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99. 新規神経ペプチドのリズム障害への関与 浮穴 和義 Key words:視床下部ホルモン,生殖腺刺激ホルモン,生 殖腺,リズム障害,光周期刺激 広島大学 大学院総合科学研究科 人間科学部門 生命科学研究領域 我々は,最近,鳥類のウズラを用いて,生殖腺の発達を制御している脳下垂体ホルモンである生殖腺刺激ホルモンの放出 を抑制する新規の視床下部神経ペプチドを単離・同定し,生殖腺刺激ホルモン放出抑制ホルモン(GnIH:Gonadotropin inhibitory hormone)と名付けた 1) .また,同じくウズラを用いた研究から,GnIH の発現誘導は,松果体から合成・分泌され るメラトニンにより行われていることを明らかにした 2, 3) .メラトニンは光周期刺激を内分泌情報に変換するホルモンであるため, 光周期刺激が GnIH の発現を調節していることが示唆された.光周期刺激と成長は,「寝る子は育つ」と言われるように関連が あることは明らかであるが,実際の分子メカニズムは永く不明である.さらに,夜型生活の影響から児童の早熟が問題となって おり,心と体の発達のアンバランスから生じる非行や反社会的行動が問題となっている.これらの症状は生体リズム障害とみな すことが出来る. そこで本研究では,光周期刺激・我々が見出した新規神経ペプチド・生殖腺刺激ホルモンの 3 つの関連を詳細に検討し,光 周期刺激と生殖腺の成長・発達の分子メカニズムを明らかにすることを目的とし,哺乳類のハムスターを材料に用い研究を行っ た. 生殖腺の発達・維持に対し光周期の影響を顕著に受ける動物として哺乳類のハムスターが知られている.一方,同じげっ歯類 に属するラットやマウスは光周期の影響をあまり受けないため,我々ヒトの生殖腺の発達・維持の理解に新知見をもたらすにはこの ハムスターを用いたほうがより利点があると考え,研究材料にはシベリアンハムスターを用いた.まず,シベリアンハムスターの GnIH を同定するために,5’,3’-RACE 法 4, 5) を用いて cDNA クローニングを行った.次に,同定できた cDNA 配列から予想 される前駆体タンパク質にコードされている成熟 GnIH 関連ペプチドを同定するために,抗体を用いたアフィニティー精製と質量 分析を組み合わせた方法 6, 7) から,脳内に存在する成熟ペプチドを同定した.さらに,この同定できたペプチドに対する抗体を 用いた免疫組織化学法 5) in situ ハイブリダイゼーション法 5) により発現部位を解析した.この解析を踏まえ,本研究目的で ある光周期刺激(長日条件と短日条件下で 3 ヶ月間飼育)によるシベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの発現変動を免疫 組織化学的解析・in situ ハイブリダイゼーション解析・定量的 RT-PCR 解析により検討した.この間,生殖腺の発達と維持を解 析するために精巣重量を併せて測定した.さらに,シベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの脳下垂体ホルモン放出制御活 性を解析するために,脳室内投与後に血液を回収し,生殖腺刺激ホルモンのレベルをラジオイムノアッセイ法により測定した. シベリアンハムスターの GnIH 関連ペプチドは同定されていないため,シベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの cDNA 配 列を決定した.その結果,189 アミノ酸残基からなる前駆体タンパク質をコードしていた(図 1).さらに,この前駆体タンパク質に コードされている成熟ペプチドを抗体アフィニティークロマトグラフィーと質量分析計により同定したところ,C 末端側が LPXRFamide (X=L or Q)構造のペプチド2つが成熟ペプチドとして機能していることが示唆された.さらに,このシベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドに対する抗体を作成し,脳内での発現部位を免疫組織化学法により解析すると同時に,mRNA の発現部位を in situ ハイブリダイゼーション法により解析した.その結果,シベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドは,間脳の視床下部の背 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008) 1

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Page 1: 99.新規神経ペプチドのリズム障害への関与 浮穴 和義 · 図3.同定したシベリアンハムスターGnIH関連ペプチド(h-GnIH)を短日条件下で飼育したシベリアンハムスターの脳室

99. 新規神経ペプチドのリズム障害への関与

浮穴 和義

Key words:視床下部ホルモン,生殖腺刺激ホルモン,生殖腺,リズム障害,光周期刺激

広島大学 大学院総合科学研究科人間科学部門 生命科学研究領域

緒 言

 我々は,最近,鳥類のウズラを用いて,生殖腺の発達を制御している脳下垂体ホルモンである生殖腺刺激ホルモンの放出を抑制する新規の視床下部神経ペプチドを単離・同定し,生殖腺刺激ホルモン放出抑制ホルモン(GnIH:Gonadotropininhibitory hormone)と名付けた 1).また,同じくウズラを用いた研究から,GnIH の発現誘導は,松果体から合成・分泌されるメラトニンにより行われていることを明らかにした 2, 3).メラトニンは光周期刺激を内分泌情報に変換するホルモンであるため,光周期刺激が GnIH の発現を調節していることが示唆された.光周期刺激と成長は,「寝る子は育つ」と言われるように関連があることは明らかであるが,実際の分子メカニズムは永く不明である.さらに,夜型生活の影響から児童の早熟が問題となっており,心と体の発達のアンバランスから生じる非行や反社会的行動が問題となっている.これらの症状は生体リズム障害とみなすことが出来る. そこで本研究では,光周期刺激・我々が見出した新規神経ペプチド・生殖腺刺激ホルモンの 3 つの関連を詳細に検討し,光周期刺激と生殖腺の成長・発達の分子メカニズムを明らかにすることを目的とし,哺乳類のハムスターを材料に用い研究を行った.

方 法

 生殖腺の発達・維持に対し光周期の影響を顕著に受ける動物として哺乳類のハムスターが知られている.一方,同じげっ歯類に属するラットやマウスは光周期の影響をあまり受けないため,我々ヒトの生殖腺の発達・維持の理解に新知見をもたらすにはこのハムスターを用いたほうがより利点があると考え,研究材料にはシベリアンハムスターを用いた.まず,シベリアンハムスターのGnIH を同定するために,5’,3’-RACE法 4, 5)を用いて cDNA クローニングを行った.次に,同定できた cDNA配列から予想される前駆体タンパク質にコードされている成熟GnIH 関連ペプチドを同定するために,抗体を用いたアフィニティー精製と質量分析を組み合わせた方法 6, 7)から,脳内に存在する成熟ペプチドを同定した.さらに,この同定できたペプチドに対する抗体を用いた免疫組織化学法 5)と in situ ハイブリダイゼーション法 5)により発現部位を解析した.この解析を踏まえ,本研究目的である光周期刺激(長日条件と短日条件下で3 ヶ月間飼育)によるシベリアンハムスターGnIH 関連ペプチドの発現変動を免疫組織化学的解析・in situ ハイブリダイゼーション解析・定量的RT-PCR解析により検討した.この間,生殖腺の発達と維持を解析するために精巣重量を併せて測定した.さらに,シベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの脳下垂体ホルモン放出制御活性を解析するために,脳室内投与後に血液を回収し,生殖腺刺激ホルモンのレベルをラジオイムノアッセイ法により測定した.

結 果

 シベリアンハムスターのGnIH 関連ペプチドは同定されていないため,シベリアンハムスターGnIH 関連ペプチドの cDNA配列を決定した.その結果,189 アミノ酸残基からなる前駆体タンパク質をコードしていた(図 1).さらに,この前駆体タンパク質にコードされている成熟ペプチドを抗体アフィニティークロマトグラフィーと質量分析計により同定したところ,C末端側が LPXRFamide(X=L or Q)構造のペプチド2つが成熟ペプチドとして機能していることが示唆された.さらに,このシベリアンハムスターGnIH関連ペプチドに対する抗体を作成し,脳内での発現部位を免疫組織化学法により解析すると同時に,mRNAの発現部位を insitu ハイブリダイゼーション法により解析した.その結果,シベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドは,間脳の視床下部の背

 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008)

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内側核に発現しており,その神経線維は脳内の広い領域に投射していることが明らかとなった.次に,本研究課題の中心的な課題であるシベリアンハムスターGnIH 関連ペプチドの発現に対する光周期刺激の効果を長日および短日条件下で形態学的及び分子生物学的に解析した.その結果,シベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの発現は,短日条件下で長日条件下に比べて有意に発現が低下することが明らかとなった(図 2).同時に生殖腺重量は長日条件に比べ短日条件下で顕著に低下した. さらに,上記の通り同定できたシベリアンハムスターGnIH 関連ペプチドを脳室内投与し,生殖腺刺激ホルモンの放出に対する効果を解析した.その結果,シベリアンハムスターGnIH関連ペプチドは,生殖腺刺激ホルモンの放出を促進することが明らかとなった(図 3). 

 図 1. cDNA 解析により明らかになったシベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの前駆体タンパク質と同定した成熟ペプチド

(下線).2つの成熟ペプチドともに C末端側の配列は LPXRFamide(X = L or Q)構造をしている.

  

 図 2. シベリアンハムスターを 3 ヶ月間長日(LD)及び短日(SD)条件下で飼育し、シベリアンハムスターGnIH関連ペプ

チド(h-GnIH)のmRNA レベルを定量的RT-PCR法により解析した結果.長日条件下より短日条件下でシベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの mRNA 発現量が有意に低下した(P<0.05).

 

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 図 3. 同定したシベリアンハムスター GnIH 関連ペプチド(h-GnIH)を短日条件下で飼育したシベリアンハムスターの脳室

内に投与し、血中の生殖腺刺激ホルモン(GTH)濃度をラジオイムノアッセイ法により定量した.シベリアンハムスターGnIH関連ペプチドは、コントロール(生理食塩水)に比べ有意に血中の生殖腺刺激ホルモン濃度を増加させた(P<0.05).

   

考 察

 今回の研究結果から,当初鳥類のウズラで発見された生殖腺刺激ホルモンの放出を抑制する作用は哺乳類のシベリアンハムスターでは見られず,逆に生殖腺刺激ホルモンの放出を促進する作用があることが示された.これは,短日条件下でシベリアンハムスターGnIH 関連ペプチドの発現が低下し,生殖腺の発達低下が導かれることと完全に一致している.つまり,次のカスケードを示している.短日条件→シベリアンハムスターGnIH関連ペプチドの発現低下→生殖腺刺激ホルモンの放出低下→生殖腺の発達低下である.これまで哺乳類で生殖腺刺激ホルモンの放出を促進する視床下部ホルモンとして生殖腺刺激ホルモン放出促進ホルモン(GnRH)が 1971 年にノーベル賞受賞者のシャリー博士とギルマン博士らにより同定されているが,このGnRHの光周期応答と生殖腺の発達の相関関係は明らかとなっていない.言い換えれば,生殖腺の光周期応答の分子メカニズムは殆ど明らかとなっていないのが現状であった.本研究により,シベリアンハムスター GnIH 関連ペプチドの発現が短日の光周期刺激により低下するという結果は,極めて重要で貴重な発見であると思われる.つまり,光周期刺激により新規神経ペプチドの発現が変化することで生殖腺の発達が制御されていることが示された.この結果と現代社会で実際に問題となっている児童の性的早熟現象とが結びつく可能性がある.夜型生活により明期の長い長日条件下となり,ヒト GnIH 関連ペプチドの発現が高まることで生殖腺の発達が促進される可能性がある.今後は,ヒトの GnIH 関連ペプチドの同定と機能解析を進める予定でいる.  本研究の共同研究者は,広島大学大学院生物圏科学研究科の井上和彦氏,早稲田大学教育・総合科学学術院の筒井和義教授である.また,本稿を終えるにあたり,本研究をご支援いただいた上原記念生命科学財団に深謝申し上げます. 

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文 献

1) Tsutsui, K., Saigoh, E., Ukena, K., Teranishi, H., Fujisawa, Y., Kikuchi, M., Ishii, S. & Sharp, P.J. : Anovel avian hypothalamic peptide inhibiting gonadotropin release. Biochem. Biophys. Res. Commun.,275:661-667, 2000.

2) Ubuka, T., Bentley, G.E., Ukena, K., Wingfield, J.C., & Tsutsui, K. : Melatonin induces the expressionof gonadotropin-inhibitory hormone in the avian brain. Proc. Natl. Acad. Sci. USA., 102:3052-3057,2005.

3) Ubuka, T., Ukena, K., Sharp, P.J., Bentley, G.E. & Tsutsui, K. : Gonadotropin-inhibitory hormoneinhibits gonadal development and maintenance by decreasing gonadotropin synthesis and release inmale quail. Endocrinology, 147:1187-1194, 2006.

4) Sawada, K., Ukena, K., Kikuyama, S. & Tsutsui, K. : Identification of a cDNA encoding a novelamphibian growth hormone-releasing peptide and localization of its transcript. J. Endocrinol.,174:395-402, 2002.

5) Sawada, K., Ukena, K., Satake, H., Iwakoshi, E., Minakata, H., & Tsutsui, K. : Novel fish hypothalamicneuropeptide: Cloning of a cDNA encoding the precursor polypeptide and identification andlocalization of the mature peptide. Eur. J. Biochem., 269:6000-6008, 2002.

6) Ukena, K., Iwakoshi, E., Minakata, H. & Tsutsui, K. : A novel rat hypothalamic RFamide-relatedpeptide identified by immunoaffinity chromatography and mass spectrometry. FEBS Lett.,512:255-258, 2002.

7) Ukena, K., Koda, A., Yamamoto, K., Kobayashi, T., Iwakoshi-Ukena, E., Minakata, H., Kikuyama, S.& Tsutsui, K. : Novel neuropeptides related to frog growth hormone-releasing peptide: Isolation,sequence, and functional analysis. Endocrinology, 144:3879-3884, 2003.

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