6
はじめに 男性乳癌は全乳癌の1%と稀であり 1) ,両側性の ものはその1.9%と極めて稀である -3) .また,前 立腺癌の乳腺転移の報告も稀である 4) .今回われ われは前立腺癌終末期に両側乳腺腫脹をきたし, 病理組織学的には確定診断に至らなかったが,総 合的に前立腺癌乳腺転移と診断した症例を経験し たので報告する. 症例 患 者:70歳,男性. 主 訴:両側乳腺腫脹 既往歴:十二指腸潰瘍,癒着性イレウス 現病歴:血清PSA33.32 ng/mL と高値のため当 科紹介受診,経会陰的前立腺針生検にて,左葉か ら腺癌組織を検出,低分化型前立腺癌(Gleason score 5+4=9)と診断した.直腸内指診,経直腸的 超音波断層法(図1),骨盤部MRI(図2),骨シン チグラフィー(図3)にて骨盤内リンパ節転移お よび多発性骨転移を認め,cT4N1M1bと診断し, 酢酸リュープロレリンとフルタミドによる内分泌 療法を開始した.治療開始後4カ月にて内分泌療 法抵抗性となり血清PSA値は上昇し,再燃を認め た.アンチアンドロゲン交代療法,シクロフォス ファミド,リン酸エストラムスチン,デキサメタ ゾンの投与,骨転移巣に対する放射線外照射を行 うも治療効果に乏しかった.そのためNSAIDs フェンタニルパッチ等による緩和医療へ移行した (表1).初診から14カ月後,両側乳腺腫脹・疼 痛を認め,精査加療目的に入院となった. 現 症:体温37.4℃,両側乳腺に発赤・腫脹・ 熱感・圧痛を認めた(図4).表在リンパ節は触知 しなかった. 入院時検査所見:WBC 3400 /iRBC 217× 10 4 /iPLT 7.9×104 /iと骨髄抑制所見を認め, CRP 1.3 mg/dLと軽度の炎症所見を認めた.血清 PSA 88.17 ng/mLであった. 画像所見:超音波断層法では両側とも内部均一 松仁会医学誌45 2):1401452006 両側前立腺癌乳腺転移の1例 竹内一郎,金沢元洪,納谷佳男,川瀬義夫,山口正秀* 松下記念病院 泌尿器科 *松下記念病院 外科 要旨70歳,男性.血清PSA 33.32 ng/mLと高値のため受診,前立腺生検を施行,低 分化型腺癌(Gleason score 5+4=9)と診断した.直腸内指診,経直腸的超音波断層 法,骨盤部MRI,骨シンチグラフィーにてcT4N1M1bと診断,ホルモン療法を開始 したが4カ月でホルモン抵抗性となり血清PSA値は上昇,病勢は進行した.初診から 14カ月後,両側乳腺腫脹・疼痛を自覚,乳腺炎,原発性および転移性乳癌との鑑 別のため両側乳腺針生検を施行した.PSA及びPAP染色陽性の前立腺癌に類似した低 分化型腺癌を認めたが,病理組織学的には確定診断に至らず,1カ月後に死亡した. 男性乳癌は全乳癌の1%と稀であり,両側性のものはその1.9%と極めて稀である. 前立腺癌乳腺転移も三十数例の報告があるにすぎない.一般に病理学的には両者の 鑑別は難しく,本症例でも臨床経過を踏まえ,前立腺癌乳腺転移と診断した. キーワード:前立腺癌,乳腺転移 2006510日受付 連絡先:〒570-8540 大阪府守口市外島町5-55 松下記念病院 泌尿器科(竹内一郎)

両側前立腺癌乳腺転移の1例 - Panasonic · 以上より総合的に前立腺癌乳腺転移と診断した 患者は1カ月後に死亡した. 前立腺癌乳腺転移の1例

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Page 1: 両側前立腺癌乳腺転移の1例 - Panasonic · 以上より総合的に前立腺癌乳腺転移と診断した 患者は1カ月後に死亡した. 前立腺癌乳腺転移の1例

はじめに

男性乳癌は全乳癌の1%と稀であり1),両側性の

ものはその1.9%と極めて稀である2-3).また,前

立腺癌の乳腺転移の報告も稀である4).今回われ

われは前立腺癌終末期に両側乳腺腫脹をきたし,

病理組織学的には確定診断に至らなかったが,総

合的に前立腺癌乳腺転移と診断した症例を経験し

たので報告する.

症例

患 者:70歳,男性.

主 訴:両側乳腺腫脹

既往歴:十二指腸潰瘍,癒着性イレウス

現病歴:血清PSA33.32 ng/mL と高値のため当

科紹介受診,経会陰的前立腺針生検にて,左葉か

ら腺癌組織を検出,低分化型前立腺癌(Gleason

score 5+4=9)と診断した.直腸内指診,経直腸的

超音波断層法(図1),骨盤部MRI(図2),骨シン

チグラフィー(図3)にて骨盤内リンパ節転移お

よび多発性骨転移を認め,cT4N1M1bと診断し,

酢酸リュープロレリンとフルタミドによる内分泌

療法を開始した.治療開始後4カ月にて内分泌療

法抵抗性となり血清PSA値は上昇し,再燃を認め

た.アンチアンドロゲン交代療法,シクロフォス

ファミド,リン酸エストラムスチン,デキサメタ

ゾンの投与,骨転移巣に対する放射線外照射を行

うも治療効果に乏しかった.そのためNSAIDs,

フェンタニルパッチ等による緩和医療へ移行した

(表1).初診から1年4カ月後,両側乳腺腫脹・疼

痛を認め,精査加療目的に入院となった.

現 症:体温37.4℃,両側乳腺に発赤・腫脹・

熱感・圧痛を認めた(図4).表在リンパ節は触知

しなかった.

入院時検査所見:WBC 3400 /i,RBC 217×

104 /i,PLT 7.9×104 /iと骨髄抑制所見を認め,

CRP 1.3 mg/dLと軽度の炎症所見を認めた.血清

PSA 88.17 ng/mLであった.

画像所見:超音波断層法では両側とも内部均一

松仁会医学誌45(2):140~145,2006

両側前立腺癌乳腺転移の1例

竹内一郎,金沢元洪,納谷佳男,川瀬義夫,山口正秀*

松下記念病院 泌尿器科*松下記念病院 外科

要旨:70歳,男性.血清PSA 33.32 ng/mLと高値のため受診,前立腺生検を施行,低分化型腺癌(Gleason score 5+4=9)と診断した.直腸内指診,経直腸的超音波断層法,骨盤部MRI,骨シンチグラフィーにてcT4N1M1bと診断,ホルモン療法を開始したが4カ月でホルモン抵抗性となり血清PSA値は上昇,病勢は進行した.初診から1年4カ月後,両側乳腺腫脹・疼痛を自覚,乳腺炎,原発性および転移性乳癌との鑑別のため両側乳腺針生検を施行した.PSA及びPAP染色陽性の前立腺癌に類似した低分化型腺癌を認めたが,病理組織学的には確定診断に至らず,1カ月後に死亡した.男性乳癌は全乳癌の1%と稀であり,両側性のものはその1.9%と極めて稀である.前立腺癌乳腺転移も三十数例の報告があるにすぎない.一般に病理学的には両者の鑑別は難しく,本症例でも臨床経過を踏まえ,前立腺癌乳腺転移と診断した.

キーワード:前立腺癌,乳腺転移

2006年5月10日受付連絡先:〒570-8540 大阪府守口市外島町5-55

松下記念病院 泌尿器科(竹内一郎)

Page 2: 両側前立腺癌乳腺転移の1例 - Panasonic · 以上より総合的に前立腺癌乳腺転移と診断した 患者は1カ月後に死亡した. 前立腺癌乳腺転移の1例

でやや低エコーの実質を認め,パワードプラ法で

は血流信号は豊富であった.胸部CTでは両側乳腺

の著明な腫脹は認めるものの内部に明らかな腫瘤

は指摘できなかった(図5).

ガチフロキサシンを投与するも炎症の改善を認

めず,乳腺炎,原発性および転移性乳癌との鑑別

のため,両側乳腺針生検を施行した.

病理組織所見:両側乳腺ともHE染色にて腺管

構造を示さない異型細胞を認め,PSA染色及び

PAP染色にて陽性を示した.また生検時の前立腺

癌に類似した低分化型腺癌であった(図6).

以上より総合的に前立腺癌乳腺転移と診断した

患者は1カ月後に死亡した.

前立腺癌乳腺転移の1例 141

腺癌腺癌 腺癌

膀胱頚部 膀胱頚部に 浸潤する腫瘍

左精嚢に浸潤する腫瘍

前立腺前立腺 前立腺

直腸直腸 直腸

図1 A 図1 B

図1 経直腸的超音波断層法所見

A: 前立腺癌被膜外浸潤を認めた.

B: 左精嚢浸潤,膀胱頚部浸潤を認めた.

膀胱頚部膀胱頚部と精嚢精嚢に 浸潤浸潤する腫瘍腫瘍 膀胱頚部と精嚢に 浸潤する腫瘍

膀胱頚部膀胱頚部 膀胱頚部

前立腺前立腺 前立腺

図2 A 図2 B

図2 骨盤部MRI所見

A: 前立腺癌左精嚢浸潤, 膀胱頚部浸潤を認めた.

B: 左内腸骨リンパ節転移を認めた.

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考察

男性の乳癌は全乳癌の1%1),男性悪性腫瘍の

1%と稀であり,両側男性乳癌は男性乳癌の1.9%

と極めて稀である2-3).転移性乳腺腫瘍も稀な疾

患であり,その頻度は全乳腺悪性腫瘍の1%,剖

検例では担癌患者の5%とされている4).転移性乳

腺腫瘍の原発巣としては,本邦では胃癌,白血病,

悪性リンパ腫の順に多く,欧米では悪性リンパ腫,

悪性黒色腫,肺癌の順に多い4).

前立腺癌に対するエストロゲン療法により発生し

たと考えられる乳癌症例は17例報告されている1).

一般に過剰なエストロゲンが乳腺細胞のエストロ

ゲンレセプターと結合して乳腺の異常増殖をきた

し,癌化するとされている.しかし,エストロゲ

ン投与中に発生する女性化乳房と発癌との関連は

ないという報告5)もあり,一定の見解を得ない.

一方,前立腺癌の乳腺転移は三十数例報告され

ている1).エストロゲン療法により乳腺への血流

やリンパ流が増大傾向を示し,転移性腫瘍が定着

しやすい環境を作り出すと推測されている5).転

移は両側にみられることが多く,ほとんどの症例

は自験例のように骨およびリンパ節などに広範に

142 竹 内 一 郎 ほか

Th3-12, 両股関節,坐骨,恥骨 20GyL1-S2

30Gy

100

50

0

(ng/mL)

PSA

2003.1 2003.3 2003.5 2003.7 2003.9 2003.11 2004.1 2004.3 2004.5

フルタミド フルタミド

酢酸リュープロレリン

シクロホスファミド

フェンタニルパッチ

ビカルタミド ビカルタミド

リン酸エストラムスチン

デキサメタゾン

2.5

NSAIDs 7.55

1015

外照射放射線療法

表1 治療経過と血清PSA値

図3 骨シンチグラフィー所見

椎骨,肋骨,骨盤骨,右大腿骨頭に多発性骨転移を認めた.

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転移がある終末期患者にみられ,ホルモン療法に

反応しないことが多い6).予後は4カ月と非常に不

良である5).

原発性であればエストロゲン療法により病状を

悪化させる可能性があるものの,外科的摘除によ

り治癒の可能性があり,原発性乳癌か転移性乳癌

かの鑑別診断は臨床的に重要である.しかし両者

の鑑別は極めて困難である場合が多い.乳腺およ

び前立腺は内分泌関連臓器であり,元来組織型が

類似する傾向があるため,H&E染色では両者の

鑑別は難しい.免疫組織化学染色のPSAおよび

PAP染色が前立腺癌に特異的であり,転移性乳癌

の診断に有用と報告されている2,7-8).しかし,

PSAは原発性乳癌でも30~40%で陽性を示し9),

良性乳腺疾患や正常女性でも陽性を示す10)という

報告もある. 一方PAPに関しては,峯田らは,原

発性乳癌,良性乳腺疾患や正常女性で陽性に染色

されるという報告が検索しえた限りでは文献上存

在しなかったということと,PAPは前立腺癌の原

発巣および転移巣に多量に含まれ,原発性乳癌に

は認められないという報告11)から,PAP染色が鑑

別に有用であると報告している2).本症例もPAP

前立腺癌乳腺転移の1例 143

図4 両側乳腺所見 図5 胸部CT所見

両側乳腺の著明な腫脹を認めた.

図6 右乳腺病理組織所見H&E染色にて腺管構造を示さない異型細胞を認め,PSA染

色及びPAP染色にて陽性を示した.また生検時の前立腺癌

に類似した低分化型腺癌であった.

PAP染色

PSA染色HE染色

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陽性であることから前立腺癌の乳腺転移が疑われ

るが,病理組織学的には乳癌との鑑別診断は困難

であるとの診断を得た. 本症例は,①男性原発性

乳癌は稀であり,さらに両側性乳癌は極めて稀で

あること,②原発性両側性乳癌と前立腺癌との重

複癌は文献検索上19例しか存在しないこと12),③

乳腺組織が両側ともPSAおよびPAP染色陽性の低

分化型腺癌であり,生検時の前立腺組織に類似し

ていたこと,④前立腺癌終末期に両側性腫瘍が出

現したこと,⑤両側乳癌発症後1カ月で死亡した

ことより前立腺癌乳腺転移の1例と考えられた.

結語

前立腺癌両側乳腺転移の1例を経験した.報告

症例数も少なく,免疫染色を用いても原発性乳癌

との鑑別は困難であり,臨床経過および原発性両

側性男性乳癌が極めて稀であることを踏まえた総

合的判断が必要であった.

文献

01)江本昭雄,奈須伸吉,三股浩光,他.前立腺

癌に対するエストロゲン療法中に発生した両

側性乳癌の1例.日泌尿会誌 2001;92:698-

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02)峯田かおり,濱崎隆志,稲富久人,他.両側

乳房転移を生じた前立腺癌の1例.西日泌尿

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detection of benign or malignant breast

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144 竹 内 一 郎 ほか

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前立腺癌乳腺転移の1例 145

A Case of Metastatic Prostate Adenocarcinoma to the Bilateral Breasts

Ichiro Takeuchi, Motohiro Kanazawa, Yoshio Naya, Yoshio Kawase and Masahide Yamaguchi*

Department of Urology, Matsushita Memorial Hospital*Department of Surgery, Matsushita Memorial Hospital

A 70-year old male consulted our clinic with elevated PSA, which was 33.32 ng/ml. Prostate biopsy demonstratedpoorly differentiated adenocarcinoma with Gleason score 5+4 =9. The clinical stage was cT4NM1b. He underwentmaximal androgen blockade therapy (MAB). Prostate cancer, however, became hormone resistant. Sixteenmonths later, his breasts enlarged and the fine needle aspiration biopsy of the breasts demonstrated poorlydifferentiated adenocarcinoma. Immunohistochemistric evaluation showed positive PSA and PAP. These findingswere suggested that these breast tumors were metastatic prostate adenocarcinoma. He died 1 month later.

Key Words: prostate cancer, metastases to the breasts .

Editor's Comment

前立腺癌の乳腺転移という稀な症例の報告である.前立腺癌も乳癌も同じ内分泌関連臓器であり,

免疫組織化学的にも鑑別診断可能な決定的なマーカーが存在せず,前立腺癌患者に乳腺腫瘍が発生

した場合,原発性か転移性かの鑑別は現時点においてはかなり困難であるというのが実状のようで

ある.この患者の場合,前立腺癌終末期に両側性に出現し約1カ月の経過で死亡したという臨床経

過を踏まえて前立腺癌の乳腺転移との診断に至ったが,終末期でない前立腺癌患者に片側性に発生

した乳腺腫瘍などに遭遇した場合,その診断に難渋することが予想される.このような症例には治

療を兼ねたmastectomyを選択せざるを得ないのが現状ではないかと思われる.