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226 多くの種子植物は、種子繁殖に代表される有性生 殖(sexual reproduction) の 他 に 栄 養 繁 殖(vegetative reproduction)を行うことが知られており、その現象は 生態的、進化的観点から多くの注目を集めている。栄 養繁殖を行う植物はクローナル植物(clonal plants)と 呼ばれ、温帯域に生育する植物の約 7 割を占める(van Groenendael and de Kroon 1990)。栄養繁殖とは、減数分 裂の過程を経る種子繁殖とは異なり、成長点の分裂組織 から体細胞分裂によって新しい植物体を生み出す繁殖様 式である。この過程で新たに生産された植物体をラメッ ト(ラミート、ramet)といい、あるラメットから新た に形成したラメットを子ラメット(娘ラメット)、もと のラメットを親ラメットと呼ぶ。また、ひとつの親ラメ ットから形成された子ラメットは、栄養的に独立してい ても遺伝的には同一な個体であることから、ジェネット genet)やクローン(clone)という単位で識別されるこ とが多い。ラメットが生じる器官や様式は様々であり(表 1,図 1)、そのクローン生産様式によってラメット間の つながりやラメットの分散能力は異なる。例えばササ類 は、地下茎を通じて親ラメットの近傍に子ラメットをつ くり、それらは長い間物理的なつながりを維持すること が多い。また、ヤマノイモ Discorea japonica やムカゴイ ラクサ Laportea bulbifera がつくる娘ラメット(むかご)は、 親ラメットからすぐに分離し、潜在的には長距離移動す る可能性がある。 「栄養繁殖」をめぐる用語では、さまざまな捉え方が 可能であり、残念ながら研究者間で統一的な見解が定ま っているとは言えない。例えば、クローナル植物が持つ クローンの生産様式をまとめて「栄養繁殖」とする見方 がある一方で、「クローナル成長(clonal growth:クロー ン成長)」あるいは「栄養成長(vegetative growth)」とす る見方もある。後者の場合、「繁殖」を卵細胞や精細胞 のような一細胞期(single cell stage)を経て新たな植物体 をつくる過程と捉え、クローン生産はあくまで「成長」 であるとしている。また、栄養的に独立なラメット数の 増加に重きを置いて、子ラメットが親ラメットから切り 離されるものを「栄養繁殖」とし、親ラメットと物理的 なつながりを維持するものを「クローナル成長」とする 見方もできる。これは、デモグラフィーを考える場合に は便利な用法だが、実際にはこれらを明確に区別するこ とは必ずしも容易ではない。また、クローンの生産様式 には他に、減数分裂や受精を経ずに配偶子を形成するア ポミクシス(apomixis:無融合生殖)がある。このよう なクローン生産様式を、特に「クローナル繁殖(clonal reproduction)」と呼んで区別することがあるが、通常はク ローナル植物の定義に含まないため、特に言及がない限 りは本特集でもこれを扱わない。 クローナル植物に関しては、栄養繁殖の機能と適応的 意義を明らかにするために多くの研究がなされてきた。 国際ワークショップも定期的に行われており、2006 「クローナル植物の適応戦略」企画趣旨 木村 恵 * ・富松 裕 ** ・井上 みずき *** * 東京大学アジア生物資源環境研究センター ** 首都大学東京大学院理工学研究科 *** 京都大学大学院農学研究科 An introduction to the special topic "clonal plant research". Megumi Kimura (Asian Natural Environmental Center, The University of Tokyo), Hiroshi Tomimatsu (Department of Biological Sciences, Tokyo Metropolitan University) and Inoue Mizuki (Graduate School of Agriculture, Kyoto University) キーワード:栄養繁殖、クローナル成長、適応的意義 *e-mail: [email protected] ** 現所属:ブリティッシュコロンビア大学植物学科 クローナル植物の適応戦略 特集 2 日本生態学会誌 57 226 - 2282007

「クローナル植物の適応戦略」企画趣旨...Megumi Kimura (Asian Natural Environmental Center, The University of Tokyo), Hiroshi Tomimatsu (Department of Biological Sciences,

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Page 1: 「クローナル植物の適応戦略」企画趣旨...Megumi Kimura (Asian Natural Environmental Center, The University of Tokyo), Hiroshi Tomimatsu (Department of Biological Sciences,

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 多くの種子植物は、種子繁殖に代表される有性生殖(sexual reproduction)の他に栄養繁殖(vegetative

reproduction)を行うことが知られており、その現象は生態的、進化的観点から多くの注目を集めている。栄養繁殖を行う植物はクローナル植物(clonal plants)と呼ばれ、温帯域に生育する植物の約 7割を占める(van

Groenendael and de Kroon 1990)。栄養繁殖とは、減数分裂の過程を経る種子繁殖とは異なり、成長点の分裂組織から体細胞分裂によって新しい植物体を生み出す繁殖様式である。この過程で新たに生産された植物体をラメット(ラミート、ramet)といい、あるラメットから新たに形成したラメットを子ラメット(娘ラメット)、もとのラメットを親ラメットと呼ぶ。また、ひとつの親ラメットから形成された子ラメットは、栄養的に独立していても遺伝的には同一な個体であることから、ジェネット(genet)やクローン(clone)という単位で識別されることが多い。ラメットが生じる器官や様式は様々であり(表1,図 1)、そのクローン生産様式によってラメット間のつながりやラメットの分散能力は異なる。例えばササ類は、地下茎を通じて親ラメットの近傍に子ラメットをつくり、それらは長い間物理的なつながりを維持することが多い。また、ヤマノイモ Discorea japonica やムカゴイラクサ Laportea bulbifera がつくる娘ラメット(むかご)は、親ラメットからすぐに分離し、潜在的には長距離移動す

る可能性がある。 「栄養繁殖」をめぐる用語では、さまざまな捉え方が可能であり、残念ながら研究者間で統一的な見解が定まっているとは言えない。例えば、クローナル植物が持つクローンの生産様式をまとめて「栄養繁殖」とする見方がある一方で、「クローナル成長(clonal growth:クローン成長)」あるいは「栄養成長(vegetative growth)」とする見方もある。後者の場合、「繁殖」を卵細胞や精細胞のような一細胞期(single cell stage)を経て新たな植物体をつくる過程と捉え、クローン生産はあくまで「成長」であるとしている。また、栄養的に独立なラメット数の増加に重きを置いて、子ラメットが親ラメットから切り離されるものを「栄養繁殖」とし、親ラメットと物理的なつながりを維持するものを「クローナル成長」とする見方もできる。これは、デモグラフィーを考える場合には便利な用法だが、実際にはこれらを明確に区別することは必ずしも容易ではない。また、クローンの生産様式には他に、減数分裂や受精を経ずに配偶子を形成するアポミクシス(apomixis:無融合生殖)がある。このようなクローン生産様式を、特に「クローナル繁殖(clonal

reproduction)」と呼んで区別することがあるが、通常はクローナル植物の定義に含まないため、特に言及がない限りは本特集でもこれを扱わない。 クローナル植物に関しては、栄養繁殖の機能と適応的意義を明らかにするために多くの研究がなされてきた。国際ワークショップも定期的に行われており、2006年

「クローナル植物の適応戦略」企画趣旨

木村 恵*・富松 裕**・井上 みずき***

*東京大学アジア生物資源環境研究センター**首都大学東京大学院理工学研究科

***京都大学大学院農学研究科

An introduction to the special topic "clonal plant research". Megumi Kimura (Asian Natural

Environmental Center, The University of Tokyo), Hiroshi Tomimatsu (Department of Biological

Sciences, Tokyo Metropolitan University) and Inoue Mizuki (Graduate School of Agriculture, Kyoto

University)

キーワード:栄養繁殖、クローナル成長、適応的意義

*e-mail: [email protected]**現所属:ブリティッシュコロンビア大学植物学科

クローナル植物の適応戦略特集 2

日本生態学会誌 57:226 - 228(2007)

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「クローナル植物の適応戦略」企画趣旨

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6月には第 8回にあたるワークショップが“Generality,

specificity and diversity of clonal growth”というテーマのもとエストニアで開催された(プロシーディングス“The ecology and evolution of clonal plants”(edited by

de Kroon and van Groenendael, Backhuys Publishers [1997])や、Evolutionary Ecologyの特集号(Vol. 15, Numbers 4-6

[2001]; Vol. 18, Numbers 5-6 [2004])として出版されている)。その一方で、日本国内でのクローナル植物を主軸としたシンポジウムは、1998年に種生物学会が主催した第 29回種生物学シンポジウム以来行われていない(Plant

Species Biology Vol. 14, Number 1 [2002])。しかし、国内における研究が少ないわけでない。特に近年では遺伝マーカーの発達がめざましく、これまで計測が困難であったクローナル植物の個体性を探るツールとして活用されてきている。このような背景を踏まえて、今一度近年のクローナル植物研究を概観し、未解決の問題について考えるべく、本特集を企画した。 本特集は、日本生態学会第 53回大会の公募シンポジウム「クローナル植物の適応戦略」(2006年 3月、新潟)での講演と討論に基づくものである。本特集ではクローナル植物に関する話題を幅広く取り上げ、(1)栄養繁殖の適応的意義、(2)種子繁殖と栄養繁殖の相対寄与、(3)クローナル植物を扱う上での問題点と利点に関する近年の取り組みを紹介したい。 齋藤・清和氏は、地下茎や走出枝を通じてラメット間で水分や同化産物などのやりとりが行われる生理的統合(physiological integration)の機能について紹介する。チマキザサを用いた野外調査と操作実験の結果は、資源が空間的に不均一に分布する林床でのクローナル植物の資源獲得戦略を明らかにしている。井上氏はバラエティに富んだクローン生産様式を、地下茎などのようにラメット間で物理的なつながりのある「非散布型クローナル成長」

表 1.栄養繁殖(クローナル成長)におけるクローン生産様式と植物例。器官 植物例萌芽(coppice, sprout) カツラ、コナラ殖芽・むかご(propagule) タヌキモ、ヤマノイモ地下茎(subterranean stem) 鱗茎(bulb) ツルボ、ノビル 球茎(corm) シラン、マムシグサ 塊茎(tuber) キクイモ、ジャガイモ 根茎(rhizome) チガヤ、チマキザサ、ホウチャクソウ根(root) 根上不定芽(radical bud) ハシバミ、ヤブガラシ 塊根(tuberous root) キバナアキギリ、ヤブラン枝(branch) 匍匐枝(stolon) シロツメクサ、チドメグサ 走出枝(runner) ヤブヘビイチゴ、ユキノシタ

図 1.本特集の各論文で扱われているクローナル植物と栄養繁殖器官。(a)地下茎で繋がったチマキザサのラメット(写真提供、齋藤智之)、ヤマノイモの(b)地上部と(c)むかご(写真提供、井上みずき)、タヌキモの(d)標本と(e)殖芽(写真提供、亀山慶晃)、チガヤの(f)地下茎と(g)群落(写真提供、西脇亜也)。

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木村恵・富松裕・井上みずき

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とむかごなどのようにつながりのない「散布型クローナル成長」に大別し、その有利性と不利性についてレビューする。特に子ラメットの定着率と分散特性、クローンの空間構造などの項目に着目し、散布型クローン成長の進化要因について考察している。亀山・大原氏は水生植物タヌキモ類の不稔現象に着目し、その原因と栄養繁殖による集団維持、潜在的な有性繁殖能力と遺伝的多様度について紹介する。遺伝マーカーを用いて明らかにした遺伝的多様度の結果は、メタ個体群の維持機構や有性繁殖の意義を考える上で重要な示唆を与えている。西脇・水口氏はクローナル植物を扱う利点として、個体差を考慮した解析が可能になる点をチガヤの例を交えて紹介する。これらの報告をふまえて、富松・木村・井上は、クローナル植物をめぐる課題をまとめることで総括とした。また、森氏と中村氏にはシンポジウムの参加レポートをお願いした。シンポジウムでは東北大学の酒井聡樹氏に

コメンテーターを依頼し、いくつかの鋭いコメントを戴いた。酒井氏にはシンポジウムの企画の段階から数々の助言を戴いており、この場を借りてお礼を申し上げたい。また、様々なコメントにより影ながらサポートして下さった三宅崇氏、竹中宏平氏にも感謝をささげたい。 執筆者をはじめ、多くの方々の助力を得て、興味深い特集を組むことができたと自負している。本特集を通じてクローナル植物への関心がますます高まることを期待している。

引 用 文 献

van Groenendal J, de Kroon H (1990) Preface. In: van Groenendael J, de Kroon H (eds) Clonal growth in plants: regulation and function. Academic Publishing, Hague, pp 7-10