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公開資料 東日本大震災 被災地への現地調査派遣チーム活動記録 岩手県派遣チーム 2011/07/31 独立行政法人国立循環器病研究センター 派遣チーム第 2 班

東日本大震災 被災地への現地調査派遣チーム活動 …公開資料 東日本大震災 被災地への現地調査派遣チーム活動記録 岩手県派遣チーム

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Page 1: 東日本大震災 被災地への現地調査派遣チーム活動 …公開資料 東日本大震災 被災地への現地調査派遣チーム活動記録 岩手県派遣チーム

公開資料

東日本大震災

被災地への現地調査派遣チーム活動記録

岩手県派遣チーム

2011/07/31

独立行政法人国立循環器病研究センター

派遣チーム第 2 班

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国立循環器病研究センター震災対策会議 現地調査隊第 2班(岩手調査隊)活動記録

■概要

日程 : 2011 年 7 月 19 日(火)~22 日(金)

場所 : 岩手県(盛岡市、宮古市、大槌町)

隊員 : 峰松 一夫 (国循病院副院長)

横山 広行 (国循病院心臓血管内科特任部長)

西 謙 一 (国循研究開発基盤センター知的資産部産学官連携室研究員)

■行程

第 1日 7:30 大阪伊丹空港集合、いわて花巻空港へ向けて空路出発

(19 日) 13:00 岩手県庁 4F 災害対策本部・秋冨先生訪問

14:00 岩手県庁 9F 医療推進課訪問

16:00 モリーオ訪問・水沼取締役面会

16:30 岩手県栄養士会訪問・伊東会長ら面会

第 2日 9:00 岩手医科大学循環器医療センター10F 学長室にて小川学長面会

(20 日) 11:00 岩手医科大学附属病院 6F にて小笠原教授(脳神経外科)面会

13:00 岩手医科大学附属病院 3F にて寺山教授(神経内科)面会

14:00 岩手医科大学附属病院院長室にて坂田教授(公衆衛生学)面会

15:00 岩手医科大学附属病院 3F にて中村教授(循環器・腎・内分泌分野)面会

第 3日 8:30 盛岡市を出発し宮古市田老へ向けて陸路移動

(21 日) 11:00 宮古市国民健康保険田老診療所の仮設診療施設(グリーンピア)を訪問し黒田先生と面会

14:00 大槌町の植田医院の仮設診療施設を訪問し植田先生と面会

第 4日 9:00 いわて花巻空港より大阪伊丹空港へ向けて空路出発

(22 日) 12:00 国循帰着

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岩手県での調査結果の概略と今後の課題

2011 年 3 月 11 日の発災から 4ヶ月を過ぎた被災地は、内陸部では平時に近い印象があり、沿岸部は手つ

かずの様子でした。沿岸部から内陸部までは山道を 70~80km、救急車であっても 1.5~2 時間を要し帰路(復

路)は法定速度で走行するため救急車に搭乗するスタッフの拘束時間は 5~6時間に及ぶとのことでした。ド

クターヘリは平成 24 年度導入予定のため、空路は防災ヘリでの搬送に限られているとのことです。

今回の調査時期は混乱期を過ぎていたこともあり、様々な機関でそれぞれの立場で発災直後から現在に至

るまでを丁寧に説明していただき、今後の課題や教訓などを聞く事ができました。

1.岩手県災害対策本部について

2008年に発生した岩手宮城内陸地震(M7.2, 大震度6強)を契機に災害対策についての構想を練って

きたが、それでも今回は想定外の事態が相次いだとのこと。

岩手県の災害対策本部は県庁(内陸部の盛岡市)に設置され、直轄の総合調整所には県各部門と消防、

警察、自衛隊、海上保安庁、医療関係(岩手医大、保健所、医師会、DMAT、県立病院、日赤、精神セン

ター)が集結し情報や指揮命令の一元管理が行われた。

▽自衛隊の撤退や災害救助法の適用から外れる今後、自治体や各機関が長期的に独立した機能を発揮する

ための環境整備や費用確保が必要

2.沿岸部(津波被災地)の診療体制

被災地に入る医療班については災害対策本部での評価と調整が行われた。

衛星携帯電話とスタッドレスタイヤを被災地入りの 低限の装備品とした。

現地医師の指示に従うよう要請して被災地入りを許可する制御体制を整えた。

DMAT は救急を担当、被災地の医療機関が入院を担当する業務分担により医療機関の混乱を回避できた。

宮古市田老町では人口を減らす策で混乱を避け、症状の重い患者は内陸部への積極的搬送により被災

地に残る者の診療水準を保った。

人工透析は県内 45 施設あるが、透析患者を県内でカバーできた

沿岸部の拠点病院は軒並み被災し県立釜石病院は耐震工事着工を目前に被災し損壊したため 270 床あ

る病床は 40 床程度に制限された。

心筋梗塞治療など沿岸部には医師が居ないために数時間かけて内陸部へ搬送する必要があるため、病

院再建と医師の充実が今後の課題

▽沿岸部において循環器医療と精神疾患が充足しておらず、人材を中心に拠点医療機関の機能充足が必要

▽保健師や管理栄養士が被災し保健機能が低下している上に需要が増えており、一層の人材充足が必要

3.深部静脈血栓症(DVT, 通称エコノミークラス症候群)について

医師の居た避難所ではラジオ体操が積極的に行われていたためか、深部静脈血栓症は見られなかった。

自家用車が津波で流され車内泊の被災者が少なかったことも DVT 患者が少なかった要因かもしれない。

▽仮設住宅への入居が進み集団行動が減る中で、運動を促進する手立てが必要

⇒ 阪神淡路大震災の際に培ったノウハウの提供を要望している

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4.今後発生が予想される疾患等

瓦礫やヘドロによる呼吸器感染症

生活不活発や雇用問題から発生する精神疾患、PTSD、被災者意識の定着、自損行為

食生活の変化や運動不足から発生する高血圧、糖尿病、脳卒中、心疾患など

薬剤を使っても降圧効果が得られない患者の心血管イベント

▽災害精神科のような特設診療科を沿岸部の拠点病院に整備して欲しい

▽心疾患や脳血管疾患を診られる循環器領域の診療科を拠点病院に整備して欲しい

5.被災者の生活

避難所の再編と仮設住宅への入居により、避難所は数えるほどに減った。

災害救助法により避難所での生活は一定レベルが保障されていたが、仮設住宅は災害救助法の適用外

のため不安と貧困の中で新生活が始まっている。

▽仮設住宅での栄養失調、アルコール依存、孤独死などの発生を懸念はしているが、対応ノウハウが無く

阪神淡路大震災などで培ったノウハウを提供して欲しい

6.栄養関連

山田町長が県栄養士会に依頼し物資の仕分けと献立を担当し、現地で NST を立ち上げ自衛隊と協働し

た。

避難所で食べる物が無く困ったのは発災直後だけであるが、避難者数より少ない数量で提供された支

援物資が配給できないことは多々あった。

仮設住宅へ移住が始まるとともに全員への平等配給がルールのため支援物資の山分け分配が行われた。

被災者は数週間分の缶詰等を持って転居したが、今後の食生活の自立ができるのか不安。

調理者の居ない家庭(独居、高齢、男性)では自炊は困難。

新しい調理設備に順応できない高齢世帯もある。

徒歩圏に商店は無く、車の無い家庭が多い中で食材調達が困難。

魚類ばかりを食べていた沿岸部に新鮮な魚が流通せず、肉食に順応できない世帯も少なくない。

▽高齢男性の独居など食や生活に見守りの必要な世帯へのサービスが必要

▽依存性が高まらない程度の補助制度やサービスが必要

内陸部では生鮮食品も保存食も充実 津波被災地は建物が無い 残遺店舗の損壊は激しい

周辺に消費者は居ない

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調査の詳細報告

①岩手県庁(盛岡市)

②岩手県栄養士会(盛岡市)

③岩手医科大学(盛岡市)

④田老診療所(宮古市)

⑤植田医院(大槌町)

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01 岩手県庁 2011 年 7 月 19 日(火)

岩手県庁では 4F の災害対策本部と 9F の保健福祉部を訪問した。

災害対策本部では秋冨慎司先生(岩手医科大学附属病院岩手県高度救命救急センター)と関谷拓郎二等陸佐

(陸上自衛隊第九師団司令部第二部長)からお話を訊いた。

秋冨先生らは医療と県庁の連絡が取れなくなることを想定し県庁内災害対策本部に医療が入り協力関係を

築いた。津波発生時には隣県の青森は八戸(沿岸都市)に集中し、国は宮城を優先することは想定していた。実

際にも隣県からの支援は少なく秋田県が唯一の頼りであった。宮城県気仙沼市や宮城県石巻市から岩手県内に

患者が送り込まれた。気仙沼地域と一関の位置関係から、越県防災協定などが必要との認識が得られた。沿岸

部の市町村は自治体職員の被災が多くありマンパワーも士気も低下し、今も改善はされていないとのこと。

岩手県にも全国から多くの医療班が来県したが、災害対策本部では医療班が入る場合に認定作業を実施し、

衛星電話とスタッドレスタイヤの装備確認、被災地での指揮命令系統の確認などにより混乱を未然に防いだ。

DMAT(災害医療医療チーム:Disaster Medical Assistance Team)には沿

岸部に入ってもらい、既存の病院は入院患者に専念し、DMAT が救急を担

うことで発災直後の医療水準を保ったとのことであった。沿岸から内陸

(盛岡など)まで 100km、秋田まで更に 100km ある中で、救急車とヘリコ

プターで 2,000 人の患者を沿岸部から搬送した。肋骨搬送路などと呼ば

れる内陸の国道 4 号線や東北自動車道を縦線に、沿岸各地から横の移動

を行った、重症患者は花巻空港から羽田、千歳、秋田に空路搬送した。

災害対策本部では防犯ブザーを避難所の女性や子供に配り、トイレな

どにも設置し急病通報と防犯を兼ね備えたとのことだった。避難所では

様々なニーズが発生し、必要数も時々刻々と変化するため避難所情報の

管理システムの必要性を強く感じた。

秋冨先生、関谷部長との会談 災害対策本部にて

岩手県保健福祉部では小田島部長、根子副部長、野原総括課長、藤尾健康予防担当課長、岩山主査、鎌田医

師(盛岡日赤健診部長)と会談した。

避難所の初期の食料はカップラーメン、おにぎり、パンで 4月上旬には改善された。6月には岩手県栄養士

会の協力で避難所の栄養調査を実施して現状を把握したが、カロリー摂取量などに大きな課題は見られなかっ

た。今後、仮設住宅に入居し災害救助法の適用から外れる。被災者がどのような食生活を迎えるのかが心配で

あある。対応窓口が国から県、県から市町村へと移っていくため各地域の状況に適した対応が行われると期待

している。

肋骨搬送路

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県立病院再建は仮設診療所を設置し現地建替はしない。医療の復興は 2~3 年後と見込み、被害の大きかっ

た陸前高田、山田、大槌、釜石は特に手当が必要。県立釜石病院は病棟被害が大きく許可病床 270 床が 30~

40 床で運用中とのことで、9月には耐震工事を終えて再開予定。県立陸前高田病院、県立山田病院、県立大槌

病院の 3施設は完全にダウンしている。県立大船渡病院と県立宮古病院は元に戻っている。

沿岸部の拠点病院が機能低下している中で内陸部への救急搬送が重んじられるが、ドクターヘリの運用は平

成 24 年度からを予定しており、自動車専用道路の整備は進んでいない。

仮設住宅は 14,000 戸を建設予定であるが、仮設住宅に入ると様々な問題が見えなくなる。集会所の整備は

進めるが、そこに出てこない人が問題を抱えているので、アルコール依存や自殺を懸念している。人口密度の

問題、仮設住宅の広域化などがあり課題が多いが各戸を周るリーチアウトが必要と認識しているが該当するサ

ービスなどはない。

岩手県庁の敷地内には自衛隊車両が多数停車

◎岩手県立病院一覧

中央病院

大船渡病院

釜石病院

宮古病院

胆沢病院

磐井病院

遠野病院

高田病院

久慈病院

江刺病院

千厩病院

中部病院

二戸病院

一戸病院

大槌病院

山田病院

沼宮内地域診療センター

軽米病院

大東病院

東和病院

大迫地域診療センター

住田地域診療センター

九戸地域診療センター

南光病院

紫波地域診療センター

※. 出典 http://www.pref.iwate.jp/info.rbz?nd=82&ik=3

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02 岩手県栄養士会 2011 年 7 月 19 日(火)

岩手県栄養士会の本部にて伊東会長、福田副会長、山桑常任理事と会談した。

県栄養士会では脳卒中ワースト県の改善を目指し、具だくさんの汁を勧めて栄養摂取と減塩を推進している。

被災地ではミネラル摂取不足を補うため白米の炊飯時にサプリ米をブレンドすることを推奨し、栄養士会が

必要量を分包して混合比などを明示した資料と共に避難所などへ配送した。

発災当初 1ヶ月は食いつなぐことで必死だった。大槌や山田は壊滅的で遠野が後方支援の拠点となっており、

栄養士会も 5月に拠点入りした。2週間毎に聞き取りを行い、発災 100 日を過ぎたころに栄養士会の方針を掲

げた。炊飯は自衛隊が担い、各避難所へデリバリーしていた。炊出しの記録票を作成した。山田町では町長が

県栄養士会に依頼し、物資の仕分けと献立を担当した。現地で NST を立ち上げ自衛隊と協働した。

◎栄養士会調査結果:食事の栄養量について(間食除く) ※.栄養量算出避難所数=124 箇所

エネルギー たんぱく質 ビタミン B1 ビタミン B2 ビタミン C

平均提供量(A) 1,835kcal 58g 0.9mg 1.1mg 72mg

目標栄養量(B)* 2,000kcal 55g 1.1mg 1.2mg 100mg

到達率(A/B) 91.8% 105.5% 81.8% 91.7% 72.0%

*目標栄養量:H23.4.21 厚生労働省健康局総務課生活習慣病対策室事務連絡に基づく栄養の参照量

※.出典は 2011 年 6 月 17 日付の保健福祉部健康国保課プレスリリースより転載

◎岩手県栄養士会配布のパンフレット:脳卒中予防は食事から

岩手県栄養士会本部での会談 栄養士会の災害対策本部看板前にて

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03 岩手医科大学 2011 年 7 月 20 日(水)

2 日目は岩手医科大学の 5 ヶ所を訪問した。 初に学長室にて小川学長と小林病院長と面談、2 番目に脳神

経外科の小笠原教授、3番目に神経内科・老年科の寺山教授、4番目に公衆衛生学の坂田教授、 後に循環器・

腎・内分泌の中村教授とそれぞれ面談した。

小川学長、小林院長からは発災から現在までを振り返って頂き、そしてこれからの展望や課題について訊く

事ができた。今回の震災では被災者が散り散りになったのでどこの病院に居るかわからない状態であり、医療

機関が患者を追跡することは困難な状況にある。発災直後はインターネットも使えず情報が貧困であったが、

自衛隊はそれぞれの状況に応じて良い活動をしていたと感じている。

岩手災害医療ネットワークを構築し、自衛隊、日赤、消防など 1ヶ所にヘッドクォーターを置いた。岩手医

大は遠野を拠点に活動し、DMAT 経験者 2 名を被災地での情報収集に充てた。医師派遣において避難所で他チ

ームとバッティングしても自分の意思で他の避難所へ行くように指示し自立性を持たせた。

県沿岸部の診療体制は医師不足もあるが、長期化・広域化する中で保健師や栄養士不足もある。今の医療の

問題は感染症、生活不活発と雇用の問題、高血圧や糖尿病の要因となる食生活・栄養の管理、脳卒中、心疾患、

心のケアなどが挙げられた。精神医療は13隊入っているが、

今後はハブとなる医療機関(久慈、宮古、釜石、大船渡)に拠

点を置いて欲しく、できれば災害時精神科を設立して欲しい

とのこと。医療の再生は人口に合わせて行っていくとのこと。

被災して財布を取りに帰った人は津波にのまれ、生き残っ

た被災者は無一文であるとのことで、仮設住宅に入れば食費

も光熱費も自己負担となるため健康的な生活を過ごせるか

心配されている。

小川学長のメッセージは岩手医科大学のホームページに

掲 載 あ り ( 学 長 メ ッ セ ー ジ 第 1 報 ~ 第 4 報 /

http://www.iwate-med.ac.jp/infomation/shinsai/)

脳神経外科の小笠原教授との面談では専門領域である脳神経外科の医療について伺った。釜石は元々市内で

医療を完結しようとしており、県立釜石病院は大きな手術はできないが国立療養所釜石病院が後ろ盾していた。

陸前高田は元々医師が少なかったが、大船渡には脳外科医が 3人いるため大船渡が壊滅しなければ医療水準を

維持できるとの考えであった。

災害の影響で てんかん の患者の薬が流されて困った、脳腫瘍の手術ができなかった例が 2例あった、電力

事情の問題で岩手医大でも MRI とアンギオが使えなかった(CT は使用可)とのことであった。

テレビ会議システムは既に備

わっているので、通信先に医師と

患者を登場させての遠隔診断を

したいとのことで、岩手県のよう

に内陸部と沿岸部で医療格差が

あるような地域では遠隔医療の

発展が不可欠とのことであった。

学長室にて

小笠原教授室にて テレビ会議システムが並ぶカンファレンス室

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神経内科の寺山教授との面談で何か月経っても血圧が高い状態が続いている患者が居ることを聞いた。自宅

に居て、血圧変化がなければ認知症が進行していない場合も多く生活環境と健康管理が重要であるとのこと。

避難所では 3食提供するのが施設基準のように取扱われており、元々1日 2食しか食べていない人には過剰

摂取となり体調を崩している場合もあるという。NPO 食を考える会(東京)のグループが塩分について調査して

いる。

被災者の健康管理について、医師不足により系統的な患者データは無く、予期せぬ震災でコントロールとな

るデータが無く比較できないとのこと。神経内科としては釜石、宮古、大船渡などにパートで医師派遣をして

いる。日常診療の医師は足りているが、介護や胃瘻、リハビリを診られる人材は足りていない。

大槌町は町長が被災で亡くな

られており、指揮命令系統が機能

していないため町民は不満と不

安を抱えている。町民や職員のメ

ンタルケアが必要とのことであ

る。沿岸部には鬱だけでなく躁の

患者も多く、今後は鬱に落ち込む

ことが想定されている。

続いて面談した公衆衛生学の坂田教授は震災前から県北コホートを実施しているとのこと。東日本大震災被

災者健康調査として岩手、宮城、福島の 3 県に予算配分されたが、福島県は全県調査が必要になり返納した。

岩手では 9月から 12 月にかけて 1万人を調査予定で、18 歳以上は採血も行う。エリアは陸前高田、大槌、山

田を集中的に行う。方法は健診会場を設置し来場してもらうため寝たきりなどは対象外となる。また、釜石市

は国立栄養研究所が調査を実施するため坂田教授の調査は対象外となる。

大槌町では岩手看護短期大学の鈴木るり子教授(元大槌町保健師)が 125 人の保健師を募集して全戸訪問を

実施したとのことであった。

陸前高田市は保健師 9 人の内 6 人が被災死亡、生き残った者の 2 人は身体的理由で離職、残った 1 人は 2

年目の方で奮闘中とのこと。市職員は 70 名近くが死亡。住基データは消えたため数か月前のデータを復旧し、

新データは手作業で 21,000 人分を回復したとのこと。

仮設住宅に入ると収入が無いところに光熱費や食費が掛かるようになり、スーパーが無く車も無い状況で、

物資も不足しており、配給から自給に変わることでの影響は大きいとのことをここでも聞いた。

岩手医大で 後に面談した循環器・腎・内分泌の中村教授は被災により研究が中断してしまった研究者を救

済する予算があり、公募で採用されたとのことであった。各病院(宮古、釜石、大船渡、盛岡)にリサーチナー

ス 10 人ほどを配置し調査を実施する。調査は AMI(急性心筋梗塞)、急性死、心不全を対象とし追跡調査は想

定しない。昨年と一昨年のデータに比して入院を要する心不全の数は倍に増えている(5~6 月に調査)。

被災地の医療を再生するために、日循などの派遣医が冬場にも来るか心配している。派遣医は大学に来ても

らい、大学から別の人を被災地へ派遣することも検討しているとのこと。県立宮古病院には循環器医が不在の

ため宮古で AMI(急性心筋梗塞)を発症すると陸路で 2時間程度の移動を伴い、救命率向上のためにも充実させ

たい考え。

寺山教授との面会 寺山教授室にて

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04 田老診療所・黒田所長 2011 年 7 月 21 日(木)

第 3 日は内陸の盛岡市から沿岸部の宮古市田老の田老診療所にて黒田所長と面談した。2005 年に宮古市と

合併した田老町は人口 4,500 人の内 2,500 人が被災した。津波は 38m まで達したとのことだった。岩手沿岸部

の文化は宮古を境に北は植物系(海藻など)の養殖、南は動物系(貝や蟹など)の養殖が盛んで、沿岸部の食は魚

のみで必ず醤油を使うため塩分過多ではあるがコレステロールは大丈夫とのこと。

被災後、田老総合事務所で診療を開始するも薬は無い状況で、避難所となっていた小学校にあった折紙でトリ

アージタグを作り患者の搬送を開始、田老に急性期や重症患者を置かない策に出た。在宅のパーキンソン病患

者や胃瘻患者などは宮古の老人ホームの会議室へ移送し、田老診療所の看護師を駐在させ吸引などのケアを行

った。歩ける人は宮古北高校へ行ってもらい、ほとんどの患者を動かした。元々医師 1人の町で出来る医療水

準を考慮し人口を減らす策が奏功した。診療所は 3 月 25 日にグリーンピアに移転、国道開通に伴い 9 ヶ所あ

った避難所の内の 8ヶ所をグリーンピアに集約し 3月 31 日と 4月 1日に 800~900 人程が引っ越してきた。グ

リーンピアのホテル宴会場に避難していた人もグリーンピアの体育館(パシフィックアリーナ)に引っ越した。

グリーンピアはトイレ、水道、電力などは当初より使えていた。グリーンピアでは、DVT(深部静脈血栓症)予

防のため黒田先生の発案で毎朝 6時にラジオ体操のテープが放送された。

前は津波、後ろは山火事の状況で、薬剤は宮城県名取市がディーラー拠点で薬剤供給は期待できなかったが、

看護師が旧診療所を訪ね泥だらけの薬を取ってきてくれた。薬は A4 用紙を 4 分割した紙に氏名と薬剤名を記

入し処方箋代わりにして 2日分を処方。薬袋も無いので用紙を折りたたんで薬を入れて渡した。

田老町の健康診断をしたいが、住基データが無く名簿が作れず、部分的に行うと不公平となるため実施して

いない。4端都市(大間、串本、下関、宮古:本州の東西南北端に位置する都市)協定により下関市から保健師

が 2人来訪しパシフィックアリーナで活動、全避難者の血圧、脈拍、体重などの検査を行った。

学会から派遣された医師がデータ入力し、黒田所長が高血圧や体重増減の多い被災者をチェックしている。

循環器内科の医師派遣は勉強になり有意義であるが、今後は元の 1人体制に戻さなければならない。診療支援

よりも被災地医療問題を知ってもらいたいので、毎回違う医師を派遣してもらいたい。派遣医が知ったことを

自らの地域に還元し、日本の災害医療を底上げして欲しいとのこと。

基幹である宮古病院の医師不足を解消してもらわなければ AMI(急性心筋梗塞)の患者を救えない可能性が

高まる。AMI 患者の搬送には看護師を同乗させているが、盛岡まで患者搬送すると往路は救急でも復路は法定

速度、搬送先で申し送りなどをして 6時間程の拘束がある。ドクターヘリが導入されても霧が多い地域のため

過度の期待できない。

仮設住宅はグリーンピアの敷地内に建設され、診療所もグリーンピアのホテル棟の会議室に置かれているが、

市がグリーンピアの運営会社を7月15日で解約したため調理師らも解雇され入院食などが提供できていない。

田老診療所の受付 田老診療所にて

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05 大槌町植田医院・植田院長 2011 年 7 月 21 日(木)

後の訪問先として岩手県大槌町の植田医院の仮設診療所を訪問し、植田先生と面談した。

既に幾度かマスコミにも取り上げられている植田先生は、往診中に地震に遭い、往診先から自院に戻ってか

ら津波に襲われたが、4階建ての植田医院の屋上に避難して流されることなく助かったとのことであった。被

災翌日に自衛隊のヘリコプターで救出され、以後は避難所で診療活動に励まれたとのことだった。

植田医院屋上にて撮影(植田先生提供)

避難所には多くの医療班が来訪し、医療班は中央公民館に沖縄、大槌高校に JMAT の長野・秋田・青森、寺

野弓道場に大阪府医師会が来ており、日赤は小さい避難所などを担当した。医療班は毎晩釜石市のシープラザ

でミーティングした。大槌町地域の状況は医療支援を実施した NPO AMDA (Association of Medical Doctors of

Asia; 特定非営利活動法人アムダ)の活動記録に記載されている。釜石市と大槌町は元々人口が少なく病院、

診療所、福祉、行政の連携が密であった。県立釜石病院は発災後の建物損壊で 26 床に規模縮小。今年度は地

域医療再生計画で耐震化と救急車整備とネットワーク構築が予定されていた。AMI(急性心筋梗塞)は 2.5 時間

かけて盛岡へ搬送し、ときどき大船渡まで 1.5 時間かけて搬送するとのこと。

大槌町の人口は 15,293 人、その 10%が死亡した。急性期患者は骨折を 2 人診た程度で完全に生死が分かれ

た。

大槌町寺野弓道場では DVT(深部静脈血栓症)予防のため毎朝ラジオ体操(ハーモニカに合わせて)を実施し

た。植田医院が入る寺野弓道場は 大 600 人ほどの避難者が居たが訪問時は 70 人程度、7 月末には自衛隊も

撤退し避難所も閉鎖へ向けて加速する。植田医院で困ったことはカルテを失ったこと。大槌町には唯一大槌病

院にのみ CT があったが今は町内に画像診断設備が無い状況で、被災した植田医院では自費で新しい超音波診

断装置(エコー)を購入したとのこと。

植田医院(仮設)にて 被災した植田医院とその周辺

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06 被災地の食調査

被災地の食について、現状を知るためにスーパーマーケットで購入した食品の塩分量を測定した。

沿岸部の食は生魚か焼魚で、いずれも醤油を使う。コンビニ弁当のような物は元々の嗜好としては好まれな

い。一方で大槌町の避難所や仮設住宅に近いコンビニは同チェーンで全国でトップ 3に入る売り上げを記録

してとのことで、仮設住宅ではコンビニ弁当が食されていることが示唆されている。

①盛岡駅近くのスーパーのおにぎりの塩分量

おにぎりは塩分量表示があったため計算にて導き出した結果、梅おにぎりが 1.841g、紅鮭が 1.617g、焼

タラコが 1.467g、味噌漬入が 1.246g、筋子が 0.928g であった。

②スーパーマーケットの様子

開店しているスーパーマーケットは平時と差が無いように見受けられた。一方で沿岸部では商店はほとん

ど開店しておらず、住居も流されなくなってしまったため元の場所で再開する可能性も低いとのこと。仮設

住宅には移動販売車が巡回している場所もあったが、すべてを網羅している訳ではないとのこと。

▽内陸部のスーパー(宮古市の高台に在るスーパー)

インスタント麺のコーナー 精肉コーナー 野菜コーナー

▽大槌町

店舗自体が無い。量販店は壊滅的被害を受けており、また周辺に住民(消費者)も居ないため再建計画も立

っていない。仮設のコンビニは散見される。

大破した量販店 プレハブ営業するコンビニ 仮設住宅に来る移動販売車

③食の課題

災害救助法の適用を受ける避難所での食事は無償配給されていたが、仮設住宅は適用外のため自立した生

活が必要となった。義援金配布は遅れている模様で新生活は貧困からスタートした。商店は無く、自家用車

も無く、食材を含めた物資調達は容易ではない状況に加え、死者や行方不明者が多く不慣れな独居生活を強

いられている被災者も多い。また新しいキッチンを使いこなせない人、魚中心の生活が一転し肉や保存食な

ども食べなければならないなど普通の生活を送ることが難しい被災者も多くいる。そのような不安に追い打

ちをかけるように生活地域が分断され、新しいコミュニティに参加しなければならない負荷も加わっている。

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今は健康維持のための食生活の確立が急がれるところであり、加えて新生活が安定するまでの見守りも必

要とされる。食材や弁当のデリバリーサービス、集会場での集団食事サービスなどを展開することでそれら

の課題解決が期待できる。人と人が接し、一瞬でも共通の時間を持つことが有意義な時期であると考える。

雇用問題も大きく、食のサービスを通じて調理者や配送者、食材卸など人材が必要となり雇用が創成され

ると考えられる。今後は建設ラッシュも予想されており、作業員の食を支える仕組みも必要となる。残念な

がら若い労働世代は都市部へと転居してしまう事は避けられず、急激な超高齢社会が形成される可能性の高

い被災地において、自炊以外の方法で食が提供されるサービスを早期に確立することが必要であると考える。

サービス提供には設備投資なども必要

とされるが、公的資金による助成制度や、

学校給食センターとの併用、社員食堂や

福祉施設のセントラルキッチンの活用な

ども検討できると考える。

今後の被災者生活を支えるサービスと

して、『食』と『見守り』が両立できる仕

組みが必要であると考える。沿岸部は特

に塩分摂取量が多く脳卒中などの循環器

疾患のリスクの高い地域であり、長期的

視野において減塩食の推進も必要であり、

岩手医科大学や岩手県栄養士会と協力し

て当センターも推進活動を行っていく。

東日本大震災被災地への現地調査派遣チーム活動記録

2011 年 7 月 31 日 初版発行

発行 - 独立行政法人国立循環器病研究センター

〒565-8565 大阪府吹田市藤白台 5-7-1 Tel.06-6833-5012

編著 - 独立行政法人国立循環器病研究センター

東日本大震災対策会議 第 2次現地調査チーム (岩手県派遣チーム)

峰松一夫、横山広行、西 謙一