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新潟⼤学特別講義、現地学習報告(新潟⼤学情報発信事業) 「被害を理解し、被害に寄り添う」

新潟大学 水俣病特別講義 発表資料 · 新潟⼤学特別講義、現地学習報告(新潟⼤学情報発信事業) ... ー立教大学教授関礼子氏の講義―

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新潟⼤学特別講義、現地学習報告(新潟⼤学情報発信事業)

「被害を理解し、被害に寄り添う」

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新潟⽔俣病の語り部曽我⽒の語り「環境と⼈間のふれあい館」語り部 の⽅の語り

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症状の個人差水俣病の症状には個人差があり、その現れ方は多様である。

「見ただけではわからない」症状も→差別・偏見に繋がる

手足のしびれ 痛覚異常 味覚障害出典:*1,2,3

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周囲の差別・偏見

「お金目当て」という非難当人だけでなく、親族の結婚・就職にも影響

水俣病を隠す人は少なくない

とくに、症状が見えにくい人への非難は大きかった

子どもに迷惑がかかるから・・・

批判されるくらいなら・・・

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語り継ぐこと

過ちを繰り返さないためには、正しいことを学び、伝えていく必要があるそれには、「語り継ぐこと」が重要その思いで、曽我さんは語り部を務めている

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小武節子さんのお話

被害の実相・すさまじい偏見と差別・手足のしびれ、痛み・家族関係の悪化「水俣病が人(夫)を変えた」「こんなに苦しい思いをするなら死んでもいい」

↓水俣病は、人との絆を壊す

水俣病関連で苦しむ人にはきりがない

「人の痛みのわかる人間になってほしい」

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地域社会における水俣病問題

前半:映画『阿賀に生きる』

全国からのカンパによってできた自主制作映画

人々のつながり

新潟水俣病とたたかう人々の力強さ

後半:映画製作に携わった旗野氏と大熊氏のお話

自然と共生することの豊かさ

地域の中でのつながり出典:*4

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新潟水俣病被害をめぐる時間と空間

ー立教大学教授 関礼子氏の講義―

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終わらない新潟水俣病▷なぜ、50年以上たった今も終わらないのか?

→ 制度的矛盾【制度と被害者の間の時間のずれ】

・被害者は声をあげられなかった

・声をあげられるようになったころには、

客観的な証拠がなくなっていた

⇒制度的な補償が受けられない

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見えにくい問題を見える化する

▹「川魚を食べたのか、食べていないのか」を示す方法?

→疫学的に考える

=過去にそこでそのような生活が行われてきたのかを

復元的に読み解く

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見えにくい問題を見える化する▷阿賀野川流域の1965年(新潟水俣病発生の年)

→川魚を食べるのが当たり前の生活

→阿賀野川流域の住民であれば、水銀に汚染された川魚を

多食していた可能性が高い

自給自足の生活 漁業・漁撈

地域集積性家族集積性

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平岡義和教授(静岡大学)のお話

-組織行動から見た水俣病事件と福島第一原発事故-

二つの事例から見えてくること

・科学技術を駆使していた。しかし、これは複雑性・不確実性がある。→実証科学の論理による正当化・大規模企業組織→組織ヒエラルキーによる異論の抑圧→企業と規制組織とのもたれあい組織の「問題」ではなく、外部との「コンフリクト」として処理しようとした。

↓組織的無責任

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水俣病問題と福島第一原発事故について共通性を考える~福島からの避難者の現状について知る~(NPO法人スマイルサポート新潟代表根本久美子氏)

福島第一原発事故の問題・自主避難者と強制避難者・国からの正しい情報提供・避難者へのいじめ・安全性の確保

水俣病問題・認定患者・未認定患者・国からの正しい情報提供・「ニセ患者」・差別・安全性の確保

●いまだに解決できていない問題→国からの正しい情報提供知識を増やし今後に活かすことが必要

共通点

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阿賀野川流域現地学習2019/10/20

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現地学習の⽇程・午前 阿賀野川沿い 視察

阿賀町・旧⿅瀬町 旧昭和電⼯・⿅瀬⼯場 周辺⾒学

・午後 環境と⼈間のふれあい館 ⾒学

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津島屋・松浜• 津島屋阿賀野川下流域の左岸にある地域。半農半漁で、住⺠は川⿂をご馳⾛として多く摂⾷していたため、被害が最も⼤きかったとされる。最初の認定患者が多く発⽣した。

• 松浜阿賀野川河⼝の右岸にある地域。沿岸漁業が盛んであったが、海の⿂への⾵評被害を避けるために、地域ぐるみで被害者を隠す「⽔俣かくし」があった。

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横雲橋農薬説昭和電⼯側が唱えた、海⽔と淡⽔の⽐重の差によって農薬を含んだ⽔が逆流し、これを含んだ⿂を摂⾷したことによる中毒が原因だとする説。この横雲橋がある地点に塩⽔くさびがあり、ここで海⽔の遡上は⽌まる。しかし実際にはこれより上流域でも多く被害が出ているため、裁判で退けられることとなった。

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⿅瀬発電所かつてダム式発電所としては、⽇本⼀の発電量を誇った。昭和恐慌による不況で発⽣した⼤量の余剰電⼒の解消のために、「昭和肥料⿅瀬⼯場(のちの昭和電⼯(株)⿅瀬⼯場)」が建設され、⿅瀬発電所が電⼒の供給を⾏っていた。

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旧昭和電⼯・⿅瀬⼯場1929年、昭和肥料が⿅瀬⼯場を建設。1936年からアセトアルデヒドの⽣産を開始。1940年代の最盛期には2000⼈以上の従業員が働いていた。現在の⿅瀬⼯場では、新潟昭和(株)が昭和電⼯の後を継いで操業し続けている。

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排⽔⼝有機⽔銀を含んだ汚染⽔はここから阿賀野川に垂れ流された。1975年に排⽔⼝付近の阿賀野川の川底から⾼濃度の⽔銀が検出され、1976年に昭和電⼯によって、排⽔⼝付近の汚染された⼟砂を取り除く「浚渫⼯事」が⾏われた。

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草倉地蔵

⾜尾から阿賀へ

阿賀の草倉銅⼭で得た資⾦をもとに開発された栃⽊県の⾜尾銅⼭では、⽇本で最初の公害である⾜尾銅⼭鉱毒事件が発⽣した。その縁から、公害の被害にあった地域の⽀えあいの証として、⾜尾の⽯で作った地蔵が旧草倉銅⼭跡地に近いドライブインに2016年4⽉に建⽴された。

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環境と⼈間のふれあい館新潟⽔俣病のような悲劇を⼆度と起こさないよう後世に語り継ぐために、県が「⽔俣病の教訓を⽣かす事業」の⼀環として開館した。新潟⽔俣病の資料や展⽰が揃っていたほか、ドキュメンタリーの放映や語り部の講演会なども⾏っている。

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水俣現地学習

班員:新潟大学人文学部4年 黒田美保

農学部3年 高橋真由

人文学部3年伊藤隆太

人文学部3年斎藤誠也

人文学部2年滝澤茉奈

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ほっとはうす

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◎ほっとはうすの概要

1998 共同作業所として活動開始

2008~ 環境省の補助事業として運営

・社会福祉法人として、水俣病患者の方だけではなく様々な障がいを持つ方の暮らしの支援を行っている

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「人として」を第一に考える

• 吹き抜けの天井福祉施設としては温度管理など効率が悪い

しかし、開放感が生まれる

• 物陰隠れたい、という人間の心理を利用。

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加藤タケ子さん

「自分の家族が水俣に生まれていたら、水俣病になっていたのは自分だったかもしれない。」

決して他人事ではない

第二の人生の居場所として水俣を選択し、患者の方々を支援している。

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金子雄二さん

加藤さん

「生きることに対して確実なイメージがある」

生へのポジティブな考え

お父さんは劇症型で金子さんが生まれる前に亡くなられた

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長井勇さん

「水俣」という地名が付いているが、水俣だけの病気ではない。

お母さんは認定されていない

(お父さんやおじいさんは認定)

→わかりやすい疫学条件なのに認められるだけで数十年

私まで認定されたら…

母親の被害

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永本賢二さん

お父さんはチッソで働かれていた

家もチッソの近く

S34生まれで早期認定は珍しい

お父さんは永本さんの認定のために東京に交渉に行っていた

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松永幸一郎さん

• 遊び道具ではなく移動手段としての三輪車

• 地元の学校に行きたくても行けなかった

• 若いころはバイクにも乗っていたが44歳くらいで足の痛みで歩けなくなった→ショック

• 水俣条約の会議で2019年11月19日~23日にスイスへ行く

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◎チッソと水俣病

「チッソが来たから水俣は大きくなった。チッソだけが悪いのではない」

「チッソの前を通ると『憎い』『足を返せ』という気持ちもある」〈松永さん〉

「チッソがないと患者さんへの補償がない」

「チッソ無くなったらチッソで働いている方の子供がかわいそう」

・いじめられて帰る帰り道、変わらずそこに

ある力強いチッソのクレーンが心の支えだった。

〈永本さん〉

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おれんじ館

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おれんじ館

• 正式名称:水俣市南部もやい直しセンター「おれんじ館」

• 水俣病解決の一環として建設され、もやい直しの事業を進め交流や保健の拠点とするため設立

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おれんじ館の建物

• 段差や狭い通路がなく手すりが設置され、扉も軽い力で簡単に動かせるなどバリアフリーなつくり。

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館長の徳富一敏さん

・プロフィール

昭和35年 水俣市生まれ。

脊髄性小児まひの後遺症により足が不自由に。

熊本県で初めてできた養護学校に通った。父はチッソの社員であった。

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水俣病から逃げていた時代

•例えば…

伝染病や奇病と疑われ、近所づきあいを断られる

水俣出身であるという理由だけで就活で不利になる。

高校では就職活動の際に出身を聞かれた場合は水俣ではなく「熊本です」と答えるよう指導された。

→地域の間で水俣病についての話はタブーとなっていた。しかし、水俣病をタブーとしたままの地域再生の取り組みは成功しなかった

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水俣病と向き合いあい解決する「もやい直し」

• もやい…船をつなぐことや共同でことを行うこと

• 水俣病が原因で人と人との関係、 自然と人との関係が破壊された。水俣病と正面から向き合い、対話し協働することを指す。

• おれんじ館で行われるもやい直しの活動…会合やイベント、学習会、ワークショップ、共同作業などを通じて、患者、市民、行政 などそれまで対立していた人たちが顔を合わせる機会を設ける。

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もやい直し

・水俣病の現実を受け入れ、長い間分断されてきた人と人との関係に着目し壊れた関係をつなぎ直す考えに変えたことにより水俣 は着実に問題は真の回復へと向かっている。

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ガイアみなまた

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・1990年設立

・現在は甘夏の加工・販売が主な業務だが、社会運動にも取り組

む 6人で経営(ボランティアも加わり計7人)

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高倉史郎さん

・1951年、千葉県生まれ

・1975年から相思社で働く

・当時の患者さんたちは、漁業をやめた人の多くが甘夏を栽培していた

・しかし、農薬を多用し、自分の体にまで悪影響がでていた

・柳田氏「被害者が加害者になるのか」

「低農薬にしてくれたら、相思社で売る」

・77年から彼らの栽培する低農薬甘夏を相思社で扱うことになる

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・89年、低農薬でない甘夏も低農薬として販売(ニセ甘夏事件)

・相思社の半分が引責辞任、高倉さんも相思社をやめる

・この事件を受け、高倉さんは水俣を出ようと考えていた

・相思社は患者運動をやっていて、川本輝夫さんの運動がま

だ残っていた。

・逃げるようで嫌だったし、川本さんを置いていくこともできず、

水俣に残ることにした

・甘夏事件で相思社をやめた人が、もう一度甘夏を作ることにな

り参加し、それが今まで続いて、ガイアみなまたとなった

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高倉鼓子さん

・現在32歳 水俣市袋の生まれ

・3年前からガイアみなまたで働く・働くにあたり、甘夏生産者を一人一人訪ね、生産の思いを聞いて回る

そこに暮らす人々の日常での苦しみ、水銀と農薬の被害を減らしたいと

いう思いを知る

・生産者に恩返しがしたいと思う

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・両親が県外の人なので、自分は第三者的に見ている

・第三者的な立場から代弁して伝えられないか、伝えるとは何か

・事件史以外の切り口から関心を持ってもらうように努める

関心を持てるようなきっかけを多様に作ろうとする

・話すことができる場を作りたい、友達も誘えるようなイベントにしたい

「水俣病の問題を継承するって、どんな感じ?」

「語り部のいなくなった水俣病とは?」

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遠見の家

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聞き取り対象者

• 砂⽥エミ⼦さん(夫で⼀⼈芝居『海よ⺟よ⼦供らよ』などで運動を⾏ってきた砂⽥明さんとともに⽔俣病⽀援のために移られた。夫のサポートと⼄⼥塚の塚守)

• 伊藤紀美代さん(患者さんの支援や互助会の手伝いなどを行っている)• 谷由布さん(患者さんの支援とヘルパー)• 坂本しのぶさん(胎児性水俣病の認定患者)

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成り立ち

• 1995年の和解→水俣病は解決とされた。地元でも解決の雰囲気。• →これで水俣病が終わるはずがないと思い、相談出来る場を設けるために、「ほたるの家」を建てた。

• →その後、2004年に関⻄訴訟の判決より、環境省が2006年に「胎児性⼩児性⽔俣病患者地域⽣活⽀援事業」により補助⾦の交付を始め、在宅⽣活の⽀援を求める。その時点で⽀援が必要な状況があり、「NPO法⼈⽔俣病協働センター」として遠⾒の家を⽴ち上げた。

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⾕由布さん,坂本しのぶさん• ⾕さん• 両親が⽔俣病の⽀援活動を⾏っていた。• よそから⼊っているため、⾝内がいない。そのため患者さんたちが⾝内のような感じだった。⾝内が困っているから⼿伝いたいという気持ちで活動に携わる。

• 坂本さん• 水俣病被害当事者として水銀条約の際にスイスのジュネーブで講演、水俣病60年の際にはタイへ。2019年10月27、28,29日には大会に参加するために韓国へ。

• 谷さんのセリフ• 「被害者が当事者として変えてきた。」• 坂本さんが話すのをみんな熱心に聞いてくれる。• 加えて、⽔俣病は世界へ通じる問題と捉え、社会問題として連携することの重要性を⽰唆。

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2日目:船に乗り海から見る水俣杉本水産 杉本実さん

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海から見た水俣①

現在、水俣湾は埋め立てられエコパーク水俣という施設。

隣接施設

水俣病資料館/熊本県環境センター/国立水俣病情報センター道の駅みなまた観光物産館 まつぼっくり/ご飯処 たけんこ/みなまた湾

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海から見た水俣②

• 波が日本海に比べ穏やか。海をのぞくと数えきれないほどの稚魚が。

• 漁村であるこの地域では魚が獲れなくなり生活が困難に。近年、人々は漁業を続けながらもミカンの栽培に力を入れている。

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海から見た水俣③

• 水俣湾には1974年に汚染魚を封じ込めるために、湾口部に仕切り網が設置された。汚染された魚を封じ込めるための網を設置するための杭が今でも残っている

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斎藤さん(元朝日新聞記者)のお話

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斎藤靖史さん(44歳)

• 水俣に行くまでは水俣病について教科書レベルでしかしらなかった。• 2001年朝⽇新聞へ⼊社。6回⽬の転勤で⽔俣へ(2014年春)

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水俣に定住するきっかけ

• 2016年春に早期退職が募られていたのを機に辞める。「⽔俣だけのことを思って辞めた訳ではない」⼊社した段階で辞めたいと思っていた。実⼒を付けて辞めてどこかの段階で独り⽴ちしたい。という思いが根底にあった。最初から水俣に定住しようとは思っていなかった。福島の震災関連とどちらにするか悩んでいた。

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・長崎で被曝者の聞き取りを掲載する「長崎ノート」というもの

を行っており、水俣でもやりたいと思う。まだ出来ていないことが心の残りだった。

・⽯牟礼道⼦さんと関係を持ち、⽔俣助⼿のような活動。『苦海浄⼟我が⽔俣』の影響で新聞記事以外でもできることがあるのではと思うようになる。• マスコミの方は転勤が多く、数年で支局が変わる。彼等と仲が良かった坂本さんの「みんないなくなっちゃうもんね」というセリフから、たまには残る人がいてもよいのではと思う。

• 41で辞めれば60になるまで介助のサポートをしながら取材出来るのでは。

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相思社・歴史考証館について

• 相思社とは、1974年に発足した水俣病患者を支援する一般財団法人。

• 相思社歴史考証館は相思社の付属施設で、1988年に患者の働く場としてのキノコ工場を改造してできた。

• 水俣病発生以前の水俣の暮らしから、今も続く訴訟問題まで様々な資料を展示している。

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相思社の目的

患者さんへの直接的な支援

伝える活動

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相思社歴史考証館の今

・年間来館者数… 2,000人

・普通の日の来館… 5~6人

・熊本県の小学校

・中、高校生

・大学生(社会学を専門とした人が多い)

・大人(60,70代以上が多い)

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小泉初恵さんのお話

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出身:兵庫県神戸市

相思社で働くまでの経緯

・大分の大学で環境について学ぶ。

・就活の際、環境破壊を就職した企業が行っていたとしても止められないだろうという悲観

・先生に紹介され、大学4年の秋に水俣へ。・自分が見ていたものが一面的でしかなかったことに気づく。

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前の世代の支援者について思うこと

「羨ましい」→困っている方がその場におり、実際に支援をしなければならない状態があり、何をすればよいかが明確であるため。

相思社の職員をしていて感じること水俣内外で反応が違う。(そういう風に言うから水俣病が終わらないなど)

昔と違い、現在は水俣出身の職員もいる。

→どういう風に水俣で水俣のことをやっていくのかを新しく考える時期。

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まとめ ―水俣病の問題を伝えていくー

①問題の継承

・ほっとはうす、遠見の家

当事者の視点から被害を語る

暮らしのサポートも行い、患者たちの居場所となっている

・ガイアみなまた

被害者との連携・協働

様々なきっかけから問題に関心を持ってもらうための活動

・おれんじ館

患者を含む地域住民の交流による「もやい直し」事業

→水俣病を「話せる場」「伝える場」をどのように確保するか

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②支援者の獲得

・斎藤さん

患者支援活動と並行して、水俣病の問題を元新聞記者という経歴を活

かし伝えようとしている

・相思社

水俣病を「伝える」こと自体を事業とする

→新潟水俣病の場合、水俣に比べて若い支援者が少ないように見受けられる。今後、若い人たちが活動に参加するためにはどうしたらよいのか。その際、どのような活動形態が望ましいかが課題となるのでは。

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水俣現地学習班が感じたこと

• 水俣病の被害を「過去のもの」とせず、知り、語り継いでいくことはこれから起こりうる「社会問題」を未然に防ぐことにもつながると考え、水俣病を学ぶことの重要性を感じた。

• 実際の場所に行くことで、終わっていない問題だということを強く認識できた。それに加えて、なぜ終わっていないのかも考え、伝えていく必要があると思った。

• 水俣病問題が、現代を生きる私たちの問題であることを深く実感し、自分の周りからその輪を広げる活動をしていきたい。

• 水俣病に留まらず、いろいろなところに通じるものを感じ、自分の人生について考えさせられた。

• 自己表現、他者との交流の機会が被害者の心の支えとなると学び、水俣で学習した支援方法を参考に新潟の被害者の方々と関係を築いていきたい。

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参考文献・URL

• 藤崎童士『のさりー水俣漁師、杉本家の記憶より』(新日本出版社、2013年7月1日)• 岡本達明『水俣の民衆史』(第1巻、日本評論社、2015年3月)• 岡本達明『水俣の民衆史』(第2巻、日本評論社、2015年4月)• 岡本達明『水俣の民衆史』(第3巻、日本評論社、2015年5月)• 岡本達明『水俣の民衆史』(第4巻、日本評論社、2015年6月)• 岡本達明『水俣の民衆史』(第5巻、日本評論社、2015年7月)• 岡本達明『水俣の民衆史』(第6巻、日本評論社、2015年4月)・『ごんずい』(154巻、一般財団法人水俣病センター相思社、2019年8月25日)・『GAIAから』(No.60,有限会社ガイアみなまた、2019年、10月)・『熊本学園大学・水俣学ブックレットNo.16 水俣病を学ぶ、水俣の歩き方』(熊本学園大学水俣学研究センター、2019年、熊本日日新聞)• 一般財団法人水俣病センター相思社公式HPhttp://www.soshisha.org/jp/(最終閲覧日2020年1月24日)

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出典

• 全日本民医連• https://www.min-iren.gr.jp/?p=21024(最終閲覧日2020年1月25日)• 水俣病とは-学習ーyahoo!きっず• https://kids.yahoo.co.jp/study/integrated/environment/env009.html(最終閲覧日2020年1月25日)

• 女性の美学• https://josei-bigaku.jp/mikakushougai7154/(最終閲覧日2020年1月25日)

• yahoo!映画「阿賀に生きる」• https://movies.yahoo.co.jp/movie/151778/ (採取閲覧日2020年1月25日)