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子宮内膜症,とくに卵巣チョコレート囊胞が 卵巣癌のリスクであるということは,広く認識 されている.静岡県で行われた大規模な観察研 究から,卵巣チョコレート囊胞からの卵巣癌発 症頻度は約0.7%とされている〔1,2〕. 今回われわれは,不妊症治療中の患者におい て,卵巣チョコレート囊胞に対する腹腔鏡下手 術を2回行った後に体外受精により妊娠し,帝 王切開時に腹膜播種を伴う卵巣癌を認めた症例 を経験したので報告する. :31歳,未経妊 :不妊症 家族歴:特記すべきことなし 当院紹介までの経過:挙児希望で前医を受診し, 不妊症の原因精査中に左卵巣チョコレート囊胞 が疑われたため,X 年8月,腹腔鏡下囊胞摘除 術を施行した(図1).腹腔内には左卵巣の4cm 程度の腫大と子宮内膜症による軽度の腹膜癒着 を認めた.左卵巣はチョコレート囊胞と考え摘 除し,腹膜病変は焼灼した.手術開始時の腹腔 細胞診は陰性であった.摘除した左卵巣囊胞は チョコレート囊胞として矛盾せず,悪性所見は みられなかった. 術後人工授精を5周期施行したが,妊娠は成 立しなかった.また同側の卵巣に30 mm 程度の チョコレート囊胞が疑われる卵巣腫瘍が再発し た.ART に移行する方針となり,GnRH アゴニ ストを使用した.卵巣チョコレート囊胞を有し た患者の採卵では,穿刺後の感染症が問題とな ることがしばしば報告されており,また悪性疾 患との鑑別のため,採卵前にチョコレート囊胞 を除去する目的で X+2年11月,腹腔鏡下手術 を再度施行した(図2).腹腔内には明らかな 異常所見なく,卵巣機能に配慮し囊胞摘出はせ 〔一般演題/症例1〕 腹腔鏡下卵巣チョコレート囊胞除去後に体外受精で妊娠し, 帝切時に腹膜播種を認めた卵巣癌の1例 1)北海道大学病院 2)おおこうち産科婦人科 中谷真紀子 1) ,工藤 正尊 1) ,宇田 智浩 1) ,井平 1) ,石塚 泰也 1) 保坂 昌芳 1) ,大河内俊洋 2) ,水上 尚典 1) ,櫻木 範明 1) エンドメトリオーシス会誌 2015;36:143-146 図1 初回手術 腹腔鏡下卵巣腫瘍摘除術 A:開始時腹腔内所見 B:左卵巣腫大.癒着はなし C:囊胞摘除 143

腹腔鏡下卵巣チョコレート囊胞 ... - Endometriosis · mx の診断となった. 図2 2回目手術 腹腔鏡下卵巣腫瘍焼灼術 a:開始時腹腔内所見 b:左卵巣チョコレート囊胞を切開し,内壁を焼灼

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緒 言子宮内膜症,とくに卵巣チョコレート囊胞が

卵巣癌のリスクであるということは,広く認識されている.静岡県で行われた大規模な観察研究から,卵巣チョコレート囊胞からの卵巣癌発症頻度は約0.7%とされている〔1,2〕.今回われわれは,不妊症治療中の患者におい

て,卵巣チョコレート囊胞に対する腹腔鏡下手術を2回行った後に体外受精により妊娠し,帝王切開時に腹膜播種を伴う卵巣癌を認めた症例を経験したので報告する.

症 例患 者:31歳,未経妊主 訴:不妊症家族歴:特記すべきことなし当院紹介までの経過:挙児希望で前医を受診し,不妊症の原因精査中に左卵巣チョコレート囊胞が疑われたため,X年8月,腹腔鏡下囊胞摘除

術を施行した(図1).腹腔内には左卵巣の4cm

程度の腫大と子宮内膜症による軽度の腹膜癒着を認めた.左卵巣はチョコレート囊胞と考え摘除し,腹膜病変は焼灼した.手術開始時の腹腔細胞診は陰性であった.摘除した左卵巣囊胞はチョコレート囊胞として矛盾せず,悪性所見はみられなかった.術後人工授精を5周期施行したが,妊娠は成

立しなかった.また同側の卵巣に30mm程度のチョコレート囊胞が疑われる卵巣腫瘍が再発した.ARTに移行する方針となり,GnRHアゴニストを使用した.卵巣チョコレート囊胞を有した患者の採卵では,穿刺後の感染症が問題となることがしばしば報告されており,また悪性疾患との鑑別のため,採卵前にチョコレート囊胞を除去する目的で X+2年11月,腹腔鏡下手術を再度施行した(図2).腹腔内には明らかな異常所見なく,卵巣機能に配慮し囊胞摘出はせ

〔一般演題/症例1〕

腹腔鏡下卵巣チョコレート囊胞除去後に体外受精で妊娠し,帝切時に腹膜播種を認めた卵巣癌の1例

1)北海道大学病院2)おおこうち産科婦人科

中谷真紀子1),工藤 正尊1),宇田 智浩1),井平 圭1),石塚 泰也1)

保坂 昌芳1),大河内俊洋2),水上 尚典1),櫻木 範明1)

日エンドメトリオーシス会誌2015;36:143-146

図1 初回手術 腹腔鏡下卵巣腫瘍摘除術A:開始時腹腔内所見B:左卵巣腫大.癒着はなしC:囊胞摘除

143

ず内壁の焼灼のみ行った.明らかに悪性を疑う所見はなく,囊胞壁の病理組織検査のための生検は施行しなかった.手術の開始時腹腔洗浄液の細胞診で異型細胞が認められたが,強く悪性を疑うものではなかった.12月にロング法で採卵,IVFを行い,得られた胚盤胞をすべて凍結した.X+3年1月ホルモン補充周期で凍結融解胚移植を行い,妊娠が成立した.妊娠経過は順調であった.妊娠39週で血圧が

上昇傾向となったため,誘発分娩を試みたが,血圧の上昇と遷延分娩のため X+3年9月緊急帝王切開術にて児を分娩した.帝王切開時に子宮後面にざらざらした感触を触知するも,腹膜播種とは想像もせず,子宮内膜症によるものと判断した.卵巣は軽度腫大していた.産後2週目で卵巣腫大が明らかになり,その後のMRI

検査にて悪性を疑う卵巣腫瘍を指摘され,X+3年11月,精査加療目的で当院紹介となった.当院紹介後の経過:腫瘍マーカーは CA125が

593.8と高値の他は,CEA,CA19―9ともに正常範囲内であった.CT,MRI検査で卵巣腫大を認め,境界悪性以上を疑う所見であった(図3)ため,X+3年12月試験開腹術を施行した(図4).右卵巣は15cm大に腫大し,多房性の腫瘍であった.左卵巣は正常大であり,両側付属器をまず摘出した.大網に10cm大の硬結を触れ,一部は横行結腸と強固に癒着しており,部分的に摘出した.また Douglas窩から横隔膜まで腹腔内の広範囲に播種病変を認めた.病理組織検査では漿液性腺癌(high grade)で,両側付属器,大網に転移を認め,pStageⅢ c,NX,MXの診断となった.

図2 2回目手術 腹腔鏡下卵巣腫瘍焼灼術A:開始時腹腔内所見B:左卵巣チョコレート囊胞を切開し,内壁を焼灼C:右付属器は正常形態であることを確認した

図3 当科初診時画像所見CT:骨盤内を占拠する隔壁を伴う腫瘍および大網の肥厚,リンパ節の腫大(黄色丸印)MRI:一部で ADCは低下,拡散強調像で高信号を示し,境界悪性以上の診断となった.

144 中谷ほか

X+3年12月~X+4年+3月 ま で TC療 法(PTX175mg/m2, CBDCA AUC=5)を4コ ース施行し,interval debulking surgery目的に X

+4年4月子宮全摘+大網切除+リンパ節郭清+虫垂切除+直腸切除および吻合術を施行した.前回手術時に認められた横隔膜,肝表面の播種病巣は残存病巣を認めなかったものの,大網,左右傍結腸溝腹膜,虫垂,Douglas窩,直腸表面,膀胱子宮窩腹膜に明らかな残存病変(いずれも2cm未満)認め, 可能な限り摘出した.膀胱子宮窩腹膜の播種巣(いずれも5mm未満で5ヵ所程度)は膀胱との剝離が容易でなかったため,アルゴンビームコアギュレーターで焼灼した.病理組織結果ではリンパ節転移を複数ヵ所で認め,子宮漿膜・大網・虫垂・直腸・腹膜播種もあり, ypT3c, ypN1の診断となった.術後から TC療法を2コース追加した.X+

4年6月に撮像した CTにて肝表面に残存腫瘍の可能性を示す像が認められたため,TC+ベバシズマブ(以下BEV)(PTX175mg/m2,CBDCA

AUC=4,BEV15mg/kg)×2コース追加で施行した.PET―CTにて CRの所見が得られたため,その後 BEV単剤によるメンテナンスを開始し,現在まで再発所見はみられずに経過している.

考 察1992年にWhittemoreらが,米国12施設のcase-

control studyの結果をメタアナリシスし,排卵誘発治療が卵巣癌発生のリスク因子となりうると報告した.続いて1994年に Rossingらが12サイクル以上のクロミフェン使用は卵巣癌のリスクを有意に高めると報告した〔3〕.これらセンセーショナルな報告後,ゴナドトロピンと卵

巣癌の関係を探る研究が数多くなされ,排卵誘発治療が卵巣癌発症のリスクとなりうるという基礎研究結果は多く報告されてきたが,臨床的には不妊症治療自体による発癌のリスクは高くならないとする報告が多い〔4〕.卵巣チョコレート囊胞の癌化についても近年

注目されている.チョコレート囊胞を発生母地とした卵巣癌の組織型は,明細胞腺癌や類内膜腺癌が知られているが〔5〕,本邦における子宮内膜症の発症頻度は性成熟女性の約10%とされ,晩婚化や少子化に伴い増加傾向にある.不妊症婦人では子宮内膜症を合併する頻度は高く,チョコレート囊胞合併も少なくないため,これら卵巣癌の発症に関して注意が必要である.一方,high-grade漿液性腺癌は de novo

発癌によって生じると考えられており,発生母地として卵管采上皮や遠位卵管上皮にあるのではないかと示唆する発表が相次いでいる〔6,7〕.不妊症で子宮内膜症や卵巣チョコレート囊胞

を認める症例では,本症例のように手術が行われる場合も少なくない.このような機会があるときに積極的に検体採取を行うことは,より早期での介入を可能にするかもしれない.手術時の腹水採取,卵巣腫瘍壁生検などの他,悪性を少しでも疑う所見のある症例では Douglas窩穿刺による腹水採取も有用と思われる.本症例では,発覚する1年前,妊娠成立直前

に腹腔内が観察され,肉眼的に異常がないことは確認されていた.卵巣チョコレート囊胞の形態的には悪性とは考えにくかったため,腹水細胞診を看過してしまっていた.その後妊娠中に発生し,分娩後に急激な進行をきたしている.病理組織学的には high-grade漿液性腺癌であ

図4 4回目手術 試験開腹術:両側付属器切除術および大網部分切除術

腹腔鏡下卵巣チョコレート囊胞除去後に体外受精で妊娠し,帝切時に腹膜播種を認めた卵巣癌の1例 145

り,発生も逆側で,妊娠直前2回にわたる手術の原因であるチョコレート囊胞とは直接の関連はないと推定されるが,このような caseもあることを念頭に,不妊症,とくに子宮内膜症・チョコレート囊胞合併症例は,卵巣癌発症のハイリスク群であるとの認識をもち,慎重に管理する必要があると考えられた.

文 献〔1〕Kobayashi H et al. Risk of developing ovarian

cancer among women with ovarian endometrioma:a cohort study in Shizuoka. Int J Gynecol Can-cer2007;17:37-43

〔2〕Munksqaard PS et al. The association betweenendometriosis and ovarian cancer : A review of

histological, genetic and molecular alterations.Gynecol Oncol2012;124:169

〔3〕万代昌紀ほか.ゴナドトロピンと卵巣癌の発生.産と婦 2011:78;95-100

〔4〕Cetin I et al. Infertility as a cancer risk factor.Placenta2008;Suppl B:169-177

〔5〕Boyraz G et al. Ovarian carcinoma associatedwith endometriosis. Eur J Obstet Gynecol ReprodBiol2013;170:211-213

〔6〕Ruth P et al. Transformation of the FallopianTube Secretory Epithelium Leads to High-GradeSerous Ovarian Cancer in Brca ; Tp53 ; PtenModels. Cancer Cell2013;24:751-765

〔7〕Gilks CB et al. Incidental nonuterine high-gradeserous carcinomas arise in the fallopian tube inmost cases : further evidence for the tubal originof high-grade serous carcinomas. Am J Surg Pa-thol2015;39:357-364

146 中谷ほか