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経済学部管見 経済学についての論考,経済学教育に関する論考は数多く存在する.本 稿において,経済学部とはどういうところか,なにゆえに経済学部に入学 するのか,経済学部を卒業したものがなにをえるのかといった視点からの 考察を行なう.経済学部に入学する学生は,資格と関係する学部ほどには 明確な意思,目的を持って入学する学生は少ないといわれる.実際.なに ゆえに経済学部に入学してくるのか,どのようなことを考えて入学するの か,私自身の経済学部入学の経緯を示しておく.特殊ではあるが,明確な 事例である.つぎに経済学部に入学することはどういうことなのかを考察 する.そして大学になぜ入学するのか,大学生は多いのかについて考察す る.最後に私立大学経済学部の講義 1 時間あたりの費用をみる. 1 まず私自身がどうして経済学部に入学したのか,述べておきたい.生ま れた場所は但馬にある山間部,母の実家である.そのせいか祖母にはかわ いがられた.私も祖母が好きであった.その祖母が愛した祖父は海軍の軍 人であったが,私が生まれるずっと前になくなっていた.軍人になれとい われたことは一度もないけれど,祖母を喜ばすためと,自分の好みから, 船乗りになることを夢見ていた.高校生になって,商船大学に進学するつ もりで,クラスは理工科系進学クラスを選ぶ予定でいた.ところが 2 年生 になって近眼になり,裸眼での視力が一定以上要求される商船大学進学は ―296―

経済学部管見 - i-repository.net · 2)このため,卒業後に,経済学は役に立たないといわれる.が,経済学を学 ぶことでえた教養は役に立つ.

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経済学部管見

三 闢 一 明

経済学についての論考,経済学教育に関する論考は数多く存在する.本

稿において,経済学部とはどういうところか,なにゆえに経済学部に入学

するのか,経済学部を卒業したものがなにをえるのかといった視点からの

考察を行なう.経済学部に入学する学生は,資格と関係する学部ほどには

明確な意思,目的を持って入学する学生は少ないといわれる.実際.なに

ゆえに経済学部に入学してくるのか,どのようなことを考えて入学するの

か,私自身の経済学部入学の経緯を示しておく.特殊ではあるが,明確な

事例である.つぎに経済学部に入学することはどういうことなのかを考察

する.そして大学になぜ入学するのか,大学生は多いのかについて考察す

る.最後に私立大学経済学部の講義 1時間あたりの費用をみる.

1

まず私自身がどうして経済学部に入学したのか,述べておきたい.生ま

れた場所は但馬にある山間部,母の実家である.そのせいか祖母にはかわ

いがられた.私も祖母が好きであった.その祖母が愛した祖父は海軍の軍

人であったが,私が生まれるずっと前になくなっていた.軍人になれとい

われたことは一度もないけれど,祖母を喜ばすためと,自分の好みから,

船乗りになることを夢見ていた.高校生になって,商船大学に進学するつ

もりで,クラスは理工科系進学クラスを選ぶ予定でいた.ところが 2年生

になって近眼になり,裸眼での視力が一定以上要求される商船大学進学は

―296―

だめになった.さてそこで困った.どこにするのか.3年生になってもま

だ決められなかった.

そんな折,クラスの担任で,進路指導の先生と対立して,勝手にしろと

最後通牒をいただく羽目になった.時期も時期である.これを契機に,必

死になって進路先を考えた.学部・学科をいろいろみて,何をするところ

かわからなかったのが経済学部であった.経済学部を受験することにした

のは,わからないところにいくという冒険心は少しだけで,多くの学生が

受験するところならば,無難であるという打算の結果である.私の場合は

まさしく,ただ大学に進学したかっただけで,経済学部入学に特別の意味

があったわけではない.

こんなわけでわたしは経済学部に入学した.経済学部でなければならな

いという明確な目的をもって入学したのではない.ただ,大学に進学した

いということは明確である.商船大学がだめだから,工学部がだめだか

ら,という消去法で,経済学部に進学すれば何かがあるかもしれないとい

うだけである.近頃の学生は何も考えずに大学に入学するという声を聞く

と,身のすくむおもいである.しかしながら近年の受験生には,経済学部

に目的意識を持って入学する学生が明らかにふえている.入学試験に口頭

試問,面接方式が取り入れられた結果だとおもわれるが,頭がさがりま

す.これが筆記試験だけだと,このようにはならない.受験制度が変われ

ば,受験生の意識も変わるということである.

経済学部には,私のように入学に際して,目的意識が明確でない学生が

多いといわれる.不本意入学にちかい学生が多いというわけである.はた

してそうなのか,これについて考えてみる.医師になる,建築家になる,

エンジニアになる,裁判官になる,会計士になるために大学に進学するの

は,確かに進学動機が明確である.これらのものは,すべて技術にかかわ

るものであり,資格にかかわるものである.直接,職業にかかわるいわゆ

る実学的なものである.では,サラリーマンになる,公務員になるという

経済学部管見

―297―

ことで,経済学部に入学することは,進学動機が明確でないといえるの

か.職をえて,職につくという面からみれば,同じ職業人である.サラリ

ーマンになることも,医師になることも,学者になることも何も変わりは

ない.サラリーマンであれ,医師であれ,学者であれ,職業人として,社

会的に一定の役割を果たしていることにかわりはない.医師になるために

大学に入学することに目的があるならば,サラリーマンになるために大学

に入学することにも目的はあるといえる.

医師や建築家になるためには,特殊な知識と技術が必要とされる.若い

うちでないと修得しにくい技能もある.そのための専門学校もある.これ

に対して,サラリーマンのほうは特殊な知識,技術は必要とされないと考

えられている.またサラリーマンになるための専門学校はない.サラリー

マンになるためには特殊な知識,技術も必要であるが,それよりも必要と

されるのは全般的な知識である1).全般的な知識,すなわち教養である.

他の学部の学生に比して,経済学部の学生は,サラリーマンとして必要な

高い視点,広い視野を身につけることができるというわけである.なぜな

ら経済学は,つねに全体と個という視点が必要な分野である.経済学は個

との対比において,全体を考え,全体をみるという分野である.個人が生

活する場所で,生活において直接必要とされる知識ではない.経済学の専

門家か,経済学の知識を必要とする部署につかないかぎり,必要とされる

ものではない2).経済学部を卒業した学生に求められる資質は,技術の上

手,下手でもなく,資格をえるために必要とされる知識でもなく,経済

学3)を学ぶことでえた教養である.────────────1) これを重視するのが,公務員制度である.川手摂(2005),pp. 6−8,によ

れば「事務官」と「技官」は区別され,事務官は技官よりも優位とのことである.

2) このため,卒業後に,経済学は役に立たないといわれる.が,経済学を学ぶことでえた教養は役に立つ.

3) 経済学の扱う分野は幅が広い.哲学,論理学,歴史学,地理学,心理学,社会学,数学,統計学等ほとんどあらゆる分野と関係している.

経済学部管見

―298―

大学というところは,「学問」するところで,いわゆる技術を学ぶとこ

ろではないという視点からみれば,経済学部の学生が不本意入学というの

はとんでもない話で,経済学部の学生こそが,サラリーマンになるという

目的を持って,大学に「学問」するために入学したといえる.学問すると

いうことのなかには,「実学」が含まれている.学問と実学とは対比され

るものではない.実学は学問の一部である.

医師になるのではなく,エンジニアになるのではなく,会計士・税理士

になるのではなく,サラリーマンになるためでもなく,学者になるためで

もなく,どうするのかを考えるために経済学部に入学するというケースも

考えられる.経済学部に入学すれば,とりあえず 4年間の猶予期間が手に

入る.しかも 4年後にどういう人生をおくるのかいまの時点で決められな

い場合でも,サラリーマンになるという保険もかけられる.このように考

えると経済学部というところは,大学で学問するには最適の環境を備えた

学部であるといえる4).

2

ところで,大学の数が増加し,大学生の数が増加すると,こんなにも大

学はいらない,こんなにも大学生はいらないという声を聞く.つまり,大

学は学問をするところであって,職業教育の場ではない,ということであ

る.極論すれば,「職業としての学問」を選ぶ人以外は基本的に大学に入

────────────4) 人生の目的というのは,通常なかなか決められないものである.イエス・

キリストがヨハネから洗礼を受けたのは,30歳前後であり,釈迦が出家したのはやはり 29歳といわれている.ましてわれわれ凡人に関しての話である.人生 80年にもなれば,よくよく考えてみる必要がある.決められないということはマイナスの面だけではない.むしろ早い時期に決めるのは拙速である場合もある.その点においても,経済学部は弾力性のある学部だといえる.

経済学部管見

―299―

学しなくてもいいという主張である.多くの人が大学に進学するゆえに,

このような声も絶えることがない.このような批判を受けながらもなぜ大

学に進学するのであろうか.大学に進学するのはなぜか.つぎにそれを考

えてみる.

さきに大学生の数が多いという声に対して,たしかに大学生全体の数は

増加したけれど,経済学部の学生数だけをみれば,それほど多いとはいえ

ないということを書いた5).大学生が多いという主張の背景には,世の中

にこれほど学問をする人はいらないという考えがあるようである.はたし

てそうであろうか.まず就職という点から中学卒業後の進路をみると次の

ようになる.

中学卒業 高校 大学 大学院 就職

就職 就職 就職

中学卒業時点での選択肢は,高校進学か,就職である.高校卒業時での

選択肢は,大学進学か就職である.大学卒業時での選択肢は,大学院進学

か就職である.大学院終了時での選択肢は,就職だけである.就職という

視点からみれば,中学を卒業して就職するのか,高校を卒業して就職する

のか,それとも大学を卒業して就職するのか,どの時点で就職するのかと

いう違いだけである.大学院を卒業しても,生活するために,いずれかの

職種は選ばなければならない.

中学を卒業して,就職しないで高校に進学するのは,中学を卒業して職

業につくよりも有利な職業を選択できるからである.高校を卒業して,就

職しないで大学に進学するのは,やはり高校を卒業して職業を選ぶよりも

有利な職業を選べるからある.

なぜそうなのかというと,中学を卒業して選択できる職業は限られてい────────────5) 三闢(2006).

経済学部管見

―300―

るということである.また中学卒業者は少数派になり6),就職だけでな

く,就職以外のことにおいても社会的に不利な条件となるからである.お

なじことが,高校卒業者にもいえる.平成 17年度における 4年制大学進

学率は 44.2%である.短大を含めた大学進学率は 51.5%である7).したが

って,高校卒業者のうち大学・短大進学者はほぼ半分である.しかし,高

校を卒業して就職するよりも,なお大学を卒業して就職するほうが有利で

ある8).つまり,社会というシステムのなかで,自立して生活するという

出発点において,大学を卒業することを前提とする事柄が,就職をはじめ

として増加したということである.

中学卒業者の初任給と,高校卒業者の初任給,さらには大学卒業者の初

任給は,学歴が高くなるとともに高くなっている10).年齢が異なれば,給

与額は異なるので,同一年齢における給与額をみる.表 1に,29歳,59────────────6) 平成 16年に中学を卒業した人は 1,299,000人で,そのうち就職した人は

9,000人,就職率は 0.7%である.また,高校進学率は 97.5%である.高校を卒業した人は,1,235,000人であり,そのうち就職した人は 207,000人,就職率は 16.9%である.文部科学省(2006 a)参照.

7) 4年制大学進学率には,過年度高校卒業者等を含む.文部科学省(2005)参照.

8) 平成 17年 3月の大学卒業者数は 551,016人であるが,進学者は 66,108人である.大学から別の教育機関に進むものは,12%に及んでいる.文部科学省(2005)参照.

9)「標準労働者」とは,学校卒業後直ちに現在の企業に就職し,同一企業に引き続き勤務している者.厚生労働省(2006)参照.

10) 新規学卒者(男性)の初任給は,平成 16年において中学卒 156,100円,高校卒 170,700円,大学卒 198,300円である.厚生労働省(2006)参照.

表 1 男性標準労働者9)の年齢各歳別所定内給与額(産業計)(平成 16年 6月)(単位:千円)

年齢 中学 高校 大学

2959

236.7412.6

252.5487.7

281.2585.5

資料:厚生労働省(2006)

経済学部管見

―301―

歳における学歴別の給与額が示してある.同一年齢同一賃金にはなってい

ない.明らかに,中学卒業者よりも高校卒業者が有利であり,さらにそれ

よりも大学卒業者のほうが有利である.賞与,その他の収入,退職金11)等

を考えるとこの差はますます大きくなる.多くの人が大学に進学する理由

はこれである.したがって,大学生を減少させるためには,高校卒業者の

初任給と大学卒業者の初任給と,変わらないようにすることである.つま

り,就職に関しては,大学を卒業して就職しても,高校を卒業して就職し

ても,条件は同じにするということである.大学には学問をしたいから,

人生を考えたいからいくだけであって,就職とは無関係であるという社会

システムを作れば,大学数,大学生の数はまちがいなく減少する.

高校卒業者よりも大学卒業者が求められるという背景には,中学卒業者

よりも高校卒業者が,高校卒業者よりも大学卒業者が,就職において有利

であると同時に大学教育を受けた人材を必要とする職種,企業が増加した

ということである.そしてその大学に必要な教育費用は,企業が負担する

のではなく,個人,あるいは国に負担させているので企業の人材教育にか

かる費用は安くなるということである.さらに,大学進学による個人の経

済的負担は,以前に比較すれば相対的にも絶対的にも,軽減されていると

いうことでもある.

それでもなお,大学は学問をするところであり,就職するためなら,な

にも大学にいかなくてもいいという考えがある.これは絵を描くために,

作曲をするために,大学にいく必要はない.芸術することは大学で学べる

ことではないということとあい通じる面がある.にもかかわらず,芸術を

志すものも大学に進学する.また相撲界をみると,中学卒業生を確保する

のが難しくなってきた代わりに,数十年前までは皆無であった大学卒業者

────────────11) 定年退職者の退職給付額は,勤続年数 35年以上の場合,大学卒の管理・事

務・技術職で 2,612万円,高校卒の管理・事務・技術職で 2,339万円,中学卒の現業職で 1,622万円である.厚生労働省(2006)参照.

経済学部管見

―302―

の力士が増加している.野球界も同じである.多くのスポーツにおいて同

様である.これには三つのことが考えられる.ひとつはさきにも触れたよ

うに中学を卒業して就職する人が少なくなったということである.ふたつ

目は,スポーツを職業にすることは,基本的に職業としての安定性,生活

の安定性が低いということである.安定した生活をするためには,その確

率が非常に低い職業は避けられるべきである.通常,ひとは安定した生活

を求めて,高校に進学し,大学に進学していると考えられる.多くの人が

大学に進学するということは,個々の家計が豊かになり,高校に進学させ

る,大学に進学させる余裕ができたことによる.中学を卒業してすぐに職

業を決めるよりも,大学を卒業してから職業を選ぶほうが,生活の安定度

が高くなっていることが上げられる.この二つが大きな理由であるが,さ

らにもうひとつ追加される.

みっつ目は,科学技術の発達による.個人,あるいは企業という単体だ

けで行われていた個人主義的な,個人の趣味的に行われていた科学技術の

開発が変化して,大学が社会に組み込まれて社会で必要とされる技術を組

織的に開発するという軍事技術開発と同じようやりかたで,社会の必要に

応じて共同体的な科学技術の開発が行われるようになった.その結果,個

人ではできない技術開発が行われるようになる.

科学技術の大々的な開発が行われた結果,社会において必要とされる技

術知識が爆発的に増加した.社会は急激に変化をし,豊かになり,社会の

システムが複雑になった.多くの知識を持っていなければ,この豊かさを

享受することはできない.街なかで生活するには,地下鉄の乗り方,切符

の買い方にはじまって,交通ルールを熟知していないと道すらも歩けな

い.パソコンの扱い方,携帯電話の扱い方,を熟知していないと生活が不

便である.テレビをはじめこれらの機器は,単にボタンをひとつふたつ押

せばいいというものではなくなってきた.ボタンの数がやたらに増え,そ

れぞれの機能に応じてどのボタンを押せばいいのかわからないとテレビす

経済学部管見

―303―

らみることができなくなっている.年金はじめ,税金のこと,制度や法律

を理解していないと損であり,不利であり,生活にも支障をきたす.社会

のシステムが変化した.生活のために必要とされる制度が複雑化し,必要

とされる知識の量が増加した.このことが社会のあらゆる分野におよび,

スポーツ界においても,必要とされる知識の幅が広がり,技術が高度化し

たことが考えられる.

かってであれば中学卒業生で確保できた人材が,社会のシステムが変化

した結果高校進学者が増加し,獲得できなくなった.あるいは,かってで

あれば高校を卒業して通用した知識,技術,そして体力が,知識,技術が

高度化し,試合形式等が変化(安全性を含め,夜でも多くの人を集めることが

できるシステムが確立された結果,たとえば昼のゲーム中心から,ナイター中心の

ゲームへの変化,天候に関係なく試合が可能となる施設の使用,テレビ中継等)

したため,それまでとは異なる人材が必要とされ,高校にではなく,大学

に人材を求めるということになる.スポーツをするのに,学問,大学は必

要がないと主張する人もいるが,社会のシステムがそのように変化したと

いうことである.

強調したいのは,音楽12)に学問がいるのか,いらないのか,スポーツに

学問がいるのか,いらないのかが問題ではない.大学を卒業した人が職業

としてスポーツを選ぶというシステムに社会が変化したということであ

る.もちろん学問をした人が職業として学問を選ぶことも可能である.そ

れが大学である.日本の大学は,明治以来そういう大学のシステムを維持

してきた.職業として学問を選ぶ学生もいれば,そうでない学生もいる.

問題を正確にいえば職業として学問を選ぶ学生はそれほど多くはいらない

ということである.大学の学生が多すぎる,少なすぎるという問題ではな

い.大学の学生が多いということ自体は,社会の需要がそれだけあるとい

うことであり,むだなことではない.────────────12) 中世ヨーロッパの大学において音楽は 3学 4科のひとつである.

経済学部管見

―304―

スポーツ界,音楽界と同様に,職業として理髪業を選ぶ人も,大工にな

ることを選ぶ人も,造園業を選ぶ人も,大学に進学する人が増加してい

る.これらの理由も,スポーツ界,音楽界と同様である.いいかたを変え

れば,大学を卒業してからこれらの職業を選ぶのに見合うだけの収入がえ

られるようになったということでもある13).

たとえば,すべての人が大学の医学部に入学したと想定する.そしてす

べての人が試験に合格して,医師の免許を取得したとしよう.職業として

の医師は,これだけ必要ないので,多くの人は生活のために医師とは異な

る別の職業をみつけなければならない.その場合でも一定数の病院と病院

に勤務する医師は必要である.すべての人が医師としての知識,技能を所

有していることは悪いことではない.むしろ望ましいことである.ただこ

れには費用がかかる.この費用を個人が負担するならば,医師は収入に見

合う職業ではなくなり,医学部進学者は減少する.最終的には,市場が必

要とする医学部進学者数に落ち着くようになる.このように社会のシステ

ムが大学の,大学生の動向を決める大きな要因である14).

大学 4年間を終えると,22歳である.現在の教育は人生 50年の時代に

考えられた教育制度,教育期間のもとに行われている.したがって,人生

80年の時代にふさわしい学校制度,教育期間であるといえるものでな

い.人生 50年の時代であれば,22歳は人生のほぼ半分に達しているわけ────────────13) 内閣府(2005)によれば,価格はつぎのようになっている.明治 25年を 1

としたときの,平成 12年の各価格の指数は,米(10 kg)は 6,014.9であるのに対して,牛肉(100 g)は 7,583.3,ビール大びん 1本は 2,407.1,電話料金基本料年額は 682.3,郵便料金(手紙)は 4,000,旧国鉄運賃(50km)は 2,562.5,電球(60ワット)は,134.4である.技術進歩の貢献が認められるものは指数が小さく,相対的に安価になっている.理髪料金,大人 1回は 36,650.0であり,大工手間代(日額)は,68,333.3である.これらは桁違いに上昇している.

14) すべての人が大学に入学したとしても同じである.望ましいことではあるが,大学に入学することが,将来の収入と見合わないものになれば,大学数,大学生数ともに社会が必要とするところにやがて落ち着くことになる.

経済学部管見

―305―

である.いつの時代であれ,人生のほぼ半分の期間を,教育される期間と

して過ごせる人の数は少ないと推測される.人生 80 年の半分を考えれ

ば,40歳である.40歳まで教育期間であって,働かないで非労働力でい

られるのは例外である15).

では,定年退職の年齢を 60歳として,それを基準とすると,その半分

は 30歳である.30歳まで教育機関にいるとすれば,現行の大学院がその

年齢に近い教育機関である.ということは,平均寿命における教育期間と

いう尺度を基準としてみれば,大学の内容は変わらざるをえない.すなわ

ち本格的に学問をするところは,かつての大学から,現行の大学院にその

場所を変えることになる.現在の大学院がかつての大学と大学院の役割を

果たしていると考えてよさそうである.現在の大学は,かつての大学の役

割と現在の状況に応じた役割を担わされていると考えるのが自然である.

すなわち,科学技術の発展とともに,産業構造が著しく変化し,社会の必

要とする人材が,中学卒業者,高校卒業者から大学卒業者に急激にシフト

してきた.かつて企業が企業内教育で対応してきたシステムの一部が,変

化の激しい市場環境のなかで企業の役割から取り除かれ,個人,国が教育

費用を負担して大学教育を行ない,人材を供給するシステムに変化したと

いうことである.

社会が必要とする人材が少ないときには,企業内教育で十分に対応でき

た.しかし社会の急激な変化とともに,それでは対応できなくなり,それ

に変わる人材供給システムとして活用されるのが「大学」である.いまの

市場環境において,質,量ともに必要な人材を企業内教育だけでは十分に

対応できなくなり,企業人として必要な教育の一部が大学にゆだねられた

ということである.経済発展の結果,大学卒業程度の知識,技能を有する

────────────15) 昭和 10年代までの大学はこの例外にあてはまる.大学という制度は同じで

も,そこに在籍する学生の年齢は,かつて人生のなかばくらいであったのが,いまではその半分の四分の一くらいになっている.

経済学部管見

―306―

人材が多数必要とされるようになったこと,多数必要となったことが個々

の企業の社内教育だけでは対応できなかったことと,個々の企業にとって

は,中学卒業者,高校卒業者から雇用16)して社内教育するのは高くつくと

いう理由が考えられる.

経済発展の結果,一方において社会が大学教育を必要とし,大学教育サ

ービス供給が増加するとともに,他方において大学を卒業することは社会

的に有利であるという認識のもとに,豊かになった結果,個々の家計にお

いて大学に進学させるだけの経済的余裕ができたこととが相乗作用を及ぼ

して,大学生の数は増えている.さらに大学教育に対する需要が多いとみ

て,私立大学を中心に大学数は増加している.このことに加えてさらに,

人生 80年の時代になり,しかも変化が早い時代においては,さきにも触

れたように 18歳の時点で,自己の人生を確定させるのは,不利でもあ

り,困難である.18歳は,人生 50年のときであれば,人生のほぼなかば

であった.人生 80年になれば,18歳は人生のまだ四分の一にしかすぎな

い.これだけの差があれば,両者の大学に対する意識は変化して当然であ

る.だからこそ,大学生は「自分の時間がほしい」のであり,「まだ働き

たくない」のである.人生 50年で,貧しい時代であれば,学校に行くよ

りも生活のためには働かざるをえなかった.そして,社会もそれに対応す

るシステムを構築していた.いまは,働かないで,自分の時間をえて,将

来を考える時間,場所として大学が存在する.というのも,変化が早すぎ

て,社会は 80歳という人生に応じた有効な社会システムをいまだに完成

させていない.22歳で大学を卒業しても,なおまだ 58年の人生が残って

いる.18歳で高校を卒業すると,62年もの人生が残っている.個人が自

己を守るためには,現在存在する制度を利用するしか方法はない.

大学は学問をするところであるが,職業として学問を選ぶ人だけのもの────────────16) 中学卒業者,高校卒業者を雇用することは,大学卒業生を雇用するより

も,企業に必要な人材かどうかの確率が低くなるということである.

経済学部管見

―307―

ではなく,そうではない人,たとえばサラリーマンになる人にとっても学

問をするところでもある.そこでの学問,それを教養という.

3

ところで,大学,短期大学等は量的にどのような変化をしてきたのであ

ろうか.それを在学者数,学校数,入学者数でみてみる.

最初に在学者数で確かめる.表 2において,短期大学は,平成 5年度に

ピークの 53万人になり,以後一貫して減少,激減している.平成 17年度

の在学者数はピーク時に比べ 310,939人減少し,ピーク時の 41%に激減

している.専修学校も,短大と同様に減少傾向をたどっている.平成 4年

度にピークの 86万人となり,以降徐々に減少して,平成 12年度に底を打

ち,平成 16年度17)まで増加している.平成 17年度には前年度に比較し

て,若干減少している.平成 12年度の在学者はピーク時に比べ 111,080

人減少し,ピーク時の 87%である.

高等専門学校の在学者数は,わずかずつではあるが,一貫して増加して

いる.数字としては,小さいので変化なしとみなすことができる.これに

対し,大学は,平成 4年度から平成 17年度の間に,571,782人も在学生数

が増加している.短期大学,専修学校の減少を,大学が吸収したといえ

────────────17) 平成 16年度の専修学校の在学生数は,792,054人である.文部科学省(2006

a)参照.

表 2 在学者数

平成 4年 平成 5年 平成 12年 平成 17年

大 学短 大高等専門学校専 修 学 校

2,293,269524,538

54,786861,903

2,389,648530,294

55,453859,173

2,740,023327,680

56,714750,824

2,865,051219,355

59,160783,783

資料:文部科学省(2005),(2006 a)

経済学部管見

―308―

る.

つぎに学校数でみる.表 3は,各年度の各校の学校数である.

短期大学は,学校数でのピークは平成 8年の 598校である18).平成 17

年度の短期大学数は 488校で,ピーク時に比較して 110校の減少である.

ピ-ク時に比較して約 2割が減少している.高等専門学校数,専修学校数

に大きな変化はない.これに対して大学は,平成 4年度から平成 17年度

の間に,203校も増加している.

さらに入学者数でみる.表 4は各年度の入学者数である.

短期大学の入学者数のピークは,平成 5年度の 254,953人である.短期

大学は,学校数を減少し,入学者数を減少させて,在学者数を減少させ,

志願者数の減少に対応している.これに対して,大学はほぼ一貫して,大

学数,入学者数,在学者数を増加してきている.

────────────18) 短期大学の在学者数のピークは,平成 5年である.したがって短期大学数

は,在学者数が減少してもなお増加していたことになる.

表 3 学校数

平成 4年 平成 5年 平成 8年 平成 10年 平成 17年

大 学短 大高等専門学校専 修 学 校

523591

623,409

534595

623,431

576598

623,512

604588

623,573

726488

633,439

資料:文部科学省(2005)

表 4 入学者数

平成 4年 平成 5年 平成 10年 平成 17年

大 学短 大高等専門学校専 修 学 校

541,604254,676

11,300471,782

554,973254,953

11,240459,160

590,743191,430

11,306397,858

603,76099,43111,345

386,836

資料:文部省(1994),文部科学省(2005),(2006 a)

経済学部管見

―309―

大学に対する需要が増加するとともに,短期大学に対する需要は減少

し,これに対応するために大学数が増加し,短期大学数は減少したという

ことである.高等専門学校,専修学校に進学する人は一定数存在するが,

その数値は大きくは変わらない.短期大学に進学していた層が大学に進学

するとともに,いままでは就職していた層が大学に進学するようになった

ということである.つまりは高校を卒業して就職するよりも,さらには短

期大学を卒業して就職するよりも,大学を卒業して就職することを選択す

る層が増加したことになる.これには高校を卒業した時点で,就職できな

いので大学に進学するということも含まれる.いまの社会システムでは高

校を卒業して就職することが難しくなっているという背景がある.

これを就職率,進学率,就職者数との関連においてみると,以下のよう

になる.

表 5をみると,中学を卒業して就職する率は昭和 27年度,47.5%でピ

ークに達し,以降は下落の一途である.平成度 12年度には 1%となり,

平成 17年度は 0.7%である.高校を卒業して就職する率は,昭和 36年度

────────────19) 就職率は,就職者/卒業者である.

表 5 就職率19)

(単位:%)

中学 高校 大学

昭和 26年昭和 27年昭和 36年昭和 37年昭和 41年平成 03年平成 07年平成 12年平成 15年平成 17年

46.347.535.733.524.5

2.61.51.00.80.7

46.349.664.063.958.034.425.618.616.617.4

76.281.085.686.679.981.367.155.855.159.7

資料:文部科学省(2005)

経済学部管見

―310―

にピークとなり,64%である.その後着実に減少し,平成 17 年度には

17.4%になっている.これに対し大学を卒業して就職する率は,昭和 37

年度に,86.6%でピークとなり,やはり以降は減少するが,平成 3年度に

は 81.3%のピークとなり,平成 15年度には 55.1%の底となる.平成 17

年度は 59.7%に上昇している.大学卒業者の就職率は,経済動向ととも

に変動しているが,中学卒業者の就職率はほぼ一貫して下落を続け,いま

では 1%をも割り込んでいる.高校卒業者の就職率は,経済変動の影響を

受けるが,やはり大幅に下落している.いまの社会システムのなかで,中

学,高校を卒業して就職できる人の数は少数派になりつつある.

つぎに進学率をみると,表 6のようになる.

中学を卒業して就職する率がピークとなる昭和 27年には高校進学率は

47.6%であった.昭和 36年には高校進学率は 62.6%になっている.この

結果,昭和 30年代,中学卒業者は「金の卵」となる.このとき彼らを求

めたのは,第 2次産業であり,中学を卒業した就職者のうち 60%を超え

るものが第 2次産業に就職している.平成 17年度中学卒業者で就職した

もの 9,000人の就職先の構成比は,第 2次産業が 48.6%,第 3 次産業が

────────────20) 高校進学率は通信課程への進学者を除き,大学進学率は過年度高校卒業者

等を含んでいる.文部科学省(2005)参照.

表 6 進学率20)

(単位:%)

高校進学率 大学進学率

昭和 27年昭和 36年昭和 37年平成 03年平成 07年平成 15年平成 17年

47.662.664.094.695.896.196.5

…9.3

10.025.532.141.344.2

資料:文部科学省(2005)

経済学部管見

―311―

43.9%である21).

これに対して,大学の卒業者は,平成 11年以降,就職者のうち 70%を

越えるものが第 3次産業に就職している.大学卒業生の就職者の産業別構

成は,昭和 40年代には第 2次産業に 40%台,第 3次産業に 50%台で推

移している22).社会は,経済が拡大するとともに,第 2次産業を支える人

材として大学卒業者を求め,さらに経済が拡大するとともに第 3次産業に

必要な人材を大学卒業者に求めたということである.

大学進学率は着実に伸び,平成 17年度の大学進学率は 44.2%である.

大学・短期大学への進学率は,平成 17年度に 51.5%となり,過半数を超

えた23).同学年の 2人のうち 1人は,大学生か短期大学生である.今後さ

らにこの比率は増大すると予想される.

表 7は,新規学卒者の学歴別就職者数であり,表 8は表 7をもとにし

────────────21) 文部科学省(2006)参照.昭和 30年の中学卒業生のうち就職したものは,

698,007人であり,そのうち 275,847人が第 2次産業に就職している.これは就職者のうちの 39.5%にあたる.昭和 35年には就職者数 683,697人のうち,420,538人が第 2次産業に就職している.構成比率は 61.5%である.昭和 40年代には,これが 66.3%になる.

22) 文部科学省(2006 a)参照.23) 過年度高校卒業生を含む数値である.文部科学省(2005)参照.24) 表 7 の数値は,文部科学省(2006 a),労働省(1965),厚生労働省

(2003),(2006)をもとに作成したものである.

表 724) 新規学卒就職者数(単位:千人)

中学 高校 短大高専 大学

昭和 30年昭和 40年昭和 45年昭和 50年平成 10年平成 14年平成 16年平成 17年

698625271

942011

99

340700817591328225207207

153687

111143

847473

70135188233348311306329

経済学部管見

―312―

て,新規学卒者のうち就職したものの比率が学歴別にみてどのような構成

になっているかを示している.新規学卒者の就職者数,およびその構成比

率において大学卒業者の重要度が大きくなっている.

表 9は,新規学卒者の求人数を示している.昭和 40年には中学卒業者

に対する求人数は 166万 8千人であったのが,平成 17年にはその 0.3%

にあたるわずか 4千人である.同様に高校卒業者に対する求人数は,昭和

40年では 221万 2千人であったのが,平成 17年にはその 12%の 25万 8

千人である.中学卒業者に対する需要,高校卒業者に対する需要は激減し

ている.また高校卒業者に対する求人数が減少している.しかもさきに触

れたように大学卒業者との生涯所得を比較して,中学卒業者,高校卒業者

が不利であれば,高校を卒業して就職するものの数はさらに減少すると考────────────25) 公共職業安定所取扱分と職業安定法第 25条の 3条及び第 33条の 2規定に

よる学校取り扱い分の合計である.厚生労働省(2003),(2006)参照.

表 8 新規学卒就職者構成比(単位:%)

中学 高校 短大高専 大学

昭和 30年昭和 40年昭和 45年昭和 50年平成 10年平成 14年平成 16年平成 17年

62.241.819.9

9.12.41.71.51.5

30.346.859.957.439.135.734.733.5

1.32.46.4

10.817.013.312.411.8

6.29.0

13.822.641.549.351.353.2

表 9 新規学卒者の求人数25)

(単位:人)

中学 高校

昭和 40年平成 17年

1,668,4734,263

2,212,388258,050

資料:厚生労働省(2003),(2006)

経済学部管見

―313―

えられる.

さらに人生 80年における教育期間を考えても,18歳の時点で終えるの

は教育期間としては短すぎる.社会は大学卒業者を求めている.しかしな

がら,大学の教育にかかる費用が将来の収入に比較して高ければ,大学に

進学するひとの数は増加することはない.したがって今後,大学教育サー

ビスの費用26)は下落すると予想される.大学教育サービスの供給が大学教

育サービスの需要に比較して超過するようになれば,当然そうなる.いま

はまだ大学教育の質の点だけが問題とされているが,今後は大学教育サー

ビスの質の競争と同時に,大学教育サービスの価格競争が行われるように

なる.安くて,いい教育サービスを供給する競争になる.その結果,大学

に進学する人の数はさらに増加する.

4

日本の大学の教育費,とくに私立大学の学費は高い.学費は親が支弁し

ていると思われるが,学生がアルバイトをしている率も高い.学生がアル

バイト収入をどれだけ学費にまわしているのか明確ではない.しかし,休

暇中だけでなく,年中アルバイトをしているという意味で,学費のためで

あるなしにかかわらず,ほとんどの学生が勤労学生である.そこで以下に

おいて,学費とアルバイト収入との簡単な比較をしてみる.

いま学費 100万円として計算する.そのとき講義 1時間あたりの学費は

いくらになるのかを計算する.

条件をつぎのように設定する.

漓 卒業要件は 124単位とする.

滷 1年間 40単位(3年間で 120単位になる)を履修,修得する.

澆 すべて 2単位の科目とする.────────────26) このなかには,学費減免制度の拡充を含む.

経済学部管見

―314―

潺 学費は年間 100万円で,それがすべて授業料とする.

うえの仮定に加えて,1年間 40単位を,春学期 20単位,秋学期 20単

位に分けて履修すると仮定する.さらに週における履修をつぎのようにす

ると仮定する,月曜日,火曜日,水曜日,木曜日,金曜日にそれぞれ,2

科目ずつ履修するものとする.土曜日,日曜日は休みである.

1週間に,

5×2科目=10科目

履修することになる.

またそれぞれの曜日の講義回数は表 10のように仮定する.

月曜日は年間 24回ある.以下,火曜日は 26回,水曜日は 30回,木曜

日は 27回,金曜日は 27回であると仮定する.月曜日には 2科目履修する

ので,月曜日の講義回数は,24回/科目×2科目=48回である.火曜日

以下も同様である.

月曜日から金曜日までの講義回数の年間の合計は,

48+52+60+54+54=268回

である.

授業は 1回 90分と仮定すると,講義時間の合計は

268回×90分/回=24,120分

となる.時間に直すと,

24,120分÷60分/時間=402時間

である.これを年間の学費 100万円で割る.

表 10 講義回数

月 24回火 26回水 30回木 27回金 27回

24回/科目×2科目=48回26回/科目×2科目=52回30回/科目×2科目=60回27回/科目×2科目=54回27回/科目×2科目=54回

経済学部管見

―315―

100万円÷402時間=2,487.562円/時間

である.年間 40単位履修すると,講義 1時間あたり約 2,500円になる27).

各曜日の年間の回数は異なるので,履修する曜日ごとでみると,曜日ごと

の単価は異なる.月曜日の単価は割高で,水曜日の単価は割安である.

つぎに年間 32 単位履修する場合をみる28).週単位でみて,月,火,

水,木曜日にそれぞれ 2科目ずつ履修するとする.金曜日,土曜日,日曜

日は休みである.

月曜日から木曜日までの講義回数の合計は,48+52+60+54=214回で

ある.講義時間の合計は,

214回×90分/回=19,260分

である.時間単位でみると,

19,260分÷60分/時間=321時間

である.これを 100万円で割ると,

100万円÷321時間=3,115.264円/時間

をえる.年間 32単位履修する場合,1時間あたりの講義単価は,3,115円

である.何曜日に受講するのかでも,1時間あたりの単価は変化する.ま

た講義にすべて出席しなくて,講義を欠席すると,さらに 1時間あたりの

講義単価は上昇する.

ことわるまでもなく,大学の教育サービスは,講義だけではない.大学

に入学することで利用できるものは人とモノ,そしてシステムである.教

員,職員,さらには先輩,後輩,同級生との交流,クラブでの活動,大学

────────────27) 1年間 40単位を履修すると,4年間で 160単位履修することになる.卒業

要件単位を 124単位と仮定しているので,3年間で 120単位履修するとともに修得すれば,4年目は卒業に必要な単位は 4単位だけ修得すればいいことなる.ここでは 4年目も,年間 40単位履修すると仮定する.

28) 124単位を 4年間で等分に履修すると 124÷4=31となる.ここでは年間 32単位履修,修得するので,4年間で 32×4=128単位履修,修得することになる.他の条件はさき場合と同じである.

経済学部管見

―316―

の施設・設備の使用,あるいは大学外においても交通機関利用時における

学生割引,所得税における特定扶養親族としての扶養控除等々が,大学の

講義だけでなく,大学生であればひとつとなったものを利用することがで

きる.すなわちシステムとしての大学を利用することでえる便益に対する

対価が学費である.講義だけが大学というシステムの供給するサービスで

はないが,それらの中核となるものであることはまちがいない.

ところで,労働力人口は 15歳以上である.義務教育が中学校までとい

うことと一致している.生産年齢人口も 15歳以上 65歳未満であるが,い

まや中学卒業後,進学せずに就職している人はごくわずかである29).中学

を卒業して働いている人は,大学生にある税制面での扶養控除,勤労学生

控除のような優遇措置もなく,交通機関はじめ各種の割引もなく,定めら

れた税金を納めている.この税金の一部を,大学に対する補助金という名

目で,大学生は享受している.平成 17年度予算で国立大学法人等は 1兆

3,618億円,私立大学等は 3,293億円が交付されている30).平成 16年度の

私立大学の学生数は 2,062,042人なので31),私立大学学生 1人あたりの補

助金額は 160,000円である32).大学生は大学生であるということでこの分

を享受している.また家族の一員としても大学生は税制面で優遇されてい

る33).したがって,大学生が受ける大学教育サービスは,収める学費より

もさらに費用は高くついていることになる.大学生は納めている学費にみ

あう以上の高いサービスを大学から供給されている.その費用の一部は税

金から供出され,納税者には高校に進学しないで働いている人,大学に進

学しないで働いている人も含まれている.────────────29) 平成 17年度,中学を卒業して,就職しているひとは 10,000人である.厚

生労働省(2006)参照.30) 文部科学省(2006 b)参照.31) 文部科学省(2005)参照.32) 補助金には大学だけではなく,短期大学,高等専門学校に対する補助金も

含まれている.33) 特別扶養控除が適用される.

経済学部管見

―317―

つぎに学生がアルバイトで 100万円の収入をえるには,どれくらいの日

数が必要なのかをみてみる.条件はつぎの 3つである.

漓 時給 800円

滷 1日 4時間労働

澆 1カ月 26日労働

この条件で,1日の収入は,

4時間/日×800円/時=3,200円/日

である.100万円の収入をえるためには,

100万円÷3,200円/日=312.5日

313日かかることになる.仮定のように 1週間に 1日休んで,1カ月 26日

間働くとすると,

312.5日÷26日/月=12.0192月

約 1年間である.時給 800円なら,1日 4時間働いて,夏休み,冬休み,

春休みなしで,1年間でやっと 100万円になる.もし学生がこの条件で学

費を自己負担するなら,1年間アルバイトしてえた収入がすべて学費とな

る計算である.

平成 17年度,入学定員を満たしていない私立大学は 160校(29.5%)で

ある34).社会の要請にこたえられない大学は市場において淘汰される.し

かしながら,大学を卒業することが有利であるかぎり,大学教育サービス

に対する需要は減少することはない.市場から退場する大学が存在するだ

けで,大学教育サービスの供給が減少するわけではない.淘汰された大学

に変わって,大学教育サービスを供給する大学がでてくる.それは既存の

大学かもしれないし,新しく参入する大学かもしれない.

根拠は大学卒業者が高校卒業者に比較して,経済的に有利であるという

ことである.市場において需要があるにもかかわらず,需要が獲得できな

い理由は,ふたつある.ひとつは質の問題であり,残りのひとつは質との────────────34) 文部科学省(2006 b),p. 206.

経済学部管見

―318―

関連における価格の問題である.質の問題は質をよくするしかない.残る

のは,大学の価格競争である.講義 1時間の単価は,2,500円,3,000円か

ら今後さらに安くなると思われる.大学教育サービスの価格が下落する

と,生涯所得が一定であったとしても,高校卒業者に比較して,大学卒業

者は有利になる.その結果,大学教育サービスに対する需要は増加するこ

とになる.

かりに学費が年間 100万円から,50万円になれば,休暇期間中のアル

バイトだけで学費はまかなえるようになる.学費の下落だけではなく,私

立大学の大学教育サービスにおける学生の自己負担を軽減するにはさら

に,国の私立大学に対する補助金を拡充すること,あるいは各種の奨学金

制度を充実することが考えられる.

5

日本の経済発展により,質,量ともに大量の人材が必要とされるように

なり,大学はその供給源になった.同時に,家計の所得も上昇し,各家計

おいて大学の教育費用を負担することが可能となった.しかも大学卒業者

は,中学卒業者よりも,高校卒業者よりも就職,生涯所得の面からみて,

有利であった.この結果,大学教育サービスは,供給面と需要面とがとも

に急激な増加を経験することになる.大学が量的に急激な拡大をした結

果,大学とは何か,大学に何をしにくるのか,等々の疑問が投げかけられ

ることになる.ここでは,大学一般ではなく,サラリーマンになるために

経済学部に入学する学生について考察した.

まず,大学に入学するのは,やはり,中学卒業者よりも,高校卒業者よ

りも経済的に有利だからである.

つぎに経済学という科学は,資格をえるために必要とされるものではな

い.どちらかといえば経済学を学ぶことでえるものは「教養」である.こ

経済学部管見

―319―

れこそが,経済学部を卒業して,サラリーマンとして必要とされるもので

ある.変化に対応するために求められる教養であり,リーダーとして求め

られる教養である.経済学は直接資格と関係ないために,経済学部には,

経済学を学びたいという学生とともに,これからどうしたいいのかを 4年

間考えたい学生等を含め,他の学部に比較して,多種多様な学生が入学す

る可能性が高くなる.

ところでサラリーマンになることも,医師になる,法律家になる,スポ

ーツ選手になるということと同じ職業選択の問題であり,これをもって無

目的,何も考えていないと断定することはできない.大学で学問をして,

卒業後にそれぞれの職業を選んだということである.

大学数は多いのか,大学生が多いのかという問題は,需要と供給の問題

で,いまのところ市場は多いと判断していない.さらに,人生 80年とい

う期間を考えると,教育期間が 22年間というのは,妥当な期間だと考え

られる.いまの社会システムの中で,大学数はとにもかくにも,大学生の

数が減少していく要因はないとおもわれる.大学卒業者が社会的に有利で

あるかぎり,今後,大学間の価格競争をふまえて,大学生は増加すると予

想される.

参考文献

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経済学部管見

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紀要』第 24号,pp. 107−116.

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(2006年 7月 31日受理)

経済学部管見

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