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前 口 上

 今般、和歌山大学「教養の森」センターの年報(第 1 号)を刊行する運びとなりましたので、お届けを致します。ご査収を願います。このセンターが、平成 24 年(2012年)10 月 1 日に正式にスタートを切ってから数えますと、現在までには足掛け四年、厳密に言えば、二年半の歳月が流れ過ぎています。が、それ以前には十年以上に及ぶ、本学の「教養教育改革」の歴史が畳み込まれていることも忘れられてはなりません。この間の経緯につきましては、いろいろ記録に留められて、しかるべき性質のものも含まれていますので、いずれ機会を改めて後日を期したい、と願っています。ともかく、このようにして本学に、昭和 24 年(1949 年)の創設以来、実に還暦(数え年 61歳)余りの時を隔てて、大学教育においては専門教育と並ぶ根幹である、教養教育の担当センターが産み出され、その最初の一声が発せられましたことに対しては、それ相応の感慨を抱かざるをえません。

 この年報には、そのまま単純に、年報という外題が宛がわれていますが、いわゆる内題には、これまでヨーロッパの各大学で歌い継がれてきた、伝統的な学生歌

(Gaudeamus)を載せておきました。大学という教育機関や、その制度が、はるか12 世紀の、中世のヨーロッパで誕生し、それが現在、八百年から九百年にも及ぶ歴史を経て、世界の至る所に普及を致しましてから後も、いつも変わらず、大学の主体は「学生」(=「学びを生きる」人)であり、また「学生」であらねばならない、という思いを込めた次第です。今回の特集には、創刊号という意味合いも兼ね、そもそも「教養とは」というテーマを掲げました。この学生歌に即して、このテーマを言い換えますならば、それは冒頭の一句(Gaudeamus igitur;諸君、大いに楽しもうではないか!)と末尾の一句(Sparsos congregavit;いざ旅立ち、また、いざ集え!)に、ことごとく集約することが可能であろう、と信じます。

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目 次

特集:教養とは

教養としての理工系思考

鯵坂 恒夫  5

教養とは何か

―J.S.ミルと K.E. ボールディングから学ぶ― 阿部秀二郎  8

教養の森、インゴルシュタットの森

天野 雅郎 17

「教養とは何か」を考えるために

遠藤  史 25

生きるための天文学からアートとしての天文学

尾久土正己 29

生きるための知恵

菅原 真弓 33

「原文にはないのや……」

永井 邦彦 36

教養は絶望の向こうに

−科学コミュニケーションの現場から− 中串 孝志 40

大学におけるこれからの教養教育について

−進化教育学の視点から− 藤永  博 45

図書館と教養

渡部 幹雄 49

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特集:教養とは

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5 ◆

教養としての理工系思考

鯵坂 恒夫

 教養とは何か、これまで数知れず議論されてきたが、簡潔で一義的な定義を与

えるのは不可能、ないし有意義ではない、という判断はひとつの妥当な帰結であ

る。しかしいうまでもなく、教養という語が多くの人に共有されるある概念を運

んでいることもまた間違いなく、したがって何が教養でないかという例をコンセ

ンサスを保ちながらあげることができる。法曹が法律をよく知っていることを教

養があるとはいわないし、プログラマがプログラミング技術に長けていることも

教養ではない。これをうんと敷衍すると、どうも教養というのは人文系との関わ

りが強く、逆にとくに理工系の内容と方法は教養からは遠いところにあるような、

なんとなく感が否めない。

 その理由の所在としてまず、数式で論理展開するところにあると思える。教養

ということ自体、定義不能であったように、教養で考える対象は、前提や境界が

非決定的で論理展開とともにゆらいでいく性質をもつのではないか。一方、数式

で論理展開する世界はそういうゆらぎを許さない。1/f ゆらぎとか非決定性オー

トマトンとか、あるいはファジー論理など、uncertainty を扱おうとする理工的

試みもあるが、それらもある厳密な枠組みの中での議論(certain な掌の上での

uncertainty)であって、決定的か非決定的かすら非決定的、というような高次の

非決定性がないのが現代の理系的世界である。数学や物理が 200 年、100 年を経

て哲学から離れていったのは、このような厳密化・平板化の過程においてである。

 数式の世界に定義されない要素は登場しない。定義がまず始めにあり、それ

から演繹による推論・論理展開が続く。(帰納はない。数学的帰納法は演繹であ

る。)かたや哲学はといえば、厳密な語義を保留したまま思考を開始し延々と

続けなければならない。(哲学関連書によく「宙づり」という表現が出てくる

のはこのことなのだろうか。)登場する対象要素、原子的ないし原始的な要素

と、それを組み立てる機能要素がすべて数え上げられ定義される世界を還元論的

(reductionistic) という。コンピュータがまさにそれであるし、自然科学やそれに

基づく工学の各領域もそうである。これは人間から見ればかなり限られた特殊な

世界であって、それを除いた人間の活動すべては全体論的 (holistic) である。全

体論的世界の定義は、これまでの議論からわかるとおり、難しい。還元論的でな

い、といえることはたしかだが、否定を用いた定義は際限なく反例を出さなけれ

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ばならないので、なかなか腑に落ちない。

 こういう腑に落ちなさが教養といわれるものの特質であろう。理工系の世界に

もいうまでもなく解決困難な課題は山のようにあるが、この腑に落ちなさとは異

質のものである。それを精査するにあたり、まず理工系と十把一絡げにすること

のとんでもなさを共有しておきたい。理工系のうち工のほう、engineering(工学)

は、理学とは峻別される次の性格をもつ。工学には何かしら形成する(生産する、

製造する、合成する)べき対象があるが、理学は基本的に解析的・分析的である。

加えて、その形成の所作について、生産性と品質の向上(良いものをより安く)

をめざすのが工学であるので、そこには金勘定が陰に陽につきまとう。一方の理

学(の研究推進方策ではなくその対象)にコスト意識はなく、真理の追求がすべ

てである。教養はどうも金勘定とは直結しないところにありそうで、よって工学

と教養は隣接しない。ことわるまでもないが、筆者を含め工学領域にいる者が教

養的でないと言っているのではない。工学は理学に(峻別されつつ)密着するの

で、それを通じて教養的展開をはかれるしそうすべきである。

 次に理学であるが、これまたおよそ毛色の異なるものが束ねられていて、人文

系のほうがよほどコヒーレントではないかとさえ思える。先に述べた数式で論理

展開するのは物理の要素がある毛色である。物理学そのもののほか、高校理科で

いう化学・生物・地学のすべてにあらわれるので、優勢であるのは間違いない。

しかしこの三科目では、物理的要素がなく、したがってあまり数式が出てこない

領域も広大である。分類学 (taxonomy) と生態学 (ecology) がその両雄と思われ

るが、物理化学を除く化学全般や、地質鉱物学、自然地理学などがそれ(かつて

は博物学といわれたもの)にあたる。しかしこのような領域の素養も、なんとな

く教養とは違うような気がする。その潜在的理由は、やはり課題の前提と境界(ス

コープ)が比較的長期間にわたって固定的だからではないか。数十年単位でパラ

ダイムシフトが起こることもあるが、少なくともひとしきりの思考・考察の間に

前提や境界が変形することはない。加えて、この領域では観察・観測や実験が枢

要であることも関係する。in vivo(生体内で)、in vitro(試験管内で)、または

in situ(フィールドで)でこの領域の学術的営為は遂行される。対して、教養的

なるものは基本的に in libro(本で、これについては正しいラテン語用法かどう

か未確認、筆者の口走りにて御免)で紡がれるのではないか。

 つまり、博物学も教養も思考のエンジンが人間の頭であることは共通であるが、

思考の対象が博物学では頭の外にあるのに対して、教養の場合は頭の中にある。

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頭の中のことを頭で考えるという自己適用性、再帰性、「メタ」が教養の本質で

ある。ここに焦点を合わせれば、先ほどはやりだまにあげた数式の世界のほうが

博物学より教養に近い。数式で厳密に計算・演繹する部分でなく、数式の世界全

体を俯瞰するような思考、あるいはその世界の概念要素の何たるかに思いを致す

とすれば、それは教養としての理工系思考といえるかもしれない。たとえばπ(円

周率)。多くの近現代技術のベースとなる三角関数を形成するもとであるが、こ

の数値自体は超越数という代数的に説明できない不可思議な数である。円という

曲線と直線(直径)が共存するところに軋轢が生じているとしか考えられない。

技術の世界では線形性をよしとするが、これに対する非線形とは、円とは違う多

項式(二乗、三乗が効いてくる関数)が作る曲線である。いずれにせよ巨視的に

は曲がっていても微視的になればなるほど曲がりぐあいはゆるやかになり、いず

れはまっすぐとみなせるようになる。極限という概念である。この概念は連続と

いうことに連なる。

 どうも(数学的)連続性は難物である。これについて教養思考的に論を張るに

は相当な準備がいりそうなので、機会をあらためることにしたい。ライプニッツ

のあたり以降、連続を前提とする数学解析(微積分法)は哲学から分離し、その

有用性にものをいわせて独立独歩、発展していった。多くの理工系はこれに負っ

ている。しかしそうではない離散的な基礎をもつものもある。自然科学ベースで

はなく、形式科学(Formal Sciences)に属するもので、コンピュータサイエン

スがその筆頭格である。筆者の土俵であるので我田引水かもしれないが、「メタ」

を考えることが多いという点で教養との親和性がよい。たとえば関係間関係とい

うようなものの考え方をよくするし、クラスとインスタンス(集合と要素)の問

題では、さすがにラッセルのパラドックス(自分自身をその要素として含む集合

を考えたときに起こる矛盾)は現実には現れないが、普遍論争(実在論と唯名論

のせめぎあい、クラスすなわち類の概念は先見的か恣意的か)はシステムの仕様

化過程で常にまとわりついている。

 教養としての理工系思考を明確に陳列しようと意気込んではじめた本論であっ

たが、逆にどうも両者がねじれの位置にあるような傍証ばかり出てきた感もする。

ほんとうに頭の使い方、思いの致し方が違うのだという部分がかなり支配的であ

るのは事実だろうが、相互接続が全くできないとも決して思えない。いわゆる文

理融合というかけ声はながらく耳にするが、目立った成果はあまり目にしない。

それは所詮無理というのではなくて、単に試みてみようとする人の数が少ないだ

けだと推量している。未採掘の宝をこれからも探索しようと思う。

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教養とは何か―J.S. ミルと K.E. ボールディングから学ぶ―

阿部秀二郎

はじめに

 2013 年、2014 年は、日本の経済学者にとって経済学という学問について、日

頃よりも深く考える 2 年であったと言えよう。

 2007 年に招集された中央教育審議会の答申に基づき、日本学術会議で「分野

別質保証の在り方」が議論されることになった。その後分野別に参照基準検討委

員会が設置され、そこで「教育課程編成上の参照基準」(以下「参照基準」)が策

定されることになった。1

 経済学分野における参照基準案が、日本学術会議の経済学分科会で議論されたわ

けだが、その案を巡り様々な学会からの意見書が提出された。これはこの参照基準

案を通して日本の経済学者が、今一度経済学について思考する機会になったことを

意味する。2

 この議論は、次の大きな二つの考え方の間でのものとまとめることができよう。

一方は次である。ミクロマクロ経済学と統計学とを基礎とした標準化が国際的に

存在し、日本もその標準を利用するべきであるという考え方である。他方は次で

ある。ミクロマクロ経済学と統計学以外にも、それらとは共約できないアプロー

チが経済学には存在し、前者を一つの標準としてまとめようとすると、それが「de

facto standard」として確立した場合、経済学の発展に好ましくない影響を与え

る可能性があるという考え方である。

 筆者がこの議論に興味を持った理由は二つある。一つは筆者の専門が経済学の

歴史であること、もう一つは、議論で二つのアプローチがそれぞれ対立して、互

いを排除しているのはなぜか、一方が標準とし他方を標準外とした場合、標準外

は無意味なものとして消失することはあり得るのかを疑問に思ったからである。

そして後者の疑問は筆者の中に蓄積されていた、19 世紀イギリスの教養教育に

関する論争に対する J.S. ミルの考え方3と、20 世紀アメリカにおいて正統派経済

学に批判的な論を展開したボールディングの考え方についての意識に訴えかける

ものが存在した。

 本論文では、この点と関連させながら、経済学史を専門とする筆者の考え方を

提示していきたい。

 

Ⅰ.ミルの『大学教育について』

 19 世紀イギリスの教養教育論争は Sanderson(1975)の第 3 章でも詳しいが、

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ここでは、先行研究を踏まえた中村(2011)を利用して説明する。 4

 中村(2011)によれば、オックスブリッジでの教育が職業と関連しない古典教

育に特化しているものとする批判が 19 世紀初頭に S. スミスによってなされたの

に端を発し、1860 年代、70 年代に自然科学、社会科学などに基盤を据えた産業

や職業が勃興する中で、19 世紀末以降論争が展開された。

 論争に対するミルの回答は次である。

 「 大学は職業教育の場ではありません。大学は、生計を得るためのある特定

の手段に人々を適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしてい

ないのです。大学の目的は・・・有能で教養ある人間を育成することにあ

ります。」(Mill,J.S.(1867)218、 訳 12)

 しかし S. スミスに対抗し伝統的なオックスブリッジの教育を保守することを

ミルが肯定しているわけではない。スコットランドのセント・アンドルーズ大学

での名誉学長就任時の講演であるという事実を斟酌したとしても、ミルは当時の

オックスブリッジと比較してスコットランドの大学の教育過程が秀でていること

を指摘する。5

 「 青年たちはほとんど何も知らないでスコットランドの各大学に入学し、そ

こで初めて教えられます。イングランドの各大学に入学する学生の大部分

も彼ら以上に無知の状態で入学し、そして無知のままで大学を出て行くの

です。・・・イングランドの大学は、長い教育の重要性と実際の努力目標を

古典語と数学の二科目に限定してきましたが、諸君の大学はそのようなこ

とはしてきませんでした。・・・スコットランドの大学の教育課程について

語ることは、一般的な教養6を構成している重要な各部門について概説する

ことに他なりません。」(Mill,J.S.(1867)220、 訳 18 − 9)

 スコットランドの大学の教育課程が秀でている理由は、「教養を構成している

重要な各部門」を教えているからであるとミルは論じている。その後の講演はこ

の各部門(文学、自然科学、道徳科学、道徳と宗教、美学・芸術)が、学生個人

にとっても、また人間性の強化を通じて人類全体にとっても重要なものであるか、

そしてどのように各部分が協力し合うのかを説明する構成となっている。

 この講演を読むと、専門教育と教養教育とが分化されている現代的な識別が理

解できなくなる。つまりミルはその内容やレベルにおいて、「専門教育」と「教

養教育」との区別をしているのではなく、「専門教育」は「個別教育」であり、「教

養教育」とは個別教育から構成されるものと理解される。

 「 一般教養教育とは、学生がすでに個別に学んできたことを包括的に見る見方

と関係づける仕方を教えるとされていますが、その最終段階においては、諸

科学の「体系化」、すなわち、人間の知性が既知のものから未知のものへと

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◆ 10

進むその進み方についての哲学的研究が含まれています。」(Mill,J.S.(1867)

219、 訳 16)

 ミルの大学教育論の背景には、当時のイギリスの経済状況が存在することは明

確である。ミルはスミス以来そしてリカードウの議論も踏まえ、イギリス経済は

利潤率が低下していき、「定常状態(stationary state)」になると考える。

 経済成長が停止する状態は、多くの経済学者にとっては好ましいとはいえず、

その状態を打ち破るべき成長理論を掲げようとする。そして実際にミル以降に登

場するシュンペーターのイノベーション論は経済成長と結びつくという解釈も残

す理論であるから、現在もイノベーションを社会に起こそうとする考え方が蔓延

していると思われる。

 一方でミルは、イノベーションの存在を認識していないばかりか、定常状態を

肯定的に受け入れる。その理由は、定常状態は経済成長状態ではなくとも、人間

として成長する条件の整った好ましい社会状態になっていると予想するからであ

る。

 「 ・・・人生の美点美質(graces of life)を自由に探求し、またより不利な

事情のもとにある諸階級に対し、その成長のために、その美点美質の手本

を見せることができるような人びとの群れが、現在よりもはるかに大きく

なっている・・・。このような、今日の社会状態よりもはるかにすぐれた

社会状態は、ただ停止状態と完全に両立しうるというばかりでなく、また

他のいかなる状態とよりも、まさにこの停止状態ともっとも自然的に相伴

うのである。」(Mill,J.S.(1848)755、訳 107―08)

 この「美点美質」を獲得するために必要なものとしてミルは「孤独」を挙げる。

孤独は他人からの介入を回避することで、自由に自らの思索を深めることができる

状態である。そしてその孤独を実現できる条件としてミルは物理的な自然状態を提

示する。この考え方は人間の成長におけるアダム・スミスの空間理論と類似してい

る。7スミスも人間がバランスよく成長する上で都市空間での競争と農村空間での

黙考との両方が必要であるという論を展開した。ミルが市場経済の競争の利益とと

もに求めたのは、外的な圧力から距離を置いた自立的でバランスのとれた主体を生

み出す環境であった。

 この外的状況が大学教育でも求められる。必然、ミルが求める人間の成長を支え

る教育は専門的に特化したものよりも全体的にバランスの良くとれたものになる。

 「 知識の各分野は今や詳細な事実が詰め込まれ、その結果、一つの分野を詳

しくかつ正確に知ろうと思う人は、その分野全体のより小さな部分に限定

せざるをえなくなるでしょう。・・・もしそのような些細な部分を完全に知

るために、人はそれ以外のすべてのことについてまったく無知でなければ

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ならないとするならば、間もなく人はごく些細な人間的欲望や欲求を満た

すことはできるとしても、その他の人間的目的にとってはまったく無意味

な存在になってしまわないでしょうか。・・・人間性というものは、小さ

なことに熟達すればするほどますます矮小化し、重要なことに対して不適

格になっていくであろうと予測せざるをえません。」(Mill,J.S.(1867)223、

訳 27)

Ⅱ.ボールディングの「宗教から見た経済学」

 Ⅰ.で分析したミルの時代は 19 世紀であり、階級の存在、産業構造や技術レ

ベル、教育学の展開など様々な点で相違が存在する。さらに指摘したように、ミ

ルの教育論は人間本性に対するミルの考え方、その背後に存在する功利主義思想

に影響を受けているし、ミル自身の精神の危機を通した経験に基づく考え方であ

ることを否定はできない。この点で特定の時代と空間などの条件や前提に基づく、

ミルの主観性を排除できていないという問題は存在する。

 しかしそれらの条件や前提を考慮することと、それらを考慮するかしないかに関

わらずミルの人間の成長に関する考え方と、その成長を支える教育施設としての大

学教育の認識とが反証されたかという問題とは別であろう。少なくともこれから見

ていく 1970 年代においてもこのミルの考え方は否定されてはいないと考えられる

根拠を、もう一人の経済学者であるボールディングの考え方を見ていくことで、提

示してみよう。8

 ボールディングの特定の時代や空間などの条件や前提については、池上(1993)、

都留(2005)において紹介されている。

 ボールディングが経済学と宗教とを論じる背景には、彼自身がメソディストで

あるということ、彼の出身がリバプールで、イギリスにありながら他民族を有す

るアメリカ的な地域であったこと、オックスフォードでの数学専攻、彼が生きた

時代が戦前・戦中・戦後の激動の時代であることなどを押さえる必要があるだろう。

 ボールディングの貢献の中に「一般システム論」が存在している。この「一般

システム論」を主張したのは、生物学者のベルタランフィであるとされる。9彼

は当時生物学の研究でも力を有した機械論的接近法に限界を感じ、その接近法の

限界は社会現象までにも至るという認識を有していた。そこで彼は全体要素を個

別に分解するのではなく、全体のシステムそのものを対象とする学問を展開しよ

うとしたのである。そして同様の問題関心を共有した一人にボールディングとい

う経済学者が存在したのである。

 「宗教から見た経済学」の概要は次である。

 宗教は経済学に、経済学は宗教に影響を与え、かつ影響を与えられている。宗

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◆ 12

教は人々の消費行動に影響を与える。他方で経済学が宗教に影響を与える論理は

次である。宗教が社会に発生するのは生物学における「突然変異」と同様のもの

であり説明ができない。しかし一度成立した宗教がその後人々に受け入れられる

可能性は、宗教の教えがその当時の経済状況、人間の欲望や実現手段を適切に把

握し伝播される要素を含んでいるかどうかに依存するし、社会が停滞的状況にお

ける宗教は来世に可能性を求める方向へ、逆に進歩的状況における宗教は現世的

な指向を持つ。このような分析を行うボールディングにとって、歴史的な経済分

析における宗教の理解は必要なものであった。

 「 それゆえわれわれは、宗教がそのきわめて重大で意義深い一部である社会的

な諸現象の全宇宙に言及することなしに、時の流れのなかで生ずる経済的な

過程を理解することはできないのである。」(Boulding(1950)186、訳 289)

 ボールディングは経済現象と宗教との関係について認識していた稀有な経済学

者として、アダム・スミスを挙げる。スミスは市場原理が宗教活動にも影響を与

えることを認識しており、独占的な国教会に対して新興的な宗教(メソディスト

派も含む)が競争相手として存在する利益を主張する。 10

 しかし同時に、ボールディングはスミスを評価しつつも、宗教が与える影響に

ついてスミスは部分的にしか理解できていないとする。新興的な宗教の持つ本質

的な利益は、社会的に変革をもたらすことなのだが、スミスは市場経済の論理を

宗教に適用することしか考えていない。

 「 宗教の内、

容、

についてのいかなる深い理解をも、見出すことができない。」

(Boulding(1950)189、訳 294)

 このようにボールディングがスミスを挙げる理由は、経済学という学問の有益

性と危険性とがスミスから生じたと認識しているように思える。有益性とは科学

性である。経済学者または経済学を教える者が宗教者のように情熱や感情によっ

て経済社会現象を説明しようとすれば、「専門的な学問分野の科学的な統合性を

掘り崩す」可能性がある。危険性とは目的が社会経済問題に向かわなくなってし

まうことにある。

 「 科学的な抽象の洗練にあまりに夢中になりすぎて、社会の病気のことを忘

れてしまい、腹を空かした人々の叫び声が聞こえず虐げられた者の困窮が

見えなくなってしまう。」(Boulding(1950)191、訳 297)

 経済学の科学性によって見える部分として、ボールディングは「労働の商品」

を指摘する。人間が提供する労働を商品と見なすことで、商品の供給と商品の需

要とによって価格が決定するという需要供給法則の適用が可能になる。一方経済

学の科学性が見えなくするものとして、商品である労働を提供する人間性をボー

ルディングは指摘する。つまり労働の供給者の事情には人間としての性質(心理

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13 ◆

学的、社会学的、神学的)が前提として存在していることに目をつむれば、潤滑

な労使関係は成立しなくなってしまう。11

Ⅲ.ミルとボールディング

 ミルとボールディングとは、次の点で異なっている。ミルは 1800 年代、ボー

ルディングは 1900 年代とほぼ 1 世紀の差がある。ミルはイギリス、ボールディ

ングはアメリカで活躍していたという空間的差が存在する。ミルは幼年時代を恵

まれた知的環境で過ごしたのに対して、ボールディングは恵まれているとは言え

ない状況で過ごした。

 次に共通点を挙げる。ミルとボールディングは共に反国教会であった(ミルは

無宗教12、ボールディングはメソディスト)。ミルとボールディングの知的興味は

経済学に限定されるものではなく、多方面に渡った。そしてその興味から引き出

された考え方は経済学の考え方に影響を与えた(ミルの場合には定常状態におけ

る人間社会の成長の可能性、ボールディングの場合にはシステム論を前提とした

応用経済学のあり方に示唆を提供した13)。最後に限定された知識、専門化した知

識が有する弊害を共有していた。

 この最後の部分を再度振り返る。ミルの場合には(経済学には限定されないが)

技術や知識が細分化されるほど、その細分化した部分の完全性を求めることで、

他の事に無知であるならば、それは「人間の精神を偏狭にし、誤らせる」と考え

られている。ボールディングの場合には専門化した経済学は全要素的な人間を置

き去りにし、商品や社会といった抽象的概念に固執し、その概念から人間性を逆

に仮定すると考えられている14。

 教育面での二人の対策は次になる。ミルの場合には他領域における知識を「深

く」学ぶ機会を教育機関が提供すること、ボールディングの場合には研究者そし

て教師自身が全人的な人間として存在することで、全要素的な人間を経済学に据

えること、そしてそれを教育することである。

 ミルとボールディングを例として挙げたが、ミルが講演した大学の存在したス

コットランドが輩出したアダム・スミスに対して、両者ともに高い評価を与えて

いる。それはスミスが市場経済を発見したからではなく、経済学を含む道徳哲学

の教育者だからである。15

 ミルの時代からほぼ 1 世紀後のボールディングが住む世界において、ボールディ

ングは経済学者に道徳哲学者たれと述べる。科学的専門性の強化が進む中で社会

的人間として存在する必要性を認識しているからである。ボールディングの時代

からさらに半世紀を迎えようとしており、大震災も経験した現代社会において、

ミルの考え方、ボールディングの考え方はさらに重要になっていると思われる。

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◆ 14

おわりに

 「はじめに」に記した、経済学の参照基準に戻ることにする。ミルやボールディ

ングの考え方から学ぶことができることは何か。ミルがセント・アンドルーズ大

学で列挙した教養科目(経済学も含む)は大学教育の「基準」と呼んでもよいと

思われる。もちろん時代的・地理的な制約は存在するであろうが、ミルの時代

においても全く何を学んでよいかわからないという状況は想定されてはいない。

ボールディングの場合には、当時のアメリカの経済学が「基準」的なものとして

想定されている。

 しかしミルやボールディングが、何が「基準」たるべきと考えていたかについ

ては、残念ながら筆者の勉強を超えておりここでは提示できない。より重要と思

われるのは、何らかの「基準」が存在したとしても、それが狭い専門的なものに

特化して教育されることの弊害を読み取ることである。ミルの場合にはオックス

ブリッジの古典的教育もしくは数学教育に特化した限定的教育への批判が見られ

るし、ボールディングの場合にも数学的研究が過度になることで経済学を学ぶも

のの社会問題と向き合う姿勢が弱化することへの批判が見られる。

 経済学の「参照基準」の議論において、多様な意見が提出されたことは紹介し

たが、その意味は経済学の中にも多数の視点が包含され、それぞれが経済学を学

ぶ者にとっての教養としての意味を持つものであると考えることができるかもし

れない。これを良い機会と捉え、すべての経済学者及び経済学を学ぶ学生がそれ

らの意見に耳を傾け、自らが研究している学問の位置づけについて学ぶことが重

要であろう。奇しくもボールディングは次のような主張を行っていることに耳を

傾けることが重要であろう。

 「 経済学者は、自分自身の精神的および知的な健康のためにも、予言者的な

憤慨を示す人びとからの挑戦に直面してみなければなるまい。他方では予

言者もまた、彼の予言者的な政策のことばに移すときが来たら、喜んでそ

れを知的分析という厳密な習練 ( ディシプリン ) にゆだねる覚悟をもって

いなくてはならないのである。」(Boulding(1950)197、訳 305)

 最後に「教養とは何か」について、筆者は明確に回答を与えてはいないし、こ

れからも筆者の言葉で紡ぐのは難しい。その点で本論文は完成していない。また

本論文では二人の経済学者を利用して考察したが、他の経済学者または経済学と

格闘している人間の言説は網羅できていない。その点にも問題がある。

 現代の段階では「教養」を論理的に定義づけるのではなく、感覚的な定義になっ

てしまう。一つ言えることがあるとすれば、ミルが指摘するように、多様な知的

世界と遭遇しておけば、年齢とともにさまざまな欲が消失する場合でも、「多種

多様な興味を感じるようになる」(Mill(1867)257、 訳 134)と予想できそうである。

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15 ◆

1 日本学術会議の「委員会一覧」というウェブページを参照

2 経済学分野の参照基準検討委員会委員長の要請に基づき寄せられた意見を表明した学協会は 19 であっ

た。日本学術会議の「「経済学分野の教育課程編成上の参照基準(分科会原案・第二次修正)」に対する

諸学会の意見・要望のまとめ」を参照。日本学術会議の「大学教育の分野別質保証委員会」というウェ

ブページを見ていくと、「経済学」分野の審議の困難さを見ることができる。

3 阿部(2013)を参照 

4 フランスにおける教養教育論争は上垣(2012)で部分的に指摘されている。なお経済学との関連で興味

深いのは、この論文でクールノーがフランス語教育に貢献したとされている指摘である。(67)

5 ミルの大学批判は 2 段階的である。当時のそれなりに人気のあった地質学教授のアダム・シジウィック

が語る大学教育の考え方が皮相的であり思考的ではないこと、シジウィックがケンブリッジ大学を卒業

しその教授のポストに就任していること、である。「セジウィック論」という論文は、シジウィックへの

大学教育に関するもの以上の批判点も内包している。

6 翻訳では「文化一般」とある。筆者は原語の「general culture」を「一般的な教養」と訳した。

7 阿部(2003)を参照

8 教育に関して見解を表明する経済学者は多く存在する。しかし経済学者は経済成長の手段として人間の

成長、そして教育を把握することが多い。代表的な例がアダム・スミスである。スミスは『国富論』に

おいて、将来の財政支出を削減する目的での国民教育の可能性を展開している。またスミスは職業教育

への投資が将来のサービスの付加価値を生み出すという考え方を展開しており、この考え方が 1950 年代

以降のアメリカでミンサー、シュルツ、ベッカーらの人的資本論へと継承された。

9 ベルタランフィは、サイバネティクスや情報理論やゲーム理論分野の展開に貢献した。(山川(1971))

10 D. ヒュームは新興的な宗教が過度になった場合の拠り所として、スミスとは異なり国教会に期待する

としており、スミスとの間の対比的関係が指摘されている。(Boulding(1950)189、訳 293)

11 Boulding(1950)194、訳 301。このボールディングの認識と関連して、キリスト者賀川豊彦に対して下す

労働経済学者としての隅谷の評価は再考すべき点があるように思われる。(阿部(2014)も参照)

12 Mill(1873),44、訳 46

13 本論文ではこの部分の説明が不足している。今後の課題としたい。本論文で利用したボールディングの

論文の論点を端的にまとめると次に様になる。現象を要素に還元でき機械的に説明できる経済学の部分

があることをボールディングは否定しない。純粋理論や経済制度の大部分はそれに該当する。しかし経

済史、及び経済政策の領域では全要素的な人間と向き合う必要があるという点から人間が生存する社会

システムを抜きには考察できないということになる。

14 現在のミクロ経済学はゲーム理論、実験経済学、行動経済学などの分析において、ボールディングが提

言した方向に向かっていると指摘することもできるかもしれない。

15 ミルについては『大学教育について』で確認できる。ボールディングは Boulding(1948)12、訳 19 を参照。

参考文献

阿部秀二郎  「チューネンとスミスにおける空間」『空間の社会経済学』(日本経済評論社、2003 年、47 − 72)

―――――  「「豊饒な大学教育」 への示唆」、『書評誌 リトルネロ』(第 27 号 岡田真理子編、2013 年

3 月 31 日、1 − 2)

―――――  「賀川豊彦の経済思想」『経済理論』(和歌山大学経済学会、2014 年、1 − 17)

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◆ 16

Boulding,K.E. Is Economics Necessary? in Beyond Economics: Essays on Society, Religion, and Ethics,

University of Michigan Press,[1948]1968,公文俊平訳『経済学を超えて』(学習研究社、1985年)

―――――  Religious Perspectives in Economics in Beyond Economics: Essays on Society, Religion,

and Ethics, University of Michigan Press,[1950]1968, 公文俊平訳『経済学を超えて』(学習

研究社、1985 年)

池上  淳  「K.E. ボールディングの生涯と業績」『経済論叢別冊 調査と研究』(4、京都大学経済学会、

1993年、47 − 63)

Mill, J.S Professor Sedgwick'sDiscours in Colloected Works of John Stuart Mill. Vol.X. Toronto:

University of Toronto Press,[1833]1984,31-74. 竹内一誠、永山了平訳「セジウィック論」、

杉原四郎・山下重一編『J.S. ミル初期著作集』第 3 巻、御茶の水書房、1980 年、40 − 109

―――――  Principles of Political Economy Part Ⅱ in Collected Works of John Stuart Mill, Vol.

Ⅲ ,Toronto: University Press, [1848]1984, 末永茂喜訳『経済学原理 四』、岩波文庫、1961 年

―――――  Autobiology in Collected Works of John Stuart Mill, Vol. Ⅰ , Toronto: University

Press:1-290, 1873, 朱牟田夏雄訳『自伝』、岩波文庫、1988 年

―――――  Inaugural Address Delivered to the University of St. Andrews. In Collected Works of John

Stuart Mill, Vol. XXI. Toronto: University of Toronto Press, [1867] 1984,215 − 257, 竹内一

誠訳、『大学教育について』、岩波文庫、2011 年

中村 勝美  「イングランドの学士課程教育と教養教育理念 --19 世紀大学改革を中心として」『西九州大

学子ども学部紀要』(第 2 号、西九州大学子ども学部、2011 年、27 − 36) 

Sanderson, M. The Universities in the nineteenth century, London : Routledge and Kegan Paul, 1975 安原

義人訳『イギリスの大学改革』(玉川大学出版部、2003 年)

都留 重人 「 特別寄稿 学際人 : ケネス・E・ボールディング」『学際』(14、構造計画研究所、2005 年、

55 − 61)

上垣  豊  「古典人文学による知的訓練 : 19 世紀フランスにおける教養論争の一側面」『龍谷紀要』(第

33 巻第 2 号、龍谷大学龍谷紀要編集会、2012 年、59 − 74 頁)

山川 偉也  「ルードヴィッヒ・フォン・ベルタランフィの一般システム論」『桃山学院大学人文科学研究』

(7(1/2)、桃山学院大学、1971 年、19 − 60)

参照ウェブページ

日本学術会議:「委員会一覧」

 http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/index.html#kadai:アクセス 2015 年 1 月 29 日

日本学術会議: 「「経済学分野の教育課程編成上の参照基準(分科会原案・第二次修正)」に対する諸学会

の意見・要望のまとめ」

  http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/keizai/pdf/shiryou_sanshoukijun_221102.pdf: ア ク セ

ス 2015 年 1 月 29 日

日本学術会議:「大学教育の分野別質保証委員会」

  http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigakuhosyo/daigakuhosyo.html:アクセス日 2015 年 1 月 29 日

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17 ◆

教養の森、インゴルシュタットの森

天野 雅郎

 教養とは? ……と、あらためて自問自答をするならば、さしあたり思い浮か

ぶもの、それは遥か、インゴルシュタット(Ingolstadt)の近傍の、奥深い、森

の中の風景である。とは言っても、それがドイツの、ドナウ川流域に位置を占め、

バイエルン州の南東部(すなわち、オーバーバイエルン)ではミュンヘンに次い

で大きな、第二の都市となっている、現在のインゴルシュタットのことを意味し

ている訳では、さらさら無い。それどころか、それはドイツが、いまだドイツで

はなかった時分の、言ってみれば、ドイツ以前のドイツに存在し、15 世紀の後

半以降、三百年に及ぶ「大学都市」として名を馳せていた、18 世紀の末年のイ

ンゴルシュタットであり、さらに言えば、そこから二十年ばかりの時を経て、や

がてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818 年)の中に姿を見せる、

あの「怪物」(monster =警告者)の彷徨(さまよ)う、インゴルシュタットの

森であった。

 と言えば、それが当時の、この「大学都市」に暮らし、そこで不可思議な、そ

れにも拘らず、この頃の自然科学(原文:natural philosophy =自然哲学)の

粋を極めた方法で、人間の死体と死体を繋ぎ合わせ、文字どおりの「人造人

間」を産み出すことになる、あのヴィクター・フランケンシュタイン(Victor

Frankenstein)と、彼によって生を享けた、名も無い「怪物」の物語であること

は、すでに了解済みであろう。また、このようにして産み出された「怪物」の、

あまりの醜悪ぶりに驚愕し、そのまま無責任にも、この天才的な科学者——そし

て、いまだ大学生でもあった主人公が「怪物」を放り出し、置き去りにすること

で、哀れにも「怪物」は町を逃れて、野を流離(さすら)い、とうとう森の中の

山小屋に身を潜め、そこで幸運にも、彼が「人間になるための教育」を受けるこ

とになる経緯こそ、この物語の前半部分の、まさしく頂点(クライマックス)で

あったことも。

 さて、このような書き出しで、この一文を始めたのには理由がある。……と言

えば、これまた慧眼(ケイガン=炯眼)の読者には、お察しの通りに、この数年来、

和歌山大学の教養教育は「人間になるための教育」(the art of being a human)

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◆ 18

という名を宛がわれ、その一方、専門教育は「専門家になるための教育」(the

art of being a professional)という言い換えを用いられ、今に至っているからで

ある。この間の事情については、いずれ機会を改め、説明をすることにして、こ

こでは簡単に、この「人間になるための教育」の意味づけと、その機能を、明ら

かにしておきたい。すなわち、どのような時代にも大学が、いわゆる専門家(プ

ロフェッショナル)の養成機関として成立し、その意味において、それが専門教

育の場であるにも拘らず、それと共に大学は、なぜ繰り返し、どのような状況に

遭遇しようとも、そこから教養教育の機能を切除し、排除してこなかったのかを。

 ちなみに、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』においては、そも

そも「大学」(university)は中世以来の、伝統的な「学部」(faculty)である、

神学部と法学部と医学部に分かれ、これらの内の、いずれかの学部に進学するた

めの予備部門として、いわゆる「自由学芸」(liberal arts)が置かれ、そこには

文法と修辞と弁証(=論理)の「三学」と、算術と幾何と天文と音楽の「四科」の、

あわせて「七科」(=自由七科)が含まれていたはずである。したがって、この

物語の主人公(ヴィクター・フランケンシュタイン)も、当然、大学入学以降、

これらの「自由学芸」を修めてから、将来は医学部に進学する目的を持っていた

に違いない。が、結果的に彼は、入学の翌朝、幸か不幸か(原文に即して言えば

「偶然か——それとも、むしろ破壊の天使の、悪しき誘いか」)自然科学の教授の

門を叩き、そこから一歩一歩、化学(chemistry)への道を突き進むことになる。

この日から、自然科学(natural philosophy)とりわけ、もっとも広い語義に

おける化学が、ほとんど唯一、私の心を占めるものとなりました。私は、こ

の学科について、現代の探究者たちの書いた、天分と眼識に溢れる著作を熱

心に読みました。大学の講義にも出席しましたし、多くの科学者(man of

science)に面識を得て、親交を深めようともしました。〔中略〕私の精進は、

当初は不安定で、不確実なものでしたが、努力を続けるに連れて、力強さが加

わり、たちまち熱烈な、激烈なものになっていきました。その結果、星々が朝

の光の中に姿を消す時まで、しばしば私は自分の実験室で研究に没頭していた

ほどです。〔改行・中略〕このようにして、二年が過ぎました。〔中略〕科学の

誘惑(enticement of science)は、これを経験した人でなければ、理解するこ

とが叶いません。〔中略〕科学の追求には、絶えざる発見と驚異との、糧(かて)

があるのです。

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19 ◆

 このようにして、彼は自然科学の世界へと足を踏み込むことになる。もっと

も、その際の自然科学は、原文では自然哲学と表記されており、いまだ 18 世紀

から 19 世紀への移行期には、このようにして科学(science)と哲学(philosophy)

とは同一視され、その境界も役割分担も、明瞭ではなかったことが分かる。と言

うよりも、むしろ科学が哲学から切り離され、これまた幸か不幸か、そこに自然

科学(natural science)という名が冠せられ、そのような科学(=自然科学)が

排他的に、哲学でもなければ、自由学芸でもない……という道を辿り出すのは、

やがて 19 世紀という時代が弾き出す、総決算に他ならず、そこから今度は、こ

の自然科学を範と仰ぎ、社会科学(social science)が頭を擡げるに至るのも周知

の事実である。現在、このようにして二百年に及ぶ、凱旋行進を続けている科学

化(scientification)を、私たちは別名、専門化(specialization)とも称している。

 問題は、そのような専門化に対して、もともと「特殊科」学であり「個別科」

学である「科」学(department =学科)に向かい、その是非を問うことに、あ

るのではない。そうではなくて、そもそも専門化という事態に際して、これに諸

手(もろて)を挙げ、私たちが楽観的に賛同できるのであれば、話は別であるが——

むしろ逆に、そこに一抹の不安や危惧を感じざるをえない時、そこに一種の予防

策となり、安全弁ともなるはずの「自由学芸」が、もはや『フランケンシュタイン』

の時代においてすら、ほとんど形骸化をし、無力化をしていたことが問題なので

ある。そして、それは裏を返せば、このような専門化の背後で、それまでの学部(神

学部・法学部・医学部)が、本来の専門家(professional =宣誓者)の養成機関

としては機能せず、どんどん専門家が偏狭な、その名の通りの特殊家(specialist)

へと変質していく過程が進行していた、と言うことにもなるであろう。

 そうでなければ、どうして『フランケンシュタイン』の主人公(Victor → Jupiter

=勝利者)が、中世以降、連綿と受け継がれてきた大学の、伝統的な学問に飽き

足らず、まさしく「現代のプロメーテウス」(the modern Prometheus)へと変

貌を遂げることなど、起こりうるであろう。しかも、それは独り、このプロメー

テウス(=先見者)の仕出かした……「人造人間」の創造という、奇々怪々な企

てではなく、それを宇宙の神秘の解明や、生命の原理の探究と置き換えれば、そ

れは 19 世紀から 20 世紀へと引き渡された、世界の大学の趨勢であった点も否み

難く、とりわけ、そのような傾向が日本の大学において、はなはだ顕著であった

点も、疑いがない。おまけに、そこから私たちの国が取り返しの付かない、言っ

てみれば、人類最悪の破局(catastrophe =転覆)を迎え、なおかつ、その大惨

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◆ 20

事に加担をし続けたことも、記憶に新しい、たかだか七十年ばかり前の出来事で

あった。

 このようにして振り返ると、そもそも大学(university)という場において、

そこに人間の持つ、普遍的(universal)な宇宙(universe)への関心や関与や、

ひいては支配への欲望が、渦を巻いていることは昔も今も変わりがないし、それ

は詮ずる所、文字どおりの人間性(human-nature)に含まれる、自然の営みである、

と見なすことも可能であろう。ただし、それが結果的に限界を超えた、人間中心

主義(humanism)に姿を変え、そこから科学万能主義や技術万能主義が招来さ

れるのであれば、それは科学や技術の、変節以外の何物でもないし、逆に言えば、

それは人間疎外(dehumanization)以外の何物でもない。——と、このような事

態を『フランケンシュタイン』の中で、すでに作者のメアリー・シェリーは、一

人の自然科学者(と言うよりも、自然哲学者)の口を通じて、いまだ大学に入学

した直後の主人公に向かい、以下のように諭(さと=覚・悟)していたのである。

君の精進が、君の才能に見合うのなら、君は疑いもなく、成功することが出

来るでしょう。化学は、自然科学(natural philosophy)の分野の中でも、こ

れまで最も大きな改良が成し遂げられてきましたし、これからも成し遂げら

れていくに違いありません。そのためにこそ、私も化学を専門に学び、研究

を続けてきたのです。でも、それと同時に私は、それ以外の科学(science)

の分野をも、決して等閑(なおざり)にしてはきませんでした。人間の知識

(human knowledge)の一部門だけに関心を向けていたのでは、私たちは気の

毒な、はなはだ憐れな化学者(chemist)にしか、なれません。君の願いが、

本当に一人前の科学者(man of science)になることであり、単に、つまらな

い実験家(experimentalist)になることではないのであれば、私は君に、数学

(mathematics)を含めて、あらゆる分野の自然科学に勤しみ、精を出すことを、

助言するでしょう。

 このように書き記した時、作者……正確には、父親(ウィリアム・ゴドウィン)

と母親(メアリー・ウルストンクラフト)と、さらには結婚相手(パーシー・ビッ

シュ・シェリー)の名を繋ぎ合わせ、最終的にはメアリー・ウルストンクラフト・

ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley)と呼ばれること

になる、この作者は高々、18 歳から 19 歳の頃に過ぎず、おまけに、女性であっ

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21 ◆

た彼女には、大学への入学歴もない。と言うことは、このような「大学都市」(=

インゴルシュタット)で暮らしている、教授や学生の姿を、そして、彼らの人間

観や学問観を、彼女は主として自分自身の読書体験と旅行体験から描き出してい

る、と見なさざるをえない。と言うよりも、このようにして当時の自然科学の粋

を極めた方法で、一人の大学生が「人造人間」を産み出すことになる物語を、こ

の作者は自分自身の想像力(imagination)を駆使して、表現していたことになる。

 この事実は、この『フランケンシュタイン』という物語に即して言えば、やが

て「人造人間」がインゴルシュタットの森の中で、誰が置き忘れたのかも分から

ない、革の旅行鞄(portmanteau)を拾い、そこに衣類と並んで、以下の書物を

発見することになる経緯と重なり合っている。その書物は、ミルトンの『失楽園』

とプルータルコスの『対比列伝』(通称『英雄伝』)と、それからゲーテの『若きウェ

ルテルの悩み』の、それぞれフランス語訳であったが、これらの書物を読むことで、

まさしく「人造人間」の知性(intellect =中間選択能力)は、各段の飛躍を遂げ

ることになる。が、それは彼自身が、みずから「怪物」であることを自覚し、確

認する過程でもあれば、自分自身の存在根拠に向けて、問いを発する行為でもあっ

た。——「俺は、誰(Who)だ? 俺は、何(What)だ? 俺は、どこから(Whence)

来たのだ? 俺の旅(destination =運命)は、どこへと通じているのだ?」

 このような問い掛けが、結果的に『フランケンシュタイン』の主人公の耳に届

くのは、やがて「怪物」がインゴルシュタットの森を離れ、はるばる主人公の故

郷である、スイスのジュネーヴへと辿り着き、そこで主人公の弟(ウィリアム)

の首を絞め、殺し……その挙句、この事件の巻き添えを喰い、召使い(ジュスティー

ヌ・モーリッツ)までもが無実の罪を着せられて、処刑台の露と消えてしまって

からのことである。この間の経緯については、この物語を読者の一人一人が、辿

り直していただくことに期待をするしかないが、この場で強いて、蛇足を加えて

おくと、もともと「警告者」を意味している「怪物」(モンスター)は、この物

語の主人公によって産み出され、それにも拘らず、彼によって置き去りにされ、

さんざんインゴルシュタットの森の中を流離った末に、いつしか「人間になるた

めの教育」を施され、まさしく一人の「人間」となって登場する、という点である。

 どうやら、この場面を描き出すに当たって、メアリー・シェリーは当時の

ヨーロッパにおいて、いわゆる認識論(epistemology =真知論)や教育論の古

典(classic =最上級)として知られていた、ロックの『人間知性論』(An Essay

Concerning Human Understanding, 1689)や、ルソーの『エミール』(Émile ou

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◆ 22

De l'Éducation, 1762)を下敷きにしたようであるから、このような「怪物」の「人

間になるための教育」には、実は 17 世紀から 19 世紀へと至る、ヨーロッパの人

間論の真髄が、畳み込まれている訳である。その意味において、あくまで彼女は

「人間になるための教育」が、そもそも「教育」(education =能力抽出)の字義

どおりに、この「怪物」が自分自身の熱意と努力で、はじめて手に入れることの

出来た「知識」に原点を置き、しかも、その「知識」には常に——裏返しの悲し

みと死への不安が伴われざるをえないことを、私たちに繰り返し、教えていたこ

とになる。

俺は、何(What)だ? 〔中略〕俺は、怪物(monster)なのか? 〔中略・改行〕

このような思いに苛まれて、どれだけ俺が悶え、苦しんだのか、とうてい言葉

では、お前に語り尽くせはしない。このような思いを追い払おうとしても、知

識が増すと共に、悲しみも増す一方だった。おお、こんなことなら、俺の生ま

れた森(my native wood)に永久に、留まっていれば好かったものを。飢え

と渇きと、暑さの感覚の向こうには、いっさい何も知らず、何も感ぜずに! 〔改

行〕知識(knowledge)とは、何と奇妙(strange)なものだろう! これが一旦、

心に貼り付くと、岩を覆う苔のように、くっついて離れない。時には思想も感

情も、すべて振り落としたい、と俺は願った。しかし、苦痛の感覚に打ち勝つ

手段は一つしかなく、それが死(death)という方法であることを、俺は学ん

だ。——でも、その状態に不安を感じても、俺は死を、まだ理解できなかった

のだ。

 教養という日本語は、その起源を中国の正史(『後漢書』)に求めたり、日本の

古代や中世に使われていた、いわゆる「孝養」の別表記としての「教養」に結び

付けたりしないのであれば、そもそも明治時代になって産み出された、その意味

において、近代的な日本語であり、翻訳語である。例えば、この語の用例に『日

本国語大辞典』(2006 年、小学館)が挙げているのが、まずもって敬宇(ケイ

ウ)こと、中村正直の『西国立志編』(明治 4 年→ 1871 年)であり、それが元

来、イギリスの作家であり、医師でもあった、サミュエル・スマイルズ(Samuel

Smiles)の『自助論』(Self-Help)の翻訳であったことからも窺えるように。そして、

その際の有名な、あの警句(Heaven helps those who help themselves →「天は自

ら助くる者を助く……」)からも明らかな通り、この「教養」という語は出発点に

即して言えば、ほとんど「教育」と、置き換えの可能な語であったことが分かる。

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23 ◆

 と言うことは、そのような「教養」という語が現在の、突き詰めれば「学問、

知識などによって養われた品位。教育、勉学などによって蓄えられた能力、知識。

文化に関する広い知識」(『日本国語大辞典』)を意味するようになるのは、結果

的に大正時代を俟たねばならず、それは今から、ちょうど百年前の出来事であっ

たことになる。しかも、それは折しも——人類が史上最初の「世界戦争」(World

War)を体験することになる、その前後の時期であり、言ってみれば、そのよう

な「戦前」と「戦中」と「戦後」の端境(はざかい=刃境)期に、この「教養」

という語は現代的な日本語として産声(うぶごえ=初声)を挙げたことになる。

そして、その際の代表的な教養書に名を連ねたのが、西田幾多郎の『善の研究』

(明治 44 年→ 1911 年)であり、阿部次郎の『三太郎の日記』(大正 3 年→ 1914 年)

であり、倉田百三の『愛と認識との出発』(大正 10 年→ 1921 年)であった次第。

 そのような時点から、まるまる百年(century =世紀)の時間が流れ過ぎ……

それにも拘らず、いまだ二番目の「世界戦争」を目の当たりにしていなかった

時代においては、この戦争が一名、それを特徴づける「化学兵器」(chemical

weapon)と、その「化学兵器」を産み出した「化学者(chemist)の戦争」と呼

ばれたり、あるいは、もっと端的に「化学戦争」(chemical warfare)と称され

たりした時代に、はじめて「教養」は姿を見せる。この事実は、私たちが「教養」

という語の歴史を辿り直し、その意味を問い、その機能を論(あげつら)う折に

も、決して忘れてはならない事実であり、要するに、それは 21 世紀の「教養論」

の、出発点でもあれば、到達点でもあって、この事実を等閑に付し、あたかも「教

養」を非歴史的(non-historical)な、観念的で抽象的な、いわゆる自由学芸や、

その翻訳語である、リベラル・アーツに置き換えるのは、それ自体が時代錯誤で

あろう。

 言い換えれば、このような「世界戦争」が勃発する時点——見方を変えれば、

私たちの前に「教養」や、その「教育」が姿を見せる時点は、ちょうど私たちの

生きている、この現在から遡れば、百年前の出来事であり、逆に、あの『フラン

ケンシュタイン』の書かれた時点からは、ちょうど百年後の時点である。おそらく、

そのような「百年」という時間の単位の中で、目下、私たちは「教養」や、その「教

育」の森の中を彷徨っているのであり、これまで日本の大学が、この六十年余り

の間、一方では「一般教育」という名で「教養」を蔑ろにし、また、その一方で

は「大綱化」以降、きわめて偏狭な専門教育や職業教育が復帰を遂げつつある中

で、そこに納まりの付く話をしているのではない、という点を肝に銘じ、本稿は

幕切れとせざるをえないが、その前に、ふたたびインゴルシュタットの森の中で、

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◆ 24

あの「怪物」が人生で最初に出会う、書物との邂逅の瞬間を引いておこう。

 この、驚くべき物語〔ヴォルネー『諸帝国の没落』〕は俺の胸に、奇妙な感

情を呼び起こした。人間は実際に、これほど力強く、高潔で、崇高でありなが

ら、それと同時に、これほど悪質で、卑劣な存在であったのか? 人間は、あ

る時は単に、悪の原理の申し子のように見えたし、ある時は思い付きうる限り

の高貴さや、神々しさを身に纏って現れた。偉大で、高潔な人間であることは、

繊細で、敏感な存在に宛がわれうる、最高の名誉であり、卑劣で、悪質である

ことは、そのような多くの人間が記録に留められてきたように、最低の不名誉

であり、盲目のモグラや無害なミミズよりも、ずっと惨めな状態のように見え

た。どうして人間は、自分の仲間を殺しに出掛けていくのか、また、どうして

法律や政府があるのかさえ、長い間、俺には想像も付かなかった。だが、悪徳

と流血の詳細を聞いた時、俺の驚きは止み、俺は吐き気を催し、憎悪で顔を背

けたのだ。

Frankenstein, Universal Pictures, 1931

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25 ◆

「教養とは何か」を考えるために

遠藤  史

 数年前から書店では、「教養」という単語をタイトルに含む書物をよく見かけ

るようになった。ビジネス雑誌でも「教養」関係の特集が組まれているのをしば

しば目にする。目を大学関係に転じてみると、「教養」を校名に冠したり、学部

名やセンター名に含ませたりする事例が近年増加傾向にある。明らかに、教養と

いうコンセプトはこのところ注目を集めている。にもかかわらず、これらの名称

に含まれている教養というものについて語ろうとするときに直面するのは、「教

養とは何か」という問いに対して直截な答えを返すことの難しさだ。これは、何

故なのだろうか。

 その大きな原因の1つは、教養という概念に含まれる領域の広さであろう。と

りあえず対象を大学に絞ってみたとしても、この状況は変わらない。大学を構成

する各部局や、そこに属するメンバーや学生に、さらに進んで大学の種々の関係

者に、試みに「教養とは何か」と尋ねてみれば、その答えはおそらく、かなりの

多様性を示すだろう。しかしながらこのような状況は、考察の出発点としてはい

ささか頼りない。この状況を打開することはできないだろうか。

 私はこの打開策として、教養を他の何かと対比させ、両者の違いを考えていく

という方法を提案したい。その対比すべきものと教養とは、何がどのように違う

のか。この点を考えることによって、教養の姿を明らかにするという方法である。

これによって、幅広い領域を含む教養のコンセプトが次第に明確になっていくと

考える。この方法にはさらに利点がある。まず、考察を重ねるほどに、教養に対

する理解が深まり、誤解が正されていくことだ。さらに、「教養とは何か」に安

直な定義を与えてしまうのを避けることによって、教養の本来的な性質の1つと

考えられる「領域の広さ」を自ずと確保しうることだ。

 大学という場に焦点を絞って考えるなら、「教養」と対比することが有効なの

は、まずもって「専門」というコンセプトであろう。本学のカリキュラムにおい

て両者が最も基本的な区分となっていることから見ても、両者を対比させること

は、考察の出発点として適当だと考えられる。では、両者の違いはどのような点

に求められるのだろうか。

 主要な違いは3点あると思われる。第1に、すでに上でも述べたが、「教養」

の含む領域は広い。これに対して、「専門」の含む領域は狭い。「専門」は明確に

定義され、それゆえ限定された領域を持つことによって成立し、その内部で用い

られる探求のための方法論はメンバーに共有されている。かくして「専門」は必

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◆ 26

然的に複数個となり、実際には非常に多数の「専門」領域が成立することになる(一

例として、科学研究費の申請に用いられる「系・分野・分科・細目表」を参照さ

れたい)。これに対して、「教養」の含む領域は広く、探求のための方法論も許容

範囲が広い。あれやこれやの分野に分かれた複数個の「教養」というものは存在

せず、教養は非常に大きく広い、一続きの分野として存在している。

 第2に、「教養」は横断的であり、これに対して「専門」は構築的である。「専

門」が構築的であることは、たとえば大学の学部・学科等のカリキュラムを見る

ことによって確かめられる。大多数の場合それらのカリキュラムは、入門→基礎

→発展→応用のような体系を取る。この体系は階層的である。入門の理解は基礎

の前提であり、基礎を確実に修得することが発展や応用に進むために必須となる。

これに対して、「教養」で探求に用いられる方法論は横断的である。多様な分野

を経巡り、多様な分野から得られた知を、探求者自らの関心において結び合わせ、

望むらくは統合していくというやり方が、「教養」の基本的な方法である。「教養」

に構築的なカリキュラムを導入したり、習得段階ごとの階層を設けたりする状況

があまり見られないのは、この特徴がもたらすものである。

 第3に、「教養」は過程志向的であり、これに対して「専門」は結果志向的である。

「教養」における探求が志向するのは何か特定の目的ではなく、探求するという

過程それ自体である。その過程は探求者自らの関心に基づいて行われるから、そ

れが結果として何か(たとえば幅広い分野にわたる知識など)をもたらすことは

十分ありうるが、「教養」の眼目は本来そこにはなく、むしろ遍歴の過程そのも

のにある。「人間になるための教育」たる教養教育の仕事は、この遍歴の過程を

導き、手助けすることだ。一方、「専門」の目指す目標は明確で、その専門領域

においてより高い水準の結果を得ることである。たとえば実験を行う場合、実験

それ自体が目的ではなく、重要なのはその実験によって得られた結果である(得

られなければ、その実験は失敗であろう)。その結果が高い水準であればあるほど、

その専門領域で高い評価を得ることができるし、またその専門領域の評価も上が

る。

 以上のように、「教養」と「専門」を対比することによって、「教養」のコンセ

プトが少しずつ明らかになってくる。もっとも以上の対比がいささか単純化され

ていることは、ここで急いで付け加えておかなければならない。たとえば、他の

領域との協力によって成長を遂げつつある専門領域もあるだろう。逆に、教養の

探求の過程の中で、探求者がしばらく1つの専門領域に沈潜することもあるだろ

う。また、失敗した実験から意外な新事実が明らかになり、それが新たな仮説の

創出につながることもあるだろう。より詳しい議論のためにはこれらの点も当然

考慮すべきであろうが、にもかかわらず、上の対比は基本的に有効であると考え

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たい。たとえば、他の領域の協力の結果はたいてい、当該専門領域の高度化か、

あるいは両者の統合による新たな領域の創出に至る。1つの専門領域に沈潜して

いた探求者は、やがて他の場所へと遍歴を重ねていくだろう。実験の失敗はあく

まで一つの挿話に過ぎず、専門領域で最終的に評価されるのはやはり、新たに得

られた成果であるにちがいない。このように「教養」と「専門」は、個々の事例

を詳しく観察すれば相互嵌入的でありつつも、それぞれの特徴は明確に異なって

いると言えよう。

 最後に、「専門」的アプローチと「教養」的アプローチがどのように異なりう

るのかを例示するために、ローベルト・シューマンのピアノ曲《クライスレリアー

ナ》作品 16(1838 年作曲)に対するアプローチを取りあげてみよう。「専門」的

アプローチとしては、音楽大学のピアノ科の学生を例にあげる。彼あるいは彼女

の望みは、もちろんコンサート・ピアニストになることだ。そのために通過すべ

きコンクールに向けて《クライスレリアーナ》を準備中なのであるが、この難曲

をプロとして評価される演奏にまで到達させるにはかなりの練習が必要だ。かく

して彼あるいは彼女は毎日、技術的鍛錬に加えて、《クライスレリアーナ》の練

習に明け暮れる。コンクールで優秀な成績を得て、首尾よくコンサート・ピアニ

ストになれたとしても、それは出発点に過ぎない。彼あるいは彼女には、他のピ

アニストとの競争が、そして CD に残された過去の名演奏との対決が待っている

のだ。

 「教養」的アプローチの例としては、私自身の《クライスレリアーナ》をめぐ

る遍歴の経験をあげる。高校生の時からの練習の積み重ねで、この曲を自分のた

めに、あるいは親しい人々のために心をこめて演奏することは可能である。やが

て大人になり、英語を読む手ほどきを多少受けた後は、外国で書かれたシューマ

ンについての評伝や作品分析にもアクセスできるようになった。その余勢を駆っ

て、《クライスレリアーナ》を生み出した源の 1 つであるとされる E.T.A. ホフマ

ンの小説を読んでみると、これがめっぽう面白い。『牡猫ムルの人生観』や「砂男」

に手を出し、中でも後者には魅了され、さらに他のドイツ・ロマン派の作家たち

の作品にも出会うことになった。ホフマンの小説を経由して、「コッペリア」や「く

るみ割り人形」といったバレエの魅力も知った。一方、自分でもシューマネスク

なピアノ小品を作曲してみると、シューマンのピアノ曲の様式が地下水脈のごと

く、多くの作曲家たちの書きぶりに浸透していることも感じた。

 両者のアプローチの優劣を論ずるつもりはない。ただし大学教育という場を考

えるなら、両者のアプローチに内在するリスクについても考えておかなければ無

責任だろう。たとえば、「教養」的アプローチには、一種の根無し草になるリス

クが伴う。これを最小化するには、「専門」的アプローチをとる何らかのコース

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との組み合わせが有効だ。多くの大学で取られてきた常識的な対処法であろうが、

これによって「教養」的アプローチのリスクは減らすことができる。

 より真剣に考えなくてはならないのは、「専門」的アプローチのみで進んだと

して、結果が報われないかもしれないリスクであろう。たとえば仮に、先ほどの

音楽大学の学生がコンサート・ピアニストになれなかった場合にはどうするのか。

社会・経済的要因によってコンサート・ピアニストの需要が減退するか、あるい

は供給が飽和状態となり、職業として成立しない場合にはどうするのか。しかも

彼あるいは彼女には、高度なピアノの演奏技術を除けば、身に着いたものはない

のだ。このように考えてみると、やはり落ち着くべきは上記の常識的な対処法し

かないと思うのだが、いかがだろうか。

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生きるための天文学からアートとしての天文学

尾久土正己

 今年 1 月、教養の森の人たちに誘われ、観光学部と兼務をすることになった。

ちょうど私自身も教養の森でやりたいことが芽生えていた。その1つが「生きる

ための天文学」、「アートとしての天文学」である。もちろん、「生きるため?」、「天

文学にそんな効用?があるのか?」といきなりイチャモンがつくに違いない。私

も少し前までは天文学にそんな力があるとは思っていなかった。

 2009 年夏、和歌山県で日本ボランティア学会が開催されたとき、実行委員長

だった堀内秀雄さんから何か話をして欲しいと頼まれた。その頃の私は、全国の

日食ファンとボランティアチームを作って皆既日食を世界中に中継するプロジェ

クトを走らせたり、県内の公開天文台の研究員たちとネットワーク型の研究グ

ループを立ち上げたりと、自分たちの夢に向かって忙しくしていた。講演を前に、

「自分たちはボランティアグループには違いないが、1995 年の阪神大震災後に俄

かに注目され始めたボランティア活動とは少し違うな・・・」と発表内容につい

て悩んでいたことを覚えている。一般的にボランティア活動の多くは困っている

人たちを支援するような活動ばかりだったからだ。一方で、そもそもボランティ

アとは自発的な活動を指すものなので、私たちの取り組みもボランティアに違い

ない。ただし、困っている誰かのためではなく、自分たちが虜になってしまった

日食や宇宙の魅力を多くの人たちに伝えたいという勝手な想いで活動しているだ

けだった。とにかく、頼まれた以上は、自分たちの熱い想いを語ろうと日食の話

や県内での天文活動の話をした。

 講演が終わったあと、そのとき初対面だった上田假奈代さんから「釜ヶ崎で天

文学の話をしてもらえませんか?」と声をかけられた。私は学生時代を大阪市の

天王寺区にある大阪教育大学で過ごしたので、釜ヶ崎の地名は良く知っていた。

私の釜ヶ崎のイメージは「恐いところで行ってはいけないところ」だった(実際

に中に入ったことはなかった)ため、なぜ天文学の話で声をかけられたのか理解

できなかった。釜ヶ崎と聞いてどんなところかご存知でない方のために簡単に紹

介しておこう。釜ヶ崎は大阪市西成区にあり、日本最大の寄せ場で日雇い労働者

の街である。劣悪な環境の中、幾度か労働者による暴動が起きており、そのこと

によって「行ってはいけないところ」というイメージが定着している。現在は、

高齢化や長引く不況、家族との分断などにより、男性の単身高齢者の街になり、

多くの野宿生活者や生活保護受給者を生み出している(1)。上田さんたちはそん

な釜ヶ崎で、詩などの表現活動を通じて地域の課題を解決していこうとするアー

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ト NPO(こえとことばとこころの部屋(愛称ココルーム))を運営していると言

う。釜ヶ崎でアートも理解できなかったが、アートができるなら天文学もと、あ

まりよく考えずに引き受けることにした。

 その後、実際に私が釜ヶ崎でデビューしたのはその年の 12 月 19 日だった。ま

ずは、下見をしなくてはと、直前に上田さんに釜ヶ崎とその周辺(例えば飛田新

地など)を案内してもらった。通っていた大学からは目と鼻の先であったが、初

めて見学した釜ヶ崎が、決して「行ってはいけないところ」でないことが理解で

きた。そこで、講演は「釜ヶ崎から宇宙へ」というタイトルにし、街中でほとん

ど星空は見えないものの、その上に広がっている恒星世界の話をすることにした。

高齢者が多いと聞いていたので、例えば「織姫は 25 光年離れているので、今か

ら 25 年前の光が今届いている」と言った感じで、受講生の人生とリンクできる

ような内容にした。当日は、普段の講演会とは違ういわゆる「おじさん」中心の

客層と、彼らの真剣なまなざしに、自己紹介の際に、普段は人前では言わない自

分の辛い過去の話をしていた。講師として話に行ったはずなのに、知らぬ間に自

分の人生相談のような感じになっていた。具体的な恒星の話になったとき、「せっ

かくなので、外で実際の星空を見ましょう」と、裏路地の建物の隙間に広がる狭

い夜空の中に織姫などの1等星を探して解説した。織姫が 1984 年の輝きだと知

ると、大阪の明るい夜空の中ではか弱くしか見えない星の光をおじさんたちは懐

かしそうに眺めていた。また講義の中では次々と質問が飛び出し、大学でもこん

な活発な授業はしたことがない、これぞまさにアクティブ・ラーニングだと感心

した。このようなおじさんたちの授業態度に応えようと、「年末に、望遠鏡を持っ

てまた来ます。一緒に天体観測しましょう!」と予定外の次の講座を決めてしまっ

た。

 初めての天体観望会は 12 月 29 日に、釜ヶ崎の中心にあり様々なイベントが行

われる三角公園で行った。年末は毎年、仕事がなく、野宿する人が増えるという

ことで、公園で越冬闘争というイベントが開催されている。観望会もココルーム

を通じて、越冬闘争の1つの演し物として、炊き出しと同じ時間に行った。大き

な望遠鏡を三角公園に組み立てていると、おじさんたちが次々と近づいてきて、

「お前はどこのもんで、何をしに来たんや?」などと聞かれた。その度に「一緒

に星を見ようと、和歌山大学から来ました」と答えたのだが、理解してもらうこ

とはできなかった。望遠鏡の設置が終わっても、炊き出しに並ぶ行列がこちらに

来ることはなかった。周囲にいたおじさんたちに声をかけ、だましだましに見て

もらったところ、感動したおじさんが他のおじさんを連れてくるなどして、気が

つけば望遠鏡にも行列ができていた。すでに見たおじさんたちは私の解説を真似

して、指導員になってくれたり、列を整理してくれたりした。望遠鏡を覗いたあ

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とのおじさんたちの反応は、天文台勤務時代に経験した数えきれないほどの観望

会のいずれの反応よりも良いものだった。私自身を含め天文教育に取り組んでい

るほとんどの人たちは、天文学の成果を納税者に還元することで国民の理解が高

まり、そのことが将来の予算獲得につながるとか、子どもたちへの活動の中から

次の研究者が生まれるかもしれないと言った、天文学コミュニティの側に立った

活動をしていた。しかし、釜ヶ崎のおじさんたちは、将来の予算獲得に影響する

こともなく、また研究者になることもない。ただ単に、好奇心で望遠鏡を覗き、

向学心で講座を聴く。その結果、炊き出しのご飯が空腹を満たすように、望遠鏡

の中の天体や天文学の話が生活の質 QOL を向上させるきっかけになることを教

えてくれた。「生きるための天文学」というものがあることをこうして知った。

 その後も年に2〜3回、講座と観望会をセットにした天文学の教室を続けて

いた。一方、ココルームでは、「学びたい人が集まれば、そこが大学になる」と、

2011 年から「釜ヶ崎大学」を立ち上げ、何度か講座を開いていた。2012 年からは、

「釜ヶ崎芸術大学」に名称変更し 40 〜 60 の講座を開講している。その中に、「天

文学」の授業も開講され、私が講師をしている。2013 年度は、お笑い・音楽・絵画・

ガムラン・感情・狂言・芸術・詩・書道・写真・地理・哲学・天文学・表現の

14 教科が開講されている (2)。当初は、2009 年から始めていたスタイルで講義を

行っていたが、よく考えると地理学、哲学があるものの、他はすべて表現活動(アー

ト)である。天文学を表現活動に結びつけるにはどうしたら良いか、現在、試行

錯誤を行っている。釜ヶ崎芸術大学は、2014 年には現代美術の国際展であるヨ

コハマトリエンナーレに招待され、ココルームの交流の場が美術館の中に再現さ

れ、おじさんたちの成果物が展示された (3)。私が担当する天文学も 10 月 8 日の

皆既月食に合わせて、三角公園とテレビ会議で結んで横浜美術館で開講した。横

浜会場に集まった市民たちは、おじさんたちの自由な表現活動に圧倒されていた。

 歴史を振り返れば、天文学と音楽は同じ範疇にあった時代がある。例えば、天

王星を発見したハーシェルは、交響曲を作曲するほどの音楽家でもあった。釜ヶ

崎は我が国の様々な社会的課題が凝縮し目立っているだけに過ぎず、同じような

課題はどこにでもあるに違いない。そう考えると、釜ヶ崎での活動を通じて取り

組み始めた「生きるための天文学」、「アートとしての天文学」は、すべての地域

のすべての人たちに受け入れられるに違いない。まずは、和歌山大学の学生たち

にも受講してもらいたい。私がこの 1 月、「教養の森」センターを兼務すること

になった一つの理由がここにある。

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参考文献

(1) 原口剛他編著、「釜ヶ崎のススメ」、洛北出版(2011)

(2) 特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)編、「釜ヶ崎芸術大学 2013 報告書」(2014)

(3) ヨコハマトリエンナーレ 2014、第 2 話「漂流する教室にであう」、平凡社 (2014)

釜ヶ崎の三角公園での観望会の様子。多くの「おじさん」たちが集まってくる。

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生きるための知恵

菅原 真弓

 さて困った。これまでの人生の中で「教養とは何か」など考えたことがなかっ

たからである。抽象的な思考は私には最も遠いものであるし、自身に教養がある

と思ったこともないのだ。そう、私には教養はない。なくてもよいとは思わない

が、残念ながら私にはない、というのが実際のところである。

 専門バカというほどの知識はないが、少なくとも今でも、学部時代からの専門

であった日本美術史は好きである。展覧会に行くことも好きだ。但し、私の最初

の就職は美術館の学芸員職であったから、展覧会に出かけると、ついつい作品を

見ることを楽しむだけでなく、美術館のあり方とは…などと考えてしまうのが残

念なところではあるのだけれど。

 卒業論文も修士論文も、そして博士論文も日本美術史で、取り上げたのは浮世

絵版画だった。浮世絵版画が専門であると言ってもよいのかもしれない。ではな

ぜ浮世絵版画をテーマにするのか、と言えば、これが日本の美術史では珍しい「売

り物」だったからであろうと思われる。明治時代に入ってきた概念であるファイ

ンアートでは決してない、という点が、自身にとって最も魅力的な事柄だったか

らだ。売り物である以上、これらは常に購買者の興味関心、つまり流行に左右さ

れていくもの。つまり私は「社会」と密接に結びついているものに興味があった

のである。

 ごくごく幼い頃から日本の歴史に興味があった。そして中学生の頃からは幕末

という時代に関心がしぼられてきたように思う。毎週家族で見ていた大河ドラマ

のテーマにしばしば幕末という時代が選ばれており、その主人公に、その原作に

興味を持った、というのが、おそらく原因であろうかと思われる。中学から高校

にかけては、司馬遼太郎の小説を読み漁った。あまり大きな声では言えないが、

数学の授業を、また地学や生物や地理の授業をさぼって、授業時間ゆえに静かな

高校の図書館で、歴史小説ばかりを読んでいた記憶がある。歴史は出来事の集積

であり、その推移だ。私が最も興味を持ったのは、幕末の日本という社会だった

のだと思う。

 幕末から明治期の浮世絵は、否応なく影響を受けざるを得なかった様々な出来

事を、幕末の日本社会のありさまを映し出す。天保の改革による民衆の怨嗟を風

刺画で戯れのめし、黒船が来航すれば黒船と異人たちを取材もなしに描き出す。

たとえば「北亜墨利加洲華盛頓 副将アハタムス像」(図1)を見てみよう。異

様に凹凸のある顔に大きく盛り上がった鼻、顔一面の髭。本人を確かめたわけで

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はなく、スケッチもしていないことは、アメリカ軍の軍服であるとはとても思え

ない、中国風の衣装を身に着けていることからもわかる。歌舞伎「博は か た

多小こ じ ょ ろ う な み

女郎浪

枕まくら

」に登場する海賊・毛剃九右衛門(図2)の衣装に似ている。これを見ると、

当時の浮世絵師たち(=庶民)における「異国の人のイメージ」がほの見える。

また作品には「身丈五尺八寸」と注記されている。これではまるで両国辺りの見

世物の説明だ。文政 4 年(1821)にオランダ人が持ち込んだという駱駝を描いた

絵(図3)が遺されているが、ここにも「身の丈高さ九尺首より尾迄一丈二尺」

と記されている。何のことはない、アメリカ人も駱駝も、扱いは一緒なのである。

 上は一例だが、一枚の絵を「なぜこれが描かれたのだろう」「何に似ているの

だろう」「どういう時代背景の下で描かれたのだろう」と考えて見つめることで、

たとえば歌舞伎や大道芸(見世物)、江戸期の日本における異国との交流につい

ても調べを進め、絵をめぐる周辺の様々な事柄に関心を持っていくことになる。

歴史の中の小さな小さな部分、特に知らなくとも全く困らないこうした事柄を知

るのは、私にとっては楽しいことだ。そして小さな部分を知ることで、その時代

の社会のありようが見えてくるように思える。ある時代はもちろん連続する時間

の中にあり、現代につながる。現代の事象をたとえばニュースなどで見聞きする

時、「いつの時代も変わらないものだ」と思ったりもする。

 さて美術史研究者には、作品により強い関心を持つタイプと、これを制作した

作家の人生に強い関心を抱くタイプとがあるように思われる。美術史研究者のハ

シクレとしての私は全く後者である。社会の中で、学校も含めた組織の中に生き

る私たちは、そこで孤立することは辛いし、孤高の立場で生きていくことは難し

い。これと同様に、作家と言えども、彼らの生きた時代の社会と無縁ではいられ

ない。浮世絵師ならばなおのことだ。だからこそ私は、彼らの人生に興味を持つ。

ある時代のある場所で、様々な制約の中でどのように生きて、死んだのか。特に

幕末から明治にかけての大転換期に生きた浮世絵師たちの人生は壮絶だ。そして

私は美術史の勉強を通じて彼らの人生を丁寧にトレースすることで、自身が生き

ていくための様々な学びを得ているように思われる。

 教養のない私には「教養とは何か」はわからない。けれどももし、そんな私が

拡大解釈をしても許されるならば、教養とはもしかしたら「生きるための知恵」

なのかもしれないと思う。事にあたって考える際の、自身の根底にある基盤、筋

道のようなものかもしれないと思う。社会生活の中で、良好な対人コミュニケー

ションを構築するためのツールと言い換えることもできる。そしてそれは学問を

通じての学びとして得られるだけでなく、たとえばごくありふれた日常生活の中

でも得られるものであろう。学問などとは縁遠かった祖父母の世代の方々が語っ

た人生の教えが、それなりの年齢を迎えてしまった私にとって、しみじみと納得

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して思い返される現在であるからだ。

(図3)歌川国安「文政四年辛巳六月阿蘭陀人持渡 駱駝之図」文政 7 年(1824)

(図2)月岡芳年「雪月花乃内 月 市川三升 毛剃九右衛門」明治 23 年(1890)

(図1)無款「北亜墨利加洲華盛頓 副将アハタムス像」年代不詳(嘉永 7 年 /1854 頃)

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「原文にはないのや……」

永井 邦彦

 40 年近く前のことである。我われ独文専攻生には伝説の人となっていた大山

定一先生の追悼文集(1977 年発行)を読んでいて、はっとする文章に行き当たっ

た。板倉鞆音先生が、リルケの『墓碑銘』のご自分の翻訳を示されたうえで、大

山先生の翻訳に言及していた。「豪奢な眠りであったか歓びであったか、とにか

く豪奢という言葉が不意にとび出してきて、僕はびっくりした。豪奢は原文では

どうなっているのかと訊ねると、大山さんはにやにやして、原文にはないのやと

言った」。しかも翻訳はその後も改作され、豪奢は消えて、さらに長くなってい

るという。

 「原文にはない」。まさに目から鱗であった。私は感動した。しかし、なぜ原文

にはないことが翻訳できるのか。私には心当たりがあった。そこには、翻訳とい

う行為に対する大山先生の信念がある。

 大山先生と中国文学の吉川幸次郎先生が戦争も末期に近づく昭和 19 年(1944

年)に書簡を交換する形で文学研究について論じ合った『洛中書問』という書物

がある。私はこれを筑摩叢書の一冊(1974 年発行)として読んだが、多くの部

分は翻訳論に割かれている。(以下は、敬称を省略する。)

 吉川が、大山の「厳密な逐語訳というものは、かさかさに乾びてしまって」と

いう発言を取りあげて、「翻訳というものは、要するに方便であり、童蒙に示す

為のものである(…)。外国文学研究の正道は、あくまで原語についてなされる

ものでなければなりません。同じく方便であるならば、原文のもつだけの観念を、

より多からずより少なからず伝える」のが、よいのではないかと問を投げかける。

 これを受けて、大山は「翻訳文学というものは今日当然書かれていなければな

らぬ文学作品を、言わば翻訳という形で示したものと考えたいのです。単なる文

学の翻訳ではありませぬ」と答える。大山は、森鴎外や二葉亭四迷を取りあげ、

かれらの翻訳の立派さは、「文学者的眼光」から来るものだと言う。そして「翻

訳は西洋文学の学問的研究とは何のつながりも無く、もっぱら日本文学者として

の自覚と実力が翻訳の可否を決定」すると主張する。

 以上の応答からは、両者の力点がずれていること、つまり吉川の主眼は外国文

学研究にあり、大山のそれは翻訳文学にあることがわかる。しかしここでは大山

の翻訳論に主眼があるので、論点を翻訳に絞ることにする。

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37 ◆

 翻訳は日本語の文学作品を創作することだとする大山の主張を捉えて、吉川は

「翻訳によって創作をなすということは、創作の業が何か素材を必要とする以上、

大いに可能なことであり、そうした態度の下にされる翻訳は、たとい素材本来の

形に変貌を加えていても、許容されるべき」と認める。しかし、それは「文人の

翻訳」であって、「学人の翻訳」ではないと反論し、さらに自らの翻訳論を、「学

人の翻訳は(…)広く原語が帯びるだけのものを、つまりもとの言語とその言語

の世界の中で象徴せんとするだけのものを、同じ比率で国語の世界で象徴し得る

国語、それを探索することで無ければなりません」と補強する。

 今度は大山が、高村光太郎の「詩の翻訳は結局一種の親切に過ぎない」を引い

てきて、これに解釈を加える。「僕は、この 「親切」 は作家に対する深い愛情か

ら出るだけでなく、日本の読者に対する愛情や国語に対する尊敬さえふくんだ非

常に大きな親切でなければならぬと思います。即ち翻訳のことばの一つ一つが、

日本語をゆたかにうつくしくするものかどうか、却って日本語を混乱させ汚くす

るものとちがうかどうか、すぐれて翻訳家の仕事は無意識のうちにこのような面

まで親切な配慮がゆきとどいていなければなりますまい。」

 このような「親切な配慮」をした翻訳は、吉川が言う「原文のもつだけの観念

を、より多からずより少なからず伝える」、つまり「もとの言語とその言語の世

界の中で象徴せんとするだけのものを、同じ比率で」翻訳することではない。大

山にとっては、翻訳は「相似」ではない。大山は「どんな忠実な翻訳でも原作を

些かのひずみもなく鏡にうつしとるようなものでなく、原作を読みとる一個人の

心のはたらき、原作をうつしとるめいめいの目のはたらき、即ち解釈、理解、追

体験、別な国語による表現、というような困難な個別的操作を経なければならぬ

以上、翻訳は Wiedergeburt 「再生」 である」と定義する。

 ドイツ語の“Wiedergeburt”は、“wieder”「再び」と、“Geburt”「誕生」か

ら成り立っており、大山流に言えば、翻訳は新たな生命を吹き込んで誕生させる

こと、つまり「創作」なのである。

 

 リルケの『墓碑銘』(Die Grabschrift)の原文を見てみよう。極めて簡潔である。

 

 Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,

 Niemandes Schlaf zu sein unter soviel Lidern.

 

 逐語的に訳をつければ、「Rose(薔薇)、reiner Widersprch(純粋な矛盾)、Lust(歓

び)、niemandes Schlaf zu sein(誰の眠りでもない)、unter soviel Lidern(とて

もたくさんの瞼の下で)」となる。大山の『墓碑銘』の翻訳を問題にした板倉の

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◆ 38

翻訳と東大教授であり、詩人でもあった生野幸吉の翻訳を以下に掲げる。

 (板倉鞆音)

   薔薇よ ああ純粋な矛盾 かくも多くの瞼の下で 誰のものでもない眠りで

ある歓び 

 (生野幸吉)

   ばらよ、おお、きよらかな矛盾よ、あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもな

いというよろこびよ。

 両者とも原詩に対応して簡潔であり、吉川が言う「原文のもつだけの観念を、

より多からずより少なからず」、「広く原語が帯びるだけのものを」伝えようとし

ている。しかしリルケが『墓碑銘』に託した詩想は伝わるのであろうか。

  

 大山は『墓碑銘』を、どのように再生(創作)したのであろうか。『文学ノー

ト』(1970 年発行)に「リルケの薔薇」という論文が収められている。『墓碑銘』

は以下のように翻訳されている。

  

  おお薔薇 純粋なかなしい矛盾のはなよ

  はなびらとはなびらは 幾重にもかさなって目蓋のように

  もはや誰のねむりでもない寂しいゆめを

  ひしとつつんでいるうつくしさ

 原文に照らし合わせると、この翻訳はもはや原形をとどめず、原語にはない言

葉が次々に紡ぎだされている。修飾的な言葉が重なり、説明過多になった翻訳に

よる別物がつくられていると批判されるだろうか。「創作するという態度」の下

でなされる翻訳は、「素材本来の形に変貌を加えていても、許容されるべき」と

吉川は書いたが、この翻訳は許容範囲を超えていると判断されるであろうか。

 いや、私は原文に照らし合わせてみればみるほど、これが繊細にして、あまり

に大胆な創作であることに感動を覚える。大山は「原文にはないのや」と言った

が、原文の逐語的な読み手には「ない」のであって、大山が原文から日本語とし

て汲みだすときは「ある」のである。ここで大山が好んで引用するゲーテの詩句

を思い出した。

  清らかな詩人の手が掬べば みずは水晶の玉になる

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39 ◆

 和歌山大学の教養教育は、「人間になるための教育」を標榜している。自分の

浅学菲才を顧みずに言えば、私の教養教育はかくありたいと考えるのである。

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◆ 40

教養は絶望の向こうに—科学コミュニケーションの現場から—

中串 孝志

 2013 年の秋に、縁あって、あるお寺の住職継職法要に参列させて頂いた。そ

んな機会はそうそうあるものでもないし、非常に興味深く見ていた。

 その中で、とても引っ掛かることがあった。開始早々の、ゲストの偉いお坊さ

んの挨拶で、「科学技術が発展した現代において人間が失ってしまったこころを

取り戻すために今こそ御仏の教えを云々」と言っていたのである。程度の差はあ

れども、普段から日常的にあちらこちらで言われていることではあるので、それ

自体は取り立てて珍しい物言いでもない。ましてや「御仏の教え」を説く道を先

代から引き継ぎあらたに歩み始めようとする新住職への言葉である。しかし、こ

ういう改まった場で、そういう偉い人が言うとなると、それなりに影響力がある

し、それなりにその業界およびその周辺の事情、あるいはコンセンサスを反映し

ているのであろう。

 なぜ科学技術が発展したら人間はこころを失うことになってしまうのだろう?

 より正確に言うと、なぜ科学技術の発展と現代社会における人間性の喪失を結

びつけなければならないのだろう?1

 あの東北地方太平洋沖地震に引き続いて起こった福島第一原子力発電所事故の

後の「放射能パニック」とでも呼ぶべき混乱状態を目の当たりにして、一応の専

門的知識を持つ者として2、少し頑張ろう、何か少しでも情報発信をしようと一

念発起したことがあった。と言ってもできることもほとんど無く、Twitter を通

じた簡素な科学コミュニケーション活動といったようなイメージだった。

 科学コミュニケーションとは、科学的な題材について(特に、専門家とそうで

はない一般市民が)双方向的なコミュニケーションを行うこと、またはそのよ

うな活動、と言えるだろう。20 世紀後半に各国で起こった様々な事件によって、

科学技術の権威や専門家への信頼が失われ、専門家が一方向的に情報を流す科学

「普及」が成立しなくなったことから、対等で双方向的な「対話」が重視される

ようになったのである。特にヨーロッパでは社会的意思決定の場で専門家と市民

が協働する仕組みが発達している。私も惑星科学の専門家として、駆け出し研究

員時代から科学コミュニケーション活動的な取り組みを試行錯誤してきた(と自

分では思っている)。

 さて、それまで Twitter では平凡な市民だった私が、福島第一原発事故後、「科

学者として」の発言を始めるや否や、様々な方面から様々な反発や非難を受けた。

いや、バッシングを受けたとは言え無名の私などはまだまだ軽い方で、当時、著

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名な科学者の発言はまさしく袋だたき状態であった。この経験の向こう側に見え

た圧倒的で巨大な潮流は、私に――私の持っている様々な顔のうちの特に「疑似

科学バスター」としての私に――人々は別に科学なんて求めていないのだな、科

学的根拠に基づく判断(それは場合によっては生死に関わる)なんてどうでもよ

くて、信じたい、信じることで救われたいのだな、と理解させた。「科学も宗教

の一つ」という言説に与するつもりは毛頭ないが、本当に、世の中にはいろんな

人がいるのだなと実感するし、理解し合えるなんて幻想なのだなとすら思えてく

る。これらは科学コミュニケーション活動の中で私が学んだことの中でひときわ

重いものであった。

 だから、例えば、継職法要の冒頭で挨拶をなさった偉いお坊さんにとっては、

科学技術の発展した現代においては、人間はこころを失ってしまっていると信じ

たいのだろう。あるいは、福島県の一部を汚染した科学技術は何かこう「行き過

ぎたもの」であって欲しいのだろう。3 科学技術が発展していけばサービスやお

もてなしからは人間の暖かみが無くなってしかるべきなのだろう。そういえば、

古来より、正義のヒーローが立ち向かうべき悪の組織には、必ずと言っていいほ

ど、暴走した「マッドサイエンティスト」が存在した。科学技術、およびそこに

携わる専門家たちは、そういう存在であることが期待されているのであろう。

 その理由は、何だろうか。私は、この「科学者が演ずるべき役割」の中には、

あのヒット曲「世界に一つだけの花」4と全く同じルサンチマンのようなものを

感じずにはいられないのだが、思い込みが過ぎるだろうか。5

 その(私には)ルサンチマン(に見えるもの)はどこから来たのだろうか。管

見の限りではあるが、これには大学受験と日本の中学校〜高等学校でのカリキュ

ラムにその大きな原因があると考えている。大学入学時点で専門分野を決めるこ

とが要求され、そのための選択をしていくフローチャートが描かれている。理想

論的には「数ある学問分野の中から自分の適性に合った分野を深く掘り下げるた

めの選択」と謳われるのであろうが、実際には、生徒達にとっては「やりたくな

いことをやらなくて済むような選択」でしかない。そして、科学技術系の分野(こ

の時期の呼称では「理系科目」)の特徴の一つは、わかりやすい形で、「訓練」を

要求されることである。ピアノを弾くために地味な音階練習の訓練を積み、高校

球児が腕立て伏せやランニングを血の汗を流しながら自らに課すのと同じく、つ

らく苦しい計算問題を大量にこなさなければ、その先のレベルには到達できない。

一方、この時期の「文系科目」と呼ばれる科目では、具体的な「ひと」が登場し、

そこにはドラマがある。感じることができる。理系科目のような「訓練」は(一

見すると)不要で、その場しのぎの暗記でもテストはなんとかなってしまい、し

かもそれらの詰め込み作業も「人間ドラマ」が頭に入れば苦しくないことも多い

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◆ 42

(ように見える)。

 「理系科目」の、この「訓練」は脳を酷使する。鍛え、絞る。まるで現代保健

体育的には禁じられてしまったウサギ跳びのように、自らに負荷をかけ続ける。

 ちなみに「お前の脳ミソは筋肉か」という古くからの悪口があるが、私は昔か

ら「脳は筋肉だ」と言っている。もちろん比喩であるが、脳は、使えば疲れ、眠っ

たり食事をしたりすれば回復する。瞬発力と持久力があり、一度に負荷をかけ過

ぎると痙攣を起こして動かなくなる、等々。たまにちょっと違う使い方をすると

リフレッシュする点では、パズル類がストレッチやマッサージに対応していると

言えるし、なかなか良い比喩ではないかと思っている。この比喩で言えば、わか

りやすい形で「脳という筋肉」を酷使させられる「理系科目」的・単純労働的・

反復運動的「筋力」トレーニングは、疲れるし、つらく苦しいので、できればや

りたくない。なかでも、緻密に論理と正確な計算を積み上げる「公文式的」な数

学は特に嫌われる。6 そして、やりたくないことはやらなくてよくなるような選

択が許されている。こうして、「文系」を名乗る「非・理系」が大量生産される。

「異文化理解をしたい」と言って入学してきながら、すぐ近くに居る「理系文化」

を理解しようとしない観光学部生は実に多い。

 このように書くと、理系礼賛主義のように見えるかもしれないが、小文のフォー

カスはそこではない。ことは単なる「理科離れ」の問題ではないのである。あま

り知られていないかもしれないが、端的な例を一つ挙げると、「理系」の中でも「物

理学離れ」が進んでいるのである。物理学は、いわば、理系科目の中の理系科目

である。これが「理系」の中でさえ避けられている構図は、先の「非・理系」の

あり方と同じである。つまりこれは、「理系」においても存在する、「脳を酷使す

る(ように高校時代までは見えてしまう)しんどい科目=やりたくないこと」を

選択しない潮流がもたらした結果なのである。

 ここまでくれば、先述した「ルサンチマンのようなもの」の意味もわかる。文・

理を問わず、自分たちが選ばなかった、即ちやらなかった(やれなかった)こと

をしてきた(できた)人へのルサンチマンが「世界に一つだけの花」という形で

結晶し、数十年続いている受験戦争の結果そのようなルサンチマンを抱く人が大

多数を占めるようになった世の「みんな」が、そんな「花」を選んだ(受験戦争

は「ナンバーワンな人」よりも圧倒的に多い「ナンバーワンじゃない人」を生産

し続ける仕組みである)。あの歌は、そんなつらく苦しい思いをしなければ得ら

れないもの、即ち、「知」そのもの、の価値を認めないことの宣言だったのである。

そう考えれば、フジテレビ系列でヒット番組となった『トリビアの泉 〜素晴ら

しきムダ知識〜』(レギュラー放送は 2002 〜 2006 年)も、なぜあのように絢爛

豪華な仕立てが必要だったのかが明らかになる。あの番組は、「みんな」で徹底

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的に「知」を嘲笑するための番組だったのだ。それを効果的に見せるための「落

差」を作る装置があの絢爛豪華さだったのである。どことなく(アメリカ的でな

い)ヨーロッパ貴族風な匂いがあったのも、「知」の世界での「庶民」vs.「貴族」

の対立の構図を演出し、その中で、下克上的に、あるいは判官贔屓的に、「貴族」

階級を嘲笑するための仕掛けだったわけだ。

 さて、お気付きの通り、小文でここまで「知」と呼んできたものは、より正確

に言えば、体系的・学問的な意味での「知」である。古今、実業界が求める「常

識」や「スキル」のようなものではない(もちろん両者の間にはグラデーション

の領域が連続的に広がっている)。

 ひとが何かを学ぶ時、そのコンテンツが伝達されるための「チャンネル」は様々

である。考えを巡らす、話を聞く、手を動かす、心で感じる、等々。ひとによっ

てチャンネルの使い方には得手不得手がある。それと同じく、学ぼうとするコン

テンツの性質によって、伝えるチャンネルに向き不向きがある。およそ「常識」

や「スキル」に類するものは座学に向いていない。敬語の使い方、会議の進め方、

資料作り、プレゼンテーション、グループワークなどが典型例である。この種の

「常識」「スキル」が重視されるべき企業各社の新人教育に関わる人々が声を揃え

て「座学は無意味」「アクティブ・ラーニングを」と言うのは当然である。これ

に対し、じっと座って脳を酷使する「思考」にウェイトのある体系的・学問的な

「知」を伝えるためには、座学も重要な伝達のチャンネルになり得るが、そもそ

も先述した通り、この意味での「知」は、もはや現代社会には必要とされていな

い。現代社会にとって、大学は高等教育機関ではなく、「最低の教育を保証する

最後の学校」でしかない。その意味で、社会の声を基準にした大学には「専門(と、

そこへ至るための基礎)教育」と「常識・スキル養成」さえあれば良いのである。

もちろんここで言う「専門」とは、実業の世界で「今すぐに使う」ためのもので

あるから、座学よりも「手に職をつける」ための教育が主眼であって、博士など

要らない。学問的「知」の担い手としての学者の存在意義などとうの昔に無くなっ

ているのである。7

 では、そんな学者たちの巣窟である「大学」の一つである和歌山大学の「教養

の森」は何をするところであるべきなのだろうか? 「専門・基礎」でもなく「常識・

スキル」でもない、「教養」とは何だろうか? 『トリビアの泉』の例でわかるよ

うに、あれこれ広く浅くかじって「物知り」になることが「教養」であるとは到

底言えない。その意味で、「教養の森」の提示する新しい教養科目群は、啓蒙書

的な入門科目を漫然と並べただけで「教養科目」と名乗るわけにはいかない。私は、

今まで述べてきたような考えから、自らが専門としていない様々な学問の「あり

方」を見て、そのような学問的「異文化」あるいは「異世界」が存在することを

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◆ 44

知り、体験する、いわば「知」の世界での冒険を通じて、「知」に価値があるこ

とを再発見してもらうのが、「教養」教育ではないか、としたい。「役に立つ/立

たない」ではない価値、と言ってしまうとチープになってしまうのだが、とにかく、

「知」そのもの、あるいは「知」という営みそのものに価値を見出せる能力ある

いはこころのあり方のことを「教養」と呼ぼう、ということである。何か自分の

知らないことに出会った時に「それは自分のやることではない」「関係ない」と

停止し、対象とのそれ以上のコミュニケーションを断ち切ってしまう人が大変多

いが、私が考える「教養がある人」はそうではなく、知らないなりに、それを知

ろうとして何らかのアプローチを試みようとする――そういうイメージである。

 「異文化理解とは、理解し合えないことを前提に妥協点を探す試みだ」という

言説をどこかで見たことがある。福島第一原発事故後に私が目の当たりにした絶

望的な科学コミュニケーション崩壊は、今にして思えば、そういう経験だったの

かもしれない。「科学の世界」しか知らなかった私は、あの絶望を通じて、「科学

が不要な人々の世界」があることを知った。それも私にとって「教養」となった

のだろうと思う。今はあの偉いお坊さんとも話せるような気がする。

 願わくは、和大の「みんな」――学生だけでなく、教員も、職員も、関係する

地域のみなさんも――が、「教養の森」を散策し、学問の世界の異文化コミュニケー

ションを通じて、「知」を再発見してくれんことを。

1 もちろんフランクフルト学派が云々、といった社会思想史的な文脈はあるが、ここではもっと単純に「こ

の人をそう言わしめたのは何か?」程度の話である。

2 私は一応、放射線取扱主任者第一種の免許を持っている。

3 そういう人々の中には過激な人もいて、その人達にとっては科学技術が暴走していなければならないの

で、そのためには今の福島県は人の住めない地獄であらねばならないようなのである。そんな誤った認

識のデマは声が大きいがゆえに流布しやすく、現在福島県で平穏無事に暮らしている人々を二重・三重

に苦しめている。

4 私はこの歌が日本をダメにしたトドメの一撃だったと考えている。

5 ひょっとするとそう見えることこそ私のルサンチマンなのかもしれないが、話がややこしくなるのでそ

れはひとまず置いておくことにする。

6 生徒達は「理系科目」を選ぶ人は「論理的な人でなければならない」と考えているようなのである‥‥

実際には科学系文化よりも人文社会系文化のほうがはるかに精密な「論理」を要求されることは、まだ

知らない。

7 この絶望感を知ることこそ、科学普及ではない科学コミュニケーションの出発点、あるいは「学問コミュ

ニケーション」の出発点である、と今の私には思える。

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45 ◆

大学におけるこれからの教養教育について―進化教育学の視点から―

藤永  博

 進化教育学(Evolutionary Pedagogy)という分野が生まれつつあるそうです。

ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケル(1834 〜 1919)が提唱した「反復説」

と発生生物学や分子生物学、脳・神経科学等の最新の知見に基づき、教育を生物

の進化、さらには脳の発達(進化)と関連づけて確立しようとする新しい分野です。

 ヘッケルの反復説は「個体発生は系統発生を繰り返す」、すなわち「動物は受

精卵から成体になるまでの間に母親の胎内で進化の過程を辿る」と主張します。

さらに人間の成長も進化とは無関係ではなく、少なくとも生まれた後の数年間は

成長の諸段階において「進化の過程を短く要約して繰り返す」という見方をしま

す。こうした考え方は一部で好意的な評価があるものの、生物学の分野ではこれ

までに一度ならず否定されているようです。そのような説をベースに教育を語る

のは不適切かもしれませんが、生物の進化の過程、あるいは脳の発達の過程を最

も「人間的」な援助的・利他的教育行動の過程と重ね合わせる試みは、一顧に値

すると思います。

 進化教育学は、主に子育てや学童期前の早期教育に焦点を当てているようです

が、大学にもその射程は及ぶと思います。進化教育学の入門書とも言える『アイ

ンシュタインの逆オメガ—脳の進化から教育を考える』(小泉英明 [ 著 ] 文藝春

秋)に触発されて、このエッセイではヘッケルの思想の深淵を臨みつつ、最後に

大学でのこれからの教養教育について思いついたことを放言したいと思います。

 反復説の「個体発生は系統発生を繰り返す」という主張は、言い換えると、母

親の胎内で「魚類→両生類→爬虫類→哺乳類」という系統発生(進化)の過程を

辿るということです。脊椎動物の場合、脳の基本的な構造はほとんど同じで、大

脳、間脳、小脳、脳幹(中脳、橋、延髄)から成り立っています。生存本能を司

る部分から順に進化してきたと言われており、進化が進むほど大脳が大きくなり

ます。鳥類の脳は脳幹が最も発達しています。大脳新皮質はありません。両生類

の脳は魚類の脳とよく似ていますが、大脳皮質には古皮質に加えて原皮質が現れ

ました。脳幹と大脳辺縁系(原皮質と古皮質にまたがる神経回路系で情動の表出、

記憶、自律神経機能に関与)が中心的な脳機能を担います。爬虫類の脳にはヒト

で最も発達する大脳新皮質が現れますが、脳幹と大脳辺縁系が構造的にも機能的

にも大部分を占めます。

 個体発生の過程を簡単に見てみると、受精卵は分割を繰り返しながら「胚」と

なり、やがて3つの胚葉、外肺葉、中胚葉、内胚葉に分かれます。外肺葉は神経

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◆ 46

管となり、前方が脳、後方が脊髄になります。4週間ほどたつと、神経管の前方

部分には3つのふくらみ(前脳胞、中脳胞、菱脳胞)ができ、その後5つのふく

らみに分かれます。終脳、間脳、中脳、後脳(後に橋と小脳に分化)、髄脳(延髄)

です。終脳は次第に大きくなり、19 週目ころには間脳を包み込むようになります。

そして終脳の表面に大脳皮質が出現し、生まれるころには成人の脳と同じような

構造が整います。

 生まれた後も、脳は数年間でさらに急速に発達します。小泉氏は著書『アイン

シュタインの逆オメガ』の中で、こうした進化を辿る大きな流れをつかむために、

学童期に入るまでの期間を3つのステップに分けて、それぞれのステップでの重

要なポイントを挙げています。

 まず、ステップ1(生後1歳ころまで)では、乳児は脳幹と小脳、視床(間脳

の一部)がよく発達し、これらの部位は活発に活動します。「類人猿の時代」に

例えられるこの時期に最も重要なのは、養育者との「愛着(アタッチメント)」

の関係であると指摘されています。この時期に愛情をかけすぎることはなく、愛

情に満ちた働きかけは脳神経の発達にとって極めて重要だそうです。乳児は何も

わからない受け身の存在ではなく、養育者の愛情を後ろ盾に自分の感覚を使って

活発に探索活動を行っています。

 次のステップ2(1歳ころから3歳ころまで)は、例えれば「原人の時代」で、

特に重要なのは直立歩行と言語の獲得だそうです。乳児はハイハイから高這いの

時期を経て、やがて立ち上がるようになりますが、まさに人類が立ち上がるまで

の進化の過程を短く要約して辿るように見えます。言語には聴覚性言語と視覚性

言語がありますが、聴覚性言語の獲得が先だそうです。ブローカ野(発話をする

ための運動性言語野)とウェルニッケ野(意味を理解するための聴覚性言語野)

の機能が視覚機能よりも先に発達すること(進化してきたこと)に関係している

ようです。

 ステップ3(4歳から6歳まで)の段階からは「ヒトをヒトたらしめる部分」

が発達します。この時期に理性が完成するわけではありませんが、共感性の芽生

えとも言える「相手の考えていることを読む」能力は身につき始めます。理性を

司る大脳新皮質の前頭前野の発達はヒトの成長の最終過程だそうです。

 進化教育学は、「小学校に上がる前に先手を打って子どもを教育しよう」「早い

うちに大人のできることをやらせよう」という最近の早期教育推進の風潮に警鐘

を鳴らします。ステップ3の時期までの教育で重要なポイントは、「始めに感動

ありき」「最初に本物を与える」だそうです。本物を体験して感動し、情動が鍛

えられることによって「何かをやりたい」という強く前向きな快感情(情動)を

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47 ◆

生み出すことができるようになります。この情動が技術よりも前に必要であると

いうのが進化教育学の主張のひとつです。

 進化の過程において、手指や、手、足が自由に複雑に使えるようになったこと

が、エポック・メイキングなイベントだったと言われています。こうしたことが、

五感と運動のつながり、すなわち脳の連合野(知性や感性を司る部分)の発達(進

化)につながります。アインシュタインの脳に認められた運動野の逆オメガ状の

発達と、彼のヴァイオリン演奏、知性・感性の関係が『アインシュタインの逆オ

メガ』の主題のひとつです。

 ここまで私の創見のようなものは一切なく、この書籍で書かれていることの受

け売りになってしまいましたが、最後に私の「放言」です。もしかすると異端の

説かもしれないヘッケルの「反復説」と進化教育学の影響をまともに受けています。

 「大学における教養教育の「課程」も、進化の過程あるいは乳幼児期の成長の

過程を短く要約して辿ってみてはどうでしょう。」

 まず学生に必要なのは「本物の学び」がもたらす「感動」です。本物の学びを

提供する授業とはどのような授業か、学生が感動する授業とはどのような授業か、

問い続けなければなりません。感動は学生が大学と「愛着」関係を築くきっかけ

になります。大学は学生に「愛情」を注ぎ、学生はそれを後ろ盾にそれぞれの「世

界」で主体的に探索行動を始める。これがステップ1です。

 次に必要なのは「直立歩行」です。勿論メタファーですが、現実問題として、

学生はもう一度自分の足で立ちあがり、自分の足で歩き、探索行動をする必要が

あると思います。身体の「操作性」も強化しなければなりません。五感の洗練は

臨界期を過ぎているので無理だそうですが、脳の可塑性は「運動神経の再生」を

保証してくれます。幼児期よりも少し時間はかかるかもしれませんが、四肢を思

い通りに、思う存分に使えるようになって欲しいです。大学の体育の課題であり、

突き詰めれば「身体知としての教養」につながると思います。「言語獲得」も重

要です。ただし、聴覚性(発話性)の言語が先でしょう。これがステップ2です。

 やはり教養教育のステップ3は「ヒトをヒトたらしめる部分」です。筆者の力

量では、このエッセイで「教養とは何々である」という究極の答えを導き出すこ

とはできません。またもや既刊書のお世話になります。筆者にとって最も飲み込

みやすい定義をあえてあげるとすると次のふたつです。

 教養とは「他者とコラボレーションする能力」である。

 (『街場の教育論』内田樹 [ 著 ] ミシマ社)

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教養があるとは「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになに

ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」を

意味する。

 (『「教養」とは何か』 阿部謹也 [ 著 ] 講談社現代新書 講談社)

 マイケル・トマセルは著書『ヒトはなぜ協力するのか』(マイケル・トマセル

[ 著 ] 橋彌和秀 [ 訳 ] 勁草書房)で、協力・共感の発達と進化について考察をし

ています。彼は、「ヒトの子どもだけは、生まれながらにして協力的である。協

力の基底にある心理的過程こそがヒト独自の多様な文化や制度を支えている」と

主張しています。ヒトは生まれながらに協力的なのに、教育が、あるいは社会が

それを堕落させるのでしょうか。

 トマセルは第2章「インタラクションから社会制度」を次のように締めくくっ

ています。

   もちろん、「ヒトは協力する天使たちだ」というわけではありません。ありとあらゆる

憎むべき行為を行うのに力を合わせることだってあります。しかし、そういった行為が、

同じ集団の内部に向けられることはあまりありません。近年の進化モデルは、政治家た

ちがこのことを昔から知っていたことを示しています。ひとびとが協働し、ひとつの集

団として考えるように仕向ける最良の方法は、敵を特定し、「かれら」が「わたしたち」

を脅かしていると非難することなのです。要するに、ヒトのすぐれた「協力する能力」は、

おもに局所的集団内のインタラクションに向けて進化したようなのです。このような「協

力におけるこころの集団志向性」こそが、皮肉なことかもしれませんが、今日の世界に

おける対立や苦痛の主な要因となっています。解決策は—言うは易くおこなうは難しで

すが—集団を定義するあらたな方法を見出すことです。

 「集団を定義するあらたな方法を見出すこと」、このメタ認知的活動こそが、今

日の教養教育の最重要課題のひとつだと思います。2015 年、年明け早々にフラ

ンスで起こった悲劇のすべての「犠牲者」の方々に哀悼の意を表します。

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49 ◆

図書館と教養

渡部 幹雄

 日本の公共図書館の戦後の発展過程を概観すると、1950 年に図書館法が公布さ

れて大都市や県立図書館が漸次整備され、1960 年代の後半以降に中小都市図書館

が整備されるという展開であった。一方同じように日本を代表する社会教育施設

の一つである公民館は農山村漁村等の小さな自治体である町村部を中心に展開し、

1960 年代には殆どの自治体に浸透した。ところが図書館は都市部では急速に浸透

したが、町村部では牛歩の歩みであった。筆者はそうした町村部における図書館の

未設置状態を解消することをライフワークとして今日まで歩んできた。今図書館は

都市部にあってはほぼ全国的に整備を終えた段階にある。ところが町村部では近年

随分整備されたものの、図書館未設置の自治体が多数存在している。筆者は総ての

自治体に図書館網が整備されることを強く願っている。総ての自治体に図書館網が

整備されて初めて、総ての人に、いつでも、どこでも学びが保障される生涯学習体

制のインフラの整備が完成されると考えるからである。

 今は中学卒業後も、高校卒業後も、どんな所にいても—例えば地理的にハンディ

のある離島であろうと—学ぶ意思さえあれば、放送大学や通信教育によって大学

教育を受けることができるようになっている。地理的なハンディを越えて日本の

隅々までそうした学べる仕組みが確立されている。ところが大学での学びは講義

だけでなく、講義内容の時には数倍にもなる関連学習が前提となっている。そう

した関連学習を補完するのは様々な資料や書籍・情報である。そういう学びを支

える大きな存在として図書館がある。全国民に公平に生涯学習の機会を提供して

いる放送大学や通信制大学の役割が十全に果たされるためには、公共図書館が全

自治体の生活圏域に整備されることが必要である。充実した生涯学習社会を普及

させるために図書館未設置自治体の解消は急務である。付言すれば町村部は概ね

一つの中学校区であり、町村部の図書館未設置の問題は都市部の中学校区の図書

館設置の問題でもある。

 学校外学習に必要不可欠な装置としての図書館は未だ完成されていない。大都

市在住者からは放送大学や通信教育の必要性そして図書館もない地方・離島にあ

る町村部の“学びの環境”の実態は見えないが、本屋も図書館もない自治体がま

だ存在している。放送大学や通信教育における附属図書館の機能を持つ公共図書

館を全自治体が確保するまで関係者は全国的な視点を共有する必要がある。

 さて、これまで図書館の数的な問題に触れてきたが、次に公共図書館の水準に

ついて述べることにする。

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 生涯学習を推進するには、どんな小さな図書館でも放送大学や通信教育の学び

と同じ水準、もしくはそれ以上の水準が公共図書館には必要である。つまり学際

的な視点での解決を視野に入れた資料群の構築が求められる。かなり高度な専門

性の高い資料でさえ図書館のネットワークを駆使すれば利用者に提供できること

を視野に入れると、約十万冊の資料群が図書館の自前の資料として書架に配架さ

れていれば放送大学や通信教育の学習上の課題に対応が可能だと見ている。そし

てその十万冊は一例を挙げると、国史大辞典、東洋文庫、講談社学術文庫、もの

と人間の文化史シリーズ、ブルーバックス、グリーンシリーズ、平凡社ライブラ

リー、有斐閣アルマ、岩波現代全書のような蔵書群が教養書のコアの部分を形成

するイメージである。これらの資料は様々な課題解決の一助になったり、様々な

事柄について興味や関心を深めたりするのに有効な資料である。また放送大学や

通信教育の学生の学習に役立つだけでなく、他の総ての人々にとっても有効な教

養書でもある。これは筆者が地方の人口約五千人の町で約十万冊の資料の選書と

提供業務、人口約九千人の町で二十万冊以上の資料の選書と提供業務に直接携

わった経験から有効な水準だと感じている。この二つの町の図書館は、図書館界

における一般的な図書館の評価基準である人口一人当たりの貸し出し冊数におい

ても高い評価を得ることができた。世間にはベストセラー本を図書館に配置すれ

ば貸し出し冊数は伸びると考える傾向が見られなくもないが、実際はその逆で、

豊かな教養書の丁寧な選書こそが利用者増に貢献できるのである。

 人口一万人以下の小さな自治体で十万冊或いは二十万冊の資料を備えている図

書館というと、ごく稀な、例外的な図書館だと思われるかもしれないが、そうし

た図書館であれば利用者の卒業論文、博士論文の作成や単著作りを支援すること

ができる。それだけの質量の資料が豊かな教養を育むのに必要な蔵書群であると

筆者は自身の経験から考えている。和歌山大学に職を得て四年になるが、その四

年間に二百校近い大学図書館を訪問して、大学の所有する資料群とその大学の評

価(学生一人当たりの貸し出し冊数も含めた評価)が比例しているのではと(各

大学図書館の教養書のコレクションの中身を観察して)考えるに至った。知識は

万人のためにあることは言うまでもないが、その知識に万人が触れることができ

る環境にあるかどうかが肝要である。そこに先人の智慧を結び、繋ぐという図書

館員の役割と専門性が存在する。

 和歌山大学図書館の改革はまだ始まったばかりで、今教養書の入口の確保を模

索している段階にある。

 大学図書館も含めて、総ての図書館は真理に至る門であり、教養・学問の扉で

もある。

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人口約六千二百人の福島県矢祭町のもったいない図書館の書庫と閲覧室の風景。寄贈で全国から四十数万冊の本が集まって話題となった。

蔵書数約 75,000 冊の国際教養大学図書館の閲覧室風景。「本のコロセウム」をテーマとした「半円」もユニークなデザイン。(写真提供:国際教養大学)

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年報(第 1 号)GAUDEAMUS IGITUR SPARSOS CONGREGAVIT

編集・発行 和歌山大学「教養の森」センター〒 640-8510 和歌山県和歌山市栄谷 930http://www.wakayama-u.ac.jp/kyouyounomori/[email protected]

発 行 日 2015 年 3 月 31 日イ ラ ス ト 林 玲穂印   刷 中和印刷紙器株式会社

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