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-・307・- 殿殿殿殿

神殿を飾るレリーフは大パンアテナイア祭や数々の …-・309・- 6 メトープの概要 7 メトープおよび破風の図像解釈 8 フリーズの図像解釈と大パンアテナイア祭

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Page 1: 神殿を飾るレリーフは大パンアテナイア祭や数々の …-・309・- 6 メトープの概要 7 メトープおよび破風の図像解釈 8 フリーズの図像解釈と大パンアテナイア祭

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講義録――パルテノン神殿の政治学

森 

谷 

公 

はじめに

 

パルテノン神殿は、古代アテネの絶頂期である前五世紀後半に、アテネの中心であるアクロポリスに建設され

た。今では世界遺産に登録され、高校の世界史教科書にも必ず登場し、旅行案内のパンフレットを飾る。知名度

は抜群に高く、古代ギリシア文化の代名詞と言ってよい。

 

さて文化遺産としてのパルテノン神殿は、同時に古代ギリシア史、とりわけ政治史の史料としても大きな価値

を持っている。その着工自体がペルシア戦争の記憶につらなり、ペリクレスの指導した直接民主政およびデロス

同盟に深くかかわる。建設事業は今日の大規模公共事業に相当し、アテネの経済を活性化させ、職人たちの生活

を潤した。会計を記した碑文には労賃や作業工程、材料費などが記され、国家財政の一端がうかがえる。さらに

神殿を飾るレリーフは大パンアテナイア祭や数々の神話を描いており、その中に当時のアテネ人の政治的・宗教

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的な思想を読み取ることができる。他方で、大英博物館に展示されているパルテノン彫刻について、ギリシア政

府は一貫してその返還を求めてきた。この論争は、人類の文化遺産は誰のものかという核心問題に触れ、博物館・

美術館の存在意義を問い直している。このようにパルテノン神殿は非常に広汎な主題にかかわる素材であり、美

術史だけでなく、歴史学プロパーの研究対象とするにふさわしい。

 

筆者は二〇〇八年度前期の西洋史特殊講義において「古代美術と政治」を主題とし、その中心にパルテノン神

殿をすえて、計八回の講義を行なった。本稿はその内容を整理して加筆したものである。関連史料のほか、配布

したプリントや授業内レポートの課題と解答例も収録し、できるだけ授業の様子が再現できるようにした。(授

業内レポートとは、授業内容に関連した課題を出してB5サイズの答案用紙に書かせ、出席のチェックに使用す

るもの。詳しくは拙著『学生をやる気にさせる歴史の授業』青木書店、二〇〇八年、二二~二九頁参照。)

  

本稿の構成は次の通りである。

  

はじめに

  

1 

関連年表

  

2 

神殿の概要と関連図版

  

3 

ペリクレスの政策

  

4 

会計碑文

  

5 

アテネ人のペルシア戦争観

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6 

メトープの概要

  

7 

メトープおよび破風の図像解釈

  

8 

フリーズの図像解釈と大パンアテナイア祭

  

おわりに

1 

関連年表

 

パルテノン神殿は、アテネの守護神であるアテナ女神を祀った神殿で、処女神(パルテノス)であるアテナに

ちなんでこう呼ばれた。旧パルテノン神殿は、前四八〇年にアテネを占領したクセルクセスの軍勢によって焼き

払われ、ペルシア軍の撤退後も再建されないままであった。しかし前四四九年にペルシアとの講和条約(カリア

スの和約)が成立すると、政治家ペリクレスがその再建に着手する。すでに前四五四年、アテネはデロス同盟の

金庫をアクロポリスに移しており、ペリクレスはパルテノン神殿建設のために同盟の資金を流用した。工事は前

四四七年に始まり、前四三二年に完成した。

 

次頁に年表のプリントを掲載する。

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パルテノン神殿関連年表

前490・ 第1次ペルシア戦争 マラトンの戦いでアテネが勝利

 488・ 旧パルテノン神殿着工

 480・ 第2次ペルシア戦争 クセルクセス率いるペルシア軍がアテネを占領し、・

・ 建設途上の神殿を破壊  サラミスの海戦でギリシア軍が勝利

 477・ デロス同盟結成 アテネが指揮権を得てエーゲ海の制海権を掌握

 450 年代~ ペリクレスが指導権を得て、直接民主政が完成

 454・ デロス同盟の金庫をアテネへ移転

・ ・ 同盟諸市は貢租の 60 分の1を初穂として毎年アテナ女神に奉納

 449・ アテネとペルシアの講和(カリアスの和約)

 447・ パルテノン神殿着工 総監督フェイディアス

 432・ パルテノン神殿完成

 431・ スパルタとの間にぺロポネソス戦争始まる  404 アテネ降伏

後5世紀以降・ ギリシア正教会に改造される

・ ・ 東破風中央部、東・西・北のメトープ破壊される

1458・ オスマン帝国軍がアテネを占領

・ ・ イスラム寺院に改装される(改造は一部のみ)

1674・ 駐トルコ仏大使ノワンテルが訪問、画家カレーに彫刻を素描させる

1687.9・ ヴェネツィア軍が、トルコ軍の要塞となっていたアクロポリスを包囲

・ ・ 9月 26 日午後6時頃 ヴェネツィア軍の砲弾が命中し、爆発、破壊

17 ~ 18 世紀 ヨーロッパ人の訪問・調査が盛んになる

1798・ 英国のエルギン卿トーマス・ブルース、駐トルコ特命全権大使に任命される

1800・ エルギン卿、コンスタンティノープル着、調査隊をアテネに派遣

1801・ トルコ政府より特許状を得、移動可能なもの全部を持ち去る

・ ・ (メトープ 17 面、フリーズ 56 面、破風彫刻 17 体等)

1807・ エルギン卿、借家にて蒐集品を公開

1816・ 英国政府、エルギン・マーブルの買い上げを決定 1817 大英博物館にて公開

1821・ ギリシア独立戦争開始 1829 ギリシア独立 1833 トルコ軍全面撤退

1834・ アクロポリスの復興整備始まる

1885 ~ 91・ アクロポリス上の徹底した組織的発掘  1986 ~ 大修復

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2 

神殿の概要・関連図版

 

神殿の概要はプリントで示した。これも次頁に掲載したとおり。

 

プリントした図版は図1の通り、①アクロポリス平面図、②パルテノン神殿の復原図、③ドーリア式神殿の各

部名称である。①と②は、周藤芳幸編『世界歴史の旅 

ギリシア』(山川出版社、二〇〇三年)九二頁の図版をコピー

した。③は『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』(小学館、一九九五年)一一二頁の「オーダー

の様式」をコピーし、メトープ、フリーズ、破風の形と位置を確認する。なお①については、『世界美術大全集4』

一一七頁の図面も使える。

 

このあとスライドで、神殿と主な彫刻を見せる。『世界美術大全集4』より、以下の写真を使用した。

 

アクロポリス全景とパルテノン神殿

 

東破風より 

月神セレネの馬

 

西破風より 

ケクロプス王と娘

 

南メトープより 

ラピタイ人とケンタウロス族の戦い

 

西フリーズより 

先導の騎士

 

北フリーズより 

騎馬行列/二人の騎手/騎馬の行進/水瓶を運ぶ青年たち/犠牲獣を引く人々

 

東フリーズより 

神官と少女たち/ペプロス(聖衣)の奉納/神々(アテナ、ヘパイストス、ポセイドン、

         

アポロン、アルテミス)

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パルテノン神殿の概要

アクロポリス・ 海抜 156 メ-トル 周囲からの高さ 70 メートル

・ 長径(東西)270 メ-トル 南北最大幅 156 メ-トル

パルテノン神殿・ 床面 30.88 × 69.53 メ-トル 円柱の高さ 10.43 メートル

・ 大理石総量 22000 トン

  メトープ・ 計 92 面(南面のみ現存):高さ 1.34 メートル、幅平均 1.3 メートル

・ 東 14 面:神々と巨人族の戦い(ギガントマキア)

・ 西 14 面:アテネ人とアマゾン族との戦い(アマゾノマキア)

・ 南 32 面:ラピタイ人とケンタウロス族の戦い(ケンタウロマキア)

・ 北 32 面:トロイ落城物語

  フリーズ・ 全長 160 メ-トル

・ 現存 130 メ-トル(ロンドンに 75 m、アクロポリス博物館等に 53 m)・

・ 図像:大パンアテナイア祭におけるペプロスの奉納行列

・    人物総数 358 人(うち神々 14、半神 10)、馬 210 頭、牛 14 頭

・ 西:騎馬行列の出発準備

・ 南:騎馬行列、戦車行列、犠牲獣、長老たち、楽士、供物運び

・ 北:同上

・ 東:神官へのペプロスの手渡し、少女たち、オリュンポス 12 神

  破風彫刻・ 東:アテナ女神の誕生

・ 西:アテナとポセイドンの領土争い

【参考文献】M.コリニョン『パルテノン』岩波書店、1978 年

澤柳大五郎『パルテノン彫刻の流転:エルギン・マーブルズ』グラフ社、1984 年

中尾是正『図説パルテノン』グラフ社、1980 年

マリノス・コレス(長田年弘訳)「パルテノン神殿の修復と保存」『世界美術大全集 4

ギリシア・クラシックとヘレニズム』小学館、1995 年所収

周藤芳幸・澤田典子『古代ギリシア遺跡事典』東京堂出版、2004 年

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図 1ドーリア式

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3 

ペリクレスの政策

 

パルテノン神殿はアテネの国力の絶頂期に建設され、その建設を指導したのは政治家ペリクレスであった。そ

こでペルシア戦争後のアテネの政治史を概観し、デロス同盟の結成からペリクレスの台頭、彼の政策について順

次説明する。これらの内容は古代ギリシア史の常識に属するので、ここでは省略。ペリクレスの人物像について

は、橋場弦『丘のうえの民主政』(東京大学出版会、一九九七年)の第二章が便利である。

 

プリントに使う資料は、『西洋古代史料集(第2版)』(東京大学出版会、二〇〇二年)から「ぺロポネソス戦

争前夜のギリシア」の地図、「貢税表断片」の写真、三段櫂船復原図の三点。

寡頭派によるペリクレス攻撃

 

ペリクレスが権力を握るにあたっては、トゥキュディデス(歴史家とは別人)を中心とする寡頭派との政争が

あった。寡頭派はパルテノン神殿建設を取り上げてペリクレスを攻撃した。その様子は、プルタルコス『ペリク

レス伝』一二に詳しく述べられている。ここでその記述を示す(井上一訳『プルタルコス英雄伝(上)』ちくま

文庫より)。

 

これ[=神殿建設]こそペリクレスの政敵が彼の政治的業績の中で最もけなし、民会で次のように騒ぎ立て

て非難したものなのである。すなわち、アテナイの国民はギリシア人の共同資金をデロスから自分のところ

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に移すことによって名誉を失墜し、評判が悪くなっていたが、〔金庫移転を〕非難する者に対してアテナイ

が設けていた最も体裁の良い口実、つまりペルシア勢を恐れればこそ共同資金をそこから移して安全な場所

に保管したのだ、というこの口実をペルシアは台なしにしてしまった。ギリシア〔の人々〕が戦争のため無

理矢理納めさせられた金銭でもってわれわれ〔アテナイ人〕が、自分たちの町がまるで虚飾の女でもあるか

のように、金ぴかの装いで飾りたて、高価な石や彫像や何千タラントンもする神殿をアクセサリーにつけさ

せているのを見るならば、ギリシア〔の人々〕がはなはだしい侮辱を感じ、僭主の支配に服していると思う

のは火を見るより明らかだ、と騒ぎ立てたのである。

【授業内レポートの課題】

右の文章をわかりやすく要約しなさい。

ペリクレスの反論

 

続いてプルタルコスは、寡頭派の攻撃に対するペリクレスの反論を次のように記述している。

これに対してペリクレスは国民に教示して言った。われわれは同盟民のために戦いペルシア勢をしりぞけて

いるのであるから、なにも同盟民に資金〔出納〕の明細を示す義務はないのだ。①彼らは馬一匹、船一隻、

重装歩兵一名すら提供するわけではなく、ただ醵金するだけである。だからその金は出した人々のものでは

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なく、②代償さえ与えれば受け取った側のものだ。〔アテナイの〕国が戦争に必要なものを充分に備えおわっ

た上は、その余剰を次のような事業にまわすべきである。その事業とは、それが完成の暁には永遠の栄光が、

途上においては刻々繁栄がもたらされるものなのである。あらゆる種類の企業が興り、さまざまな需要が生

じて、それがまたすべての技術に刺戟を与え、あらゆる人手を促し、市民のほとんど全体を賃金所得者とす

るのであって、国は自らの手で飾られると同時に養われることになるのだ、と。

【コメント】

 

傍線部①については、トゥキュディデス『歴史』のいわゆる五十年史から、次の箇所を引用して説明する(一・

九九。訳文は『西洋古代史料集』26より)

 

故国から離れることを嫌った多くの同盟諸国の市民らは、遠征軍に参加するのを躊躇し、賦課された軍船を

供給する代りにこれに見合う年賦金の査定をうけて計上された費用を分担した。そのために、かれらが供給

する資金を元にアテーナイ人はますます海軍を増強したが、同盟諸国側は、いざアテーナイから離叛しよう

としても準備は不足し、戦闘訓練もおこなわれたことのない状態に陥っていた(以下、略)

 

傍線部②の「代償」とは、アテネがエーゲ海の制海権を掌握しているおかげでペルシアに対する防衛が成り立

ち、また海賊を抑えて海上交通の安全が保たれていることを指す。

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 大規模公共事業

 

右の引用にあった「国は自らの手で飾られると同時に養われることになる」の具体的内容が次に続く。

 

ペリクレスは、軍隊に編入されていない卑しい職人大衆も、仕事をせずぶらぶらする者は駄目だが、所得に

あぶれないよう取り計らって、大規模な建築事業の構想や、大変な時日と技術を要する事業の計画を持ち出

して民会に提出した。これによって、船に乗り組む者、砦を守る者、従軍する者に劣らず、国内残留組にも

国庫の利益にあずかる名目が立つようにしたのである。この際の材料は石、青銅、象牙、黄金、黒檀、糸杉。

これらの材料の加工・仕上げを営む技術〔屋〕は、大工、彫塑師、銅細工師、石工、金箔師、象牙細工師、

画工、刺繍師、銅版彫刻師。〔これらの材料を〕輸送供給する人々は、開場では渡航商人、船員、水先案内人。

陸上では、車作り、馬〔または牛〕方、馭者、綱作り、麻網織り、靴屋、道路夫、鉱夫である。おのおのの

技術分野には、将軍が自分の部隊を率いるように、非熟練の日雇労働者の一隊が割り当てられ、これが手足

のようになって下働きに励んだ。かくして〔労働の〕需要が、いわばあらゆる年齢層や適性をもった人々に

豊かな収入を配分し、まき散らしたのである。

【授業内レポートの課題】

 

右の記述内容は現代では何と呼ばれるか、または歴史上の類似例を挙げなさい。

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【解答例】

 

公共事業、公共投資、福祉国家、雇用対策、殖産興業、ニューディール政策、等。

【留意点】

 

パルテノン建設とニューディール政策を同列に並べるのはもちろん正確ではないが、ここでは厳密な概念規定

を求めているのではない。自由な連想によって、できるだけ発想を豊かにしようとの趣旨である。

 海上支配の利益

 

アテネがデロス同盟諸市の支払う貢租や海上貿易によって多大の利益を得ていたことは、他の史料も伝えてい

る。ここでは次の二つの史料を用いる。いずれも『西洋古代史料集』27からコピーしてプリントする。

①アリストテレス『アテナイ人の国制』二四・三

アテナイ人はアリステイデスが提案した通りに多数の者に生計の途を容易にした。すなわち年賦金や租税

や同盟者たちから二万人以上の人々が養われたのであったから。何となれば陪審者は六〇〇〇人、弓兵は

一六〇〇人あり、これに加えて騎士は一二〇〇人、評議会は五〇〇人、船渠の守備兵五〇〇人、更にアクロ

ポリスの守備兵五〇人があり、役人は国内のもの約七〇〇人に及び、国外に在るもの約七〇〇人があったか

らである。(以下略)

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【コメント】

 

アリストテレスは海上支配の果実をアリステイデスに結びつけているが、これでは時期が早すぎる。著者のア

ナクロニズムである。国内外の役人が各々七〇〇人というのは一見して過大であるが、現存する碑文から相当数

の役人が確認できるので、決して的外れな数ではない。

 ②伝クセノフォン『アテナイ人の国制』二・一一~一二

ギリシア人および非ギリシア人のうちで、アテナイ人だけが富を所有することができる。かりにあるポリス

に船舶用木材が豊富にあるとしても、海の支配者の同意なしにそれをどこへ持ち込むことができるであろう

か。またもしあるポリスが、鉄や銅や亜麻を豊富に産するとしても、海の支配者の同意なくしては一体どこ

へ売り込むことができようか。しかし、これらの品々はまさしく船には必須の品々である。あるところから

は木材を、あるところからは鉄を、あるところからは銅を、あるところからは亜麻を、そしてまたあるとこ

ろからは蜜蠟を、という風に集めねばならない。そのうえ、敵国への輸出は禁じてある。これを破れば海を

利用させない。そして私は、労せずして様々な土地の産物であるこれらすべてのものを海から手に入れるこ

とができる。しかも、他のポリスはこれらのもののうちのどれか二つでさえも手に入れることができない。

同じポリスが船舶用木材と亜麻とを同時に手に入れることはないのである。(以下、略)

 

この作品は作者不明だが、クセノフォンの名前で伝わる政治的パンフレットである。逸名の著者は寡頭派の立

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場を取り、一般民衆が政治を支配してその果実を我が物としている現状に対して批判的である。その反面、民衆

支配の構造を冷静に認識している点で、きわめて現実主義的な感覚の持ち主であった。右の記述も、アテネが制

海権のおかげで海上貿易の中心になっているとの事実を正確に捉えている。

【授業内レポートの課題】

 

右の文章を一行でまとめなさい。

【解答例】

 

海を支配している(海の支配者である)アテネだけが、様々な物資(豊富な産物)をすべて手に入れることが

できる。

 神殿は大金庫

 

パルテノン神殿にもアクロポリスにも夥しい奉納物が収められており、それゆえ神殿自体が巨大な金庫と化し

ていた。ぺロポネソス戦争の開戦直前、ペリクレスはアテネ人に対する演説で戦争の方針を説明したのち、財政

問題にも言及して次のように述べている。(トゥキュディデス『歴史』二・一三、藤縄謙三訳、数字の表記のみ修正)

 

このポリスには、他の収入は別として、毎年およそ六〇〇タラントンの貢税が同盟諸市から入って来るし、

アクロポリスには当時なお六〇〇〇タラントンの銀貨が蓄えられていたからである。最も多かったときには

九七〇〇タラントンあったが、その中からアクロポリスの前門(プロピュライア)その他の建造物やポテイ

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ダイア事件のための費用が支出されたのである。その他にも公私の奉納物の中に貨幣に加工されていない金

銀があり、また行列や競技に用いられる聖器や、ペルシア戦争の戦利品や、そのほか類似のものも含めて、

五〇〇タラントンを下らぬものが存在した。これらに加えて他の諸神殿にある少なからざる金額の財貨をも

彼らは使用できるとペリクレスは語り、そして最後に、もしも彼らが万事に窮したとしても、女神そのもの

の黄金の覆いを使うことも可能だと告げた。そして女神像が重量四〇タラントンの純金で覆われており、す

べて取り外し可能であることを彼は公表した。ただし、救国のために使った場合は、後日、使用した以上の

量を返却しなければならないと彼は付言した。

【コメント】

 

女神像とは、パルテノン神殿内陣に安置された本尊のアテナ・パルテノス像のこと。高さ約一二メートル。

4 

会計碑文

 

パルテノン神殿の建設にデロス同盟の資金が流用されたとは、しばしば言われることである。先に引用したプ

ルタルコス『ペリクレス伝』もそのように述べていた。しかしこれを言葉通りに受け取っていいのだろうか。デ

ロス同盟の資金が使われたのが事実としても、他に財源はなかったのか。幸いなことに、パルテノン建設にかか

わる会計報告が碑文の断片として残っており、建造第一年目から一五年間にわたる収支報告が記されている。そ

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の一例を示す。訳文は橋場弦「民主制の罪と罰」(『岩波講座世界歴史4 

地中海世界と古典文明』一九九八年所

収)を借用。参考までにギリシア語原文をコピーし、訳文を添えてプリントを作成する。それぞれ項目ごとに①

②③・・・と番号を付け、原文と訳文の語句の対応関係がわかるようにしておく(ここでは番号は省略)。

 『ギリシア碑文集成』第一巻三版四四九番、[ 

]内は訳者の補い。

 

アンティクレスが書記を務めた建造監督官の会計報告。建造第一四年目、評議会ではメタゲネスが最初の

書記を務め、アテナイではクラテロスがアルコン(執政官)であった年(前四三四/三年)

 

本年度の[建造監督官の]収入は以下の通り。

 

前年からの繰越分一四七〇ドラクマ。ランプサコス貨七四スタテール、キュジコス貨二七スタテール六分

の一。ランプトライ区のクラテスが書記を務めたアテナ女神聖財財務官よりの受領額二万五〇〇〇〇ドラク

マ。売却した余剰の黄金の重量九八ドラクマ、[銀貨に換算した]その代金一三七二ドラクマ。売却した余

剰の象牙の重量三タラントン六〇ドラクマ、その代金一三〇五ドラクマ四オボロス。

 

支出。購入費[・欠+]二〇二ドラクマ一オボロス。労賃―ペンテリコン山で採石作業に従事し、大理石

を台車に乗せた者たちに、一九二六ドラクマ二オボロス。破風の彫刻家たちへの賃金、一万六三九二ドラク

マ。月ごとに支払う賃金、一八一一[+欠]ドラクマ二オボロス。

 

今年度繰越分[・欠・]ドラクマ。ランプサコス貨七四スタテール、キュジコス貨二七スタテール六分の一。

 

解説では、筆頭アルコン名による記年法といった碑文の形式や、お金の単位などを説明する。

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-・323・-

 

さらに、役職と作業工程が具体的にわかる例として次の二つを選び、これもギリシア語原文のコピーと手書き

の訳文を並べ、項目ごとに番号を付けてプリントした。

  

同右四三九番(建造第四年目、前四四四/三年)

 

コレイダイ区のストロンビコスが書記を務めたヘレノタミアイ(ギリシア財務官)から 

三万七六七五ド

ラクマ五オボロス

 

・・・が書記を務めた外国人訴訟委員から

 

三段櫂船建造委員から

 

同右四四七番(建造第一二年目、前四三六/五年)

 

労賃[以下、金額はすべて欠落]

 

ペンテリコン山の石切工たちに

 

ペンテリコン山からの石材運搬に

 

道路を造り、ペンテリコン山で破風のための石を台車に載せた者たちに

 

作業場への石の運搬に

 

破風の彫刻家たちへの賃金

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以上から、およそ次のことがわかる。

 

まず建造資金には、他のさまざまな部門や委員会の剰余金が多く含まれている。これらの剰余金が建造資金全

体に占める割合は不明であるが、少なくともデロス同盟金庫からの流用だけに頼ったのではないことは明らかで

ある。

 

支出については、作業工程が細かく区分され、項目ごとに詳細な記録がなされている。ペリクレス時代に会計

検査が徹底し、公費の使用が厳しく管理されていたことがうかがえる。会計検査の厳格化については、橋場前掲

論文を参照。

 

5 

アテネ人のペルシア戦争観

 

メトープに移る前に、ペルシア戦争をアテネ人がどのように意味づけていたのかを述べる。というのも、それ

がメトープの図像解釈に深くかかわるからである。

自由と秩序

 

周知のことだが、当時のギリシア人は対ペルシア戦を自由のための戦いとして認識していた。代表的な同時代

史料がサラミス海戦の直前におけるアテネ人の民会決議、いわゆる「テミストクレスの決議」である。女性や子

ども、老人の疎開という方針に続いて、決議は次のように述べる(『西洋古代史料集』19)。

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残りのすべてのアテナイ人と兵役年齢の外国人とは艤装した二〇〇隻の船に乗り、彼ら自身と他のヘラス[ギ

リシア]人の自由のためにラケダイモン[スパルタ]人、コリントス人、アイギナ人、そして他の危険を共

にすることを欲する人々と共にバルバロイを防ぐべし

 

自らサラミスの海戦に参加した悲劇作家アイスキュロスは、戦後まもない前四七二年に上演した『ペルシア人』

の中で、この戦争をペルシア人の側から描いた。舞台はペルシア帝国の都スーサの宮殿。出征したクセルクセス

王の母アトッサが報せを待っている。彼女はギリシア人とはいかなる民族なのかを、長老たちの合唱隊(コロス)

に尋ねる(西村太良訳、『ギリシア悲劇全集2』岩波書店)。

 

アトッサ 

民の先頭に立ち、軍を指揮するのは一体何者?

コロス  

彼等はいかなる者の奴隷でも、臣下でもないと公言しています。

アトッサ 

それでどうして外敵に立ち向かえるのか?

コロス  

それどころか、ダーレイオスの数あ

また多

の精鋭を撃破したほどです。(二四一~二四四行)

 

そこへ使者が到着し、ペルシア軍の敗北を告げる。使者はサラミス海戦の様子を詳しく語るが、海戦が始まる

時にギリシア人の鬨の声が聞こえたと言う。

 

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おお進め、ギリシアの男お

の子こ

らよ、自由を祖国に、妻や子らにも自由を、故郷の神々の御みやしろ社

を救え、われら

の先祖の墓所を解き放て、すべてはこの一戦にあり。(四〇二~四〇五行)

 

ここでも自由のための戦いという意識が高らかに謳われており、先のテミストクレスの決議の内容と一致する。

 

続いて使者は、一糸乱れぬギリシア艦隊の戦いぶりと、混乱を極めたペルシア艦隊の有様とを対比する。自由

が秩序に伴われ、専制がかえって混乱をもたらすという逆説。

 

歴史家ヘロドトスも、ペルシア戦争を描いた『歴史』において、これと同じ主題を述べている。クセルクセス

のもとには、スパルタから亡命してきた元スパルタ王デマラトスがいた。クセルクセスが、ギリシア人は自分の

大軍に抵抗するであろうかと尋ねると、デマラトスは、スパルタ人は隷属を拒否して最後まで戦うであろうと答

える。クセルクセスはこれを一笑に付して言う(松平千秋訳、岩波文庫)。

 

それらの者たちが一人の指揮者の采配の下にあるのでなく、ことごとくが一様に自由であるとするならば、

どうしてこれほどの大軍に対抗し得ようか。・・・わが軍におけるごとく、一人の統率下にあれば、指揮官

を恐れる心から実力以上の力も出そうし、鞭に脅かされて寡か

ぜい勢

を顧みず大軍に向って突撃もしよう。しかし

ながら自由に放任しておけば、そのいずれもするはずがなかろう。(七・一〇三)

 

デマラトスは答える。

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スパルタ人は・・・自由であるとはいえ、いかなる点においても自由であると申すのではございません。彼

らは法ノ

モスと

申す主君を戴いておりまして、彼らがこれを怖れることは、殿の御家来が殿を怖れるどころではな

いのでございます。(七・一〇四)

ペルシア人の傲慢

 

さらにアイスキュロスは、ペルシア戦争を道徳・倫理の面からも意味づけている。敗北の報せに慄くアトッサ

らの前に、先代のダレイオス王の亡霊が現われ、息子クセルクセスの傲慢こそが敗北の原因であると語るのだ。

 

[プラタイアで]悲劇の頂点を迎えることとなろう。

自らの思い上がりと神々を蔑

ないがしろ

にした報いとして。(中略)

まことにゼウスは出過ぎた驕お

りには罰を下し、

仮借ない裁き手としてすべてをみそなわされるのだから。(八〇七~八〇八、八二七~八二八行)

 

ダレイオスが指弾するクセルクセスの傲慢とは、ヘレスポントス(現ダーダネルス海峡)に舟橋を架けた上、

地の果てまで軍を進めたことである。人間の分を超えた振る舞いは、神々によって罰せられるというのがギリシ

ア人の思想であった。

 

こうしてギリシア人は、自分たちは自由人にして法と秩序の側に立つと考える一方、ペルシア人は専制君主に

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支配された奴隷であり、クセルクセス王は傲慢と無法を代表する人物だと見なしたのである。

6 

メトープの概要

メトープの構成

 

神殿の軒下のメトープと呼ばれる細長い帯状の部分には、合計九二面の浮彫がはめ込まれている。それらは高

さ一・三四メートル、幅平均一・三メートルの、ほぼ正方形の大理石板に彫られた。南側の浮彫は比較的よく保存

されているが、東・西・北の浮彫は、のちにパルテノン神殿がビザンツ教会堂に改修された時に削り取られてし

まい、ごくおおざっぱな図像が読み取れるにすぎない。各々の主題は次の通りである(マキアとは戦いという意

味のギリシア語)。

 

①東一四面:神々と巨人族の戦い(ギガントマキア)

 

②西一四面:アテネ人とアマゾン族の戦い(アマゾノマキア)

 

③南三二面:ラピタイ人とケンタウロス族の戦い(ケンタウロマキア)

 

④北三二面:トロイ落城物語

 

各主題について簡単に説明する。手間を省くため、『平凡社大百科辞典』からアマゾン、ケンタウロス、ラピタイ、

ギガンテスの四項目をコピーして必要箇所だけ切り貼りし、プリントにして配布した。

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①ギガントマキア

 

巨人族は、ギリシア神話において巨大な身体をもった一族で、ゼウスを中心とするオリュンポスの神々と戦っ

て敗れ、地下に閉じこめられた。この戦いは、前者が体現する宇宙の秩序と、後者が体現する混沌たる闇の勢

力との闘争を象徴している。

②アマゾノマキア

 

アマゾン族は女性だけの戦士からなる民族で、ギリシア世界の北の辺境に住むとされる。他国の男と交わっ

て子を生むが、男子は殺すか不具とし、女子だけを育てた。弓術にすぐれ、矢を射るときに邪魔にならないよ

う右の乳房を切り取っている。アマゾンの名は、否定辞a+乳房m

azon

に由来する。アテネにも攻め込んだが、

伝説のアテネ王テセウスによって、激戦のすえに撃退された。

③ケンタウロマキア

 

ケンタウロスは、上半身が人間で下半身が馬という怪物。山野に住み、好色で、野性・野蛮・獣欲の象徴と

される。テッサリアに住んでいたラピタイ人の王が自分の結婚式にケンタウロスを招いたところ、彼らは初め

て酒を飲んで酔っ払い、花嫁や他の女性たちに乱暴しようとした。このためラピタイ人および客人のテセウス

たちとの間に戦闘が起こり、ケンタウロスは追放された。

④トロイ落城物語

 

トロイは小アジア北西部にあった王国。王子パリスがスパルタを訪れ、絶世の美女といわれた王妃ヘレネを

連れ帰った。スパルタ王メネラオスは彼女を取り戻すため、ギリシア中から軍勢を集めてトロイを攻めた。包

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囲攻撃は一〇年におよんだが、ギリシア軍は偽りの講和条約を結び、木馬の計略でトロイを陥落させた。

メトープの全体的意味

 

これらの浮彫は全体として何を語っているのか。次の研究に依存して概要を示す。

 

D.・Castriota,・M

yth, Ethos, and A

ctuality ; Offi

cial Art in Fifth-Century B.C. A

thens, Madison,・1992,・Chapter・

4・:・The・Persian・W

ars・and・the・Sculptures・of・the・Parthenon

 

四つの主題はすべて神話・伝説における戦いである。勝利したのはオリュンポスの神々、アテネ人、ラピタイ

人、ギリシア人であり、敗北したのは巨人族、アマゾン族、ケンタウロス、トロイ人である。勝者と敗者にはそ

れぞれ共通の特徴がある。すなわち勝者は秩序・正義・法の守り手であるのに対し、敗者は無秩序・混沌・野蛮

を象徴していることだ。さらに個々の特徴をみると、アマゾン族は女性が支配者であることから、男性社会を脅

かす存在とみなされる。女戦士の敗北は、男性が女性を抑圧することによってポリスが成り立っているという事

実を象徴する。またケンタウロスは主人と客人との友好関係を破り、結婚式を汚したことで、社会のルールを壊

してしまった。さらにトロイ戦争も、王子パリスが客人でありながら主人を侮辱したことに端を発するのであり、

トロイ人の敗北はそうした無法な行為の報いである。

 

メトープ浮彫のもつ以上のような意味内容は、これを見上げるアテネ人には直ちに了解できることであった。

しかも神話・伝説の世界だけにとどまらず、これらの主題はもっと現実的な意味を帯びていた。それが先に見た

ペルシア戦争の意味づけである。アテネ人にとってペルシア王クセルクセスは、ケンタウロスらと同じく傲慢か

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つ無法であり、ギリシア人の勝利はまさに法と秩序の勝利にほかならない。

7 

メトープおよび破風の図像解釈

 

引き続きCastriota

に依拠して、メトープおよび破風の図像が意味するところを詳しく述べる。

ギガントマキア

 

すでにアルカイック期のギリシアにおいて、巨人族の暴力と無秩序は、文明生活に欠かせない中庸・徳・敬虔

といった人間的な価値の対立物とみなされていた。この戦いは神々における最大の戦いである。それは、オリュ

ンポスの神々が代表する宇宙的秩序と、混沌たる地下の勢力との間の象徴的な戦いであった。前者の勝利は、ゼ

ウスによって確立された普遍的な道徳法が勝利したことを意味する。彼らは、その権威に対する巨人族の傲慢と

見当はずれの侮辱を抑圧したのだ。こうしてギガントマキアの場面は、メトープ全体の図像プログラムに統一的

な倫理的骨格を与えることになる。

 

ギガントマキアの場面は、アテナ女神を祀るパルテノンの装飾にふさわしい。アテナ女神はゼウスの額から生

まれた神であり、オリュンポスのすべての神々の中でゼウスに最も近い。ギガントマキアを描いた東メトープの

すぐ上、すなわち東破風の主題は、ほかならぬアテナ女神の誕生である。ゼウスとの特別な関係から、巨人族と

の戦いはアテナ自身の戦いでもある。アテナに奉納される新しいペプロスに、ギガントマキアが織り込まれてい

るのは何ら驚くことではない(8章参照)。

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さらにペルシア戦争におけるペルシア人敗北との関連でも、この場面の選択はこの上なく適切である。アテナ

女神がゼウスの代理人であることとの並行関係で、アテネ人にとってアクロポリスはオリュンポス山を代理する。

それゆえアテナ女神への侮辱はゼウスへの侮辱であり、アクロポリスへの攻撃はオリュンポスに対する巨人族の

攻撃に匹敵する。こうしてクセルクセス王によるアクロポリスの包囲と焼き討ちは、巨人族による攻撃に重なる

のである。

 

前五世紀の人々が、アテナ誕生物語のすぐ下に巨人族の戦いを見た時、『ペルシア人』で使者がアトッサに告

げた台詞、「神々が女神パラスの国をお救いになった」(三四七行)が視覚的に表現されていることを了解したで

あろう。

アマゾノマキア

 

伝説のアテネ王テセウスはアマゾンの国に遠征し、女王の妹アンティオペを攫って妻とした。これが原因でア

マゾン族はアテネに侵入し、市の中心部にまで攻め込んだが、テセウス王が彼女らを撃退してアテネ人は国土を

守ることができた。アマゾン族侵入の図像がペルシア軍によるアテネ侵略の記憶にぴたりと重なることは、容易

に見てとれる。さらにアマゾン侵入伝説が形成された背景には、アテネ人ないしアッティカのautochtony

=自

生性・土着性、すなわちアテネの男たちがアッティカの国土を征服することなく自生的に生まれたとする主張が

あった。彼らは国土への侵略に対する生まれながらの嫌悪感と、国土防衛への本能的な性向を持っていたのであ

る。それゆえアテネ人は生まれながらにして、国土に侵入するアジア的なるものの対立者であった。

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それだけではない。アマゾン族は女性であるがゆえに、ここには男女の対立がからむ。侵入してきた女性と、

それを撃退した自生的な男であるアテネ人。こうしたアテネ人の土着性と男女対立の相互関連は、西破風に描か

れた主題、すなわちアテネの保護権をめぐるアテナ女神とポセイドンの争いにもかかわりを持つ。そのアテナの

誕生が東破風の主題である。それゆえ東西二つの破風との関連で、アマゾン族の図像を位置づける必要がある。

東西の破風――アテナ女神の位置

 

西破風では、中央の左側にアテナ、右側にポセイドンが向かい合う。アテナの左後ろにケクロプス王、ついで

河神たちがおり、右側には子供たちを伴ったアテネの女たちがいる。両者の争いについては、アウグスティヌス

『神の国』一八・九がウァッローに依拠して述べている。その概略は次のようである(岩波文庫を拡大コピーして

プリントを作成)。

アッティカの国土に突然オリーブの樹が現われ、別の場所から水が吹き出た。ケクロプス王が神託を伺うと、

市民の権限でアテナとポセイドンのどちらかから都市の名前をつけるように言われた。そこで王が全アテネ

人を招集し票決を行なったところ、男はポセイドンに、女はアテナに投票した。ただし女が一人だけ多かっ

たので、アテナが勝者に決した。怒ったポセイドンは洪水を起こしてアッティカを氾濫させた。彼を宥める

ため、男たちは女から投票権と子供の命名権を奪った。

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別の伝説によると、ケクロプスが結婚制度を創始する以前は、女たちは気ままに男と交わっていたので、誰も

自分の父親を知らなかった。よって結婚制度は、ポセイドンを宥めるために女たちに課せられた罰である。これ

らの伝承が語るのは、ケクロプス王がそれまでの女たちの性的放縦を抑制して一夫一婦制を確立し、男系制と男

性による社会秩序を創始したことである。

 

こうしてアテネ人の土着性という原理は、外からの侵略だけでなく、内なる女の自立性への対立物として現わ

れる。それはアテネ人の生まれを、母親の子宮から、父系の血統を通して結び付けられたアッティカの大地=父

なる土地へと移し替える。西側のメトープと破風において、男たちの土着性はアマゾン族の外からの脅威に対立

すると同時に、ポリス内部における女の脅威とも対立する。二柱の神々の争いの結果、母系制と乱婚から父系制

と単婚への移行が起きた。これは女の性的放縦に対する土着の男の勝利と見なされ、アマゾノマキアと並行する

事件として描かれたのである。

 

ここでアテナ女神の位置に注目しよう。そもそも彼女はゼウスとメティス(思慮)の娘だが、メティスから生

まれる男子によって自分の王座が奪われるとの予言を受け、ゼウスは彼女を飲み下した。臨月になってヘファイ

ストスの斧で自分の額を割らせたところ、完全武装したアテナが飛び出したという。東破風の中央には、生まれ

たばかりのアテナがゼウスの右側に立ち、左右に並んだ神々がこの光景を見て驚いている。

 

純潔を守り戦いを好むアテナは完全に男性志向であり、ゼウスと共に男性の側に立つ。彼女は女性性の象徴で

もなければ、母親の利害の守り手でもない。それどころか、ゼウスは彼女を生むことで子どもを生む母親の権利

を我が物とし、西破風では女たちの支持で勝利したはずのアテナが、ほかならぬ女たちの権利を奪った。

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このことをアイスキュロス『エウメニデス』の中で、アテナ自身が次のように語っている(橋本隆夫訳『ギリ

シア悲劇全集1』岩波書店)。

 

 

私を生んだいかなる女親も存在しない・・・   

 

結婚生活のことは別としても、これ以外のことではすべて、男の世界を

 

心からよしとするものであり、ただただ父ゼウスから生まれた者である。(七三六~七三八行)

 

ちなみに美術史家の若桑みどりは『象徴としての女性像』(筑摩書房、二〇〇〇年)において、右の箇所を引

用しながら次のように述べている。

 

アテナの誕生は男性の支配と女性の従属を決定的にしたのである・・・彼女こそ最も代表的な象徴の女性像

である。彼女は文明が男性によって生み出されるということと、女性の真の親が父であることの双方を象徴

した。姿形が女性であるアテナが本来男性のものである正義や秩序を象徴するようになったのは、「女性をし

て」男性の秩序を語らせるためである。それこそは男性なるものの最終的な勝利ではないだろうか?(二八頁)

再びアマゾノマキア

 

こうして東と西の二つの破風は互いに関連して、アテナ女神が結果として女性に一夫一婦制を強要し、男性優

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位の社会をもたらしたという伝承を語る。それはまた南メトープにおけるケンタウロス=結婚式での乱暴狼藉、

北メトープにおけるトロイ落城=結婚制度に対するパリスの挑戦という主題とも関連する。だが、投票でアテナ

を勝利させた女たちへの性的抑制という主題は、アマゾン族にこそ最もふさわしいだろう。女戦士たちは男の統

制を受けないために好色・放縦であり、父系制に欠かせない純潔を拒否した点で野獣的であると見なされた。こ

うして外部からの脅威であるアマゾン族の撃退は、ケクロプス王による女性の性的抑制と密接な並行関係をなす

のである。

 

前五世紀のギリシア人は、アマゾンの強欲、支配欲、淫乱をペルシア人にも当てはめ、女戦士をペルシア帝国

の神話上の先駆者と見なした。こうした思考は、hybris/so -phrosyne -

=傲慢/節制というより大きな二項対立と

完全に調和する。西破風と西メトープは、ポリスの内と外において男たちが女たちの無法と放縦を抑制しこれを

罰したこと、すなわちアッティカの国土に自生する男たちの勝利を、見学者の胸に刻み込んだのである。

ケンタウロマキア

 

南メトープのケンタウロマキアは、四面のメトープの中で最も良好な状態で残されている。そこで簡単な作品

記述から始めよう(図2)。

 

場面全体は、ラピタイ人の王ペイリトオスの婚礼における、ケンタウロスとの戦いである。五人のケンタウロ

スが女性を襲っている(10・12・22・25・29番)。四人の女性は衣服が乱れて胸をはだけており、レイプを示唆する。

別の女性二人は聖域に逃げたらしく、神像の傍に立っている(21番)。戦うケンタウロスは木の棒を手にしたり(1

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図 2 南メトープ:ケンタウロマキア(カレーの素描)

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番)、大釜や酒甕で間に合わせの武装をしている(4番)。一方ラピタイ人は槍や盾を持ったり兜をかぶり(4・

11・23番)、あるいは素手で相手を殴っている。争いは結婚式の宴会で始まり、宮殿外のより大きな戦闘へと発

展したように見える。

 

主題は、結婚式での乱暴狼藉を通してのクセニア=賓客・友好関係に対する不敬と傲慢である。ただしこれに

とどまらない。

 

注目すべきは、メトープ中央部の16番にケンタウロスの生みの親であるイクシオンが描かれており、彼の左右

に神々がいることだ。左側の17番はキタラを持つアポロン、15番は戦車に乗るヘリオス(太陽)、右側では18番

にネフェレ(雲)または雲の姿のヘラと、ゼウスらしき姿、19・20番は現実のヘラと付き人である。

 

イクシオンは自身の結婚に際して婚資の支払いを避けるため、義父であるエイオネウスを殺し、ギリシア神話

における最初の親族殺しとなった。これは結婚相手の親族=賓客の殺害にとどまらず、法と結婚制度が生み出す

社会秩序の全体を侮辱するものである。その上彼は、ゼウスが妻のヘラに似せて送ったネフェレ(雲)と交わり、

半人半馬の怪物ケンタウロスを生ませた。これはゼウスとヘラの結婚を侵害するという形でゼウスに挑戦し、さ

らなる非道を働いたことになる。

 

イクシオンと神々を中央に配置したことは、構図の面では戦闘場面の連続がもたらす単調さを避ける工夫であ

る。他方でそれはイクシオンの物語を挿入することでケンタウロスの出自を説明し、彼らの傲慢と不敬が、親か

ら受けついだ生まれながらの性向であることをも示す。彼らの非道は結婚制度への挑戦を通じて、文明の基盤そ

のものへの攻撃と見なされる。こうして南メトープはイクシオン神話を追加することで、神々や人間への敬意を

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欠いたケンタウロスの抑制のない暴力的な欲望を強調し、彼らとアマゾン族やペルシア人との類比をいっそう洗

練させたのである。

トロイ落城物語

 

トロイ戦争の発端は、王子パリスによるスパルタ王妃の誘拐である。それゆえトロイ落城という主題は、結婚

および賓客・友好関係の侵害という意味で、ケンタウロマキアと強い類似性をもつ。これら二つのメトープは南

と北の長側面を占めており、主題だけでなく、構造上の類似性も明らかである。さらにアクロポリスを上って神

殿の西側から北側に進むと、アマゾノマキアに続いてトロイ落城を見ることになる。野蛮な女戦士の侵略に対す

る防衛戦争からアジアの無法者に対する懲罰遠征へと移行するのは、自然な順序であろう。それはまた、侵入し

たペルシア人に対する勝利と、それに続くエーゲ海および小アジア沿岸地方へのアテネ海軍の遠征と制海権を連

想させたであろう。

 

現存する浮彫りは半分以下で、しかも損傷がひどいため、大まかな同定しか出来ない。24・25番はヘレネを連

れ戻すスパルタ王メネラオス、28番は父アンキセスらとともに逃げるアエネイアス、27番は男に引かれて行く女

で、おそらく捕虜か避難者。2番は船および下船する男、3番は弓兵と重装歩兵で、乗船中か下船中なのかは不明。

 

いくつかの事実は明らかである。トロイ陥落の場面であることは疑いなく、夜間の出来事が描かれている。そ

れまでの文学や壺絵では、ギリシア人によるトロイ劫掠という暴力的な場面を描くのが伝統となっており、そこ

にはギリシアの英雄たちも免れなかった不節制に対する警告という意味が込められていた。しかるに北メトープ

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にあるのは殺戮・不敬・神聖冒瀆といった蛮行ではなく、救助、捕虜の獲得、避難する人々、ギリシア人の到着

ないし出発などである。これが与える印象はギリシア人のhybris

=傲慢ではなく、sophrosyne

=節制と清廉で

ある。その理由は、メトープ全体のプログラムに照らせば明らかである。他のメトープはバルバロイの無法・野

蛮・傲慢に対するギリシア人とオリュンポスの神々の闘争を描いていた。トロイを落としたギリシアの英雄たち

の野蛮な振舞いをここに描いたとすれば、メトープ全体の意図と矛盾し、節制・敬神・卓越性といったアテネの

公式の政治イデオロギーを覆すことになるだろう。

 

南メトープのケンタウロマキアが神々を中央に配置していたのとは逆に、北メトープでは左右両端に神々が

登場する。すなわち1番には戦車に乗る神(同定は不可能)、対する29番はセレネ、31番にはゼウスとイリス、

30・32番にも同定できない他の神々たち。おそらく神々が会議を開き、神々の間での親ギリシア派と親トロイ派

の争いに決着をつけて、トロイ陥落を命じる場面である。ゼウスの登場は、賓客関係の守り手にして正義の公布

者という役割を暗示する。それゆえギリシア人は、非道なアジアの敵に対するゼウスの報復を執行する者として

現れる。トロイ陥落に神々の集会を挿入することで、北メトープは南のケンタウロマキア、西のアマゾノマキア

と同一の道徳的意味を獲得し、神話上の統一的な体系を達成したのである。

メトープの総合的評価

 

フェイディアスは、これまでの公共建造物で試みられてきたギリシア対バルバロイという二項対立の、最も高

揚した芸術的表現を達成した。彼の彫刻プログラムは、守護女神アテナと密接に結びついたアテネ人の卓越性を

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公布するために綿密に計画されたもので、アテネが積み重ねてきた公的図像の到達点である。

 

そもそもパルテノン神殿の建設は、ペルシア人によって破壊された旧パルテノンの再建であり、このこと自体

が不遜なペルシア人の侵略の記憶を永遠のものとした。メトープの彫刻すべてにおいて、クセルクセス王とペル

シア人とは、巨人族、アマゾン族、イクシオンとケンタウロス、そしてパリスとトロイ人というアジアの蛮人ど

もの傲慢および瀆神と同じ網の目にからめ取られ、神話の衣装をまとった敵対者として表現される。彼らはいず

れも神の正義と法の命令に従って最期を遂げた。ギリシアの勝利は、ギリシア人自身の卓越性と神々の介入によ

る不可避な結果であるとして合理化された。このメッセージは、フェイディアス作の巨大なアテナ女神像を通し

て鳴り響く。パルテノンの内陣では、アテナ女神が延ばした手にニケ=勝利の女神を広げていたのだから。

8 

フリーズの図像解釈とパンアテナイア祭

 

フリーズの図像解釈をめぐっては美術史家の間で長く複雑な論争があり、とても私の手に負える問題ではない。

まず大パンアテナイア祭の概要を述べ、次にフリーズについての様々な解釈を紹介し、最後に歴史学的な解釈の

例として再びCastriota

の説を要約する。

大パンアテナイア祭

 

パンアテナイア祭とは「全アテネの祭」という意味で、守護女神アテナの誕生日とされるヘカトンバイオン月(現

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在の七月から八月)の二八日に行なわれた(ついでながら、二〇〇四年のアテネオリンピックで使われたパナイ

シコ競技場――女子マラソンで優勝した野口みずき選手がゴールした――の名前は、パンアテナイアの現代ギリ

シア語形である)。前五六六年に僭主ペイシストラトスによって創始され、老若男女すべてのアテネ市民それに

外国人も参加する。四年に一度は大祭が催された。音楽や体育など各種の競技があり、優勝者には特製の壺に入

れた聖なるオリーブ油が贈られる。犠牲式には全員が参加し、犠牲獣の肉は焼いて分配された。

 

祭の頂点は、大祭においてアテナ女神に新しいペプロス=聖衣を捧げるための大行列である。フリーズに描か

れているのがこの行列にほかならない。ただしフリーズが現実の大パンアテナイア祭を表しているかというと、

躊躇せざるを得ない。そもそも神殿彫刻は神話上の主題を選ぶのが通例なのに、フリーズにはアテネ市民が描か

れている。しかも実際の行列とフリーズの間にはいくつもの食い違いがある。たとえば行列中には歩兵がおらず、

騎兵のみ。籠と水瓶を運ぶのは女性なのに、フリーズでは男性である等。そこで、フリーズが描くのは現実の祭

ではなく一般化された表現、すなわち当時行なわれていた大祭の理想的な具象化であるという考え方が出てくる。

フリーズの解釈例

 

次に、I.Jenkins,・T

he Parthenon Frieze,・The・British・M

useum・Press,・London,・1994

によって、いくつかの解釈

を紹介しよう。

① 

神話的解釈 

 

伝説上のエリクトニオス(エレクテウス)によって創始された元来の祭典である。中央の人物たちはアテネの

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伝説上の王族で、東35番の子供はエレクテウス。この子がアテナ女神に文字通り最初のペプロスを手渡している。

 

この説に対する批判としては、人物の同定があまりに入念であること、しかも同一の英雄が二度以上も登場す

ることが挙げられる。

②象徴的解釈

 

特定の行列ではなく、前四七九年にペルシア人が破壊したアクロポリスの古い奉納物の復興を象徴する行列で

ある。ペプロスは奉納物ではなく、古い聖域にあった実際の富の印である。

 

この説の欠点は、フリーズの様々な場面の中に古い奉納物なる物を特定できないことである。運ばれている品々

も現実のモノを表しているように見える。

 

この説の変種の一つとして、ペルセポリスのレリーフから着想を得たとの解釈がある。すなわちペルシア帝国

の政治宣伝をいわゆるアテネ帝国に応用し、アテネをエーゲ海およびペルシアから独立したアジアのギリシア人

の主人として表現したとするのである。しかし両者の類似は表面的なものにすぎない。それにペルセポリスの浮

彫が従属諸民族の貢納行列を描いているのに対し、フリーズではアテネに貢納する同盟国が特定できない。

③歴史的解釈

 

前四九〇年、マラトンの会戦の直前にアテネ市民団が祝った、まさに特定の大パンアテナイア祭である。マラ

トンで倒れた兵士を、祭典に参加しているように描いて英雄化し、実際には歩兵である彼らを騎乗または戦車に

搭乗した姿で描いた。フリーズ上の騎兵と戦車上の人物は合計一九二人で、マラトンの戦死者の数と一致する。

 

これは非常に巧みな解釈で、メトープがギリシア人とペルシア人を比喩的に対比していることにも合致する。

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フリーズを歴史的な過去にはめ込み、英雄崇拝のジャンルに組み込んでいる。しかし一九二人という数字はフリー

ズ断片の誤った再構成によっており、数え方が恣意的である。また戦車が含まれている理由がわからない。

ペプロスの奉納場面

 

ここでは東フリーズに描かれたペプロス=聖衣の奉納場面に限定し、引き続きJenkins

に依拠して解説する(図

3)。

 

左にゼウスとヘラ、右にヘファイストスとアテナが座る。これら二組の神々のうち外側に位置する方が内側を

向き、画面の統一性を強めている。中央の五人のうち、二人が大人、三人が子ども。左から右へ見ていくと、二

人の少女がクッションのついた腰掛を頭に持ち、左端の少女は左腕にも足載せ台を持つ。二人を迎えるのが大人

の女性で、先頭の少女の荷物運びを手伝っている。彼女の右側にいる男性は、帯のない長いテュニックという神

官の身なりをしている。彼に向き合って子どもがおり、二人でペプロスを支えている。

 

人物の同定には諸説あり、右端が少年か少女かも不明である。最も多く支持されている同定によると、彼らは

アテナの祭儀関係者である。二人の少女はアレフォロイ=聖秘物運び、女性はアテナ・ポリアスの女神官、男性

はアルコン・バシレウス、子どもが男の子なら神官の助手となる。

 聖秘物運び

 

東フリーズの人物から、聖秘物運びについて説明する。ここでは桜井万里子『古代ギリシアの女たち』(中公新書、

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図 3 東フリーズ中央部

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一九九二年)を適宜使用する。

 

この役は七歳から一一歳の少女四人で、上流家庭の少女から選ばれ、民会で選出される。四人のうち二人は一

年任期で、聖秘物運び本来の役目としてアレフォリア祭の密儀で聖秘物を運んだ。アレフォリア祭とはアテナ女

神のための祭の一つで、麦の収穫が終わったスキロフォリオン月(現在の六月から七月)に行なわれた。これに

ついては、紀元二世紀にパウサニアスが『ギリシア案内記』の中で次のように述べている(馬場恵二訳、岩波文庫)。

ここに私を非常に驚嘆させた行事があって、しかも誰もが知っているというような神事ではないので、何が

執り行なわれるのか、書いておくことにしよう。二人の少女がポリアスの神殿のすぐ近くで寝起きしてい

て、アテネの人びとは彼女らのことを「聖秘物運び」と呼んでいる。彼女らはある期間を女神のもとで過ご

し、祭礼当日がやってくると、夜中につぎのような役を演ずる。アテナの女神官の授けるものを頭に載せて

運ぶのだが、授ける側の女神官も自分が授けるものが何かを知らず、運び役の少女たちにも分かっていない。

ところで(アレフォロイの家の)囲壁は、市内在所のほうのいわゆる「庭園に在い

すアフロディテ」(の聖所)

からそう隔たってはおらず、しかも、囲壁をくぐって天然の地下道が下に通じているのだが、実はこの道を

少女らは降りていくのだ。彼女らは運んできたものをそのまま置き去りにして、代わりに何か包み隠された

ものを受け取って持ち帰る。そこまでで彼女らはお役ごめんとなり、人びとはこれと交代に別の少女たちを

アクロポリスに導いていく。(一・二七・三)

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これは通過儀礼の一種と見ることができる。アテネのすべての少女は結婚前にアテナ女神に参詣する習慣が

あった。それゆえ思春期の少女の通過儀礼を祭式にしたのが、この密儀であったと考えられる。

ペプロスの織りと意匠

 

四人の聖秘物運びの残る二人は任期四年で、アテナ女神の女神官の監督下におかれる。彼女らの任務は、カル

ケイアの祭(一一月頃)でペプロス=聖衣を織るための織機を据え付けること、そして聖衣を実際に織る作業を

する織り子(エルガスティナイ)たちを監督することであった。織り子には、聖秘物運びよりもさらに幼い少女

たちが選ばれ、その数はおそらく一〇〇人を越えていた。東フリーズの右側で、何も持たずに行列の先頭を進む

少女たちは、作業を終えたエルガスティナイである。

 

そもそも織物を人間に教えたのはアテナ女神であり、それは彼女が教えた他の多くの技術と並んで、文明の始

まりという観念を呼び起こす。少女たちはアテナから教えられた技術を用いてペプロスを織り、それをアテナに

捧げる。機織は典型的な女性の仕事である。それゆえ大パンアテナイア祭の中心をなすペプロス奉納は、織物と

いう家庭内の私的な技術を公的な領域に引き入れることを意味する。フリーズは奉納場面を神々の真ん中に置く

ことで、女性に与えられた独自の価値を表現している。機織を覚え通過儀礼を無事に終えた少女たちは、大人の

女性となって結婚し、家庭生活を営み、織物の技術を次の世代に伝えていく。東フリーズが示すのはこうした女

性の人生のサイクルと、ポリスが女性を自己のうちに組み込む社会的統合の機能である。

 

ところで彼女たちが織った聖衣はどのようなものだったのか。エウリピデスの悲劇『ヘカベー』に、次のよう

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な一節がある(丹下和彦訳)

あるいはパラスの都[アテネ]に住んで、

サフラン色の御衣の、

枝をこらし

花模様に織り上げられた布地の上に、

美しき戦車の女神アテーナーの若駒を

糸でかがってつなぎましょうか。

それとも糸でかがるのは、あのティーターン一族にしましょうか、

クロノスの御子ゼウスが稲妻の火で取り囲み

鎮め眠らせたあの族や

からに

。・(四六六~四七四行)

 

ティーターン一族とは、東メトープに描かれた巨人族のことである。すでに見たように、東メトープでは巨人

族がオリュンポスの神々と戦って倒される。そのすぐ上にある東フリーズで中央を占めるアテナ女神の聖衣には、

その巨人族が織られている。オリュンポスの神々の主神はゼウス、その代理人は守護女神アテナであるから、メ

トープとフリーズの図像はアテナを軸として見事に対応している。

 

巨人族の戦いについてはヘシオドス『神統記』が語っているので、その一部を引用する(廣川洋一訳、岩波文庫)。

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涯はて

しない海は 

怖ろしくあたりに 

響き渡り

大地は 

物凄く鳴り響と

よも動し 

広い天は揺すられて 

呻うめ

きの声をあげ

高いオリュンポスの山は 

その根もとから 

ぐらぐらと激しく揺れた

 (中略)

両軍は 

巨大な鯨と

きのこえ波あげてぶつかりあったのだ。

ゼウスは 

もはや御力を抑えてはおかず

すなわち 

御心が激怒に満ちるや 

すべての力を示された。

 (中略)

大地は 

すべて煮え立ち 

大洋の流れや

不毛の海も 

沸きかえった。熱い蒸気が

地の上のティタンどもを 

おし包み 

名状し難い火炎は 

輝く上ア

イテル天へと立ち昇った。

怖ろしく強力な彼らではあったが 

その双眼を盲め

しいに

したのだ

煌きらめき渡った 

雷電と雷光の輝きが。(六七八~六八〇、六八六~六八八、六九五~六九九行)

隣保同盟としてのデロス同盟

 

最後に再びCastriota

によるフリーズの新しい解釈を示す。彼はデロス同盟がアテネとイオニアの隣保同盟と

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いう性格を持ったことに着目し、フリーズは同盟諸市に対するアテネの指導的役割を正当化していると述べる。

その概要は次のようである。

 

アテネはデロス同盟諸市が属国でなく同盟国であることを納得させるために、利己主義的ではなく利他主義的

なヘゲモニーという修辞学を利用した。そこで活用したのが隣保同盟というギリシアの伝統的な制度である。隣

保同盟とはギリシア語でアンフィクテュオニアと言い、近隣に住む者たちの同盟の意。祭典や信仰を共有するギ

リシアの諸種エ

トノス族

・諸国ポリス家

が、特定の神殿や聖地を中心として結成した宗教的同盟で、時に政治的性格を帯びる。

 

同盟の本部が置かれたデロス島は、アポロンを守護神とするイオニア人の聖地である。しかるに前四五四年、

同盟金庫がデロスからアテネに移転されるとともに、アテナ女神が同盟の新たな守護神となった。アテネによる

隣保同盟の利用は、前六世紀にイオニア人が作り上げたパンイオニオンという先例に倣ったものである。もとも

とイオニア人はアテネによって植民されたという過去を持っていた。アテネが島嶼部および小アジア沿岸地方の

ギリシア諸市の母市であると主張したからこそ、アテネはデロス同盟の指導者として傑出した地位を得ることが

できたのである。こうした背景に照らして見ると、前五世紀の半ばにアテネが隣保同盟の側面を強調しアテネに

祭儀の中心を移したことは、戦略的な神技とさえ思われる。そこでは軍事同盟と隣保同盟の機能が混ざり合う。

カリアスの和約でペルシアの脅威が消えた後、戦時から平時へとスムーズに移行できたのも、隣保同盟だからこ

そだった。アテネはイオニア人との種族的・文化的・宗教的紐帯に依拠することによって、同盟諸市の貢租納入

義務を正当化することができたのである。

 

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大祭における同盟者たち

 

大パンアテナイア祭においては、デロス同盟諸市もまた参加の義務を負っていたが、注目すべきはそこにおけ

る同盟諸市の地位である。関連史料を二つ引用する。

①貢租納入の強化に関するアテネ民会の決議(前四四八/七年、M

eiggs-Lewis・46 

提案者の名前をとって「ク

レイニアスの決議」と呼ばれる)この決議は、同盟諸市が大パンアテナイア祭でアテナ女神へ初穂を奉納するよ

う定めただけでなく、次のように牛と武具一式を持参することを規定している。

 

もし何な

んぴと人

かが牛と武具一式の持ち込みに関して不正を犯すなら、[上記と]同様な告発がなされ、同じ処罰

があるべきこと。(四一~四三行)

②貢租の再査定に関するアテネ民会の決議(前四二五/四年、M

eiggs-Lewis・69

 

評議会でプレイスティアスが最初の書記を務め、ストラトクレスがアルコンであった年に貢租の査定を受け

たすべての諸ポリスは、牛と武具一式を大パンアテナイア祭に持参すべきこと。[各ポリスの代表は、アテネ人]

入植者たちと同様に祭典行列に参加すべきこと。(五五~五八行)

 

アテネ人入植者とはクレールーコイと呼ばれ、アテネから海外に入植した者たちで、通常の植民者とは異なり

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母国の市民権を保持している。

 

右の史料から明らかなのは、大祭のために課せられた義務において、同盟諸市はアテネ人入植者と同列に扱わ

れていることである。アテネはかつてイオニア人がアテネからの植民者であったという伝承を利用し、イオニア

人と最近のアテネ人入植者を等しい立場に置いた。これによってアテネは自らをエーゲ海全域の諸都市の創設者

として描くだけでなく、同盟諸市が従属民でも被支配者でもない、母市と共通の出自を持つ同胞であると主張す

ることができた。彼らがアテナ女神に払う敬意は従属の印ではなく、むしろ敬虔と血縁の印と見なされる。もち

ろんこれは現実の歪曲である。しかし華麗な祭典の真っ只中では、同盟者たち自身もそれを信じる気になったか

もしれない。

 誰もがフリーズに自分を見る

 

パルテノン神殿の背景に以上のようなアテネの権威と指導権の称揚があったとすれば、神殿が何らかの形で同

盟諸市に言及していたことは疑いない。では全長一六〇メートルにおよぶフリーズの一体どこに同盟者の姿があ

るのか。東面の神々を除けば、描かれているのはほとんどアテネ人だけではないのか。同盟諸市の代表が牛を連

れてきたとすれば、北面と東面で牛につき従う者たちが該当するかもしれない。しかし彼らはアテネ人入植者、

あるいは地方から来たアテネ市民の可能性もある。もしもフリーズの設計者が同盟者を特定できるようにしよう

と欲したなら、武具を描いたであろう。しかしそうしたとしても、人物の外見だけから出自を判別することはで

きなかったろう。

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実際のところフリーズにおいて、アテネ市民とアテネ人植民者と同盟諸市の代表は区別しがたい。と言うより、

区別する必要がないのである。誰もがフリーズに自分自身の姿を見出すことができたのだ。なぜなら設計者はこ

れら三者の区別を避けるか、あるいは故意にぼかそうとしていたのだから。フリーズが求めたのは、母なるアテ

ネとその植民者の子孫たちが、守護女神の崇拝において統合されるというイメージである。イオニア人の母市た

るアテネと同盟諸市との敬虔な絆はこうして再確認され、フリーズに視覚化されたのである。

 

パルテノン神殿は、隣保同盟という外観においてアテネの公式見解を象徴している。それはペルシアに対する

勝利、東部ギリシアと島嶼部の解放、汎イオニア的な同胞関係である。これはまさしく宗教的伝統の操作による

帝国支配の隠蔽と言ってよい。

 

以上がCastriota

の解釈と結論である。美術史に加えて政治史・文化史・宗教史を駆使した見解で、非常に説

得力がある。

おわりに

 

授業ではこの後三回を費やして、大英博物館のパルテノン彫刻の返還問題を取り上げた。テキストは朽木ゆり

子『パルテノン・スキャンダル――大英博物館の「略奪美術品」』(新潮選書、二〇〇四年)で、受講生全員に買っ

てもらった。二〇〇六年度の授業でこれを取り上げた時の内容や、ミニレポートの課題及び優秀作品については、

拙著『学生をやる気にさせる歴史の授業』一四六~一五五頁で詳しく紹介したので、ここでは省略する。

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Page 48: 神殿を飾るレリーフは大パンアテナイア祭や数々の …-・309・- 6 メトープの概要 7 メトープおよび破風の図像解釈 8 フリーズの図像解釈と大パンアテナイア祭

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二〇〇八年度前期の時点では、関連する著作が刊行されたり、アテネの新アクロポリス博物館が完成したりと、

新しい展開があった。そこで最小限のコメントをしておこう。

 

新しい著作は次の二点である。

 

①J.H.M

erryman(ed.),・Im

perialism, A

rt and Restitution,・Cam

bridge,・2006.

 

②J.Cuno,・Who O

wns A

ntiquity ? : Museum

s and the Battle over Our A

ncient Heritage,・Princeton,・2008.

 

①はいわゆる略奪美術品の帰属問題を正面から論じた論文集。授業でもその一部を紹介した。編者であるメリ

マン教授の主張は、朽木氏の著書でも詳しく取り上げられている。ぜひとも翻訳してほしいものだ。

 

②の著者であるCuno・

は現在シカゴ美術館の館長で、これまでコートールド美術館とボストン美術館の館長を

歴任した。彼は略奪美術品の返還はかえって作品を損なう危険があると指摘し、文化財は全人類の遺産であると

いう立場から、作品の返還を求めるナショナリズム的な要求を批判している。

 

この次にパルテノン彫刻を授業で扱う時には、右の二冊を使うことが必須になるだろう。

 

アテネの新博物館については、朝日新聞が二度にわたって報じている。日付と見出しを記す。

 

・二〇〇七年一二月五日国際面八頁「地元か「世界の遺産か」 

パルテノン神殿彫刻群 

ギリシャが返還要求」

 

・二〇〇九年六月二二日夕刊「レプリカ展示で英に対抗 

ギリシャに新博物館開館」

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