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戦歿者追悼平和祈念の集い/参加申込書 氏 名 フリガナ 性別 男 ・ 女 年齢 住 所 電 話 所属団体(会社)名 員 ・ 非会員 (どちらかに○をして下さい) メール FAX 送付先 082-831-6206 メール [email protected] ご記入いただいた個人情報は、当行事のご案内、主催・後援団体からの各種ご案内以外には使用いたしません。また、第三者に提供することは一切ありません。 8月15日は、護国神社にお参りしましょう。 主 催 日本会議広島 〒731-0102 広島市安佐南区川内4-11-18 TEL.082-831-6205 FAX.082-831-6206 お申込み方法/下記要項にご記入の上、この用紙のままFAX、メール、お電話でお申込みください。 お問合せ先 戦歿者追悼平和祈念の集い 池間 哲郎〔いけま てつろう〕 TEL 082-831-6205 チラシ配布・当日の運営など ボランティアスタッフ募集!! 〔日 時〕 〔場 所〕 〔平和祈念の集い参加費〕 平成27年 8月15日 広島護国神社 参集殿 1,000円 [学生無料] 10:00~ 10:50~ 11:00~ 12:00~ 12:40 英霊感謝祭 (広島護国神社主催) 平和祈念の集い開会 記念講演 黙 禱 閉 会 広島市中区基町 TEL082-221-5590 駐車場あり P アジアの真実の声を伝えよう 日本はなぜあの戦争を 戦わねばならなかったのか 一般社団法人アジア支援機構代表理事 「日本塾」塾長 終戦70年 戦歿者を追悼し、英霊に感謝の誠を捧げる8月15日。 平成27年 [第24回] 記念講演 昭和29年 沖縄県生まれ。幼少期は沖縄本島北部 の自然 豊かな本 部 町で過ごす。サラリーマンを経て 29歳の時に映像制作会社を設立。その一方、昭和 62年から10年以上にわたり個人的にアジア各国のスラム街やゴミ捨て場 等貧困地域の撮影、調査、支援事業を手掛ける。2900回を超える全国の 講演会では、自らの映像を駆使し、アジア途上国の貧困地域に生きる人々 の姿を通して、一生懸命に生きることの大切さ・感謝の心・命の尊さを伝えて いる。平成24年8月より、日本の素晴らしさと日本人の誇りをテーマに若者達 と共に学ぶ「日本塾」を開校、現在に到る。

日本はなぜあの戦争を 戦わねばならなかったのか - jp-pride.comjp-pride.com/ftp/270815.pdf〒731-0102 広島市安佐南区川内4-11-18 TEL.082-831-6205 FAX.082-831-6206

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Page 1: 日本はなぜあの戦争を 戦わねばならなかったのか - jp-pride.comjp-pride.com/ftp/270815.pdf〒731-0102 広島市安佐南区川内4-11-18 TEL.082-831-6205 FAX.082-831-6206

戦歿者追悼平和祈念の集い/参加申込書

氏 名

フリガナ

性別 男 ・ 女 年齢 歳

住 所 〒

電 話 所属団体(会社)名

会 員 ・ 非会員 (どちらかに○をして下さい)

メール

FAX送付先 082-831-6206メール [email protected]

ご記入いただいた個人情報は、当行事のご案内、主催・後援団体からの各種ご案内以外には使用いたしません。また、第三者に提供することは一切ありません。

8月15日は、護国神社にお参りしましょう。

主 催 日本会議広島 〒731-0102 広島市安佐南区川内4-11-18 TEL.082-831-6205 FAX.082-831-6206お申込み方法/下記要項にご記入の上、この用紙のままFAX、メール、お電話でお申込みください。

お問合せ先

戦歿者追悼平和祈念の集い

池間 哲郎氏〔いけま てつろう〕

TEL 082-831-6205チラシ配布・当日の運営など

ボランティアスタッフ募集!!

〔日 時〕

〔場 所〕

〔平和祈念の集い参加費〕

平成27年8月15日(土)

広島護国神社 参集殿

1,000円 [学生無料]

■ 10:00~■ 10:50~■ 11:00~■ 12:00~■ 12:40

英霊感謝祭(広島護国神社主催)平和祈念の集い開会記念講演黙 禱閉 会

広島市中区基町 TEL082-221-5590駐車場ありP

~アジアの真実の声を伝えよう~

日本はなぜあの戦争を戦わねばならなかったのか

一般社団法人アジア支援機構代表理事「日本塾」塾長

終戦70年戦歿者を追悼し、英霊に感謝の誠を捧げる8月15日。

平成27年[第24回]

記念講演

昭和29年 沖縄県生まれ。幼少期は沖縄本島北部の自然豊かな本部町で過ごす。サラリーマンを経て29歳の時に映像制作会社を設立。その一方、昭和

62年から10年以上にわたり個人的にアジア各国のスラム街やゴミ捨て場等貧困地域の撮影、調査、支援事業を手掛ける。2900回を超える全国の講演会では、自らの映像を駆使し、アジア途上国の貧困地域に生きる人々の姿を通して、一生懸命に生きることの大切さ・感謝の心・命の尊さを伝えている。平成24年8月より、日本の素晴らしさと日本人の誇りをテーマに若者達と共に学ぶ「日本塾」を開校、現在に到る。

Page 2: 日本はなぜあの戦争を 戦わねばならなかったのか - jp-pride.comjp-pride.com/ftp/270815.pdf〒731-0102 広島市安佐南区川内4-11-18 TEL.082-831-6205 FAX.082-831-6206

 

私は沖縄県生まれで沖縄育ちで

す。約二十五年間にわたって、ア

ジアの国々に出かけて行って、そ

の回数は二百回を超えています。

観光地ではない、その土地の人々

と触れ合い、語り合ってわかった

んです、日本がいかに愛されてい

るか。アジアの人から嫌われて

る?とんでもない、違います。一

部の反日教育を続けている国は別

ですが、その他のほとんどのアジ

アの国の人々は、日本が大好きな

んです。

 

たとえば、私達はビルマで学校

を百校以上建て、井戸も千基近く

つくってきました。ビルマの子供

がこう言いました、「アウンサン

将軍が日本から学んで、日本と共

に戦ったからビルマはイギリスの

魔の手から解放された。だから私

も大きくなったら、日本に留学し

てこの国のリーダーになりたい」

と。インドの人は、「日本人がいた

からこそ、日本と共に血を流したか

らこそ、自分達は独立できた」と言

って泣きました。カンボジアの人

は、「日本は希望の星だ」と言い

ました。パラオのお婆ちゃんは、

君が代をしっかりと歌って、「日

本から教えられた責任という言葉

を胸に抱いて自分は人生を歩んで

きた。親の責任、仕事の責任、国

を護る責任。心から日本に感謝す

る」と言いました。これがアジア

の人たちの真実の声です。

 

アジアの各地でかつての日本兵

は「白人と堂々と戦った」と尊敬

されています。あの白人の帝国主

義、植民地時代がいかに残虐だっ

たか、ということも聞きました。

言葉にするのもおぞましいくらい

の虐殺をやっている。なぜこうい

うことを学校の教育で教えないの

か。そこが解らないと、なぜ日本

が戦ったか意味が通じないです

よ。

 

実は私も日本の悪口ばかり教え

られてきて、何となく日本は悪の

国家だと思っていた。ところが、

外国に出て外から見たら、いかに

てない子供たちの苦しみを見てき

ました。講演の後、坊主頭の体の

でっかい高校生がやってきて、

「僕は日本人が大嫌いだった。日

本人であることが恥ずかしかっ

た。日本に誇りが持てなかった。

でも今日の話を聞いて、日本がい

かに素晴らしい国かがわかった。

日本人として誇りを持っていいん

だとよくわかった。だから、やっ

と今日僕は、日本人になることが

できたんです」と言って泣きまし

た。

 

ある少女は、「日本人の子供な

んて絶対産むもんかと思っていま

した。悪い国だと思っていたか

ら。でも、今日変わりました。自

信を持って誇りを持って、日本人

の子供を産みます」と言って明る

く笑いました。

 

私は、日本人としての誇りこそ

人生を豊かにすると信じていま

す。私たち大人には日本の素晴ら

しさを子供たちに伝える責任があ

る。先人たちが命を捧げてこの国

を護り続けてきたことを伝える義

務があるのです。

アジアの真実の声を伝えよう

一般社団法人アジア支援機構代表理事

日本が素晴らしい国かよくわかっ

た。にもかかわらず、私は臆病で

語ることをしなかった。祝祭日に

日の丸を掲げると右翼と言われ

る、日本を愛してるだけなのに。

だから口をつぐんでいたんです。

 

そんなとき、東日本大震災が起

こりました。被災地のあちこち

に、四十回以上通いました。あの

寒さの中をあれだけの苦しみと悲

しみを背負った人々が誰も和を乱

さない。小さな子供たちでさえも

雪の中、ガタガタ震えながら炊き

出しの列に我慢して並んでいる。

自分たちも苦しいのに、「私達よ

りももっと向こうの人達が苦しん

でいる。だから向こうから先にや

って下さい」と言う。こんな見事

な国民はいません。見ず知らずの

誰かを助けるために命を捧げた人

も大勢います。日本人は凄いなと

思いました。この高い道徳心こ

そ、日本人の誇るべきことだと私

は思っています。

 

大震災後、私は語り始めまし

た。それは間違っていなかった。

日本の子供たちはわかってくれま

す。

 

私はこれまでに三千回近く全国

で公演をしてきて、日本人として

の誇りを持てず、自分に自信が持

「日本の息吹」

平成二十六年一〇月号より抜粋