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現代社会へのとびら2019年度1学期号 9 山形県立鶴岡工業高等学校 定時制 松田圭一郎 ◆はじめに 現代社会の諸課題の うち「生命」に関する 単元で取り組みたいの は以下の2点である。 ①科学技術や医療技術 の進展を概観する。 ②もろもろの倫理的課 題を知り,それにつ いて主体的に考える。 とくに②については, 社会全体としてどのよ うな倫理観をもつか, またどのような合意形 成をするのかが問われ る時代ではないか。一 方で,一人ひとりのも つ思いにどこまで寄り 添えるのかも大切だ。そこで,この単元を学ぶう えでは『高等学校 新現代社会』(以下,教科書) p.24本文中の「人間の尊厳」を重要な視点とし て,生徒一人ひとりの意見形成をうながしたい。 1時間目の展開=科学技術や医療技術の発達を概観する ▪臓器移植・脳死を導入に医療の進歩と社会の変 化に気づかせる まず,授業の導入で生徒に示すのが,教科書 p.28「②臓器移植を待ちながら亡くなった長男 の写真を手に記者会見する遺族」である。なぜ臓 器移植ができなかったのかを考えさせると,生徒 からは「提供する人の数が少ない」という反応が 期待される。そういった反応を引き出しつつ, 『ラ イブ!現代社会2019』(以下,『ライブ!』)p.52 3改正臓器移植法のポイント」を確認する。と くに臓器移植の要件や子供の取り扱いについて触 れることで,法律自体も変化していることを気づ かせる。そのあと,脳死について教科書p.28「脳 死判定の基準」を参照し,脳死判定が臓器移植の ための特別な判定基準であることに触れる。医療 技術の向上による生存可能性の増大に際し,法的 な決めごとにも変化が生じたことになる。こうし た点をふまえつつ,この単元の目標が「生命に関 する科学技術や医療技術の進展を学び,それに伴 う倫理上のさまざまな課題について考える」であ ることを提示する。 生命の授業案 〜人間の尊厳をどのように考えるか〜 私の授業実践

生命の授業案〜人間の尊厳をどのように考えるか〜 · する。『ライブ!』p.49「1クローン技術」では 畜産の分野で生産が増加するのが期待されること,

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Page 1: 生命の授業案〜人間の尊厳をどのように考えるか〜 · する。『ライブ!』p.49「1クローン技術」では 畜産の分野で生産が増加するのが期待されること,

現代社会へのとびら★2019年度1学期号 9

山形県立鶴岡工業高等学校 定時制 松田圭一郎

◆はじめに 現代社会の諸課題のうち「生命」に関する単元で取り組みたいのは以下の2点である。①科学技術や医療技術の進展を概観する。②もろもろの倫理的課題を知り,それについて主体的に考える。 とくに②については,社会全体としてどのような倫理観をもつか,またどのような合意形成をするのかが問われる時代ではないか。一方で,一人ひとりのもつ思いにどこまで寄り添えるのかも大切だ。そこで,この単元を学ぶうえでは『高等学校 新現代社会』(以下,教科書)p.24本文中の「人間の尊厳」を重要な視点として,生徒一人ひとりの意見形成をうながしたい。

1時間目の展開=科学技術や医療技術の発達を概観する

▪臓器移植・脳死を導入に医療の進歩と社会の変化に気づかせる まず,授業の導入で生徒に示すのが,教科書p.28「②臓器移植を待ちながら亡くなった長男の写真を手に記者会見する遺族」である。なぜ臓器移植ができなかったのかを考えさせると,生徒からは「提供する人の数が少ない」という反応が期待される。そういった反応を引き出しつつ,『ライブ!現代社会2019』(以下,『ライブ!』)p.52

「3改正臓器移植法のポイント」を確認する。とくに臓器移植の要件や子供の取り扱いについて触れることで,法律自体も変化していることを気づかせる。そのあと,脳死について教科書p.28「脳死判定の基準」を参照し,脳死判定が臓器移植の

ための特別な判定基準であることに触れる。医療技術の向上による生存可能性の増大に際し,法的な決めごとにも変化が生じたことになる。こうした点をふまえつつ,この単元の目標が「生命に関する科学技術や医療技術の進展を学び,それに伴う倫理上のさまざまな課題について考える」であることを提示する。

生命の授業案〜人間の尊厳をどのように考えるか〜

私の授業実践

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すことを主としたい。 ここではマイケル=サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』で紹介されている「ベビーM事件」を通じ考えてみる。まず,『ライブ!』p.51

「2③代理出産・卵子提供」に目を通すことで「ホストマザー」と「サロゲートマザー」の違いをしっかり認識させ,この事件が「サロゲートマザー」に関係したものであることを最初に断っておく。そのうえで事件を説明する。

 契約違反の状況ではあるが,契約そのものの是非などについて各自の考えを整理させる。そのうえで4人グループで意見を交換し合う。生徒一人ひとりにさまざまなとらえ方があることをまずは実感させたい。そのあとでこの事件に対する地裁と最高裁の判決文から次のように紹介する。

▪再生医療・クローン技術などの最新医療の現状を学習する 次に『ライブ!』p.51「1出生前診断」やp.49「2ヒトゲノム」,教科書p.27

「Column ES細胞とiPS細胞」でそれぞれの基本的な内容を理解させる。それぞれに生まれる前に遺伝病を発見できる,医療への応用が可能である,再生医療に役だつというメリットがあることを紹介する。一方で命の選別,遺伝子情報による雇用や保険面での差別,受精卵の破壊につながりかねないなどの問題があることも指摘する。 さらに人間以外の動植物に関係した内容に言及する。『ライブ!』p.49「1クローン技術」では畜産の分野で生産が増加するのが期待されること,p.50「3遺伝子組み換え食品」では交配の繰り返しよりも短期間に品種改良できることを紹介する。一方でクローン人間に対する規制や遺伝子組み換え食品の表示義務化など,対処すべき問題があることも示す。ビジネスの論理で遺伝子組み換え食品が大量に出まわるようになったが,それらに対する懸念は消えておらず,規制する動きもある(p.50「③遺伝子組み換え食品への意見」参照)。次時は単元目標を考えるにあたり,ビジネスの論理との関係性を考慮していく旨予告する。

2時間目の展開=生命倫理をどう考えるか,単元のまとめ

 2時間目は一人ひとりの主体的な考察をうなが

私の授業実践

 代理母は依頼した夫婦の夫の精子を人工授精し子供を産み,生まれた子供を夫婦に引き渡す。そのかわりに報酬や医療費を受け取る契約をした。ところが出産後代理母は子と別れるのを拒み,逃亡した。

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 この契約は無効となった。人間としての規範と商業生産の規範の対立と考えれば,今後の各単元においても同じ問いをもたせながら生徒に学習に向かわせることが可能ではないだろうか。さらに

『ライブ!』p.51「◉ビジネス化する代理出産の課題」を紹介し,これが商業生産の規範にもとづくことや,経済格差のある二つの地域間で成り立っていることなどを生徒に気づかせたい。 この時間の最後に教科書p.24「生命誕生に介入することの課題」,p.27「生命倫理をどう考えるか」に触れる。「人間の尊厳」や「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」が一人ひとりの一生全般にかかわる問題であること,社会全体でこれら

を大切にすべきことなどについて説明する。今回は扱いきれなかったが,「尊厳死」「安楽死」という選択肢が個人の自由として無条件に許容されるのかどうか。こちらも時間をかけて考えさせてよいテーマだ。 また,教科書p.27「障がいをもった人の声」で紹介されているとおり,他者の状況を想像する力が大切であることも強調しなければならない。

◆おわりに 私事で恐縮だが,昨年父が他界した。誤嚥を重ね,口から食べ物を入れられなくなってからも,点滴によって容体は半年以上も安定した。しかし脳の萎縮も進み,自分の状況もよくわからずにただただ寝込んでいる状況でもあった。私はこの状況にどう対峙すればいいのかわからないままに日々を過ごした。生徒がこのような経験をするのはまだ先のことかもしれない。しかし,高校生という多感な時期にこそ,答えを求めるよりも,生命というものに向き合ってみることは重要だ。この単元を通して,少しでも「人間の尊厳」に対する意見をもてるようになってほしい。

生命の授業案〜人間の尊厳をどのように考えるか〜

・地裁判決より「(夫婦と代理母は)それぞれ相手がほしいものをもっていた。おたがいに履行するとしたサービスの価格は合意のもとに決定され取り引きは成立した。」・最高裁判決より「この母親(=代理母)がどれほどお金に困っていたか,代理母になる意味をどこまで理解していたかという問題は別にしても,彼女の合意は不適切なものである。文明社会には金銭で買えないものも存在する。」

(写真:朝日新聞社)