『無
量
寿
経
論
』
テ
キ
ス
ト
の
検
討
辻
本
俊
郎
一、序
『無量寿経論』
(以下、『論』とする)テキストは宋版や高麗版などの、刊本
一切経の中に収
められているもの、
あ
るいは写本などとして残
っているもの、さらには
『無量寿経論註』
(以下、『論註』とする)
に引用されている
『論』などがある。筆者は、平成七年度より九年度まで行われた佛教大学総合研究所
「浄土教
の総合的研究」研究
班
(主任
・香川孝雄教授、以下、香川班とする)
にて、『論』研究会に参加する機縁を得、佛教大学岸
一英教授
の
指導の下、『論』諸本の字句の異同や改行箇所を具さに調査し、系統を跡付けた。その結果、
A系統
A1
東禅寺版、開元寺版、房山雷音洞石刻本
A2
思溪版
A3
磧砂版、杭州版
B系統
高麗再雕版、房山雲居寺石刻本
C系統
『論註』
に引用される
『論』
『無量寿経論』テキストの検討
二一
仏教学会紀要
八号
二二
と結論づけた。この調査
の中で、『論』と
『論註』に引用された
『論』との字句
の異同が著し
いことが判明した。
ヨ
字数
一つとって見ても、『論』よりも
『論註』に引用された
『論』は
一八六字も多く、わず
か三〇〇〇字足らず
の
書物からすれば、これは驚嘆に値する。特に
『論』はサンスクリット本原典やチベット語訳本
などと対照できない
だけに、諸本を対比し、どのテキストを採るべきか十分な検討が不可欠
である。したが
って
『論
』の思想的研究に
先
立ち、まずこれらの問題を扱わなければならないと考えられる。
る
そこで、小論
では
『論』諸テキスト間で特に大きく異読
の生じた箇所を取り上げ、検討を加
えたい。
二、題目
に
ついて
ω無量寿優波提舎経
東禅寺版、開元寺版、思溪版
②無量寿経優波提舎
磧砂版、杭州版、房山雲居寺石刻本
㈹無量寿経優波提舎願生偈
高麗再雕版
ω優波提舎経願生偈
房山雷音洞石刻本
㈲無量寿経論
正倉院聖語蔵本
㈲無量寿経優婆提舎願生偈
親鸞加点本
『論註』
に引用された
『論』
香川班で蒐集された
『論』テキストの表題は以上の六種である。
この中には、通称として
の
『往生論』、『浄土
な
な
論』という呼称は全く見られない。現在、『論』の具名は
「無量寿経優波提舎願生偈」とされ
ているが、これを支
持
しているものは高麗再雕版、『論註』
に引用された
『論』の二本のみである。また、
この中
で副題を有するもの
もある。すなわち、東禅寺版、開元寺版、思溪版、磧砂版、杭州版、正倉院聖語蔵本である。東禅寺版、開元寺版、
思溪版、磧砂版、杭州版、すなわちA系統
では、
無量寿経優波提舎願生偈
とな
っており、正倉院聖語蔵本では、
優波提舎願生偈
とな
っている。ここでわれわれは副題を有するテキストはすべて表題
に
「願生偈」とうたって
いないことに気付く。
また、尾題は以下の通りである。
ω無量寿優波提舎経
開元寺版
②無量寿経論
思溪版、高麗再雕版、房山雲居寺石刻本、正倉院聖語蔵本
㈹無量寿経優波提舎
磧砂版、杭州版
ω無量寿経優婆提舎願生偈
親鸞加点本
『論註』に引用された
『論』
東禅寺版、房山雷音洞本は尾題なしである。このように尾題
に至
っても様
々である。因みに、表題、尾題ともに
一
致
しているのは、開元寺版、正倉院聖語蔵本、磧砂版、杭州版の四本である
(表1参照)。
次に、経録を見るに、
ヱ
費長房撰
『歴代三宝紀』
(五九七)、道宣撰
『大唐内典録』
(六六四)では、
無量寿優波提舎経論
とな
っており、これと
一致するものはないが、東禅寺版、開元寺版、思溪版
の
「無量寿優波提舎経」が最も近しい
と
いえる。『無
量寿経論』テキストの検討
二三
表1
仏教学会紀要
八号
二四
テキスト名
・
東禅寺版
・
開元寺版
・
思溪版
・
磧砂版・杭州版
・
高麗版
・
房山雷音
洞
・
房山雲居
寺
・
正倉院聖語蔵本
・『
論
註』
に引用される『論』
表
題
・
無量寿優波提舎経
・無量寿優波提舎経巻第八
・
無量寿優波提舎経
・
無量寿経優波提舎
・
無量寿
経優波提舎願生偈
・
優波提舎経願生偈
・
無量
寿経優波提舎
・
無量寿経論
・無量寿経優婆提舎願生偈
副
題
・
無量寿経優波提舎願生偈
・無量寿経優波提舎願生偈
・
無量寿経優波提舎願生偈
・無量寿経優波提舎願生偈
なし
なし
なし
・
優波提舎願生偈
なし
尾
題
なし
・無量寿優波提舎経巻第八
・
無量
寿経論
・
無量寿経優波提舎
・
無量寿経論一巻
なし
・
無量寿経論一巻
・
無量寿経論一巻
・
無量寿経憂婆提舎願生偈
ロ
(六六五)、明栓撰
また、法経等撰
『衆経目録』(五九四)、彦棕撰
『衆経目録』(六〇二)、静泰撰
『衆経目録』
お
ヨ
『大周刊定衆経目録』
(六九五)、智昇撰
『開元釈教録』(七三〇)では、
無量寿経論
とな
っており、正倉院聖語蔵本
のもの
一本
のみがこれに
一致するのである。しかし、尾題のみから見ると、思溪版、
房山雲居寺石刻、高麗再雕版も
『無量寿経論』を支持しているのである。
このように経録から見ると、『無量寿経優波提舎』や
『無量寿経優波
(婆)提舎願生偈』という題目は見られな
い。各テキスト、経録に共通して見られるのは、『無量寿経論』である
(表2参照)。したが
って、『論』
のサンス
ク
リ
ット語
で
の題
目
を
単
純
にSukhccvativy�hopadesaと
す
る
の
は
早
計
だ
と
い
って
よ
い。
さ
ら
に
言
う
のな
らば
、
『論
』
の旦ハ名
を
『無
量
寿
経
優
波
提
舎
願
生
偈
』
と
す
る
の
は
あ
ま
り
にも
軽
率
で
は
な
いだ
ろ
う
か。
ぬ
安達俊英氏
の研究によると、
「無量寿
(仏)
」、もしくはそれに関連する何らかの経典
(群)の
「優波提舎」とも理解され、必ずしも
「無量
寿経」という名称
の経典に対する論という性格
の文献とは限らないことになる。
と
いう。
表2
表
題
・
無量寿優波提舎経
・
無量寿経優波提舎
・
無量寿経優波提舎願生偈
・
優波提舎願生偈
・
無量寿経
論
・無量寿経優婆提舎願生偈
・
無量寿優波提舎経論
テキス
ト名
・
東禅寺版・開元寺版・思溪版
・
磧砂版・杭州版・房山雲
居寺石刻本
・
高麗版
・
房山雷音洞石刻本
・
正
倉院
聖語蔵本
・
『
論
註』
に引用される『論』
なし
経録名
なし
なし
なし
なし
・
法経録・彦棕録・静泰録・大周刊
定衆経目録・開元釈経録
なし
・
歴代三宝
紀・大唐内典録
『無
量寿
経
論』
テ
キ
スト
の検
討
二五
仏教学会紀要
八号
二六
また、七寺
(稲薗山長福寺)所蔵の
『古聖教目録』の中に
阿弥陀優婆提舎願生偈
一巻
め
と見える。さらには、『論』に註を施した曇鸞は
『略論安楽浄土義』の中で、
若依無量寿論
以二種清浄摂二十九種荘厳成就
め
と記している。これらからすると安達説
のように
「阿弥陀
(無量寿)仏
に関する経典
の論」と解
釈するのが良
いよ
う
に思われるが、資料不足
のため、結論を急ぐことは危険である。
三、
一一偈
上の句
(妙声功徳成就)
に
ついて
一一偈上の句は、『論』高麗再雕版、及び房山雲居寺石刻本では、
梵声語深遠
微妙聞十方
レ
とあり、訳を付すと、「〔仏の〕浄らかな声が語るところは深遠である。」となり、また、『論』宋
版系統、及び
『論
註』に引用されている
『論』では、
梵声悟深遠
微妙聞十方
とあり、訳を付すと
「〔仏
の〕浄らかな声が
〔衆生を〕悟らせることは深遠である。」となる。「語」と
「悟」
の字
句
の異同である。おそらく旁や音が同じであるために写本
の筆写者が写本を転写する際に誤
って書き写したと思わ
れるが、はたしてどちらが原型であろうか。
曇鸞が
「梵声諷深遠」ではなくて、「梵声悟深遠」を引用して註を施していること、また、隋末唐初とされる房
む
山雷音洞石刻本が
「梵声悟深遠」とな
っていることから原型は
「梵声悟深遠
微妙聞十方」と断定してよいと考え
られる。
四、
二二偈
に
ついて
お
『論』
雨天楽華衣
妙香等供養
讃仏諸功徳
無有分別心。
れ
『論註』雨天楽華衣
妙香等供養
讃諸仏功徳
無有分別心。
訳
を付すと、前者は、
〔諸々の菩薩は〕天の音楽、華、衣、妙なる香りなどを雨のように降らせて供養し、仏の諸々の功徳を讃えて
思い計らう心がない。
となり、後者は、
〔諸々の菩薩は〕天の音楽、華、衣、妙なる香りなどを雨
のように降らせて供養し、諸々の仏
の功徳を讃えて
思
い計らう心がない。
となる。すなわち、
いずれにしても、仏の功徳を讃えることには相違ないが、『論』では阿弥陀仏
の功徳、『論註』
では阿弥陀仏を含めた仏
の功徳を讃えるという異読が生じることになる。
そこでこの偈頌に対する長行の解釈を見るに、『論』では、
三者彼於
一切世界無余照諸仏大衆無余広大無量供養恭敬讃歎諸仏如来。
「三には、かの
〔菩薩〕は、すべての世界
において、残すところなく諸仏の会座の大衆を照らし、残すところ
『無量寿経論』テキストの検討
二七
仏教学会紀要
八号
二八
なく広大無量に諸仏
・如来を供養し、恭敬し、讃歎する。L
ま
ま
とあり、『論註』では、次のよう
にある。
三者彼於
一切世界無余照諸仏大衆無余広大無量供養恭敬讃歎諸仏如来功徳。
「三には、かの
〔菩薩〕は、すべての世界において、残すところなく諸仏の会座
の大衆を照らし、残すところ
なく広大無量に諸仏
・如来の功徳を供養し、恭敬し、讃歎する。」
『論』『論註』ともに諸仏
・如来とあ
って、阿弥陀仏のみではなく、阿弥陀仏を含めた諸仏が意識されているの
である。これらから判断すると、二二偈は、「讃諸仏功徳」
(『論註』に引用される
『論』)という形が原型で、「讃
個諸功徳」
(『論』)は入蔵されるまで何らかの事情
(誤読、誤写など)によ
って手が加えられたのであろう。
五、迴向門
に
ついて
迴向門とは、五念門
の
一つであり、礼拝門、讃歎門、作願門、観察門の修習によ
って集められる功徳をすべての
衆
生に迴向して共に安楽国に往生しようと願うことである。しかしながら、解義分における迴向門の説明の箇所が、
高
麗再雕版と東禅寺版などの宋版系統とでは字句の異同が甚だ激しく、したが
って、迴向門の内容も大きく異なる
ぬ
のである。
高麗再雕版では、
不捨
一切苦悩衆生。心常作願迴向為首。成就大悲心故。
「一切の苦しみ悩んでいる衆生を捨てず、心に常に願をなし、迴向することを第
一とする。〔それは〕大悲心
を成
就
し
よう
と
す
る
か
ら
であ
る。」
お
とあり、東禅寺版などの宋版系統
では、
於彼観察
一切世間苦悩衆生。同願生彼安楽国土願心所有功徳善根以巧方便作願迴向。摂取衆生不捨
一切世間故。
「かしこ
(安楽国土)において
一切世間の苦しみ悩んでいる衆生を観察する。同じく
(一同)かの安楽国土に
生まれたいと願
い、心のあらゆる功徳善根を願
い巧みな方便をも
って作願し、迴向する。」
あ
とある。前者は、自分の功徳を衆生に迴施して、安楽国土に往生しようとするが、後者は、かしこ
(安楽国土)に
往生し、そこで衆生を観察し、自分の功徳を衆生に迴施するという相違が生じることになる。
つまり、高麗再雕版
では往相迴向であり、東禅寺版などの宋版系統
では還相迴向なのである。果してどちらが原型
であろうか。
が
宗暁
(一一四
一-
一二
一四)は
『楽邦文類』巻第
一に、
迴向門。所有功徳善根以方便迴向摂取衆生不捨
一切世間故。
と東禅寺版などの宋版系統
の文を引用している。しかし、『論』
に対して註を施した曇鸞は、
不捨
一切苦悩衆生。心常作願迴向為首。得成就大悲心故。
「一切の苦しみ悩んでいる衆生を捨てず、心
に常に願をなし、迴向することを第
一とする。〔それは〕大悲心
を成就できるからである。」
お
とし、「得」
の出入はあるが、高麗再雕版を支持している。ボーディルチ
(菩提流支)が
『論』
を訳出した年
(五
三
一年、あるいは五二九年)と曇鸞の年代
(四七六-五四二?)からすれば、高麗再雕版が原型であろうと考えら
れ
る。
『無
量寿経
論
』
テキ
スト
の検
討
二九
仏教学会紀要
八号
三〇
六、五念
門と五門
『論』
菩薩如是修五門行自利利他速得成就阿耨多羅三藐三菩提故。
「菩薩はこのように剥門の行を修して、自利利他して速やかにこの上な
い完全な悟りを成
就することができる
からである。」
『論註』
菩薩如是修五念門行自利利他速得成就阿耨多羅三藐三菩提故。
「菩薩はこのよう
に五念門の行を修して、自利利他して速やかにこの上ない完全な悟りを成就することができ
るからである。」
つまり、ここでは、五念門と五門との異同であるが、五念門というのは、論自身にあるように、
お
何等五念門。
一者礼拝門。二者讃歎門。三者作願門。四者観察門。五者迴向門。
「五念門とは何か。
一には礼拝門、二には讃歎門、三には作願門、四には観察門、五には迴向門である。」
の五
つを指すのである。これに対して五門というのは、
お
何者五門。
一者近門。二者大会衆門。三者宅門。四者屋門。五者園林遊戯地門。
「五門とは何か。
一には近門、二には大会衆門、三には宅門、四には屋門、五には園林遊戯地門である。」
の五つを指す。五念門と五門とは、それぞれ対応していることは今さら述べるまでもないが、
根本的に異なるのは、
五念門というのは安楽国土に生まれるための実践であり、それに対して五門というのは、五念門を修し、その行が
成就することによ
って得ることのできる五
つの功徳を指すのである。ここでは
「念」という字
の出入に過ぎない異
同
であるが、その意味するところは大きく異なるのである。
つまり、五念門は実践されるものであ
って、その結果、
五門が得られるからである。
したが
ってコンテクストからすれば、「修五門行」(『論』)よりも、「修五念門行」
(『論註』に引用される
『論』)
の方が良
いと考えられる。しかし、興味深
いことに右記に対する曇鸞の注釈では、
問日。有何因縁言速得成就阿耨多羅三藐三菩提。
答日。論日修五門行以自利利他成就故。
「問う。どういう訳で、「速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することができる
」と言うのか。
〔それについて〕答える。『論』に
「五門の行を修める。それによ
って自利利他を成就す
る」とあるからであ
る。L
とある。ここでいう論とはもちろん
『無量寿経論』を指しており、『論』には
「五念門」ではなく、「五門
」とある。
先
に見たように、『論註』に引用される
『論』では
「五念門」とあり、曇鸞の注釈では、「五門」とある。果して曇
鸞
が見た
『論』は
「五念門」とな
っていたのであろうか、という疑問が生じてくるのである。
しかしながら、この箇所を合理的
に読むのならば、『論』の
「菩薩は五門
(五
つの功徳)
の行を修す
(修五門
行)」というよりも、『論註』に引用される
『論』
の
.菩薩は五念門
(五
つの行)を修す
(修五念
門行)と読む方が
良
いのではないかと考えられる。
『無量寿経論』テキストの検討
=二
仏教学会紀要
八号
三二
まとめ
以上、『論』
の特に大きく異読が生じる箇所、すなわち、題目、
一一偈上の句、二二偈、迴向
門、五念門と五門
の五つを取り上げて検討した。
①
『論』の正式名称を、『無量寿経優波提舎願生偈』とするのは、慎重
にならざるを得な
い。
一朝
一夕では到底
解決のできない問題であろう。今後の課題である。
②
二
偈
の上の句は
「梵声調深遠」ではなくて、「梵声悟深遠」が原型であると考えられる。
③
二二偈は、「雨天楽華衣
妙香等供養
讃諸仏功徳
無有分別心」と
『論註』に引用されている偈が原型で
あると考えられる。
④
宋版系統の
「於彼観察
一切世間苦悩衆生。同願生彼安楽国土願心所有功徳善根以巧方便
作願迴向。摂取衆生
不捨
一切世間故」
ではなく、「不捨
一切苦悩衆生。心常作願迴向為首。成就大悲心故」(高麗再雕版)が原型で
あると考えられる。
⑤
『論』
の
「菩薩如是修調
行自利利他速得成就阿耨多羅三藐三菩提故」よりも
『論註』
にあるように
「菩薩
如是修五念門行自利利他速得成就阿耨多羅三藐三菩提故」が原型であると考えられる。
今回は大きく異読の生じた箇所を取り上げて検討したが、この他にも字句
の異同、異読の生
じるところも少なく
な
い。今後、筆者はこれらの箇所に検討を加え、『論』の原型を探りたいと考えている。
註
(1)
『論
註』
には、
『論
』
の全
文が引
用
さ
れ、注釈
の対
象
とな
って
いる。
(2)
辻本
俊
郎
「無
量寿
経論
テキ
スト考
」、
「浄土教
の総
合的
研究
」研
究班
編
〔一九
九九
〕所収
。
(3)
ここ
で
いう
一八六字
と
いう
のは、高
麗
再雕
版所収
『論
』
と親鸞
加
点本
『論
註』
に引
用
され
た
『論』
の字数
の差
であ
る。ま
た、字
数
のみならず
、字
句
の異同
も甚
だ
しく
、さ
ら
には、
曇鸞
は
『論』
の内容
を
十節
(願
偈大
意、
起観
生
信、
観
察
体相
、浄
入願
心、
善
巧摂
化、障
菩提
門
、順菩
提
門、名
義
摂対
、願
事成
就
、利
行
満足
)
に分
けた
が、
ど
の
『論
』
テキ
ストも
この形式
で改行
し
て
いな
い
(前
掲拙
稿参
照)。
(4)
小論
では
『論
』
テキ
スト間
の大
き
く異読
の生
じ
た箇所
を取
り上
げ
た。
『論
』
テ
キ
スト間
の詳
細
な字
句
の異
同
は、
「浄
土
教
の総合
的研
究」
研究
班編
〔一九九
九〕
を参
照
され
た
い。
(5)
岸
一英氏
は
「三種
二十
九句
の荘
厳
の点
に立
って観察
の立場
から
極楽浄
土
の有
り様
を
ま
とめ
て論
じ
た書
と
し
て
『浄
土
論
』
と通
称
し、
また
極楽
浄
土
に往
生
す
るた
め
の行
法
であ
る
五念
門
の立場
に立
って
の往
生
の
た
め
の論
と
し
て
の通
称
が
『往生
論』
とさ
れた
も
の」
と
する
(岸
一英
「『無
量
寿経
論
』校
異
の意義
」、
「浄
土教
の総合
的
研究
」
研究
班
編
〔一九
九
九
〕所
収)。
『往
生論
』
の名
の初見
は慧遠
(五
二三
-五九
二)
の
『観
無
量寿
経義
疏』、
『浄
土
論』
の名
の初見
は道綽
(五六
ニ
ー六
四五)
の
『安
楽
集』
に見
ら
れる。
こ
こで注意
し
た
い
のはかな
り早
い時
期
に
『往
生
論』、
『浄
土論
』
と通
称
され
て
いた
と
いう
こと
であ
る。
(6)
柴
田泰
氏
は、
『論』
の正
式な
題名
は
『無量
寿経優
波提
舎
願生偈
』
と結論
づ
け
て
いる
(柴
田泰
〔一九
九七〕)。
『無量
寿経
論』
テキ
スト
の検
討
三
三
仏
教学
会紀
要
八号
三四
(7)
『大
正蔵
』
四九巻
八六上
。
(8)
『大
正蔵
』
五五巻
二六九
中。
(9)
『大
正蔵
』
五五巻
一四
一上。
(10)
『大
正蔵
』
五五巻
一五
三中。
(11)
『大正蔵
』
五五巻
一八
六上。
(12)
『大正蔵
』
五五巻
四〇
七下。
(13)
『大正蔵
』
五五巻
五四
一上、
六
〇七
下。
(14)
安
達俊
英
〔一九九九
〕。
(15)
牧
田諦
亮監
修
、落合
俊典
編集
〔一九九
八〕
『七寺
古逸
経典
研究
叢書
』第
六巻
二
=
頁。
(16)
『浄土宗
全
書』
一巻
六
六
六上。
(17)
『大正
蔵』
二六巻
二
三
一中
。
(18)
「浄土
教
の総合
的研
究」
研究
班編
〔一九九
九〕
五
八頁。真
宗
勧学
寮編
〔一九
二五〕巻
上、
一九
頁。
(19)
塚本
善隆
〔一九三
五〕
九
三頁
-九
四頁
参
照。
また、
同書
の口絵
に
は房
山雷音
洞
石刻
本
の拓
本
が紹介
さ
れ
ている。
(20)
『大
正蔵』
二六巻
二三
一中
。
(21)
真宗
勧学
寮編
〔一九
二五〕
巻上
、
三五頁
。
(22)
『大
正蔵』
二六巻
二三
二中
。
(23)
真宗
勧
学寮編
〔一九
二五〕
巻下
、
三
八頁
。
(24)
梶
山雄
一博
士
は
「廻向
の思想
は空
の論
理
なく
し
て
は成
り立
た
な
い。
(中
略)
功徳
の内容
あ
る
いは方向
の転換
は、
業
も
果も
本質
的
には実
体
のな
い、空
な
るも
のであ
る
から
こそ可能
と
なる。
阿弥
陀仏
が自
己
の功徳
を迷
え
る人
び
と
にめぐ
ら
す
と
いう
こ
とは、
仏
も衆生
も
とも
に空
であり
、不
二
であ
る
から
でき
る
のであ
る。衆
生
が自
分
の善
行
の功徳
を
さ
とり
に転
換
で
きる
のも、
功徳
と
さとり
がと
も
に空
であり、
不
二
であ
る
から
であ
る。
こう
し
て
みる
と、空
の思想
は、
廻向
の
思想
に論
理
を与
えた
こ
とがわ
か
るの
であ
る。L
と指摘
する
。
(梶
山雄
一
〔一九
九七〕
六〇頁
-六
一頁)。
(25)
『大正
蔵』
二六巻
二三
一中。
(26)
「浄
土
教
の総
合的
研究
」研
究班
編
〔一九九
九〕
六四頁
。
(27)
『大
正蔵
』
四七巻
一六
三中。
(28)
真宗
勧
学寮
編
〔一九
二五
〕巻
下、
六頁。
(29)
菩提
流支
と
『論』、菩
提流
支
と曇鸞
、曇
鸞
と
『論』
の関
係
に
ついては、岸前
掲論
文参
照。
(30)
『大
正蔵
』
二六巻
二三
三上。
(31)
真宗
勧学
寮編
〔一九
二五〕
巻下
、
五
一頁
。
(32)
『大
正蔵』
二六巻
二三
一中
。
(33)
『大
正蔵』
二六巻
二三三上
。
(34)
真
宗勧
学寮
編
〔一九
二五〕巻
下
、五
一頁
。
参考文
献
安達
俊英
〔一九
九九
〕"「「浄土
三部
経」
と
『往生論
』L
『佛
教大学
総合
研究
所紀
要別
冊
浄
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の総
合的
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梶山
雄
一
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1大
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人文
書院
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テ
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スト
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三五
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