4
9. フルオラスエンコード法を用いる生理活性ペプチドの液相コンビナトリアル 合成 松儀 真人 Key words:フルオラスタグ,ミクスチャー合成,生理活性 ペプチド,立体異性体,フルオラス縮合剤 名城大学 農学部 応用生物化学科 含フッ素化合物は, 水や大部分の有機溶媒と親和性が低いという特徴を有しており, この特性を利用することで「含フッ素化 合物」と「フッ素を含んでいない化合物」の分離が簡単に達成できる.これまで有機合成分野では, 長鎖パーフルオロアルキ ル基を有するフルオラス分子を取り扱う「ヘビーフルオラスケミストリー」 1) と, フッ素含有量の少ない「ライト」なフルオラス分子 を取り扱う「ライトフルオラスケミストリー」 2) が相補的に用いられてきた.ヘビーフルオラス分子は一般に汎用有機溶媒に不溶で 有機合成反応において扱いにくい一面を有しているが, 「フルオラス液相-有機液相」の単純な分液操作によりフルオラス成分 を分離することが可能である.一方, ライトフルオラス分子は有機溶媒に可溶なので, 汎用有機溶媒が反応媒質として使用で き, 反応溶媒の選択や反応追跡の方法も含めて, 通常の有機分子(非フルオラス分子)と同様の条件で有機合成反応を行うこ とが可能であるが,「フルオラス液相-有機液相」での分離は困難であり, Curran により報告されたフルオラスシリカゲルを用い る分離手法が一般に用いられる 3) .これまで筆者らは, 「ライトフルオラスケミストリー」を中心としてリサイクル型メタセシス触媒 の開発や 4) , ライトフルオラスタグ法による有機化合物の簡易分離法の開発等 5) を試みてきたが, 今回その発展として, Tenuecyclamide B(生理活性ペプチド類縁体) 6) の全ての立体異性体の液相コンビナトリアル合成を計画した.すなわち, ペ プチド構成各種アミノ酸のそれぞれの立体異性体を「フッ素含量の異なるフルオラスタグ」により保護したライブラリーを調製し, これらを用いてスプリット型ミクスチャー合成 7) をおこなえば, アミノ酸不斉中心のフルオラスエンコード化を伴うペプチド立体異性 体の液相コンビナトリアル合成が達成できるものと考えた.そこで, フッ素含量の異なるアミノ酸保護基(フルオラス FMOC 試 薬)の合成と, Tenuecyclamide B のミクスチャー合成に向けた全合成ルートの確立を目的として研究を展開すると共に, ペプ チド結合形成に関して「ミディアムフルオラスケミストリー」という新しい合成戦略に基づくフルオラス簡易縮合手法の開発を検討 したので報告する. 方法、結果および考察 1.フッ素含量の異なるアミノ酸保護基(フルオラス FMOC 試薬)の効率的合成 筆者らはフッ素含有量の異なるフルオラスタグを導入した FMOC(アミノ酸保護基:図1において6角形で表示)を異なる アミノ酸に結合させた後, これらを混合してからスプリット合成により標的ペプチドまで導くことが出来れば, フルオラスタグのフッ素 含量に基づく分離を経由して構造の明らかなペプチド体の液相コンビナトリアル合成が可能になるものと考えた(図1). 上原記念生命科学財団研究報告集, 25 (2011) 1

合成 9. フルオラスエンコード法を用いる ... › houkokushu › Vol.25 › pdf › 009_r… · 図4.ミクスチャー合成に向けた Tenuecyclamide B の合成ルート

  • Upload
    others

  • View
    2

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 合成 9. フルオラスエンコード法を用いる ... › houkokushu › Vol.25 › pdf › 009_r… · 図4.ミクスチャー合成に向けた Tenuecyclamide B の合成ルート

9. フルオラスエンコード法を用いる生理活性ペプチドの液相コンビナトリアル合成

松儀 真人

Key words:フルオラスタグ,ミクスチャー合成,生理活性ペプチド,立体異性体,フルオラス縮合剤

名城大学 農学部 応用生物化学科

緒 言

 含フッ素化合物は, 水や大部分の有機溶媒と親和性が低いという特徴を有しており, この特性を利用することで「含フッ素化合物」と「フッ素を含んでいない化合物」の分離が簡単に達成できる.これまで有機合成分野では, 長鎖パーフルオロアルキル基を有するフルオラス分子を取り扱う「ヘビーフルオラスケミストリー」1)と, フッ素含有量の少ない「ライト」なフルオラス分子を取り扱う「ライトフルオラスケミストリー」2)が相補的に用いられてきた.ヘビーフルオラス分子は一般に汎用有機溶媒に不溶で有機合成反応において扱いにくい一面を有しているが, 「フルオラス液相-有機液相」の単純な分液操作によりフルオラス成分を分離することが可能である.一方, ライトフルオラス分子は有機溶媒に可溶なので, 汎用有機溶媒が反応媒質として使用でき, 反応溶媒の選択や反応追跡の方法も含めて, 通常の有機分子(非フルオラス分子)と同様の条件で有機合成反応を行うことが可能であるが,「フルオラス液相-有機液相」での分離は困難であり, Curran により報告されたフルオラスシリカゲルを用いる分離手法が一般に用いられる 3).これまで筆者らは, 「ライトフルオラスケミストリー」を中心としてリサイクル型メタセシス触媒の開発や 4), ライトフルオラスタグ法による有機化合物の簡易分離法の開発等 5)を試みてきたが, 今回その発展として,Tenuecyclamide B(生理活性ペプチド類縁体)6)の全ての立体異性体の液相コンビナトリアル合成を計画した.すなわち, ペプチド構成各種アミノ酸のそれぞれの立体異性体を「フッ素含量の異なるフルオラスタグ」により保護したライブラリーを調製し,これらを用いてスプリット型ミクスチャー合成 7)をおこなえば, アミノ酸不斉中心のフルオラスエンコード化を伴うペプチド立体異性体の液相コンビナトリアル合成が達成できるものと考えた.そこで, フッ素含量の異なるアミノ酸保護基(フルオラス FMOC 試薬)の合成と, Tenuecyclamide B のミクスチャー合成に向けた全合成ルートの確立を目的として研究を展開すると共に, ペプチド結合形成に関して「ミディアムフルオラスケミストリー」という新しい合成戦略に基づくフルオラス簡易縮合手法の開発を検討したので報告する.

方法、結果および考察

1.フッ素含量の異なるアミノ酸保護基(フルオラス FMOC 試薬)の効率的合成 筆者らはフッ素含有量の異なるフルオラスタグを導入した FMOC(アミノ酸保護基:図1において6角形で表示)を異なるアミノ酸に結合させた後, これらを混合してからスプリット合成により標的ペプチドまで導くことが出来れば, フルオラスタグのフッ素含量に基づく分離を経由して構造の明らかなペプチド体の液相コンビナトリアル合成が可能になるものと考えた(図1).

 上原記念生命科学財団研究報告集, 25 (2011)

1

Page 2: 合成 9. フルオラスエンコード法を用いる ... › houkokushu › Vol.25 › pdf › 009_r… · 図4.ミクスチャー合成に向けた Tenuecyclamide B の合成ルート

 

 図 1.フルオラスミクスチャー合成.

  そこでフルオラスタグを有する FMOC 試薬の効率的合成を目指し, 種々検討を試みた結果, 2,7-dinitro-9H-fluorene 1を出発原料とし, ジアゾニウム塩の Heck 反応を鍵反応とする合成ルートにより効率よく3種類の異なるフルオラスタグ( C3F7,C4F9, C6F13 基)を導入したフルオラス FMOC 試薬 4 を合成することに成功した(図2).また, ヒドロキシメチレン化の段階で副生するジベンゾフルベン体 5 をハイドロボレーションにより anti-Markovnikov 型付加で再び合成中間体に再生する反応条件も見出すことができた. 

 図 2.フルオラス FMOC 試薬の合成ルート.

  次に予備実験として, これらのフルオラス FMOC 試薬を用いて3種類のフッ素含量の異なる単純なジペプチド体 (f-FMOC-L-Phe-L-Phe-OMe) の合成を行い, フルオラス HPLC を用いてエンコード化された化合物分離が可能か調べた.その結果, フルオラスタグの長さを端的に反映しそれぞれの保持時間に顕著な差(Rf = H: 2 min; C3F7: 6 min; C4F9: 18 min;C6F13: 35 min)が観測された.本結果はアミノ酸のフルオラスタグ化によりペプチド類のエンコード化された液相ミクスチャー合成が可能であることを示唆している. 2.ミディアムフルオラス縮合剤(改良型向山試薬)の開発 前述したようにフルオラスケミストリーでは分子中のフッ素含量により「ヘビーフルオラス」と「ライトフルオラス」のみが展開されており, ヘビーとライトの中間に位置するフルオラス分子には利点が無いことからこれまで軽視されてきた.この利用価値がないと一般に考えられている「ミディアムフルオラス」に焦点をあて, ヘビーとライトの両方の利点の「いいとこ取り」を可能にする新しいペプチド合成手法の可能性を探った.向山試薬(図3)は幅広く用いられている縮合剤である 8).本試薬は反応後に対イオンを失い, 極端に分子量が低下することから,「ライト」と「ヘビー」の間の適当なフッ素含量を有する構造を予め分子設計すれば, 反応前にはライトフルオラス試薬として振る舞うが, 反応後には一転してヘビーフルオラス試薬として振る舞う興味深い縮合剤になる可能性がある.もし反応の前後でこのようなフルオラス性の物性制御が可能であれば, 均一反応系であるにも関わらず, 反応終了後に溶媒組成を変化させるだけで目的生成物と試薬由来の副生成物(ピリドン体)を極めて簡便に分離できる縮

2

Page 3: 合成 9. フルオラスエンコード法を用いる ... › houkokushu › Vol.25 › pdf › 009_r… · 図4.ミクスチャー合成に向けた Tenuecyclamide B の合成ルート

合反応系が達成できると考えた.そこで様々なフッ素含量の向山試薬を調製し, N,N-ジメチルホルムアミド (DMF) への溶解度と, 対応するそれぞれのフルオラスピリドン体の含水 DMF 溶液への溶解度を詳細に調べ, その知見を基に C10F21 タグを有するミディアムフルオラス向山試薬 6(フッ素含量:49%)を合成した.本試薬は DMF に可溶でほぼライトフルオラス分子としての挙動を示すが, 反応後に副生するピリドン体 7 のフッ素含量は 62%となり, ヘビーフルオラス分子としての物性を持つことになる.その結果, 反応終了後に少量の水 (DMF に対して 20%) を系内に添加するだけで縮合生成物とピリドン体 7 を濾過操作のみで分離できる簡易縮合反応系が可能になった 9).本試薬を用いる縮合反応はアミノ酸を含む様々なアミド化反応, およびエステル化反応に幅広く使用できることも確認した 10).また, 7 はオキシ塩化リンとトリフルオロメタンスルホン酸ナトリウムで処理することにより再び 6 に再生できることも明らかにした. 

 図 3. ミディアムフルオラス縮合剤(改良型向山試薬)を用いる簡易縮合反応.

  3.Tenuecyclamide B 全立体異性体のミクスチャー合成に向けた全合成ルートの確立  Tenuecyclamide B はイスラエル産シアノバクテリア Nostoc spongiaeforme var. tenue から単離され, ヒト腫瘍細胞に対しての細胞毒性を示すことが知られている 6).生理活性を有すると期待される本化合物の立体異性体の効率的なライブラリー構築を目指し, 8 種類全ての立体異性体合成を図 1 に示したフルオラスミクスチャー合成により達成することを計画した.フッ素含量の異なる Fmoc 試薬によりエンコード化されたミクスチャー合成を行うためには, N 末端を基点とする合成ルートをまず確立する必要がある.そこで天然型 Tenuecyclamide B の全合成ルートの検討を行った.  Fmoc-L-アラニン 8 を出発原料とし,L-スレオニンベンジルエステルと縮合させることでジペプチド 9 を得た.次いで,9 を Dess-Martin 酸化によりアセチルジペプチド体 10 へ変換し,続く分子内環化反応, 及びベンジル基の脱保護を経てオキサゾールアミノ酸誘導体 11 へと誘導した.また,Fmoc-S-トリチル-L-システイン 12 を出発原料としてアリルエステル化を行った後, Fmoc 基を脱保護し, 8 と縮合させることでジペプチド 13 を得た.13 を分子内環化反応によりチアゾリンアミノ酸誘導体 14 へ変換した後,活性化二酸化マンガンを用いる酸化及び Fmoc 基の脱保護を経て,チアゾールアミノ酸誘導体 15 へと誘導した. 11 を 15 と縮合させ,合成中間体 16 とした後,アリル基を脱保護し,さらに 15 と縮合させることでマクロ環化前駆体 17 を得た.最後に 17 から 2 段階の反応で Fmoc 基及びアリル基を脱保護させた後,高希釈条件下でマクロラクタム化を行い,望む Tenuecyclamide B を合成することに成功した(図4).

3

Page 4: 合成 9. フルオラスエンコード法を用いる ... › houkokushu › Vol.25 › pdf › 009_r… · 図4.ミクスチャー合成に向けた Tenuecyclamide B の合成ルート

 

 図 4. ミクスチャー合成に向けた Tenuecyclamide B の合成ルート.  現在, フルオラスエンコード化法を用いる液相コンビナトリアル合成法により Tenuecycleamide B(抗腫瘍性物質)の不斉中心の立体配置が異なる全ての異性体(8種類)の全合成を一挙に達成に向けて研究を遂行中である.  

共同研究者

本研究の共同研究者は, 名古屋市立大学名誉教授の塩入孝之先生(元日本プロセス化学会会長, 元日本ペプチド学会会長)である.

文 献

1) Gladysz, J. A. & Costa, R. C.:Strategies for the recovery of fluorous catalysts and reagents : designand evaluation. In Handbook of Fluorous Chemistry, ed. by Gladysz, J. A., Curran, D. P. & Horvath,I. T., Wiley-VCH, Weinheim, Germany, pp24-40, 2004.

2) Matsugi, M. & Curran, D. P.:Advance of fluorous cheistry:Light fluorous chemistry. In FluorousChemistry, ed. by Otera J., CMC Publishing, Tokyo, pp43-61, 2005.

3) Curran, D. P., Hadida, S. & He, M.: Thermal allylations of aldehydes with a fluorous allylstannane.separation of organic and fluorous products by solid phase extraction with fluorous reverse phasesilica gel. J. Org. Chem., 62:6714-6715, 1997.

4) Matsugi, M. & Curran, D. P.:Synthesis, reaction and recycle of light fluorous Grubbs-Hoveydacatalysts for alkene metathesis. J. Org. Chem., 70:1636-1642, 2005.

5) Matsugi, M. & Curran, D. P.:Reverse fluorous solid phase extraction: a new technique for rapidseparation of fluorous compounds. Org. Lett., 6:2717-2720, 2004.

6) Banker, R. & Carmeli, S.:Tenuecyclamides A−D, cyclic hexapeptides from the cyanobacterium Nostocspongiaeforme var. tenue. J. Nat. Prod., 61:1248-1251, 1998.

7) Luo, Z., Zhang, Q., Oderaotoshi, Y. & Curran, D. P.: Fluorous mixture synthesis: a fluorous-taggingstrategy for the synthesis and separation of mixtures of organic compounds. Science, 291:1766-1769,2001.

8) Mukaiyama, T., Usui, M., Shimada, E. & Saigo, K.:Convenient method for the synthesis of carboxylicesters. Chem. Lett., 1045-1048, 1975.

9) 松儀真人:フルオラス縮合剤,フッ素成分の分離方法. 特開 2011-20897.10) Matsugi, M., Nakamura, S., Kunda, Y., Sugiyama, Y. & Shioiri, T.:Pronounced rate enhancements in

condensation reactions attributed to the fluorous tag in modified Mukaiyama reagents. TetrahedronLett., 51:133-135, 2010.

4