperation)」と考えられる(図表2)�)。

豪州とともに、日本が主導する形で設立に至ったAPEC であるが、日本が APEC 設立を目指した背景には、その時代の国際情勢や日本が置かれた状況から生じたいくつもの要因があった2)。その中でも、多くの論者が強調し、また今日においても重要な意義を持っているのは、日本が自らが属する「アジア」と米国を結びつける「アジア太平洋」という地域概念を重視し、その具体化として APEC という枠組みを活用することを企図していた点である。冷戦構造の変容とそれに伴う政策決定者等の認識の変化、米国のパワーの相対的低下、中国を含むアジア諸国の経済発展と域内における経済的相互依存の進展という状況において、それまで米国が担っていた経済

�) この見方には異論もあろう。例えば、通商産業省(�997)は、「アジア太平洋地域という概念が最初に打ち出されたのは、�967年の太平洋経済委員会(PBEC)という産業団体の設立の時であろう。」と説明している。APEC 設立がそれまでの動きと連続性のあるものであるかどうかについては意見が分かれている(山澤(200�)、大庭(200�)、大矢根(20�2a)など)。ここでは連続性の妥当性判断には踏み込まないが、「アジア太平洋」概念の意味内容にそれまでの動きとの差異があること、APEC が PBEC(Pacific Basin Economic Council)等と異なり政府間枠組みであることなどから、ここでは今日に連なる動きの起点を APEC 設立とした。

2) 例えば、船橋(�995)は、日本を含む APEC 参加諸国・地域の動機として、① GATT(General Agreement on Tariffs and Trade:関税貿易一般協定)・ウルグアイ・ラウンドの合意促進、②米国と欧州並びにアジアでのブロック化抑制、③日米経済摩擦の緩和によるアジア太平洋地域の安定、④台頭する中国への対応、⑤米国の同地域への安全保障・経済両面でのコミットの継続確保、⑥APEC 参加による政治的メリットの追求、があったと指摘している(pp.�56−�57)。

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みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

的役割を日本を含むアジア諸国が分担し、「東アジアへの関心を失おうとするアメリカを引き止めることで地域の経済的な安定を求める」(山本(20�0))ことが、APEC 設立の目的のひとつであった(通商産業省(�997)、大矢根(20�2a))。

APEC は発足後、9�年には中国の参加、92年には事務局の設置、9�年にはその後定例化する非公式首脳会議の開催など、地域的枠組みとしての歩みを進め、9�年には域内の「自由で開かれた貿易及び投資」を先進国は20�0年、発展途上国・地域は2020年までに実現するという「ボゴール宣言」の合意に至った。翌95年には日本が議長国となり、ボゴール宣言の目標を実現するための「大阪行動指針」を策定した。

しかし、この後、域内の貿易投資自由化の進め方を巡って域内諸国の意見が対立すると、APEC における貿易投資自由化の動きは頓挫した。ボゴール宣言及び大阪行動指針を受け、域内の貿易投資自由

化を具体的に進める段階となると、米国や豪州、ニュージーランドなどの域内の自由化積極派諸国は、域内貿易自由化の方策として、「早期自主的分野別自由化(EVSL:Early Voluntary Sectoral Lib-eralization)」を推進した。EVSL は、域内の「貿易、投資及び経済成長に建設的な影響をもたらすであろう分野を特定し」、「早期の自主的な自由化」(�996年 APEC フィリピン会合「APEC 経済首脳宣言」)を図るというものであった。97年には、EVSL の対象となるいわゆる「優先9分野」が合意されたが、翌98年に米国は、この「優先9分野」について一括して自由化することを求めた。この米国の要求に最も強く反発したのは日本であった。日本としては、どの分野を自由化するかは各国の判断に任されているとの認識であり、林産物・水産物を含む「優先9分野」の一括自由化に同意することはできなかった。結局、この日米対立を契機に、98年には EVSL 協議は事実上決裂に至った�)。

�) 『外交青書』第�2号(平成��年版)には、「早期自主的分野別自由化(EVSL)については、積極的に域内の自由化を推進していくべきであるとする立場と、APEC での自由化はあくまで『共同体精神』に基づく自主的な作業の積み重ねを基礎とすべきとする日本の立場が対立したが、最終的には、APEC においては自主性の原則に基づき実施すること」になったと記されている。

図表2:アジア太平洋地域の広域 FTA構想

(注)斜体は日本とのEPA締結国。(資料)みずほ総合研究所作成

APEC(FTAAP)

TPP

ASEAN+3(EAFTA)

ASEAN

ASEAN+6(CEPEA)オーストラリア、ニュージーランド インド

チリ、ペルー、米国

ブルネイ、シンガポール、マレーシア、ベトナム

カンボジア、ラオス、ミャンマー

メキシコ、ロシア、台湾パプアニューギニア、カナダ、香港、

インドネシア、フィリピン、タイ

日本、中国、韓国 RCEP

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

EVSL 協議における米国等の自由化積極派諸国の主張は、日本や多くのアジア諸国からみれば、「自主性」や「非拘束性」といった APEC の原則を逸脱するものであった(大矢根(20�2b)、岡本(200�))。他方、米国等の自由化積極派諸国からすれば、EVSL はこの APEC の「限界」を超えようとするものであったが、その試みは失敗に終わった�)。これ以後、APEC における貿易投資自由化の議論は停滞期に入った。

一方、EVSL の挫折は、それを推進していたAPEC 域内の自由化積極派諸国による新たな動きを生み出した。98年末には、APEC 全体での貿易自由化の行方を悲観した豪州、チリ、ニュージーランド、シンガポール、米国が、5カ国による FTAの可能性について非公式な議論を始めていた。国内事情や戦略の相違から5)、この構想は頓挫するが、2002年にはチリ、ニュージーランド、シンガポールによる FTA 交渉が開始された。2005年にはこれにブルネイが加わり、翌2006年には�カ国による環太平洋戦略的経済連携協定(Trans−Pacific Strategic Economic Partnership Agreement、通称 P�:Pa-cific �)が発効した(スコレー(20�0))。この P�が、後に TPP 交渉の基盤となる。

⑵ 東アジア・トラック

「北東アジアと東南アジアを融合させた『東アジア』という地域概念が、戦後初めて正式に外交政策

として打ち出されたのは、�990年�2月にマレーシアのマハティール首相によって発表された東アジア経済グループ(EAEG)構想であった」(寺田(20��))とされる。EAEG(East Asian Economic Group)構想は、先進諸国間の対立で GATT ウルグアイ・ラウンド交渉が進展しない一方、欧州や北米では地域統合が進む状況下で、東南アジア諸国連合

(ASEAN:Association of Southeast Asian Na-t i ons)諸国や日中韓などの東アジア諸国・地域による貿易ブロック形成を目指すものであった。この構想は、インドネシアなど ASEAN 諸国からの反対を受け、翌9�年には、東アジア諸国の対話・協力の場としての「東アジア経済協議体(EAEC:East Asia Economic Caucus)」構想へとその性格と名称を変えた(Munakata(2006)、寺田(20��))。

この時期に「東アジア」がひとつの地域として認識されたことは、活発な貿易投資による域内の経済的相互依存の進展という実態の反映としても、また、地域統合が進展する北米・欧州との対比においても、当然と言えるかもしれない6)。しかし、そのグループ化の構想が、域外国を排除する「貿易ブロック」として打ち出されたことは、域内外の反発を生んだ。特に、EAEG 構想から排除された米国は、同構想がアジア太平洋を分断するものであるとして強く反発した。同構想において中核的な役割を担うことを期待された日本も、米国からの強い働きかけもあり、同構想に消極的な態度に終始した7)。結局、EAEG

�) Munakata(2006)は、EVSL における米国の試みは、「APEC における貿易自由化の様式を、ピア・プレッシャーを伴う自主性から、相互主義に基づく交渉へと変えよう」とするものであったと評している(p.87)。また、米国主導の自由化積極派諸国と、アジアの漸進的自由化諸国の根本的差異を APEC は埋めることができなかったことが、「ひとつの地域であるとの意識」がアジア太平洋地域全体で共有されるに至らなかった理由として指摘している(p.9�)。

5) 米国がこの構想に前向きでなかった理由として、スコレー(20�0)は当時のクリントン政権が貿易促進権限(TPA:Trade Promo-tion Authority)を与えられていなかったことを挙げている。これに対し、Munakata(2006)は、当事者へのインタビューによりこれを否定し、政権として多国間交渉等をより重視したこと、構想に日韓両国等が含まれていなかったことを挙げている。

6) 山澤(�992)は、「マハティール提案がアジア太平洋地域の現実を踏まえていたことは否定できない。」として、アジア諸国の経済成長と「米国の高飛車の貿易交渉態度」への反感を考えれば、「その動機は理解できる。」としている(p.�8)。

7) 例えば、92年2月2�日の第�2�回国会衆議院予算委員会において、渡辺美智雄副総理・外相(当時)は、「EAEC に対してアメリカが不快感を持ったのは事実でございますので、我が国といたしましては、やはりアジアだけ固まるということはあってはならない。開かれたものでなければならぬ。既に APEC、環太平洋でそれはあるわけでございますから、そこからアメリカやカナダなどを抜いたものだけを日本が今それにかかわるということは適当でないということで、ともかくとりあえず APEC があるんだからそこの中で一緒にやろうじゃないか、排他的のことには賛成できませんというのが我々の態度でございます。」と答弁している。

7

みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

構想及びそれに続く EAEC 構想は、域内諸国もこれを強く推進することはなく、具体的成果をみずに頓挫した。

この「東アジア」の構想が、次に浮上したのは97年夏に発生したアジア通貨危機を契機としてであった。「東アジア」の枠組みにおける対話・協力の動きは、アジア通貨危機以前にも存在した8)。開催は通貨危機発生後の97年�2月となったが、ASEAN 諸国と日中韓�カ国による首脳会議の開催が決まったのは通貨危機発生前であった(Munakata(2006)、大庭(200�))。しかし、「東アジア」がひとつの地域として再認識され、地域協力の必要性が強く意識されたのは、通貨危機とそこからの回復過程においてであった9)。

通貨危機発生後ほどなく、危機への対応策として日本はアジア通貨基金(AMF:Asian Monetary Fund)構想を提案した。日中韓�カ国や ASEAN 諸国などによる「アジア版 IMF(International Mone-tary Fund:国際通貨基金)」創設を目指すというこの構想は、同構想から排除された米国の強い反対と、日本が主導する構想に警戒心を抱いた中国の支持が得られなかったことにより、実現には至らなかった(大庭(200�)、寺田(20��))。しかし、通貨危機に際し、米国が期待された支援を行わなかったこと、IMF が示した処方箋がアジア諸国に政治的・経済的混乱を引き起こしたことなどから、「東アジア」の問題は域内諸国の協力によって解決すべきとの認識は一層強まった。これが、危機からの回復過程、また危機後の「東アジア」における地域経済統合気運の高まりへとつながっていった(菊池

(2005)、みずほ総合研究所(20�0))。

その気運の具体化のひとつが、ASEAN+�(日中韓)という枠組みの確立であった。97年�2月に開催された「ASEAN+日中韓」首脳会議は、翌98年�2月開催時に定例化され、99年��月に開催された第�回会合以降は「ASEAN+�」首脳会議と称されるようになった。通貨危機からの回復のための域内協力という形で始まったこの枠組みに、米国も反対することはなかった�0)。

以上、EAEG、AMF の両構想が実現に至らなかったことが示しているように、90年代の「東アジア」の地域協力の試み、いわば東アジア地域主義は、そこから排除された米国の強い反対を主因として、具体的成果には結びつかなかった。域内諸国にも、アジア太平洋の枠組み(APEC)や東南アジアの枠組み(ASEAN)が進展をみせるなかで、「東アジア」という枠組みの構築を進めようとの意識が共有されてはいなかった。東アジア地域主義に対するこうした米国や域内諸国の姿勢を変化させる大きな契機となったのが、アジア通貨危機であった。同時期に、APEC における EVSL 協議が失敗に終わったことと相まって、これ以後、地域統合の「振り子」は「アジア太平洋」から「東アジア」へと大きく振れることになった。

8) Munakata(2006)及び大庭(200�)はともに、アジア欧州首脳会合(ASEM:Asia − Europe Meeting)の意義に注目している。両者によれば、96年�月に第�回会合が開催された ASEM では、欧州の対話相手として「東アジア」が認識される機会となった。ASEM に参加するアジア側諸国(日中韓�カ国及び ASEAN 諸国)が参集した ASEM 準備会合は、「事実上の EAEC 首脳会合」と報じられたという。

9) 外務省は、ASEAN+�首脳会議が開催された背景には、「97年夏に始まったアジア通貨・経済危機を契機に、日本を含む東アジア諸国が地域協力の必要性を強く認識したことがあった。」と説明している(外務省「ASEAN+�(日中韓)の協力について」2002年�2月9日)。

�0) Munakata(2006)は、通貨危機後、米国の関心がアジア市場から中国の WTO 加盟交渉へと移行したと指摘している(p.�05)。

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

3.「アジア太平洋」と「東アジア」の相互作用

⑴ 東アジア・トラックの先行と停滞

新 た な 世 紀 の 始 ま り を 前 に、 東 ア ジ ア 地 域(ASEAN +日中韓)は FTA の時代に突入した。99年�2月の WTO(World Trade Organisation:世界貿易機関)シアトル閣僚会議が新ラウンド立ち上げに失敗し、APEC における貿易投資自由化の動きが EVSL 協議失敗後停滞している状況下で、東アジア諸国は、欧米において地域経済統合推進のための政策手段として活用されている FTA を自らも取り入れた��)。

それまで東アジア地域には、域内貿易自由化に向けて動き出していたASEAN自由貿易地域(AFTA:ASEAN Free Trade Area)を除き、FTA は存在せず、FTA の「空白地帯」と呼ばれていた。それが90年代末以降、それまで FTA を政策手段としていなかった日中韓が揃って政策を転換し、FTA 締結に積極的に乗り出したため、東アジア地域は最もFTA 締結が活発な地域へと変貌した(みずほ総合研究所(20�0)、菅原(2005))。

日中韓�カ国がそれぞれに FTA 戦略を進めていったことにより、2000年代末には東アジア域内でASEAN を中核(ハブ)とする FTA 網が構築された。しかし、それ以後は日中韓の足並みが揃わなかったことが、域内の広域 FTA 構築の動きを鈍らせることになった。

FTA 締結を東アジア地域における地域経済統合の手段として最も明確に位置づけていたのは日本であった。2002年�月に小泉純一郎首相(当時)は、

「ASEAN 諸国訪問における政策演説」を行った。

この演説で同首相は、「日・ASEAN 包括的経済連携構想」を提案するとともに、「ASEAN+�(日中韓)の枠組みを最大限活用」して「『共に歩み共に進むコミュニティ』の構築を目指すべき」と訴えている�2)。

また、同年�0月に外務省が策定した「日本のFTA 戦略」は、「政治・外交的には相互依存関係が深まっていながら、欧州、米州に比べ地域的なシステムの整備が遅れている東アジアにおいて、日本が主導する形で、地域の経済システムの構築整備を図ることが、日本及び東アジア地域の安定的発展にとり重要であることは論を待たない。また、経済的にみても、東アジアの優先度が高いことは自明と言える。」として、「日中韓+ ASEAN が中核となる東アジアにおける経済連携」を「最も戦略的に優先度の高い目標」に掲げていた。2000年代の日本は、この戦略に沿って、ASEAN 諸国との二国間 FTA 締結を推進し、2008年�2月には日・ASEAN 包括的経済連携協定を発効させるに至った。

中国も、通貨危機後に東アジア地域主義を意識した取り組みを展開した。中国は ASEAN+�の枠組みを東アジア地域における地域協力の基本的枠組みに据え、その中核として ASEAN との協力を進めた(毛利(20�0)、トラン・松本(2007))。200�年�2月に WTO 加盟を果たした中国は、2002年��月には ASEAN との間で FTA の前段階となる

「ASEAN・中国包括的経済協力枠組み協定」を締結し、200�年��月には同協定に基づき FTA を締結した。これは、ASEAN・中国双方にとって初めての FTA である。同 FTA は、中国にとっては、台頭する中国に対する脅威論を払拭するための手段として、また、ASEAN にとっては、発展著しい中国

��) Munakata(2006)は、アジア通貨危機が、FTA と、東アジア諸国のみのフォーラム形成という、東アジア地域における二つのタブーを払拭するのを促進したと分析している(pp.�02−�05)。

�2) 同演説では、「日本、ASEAN、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの諸国が、このようなコミュニティの中心的メンバーとなっていくことを期待」するとも述べている。また、この「コミュニティ」は排他的なものとなってはならず、「この地域における安全保障への貢献やこの地域との経済相互依存関係の大きさに鑑みれば、米国の役割は、必要不可欠」としている。

9

みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

の成長を自らの成長に結びつけるための手段として、重要な意味を持った(みずほ総合研究所(20�0)、菅原(2005))。

中国の急速な成長への対応を周辺国が迫られたことと、中国脅威論払拭等を企図して中国が東アジア地域協力を積極化したことは、東アジア地域における地域経済統合の動きの大きな原動力となった。FTA 締結の積極的推進という政策は、東アジア各国が、中国との競争でいかに生き残るか、中国の経済成長をいかに自らの成長に結びつけるかという、中国との「競争と協調」の問題への回答のひとつとして打ち出したものであり、「平和的台頭」を成し遂げたい中国の思惑と一致した(Sugawara(20�0))。

他方、韓国は独自の FTA 戦略を展開した。韓国は、金大中大統領(当時)が、「東アジア・ビジョン・グループ(EAVG:East Asia Vision Group)」��)や「東アジア・スタディ・グループ(EASG:East Asia Study Group)」��)の設置を提案するなど、東アジア地域における地域協力の深化にイニシアティブを発揮する一方、輸出市場確保の手段として、FTA 締結を東アジア地域に限定せず、全方位的に進める姿勢を示した�5)。

続く盧武鉉大統領(当時)の下で、こうした韓国の FTA 戦略は明確化される。200�年9月に策定された「FTA ロードマップ」では、「同時多発的」なFTA 推進が掲げられ、世界の各大陸で橋頭堡となる国との FTA を締結し、それをてこに巨大経済圏との FTA を推進するとの戦略が示された(奥田

(20�0))。韓国は、チリ、シンガポール、EFTA(European Free Trade Association:欧州自由貿易連合)と FTA 締結を進め、現在では ASEAN、

EU(European Union:欧州連合)、米国との FTAも発効させている。

韓国は近年、日本などの競争相手国よりも先に巨大市場との FTA を締結し、当該市場で自国の優位を築く「市場先占」を狙うとともに、韓国が FTAのハブとなることを目指し、世界各国との FTA 締結を積極的に進めている。韓国は、日中両国同様、ASEAN との FTA は締結したものの、その FTA戦略は東アジア地域主義を意識したものとはなっていない。

こうした FTA 戦略における韓国の独自路線に加え、日本と中国の思惑の違いが、東アジアの地域経済統合の動きを遅々としたものにした。その日中両国の思惑の相違が最も明確に現れたのは、「東アジア・サミット(EAS:East Asia Summit)」の性格を巡ってであった。

EAS 構想は、200�年に EAVG が ASEAN+�首脳に対し、ASEAN+�首脳会議を EAS へと発展させることを提案したことに始まる(EAVG(200�))。しかし、EAS の参加国や性格については、日中両国をはじめとする域内諸国の意見が異なっていた。参加国を巡っては、「日本、シンガポール、インドネシアなどは、対米配慮や中国の影響力拡大への懸念から、EAS 参加国の拡大を提唱し、中国、マレーシアなどは、ASEAN+�と同じ��カ国で開催することを主張した」(国立国会図書館(2006))�6)。最終的には前者の意見で合意され、EAS は ASEAN+�諸国に豪州、ニュージーランド、インドを加えた�6カ国(ASEAN+6)によって開催されることになった。

その性格、特に、東アジア地域の経済統合におけ

��) 98年�2月の ASEAN+�首脳会議において金大中韓国大統領が提案し、設置された民間有識者のグループ。幅広い分野での将来的な東アジアの協力の可能性とそのための方策について協議を行い、経済、金融、政治・安全保障、環境・エネルギー、社会、文化、教育等の幅広い分野において提言を行った(外務省『外交青書』平成��年版)。

��) ASEAN+�の協力の深化及び拡大のための現実的方策を探ることを目的として、2000年の ASEAN+�首脳会議の場で金大中大統領が提案し、設置された政府関係者を中心としたグループ(前注に同じ)。

�5) 深川(2009)は、韓国の FTA(相手国)候補選択の条件から、「地理的近接性」は無視されたとしている(p.227)。 �6) 日本は、EAS への米国のオブザーバー参加も提案した(日本経済新聞、2005年5月26日)。

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

る位置づけを巡っても、域内諸国の意見は割れた。結局、ともに 2005 年�2 月に開催された第 9 回ASEAN+�首脳会議及び第�回 EAS において、長期的な目標としての東アジア共同体形成に向けて、ASEAN+�首脳会議が「主要な手段」、EAS が「重要な役割を果たし得る」ものと位置づけられた(菅原(2006a))。

この東アジア地域主義における ASEAN+�とASEAN+6という二つの流れは、その後並行して進められていった。特に FTA に関しては、両者のいずれかが突出しないよう配慮されていたとみられている(大矢根(20�2a))。ASEAN+�の枠組みによる FTA(「東アジア自由貿易地域(EAFTA:East Asia Free Trade Area)」)構想は、2000年��月の第�回 ASEAN+�首脳会議ですでに検討すること が 合 意 さ れ て い た。 そ の 後、200�年��月 のASEAN+�首脳会議において、中国の提案により共同専門家研究会が設置され、2009年8月に最終報告書が提出された。他方、ASEAN+6の枠組みによる FTA(「東アジア包括的経済連携(CEPEA:Comprehensive Economic Partnership in East Asia)」)構想は、2006年�月に日本が提唱し、2007年�月の第2回 EAS において民間研究の開始が合意された。その最終報告書は、EAFTA 構想と同じく、2009年8月に提出された。そして、ともに2009年�0月に開催された ASEAN+�首脳会議及び EAS において、両構想を政府間の議論へと移行することが合意された(経済産業省「東アジア経済統合の取組」)。

このように、両構想に関する議論は、競合しつつ

並行して進められてきた。そしてこの後も、政府間レベルでの議論がさらに続くことになった。両構想が交渉開始に向けて議論を加速できない大きな要因は、日中韓�カ国が両構想の推進において連携できていないことにあると考えられる。両構想が並行して議論されてきたのも、EAFTA 構想を志向する中国と、CEPEA 構想を推進したい日本が、互いにいずれかの構想が先行することを望まなかったためとみられている�7)。

そして、最大の問題は、EAFTA 構想にしろ、CEPEA 構想にしろ、日中韓�カ国の参加が不可欠であるにもかかわらず、その�カ国間では FTA を締結できる状況に至っていないということである。特に、韓国が日本との FTA 締結に消極的な姿勢を示していることが障害となっている。二国間レベルでは、日韓 EPA 交渉が200�年�2月に開始されたが、200�年��月を最後に中断している。現在、再開に向けた協議が続けられているが、交渉再開の見通しは立っていない。日中韓�カ国の枠組みにおいても、日中韓 FTA につき、韓国は慎重な態度で臨んでいる。日中韓 FTA は、200�年に民間共同研究が開始され、これまでに報告書や提言も作成されているが、2000年代末の時点では交渉開始には至っていなかった�8)。

日中韓�カ国の足並みが乱れる中、東アジア地域では、日中韓�カ国それぞれに続き、豪州・ニュージーランド、インドも ASEAN と FTA を締結した。よって、ASEAN+�及び ASEAN+6域内では、20�0年には ASEAN をハブとする FTA 網が一応の完成をみた。しかし、これを EAFTA や CEPEA へと発

�7) スターリングス・片田(20�0)は、「日本と中国の大国間対抗関係は東アジアでの一体的な地域貿易取り決めの出現を阻んでいる。」と評価している(pp.299−�0�)。

�8) 日中韓 FTA については、20�2年5月の日中韓サミットで年内交渉開始で合意されたが、これは同サミットで速やかな交渉開始で合意することを目指した日本に対し、韓国がこれに抵抗したことによる妥協策とされる(日本経済新聞、20�2年5月�0日)。この合意に先立ち、同月には中韓 FTA 交渉も開始されている。韓国の市場先占・FTA ハブを目指す戦略から考えると、韓国は日中韓交渉が開始されたとしても、中韓交渉を優先するとみられる。韓国の李明博大統領は、日中韓 FTA につき、「先に中韓 FTA が妥結すれば、おそらく日本がその枠に入ってくるので�カ国が一緒に交渉するより早いだろう」と述べ、中韓 FTA 交渉を優先する考えを示している(日本経済新聞、20�2年5月27日)。

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みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

展させる動きは鈍かった�9)。2000年代に嵐のように吹き荒れた東アジア地域における FTA 旋風は、同年代末には広域 FTA 構想を前に足踏みを続けていた。

⑵ アジア太平洋・トラックの加速

EVSL の失敗以後、200�年末に WTO の下でドーハ・ラウンド交渉の開始が合意されたこともあり、APEC における貿易投資自由化の動きは停滞した。この後、アジア太平洋・トラックにおける貿易投資自由化の動きが活発化するのは2006年以降のことであった。その引き金を引いたのは米国である。

米国は、G.W. ブッシュ政権が2002年8月に貿易促進権限(TPA)を得ると、「競争的自由化(competi-tive liberalization, competition in liberalization)」戦略に基づき、FTA 締結を進めた20)。アジア太平洋地域において米国は、安全保障上の要請も加味しながら、チリ、豪州、韓国と FTA 締結を進めていった。また、ASEAN に対しては、2002年�0月のAPEC 首脳会議において ASEAN 諸国との経済連携構想(Enterprise for ASEAN Initiative:EAI)を発表し、シンガポール、タイ、マレーシアとFTA 交渉を進めた2�)。

しかし、2000年代半ばに EAS の開催、EAFTA・CEPEA 両構想の検討など、東アジア地域で米国抜きの地域経済統合の動きが進むと、米国はアジア太平洋・トラックの動きを積極化することにより、東アジア・トラックの動きに対抗する姿勢をみせ始めた。その現在につながる動きの起点となったのは、

2006年��月の第��回 APEC 首脳会議における「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP:Free Trade Area of the Asia−Pacific)」構想への積極的支持の表明であった22)。

APEC における FTAAP 構想についての議論は、200�年に APEC ビジネス諮問委員会(ABAC:APEC Business Advisory Council)が APEC に対してその検討を求めたことに遡る。WTO ドーハ・ラウンド交渉が停滞し、APEC でのボゴール目標の達成が危ぶまれる一方、東アジア諸国の FTA 締結の活発化によって APEC 域内で FTA が錯綜する状況が生まれつつあったことは、APEC 域内の産業界に強い危機感をもたらした。産業界はFTAAP 実現による、ボゴール目標の達成と、錯綜する FTA の一本化によるいわゆる「スパゲティ・ボウル」2�)の解消を求めた。

ABAC の 提 言 を 受 け た APEC 首 脳 は 当 初、FTAAP 構 想 に 対 し て 慎 重 な 姿 勢 を 示 し た。FTAAP は FTA である以上、相互主義的に自由化を約束し、その約束は法的拘束力を持ち、参加国のみがその恩恵を受けられる。これは、自主性、非拘束性、「開かれた地域主義」2�)を掲げる APEC の基本的性質を大きく変質させることになる。また、2�の多様な国・地域で構成される APEC がひとつのFTA でまとまるには、相当な時間が必要であることは容易に想像できる。APEC 首脳の FTAAP 構想に対する慎重姿勢は、自由化への取り組みに後ろ向きということではなく、その時点での現実的な判断ということができるだろう。APEC では、ABAC

�9) 日本は EAFTA 構想よりも CEPEA 構想を推し進めているにもかかわらず、その構成国である豪州やニュージーランドとの EPA締結は実現できていない。豪州との二国間 EPA 交渉は、2007年�月に開始されたが、いまだに交渉は難航している。ニュージーランドとも、先方の日本との EPA 交渉開始の求めに対し、日本は後ろ向きな姿勢を取り続けてきた。

20) 「競争的自由化」は、グローバル、地域、二国間の各レベルで自由化交渉を進め、自由化に向けた動きの競争状態を作りだし、自由化の進展を図るという戦略で、ゼーリック通商代表(当時)が掲げた(Zoellick(2002))。

2�) ただし、シンガポールとの交渉開始は EAI 構想発表前の2000年�2月であった。また、タイ、マレーシアとの交渉はその後中止となっている。うち、マレーシアは現在、米国も一員である TPP 交渉に参加している。

22) FTAAP 構想の経緯と米国が支持に至る背景については、菅原(2006b)による。 2�) 原産地規則などのルールが異なる FTA が数多く締結されることにより、FTA の適用を受けるためのコストが増大するなどの悪影

響をもたらすことが懸念される状況を指す。 2�) 域内で実現した貿易投資の自由化の成果を域外に対しても適用することなどを指す。菅原(2005)参照。

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

の要請にもかかわらず、200�年、2005年と FTAAP構想の検討は行われなかった。

ところが米国は、2006年には FTAAP 構想への積極的支持を打ち出した。その結果、同年の APEC首脳会議は、「長期的展望」としての FTAAP を含めた地域経済統合促進のための方法につき検討を行うことで合意した(第��回 APEC 首脳会議ハノイ宣言)。

米国が FTAAP 構想支持へと政策を転換した要因はいくつか考えられるが、東アジア諸国は、米国を排除する形での東アジアの地域経済統合を放置しないという米国の意志の現れであると受け止めた

(みずほ総合研究所(20�0))。EAEG、AMF 両構想の際は、構想そのものを阻止すべく動いた米国であるが、EAFTA や CEPEA の構想に関しては、自らも含まれるより大きな地域構想を進めるとの対抗策をとったと考えられる。

さらに米国は、FTAAP 実現に向けた方策として、P�への参加を表明した。ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの�カ国によって2006年5月に発効した P�は、金融サービス・投資の両分野については発効後2年以内に交渉を開始することが協定に明記されており、2008年�月から同交渉を開始する予定となっていた。この交渉開始を前に、米国は同交渉への参加を表明した。そして、同年9月にはP�全体への参加を明らかにした25)。P�参加に当たって米国が強調したのは、①米国にとってアジア太平洋地域との経済的結びつきの強化が不可欠であり、P�は今後拡大が見込まれること、② P�は高水準の自由化を内容とし、これを基盤としたアジア太平洋地域の地域経済統合を支持する同志国(like−minded countries)で形成されていること、の2点である(USTR(2008a)、USTR(2008b))。この P�

の拡大交渉が、現在行われている TPP 交渉になっている。TPP 交渉は、P�の拡大という形をとりながらも、米国主導の下、新たな協定を一から作り上げているのが実情である。

米国の政権移行を経て、20�0年�月から始まったTPP 交渉は、米国が強調した2点に関して言えば、今のところ米国の思惑通りになっているようにみえる。交渉参加国については、米国の参加表明直後に、豪州、ペルー、ベトナム26)が参加を表明し、その後マレーシアが参加した。現在9カ国で交渉が行われているが、今年�2月交渉からはカナダとメキシコの参加も決まっている。さらに、日本をはじめ、交渉参加を検討している国が他にもある。交渉内容についても、高い水準の自由化と高度な国内規制に関する規律が議論されている(菅原(20�2b))。

このように、2000年代後半にアジア太平洋・トラックの動きが一気に加速した。東アジア・トラックの動きが2000年代末に停滞し、EAFTA や CEPEA がいまだ構想段階であるのに対し、APEC 参加国・地域の半数が参加する TPP はすでに交渉が行われている。ここで注目すべきは、このアジア太平洋・トラックの動きの加速が、東アジア・トラックの動きの進展によってもたらされたことである。

すでにみたように、EVSL 失敗後停滞したアジア太平洋・トラックの動きは、東アジア・トラックの動きの急速な進展への対応策として打ち出されたFTAAP 構想、それを実現するための方策としてのTPP 交渉によって加速した。この加速を主導したのは米国である。

東アジア・トラックの動きにアジア太平洋・トラックの進展によって対抗するという米国の戦略は、過去にもみられた。EAEG 構想の際に米国は、構想の実現を阻止すると同時に、APEC での成果を積

25) P�には、「APEC 諸国及び他の諸国」の新規参加を認める条項がある(第20.6条)。これは、一般の FTA にはない、P�の特徴である。第2節第1項で述べた P�締結の経緯からみても、P�が APEC 域内での拡大を当初から想定していたことがわかる(菅原(2005))。

26) ベトナムは当初オブザーバー参加であり、正式参加したのは20�0年�2月である。

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みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

み上げるという対抗策をとった27)。この米国の戦略が、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックの間に相互作用を生み出す大きな要因となった。

⑶ TPP交渉の進展と東アジア・トラックの再活

性化

これまでみたように、80年代末以降、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックは、相互作用を及ぼしながら進んできた。ただし、2000年代末までは、東アジア・トラックの進展がアジア太平洋・トラックの加速につながるという方向での作用がより強く表れていた。また、90年代末からの東アジア・トラックの進展は、アジア太平洋・トラックの停滞がその要因のひとつとしてある。つまり、アジア太平洋・トラックの進展が東アジア・トラックの進展を促すという作用は、これまではみられなかった。こうした両トラックの作用のあり方は、2000年代末以降大きく変容したようにみえる。20�0年以降は、アジア太平洋・トラックの進展が、東アジア・トラックの動きを触発するという作用が生じている。この作用が生じた大きな要因は、日本の政策転換、つまり、TPP 交渉への参加検討の意思表明だと考えられる。

20�0年�0月�日、菅直人首相(当時)は所信表明演説において、「環太平洋パートナーシップ協定(筆者注:TPP)交渉等への参加を検討し、アジア太平洋自由貿易圏の構築」を目指すことを明らかにした

(首相官邸「第�76回国会における菅内閣総理大臣所信表明演説」)。日豪 EPA 交渉が難航し、日米FTA への国内の反対が強い日本が、TPP 交渉に参加する可能性は当面ないとみられていただけに、この TPP 交渉への参加検討の表明は、国内外に大きな衝撃を与えた28)。

この翌月に開催された、菅首相が議長を務めた APEC 首脳会議では、「FTAAP は、中でもASEAN+�、ASEAN+6及び環太平洋パートナーシップ(TPP)協定といった、現在進行している地域的な取り組みを基礎として更に発展させることにより、包括的な自由貿易協定として追求されるべきである」ことが首脳宣言に明記された(外務省「第�8回 APEC 首脳会議『横浜ビジョン〜ボゴール、そしてボゴールを超えて』首脳宣言(仮訳)」)。これにより、FTAAP 実現への道筋として TPP とEAFTA、CEPEA が並び立つことになった。

この時点で、TPP はすでに�回の交渉会合を終えていた。一方、EAFTA・CEPEA 両構想は、交渉段階の TPP に比べ、緩やかに歩みを進めているという状況であった。EAFTA・CEPEA は、20�0年から政府間での議論に移行し、両者を並行して検討することになった。具体的には、「ASEAN+作業部会」という形で合同の作業部会が原産地規則、関税品目表、税関手続き、経済協力の四つの分野につき設置されて議論が進められた。経済協力を除く三つの分野は、FTA を活用する上で重要な分野であるが、技術的・実務的な検討が必要な分野でもある。これらの分野の議論を先行させることで、域内各国の意見の相違の顕在化を回避したものと考えられる。

この状況の打破に動いたのは、中国であった。20��年8月、日中両国は「東アジア自由貿易地域

(EAFTA)及び東アジア包括的経済連携(CEPEA)構築を加速化させるためのイニシアティブ」を共同で提案した。同提案は、中国から日本に持ちかけられたものといわれている(日刊工業新聞、20��年8月�2日)。経済産業省(20��)によれば、この提案の背景には、「昨年から貿易円滑化に関する作業部

27) 90年代前半に APEC が成果を上げられたのは、「米国が EAEC に対抗上 APEC へのコミットメントを強めた結果」であると指摘されている(山澤(�992))。

28) 日本国内への影響等については、菅原(20�2a)。国外への影響については、例えば、馬田(20�2)は、「日本の TPP 参加表明がアジア太平洋の力学を変えようとしている。」と評している。

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

会(税関手続き、関税品目表、原産地規則、経済協力)で検討を始めたが、交渉に向けた流れは停滞気味」との認識があり、「交渉開始に向けて更に検討を加速させるため」に日中共同で提案を行った。同文書は、「+�、+6の違いを越えて日中が共同で提案を行うのは初めてのこと」と自ら評価している。

同提案は、「物品、サービス、投資の新たな作業部会」の設置を求めている。前年に設置された四つの作業部会が「貿易円滑化に関する作業部会」であるのに対し、貿易投資の自由化に関する作業部会という FTA の中心的議題に関する作業の加速を日中両国が共同で提案した意義は大きい。同提案による三つの作業部会は、同年��月の ASEAN+�首脳会議及び EAS で設置につき合意された。

また、中国は、日中韓 FTA の交渉開始にも前向きな姿勢を示し、20�2年5月の日中韓サミットでは、韓国が慎重な姿勢をみせる中、議長国・中国の下、年内交渉開始で合意した(日本経済新聞、20�2年5月��日)29)。

こうした東アジア地域における FTA 構想に対する中国の取り組みの積極化の背景には、「環太平洋経済連携協定(TPP)など米国が主導しようとする経済連携の枠組みに対抗」(日本経済新聞、20�2年5月�0日)する意図があるとみられている(Zhang

(20��))�0)。東アジア・トラックの進展を望む日本にとり、中国の取り組みの積極化は渡りに船であった。

これらの日中両国の動きを受ける形で、ASEAN

も東アジア地域の広域 FTA 構想に対して積極的な動きをみせている。東アジア地域における地域経済統合において、ASEAN は ASEAN の中心性と一体性を確保することに力を尽くしてきた。中心性とは、ASEAN が東アジア地域経済統合を主導するということであり、ASEAN が「運転席」に座ると表現される。しかし、日中両国の最近の動きは、両国が主導権を握ることにつながり、ASEAN の中心性を脅かしかねないものである��)。

また、TPP 交渉の進展に関しては、インドネシアなどから ASEAN の一体性が脅かされることを懸念する声が上がっている。ASEAN は現在、20�5年の ASEAN 経済共同体構築に向けて域内統合を進めている。他方、TPP 交渉には、ASEAN�0カ国のうち�カ国が参加しており、ASEAN が TPP 参加国と非参加国に分断される事態が生じかねない。

TPP 交渉の進展及びそれに触発された日中両国の動きという、東アジア地域経済統合におけるASEAN の中心性と一体性を脅かしかねない動きに対し、ASEAN は「地域包括的経済連携(RCEP:Regional Comprehensive Economic Partnership)」構想を打ち出した�2)。RCEP は、「ASEAN+�とASEAN+6が統合されていく流れを受けて、(中略)国の数を限定せず、全ての国に開かれた」(篠田

(20�2))広域 FTA 構想である(ASEAN Secretar-iat, “ASEAN Framework for Regional Comprehen-sive Economic Partnership”)。RCEP 構想は、ASEAN+�(EAFTA)と ASEAN+6(CEPEA)と

29) 注�8参照。 �0) Zhang(20��)は、中国の現在の TPP に対するアプローチは「様子見」であるとしつつ、中国は日中韓 FTA などをより積極的に推

進するとの見通しを示している。また、「ASEAN・中国 FTA に加え、日中韓 FTA が締結されれば、米国が TPP を支配しても、中国を経済的に孤立させることは困難になるだろう」とも述べている。ただし、TPP が東アジア経済協力における遠心力として働く可能性も指摘している。

��) この点には日中両国も配慮しており、日中共同提案が検討された20��年8月の ASEAN+�経済大臣会合及び ASEAN+6(EAS)経済大臣会合は、ともにその声明において、「閣僚は、拡大する地域経済統合の過程においてアセアンの中心性が重要であることを繰り返し強調した。」と明記している(経済産業省「第��回アセアン・プラス�会合」及び「東アジアサミット参加国の経済大臣非公式協議」)。

�2) 助川(20�2)は、「RCEP は、20��年にアジア太平洋での外部環境の変化が起ころうとしている中、『ASEAN の中心性』維持のために半ば強引に打ち出したものという見方」や、「(RCEP は)米国を中心とする TPP に対抗するものになるだろう」とのインドネシア当局担当者の見解を紹介している。

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みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

いう枠組みや、そこに反映された日中両国をはじめとする域内諸国の思惑の相違を乗り越え、東アジア地域で広域 FTA 構想を推し進めていくというものである。これは、日中共同提案と軌を一にすると同時に、ASEAN の中心性と一体性を確保する方策であった。20�2年�月の ASEAN 首脳会議において、年内の RCEP 交渉開始を目指すことが合意され

(ASEAN Secretariat, “Chairman’s Statement of the 20th ASEAN Summit”)、これを受けた翌月の日中韓サミットでは、交渉開始に向けて議論を加速することに協力していくことで一致をみた(外務省

「第5回日中韓サミット(概要)」)。このような TPP 交渉の進展によって生じた東ア

ジア地域経済統合の動きの加速につき、寺田(20�2)は、「東アジア統合の推進力は域内からは生まれず、米国が中心となっている環太平洋経済連携(TPP)協定の交渉進展といった外圧がその進展に重要」

(p.��)であると結論づけている。確かに、2000年代末以降の東アジア・トラックの緩慢な動きをみると、その原因は域内各国の思惑の相違、日本の農業問題に代表される域内各国の国内事情にあり、それを乗り越えるだけの力が域内で内発的に生じることは、少なくとも短期的には望めなかったと思われる��)。それを「外圧」と呼ぶかどうかは別にして、この時期に東アジア・トラックの動きが進展した最大の要因は、TPP 交渉の進展というアジア太平洋・トラックにおける動きであったということは間違いないだろう��)。

4.FTAAPの構築と日本の戦略

⑴ 二つの潮流の競合と相互刺激

冒頭で紹介した白石(20��)が指摘しているように、80年代末以降のアジア太平洋・トラックの動きと東アジア・トラックの動きは、一方が大きく進展する中で、他方は停滞するという、まさに「振り子」のような状況にあった。しかし、現在は、両トラックが相互に刺激し合い、ともに活発化しているという、これまでにみられなかった状況となっている。このまま両トラックが進展していけば、20�0年のAPEC 首脳宣言で掲げられたように、FTAAP の実現に結びつくのであろうか。

アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックがともに進展してそれぞれ広域 FTA に合意し、それがさらに参加国を拡大していった場合、そこからFTAAP を構築するには、一方が他方に吸収されるか、両トラックの参加国がそれぞれの協定を基盤としつつ、新たな協定として FTAAP を作り上げるかのいずれかしかない。いずれの場合であっても、問題となるのは、両トラックにおける貿易投資の自由化水準や国内規制などを規律するルールの相違である。Petri and Plummer(20�2)は、これを「ひな型の競争(contest of templates)」と呼んでいる。FTAAP のひな型となる自由化水準やルールを巡る両トラックの競争が、今後本格化することになる。

各トラックにおいても、共通のひな型ができあがっているわけではない。東アジア・トラックにおいて日本が目指している内容と、中国にとって望ましい内容は異なっている。TPP 交渉が難航しているのも、米国型のひな型が他の交渉参加国にとって受け入れ難いものとなっているためである。アジア

��) 例えば、Dent(20�0)は、日本主導の CEPEA と中国主導の EAFTA の競合等の理由から、これらの構想の交渉が始まることは当面(many years)ないだろう(quite possible)との見通しを示していた(p.2�8)。同様の見方として、注�7参照。

��) 清水(20��)は、この時期に東アジアの経済統合の動きが活発化した要因として、2008年からの世界金融危機を挙げている。世界金融危機後の経済環境の変化が米国の TPP 参加につながり、米国経済の変調と TPP の進展が東アジアの経済統合の実現を強く迫ったとしている(pp.5−7)。また、石川(20��)は、「TPP により、EAFTA、CEPEA、日中韓 FTA も動きが活発化している。」としつつ、東アジアにとどまらないアジア太平洋地域における「TPP 効果」の大きさを指摘している(p.�7)。

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

太平洋地域にいくつか存在する FTA のひな型の中で、その内容が最も乖離している組み合わせは、米国型と ASEAN・中国型になるだろう。FTA の構成要素(分野・章)ごとに違いはあるが、概して、米国型が厳しく、参加のためのハードルが高い内容、ASEAN・中国型が緩やかで、より参加しやすい内容であると言ってよいだろう�5)。

米国がアジア太平洋・トラックを推進する上で、「ひな型の競争」を強く意識していることは、P�への参加を決断した理由からも明白である(第3節第2項参照)。オバマ政権が TPP 交渉参加を議会に通知した際にも、TPP は「アジア太平洋地域における経済統合の潜在的なプラットフォームを形成する」とし、「高水準の、2�世紀型の協定」とすることを明記している(カーク通商代表発下院議長並びに上院仮議長宛書簡、2009年�2月��日)。

米国が TPP において合意を得ようとしているひな型は、「プラチナ・スタンダード」と呼ばれている(ソリース(20�2)、Bergsten and Schott(20�0))。米国はこれまでの FTA において、WTO 協定の内容を上回る「ゴールド・スタンダード」の実現を目指して交渉していたが、TPP においてはこれをさらに上回る「高水準の、2�世紀型の協定」とすることを目指している。「プラチナ・スタンダード」には、国内規制の整合性(Regulatory Coherence)や競争分野における国有企業(SOE:State−owned Enterprise)に関する規律といった新しい要素が含まれている。また、知的財産権、環境、労働といった「ゴールド・スタンダード」に含まれていた要素でも、より高水準の内容となっている。

その野心的な内容には、TPP 交渉において豪州やニュージーランドからも異論が生じている。近い

将来に、これを中国や ASEAN 諸国が全面的に受け入れるとは考えにくい。米国にとっては、低い水準の内容では FTA を締結する意味がなく、国内の支持も得られない。しかし、水準が高すぎれば、合意までに時間を要し、参加国の拡大も限定的となる。米国にとって妥協点を探る作業は難しいものとなるだろう。

しかしこれは、ASEAN・中国型が優位であることを必ずしも意味しない。東アジア地域ではすでにASEAN をハブとする FTA 網が構築されており、これを広域化するためにはその誘因が必要である。ASEAN・中国型を内容とする FTA への「参加しやすさ」は、参加によるデメリットが小さいことだけでなく、メリットが小さいことにもつながる。一定水準の内容、つまり、ASEAN・中国型にプラスαがなければ、日本などにとって参加する誘因は大きく低下する。ただし、この「プラスα」の内容を巡っては、域内で合意を得るのに時間を要するだろう�6)。

FTAAP のひな型は、米国型「プラチナ・スタンダード」と ASEAN・中国型のせめぎ合いの中で、両者の間で形成される可能性が高いと考えられる。そして、その形成には、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックの相互刺激による進展が不可欠である。

東アジア・トラックの進展という「圧力」が生じれば、妥協点を探る米国の作業を促進する要因となるだろう。また、TPP 交渉の進展というアジア太平洋・トラックからの刺激により、東アジア諸国が

「ASEAN・中国型プラスα」で合意するインセンティブが高まるだろう。

�5) Petri and Plummer(20�2)は、米国型と ASEAN 型(本稿で言う ASEAN・中国型とほぼ同内容と思われる)を2�分野について比較している。この分析によれば、「関税」、「非関税障壁」など�6分野で米国型の方が ASEAN 型よりも高水準であり、ASEAN 型が米国型よりも高水準であったのは、「植物衛生検疫」や「協力」など5分野である。

�6) 例えば、5年間の交渉を経て20�2年5月に締結された日中韓投資協定では、投資自由化部分につき合意できなかったため、それを除く内容で合意され、当該部分は日中韓 FTA 交渉へと先送りされている(菅原(20�2c))。

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⑵ 二つの潮流の「架け橋」としての日本

アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックとい う 二 つ の 潮 流 が 相 互 刺 激 に よ っ て 進 展 し、FTAAP の「ひな型」を巡って競っていく。その中で、日本がとるべき戦略はいかなるものとなるだろうか。

二つの異なるグループが存在するとき、日本は両者の「架け橋」となるというのが、日本外交における伝統的な修辞としてある。冷戦期には東西の、日本が先進国となった後は南北の「架け橋」であり、20�0年6月に菅政権の下で閣議決定された「新成長戦略」では、「アジア経済戦略」として「『架け橋国家』として成長する国・日本」を掲げている。これらの戦略の成否をここで論ずることはできないが、現在の日本は、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックの二つの潮流の「架け橋」となる絶好の位置を占めていると言えるのではないだろうか。

ただし、ここで言う「架け橋」とは、従来用いられていたものとは意味が異なる。例えば、吉野(20�2)は、「現在のようにアジアと米国の関係が密接になり、特に米国が ASEAN と直接的に交渉し、さらには米国と ASEAN が FTAAP のような広範な経済圏に参加する場合、もはや日本が懸け橋の役割を演じることは不要」(p.��)と述べている。また、船橋(�995)は、「橋渡し役」としての日本の役割に一定の評価を与えながらも、「こうした日本のやり方は、えてして『足して二で割る』機会主義と受け止められる」(p.�80)として、「橋渡し役」を越えるべきだと主張している。

分断された二つのグループの間を取り次ぐという意味での「架け橋」は、現在のアジア太平洋地域ではもはや必要ないであろう。また、アジア太平洋・

トラックと東アジア・トラックのそれぞれのひな型を「足して二で割る」だけでは、域内各国の信頼を得ることはできないだろう。山澤(20�2)は、両トラックのひな型を FTAAP へ収斂するのは容易ではなく、収斂する方向へ導く努力において、日本が

「音頭取りを表明すべき」(p.�88)だと提案している。まさに日本は、両トラックに足場を築き、ひな型の収斂を主導すべきである。それが両トラックの「架け橋」になるという意味である�7)。

それは、アジア太平洋地域における地域経済統合の実現への日本の貢献というだけでなく、米中二大国時代を迎えたアジア太平洋地域において、日本が国益を追求するための方策である。具体的には、両トラックにおける交渉や議論に参加して米国型「プラチナ・スタンダード」に含まれる過度に野心的な内容の水準の緩和や ASEAN・中国型への「プラスα」導入による水準の底上げを図ること、両トラックに参加する他の諸国と協力して分野別に「ひな型」を策定すること、APEC で進んでいる FTA 関連作業等を通じて両トラックの「相互学習」を促進すること、などが考えられる。「架け橋」の役割を果たすために、日本がまずす

べきことは、早期の TPP 交渉への参加である。日本は、アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックの双方に参加することで、両トラックの相互刺激による双方の進展を促進し、両トラックのひな型の収斂に向けて主導権を発揮することが可能となる。同時に、一方の交渉の進展を他方の交渉におけるてことすることにより、日本の交渉力を強化することが可能となる。

中国の参加が当面想定されない中、日本が TPP交渉に参加しなければ、TPP が FTAAP に向かっ

�7) 言い換えるならば、ASEAN が「運転席に座る」(ドライバー)という表現に習えば、日本は「助手席に座る」(ナビゲーター)ということである。東アジア・トラックでは、RCEP 構想にみられるように、ASEAN が今後もドライバーで、これを推進する中国がエンジンということになるだろう。アジア太平洋・トラックでは、米国がドライバーとエンジンの双方の役割を果たしている。日本は、双方の助手席に座るナビゲーターとして、FTAAP という目的地まで両トラックが安全に進めるよう道を示す役割を果たすということである。

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

て 参 加 国 を 拡 大 す る 速 度 は 速 く な い と み て、ASEAN 諸国等の域内各国は TPP 交渉への早期参加を見送り、その行方を様子見することになるだろう。TPP の参加国の拡大が見込めなくなれば、アジア太平洋・トラックから東アジア・トラックへの刺激が薄れ、日中韓 FTA や RCEP の動きも停滞しか ね な い。 東 ア ジ ア・ ト ラ ッ ク に お い て、ASEAN・中国型のひな型に「プラスα」を求める日本の努力も、アジア太平洋・トラックの進展なしには、実を結ぶのは困難となるだろう。翻って、アジア太平洋・トラックからの刺激による東アジア・トラックの進展は、東アジア・トラックに加わっていない米国等に対する日本の立場を強化し、TPP交渉における発言力を高めることにつながるだろう。

日本の TPP 交渉不参加により、両トラックが停滞するのであれば、日本には今後の戦略を練る時間的余裕がまだあると考える向きがあるかもしれない。しかし、筆者にはそうは思われない。現在、アジア太平洋地域は、米国の相対的なパワーの低下、日 本 経 済 の 長 期 に わ た る 低 迷、 中 国 の 台 頭、ASEAN の地域統合など、大きな変化の過渡期にある。そして、その変化のただ中で、新たな秩序やルールが模索されている。アジア太平洋・トラックと東アジア・トラックの「ひな型の競争」もその一側面である。その競争において、日本が「架け橋」となって国益を追求するためには、それだけのパワーが日本になければならない。日本が立ち止まっている間、

たとえ現在のパワーを維持できたとしても、中国やアジア諸国が成長を続ければ、日本のパワーは相対的に低下する。日本の将来を悲観した米共和党大統領候補、ロムニー氏の発言(読売新聞、20�2年8月��日)や、「国際社会における日本の影響力は以前のようではない」という李明博韓国大統領の発言(聯合ニュース、20�2年8月��日)は記憶に新しい。

菊池(20��)は、日本にとって厳しい状況が現出する前に、「日本経済の活力を取り戻す努力とともに、日本の力がまだ残っている時期に、日本にとって望ましい地域制度をアジアに構築する努力を推進すべきである」と述べている�8)。20�2年7月��日に閣議決定された「日本再生戦略」は、「日本が世界の中で突出する経済力を誇り、アジアで唯一の先進国という地位が保障された時代はとうの昔に終わっている。」と明記した。日本は、「世界第2位の経済大国」という過去の栄光を拭い去り、米中二大国時代を迎えたアジア太平洋地域において、日本にとって望ましい地域的枠組みを構築するための方策を考えなければならない。FTAAP 等の FTA はその枠組みにおける経済面での柱のひとつである。

そして、その方策を実行するためにも、「日本経済の活力を取り戻す努力」を同時に行うことが不可欠である。政治的に安定し、経済的に魅力ある国であり続けることが、日本の外交戦略の基盤となる。国内改革努力なしには、日本にとって望ましい地域的枠組みの構築は不可能であることを忘れてはならない。

�8) なお、菊池(20��)は、「アジア太平洋のリージョナル・アーキテクチャーが明確な姿を現すのは相当先の話であり、予見しうる将来、それらは多様な地域制度からなる重層的なものになるということである。」と指摘し、「アジアの平和や経済発展を支えるリージョナル・アーキテクチャーの在り方を検討する際には、制度が収斂することを想定した単一の地域制度の在り方を検討することよりも、多様な制度を組み合わせて、組み合わされた地域制度の『束』が、全体として経済交流を促進し、政治軍事的な行動を相互牽制し、各国の自制的な行動を促し、対立を緩和させる方法を考えることであろう。」と述べている。

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みずほ総研論集 2012年Ⅱ号

参考資料:アジア太平洋地域における地域経済統合の動き

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APEC大阪行動指針 1995

1997 アジア通貨危機

AMF構想

第1回ASEAN+3首脳会議

EVSL事実上決裂 1998

2001 中国WTO加盟

2002 小泉首相、アジア政策演説

ASEAN・中国枠組み協定締結

ABAC、FTAAP構想提唱 2004 ASEAN・中国FTA締結

中国提案により、EAFTA研究会設置

2005 第1回EAS

P4発効 2006 日本、CEPEA構想提唱

APEC、FTAAP構想支持

米、P4への参加表明 2008 日・ASEAN包括的経済連携協定発効

2009 EAFTA及びCEPEA最終報告

TPP交渉開始 2010 ASEANをハブとしたFTA網完成

APEC横浜ビジョン 菅首相、TPP交渉への参加検討表明

2011 日中共同提案

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アジア太平洋地域における地域経済統合と日本の戦略

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