3
子宮内膜症の中でもっとも代表的な病態とい える卵巣チョコレート嚢胞は,子宮内膜症患者 の約17~44%に存在するといわれている[1,2]. この卵巣チョコレート嚢胞に対する保存的手術 としては腹腔鏡下嚢胞核出術が一般的であり, 再発の観点からは病変部位の凝固処置よりも有 効とする報告が散見される[2 4].しかし,そ の一方では嚢胞核出術によって IVF 施行時の 採卵数が減少するとの報告[5]や,腹腔鏡下 核出術が原始卵胞の消失や卵巣間質の障害をき たす可能性を示唆する報告もある[6].以上よ り,卵巣の正常組織の温存と妊孕能の向上,再 発率の低下を実現するような腹腔鏡下チョコレ ート嚢胞核出術の手術手技を開発することが急 務であると考えられる. 腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術は,嚢 胞の剥離に苦慮したり核出後の卵巣実質剥離面 からの止血に難渋することがしばしばある.過 去に Farr Nezhat らも卵巣チョコレート嚢胞核 出術における希釈バソプレシン使用を報告して いるが[7],われわれも卵巣チョコレート嚢胞 核出時の卵巣への愛護的操作と操作の簡便さの 追求から希釈バソプレシン注入法(Vasopressin Injection Technique;以下 VIT と略す)の開発 を試みてきた.その手技と手法に関しては,昨 年の本研究会誌においても紹介した[8]. 本稿ではその VIT の有用性について検討し た結果を報告するとともに,VIT を施行する際 の工夫点などについても紹介する. VIT の手順は,まず卵巣チョコレート嚢胞の 内容液 を14 G サクションニードル TM (八光商 事)で吸引した後,開放した嚢胞内面より22 G サクションニードル TM (八光商事)を用いて卵 巣実質と嚢胞壁との間隙に200倍希釈バソプレ シン(0.1単位/ml)を数ヵ所風船状に注入(Bal- looning と称す)し[図1],卵巣実質とは遊離 した状態の嚢胞壁の核出操作を開始する[].注入に際しては,バソプレシン作用によ る徐脈などの副作用に対する対策として,多量 のバソプレシンが体内に入ることを避ける目的 で,1ヵ所につき2~3ml の200倍希釈バソプ レシンを注入した後,生理食塩水に切り替えて 注入を続け,ウォーターダイセクションが効果 〔一般演題/臨床―手術1〕 腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における希釈バソプレシン注入法 (Vasopressin Injection Technique ; VIT) ―本法と通常法とのランダム比較検討からの有用性について― 健保連大阪中央病院婦人科 佐伯 愛,棚瀬 康仁,奥 久人,久野 敦,松本 貴,伊熊健一郎 エンドメトリオーシス研会誌 2008;29:69-71 図1 有効層への注入で嚢胞内側面が膨隆(Ballooning200倍希釈バソプレシンから生食に切り替えてさ らに注入(2段階注入法) 69

腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における希釈 ......背景 子宮内膜症の中でもっとも代表的な病態とい える卵巣チョコレート嚢胞は,子宮内膜症患者

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  • 背 景

    子宮内膜症の中でもっとも代表的な病態とい

    える卵巣チョコレート嚢胞は,子宮内膜症患者

    の約17~44%に存在するといわれている[1,2].

    この卵巣チョコレート嚢胞に対する保存的手術

    としては腹腔鏡下嚢胞核出術が一般的であり,

    再発の観点からは病変部位の凝固処置よりも有

    効とする報告が散見される[2―4].しかし,そ

    の一方では嚢胞核出術によって IVF施行時の

    採卵数が減少するとの報告[5]や,腹腔鏡下

    核出術が原始卵胞の消失や卵巣間質の障害をき

    たす可能性を示唆する報告もある[6].以上よ

    り,卵巣の正常組織の温存と妊孕能の向上,再

    発率の低下を実現するような腹腔鏡下チョコレ

    ート嚢胞核出術の手術手技を開発することが急

    務であると考えられる.

    目 的

    腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術は,嚢

    胞の剥離に苦慮したり核出後の卵巣実質剥離面

    からの止血に難渋することがしばしばある.過

    去に Farr Nezhatらも卵巣チョコレート嚢胞核

    出術における希釈バソプレシン使用を報告して

    いるが[7],われわれも卵巣チョコレート嚢胞

    核出時の卵巣への愛護的操作と操作の簡便さの

    追求から希釈バソプレシン注入法(Vasopressin

    Injection Technique;以下 VITと略す)の開発

    を試みてきた.その手技と手法に関しては,昨

    年の本研究会誌においても紹介した[8].

    本稿ではその VITの有用性について検討し

    た結果を報告するとともに,VITを施行する際

    の工夫点などについても紹介する.

    方 法

    VITの手順は,まず卵巣チョコレート嚢胞の

    内容液を14GサクションニードルTM(八光商

    事)で吸引した後,開放した嚢胞内面より22G

    サクションニードルTM(八光商事)を用いて卵

    巣実質と嚢胞壁との間隙に200倍希釈バソプレ

    シン(0.1単位/ml)を数ヵ所風船状に注入(Bal-

    looningと称す)し[図1],卵巣実質とは遊離

    した状態の嚢胞壁の核出操作を開始する[図

    2].注入に際しては,バソプレシン作用によ

    る徐脈などの副作用に対する対策として,多量

    のバソプレシンが体内に入ることを避ける目的

    で,1ヵ所につき2~3mlの200倍希釈バソプ

    レシンを注入した後,生理食塩水に切り替えて

    注入を続け,ウォーターダイセクションが効果

    〔一般演題/臨床―手術1〕

    腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における希釈バソプレシン注入法(Vasopressin Injection Technique ; VIT)

    ―本法と通常法とのランダム比較検討からの有用性について―

    健保連大阪中央病院婦人科

    佐伯 愛,棚瀬 康仁,奥 久人,久野 敦,松本 貴,伊熊健一郎

    エンドメトリオーシス研会誌2008;29:69-71

    図1 有効層への注入で嚢胞内側面が膨隆(Ballooning)200倍希釈バソプレシンから生食に切り替えてさ

    らに注入(2段階注入法)

    69

  • *P=0.039 (Unpaired t-test) **P=0.001 (Unpaired t-test)

    [sec]

    020406080100120140160180

    1000

    2003004005006007008009001000

    control VITcontrol VIT

    [times]

    [1]嚢胞核出操作の開始か ら核出後の止血操作終 了までの所要時間

    [2]卵巣実質剥離面に対す る凝固止血の操作回数

    的になるようにしている(2段階注入法).

    今回の検討対象例は,2007年4月から9月ま

    でに行った径45~54mmの単房性のチョコレー

    ト嚢胞症例で,本法で行う群を VIT群,通常

    の核出法の群を control群として封筒法にて各

    群5症例ずつに分けた.検討内容は,嚢胞の核

    出操作の開始から核出後の止血操作終了までの

    所要時間と,核出後の卵巣実質剥離面に対する

    凝固止血の操作回数を手術のビデオ映像におい

    て計測して比較した.なお本検討は,2,500例

    以上経験のある同一術者が施行した手術症例に

    限定した.

    結 果

    両群の症例のプロフィールおよび計測結果を

    表1に示す.年齢および嚢胞径には有意差を認

    めなかった.卵巣チョコレート嚢胞の核出開始

    から止血終了までに要した平均時間は,VIT群

    では584±110秒, control群では745±139秒と,

    VIT群において有意に短かった(P=0.039).

    また凝固止血の回数は,VIT群では58±9回,

    control群では124±31回と,VIT群できわめて

    有意に少なかった(P=0.001)[図3].なお

    両群とも縫合止血を要した症例はなかった.ま

    た,両群とも全症例において,術後の月経周期

    は正常であり基礎体温が2相性となっているこ

    とを確認している.

    考 察

    この希釈バソプレシン注入法(VIT)の導入

    により,通常法に比べ卵巣チョコレート嚢胞の

    核出から止血に要する時間の短縮と凝固止血の

    操作回数が少なくなることが証明された.バソ

    プレシン効果による剥離面での血管収縮作用

    が,出血点の発見を容易にし,ピンポイント操

    作での凝固止血を可能としたためと考えられた

    (図4).またウォーターダイセクション効果に

    よる剥離層の露出効果は,確実で円滑な核出操

    作を可能にし,チョコレート嚢胞を取り残して

    しまうリスク,あるいは正常卵巣の一部を除去

    してしまうリスクを回避すると考えられる.こ

    れらの効用により,卵巣チョコレート嚢胞の残

    存による再発を避け,剥離時の強引な操作・過

    度な凝固操作あるいは強固な縫合結紮による卵

    巣の予備能への影響を避けることが期待でき

    表1 VIT群と control群との比較検討

    VIT群(n=5)

    control群(n=5)

    p value

    年齢[歳]

    嚢胞径[mm]

    核出操作開始から

    止血操作終了まで

    の所要時間 [秒]

    卵巣実質剥離面に

    対する凝固止血の

    操作回数[回]

    31±2.9

    47.9±3.66

    584±110

    58±9

    30±3.1

    47.6±2.01

    745±139

    124±31

    p =0.687*

    p-=1.000*

    p =0.039**

    p =0.001**

    * : Mann−Whitney U−test, ** : Unpaired t−test

    図2 十分にウォーターダイセクションされた層から核出操作を開始

    図3 核出の所要時間と止血操作回数の比較

    佐伯ほか70

  • る.しかし,婦人科手術におけるバソプレシン

    局注の副作用としては,血圧低下,心停止,肺

    水腫などの重篤な副作用の報告はある[9―11].

    これらは,いずれも0.5~0.6単位/ml以上と

    高濃度のバソプレシン希釈液を使用しており,

    血管内への注入もあったことが原因ではないか

    と推測されている.われわれは,そのような副

    作用を回避すべく麻酔科医とコンタクトをとり

    ながら,0.1単位/mlと低濃度に希釈したもの

    を用い,常に血管内への注入がないことを血液

    逆流のないことで確認したうえで使用してい

    る.これまでに軽度の徐脈を経験しているが,

    現在では,最初に少量の注入で微小血管の収縮

    を起こした後,引き続き生理食塩水の注入によ

    るウォーターダイセクションを行うという2段

    階注入法を行うことで副作用を回避する新たな

    工夫もしている.

    結 論

    卵巣チョコレート嚢胞核出術における希釈バ

    ソプレシン注入法(VIT)は,簡便かつ確実で,

    卵巣に対して愛護的なきわめて有用な方法であ

    ると考えられた.

    文 献〔1〕Jenkins S et al. Endometriosis : pathogenetic im-

    plications of the anatomic distribution. Obstet Gy-necol.1986;67:335-338

    〔2〕Capron C et al. Management of ovarian en-dometriomas. Hum Reprod Update2002;8:591-597

    〔3〕Beretta P et al. Randomized clinical trial of twolaparoscopic treatments of endometriomas : cys-tectomy versus drainage and coagulation. FertilSteril.1999;71:1166-1167

    〔4〕Vercellini P et al. Coagulation or excision ofovarian endometriomas? Am J Obstet Gynecol.2003;188:606-610

    〔5〕Canis M et al. Ovarian response during IVF-embryo transfer cycles after laparoscopic ovariancystectomy for endometriotic cysts of >3cm indiameter. Hum Reprod2001;16:2583-2586

    〔6〕Hachisuga T et al. Histopathological analysis oflaparoscopically treated ovarian endometrioticcysts with special reference to loss of follicles.Hum Reprod2002;17:432-435

    〔7〕Farr Nezhat et al. Clinical and histologic classifi-cation of endometriomas Implications for mecha-nism of pathogenesis. Journal of ReproductiveMedicine.1992;37(9):771-776

    〔8〕稲葉不知之ほか.腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞

    核出術における希釈バソプレシン局注の試み ADH(antidiuretic hormone)Infusion Technique.エンドメトリオーシス研会誌,2007;28:117-121

    〔9〕Farr Nezhat et al. Life-threatening hypotension af-ter vasopressin injection during operative la-paroscopy, followed by uneventful repeat la-paroscopy. J Am Assoc of Gynecol Laparosc.1994;2(1):83-86

    〔10〕Tulandi T et al. Pulmonary edema : a complica-tion of local injection of vasopressin at la-paroscopy. Fertil Steril.1996;66(3):478-480.

    〔11〕Deschamps A et al. Absence of pulse and bloodpressure following vasopressin injection formyomectomy. Can J Anaesth.2005;52(5):552-553

    図4 核出操作中,出血点はピンポイントで止血が可能な状態

    腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における希釈バソプレシン注入法(Vasopressin Injection Technique ; VIT)―本法と通常法とのランダム比較検討からの有用性について― 71