14
127 2014 年度 入門ミクロ経済学 B 2014 7 21 市野泰和 4-12.希少性と資源配分 それでは、この授業で学ぶことのふたつめ、「市場経済は私たちにとって良いものなのか」 に取り組んでいきましょう。 前々回のプリント、p.108 に再掲したように、イントロダクションの0-3節で、私は、次 のように宣言しました。 「経済学は、さまざまな財・サービスの生産・交換・消費を通して実現する私たちの幸せに ついて考える学問である」(プリント p.3財やサービスはすべて、人の労働力、土地、天然資源など、いろんな資源を組み合わせて 生産されます。私たちはみんな、できるだけたくさんの種類の財・サービスを、できるだけ たくさん欲しいと思っていますが、私たちがほしいと思う気持ちをすべて満たすほどに十分 な種類と量の財・サービスを生産することはできません。このように、私たちの欲しいと思 う気持ちを満たすほどに十分に資源や財・サービスがない場合、それらの資源や財・サービ スは希少である、と言います。この世にあるほとんどすべての資源も、ほとんどすべての財 やサービスも、希少です。生産されうるさまざまな財やサービスの種類・量よりも、私たち がほしいと思う気持ちのほうが、はるかに大きいのです。 そうすると、私たちは、「割り当て」をしなければなりません。さまざまな使いみちのある 希少な資源をどのように組み合わせて、どんな財やサービスをどれだけ作るのかということ、 そして、作られた財やサービスを誰がどれだけ消費するのかということ、それが「割り当て」 です。「割り当て」のことを、経済学では、資源配分と言います。 つまり、資源配分とは、この世の中で生産されうるさまざまな財やサービスについて、 何を、どれだけ生産し、消費するのか 誰がどれだけその財やサービスを生産するのか 誰がどれだけその財やサービスを消費するのか を決めることです。 それは、ある一つの財またはサービスについて、例えば、ヨガの個人レッスンについて言う と、 ヨガの個人レッスンを全部でどれだけ生産し、消費するのか 誰がどれだけヨガの個人レッスンを生産するのか 誰がどれだけヨガの個人レッスンを消費するのか を決めることが、資源配分です。

2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

  • Upload
    lequynh

  • View
    216

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

127

2014 年度 入門ミクロ経済学 B

2014 年 7 月 21 日

市野泰和

4-12.希少性と資源配分

それでは、この授業で学ぶことのふたつめ、「市場経済は私たちにとって良いものなのか」

に取り組んでいきましょう。

前々回のプリント、p.108 に再掲したように、イントロダクションの0-3節で、私は、次

のように宣言しました。

「経済学は、さまざまな財・サービスの生産・交換・消費を通して実現する私たちの幸せに

ついて考える学問である」(プリント p.3)

財やサービスはすべて、人の労働力、土地、天然資源など、いろんな資源を組み合わせて

生産されます。私たちはみんな、できるだけたくさんの種類の財・サービスを、できるだけ

たくさん欲しいと思っていますが、私たちがほしいと思う気持ちをすべて満たすほどに十分

な種類と量の財・サービスを生産することはできません。このように、私たちの欲しいと思

う気持ちを満たすほどに十分に資源や財・サービスがない場合、それらの資源や財・サービ

スは希少である、と言います。この世にあるほとんどすべての資源も、ほとんどすべての財

やサービスも、希少です。生産されうるさまざまな財やサービスの種類・量よりも、私たち

がほしいと思う気持ちのほうが、はるかに大きいのです。

そうすると、私たちは、「割り当て」をしなければなりません。さまざまな使いみちのある

希少な資源をどのように組み合わせて、どんな財やサービスをどれだけ作るのかということ、

そして、作られた財やサービスを誰がどれだけ消費するのかということ、それが「割り当て」

です。「割り当て」のことを、経済学では、資源配分と言います。

つまり、資源配分とは、この世の中で生産されうるさまざまな財やサービスについて、

何を、どれだけ生産し、消費するのか

誰がどれだけその財やサービスを生産するのか

誰がどれだけその財やサービスを消費するのか

を決めることです。

それは、ある一つの財またはサービスについて、例えば、ヨガの個人レッスンについて言う

と、

ヨガの個人レッスンを全部でどれだけ生産し、消費するのか

誰がどれだけヨガの個人レッスンを生産するのか

誰がどれだけヨガの個人レッスンを消費するのか

を決めることが、資源配分です。

Page 2: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

128

4-13.市場経済で決まる資源配分

もう一度、ヨガのレッスンの需要と供給のグラフにもどり、その数値例を使って、資源配

分の問題を具体的に考えていきましょう。

需要と供給のグラフは、市場経済で実現する売買の結果を表すものです。そこでは、均衡

価格が決まり、均衡取引量が決まります。そして、誰がどれだけ生産をし、誰がどれだけの

消費をするのかも決まります。この例では、それは次のように決まっています。

図4-13.ヨガの個人レッスンの需要と供給のグラフ

表4-13.市場経済で決まるヨガの個人レッスンの資源配分の結果

全部でどれだけ生産し

消費するのか 誰がどれだけ生産

するのか 誰がどれだけ消費

するのか 4 回 近藤が 1 回

沖田が 2 回 永倉が 1 回

坂本が 1 回 西郷が 2 回 木戸が 1 回

つまり、市場経済とは、均衡価格と均衡取引量を決めることを通して、誰がどれだけその

財を生産し、誰がどれだけその財を消費するのかを決める、資源配分を行う方法の一種であ

ると見なすことができます。需要と供給のグラフは、市場経済で実現する売買の結果を表す

と同時に、市場経済で決まる資源配分の結果を表すものです。

4-14.さまざまな資源配分の結果

市場経済とは、ある財について、その生産量・消費量を決め、誰がどれだけその財を生産

Page 3: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

129

し、誰がどれだけその財を消費するのかも決める、という意味で、資源配分を行う方法の一

種であることがわかりました。そうすると、いま私たちが答えようとしている問い、「市場経

済は私たちにとって良いものなのか」という問いは、「資源配分を行う方法として、市場経済

は優れたものなのか」と言い換えることができます。

そこで、ここからは、市場経済が決める資源配分の結果と、それ以外にありうるさまざま

な資源配分の結果とを比べ、市場経済が決める資源配分の結果が良いものなのかどうかを考

えていきましょう。

ヨガの個人レッスンの数値例を引き続き使います。市場経済で決まる資源配分の結果以外

にありうるさまざまな資源配分の結果というのは、例えば、次のようものです。

表4-14.ヨガの個人レッスンの数値例における、さまざまな資源配分の結果

全部でどれだけ生産し

消費するのか 誰がどれだけ生産

するのか 誰がどれだけ消費

するのか 総余剰

(1) 4 回 近藤が 1 回 沖田が 2 回 永倉が 1 回

坂本が 1 回 西郷が 2 回 木戸が 1 回

11500 円

(2) 4 回

近藤が 1 回 沖田が 1 回 永倉が 1 回 斎藤が 1 回

坂本が 1 回 西郷が 1 回 木戸が 1 回 高杉が 1 回

(3) 2 回 沖田が 1 回 斎藤が 1 回

坂本が 2 回

(4) 6 回 近藤が 2 回 沖田が 2 回 永倉が 1 回 斎藤が 1 回

坂本が 2 回 西郷が 2 回 木戸が 1 回 高杉が 1 回

・・・ ・・・ ・・・

表4-14の (1)は、市場経済で決まる資源配分の結果です。そして、(2)から(4)は、それ

以外にありうる資源配分の結果の例です。(2)は、(1)と同じように、社会全体で見て 4 回のレ

ッスンを生産し消費する資源配分なのですが、レッスンを開くのは 4 人の生産者が 1 回ずつ

であり、レッスンを受けるのも 4 人の消費者が 1 回ずつであるという資源配分です。また、

(3)は、社会全体見て 2 回のレッスンを生産し消費することにした場合の資源配分結果のひと

つです。それから、(4)は、全部で 6 回の生産と消費がある資源配分で、生産者全員が自分の

生産できる量をすべて生産し、消費者全員が自分の消費できる量をすべて消費した場合の資

源配分です。

次に私たちがしたいのは、これらの資源配分の結果を評価することです。その評価の基準

として、私たちは、総余剰を使います。

プリント p.113 で示したように、総余剰は、

総余剰 = 消費者の限界支払用意の合計 - 生産者の限界費用の合計

と表されます。つまり、総余剰とは、消費者たちにとっての、その財を消費することのトー

Page 4: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

130

タルの価値(それは、限界支払用意の合計で測られています)から、消費者たちにそのトー

タルの価値をもたらすために生産者たちにかかったトータルの費用(それは、限界費用の合

計で表されています)を引いたものです。どの資源配分結果においても、ヨガの個人レッス

ンというサービスを生産する人と、生産されたサービスを消費する人がいるのですから、そ

れぞれの資源配分結果における生産・交換・消費からの利益を測るものとして、総余剰を使

うのは妥当なことだと言えます。

【問題4-14】総余剰 = 消費者の限界支払用意の合計 - 生産者の限界費用の合計

という式で総余剰は計算されます。このことを踏まえ、以下の表にある数値を使って、表4

-14の(2)、(3)、(4)の資源配分結果での総余剰を計算してください。

表4-3.数値例:ヨガの個人レッスンへの限界支払用意(再掲) 1 回目のレッスンへの限界支払用意 2 回目のレッスンへの限界支払用意 坂本 6000 円 3000 円 西郷 5500 円 5000 円 木戸 4000 円 - 高杉 2000 円 -

表4-4.数値例:ヨガの個人レッスンの限界費用(再掲) 1 回目のレッスンの限界費用 2 回目のレッスンの限界費用 近藤 1000 円 4500 円 沖田 2000 円 3500 円 永倉 2500 円 - 斎藤 5500 円 -

4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

前節では、市場経済で決まる資源配分の結果と、それ以外のいくつかの資源配分の結果と

を比べ、市場経済で決まる資源配分結果のほうが総余剰が大きいことを示しました。実は、

市場経済で決まる資源配分の結果はつねに、最大の総余剰をもたらします。つまり、「市場経

済は私たちにとって良いものなのか」という問いに対し、「市場経済は、ほかのどんな資源配

分の方法と比べても、いちばん大きい総余剰をもたらすという意味で良いものなのだ」と答

えることができるのです。そのことをこれから確かめていきましょう。

4-15-1.市場経済で決まる資源配分結果の特徴

市場経済で決まる資源配分の結果は、次の 3 つの特徴を持ちます。

特徴 1:ある財またはサービスを全部でどれだけ生産し消費するのかというと、市場経済で

決まる資源配分の結果では、需要曲線と供給曲線が交わるところの量(=均衡取引量)を生

産し消費することになります。

Page 5: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

131

特徴 2:その財またはサービスを誰がどれだけ生産するのかというと、市場経済で決まる資

源配分の結果では、均衡価格よりも低い限界費用で生産できる生産者たちが、限界費用=価格

となるところ(または、限界費用が価格を上回る直前)までを生産することになります。

特徴 3:その財またはサービスを誰がどれだけ消費するのかというと、市場経済で決まる資

源配分の結果では、均衡価格よりも高い限界支払用意を見いだしている消費者たちが、限界

支払用意=価格となるところ(または、限界支払用意が均衡価格を下回る直前)までを消費

することになります。

図4-15-1.市場経済で決まる資源配分(ヨガの個人レッスンの数値例)

図4-15-2.市場経済で決まる資源配分

Page 6: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

132

この 3 つの特徴から、市場経済で決まる資源配分の結果では、総余剰が最大になっている

ということを示すことができます。

4-15-2.市場経済では、誰がどれだけ生産するのか・誰がどれだけ消費するのか

特徴 1 はちょっと置いといて、先に、特徴 2 と特徴 3 を見ます。つまり、生産量と消費量

はすでに均衡取引量で決まったものとして、その量を生産するのは誰なのか、消費するのは

誰なのかというのを考えましょう、ということです。

特徴 2 にあるように、市場経済では、均衡価格よりも低い限界費用で生産できる生産者た

ちが、限界費用=価格となるところ(または、限界費用が価格を上回る直前)まで生産します。

これは、生産者全体の供給曲線のグラフで見れば、均衡取引量までの生産量を、限界費用の

低い生産者から順に生産している、とみなすことができます。つまり、市場経済では、均衡

取引量を生産するのにかかる限界費用の合計がもっとも少なくて済むように、生産者と、そ

れぞれの生産者の生産量が決められていることになります。(ヨガの個人レッスンの例では、

均衡取引量である 4 回のレッスンが、近藤によって 1 回、沖田によって 2 回、永倉によって

1 回、生産されることになります。これは、4 回のレッスンを生産するのにいちばん限界費用

の合計が少なくなるような生産者と生産量の組み合わせです。) ひらたく言えば、限界費用

が低いという意味でその財またはサービスを生産するのがもっとも得意な人たちが生産をし

ている、ということです。

次に、特徴 3 を見ましょう。市場経済では、均衡価格よりも高い限界支払用意を見いだし

ている消費者たちが、限界支払用意=価格となるところ(または、限界支払用意が均衡価格

を下回る直前)までを消費します。これは、消費者全体の需要曲線で見れば、均衡取引量ま

での消費量を、限界支払用意の高い消費者から順に消費している、とみなすことができます。

つまり、市場経済では、均衡取引量を消費することに対する価値(それは、限界支払用意の

合計=総支払用意で測られています)が最も高くなるように、消費者と、それぞれの消費者

の消費量が決められていることになります。(ヨガの個人レッスンの例では、均衡取引量であ

る 4 回のレッスンが、坂本によって 1 回、西郷によって 2 回、木戸によって 1 回、消費され

ることになります。これは、4 回のレッスンを消費するのにいちばん限界支払用意の合計が

大きくなるような消費者と消費量の組み合わせです。)くだけた言い方をすれば、限界支払用

意が高いという意味でその財またはサービスを最も欲しがっている人たちが消費をしている、

ということです。

総余剰は、

総余剰 = 消費者の限界支払用意の合計 - 生産者の限界費用の合計

ですから、生産量・消費量が均衡取引量となっているのなら、その量で消費者の限界支払用

意の合計を最大にし、生産者の限界費用の合計を最小にすれば、総余剰は最大になります。

Page 7: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

133

4-15-3.市場経済では、全部でどれだけの量を生産し消費するのか

それでは最後に特徴 1 について考えます。市場経済では、消費者全体の需要曲線と生産者

全体の供給曲線が交わるところの量(=均衡取引量)を生産し消費することになります。こ

の均衡取引量で総余剰は最大になるのですが、それはなぜかを以下で説明しましょう。

かりに、均衡取引量よりも少ない量が生産・消費されているとします(図4-15-3-

1の Q1)。この量では、需要曲線のほうが供給曲線よりも上にあるため、限界支払用意>限

界費用となっています。つまり、Q1から追加的にもう 1 単位を生産すると、その追加的な 1

単位を消費することに対して、限界費用よりも高い限界支払用意を持っている消費者に消費

をさせてやることができますから、そのような追加的な生産・消費を行うことによって総余

剰は増えます。総余剰が増えるということは、Q1 では、まだ総余剰は最大にはなっていない

ということです。(今いる場所が「登り」なら、そこは「頂上」ではありませんよね。)

この議論は、均衡取引量よりも少ない量ではどこでも成り立ちますから、均衡取引量より

も少ない量では、総余剰は決して最大にはなりません。

図4-15-3-1.均衡取引量よりも少なく生産・消費している場合

同じことを、ヨガの個人レッスンの例(図4-15-3-2)で説明します。全体で 2 回

のレッスンが生産・消費されているところからさらにもう 1 単位、全体で 3 回目のレッスン

が生産・消費されるとしましょう。全体で 3 回目のレッスンは永倉によって 2500 円の限界費

用で生産され、そのレッスンを受けることに 5000 円の限界価値を見いだしている西郷によっ

て消費されます。西郷にとって 5000 円の限界価値のあるレッスンがたかだか 2500 円の限界

費用で永倉によって生産されるわけですから、全体で 3 回目のレッスンを生産し消費するこ

とで、その限界支払用意と限界価値の差額、5000 円-2500 円=2500 円ぶんだけ、総余剰は

増加することになります(図4-15-3-2での網かけの部分の面積が、全体で 3 回目の

生産と消費を行うことによる総余剰の増加分にあたります)。

Page 8: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

134

図4-15-3-2.均衡取引量よりも少なく生産・消費している場合:

ヨガの個人レッスンの例

つまり、均衡取引量よりも少ない回数のレッスンしか生産していないときには、そのレッ

スンに対して限界費用よりも高い限界価値を見いだしている人がまだいるのに、その人にレ

ッスンを消費させてやることができなくなっています。それは、せっかくの取引の機会を活

かすことができないという意味で、もったいないですよね。

今度は、かりに、均衡取引量よりも多い量が生産・消費されているとします(図4-15

-3-3の Q2)。この量では、供給曲線のほうが需要曲線よりも上にあるため、限界費用>

限界支払用意となっています。つまり、Q2単位目を追加的に生産しても、その追加的な 1 単

位を消費することに対して、限界費用よりも高い限界支払用意を持っている消費者は誰もい

ないということです。したがって、Q2 単位目を追加的に生産・消費することで総余剰は減り

ます。総余剰が減っているということは、Q2 では総余剰は最大になっていないということで

す。(今いる場所が「下り」なら、そこは「頂上」ではありませんよね。) 逆に、Q2 から生

産量・消費量を減らしたほうが総余剰は増えます。

この議論は、均衡取引量よりも多い量ではどこでも成り立ちますから、均衡取引量よりも

多い量では、総余剰は決して最大にはなりません。

Page 9: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

135

図4-15-3-3.均衡取引量よりも多く生産・消費している場合

同じことを、またまた、ヨガの個人レッスンの例(図4-15-3-4)でも説明します。

全体で 6 回のレッスンが生産・消費されているところから、その 6 回目の生産と消費をやめ

るとしましょう。全体で 6 回目のレッスンは斎藤によって 5500 円の限界費用で生産され、そ

のレッスンを受けることに 2000 円の限界価値を見いだしている高杉によって消費されてい

ます。斎藤によって 5500 円もの限界費用をかけて生産されたレッスンなのに、それはたかだ

か 2000 円の限界価値しか高杉にもたらすことができていないので、全体で 6 回目のレッスン

の生産と消費は、その差額、5500 円-2000 円=3500 円の損失を生み出しています。ですか

ら、全体で 6 回目のレッスンの生産と消費をやめれば、総余剰は 3500 円分回復することにな

ります(図4-15-3-4での網かけの部分の面積が、6 回目の生産と消費をやめること

による総余剰の回復分にあたります)。

図4-15-3-4.均衡取引量よりも多く生産・消費している場合:

ヨガの個人レッスンの例

Page 10: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

136

つまり、均衡取引量よりも多い回数のレッスンを生産しているときには、高い限界費用をか

けてレッスンを生産したものの、その限界費用よりも高い限界価値を見いだしている人は誰

もいないことになっています。そんなレッスンを生産するのは、生産にかかる資源の無駄使

いで、もったいないことですよね。

いっぽう、均衡取引量においては、需要曲線の高さと供給曲線の高さが同じですから、限

界費用=限界支払用意となっています(図4-15-3-5)。これはつまり、均衡取引量を

Q*とすると、Q*単位目を追加的に生産・消費するときには、その追加的な生産にかかる限界

費用とちょうど同じだけの限界価値が消費者にもたらされているということです。したがっ

て、均衡取引量において、総余剰は増えもせず減りもしていません。

図4-15-3-5.均衡取引量で生産・消費している場合

このことと、これまでの議論で明らかにした、均衡取引量よりも少ない量では総余剰が増

えており、均衡取引量ではよりも多い量では総余剰が減っている、ということとをあわせて

考えると、

均衡取引量よりも少ない量 均衡取引量 均衡取引量よりも多い量

総余剰は増えている 総余剰は増えも減りもしない 総余剰は減っている

ということがわかります。したがって、均衡取引量で総余剰が増えも減りもしないというの

は、均衡取引量で総余剰が最大になっているということです。

4-15-4.市場経済は私たちにとって良いものなのか:解答

この節の議論をまとめましょう。

市場経済では、均衡取引量を生産するのにかかる限界費用の合計が最も小さくなるように、

生産者と、それぞれの生産者の生産量が決まります。また、均衡取引量を消費することの限

Page 11: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

137

界支払用意の合計が最も大きくなるように、消費者と、それぞれの消費者の消費量が決まり

ます。そして、均衡取引量が生産され消費されるのですが、それは、総余剰を最大にする取

引量です。

こうして私たちは、「市場経済は私たちにとって良いものなのか」という問いへの答えを得

ました。

【定理4-15】市場経済は総余剰を最大にするという意味で良いものである。

この定理は需要と供給のグラフから導き出されました。そして、需要と供給のグラフは、

一人ひとりの消費者と生産者が消費者全体・生産者全体と比べて非常に小さいという状況に

おいて、彼らが自分の利益のことだけを考えて自由に自発的に売買を行った結果として決ま

る価格と取引量を表すものです。したがって、この定理が意味していることは、ある財につ

いて、多くの消費者・生産者がいるなかで、一人ひとりの消費者と生産者が自分の利益を追

求して自由に自発的に売買を行えば、その結果として社会全体の利益は最大になるのだ、と

いうことです。

4-16.総余剰を最大にすること

プリント p.113 に書いたように、総余剰のみなもとは消費です。人々が財やサービスを消費

することから得る満足や喜びから総余剰は生み出されます。どんなにさまざま種類の財やサ

ービスがどんなにたくさん生産されても、それが誰にも消費されないのなら、総余剰は生ま

れません。したがって、総余剰を大きくするためには、財やサービスを消費することから得

られる満足や喜び、すなわち、総支払用意(=限界支払用意の合計)を大きくしなければな

りません。同じ財なら、その財をたいして欲しくないという人よりも、すごく欲しいという

人に消費させてあげるほうがいいということです。そして、市場経済は、まさにそのことを

実現しています。市場経済では、均衡価格よりも高い限界支払用意を持つ消費者たちだけに

その財を消費させることで、総余剰を最大にしています。

このように、市場経済では、限界支払用意の高い人順にその財が渡されることになるので

すが、そうすると、限界支払用意はそんなに高くないけれどその財を欲しいと思っている人

だっているはずで、そういう人がその財を消費することができないのはかわいそう、あなた

は思うかもしれません。では、限界支払用意の高い順の代わりに、何の順でその財を配れば

いいのでしょうか。背の順でしょうか、それとも走るのが早い順、名字のあいうえお順にし

ますか。そうすると、背の低い人や走るのが遅い人、渡辺さんとか和田さんがその財を消費

できなくなって、かわいそうです。抽選にすれば、はずれた人がかわいそうですし、早い者

勝ちで、朝早くから並んだ順にすれば、いそがしい人がかわいそうです。つまり、どんな財・

サービスでも、生産された量よりも消費者が消費したいと思っている量のほうが多いのなら、

何らかのルールに基づいてその財をどの人に消費をさせてあげるのかを決めなければなりま

せん(まさにそれが資源配分です)。そして、その際には、必ず、その財を消費することがで

Page 12: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

138

きなくてかわいそうな人が出てきます。

限界支払用意が高い順というのは市場経済による財の配分方法なのですが、それ以外の方

法で財を消費者に配分すると、結局のところ、その財をさほど欲しくない人がその財を消費

することになったり、その財を強く欲しがっている人がその財を消費できなくなったりしま

す。どのような方法で配分をしてもその財を消費できなくてかわいそうな人は必ず出てくる

のですから、それなら、消費できない人は、その財を強く欲しがっている人よりも、その財

をあまり欲しくない人であるほうがまだましです。

また、限界支払用意の高い順に財を配分し、総余剰をできるだけ大きくするというのは、

そこから分けなおすことのできる全体の利益をできるだけ大きくすることなのだ、と考える

ことができます。例えば、ヨガの個人レッスンを誰がどれだけ消費するのかを限界支払用意

の高い順で決めたあと、ヨガの個人レッスンに対する限界支払用意が低いためにそれを消費

できなかった人たちをかわいそうに思うのなら、ヨガの個人レッスンを消費することで高い

満足を得た人たちから少しずつ税金を取り、その税金を財源にして、ヨガの個人レッスンを

消費することのできなかった人たちに補助金を与えればいいのです。そうすれば、その人た

ちは、彼らがヨガの個人レッスンよりも強く欲しいと思っているほかの財やサービス(例え

ばそれは、ストレッチのレッスンとか、ダンスのレッスン、あるいはヨガのグループレッス

ンやヨガの DVD などかもしれません)を自由に選んで消費することができるようになります。

そのほうが、限界支払用意の高い人にヨガの個人レッスンを受けさせず、限界支払用意の低

い人にヨガの個人レッスンを受けさせるようなことをするよりも、消費者全体の利益は大き

くなります。

それでもやはり、限界支払用意が低いためにその財を消費できない人がいるのはかわいそ

うだから、欲しいと思っている消費者全員がその財を手に入れることができるように、じゅ

うぶんたくさんの量を生産すればいいじゃないか、とあなたは思うかもしれません。しかし、

そうすると今度は、限界費用が限界支払用意よりも高い人にその財を生産してもらわなけれ

ばなりません。それは、端的に言えば、そんなもの作るのはしんどくていやだよ、という人

にその財を無理やり作らせるということです。それはまた、別のかわいそうな人を生み出す

だけです。

市場経済による資源配分は、残念ながら、すべての人を同じくらい幸せにしません。ある

財・サービスについて見ると、その財を消費できる人もいれば消費できない人もいますし、

その財・サービスの消費から得る消費者余剰の大きさも一人ひとり異なるでしょう。しかし、

市場経済は、総余剰を最大にすることができます。総余剰を最大にすることは、そこから分

けなおすことのできる全体の利益をできるだけ大きくするという意味では、社会全体にとっ

て望ましいことです。これが、経済学において、市場経済による資源配分が好まれる理由で

す。

Page 13: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

139

4-17.おわりに:ここからがはじまり

これで、入門ミクロ経済学の授業は終わりです。しかし、あなたの経済学の勉強はここか

らが始まりです。この授業の内容はもちろん、経済学の基礎となる重要なものでしたが、そ

れは、経済学のなかのほんの小さい一部分にすぎません。あなたはこれから、経済学部の他

のさまざまな科目を勉強することで、この授業では取り上げることのできなかった、あなた

にとって、あるいはこの社会にとって、大事な問題がたくさんあることを知り、経済学を使

ってそれらの問題をどのように解決していけばいいのかを知るようになります。いくつか例

を挙げましょう。

市場経済を記述するのに、需要と供給のグラフが適切ではない場合もあります。それは例

えば、買い手全体を相手にすることができる大きな売り手(企業)が一人だけいる、または

数人だけいる場合です(売り手が一人しかいない場合を独占、売り手が一人ではないが少数

しかいない場合を寡占(かせん)と呼びます)。独占や寡占の場合、「価格は何を表している

のか」と「市場経済は良いものなのか」という問いへの答えはどうなるのか、それは、産業

経済や産業組織、情報通信・エネルギー産業やネットワークエコノミクスで学ぶことができ

ます。

この授業では、総余剰は、その財を売買している人たちの間のみで発生するものだと考え

ていました。ところが、ある財やサービスを生産するときに公害が発生したり、ある財やサ

ービスを消費するときに環境の悪化を引き起こしたりする場合には、その財の消費者や生産

者以外にも影響をもたらします。その場合、「市場経済は良いものなのか」という問いへの答

えはどうなるのか、それは、環境経済で学ぶことができます。

はっきりとそのようには言っていませんでしたが、この授業では、消費者は、自分が買お

うとしている財・サービスがどのようなものかを完璧に知っていると想定していました。そ

れは例えば、食品の原材料偽装とか産地偽装などの問題、あるいは、買った家が欠陥住宅だ

ったとか、診察してもらった医者がヤブ医者だった、などという問題は存在もしない、とい

うことなのですが、そんなことはありませんよね。そのような問題が起こりうるとき、「市場

経済は良いものなのか」という問いへの答えはどうなるのか、それは、上級ミクロ経済学で

学ぶことができるでしょう。

p.138 で見たように、市場経済による資源配分は、すべての人を同じくらい幸せにしません。

残念ながら、総余剰を最大にすることは、貧しい人や困っている人を助けることをただちに

は意味しないのです。貧しい人や困っている人をどうやって助ければいいのか、また、貧し

い人や困っている人を助けるにあたって政府はどんなことができるのか、という問いへの答

えは、公共経済や公共政策、財政や地方財政、経済政策などで学ぶことができるはずです。

この授業では、売りたい人と買いたい人が合意するなら、売買は何の問題もなくスムーズ

Page 14: 2014 年度 入門ミクロ経済学 B - 甲南大学¿‘藤 1000円 4500円 沖田 2000円 3500円 永倉 2500円 - 斎藤 5500円 - 4-15.市場経済は私たちにとって良いものなのか

140

に成り立つものと考えていました。つまり、売買のさい、この人は売買する相手として信頼

に足る人なのかどうかということをわざわざ考えなくてもすむような社会にいま私たちはい

るということを暗黙の前提としていたのですが、そのような前提が成り立つ社会はいったい

どうやってできているのでしょうか。この問いへの答えは、上級ミクロ経済学や行動経済学

(行動経済学は、現代日本経済という科目名で提供されています)で学ぶことができます。

***

大学生のみなさんはきっと、大学時代の 4 年間で、成長したい、大人になりたい、いろん

な能力やさまざまな考え方を身につけたい、と思っているでしょう。そのためには、どうぞ、

勉強をしてください。たくさんの本を読んでください。あなたの知っている大人のなかには、

「大学時代の勉強なんて何の役にも立たなかった」という人がいるかもしれませんが、気を

つけてください、その人はもしかしたら、大学時代に何の勉強もしなかった人かもしれない

ですよ。

あなたは、自分の成長のために、机に向かって勉強するんじゃなくて、いろんなことを経

験したい、体験したいと思っているかもしれません。でも、自分の持っている時間は限られ

ていますから、そんなに多くのことを経験することはできません。いっぽうで、学問には、

これまで生きていた人間たちの経験や体験と、それらの経験や体験から彼らが考えたことが

整理され分類されてコンパクトにまとめられています。つまり、学問を勉強することは、他

の人の経験や考えを自分のものとして取り込むことなのです。勉強は、あなたを成長させる、

確実でムダのない、効果的な方法です。だからこそ、私は何度でも言います。

あなたの人生を豊かにするために、あなたは、勉強をしてください。

Education is the most powerful weapon which we can use to change the world.

―Nelson Mandela