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兵庫教育大学 研究紀要 4920169 pp, 53 57 ャ ールズ ・ プラ メ リ ッ ジの音楽教育論の再検討 一授業の根底に流れる音楽の経験と理解の理論が批判的反省の基礎と なるために一 Re-examination of Charles Plummeridge's M usic Education Theory: When Theory of M usical Experience and Understanding M eets Critical Reflection in M usic Classes * OKAMOTO Shinichi The separation of practice and theory in music education is an old yet new concern. On the one hand, there have been highbrowaims of music education; on the other hand, they were followed by many mismatching practices. M usic education will be carried out as part of arts education. If so, aesthetics will be part of its process. Thus, I propose to introduce value judgement criteria for aesthetic understanding into the evaluation process. キーワード : 理論と実践、 美学、 評価 Key words : theory and practice, aesthetics, evaluation 1. 問題の所在と研究の目的 音楽科教育に限らず、 授業研究において理論と実践の 間隙の問題は古 く から学会だけで な く 、 日々の職場の中 でも絶えず大きな関心事の一つである。 しかしながら、 多 く の場合その間隙をつなごう とする実践は授業研究を 通して行われてきたものの、 その方法は大き く 2 つに偏 重してきた。 1 つめは新 しい論理的な枠組みが弁証法的 に明確に提示され、 それをもとに新しい実践を作り出す という 科学である。 批判日的ではないが、 学問領域でい う と教育方法学がこれに最も近いのではないだろう か。 2 つめは、 これまで行われた実践の分析を中心と してそ の中にあるいは根底に流れる思想や理論を説明する科学 である。 学間領域でいう と教育実践学がこれに最も近い のではないかと考えている。 この 2 つを比較した場合、 学術的により新しいのは前者であろう。 とはいえ、 いず れの方法においても 「理論から実践へ」、 あるいは逆に 「実践から理論へ」 という いわば一方通行的なアプロー チの方法だけ を示 し た論文は数多 く 存在 し てい る。 も っ と も、 このこ とはどの学問領域においてもある程度共通 しているといえる。 ともかく こう して、 音楽科において も、 「理論と実践の間隙」 はいつの間にか、 「理論と実践 の統一」 という言葉に置き換わり、 その言葉が 1 人歩き してしまっている。 いいかえれば、 理論と実践という離 れた存在が近づけばよいという発想に偏って置き換わっ てしまっている側面があるのではないかと考えている。 そこで本論では、 上述の問題に言及しているチヤール ズ ・ プラ メ リ ッジの音楽教育論を援用することによって、 * 兵庫教育大学大学院教科教育実践開発専攻芸術系教育 コ ース 准教授 53 音楽科における理論と実践との関係性あるいは図式 を改 めてと らえ直し、 その間隙をつなぐための方法論を提示 することを目的とする。 II プ ラ メ リ ツジの音楽教育論 前述したよう な音楽科教育における理論と実践の間隙 の問題に関して、 プラメ リ ッ ジは次に示したよう な論述 の方法をとった。 まず、 日的に関して 「この本の主要日的の一つは、 芸 術により多くの関心を寄せることを勧められていながら も、 時に周辺的な活動と して考えられるよう な態度を支 持する時代遅れの見解に反論するこ とである。 私は広範 で進歩的な教育における音楽と芸術の重要性を強調した い。 すなわち、 任意の付属物や娯楽、 趣味、 あるいは息 抜きの形態と し てではな く 、 人間的意味の重大で力強い 分野と しての音楽と芸術の重要性である。」 ' ) 一方彼は、 芸術教育の中で音楽と教育の両方におけ る 伝統と革新の意義 を重視する芸術教育の動向に自分自身 が関わり たいという 思いのも と で、 豊かで多様な音楽様 式と伝統を包括する社会に生きているので、 そのよう な 社会の中で、 そしてそのよう な社会のために 「子ども を 教育するには多文化的、 多元的性格を考慮に入れるこ と が要求される」 と述べている。 上述したよう な立場のもとで、 まず第 1 章で彼は、 そ の他の立場について、 それが音楽教授の特別のアプロー チにどう つながるかを示すため批判的検討を行ってい 0 2) 平成284 18 日受理

Re-examination of Charles Plummeridge's Music …repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/17019/1/...Theory of Musical Experience and Understanding Meets Critical Reflection

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兵庫教育大学 研究紀要 第49巻 2016年 9 月 pp, 53 57

チ ャ ールズ ・ プ ラ メ リ ッ ジの音楽教育論の再検討

一授業の根底に流れる音楽の経験と理解の理論が批判的反省の基礎と なるために一

Re-examination of Charles Plummeridge's Music Education Theory: When Theory of Musical Experience and Understanding Meets Critical Reflection in M usic Classes

岡 本 信 一* OKAMOTO Shinichi

The separation of practice and theory in music education is an old yet new concern. On the one hand, there have been

“highbrow” aims of music education; on the other hand, they were followed by many mismatching practices. M usic education

wi ll be carried out as part of arts education. I f so, aesthetics will be part of its process. Thus, I propose to introduce value

judgement criteria for aesthetic understanding into the evaluation process.

キ ーワ ー ド : 理論 と 実践、 美学、 評価

Key words : theory and practice, aesthetics, evaluation

1 . 問題の所在と研究の目的

音楽科教育に限ら ず、 授業研究におい て理論 と実践の

間隙の問題は古 く から学会だけで な く 、 日々の職場の中

で も絶えず大き な関心事の一つであ る。 しか し ながら、

多 く の場合その間隙をつな ごう と す る実践は授業研究 を

通 し て行われて き た も のの、 その方法は大き く 2 つに偏

重 し てき た。 1 つめは新 しい論理的な枠組みが弁証法的

に明確に提示 さ れ、 そ れを も と に新 し い実践 を作 り 出す

と いう 科学であ る。 批判日的ではないが、 学問領域でい

う と 教育方法学がこ れに最も近いのではない だ ろ う か。

2 つめは、 こ れまで行われた実践の分析 を中心 と し てそ

の中にあ るいは根底 に流れる思想や理論 を説明す る科学

であ る。 学間領域でい う と 教育実践学がこ れに最も近い

のではないかと考え てい る。 こ の 2 つ を比較 し た場合、

学術的に よ り 新 し いのは前者で あ ろ う 。 と はいえ、 いず

れの方法におい て も 「理論か ら 実践へ」 、 あ るいは逆に

「実践から 理論へ」 と い う いわば一方通行的 な ア プロ ー

チの方法だけ を示 し た論文は数多 く 存在 し てい る。 も っ

と も 、 こ のこ と は どの学問領域におい て も あ る程度共通

し てい る と いえ る。 と も か く こ う し て、 音楽科におい て

も、 「理論 と 実践の間隙」 はいつの間にか、 「理論 と 実践

の統一」 と い う 言葉に置き換わり 、 その言葉が 1 人歩き

し て し ま っ てい る。 いいかえ れば、 理論 と 実践 と い う 離

れた存在が近づけばよい と い う 発想に偏 っ て置き換わっ

て し ま っ てい る側面があ るのではないかと 考え てい る。

そ こ で本論では、 上述の問題に言及 し てい るチ ヤール

ズ ・ プラ メ リ ッ ジの音楽教育論 を援用す る こ と によ っ て、

* 兵庫教育大学大学院教科教育実践開発専攻芸術系教育 コ ース 准教授

53

音楽科におけ る理論と 実践と の関係性あ るいは図式 を改

めて と らえ直 し 、 その間隙 をつ な ぐ ための方法論 を提示

す る こ と を目的 と す る。

II プラ メ リ ツジの音楽教育論・

前述 し たよ う な音楽科教育におけ る理論と 実践の間隙

の問題に関 し て、 プ ラ メ リ ッ ジは次に示 し た よ う な論述

の方法 を と っ た。

まず、 日的に関 し て 「 こ の本の主要日的の一つは、 芸

術に よ り多 く の関心 を寄せ る こ と を勧め ら れてい なが ら

も、 時に周辺的な活動 と し て考え ら れるよ う な態度 を支

持す る時代遅れの見解に反論す るこ と であ る。 私は広範

で進歩的な教育におけ る音楽 と芸術の重要性 を強調 し た

い。 す なわち、 任意の付属物や娯楽、 趣味、 あ るいは息

抜き の形態 と し てではな く 、 人間的意味の重大で力強い

分野と し ての音楽 と芸術の重要性であ る。」 ' )

一方彼は、 芸術教育の中で音楽と教育の両方におけ る

伝統と 革新の意義 を重視する芸術教育の動向に自分自身

が関わり たい と い う 思いのも と で、 豊かで多様な音楽様

式 と 伝統 を包括す る社会に生き てい るので、 そのよ う な

社会の中で、 そ し てそのよ う な社会のために 「子 ども を

教育するには多文化的、 多元的性格 を考慮に入れるこ と

が要求 さ れる」 と 述べてい る。

上述 し たよ う な立場のも と で、 まず第 1 章で彼は、 そ

の他の立場につい て、 そ れが音楽教授の特別のア プロ ー

チ に どう つ なが るか を示す ため批判的検討 を行 っ てい

る 0 2 )

平成28年 4 月18 日受理

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第二章では、 多様な認識論的伝統と心理学の知能に関

す る理論 を参考に発展 させてい る。 音楽のこ のよ う な視

点か ら生ま れた力リ キユラ ムの構成 と 機能に関わる論議

は、 第三章 ・ 第四章の大半 を構成 し てい る。3)第五章は、 カ リ キュ ラ ム評価の諸側面にあて ら れてい

る。 教師は単に実践的 ヒ ン ト のためだけではな く 、 自分

の実践 を批判的に見直す目的のために も い ろい ろ な理論

を利用す る こ と がで き なけ ればな ら ない と い う こ と が、

彼の全般的論議の重要な部分であり 、 こ のよ う に考え ら

れてい る カ リ キ ュ ラ ム開発の方法は、 多 く のやり 方 にお

い て、 ナ シ ョ ナル ・ カ リ キ ュ ラ ムに関す る考え方や政策

と ま っ た く 対照的であ る と 結論づけ てい る。4)第六章では授業の プロ グラ ムと 課外活動の関係につい

て検討する。

そ し て終章では、 音楽教育におけ る現在の傾向 を概観

し将来の発展 を考察す る ために、 多 く の論議 をま と める

こ と を試みてい る。 よ り広い意味での教育について、 教

育が社会のあ る特定の見方に どのよ う に関係 し てい るか

につい て熟考す る こ と を余儀な く さ れるのだ と 指摘 し て

い る 0 5 )

こ のよ う に プ ラ メ リ ッ ジは、 自分の音楽教育に対す る

ス タ ンス を芸術教育の一環と し て と ら え てお り 、 こ れま

での美的教育と し ての音楽教育のあり 方 を継承 し てい る。

その意味では、 彼の言う 「理論 と実践の間隙」 と は、 そ

こ で扱われる理論と は芸術論 を指 し それに基づいた教育

と の間隙につい て述べよ う と し た も のだ と いえ る。 だ と

すれば、 現在我が国の音楽科教育が抱え てい る、 日標評

価の諸問題一音楽科の日標 を どのよ う にすれば評価で き

るのか一 と も交錯 し て く る。 し たがっ て、 次節では、 第

5 章に焦点化 し ながら、 また過去の理論 と実践の問題と

の比較のも と に考察 し てい く 。

m . 音楽科におけ る理論と 実践の間隙 をつな く、、方

法侖一一一一口

音楽科教育の研究におけ る理論 と実践の問題は、 1990 年代にすでに行われてい る。 当時研究誌の 『季刊音楽教

育研究』 の中で、 「内容分析」 の中には、 「理論と実践の

統一」 と い う こ と に関 し てつ ぎのよ う な記述があ っ た 0

「第一の仮説 『本誌の使命 (理論 と実践の統一) は、

量的 には達成 さ れてい るが、 質的には達成 さ れてい ない

のではないか。』 につい ては、 どう で あ ろ う か」 6 )

「仮説の 『量的には達成 さ れてい る』 と の論は、 諸々

の面か ら考え て も明 ら かと 言え よ う 。 ただ、 「理論 と 実

践の統一」 については、 量的側面からは、 単純に判断す

るこ と が難 し く 、 次章の 「質的分析」 の分析 ・ 考察 を通

し て ご判断い ただき たい」 7 )

「理論と 実践の統合 と い う スロ ーガンを安易に掲げる

54

こ と が、 む し ろ混乱 をま ね く 場合 も あ るのではないの

ろ う か」 8 )

そ し て、 上述の記述から以下のよ う な結論 を導い てい

る。

「 1 . 書かれた も のに よ っ て理論 と 実践の統一 と い う

よ う なこ と を判断す る こ と は極めて困難であ る。

2 . そ ればかり ではな く 、 そのこ と を単 な る スロ ーガ

ンと し て安易に掲げる こ と それ自体が、 音楽教育や音楽

科教育の研究やその実際を混乱 さ せて し ま う 。」 9 )

一般に、 「理論はつねに実践 と 能動的 な関係にあ る。

す なわち、 その関係は、 な さ れた事柄、 観察 さ れた事柄

と 、 それらの事柄に関す る体系的な説明と の相互作用で

あ る。 こ の関係は、 理論 と 実践 と の必然的区別は認め る

が、 こ の両者の対立 を要求は しは し ない」 '°) と 考え ら れ

てい る。

ま た、 「理論は実践のう ち よ り 生ま れ、 実践に指針 を

与え、 こ れを組織化、 調整 し て実践に奉仕す る ものであ

り 、 し かも 実践に よ っ てたえ ず修正 を う け、 よ り よ き も

の と さ れるので あ る」。' ')

こ のよ う に、 理論 と 実践の対立は、 こ の二つの言葉の

相互作用的な意味づけによ っ て解消 さ れてい る と い う こ

と がすでに考察 さ れてい るこ と が理解でき る。 も っ と も、

「本来、 教科教育学と い う も のは、 教授 ・ 学習活動に対

す る理論 と 実践 を統一す る科学であ る」 '2) と す る立場か

らすれば当然のこ と と も いえ る。

こ のよ う に し て、 音楽科の教授 ・ 学習活動におけ る日

的 ・ 内容 ・ 方法に関す る総合的な実践科学が音楽科教育

学と し て存在 し てい るのであ る。 こ のよ う な音楽科教育

学を確立するための母体と し ての教科教育研究の在り方

に対 し て、 次のよ う な見解があ る。

「実践学と し て、 理論学と し ての教科教育は、 教材を

媒介にする教師と子 ども、 主体と客体を、 つねに総合的、

統一的に と ら え る動的立場から構造化 さ れなけ ればな ら

ない。 ま た こ のこ と 自体 を研究の対象に し て考究 さ れる

べき であろ う」 '3)

し たがっ て、 こ のよ う な視点から導き出 さ れる音楽科教

育の研究は次の図に示 し たよ う なモ デルに基づ く べき で

はない か '4) と 述べ ら れてい た 0

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チ ヤールズ ・ プラ メ リ ッ ジの音楽教育論の再検言

こ の図から考え る と 、 音楽科教育の研究は現実の社会

や学校で起こ っ てい る事実 を対象 と し て問題設定 を し、

その問題に関 し て関連諸科学 を援用 し ながら帰納 と演系睾

を循環 さ せ る研究方法 を と っ てい る こ と がわかる。 そ れ

は以下に述べ ら れた こ と か ら も明 ら かで あ ろ う 。

「つま り 、 事実と し て展開 さ れてい る現実の音楽科教

育の さ ま ざま な問題に始ま り 、 そ れら を解決す るために

その問題を抽象化 し、 諸学問や芸術の成果と対応させな

がら解決への道筋 を探究す る と い う こ と であ る。 そ し て

最後に、 再び音楽科教育の現実において こ の探求の成果

を具体化 し てい く も のであ る。 端的にい う な ら ば、 音楽

科教育の研究は、 音楽科教育の事実に始ま り 、 学問的探

求 を通 し て、 再び音楽科教育の事実に回帰 し てい く 一連

の思考の プロ セスではないかと 考え てい る」 '5)

こ のよ う な視点から、 音楽科教育の研究におけ る理論

と 実践に関す る結論は次のよ う に導き出 さ れた。

「 (1) 理論 と 実践 を研究分野や領域におい て区別 し な

い。 つま り 、 研究分野は事実 と し て展開 さ れる音楽科教

育の問題領域構造によ っ て決定 さ れる も ので あ る。

(2) 理論的研究者や実践的研究者と い う よ う な役割分

担 を し ない。 つま り 、 社会的にいかな る立場にあ っ て も、

音楽科教育の研究や実際にかかわる教師たちは、 そのす

べてが先に述べた一連の思考 プロ セス を も っ て、 実学的

な虚学と 虚学的な実学の両面 を志向す る研究者で なけれ

ばな ら ない と 思 っ てい る。」 '6)

55

しか し ながら、 こ れまで述べてき たよ う なこ と が現在

に至 っ て も十分に実現 さ れてい る と は言いがたい。 その

根拠は、 理論 と 実践につい ての論議が未だ後 を絶た ない

と い う こ と が如実に証明 し てい る と いえ る。 では、 理論

と 実践につい ての論議に どのよ う な具体性が読みと り に

く かっ たのか。 その手がかり と し て考え ら れる視点が、

プ ラ メ リ ッ ジの評価観に見る こ と がで き る。

IV . プ ラ メ リ ッ ジの評価観一 授業の底に流 れる音

楽の経験と 理解の理論が批判的反省の基礎 と な

る ために

1980年代、 日本の音楽科教育のみな らず日本の教育 シ

ス テ ムはバ ブル経済の後押 し も あ っ て世界の ト ッ プ レベ

ルを自負 し てい たよ う に思え る。 し か し一方で、 ボー ド

マ ン ら が 『音楽的思考の次元』 で指摘 し た よ う に、

「 “音楽 を愛好するこ と” や “音楽の授業 を楽 しむこ と”

と い つた よ う な漠然 と し た目標は、 特定化 さ れた測定可

能で到達可能な目標によ っ て置き換え ら れる必要があ る

だろう」 '7) と い う 提言に対 し て、 有効 な対策 を なかなか

講 じ る こ と がで き なかっ たのも また現実であ る。 つま り 、

そのよ う な目標 を どのよ う に評価 し てい く のかについ て

の新 し い指針 を持つ こ と がで き なかっ た と い う こ と で あ

る。

こ の 問 題 に 対 し て プ ラ メ リ ッ ジ は ま ず 、 “評 価

(evaluation) は複雑で混乱 し やすい” と い う 大前提の も

と、 その理由 を 「評価と いう 用語が多様な文脈で使用 さ

れ、 多 く の意味 を持つためその結果 と し て評価に単一の

形式がない」 '8) と い う こ と に起因 し てい る と 述べてい る。

テニス ・ ロ ー ト ンによ る と 評価は教育的、 専門的、 政

策的な判断 を視点 と し て教育におい て使用 さ れる評価に

は、 7 つの タ イ プがあ る と さ れてい る。'9) その タ イ プの

中には生徒の進歩、 教師の力量、 学校の効率につい ての

判断 な どが含 ま れてい る。

それに加え て、 「過去15年の間に学校は非常に綿密な

政府の検査 を受け る よ う にな っ た」 2°) と い う 。 その検査

と は、 教育目標 ・ プロ グラ ム ・ 方針、 そ し て その成果に

つい ての詳細な情報提出が要求 さ れる よ う に な っ た こ と

であ る。 プラ メ リ ッ ジの著作が1991年なので、 日本はそ

のよ う な検査は25年ほ ど遅れてい る と い っ て も 過言では

ない だ ろ う 。

なぜ そのよ う な検査がな さ れる よ う に な っ たのか。 日

本と比較す る と 、 イ ギリ スの現状 と し て、 教育は公的な

「サー ビス」 で あ る と い う 見方があ る。 だか ら 、 学校は

効果的で能率的な方法で機能 し てい るこ と を明示す る必

要があ る。2')

し たが っ て、 教育 を全 く の 「専門家」 だけ に ゆだねる

の をやめ、 すべ ての人に カ リ キ ュ ラ ムにかかわ る権利 を

与え るべき であ る と い う 考えが普及 し てい つた。 その結

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果、 あ る学校が効率的あ るいは 「成功 し てい る」 と判断

さ れる一つの方法基準は、

1 . 生徒の学業上の到達度と いう 観点 を重視するこ と

2 . テス ト の結果の公開は民主主義社会で必要

と い う こ と と さ れた。 特に後者につい ては教育が税金で

まかなわれてい るこ と からすれば、 重要なこ と であ ろ う 。

と こ ろが一方で、 最初に述べたよ う に評価の多様性 と

複雑性のため成績 を公開 し て も 、 学習成果の指標には決

し てなり え ない。 こ のこ と は、 学校についての専門家で、

教育に関す る基本的 な原則 を理解 し てい る人であれば誰

も が完全に認識 し てい る こ と であ っ た。22)

こ のこ と の解決策と し て、 芸術が “主要教科” と同列

に評価すれば、 教科と し ての地位は高ま るかも し れない。

芸術の地位は、 社会におけ る芸術への意識が高ま るか

どう かにかか っ てい る と い っ て も 過言ではない。 し か し

芸術活動は “目に見え るために” 学校の評判に貢献する

こと がで き るがゆえ に、 非本質的 な目的のために使われ

る こ と があ る。 こ のよ う な現状 を打開 し てい く ためには

新 し い カ リ キュ ラ ム開発が必要なのであ る。

と こ ろ で 、 新 し い カ リ キ ユラ ムー プロ グラ ムや教授方

法や教材一 を学校に導入す る と き、 それらが既存の枠組

みに対す る適合性 を判断 し なけ ればな ら い。 それは例え

ば、 あ る改革に どんな成果があ っ て、 そ れは追及すべき

価値があ るか どう かについ ての判断等で あ る。

つま り 、 カ リ キ ュ ラ ム開発は評価に依存 し、 その評価

は生徒の上げた成果に対す る評価だけで な く 、 改革 と そ

の進展の過程に対す る評価と 関連 させ る必要があ る。 こ

のこ と に関 し て、 プ ラ メ リ ッ ジは以下のよ う に述べ てい

る c

「音楽教育におけ る改善は窮屈な規定やう わべだけの

良案ではな く 、 真に 『教育的』 プロ グラ ムについての学

校 を基礎 と す る評価にその多 く を教師によ っ て負 っ てい

る 」23)0

V . カ リ キ ュ ラ ム評価 と カ リ キ ュ ラ ム開発

プ ラ メ リ ッ ジに よ れば、 カ リ キ ュ ラ ム開発 には大 き く

以下の 2 つの形があ る と さ れてい る。

「 ・ 古典的形式…目標設定に焦点 を置 く カ リ キュ ラ ム

計画 (研究と 開発によ るが、 最終的に目標よ り も活動 を

強調す る こ と に な っ て し ま っ た。)

・ 新 しい波の様式…古典的形式の限界に対す る反応

(単に生徒の演奏 を評価す る と い う よ り も む し ろ、 教室

内の活動のリ ア リ テ ィ を記述 し たり 、 解釈す るこ と を試

みてい る。 新 し い評価者のテ ク ニ ッ ク には、 授業観察、

イ ン タ ビュ ー、 ア ンケ ー ト な ど本人が カ リ キ ュ ラ ムの全

体像をつかめるよ う な様々な方法 を含む) 」 24)

上述の “新 し い波の様式” に即 し ていえ ば、 「教室は

56

意味 と視点 (perspective) に満ち てい る」25) 、 す なわち何

を どのよ う な視点で評価の対象にす る かに よ っ て、 音楽

科教育のあ り 方 も いかよ う に も変わる可能性 を持 っ てい

る と い う こ と で あ る。

す なわち、 前に 「芸術活動は “目に見え るために” 学

校の評判に貢献す る こ と がで き るがゆえ に、 非本質的な

目的のために使われる こ と があ る」 と 述べ てはい るが、

人々の関心事は、 やは り 、 「生徒の経験の質は どのよ う

なものか」 と か 「 よ り 刺激的な教育的出会い を提供 し て

い るか」26) と い つた こ と なので あ る。

さ ら に プ ラ メ リ ッ ジは、 ロ ー レ ンズ ・ ス テ ンハ ウス の

見解 を引用 し ながら、 「学校の教師は研究共同体と し て

見 ら れるべき であ り 、 自己実践につい ての体系的な研究

と 教育の成功と失敗 を分かち合う 自発性に委ねる」27) と

し てい る。 すなわち、 彼は教師 を評価者 ・ 研究者 ・ 開発

者 と みな し、 その専門性に期待 を し てい る。 し たが っ て

彼は、 カ リ キ ュ ラ ム開発 に つ い て の どの よ う な提案 も

「正 しい」 と い う よ り も む し ろ、 「賢明」 であ る こ と を基

準に、 一計画書 と し てみなけ ればな ら ない こ と を強調 し

て い る 。 ジ ョ ン ・ べ イ ン タ

と し ての音楽の意義につい

一も 述べ てい る よ う に、 教科

て意識 を高める こ と を通 し て

実践 を展開す る よ う な カ リ キュ ラ ム開発こ そが教師の発

達に も つ なが るので あ る。28) マ ル タ ン ・ シ ッ プマ ン も同

様に、 カ リ キ ュ ラ ムの効果的な開発は 「管理、 助言、 訓

練 を行 っ たり 新 しい考え を生みだすこ と に携わる各種機

関 と 学校 と の隔た り を狭め る こ と にかかっ てい る」 と 指

摘 し てい る。29)

上述 し た よ う な考え の基 に プ ラ メ リ ッ ジが行 っ た、 音

楽 と 芸術 を さ ら に普及 さ せ る ための努力 は、 よ り 広い カ

リ キ ュ ラ ムの討論へ と 繋が っ てい っ た。 彼はまずその手

が か り を 以 下 に 示 し た よ う な ア ク シ ョ ン ・ リ サ ー チ

( Action Research) の技術に求めよ う と し た (、

< ア ク シ ョ ン ・ リ サ ーチ の技 術 >

詳細な記録の保存

批判的な分析のための授業録音

→教師、 生徒、 外部からの三者の見方の比較

第三者の観察や論評の検討

→つまり 「三項化」 の活用

生徒の意見な ど

この方法は、 1 . 方法が不明瞭で客観性、 信頼性がない、

あ るいは 2 . 三項化の手順は人によ っ ては脅威 を感 じ る

こ と も あ る等の問題も あ っ たが、 行動研究それ自体は実

践の現実 に関係 し てい る し 、 ア ク シ ョ ン ・ リ サーチ か ら

得 ら れる結果は、 実践が どう な り 得 るか、 どう な るべき

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チ ヤールズ ・ プラ メ リ ッ ジの音楽教育論の再検言

かに つい て の意思決定 に貢献す る こ と は明 ら かで あ っ

た 0 30)

そ し て、 その一方で、 多 く の教師は教育実習の状況に

逆戻 り 感 も も た らすが、 決 し て それだけ ではな く 、 上述

し た こ と が我々を 「我々自身の音楽授業のなかに我々は

何を探 し てい るのだ ろ う か ? 」 と い う 問題に引 き戻す と

い う 31)0

プ ラ メ リ ッ ジは、 「 こ う し て初めて、 底 に流 れる音楽

の経験と理解の理論が批判的反省の基礎と なる」 と続け、

それが 「音楽教育の理論と 実践」 だと 結論づけ てい る。

VI . おわ り に

教育 を専門と す る者は、 いつも学校におけ る彼 らの仕

事の有効性や質の改善に向けて努力 し てい る。 当然のこ

と なが ら、 こ の考え は教育 と は、 何が価値あ る も ので何

がそ う で ない も のなのかに関 し て賢明な判断 を行い続け

る仕事だ と い う こ と がわかる。 だ と すれば、 音楽 を芸術

と し て教え るのか単 な る娯楽 と し て なのかについ ての間

い も明 ら かと な る。

音楽科教育は芸術の本質 と 価値にかかわる問題を扱う

教育であ る。 つまり 、 音楽教育はやはり 美的教育と し て

あ り 続け る と い う こ と であ る。 し か し それに と も な う 力

リ キ ユラ ム開発は少 しずつ進化 し てい く 過程におい て、

失敗 を繰り 返 し ながら 時と し て本質 を見失う こ と も経

験 し ながら 変革 を繰り 返 し てい く と 考え ら れる。 そ し

て美的教育 と し てのカ リ キュ ラ ム開発の過程こ そが、 音

楽科教育の理論 と 実践の間隙 をつな ぐ過程の最も重要な

指針であ る と いえ る。

音楽科授業におけ る、 美学的な価値判断に対す る評価

規準の作成が次の課題であ る。

【註及び引用参考文献】

1 ) Plummeridge, C., “Music EducationPractice”, The Falmer Press, 1991, p 2

2 ) Plummeridge, C., op. cit., pp..7-23

))

3

4

Ibid., pp 25-92 Ibid., pp 93-109

in Theory &

5 ) Ibid., pp.135-1506 ) 川口道期 他、 「『季刊音楽教育研究』 の内容分析」

『季刊音楽教育研究62』、 音楽之友社、 1990、 p i l l7 ) 同上書、 p i t28 ) 同上書、 p.1389 ) 岡本信一 他、 「教科教育 と し ての音楽科教育の研

究を求める」 一 『季刊音楽教育研究63』、 音楽之友社、

1990、 p7810) R ウイ リ アムズ (岡崎康一訳) 、 『キイ ワー ド辞典』、

晶文社、 1986、 p38411) 大淵和夫 編、 『哲学 ・ 論理用語辞典』、 三一書房、

57

1959、 p.13012) 岡本信一 他、 前掲書、 p 7913) 同上

14) 同上

15) 同上

16) 同上、 p8017) Pautz, M., “Musical Thinking in The General Music

Classroom” -D imens1ons of M;usleast Thinking, 1989,p66

18) Plummeridge, C., op. cit., p 9319) Ibid., p9320) Ibid.21) Ibid., p9422) Ibid.23) Ibid., p 9624) Ibid., pp 96-9725) Ibid., p 9726) Ibid.27) Steinhouse, L., “An Introduction to Curriculum

Research and Development”, London, Heinemann,1975.

28) Paynter, J., “Music in the Secondary SchoolCurriculum” , Cambridge University Press. 1982

29) Shipman, M., “Inside a Curriculum Project”, London,Methuen. 1974

30) Plummeridge, C., op. cit., p ie231) Ibid., p ie6