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神戸モーツァルト研究会 第 254 回例会 2017 6 4 1 『もう飛ぶまいぞこの蝶々』を例に日本語歌詞を考える 野口秀夫 1.はじめに 鳥代:「日本語でも歌える歌詞付き」と銘打ったアリア集 注1 や重唱曲集 注2 が出版されていますが、 誰のためのどのような用途を想定しているのでしょう。レクチャー・コンサートなど一般 教育用にはありうると思うけれど、実際のオペラ上演で歌われることがあるのでしょうか。 モーツァルト自身 3 幕のドランマ・ジョコーソ《偽りの女庭師 La finta giardinieraK.196 1775 年ミュンヒェン初演)をイタリア語からドイツ語に変えて、ジングシュピール版 《愛ゆえの女庭師 Die Gärtnerin aus Liebe》として 1780 年にアウクスブルクで上演して いるから、自国語上演という見地からは日本語上演もありなのでしょうけれどね。 犬輔:メトロポリタン・オペラがかつて英語訳でオペラを上演したときの《魔笛》の録音 注3 や、 ドイツ語の《フィガロの結婚》とか《ドン・ジョヴァンニ》の CD 注4注5 を聴いたことがあ りますよ。でも日本語での演奏は聴いたことがないなあ。そもそもイタリア語やドイツ語 の歌詞に日本語が音楽的に乗るなんてとても思えないし、劇場では字幕が出るから 注6 原詩 のままの上演で意味の把握にも全く不自由はしないですしね。 教授:日本におけるオペラの受容史を概観してみよう。最新研究 注7 によれば、1820.10(文政 3 9 月)長崎出島でオランダ人が上演した歌入り芝居《二人の猟師乳汁売娘》 注8 が日本で 最初に上演されたオペラであろうと推測されている。以後外国人によるオペラ上演はいく つかあるものの 注9 、日本人による最初のオペラ全曲舞台上演 注 10 1903.7.23 (明治 36 年) のグルック《オルフォイス》(近藤逸五郎[朔風]ほか訳詞 注 11 )まで待たねばならなかった。 それを皮切りに、仏英伊独オペラが日本人による新作オペラと共に帝国劇場(民営)など で上演されていく。これらには原語上演もあれば日本語訳上演もあった 注 12 。大正期には (内容はともかく)浅草オペラが成功を収め、大衆化に貢献した 注 13 。この時期、帝劇・ 浅草オペラにおいて、台本創作者・翻訳者、俳優、演出家として中心的存在だった人物に 伊庭孝(1887–1937)がいる 注 14 。彼は結局浅草オペラの活動に疑問を抱き、生駒歌劇 注 15 (ごく短期)を経たのち 1921 年以降は評論家活動一本に絞ってしまうのだが、 1927 年に NHK のラヂオ歌劇シリーズ(放送枠は 1 時間)を堀内敬三(1897–1983)と一緒に担当 することになる 注 16 。その第 4 回が《フィガロの結婚》(1927.5.19 放送)であった。1937 年まで続けられたこのラヂオ歌劇は 37 回のうち数回を除いて日本語訳で放送され、その ほとんどを伊庭あるいは堀内が翻訳した 注 17 。これ以後、藤原歌劇団、長門美保歌劇団、 関西歌劇団、二期会が日本のオペラ界を牽引していくが、日本語上演は 20 世紀の終わり までオペラの普及という役割を担って散発的ではあるが続けられていた 注 18 。二期会では 主に宗近昭 注 19 、中山悌一 注 20 の訳詞が使われてきたことも我々世代の記憶に新しい。 鳥代:日本におけるオペラ普及のために日本語上演があったということは分かりました。でも、 犬輔さんの言うように、それによって音楽を犠牲にしてきたということはないでしょうか。 犬輔:そうですよ。イタリア語やドイツ語と日本語とは水と油ですから音楽が犠牲にならないの なら、日本語が犠牲になるしかないでしょう。 教授:その問題に答えてくれるであろう恰好の曲が伊庭孝の訳した《フィガロの結婚》K.492 1 幕フィナーレのフィガロのアリア『もう飛ぶまいぞこの蝶々』だ。これを諸君たちと 歌いながら、日本語歌詞の問題点を多方面から炙[あぶ]り出すことにしよう。 2.『もう飛ぶまいぞこの蝶々』はタイトルでもあり歌い出しでもある 犬輔:『もう飛ぶまいぞこの蝶々』はこのアリア・タイトルの定訳と言ってもいいですね。でも、 歌い出し歌詞は違うんでしょう? これが歌詞だとするととても歌いにくいですよ。 鳥代:楽譜に乗せてみましょう。おそらく譜例 1 のように歌うことになってしまうからという ことでしょう。確かに歌いにくいですね。 教授:初っ端から鋭い指摘だが、諸君たちの予想に反して、タイトルは歌い出しそのものなのだ。 鳥代/犬輔:ええーっ。 教授:ここに伊庭訳の歌詞が書かれた楽譜を準備しておいた 注 21 。諸君たちが歌いにくいと思う ならその理由を解明してみたまえ。それが日本語歌詞研究の第一歩だ。 譜例 1

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神戸モーツァルト研究会 第 254 回例会 2017 年 6 月 4 日

1

『もう飛ぶまいぞこの蝶々』を例に日本語歌詞を考える

野口秀夫

1.はじめに

鳥代:「日本語でも歌える歌詞付き」と銘打ったアリア集注 1や重唱曲集注 2が出版されていますが、誰のためのどのような用途を想定しているのでしょう。レクチャー・コンサートなど一般教育用にはありうると思うけれど、実際のオペラ上演で歌われることがあるのでしょうか。モーツァルト自身 3 幕のドランマ・ジョコーソ《偽りの女庭師 La finta giardiniera》K.196

(1775 年ミュンヒェン初演)をイタリア語からドイツ語に変えて、ジングシュピール版《愛ゆえの女庭師 Die Gärtnerin aus Liebe》として 1780 年にアウクスブルクで上演しているから、自国語上演という見地からは日本語上演もありなのでしょうけれどね。

犬輔:メトロポリタン・オペラがかつて英語訳でオペラを上演したときの《魔笛》の録音注 3 や、ドイツ語の《フィガロの結婚》とか《ドン・ジョヴァンニ》の CD 注 4注 5を聴いたことがありますよ。でも日本語での演奏は聴いたことがないなあ。そもそもイタリア語やドイツ語の歌詞に日本語が音楽的に乗るなんてとても思えないし、劇場では字幕が出るから注 6原詩のままの上演で意味の把握にも全く不自由はしないですしね。

教授:日本におけるオペラの受容史を概観してみよう。最新研究注 7によれば、1820.10(文政 3

年 9 月)長崎出島でオランダ人が上演した歌入り芝居《二人の猟師乳汁売娘》注 8が日本で最初に上演されたオペラであろうと推測されている。以後外国人によるオペラ上演はいくつかあるものの注 9、日本人による最初のオペラ全曲舞台上演注 10は 1903.7.23(明治 36 年)のグルック《オルフォイス》(近藤逸五郎[朔風]ほか訳詞注 11)まで待たねばならなかった。それを皮切りに、仏英伊独オペラが日本人による新作オペラと共に帝国劇場(民営)などで上演されていく。これらには原語上演もあれば日本語訳上演もあった注 12。大正期には(内容はともかく)浅草オペラが成功を収め、大衆化に貢献した注 13。この時期、帝劇・浅草オペラにおいて、台本創作者・翻訳者、俳優、演出家として中心的存在だった人物に伊庭孝(1887–1937)がいる注 14。彼は結局浅草オペラの活動に疑問を抱き、生駒歌劇注 15

(ごく短期)を経たのち 1921 年以降は評論家活動一本に絞ってしまうのだが、1927 年にNHK のラヂオ歌劇シリーズ(放送枠は 1 時間)を堀内敬三(1897–1983)と一緒に担当することになる注 16。その第 4 回が《フィガロの結婚》(1927.5.19 放送)であった。1937

年まで続けられたこのラヂオ歌劇は 37 回のうち数回を除いて日本語訳で放送され、そのほとんどを伊庭あるいは堀内が翻訳した注 17。これ以後、藤原歌劇団、長門美保歌劇団、関西歌劇団、二期会が日本のオペラ界を牽引していくが、日本語上演は 20 世紀の終わりまでオペラの普及という役割を担って散発的ではあるが続けられていた注 18。二期会では主に宗近昭注 19、中山悌一注 20の訳詞が使われてきたことも我々世代の記憶に新しい。

鳥代:日本におけるオペラ普及のために日本語上演があったということは分かりました。でも、犬輔さんの言うように、それによって音楽を犠牲にしてきたということはないでしょうか。

犬輔:そうですよ。イタリア語やドイツ語と日本語とは水と油ですから音楽が犠牲にならないのなら、日本語が犠牲になるしかないでしょう。

教授:その問題に答えてくれるであろう恰好の曲が伊庭孝の訳した《フィガロの結婚》K.492

第 1 幕フィナーレのフィガロのアリア『もう飛ぶまいぞこの蝶々』だ。これを諸君たちと歌いながら、日本語歌詞の問題点を多方面から炙[あぶ]り出すことにしよう。

2.『もう飛ぶまいぞこの蝶々』はタイトルでもあり歌い出しでもある

犬輔:『もう飛ぶまいぞこの蝶々』はこのアリア・タイトルの定訳と言ってもいいですね。でも、歌い出し歌詞は違うんでしょう? これが歌詞だとするととても歌いにくいですよ。

鳥代:楽譜に乗せてみましょう。おそらく譜例 1 のように歌うことになってしまうからということでしょう。確かに歌いにくいですね。

教授:初っ端から鋭い指摘だが、諸君たちの予想に反して、タイトルは歌い出しそのものなのだ。

鳥代/犬輔:ええーっ。

教授:ここに伊庭訳の歌詞が書かれた楽譜を準備しておいた注 21。諸君たちが歌いにくいと思うならその理由を解明してみたまえ。それが日本語歌詞研究の第一歩だ。

譜例 1

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2

鳥代:「もうとぶまいぞ、このちょうちょ」は七五調です。七五調は「タッカ」のリズム(付点音

符にその 3 分の 1 の音符を続けた 3:1 のリズム)に乗りやすく、曲全体が『鐡道唱歌』に代表される「ピョンコ節」(飛び跳ねているような、あるいはスキップしているようなタッカ|タッカ|タッカのリ

ズムのこと。あるいはそのリズムを中心に構成されている楽曲のこと)になる傾向があると聞いたことがあります注 22。伊庭訳では「飛ぶ」を付点八分音符+十六分音符で歌うように指定していますので注 23、七五調歌詞の一般傾向に鑑みてそのリズムを曲全体に敷衍できそうです。

犬輔:譜例 2 は「ピョンコ節」そのものですね。日本人には確かに歌いやすいかも知れません。

鳥代:ピョンコ節は「付点八分音符+十六分音符」で一つの単位を作るから、ちょうど 1 拍が 1

単位となります。一方、モーツァルトの音楽(譜例 1)は「付点八分音符+十六分音符+四分音符」が 1 単位となっていますから、フレージングが異なりますね。

犬輔:強弱のメリハリも異なるよ。イタリア語歌詞では必ず四分音符に強拍が来るけど、日本語歌詞ではピョンコ節で歌うと付点八分音符に強拍が来る。ピョンコ節以外(例えば等拍)で歌うとしても「とぶ」のところで強弱が不安定になります注 24。

教授:それは重要なことだ。イタリア語詩に作曲する場合の留意点を調べてみたまえ。モーツァルトは原則に基づいて強拍を置いているのだ。

犬輔:調べてみました注 25。イタリア詩歌では音節数によってリズムが異なります。早速ダ・ポンテの全詩行を下表に書き出し、音節を斜線で区切ってみましょう。

鳥代:1 母音 1 音節だけれど、母音が続く場合は複数母音で 1 音節となることもあるのね注 26。

犬輔:この詩は 1~8 行目が“10 音節詩行”、9~13 行目と 15~24 行目が“8 音節詩行”(あるいは“4 音節詩行”)、そして 14 行目は“4 音節詩行+5 音節詩行の二重詩行”なんだ。また、日本語ネイティヴが短歌や俳句を詠む固有のリズム感を持っているように、イタリア語ネイティヴにも詩を読むときの固有のリズム感があるそうだ。例えば、10 音節詩行は《弱弱強》(アナペストのリズム)、8 音節詩行と 4 音節詩行は《強弱》(トロキーのリズム)、5 音節詩行は《強弱弱》(ダクティルのリズム) あるいは《弱強》(アイアンブのリズム) を持つんだ。下表では強拍の音節を太字で示しましょう。対訳は鳥代さん、よろしく。

1 Non / più an-/drai / far-/fal-/lo-/ne a-/mo-/ro-/so

2 Not-/te e / gior-/no d'in-/tor-/no / gi-/ran-/do;

3 Del-/le / bel-/le / tur-/ban-/do il / ri-/po-/so

4 Nar-/ci-/set-/to, A-/don-/ci-/no / d'a-/mor.

5 Non / più a-/vrai / ques-/ti / bei / pen-/nac-/chi-/ni,

6 Quel / cap-/pel-/lo / leg-/ge-/ro e / ga-/lan-/te,

7 Quel-/la / chio-/ma / quell'/ a-/ria / bril-/lan-/te,

8 Quel / ver-/mi-/glio / don-/ne-/sco / co-/lor.

9 Tra / guer-/rie-/ri / pof-/far / Bac-/co!

10 Gran / must-/ac-/chi, / stret-/to / sac-/co.

11 Schiop-/po in / spal-/la, / scia-/bla al / fian-/co,

12 Col-/lo / drit-/to, / mu-/so / fran-/co,

13 Un / gran / ca-/sco, / o un / gran / tur-/ban/te,

14 Mol-/to o-/nor, // po-/co / con-/tan-/te!

15 Ed / in-/ve-/ce / del / fan-/dan-/go

16 U-/na / mar-/cia / per / il / fan-/go

17 Per / mon-/ta-/gne, / per / val-/lo-/ni

18 Con / le / ne-/vi e i / sol-/li-/o-/ni

19 Al / con-/cer-/to / di / trom-/bo-/ni

20 Di / bom-/bar-/de / di / can-/no-/ni

21 Che / le / pal-/le in / tut-/ti i / tuo-/ni

22 All'/o-/rec-/chio / fan / fi-/schiar.

23 Che-/ru-/bi-/no, al-/la / vit-/to-/ria;

24 Al-/la / glo-/ria / mi-/li-/tar!

多情な色男よ 君は もう

夜も昼も辺りを歩き回って

美しい女性たちの憩いを惑わしに行かない

可愛いナルシス 愛のアドニスよ。

この美しい可愛らしい羽も もうこれまでだ

軽くお洒落なその帽子も

長い髪も 華やかな身形[みなり]も

女性色のヴァーミリオンも。

戦士に交じって バッカスに誓う!

大きな口髭 詰まった背嚢[はいのう]

肩に銃 腰にサーベル

襟を高く 顔は勇敢に、

大きな兜 あるいは大きなターバン

名誉は大きく 報酬は少ない!

そしてファンダンゴの代わりに

泥の中を行進

山を 渓谷を

雪の日々も 酷暑の日々も

ラッパの協奏に

射石砲 大砲が加わり

砲弾 雷鳴のごとく

耳を劈[つんざ]く。

ケルビーノよ 勝利に向けて

軍人の栄光に向けて!

譜例 2

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3

鳥代:4 行目と 8 行目は 9 音節、22 行目と 24 行目は 7 音節で、1 音節ずつ足りませんよ。

犬輔:イタリアの詩歌では詩行の最終単語のアクセントが、末尾から 2 番目の音節にある場合を基準にしていて、末尾から 1 番目にアクセントがある詩行は(いわば“字足らず”として)1 音節加え、末尾から 3 番目にアクセントがある詩行は(いわば“字余り”として)1 音節除いて音節数を数えることになっているんだ。

鳥代:と言うことは、1~8 行目は 10 音節詩行であり、モーツァルトがすべての強拍に四分音符を持ってきたことはまさにイタリア語の韻律法に則した作曲であることの証なのね。

犬輔:だから 1 行目が「もう飛ぶまいぞこの蝶々」では歌いにくかったんだ。

教授:だが、伊庭孝を非難してはいけない。当時はまだ日本人のオペラ受容の壁は厚く、新聞に「独唱や何かのヒョロヒョロ声やオーケストラのガアガアするのを聞くとたまらなくなるのです」と投書されるほどだったのだ注 27。諸君たちも知っての通り、スコットランド民謡の Comin' Thro' the Rye が『明治唱歌集』(明治 21 年)に大和田建樹・詩『故郷の空』として採用されたとき、原曲に含まれていたスコッチ・スナップ(俗に言う逆付点リズム。1:3 のリズム)注 28が姿を消し、全編がピョンコ節となって今日まで伝えられている。明治以来このような好みを持ち続けている日本人に受け入れられるためには伊庭も韻律をさて措いてピョンコ節で歌う可能性を持たせざるを得なかったと認めなければならない。

鳥代:助け舟を出しましょう。モーツァルトもハ短調ミサ K.427 (417a) のキリエとグローリアの歌詞をラテン語からイタリア語に直してカンタータ《悔悟するダヴィデ Davidde

penitente》K.469 に流用した時、一部で韻律法が無視されていますよ注 29。曲を改訂できたモーツァルトですらそうだったんですから強く言えませんね。

犬輔:それは弁護にならないよ。モーツァルトのその部分は本当にひどい手抜きなんだから。

3.「もう飛ぶまいぞこの蝶々」の歌い出し代案

教授:時代が下ってレコードでイタリア語の歌唱を聴くチャンスが増えると、やはりピョンコ節で歌いそうになるのを避けたいと思う日本人も増えてくる。そこで改訂に臨んだのが歌手の立川清登注 30だ。歌い出しは「もはや飛べまいこの蝶々」となっている(譜例 3)注 31。

犬輔:七五調のまま一部歌詞を変えるだけでリズムがオリジナルに近くなり、ピョンコ節を脱却することができます。立川訳のマジックと伊庭訳の生命力の強さを感じますね。

鳥代:でも、伊庭訳がせっかく擬古文注 32の体裁により 18 世紀の雰囲気を醸し出しているのに立川訳はそれを踏襲していません。その点にわたしは違和感を覚えるわ。

犬輔:つまり「もはや飛べまい」は現代文だということだね。

鳥代:そうよ。古文では「飛ばるまい」あるいは「飛ばれまい」というべきです注 33。

犬輔:それではまたリズムが合わなくなってしまうよ…。

鳥代:そもそも non più andrai の意味は「飛べないだろう」でなくて「飛ばないだろう」です。andrai は andare の二人称単数未来だから英語に直せば You are no more going to のことで可能や能力の意味はありません。

犬輔:文法はともかく、「もはや飛べまい」ではケルビーノへの皮肉を越え、羽を毟[むし]り取るというサディスティックな行為までぼくには連想されてしまうんです。

鳥代:では「もはや飛ぶまい」とシンプルにした方がいいですね。代案として譜例 4 に追記しておきます。他にも代案があったらどんどん追記していきましょう。

犬輔:気になったことを一つ質問します。先ほどの鳥代さんの対訳では farfallone を「色男」と訳していますね。何故「蝶々」ではないんですか。

鳥代:「蝶々」は farfalla で、それに拡大辞 -one が付いた farfallone は辞書では ① farfalla の拡大形、② 漁食家、③ ファルファラ・パスタとして項目立てされています。picciolo

Cherubino と呼ばれるケルビーノに①「大きな蝶々」は不適でしょう。拡大辞によって軽蔑の意味が加わり、比喩的用法の段階も越えて独立した意味となった②が適切なのです。

犬輔:では「この蝶々」は訳詞としてまずいのでは…。

鳥代:いいえ、「この」に軽蔑の意味が少し含まれているからぎりぎりセーフですね注 34。

教授:詩も音楽も、むしろ「色男」と同時に「蝶々」をも連想させる作りになっている。

譜例 3

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4

犬輔:ところで立川訳はなぜ「騒がした」にしているんでしょう。

鳥代:過去の出来事だからでしょう。でも「騒がした」は現代文です。古文なら「騒がす」に過去の助動詞が付いた「騒がしき」ですよ注 35。とは言えここでわざわざ過去形にする必要はないわ。習慣を述べるには現代文・古文ともに現在形の「騒がす」が妥当です。

犬輔:「騒がす蝶々」は現代文の連体形を使っていますから、古文では「騒がする蝶々」ですね。

鳥代:いいえ、元々終止形なのです。「もはや飛ぶまいこの蝶々」「夜も昼も休まず花の心騒がす」「罪造りな蝶々」と 3 つの文章に分かれるのです。最後の 1 行は同格の呼び掛けです。

犬輔:分かりました。ところで、4 行中で唯一の二分音符がここに与えられているのは韻律上の弱拍を音楽的に長く歌うということになり、ケルビーノに近寄って小声になる準備ですよ。そのためにも「した」より「す」のほうが据わりがいいですね。

鳥代:「罪造りな蝶々」では最初の強拍を他の行とは異なり「造り」の“つ”に置いています。これで「造る」という行為を悪行として強調する効果が出ます。ここを一旦小声で歌って、続いて声を高めた反復で念を押す。伊庭はモーツァルトの意図に沿っていますね。

4.「為まいぞ」の読み方

鳥代:続きを見ていきましょう。

譜例 5

譜例 4

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5

犬輔:10 音節詩行が続いていますが、「羽はならぬぞよ。帽子も、粋な身形もならぬ」のところは既出の 10 音節詩行から中間を抜いたり、後半を省略したり変化を付けての反復です。

鳥代:伊庭訳による音友 1952 年版の「為まいぞ」を音友 1962 版では「すまいぞ」、立川訳では「せまいぞ」と読んでいます。

教授:私は代案として「しまいぞ」と読んでもいいと考えている。

犬輔:眺めていると分からなくなりました。日本語の曖昧さが時々ぼくの自信を無くさせます。

教授:「まい」は「まじ」から変化した助動詞だ。用言への接続の仕方はそれぞれ異なると辞書には書いてあるが曖昧だ注 36。犬輔君の悩みは無理もない。実例を挙げて表にしてみよう。

表 1 「す(為)」への「まじ」の接続

例 出典 引用例 年代 接続

1 注 37 『宇治拾遺物語』 ものうらやみは せまじきことなりとか

13 世紀 前半頃 サ変「す」の未然形に接続

{せ/し/す/する/すれ/せよ} 2 注 37

人形浄瑠璃・歌舞伎 『菅原伝授手習鑑』

せまじきものは宮仕えじゃなあ (寺子屋の場)

1746 年 初演

3 新井白石 晩年の書簡

右の仕合大かた事も成就しまじき事と存じ候(書簡 454)

1725 年以前

サ変「す」の連用形に接続 {せ/し/す/する/すれ/せよ}

4 塙保己一

『群書類従』 すまじからむ事はすまじきぞかし(夜鶴庭訓抄)

1793– 1819 年

サ変「す」の終止形に接続 {せ/し/す/する/すれ/せよ}

表 2 「す(為)」への「まい」の接続

例 出典 引用例 年代 接続

5 注 38 狂言『六人僧』 ヤレだまされはせまいぞ。 年代不詳 サ変「す」の未然形に接続 {せ/し/す/する/すれ/せよ} 6

近松門左衛門 『壽門松』

ああ貧乏はせまいもの。 (ねびきのかどまつ)

1718 年 初演

7 中古江戸狂言

『千代始音頭瀨渡』 氷砂糖をたんと食って、食傷をしまいぞ。(ちよはじめおんどのせと)

1785 年 出版

サ変「す」の連用形に接続 {せ/し/す/する/すれ/せよ}

8 近松門左衛門

『釈迦如来誕生會』 死に兼

かね

にやしまい。と宣のたま

へば。

(しやかによらいたんじやうゑ)

1695 年 初演

9 天正狂言本 『比丘貞』

必ず沙汰をすまいぞ。 (びくにさだ)

1578 年 編纂

サ変「す」の終止形に接続 {せ/し/す/する/すれ/せよ}

10 近松門左衛門

『曽我五人兄弟』 彼方か な た

へ外はず

し此方こ な た

にすまい。

(そがごにんきやうだい)

1701 年 初演

犬輔:サ変動詞の場合は未然・連用・終止どれにでも「まじ」が接続でき、「まい」もその接続を継承したんですね。近松門左衛門のように一人で 3 つを使い分けてもいいんだ。

鳥代:ところで現代文では「為まい」をどう言うのかしら。じっさいに使うことがありますから。

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6

教授:文化庁が出版した『言葉に関する問答集』が参考になる注 39。それによれば「しまい」が本来、「すまい」「するまい」も許容となっている注 40。

鳥代:えーっ? 「わたしはそれをすまい。あなたもそれをしまい」とは言いそうだけれど、「わたしはそれをしまい。あなたもそれをすまい」とは言わないような気がします。「すまい」は自分の意志、「しまい」は他人事のようですので注 41。

犬輔:鳥代さんが納得しようとしまいとそうなのですから認めざるを得ないでしょう。

鳥代:わたしが抵抗しようがしまいが変わらないのですね…。あらっ、わたしもいつの間にか自分のことなのに「すまい」でなく「しまい」と言っている…。

教授:現代語の「しまい」「せまい」「するまい」のうち「せまい」だけ排除し、古語の「すまい」を許容する文化庁もおかしい注 42。この辺は未解決の分野だということにして先に進もう。

鳥代:数か所の「ならぬ」の一部を立川清登の録音で聞き取るとナランと歌っています。

教授:現代文なら「ならぬ」でも「ならん」でもいいが、古文であれば「ならず」注 43を使う…。

犬輔:では伊庭訳は擬古文ならぬ(=ん)疑古文ですね。「偽古文ならむ(=ん)」とも言えますよ。

教授:いや、「ならぬ」は古語「ならず」の連体止めで、「ならぬのだ」の意味。発音はナラヌだ。

鳥代:伊庭訳はとことん擬古文なのですね。些細なことですが、係り助詞に触れておくと、立川訳の「粋な身形はならぬ」より伊庭訳の「粋な身形もならぬ」の方が文脈からは自然です。

教授:発音に戻って、「帽子」は仮名遣いが「ぼうし」、発音がボーシなのは常識だが注 44、日本語を学習する外国人には一番難しい発音規則だということを知っておこう注 45。

犬輔:ところで鳥代さん。伊庭訳の「紅をさすことならぬ」に相当する部分の対訳が「女性色のヴァーミリオンも(もうこれまでだ)」としてますがどういう意味ですか。

鳥代:まず「紅を差(点)す」の意味を考えましょう。「紅色になる。特に、恥ずかしさなどで顔が赤くなる」また「頬紅や口紅をつけて化粧すること」を言います注 46。伊庭訳が前者の意味で「滅多なことで顔色を変えるな。紅潮するな」なのか、後者の意味で「女性のように頬紅や口紅をつけるな」なのかいずれかを特定しなくてはなりません。

犬輔:ケルビーノが女性歌手によるズボン役だからと言って「頬紅や口紅をつける」というのは倒錯以外の何物でもないですよ。

教授:いや、「18 世紀の紳士は顔に白粉を塗り、タップリと頬紅を塗った。また 1768 年以降、宮廷の男性たちは眉毛を鉛で黒化し、唇を赤く塗った」注 47 という報告があるから倒錯とは決めつけられない。

犬輔:原詩のヴァーミリオンとは vermin[虫]を語源とする朱色のことですね。これを化粧品とするなら何故ルージュやピンクではないんですか? 衣装の色かも知れませんよ。化粧品か衣装か、どちらを代表する色なのかが証明されなければ、ぼくは納得しません。

鳥代:別の報告を引用するわ。「[18 世紀の]女性の部屋における極めつきはこのテーブルだ。鏡の台座でもあり、揺り籠のような手触りのモスリンで覆われていて、祭壇のようにレースで飾られ、小装飾品や媚薬、化粧品やクリーム、香水や付けぼくろ、ヴァーミリオンやルージュ、ベジタブル・ルージュ、ミネラル・ルージュ、ケミカル・ホワイト、[舞台化粧用あ

るいは仮装用?]静脈青、皺伸ばし用マイユ・ワインのヴィネガー、そしてリボン、そして編み髪、そして羽飾りで散らかされている。パウダーの雲の中に琥珀の雰囲気が漂う小さな魅力的な虚栄心の世界である」注 48。用途別に容器が置かれているのではなく、色別に容器が置かれ、中の色素を指に付けては頬にも唇にも塗っていた光景が彷彿とするわね。

教授:おそらくダ・ポンテは作詞上 vermiglio(vermilion のイタリア語)の音節とアクセントを必要としたので rosso (rouge のイタリア語)にしなかったのだろう。

犬輔:納得しました。《フィガロ》の初演は 1786 年だから、宮廷ではまだ歴史の浅い男性の口紅(1768 年以降と報告されている)に女性色のイメージが残っていたからこそ伊庭訳が「女性のように口紅をつけるな」という意味にぴったりと嵌るわけですね。

5.8 音節詩行および二重詩行へ

犬輔:一旦最初に戻って歌われたのち、オーケストラの強奏と共に 8 音節詩行、そして 4 音節内包の 8 音節詩行に変わるんです(譜例 6)。基本的に《強弱》の繰り返しリズムです。出だしの一行の伊庭訳「もう軍人だぞ」は強弱のリズム感たっぷりで、立川訳「さて今日から軍人」は高低アクセントの方に重きを置いているようです。

譜例 6

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7

鳥代:ファンダンゴで舞台のセビリアを象徴し、イタリア語のファンゴ[泥]と韻を踏んでいるダ・ポンテは流石です。日本語で同様の押韻を試みて例えば“踊れまいファンダンゴ/靴底は泥団子”では駄洒落になってしまいます。それに marcia がキーワードとなって伴奏が行進曲に変わりますので、伊庭訳の“進軍”が 1 小節遅れながら適切と言えるでしょう。

犬輔:13 行目の Un / gran / ca-/sco, / o un / gran / tur-/ban/te には 9 音節ありますが 8 音節詩行の《強弱》のリズムですから、9 音節目がいわば字余りとなっているに違いありません。つまり末尾の単語 turbante[ターバン]は末尾から 3 番目にアクセントがあるとダ・ポンテは見做しているのです(イタリア語辞書にはアクセント位置が書かれていませんが、WEB

で発音を聴いてみると注 49、現代では末尾から 2 番目の音節にアクセントを置く人が多いようです)。なお、8 音節詩行は基本的に《強弱》ですが、1 音節目と 5 音節目の《強》は2 次アクセントの場合があり、その理由からこの詩行では 1 音節目を《強》としません。

鳥代:モーツァルトが 11 と 12 行目に四分休符、13 と 14 行目に八分休符を置いたのに対し、伊庭訳が 13 行目を四分休符相当(八分休符+八分休符)としたのはバランスを欠きます。

犬輔:14 行目は既に述べた通り 4 音節詩行(Mol-/to o-/nor,)+5 音節詩行(po-/co / con-/tan-/te)の二重詩行です。モーツァルトはその後半を繰り返すことになる続きの部分を 5 音節詩行+5 音節詩行の二重詩行としています。これが 10 音節詩行でないことは重要です。立川訳はその部分の歌詞が繰り返しになっていないから二重詩行の効果が出てこないし、全体に現代口語なのも相応しくないと思います。

教授:それで諸君たちは繰り返し部分の代案を「栄誉に褒美は少々」としたのだね。

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8

鳥代:ここはホ短調になっていて作曲者がケルビーノをからかっていることが分かります注 50。わたしも「ちょうちょう」に「しょうしょう」を掛けてからかってみました。

教授:そんなことより「栄誉」はどう発音すればいいのかね。

鳥代:「えいよ」ですよ。

教授:平仮名表記のことではなく、歌唱時の発音を質問しているのだ。ええい、じれったい! エーヨなのかエイヨなのかどちらかということだ注 51。

鳥代:えーと…。

6.「えい」「けい」「せい」…をどう歌えばよいのだろうか

鳥代:「栄誉」がエエヨでないことだけは確かだけれど、エイヨかエーヨかと訊かれるとその時々によって二つを使い分けているような気がするわ。

犬輔:丁寧に発音しなさいと言われればエイヨに近いし、早口でとか、大声でとか、ぞんざいにと言われればイを端折ってエーヨに近い発音になる。普段は無意識にその中間かな。

鳥代:例えばセンセーは大声で宣誓する場面を思い浮かべるし、センセイは森昌子が憧れの先生を心の中で呼びかけている様子ね。花時計はハナドケイ、腹時計はハラドケーでしょうか。

犬輔:このようなテーマは NHK のお得意とするところで、既に決まりごとがあるんでしょう?

教授:あるが一筋縄では行かない。ここに『NHK 日本語発音アクセント辞典』[以下『NHK 辞典』]

の改訂にあたって 2013.12 に放送用語委員会が開催した「ことばの読み・語形のゆれについて」という意見交換会の記録がある注 52。それによれば「『背格好』『背伸び』のセーとセイの発音については、セーに統一することを提案する。ほかに『背』『背くらべ』『背高』『上背』『中背』なども同様の発音とする。セーはセが長音化した語とも考えられる。セイとはせずセー(ゼー)とする」となっている。続けて昭和 18 年版「セノビ、セイノビ」、昭和 26 年版「セイカッコー/セノビ・セイノビ」、昭和 41 年版「セイカッコー、セカッコー、セノビ、

セーノビ」、昭和 60 年版(平成 10 年版も)「セカッコー、セーカッコー、セイカッコー/セノビ,セー

ノビ」が引用され注 53、これらを新しい『NHK 辞典』では恐らく「セカッコー、セーカッコー/

セノビ,セーノビ」とするということだ注 54。また「漢語の『えい』『けい』『せい』の発音は[中略]『自然な発音』を示すこととなった。[中略]つまり『経験』の発音は新しい『NHK

辞典』ではケーケンと示される」ともされている。

鳥代:NHK は「背」の「せい」を訓読みと解釈し、漢語の「せい」の規則とは別扱いにしたけれど、結局「セー」と読む点では同じ結論となったのね。

犬輔:早速『NHK 日本語発音アクセント新辞典』(2016.5)[以下『NHK 新辞典』]を見たら「せいくらべ[背比べ]セーク\ラベ、セイク\ラベ」「せいたか[背高]セータカ-、セイタカ-」「うわぜい[上背]ウワゼー-」「けいえい[経営]ケーエー-」となっていて微妙な改訂だよ注 55。

鳥代:委員の一人が述べている次の所感はアナウンサーにとってはきっと今後の課題になるわ。「『映画』は『えいが』と書いていても、エーガと発音される。しかし,このエーガの発音は、『えーが』と書いていたものを読んだときの発音と少し違うように思う。[中略]『ていねい』や『けいえい』のように、1 語の中で連続して出てくるような場合は、最初の『てい』または『けい』はイに聞こえる場合も多いと思った」注 56。同感だわ。

教授:私にとってもそれは課題だ。戦前の国語の教科書の指導で、またもう少し古く明治ごろからの国語教科書の解説でも、「えい」「けい」「せい」などを長音として発音するように指導があったという注 57。戦後の音楽教育の一時期、日常の発音通り歌うという指導がなされたこともある注 58。それに従って海野厚・詩/中山晋平・曲の『背くらべ』(1919 年?)を古賀さと子が歌った SP レコード注 59では、歌詞の「背くらべ」を「セークラベ」、「背の丈」を「セーノタケ」と発音しているのだが、私は当時(今聴いてもそうだが)、その一瞬に軽薄な色のフィルタがかかったような感じを抱いてしまったのだ。

犬輔:ぼくには長音でなく「セ/エク\ラベ」「セ\エノタケ」と歌っているように聞こえます。高低アクセント(/は上がり目)の関係で口を横に開いたエになっているのでしょう。

鳥代:そうかも知れませんね。表記と発音に関連して昭和 61 年告示の『現代仮名遣い』注 60を見てみましょう。そこには「(4) エ列の長音 エ列の仮名に「え」を添える。例 ねえさん ええ(応答の語)」とあって、ここでは平仮名の長音記号には言及されていません。一方、発音をセイとするかセーとするかについては但し書きにこう書かれているわ。「次のような語は、エ列の長音として発音されるか、エイ、ケイなどのように発音されるかにかかわらず、エ列の仮名に「い」を添えて書く。例 かれい せい(背) かせいで(稼) まねいて(招) 春めいて へい(塀) めい(銘) れい(例) えいが(映画) とけい(時計) ていねい(丁寧)」。ただ、この但し書きは歴史的・現代仮名遣いを明文化しただけのものよ。

犬輔:発音が先にあって、仮名遣いは後から決まったものだから、「背」の発音をセイとするかセーとするかは文科省が決めるものではないという立場は当然と言えば当然だね。

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9

鳥代:でも、「元々セーと長音で発音していたにもかかわらず、仮名遣いが『せい』なので、表記の通り几帳面に読もうとする人たちによってセイという発音が生み出された」注 61 のかというと、そうではないような気がするわ。この発音推移の順序の同定は重要なことよ。

犬輔:そのためには「背」を元々どう発音していたのかエビデンスを示さなければならないね。ついでに前掲の「セー[背]はセ[背]が長音化した語とも考えられる」も本当かどうか。

鳥代:昔の発音がどうであったのかを知るのは難しいことだけれど、例えば 1603 年に発行された『日葡[にっぽ]辞書』が日本語をアルファベット表記しているため、当時の発音を知ることができるのです。そこには「Xeino tacai, 1, ficui fito セイノ タカイ、1(=または)、ヒクイ ヒト(背の高いまたは低い人)」があり、また「Xeuo cugumuru. セーヲ クグムル(背を

屈むる = 背中を湾曲する)」という項もあります。さらに「Qeiyei ケイエイ(招宴の準備をして整

えること。また、商売をすること。または生活費その他のものを稼ぐこと)」もあり、これらから当時の日本では「背」をセイ、セー、「経営」をケイエイと発音していたことが分かります注 62。注意すべきは平安~江戸時代の 1 拍語はすべて 2 拍に発音されたと推定され、したがってXe もセー(現京都型セ/ー\でなくセー\)と発音されたと考えることができるという点よ注 63。

犬輔:「セー[背]はセ[背]が長音化した」は厳密には間違いなんですね注 64。“「背(せい)」のセイが長音化したセーと、「背(せ)」が 2 拍で発音されたセーとは別物”なんだ注 65。さて、16 世紀の発音は分かりました。では当時の仮名遣いはどうだったんでしょうか。

鳥代:『源氏物語』までさかのぼってみましょう。定家親筆本の写本とされる明融臨模本「桐壺」帖に、「れいのさほう尓おさめ多て万つるを・」という記述があります。「例の作法を納めたて奉るを。」という意味で「例」を「れい」と表記しています注 66。

犬輔:13 世紀初めの定家の頃に「れい」と書かれていたことは分かったけど、今度は 13 世紀にレイと発音されていたのかどうかはこれだけでは分かりません。

鳥代:そう、これをもって“13 世紀以前には仮名遣いが「れい」であった。しかし発音はレーであり、仮名遣いに引き摺られて 16 世紀にレイと言う発音が発生した”という仮説をむしろ強弁する人がいるかも知れません。でもそうであれば「仮名遣いが 800 年間変化しないにもかかわらず、発音だけがレーから 16 世紀にレイに変化し、さらにいつの間にか元のレーに戻る力が働いた」ということになり、その仮説は採りにくいことになるわね。元々レイだったのが最近になって発音しやすいレーに変化したと考える方が自然だわ。

犬輔:一方で「帽子」を日葡辞書で調べたら Bôxi(ô は合音[ごうおん]のオ列長音)なので当時から(それ以前は別としても注 67)ボーシと発音されていたことが分かりました。「う」が最近長音化したんではないんです。仮名遣いに引きずられがちなのはむしろオ列長音で、外国人ならずとも読みの通りウと発音してしまう場合がままあるのは、助詞の「は」「へ」ほどには厳しく教えられなかったからなんでしょうね注 68。表にして比較しましょう注 69。

表記 読み(歴史的・現代仮名遣い) 中世の発音 現代の共通語発音 『NHK 新辞典』発音 帽子 ぼうし Bôxi ボーシ ボーシ ボウシ ボーシ 背(身長) せい Xei セイ セイ ⇒ セー 共存 セー、セイ 第 2 候補

背(せなか) せ Xe セー セー ⇒ セ 共存 セ 第 2 候補なし 経 けい Qei ケイ ケイ ⇒ ケー 共存 ケー 第 2 候補なし 営 えい Yei エイ エイ ⇒ エー 共存 エー 第 2 候補なし

教授:悩んでいても仕方ない。「えい」「けい」「せい」…は“気構えて”発音するか、“気楽に”発音するかで切り変えてはどうかね。茶木滋・詩/中田喜直・曲の『めだかのがっこう』(1951 年)には「生徒」と「先生」が出てくる。これをどう歌えばいいか考えてみよう。仮にセート、センセーとしてアクセントを見ればセ\ートおよびセ/ンセ\ー(あるいはセンセ\ー)だね。ところがこの歌のアクセントは「誰がセ/ート\か・セ\ンセーか」と不自然に歌わなくてはならない。作曲者はこの 2 番のメロディを 1 番とは違えることもできたが、そうはしなかった。つまり、共通語アクセントで“気楽に”歌うことよりも、“気構えて”歌うことになるのを良しとした(意図的ではないとしても結果として)。 そうならば「誰がセ/イト\か・セ\ンセイか」と歌うというのも一つの解決策だ注 70注 71。

鳥代:楽譜に明確に表示されている場合もありますね。高橋掬太郎・詞/細川潤一・曲の『古城』(1959 年)における「栄華の夢を胸に負い」の「栄華」はエーを付点四分音符に、イを八分音符に割り振っています注 72。これはエーイガとしか歌いようがありません。また堀内敬三・詩/曲の『若き血(慶應義塾応援歌)』(1927 年)における「見よ精鋭の集う処」の「精鋭」はセイを二分音符に、エイを次の二分音符に当てているのでセーエーとも歌えます(むしろその方が記譜上妥当)が、続く歌詞「烈日の意気高らかに」の「日」がジツを二分音符に当てており、ジとツがスタッカート気味に発音されることを踏まえればセとイ、エとイもはっきりと発音してほしいという意図が楽譜上から読み取れると思われます注 73。

犬輔:一つ一つ検証して歌う必要があるということなんだね。ぼくとしては中間的な発音として、一般には日本語にはないとされる二重母音でエィと発音する歌も作ってほしいな。

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10

7.トロキーのリズムで日本語を早口にまくし立てることができるか

教授:随分寄り道をしてしまった。曲を続けたまえ。

犬輔:はい。続くは八分音符で早口にまくしたてるところで、8 音節詩行の《強弱》リズムです。

鳥代:譜例 7 の伊庭訳の奇妙なところは、歌詞の切れ目がオリジナルの詩行とずれていることです。小節の頭から文を始めているから一見正しそうだけれど、それすら徹底していません。もっとも翻訳歌詞にはこのような例が多いわね。前述の『故郷の空』の歌詞も小節の切れ目を斜線で示すと「ゆうぞら/はれてあ/きかぜふ/き、/つきかげ/おちてす/ずむしな/く」と歌われるから金田一春彦が“『鈴虫』のスが前の方にいっちゃう。そうして、そのあと「ずむし鳴く」という。これでは東北弁だと地虫[=ミミズ]が鳴いている歌になる。(笑)そんなことから、もっと原歌詞の意味にも合った、原曲の切るところもきちっと切った、アクセントも合うようなのにしようと、いま[波の会で]やっているところなんです”と指摘したこともあるのです注 74。

犬輔:ではオリジナルの詩行に合わせて日本語訳を乗せてみましょう。楽譜を横に続けると早口で歌いやすいですよ。音友 1952 版の歌詞表記に敬意を表して、漢字混じり文で記入してみました。素早く歌うためには歌詞の意味が一目で分かることも重要ですから(譜例 8)。

教授:見事だ。日本語でも早口で《強弱》リズムを歌えるということが分かった。

譜例 7

譜例 8

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11

犬輔:続く部分は 5~6 行目の 10 音節詩行の反復ですが、中間が省略されています。

鳥代:既出の反復ですから、元のリズムを保ったままです。ここには歌詞の代案はありません。

犬輔:再び元に戻ってから 23~24 行目で最終の 8 音節詩行となります。《強弱》で高らかに歌います。

8.まとめ

教授:日本語で歌ってみてどうだったかね。

犬輔:イタリア語詩行の音節と音楽のアクセントの一致からモーツァルトの作曲の現場が身近に感じられました。そして訳詞だけでなく、日本語の歌全般に対する認識が高まりました。ぼくには日本語の曖昧さに耐える歌詞、むしろ曖昧さを生かす歌詞が理想です。

鳥代:教授から「何故そう感じるのか、語感の依って来たるところを説明しなさい」と仰られるにつけ、日本語歌詞については発音だけでなく発声法についても知りたくなってきました。

教授:日本の歌の問題に関しては、文法の曖昧さ、発音の曖昧さにかまけるだけでなく発声法についての研究・議論がもっと高まってほしいね。イタリア語はもちろんドイツ語や英語が演劇と音楽の発声法に共通の解を得ているのに対し、日本ではまだ統一への道は険しい。例えば、劇団四季が使っている「母音法」によれば言葉の一つ一つの母音が等間隔に並ぶようにしてから子音を入れる訓練がされる注 75。また、狂言においては「狂言はただ大竹の如くにて直[す]ぐに清くて節[ふし]少けれ」を教えとし、最も大切なものは、詞[こと

ば]と姿勢とされ、詞は開口をはっきりと、腹から声を出して、明瞭に発音することとしている注 76。声楽に関して言えば、子音を明確に生かし、付属する母音部分をきちんと呼気流に乗せて共鳴効果をつくる日本語歌唱法が求められている注 77。これらを演劇・音楽共通に纏めることだ。そして、日本語オペラや日本語歌曲にとどまらず明治以降の唱歌、大正・昭和の童謡の歌い方にも反映させる。いつまでも一律に“日常の会話の発音と同じに歌う”といった方針で解決するものではない。諸君たちの一層の奮起を期待したい。

譜例 10

譜例 9

1, 2 回目

3回目

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12

後日の談話室にて

『恋とはどんなものかしら』を考える

鳥代:イタリア詩歌の音節構造や日本語訳詞のおさらいを兼ねて、《フィガロの結婚》第 2 幕でケルビーノが歌うアリエッタ『恋とはどんなものかしら』を見ておきたいと思います。

1.タイトルについて

犬輔:NHK の放送で聞き慣れたこのタイトルも歌詞から採られたものなのでしょうか。

教授:“『恋とはどんなものか知らない私に、どうかご婦人方、これが恋なのか教えてください』という歌詞の冒頭から採られたが、生憎、字数制限のため途中でチョン切られてしまった気の毒なタイトル”だとある人がラジオで解説していた注 78。まるで、かつての NHK-TV

人気番組『ジェスチャー』注 79の擬人化された問題文もどきの作り話だ。

鳥代:その人は不審・疑問の助詞「かしら」を男子のケルビーノが使うはずがないと思い込んでいたのでしょう。確かに女性言葉ですが男性が使ってもいいのです。私たちには NHK-FM

で放送された吉田秀和の解説でもうすっかりお馴染みですね注 80。

犬輔:作り話では答えになりません。本当に歌詞から採ったのかどうかもう一度質問します。

教授:伊庭孝の訳詞から採ったタイトルは『恋の悩み知る君は』だ注 81。それを口語に馴染むような七五調のタイトル『恋とはどんなものかしら』に誰かが変えたものと思われる注 82。

2.イタリア語歌詞とその歌い方

鳥代:早速ダ・ポンテによるイタリア語歌詞から見ていきましょう。

犬輔:ダ・ポンテの詩は 5 音節詩行でできていますね。おさらいすれば 5 音節詩行は《強弱弱》(ダクティルのリズム) あるいは《弱強》(アイアンブのリズム)でした。初めの 4 行を分析してみましょう。

1 Voi / che / sa-/pe-/te

2 Che / co-/sa è a-/mor,

3 Don-/ne, / ve-/de-/te

4 S'io / l'ho / nel / cor.

皆様方 ご存知でしょう

恋がどんなものであるのか、

ご婦人方、お分かりでしょう

ぼくの胸にそれがあるのか。

鳥代:採用されているのは《強弱弱》(ダクティルのリズム)ですね。

犬輔:小節の初めに詩行を合わせられるからリズム的には作曲しやすいだろうね。

鳥代:2 行目の第 3 音節は今までも出てきた語間合音により、3 つの母音で一つの音節を形成しているのね。音節とは「一気に切れ目なく発音される 1 つ 1 つのまとまり」ですから saèa

を纏めて発音するのだけれど難しいわよ。

犬輔:aero をラテン語でも英語でもエァロと発音するから、ゼァと発音するのかな。スラーが付いた三十二分音符があるからゼァーと延ばして「ケー/コー/ゼァー/モール」だろうか。

譜例 11

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13

鳥代:それは少数派ね。「ケー/コー/ザェァー/モール」と歌っている人が多いわ。そう言えば、わたしの先輩にあたる歌手の卵がここは“幸左衛門”と歌うのだと言っていたわ注 83。

犬輔:三十二分音符のァの長音を入れて“幸左衛亜門”の方が近いかも知れないけどね。

教授:彼女は立派な歌手になれるだろう。こじつけで練習するのも音節に馴染みのない日本人にとっては有効な方法だ。だが音節に忠実な歌唱法だけが唯一正しいという訳ではない。

鳥代:また教授お得意の禅問答ですね。どういうことですか。

教授:では、これから規則に則った歌唱とそうでない歌唱とを比較して論じてみよう。譜例 12

のように歌っているレコードがある。

犬輔:明らかに詩の音節構造を無視していますね。

鳥代:それだけでなくモーツァルトの楽譜も無視していることになります。いいのでしょうか。

教授:音の楽しみとしての素朴な音楽美の観点からはこれでいいのだ。例えばメリスマは音節にこだわっては歌えないし、即興の装飾音型に音節通りとか記譜通りにという縛りは不要だ。さっき鳥代さんが「まとめて発音すると歌いにくい」と言ったことはすなわち「心地よく聞こえにくい」ことでもある。心地よく聞かせることを最優先にする歌手だったら、譜例12 のように歌うのを選ぶというのは当然だ。

犬輔:作曲家が規則通り作曲・記譜していても、演奏家は自由に音楽作りしていいということなんですね。

鳥代:でも、基本的知識を熟知して、その上で展開する必要はあるのだわ。

教授:刻苦勉励とはそのことだ。歌手はまず台本(詩)を朗読し、詩の世界を把握してから譜面を見て、作曲家の意図を理解する。それから、歌手自身の表現を作り上げていくのだ。

犬輔:では、いろいろな歌手の録音を参考に聴いてみましょう。

鳥代:聴いているうちにもう一か所、歌手によってまちまちに歌っているところがあるのに気が付いたわ。第 4 詩行の第 1 音節 s'io のところよ。s'i-/o と 2 音節で歌っている歌手がほとんどなの。

犬輔:可能な歌い方を理論的に分類してみましょう。1 音節で歌う場合には譜例 13 (a)、(b)、(c)

が、2 音節では譜例 13 (d)、(e)、(f) が考えられます。

鳥代:じっさいの歌唱例を表にするとこうなるわ。

No. 歌手名 Che cosa è amor S'io

1 マリーア・シュターダー(1955) 4 音節 譜例 11 1 音節 譜例 13(c)

2 タチアナ・トロヤノス 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(d)

3 エリーナ・ガランチャ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(d)

4 アンネ・ゾフィー・オッター 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(d)

5 リナート・シャハム 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(d)

6 ルチア・ポップ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(d)

7 クリスティーネ・シェーファー(2006) 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(d)

8 フレデリカ・フォン・シュターデ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

9 ブリギッテ・ファスベンダー(1972) 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

10 アグネス・バルツァ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

11 エディット・マティス(1966) 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

12 ジョーン・サザーランド 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

13 チェチーリア・バルトリ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

14 イザベル・レナード 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

15 マリアンヌ・クレバッサ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

16 マリーナ・コンパラート 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

17 ユリア・レージネヴァ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

18 カリーヌ・デエ 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

譜例 12

譜例 13 (a) (b) (c)

(d) (e) (f)

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14

No. 歌手名 Che cosa è amor S'io

19 ジョイス・ディドナート 4 音節 譜例 11 2 音節 譜例 13(e)

20 パトリツィア・ヤネチコヴァ 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(d)

21 セーナ・ユリナッチ(1950) 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(d)

22 シュザンヌ・ダンコ(1955) 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(d)

23 マーガレット・プライス 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(d)

24 エリーザベト・シュヴァルツコプフ(1952) 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(d)

25 アンナ・モッフォ(1958) 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(e)

26 テレサ・ベルガンサ 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(e)

27 ジュリエッタ・シミオナート(1950) 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(e)

28 マリーア・ユーイング 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(e)

29 ビドゥ・サヤン(1945) 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(e)

30 ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(1972) 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(e)

31 マグダレーナ・コジェナー 6 音節 譜例 12 2 音節 譜例 13(e)

犬輔:へー、幸左衛亜門と音律通り歌っている歌手は 31 人中 19 人(61%)なんですね。少し難しく響いても規則に従って歌うことを選ぶ歌手の方が優勢なんだ。

鳥代:一方 s'io を 1 音節で歌っているのは意外なことにマリーア・シュターダーひとりだけです。しかも (c) の歌い方をしていて 1 音節にこだわっている姿勢が露わです。わたしとしてはもう少し素直に (a) で歌ってほしかったですが、意志を貫くのは素晴らしいことですから、きっとそこがシュターダー・ファンにはたまらない魅力になるのでしょう。

犬輔:集計すると (e) が 19 人(61%)、(d) が 11 人(35%)、(c) が 1 人(3%)になります。(a)(b)(f)

は 0 人(0%)でした。

教授:s'io は元々io がイーォであるからスィーォと 1 音節で発音する。これが (f) が 0%だった理由であろう(同じ理由で (c) を選ばないという選択肢もある)。そして長く延ばすときには、スィーォ~と1音節で延ばすのが音律上の解決策となる(~は可変長の長音とする)。ここにォをオと歌いたくなる力が働いたとき、音楽美を最優先する立場の歌手は、音符を分割し 2 音節化するという解決策を得ているのだ。

鳥代:なぜその方が音楽的に美しいのか、また、そうさせる力について、わたしなりに考えてみました。譜例 11の最終段は s'ioに続き二つの音節が付点十六分音符で弾む動きをします。これを先取りして、s'io も弾ませたくなる力が働いたという考えです。いわばスプリング・ボードの役割を持たせるわけですね。これはモーツァルトが仕掛けた音楽的力なのだわ。

犬輔:そうか。それだったら (a)(d) にその機能はないね。(b)(e)、そしてさらに強烈な逆付点の

(c)(f) が候補になるというわけだ。

鳥代:シュターダーは (c) でスプリング・ボードの役割をさせたのだわ。(b) にしなかったのは多数派の (e) と区別したかったからかも知れないわね。(a) の推薦は撤回しましょう。

教授:譜例 11 の最終段の解決策がその 2 段上にも適用されて同じように歌うことになる。同じ曲中では繰り返しが同じ形をとるのは基本だからね。

犬輔:そうは言っても各歌手の歌い方をよく聴くと初めを(d)で、繰り返し部分を(e)で歌っている人もいたから、不整合も許されるんだ。そしてそのような不整合があることこそ鳥代さんの考えが当たっている証拠にもなるね。

教授:日本語歌詞の話題なのに原詩での歌い方に随分と時間を取ってしまった。しかし、原詩の歌い方を知らずして日本語歌詞の歌い方を論ずることはできないから、この回り道は必要不可欠なものであった。

3.伊庭孝の訳詞とその歌い方

犬輔:伊庭訳を見てみましょう注 84。

譜例 14

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鳥代:訳詞は「知る」のところで原詩の詩行をまたがってしまっています。すなわちアウフタクトで小節をまたがっています。再び『故郷の空』の鈴虫を思い出しますね。「みし」は小さい八分音符 2 つに割り振られていますが注 85、それだったらいっそのこと次のように休符を入れた方が歌詞が分かりやすいですね。歌手の裁量に任されるわ。

犬輔:譜例14の最終段を見て驚きました。伊庭は譜例13 (e) の演奏を聴き知っていたんですね。だから小音符のようなリズムが書けたんだ(譜例 14)。でもそれだったら「知る」のところでも譜例 16 のようにできますよ。伊庭は何故そうしなかったんでしょう。短い「な」が前に来ているので「やー」「みー」や「しー」では間が抜けてしまうからかなぁ。

教授:多分そうだろう。それに伊庭訳はできるだけ楽譜に手を加えないように配慮した結果だと思われる。それゆえ、冒頭を歌手の裁量で譜例 17 のように歌うこともできるが、小音符の付加がない伊庭の意図を尊重し、控えた方がいいと思われる。

鳥代:そうですね。「こい」をそう歌ってしまうと、Voi を歌うときにもそのリズムで、Vo-/i と2 音節になってしまいそうだわ。

犬輔:日本人ならずとも Vo-/i と歌っている歌手がいそうですよ。ようし今度はそこをチェックしてみよう。

鳥代:隠微な趣味ね。嫌われるわよ。

教授:次に行こう。

犬輔:譜例 14 最終段の「見たもーうーや」(音友 1962 版)はミタモーウーヤと歌うよう指定し

譜例 15

譜例 16

譜例 17

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ていると錯覚されかねませんが、「給う」を「たまう」でなく、「たもう」と慣用的な読み方をしているのでここはタモーと発音し注 86、ミタモーーーヤと歌います。音友 1952 版では「見たも―――や」となっているので間違いようがありません。

鳥代:譜例 14 下から 2 段目の「こいのー」はイタリア語の譜割りと合っていません。合わせるとすれば「こーいの」となりますが、何故そうしなかったのでしょう。

教授:「恋」の oi は二重母音に近い発音ゆえ、もしコーイと発音すると(しかも 3 音とも音高が異なると)何を指すかわからなくなってしまうからだ。これは譜例 17 の「恋」も同じだ。逆に楽譜上に長音があればその位置で延ばすようにしよう。例えば清水かつら・詩/弘田龍太郎・曲の『靴が鳴る』には「みんーな かあーい 小鳥になって」と書かれており注 87、また加藤まさを・詩/佐々木すぐる・曲の『月の沙漠』には「金の鞍にはぎんのーかーめー」「銀の鞍にはきんのーかーめー」と書かれている注 88。諸君たちはどう歌ってきたかな。

4.まだある研究課題

教授:幸左衛門の話で思い出したが《フィガロの結婚》の登場人物を日本名にしようという試みを聞いたことがある。その対象となったひとりがアルマヴィーヴァ伯爵ならぬ有馬備後守[ありまびんごのかみ]であった注 89。架空の人物として設定されたが歴史上の人物に江戸時代後期-末期に生きた有馬備後守氏郁[ありまびんごのかみうじしげ]がおり、上総、下野の藩主から備後守に叙位・任官され、後に兵庫頭に遷任されている注 90。

犬輔:ストーリーはともかく、《フィガロの結婚》を替え歌にして読み替え、歴史劇を演じるとするならばそれはやりすぎです。初めから、日本語の創作劇を作るべきですよ。

鳥代:歴史劇で思い出したわ。この談話室のテーマに、高山右近の歴史劇である F.ライヒスジーゲル神父・詩/M.ハイドン・曲の悲劇《キリスト教徒の誠実さ Pietas christiana》(1770)が挙がっていたけれど、なかなか話題にならないわね。お蔵入りなのかしら。

教授:(慌てて)それでは次回は高山右近を取り上げることにしよう。準備が遅れている理由にはならないが、台本がラテン語なのでてこずっているんだ。

鳥代:ラテン語は無理ですけれど、ドイツ語なら何とかなります。お手伝いしますよ。

犬輔:ぼくは高山右近が受けた列福[れっぷく]に関して調査しておきます。おめでたいことですから。それにご当地情報として右近が築城した明石の舟上城[ふなげじょう]の城跡を探訪して報告しましょう。

【謝辞】オペラの日本語歌唱についての音源資料は神戸モーツァルト研究会会員であった故小川雄三さんからの提供に負っている。記して深謝する。 注 1:田辺とおる編『オペレッタアリア名曲集 ソプラノ/メゾソプラノ (ドイツ語作品編) 』(日本語歌詞・対訳・解説付

き楽譜)ドレミ楽譜出版社 2006 など 注 2:石光佐千子編『声楽ライブラリー オペラ重唱名曲集 1~3』全音楽譜出版社 1998~2006 など 注 3:ブルーノ・ワルター指揮《魔笛》K.620 メトロポリタン歌劇場 1956.3.3 の英語上演 注 4:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮《フィガロの結婚》K.492 ザルツブルク音楽祭 1953.8.7 のドイツ語上演 注 5:カール・ベーム指揮《ドン・ジョヴァンニ》K.527 ヴィーン国立歌劇場 1955.11.6 のドイツ語上演 注 6:劇場での日本語字幕上演は 1980 年代に広まった(Wikipedia-オペラ) 注 7:水谷彰良『日本におけるロッシーニ受容の歴史』日本ロッシーニ協会例会(2013.3.31 オカモトヤ 4 階会議室)配

布資料による。ただし、【Wikipedia-オペラ】にあるように、日本で行われたオペラの原点と公式に認められた上演は 1894.11.24(明治 27 年)、東京音楽学校奏楽堂でオーストリア=ハンガリー大使館職員によるシャルル・グノー《ファウスト》第一幕であり、これを記念して 11 月 24 日はオペラの日とされている。

注 8:ドゥーニ E. Duni(1708–75)のオペラ・コミック《二人の狩人と牛乳売り娘 Les deux chasseurs et la laitière》(1763 年パリ初演)。レーオポルト・モーツァルトの 1764 年の旅日記にパリの音楽家の名前としてドゥーニが挙げられ、1778 年の手紙ではこの曲のドイツ語版のザルツブルク上演に言及している。1783.2.12 付けナンネルの日記帳には「フランス喜劇の 3 回目、1幕の《ロンドンのフランス人》。その後ロシアのヴァラブレフフキーによりエングリーシュ[=アングレーゼ]が踊られた。オペレッタ《牛乳売りの少女》が演じられた」とある。モーツァルトによる言及はない。昨年 CD がリリースされた。

注 9:演目については「外国オペラ作品 322 の日本初演記録」(WEB)などを参照 注 10:ジャパンアーカイブズ「【1903 年】オペラ(明治 36 年)▷日本初のオペラ上演(東京音楽学校奏楽堂・於)」(WEB) 注 11:松田直行『「訳詞」とは何を訳すのか : 近藤朔風と森鷗外によるオペラ『オルフェウス』訳詞の比較研究のため

の序章』駒澤大学総合教育研究部日本文化部門 駒澤日本文化 (7), 165-192, 2013-12 注 12:前掲「外国オペラ作品 322 の日本初演記録」を参照 注 13:2017 年は浅草オペラ 100 周年。2017.5.21 には大谷能生、中野成樹、小針侑起の企画・演出・監修による伊庭孝

原作「女軍出征」の再演とシンポジウムが行われた。 注 14:伊藤直子『新劇社における伊庭孝の活動 ― 『チョコレート兵隊』上演を中心に』跡見学園女子大学 コミュニ

ケーション文化 9 号, 66-72, 2015-03-20 注 15:伊藤直子『伊庭孝と生駒歌劇(1921)』コミュニケーション文化 10 号, 11-18, 2016-03-20 注 16:村井沙千子『プロデューサーとしての堀内敬三 : 日本放送協会における洋楽受容拡大を目指した試み』東京藝術

大学音楽学部紀要 37, 157-170, 2011 注 17:放送オペラ 放送一覧(WEB) 注 18:外国から主役歌手を招聘した場合など、主役のみが原詩で歌い、日本人歌手は全員日本語訳で歌うという奇妙な

上演もあった。またアリアや重唱を原詩で、レチタティーヴォを日本語でという上演もあった。 注 19:宗近昭 [むねちかあきら] は柴田睦陸 [しばたむつむ](1913–88)の筆名。二期会創立者の一人でテノール歌手。 注 20:中山悌一 [なかやまていいち](1920–2009)。二期会創立者の一人でバリトン歌手。 注 21:堀内敬三(編)『世界歌劇全集 I フィガロの結婚』音楽之友社 1962 による。堀内敬三 (著)『フィガロの結婚:

歌劇全曲声楽譜』音楽之友社 1952 も歌詞が漢字混じりになっている以外は同じ。両版とも全編堀内敬三訳の中で、『もう飛ぶまいぞこの蝶々』(参考演奏 1:バリトン・大久保豊典)と『恋の悩み知る君は』(参考演奏 2:ソプラ

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神戸モーツァルト研究会 第 254 回例会 2017 年 6 月 4 日

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ノ・間庭小枝、伴奏・米山知里)のみが伊庭孝訳。 注 22:Wikipedia-ピョンコ節(WEB) 注 23:前掲音友 1962 版の「とぶ」、音友 1952 版の「飛ぶ」は「付点八分音符+十六分音符」の小音符となっている。

なお、堀内敬三ほか著『新編高校の音楽 全』音楽之友社 1962 に採用された『もう飛ぶまいぞ』(伊庭訳。原詩は表記なし)の「とぶ」は四分音符のままとなっている。

注 24:例えば等拍で歌うと、石原和三郎・詩/田村虎蔵・曲『キンタロー』の「まーさかり」のように、「付点八分音符+十六分音符+八分音符+八分音符」(いわゆる「ピョンコ止めリズム」)で歌うことになるが、4 拍目から歌詞が始まっているためキンタローとは強弱を逆にしないと安定しない。

注 25:天野恵/鈴木信吾/森田学著『イタリアの詩歌: 音楽的な詩、詩的な音楽』三修社 2010 注 26:語内合音と語間合音がある。逆に隣り合う母音字を(二重母音であっても)別々の 2 音節として数える語内分音

や語間分音(元々語間合音されているものを分音する)もある。(合音⇔分音。後述の合音⇔開音とは区別) 注 27:『読売新聞』1927 年 3 月 4 日 朝刊 9 頁。(佐藤英「1925~1926 年にかけての JOAK におけるオペラ関連番組」

(桜文論叢)に引用されたものを再引用) 注 28:スコッチ・スナップとロンバルディア・リズムは同じ音型であるため同一視されることが多いが(例えばWikipedia

-Lombard rhythm)、厳密には英国の声楽曲の場合に“スコッチ・スナップ”と呼ばれ、器楽曲の場合には“ロンバルディア・リズム”と呼ばれる。Nicholas Temperley & David Temperley: “Music-Language Correlations and the ‘Scotch Snap’” in Music Perception volume 29, issue 1, pp. 51–63, 2011 ではその理由を、英語の母音は短いのでこのリズムが声楽に多用されたが、伝承先ではイタリア語やドイツ語の母音が長いので器楽で真似るしかなかったためとしている。『故郷の空』のリズム変更にも日本語の母音の長さが関係しているのだろうか。

注 29:コーリ・エリスンは「モーツァルトの真作ではめったに見られない、歌詞の韻律の不適切な処理が現れている。たとえば第 9 曲の三重唱では、重要でない冠詞“Le”が強拍で始まって 1 小節続き、3 人の独唱者全員によって高音域で歌われる。また第 3 曲の第 2 ソプラノのためのアリアでは、前置詞“da”が厚かましくも 4 小節にわたって、まず高声を伴うメリスマで、そして最後にはトリルで歌われる。全体的な効果としては、偉大な踊り手が体に合っていないお下がりの服を着て、優雅に跳躍するさまを見ているようである」と述べている(ニール・ザスロー/ウイリアム・カウデリー編・森泰彦監訳/安田和信監訳補助『モーツァルト全作品事典』52 頁、井手紀久子訳)

注 30:立川清登 [たちかわすみと](1929–85)。二期会所属のバリトン歌手。旧名は立川澄人 [たちかわすみと]。本名は立川澄人 [たつかわすみと]。

注 31:歌詞は『モーツァルト:アリア、二重唱集 伊藤京子、立川清登』ビクター 1989 から聴取。楽譜は立川澄人編『音楽をどうぞ : 立川澄人愛唱曲集 : プログラム a』カワイ楽譜 1963 で公刊されていた。

注 32:厳密には擬古文とは平安時代の和歌や文章を範として書いた文章を指すが、ここでは広義に古い時代の作品の文体をまねて作った文章を言う。

注 33:【飛ぶ】自動詞 バ行四段活用 活用{ば/び/ぶ/ぶ/べ/べ}。【る】可能の助動詞 活用は {れ/れ/る/るる/るれ/れよ}。接続は未然形。したがって「飛ぶことができる」は「飛ばる」と言う。【まい】を接続した用例は狂言に「飛ばうと思うて羽搽ひなするは。飛るまい。」、仮名草子に「羽づかひがかやうでは、飛ばれまい」。

注 34:「この蝶々」でなく「恋の蝶々」という訳を見ることがあるが軽蔑の含意がなく、歌詞として聞き取りにくいので訳詞には適さないと思われる。

注 35:現代語では【騒ぐ】のような五段活用の動詞の未然形には使役の「す」「せる」のいずれも付く。したがって【騒がす】他動詞 サ行五段活用 {さ そ/し/す/す/せ/せ}、【騒がせる】他動詞 サ行下一段活用 {せ/せ/せる/せる/せれ/せろ せよ} のいずれも成立する。古語では【騒がす】他動詞 サ行下二段活用 {せ/せ/す/する/すれ/せよ} のみである。過去の助動詞【き】は直接体験の場合、【けり】は間接体験の場合。

注 36:例えば学研全訳古語辞典には「【まい】の接続:動詞の終止形・未然形などに付く。【まじ】の接続:活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型に活用する語[あり、おり、はべり、いまそかり]には連体形に付く」とあり、旺文社古語辞典には「【まい】の接続:四段活用の終止形、それ以外の未然形に付く。【まじ】の接続:ラ変を除く動詞の終止形、ラ変・形容詞・形容動詞の連体形、ある種の助動詞の終止形、または連体形に付く」とある。

注 37:道浦俊彦『TIME ことば事情』4852「『しまい』か?『すまい』か?」(WEB)から引用させていただきました。 注 38:大和田建樹 著『狂言評註』博文館 1893 年 160 頁 注 39:文化庁(著)『言葉に関する問答集 総集編』は 1995 年版と 2015 年版がある。いずれに所収か未調査。 注 40:前掲の道浦俊彦『IME ことば事情』での引用を参照。 注 41:前掲の道浦俊彦氏も同様の感想を述べておられる。 注 42:現代語のサ変活用は {せ さ し/し/する/する/すれ/しろ せよ} であるので「すまい」はありえない。 注 43:現代語【ぬ】打消しの助動詞 特殊活用 {×/ず/ぬ(ん)/ぬ(ん)/ね/×} は「ぬ」表記と「ん」表記が許

されているため記述者の意図を尊重し「ぬ」とあればヌ、「ん」とあればンと発音すべき(「誰も寝てはならぬ」を「誰も寝てはナラン」と発音すると関西弁になってしまう)。古語【ず】打消しの助動詞 特殊活用 {ざら/ず ざり/ず/ぬ ざる/ね ざれ/ざれ} は「ならぬことはならぬものです」のように連体形に「ぬ」があり、「ん」表記はないのでヌと発音すべき。一方、古語【む】推量・意志・適当・勧誘・婉曲・仮定の助動詞 四段型活用 {×/×/む(ん)/む(ん)/め/×} は「む」表記(源氏物語、枕草子など)と「ん」表記(徒然草など)があり、元々発音がンだった可能性はあるものの、表記通りの発音を勧める(現代語では【う】推量の助動詞になった)。

注 44:現代仮名遣い(内閣告示第一号 昭和六十一年七月一日)は文部科学省の以下のサイトで閲覧することができる。< http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19860701001/k19860701001.html > ここには長音の表記に関して「本文[中略]第1 語を書き表すのに,現代語の音韻に従って,次の仮名を用いる[中略]5 長音[中略](5) オ列の長音 オ列の仮名に「う」を添える 例 おとうさん」とある。これは昔から「おとうさん」をオトーサン、「帽子」をボーシと発音してきたことを前提としている。なお、『日本国語大辞典』(第 2 版) 小学館 2001 によれば「帽子」の歴史的仮名遣いは、本居宣長の「字音仮名用格」によって「ばうし」とされ、昭和初期まではこの仮名遣いによっていたが、有坂秀世の「『帽子』の仮名遣いについて」によって「ぼうし」に訂正された。

注 45:藍川由美『これでいいのか、にっぽんのうた』文春新書 1998 年 104 頁。 注 46:日本語表現インフォ(小説の言葉集)(WEB) 注 47:Penny Delamar: “The Complete Make-up Artist, Working in Film, Television and Theatre”, Macmillan Press

Ltd, 1995, 2003, p.137 注 48:Edmond de Goncourt & Jules de Goncourt: “The Woman of the Eighteenth Century: Her Life, from Birth to

Death, Her Love and Her Philosophy in the Worlds of Salon, Shop and Street”, Routledge Library Editions: Women's History, Routledge, 1928 /2013, p.70. 原書は Femme au dix-huitiéme siècle, 1862.

注 49:例えば How To Pronounce < https://www.howtopronounce.com > 注 50:伊庭訳の「(少し) 大人ぶって」は繰り返しの点では原詩に忠実であるが、ホ短調にするほどケルビーノが大人に

なりたくないと思っていたとは原詩からは読み取れない。 注 51:エイ、エー、エエは異なった発音である。本稿では仮名遣い(読み)を平仮名で、発音をカタカナで表記したが、

引用はその限りではない。読みと発音の両者を平仮名で表記している引用例の中には、「ええ」と書かれたものがエイでないことは明らかなるも、平仮名に長音がないためエーなのかエエなのか著者の意図が不明のものがある。

注 52:放送用語委員会(東京)『ことばの読み・語形のゆれについて~『NHK 日本語発音アクセント辞典』改訂にあたって(意見交換)~』 放送研究と調査 2014 年 3 月

注 53:昭和 60 年版までの方針の背景には昭和 36 年の国語審議会の報告がある。つまり、文化庁 WEB 国語施策・日本語教育 > 国語施策情報 > 第 5 期国語審議会 > 語形の「ゆれ」の問題 『語形の「ゆれ」の問題 発音の「ゆれ」について(報告)2』(昭和 36 年)の中で当時の『日本語アクセント辞典』に言及し,その凡例の中で「ケイケン[経験],セイカク[性格]などにおけるエ段音の次のイは,特に改まって,一音一音明確に言う場合は,イと発音されるが,日常,自然の発音では長音になる」と指摘している。これは現在でも変わらない原理であろう。『NHK辞典』は「ある程度あらたまった場面での使用を想定した発音・アクセント」「自然な発音を示す」という相反する 2 つの方針を使い分け、聴取調査結果の多数決で決めつけるのでなくはなく、併記を基本とすべきと思われる。

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神戸モーツァルト研究会 第 254 回例会 2017 年 6 月 4 日

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注 54:『NHK 新辞典』(2016.5)では「せいかっこう⇒せかっこう」「せいのび⇒せのび」(ここで空見出しは許容語形)。 注 55:『NHK 新辞典』(2016.5)では「背」にセー、セイ併記のものを一部残し、漢語はすべてセーのみとなった。 注 56:放送用語委員会(東京)『第 1409 回放送用語委員会~「新宿」は「シンジュク」か「シンジク」か~』放送研

究と調査 2017 年 3 月 111 頁。井上由美子委員の感想。 注 57:文化庁 国語施策・日本語教育 > 国語施策情報 > 第 15 期国語審議会 > 第 4 回総会 > 次第(昭和 58 年)

林主査の説明。< http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/15/sokai004/03.html > 注 58:藍川由美『「日本のうた」歌唱法』(CD+テキスト)カメラータトウキョウ 2006 年 17 頁 注 59:『背くらべ』古賀さと子 海野厚作詞 中山晋平作曲 平岡照章編曲 ビクター児童合唱団 ビクター・オーケス

トラ ビクターレコード B-374 (C-1454) < https://www.youtube.com/watch?v=sHoit9X3nio >。 全く同じ解釈の SP レコードとして杉田和子 椎橋睦子 中村浩子 海野厚作詞 中山晋平作曲 小澤直與志編曲 ビクターオーケストラ ビクターレコード B-114 も参照 < https://www.youtube.com/watch?v=8rHP0YZHxTc >。

注 60:前掲文部科学省のサイトで閲覧可。 注 61:前掲『語形の「ゆれ」の問題 発音の「ゆれ」について(報告)2』(昭和 36 年)の中で“国研の調査によれば,第 1 回・第 2 回ともに,「センセイ」「センセー」がほぼ同数(45~54%)である。理由として,「センセイ」は本来の形37%,ていねい 20%,規範に合う・語感がよい各 18%,一般的・共通語的各 17%などがあげられ,特に九州に「センセイ」を「一般的」「本来の形」「言いやすい」とする者が多い。「センセー」には言いやすい 33%,一般的 32%,変化の傾向にそう 20%,口頭語的 15%,共通語的 12%などがあげられている。使う形としては,国語研究・国語教育関係者に「センセー」が多く,新聞・放送等各界には「センセイ」が多い。”と報告されている。(表記の通り発音することこそが「本来の形」「規範に合う」と思い込んでいる人が含まれている可能性がある) 注 62:土井 忠生/森田 武/長南 実(編集・翻訳)『邦訳 日葡辞書』岩波書店 1980 年 注 63:前掲『日本国語大辞典』(第 2 版)の凡例による。セーからセへの逆戻りが後世に起こったものと思われる。 注 64:前掲『日本国語大辞典』(第 2 版)の語注には“「背(せ)」:本来「せ」は外側、後方を意味する「そ」の転じた

もので、身長とは結びつかなかった。ところが「今昔 3.10」に「身の勢、極て大き也」とあるように、身体つき・体格を意味する「勢(せい)」が存在するところから、音韻上の近似によって、「せ(背)」と「せい(勢)」とが混同するようになったと思われる。「背(せい)」:「せ」の長音化とすれば「せえ」と表記すべきとも考えられるが、古くから「せい」と表記されており、「せい(勢)」から生じた用法か”とあり、かなり曖昧。

注 65:前掲『日本国語大辞典』(第 2 版)本文では「背(せ)」の発音を「セー」、「背(せい)」の発音を「セイでもセーでも可」としている。私見で整理すると「背(せ)セー/セ:せなかの意。例:背を伸ばす、背伸び、背に腹は代えられぬ、本の背、背中、背鰭、背側、背開き、背丈(せたけ=洋裁で後ろ首の付け根からウエストまでの長さ)」「背(せい)セイ/セー:身長の意。例:背が高い、背比べ、背高(せいたか)、中背(ちゅうぜい)、上背(うわぜい)、背格好(せいかっこう)、背の丈(せいのたけ=身長の値)、背丈(せいたけ=身長の値)」。

注 66:源氏物語明融臨模本「桐壺」帖(東海大学桃園文庫蔵)< http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/original011.html > 注 67:前掲『邦訳 日葡辞書』の補説によれば開音はア段の仮名に「う」「ふ」が付いた連母音 au から、合音は①オ段の仮名に「う」「ふ」のついた連母音 ou から、②オ段の仮名に「ほ」がついた ouo から(例外あり)、③エ段の仮名に「う」「ふ」がついた連母音 eu から、④イ段の仮名に「う」「ふ」がついた iu からオ列長音化したとされる。 注 68:ことは単純ではない。「酔ふ」はヱウ(中世前期)→ヨー(中世後期:前掲規則③による)→ヨウ(現代:活用

語尾の「う」はウの発音とする)と変化したが、ヨウの発音は仮名遣いからの創作としか考えられない。そうであるならば現代辞書にはヨーの発音も併記してほしい。一方、古語の助動詞、現代語の意志・推量語尾「う」はオ列長音とされる。「行こう」はユコー(口頭語的にはイコー)、「頼もう」はタノモー、「作ろう」はツクローなどと発音する。こちらもウを併記し、例えば「繕う」「作ろう」は共にツクロー、ツクロウ併記でよいではないか。

注 69:前掲『第 1409 回放送用語委員会』で『NHK 新辞典』の発行を受けて“これまでは「映画」は「エイガ」と発音しなければいけない、「先生」は「センセイ」と発音しなければいけないのだと、誤解されていたようだ。今回の変更[エーガ、センセーのみ掲載]で、その誤解がなくなったということのようだ”としているが、“誤解されていた”のではなく、むしろ“仮名遣いと発音が一致していた中世以来のオリジナルな姿に接することができていた”のだが、“今回の変更で、その可能性を奪われた”というべきではないか。

注 70:池田小百合編著『読む、歌う 童謡・唱歌の歌詞 改訂版』夢工房 2017 年には中田義直から直接聴取した内容が記載されている。“二番の「生徒 先生」の歌い方は「せえと せんせえ」ではおかしいし、「せいと せんせい」でも不自然なので、その中間ぐらいで自然に歌うのがいいのですが、いくらか「え」の方に近いかも知れません”と。また、「先生」のアクセントが標準語でないのは“『このメダカは関西のメダカです』と笑って言われました”とのことである。

注 71:昭和 49 年度芸術祭参加『中田喜直の音楽 こどものうた 100 曲選集』キングレコード所載の『めだかのがっこう』では真理ヨシコがセート、センセーと歌っている。

注 72:『古城』三橋美智也 メロディ譜 全音楽譜出版社 < http://www.at-elise.com/elise/JPDPZO02058/ > 注 73:慶応大学応援歌『若き血』 < http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/2848/omake/wakakiti.htm > 注 74:金田一春彥著作集 第 2 巻 玉川大学出版部 2004 年 372 頁 注 75:Wikipedia-母音法(WEB) 注 76:古川久『狂言の研究』福村書店 1948「万蔵芸談」から < http://blog.goo.ne.jp/514303/e/c66e1eb22d128f37a5635ef7363f9c57 > 注 77:米山文明『美しい声で日本語を話す』平凡社新書 2007 年 60 頁 注 78:筆者の記憶による。NHK ラジオの座談会あるいはインタビューの中での男性音楽評論家あるいは作家の発言。

どなただったかは失念。 注 79:NHK-TV で放送された、柳家金語楼率いる男性陣と水の江瀧子率いる女性陣に分かれ、視聴者が応募した問題

をチームの一人がジェスチャーのみで表し、それをチーム・メンバーが時間内に当てていくチーム対抗ゲーム番組(1953–68)。視聴者のためには陰の声が問題文(=答)を読んだ。長文の問題、擬人化された問題などに見せるレギュラー・メンバーの職人技とも言うべきジェスチャーの切れ味が見ものであった。

注 80:NHK-FM で放送された『名曲のたのしみ』。吉田秀和が「作曲家の音楽と生涯」あるいは「私の視聴室」と題して選曲・解説した 1 時間番組(1971–2012)。

注 81:前掲音友 1962 版、音友 1952 版ともに目次には『恋の悩み知る君は』とある。最近では、高校教科書『平成 29年度使用開始 音Ⅰ 312』音楽之友社の掲載曲一覧表の中で Voi che sapete にこの訳が併記されている。

注 82:木村重雄著『続モーツァルト』弘文社 アテネ文庫 1955、井上和男(編著)『クラシック音楽作品名事典』三省堂 1981 などに記載されてきた『恋とはどんなものかしら』が現在では定訳である。

注 83:筆者の記憶による(閲読によるものか伝聞によるものかは失念)。じっさいには歌い手の発言ではなくリスナーの発言で、「コーザエモンと聞こえる」というものであった。

注 84:前掲音友 1962 版による。音友 1952 版も基本的には同じだが、伊庭孝訳という表記が漏れている。 注 85:前掲音友 1962 版本文ではこの小音符が欠落している(索引のインチピットにはあり)。音友 1952 版は本文に小

音符が印刷されている。 注 86:旺文社古語辞典には「会ふ あ(お)う」「買ふ か(こ)う」「綯ふ な(の)う」「這ふ はう」「舞ふ まう」そして「願

ふ ねが(こ)う」「給ふ たま(も)う」のように終止形での慣用的読み方の有無が表示されている。新明解国語辞典には「給う たもう」をタモーと発音する旨の記載がある。このように古語の慣用的発音では、活用語尾であっても、前述の中世と同様の変化を辿り“ア段の仮名に「う」「ふ」が付いた連母音 au から開音のオ段長音となる”ことがあると説明できるであろう。似た変化に「給はる」⇒ウ音便タマウル⇒タモール⇒「給もる」タモルがある。

注 87:前掲の池田小百合編著『読む、歌う 童謡・唱歌の歌詞 改訂版』97 頁 注 88:前掲の池田小百合編著『読む、歌う 童謡・唱歌の歌詞 改訂版』148 頁 注 89:アルマヴィーヴァ伯爵を有馬備後守になぞらえたのは永井路子さんで、日本モーツァルト協会のメンバーとのた

わいない雑談中に伺ったと記憶する。その他の登場人物への展開もなく具体的作品にするという話ではなかった。 注 90:Wikipedia-有馬氏郁(WEB)

(2017 年 6 月 3 日作成、2021 年 1 月 28 日改訂)