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写真1 雑司が谷霊園(東京都豊島区)

「墓地」から「路地」へ

原風景としての墓地 路地や広場などの外部空間や、まちなみが自分にとって気になり出したきっかけは何だろうか。ふと思い返してみた。それは「墓地」ではないかと唐突に思い至った。 私は大学受験の浪人時代、池袋の予備校に通っていた。昼休みになると特に親しい友人もいなかったので、よく近所に散歩に出掛けた。英単語の一つでも覚えればよいものを、毎日のように外に出ていた。それで予備校のそばにあった鬼子母神社や雑司ヶ谷霊園によく行ったのだ。今思えば神社の鬱蒼とした森や墓地の風景が、当時の孤独な心情を癒してくれていたのだと思う。雑司ヶ谷霊園には私の好きな夏目漱石や永井荷風、竹久夢二らが眠っているので、彼らに会いに行くような心持ちでもあった。 この経験が強く心に残っていたため、私は大学の卒業設計の敷地に雑司ヶ谷霊園を選び、そこに葬斎場を計画することにした。その概要は、現実の墓地レイアウトは無視して葬斎場を計画し、火葬場の中心に塔を建て、そこに至る道筋に回廊を巡らし、霊園全体にその他施設の斎場や納骨堂を点在させながら最後の別れの場までのシークエンスを演出するものだった。設計に当たっては、いくつか事例を参考にしたわけだが、なかでも影響を受けたのがアスプルンドの〈森の火葬場/森の墓地〉と槇文彦氏の〈風の丘葬斎場〉である。別れの空間演出として、その道行きの空間をいかに印象的なものにするかが設計の課題となった。そしてエスキスを重ねるなかで、塔と回廊が重要なデザインエレメントとなっていく。塔は道行きのシークエンスの「死を想う」フォーカルポイントとして、回廊は雁行することによって厳島神社の回廊のように日本

の象徴的空間として視覚的・心理的に奥行きを感じさせるものとして取り入れることにした。恐らくこの設計過程のなかで、建築とランドスケープの関係について一体的に考える面白さを感じたのだと思う。

〈鷲の巣村〉ヴァンスのタウンスケープ 大学院に進学した後も、研究室の研究対象がイギリス風景庭園や日本庭園、都市景観であったため、実際に庭園や古建築を見に行った。そのどれもが興味深いもので貴重な体験ばかりであったが、私が卒論のテーマに選んだのは都市景観──タウンスケープについての研究である。特にフランスのコートダジュールに点在する、通称「鷲の巣村」と呼ばれる中世の山岳城塞都市の一つ、ヴァンスを研究対象とした。ヴァンスはマティスのロザリオ礼拝堂がそばにあることでも有名であるが、外周部を城壁が楕円状に取り囲み、内部は外周に沿って円環状に道路が構成され、中心に広場と塔を持つ教会と市庁舎が隣接するという典型的でわかりやすい街区の構成とヴィジュアルがまずは研究・分析しやすいように思えたからである。 事前にどのようにヴァンスのタウンスケープを分析するか検討したうえで若干の不安を抱えつつ現地に入った。

ミサワホーム㈱

小林秀和

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小林秀和(こばやし・ひでかず)2002年明治大学大学院理工学研究科建築学専攻前期博士課程修了。現在、ミサワホーム株式会社営業本部分譲開発事業部分譲企画部企画設計課在籍。一級建築士。自社分譲事業や住宅生産振興財団等のJV事業におけるコンセプト立案から土地利用計画、建築設計までを手掛ける。主な参加プロジェクト「リファージュ高坂」「ウェルネスシティつくば桜」など。

初めて見るヴァンスのまちなみ。特に魅力的に映ったのは、「みち空間」とその利用のされ方であった。建物の外壁と石畳の路地で構成される街路はその他の西欧のまちなみと同様であるが、さらに特徴的なのは、まちの所々に城塞都市ならではの狭い路地が一部セットバックして広場的なスペースがあったり、その上部を住居の居室や廊下が渡っていたりすることによる、外部空間の室内化または公共空間のプライベート化とでも呼べるような空間の質である。西欧では広場はまちのリビングであると言われるが、住人が路地脇や突き当りの小さな空間でもテーブルやベンチを置いて、まさしく自分たちのリビング・ダイニングとしてまち全体を室内化して楽しそうに過ごしているのを実際に目の当たりにし、私自身もその空間に居心地の良さを感じることができた。私はまず始めにその魅力的な場を支える空間の質を抽出し類型化できないか試みることにした。次に、抽出されたそれぞれの空間の性質(入隅性や求心性等)とその空間から受ける印象(キタイやシンミツ等)の関係性がヴァンスの豊かなタウンスケープを構成しているのではないかと仮説を立てた。その際、タウンスケープの分析方法として参考にしたのは、ゴードン・カレンの『都市の景観』である。なかでも記憶に残っているのは

〈here and there〉、〈ここ─あそこ〉というキーワードで、タウンスケープは一つの建物、一本の樹木だけでできるのではなく、その関係性として立ち現れるというのである。この考え方は今でもまちなみを考えるうえでとて

も大切にしたい概念だと思っている。論文のなかでもヴァンスのタウンスケープが内包する視覚的・心理的に連続する関係性をなんとか伝えられないかと現地を実測調査し、まちの一部の3Dモデリングデータや360度パノラマ写真を作成して分析を行った。

まちなみ塾と海外視察 その後、ミサワホームで仕事を始めてから最初の配属先は商品開発の部署であったが、ひょんなことからまちづくりの部署に異動になった。その間、出向先で営業をしたりしていたのだが、今思うのは巡り合わせというのはやはりあって、学生時代考えていたり見ていたものが繋がるものだなと感じている。ここ数年で住宅生産振興財団のまちなみ塾や海外視察にも参加することができた。まちなみ塾では、土地利用─造成─建築─外構─販売までの一体的デザインの理想的なステップを経験でき、課題提出用に作成した全体計画図面は一生ものの財産である。 また平成26年に参加した海外視察では、学生の頃に雑誌で知っていた

イサム・ノグチの作品「カリフォルニア・シナリオ」が偶然宿泊先のホテルのそばにあって見ることができたのが実は一番印象に残っている。 「墓地」から「路地」へ。墓地は死後の分譲地。そんな強引に結び付けた私自身のこれまでの道行きだったが、学生の頃から早や15年近く経とうとしている。今後の15年も何か連続性のあるものとして地続きに感じられるような道行きであるよう願っている。

写真2 フランス・コートダジュール、ヴァンスの360°パノラマ写真

写真3 イサム・ノグチ「カリフォルニア・シナリオ」


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