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13 本冊子はドラッカー学会の使命と活動内容を広く世の中に知っていただくために制作されたものです。 ドラッカー学会 Workshop for Studies of Peter F . Drucker , s Management Philosophy

Workshop for Studies of Peter F Drucker s …drucker-ws.org/wp/wp-content/themes/drucker_workshop2012/...Peter F.Drucker, s Management Philosophy 2005年 5 月 ドラッカー本人に学会設立の承認を受ける

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13本冊子はドラッカー学会の使命と活動内容を広く世の中に知っていただくために制作されたものです。

2012 年 5 月 1 日 発行発行者:ドラッカー学会

〒 101-0052東京都千代田区神田小川町 3-26-8 神田小川町ビル 2 階明治大学国際総合研究所内文明とマネジメント研究所気付 ドラッカー学会

Drucker Workshopc/o. Institute for Civilization & Management, Meiji University2F, Kanda-Ogawa-Cho Building, 3-26-8Kanda-Ogawa-Cho, Chiyoda-ku, Tokyo 101-0021, JAPAN

本書の全部または一部の複写・複製・転訳載および磁気または光記録媒体への入力等を禁ずる。

Copyright © 2012 by the Drucker Workshop. All rights reserved.Printed in Japan. Except as permitted under the Japan Copyright Act, no part of thispublication may be reproduced or distributed in any form or by any means, or storedin a database or retrieval system, without the prior written permission of the DruckerWorkshop.

http://drucker-ws.org/  [email protected]

ドラッカー学会

ドラッカー学会

Workshop for Studies of

Peter F. Drucker,s Management Philosophy

2005 年5月 ドラッカー本人に学会設立の承認を受ける11月 設立準備会開催

 11月 19日学会が正式に発足。初代代表に上田惇生氏が就任

2006 年5月 第 1 回総会及びドラッカー追悼懇親会(リーガロイ ヤルホテル東京〔東京都新宿区〕)開催(98名参加)6月 韓国ピーター・F・ドラッカー協会と相互協力と交流 に関する覚書(MOU)を締結11月 第1回大会(早稲田大学小野梓記念講堂)開催 (110 名参加)

2007 年1月 会員数 300名5月 第 2 回総会・講演会(国立大学法人小樽商科大学札 幌サテライト〔北海道札幌市〕)開催 伊藤雅俊氏(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)、 E・イーダスハイム氏が講演(71名参加)6月 会員数 400名11月 年報『文明とマネジメント』第 1号刊行

第 2回大会(早稲田大学小野梓記念講堂)開催 (137 名参加)

2008 年5月 第 3 回総会・講演会(学士会館〔東京都千代田区〕) 開催(95名参加)11月 年報『文明とマネジメント』第 2号刊行

第 3 回大会(立命館大学朱雀キャンパス〔京都市中 京区〕)開催(106名参加)12月 名誉会員ヘルマン・サイモン氏(サイモン・クチャー &パートナーズCEO)公開授業「脱・市場シェア主義」 (東京大学大学院情報学環・学際情報学府共催、東京 大学情報学環福武ホール)

2009 年5 月 第 4 回総会・講演会(早稲田大学小野梓記念講堂) 開催(137名参加)7月 「グローバリゼーションとマネジメントの役割」(ド ラッカー生誕 100 年記念シンポジウム。淑徳大学共 催、淑徳大学サテライトキャンパス)を開催 (92 名参加)

8月 会員数 500名10月 第 4回大会(北海道函館市、生誕 100 年記念)開催 (152 名参加)11月 年報『文明とマネジメント』第 3号(生誕 100 年特 別記念号)刊行

「ドラッカーとネクスト日本型経営」(生誕 100 年記 念シンポジウムⅡ、淑徳大学大学院と共催、淑徳大 学みずほ台キャンパス)開催(181名参加)12月 「次なる知識社会に向けて」(生誕 100年記念講演会、 早稲田大学ビジネススクールと共催、早稲田キャン パス)開催(266名参加)

2010 年4月 会員数 600名

亜細亜大学でドラッカー学会寄付講座 経営特講Ⅰ開始5月 第 5 回総会・講演会(早稲田大学小野梓記念講堂) 開催(169名参加)11月 年報『文明とマネジメント』第 4号刊行

会員数 700名12月 第 5回大会(名古屋)開催(95名参加)

「生誕 100 年記念シンポジウム」(淑徳大学池袋サテ ライトキャンパス)開催(98名参加)

2011 年5月 年報『文明とマネジメント』第 5号刊行

第 5 回総会・講演会(早稲田大学小野梓記念講堂) 開催(158名参加)9月 明治大学文明とマネジメント研究所との研究連携を 開始。同研究所に事務局を移転

早稲田大学ビジネススクールとの連携プロジェクト 「ドラッカー経営思想研究部会」設立11月 第 6回大会(北海道旭川市)開催(116名参加) 年報『文明とマネジメント』第 6号刊行

代表代行に藤島秀記氏就任 記念シンポジウム「断絶」(明治大学文明とマネジメ ント研究所共催)開催(80名参加)12月 淑徳大学と共催でシンポジウムを開催

2012 年4月 新代表に三浦一郎氏就任

ド ラ ッ カ ー 学 会 の あ ゆ み

Chronology

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 ドラッカーの主張のフレームワークは絵解きを必要とする。解釈を必要とする。

その点を明らかにしていくことが、今後の世界の構築に大きく寄与する。本学会

はドラッカーのフレームを探求しつつ、未来を創造しようとするものである。

 マネジメントは未完の可能性を秘めた知識である。彼の観察によれば、社会に

おいて、生産力とイズムが一緒になると必ず悪い方向に行く。いかに善良な動機

に貫かれようとも、イズムには人間社会を救済する力はない。現実に、社会主義、

全体主義、そして資本主義さえもすべてうまくいかなかった。それは現実そのも

のを現実的に説明する力が、イデオロギーという合理主義の産物には絶望的に欠

落していたからだ。

 ドラッカーがマネジメントというイズムにもイデオロギーにもよることのない

きわめて現実的な社会上の特質に着目したのは、当然といえば当然だった。マネ

ジメントとは文明を創造する手段であって、機能である。手段の卓越はその成果

によって測られる。その原点を明らかにするには、深いレベルで企まれた彼の思

考フレームを究明する必要がある。そこに本学会の使命がある。

文明と未来を創造するために

 ドラッカーをアカデミックに評価するのは至難である。だからこそ、研究し続

けなければならない。かつて西田幾太郎、田辺元といった大物哲学者に並び、和

辻哲郎という異色の倫理学者がいた。和辻は『風土』や『古寺巡礼』などの随想風

の作風で知られる。彼は学者というよりも、物書きだった。物事の本質を直観し、

かつアナロジカルにとらえる異能の持ち主だった。確かに和辻はアカデミアの人

間ではなかったかもしれない。だが、彼の高度の直観と認識作法は明らかに偉大

なる研究者のそれだった。それをきちんと評価し、研究し続けることが大切である。

 ドラッカーもまた日本風に言えば、「見立て」の天才だった。見立てとは論理

よりも直観の作業である。見立ては古寺の庭園や古典芸能、和歌や俳句に多用さ

れる日本の風土に根ざす能力である。だが、そのようなあまりに巨大なパターン

認識は読み物としてはおもしろくとも、「学問ではない」というのがこれまでの

評価だった。それは彼自身が反アカデミックな知的作法を特徴としていたためで

ある。本来、反アカデミックのドラッカーをアカデミックに評価する——。実は

今後の学会活動の決め手はここにあるのではないかと思っている。大事なのは偉

大な思想の灯火を消さないことである。

偉大な思想の灯火を消さない

◆ 学会の目的ドラッカーの思想とその実践に関し、学界、ジャーナリズム、産業界の連携に基づき、その深化と発展を図ることを目的とする。ドラッカー公認の唯一の学術団体である。

◆ 研究活動の四本柱

(1)研究年報『文明とマネジメント』(2)学術大会(3)学術連携活動(4)研究グループ活動

進化する文明とマネジメント、深化するドラッカー思想

三 浦 一 郎本会代表、立命館大学経営学部教授

上 田 惇 生本会学術顧問、ものつくり大学名誉教授

日本人は、西洋が合理の化け物のごとき神学の体系化に汲々としていた中世に

『源氏物語』をはじめとする壮大な知覚の文物を生み育んだ民の末裔である。

そして世界で最初にマネジメントを実践した渋沢栄一や岩崎弥太郎の末裔でもある。

世界史の奇跡としか呼びようのない明治維新を成功させた偉人たちの子孫である。

継続と変革のなかにバランスを見出し、成果に結び付けてきた国民である。

力はすでに備わっている。次の社会をどうしたいのか。

ドラッカーは、転換にあたっては、しかるべき身繕いを要するとした。

現在何を考え、何をなすかが、次の文明の様態を決定する。

石臼を見ながら同時に丘の上を見ることが、今ほど必要とされる時代はない。

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Preface

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 ドラッカーの二大関心を冠する会の機関誌であり、世界で唯一の専門誌です。関連論文・論考を中心に、これまで 200 を優に上回る知的アウトプットを公表する場として、会の知的基幹の役割を担ってきました。同時に、大会関連の情報、講演録、研究グループ活動の情報などを広く会員と共有するための総合メディアでもあります。2011 年から年 2 回刊行されるようになり、研究者と実務家を架橋する広範な知的世界構築の推進役を果たしています。

 ドラッカー思想の理解を深め、その実践を実効あるものとするために、会員による研究会や読書会が各地で開かれています。こうした研究グループ活動は、ドラッカー学会の会員同士が直接学びあう場として大切な活動になっています。ドラッカーの著作から学んできた実務の経験を語り、また著作を皆で読みすすめながらドラッカーの言葉をめぐる解釈について議論する。あるいは自らの専門分野の課題に

ついてドラッカーから学ぶべき点を提起する。こうした研究グループ活動が全国に広がっています。会員たちとの交流の中から多くのことを学ぶ機会が得られます。 開催情報・連絡先などは学会のホームページで随時更新・告知されております。ご関心のある方は、お近くの研究グループにご連絡ください。たとえば、以下のようなグループがあります。

北 海 道

「ドラッカー・プレミアム研究会」

関 東

「英語でドラッカーを学ぶ会」

「ドラッカーの窓から明日を考える研究会」

「ドラッカー『マネジメント』研究会」

大 阪

「ドラッカー勉強会」 東 海

「ドラッカー マネジメント研究会」

四 国

「ドラッカーのポケット」

「高知ドラッカー読書会」

九 州

「読書会 in 福岡」

「読書会 in 熊本」

京 都

「ドラッカー勉強会」

仙 台

「ドラッカー仙台 読書会」

Our Projects 学 会 活 動

研究年報『文明とマネジメント』「研究と実践」のための総合メディア01 研究グループ活動

語りあい学びあう各地の会員たち04

 毎年春と秋に全国規模の学術大会を開催し、開催地も東京・札幌・函館・旭川・京都・名古屋など全国に広がりつつあります。そのうち5月の「学会総会・講演会」では、本会の運営の基本を定める総会に加えて講演会を開催し、またドラッカーの誕生日である11月 19日には「学会大会」が開催されます。 大会では春・秋ともにそれぞれテーマが設定され、ドラッカーの思想・実践の諸側面における、学術的な検討成果や産業活動での取り組み事例などが報告されます。大会当日は、ドラッカーと親交のあった経営者や多方面にわたる研究者の基調講演をはじめ、全国各地で活動中の研究会報告・パネルディスカッションなど、多様な形式の知的成果が生み出さ

れています。 これら取り組みにより、学術団体としての研究水準を向上させるとともに、多くの会員ボランティアが活躍し、生き生きとしたコミュニティ活動が実践されています。

学術大会研究成果・活動成果を証す交流の場02

 学問的な深化をはかるために、大学との共同のもとに、教育研究活動を行っています。教育活動については、これまで亜細亜大学、明治大学で講座が持たれています。

 立命館大学にも研究部会を置くほか、明治大学文明とマネジメント研究所、早稲田大学ビジネススクールとの連携で、その経営学的側面、思想的側面など多面的な観点からの研究活動が行われています。

学術連携活動各地で進展する次世代育成事業03 学術連携活動各地で進展する次世代育成事業

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 第一次大戦後、民主主義が根づいていなかった国では、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義に絶望した大衆が、ファシズム全体主義にはしった。経済のために生まれ、経済のために生き、死に、経済のために戦争をし、あるいは逆に和平を求めるという経済至上主義の破綻を明らかにした本書は、70 年以上を経た今日のわれわれにも問題意識を投げかける。

 本書は出版後直ちに後の大英帝国宰相ウィンストン・チャーチルの激賞を得た。 ドラッカー 29 歳のときの処女作であって、ナチズムの日常と本質を描いて息をつかせない。ヒトラーが政権を握った 1933 年に書き始め、ドイツ軍がポーランドへ侵攻した 1939 年に刊行された著作である。全体主義の起源を分析した世界で最初の本だった。

 企業の機能はマーケティングとイノベーションである。本書こそ、経営の本質を明示することによって、世界中の企業と経済に直接の影響を与えた経営の原典である。 前著『企業とは何か』発表の後、ドラッカーは、産業社会の主たる機関としての企業とその経営の成否が、社会の行方を

左右するとの認識のもとに、マネジメントを深化・集大成し、本書によってマネジメントの父とあおがれるようになったのだった。 本書によって元気づけられ、導かれたという経営者、知識労働者は数知れない。「企業の社会的責任」もすでに論じられている。

 地震の群発のように、激動が先進社会を襲いはじめた。その原因は、地殻変動としての断絶にあった。 この断絶がもたらしたものをグローバル化の時代、多元化の時代、知識の時代、起業家の時代ととらえた本書は、世界中で読まれ世紀のベストセラーとなった。今日まさにその渦中にある大転換期への

突入の様相と、その本質を明らかにした。 イギリス保守党がドラッカーによるものとして政策綱領に入れ、政権をとったマーガレット・サッチャーが推進して、やがて世界中に広がった政府現業部門民営化の構想は、本書で発表された。現代社会最高の哲人としての名声を不動にした名著である。

 ネクスト・ソサエティとは、いかなる社会か? 次の社会がいかに経済と経営を変えるかを示した本書は、2001 年 9月のアメリカ同時多発テロ事件以前に取材・執筆されたインタビューと論文集であ

る。若年人口の減少、労働力人口の多様化、製造業の地位の変化など、日本のために書かれたというほどに説得力がある。『2006 年度版 厚生労働白書』は本書を参考としている。

 社会が機能するには、一人ひとりの人間に位置付けと役割があって、かつそこに存在する権力に正統性がなければならない。しかも、よりよい社会への改革の道は、現実に立脚した保守主義の原理によらざるをえない。 ソクラテスからフランス啓蒙思想、ルソー、ロベスピエール、マルクス社会主義革命、ヒトラーとつづく理性万能主義、全体主義の系譜の破綻を明らかにするとともに、イギリスとアメリカの保守主義

の実績をこれに対比させた。 社会にかかわる一般理論を確立し、その産業社会への適用を特殊理論として展開したドラッカー社会学の原点である。第二次世界大戦にアメリカが参戦する前に、「戦後世界に何を期待し、そのために今何をなすべきか」を明らかにした著作。 本書を読んだGMのトップマネジメントが同社の調査と研究を依頼したことから、やがてマネジメントがドラッカーによって発明されたのだった。

 われわれの社会は、組織社会として極度に多元化した社会になった。財とサービスの提供、医療、福祉、教育、知識の探求から環境の保全まで、主な社会的課題のほとんどすべてが、専門の社会的機関にゆだねられた。それらの課題をいかに果たすかが、それぞれの機関のマネジメントの課題である。

 原著 800 頁を超える本書は、今日でも大学、ビジネススクール、経営セミナーの教科書として使われている。 伝記作家ジョン・タラント呼ぶところの「マネジメントを発明した男」の筆によるマネジメントの集大成であり、実務家と研究者にとっての百科事典的な教科書である。

Drucker's Works ドラッカー主要著書

The End of Economic Man『「経済人」の終わり——全体主義はなぜ生まれたか』 (1939年)01

Managing in the Next Society『ネクスト・ソサエティ——歴史が見たことのない未来がはじまる』(2002年)06

05 Management: Tasks, Responsibilities, Practices 『マネジメント——課題、責任、実践』 (1974年)

The Future of Industrial Man『産業人の未来——改革の原理としての保守主義』 (1942年)02

The Practice of Management『現代の経営』 (1954年)03

The Age of Discontinuity『断絶の時代——いま起こっていることの本質』 (1969年)04

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 1960 年の日本訪問に際し、夫はどこにでもいる鑑賞者から、熱心な収集家に変わっていった。私が関わることになったのは、1961 年に彼と行動をともにしてからだった。爾来、夫婦ともに日本の掛け物を熱心に継続的に購入し続けている。 わけても夫にとって、日本画の鑑賞とは単に異文化体験にとどまらず、人生において必要欠くべからざるものとなっていた。「正気を取り戻し、世界への視野を正すために、日本画を見る」と言っていた。 私たち西洋の者にとって幸いなことに、日本人の特質とは知覚にあり、知覚は見ることを基本とする感官の働きである。私たちも目を見開くことを学ぶことによって、知覚が開発されたり、日本画をいかに鑑賞すべきかを知るという実に大きな見返りを得ることができた。

日本は夫にとって特別な国だった

ドリス・ドラッカー

 なぜドラッカーか。根本の問題を意識させてくれるからです。何のためにわれわれの会社があるのか。なぜ自分は経営しているのか。会社はなぜ事業を行わなければならないのか。社員は会社組織でどのような仕事をなすべきか、社会における個人とは何か。そういった誰もが前提として疑わないこと、本質的な問題に問いを投げかけ、答えてくれている。ドラッカーの書いたものを読むと、自分がぼんやり考えていたことはこういうことだったのではと得心がいくのです。

本質的な問題に問いを投げかけ、答えてくれる存在

柳 井 正ファースト・リテイリング会長

 私どもは昭和の初め「企業は社会の公器である」という理念を経営の基本とし、それを「産業魂」と呼びました。これはドラッカーの主張と一致するものですが、現在の弊社のグループ経営理念に引き継がれている大切な考え方です。 ドラッカーの主張の多くは本質を捉えた普遍的なものであり、これから企業をとりまく環境が変化しようとも、多くの示唆を与え続けてくれるものだと思います。

企業が社会の公器だという考え方

茂 木 友 三 郎キッコーマン名誉会長

 彼は世の定見や既存の政治的公正を唯々諾々と受け入れることをしなかった。そのような姿勢が、ひとかけらの良心、良識を持つ人から一貫して受け入れられた理由と思います。 もう一つ、社会通念としての常識にも疑問の目を持ち続けました。世界には古今東西で通用するコモンセンスがある。そのような大きな叡智の集積とは別に、局部的で散発的にしか通用しない通念というものもあります。それらにも直接間接に疑義を呈したと思います。今なお著作に触れる特に若い人たちには、そのようなありものの「常識」への健全な疑義を忘れるなとするのが変わらぬメッセージと思います。一見わかりやすいものほど慎重でなければならない。ともにこれからも私が生きていくうえで、心にとめたい知的な姿勢であったと思います。

ありものの「常識」への健全な疑義

小 林 陽 太 郎富士ゼロックス元取締役会長

ドラッカー先生の一言一言の重みを ドラッカー先生の一言一言の重みを、今でも、折に触れ感じています。例えば「理論ばかりではいけない。経験も大事にしなくてはいけない」とか「顧客と市場を知っているのは、ただ一人顧客のみ」といった言葉は、普遍的なビジネスの本質を切り取って見せてくれます。「人はコストではなく資源」「事業の目的は顧客の創造」「問題ではなく機会中心」「イノベーションの欠如こそ組織がだめになる証拠」などの言葉は、日頃マネジメントが陥りやすい現実に対する戒めとなっています。 また、ドラッカー先生は、東洋美術に並々ならぬ関心をお持ちでした。特に室町時代の墨絵がお好きでした。室町時代は、武家社会の勃興から動乱の戦国時代に向かう端境の時代として、日本の歴史における一つの大きな転換期として位置づけられていますが、そのあたりも関心の背景にあったのかもしれません。 京都の人は今なお「あの応仁の乱以来…」という言葉を好んで使われるということも聞きますが、舞台が京都というだけでなく、それほど歴史を変えた一大事件だったのだと思います。 時代はまさに激動しています。このような時代には、ますます経験と歴史観が重要になってきています。ドラッカー先生の教えが、今なお評価され続けているのもわかるような気がいたします。

伊 藤 雅 俊セブン&アイ・ホールディングス名誉会長

 ドラッカーの未来予測は、今日の現実の中に表れている明日の現実のかすかな兆しを察知しうる鋭い感性と、兆しが顕在化していく必然性、度合いとテンポ、それらが組織に及ぼすはずの影響…などを推理する高度な知性、学識、教養…から導きだされる。彼が空前絶後の経営コンサルタントといわれる所以だ。

明日の現実のかすかな兆しを察知しうる鋭い感性

野 田 一 夫本会顧問、多摩大学名誉学長

 ドラッカーという人と思想を見ていくときに、哲学・歴史・文学からのとらえ方も有効であろう。それともう一つ、マネジメントとはリベラル・アーツなのだということを提唱したのが、ドラッカーの見逃しえない功績と思う。豊かな現実を経験しながら、同時にその現実の背後にある本質を直観する。それを言語化するときの基礎が教養、リベラル・アーツである。生き生きとした現実、プロセスのなかで本質を直観することは、科学のみになしうることではない。人間の生き方に深く関わる洞察であるがために、科学よりはむしろリベラル・アーツである。すなわち、アートとなる。マネジメントを教養とするのはまさにそのためである。

マネジメントは新たな教養である

野 中 郁 次 郎本会学術顧問一橋大学名誉教授

Messages メッセージ

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1909年●11月19日 オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーン郊 外デブリンのカースグラーベンで生を受ける。 父アドルフ(1876 〜 1967 年)は貿易省次官(のち退官して 銀行頭取、ウィーン大学教授、アメリカに亡命してノースカロ ライナ大学、カリフォルニア大学ほか教授)。 母キャロライン(1885〜 1954年)は当時としては珍しい女性 神経科医。

1915年●シュバルツバルト小学校に入学。この小学校で生涯の恩師・エ ルザ先生とゾフィー先生に出会う。

1922年●ドイツ外務大臣のヴァルター・ラーテナウが極右の手によって 殺害され、そのニュースに衝撃を受ける。

1923年●11月11日 共和国の日に左翼の行進に参加し、自らが観察者 であることを知る。

1927年●小学校で飛び級のため、1年早くデブリング・ギムナジウムを 卒業。ウィーンを出る。

●サロンで文豪トーマス・マンや大軍人モルトケに出会う。

●ドイツのハンブルグで事務見習いとして商社に就職。同時に、 ハンブルグ大学法学部入学。大学入学審査論文は「パナマ運河 の世界貿易への影響」。

1928年●名門誌『オーストリア・エコノミスト』副編集長カール・ポラ ンニーに出会う。

1929年●フランクフルトでアメリカ系証券会社に就職。フランクフルト 大学法学部へ編入。

●世界大恐慌で就職先の証券会社が倒産し、失業。

1930年●地元の有力紙『フランクフルター・ゲネラルアンツァイガー』 経済記者となる。

1931年●国際法で博士号取得。ゼミで教授の代講。そのゼミにドイツ人 大学生ドリス・シュミットがいた。

1932年●ナチスが第一党に躍進。危機感を募らせる。

1933年●ジャーナリスト生活の中で『「経済人」の終わり』の構想を練 り始める。

●初めての著作『フリードリヒ・シュタール——保守主義とその 歴史的展開』を名門出版社モーア社より法律行政叢書第100号 記念号として出版。出版後禁書とされて焚書処分。

●ドイツを脱出。ロンドンでドリスと偶然再会する。

1934年●シティでマーチャントバンクのフリードバーグ商会にアナリスト 兼パートナー補佐として就職。

●ケンブリッジ大学でケインズの授業を聴講する。自らの関心が

人と社会にあることを改めて自覚する。

●雨宿りに入った画廊で日本画と出会い衝撃を受ける。そこから 日本の明治維新への関心が芽生える。

1937年●ドリスと結婚して、アメリカへ移住。

●『フィナンシャル・タイムズ』ほかのイギリスの新聞に寄稿。 フリードバーグ商会ほかにアメリカ経済短信を送付。

1938年●オーストリアがナチス・ドイツに併合される。両親もアメリカへ移住。

1939年●処女作『「経済人」の終わり』を出版。『ザ・タイムズ』誌の書 評欄で後のイギリス宰相ウィンストン・チャーチルの激賞を受 ける。

●ニューヨーク州サラ・ローレンス大学で、非常勤講師として経 済学と統計学を教える。アメリカ全土を講演旅行。

1940年●短期間、経済誌『フォーチュン』の編集に携わる。

1941年●真珠湾攻撃による日米開戦の直後ワシントンで働く。

1942年●バーモント州ベニントン大学で、教授として政治、経済、哲学 を教える。

●第 2作『産業人の未来』を出版。

1943年●招かれて、当時の世界一の大メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM) のマネジメントを1年半調査。この年アメリカ国籍を取得。

1945年●第 2 次世界大戦終結。

1946年●GM調査をもとに、第 3作『企業とは何か』を出版。フォード が再建の教科書とし、ゼネラル・エレクトリック(GE)が組織改 革の手本とする。ここから世界中の大企業で組織改革ブームが 始まる。

1947年●欧州でのマーシャル・プラン実施を指導。

1949年●ニューヨーク大学で教授に就任。大学院にマネジメント研究科 を創設。

1953年●ソニー、トヨタと関わりを持つ。

1954年●『現代の経営』を出版。マネジメントの発明者、父と言われるよ うになる。母・キャロライン没。

1957年●『変貌する産業社会』において、モダンからポストモダンへの移行 を説く。

1959年●初訪日してセミナーを行う。

P . F . ド ラ ッ カ ー 年 譜

1964年●世界で最初の経営戦略書『創造する経営者』を出版。

1966年●日本における産業経営の近代化および日米親善への寄与により勲 三等瑞宝章を授与される。

●万人の帝王学とされる『経営者の条件』を出版。

1967年●父・アドルフ没。

1969年●今日まで続く転換期を予告したベストセラー『断絶の時代』を出 版、知識社会の到来を構想。同時に本書は民営化ブームの端緒 ともなった。

1971年●カリフォルニア州クレアモント大学院大学にマネジメント研究 科を創設。同大学院教授に就任。

1974年●『マネジメント』を出版。

1975年●『ウォールストリート・ジャーナル』紙への寄稿を始める。以降 20 年にわたり経済と経営について執筆。

1976年●高齢化社会の到来を予告して『見えざる革命』を出版。

1979年●半自伝『傍観者の時代』を出版。

●クレアモントのポモナ・カレッジで非常勤講師として東洋美術を 5 年間教える。

1980年●『乱気流時代の経営』を書いてバブルの到来を予告。

1981年●GEのCEOに就任したジャック・ウェルチとともに1位 2位戦略 を開発する。『日本 成功の代償』を出版。

1982年●小説『最後の四重奏』を出版。

1983年●『変貌する経営者の世界』を出版。

1984年●小説『善への誘惑』を出版。

1985年●イノベーションを体系として捉えた世界で初めての経営書『イノ ベーションと企業家精神』を出版。

1986年●『マネジメント・フロンティア』を出版。

1989年●『新しい現実』で東西冷戦の終結を世界で初めて予告。

1990年●NPO関係者のバイブルとされる『非営利組織の経営』を出版。

1992年●『未来企業』『すでに起こった未来』を出版。

1993年●今次の転換期が 50年、60年続くものであることを鮮明にした『ポスト資本主義社会』を出版。

1995年●『未来への決断』を出版。

1996年●『挑戦の時』『創生の時』(『ドラッカー・中内往復書簡』)を出版。

1998年●『P・F・ドラッカー経営論集』を出版。

1999年●ビジネスの前提が変わったことを示す『明日を支配するもの』を 出版。

2000年●ドラッカーの世界を鳥瞰する「はじめて読むドラッカー・シリー ズ」3部作、『〔自己実現編〕プロフェッショナルの条件』『〔マ ネジメント編〕チェンジ・リーダーの条件』『〔社会編〕イノベー ターの条件』を出版。

2002年●『ネクスト・ソサエティ』を出版。

●アメリカ大統領より合衆国最高の民間人勲章「自由のメダル」 を授与される。

2004年●『実践する経営者』を出版。日めくりカレンダー風に名言をまとめ た『ドラッカー365の金言』を出版。

2005年●『日本経済新聞』にて「私の履歴書」連載。『ドラッカー—— 20 世紀を生きて』として出版。

●「はじめて読むドラッカー・シリーズ」第4部『〔技術編〕テクノロ ジストの条件』を出版。

●11月11日、クレアモントの自宅にて逝去。

●11月19日、96歳の誕生日になるはずだった日、日本に世界初の ドラッカー学会が設立される。

2007年●日本で本格的なドラッカー研究誌『文明とマネジメント』が創 刊される。

P . F . ド ラ ッ カ ー 年 譜

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Page 7: Workshop for Studies of Peter F Drucker s …drucker-ws.org/wp/wp-content/themes/drucker_workshop2012/...Peter F.Drucker, s Management Philosophy 2005年 5 月 ドラッカー本人に学会設立の承認を受ける

13本冊子はドラッカー学会の使命と活動内容を広く世の中に知っていただくために制作されたものです。

2012 年 5 月 1 日 発行発行者:ドラッカー学会

〒 101-0052東京都千代田区神田小川町 3-26-8 神田小川町ビル 2 階明治大学国際総合研究所内文明とマネジメント研究所気付 ドラッカー学会

Drucker Workshopc/o. Institute for Civilization & Management, Meiji University2F, Kanda-Ogawa-Cho Building, 3-26-8Kanda-Ogawa-Cho, Chiyoda-ku, Tokyo 101-0021, JAPAN

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ドラッカー学会

ドラッカー学会

Workshop for Studies of

Peter F. Drucker,s Management Philosophy

2005 年5月 ドラッカー本人に学会設立の承認を受ける11月 設立準備会開催 11月 19日学会が正式に発足。初代代表に上田惇生氏が就任

2006 年5月 第 1 回総会及びドラッカー追悼懇親会(リーガロイ ヤルホテル東京〔東京都新宿区〕)開催(98名参加)6月 韓国ピーター・F・ドラッカー協会と相互協力と交流 に関する覚書(MOU)を締結11月 第1回大会(早稲田大学小野梓記念講堂)開催 (110 名参加)

2007 年1月 会員数 300名5月 第 2 回総会・講演会(国立大学法人小樽商科大学札 幌サテライト〔北海道札幌市〕)開催 伊藤雅俊氏(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)、 E・イーダスハイム氏が講演(71名参加)6月 会員数 400名11月 年報『文明とマネジメント』第 1号刊行 第 2回大会(早稲田大学小野梓記念講堂)開催 (137 名参加)

2008 年5月 第 3 回総会・講演会(学士会館〔東京都千代田区〕) 開催(95名参加)11月 年報『文明とマネジメント』第 2号刊行 第 3 回大会(立命館大学朱雀キャンパス〔京都市中 京区〕)開催(106名参加)12月 名誉会員ヘルマン・サイモン氏(サイモン・クチャー &パートナーズCEO)公開授業「脱・市場シェア主義」 (東京大学大学院情報学環・学際情報学府共催、東京 大学情報学環福武ホール)

2009 年5 月 第 4 回総会・講演会(早稲田大学小野梓記念講堂) 開催(137名参加)7月 「グローバリゼーションとマネジメントの役割」(ド ラッカー生誕 100 年記念シンポジウム。淑徳大学共 催、淑徳大学サテライトキャンパス)を開催 (92 名参加)

8月 会員数 500名10月 第 4回大会(北海道函館市、生誕 100 年記念)開催 (152 名参加)11月 年報『文明とマネジメント』第 3号(生誕 100 年特 別記念号)刊行

「ドラッカーとネクスト日本型経営」(生誕 100 年記 念シンポジウムⅡ、淑徳大学大学院と共催、淑徳大 学みずほ台キャンパス)開催(181名参加)12月 「次なる知識社会に向けて」(生誕 100年記念講演会、 早稲田大学ビジネススクールと共催、早稲田キャン パス)開催(266名参加)

2010 年4月 会員数 600名

亜細亜大学でドラッカー学会寄付講座 経営特講Ⅰ開始5月 第 5 回総会・講演会(早稲田大学小野梓記念講堂) 開催(169名参加)11月 年報『文明とマネジメント』第 4号刊行

会員数 700名12月 第 5回大会(名古屋)開催(95名参加)

「生誕 100 年記念シンポジウム」(淑徳大学池袋サテ ライトキャンパス)開催(98名参加)

2011 年5月 年報『文明とマネジメント』第 5号刊行

第 5 回総会・講演会(早稲田大学小野梓記念講堂) 開催(158名参加)9月 明治大学文明とマネジメント研究所との研究連携を 開始。同研究所に事務局を移転

早稲田大学ビジネススクールとの連携プロジェクト 「ドラッカー経営思想研究部会」設立11月 第 6回大会(北海道旭川市)開催(116名参加) 年報『文明とマネジメント』第 6号刊行

代表代行に藤島秀記氏就任 記念シンポジウム「断絶」(明治大学文明とマネジメ ント研究所共催)開催(80名参加)12月 淑徳大学と共催でシンポジウムを開催

2012 年4月 新代表に三浦一郎氏就任

ド ラ ッ カ ー 学 会 の あ ゆ み

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