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卒業論文 タイにおけるジェンダー・女性問題 -タイ、北部(チェンマイ)- 国際学部国際学科4年 20327084 川﨑 美保 目次 序章 はじめに 1-2 1

タイ、北部(チェンマイ) 国際学部国際学科4年...卒業論文 タイにおけるジェンダー・女性問題-タイ、北部(チェンマイ)- 国際学部国際学科4年

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Page 1: タイ、北部(チェンマイ) 国際学部国際学科4年...卒業論文 タイにおけるジェンダー・女性問題-タイ、北部(チェンマイ)- 国際学部国際学科4年

卒業論文

タイにおけるジェンダー・女性問題 -タイ、北部(チェンマイ)-

国際学部国際学科4年 20327084

川﨑 美保

目次

序章 はじめに p1-2

1

Page 2: タイ、北部(チェンマイ) 国際学部国際学科4年...卒業論文 タイにおけるジェンダー・女性問題-タイ、北部(チェンマイ)- 国際学部国際学科4年

第1章:タイ北部の歴史・伝統・宗教からみた女性の在り方 p3-7 1節 タイの概要、タイ北部(チェンマイ)の歴史 p3-4

2節 文化・伝統 p4-5 3節 宗教的背景と女性の存在 p5-7 第2章:タイ女性に対する国の現状 p8-11 1節 女性に関する法律 p8-9 2節 教育 p9-11 3節 ジェンダー 根強い役割の概念 p11 第3章:労働形態からみる女性問題 都市部と北部での女性の労働形態の比較、現状

p12-23 1節 タイの労働市場 p12 2節 タイ女性の労働力率と労働格差 p12-17 2-1 女性の地域、年齢層、婚姻状況別労働参加 p12-14 2-2 産業別労働参加 p14-16 2-3 労働格差 p16-17 3節 インフォーマルセクターにおける女性 p17-19 4節 都心と北部の労働形態、出稼ぎ女性の背景 p19-21 5節 タイの性産業のはじまりと歴史 p21-22 6節 性産業に携わる女性 p22-23 第4章 :女性の労働形態における国家政策と取り組み p24-29 1節 女性搾取を防ぐ対策と取り組み p24-28 1-1 NISD の活動 p24-26 1-2 ILOの取り組み p26-27 1-3 国家女性問題委員会(NCWA)の取り組み p27 1-5 NGO による織物プロジェクト p27-28 2 節 後に p28-29 2-1 まとめ p28-29 2-2 課題 p29

参考文献 p30

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はじめに 筆者は卒業論文において、「タイ(チェンマイ)の女性」をテーマに研究を進めていこうと

思う。なぜ、このテーマにしたかについてだが、筆者自身、小学校5年から中学校3年まで

タイに住んでいたという経験を持つからである。タイは筆者にとって母国と同じ位身近な国

であり、筆者の中で、タイの女性はよく働き、日本の女性よりも社会進出しているというイ

メージを持っていることから、同じ女性としてかっこいいという興味があった。 タイに住んでいた頃から、女性のほうが真面目に仕事をしている姿を目にすることが多

かった。病院へ行っても女医さんが多く、また、女性が働くことから、家ではほとんど料理

を作らず屋台で食事を済ませるため、キッチンがついているアパートは少ないと いう話を

実際に聞いたこともある。日本では、未だに女性の社会進出が困難であり、総合職に就く女

性は煙炊かれる現状や、ジェンダー差別があちらこちらで見られる。男性によって作られた

社会や伝統が世界観となって起こる女性支配(家父長制)が、未だ根強く存在している。家

父長制の面でいえばタイも同じはずである。むしろ、タイは熱心な仏教国であるため、家父

長制は強いはずなのに、なぜ、女性が社会に進出できているのか。なぜ日本のように家庭に

閉じ込められる傾向があまり見られないのか。もしくは筆者が無知なだけで、実際はそこま

で女性が社会進出していないのかもしれない。 または、女性進出していても、その中で、ジェンダー問題があふれている可能性もありえ

ると考えた。それに、女性進出が見え隠れする反面、タイは売春の問題でも有名である。女

性が働く社会というカテゴリーの中では同じなのに、なぜ、同じ女性でも、職業がそんなに

ちがってしまうのか、身分の違いはあるのか。そんな疑問から、以前、自分なりに少しずつ

であるが、調べてみたことがあった。 タイでは、女性は男性と違い出家して徳を積むことができないので、親孝行することや真

面目に仕事に取り組むことで徳を積むのだという。だから女性が懸命に働く姿が見られると

いうことが分かった。しかし、その文化のために、貧困層の家では体を売ってまで親孝行す

ることが認められる地域もあるということを知った。また、貧しいために教育を受けられず、

売春関係もしくは低賃金の職しか選択肢がないことなど、女性に対する教育が行き届いてな

いことによる、人生の可能性や選択肢が閉ざされてしまっている問題も存在している。 確かにタイはまだまだ途上国であり、貧富の差は激しい。タイの売春は観光ツアーの売り

でもあることや、売春が大金につながることから、裏で政府やマフィアが絡んでいるために

いっそう深刻な問題である。また、売春によるエイズの拡大など、タイは大きな問題を抱え

ている。こういった貧困による影響・被害がタイの女性に及んでいることを知り、やはりま

だまだ、開発過程の中に女性の立場・存在がないこと、「 貧者の女性」が見られる。 はじめは、バリバリと仕事をこなすタイの女性を、同性として、尊敬・憧れの目でみてい

たものが、少しずつ変わっていくのが自分の中で感じとれた。もっと貧困問題から女性の立

場を見ていく必要があると強く感じた。 そういうわけで、ぜひゼミ論文では、タイの文化と貧困状況からそこに関わるタイ女性の

立場や、問題を研究していきたい。とくにチェンマイ(北部)を中心に研究を進めて行きたいと

思っている。というのも、夏休みに語学研修で一ヶ月チェンマイに暮らし、バンコクの女性

とは少し違うという印象を受けたからだ。目まぐるしく発展していくバンコクに比べ、まだ

まだ田舎の落ち着いた雰囲気を保つチェンマイは、バンコク以上に深い歴史を持つため、女

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性の文化も少し変わっているのではないかと思う。また実際チェンマイは美人が多く、隠れ

た売春スポットという話や、実際に都市部で売春に手を染めている女性は北部出身者が多い

と聞き、タイのチェンマイに地域を絞り、詳しく研究していきたいと思った。 また、授業でフェミニズムの発展や開発を学んだことから、フェミニズムにも多くの種類

と深い歴史があること、フェミニズムからどういった開発が女性を助けるのかなど見ること

ができとても興味を持った。ぜひ、フェミニズムの視点からも問題意識を取り入れながら、

タイ(チェンマイ)の女性開発・援助に何が必要なのか、ということも研究に取り入れてい

きたい。

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第一章

タイ北部の歴史・伝統・宗教・からみた女性の在り方 1. タイの概要 タイは中部、北部、東北部、南部と大き く4つにわけることができる。中部は経済、政治と

ともに国の中核地帯となっていて、中央から離れる

にしたがって社会的にも地質的にも違いが現れて

くる。またタイ国内ではいくつかの大民族の衰退が

織りなされてきて、現在、タイ社会は多くの民族が

共存している。 タイ族の中でもさらに多様なグループに分かれ

ており、その伝統文化、歴史、民族意識は様々であ

る。これはつまり、現在のタイ族と呼ばれる民族が

中国起源地から南下運動をする過程で多くの支族

に分かれ、定着し、各地で独自の文化・言語を持つ

集団を構成したからである。 (1:タイ国の民族人口構成参照〔小野澤1994:27-30〕)

民族名 対総人口比

タイ諸族 中国系 マレー系 山地民 カンボジア民 ベトナム系 インド・パキスタン系 その他

75% 14% 4% 1% 1% 0.2% 0.1% 4.7%

北タイに建国したタイ・ユアン(国家形成)やベトナム西北地方の黒タイ・白タイ(小部族集

団)など、ラオスや東北タイに建国した王朝が存在する〔小野澤 1994:27-30〕。 タイの王朝はスコータイ王朝(1238~1438AD)から始まり、第3代ラム・カムヘン国王は優

れた統率力で国土を現代のタイと同じくらいの大きさにまで広げた。そのほかタイ語、小乗仏教

など、現代のタイ文化の土台をつくり、豊かで自由な国を築き上げていく。しかし、14 世紀中頃

にラム・カムヘン国王の死と共にスコータイ王朝は衰えていった。1350 年にラーマティボディ1

世により築かれたアユタヤ王朝(1350-1767A.D)は、しだいに勢力を増し、前王朝のスコータイ

をも属国とした。初の法典をつくることで国内の基盤を固め、アジア屈指の大国となっていく。

16 世紀後半-17 世紀にかけ、各国との貿易が栄え、タイは優れた文化を開花させたが、しかし、

ビルマの侵攻に抗しきれず 1767 年にアユタヤ王朝は衰退してしまう。アユタヤ崩壊で混迷する

タイ各地では多数の勢力が乱立した。それをまとめ、トンブリー王朝(1767-1782A.D)を築いた

のがタークシン王である。彼は、歴代王が成し遂げられなかったチェンマイまでも手中に収めた。

1782 年タークシン王の死後、彼に仕えていたチャクリが王朝を築き、このラタナコーシン(バン

コク)王朝は現在でも継続している。歴代の王はラマの称号で呼ばれており、現国王はプミポン

国王(ラマ 9 世)である。19 世紀には第 4 代、第5代王により近代化が進められ、中央集権を強

化している。奴隷制の廃止や教育制度の整備など、数々の功績を残した第 5 代王チュラローンコ

ン王は現在でもタイ国民に尊敬されている。 民族、時代が異なれば、生まれてくる伝統・文化を異なってくる。それに平行して、タイの女

性のあり方も地域によって異なってくることも念頭において北部について述べていきたい。

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タイ北部(チェンマイ)の歴史 前述の通り、タイ王国の歴史の始まりはスコータイ王朝時代(1238~1438)とされる。王朝成

立とともに、現在の仏教国につながる上座仏教の導入がなされた。この頃すでにタイ北部一帯は、

その時代マンラーイ王によって「ランナータイ王国」として北部独自の統治がされていた。 ・ チェンマイ:1268 年、ハリプンチャイ王国(現在のランプーン県)を征服したマンラーイ王が、

北部タイ一帯の中心地とした場所(p.図1参照)。ランナータイ王国が 14~15 世紀にかけて広

大な領土をもつようになり、チェンマイは政治のみならず、宗教・文化の中心地としても栄え

た。16~18 世紀にかけては、ビルマの占領下に置かれ、1932 年にはタイ王国の一県となり、

現在はタイの第2の首都とされている。バンコクの次に広い市である(面積:2 万 107 平方㌔)。

ランナー王国時代に築き上げられた建造物も数多く現存し、独自の文化・言語などは現在でも

色濃く残っている。タイ・ユアン族として知られるランナー遺民は、今日北タイ人として、こ

のタイ国家の一地方文化となってしまったランナー文化を今も伝えている[馬場・長谷川

1994:217-221]。 2.伝統的文化における女性の地位 ラマ一世が編集した「三印法典」(1805 年)では、タイは一夫多妻制であり、妻たちは3つのラ

ンクに分けられていた1。第二夫人以下の妻の数に制限はなく、夫が妻をどうしようが(例:売り

買い)自由であった。しかし、この一夫多妻を実行できるのは富裕階級及び王族に限られていた。

法律が変わった現在にいたっても、この制度は富裕階級の男性の力の誇示(ステイタス・シンボル)

としておこなわれており、富裕でない男性間にも広がっていった〔田中 1991:193-194〕。 このように宮廷、貴族社会における男女関係はバラモン的要素を含んだ王権制度の正当化から

くるもので、この要素こそ男性を優位とする社会を支えるイデオロギーともなった。貴族、宮廷

社会に求められているのは労働生産者というよりは装飾的ステイタス・シンボルである。こうし

て、女性は男性につかえることが当たり前とされてきた状況、慣習が富裕階級から伝わり、タイ

文化は次第に男性優位となっていったのである。この裕福権力者の価値観、慣習は現在都市化し

たタイにおいて、性的搾取の大きな要因にもつながってくる。特に現在では都心の権力者が、地

方(特に北部)での美人コンテストで優勝した女性を愛人に選ぶことが、こうした女性蔑視の

ショーケース化としている〔田中 1991:25-29〕。 宮廷文化が発達した中部タイに比べ、北部は独自の文化(ランナー文化)を作りあげてきたた

め、男女格差は少ない。しかし、伝統的役割分担は確実に存在する〔田中 1991:197-198〕。 特に北部と東北部の村々において、婚姻関係が元になっている集団には強い社会構造が見られ

るという。こういう集団は、女性の役割ぬきには理解することはできない。 家族、親族の集団は女性を軸に構成されている。それぞれ家族単位のなかで、大きな力を持って

いるのは、年長の男性であるが、その力は女系を通して受け継がれる。男性は結婚すると、自分

の家族から離れ、妻の家族のために働き、婚資を支払うことで、妻とその姉妹からなる儀式的、

経済的、社会的グループに加わる。家長がなくなれば、財産は一番下の娘が相続するのが習慣で、

1 ①第一夫人→両親から与えられた財産をもたらす妻 ②第二夫人→男性が自分で見つける妻 ③第三夫人→借金のかたなどにされた妻

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その娘が両親、兄弟の面倒、世話をするのである。女性が自分の家族集団に残れば、夫や他の男

性成員がなくなった場合でも、女性とその子供たちには保護が与えられる。母系の家族集団はと

きに、共同労働組織となり、儀礼的行事をともに行うことで、結びつきはよりいっそう強くなる。

家の生産活動に加わることが期待されるのは男女ともかわらないが、家計をやりくりし、生活費

を稼ぎ出す役割は女性とされているなど、これらの伝統的な役割分担により、女性に押し付けら

れている経済的責任、義務感が、現代の北部の出稼ぎにでる農村部女性の立場を理解するのに重

要な鍵となる。 その他にも北部には北部方言が存在し、それは標準語よりもラオス語に近い。女性だけが使う

方言もあり、「女性らしさ」を認められ、多いに尊重されるがそれは、仕事をする際、太陽から

身を守ってあげるというような安易なかたちでしかない〔田中 1991:21-25〕。 また、都市部に比べ北部地方の方が伝統を重んじる傾向が強い。例えば、政府が、金曜日には

女性は伝統衣装である巻きスカートを、男性はモーホムというシャツを身に着けることを推奨し

ている。北部へいくほど、未だ、巻きスカートの慣習はのこっており、よく目にすることができ

る。夏にチェンマイへ行き、現地の学生に聞いた話によると、北部独特の「ソー」と呼ばれる弦

楽器・笛の伴奏による男女の掛け合い歌のパフォーマンス曲が現代風タイ・ポップにアレンジさ

れ、ランキング上位にあがっているほど人気だという。 3.宗教的背景と女性の存在 タイの人々の世界観を基本的に構成するのは上座部仏教だけでなく、バラモン的要素、そして、

ピィーと呼ばれる精霊崇拝を中心とする独特の信仰である。中でも中心となる仏教の世界に、タ

イ文化の厳しい男女差が現れている。 タイ仏教は輪廻または再生の観念のなか、来世では現世よりもよい状態で生まれ変わるために、

現世で功徳を積む事・項徳を多く行い、現世での幸福をさらに追求することを重視する。なかで

も、男性の出家が 高のタンブン(功徳を積む行為)であるため、タイ男性は一生に一度は出家

するものとされている。女性は出家して徳を積めないため、次の行動が望まれる。①自分の息子

を出家させる、②親孝行・家族の面倒を見る、③食べ物・物資当の寄進など(托鉢)、である。

とくに②、③は仏教を守り育てる意味での母としての役割を含んでいる。本来仏教において女性

は不浄なものとする思想があるため、現在でも、托鉢やその他の場においては、女性は僧に触れ

てはならない。公共施設(バスなど)でも、僧の隣にすわってはならないなどという差別的な規

律が存在する[田中 1991:184-190〕。 また、母親という役割を選ばずメーチー(修行者)2として寺に入って、僧の身の回りの世話を

するという選択もある。上座仏教では比丘尼サンガ(尼僧集団)は 10 世紀頃に消滅したため、

存在しない。メーチーは出家と在家のはざまの立場にある。 また、タイでは僧院の僧全体への経済的サポートが、在家寺委員会がとりしきる布施行からな

されているのに対し、メーチーへの経済的サポートはいっさいなく、彼女たちの日々の生活は自

らの蓄えや親族、知人による援助が大きい。 そして、タイ女性は男性と異なりメーチーになることは期待されておらず、むしろ母という役

2 あくまで在俗の敬虔な女性仏教徒であり、僧や尼僧ではない。具体的には僧が行う持戒式を経

て、僧院に居住することを許可された女性を指す。

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割を捨てたということで社会的尊敬を受けることがない〔高橋 1994:6-91〕。 メーチーの仕事は寺の維持であるため、家事労働と変わらない。男性は出家という社会的束縛

から逃れ、聖なる生活を送るのに対し、メーチーたちは戒律を守る生活はできず、タイ文化のな

かの「よい女性」であるためのサービスを僧たちのために行っている。例えば買い物をすること

は金を触ってはならないという戒律を犯す行為にあたり、調理することは生命を奪ってはならな

いという戒律を犯す行為にあたるが、しかし、それでは食べることができない。庭の掃除をする

にしても、小さな動物を殺してしまう殺生の戒律にあたるとして僧はできないのだ。こういった

僧が生きるためにやらなければいけない家事をメーチーたちがやることになるため、時間的にも、

男性僧たちのように修行に集中できない[田中 1991:90-191]。 精霊崇拝 精霊(ピー)は超自然的存在であり、母系集団の祖先霊にもあたる。基本的には家の霊は祖先 霊と一体とされ、家の霊同士も母系のきずなを通し結びついている。そのため、北タイでは原則

として、結婚した夫婦は妻の家に住むことになっており、祖霊は末娘によって承継される。家の

霊は女性と結びついているので異なる母系集団の女性が同じ家に住むと、彼女らの家の霊同士が

衝突してしまうと考えられている。祖先霊、家の霊は母系集団の守護と維持を司っていると信じ

られているため、女性の結婚、性行動、性関係を監視している。もし規範を破ると、母系集団内

の誰かが病気になると言い伝えられている〔加藤 1994:110 -115〕。 生まれてきた子どもが誰の再生であるかは、籠・蒸し釜を使って儀式を行いピーに尋ねる。儀

式の方法は地方によって異なるが、人の生まれ変わりを知っているのはその家の蒸し釜や籠の

ピーで、ピーが米を使って答えると考えられている。仏教的輪廻の思想とそれを目指す儀礼が男

性の領域であるのに対し、再生について知っているのは、女の領域である台所に潜むピーであり、

その儀式を行うのも女性が中心であるのが特徴である。基本的に子供のうちに儀式を行うが、こ

れは子供が誰の生まれ変わりなのか、生まれ変わった人の要望をかなえることで、子供の病気が

治る、子供が健康でいられると信じられているためである。再生してきたとされる人はその子の

母方の親族とされ、再生は基本的にこの母系出自集団内で起こると考えられている[川野 1994: 117-118]。 このように宗教的に女性の存在を見ていくと、女性は「母親」としての立場しか求められてい

ないようにみえる。徳を積むためには母親としての仕事をこなし、精霊は家事をする場にいるか

ら、女性の領域という役割の押し付けに感じる。生まれてきた子どもを育てる一環としての精霊

崇拝であったり、また、自由なはずの性に関してさえも、女性は伝統に縛られ監視されているの

である。宗教的伝統から母親の役割とラベリングされ家事も仕事もこなさねばならず、明らかに

負担が大きいのは女性ではないであろうか。

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図1:タイ国都県区分地図(黒枠:タイ北部) [出展: 津野正朗 2003:3]

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第二章

タイ北部の女性の現状 -女性に対する法律・教育・ジェンダー-

1.女性に関する法律 元々タイは初代の王ラマ一世が編集した「三印法典」(1805 年)により、一夫多妻制であ

り、その名残は現在でも根強い。貴族社会からはじまった、女性を装飾的なものとみるこの

制度は、タイ文化を男性優位なものへ変えただけでなく、一夫多妻がステイタス・シンボル

とされ、大手を振っておこなわれてきた。しかし、19 世紀から 1930 年代にかけての植民地

主義時代、タイは公式には植民地支配はされていなかったが、この時代の周囲の植民地社会

の圧力と緊張から逃れることはできず、経済はヨーロッパの後押しを受けて発展していった

が、政府は外国の指導のもとで不完全な「近代化」を遂げていく。1930 年代の大恐慌の頃、

タイは政治改革が行われ様々な法などが改革されていくが、その内容は不完全なものであっ

た[田中 1991:25-27] 。 1935 年に単婚法が設けられる。これは新しい結婚のあり方を示し、結婚に法的手続きを必

要とした。一見、タイの一夫多妻制を禁じ、結婚を清く厳格なものとする革命的な法のよう

に思えるが、実際の強制力はなかった。また、この法が設けられる以前、夫婦は財産に対し

平等な権利を持っていたものが、妻は自分の財産について自由に処分できなくなり、不平等

な一面が生まれた。なによりも、この法で一夫多妻制を非合法化することは、第二夫人の保

護を奪ったことを意味し、タイ女性の地位を悪化させた。1976 年、家族法が改正され、女性

は離婚に対して、男性の平等の権利を得られるようになる。それ以前は、夫側に問題があっ

ても離婚できなかったものが、妻は夫の承諾なしに法的手続きを結べるようになる。これは

それまで男性の許可を得なければ動けなかったタイ女性にとって重要な進歩であった。しか

し、この法の改正でも、完全な平等がみられず、女性が浮気をした場合は簡単に離婚される

のに対し、男性に愛人がいる場合、それがしっかりと証明できなければ離婚できなかった [田中 1991: 194] 。

1950 年代-1960 年代にかけて、植民地主義が下火になった頃、売春禁止法が施行された。

また、さまざまな女性の性に対するキャンペーンが行われ始めてくる。なぜならアジアでの

戦争で外国の兵士たちが滞在するようになり、 彼らの給料はタイの平均収入よりも多かった

こともあって、売春が容易に行われるようになっていたのである。これに対して、タイ政府

は「性に対する西洋の大胆さ、寛容さ」が国内に充満するのを阻もうとしていた。しかし、

1960 年代に兵士ら滞在者が落としていった金は、年間 40 億円にもおよび、国の収入源となっ

ていった。またこの時代、裕福な高級官僚など、商人階級が上流社会を形成していたため、

女性を囲うステイタス・シンボルはさらにさかんになり、上流階級の男性らは競って女性を

買っていく風潮にあった。このように国内での需要と増大する観光客らのせいで、タイの売

春業は大きく伸びていくこととなる。そのため法の強制力はいっこうに見られなかった[田

中 1991: 28-29]。 タイが 1976 年の国連婦人の 10 年「世界行動計画」の採択に賛同してから、女性の要求、

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関心事が国家政策の中にようやく反映されるようになった。1982 年、結婚する女性はその姓

を男性の姓に替えなければいけないという女性法や、1985 年には女子差別撤廃条約が発効さ

れた[開発とジェンダー研究会 1993 :65]。 1996 年から、タイ女性の法的地位に関する法律の分野で大きな進歩が遂げられた。現行タ

イ王国憲法第 30 条では、男女同等の権利の付与と、基本的に女性を差別するような法令の

改変をせまるものとなっている。また、人権侵害を国際的な基準に則って監視するために国

家人権委員会を設立することが、憲法上定められた。 1996 年、売買春禁止法が改正され、犯罪者というより犠牲者であると認められるセックス

ワーカーの処罰を軽くすることや、売春婦と顧客が出会う目的で利用する施設の定義を売春

宿に限定せず広げること、買春の経営者や性的サービス目的の場の提供者、買春客、娘を買

春に引き入れた親、斡旋者個人に重い処罰を与えることに重点をおいた内容になっている。

1997 年には、女性と子どもの人身売買禁止法が発効された。これは少年も保護の適用対象に

含むことであり、犠牲者の援助を促進するような捜査方法を増やすこと、犯行計画の過程に

加わった、あるいは、その共謀者を処罰の対象としている。また、性的搾取目的での女性や

子どもの人身売買を処罰対象とすることや、犠牲者を自宅へ戻す、シェルターへあずけるな

どのケアを確立することなどがあげられる。同年に、刑法修正第 14 条、労働保護法が定め

られる。刑法修正第 14 条での新しい要素は、他人の性的欲望の充足目的での買春の斡旋、

呼び込みから、女児、男児、女性、男性の人身売買という性犯罪を刑法の適用範囲と規定し

た点である。労働保護法では、雇用における男女の平等を保障し、職場におけるセクシャル

ハラスメントに初めて罰則規定を設けた。この禁止の目的は、雇用主の性的搾取から女性の

雇用者、子どもを守ることにある。1999 年マネーロンダリング法が定められた。これは組織

的犯罪、麻薬売買に対する法である。ちなみにマネーロンダリングとは、資金洗浄のことで、

麻薬などの犯罪行為から得た資金を様々な金融機関の口座を転々とさせることで、資金の出

所を混乱させる行為を指す[開発とジェンダー研究会 1993:72]。 同年には、刑事訴訟法修正第 20 条も改善され、尋問や取調べの方法、訴訟手続きを子ど

も、女性がなじみやすいものにされ、より女性や子どもに対する配慮が見られるようになっ

ていった。このように多くの法律が修正され、国の政策は進めていても、法律、規則、法規

における差別は、未だ存在する。法律では、さらに改善を検討し、女性差別撤廃の法的効力

を強化するための努力が必要であり、そして現在、 終的には女子差別撤廃条約における保

留条項を全てなくすための多大な努力が行われている。[開発とジェンダー研究会

1993:71-72] 2.教育

タイは現在、中学校までの 9 年間が義務教育化している。1978 年、小学校が 7 年間から 6年間に凝縮され、ほぼ全国に普及したものの、農村部地域へ行けば中学は愚か、小学校まで

ちゃんと出ていない子どもは多い。その多くは女児である。中学教育をするにあたり問題な

のは、どうやって、中学校を農村部まで普及していくかであり、また中学教育が近代知識や

技術の習得ばかり強調し、農村の伝統的な文化や、生活、環境を軽視するような価値観を植

えつけるならば都市に憧れを抱き、農村を捨てる若者に育てることになりかねない。このよ

うに農村部まで義務教育がしっかり普及しているかは確かではなく、また普及するのも難し

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い。よって女性が教育をうけることがさらに難しいという現状が見えてくる。とくに女性は

15 歳未満で学校を離れて働き始め、生まれた土地を離れることも多い。都会まで出稼ぎに行

き、売春に手を染めてしまったり、または斡旋業者によってだまされる例もあげられる。そ

のほか生まれ育った土地で働くにしても農作業、工場労働に加え、家事、育児の負担をして

いるのは女性である。それに実際男子の方が義務教育以上の教育を受けられるチャンスが多

いのは事実である。タイの女性、子どもこそ教育や経済開発の恩恵を受けられず、犠牲となっ

ている、その要因の一つにジェンダーがあげられる[アジア女性交流研究フォーラム

2001:136] また、タイの学校教育に仏教日曜学校というものがある。これは、寺院で僧の学生、教師

が、日曜日に受講者に授業をするため開校されたものであり、特にバンコクと北部のチェン

マイ、チェンライ地方で普及が進んでいる。この制度にはタイ政府が運営に必要な資金を出

しているため、無料であるのも大きい。日曜学校は男女、年齢、知識を問わず入校できるた

め、下級・中級・上級・高級・特別級にレベル分けされている。教育内容は、一般教科とし

て戒律、仏教史、英語による仏教学習、実践教科として、礼拝、話し方マナー、タイの伝統・

文化などである。また、チェンマイの日曜学校では北タイの方言、ランナー語を教えるなど

して、北タイの伝統文化維持に努めている。このように、地域によって教える内容も多少異

なってくる [小野澤 1994 : 96-98] 。 生徒達もランナー語や、英語に興味を示すものが多いらしい。筆者が実際にタイの農村部

の一軒にホームステイしたときも、子供たちは英語のドリル問題を懸命に解いているところ

を見かけたし、チェンマイの大学で仏教史を英語で習ったときも、僧である先生は筆者と同

い年でありながら、英語の発音は完璧であった。僧に、なぜそんなにも英語が話せるのかき

いたところ、幼いときから、先生(僧侶)に習っていたという。タイのほうが英語教育は進

んでいるのか、と疑問に感じていたが、それはこの日曜学校の成果にちがいない。 このように、誰でも入校できることで、あまり学校に行けない子供たち(女児)や、授業

についていけない子供たちは、補習代わりに来ていたり、日曜学校を教育のメインとして利

用している。そもそも、タイの日曜学校は、スリランカの仏教学校をモデルとして、1958 年

にバンコクにある仏教大学マハーチュラロンコン大学に付設されたのが始まりである。この

学校の目的は、①子ども・青年に仏教原理、仏教理念、タイ文化を教えること、②子どもと

青年が仏教理念に従い生活できるように導くこと、③子ども・青年が公衆、社会に良い影響

を与えるように導くこと、④仏教を普及させることにある。この日曜学校の制度は、瞬く間

に全国に普及されていくようになった。 なぜ、普通の小・中学校の普及が難しい中、こんなにも、日曜仏教学校だけは普及していっ

たのか、次のことが理由に挙げられる。①タイ社会の現状では、親が共稼ぎだったり、出稼

ぎへ行っている家庭も多いため、子どもにしつけや、道徳教育を施す時間がない、また両親

が子どもをしつけるだけの教養、モラルを有していない、②貧しいため、子どもを毎日、平

日に学校にも通わせてあげられない、③学校教育も有効なモラル教育ができないでいる、④

戦後、タイ社会に西洋文化が流入し、道徳規範が壊れてきた。これらのタイの厳しい現状の

ニーズに、日曜学校は応えることができ、保護者の理解を得られているためである。また、

授業内容も上記で述べたように、充実しており、子どもたちも楽しく学べていることが大き

な理由である [小野澤 1994:93-96] 。

12

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しかし仏教理念の中では、女性は不浄なものとされているため、仏教教育からのジェンダー、

差別の心配がみられる。 3.ジェンダー 根強い役割の概念

第1章で述べてきた宗教、伝統、歴史から「女は中、男は外」という根強い考えがタイ社

会では根付き、ステレオタイプとなって、子どものうちから刷り込まれていく。とくに、こ

のジェンダーに関わるステレオタイプは家庭内だけでなく学校、近隣社会における、女児の

社会化、成長過程で当たり前のように存在し、ステレオタイプに子どもをあてはめていこう

とするのは親である。とくに、女親によって行われるという。 たとえば、女児は母親の行う家事を手伝うことを期待される。これは家事の負担が彼女ら

にとって適切な債務であり、妻として母として負うべき義務という考え方からくるものであ

る。また、将来、妻として母親として負うべき義務への準備になるとみなされているからで

ある。一方の男児は、そのような仕事を期待されることはなく、外で活発に遊んだりするこ

とで、「男らしさ」を養うためと意味つけられたり、自分の能力を伸ばすための自由な時間を

持つ。このように男児には、自分の潜在的能力を自らの興味に応じて伸ばすチャンスが与え

られている。また、親は娘の身体に及ぶ危険と評判を気にかける。とくに伝統を重んじる家

庭で育った女児は男児よりも過保護に育てられるため、新しい状況やチャレンジングに出会

う自由と機会がほとんどない。その結果、親の過保護によって女児は自分の能力を試す機会

を奪われ、意気消沈し、自分自身での意志決定や問題解決、経験を通じての潜在能力を開花

させる機会までも減らしてしまう。 それに比べると遙かに、男児の方が家の外での自分の活動を自分自身で采配することが許

されているのがわかる。また、タイの家庭では家父長制が見られることから、男性が社会を

支配するものだというリーダー役割に関わるステレオタイプが存在する。家庭でも公的な場

でも男性が支配していることは明らかであり、それが、女性がリーダーシップを得ることを

思いとどませている。また実際に女性がリーダーシップを獲得するのに困難になっている原

因でもある[アジア女性交流研究フォーラム 2001:62-63]。

13

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第3章

労働形態からみる女性問題

-都市部と北部での女性の労働形態の比較、現状- 1. タイの労働市場

季節労働者・非活動中 90 総人口 労働力人口 就業者 常時就業者数 産業部門 5,692 3,224 3,078 2,987 1,187(40%) (95,5%) 失業者 農業部門 146(4.5%) 1.800(60%)

[アジア女性交流研究フォーラム 2001:83](出所:「タイ王国中央職業訓練センター」1992 NISD)

タイの労働力人口、就業構造は図 2 のとおりである。 また、就業者数を形態別にみると、

家族従事社の 1,067 万人(36%)が も多く、次に労働者の 970 万人(32%)と自営業者の

901 万人(30%)が並んでいる。業種別の統計では、農業(60%)が も多く、商業、サービ

ス行(11,2%)製造業(10,9%)がほぼ同率で並んでいる[アジア女性交流研究フォーラム

2001 2001:83]。 2. タイ女性の労働力率と労働格差 タイでは 15 歳以上の経済活動人口の 45%を女性が占めており、文化的、宗教敵にも女性が

経済活動に参加することに抵抗の少ない社会である[アジア女性交流研究フォーラム 2001 2001:83]。 2-1 女性の地域、年齢層、婚姻状況別労働参加

タイにおいて女性の社会進出は盛んであるといえ、女性の労働力率は、地域、年齢層、婚

姻状況からも大きく変わってくる。 女性の労働力率について、下の表1の 1997 年の区域別状況をみると、都市部では 58,4%、

農村部では 60.8%と、同様に女性の労働への参加が活発であったことがわかる。1998 年と

1999 年においても、この傾向は持続してあったことが分かる。また、1997 年の女性の年齢

階層別雇用統計によると 20-24 歳(68.5%)以上の年齢層から参加が高まり、35-39 歳の年

齢層でピーク(81.8%)を迎え、50-59 歳にいたっても、なお 63.3%が労働力としてとどまって

いる。1998 年と 1999 年でも、この 1997 年の年齢層別の就業パターンに変化はない[開発と

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ジェンダー研究会 1993:42]。

(表 1) 区域別・年齢層別女性の労働率(1997-1999 年) (%)

[出典:開発とジェンダー研究会 1993:42]

1997 1998 1999 年齢層

都市部 農村部 全体 都市部 農村部 全体 都市部 農村部 全体 13-14 4.5 8.2 7.5 3.4 7.4 6.6 6.1 7.9 7.6 13-15 28.8 33.9 32.8 22.6 32.6 30.5 25.6 29 28.3 13-16 69 68.3 68.5 63.1 66 65.3 57 67.4 34.9 13-17 77.9 75.9 76.4 81.4 73.7 75.7 84.2 75.6 77.8 13-18 77.4 78.8 78.4 80.1 78.5 78.9 79.7 78.8 79 13-19 78 83 81.8 78.5 79.6 79.4 79.1 83.2 82.2 13-20 73.6 79.4 78.1 78.4 78.7 78.7 74.7 80.2 79.5 13-21 52.2 66 63.3 56.9 64.8 63.2 56.4 67.9 65.6 13-22 15.7 25.3 23.5 16.9 24 22.6 14.5 24.3 22.4 全体 58.4 60.8 60.3 59.2 59.4 59.3 58.5 60.5 60

女性の雇用者の大半は出産、育児可能な年齢に相当しているが、これらの統計は、この年

齢層が経済的にも同様に生産的であるかを示している。 さらに、婚姻状況からみると離別者の女性の労働力率は高い。離別者の労働力率は、都市

部-農村部でそれぞれ、85.5%-79.0%(1997 年)、74.8%-76.1%(1998 年)、75.6%-80.3%(1999 年)である。これらの値から、働く女性には世帯主が少なくなく、シングル・ペアレン

トとしての役割を果たしていることが類推される(表 3)。こうした状況から、支出可能な範

囲で子どもを預けられる託児センターの設置を求める声は大きいが、政府機関による託児セ

ンター設置の動きは全くない[開発とジェンダー研究会 1993:43]。そのため、上中流階級の

女性の職場進出を支えていたのが職業婦人の給料の10分の1以下で雇うことのできたお手伝

いさん(メイド)の存在だった「小野澤 1994:261」。働いている女性のほとんどは、子ども

の世話や家事をする低賃金のメイドを雇っている。また個人家庭で雇われるメイドは、圧倒

的に内陸の農村出身者の教育の低い女性が多い[開発とジェンダー研究会 1993:147] 上流階級の女性の職場進出のために、貧困地域の女性が雇われている。この部分からも、

身分格差による労働格差がリンクしていることがよくわかる。一方、インフォーマルセクター

の中働く女性の家事、育児は、女性側の両親に子どもを預けるケースが一般的であるようだ。

タイでは、結婚すると男性が、女性の家に入るので、(宗教上、女性側が両親の面倒をみる慣

習が強いため)結婚すれば、女性側の両親との同居になるケースが多い。そのため、女性側

の両親が子どもの面倒をみる場合が多い。近年では、両親が出稼ぎに行ってしまうため、両

親とはなれて暮らす子どもが農村地には多くみられる。家族がバラバラになってしまうこと

で、家族の絆が弱まり、子どもの非行が心配される。

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また、2 年前に筆者が研修旅行で訪れたタイ東北地方(イサーン)の中央に位置するマハー

サーラカム県では、老人と子どもだけで生活をしている家庭が多かった。親が出稼ぎに行き、

子どもが田舎に残されるため、15 歳未満の子どもの 7 人に1人は親と暮らしておらず、放置

された子どもが増えている現状であった。また、祖父母と共に暮らしていれば良いほうで、

父親が蒸発し、母は出稼ぎ先から帰ってこない家庭が増加していることが深刻な問題とされ

ている。筆者がインタビューした家庭は、小学校 4 年生の少女と祖母と寝たきりの祖父の 3人暮らしだった。その少女の両親は一番幼い弟だけを連れ、バンコクに出稼ぎにいっており、

女児は日本からの奨学金で学校に通っているため、村に残っていると話していた。学校から

帰ってくれば祖父の介護をしながら、祖母の仕事を手伝っている彼女は、いつも両親と弟に

会いにいきたいと話してくれた。また、祖父母は、少女の両親の仕送りで生活が成り立って

いるため、孫にはかわいそうなことをしているが、両親には出稼ぎでもっと稼いできてほし

いという胸中を明かしてくれた。インフォーマルセクターで働く女性の多くに、このような

家庭が背景にあると考えられる。 また、子どもたちは 15 歳に満たない年齢で学校を離れて働きはじめ、生まれた土地を遠く

離れることも多い。家族の絆は弱まる一方で社会福祉計画は導入が送れ、利用も限られてい

る。タイの女性と子どもは、経済開発の恩恵を受けるどころか犠牲者だと語る女性活動家の

グループもある[開発とジェンダー研究会 1993:136]。 (表2) 区域別・婚姻状況別女性の労働力率(1997~1999 年) (%) 婚姻状況 1997 1998 1999 都市部 農村部 都市部 農村部 都市部 農村部

独身 62.5 53.1 61.8 51.5 59.2 49.0 有配偶者 63.2 70.2 65.5 68.9 65.6 71.1

死別 29.9 39.0 32.9 36.7 31.7 37.5 離婚 85.5 79.0 74.8 76.1 75.6 80.3 別居 71.4 73.7 75.5 70.7 74.6 74.7

[出典:開発とジェンダー研究会 1993:43]

2-2 産業別労働参加 タイにおいては農業労働力が労働力人口のかなりの部分を占めてきており、1996 年の農

業部門の雇用者の男女比は 42.6 :57.4 であった。ところが農業労働力の中でも特に女性の数

は減少しつつある[開発とジェンダー研究会 1993:43]。 とくに出稼ぎを経験した女性は、炎天下の中、働いても低賃金だという考えが強いため、

失業して帰郷しても農業を手伝わず、田畑があったとしても子どもに農業を教えない両親が

増えてきていることが、女性の農業労働力の減少の要因だと考えられる。 各産業部門雇用者用の男女比を見ると、女性の労働力を多くひきつけているのは商業、サー

ビス、そして製造業である。他方、運輸、建設、そして鉱業部門では、男性が圧倒的多数を

占めている。このような明らかな性別職務分離を示す雇用パターンは、今日まで維持されて

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いる(表 3)。いわゆる「伝統的に女性の職業でなかった」分野では、女性の劣位が歴然とし

ている[開発とジェンダー研究会 1993: 44-45] (表 3)産業別雇用者の女性比率

産業 1996 1997

女性(人) 全体(人) 女性(%) 女性(人) 全体(人) 女性(%) 農業 5,176,300 12,146,100 42.62 5,106,700 11,937,900 42.78 鉱業 16,100 59,900 26.88 10,200 58,100 17.56 製造 2,464,900 4,967,300 49.62 2,442,200 4,996,200 48.88 建築 614,600 3,125,200 19.67 578,600 2,983,300 19.39

電気・ガス・水道 31,500 160,500 19.63 28,800 174,400 16.51 商業 2,264,400 4,451,400 50.87 2,366,900 4,602,400 51.43

交通・倉庫・通信 111,100 1,036,500 10.72 116,900 1,098,400 10.64 サービス 2,137,600 4,099,900 52.14 2,250,900 4,399,600 51.16 その他 27,500 50,800 54.13 6,000 14,400 41.67

産業 1998 1999

女性(人) 全体(人) 女性(%) 女性(人) 全体(人) 女性(%) 農業 4,657,200 11,639,900 40.01 5,018,300 12,522,800 39.98 鉱業 13,000 57,900 22.45 20,200 74,200 27.22 製造 2,467,500 4,923,000 50.12 2,385,900 4,858,100 49.11 建築 323,600 2,042,000 15.85 225,400 1,560,100 14.45

電気・ガス・水道 34,900 192,300 18.15 27,400 166,900 16.42 商業 2,438,200 4,741,400 51.42 2,527,600 4,818,600 52.46

交通・倉庫・通信 132,700 1,073,800 12.36 139,900 1,086,400 12.88 サービス 2,455,100 4,727,200 51.94 2,540,200 4,888,500 51.96 その他 6,000 13,300 45.11 9,700 17,200 56.40

[出典:開発とジェンダー研究会 1993: 45] 女性の労働率が高いとはいえ、その就職先は、全てのタイ人女性が社会的地位ある職に就

いているわけではない。また、女性は世帯内での労働や女性らしさを強調した職業に就くも

のだと信じられてきたため、伝統的に男性のものとされてしまった職業に就くことは難しい

とされている。また、社会的地位についている女性労働者でも、管理職への昇進の機会は男

性よりも遙かに少なく、ジェンダーが垣間見える。では、社会的地位ある職に就いている女

性とは社会的地位ある職についている女性はどのくらいの割合なのだろうか。 例をあげると、公共部門に参入しようとする女性に関しては、明らかに増大し、公務員

に占める女性の割合は 1990 年には 51,58%、1994 年には 54,83%、1996 年には 55.7 パー

セントであり、公衆衛生、教育、商業、公共福祉などの分野の官僚機構に数多くの女性が

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見られるようになった。これは女性が教育にアクセスする機械の増大と女性の賃労働が家

計にとって不可欠になるような社会の変化によるものだろう。現在では公衆衛生(75.70%)、

教育(74.25%)、商業(60.17%)、公共福祉(59.89%)などの分野の官僚機構の中に、数多く

の女性が見られる。一方、軍隊、警察、政治家などといった、法関連機関で働く女性は少

なく、まだまだ男性のほうが比率的に多い。数多くの女性が政府組織で働いているが、政

策決定を行う地位にある女性は少ない。低い職位(1-5 級等)の国家公務員に締める女性の

比率は男性より高くても、より上級の職位になるほど、女性の比率は明らかに低下してお

り、管理職に就く女性はあまりいない[開発とジェンダー研究会 1991:55]。 また、社会的地位ある職に就ける女性は、ほんの一握りであり、問題はさらに深刻になっ

てくる。 大半の女性労働者は、教育や技術もなく就業しており、生産性、経済的価値が低いため、

家事労働の延長といった職、低賃金、低い地位の職に甘んじている。さらに悪化したケー

スが売春というインフォーマルセクターで働く女性が多く、労働格差が生じている。 女性労働者は賃金差別を受けがちであり、男性よりも昇進機会が少なく、技術向上率も低い。

また、業種によっては女性労働者の雇用を渋る事業主も少なくない。米価の国際価格が低迷

し、農業だけでは生計をたてられない農家が増加する中で、女性の経済活動の必要性は高ま

る一方である。しかし、タイの産業はバンコク周辺に集中しているため、農村における女性

の失業率が急速に高まり、そのことが売春に従事せざるをえない女性を増加させる原因と

なっている[アジア女性交流研究フォーラム 2001 2001:83]。 2-3 労働格差 同じ女性でも、社会的地位に付ける者とそうでない者といった、この労働格差は身分格差

と教育が大きく比例される。 一般的に成功するタイ女性の理由は 3 つの条件があてはまる。第 1 は名門の家系出身で多く

の親戚関係があること。これはバンコク周辺の土地の多くが立憲革命以前から王族関係者に

よって所有されており、現在でもひきついていることにある。強い経済力、政治的な力を背

景に女性も大学教育や留学の機会が与えられ、卒業後の就職条件派平民の倍優遇されている。

近代的企業でも、名門家系の女性を採用すると、その人脈を利用でき、経営戦略上も得策と

考えている。第 2 は、大学レベルの学歴を持ち、有力大学の学閥に連なること。タイの大学

は現在 20 を超えているが、20 年前までは、私大は認可されていなかった。5 つの国立大学

が名を連ね、その中でも、チュラロンコーン大学とタマサート大学は、日本では東大、早稲

田、慶應大学のレベルにあたる。この5つの卒業生は、ビジネスや官僚、大学で学閥的集団

を組織する傾向が強く、排他的帰属意識を作っていくため、就職もOG・OBのコネで決ま

ることが多い。第 3 は、中国系グループのコネである。タイの経済界では、中国系タイ人が

大きな影響力を持っている。ビジネスのネットワークは親族集団、同郷組織に基礎をおいて

いるため、元来その成員であれば女性であっても、男性と同じチャンスがある。 以上の条件のうち一つでもクリアしていれば、成功のチャンスがあるとされている。1920 年代、

学校教育が初頭教育の水準に拡大され、その後すぐに義務教育とされ、上流階級の家庭の女子

も男子と並び、教育を受けられるようになった。上流階級の家庭では、女子にも高等教育を受

けさせ、地位ある職へ就ける可能性はさらに強まったといえる。また職場の女性差別、軽視に

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対し、学位は大きな護符になるため、学生のうちから、女性のほうが積極的に学ぶ傾向にある

ため能力的に優れている[小野澤 1994:236-239]。 一方で、農村部での貧困家庭は、女子に教育を受けさせられない貧富の格差から、貧困出

身の女性が商売(インフォーマルセクター)を選択せざるを得ないのは教育がなく手に職の

ないために家事労働の延長戦に向かうことが避けられないからである。ティサはカネを不浄

のものと見ない賃金労働を軽蔑する仏教観、また精神的世界からはこばまれ物質的世界に属

するものとされている仏教の女性観が、女性と男性の役割分担に影響を及ぼしていることを

認めながらも、女性は母親としての役割を求められ、家族を養うための重要な責任を女性に

押し付けている農村社会の因習的な役割のあらわれとみられる。そのため、家事労働の延長

線に向かうことは避けられない。また、その線上に、出稼ぎ、性産業があると考えられる[田中 1991:196]。 3 インフォーマルセクターにおける女性 今日、インフォーマルセクターに関する課題は、研究者、政策立案者らの関心を集めて

きているが、組織的で信頼に値する調査報告は非常に少ない。 新で信頼に値する 1994 年の

国家統計局の調査によれば、全労働者のうち 76.8%がインフォーマルに属している(表4)。 ほとんどの労働者は、飲食物販売、屋台引き、在宅労働(内職)、棒行などの小規模ビジ

ネスの自営業である。女性はインフォーマルセクターにおける労働力の 47%近くを占めてお

り、これは全女性労働力の 78.6%にあたる(表 5)。また、13-14 際と、15-24 歳を除いたす

べての年齢層において、インフォーマルな経済活動に従事している人口は男性よりも女性の

ほうが多い(表 6)。したがって、女性は男性と同等に経済成長に貢献しているといっても過

言ではない[開発とジェンダー研究会 1993: 50-51]。

(表 4) 就業上の地位、区域別、セクター別労働力の比率(1994 年) (%)

全体 就業上の地位

フォーマル インフォーマル

全体 23.2 76.8 公務員 100.0 -

政府企業の被雇用者 100.0 - 民間の被雇用者 55.3 44.7 自営および雇用主 1.2 98.8 無給家族従事者 1.0 99.0

都市部 農村部 就業上の地位

フォーマル インフォーマル フォーマル インフォーマル

全体 52.4 47.6 17 83

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公務員 100 - 100 -

政府企業の被雇用

者 100 - 100 -

民間の被雇用者 68.6 31.4 49.1 50.9 自営および雇用主 3.2 96.8 0.9 99.1 無給家族従事者 3.1 96.9 0.9 99.1 [開発とジェンダー研究会 1993: 51]

(表5)セクター別雇用者数(1994 年)

全体 男性 女性

人数(千人) % 人数(千人) % 人数(千人) %

雇用者 32,095,00 100 17,351,20 100 14,743.80 100 フォーマルセクター 7,438,80 23.2 4,280,20 24.7 3,158.60 21.4 インフォーマルセンクター 24.656.20 76.8 13,071,00 75.3 11,585.20 78.6 [開発とジェンダー研究会 1993: 51]

(表 6)年齢層別、性別雇用者のセクター別比率(1994 年) (%)

全体 男性 女性 年齢層

フォーマル インフォーマル フォーマル インフォーマル フォーマル インフォーマル

全体 23.2 76.9 24.7 75.3 21.4 78.6

13~14 9.0 91.0 7.0 93.0 11.1 88.9

15~24 22.7 77.3 21.4 78.6 24.2 75.8 25~34 28.9 71.1 29.8 70.2 27.9 72.1 35~44 25.0 75.0 28.4 71.6 21.0 79.0 45~59 17.4 82.6 22.5 77.5 11.2 88.8 60~69 5.6 94.4 6.6 93.4 4.0 96.0

70~ 4.8 95.2 6.1 93.9 2.2 97.8 [開発とジェンダー研究会 1993: 52]

インフォーマルセクターの中でも、女性が圧倒的に多数を占める職業の一つとし て政府によって特に注目されているのは住宅労働(内職)である。在宅労働従事者は国内

向け、輸出向けを問わず。既製服、ファッションアクセサリー、工芸品の生産に関わってい

る。労働時間を自由に決められるため、女性たちは自宅で家事と仕事の両立をしながら家計

を助けることができる。しかしながら、下儲け的な仕事の性質から、注文が不確実であり、

低賃金であり、実務研修や社会保障、また、その他の福利が欠けているため、彼女たちの労

働は雇い主によって搾取されやすい。さらに住宅労働に従事する女性の居場所の確認が困難

なことや関係機関による監査システムの不備によって、これらの女性たちの抱える問題は倍

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加している。 このような住宅労働従事者が直面する問題に対応するために、労働社会福祉省は労働保護福

祉局の管轄下に住宅労働者対策事務室を設立し、在宅労働従事者の支援と雇い主による搾取

からの保護活動を始め。在宅労働者対策事務室は住宅労働従事者の技能改善のための幅広い

事業を創立し女性たちが確実な仕事ができるように支援している[開発とジェンダー研究会

1993: 52-53]。 また在宅労働者の問題だけでなく、幅広く女性労働者を保護、支援する姿勢が必要である。

インフォーマルセクターの中でも、出稼ぎで都心に来ている女性の割合も多い。出稼ぎに来

た女性が、 終的に性産業にむかってしまう傾向が強くみられるため、まずは、出稼ぎ労働

者へのサポート強化が必要ではないだろうか。 4.都心と北部の労働形態、出稼ぎ女性の背景 表 7 バンコクへの人口移動、1978 年(単位:1000 人) 男性 女性 労働力における女性の割合(%)

総人数 13,643 14,320 44,4 非移動人数 11,930 12,585 41,6 東北部から 886 817 80,8 北部から 173 238 54,5 中部平原から 474 531 55,5 南部から 153 127 27,0

[田中 1991:78](出所)Thailand National Statistical office: report of the Labour force survey 1978,table 表 8 都心へ出てきた理由 人 %

就職し、家の収入を増すため 41 85 勉学のため 2 4

親戚に会いに 2 2 バンコクがみたかった 1 1

夫に誘われ 1 2 強姦され家出 1 2

合計 48 100 [田中 1991:47~48] 表 9 家の収入を増やすためと答えたもののその理由 人 %

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貧しくて十分な食物が得られない 35 85 夫の蒸発で収入がない 2 5

家に仕事がなく、米の収穫が悪い 2 5 夫から離れ収入がほしい 2 5

合計 41 100 [田中 1991: 48] 出稼ぎ女性の背景には、上記で述べたとおり、農村部の貧困出身であり、大家族を抱えて

いるケースがほとんどである。また、タイの経済発展による都市部と農村部との収入と雇用

機会のギャップも理由にあげられる。首都バンコクは経済開発により、急激な発展を遂げた

が、都市は中流階級が富と政治的影響力を独占しているものであり、農村部を変化のない拡

張へと追いやった道路網と流通機構の発展は、世界の需要という圧力を農村部にもたらし、

一次産品の大規模な拡大をもたらした。この変化は技術の革新や大規模な土木工学を伴うも

のでなかったため、基本的に昔と変らぬ手法での農業を行う農民が増えただけなのだ。生産

額は増えても、一人当たりにすれば増収の額はわずかであり、経済成長のための戦略全体に

おける一次産品の余剰物の重要性に比べれば、取るに足らないものであった。さらに拡大し

た富の分配は不公平で、地域的なばらつきがある。都市を膨張させ、農村部に不況下での成

長を押し付けた経済開発戦略が、出稼ぎの基盤となっているのである[田中 1991:143-147]。 出稼ぎは彼女たちに田舎での収入とは倍額の収入をあたえる。世界銀銀行 1975 年-76 年の家

計収入調査から収入と貧困についてみてみると、東北部と北部の農家一人当たり収入は一ヶ

月あたりそれぞれ 188 バーツと 240 バーツ、一般の労働者に一人当たりの収入は 208 バーツ

と 206 バーツになっている。国全体の平均は 324 バーツ、バンコク(周辺の農村部含め)の

平均収入は 605 バーツである[田中 1991:72-73]。このデータから都市部で 3-4 年働くだけ

で、大きな家を建てることができるというのがわかる。技術も教育も施されない女性にとっ

て、都市部への出稼ぎで得られる収入が仕事の選択に大きな影響力をあたえているのだ。彼

女たちは自分たちの社会的、経済的位置に照らして完全に合理的な選択をしていると考えざ

るを得ないのだ[田中 1991:147]。 また、都市部から農村部に戻ってきた彼女の見た目の華やかさに、憧れる少女は少なくない。

とくに北部では、貧困から逃れるには村からでるしかないと考えられており、都市部に夢を

持ち、親族、姉の後を追って出稼ぎに行く少女も後を絶たない。上の表からもわかるとおり

これが、出稼ぎ女性を増やしているのである。一方では、女性たちが自分たちの妹や娘たち

のために稼ぎ、教育をあたえ、自分の二の舞を踏ませないようにし、小さな事業を起こすた

めに稼ぎを使うなどの目的をもった女性もいる[田中 1991:149]。 都心へ出てきた地方の女性は結局、退屈で収入の少ない職業に就かざるをえない。いくら、

農村部よりも収入は多いとはいっても、教育のない女性に働く場所は少なく、あっても賃金

は低い。バンコクの女性の労働賃金は下の表のようになっている。 表 10 職業 一ヶ月の収入

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ハウスメイド 150-450 ウェイトレス 200-500 建築現場の労働

者 200-500

工員 200-500 美容院 200-500 店員 400-600 サービス業 600-1.000 [田中 1991:37] 普通の仕事に就けば、生活の安定が得られるかといえば、そうではない。手の届く職業とい

えばほとんどがひどい雇用条件のもとでも重労働であり、健康を害して、若いときの職業生

活をあきらめざるをえなくなってしまうのである。美容院やウェイトレスの仕事は年齢が上

がると求人数がぐっと減ってしまう その結果、性産業に追い込まれる傾向は強まってくる。性産業で得られる収入は表4の職で

得られる収入の25倍にもなるのだ。少しでもよい生活をするために、身体を売る女性は後

を絶たない[田中 1991:36-37] 4.タイの性産業のはじまりと歴史 出稼ぎによるタイ女性の多くが初等教育しか受けていないため、都市の郊外地域に暮らす

ことで、性産業に足を踏み入れる可能性が十分に高い。現在、タイは「ほほえみの国からア

ジアの売春宿と化したといってよいほど売春が大きな社会問題になっている。 タイでの売春はバンコクだけではなく、第二の都市、チェンマイ、外国人向けのリゾート地

でもさかんに行われている。現在、人口 15 万人のチェンマイには売春宿やマッサージパー

ラー、ナイトクラブ、レストラン、バーが数多く立ち並び、ここでも祭りのたびに催される

ビューティー・コンテストが女性の値踏みの場所であり、コンテストの後、女性の売春が行

われる[[田中 1991:198]。 ここまで、タイ女性のニーズが高まり、タイでの性産業がさかんになったのには、1960 年代

のベトナム戦争までさかのぼる。ベトナム戦争のアメリカ兵が休暇にタイを訪れて売春産業

を盛んにした[小野澤 1994:279]。アジアでの戦乱が続く間で、外国の兵隊が大量流入し、売

春の拡大の土台となった。特に東北部の女性が、この時代、アメリカの基地を経由してこの

仕事に就いたものが多い。東北部に比べると北部では、まだ経済的必要性は東北部ほど圧倒

的でなかった。しかし、性産業に携わる女性は北部出身者が多い。それは、北部の女性たち

は、性産業において有利だとされているからである。北部の女性は色白の美人が多いと思わ

れており、東北部の女性を性産業に引き込んだのが、ベトナム戦争だとすれば、北部の女性

たちの性産業へのルートは美人コンテストという催し物といえるだろう。[田中 1991:79] その後ベトナム戦争が終わると、国内での需要に加え増大する外国人観光客でさらに需要は

大きくなり、一般化が始まる。タイを訪れる観光客の数は 1964 年に 21 万 2 千人、1970 年

には 63 万人、1975 年には 110 万 7 千人、1978 年には 137 万、[田中 1991:29]1986 年には、

約 280 万人であり、そのうちのトップは、隣国のマレーシアから 65 万人、ついで日本人が

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25 万人、アメリカが 19 万人、イギリス 14,7 万人、西ドイツ 12 万人、オーストラリア 9 万

人、フランス 10 万人といったところである[田中 1991:199]。観光客の男女比は 2:1 で男性

が多く、観光の目的は明らかである。1973 年になると、観光収入がタイの外貨獲得高の 11パーセントを占めるまでになり、1970 年代後半には、第 2 位の砂糖と争うまでになった[田中 1991:29]。観光による外貨収入は 1983 年には約 11 億米ドルに達した[田中 1991:199]。

1980 年代、日本では海外渡航の自由化と円高で海外旅行が盛んになり始めた頃だった。 日本の旅行会社は「買春ツアー」など立ち上げたが、あからさまな日本人観光客のセック

スアーにアジア周辺から非難を受け 1981 年には、売春観光禁止規定を取り締まった[小野澤

1991:279]。また、タイの観光当局が業者にタイのエロチックなイメージを拭おうと、寺院や

自然の美しさを強調し、宣伝するように要請したが、観光産業が、タイの国際収支に果たす

役割は大きく、観光当局の要請は期待できなかった[田中 1991:30]。また、日本側の自粛に、

今度はタイの売春業者側がタイ女性を世界に「輸出」し始めた。売春はタイ国内で留まらず

1980 年代後半からは、タイ人女性が次第に増えだした。このように世界に輸出されたタイ女

性のほとんどが、水商売に携わっている。売春を強要されるといった過酷な労働状態や、労

働ビザをもっていない不安定な位置、またそのために巻き込まれる犯罪での被害などが多発

する中、出稼ぎにくる女性たちの波は後を途切れることはない。 このようにして、タイの性産業の基礎が築きあげられてきた[田中 1991:31]。 そこにタイ建国当時から伝わる男性優位となったタイ文化と、宗教的概念からくる女性の

役割と位置づけが性的搾取の大きな要因にもつながった。一方では女の社会的、経済的役割

を強調する農村社会がある。この農村社会での女性の役割が、貧困による圧力、都心へ出れ

ば、割りのよい仕事がいくらでもあるという考えに結びつく。そしてもう一方では結婚規範

とエリートの名誉とされる都合のよい歴史的結びつきがある。これが一夫多妻制と愛人とい

う根強い文化を生み出し、女性の商品化を正当化させている。 工業化の遅れている国では観光で外貨を稼ごうとする傾向が強い。しかし、資源、環境、

女性の搾取による弊害は残しても、実はそれに見合うだけのものはもたらしていない。性産

業の女性たちは、ほかの仕事をしている女性たちの稼ぎに比べれば、多い金額を手にするか

もしれないが、そこに関わるリスクと見合っていないのだ。女性たちを使い捨ての資源とし

て行っている性産業の旅行業者、ホテル、航空会社などはさらに多い儲けを手にしている [田中 1991:199-200]。 タイの目まぐるしい経済発展が商業主義、物欲主義を浸透させ、タイ国内に貧富の差を拡大

させている[小野澤 1991:279]。タイにおける性産業の発達は、これまで述べてきたように、

歴史的、伝統的、宗教的、経済的、社会的要因が、複雑に絡み合って出来上がったものとみ

なければならない。そして現代タイの社会経済にしっかりとくいこんでいる [アジア女性交

流研究フォーラム 2001:96]。 5.性産業に携わる女性

性産業に携わる女性のほとんどが、東北部、北部一帯の農家出身者であり、貧困ゆえに、

自らで稼ぎにきて、 終的に性産業に足を踏み入れてしまう場合もあれば、自分の意思とは

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関係なしに、斡旋業者にだまされて踏み入れてしまうケース、親に売られてしまうケースが

ある。 こんな例がある。都心へ出稼ぎに行った女性が、洗練された姿に変わり、自分の故郷であ

る貧しい村に帰ってきた。その女性は美しい服を身にまとい、両親のために村一番の大きな

家を建てた。それを見た人々は、都心に行けば、仕事が溢れており、大きな家や電化製品な

どが手に入ると錯覚してしまう。また、幼い子どもたちまでもが、都心に憧れを抱くように

なる。一見、成功者と思われる親孝行の女性の例から、このような錯覚と誤解が生まれ、親

が子を売るケースや、幼い子が自分の意思で出稼ぎに行くようになる例が後を絶たない。ま

た、この女性が斡旋人となって、無知な親とその子どもを騙すケースもある。また、農村地

帯のほうが、女性が家族を担う役割意識が高いため、リスクを伴うこの仕事に踏み入る女性

は多い。娘が年取った両親や幼い兄弟の面倒をみて、結婚によって新たな男性の労働力を家

族にもたらすことが、女としての徳性であり男児の誕生と同じように幸いなことと考えられ

ている。女性たちが性産業に追い込まれるのは、この役割意識の強さ、(責任感)にあるとい

える。彼女らが収入を得て 初にすることは、両親への送金なのだ。 しかし、農家の典型的な例では、親は娘が体で稼いだ仕送りを農業の生産能力の向上のた

めに使わず、生活水準を上げようとする。送金のほとんどが基本的必要物である家、水、食

料など、貧しさを補うために使われているのだ。家族も村も、収入源を娘からほかのものへ

変えるための力を蓄えているわけではない。これは娘を性産業へ送り出すことが当たり前の

ことと考えている家族があるということがわかる。貧しい地域では、子どもは経済的に手助

けしてくれる大切な人材であるため、貧しいからこそ多くの子どもを生み、稼ぐ担い手とす

る。また家族が斡旋人の役目し娘に売春をさせることもある。このことから、女児の重要性

は増してきており、娘なら簡単に稼ぐことができ、生産的だという声も上がっている [田中

1991:133-135]。 北部では、この仕事に対し、あきらめの態度をとっている。これはこの仕事のもつ経済的な

力を受け入れているのだ。恵まれた人々や一部の村の役人などは侮蔑し批判をするが、たい

ていの村人は寛大な態度を示し、親孝行するすばらしい子どもだと褒めることすらある [田中 1991:135-136]。

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第4章

女性の労働形態における国家政策と取り組み

1. 女性搾取を防ぐ方策と取り組み タイの産業はバンコク周辺に集中しているため、農村における女性の失業率は高まり、そ

こから売春に従事せざるを得ない女性を増加させる原因となっている[アジア女性交流研究

フォーラム 2001:83]。 タイのこの状況から社会開発、福祉、保健、教育などの計画を立てる側は、急激な経済成

長の影響に目をとどめなくてはいけない。また女性、男性、児童、高齢者の社会すべての人々

が経済、社会開の恩栄を受けられるようにしなくてはいけないという課題が浮かび上がる。 特にインフォーマルセクターと経済繁栄期における国家収入の要であった輸出向け製造業

の分野では、女性が十分に経済活動を行うことができるということが統計データから如実に

分かる。それは、女性が公的な領域で働くことが可能であり、より多くの女性が伝統的に女

性の仕事でなかった分野の仕事を選択する傾向にあることを示す望ましい兆候である。公的

領域と指摘領域の分野は序所に現象しつつあるかもしれないが、報酬と職位の面から見た

ジェンダー間の平等に到達するまでには、まだいくらかの道のりがある。女性の労働者にとっ

て一定以上の収入を得る機会は、いまだ男性と同等ではない。報酬の問題以外にも、職場で

のセクシャルハラスメントや、託児サービス、行政レベルと実践レベルの両面で政策と計画

をさらに進展すべき議論課題がある [開発とジェンダー研究会 1993:54]。 女性の売春追放対策の手段として、チュアン首相は政権についたとき、次のように宣言し

た。女性と子どもの交渉力が弱くとも、適切な賃金を得られるように、労働者保護法を厳格

に施行する、働く女性や子どもたちが教育を続けてより高い賃金の仕事につけるように、技

能訓練や、学校外教育プログラムの種類を増やし女性の雇用促進を 重要課題と設定した。 働く母親の子育ての負担を軽くし、仕事を続けられるよう保育所を設置し、また、民間部

門による設立を援助する。売春で逮捕された年少女子や未成年犯罪者、障害者などに、職業

訓練を与える更正センターを設立する。このように若い女性については、彼女らが故郷で働

けるように訓練し、高い生活費に追い詰められて、売春に走る恐れのある都市部への流入を

食い止めようという試みが内陸の地域でも行われている。政府は、投資委員会を通じて、5

2の地方圏に対し、首都圏とその周辺部に比べて特別な優遇税制を適用すると発表した。こ

れによって組合に加盟していない労働者がより公正な賃金を受け取るのに役立つとの考えが

ある。またチュアン首相は内務省技能開発局(Department of Skill Development 以下DSD)に付属している中央職業訓練所(National institute of Skill Development 以下 NISD)を政

策の推進母体として任命した [アジア女性交流研究フォーラム 2001:83]。 1-1 NISD の活動

NISD は、急激なタイの工業化の進展に伴って生じた熟年労働力不足に対応するため、

1968 年に UNDP および ILO の協力を得て、従来の職業訓練センターをよりいっそう充実し

たものと改組し、現在の形となった。NISD の目的は次のとおりである。①失業者、遊休青

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少年、学校からの中途退学者を対象とし、産業界の需要に応えて職業訓練を行うことにより、

産業労働者あるいは営業者の育成を行うこと、②技能を有している労働者の技能をさらに向

上させること ③企業による技術開発を奨励し促進すること ④貧困地域の人々の所得向上

を容易にするため、労働市場および地場産業のニーズに応える技能を開発すること、⑤国内

外に通用する技能検定制度を確立し、検定試験を実施すること、⑥技能開発のために他の組

織と調整、協力を行うこととされている。その他には、インストラクターのための開発や教

材開発、海外出稼ぎ労働者雇用紹介所の監督、全国技能コンテストの実施職業訓練に関わる

各種のデータの収集と情報交換など行っている。中小零細企業に即戦力として使える技能労

働者を実地訓練で育て挙げることが 終的な目的である。タイ政府はこの NISD の下に7つ

の地域力行訓練センター(Regional Institute for Skill Development 以下 RISD)を設立し、

地場産業および同地帯に新規に進出する産業のニーズに合わせた職業訓練の実地を目指して

いる。7つの RISD とは、UNDP および ILO の支援で設立させたラチャブリ)、チョンブリ、

ラムパン、ナコンサワン、日本(JICA)の支援によるコンケン、ウボンラチャタニ、ドイツ

(GTZ)支援によるソンクラである。各地方によって異なるニーズや状況に応じて、地域ご

との訓練の目的を別に掲げており、訓練内容も多少異なる。タイ政府はさらに5つの地域職

業訓練センターと 59 の技能開発センターの設置を計画し、内閣の承認を受けている [アジア

女性交流研究フォーラム 2001:83]。 訓練カリキュラム内容は NISD、RISD 共にほぼ固定化されている。16-25 歳までの遊休青少

年を対象とした 3-11 ヶ月の養成訓練では、産業界のニーズに応じた半熟練工を養成する事が

目的である。養成訓練では、センターにおける実技訓練終了後、企業や工場で実地訓練を行

い、訓練生の就職に結び付けている。1992 年 7 月に開始された見習工訓練は農業機械、自動

車修理などの訓練を行いセンターと企業内での訓練を 3 ヶ月交互に行う。熟練工には在職労

働者の資質向上訓練を夜間に行い、研修分野は機械、自動車、電気、建築、製図、溶接の6

分野である。また、特別訓練として、縫製、ハウスメイド、ウェイトレス・ウェイター、受

付、守衛などのコースも用意されており、指導員訓練、工場内訓練などが設定されている [アジア女性交流研究フォーラム 2001:83-84]。

NISD の職員は圧倒的に女性が多いが 1992 年 11 月までの NISD の女性に対する方針は、

「区別も差別もしない」であり、ILO など国際機関が女性に対し、非伝統的な職業の訓練を

進めていることに批判的だった。1992 年 9 月の段階で NISD の局次長は「伝統的であれ、非

伝統的であれ、女性にとっては所得が得られるかが重要であり、女性自身が何をやりたいの

かを決定すべきである。多数の女性が非伝統的分野の職業に就くことを希望しているとは思

わない」と述べている反面、女性が自己決定できる判断基準となる情報を与え、幅広い職業

選択の可能性を確保することは大切であるという点には理解を示している。しかし、訓練科

目のほとんどが女性にとって非伝統的職種であり、たとえ女性が応募したとしても就職先が

見つかる可能性は低く、訓練センターの職員が応募をあきらめさせるケースもみられる [アジア女性交流研究フォーラム 2001:85]。

NISD はチュアン政権の女性を対象とした前向きな職業訓練政策をうけ、1992 年 12 月に

女性を対象とした特別訓練を推進するために新しく、女性課を設置した。農村の低学歴女性

や、元売春婦を対象に伝統的な職種分野の訓練を考え、また、農作業と家庭の仕事の両立で

忙しい女性が訓練に参加できるように、訓練を夜間に行うなど柔軟な対応ができるように計

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画される予定である。また、村の女性が職業訓練に関する情報が行き届いていないという問

題に、新設された女性課では、RISD の女性課を通して、各地の小学校に情報を流し、中学

校に進学できない女生徒に職業訓練が受けられるように伝え、技能開発局のものに新設され

る予定の 35 の労働事務所も情報伝達の一環として利用される計画があり、広報のシステムの

改善も図っている。募集された女性の生徒には、本人の希望と能力に見合った訓練が行われ、

訓練期間中には日当が支払われる。また、訓練終了後には信用が与えられ、組合の形で独立

し、自営業を営むことができるように指導することが計画である。そのため、地方ごとに、

どのような職種の訓練を行うか、産業や原材料などの調査が行なわれている。また売春婦の

更正対策として、警察によって、村に送還された元売春婦を対象に移動式訓練を使って行な

えないかを模索中である。NISD に派遣されている JICA 専門家は、日本での職業訓練(訓

練センターの職員が村に出向き、短期間に訓練を行なう。年齢の上限はない)の経験と歴史

に照らし合わせ、女性の訓練生を増やしていくには、女性が参加しやすい環境・雰囲気作り

が重要だと述べている [アジア女性交流研究フォーラム 2001:85-86]。 例えば、訓練施設では女性のニーズにあった設計を行ない、女性は通いやすく頻繁に出席

しやすい場所に建設し、必要ならば寮も併設するなど、あらゆる面から多くの女性が訓練を

受けられるような工夫や考慮をしなくてはならない [アジア女性交流研究フォーラム 2001: 93]。

女性に対する特別訓練を成功させるためには以上の点を留意する必要があるが、NISD に

とって も大切なことは農村女性が確実に収入を得られるような職種を探し、訓練に結びつ

けることである。また養成訓練の分野を多様化し、女性の訓練生が応募しやすい環境を作る

必要性がある。日本側も同様にジェンダー・社会分析をプロジェクトの計画段階に取り入れ、

現地のニーズに見合った訓練プロジェクトを提案することによって、過去の画一致な職業訓

練プロジェクトパターンを打破する時期にきている [アジア女性交流研究フォーラム 2001: 96]。

そのプロジェクトの一例として、次に ILO を取り上げる。 1-2 ILO の取り組み 現在、ILO が援助国、機関を探しているプロジェクト案に、「雇用・所得創出を目的とした

職業訓練への女性のアクセスを高めるプロジェクト」がある。同プロジェクトは、タイの中

部、北部、東北部にある文部省職業教育局管轄下の職業訓練専門学校 6 校を選択し、2年間

で職業訓練を通じて女性の職業の多様化を図ることを目的としている。 プロジェクトの対象者は、農村地域の低所得者世帯出身で義務教育(小学6年間)終了者

である 13-30 才の女性、女性の職業訓練、雇用の多様化に影響力を有する人々、すなわち訓

練生の両親、職業訓練校の監督者、インストラクター、政策立案者、職業紹介所の職員、雇

用者等となっている。プロジェクト実施地域は、一人当りの国内総生産が低くかつ貧困を理

由とした女性の都市部への大量流出が見られる地域、工場およびサービス業の急激な拡大が

あり、地方からの多くの流出女性が受け入れられている地域のいずれかであり、しかも整備

された職業訓練校のある地域としている。 プロジェクト終了時には、以下の 9 つの成果が見込まれている。①当該地域における地場

産業であり需要が急増している技術が確認され、女性により良い雇用の可能性を提出するプ

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ログラムが策定されている、②非伝統的職種に従事する女性に関するリーフレット、ポスター、

新聞、雑誌の記事など適切な情報、職業ガイダンス用資料がタイ語で作成され、広く配布、

利用される、③社会各層レベルにおけるジェンダーの問題に関する啓蒙活動用ビデオ、プロ

グラムが作成される、④300 名の女性が需要のある技術を修得し、認定証を授与される、⑤

120名の女性が小規模企業開発技術を修得する、⑥雇用者、雇用紹介者、技術開発局との

連携の下に、女性のための雇用紹介が行われるようになる。⑦女性のために訓練および雇用

の多様化を図るプログラム運営に関し、職業訓練所の監督者、トレイナー、職業紹介所の役

職員の訓練が行われる、⑧職業訓練所において女性の訓練プログラムを企画、実施、調整す

るためのマニュアルが作成される。⑨タイにおける女性の職業の多様化を図るための長期行

動計画を含む 終報告書が作成される。 上記のプロジェクト、アイディアが出てきたこと自体、職業訓練をジェンダーの視点で捉

え、女性の訓練、雇用機会を多様化していく必要性が一部ではすでに認識されていることの

証であろう[アジア女性交流研究フォーラム 2001:99]。

1-3 国家女性問題委員会(NCWA)の取り組み タイが 1976 年の国連婦人の 10 年「世界行動計画」の採択に賛同してから、女性の要求と

関心ごとが国家政策の中に反映されるようになった。また 1985 年 8 月 9 日の女子差別撤廃

条約にも批准し、それは同年の 9 月 8 日に発効した。1995 年には、タイは「北京宣言および

行動領域」の採択に参加し、その実施を表明した。NCWA は 1989 年に女性の地位向上のた

めにナショナルマシーナリー(国内本部機構)として恒久的に設立された。同時に設立され

たNCWA事務局は女性開発のためのフォーカルポイントとして機能し、現時点では、総理

府次官室の管轄下にある。NCWA と同事務局の職権は、政策体、調整体としてのものだけで

なく、女性に関わるすべての活動を促進することを含む。現在、国会では NCWA 事務局を局

レベルに格上げする法案を審議中である。NCWA事務局には地方機関は存在しないが各省

庁と非政府組織(NGOs)の代表者によって構成される NCWA のメンバーを通して、ネッ

トワークづくりと調整作業の第一の任務として行っている。現在、NCWA は自らの役割とこ

れからの方向性について報告を行い、その中で、新憲法に則ったジェンダー間の平等、女性

の権利擁護、女性の参画に焦点をあてると同時に、「女子差別撤回条約」と「北京宣言及び行

動網領」、及び現在の問題状況に対応しようとしている [開発とジェンダー研究会 1993:67-68]。 1-5 NGO による織物プロジェクト

94 年秋、イサーン北部のサコンナコン県コクプーカオ村で、織物プロジェクトを支援し

ている NGO から資金を借り、織物プロジェクトがスタートした。イサーンでは昔から織物

文化があり、収穫後の 2 月-7 月ごろまでの時間を有効に使い、少しでも収入になればと、織

物プロジェクトの講習を受けてこの村でも取り入れることになった。出来上がった製品は

NGO を通じて売るという仕組みだ。農繁期と農閉期では差はあるが一人 4 千バーツの収入に

なり、イサーンの農村の平均的な年収を考えると、かなりの収入である。また、女性たちが

織物で得るのは現金収入だけではない。村の仲間と一緒に活動できる楽しさや心強さ、染め

方や織り方の講習など受けて、経験や知識が広がり自信を得たという反応が返ってきた。ま

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た出稼ぎに行かなくてすむような成果もある。友人にバンコクでメイドの仕事を誘われたが、

村で家族と一緒に働くほうがいいという 19 歳の女性も話している[松井 1996:172-173 ]。 そもそも織物プロジェクトとは農村開発の中で草の根の技術を広めようと学者や技術者が

82 年に作った適正技術教会(ATA)が伝統的な織物に注目し、「地域織物開発プロジェクト」

(LWDP)をイサーンで試みることにした。85 年、20 代だったブンサップさんという、 女性がボランティアとしてまず近くのソンホン村に入って、女性たちが織物による自立活動

を始めた。それがいま 24 村に増えたのである。体の急速な開発は外から近代技術を持ち込む

形で進み、伝統的な村が解体していく。それを早くから憂慮した知識人たちの 70 年代からの

適正儀実運動の流れの中に、織物運動は位置付けられる。特に貧困の農村社会の中で周辺化

された女性に的をしぼったことは重要である。また、村の伝統文化を守って女性の収入をさ

せることが目的ではなく、農村女性のエンパワメントを目指している。女性の潜在的な力を

引き出すことで、村全体の自立を可能にすると、織物プロジェクトに 10 年も関わっているプ

ンサップさんは語る。女性の自立が村の自立の大きなカギとなることをこのプロジェクトは

示している[松井 1996:174-175]。 2 後に 2-1 まとめ タイの女性はなぜ周辺のアジアに比べ、社会進出が盛んであるのか、また、その一方で性

産業の問題が深刻化しているのか。中心部と北部では女性が抱える問題はどうちがうのか。

それには、宗教的背景が根本にあると私は考える。国民の生活に根強くある仏教の教えが、

女性の労働参加を駆り立てる社会となっている。女性は家族や社会のために働くことで徳を

積むという考えが女性の社会進出をもたらす一方で、階級身分から労働格差を広げる結果と

なってしまう。生きる上で支えとなってくれるはずの宗教が、時に女性を母親的役割として

位置づけしてしまい、家族・兄弟の世話や金銭面での支えなど、女性に負担をかけ、追い詰

めてしまうのだ。この仏教的思想は北部ではさらに強まってくる。身分の高い女性は社会的

地位ある職に就くことができ、高収入で、充実した生活を送ることができる。また自己投資

をすることもできるため、さらに新たな商売を起こし、多くの収入、高い地位を得ることが

できる。金持ちはさらに金持ちになれる仕組みである。その一方、 も下流階級で農村部出

身の女性は、教育もコネクションもないため、出稼ぎで都心に出てきたとしても家事労働の

延長となるインフォーマルな場で働かざるをえない。収入は低く、仕事によっては健康をも

蝕むことになる。こういったさまざまな面で抑圧された女性も、自分自身が一家の稼ぎ手と

捕らえているため、どんな雇用形態でも素直に受け入れ働いている。自分のためではなく、

家族のために働いているのだ。 どんなことをしても家族を金銭的に助ける娘こそ、親孝行であるという、家族を養うため

の重要な責任を女性に押し付けている農村社会の因習的な考えこそが、女性を追い詰め、性

産業へ向かわせてしまうことになる。農村部(北部)では、この考え方はさらに強まり、親

が子どもを出稼ぎへ行かせるケースや、売春業者へ売ってしまうこともある。農村部では、

子どもは大切な働き手であり、貧しいからこそ、子どもを産む。昔は出産した子どもが男児

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の方が喜ばれたが、今では女児の方が家計を助けてくれ、売春業者にも売れるという理由か

ら、女児が生まれることを願う夫婦が農村部には多い。このように農村部から貧困弱者が増

えていく。特に北部は様々な民族が集まっているため、色白の美女が多く、また国籍もない

民族が多いため、売春業者にとっては 適な人材であり、目をつけられやすい。大きな仏様

のペンダントをつけた若い女性が、中年の男性と仲よさそうに歩いているシーンは、バンコ

クでもよく見られる。その光景を目にするたびに、筆者はなんともいえない矛盾を感じてな

らない。また、タイ人の信仰心からくる輪廻の考え方が、女性の労働状況をさらに悪化して

いると私は考える。以前、タイ人の友人に、タイでは相続権がないため、金持ちは一生金持

ちでいられることについて、不平等とは思わないのかと聴いたところ、タイでは生まれ変わ

りを信じているため、来世で金持ちになるために、今世で徳を積むから、羨ましいとは思わ

ないという答えが返ってきた。つまり、自分の貧困ゆえに性産業に手を染めてしまうことは

女性と、その両親ともに、仕方のないことであり、徳を積むひとつの行為として正当化し受

け止めているといえる。社会的地位ある職に就いている女性さえも、職場では性的被害や、

昇進の機会が少ないといった問題を抱えている。現状を変えようとするより、来世のために、

といった考え方がタイ社会では強いために、女性の労働格差、ジェンダーが強まってしまう。

女性が負担する責任が多い考え方が深く根付いていること、経済格差、貧富の差が 貧弱者

をさらに苦しめる結果になっている。教育が十分に受けられないためにその考えを素直に受

け入れる女性側の知識と意識の低さが、問題をさらに深刻化させている。

2-2 課題 フォーマルセクターで働く女性は、これからさらに飛躍していくことと私は期待している

が、その半面、インフォーマルセクターで働く女性、性産業に追い込まれる女性はさらに悪

化していくように思う。義務教育の中に、もっと、ジェンダー教育を施し、男女間の平等を

考えることが先決だ。また貧困で教育もほとんど受けられない農村女性が安定した職に就け

るようにするためには、国や政府がさらに掘り下げて女性の労働形態を調査し、どのような

職がニーズとしてあるのか、それに見合った職業訓練を用意する必要がある。確実に女性が

収入を得られるよう、また、女性のニーズ、適正にあった職業訓練を施すこと、そして、職

業訓練の分野やカリキュラムの内容も充実させる必要がある。また、その際、今後のタイの

経済で必要とされる将来性あるカリキュラムを導入することが大切である。 また、職業訓練を受講する際には、女性が受けやすい環境を作ることも求められる。施設面

では託児所の設置や、宿舎などが上げられる。また、職業訓練の情報を農村部(特に北部)

に広範囲で流し、より多くの農村の女性に受講してもらうことである。職業訓練でも、上記

の NGO の織物プロジェクトのように、わざわざ女性が都心へ出稼ぎにいかず、その土地で

働けるような技術を推進していくことが、村の安定にもつながるのではと考える。女性に幅

広い職の選択ができるようにあらゆる技術を高めること、可能性を大きく広げることが大切

である。そして職業訓練を行う中でも、ジェンダー学問を踏まえた教育を施すことで、今後

女性が働く上での意識の違いが大きく生まれると思う。このジェンダー学問こそ、教育制度、

職業訓練の中の知識として、導入する必要性がある。自分がどのような固執した常識の中で

働いているのか、どのような状況で働くことが正当なのか知ることが必要である。また、女

性が働き稼いだお金の有効な使い方なども職業訓練のケアの一つに加えることも重要だ。

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参考文献リスト アジア女性交流研究フォーラム 2001(2001)『タイの女性 アジア女性シリーズ No8』ア

ジア女性交流研究フォーラム 2001 綾部恒雄、石井米雄編(2002)『もっと知りたいタイ』弘文堂 開発とジェンダー研究会(1993)『プロジェクトにおけるジェンダー分析-分析手法の検討

とタイにおけるケーススタディー-』 開発とジェンダー研究会 松井やよい(1996)『女性たちがつくるアジア』岩波新書 小野澤正喜編(1994)『暮らしがわかるアジア読本 タイ』河出書房新書 田中紀子(1991)『マッサージガール-タイの経済開発と社会変化-』同文館出版 津野正朗 (2003) 『海外・人づくりハンドブック⑰タイ』財団法人 海外職業訓練協会