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Title 『周易集解』所引の王弼易注について Author(s) 仲畑, 信 Citation 中国思想史研究 = JOURNAL of HISTORY OF CHINESE THOUGHT (1999), 22: 25-54 Issue Date 1999-12-25 URL https://doi.org/10.14989/234397 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Title 『周易集解』所引の王弼易注について

Author(s) 仲畑, 信

Citation 中国思想史研究 = JOURNAL of HISTORY OF CHINESETHOUGHT (1999), 22: 25-54

Issue Date 1999-12-25

URL https://doi.org/10.14989/234397

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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『周易集解』所引の王弼易注について

仲畑 信

 李鼎詐の『周易集解』(以下『集解』と略称する)は、漢より唐にいたるまでの三十余家の易注を集めたもの

あり、この時代の易注のほとんどが亡侠してしまった今日において、この時代の易学を考えることのできる貴

重な書物である。引用されている注の数は、虞翻注が最も多く、筍爽注がこれに次いで多い。いわゆる漢代象数

易を代表する両者の易学に対する研究は、この『集解』が存在したからこそ可能であった。このようなこともあ

り、『集解』は漢代象数易を伝える書物である、と広く考えられている。『集解』の引く一つ一つの注に詳細な解

を加えた『周易集解纂疏』の著者である李道平が、その自序において「李君鼎詐は…集解一書を成し、漢学を

表章す」と言っているのが、このような見方を代表するものであろう。

 確かに

『集解』は漢代象数易を表章する書物である。それは勿論、否定はしないが、しかし、それが全てでは

ない。『集解』が多く引用しているのは、虞翻や筍爽を始めとする漢代象数易の易説ではあるが、その一方で、

漢代象数易に対する、いわゆる義理易の代表である王弼の易注も、五十七条にわたり引用しているのである。こ

十七条という数字は、虞翻注の引用回数と比べれば、桁違いの少なさではあるものの、決して小さな数字で

ないように思われる。李鼎詐は、なぜ王弼の易注をも、『集解』の中に加えたのであろうか。また、そもそも、

一 25一

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李鼎柞は、王弼の易注をどのように評価していたのであろうか。このような問題を考えることにより、『集解』

という書物の別の一面が、あるいは、李鼎昨の時代に王弼の易注がどのように読まれていたのかといったことが

らが、見えてくるのではないかと考える。

 

『集

解』が王弼易注を引用するのは、以ドの五十七条である。

  乾九.一・用九・文言伝(四条)/坤象伝/蒙六四/需初九・六四/訟家伝・九五/師卦辞/小畜象伝/泰初

  九

同人九四/大有象伝・上九/豫六.-、/随六三/轟初六・九三/観卦辞・初六・九五・上九/嘘縢六五/

  責六四/復六二/大畜初九・上九/願六四・六五/大過象伝/離初九/恒象伝/家人象伝・九三/膿六五/

  解象伝・九四/央象伝・九一.∵九五/妬九二・九四・上九/華六二/困象伝・九四/井象伝/旅象伝・九四

                  (ー\

  /巽六

/換六三/節六三/中孚六=.

 な

お、李鼎旅の伝は新旧『唐書』になく、ただ『新唐書』芸文志、経部易類に「李鼎柞『集注周易』十七巻」、

部五行類に「李鼎肺『連珠明鏡式経』十巻。開耀中(六八]ー六八二年)これを上す」とあるのみである(『旧

                                                 (2)

書』経籍志は、ともに著録していない)。また、『集解』自序の結びには「秘書省著作郎、臣李鼎詐序」とある。

一 26一

 李鼎昨『集解』は漢代象数易を表章する書物であるとの認識は、引用されている注が、

と筍爽注が多いということのみではなく、自序の次の一文にも由来する。すなわち、

数の上で圧倒的に虞翻

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  虞翻・荷爽三十余家を集め、輔嗣(王弼)の野文を刊り、康成(鄭玄)の逸象を補う。

この自序を承けて、北宋の計用章の『周易集解』後序は「その取る所は筍慈明(爽)・虞仲翔(翻)を多しと為

し、而して王氏を斥くるは、李氏の志なり」と言う。『経義考』所引の『中興芸文志』は「李鼎詐の易は、鄭康

を宗とし、王弼を排す」と言う。このような李鼎柞『集解』は王弼易注を排斥するものであるというとらえ方

は、果たして妥当なものであろうか。

 今、『集解』の引く五十し]条の王弼注のうち、李鼎肺自身が、案語により、王弼注に対する批判を述べている

は、訟象伝注と師卦辞注である。

 

まず、訟卦象伝の王弼注は、その前半においては要するに、「訴訟ごとは甚だ困難であり、信があり、塞がり

擢れ

る者であって、吉を得ることができる。しかし、その吉も訴訟ごとの中途における吉であり、終わりにいた

れば

ある」と、卦辞の「訟、有孚、窒楊、中吉、終凶」を解釈する。続いて、

  善く聴く者がいなければ、その実があったとしても、何に由りて明らかにすることができよう。信があって

  塞が

り擢れる者に、その中途における吉を得させるのは、必ず善く聴く主があるからであり、それは第二交

  に

るであろう。〔九二は〕剛を以て〔第二交に〕来て、かの群小を正しくし、裁断するのに中正さを失わ

               (3)

  ず、その任に応ずるものである。

と、訟卦には、善く聴く主、つまり、訴訟ごとをよく聞いて、中正な判断を下す主があり、その主とは九二であ

るとする。これに対して李鼎詐の案語は、次のように言う。

一 27一

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  訟卦の善く聴く主は、第五交に在る。その理由は、交辞に「九五、訟、元吉」とあり、王弼注に「〔九五は〕

  尊い

を得て、訟卦の主である。その中正さを用いて、柾直を裁断する」とある。象伝に「大人を見るに利

  ありとは、中正を尚ぶ」とあるのが、その意味である。〔一方〕九二の象伝は「訴訟に勝てなく、引き下が

 

 って逃れ隠れる。下より上を訴えれば、わざわいを拾うことになる」と言う。九二は訴訟の時にあって、自

  

らを救うことに忙しくて、訴訟に勝てず、擢れを胸に逃れ帰り、わずかにその終わりの凶禍を免れることが

  で

きるのみである。どうして善く聴く主でありえようか。時代が流れ、師の道が喪なわれ、恐らくは文字の

                                 (4)

  伝写

を誤り、五を二としたのであろう。後の賢者が詳らかにするであろう。

要す

るに、訟卦の善く聴く主について、王弼は九二であるとし、李鼎肺は九五であるとする。ただし、李鼎詐は

弼注

を批判するのに、九五の王弼注を援用し、そこに「九五は訟卦の主である」と王弼自身が言っていること

ら、恐らくは転写の誤りであろうとするのである。したがって、これは王弼に対する批判というよりは、転写

           (5)

の誤りに対する批判である。

 一方、師卦の卦辞「師、貞丈人、吉、元答」に対する案語は、「丈人」を問題にする。王弼注は「丈人とは、

厳荘

あり、軍を有して正しいものである」とする。陸績注は「丈人とは、聖人である」とする。崔憬注は

「『子夏伝』は〔丈人を〕大人に作る」とする。そして、案語は、師卦の象伝と『老子』二十五章とを引き、「王

となるのは必ず大人であり、丈人ではない」とし、さらに乾卦文言伝の大人を説く文章を引用して、以下のよう

に結ぶ。

  

これらのことから論ずれば、『子夏伝』が大人につくるのが、正しい。今、王弼は大人を曲解して丈人とな

一 28一

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  し、臆測して「厳荘の称である」と言う。その学問は古えを師とせず、聞き学んだことを説くものではない。

                                       (6)

  経文の趣

旨に違うものであり、ただちに改正して大人に作るべきことは明らかである。

これは、明白に王弼批判である。

 以上

ように、『集解』が王弼注を引き、案語がそれに関連する内容を述べる注はほかにもいくつかある。し

し、案語が王弼注を批判する例は、ほかには見当たらない。むしろ王弼注に基づきつつ、王弼の言及していな

ことを補足するような案語が見られる。解九四注は、その一例である。ここでは交辞の「解而母(注疏本は「栂」

るごが問題となる。

  〔九四は陽交が陰位にあり〕位を失って正しくなく、六三に隣り合わせであるので、六三は九四に附属して

  その

親指となることができる。六三が九四の親指となると、〔九四は〕初六との対応関係を失うので、「その

           (7)

  親指

を解く」のである。

これが王弼の解釈であり、「九四がその親指である六三を切り離す」と解釈するのである。この王弼注に続く案

語は、次のように言う。

                                           〔8)

  九

は〔解卦の上卦の〕震にあり、震は足である。六三は足の下に在るので、親指の象である。

この案語は、王弼に同じく六三を親指とし、ただ、説卦伝の「震は足である」により、王弼注を補足するのであ

る。実は、この解九四において、『集解』は虞翻注をも引用しているが、虞翻は九四を親指とする。つまり、李

鼎詐

は、九四を親指と解釈する虞翻注と、六三を親指とする王弼注とを引用し、案語により、王弼注を補足して

一 29一

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るのである。

 旅九

も、解九四注と同じく、虞翻注と王弼注とを引用して、最後に案語を加える。その案語の「平坦の地」

「資斧が荊棘を伐り除く」という表現は、ともに王弼注を承けるものであり、この案語も、解九四注の案語と同

じく、虞翻注にではなく、王弼注に依拠しつつ、それを補足するものである。

 

このほか、轟九三注では、『集解』は王弼注のみを引用し、短い案語により、王弼注を補足する。貴六四注で

も、まず王弼注を引用し、それを陸績注と案語と崔憬注とにより補足する。王弼よりも先人の陸績が王弼注を補

足す

るということはありえないが、ここで「補足する」と言うのは、李鼎柞が『集解』を編纂する時に、陸績注

を使って王弼注を補足した、ということである。

 以上

は、案語、もしくは案語と他の注とにより王弼注を補足するものであるが、案語なしに、他の注のみで王

弼注

を補足するものとしては、豫六三注(向秀注により補足)・大畜初九注(虞翻注により補足)・家人九三注(侯

果注に

より補足)などがある。

 補足する、ということについて、さらに述べるならば、『集解』には、一つの経文に対して複数の注が並列さ

れ、その複数の注が互いに補足しあいながら、全体として一つのまとまった解釈を示す、という形が見られる。

して、その複数の注の中の.つとして、王弼注が引用されることもある。一例として、鄭玄注・王弼注・馬融

注を並列し、最後に案語を加えている観卦辞「観、盟而不薦、有孚頗若」の注を見てみる。まず、鄭玄注は、

 

 〔観卦の下卦の〕坤は地であり、衆である。〔上卦の〕巽は木であり、風である。九五は天子の交であり、〔三

  四五

交の〕互体に艮があり、艮は鬼門であり、また宮闘である。地の上に木があり、鬼門の宮闘であるのは、

一 30一

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           (9}

  

子の宗廟の象である。

と、上下卦および互体の象などにより、この観卦が天子の宗廟を象徴するとする。続いて引用される王弼注は、

                                     そそ

  王

道の観るべきものは、宗廟より盛んなものはなく、宗廟の観るべきものは、盟ぐことより盛んなものはな

  

い。〔犠牲を〕薦める折になると、簡略であって、もはや観るに足りない。故に盟ぐのは観るが薦めるのは

       ⌒10一

  観ないのである。

と言う。王弼自身が、観卦は宗廟を象徴するとする鄭玄注を意識したか否かはさておき、李鼎詐は、宗廟という

象徴を導き出した鄭玄注に、その宗廟から説き始める王弼注を続ける。続いて馬融注は言う。

                     ワ ニ

  盟

ぐとは、さかずきを進めて地に〔酒を〕灌ぎ、神を降すことである。これは祭祀の盛んな時である。神が

  降って犠牲を薦める折になると、その礼は簡略であり、観るに足りない。「国の大事は、ただ祭祀と戦争と

  で

ある」〔『左伝』成公十三年〕。王道の観るべきものは、祭祀に在り、祭祀の盛んなものは、初めて盟いで

                               そそ

  神を降すこと以上のものはない。故に孔子は言う「締の祭では、灌ぎ終わった後は、わたしは観たいとは思

  わ

ない」と〔『論語』八伯篇〕。これは、〔犠牲を〕薦める折になると簡略であるから、観るに足りない、と

  い

うことである。下から上を観るに、その最も盛んな礼を目にするので、万民は敬信する。故に〔卦辞は〕

  ま}三                         (旦

  「孚有りて頗若たり」と言う。孚は信であり、頗は敬である。

馬融注は、祭祀における「盟」と「薦」の意味を、王弼注よりも具体的に説明し、さらに卦辞の「有孚頗若」の

釈へと及んでいる。なお、馬融注の引用する孔子の言葉は、象伝の注において虞翻も引用しているし、『集解』

では省略

されているが、王弼注も引いている。さて、最後に案語は、この観卦卦辞の内容と関わる謙卦象伝、『左

一一 31一

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伝』の引く「周書」の言葉、そして既済九五交辞を引用しながら、卦辞の意味を補足説明する。

  「鬼神は満ちたものを害ない」〔謙象伝〕、淫に禍いし善に福を与える。もし人君が徳を修め、その至誠が神

  を感動させたならば、「〔お供えの〕黍や稜が馨しいのではなく、明らかな徳こそが馨しい」〔『左伝』僖公五

  年〕。故に盟ぐのは観るが薦めるのは観ず、その誠信を受けるのである。すなわち「東隣りが牛を〔お供え

  の

ために〕殺すのは、西隣りの〔誠があって倹約な〕禰祭に及ばない。〔西隣りが〕本当にその福を受ける

                               ⌒12)

  の

ある」〔既済九五交辞〕とあるのが、その意味するところである。

この観卦辞注と同じく、『集解』が王弼注を含む複数の注を引き、それら複数の注が互いに補足しあう形になっ

てい

るものとしては、ほかに、王弼注・虞翻注・筍爽注・王粛注を引き、さらに案語を附している家人象伝注を

挙げることができる。

 以上

ように、『集解』には、王弼注を引き、その王弼注を案語や他の注により補足するものが、かなり見受

られる。ということは、『集解』は、必ずしも王弼易注を排斥するものではないのではないか。

一 32一

 

『集

解』が必ずしも王弼易注を排斥するものではなく、時に王弼易注を認めていることは、数こそ少ないもの

の、一つの経伝に対して、王弼注のみを単独で引用するケースがあることからも、明らかである。

 王

弼注の

を単独で引用しているのは、蒙六四注と復六二注である。また、盛卦の初六では、『集解』は、交

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辞「幹父之盤、有子考、元答、属、終吉」の解釈として、虞翻注を引き、案語を加える。そして象伝「幹父之曇、

意承考

也」に対する解釈として王弼の象伝注を引用する。この王弼注は、虞翻注と案語が全く言及していない象

伝の

「意承考也」の意味を説くものであり、蒙六四注や復六二注ほどではないが、やはり一つの経伝(この場合

は象伝)に対して、王弼注のみを引用しているものと考えることができる。同様に、解卦の象伝の「解之時大奏

哉」と、井卦の象伝の前半部分「木上有水、井」とについても、その解釈として、『集解』は王弼注のみを引用

している。

 

このように、『集解』が王弼注のみを単独で引用するのは、その経伝に対する解釈として、諸家の注の中で王

弼注が最善であると、李鼎詐が判断したということであろう。

 それ

は、『集解』が引くそれ以外の王弼易注、つまり王弼注を案語などにより補足したり、あるいは王弼注

を単独で引用するもの以外の『集解』が引く王弼易注はどうなのかというと、引用のされ方としては、王弼

と他家の注とが並列され、しかも、その解釈が異なっている場合が多い。以下に、その代表的な例を列挙する。

なお、『集解』が誰の注をどういう順序で引用しているのか、特に解釈の異なる文字がある場合はどの文字の解

釈が異なるのかを、下に示す。

  泰初九  王弼・虞翻       「茄」「外」

  随六三  虞翻・王弼       「利居貞」

  観九

五  虞

翻・王弼・虞翻

一 33一

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 具体的に右の中から、

    王弼は、

 

 陽剛は尊く、

  そ

序を得ている。

と、「剛が上にあり、

 

観上九

 

嘘嗜六

 

大畜上九

 

願六

 

恒象伝

 

央九五

 娠九二

 

葦六二

 

困象伝

,旅象伝

 

節六三

 

中孚六三

ついて、

翻・王弼・虞翻

虞翻・王弼・萄爽     「得当」

虞翻・王弼・虞翻    「何」

弼・虞翻

王弼・蜀才       「剛上而柔下」

←旬爽・虞翻・虞翻・王弼   「一見陸」

虞翻・王弼       「包」

虞翻・虞翻・虞翻・王弼  「旛」

王弼・虞翻

虞翻・王弼

虞翻・王弼       「元答」

筍爽・王弼       「得敵、或鼓或罷、或泣或歌」

    解釈の

違いが解りやすい二例を、部分的に見てみる。まず、恒象伝の「剛上而柔下」に

 

陰柔は卑しく、〔恒卦においては、陽剛である震卦が上にあり、陰柔である巽卦が下にあり〕

  〔13}

                                  のぼ       くだ

  

柔がドにある」と訓む。これに対して蜀才注は、卦の変化により、「剛が上り柔がドる」と

一 34一

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訓む。

  

この卦は、本は泰卦である。考えるに、〔泰卦の〕六四が初交に降り、〔泰卦の〕初九が第四交に升った〔の

                のほ    、だ          ⌒14)

  が、恒卦であり〕、これが「剛が上り柔が下る」ということである。

二例

目として、中孚六三交辞「得敵、或鼓或罷、或泣或歌」の、筍爽注と王弼注とを簡単に比較する。荷爽注は、

と六四とが「敵」であり、六四は「鼓し」「歌い」、六三は「罷め」「泣く」とする。 ,方、王弼注は、筍爽

                                               ⌒15へ

と同じく六三と六四が「敵」であるとするが、「鼓し」「罷め」「泣き」「歌う」のは、いずれも六三であるとする。

 

このように見てくると、『集解』は、二つの、あるいは三つ以上の解釈が可能である場合には、広く異なった

解釈を採用しようとしているように思われる。また、『集解』は、引用の先後に特別な意味を込めているように

思わ

れな

い。しかし、『集解』は.,、十数家の注釈者の異なった解釈を全て採用しているわけではない。採用す

るか否かは、李鼎昨が解釈としての妥当性を見極めた結果である。広く異なった解釈を採用するとはいっても、

経伝の

解釈として剰りに逸脱したものはもちろん採用されないであろう。また、広く採用するとはいっても、五

も六説も採用しているような例は見られない。ということは、『集解』に引かれている注は、経伝に対する解

として妥当であり、しかも、多くの解釈の中で特に優れたものであると、李鼎肺が判断したもの、と考えてよ

あろう。そして、その李鼎肺の判断に基づき、『集解』には、虞翻注が、次いで筍爽注が最も多く採用され

てい

るのであり、『集解』が漢代象数易を表章する書物であるとされるのである。しかし、王弼注の五十七条と

う数字も、決して少ないものではない。『集解』が引用する注の数が多いのは、『十三経清人注疏 周易集解纂

疏』(中華書局、一九九四)の点校体例によれば、以下の通りである(李鼎昨の案語を除く)。

一 35一

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  虞翻、千三百弱。

  筍爽、三百余。

  崔憬、二百余。

  干宝・九家易・侯果、百余。

  鄭玄・宋衷・陸績・王弼・韓康伯・孔穎達、四十から六十。

は、いわば第七位グループに属している。この第七位グループについて、劉玉建『両漢象数易学研究ー周易

集解導読』(広西教育出版社、一九九六)前言を見ると、

韓康伯

王弼

陸績

孔穎達

鄭玄

宋衷

五十八条

十七条

十四条

五十三条

十八条

十二条

は第八位ということになる。なお、私自身が『易学叢書 周易集解纂疏』(台北、広文書局、一九七一)に

より、王弼・韓康伯・孔穎達の注を拾い出したところでは、王弼は五十七条で一致するが、韓康伯は五十一条、

孔穎

達は五十二条であった。正確な数字を示すことは、はなはだ困難であるが、王弼がベストテン入りしている

ことは確かである。

一 36一

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『集解』は五十七条の王弼注を引用する。しかも、そのほとんどは、王弼注を批判するために引用したもので

ない。李鼎肺が明らかに王弼注を批判しているのは師卦の卦辞の「丈人」に対する解釈のみである。案語など

より王弼注を補足したり、王弼注のみを単独で引用するのは、明らかに王弼の解釈の妥当性を評価するもので

あり、王弼の注と他の注釈者の解釈を並列するものも、王弼注を一つの妥当な解釈として認めるものである。つ

まり、『集解』は、王弼の注を、多くの場合、経伝の解釈として優れたものとして引用しているのである。自序

「輔嗣(王弼)の野文を刊る」とはあるものの、『集解』は決して王弼易注を排斥するものではない。むし

                          {16)

ろ王弼の解釈を、時に優れた解釈として評価しているのである。

一 37一

 

『集

解』が、王弼易注を、時に優れた解釈として評価していることを確認したが、それでは、『集解』は王弼

易注のどのような所を評価しているのであろうか。それは、李鼎詐の自序も述べていることであり、また『集解』

引く王弼注を読めば容易に読み取れることであるが、王弼の「人事」による易解釈を評価しているのである。

 まず、李鼎酢の自序を見てみよう。

  卜商(子夏)が〔孔子の〕室に入り、親しく微言を授けられて以来、〔『易経』に対する〕注釈は百家にもの

  ぼり、千古の時を歴て、競って穿盤を加えてきたが、なおいまだにその奥深さを極め尽くしてはいない。〔そ

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  れ

らの多くの注釈の中で〕ただ王弼注と鄭玄注のみが相い沿い、頗る世に行なわれている。鄭玄は多く天象

  を参考にし、王弼は全て人事を釈いている。それに易の道というものは、どうして天か人かに偏り滞るもの

  で

あろうか。〔天か人かに偏った鄭玄注と王弼注のみが世に行なわれていることが〕後進の学者達を、ごた

  ごたと混乱させ、それぞれ局見を修めさせて、源流を弁ずることがないようにさせてしまっている。天象は

  遠

くて尋ね難く、人事は近くて習い易いので、折楊や黄華など〔の俗曲〕には、〔それを聞いた人々が〕声

  をあげて笑う〔ように、習い易い人事を釈く王弼注の方が世に受け容れられている〕のである。進む方向は

                               ⌒口)

  そ

を同じくするもの同士が集まるとは、こういうことなのだろうか。

 李鼎詐の生卒年は不明であるが、はじめに述べたように、『新唐書』芸文志によれば、開耀中(六八一ー六八

年)の人である。孔穎達(五七四-六四八年)の少し後輩であり、『集解』が孔穎達疏を五十条余り引くこと

                                            ⌒18)

を合わせ考えれば、『集解』は、孔穎達の『周易正義』の成立後、まもなくして作られたものと思われる。つま

り、李鼎柞は、『周易正義』が王弼注を採用し、王弼の易解釈が主流になりつつあった時代の人である。そのよ

うな時代に生きた李鼎昨が、当時の易学の問題点を指摘したのが自序の右の一節であると思われる。

 古

来より多くの易注が作られてきたが、いまだ完全なものはなく、世に行なわれている鄭玄注も王弼注も、一

方は天象に偏り、一方は人事に偏った注釈である。ただ、人事を釈く王弼注の方が習いやすいので、『周易正義』

用され、王弼注が主流になりつつある。しかし、『周易』は天象も人事をも含むものである。天象か人事か

偏った注釈のみが世に行なわれることは、『周易』を学ぶものを混乱させる原因となっている。李鼎肺はこの

ように当時の易学の状況をとらえ、天象も人事をも解説する新しい『周易』の注釈書として『集解』を編集した

一 38一

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である。

 李鼎酢のこの自序は、王弼の易注を全面的に認めているわけでは勿論ない。しかし、全面的に否定しているわ

けでもない。『周易』には、天象と人事とが含まれており、その両方に目を配ることが必要なのである。王弼注

天象

を説明しない点において、劣った易注である。しかし、これも『周易』の重要な一面である人事を解釈す

る点において、大いに評価すべき注釈書なのである。

 

ところで、ここに言う「人事」とは、「天象」と対比される「人事」とは、どういう意味であろうか。このこ

とを考えるのに参考にすべきは、乾卦の文言伝の注釈である。『集解』は、文言伝の「潜龍勿用、下也」より「乾

用九、天下治也」にいたる章について、始めに何妥の、

  

この章は〔乾文言伝の〕第二章であり、人事により説明する。

とする注を引き、最後に王弼の、

  

この=早は、全て人事により説明するものである。

まるかなり長い注釈を引用する。続く「潜龍勿用、陽気潜蔵」より「乾元用九、乃見天則」にいたる章では、

始めに、

  

この章は〔乾文言伝の〕第三章であり、天道により説明する。

とする何妥注を引き、やはり結びに、

  

この一章は、全て天の気を説いて説明するものである。…

とする王弼注を引用する。ここでも「人事」は「天道」「天気」に対比されており、「人事」と「天象」とを対比

一 39一

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る自序に類似する。

 そ

こで、「人事」とは何かを確認するために、この乾文言伝の何妥の所謂「第二章」の注釈の一部を見てみる。

まず、初九「潜龍勿用、下也」の何妥の解釈。

 

 〔初九は〕帝舜が田を耕し魚をとっていた日々に当たる。卑賎であって下にあり、まだ時に用いられていな

              ⌒19}

  い

で、「下」と言うのである。

上九

二几龍有悔、窮之災也」の案語。

  

これは桀村が位を失った時に当たる。極まって心が驕り、分不相応なことをするので、悔恨を招き寄せる。

               ⌒20 

  窮まりたおれるという災禍である。

して、王弼注。

  

この一章は、全て人事により説明するものである。〔用九の〕九とは陽である。陽とは剛直な物である。そ

  

もそも全てに剛直さを用い、うわべだけで誠意のない人を放ち遠ざけることができるのは、天下の至治でな

  ければ、不可能である。故に乾元が九を用いれば、天下は治まるのである。そもそも物の動きを識れば、そ

  の

る所以の理は、すべて知ることができる。龍の徳とは、妄動しないことである。〔初九の〕潜んでいて

  用いる勿れとは、どういうことか。必ず窮まって下にあるということである。〔九二の〕現われて田に在る

  とは、必ず時の通舎を以てするということである。交を人とし、位を時とし、人が妄動しなければ、時は皆

  な

知ることができる。文王がその賢明さを示さなければ、その主がどのような主かを知ることができる。仲

                             〔21>

  尼が

旅人であれば、その国がどのような国かを知ることができる。

一 40一

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李鼎柞の言う「人事」とは、要するに、人の出処進退に関わること、人はそれぞれの状況において如何に行動す

きかという処世の教訓である。つまり、自序と合わせ考えれば、王弼の易注は人の出処進退に関わることを釈

くものと李鼎柞は考えていたわけである。

 実

際に『集解』の引く王弼注を見ると、そのような処世の教訓がしばしば登場する。典型的なもののみをいく

つか列挙する。

             かしロノ

  そ

もそも剛健さを以て人の首に居れば、物は従わない。柔順さを以て不正を為すのは、へつらいよこしまな

 

 道

である。(乾用九注)

  事の極

限にあって、時機を失えば〔徳業は〕廃れ、おこたりなまければ〔徳業は〕空しくなる。(乾文言伝

  注)

  その情

を性に一致させなければ、どうして久しくその正しさを行なうことができようか。(乾文言伝注)

  戦

を興し、衆民を動かし、功績がなければ、それは罪である。(師卦辞注)

  義に違い、礼を傷つければ、衆民は従わない。(同人九四注)

                                  ラつし

 

 まさにその盛ん〔な状態〕に進もうとする。故に履み行なうことを慎み、敬みを務めとなし、その答を避け

  るべきである。(離初九注)

 

行ないは驕慢であるよりは、むしろ恭謙であり過ぎる方がよい。家族はなれなれしいよりは、むしろ厳格で

 

あり過ぎる方がよい。(家人九三注)

  困難が解消される時であり、困難な状況を治める時ではない。(解象伝注)

一 41一

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  そ

もそも陽剛が伸長すれば、君子の道が興起し、陰柔が盛んとなれば、小人の道が増長する。(央九三注)

  最も尊くして最も賎しいものを相手とするならば、たとえ勝利したとしても、まだ充分とするには足りない。

  (央九五注)

 

 他

人の物をほしいままにして、自分からの恵みであるとするのは、義として行なわないことである。(娠九

   ⌒22)

  、一注)

 また、『集解』がしばしば解釈の異なる王弼注と他家の注とを並列することは、前に述べたが、特に虞翻注と

王弼注とが並列された場合、虞翻注が象数易の解釈法を駆使するため、王弼の人事を釈く解釈との違いが際立つ。

上九の一例のみ挙げておく。交辞「観其生、君.丁尤答」を、虞翻は次のように解釈する。

 

 〔ヒ九は〕その応ずる交が第三交に在り、その六..,は〔観卦の六交の上ドが逆転した〕臨卦の〔二三四交の

  互

の〕震卦にあり〔震卦は生を象徴する〕ので、「その生を観る」のである。「君子」とは第三交のことで

                                      ⌒23}

  あり、〔上九は〕第三交にゆき、〔陽交陽位の〕正位を得るので、「答がない」のである。

方、王弼の解釈は以下の通り。

 

 「その生を観る」とは、人々に観られるということである。〔上九は〕最も卦の上極にあり、天下の人々が観

  

るところである。天下の人々が観るという地位にあり、その志はまだ安らかではなく、慎まずにはいられな

                                      ⌒24}

  

い。故に君子としての徳が現われて、はじめて「轡がない」という状態を得るのである。

このように、漢代象数易の解釈法を駆使する虞翻注と、人事を釈く王弼注との違いは明らかである。

 以

上、『集解』の引用する王弼注が人事を釈くものとして十数例を列挙したが、ここに挙げたのは、その一部

一 42一

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あり、『集解』の引く王弼注の多くが、程度の差はあるものの、人事に釈き及んでいる。つまり、李鼎詐は、

弼の

易注の特質は人事を釈く点にあると考え、王弼注の人事による解釈を、王弼易注を代表する注であり、優

た易解釈であると評価して、『集解』に採用しているように思われる。

 

なお、以上のような私の見解に対して、次のような批判があるかもしれない。つまり、王弼易注は、人事を象

的に述べたのが『周易』であるとして、『周易』を処世の教訓や人倫道徳として解釈するものであり、いわゆ

る「義理易」と言われる所以である。そのようなことは、王弼の易注に対する研究においてすでに繰り返し指摘

されたことであり、いまさら指摘するに値しないと。このような批判は、ある意味ではもっともなことではある

が、私が本論で問題にしているのは、李鼎荘『集解』が王弼易注をどのように扱っているかということである。

易注の性格そのものを問題にしているわけではない。李鼎柞が、王弼注の人事による易解釈を『集解』に採

用していることは、一つには、李鼎詐も、王弼易注を人事を釈く点において優れたものと考えていたことを示す

ものである。また、むしろこちらの方が重要であるかもしれないが、漢代象数易を表章するとされる李鼎詐の『集

解』ではあるが、決して象数による易解釈のみを表章するものではなく、王弼の人事(義理)による易解釈をも

                一25)

章するものである、ということである。引用される王弼注の条数は、虞翻注などと比べると確かに少ないが、

それ

は、『周易正義』に王弼注が採用されて、王弼注が主流になりつつあるという状況の下で、『集解』が作られ

たからであろう。自序にもあるように、李鼎詐は易解釈には天象と人事のどちらか一方が欠けてもいけないと、

言い

換え

ば、象数のみによる易解釈は不充分であると考えているのであり、だからこそ、人事(義理)を釈く

において優れていると判断した王弼の易注を引用しているのである。

一 43一

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 ところで、王弼易注のもう、つの大きな特質とされる『老子』『荘子』の言葉、もしくは思想による易解釈は、

『集解』においてどのように扱われているのであろうか。

 

まず、『集解』も引用している豫卦六三交辞の王弼注について、焦循『周易補疏』は、『荘子』に本つくと指摘

する。王弼は六三交辞「肝豫、悔」を、

 

 〔六三は〕履む位が〔陰交陽位で〕その〔正しい〕位ではなく、〔豫卦の唯一の陽交である九四という〕動き

  よう                                  ⌒26)

  

豫ぶ主を承ける。もし〔六三が〕唯肝して豫べば、悔いがまた至る。

と、交辞の「肝」を「碓肝」と解釈する。そして、この「碓肝」は、『荘子』寓言篇に見られる言葉であり、す

なわち、

      なんじ                          とも

  老子曰く、而、碓雌肝肝たり、而、誰と与にか居らん。

郭象は、

  碓碓

肝肝

とは、祓雇する様である。人はまさに難を畏れて疏遠になろうとする。

               ようニ

と注釈する。つまり、九四が「動き豫ぶ主」であり、六三はそれを承けるものである。六三が、九四に雌肝して、

      よろこ

まり祓雇して豫ぶならば、辱めを受けて悔いが生まれる、ということである。したがって、焦循は、

  王

氏の学問は、老荘に習い、その「雌肝」二字は、正に『荘子』に本つく。

一 44一

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と言う。王弼が「碓肝」をどのような意味で使っているのかは必ずしも明確ではない。また『荘子』の「碓雌肝

肝」も様々な解釈がなされている。しかし、交辞の「肝」一字を「雌肝」二字により解釈するのは、明らかに『荘

子』寓言篇の影響と思われる。

 次

に、乾卦用九「見群龍元首、吉」に対する王弼注、

             かしら            (27)

  そ

もそも剛健さを以て人の首に居れば、物は従わない。

つい

て、棲宇烈『王弼集校釈』は、

  

これは王弼が、『老子』〔七章〕の「その身を後にして而も身は先んず」、〔三十九章の〕「貴きは賎しきを以

  て本

と為す」という思想を発揮したものである。

と指摘する。人の首に立つことを嘉とはしないで、人の後にあってこそ万物が従う、という考え方は、王弼の乾

用九注と『老子』とに共通するものではある。しかし、王弼易注が依拠しているのは、むしろ象伝の、

  用九、天徳は首たるべからざるなり。

ある。卦辞や交辞を解釈するのに、象伝や象伝に依拠することが多いのも王弼易注の特色とされるが、この乾

用九注もまさにその一例であり、『老子』の思想を発揮するものとは、必ずしも言えないように思われる。

 

『集

解』の引用する王弼のこの他の注には、『老子』『荘子』に依拠した易解釈は、全く見られない。見られな

ことを論証するのは難しいが、王弼が老荘思想を用いて『周易』を解釈した最も典型的な例とされる復卦象伝

「復なる者は、本に反えるの謂いなり」に始まる注や、同じく象伝の注「故に復を為さば、則ち寂然大静に至

る」などを、『集解』は引用していない。また、表現などが『老子』『荘子』に類似する坤六二・臨六五・大畜六

一 45一

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五・願初九・恒上六・損象伝・損六五などの王弼の易注も、『集解』は一切引いていない。要するに、『集解』は、

弼の

『老

子』『荘子』に基づいた『周易』の解釈としては、わずかに豫六三注のみしか引用していないのであ

り、王弼の老荘による易解釈に対して、非常に冷淡な印象を受ける。

 しかし、李鼎酢は『老子』『荘子』に依拠した『周易』解釈を、全面的に排除していたわけではない。『集解』

は、韓康伯についても五十一条の易注を取っているが、韓康伯の老荘的な易解釈は大いに採用しているのである。

例えば、

  道とは何であるか。無に対する呼び名である。通じないものはなく、由らないものはなく、それを況えて道

  

と言う。…(繋辞上伝「一陰一陽之謂道」注)

  君は無為を以て衆を統べる。無為であれば一である。(繋辞下伝「陽一君而二民、君子之道也」注)

  幾とは、無を去り有に入り、理であっていまだ形のないものであり、名前により尋ねることができなく、形

  

により見ることのできないものである。:二抱えほどの大木も、極めて小さな芽から大きくなったのである。

                  ⌒28)

  (同「幾者、動之微、吉之先見者也」注)

 また、『集解』に引用されている注の中には、韓康伯注以外にも、『老子』『荘子』を典拠として引用する注が、

落としているのがあるかもしれないが、十四条ある。虞翻は、乾卦象伝・坤卦象伝・屯卦辞・震卦象伝・繋辞

「有不

善未嘗不知」・説卦伝「乾健也」の各注において、『老子』の言葉を引用する。九家易は、乾文言伝注

『老

子』の言葉を引用する。干宝は、序卦伝の冒頭の注で『老子』『荘子』の言葉を引用し、また、師象伝注

も『老子』に見られる表現を用いる。侯果は、繋辞上伝「此所以成変化而行鬼神也」の注で、『荘子』天運篇

一 46一

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られる老子と孔子の問答の一部を引用し、また、繋辞下伝「龍蛇之蟄、以存身也」の注では、『荘子』天地

篇の言葉を引用する。崔憬は、師象伝・師六四・序卦伝「屯者万物之始生也」の各注において、『老子』の言葉

を引用する。

 また、李鼎詐の案語も、『老子』の言葉を引用する。師卦辞に対する案語では、『老子』二十五章を引用する。

また、乾文言伝「其唯聖人乎…」の案語では、五章と二章の言葉を用いており、繋辞上伝「成象之謂乾」の案語

は、四十二章を引用する。

 さらに、李鼎詐は、『集解』の自序においても、『老子』『荘子』を典拠とする表現を用いている。「自然虚室生

白、吉祥至止」は『荘子』人間世篇に本づき、続く「坐忘」は同じく大宗師篇の言葉である。その一句後の「口

焉不能言、心困焉不能知」は『荘子』田子方篇の、「微妙玄通、深不可識」は『老子』十五章の言葉である。

また、本論の第三節の始めに引用した自序の部分では、人事は近くて習い易く、人事を釈く王弼注の方が世に受

け容れられていることを、『荘子』天地篇に依拠して「折楊黄華、嘘然而笑」と表現している。さらに、「達観之

士得意

忘言」の「得意忘言」は、『荘子』外物篇の言葉であり、外物篇のこの一節は、王弼『周易略例』明象も、

「得

意忘象」を説くために引用するものである。このように、李鼎柞は自序において、『老子』『荘子』に典拠を

つ表現を六回も用いている。

 以上

ように、李鼎詐は決して『老子』『荘子』による易解釈を否定しているわけではない。李鼎詐の案語に

も『老子』の言葉が用いられ、自序においては『荘子』を典拠とする表現が多用されている。自序に「臣、少く

して玄風を慕う」とも言うように、李鼎肺はむしろ『老子』『荘子』を好んでいたと思われる。ところが、王弼

一 47一

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『老

子』『荘子』による易解釈は、ほとんど採用していない。これは、なぜなのであろうか。

 考

えるに、その理由は、一つには、李鼎詐が『集解』を編集する際の基本方針にあり、一つには、李鼎詐が王

易注をどのように評価していたかにあるように思われる。「基本方針」とは、各家の注釈を『集解』に採用す

る際には、その注釈者の特色を最もよく表わしている注を採用する、という方針である。もとより、これはまだ

推測

にすぎなく、『集解』の引く三十余家の注釈について、個別に分析して論証しなければならないことであり、

また、李鼎詐自身がそのような方針をどこまで自覚して『集解』を編集したかは分からない。しかし、『集解』

を読むと、各家の注釈にはかなり強い個性が感じられる。例えば、干宝の注釈は、好んで過去の歴史上の事柄を

   {29>

引用する。虞翻注は虞翻注で、かなり複雑な象数易の手法を駆使する。そして、王弼注はというと、人事による

解釈が頻繁に行なわれている。ということは、李鼎詐は、王弼の易注について、人事により『周易』を釈くとい

う点において優れた易解釈であると評価し、王弼の注釈の中から、この特色を最もよく表わしている注釈を『集

解』に採用したのではないか。一方、王弼の老荘による易解釈は、必ずしも王弼易注の特色ではなく、むしろ老

による易解釈を特色とするのは韓康伯注であると考えて、王弼の老荘による易解釈をほとんど採用しなかった

ではないだろうか。

一 48一

 要す

るに、『集解』は、決して象数易のみを表章するものではなく、また、王弼易注を排斥するものでもない。

弼の

人事による易解釈を、王弼易注の特色として評価するのである。ただし、王弼の老荘による易解釈は、老

荘による易解釈だからという理由ではなく、必ずしも王弼注の特色ではないという理由で、ほとんど採用してい

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ないのである。このように、李鼎肺は、王弼易注の老荘による易解釈よりも、人事による易解釈を重く見て、そ

の人

事に

よる易解釈を高く評価するのである。このような王弼易注に対する評価が、この時代において、どれだ

け一般的なものであったのか、今の私には判断できないが、『周易正義』に王弼注が採用された時代の、王弼易

注に

対す

る一つの見方であることは確かである。

 また、『集解』は、各注釈者の特色を最もよく表わす注を採用しているように思われるが、ということは、あ

る一人の注釈者について、『集解』の引く注釈のみから、その注釈者の易学を考えるという作業は、その注釈者

易学の全体像を考えることにはならなく、李鼎詐がその注釈者の特色であると考えたその特色を考えることに

る。つまり、王弼のような一部の例外を除き、完本が伝わらない注釈者については、私たちは李鼎詐の目を通

してしか、その易学を見ることはできないのであり、しかも、李鼎詐は、その注釈者の易学の全体像を縮小した

相似形を我々に示しているのではなく、いわばデフォルメした姿を私たちに示しているからである。これは、『集

解』を用いて、『集解』の引く各注釈者の易学について考察する際には、忘れてはならないことである。輯侠し

資料を用いて研究をする場合には、当たり前の鉄則であるかもしれないが、自戒のため贅言しておく。

一 49一

注(1)『集解』所引の王弼易注を検討する上で問題となるのは、

  文字の

同があることである。「於」と「干」の異同や、

『集解』の引く王弼注と、『周易注疏』に見られる王弼注とで、

「者」「也」「 」「之」などの有無、また、『集解』が、注疏本

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  に

られる王弼注の一部を省略して引用する場合などが多い。ただし、観初六注や中孚六三注など、かなり文章が異な

  

るものもある。『集解』所引の王弼易注について論じるためには、本来ならば、これらの異同が生じた原因を一つ一つ

  確認

しなければならないが、『集解』所引の王弼注の大部分は、注疏本の王弼注と少なくとも大意においては大きな差

  異が認められない。そこで本論では、両者の文字の異同については特に問題とはせず、原則として集解本に従い、文意

  に

大きな異同がある場合のみ注記することとする。なお、『集解』については、『易学叢書 周易集解纂疏』(台北、広

  文書局、一九七一)を用いた。また、易学の歴史や解釈方法などについては、本田済『易学l-成立と展開i-』(平楽寺

  書店、一九六〇)、鈴木由次郎『漢易研究』(明徳出版社、一九六三)、戸田豊三郎『易経注釈史綱』(風間書房、一九六

  

八)を参照した。

(2)劉硫松『通義堂集』巻一「周易集解微」篇」は、避諄により『集解』の成書を代宗の時代(七六二…七七九年)である

  

とする。また、同「下篇」では、李鼎肺の事跡を『元和郡県志』『簑宇記』『輿地紀勝』『通志』『能改斎漫録』などによ

  

り考証し、『新唐書』芸文志の「李鼎肺『連珠明鏡式経』十巻。開耀中上之」の「開耀」は「乾元(七五八ー七六〇年こ

  の

誤りであるとする。

(3)凡不和而訟、尤施而可、渉難特甚焉。唯有信而見塞僧者、乃可以得吉也。猶復不可以終、中乃吉也。不閉其源、使訟不

  

至、難毎不柾、而訟至終寛、此亦凶実。故錐復有信而見塞罹、猶不可以為終。故日訟、有孚、窒楊、中吉、終凶也。元

  

善聴者、難有其実、何由得明。而令有信塞憎者、乃得其中吉、必有善聴之主焉、其在二乎。以剛而来、正夫群小、断不

  失中、応其任実。

(4)夫為訟善聴之主者、其在五焉。何以明之。案交辞九五訟元吉、王氏注云、処得尊位、為訟之主、用其中正、以断柱直。

  即

象云、利見大人、尚中正、是其義也。九.一象日、不克訟、帰通窟也。自下訟上、患至綴也。九二居訟之時、自救不暇、

  訟既

不克、懐耀逃帰、僅得免其終凶禍。山豆能為善聴之主哉。年代綿流、師資道喪、恐伝写字誤、以五為二。後賢当審詳

  之也。

一 50一

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(5)『周易略例』略例下によれば、王弼は明らかに九二を善く聴く主としているのであり、転写の誤りではない。

(6)王弼日、丈人、厳荘之称、有軍正者也(注疏本は「有軍正者」の四字なし).…陸績日、丈人者、聖人也。…崔憬日、子

  夏伝作大人。…案、此象云、師、衆。貞、正也。能以衆正、可以王 。故老子日、域中有四大、而王居其一焉。由是観

  

之、則知夫為王者、必大人也、宣以丈人而為王哉。故乾文言日、夫大人与天地合徳、与日月合明、先天而天不違、後天

  而

奉天時、天且不違、而況干人乎、況干行師乎、以斯而論、子夏伝作大人、是也。今王氏曲解大人為丈人、臆云厳荘之

  称。学不師古、匪説枚聞。既誤違干経旨、軸改正作大人明奏。

(7)失位不正、而比干三、故三得附之為其栂也。三為之栂、則失初之応、故解其栂。

(8)九四体震、震為足。三在足下、栂之象、

(9)坤為地、為衆。巽為木、為風。九五天子之交、互体有艮、艮為鬼門、又為宮闘,地上有木、而為鬼門宮閥者、天子宗廟

  

之象也。

(10)王道之可観者、莫盛乎宗廟、宗廟之可観者、莫盛乎盟也。至薦、簡略不足復観。故観盟而不薦也。

  

『集解』引く王弼注は右のように「観鯛皿而不薦也」に作るが、注の意味をふまえて、注疏本が「観盟而不観薦也」に作

  る

のに

従う。

(11)盤者、進爵灌地、以降神也。此是祭祀盛時。及神降薦牲、其礼簡略、不足観也。国之大事、唯祀与戎。王道可観、在干

  祭

祀、祭祀之盛、莫過初盟降神。故孔子日、締自既灌而往者、吾不欲観之突。此言及薦簡略、則不足観也。以下観上、

  見其至盛之礼、万民敬信。故云、有孚願若。孚、信。願、敬也。

(12)鬼神害盈、禍淫福善。若人君脩徳、至誠感神、則黍稜非馨、明徳惟馨。故観盟而不観薦、饗其誠信者也。斯即東隣殺牛、

  

不如西隣之論祭。実受其福。是其義也。

(13)剛尊柔卑、得其序也。

(14)此本泰卦。案、六四降初、初九升四、是剛上而柔下也。

一 51一

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(15)中孚六三の王弼注は、集解本と注疏本とで文章がかなり異なる。特に注の冒頭を集解本は「三四倶陰、金木異性、敵之

  謂也」に、注疏本は「三居少陰之上、四居長陰之下、対而不相比、敵之謂也」に作る。また末文を集解本は「歌泣元恒、

  位不

当也」に作り、注疏本は「不量其力、進退元恒、億可知也」に作る。しかし、六三と六四を「敵」とし、六三が「鼓

  

し」「罷め」「泣き」「歌う」とする解釈には異同はない。

(16)李鼎肺は、自序において「王弼の『周易略例』は、得失が相いまじわるが、〔『詩経』谷風にもあるように〕根がまずい

  か

らといって葉までいっしょに棄ててはいけないのであり、経文の末に附載する」と言う。これも、李鼎詐は、王弼の

  

易解釈を全面的に排斥しているのではなく、時に評価していることを示している。

   また、『集解』は、繋辞上伝「大術之数五十、其用四十有九」において、王弼注を批判する崔憬の易注(『周易探玄』)

  

を引用する。しかし、李鼎詐は、案語で崔憬の解釈を批判し、自説(鄭玄注に依拠する)を述べるが、王弼の解釈につ

  いては全く言及していない。

(17)自卜商入室、親授微言、伝注百家、綿歴千古、錐競有穿璽、猶未測淵深。唯王鄭相沿、頗行干代。鄭則多参天象、王乃

  

全釈人事。且易之為道、宣偏滞於天人者哉。致使後学之徒、紛然渚乱、各脩局見、莫弁源流。天象遠而難尋、人事近而

  

易習、則折楊黄華、嘘然而笑。方以類聚、其在弦乎。

(18)劉硫松の考証(注2)に従えば、『集解』は『周易正義』成立の百年余り後に作られたものということになる。

(19)此第二章、以人事明之。当帝舜耕漁之日。卑賎処下、未為時用、故云下。

(20)此当桀紺失位之時。充極驕盈、故致悔恨。窮姥之災禍也。

(21)此一章全以人事明之也。九、陽也。陽、剛直之物也。夫能全用剛直、放遠善柔、非天下之至治(注疏本は「至理」に作

  

る)、未之能也。故乾元用九、則天下治也。夫識物之動、則其所以然之理、皆可知也。龍之為徳、不為妄者也。潜而勿

  

用、何乎。必窮処干下也。見而在田、必以時之通舎也。以交為人、以位為時、人不妄動、則時皆可知也。文王明夷、則

  

主可知臭。仲尼旅人、則国可知癸。

一 52一

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(22)夫以剛健而居人之首、則物之所不与也。以柔順而為不正、則侯邪之道也。

 

処事之極、失時則廃、解怠則噴。

  不性其情、何能久行其正。

  興役動衆、元功、則罪。

 

違義傷礼(注疏本は「理」に作る)、衆所不与。

  将進其盛(注疏本は「将進而盛、未在既済」に作る)、故宜慎所履、以敬為務、辟其轡也。

  行与其慢也、寧過乎恭。家与其漬也、寧過乎厳。

  難解之時、非治難時也。

  夫剛長則君子道興、陰盛則小人道長。

  夫以至尊而敵干至賎、難其克勝、未足多也。

  檀人之物、以為己恵、義所不為。

(23)応在三、三体臨震、故観其生。君子謂三、之三得正、故元替 。

(24)観其生、為人所観也。最処上極、天下所観者也。処天下所観之地、其志未為平易、不可不慎。故君子徳見、乃得元智。

   

観上九

の王

弼注も異同がやや多い。集解本は、注疏本の「観我生、自観其道者也」を、交辞に「観我生」とある観九

  五の注に

移動

し、「不在於位」「高尚其志」二句を省略している。また、注疏本には「処天下所観之地、可不慎乎」とあ

  るのを、集解本は「処天下所観之地、其志未為平易(象伝に「志未平也」)、不可不慎」に作る。

(25)摩名春・康学偉・梁章弦『周易研究史』(湖南出版社、一九九一)第三章第四節三「李鼎詐及其《周易集解》」において、

  康学偉氏は「《集解》は一概に義理人事の説を排斥していない」(一九六頁)と言う。

(26)履非其位、承動豫之主。若其雌肝而豫、悔亦至(注疏本は「生」に作る)焉。

(27}夫以剛健而居人之首、則物之所不与也。

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(28)道者何。元之称也。元不通也、元不由也、況之日道。

  君以元為統衆。充為則一也。

  幾者、去充入有、理而未形者、不可以名尋、不可以形観也。…合抱之木、

(29)拙論「干宝易注の特徴」(『中国思想史研究』十一、一九八八)参照。

起干毫末。

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