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第一回 がん哲学塾 ニュースレター 発行日:平成 28 5 23 神戸薬科大学 薬学臨床教育センター E-mail:[email protected] 5 月 5 日、空を見上げているだけで笑顔になれるような快晴の中、私たち、薬学臨床教育センター、沼田・横山 ゼミの 5 年生 4 人(浅田、高橋、武、朴)は、つつじが満開の本学において、第 1 回がん哲学塾を開かせていただ きました。 がん哲学塾。それは、学生が主体となり、対話を通して、人間性を磨く場。 第 1 回は、実際に樋野先生が参加してくださり、樋野先生を交えて話し合う形となりました。先生と、そして、み んなで語り合いながら、実りのある時間を共有できました。 「がん哲学塾の心得~ 暇げな風貌 & 偉大なるお節介~」 順天堂大学医学部 病理・腫瘍学 教授 樋野興夫 「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」の厳しい現実である。今は、まさに「泣く時、嘆く時」である。 1933 3 3 日にも、今回と同様に三陸で地震の大災害があったと記されている。その時、新渡戸稲造(1862-1933 年)は被災地宮古 市等沿岸部を視察したとのことである。その惨状を目の当たりにした新渡戸稲造は「Union is Power」(協調・協力こそが力なり)と当時の青 年に語ったと言われている。まさに、今にも生きる言葉である。 「理念」:3 カ条 (1)世界の動向を見極めつつ歴史を通して今を見ていく (2)俯瞰的に病気の理を理解し「理念を持って現実に向かい、現実の中に理念」を問う人材の育成 (3)複眼の思考を持ち、視野狭窄にならず、教養を深め、時代を読む「具眼の士」の種蒔き 「風貌と胆力」:7 カ条 (1)自分の研究に自信があって、世の流行り廃りに一喜一憂せず、あくせくしない態度 (2)軽やかに、そしてものを楽しむ。自らの強みを基盤とする。 (3)学には限りないことをよく知っていて、新しいことにも、自分の知らないことにも謙虚で、常に前に向かって努力する。 (4)段階ごとに辛抱強く、丁寧に仕上げていく。最後に立派に完成する。 (5)事に当たっては、考え抜いて日本の持つパワーを充分に発揮して大きな仕事をする。 (6)自分のオリジナルで流行を作れ! (7) 昔の命題は、今日の命題であり、将来のそれでもある。 人間は、自分では「希望のない状況」であると思ったとしても、「人生の方からは期待されている存在」であると実感する深い学びの時が与えら れている。その時、「その人らしいものが発動」してくるであろう。「希望」は、「明日が世界の終わりでも、私は今日りんごの木を植える」行為を 起こすものであろう。 1860 年代遣米使節団 (勝海舟らがいた) が、ニューヨークのブロードウエイを行進した。彼らの行進を見物した詩人ホイットマンは、印象を 「考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目」と表現している。この風貌こそ、現代に求められる「薬剤師の風貌」でなかろうか。

第一回...第一回 がん哲学塾を終えて 高橋佳孝 第一回目のがん哲学塾は学生が樋野先生に悩みや質問を問いかけるという形での開催となっ

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Page 1: 第一回...第一回 がん哲学塾を終えて 高橋佳孝 第一回目のがん哲学塾は学生が樋野先生に悩みや質問を問いかけるという形での開催となっ

第一回 がん哲学塾

ニュースレター

発行日:平成 28 年 5 月 23 日

神戸薬科大学 薬学臨床教育センター

E-mail:[email protected]

5月 5日、空を見上げているだけで笑顔になれるような快晴の中、私たち、薬学臨床教育センター、沼田・横山

ゼミの 5年生 4人(浅田、高橋、武、朴)は、つつじが満開の本学において、第 1回がん哲学塾を開かせていただ

きました。

がん哲学塾。それは、学生が主体となり、対話を通して、人間性を磨く場。

第 1回は、実際に樋野先生が参加してくださり、樋野先生を交えて話し合う形となりました。先生と、そして、み

んなで語り合いながら、実りのある時間を共有できました。

第 1回は特別に、樋野先生に巻頭言をいただき、また、参加してくれた学生さんにも感想をいただきました。

「がん哲学塾の心得~ 暇げな風貌 & 偉大なるお節介~」

順天堂大学医学部 病理・腫瘍学 教授 樋野興夫

「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」の厳しい現実である。今は、まさに「泣く時、嘆く時」である。

1933年 3 月 3 日にも、今回と同様に三陸で地震の大災害があったと記されている。その時、新渡戸稲造(1862-1933年)は被災地宮古

市等沿岸部を視察したとのことである。その惨状を目の当たりにした新渡戸稲造は「Union is Power」(協調・協力こそが力なり)と当時の青

年に語ったと言われている。まさに、今にも生きる言葉である。

「理念」:3 カ条

(1)世界の動向を見極めつつ歴史を通して今を見ていく

(2)俯瞰的に病気の理を理解し「理念を持って現実に向かい、現実の中に理念」を問う人材の育成

(3)複眼の思考を持ち、視野狭窄にならず、教養を深め、時代を読む「具眼の士」の種蒔き

「風貌と胆力」:7 カ条

(1)自分の研究に自信があって、世の流行り廃りに一喜一憂せず、あくせくしない態度

(2)軽やかに、そしてものを楽しむ。自らの強みを基盤とする。

(3)学には限りないことをよく知っていて、新しいことにも、自分の知らないことにも謙虚で、常に前に向かって努力する。

(4)段階ごとに辛抱強く、丁寧に仕上げていく。最後に立派に完成する。

(5)事に当たっては、考え抜いて日本の持つパワーを充分に発揮して大きな仕事をする。

(6)自分のオリジナルで流行を作れ!

(7) 昔の命題は、今日の命題であり、将来のそれでもある。

人間は、自分では「希望のない状況」であると思ったとしても、「人生の方からは期待されている存在」であると実感する深い学びの時が与えら

れている。その時、「その人らしいものが発動」してくるであろう。「希望」は、「明日が世界の終わりでも、私は今日りんごの木を植える」行為を

起こすものであろう。

1860 年代遣米使節団 (勝海舟らがいた) が、ニューヨークのブロードウエイを行進した。彼らの行進を見物した詩人ホイットマンは、印象を

「考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目」と表現している。この風貌こそ、現代に求められる「薬剤師の風貌」でなかろうか。

Page 2: 第一回...第一回 がん哲学塾を終えて 高橋佳孝 第一回目のがん哲学塾は学生が樋野先生に悩みや質問を問いかけるという形での開催となっ

感想文 『第一回がん哲学塾』に参加して感じたこと

神戸薬科大学 臨床薬学研究室 6 年

栗林 由布子

普段は仲のいい友人とも、滅多に話題にしない事柄がある。それは例えば家族の病気のこと。看護や

介護のこと。誰かの“死”がまつわることならばなおさらだ。言葉をひねり出してみるものの、表面的

なことしか伝えられない。だから、1人で答えを出そうと考える。これで本当によかったのかと毎日自

問する。

今回の『がん哲学塾』では、ほとんどが初対面の人の中で、私は“生と死”を自分のテーマとしてデ

ィスカッションに参加した。自分の考えを話し、人の考えを聞く。正解はない。解決もない。問題は相

変わらずそこにあるのだけれど、大きく違うのは、この重たい問いに一緒に向き合ってくれる人がいる

ということだった。

私は皆の前で、自分の祖母の話をした。誰かに話す機会があるとは思っていなかったこと。最後の6

か月、人工呼吸器をつけていた祖母は、私の記憶の中では幸せで穏やかな最期とはとても思えなかった。

「人工呼吸器を外してほしいと言われたとき、何と声をかけたらよかったのでしょうか」。

本当は外してあげたかった。“こんなの誰も救われない、医療じゃない”と感じていたから。

しかし先生は、

「人生はプレゼント。途中で終わらせたら後悔する。問題は解決できなくても、いつか解消できるよ」

とおっしゃった。解決と解消の違いを、私はすぐには理解できなかった。

その後ディスカッションが続く中でふと、ある乳がんの経験者の女性が、私に言葉をかけてくださった。

「闘病中は苦しかったけれど、今となっては、ああ、それでもあの時生きていたな、と思えるのよ。そ

れが生きるということなのだと思う。答えはなくてもいいの」

それを聞いたとき、樋野先生のおっしゃった言葉の意味が、すとんと腑に落ちた。病気に苦しんだ経験

のある人が、そんなふうに考えている。私の祖母も同じ思いであったことを願った。悩んでも答えが出

せなかった私自身を、受け入れることができた。

がん哲学カフェでも様々な出会いがあった。訪問看護師、小児科医師、がんで配偶者を亡くした遺族。

立場も背景も全く違う人が、自分と似たような問題を抱えて葛藤しているということが、私にとっては

驚きだった。どの人も互いの話に真剣に耳を傾けていた。初対面でこんなに心を開いて話せるというこ

とは、新鮮な経験だった。

事情は違えど、一人きりで悩みを抱えている人はたくさんいる。心の通った医療が求められたとき、

がん哲学塾のように、悩める患者、家族、そして医療関係者が、胸に秘めた思いを言葉にして共有でき

る場所が欠かせない。参加者全員が、互いに言葉の処方箋を送り合う場所。

少なくとも私はこの塾を通して、ずっと進めなかったところから歩み出ることができた。参加して本当

によかったと思う。

すべての始まりは「人材」である。行動への意識の根源と原動力をもち、「はしるべき行程」と「見据える勇気」、そして世界の動向を見極めつ

つ、高らかに理念を語る「薬剤師」出でよ!

偉大なるお節介症候群

1.暇げな風貌

2.偉大なるお節介

3.速効性と英断

Page 3: 第一回...第一回 がん哲学塾を終えて 高橋佳孝 第一回目のがん哲学塾は学生が樋野先生に悩みや質問を問いかけるという形での開催となっ

第一回 がん哲学塾を終えて

高橋佳孝

第一回目のがん哲学塾は学生が樋野先生に悩みや質問を問いかけるという形での開催となっ

た。

今までメディカル・カフェや身内など自分と出会うがん患者の方は比較的に前向きな方だっ

た。最近になって知り合った方は前向きになれていない患者さんだった。患者さんは前向きに

なれていない人の方が多いと思うが自分には初めての経験だったのでどうしていいか分からな

くなった。患者さんの傍に居るときは寄り添って同じ時間を過ごすことが一番大切なことだと

思っているが、何かしてあげられることはないか、自分に何かできることはあるのかをずっと

疑問に思っていた。

樋野先生に「前向きになれていない患者さんの傍にいるようになった時、自分はどうしたらい

いのか?」と、質問させていただいた。

樋野先生は患者さんの傍に 30 分ほど一緒にいて患者さんにとってその場が“愛のある場所”

に感じられるような場所になるといいねと答えてくださった。

この答えを聞いていままで自分はなにができるかということは自分の事しかまだ考えられてい

なかったのだろうと感じ、患者さんが自分といることで受けとめられる居心地の良さも考えた

ことがなかったことに気付いた。傍にいる場がその人にとって“愛のある場所”と感じてもら

えるような時間を過ごすことが一番大切だと知り、そのような時間を過ごせる医療者というよ

りも、そのような時間を過ごせる人になりたいと思った。

他に学生の質問も考えさせられるような質問があり、話し合うことで悩みなどを解消してい

ける光景をみていて、誰かの質問に対し全員で考えディスカッションすることができる場の必

要性を感じた。

がん哲学塾を悩める人の解消の場になれるような場所にしていければいいなと思った。

今回のがん哲学塾では、私にとって日頃とは違

ったコミュニティの中で、それぞれの思いの丈

を伝え合う、という機会の素晴らしさ、貴重さ

を身をもって感じました。自分の知らない世界

を生きる人たちのお話が、新鮮かつ刺激的だっ

たというのはもちろんですが、それ以上に、対

話を通して相手の価値観や生き方を知ること

で、様々な人間性に出会うことができたことを、

本当に嬉しく思いました。いま振り返ってみる

と、この出会いがこれからの人間関係に繋がる

ということも、とてもありがたいことなのだと

実感しています。また、自分もことばを発して

何かを伝えようとすることで、相手だけではな

く、自分自身の考え方を見直す機会にもなりま

した。今後の哲学塾の発展に大いに期待し、わ

たしも積極的に参加していきたいと思います!

田村優侑

実習に行かれた先輩の体験や、1 回生の若々しいフレ

ッシュな考え方が聞けて良かったです。また、学生か

らの質問にも先生方は親身になって考えてくださり、

アドバイスをいただけました。なかなか学生主体のイ

ベントに参加する機会がなかったので、とても良い経

験になりました。

CHO

Page 4: 第一回...第一回 がん哲学塾を終えて 高橋佳孝 第一回目のがん哲学塾は学生が樋野先生に悩みや質問を問いかけるという形での開催となっ

顧問:樋野興夫

塾頭:沼田千賀子

副塾頭:横山郁子

塾生:浅田聖士、高橋佳孝、武七海、朴聡美

がん哲学塾開校に寄せて

がん哲学塾塾頭 沼田 千賀子

医療が高度専門化するに伴い医療現場は益々忙しくなり、患者さんにゆっくり寄り添う時間がなくなっている昨今、

その隙間を埋める活動として、2014 年より本学で「がん哲学学校 メディカル・カフェ」を開催しています。

このがん患者さんとの対話の場である「メディカル・カフェ」に参加した学生は、がん患者さんの前向きに生きる

姿や、人生の目的や役割を真剣に模索している姿に心を動かされ、自身も人生や医療者としての役割を自問し“人間

性を向上させることの重要性”に気付きました。そこで敢えて本気で人生について語り、「人間性を向上させる」場が

必要であると、学生自らが企画し「がん哲学塾」を開校する運びとなりました。

これからの不透明な時代を生き抜いていくためには、人生を語り合って自分の人生観・世界観を確立することは重

要であり、それが深い思考を生み出し、違った価値観を受け入れる基盤になっていくと思われます。そのような柔軟

な思考と行動力を持った若者がここから巣立ち日本の新しい医療を創造してくれることを期待しています。