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+ プラトン 道券茉実菜

MAMINA (1)

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Page 1: MAMINA (1)

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プラトン道券茉実菜

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+プラトン 紀元前427年~紀元前347年(80歳没)

アテネの名門に生まれ。

父方は王政時代の最後の王様の子孫。

母方はギリシア七賢人(けんじん)の1人ソロンの親族の子孫。

教育をしっかりと受けていた。

詩を書くことが趣味だった。

政治家を目指していた。

彼が生きた時代はまだ様々な政権の思想ができ始めたばかりだった。すなわち、プラトンが唱えた理想の国家も新たな政権の思想の一つだったといえる。

のちに、アリストテレスに大きな影響を与える。

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+ソクラテスと出会う

プラトンは競演会に向かう途中で、

偶然ソクラテスの演説を聞き、そ

の演説に感動し政治に興味を持ち

始める。

20歳前後に、ソクラテスに弟子

入りする。当時のソクラテスは6

2歳だった。

ソクラテスから大きな影響を受け

る。

ソクラテスを尊敬し、のちに彼の

思想を書いた論文を発表する。

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+

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+ソクラテスの死

プラトンが28歳の時にソクラテスが死刑になる。

ソクラテスの死後、政治家の夢から身を引いて哲学を学び始める。

ソクラテスが有罪だったため、その弟子だと敵視されたためメガラに身を隠す。

イタリア、シチリア島、エジプトを旅する。

この時ピュタゴラス派と交流を持つ。

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+

本当の知識とは何かを研究し・・・

イデア論

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+

プラトン主義

「永遠の真理」

「永遠の善」

「永遠の美」

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+動機は・・・

ソクラテスを死に追い込んだ

アテネ社

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+考え方の違い・・・ソフィストとプラトン

ソフィスト(法律家)たちの考えは・・・

悪い事の基準は、状況や場所によって変わる(何が正しいか正しくないかは、時と場所・人によってちがう)

プラトンの考え方は・・・

悪い事の判断をする確かな基準は、人によっても場所によっても変わらない永遠で絶対の判断基準

これがイデア論

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+考え方の違い・・・詩人とプラトン

詩人追放論をプラトンは彼自身の理想の「国家」で唱えた。

理由は「神々が姦淫(かんいん)したり、酒を飲んだり、悪巧(わるだく)みしたりするような物語は、知らせないほうがよい」と考えたからである。

しかし詩人の詩を全面的に否定していたわけではない。幼少年教育の時期に悪影響とみなされていただけ、成人すれば教えてもよいと考えていた。

たとえば「パイス」(童歌)など、子供が寝る前に母親に読んでもらうような物語は教えないほうがいいとプラトンは考えていた。

当時は神々の欠点や卑劣な部分を書いた詩が多かったため教育にはよくないとプラトンは判断した。

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+イデアとは 「本当の自分」「本当のあの人」という言葉で表さられているのがプラトンの言う「イデ

ア」

現実の世界と真実(真の)世界の二つの視点を観察することを指す。

二次元論

現実の世界のものはイデアの世界の反映したもの。

プラトンは、現実に生きている人間が、その知性によってイデアを知ることができると考えていた。

現実に存在する物・人にはイデアの世界(彼らが思っている・想像している理想の世界)があるという思想。

そしてその中でも一番すぐれているものは「善のイデア」と考えられていた。

例:絵描きが絵を描こうとイメージする。このイメージがイデアの世界のもので、現実には全く同じ状態で存在しない。

資料イデアの世界

のもの

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+体がモデルの国家

頭 体全体を管理(国家の先頭に立って国全体を治める人、すなわち王様)

胸 強い意志をもって国を守る兵士

下半身 国家の生活必需品を生産する農家や商人

現代の三権分立に繋がっている

プラトンの考える国とは・・・

一部の欲の強い人たちにまかせる民主主義ではなく、本当に存在するイデアを認識した何人かの哲学者が支配する。

人間の体の仕組みを参考

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+しかし・・・

自由を無視した社会主義と思われがち

だったプラトンの理想国家。

けれども、民主主義の失敗を目の前で見ていたプラトンには、理想的な国とはこのような能力による国家しか考えられなかった。

が、あまりにも現実離れしていたため

イタリアのシシリー島にあるシュラクサイで彼の理想の国を作ろうとしたが、二度試してみて二度とも失敗

した。

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結果的に・・・

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+

プラトンのイデア論は、作り物には当てはまっても、生き物には当てはまらない

ものだった

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+なぜならプラトンが唱えたイデアの世界ではすべてが永遠に存在する、または完全な物、といわれていた。そして、私たちが現在生きている世界はイデアの反映だといわれていた。しかし、私たちが存在している世界がイデアの反映の世界というのならば、私たちも永遠に存在しているはずである。しかし私たちは永遠に生きているわけでもないし、完璧なわけでもない。よって、プラトンが唱えた説は間違った説だったのだ。

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+

以上。