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TV 中継サービスのデジタル化前の奮闘するTRCの思い出 中目昭男 1.はじめに 自分は、平成 10(1998) 8 1 日付で、 NTT 木更津支店長から東京テレビジョン中継 センタ( TRC)所長( NTT 本社法人営業本部専用サービス推進部)へ着任した。無線部門 業務への関与は、平成 31992 )年の長距離通信事業本部の中国ネットワークセンタ副所 長(広島)のとき、 TV サービスを所掌して以来で状況はほとんど把握していなかった。 一年後の NTT 東日本㈱、 NTT 西日本㈱、 NTT コミュニケーションズ㈱( NTT コム)等 の分社化に向けて準備が進められていた。全国 10 ブロックでそれぞれ行っていた TV サー ビスの保守業務は、当該地域の保守グループ会社(東日本関連は㈱ NTT ME 関東等 , 西日 本関連は㈱ NTT ネオメイト等)へ NTT コムから業務委託し、 TV 回線運用サービスと営業 サービス関連は NTT コムすなわち、TRC と大阪テレビジョン中継センタ( ORC)」で担う ものであった。保守会社は NTT-ME 北海道、NTT-ME 東北など全国 10 ブロックがそれぞ れ独立会社となっていて横の連携は取れていないことや、社員の配置転換の新配置先の研 修などで、 TV サービスの品質やお客様サービス満足維持など心もとないと感じる状況で あった。 2.全国の放送局へのテレビ回線運用端末装置(ECC)の導入 テレビ放送局へ ECC (アナログ方式対応)を導入して放送局が NTT へ回線申し込みを しないで直接、自ら回線予約を行えるようにするシステムであった。実際を想定した負荷 試験は十分できていないようであった。 TRC B1 会議室が開発担当メーカーである NEC の詰所となっていた。バグの解消は、1 ケ所を解消すると他に不具合が発生するなど(「デ グレイド」と称していた。単なる人為故障と同じではないかと思ったが。)でスムーズに行 ってなかった。バグについて件数管理と合わせて、時間軸で当該バグの発生から解消まで の時間軸管理も併せて実施してもらった。根雪のように積もったバグが結構あり苦労して いたようである。 SE は翌年に 2000 年問題への対応での金融機関などへ集中していたこと や、次期のテレビ回線デジタル化( DTV サービス)を富士通が担当することになっていた こともあり NEC としても力が入っていなかったのではと思う。現行システムから切り替 えは、一度切り替えると切り戻しはできないこともあり、サービス会議では納得が出来な いまま、業務集約などの日程もあり後がなく、サービス開始は平成 10(1998) 10 28 日と決まり突っ込んでいった。 はたして、サービス開始後にサーバーがダウンしリカバリー後の数日後にまたダウンし た。設計において、各端末装置からのサーバーへの接続にあたっての制限時間であるレス ポンスタイム(応答時間)の要件が定義されていないようであった。流石に楽天家の自分 でもテレビ中継サービスが危ういのではと思った。総務担当、企画担当などTRC総力で FAXにより放送局へ通信文を送るなどした。数か月不眠不休で対応した記憶がある。特 に営業担当課長の林正明氏は、羽田空港に戻るなり次のお客様(放送局)対応へ飛んでも

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Page 1: TV 中継サービスのデジタル化前の奮闘するTRCの思い出 · PDF filetv 中継サービスのデジタル化前の奮闘するTRCの思い出 中目昭男 1.はじめに

TV 中継サービスのデジタル化前の奮闘するTRCの思い出

中目昭男

1.はじめに

自分は、平成 10(1998)年 8 月 1 日付で、NTT 木更津支店長から東京テレビジョン中継

センタ(TRC)所長(NTT 本社法人営業本部専用サービス推進部)へ着任した。無線部門

業務への関与は、平成 3(1992)年の長距離通信事業本部の中国ネットワークセンタ副所

長(広島)のとき、TV サービスを所掌して以来で状況はほとんど把握していなかった。

一年後の NTT 東日本㈱、NTT 西日本㈱、NTT コミュニケーションズ㈱(NTT コム)等

の分社化に向けて準備が進められていた。全国 10 ブロックでそれぞれ行っていた TV サー

ビスの保守業務は、当該地域の保守グループ会社(東日本関連は㈱NTT-ME 関東等 ,西日

本関連は㈱NTT ネオメイト等)へ NTT コムから業務委託し、TV 回線運用サービスと営業

サービス関連は NTT コムすなわち、TRC と大阪テレビジョン中継センタ(ORC)」で担う

ものであった。保守会社は NTT-ME 北海道、NTT-ME 東北など全国 10 ブロックがそれぞ

れ独立会社となっていて横の連携は取れていないことや、社員の配置転換の新配置先の研

修などで、TV サービスの品質やお客様サービス満足維持など心もとないと感じる状況で

あった。

2.全国の放送局へのテレビ回線運用端末装置(ECC)の導入

テレビ放送局へ ECC(アナログ方式対応)を導入して放送局が NTT へ回線申し込みを

しないで直接、自ら回線予約を行えるようにするシステムであった。実際を想定した負荷

試験は十分できていないようであった。TRC の B1 会議室が開発担当メーカーである NEC

の詰所となっていた。バグの解消は、1 ケ所を解消すると他に不具合が発生するなど(「デ

グレイド」と称していた。単なる人為故障と同じではないかと思ったが。)でスムーズに行

ってなかった。バグについて件数管理と合わせて、時間軸で当該バグの発生から解消まで

の時間軸管理も併せて実施してもらった。根雪のように積もったバグが結構あり苦労して

いたようである。SE は翌年に 2000 年問題への対応での金融機関などへ集中していたこと

や、次期のテレビ回線デジタル化(DTV サービス)を富士通が担当することになっていた

こともあり NEC としても力が入っていなかったのではと思う。現行システムから切り替

えは、一度切り替えると切り戻しはできないこともあり、サービス会議では納得が出来な

いまま、業務集約などの日程もあり後がなく、サービス開始は平成 10(1998)年 10 月 28

日と決まり突っ込んでいった。

はたして、サービス開始後にサーバーがダウンしリカバリー後の数日後にまたダウンし

た。設計において、各端末装置からのサーバーへの接続にあたっての制限時間であるレス

ポンスタイム(応答時間)の要件が定義されていないようであった。流石に楽天家の自分

でもテレビ中継サービスが危ういのではと思った。総務担当、企画担当などTRC総力で

FAXにより放送局へ通信文を送るなどした。数か月不眠不休で対応した記憶がある。特

に営業担当課長の林正明氏は、羽田空港に戻るなり次のお客様(放送局)対応へ飛んでも

Page 2: TV 中継サービスのデジタル化前の奮闘するTRCの思い出 · PDF filetv 中継サービスのデジタル化前の奮闘するTRCの思い出 中目昭男 1.はじめに

らうなど東奔西走してもらった。TRC 社員の健康を守りたいので、総務担当課長の室井寿

氏にも何か考えて欲しいとお願いして、近くのビジネスホテルと契約して社員が随時、宿

泊や休息を取ることが出来るようにしてもらった。

全国の放送局にブロック毎に集まってもらい自分と林氏の 2 人で出かけ、ECC の不具合

の状況や改善計画などを説明し、謝りとお願いをして回った。四国の松山では会議終了後

の懇親会の最中において、サーバーがダウンしたとの情報が入り席上、謝ったこともあっ

た。

このような状況の平成 10(1998)年 10 月にテレビサービス部長として高橋重雄氏が着任

してキーマンとして活躍してもらった。神奈川の自宅から通勤も出来たが、そのような状

況ではなかったので無理を言って TRC の近くに単身赴任をしてもらった。

3.全国 10 ブロックからのTV回線申込み業務等をTRCへ一元化

従来、全国 10 ブロック毎に NTT の長距離通信事業本部の代表ネットワークセンタが当

該ブロックの TV サービスを担っていたが、放送局からの TV 回線申込み業務を東京の TRC

へ一元化することを予定していた。また、当該ネットワークセンタが行っていた TV サー

ビスオペレーション業務は、北海道ループ・北日本ループ・東日本ループについては TRC

へ、西日本ループについては ORC へそれぞれ一元化することとしていた。しかし、地域

毎に NTT と放送局と長年の経緯でサービス提供方法においてローカルルール的なものが

存在していた。放送局からすると、地元の NTT から遠くの TRC へ TV 回線申込みをする

ことで従来通りのサービスが維持されるか否かの不安があったと思う。この一元化を機に

当該ローカルルールの払拭も難題であった。ECC が導入されて放送局は好きな時に自分で

TV 回線申込みができるようになり便利になるとのうたい文句は、ECC 利用の研修などを

通じてその使い勝手がちょっと使いにくいことや、S 後のダウンなどにより NTT への不信

感が生じていた。全国の放送局から TRC への専用線引き込み工事は連日の夜間工程にお

いて実施した。特に NHK においては、地震が発生すると当日の夜間工程は取り止め再度

工事調整し延期して実施することを迫られた。工事全体の実施については、TRC 次長の田

村昇氏が尽力した。

全国の放送局からの TV 回線申込みの TRC への一元化が平成 10(1998)年 11 月に実施し

た。また、北海道ループ・北日本ループ・東日本ループについての TV サービスオペレー

ション業務が、同年 12 月に TRC へ一元化することを実施した。全国の TV サービスを担

っていたネットワークセンタ(NWC)の要員は、NWC の廃止と共に、それぞれの組織再

編の配転先に異動していった。NWC の TV サービス担当をしてきた全国の無線部門メンバ

ーは電電公社以来から永年培ってきた地元放送局との信頼関係をもとに、自らの組織が無

くなる中で最後まで責任感を以って放送局と顧客対応をしてくれた。TRC だけではとても

出来ることではなかった。

4.NTTコムのテレビジョン中継センタとしての発足

平成 11(1999)年 7 月 1 日付で、NTT コムのデーターサービス事業部テレビジョン中

継センタが発足した。1 センタ 2 事業所、すなわち東京事業所(従前の東京テレビジョン

センタ)と大阪事業所(従前の大阪テレビジョン中継センタ)で TV サービス業務を担う

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ことになった。自分はセンタ長兼東京テレビジョン中継センタ所長となった。放送局に対

してなど対外的には、従来イメージを踏襲しようとして、「TRC と ORC の2つの事業所組

織が TV サービス業務について責任を以って従来通りに提供します」とアナウンスした。

放送局への対応について「テレビサービスマネージャー(TVSM:担当課長)」という職

位呼称を創設した。TRC においては、北海道と東北地域担当 TVSM の大澤正明氏(北海

道出身)、信越・北陸と東海地域担当 TVSM の鎌形力氏、東京と首都圏はテレビ営業担当

課長の林正明氏、それにテレビサービス部長の高橋重雄氏という布陣であった。ORC にお

いては、中国と四国地域担当 TVSM の松波設夫氏、九州地域担当 TVSM の山本満氏、関

西地域はお客様サービス担当課長の高島忍氏、それにテレビサービス部長として平塚俊勝

氏(九州出身)という布陣であった。

NTT コムは、スリムな形としてスタートするとのことで、社長のトップダウンで首都圏

の総務担当と経理担当は大手町に集約されることになり、TRC の当該担当も竹橋に行き

TRC からいなくなった。単独局舎ビルにおける管理などの現地対応の総務業務は TRC の

企画担当が担うこととなった。 7 月 1 日付けで新組織発足であったが、同年の 1 月下旬か

ら余り準備がないままにトップダウンでの組織変更がスタートとなった。TRC を含めた全

国の現場事業所は混乱の中でのスタートであった。NTT コムの現場事業所でガソリン給油

券がなく車が動かせなくて地域会社から給油券を借りて動かしているというような話も聞

いた。企画担当者は総務業務に精通していなく、むしろ所長の方が総務業務を知っている

という状況であった。

1 センタ 2 事業所の TRC82 名(H12 年数値)、ORC51 名(H12 年数値)でテレビ中継

サービスをスタートとしたことは、今後予定しているテレビ中継サービスのデジタル化を、

この限られた要員で DTV サービスに必要とする一過的な人材育成稼働を含めて乗り切ら

なくてはならないことを意味していた。平均年齢が若く IP サービスなどの新サービスに

ついて積極的に推し進める NTT コムにあって、レガシーサービスの類のサービスを担う

テレビ中継センタへは新入社員の配置は望めなかった。頭の痛いところであった。

センタでの会議は、TRC と ORC をテレビ会議でお互いを映し、自分は ORC へ隔月毎

に出向き会議に臨んだ。関東と関西の文化の違いや、従前の職場風土の違いもあり議論は

なかなかまとまらずに1センタとしての一体感の醸成には困難なものがあった。ORC には

昔、資材局で一緒に仕事をした企画担当課長の林田幹夫氏がいて心強かった。自分が前に

京都の嵯峨電報電話局長で関西勤務の経験があることはコミュニケーションを図るうえで

良かったようである。

NTT が分社化などで全国の TV 中継サービスに関わる保守業務の関連部門がバラバラに

なってしまっている状況や人為故障が多発していたことから、TRC が主催して全国のグル

ープ会社の関連部門を招集して会議を行って情報共有化を図りサービス品質維持に努力し

た。全国の放送局に対しても県域ごとに毎年一回会議を開催し、保全状況やサービス対応

などを取りまとめ報告し、その後、懇親会を実施しコミュニケーションを図った。

5.TRCへのISO9002認証取得へ

テレビ中継サービスを光ファイバー網によりデジタル化していくにあたって、サービス

のオペレーションセンタを大手町に持っていくというような動きもあるとのことを聞いた。

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経営的なセンスをもってすれば、青山の地に TRC を置いておく必然性もないので至極最

もと思った。下手をすると TRC と ORC はアナログサービスのしんがり部隊とされ、アナ

ログサービス終了と共にご苦労さんでしたと言われかねないと思った。センタ事業所の社

員のモーチベーション維持と仕事の確保が大切であると感じていた。電電公社から NTT

になっても何十年と生き続けている「TRC」という放送局というお客様に評価されている

事業所名とサービスブランドの価値を残したいという思いであった。ややもすれば NTT

内部では、TRC は職人気質の職員がいて古臭い事業所という評価が労務等の総務部門にお

いてあったと思う。

着任して早々に、所長室へ網運営担当課長の長谷川正義氏がぶらりと入ってきて、前所

長の若生憲司氏から勉強するようにと言われた、NTT における ISO 認証取得を行った東

北の事業所を視察した報告を話していった。自分も多少 ISO のこと知っていたので、TRC

としてハードでなくソフトとして「サービス提供事業所」として ISO9002 を取得すること

により、NTTコム内部及びお客様である放送局に対して客観的にサービス品質をアッピ

ールし生き残れるのではと考えた。着任一ヶ月後の 9 月に「21 世紀に輝く TRC」として

第三者が存在価値を認める事業所、お客様と他 NTT 社員に対して誇れる仕事と職場づく

りを目指す課題や施策一覧のメモを作成し企画担当課長の三木勇司氏へ渡した。次年度の

平成 11(1999)年度の優先施策事項として ISO9002 認証取得を実施しようと考えた。職人

気質と言われた TRC 業務の「見える化」、分社化して外部組織化されたサービスの適切な

利用、当時、人為故障が多発しサービス品質の確保とお客様信用の回復も喫緊の課題であ

った。

TRC 所議に ISO の話を出したら管理者たちから総反対を受けた。忙しくて稼働が取れ

ない、仕事が煩わしくなるなどであった。現行サービスを提供していく中で、今後の DTV

サービス導入に向けての人材育成の訓練稼働を捻出しなければならないので、むしろ不必

要な仕事を決めてその仕事を止めることの方が優先度は高いのではないかという考えであ

った。また、このような状況でなぜそんな余計なことに取り組むのだという意見であった。

ヒューマンエラーなどで人為故障が全国的に多発し対応に追われ、通常の業務が手につか

ないような当時の状況下ではもっともな意見であった。自分は自信があったわけではない

が「出来る」と信じ、トップダウンで ISO 認証取得を行うこととした。企画担当課長の三

木勇司氏が前向きに受け止めてくれて、キーマンとなり ISO9000 シリーズとしての

ISO9002 認証取得を、翌年の平成 11 年度末の平成 12(2000)年 3 月 29 日付けで実現した。

英国系認証機関のロイド レジスター クオリティ アシュアランス (LRQA)で受けた。重箱

の隅をつつかない認証機関で余り余計な事務処理も増えなくて済んだようである。当時、

NTT コムの中では、法人営業部門が ISO90001 を取得しているだけで現場事業所は TRC

の他に取得していなかった。NTT コムの中で、TRC の存在をアッピールできたと思う。

管理者の人事評価会議の中でもアッピール出来て、何人かの管理者はその恩恵を受けたと

記憶している。

6.テレビ中継サービスのデジタル化に向けた準備

6.1 体制

平成 12(2000)年4月には、TRC に MACOT 機能高度化担当として担当課長の田中正志

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氏、主査の黒崎康夫氏と担当の高山悟氏を配置した。TRC 次長として、ORC から花本好

弘氏が着任した。平成 14(2002)年 4 月には、DTV システムの運用・保守に関する検討、

および DTV システムの運用開始に向けた受入試験計画と実施を行うデジタル化推進担当

5 名のセクションを設置し、担当課長の田中正志氏、主査の屋敷正治氏と山田博一氏、担

当の大友秀典氏、高山悟氏を配置した。また、DTV サービスの総合試験・試験運用を行う

デジタル化試行グループ 9 名のセクションを設置し、担当課長の山本満氏(ORC から)と

主査の村松美文氏を配置した。TRC 企画担当課長の三木勇司氏の後任に ORC から林田幹

夫氏が着任した。この年、TRC90 名、ORC43 名(平成 12 年度:TRC82 名、ORC51 名)

と ORC の企画担当を廃止するとともに部門をシャッフルし要員を ORC から TRC へ 8 名

シフトした。

6.2 現場事業所からデジタル化にあたっての要望

DTV サービス開発の実質的な責任者が ECC 開発責任者と同じマルチメディアシステム

部トランスポートシステムプロジェクトリーダー担当部長(マネージャー)の寺田紀之氏

であることからうまくいくか否か心配であった。開発に携わるメーカーもテレビ中継サー

ビスに経験のない富士通であることも危惧した。このことから、DTV システム開発につい

て、現場サイドとして保守・運用の面から後手にならぬように要望書を取りまとめ提出し

た。上記のデジタル化推進担当が中心となって取りまとめてもらった。特にシステムがダ

ウンした場合のリカバリー、電源が断となった場合など対応など、リスク対応に関するも

のについて留意して取りまとめた。平成 11(1999)年 12 月に、TRC の先輩で富士通顧問を

していた林義昭氏から訪問があり、「DTV サービス開発を受注した富士通は、開発にあた

って TV サービスに詳しい NEC から教えて貰う用意がある」旨の話を聞いた。

7. テレビ中継センタの退職とその後など

平成 14(2002)年 5 月に事業部の人事担当部長から自分は今季で退職しグループ会社へ再

就職する旨伝えられた。上司のデーターサービス事業部長の草原寛司氏へ「今は時期が良

くないので半年先に延ばせないか」と言ったところ、「後は心配するな」と言われ「よろし

くお願いします」と答えたことを覚えている。 6 月 25 日にNTTコムの DTV サービス導

入の担当役員の飯塚久夫氏に日比谷の地下2F の会議室に呼ばれ DTV システム開発につ

いて意見を求められ二人で一時間位話をした。現状の開発体制では心配である旨話したこ

とを記憶している。自分は 6 月 30 日付でテレビジョン中継センタ長(兼 TRC 所長)を退

職し、7 月 1 日付で NTT アドバンステクノロジ㈱(NTT-AT)に再就職した。自分の後任

には ORC 所長の玉井敏彦氏に着任してもらい後を託した。

今振り返ってみると、DTV サービスの開発についての記憶は直接関与していなかったこ

とや、資料も残っていないので余り記憶がないのが実態である。いずれにせよテレビジョ

ン中継センタにおいては、TRC と ORC の多くの良きメンバーに恵まれ、変革の貴重な時

期を過ごすことが出来たと感謝している。

私がテレビジョン中継センタを後にして NTT-AT にいた時、事業部門から研究所へ DTV

システム開発について応援打診があった模様で、武蔵野のNTTネットワークサービスシ

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ステム研究所長の岡田忠信氏から、NTT-AT アクセスネットワーク事業本部長(伝送部門

を持っていた)の秋山延義氏が呼ばれ、研究所としてその応援を受けるか否かの相談があ

ったようである。自分はかばん持ちで同行した。その際、自分は、「受けるか否かという

状況でなく、NTT のメンツを賭けて総力をあげて当該プロジェクトを成功させる必要があ

る」というようなことを言ったような記憶がある。研究部門のメンバーも NTT-AT を通じ

て NTT コムの開発を支援したのではと思う。

その後、関係者のご苦労があったかと思いますが、ORCを発展的にTRCに統合する

とともに、DTVサービスが安定的に運用されているとのことを嬉しく思う次第である。

また、経営主体において電電公社、NTT,NTTコムなど変遷するなかで、昭和 38

年 12 月に元麻布から現在の地に東京テレビジョン中継センタが移転しテレビジョン中継

センタと多少事業所名が変ったものの「TRC」という呼称が生き残り、現在もTRCが

テレビ中継サービスを提供していることを感慨深く思う。

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1997年度 1998年度 1999年度 2000年度 2001年度 2002年度 2003年度 2004年度平成9年度 平成10年度 平成11年度 平成12年度 平成13年度 平成14年度 平成15年度 平成16年度

テレビ中継センターの運営体制

記事

DTVサービスの導入関連

(注)ECC( End Customer Control):放送局に設置される回線運用端末装置

                          TV中継サービスの運営体制の整備とTV中継サービスのデジタル化                               平成27年8月13日中目昭男

8/1TRC所長 6/30 中目昭男

NTTコム:テレビジョン中継センター発足

・東京事業所(東京テレビジョン中継センタTRC)

・大阪事業所(大阪テレビジョン中継センタORC)

▼7/1

3/29 TRC:ISO9002認証取得

▼11月 全国10ブロックからのTV回線申込をTRCへ一元化

7/1 ▼ テレビジョン中継センター長(兼TRC所長)

▼全国網構築

映像評価試験 NWとOPS結合試験

総合試験

放送局での運用性評価

▼8/4運用開始

圧縮HD素材NHK

全国放送局ECC導入

1/25

▼S 10/28 改善(不具合含む)

▼2000問題対応

D化要望書▼10月

(現場TRCとして)

TV-D化検討(現場事業所として)

(7/1 NTT-AT入社)

DTV仕様 10月▼

▼12月 北海道・北日本・東日本ループのオペ業務をTRCへ一元化

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