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新潟大学人文学部 2019 年度卒業論文概要 メディア・表現文化学 主専攻プログラム

新潟大学人文学部 2019年度卒業論文概要...日本のヒップホップの真正性 小原義弘 ヒップホップは1970 年代にアメリカで、黒人差別に対しての反発や社会批判の手段の1

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新潟大学人文学部2019年度卒業論文概要

メディア・表現文化学主専攻プログラム

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目 次

小原 義弘 日本のヒップホップの真正性 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1

小武内厚美 ニコニコ動画におけるボーカロイド作品の変遷 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 2

加藤 聡太 たばこと流行歌 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3

黒田 美穂 大学生と地域のかかわり方:新潟大学ダブルホーム活動を中心に . . . . . . 4

佐藤 智子 古沢良太論:脚本における「ウソ」について . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 5

鈴木 真歩 写真と女の子文化 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6

髙橋 紗月 アニメーションと実写の比較から考えるディズニープリンセス . . . . . . . . 7

高橋 拓也 ディズニーランドのグローバル展開に見るアメリカ文化の受容:東京とパリのディズニーランドの比較を通じて . . . . . . . . . . . . . . . . . .

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高橋 美帆 テレビ・ドキュメンタリー研究:NHK『ドキュメント 72時間』を中心に . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

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田中 花奈 宮崎駿映画にみられる「食」について . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10

田中敬一朗 ネット時代の映像における諸問題について . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 11

田邉 真菜 テレビ CMにおけるキャラクター . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 12

塚田 裕幸 小学校保健の教科書におけるジェンダー表象 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13

土田 真理 日本におけるバレエ文化の特質 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 14

中田穂乃花 おもてなし論 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 15

中村 季香 韓国映画『トガニ』から見る「映画」と「社会」の関係 . . . . . . . . . . . . . . 16

廣嶋 咲桜 装う男たちをめぐって . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 17

星野 文香 震災遺構と地域社会 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 18

星野 円香 日本のポピュラー音楽における「東京」 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 19

槙 理 奈 キャッシュレス化の現状と課題 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 20

増村季美花 ヴィジュアル系ロックバンドの歴史と特性の考察 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 21

宮森 里沙 ヒップホップ・カルチャーとアイデンティティ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 22

山内 みみ 吸血鬼と恋愛:『トワイライト』シリーズを中心に . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 23

山田 佳苗 写真とアボリジニ:トレイシー・モファット論 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 24

龍 直 也 コントにおける笑いの表現技法:ハナコ,しずる,バカリズムを中心に . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

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渡辺 和貴 現代ポピュラー音楽におけるニューウェーブの影響分析:hydeとニューウェーブの関係を中心に . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

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日本のヒップホップの真正性

小原 義弘

ヒップホップは 1970 年代にアメリカで、黒人差別に対しての反発や社会批判の手段の 1

つとして発生した黒人文化の 1つである。こうした黒人という人種のアイデンティティが根強く存在しているヒップホップが他の人種や国に伝来した場合、その意味合いが変化するのではないかという疑問が生じた。そこで本論では黒人と環境や出自が異なる人種の生活する国として日本を設定し、日本で行われているヒップホップの真正性の有無とその具体性について、アメリカの黒人と日本人を主な考察対象としながら論じていった。第 1 章ではアメリカでの黒人によるヒップホップの成り立ちを確認し、人種差別からおこった黒人のアウトサイドな環境がヒップホップの発生のきっかけだったことを確認した。またヒップホップの要素の 1つである「ラップ」の発展や主張内容、人種との関わりについて考察した。そしてラップには批判や主張を一定のコミュニティの中でうまい言い回しで表現する手段としての意味合いが存在しており、この意味合いが黒人によって社会批判や人種差別に異議を唱える手段として用いられていることを確認した。第 2章では、日本におけるヒップホップの受容について考察した。日本のヒップホップの黎明期では、ヒップホップにあくまで一過性の流行として価値を見いだした人々と、音楽的側面に価値を見いだした人々、ヒップホップの世間への反発といった歴史的背景を意識した人々が存在しており、黒人によるヒップホップと比較すると早い段階でヒップホップの音楽的側面、すなわちラップが当時の人々に重要視されていたことを確認した。また日本のヒップホップにおいて、何かしらの階級におけるマイノリティな立場からの反発がラップの主なトピックになっていることも確認した。第 3章では、ZEEBRA、T-PABLOW、DAOKOの 3人を具体例として扱い日本のヒップホップミュージシャンを考察した。彼らのスタイルは音楽性に価値を見出したもの、もしくはヒップホップにおける世間への反発という意味合いをもつ歴史的な背景を意識したものとで分かれているものの、自身の性格や置かれた立場を踏まえて現状からの改善や反発を求める考え方が、ラップを始める経緯やそのメッセージ性に影響を与えているという部分であったことは、3人とも共通していることを明らかにした。第 4 章ではヒップホップの意味合いに対しての解釈を考察し、前章で取り上げた日本のヒップホップミュージシャンについての考察と照らし合わせた。そして彼らはヒップホップにおける社会的、階級的に低い立場や個人のコンプレックスを起点として、他者や社会に対して何らかの主張や反発の意をラップに込めているという点で、真正性を備えていると解釈することができるとして、本論のまとめとした。

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ニコニコ動画におけるボーカロイド作品の変遷

小武内 厚美

VOCALOID(以下ボーカロイド)とはヤマハ株式会社が開発した音声合成エンジン、そしてこの技術を応用して生み出された音声データのことである。2007年に「初音ミク」が発売されて以降、ボーカロイドを使って作られた曲の多くがニコニコ動画に投稿された。ニコニコ動画とは 2006年に「ニコニコ動画(仮)」としてサービスを開始した動画共有サイトのことである。このニコニコ動画とボーカロイドの登場によりアマチュアの作曲家も自分の作品を発表し評価を得られる場ができた。ボーカロイドを使用し楽曲を作る人は、「ボカロ(ボーカロイドの略)」と「P(プロデューサー)」を合わせて「ボカロ P」と呼ばれる。ボカロ Pがボーカロイド作品を投稿する主な場であるニコニコ動画において、どのような作品が人気であったのかを分析し、ボーカロイド作品がどのように変遷していったのか本論では述べた。第 1章ではボーカロイドとは何か、初音ミク以前のボーカロイドについて触れた。その上でそれらと初音ミクの相違点を挙げ、何故初音ミクは人気になったのか指摘した。第 2章では代表的なボーカロイド作品とボカロ Pを紹介した。年毎にどのようなボーカロイド作品が人気であったかのか分析し、その特徴がどのように移り変わっていったのか述べた。また、ニコニコ動画での再生回数とボカロ Pであるハチのインタビューからボーカロイド作品の人気が低迷したことを指摘した。また、代表的なボーカロイド作品をどのようなボカロ Pが作っているのか説明した。ここから、人気のボカロ Pは活躍の場をニコニコ動画に限定することなく、広く活躍していることを確認した。第 3章では、第 2章で指摘したボーカロイド作品の人気低迷の原因を作品、ボカロ Pの側面から考察した。「歌い手がボーカロイドに限定されない」、「動画にボーカロイドのキャラクターが登場しない」という特徴を持つ「物語系作品」の登場によりボーカロイドのキャラクター性が削がれた。それに加え、人気ボカロ Pが活躍の場を広げたことによりニコニコ動画を離れたことが、ニコニコ動画におけるボーカロイド作品の人気低迷の原因であることを明らかにした。ニコニコ動画におけるボーカロイド作品の人気は低迷した。しかし、低迷の後に新しいボカロ Pが登場し、新たな人気作品を生み出している。2010年代初期の代表作品と 2018年の代表作品を比較すると近年は限られたボカロ Pではなく様々なボカロ Pの作品が人気であることが分かった。初期の頃に比べるとボーカロイド作品の勢いは落ち着いたものの、これからは幅広い人がニコニコ動画におけるボーカロイド作品を支えていく形になるのではないかと結論付けた。

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たばこと流行歌

加藤 聡太

日本の喫煙率は時代と共に低下しているが、流行歌の中には近年リリースされた曲にも煙草が歌詞に登場したり、タイトルになったりしているものが存在する。本稿では、このように喫煙率が下がっている状況にもかかわらず、なぜ煙草について歌った曲が生まれているのかを分析した。また、時代によって流行歌の中での煙草の扱われ方に変化があるのではないかということについても検証した。第 1章では、1960年代から 1970年代の流行歌に着目し、当時の日本の社会に存在していた男の美学が流行歌に表れていることを確認した。また、当時のレコードのジャケット写真に煙草が登場することや、男の美学を表す言葉と煙草が共に使用される楽曲が多いことから男の美学と煙草には結びつきが認められ、この結びつきが煙草が流行歌に使用される一つの要因であると結論付けた。第 2章では、喫煙率が低下し、なおかつ男の美学といったイメージが一般的に世の中に存在するものではなくなった 2000年代以降、なぜ煙草が歌詞の中に登場する曲が生まれるのかを分析した。まず、煙草の苦い匂いや味が流行歌の歌詞の中に表れる様子を確認し、その苦さが失恋を歌った楽曲で語られる辛い心情と結び付いていると結論付けた。また、煙草が火をつけるものであること、煙を出すこと、喫煙率に男女差があること、口でくわえるものであることといった特徴が流行歌の中で活かされている様子も確認することができた。このような特徴を持つため、喫煙率が低下した現在も煙草が登場する曲が生まれていると言える。第 3章では、流行歌の中で煙草の代替物が存在するのではないかという点を検証した。煙草と同様に男の美学との結びつきが深いものとして酒を取り上げたところ、酒は煙草のように流行歌の中で男の美学と結び付くこともあれば、それとは反対に、酒を飲むことで男の美学から解放され自分をさらけ出すという内容の楽曲も存在することが明らかになった。また、味や香りの苦さが辛い心情に結びつくという観点で、煙草と同じ役割を果たすものとしてチョコレートとコーヒーを取り上げ、これら二つの嗜好品の苦さも恋の辛さと結び付く例を確認することができた。しかし、チョコレートは煙草にない甘いという特徴があり、甘くもあり苦くもある恋をしている最中の感情と重ね合わされることが多いこと、コーヒーはその苦さが楽しめるようになると大人になるというモチーフが曲の中に表れることが多いことが明らかになった。このように、煙草の苦さとチョコレート、コーヒーの苦さでは流行歌の中での扱われ方に違いが見られるため、単純にチョコレートやコーヒーが流行歌の中で煙草の代わりになるというわけではないと結論付けた。

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大学生と地域のかかわり方~新潟大学ダブルホーム活動を中心に~

黒田 美穂

近年、大学生が地域で活動する機会が増えている。新潟大学の場合、2007年に新潟大学独自の学生支援プログラムとして、地域活動を行うダブルホーム制度が開始された。私自身ダブルホーム活動に参加しているが、その中で、「地域貢献」や「地域活性化」という言葉の用いられ方や、活動の中で常に「成果」を求められることに次第に違和感を覚えるようになった。そもそも、なぜ大学生が地域と関わる活動が増え、推奨されているのか。「地域」とはいったい何なのか。本論文では以上のような疑問を出発点とし、大学生と地域の関わりの増加、変化、今後の関わり方について、社会的状況、学生心理などの面から考察した。第 1章では「地域活性化」「地域おこし」「地域連携」「地域貢献」「地方創生」といった言葉がどのように使われてきたのかを「聞蔵 IIビジュアル」を用いてまとめた。第 2章では、大学と地域の関わり方の変化について考察した。新潟大学ダブルホーム制度が採択された文部科学省の「新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支援GP)」(2007年)は 2005年の「我が国の高等教育の将来像(答申)」がもとになっている。この答申において大学の機能別分化が求められた過程で、大学が地域を意識するようになったことを跡づけた。第 3章では大学と地域の関わりにおいて、「大学生」という存在がどのように位置づけられてきたかについて考察した。地域において、学生はその存在自体を望まれており、学生の第三の居場所を求める心理などと相まって、地域での学生の活動が増加しているのではないかと考えた。第 4章では本論文の疑問の出発点となった新潟大学ダブルホーム活動について詳述した。学生支援部門の報告書や教職員へのヒアリングをもとに、ダブルホームの 12年間の活動の中で、大学が、学生が、地域にそれぞれ求めてきたことの変化をまとめた。その中で、制度面での不足や、大学側が実態に合わせて理念を変えていくことへの疑問を指摘した。第 5章では、2019年 11月、ダブルホーム活動に参加している 4年生を対象として行ったアンケートを分析した。ここから、活動を通して学生が様々な学びや「第二のふるさと」としての居場所を得ていることが分かった。最終章となる第 6章では、まず「地域」とはそもそもどのようなものとしてとらえられてきたのかについて考察を行った。さらに、2018年 11月に中央教育審議会から出された「2040

年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)」をもとに、「関係人口」の重要性という観点から大学生が地域で活動する意義を述べ、今後は「地域貢献」や「社会貢献」といった言葉にとらわれずに、地域と学生の学習に結び付く活動が行われていくのではないか、とまとめた。

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古沢良太論~脚本における「ウソ」について~

佐藤 智子

古沢良太(1973~)は、日本の脚本家である。オリジナル脚本である映画『コンフィデンスマン JP ~ロマンス編~』をはじめ、古沢の作品の多くはそのセリフや物語の構造にまで観客を騙す「ウソ」の仕掛けが及んでいる。本稿では、映画という虚構の世界だからこそ成立する物語やキャラクター作りについて着目し、古沢の脚本の独自性を明らかにした。第 1章では、インタビューから古沢はマンガ家を目指していた時期もあり、実写作品に限らず、アニメやマンガからも影響を受けていたことがわかった。古沢が観てきた映像作品のジャンルが誕生した背景を時代ごとに分析し、映像と脚本の関わりについて述べた。第 2章では、脚本作りの特徴についてまとめた。古沢の脚本は、多くの伏線が張られ、複数のシーンが絡み合うような構成をとる物語が多かった。マンガ家を夢見ていた時代に培った画力を駆使し、キャラクターの造形を実際に描くことで、キャラクターの設定を綿密にしていた。また、この「キャラクター」という言葉は、現代では「キャラ」と混在する場合もあるため、本稿における「キャラクター」の意味を複数の論考を用いて検討した。第 3章では、シナリオを引用しながら古沢の映画作品を分析した。『鈴木先生』と『60歳のラブレター』では共通してモノローグが使われ、言葉での状況説明が、観客にキャラクターへの感情移入を容易にさせる効果を生んでいたとわかった。オリジナル脚本の『エイプリルフールズ』では「ウソ」がモチーフとなり、その多義性が各エピソードで語られていた。第 4章は、『コンフィデンスマン JP』を中心に虚構世界の「ウソ」について論じた。映画版では、ラブロマンス的構成がコンゲームのためのメタ要素となり、物語そのものが観客を騙す仕掛けとなっていた。テレビドラマシリーズでは、視聴者を騙すために物語の時間軸を操作する手法が用いられていた。また、『コンフィデンスマン JP』と古沢の過去作との関連性についても述べた。古沢は作品で伝えたい主題が一貫しており、否定的なものでも受け入れられるようになってほしいという訴えは、多くの作品で読み取ることができた。以上のことから、古沢は物語における「ウソ」を多面的に捉えていることがわかった。自分の作品を見た人に生きる活力を与えたいと考える古沢は、現実世界でも虚構世界のようにウソを正当化できる瞬間があることを作品を通して伝えていた。同時に、自分が正しい、あるいは常識だと思っていたことにも疑いの目を向けることの重要性も古沢は説いていた。したがって、虚構世界のウソを描く古沢の脚本は、現実世界へ訴える説得力が高いという点で特徴的であると結論付けた。

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写真と女の子文化

鈴木 真歩

1995年プリント倶楽部登場以後、高校生を中心とした女の子は、「写ルンです」を代表とする使い捨てカメラ、プリクラ、カメラ付きケータイ電話、写真加工アプリなど様々なカメラで自らを写してきた。その写真は、プリクラ帳やブログ、SNSによって、友人から友人へと拡散され、コミュニケーションツールとして発展した。本論は、プリクラが登場してから約 20年間、写真は女の子にどのような役割・効果をもたらしたのか、そしてその変遷を明らかにすることを目的とした。第一章では、90年代後半から始まったプリクラ時代、2001年頃から 2010年頃までのカメラ付きケータイ電話 (ガラケー)・ブログ時代、2010年から現在までのスマホ・加工アプリ・SNS(特に Instagram) 時代の 3 つに分けて、写真と女の子の関係を振り返った。時代が変遷する中で共通していたのは、女の子はセルフパブリッシングを楽しんでおり、そのメディア上で「自分らしさ」を表現していることであった。特にインターネット普及後は、そのメディア上では自分が「主人公」であるという自覚が芽生えたとした。第二章では、プリクラをはじめとした外見加工について焦点をあて、ファッションやメイク、整形などの自己プロデュース方法について考察をした。プリクラ登場以後、女性は見られることをより自覚し、魅せることを意識して、どう魅せたいかというイメージをコントロールするようになった。それはファッションやメイクの流行とも深く関わっており、さらに、インスタをはじめとした、自分を見せるというプラットフォームの確立も大きく関与していると結論付けた。第三章では、コミュニケーションツールとしての写真の役割に焦点を絞った。写真は友達の証であり、プリクラ帳の厚さは友達の輪や絆の強さを示しており、その仕組みは現代のSNSのフォロワーと同質のものであるとしたが、SNSでは友達との「過去」だけでなく「いまここ」をのぞき込めるものだと指摘した。また写真は友達とのつながりだけでなく、そのコミュニティの中で「自分」のキャラクターや立ち位置を確認できるものだとした。約 20年間で、女の子はいつでもどこでも、お互いに撮り、加工し、発信し、見せあうようになった。「カワイイ」が移り行く中で、女の子はプリクラや加工アプリによるシミュレーションで、「カワイイ」や自分たちのつながりを確かめ合うコミュニケーションを行っている。プリクラ登場後、女の子は「自分」を写真として写し、自分の存在、そして自分のコミュニティを確認しながら、「自分」をプロデュースしているのだと結論付けた。

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アニメーションと実写の比較から考えるディズニープリンセス

髙橋 紗月

2015年に『シンデレラ』、2017年に『美女と野獣』、2019年には『アラジン』と、ここ数年で、ディズニープリンセス映画の実写化が続いて行われている。ディズニープリンセス映画は、1937年に公開された『白雪姫』を始めとし、現代まで継続して製作されている。年代を追うごとに、プリンセスが変化しているということは、これまでいくつもの先行研究で言及されてきた。しかし、近年において、これまでアニメーションで親しまれてきたプリンセス映画を実写化するということに触れている文献は比較的少ない。そこで、本論文では、アニメーションの作品を実写で作り直すということの意義や、効果について考察を行った。第 1章では、アニメーションと実写が融合した作品『魔法にかけられて』(2007)を軸とし、アニメーション作品の考察をした。年代ごとに『白雪姫』、『シンデレラ』(1950)、『眠れる森の美女』(1959)を初期、『リトル・マーメイド』(1989)、『美女と野獣』(1991)、『アラジン』(1992)を中期、『塔の上のラプンツェル』(2012)、『アナと雪の女王』(2013)後期と区別し、真実の愛の在り方、プリンセスの危機回避の状況、悪役の 3点についての変化に着目し、比較を行った。初期・中期の作品に対し、後期作品は、『魔法にかけられて』で生じた変化を引き継いでいることから、この作品が、ディズニープリンセス映画において、転機となっていることを述べた。第 2 章では、実写化された作品をアニメーション版と比較した。その際、着目したのは、プリンセスとプリンスの関係性、悪役の描かれ方、プリンセスの描かれ方の 3点である。実写化された作品の間には、アニメーション版には見られなかった設定やストーリーが追加されており、それにより、前述の 3点に変化が見られることを確認し、その変化が、物語の複雑化や、観客の共感を高めるといった役割を果たしていると考察した。第 3 章では、実写版に出演する俳優について考察をした。プリンセスの配役においては、キャラクターとの類似点が重視されていたが、『アラジン』のジーニー役であるウィル・スミスは、彼の持つスター性を活かし、実写版ならではの新たなジーニー像を生み出したことを述べた。また、アニメーション作品を実写化するということは、その世界観を細かく作り込む必要があり、そのおかげで、キャラクターがリアルに存在していると観客に思わせることが可能となる。さらに、スター性を利用した配役により、アニメーション版のコピーではなく、実写版でしか生み出せない、生身の人間が演じる魅力を付け足したと考察した。ディズニーは、アニメーション作品を実写化することで、同じ題材でも、俳優のスター性を利用したキャラクター像の確立といった、一味違った楽しみ方を与えた。このように、ディズニープリンセス作品の実写化を行うことで、世代を超えて新たな変化をもたらしながら、観客を楽しませ続けることができている要因の一つであると結論づけた。

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ディズニーランドのグローバル展開に見るアメリカ文化の受容~東京とパリのディズニーランドの比較を通じて~

高橋 拓也

本論文では、アメリカ大衆文化を代表するディズニー(ランド)が、フランスと日本でどのように受容されているのかを考察した。歴史的背景やその中での各国間の関係性からそれぞれの文化的性質を見出し、筆者の現地調査も含め比較するという方法をとった。第 1章では、アメリカ文化の性質を見出すために、大航海時代にヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見したところまで時代を遡った。そこで、アメリカ文化がヨーロッパ文化に「憧れ」と「対抗」の 2つの相反する感情を持っていることを見出した。第 2章では、そのような性質を持つアメリカ文化におけるディズニー文化の成り立ちを振り返ったのち、フランスと日本でディズニーがどのように受け入れられているかをそれぞれの文化の性質を見出した上で考察した。フランス文化も実はギリシャ・ローマ文化に「憧れ」と「対抗」という感情を持って形成された過去があり、アメリカ文化と相通じる点があることがわかった。また、ディズニーランド・パリ(建設当時はユーロ・ディズニーランド)に対する知識人の批判は、よく言われる自国文化への自信から来るものではなく、異文化の受容方法の違いであることがわかった。一方、日本では文化の形成において古来から中国から影響を受けており、異文化受容においては受け入れるだけではなく自国文化への同化に優れており、近代に始まったアメリカ文化の受容においても同じことが言えた。それに加え、アメリカに対する「拝米」と「排米」を通して西洋(ヨーロッパ)の文化に憧れを抱いていたことも伺え、戦後の占領下でのアメリカによる影響もあり、ディズニー文化が日本に浸透したと考えられた。第 3章では、テーマパークという視点でディズニーランドの受容を考察した。ディズニーランドはただの遊園地ではなくテーマパークであり、その由縁はなんであるかをまとめた。ロジェ・カイヨワの遊びの分類において、ただの遊園地は「イリンクス(眩暈)」の要素のみであるが、テーマパークは「ミミクリ(模擬)」の要素ももっている。そこから、とりわけディズニーランドにおいてはミミクリの要素が重要であることがわかった。そして、それぞれの国ではディズニーランドという空間がどのような存在であるのかをそれぞれの歴史的背景や文化的性質から考察し、アメリカでは「護国神社」、日本では「大量消費娯楽施設」として受け入れられており、フランスでは一テーマパークという考察にとどまった。また、東京とパリの物販売上の差から、とりわけそこが海外(アメリカから見て)のディズニーランドにおける成功と失敗を分けるキーだと考えた。いずれにしても、文化の受容は「憧れ」と「抵抗」の二面性を必ず持ち合わせており、異文化交流が加速する現代においては、より複雑な受容と新しい文化の形成がなされているだろう。また、「ディズニーランドは永遠に完成しない」というウォルトの言葉にある通り、ディズニーランドに関する考察は今後も継続する意義があるとし、本論文のまとめとした。

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テレビ・ドキュメンタリー研究~NHK『ドキュメント 72時間』を中心に~

高橋 美帆

テレビ・ジャンルの中には、情報番組・バラエティ・スポーツ・ドラマなどが存在する。その中で、テレビ・ドキュメンタリーというジャンルは 1950年代草創期以降、長い間、視聴者に愛されてきた。テレビ・ドキュメンタリーは他の番組とは違って、「スタジオ」や「生中継」といった場所と時間の制限がない特殊な形態をしている。当初の「テレビ批判」「社会教養番組」という役割はさらに領域を広げ、現代では芸能、趣味、プロフェッショナルなど、より視聴者に身近な題を取りあげられるようになった。テレビ・ドキュメンタリーの現代における社会的役割、また、長年視聴者を獲得し続けている理由を、NHK『ドキュメント 72時間』を中心に研究した。第 1章では、様々なテレビ・ジャンルの中でテレビ・ドキュメンタリーはどのような役割を務めているか提示した。アンケート対象番組制作会社 339社の中でドキュメンタリーは 5

番目に多く制作されており、かつては視聴者の「知的好奇心」を満たすものとして機能していた。第 2章では、吉田直哉や小沢一郎、森達也といった著名な 6人のドキュメンタリー作家を取りあげ、吉田直哉等のジャーナリスト的な性格や、牛山純一のテレビ的性格等を比較した。そして、結局「ドキュメンタリー」とは一つの解釈を提示しているに過ぎないという主張をした。第 3 章では、牛山純一の論をさらに展開させ、「テレビの特質」と「個人の魅力」について提示し、第 4 章では、NHK『ドキュメント 72 時間』の撮影方法・撮影対象、撮影者と被写体の不安定な関係について考察した。第 5章・第 6章では、番組内から 2つの回を取りあげ、番組の基本形をしている聞き込み型ドキュメンタリーさらに、番組内では例外的な密着型ドキュメンタリーの内容の流れを分析した。第 7章では「個人の魅力」がテレビ・ドキュメンタリーの大きな要素になっていることについて「レンタルなんもしない人」を取りあげ、彼のテレビ的な部分を明確化した。第 8章では、『ドキュメント 72時間』特有の定点観察の効果について、また、撮影者が客観的な撮影者に徹することなく、撮影者と対象者の「対話」を軸に番組を構成していることについて論じた。第 9章では、番組を構成するレーション・テロップ・音声・音楽・画といった 5つの要素を抜き出して表にまとめ、分析した。結果として、画や音声が場面の状況説明、ナレーションやテロップが視聴者の思考過程の誘導、そして最終的に「音楽」が視聴者の感情を揺さぶる決定的な要素になっていると主張した。テレビ・ドキュメンタリーは編集過程において、番組制作者側が視聴者に「見るべき視点」「感ずるべき感情」を与える仕組みを作り出しているとした。NHK『ドキュメント 72時間』は一貫として「人生」をテーマにしている。視聴者に被写体(対話者)の多種多様な人生を提示することで、視聴者に現代の様々な「生き方」を知ってもらう役割を担っているのだ。

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宮崎駿映画にみられる「食」について

田中 花奈

宮崎駿監督のジブリ作品には必ず「食」のシーンが登場し、「ジブリ飯」として現在も尚注目されている。そこで本稿では、宮崎駿が描く「食」のシーンの特徴を述べた上で、宮崎駿にとっての「食」とはなにかについて検討した。第 1 章ではジブリの食べ物そのものの描かれ方に注目した。食べ物をメインとしたアニメーションである『食戟のソーマ』(2015)や『幸腹グラフィティ』(2015)と比較し、色の塗り分けや線の描き方が独自の表現を用いていることを明らかにした。また透明なもの(グラスや液体)の描き方も、少ない色数で透けて見えるものや液体の歪曲具合を表現していることを明らかにした。第 2章では食べ物から派生する表現である湯気と音について検討した。ジブリの湯気については薄かったり、小さくまとまっていたり、描かれなかったりしている。実際の湯気とは異なる表現にし、湯気の主張を抑えた分、温かい食べ物そのものや食べ物を前にした登場人物の表情や仕草がよく見えるように描いていることが分かった。また音については、宮崎駿はアナログにこだわり、ストックされた音を嫌うため、作品ごとに録音し直すことにより、聞き慣れた生活音の美しさに改めて気付くことができると示した。第 3章では登場人物について検討した。まず登場人物の食べ方について言及し、食べ方 1

つで性格や育ってきた背景を想起させることができると示した。さらに噛む回数が少ないといった少し大げさに描かれた食べ方は、本物のような描写にこだわった食べ物と相まって、より「食」のシーンを際立たせていることを明らかにした。次に食べるまでの過程や境遇によって、視聴者が登場人物の気持ちを共感することにより、一層食べ物が美味しそうに見えることを述べた。そして最後に「食」を断るシーンから、「食べる」=「生きる」という考え方や「食」とアイデンティティには深い関わりがあることを明らかにした。終わりに、宮崎駿はアナログでアニメーションを描くことにこだわり続けるという、デジタル化していく周囲に流されない確固とした「自分」を持つことをアニメーション制作を通して体現した。そんな宮崎駿が描く「食」のシーンには、「食べる」=「生きる」ということ、そしてただ生きるのではなく、「自分をもって生きる」ことを伝えていると結論づけた。

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ネット時代の映像における諸問題について

田中 敬一朗

本稿は「インターネットやデジタル機器の普及に伴い、誰もが気軽に映像を撮影できるようになったことで映像に写される人びとの意識がどのように変化したか」という問題と、「加速度的に増え続ける映像を前にして、私たちがどのようにその映像と向き合っていくべきか、選択・保存・公開の方法をどうするべきか」という問題について、全国各地で行われている地域映像アーカイブの取り組みを参考にしながら論じたものである。第 1章においては、被写体(映像に写される人びと)に注目し、過去の判例や新聞記事等を参考にしながら、それまで積み重ねられてきた映像に関する問題がネットの普及によって一気に表面化したこと、そこで改めて個人が持つ権利が意識されるようになったことを確認した。第 2章では、デジタル映像アーカイブの目的・現状・課題を整理したうえで、東日本大震災後に設立された災害アーカイブを例に、アーカイブが抱える問題の一つである権利処理の方法について、公的機関と現場で働く人びとの間で議論を深める必要性があることを指摘した。また、私自身が実際に新潟大学地域映像アーカイブの取り組みの一部に参加した経験をまとめ、アーカイブの重要性と活用の可能性について再度確認を行った。第 3章 1節では、映像アーカイブにおいては、その機関に関わる人だけでなく、利用者や参加者にも主体性と大きな責任が伴うこと、アーカイブには自らの五感を働かせ、手足を動かす作業を伴わなければいけないということを実際の経験などから補強して論じた。また、それは私たちが普段から映像に関わるうえでも重要となるということを指摘した。第 3章 2

節では、片倉もとこの研究などを例に、小さな共同体における映像の考え方が貴重な映像を後世に残すヒントとなることも明らかにした。第 3章 3節では、それまでに検討してきたものと自身の経験を踏まえたうえで、デジタル映像アーカイブのより自由な利活用に向けた提案を示すことを試みた。広くネットや SNS が普及している現在においては、映像に関わる新たな問題も次々と生じている。また、その規制が追い付かないような状況にあるなかでは、公的機関に頼るだけでなく、私たち一人一人が意識的に行動することが求められる。そこで、各アーカイブ機関、そのなかでも小さなアーカイブ(運動的なアーカイブ)と呼ばれる機関の取り組みにみられる姿勢は重要であり、それは私たちが映像と対峙するうえでも参考になるのではないかということを結論とした。

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テレビ CMにおけるキャラクター

田邉 真菜

1953年にテレビ放送が開始し、同時に CMという広告媒体も誕生し、その歴史は 60年以上にのぼる。その数多ある CM作品の中で、〈のり平アニメ CM〉と〈アンクル・トリス〉は放送開始の 1958年から現在まで約 60年もの間人々に認知され、馴染みの CMとして存在している。そのような CMは他に類を見ないため、本論では〈のり平アニメ CM〉と〈アンクル・トリス〉の共通項である、「キャラクター」を使用した「アニメーション CM」であることに注目した。両者がいかにして人々の関心を得て人気になり、CMがシリーズとして長続きし、商品の売り上げを伸ばすという広告媒体としての成功をおさめることができたのかを、テレビ史・CM史・広告史・アニメーション研究・キャラクター論などの観点から分析を行った。第 1章は導入とし、本論の動機を記した。第 2章ではアニメーション CMの変遷として、CM黎明期のアニメーション CMの動きを明かにした。CM黎明期にアニメーション CMが多く作られた理由と、1960年代を皮切りにアニメーション CMの数が激減した理由を分析した。これには、それまでの日本の映像産業を支えていた映画業界との駆け引きや、当時の撮影・編集などの映像技術、それに伴う人材など、様々な要因が関係していたことが明かになった。第 3章では、アニメーション CMの特性と可能性として、CM黎明期に作られたアニメーション CMの特徴を示した。その上で〈のり平アニメ CM〉と〈アンクル・トリス〉の両者におけるアニメーションの特徴をそれぞれ分析した。それにより、どちらも当時の実写技術では表現できないような演出を、アニメーションならではの手法で表現することによって、視聴者の興味を引き、商品の売り込みや企業が望むような企業イメージを広げることに成功していた、ということが明らかにできた。第 4章では、CMにおけるキャラクター性として、伊藤剛のキャラクター論を基に、〈のり平アニメ CM〉と〈アンクル・トリス〉のキャラクター性について分析した。「のり平」は、実在する芸能人である「三木のり平」をモデルしたキャラクターがアニメーションになるという特性で人々の興味・関心を集めていたことが明らかになった。「アンクルトリス」は、細かな設定とキャラクター像により、当時の人々の生活に寄り添い、身近な存在として愛されるイメージキャラクターだったことが明らかになった。以上のことから、いつの時代も人々の興味・関心を得て、反響を呼ぶ広告は、人々の生活に寄り添い身近な存在であると感じられるものであるということが分かった。そしてその点において、〈のり平アニメ CM〉と〈アンクルトリス〉は間違いなく日本で一番成功している「キャラクター」を用いた「アニメーション CM」である。広告媒体もキャラクターも情報も様々に形を変え、多種多様な形式で蔓延しているこの現代において、両者の CMは広告を制作する上で最も参考にすべき貴重な財産であると結論付けた。

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小学校保健の教科書におけるジェンダー表象

塚田 裕幸

昨今、ジェンダー観が大きく変化しつつある。そのような社会的な動きに伴って、教科書のジェンダー表象はどのように変化しているのか。また、現在抱えている問題は何か。これらを目的とし、本研究では保健の教科書に注目し、分析した。第 1 章では調査方法や資料について整理した。対象は平成期の小学校で用いられた教科書、大まかな分析項目は本文・学習内容、挿絵、写真、図表の 4つと定めた。第 2章では経時的なジェンダー分析の結果を整理した。研究の結果、大まかな流れとして、ジェンダー・ステレオタイプの表象やジェンダー・バイアスのある表象から徐々に脱却しつつあることが判明した。ただし、学習指導要領は、現在でも性的マイノリティの存在を学習内容として定めていないことや、挿絵、写真、図表において、女性よりも男性の方がステレオタイプな表象からの脱却が遅れていることも指摘した。このようなジェンダー表象の変化の背景には、フェミニズム運動やジェンダーを視点にした教科書分析の流れという社会的な側面と、教科書のフルカラー化というメディアの側面の 2つがある。第 3章ではセックスとジェンダーの交錯について取り上げた。調査対象の文章における男女の説明順に注目すると、身体・生理に関する内容では女性を先に置いた表現、それ以外の内容では男性を先に置いた表現となっており、すみ分けが行われていることが判明した。また、身体的な性の説明をしているはずの図表に髪型などのジェンダーが入り込んでしまっている例が多数見られた。後者については、ジェンダーとセックスの混同を引き起こしかねないことや、女らしさ/男らしさなどの規範や外見に対する批判的な視線を学ぶジェンダー教育との矛盾が起きかねないことを指摘した。第 4章では、マンガにおけるジェンダー表象の技法が導入されてきていることを指摘した。これにより、男女二元論的な表象から脱却し、多様な人物造形を作ることが可能になっていることを明らかにした。だが、その技法もステレオタイプな表象であり、フェミニズムの領域で批判されてきた美の価値観に繋がってくるものであるという問題もある。そして、マンガのジェンダー表象の技法だけでなく、マンガ・アニメ的な身体も教科書に入り込む可能性について取り上げた。一度だけだが、それまでの教科書の挿絵に描かれてきた平坦な身体とは異なる、影をはっきりと描いたマンガ・アニメ的な身体が教科書に掲載された例がある。マンガ・アニメ的な身体は性的身体と関連してきた歴史があるため、マンガ・アニメ的キャラクターの導入とともに性的身体の導入がなされる可能性があると指摘した。第 5章では、子どもたちがマンガ・アニメ的キャラクターに強く関心を示すからこそ、それらに対して批判的な視点を持つことや、教科書のジェンダー表象は現実の反映である面があるため改善が困難なところはあるが、その余地はまだあることを述べ、まとめとした。

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日本におけるバレエ文化の特質

土田 真理

日本には多数のバレエ団、バレエ教室、学習者が存在し、幅広くバレエ教育が行われている。しかし、日本国内でバレエダンサーを職業として生計を立てるのは難しいとされている。一方ヨーロッパのバレエ先進国では国立のバレエ団やバレエ学校があり、ダンサーへのサポートも手厚い。そのため海外のバレエ団で活動することを目指す日本人ダンサーが多い。このような現在の状況の原因は、日本に広まったバレエ文化がこの国独自の特殊な形で定着したためではないかと考えた。日本にバレエが入ってきた際に、踊りの様式や技法はそのまま輸入されたが、養成制度やバレエ団・学校の構造は日本独自のものとなった。バレエは日本の家元制度に組み込まれ、それによって海外と異なる構造が生まれた。本論では日本へのバレエ移入初期の様子と、現在の実態をヨーロッパのバレエ先進国と比較して分析し、日本におけるバレエ文化の特質を明らかにした。第 1章では、日本のバレエ黎明期の様子を、先行研究をもとにまとめ、特徴を明らかにした。日本に亡命してバレエ教育を行ったエリアナ・パヴロバは家元制度の形を真似た指導を行い、それが日本人に馴染んで後まで引き継がれることとなった。またダンサーが教師・振付家を兼任することと、曲目仕上げの手法で技術を習得させることも定着した。第 2章では、日本と海外のバレエ教育機関を比較した。バレエ先進国では選ばれた子供が勉学と共にプロになるための教育を受けるのに対して、日本のバレエ教育の特徴は、バレエの実技のみを教える民間の教室が多く、誰でもいつでも学び始め、続けていくことができることだとわかった。第 3章では指導者資格の実態を明らかにした。海外には統一した資格を設けている国がある一方で、日本ではバレエ教師の公的な指導者資格が存在せず、資格が無くても教師として指導できることがわかった。第 4章では日本の国内バレエコンクールと海外の国際バレエコンクールについて述べた。国内コンクールは主催者、参加者、指導者それぞれの利益となる部分があるためビジネスの面から見ても需要があり、近年増加している。国際コンクールは、海外のバレエ団を目指す手段として日本人の若いダンサーが多数出場している。第 5章ではプロのバレエ団における労働環境について述べた。アンケート調査をもとに日本と海外のバレエ団を比較して、日本は契約、報酬、負担費用、保険、キャリアチェンジ、労働組合、年金制度と多くの点においてプロダンサーへのサポートが弱いことが明らかになった。またダンサーの自伝やバレエ団のオーディションの情報からも、日本のバレエ団におけるダンサーの地位の不安定さがうかがえた。各章で明らかになった特徴をまとめ、日本のバレエ文化のほとんどを民間団体が担っており、家元制度的体質があることが現状につながっていると結論づけた。

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おもてなし論

中田 穂乃花

2013年に開催された国際オリンピック委員会総会の最終プレゼンテーションにおいて、滝川クリステルがスピーチをした「おもてなし」という言葉が一躍話題になった。さらに 2013

年のユーキャン新語・流行語大賞において「お・も・て・な・し」が年間大賞を受賞した。また、最近では旅行新聞新社が主催しているプロが選ぶ日本のホテル・旅館 100選にて、料理部門、施設部門、企画部門と並び、おもてなし部門が設置されており、おもてなしが差別化の一要因となっている。このように日本のおもてなしが注目される中、おもてなしとはどういうことか、といった明確な決まりは決定づけられていない。本論文ではおもてなしはどのようなものとして人々に考えられているのか、ということを検討した。第 1章では、服部の考えるホスピタリティと長尾・梅室の考えるおもてなしについて比較し、ホスピタリティとおもてなしの類似点・曖昧な点について確認した。またこの比較を通し、曖昧な点に着目し研究を進めていくことを提示した。第 2章では、加賀屋という旅館における概要、態度・距離感、設備、自宅感、季節感、間に合わせについて施設側のおもてなしに関するこだわりと客側の評価を調べた。第 3章では、加賀屋と同様に、帝国ホテルにおける概要、態度・距離感、設備、自宅感、季節感、間に合わせについて施設側の視点と客側の視点を調査した。第 4章では、上記 2軒と同様に、ディズニーアンバサダーホテルにおける概要、態度・距離感、設備、自宅感、季節感、間に合わせについて施設側の取り組みと客側の評価を調べた。第 5章では、第 2章~第 4章での調査をまとめた。その結果、施設側が意識している行動が客にもほとんど伝わっているケースが多く、正当に評価されていることが判明した。しかし、客側が施設側に対し厳しい意見を述べていることを考慮すると、施設側が考えているおもてなしより、レベルの高いものを客側がおもてなしとして認識している可能性があることも確認できた。またおもてなしにおいて曖昧な存在であった態度・距離感、設備、季節感、間に合わせについて人々はおもてなしと関連があるとみなし、一方自宅感はおもてなしと関連性が薄いと認識していることを明らかにした。本論文では事例の数が限られていることから、今後さらに信頼性や妥当性の強化が求められる。現在ではおもてなしに関する研究が少ないため、今後もおもてなしについて継続的な研究が必要であるとした。

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韓国映画『トガニ』から見る「映画」と「社会」の関係

中村 季香

韓国映画『トガニ』は、実際の事件を基にした小説を原作に、製作された映画である。460

万人を動員し、国民の怒りが沸騰し、世論が盛り上がり、法改正にまで至った。さらに「トガニ法」と呼ばれるこの法律によって裁判のやり直しが行なわれた。この事実は日本でもメディアに取り上げられていた。しかしながら、映画『トガニ』の作品性について分析した論文などはないため、本論では映画『トガニ』の作品分析を通して、何故このような現象を巻き起こすことができたのか考察した。第 1 章ではまず 1990 年代以降の韓国映画について検討した。1990 年代以降の韓国映画は、産業と人材で大きな変化が見られ、現在の韓国映画に影響を与えていた。韓国型ブロックバスター映画が台頭した時代、産業的に成功した作品と失敗した作品の違いには、社会との接点を持っているか持っていないかが関わっていたと明らかにした。その後韓国型ブロックバスターという言葉に否定的な意味が含まれ始め、お金をかけなくても売れる映画としてウェルメイド映画が出てきた。ウェルメイド映画でも社会との接点を持っている映画は成功していたが、この時期の映画産業を支えていた監督に 386世代の監督たちがあげられる。彼らの作品には、商業性を求めながらも、社会に対する批判も組み込まれていた。これらのことから、韓国映画の特性として「社会との接点」をもっている点が挙げられる。第 2 章からは第 1 章の韓国映画の特徴を踏まえた上で、映画『トガニ』の作品分析を行なった。第 2章ではまず映像表現の分析を中心に行なった。映画『トガニ』において、観客の怒りを引き出すストーリー特性に残酷な“暴力性”の高い映像表現がプラスされることで、表現特性と文脈特性が混合し、観客の感情を反応させていたと分かる。また観客に「市民」として社会参加を問う映像表現があり、「傍観者」になっている「市民」の姿を映像で表現することで、観客が主体的に動くようにする役割を果たしていた。第 3章では物語構造の分析を中心に行なった。映画『トガニ』は単純なヒーロー物語の物語構造を持つのではなく、その深層構造には社会や制度への批判があった。それらは観客を現実への怒りへと導くための工夫であり、悲劇的な終わり方は観客の怒りを最大限に引き出すことに成功した。スペクタクルよりはナラティブに重点を置き、観客に怒りをもたせることを目的に、物語構造を工夫し、流行に対して敏感にマーケティングされた商業性とはまた違った意味で、観客の共感を最大限に引き出そうとする商業性をもった映画であったと明らかにした。以上のことから、映画『トガニ』は物語構造、映像表現において韓国映画の特徴である「社会との接点」を持っており、観客が社会と向き合うように促す役割を果たしていたと考察した。そして、映画『トガニ』が持っていた役割によって、観客は実際の事件に対して行動を起こし、実際の事件の結末だけでなく、社会を変えることができたと結論づけた。

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装う男たちをめぐって

廣嶋 咲桜

女性がするものであるというイメージの強い化粧だが、近年は男性でも化粧をする人が増加している傾向にある。増加しているとはいえ、まだ男性の化粧に対する偏見は一定数存在している。本稿は、日本において男性化粧へのマイナスイメージがなぜ存在するのか、そして今後、男性化粧は社会的にどのような位置づけとなっていくのかを明らかにすることを目的とした。第 1 章では、古代から現代までの化粧の歴史を大まかに振り返った。昔は化粧が男性のものであると認識されていた時代もあったが、明治時代に男性の化粧が禁じられて以降、男性が化粧をすることへの抵抗が生じるようになったことが判明した。その後 1990年代からフェミ男が登場したり、2010年代には男性用ベースメイク用品市場が広がりを見せ、また、SNSが爆発的に普及したことにより、インフルエンサーが登場し、近年における男性化粧の流行がもたらされた。第 2 章では、男らしさや女らしさなどのジェンダーバイアスは幼少期の教育環境の下で構築されていくものであるため、化粧と子どもの教育との関連について考察した。結果として、男児向け・女児向けを問わず幼少期に目にするテレビ・アニメ番組においては「女らしさ」「男らしさ」を彷彿とさせるような描写が行われており、それらにより刷り込みが行われ、ジェンダーバイアスが構築されていくことが分かった。また、育てる側である教師や親も潜在的にジェンダーバイアスを持っており、育てる側の意識の有無にかかわらず、男児は男らしく、女児は女らしく育てられる傾向にあることがわかった。第 3章では、現在の日本における男性化粧の事例を 2つの観点からまとめた。1つは男性向け化粧品の広告に着目し、化粧品業界の男性化粧品に対するとらえ方を考察した。もう 1 つは、化粧をしている男性で社会的に影響力のある有名人や YouTube や各種 SNS

で活動するインフルエンサーを例に挙げ、どのような思いで化粧を行っているのか、などを明らかにした。化粧品業界の動きとしては、近年になってから世界的なトレンドセッターのシャネルが男性向け化粧品を売り出したり、国内ブランド「ウーノ」がそれまで扱っていたスキンケア用品やヘアケア用品とは一風変わって、言うなれば男性用ファンデーションを売り出し始めた。このように国内外の化粧品企業が、男性向け化粧品の開発に乗り出し、近年になってようやく発売に至っている。また、2つ目の観点でわかったこととしては化粧をする男性であっても男性化粧へのマイナスイメージの存在は認知しているということ、しかしやるかやらないかは個人の自由であり、男性が化粧をすることはおかしなことではないという考えのもとで行っているということがわかった。このような男性化粧を推し進めていく存在によって、一般の男性も化粧に踏み込みやすい環境が作られているということが明らかとなった。

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震災遺構と地域社会

星野 文香

震災遺構は、地域社会において地域住民の生活の一部となることで、その地域の「伝統」や文化、価値などを再構築し、地域社会の新たな姿を作り出す存在である。震災遺構は震災の凄惨な被害や教訓を後世に伝えるものとして、東日本大震災でその存在や価値が注目された。本稿では、実際の震災遺構とその活用者を調査し、特に地域社会と密接なつながりを持つ震災遺構である旧山古志村地域の震災遺構「木籠メモリアルパーク」を中心にそのような震災遺構と地域社会の関わりについてまとめた。第 1 章では震災遺構の定義についてまとめた。本稿では震災遺構の定義を、「震災とその二次被害によって被害を受け、その被害を後世に語り継ぐことを第一の目的としてその被害状況を保存・維持させた構造物」とした。また、震災遺構の価値や役割、震災遺構がもたらす影響もまとめた。第 2章では第 1章でまとめた震災遺構の定義をもとに、震災遺構が地域社会とどのように関わっているのかをまとめた。震災遺構は立地や被害状況などにより、沿岸部の震災遺構と内陸部の震災遺構モデルの 2種類に分けられる。沿岸部の震災遺構については、初めて国費でその保存資金が援助された、東日本大震災の震災遺構である「たろう観光ホテル」(岩手県宮古市)を取り上げた。内陸部の震災遺構については、地域住民の生活において地理的に密接である、熊本地震の震災遺構である「堂園断層」(熊本県益城町)を取り上げた。それぞれの事例を、「保存」「活用」「伝統」の 3つの側面でまとめ、震災遺構と地域社会の関わりについて、モデルを形成して表した。沿岸部の震災遺構は、津波に関する「伝統」が色濃く、内陸部の震災遺構は地震に関する「伝統」が色濃く、設置場所が地域住民の居住区域に近いことから、周辺住民への配慮がより重要であるなどのそれぞれの特徴を述べた。第 3章では第 2章で形成した内陸部の震災遺構モデルをもとに、「木籠メモリアルパーク」とそれを所有する木籠集落の関わりについてまとめた。2つの震災遺構では、震災前から地震や津波に関する教訓や民話などの「伝統」が存在していたが、木籠集落にはそのような「伝統」はなかった。しかし、本遺構の近接地に建てられた直売所「郷見庵」や、「山古志木籠ふるさと会」の設立などの新たな「伝統」が生まれたことが分かった。震災遺構は地域住民やその地域の「伝統」や文化と密接に関わりあって地域社会の 1部分を構成していく。その中で、地域社会の「伝統」や文化、価値などが再構築されていき、新たな地域社会が生み出される。震災遺構と地域社会は、互いに密接に関わり、互いの存在に影響しあい、昇華しあうことが大切であり、それこそが震災遺構と地域社会のあるべき姿なのであるとまとめた。

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日本のポピュラー音楽における「東京」

星野 円香

「東京」という題名をもつ歌、または「東京」が歌詞に入っている歌は多く、様々なジャンルで東京は歌われている。戦後間もない笠置シヅ子の「東京ブギウギ」(1947年)や美空ひばりの「東京キッド」(1950年)から始まり、60年代の石原裕次郎と牧村旬子の「銀座の恋の物語」(1961年)や藤圭子の「新宿の女」(1969年)、70年代の内山田洋とクールファイブの「東京砂漠」(1976年)、80年代の沢田研二「TOKIO」(1980年)や浜田省吾の「東京」(1980年)、90年代の鈴木雅之と菊池桃子の「渋谷で 5時」(1994年)、といった曲を経て、2008年のMr.Childrenや 2014年のきのこ帝国による「東京」にいたるまで、「東京」は戦後の歌謡曲、Jポップにおいて、一貫して歌の主題であり続けた。本論文では、その主題となった「東京」がどのようにして歌われてきたかを明らかにすることを目的とした。第 1 章では 1945 年~1970 年代に歌われた笠置シヅ子の「東京ブギウギ」(1947 年)、三波春夫の「チャンチキおけさ」(1957年)、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」(1957

年)、井沢八郎の「あゝ上野駅」(1964年)、石原裕次郎と牧村旬子の「銀座の恋の物語」(1961

年)、藤圭子の「新宿の女」(1969年)、太田祐美の「木綿のハンカチーフ」(1973年)を主に取り上げ、それぞれの時代の東京がどのような様子であったのか、またそれがどう変化したのかを検討した。第 2 章では、1988 年における「J ポップ」という言葉の誕生とその使われ方をまとめた後、沢田研二の「TOKIO」(1980年)、浜田省吾の「東京」(1980年)、鈴木雅之と菊池桃子の「渋谷で 5時」(1994年)などについて、第 1章で扱った歌からの変化を検討した。第 3 章では、2000 年代以降、東京以外の地名が歌われることが多くなったことを受け、

aikoの「三国駅」(2005年)やいきものがかりの「SAKURA」(2006年)といった「ご当地ソング」の特徴を明らかにし、福山雅治の「東京」(2005年)、Mr.Childrenの「東京」(2008

年)、きのこ帝国の「東京」(2014年)、サカナクションの「モノクロトウキョ―」(2011年)を主に使い、「ご当地ソング」と共に歌われた「東京」について考察した。東京は「憧れの東京」として歌われてきたが、時代が進むにつれ負の側面も歌われるようになった。今は東京を歌にするのが難しい時代であるが、「多様性」の受容によって「誰もが自分らしく生きられる街」になり、安心する場所として描かれていくのではないかと推測し、本論文の結びとした。

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キャッシュレス化の現状と課題

槙 理奈

現代の消費活動は実店舗に限らず、EC(Electronic Commerce))サイトもメジャーになっている。その支払い方法は現金・クレジットカード・電子マネーなど実に多彩である。また政府が支払い決済の効率化やデータの活用、インバウンド消費の取り込みなど積極的にキャッシュレス推進を掲げてはいるが、GDP世界 3位の先進国であるはずの日本はまだまだ現金主義者が多く、地方だとその傾向はさらに顕著だ。本稿では、日本のキャッシュレス事情を世界と比較し、日本でキャッシュレス化が浸透しない原因を追究した。さらに日本の目指すべきキャッシュレス社会の在り方を掘り深め、現代におけるそれの必要性を論じた。第 1章では、日本のキャッシュレス決済の現状として基本情報の確認と政府の当面の目標数値を示して、状況整理をしている。また、キャッシュレス化のメリット・デメリットを比較することで、メリットを過大評価し、デメリットを過小評価して政策実施後に実際のデメリットの大きさに気づくことを避けることを暗示した。第 2章では、キャッシュレス先進国の中国にフォーカスし、その背景と実態に迫り、日本のキャッシュレス化の比較対象とした。既に市民の生活に QRコード決済が染みついた中国ではその先の“ビックデータの活用”に踏み出しており、その大量データがこれから価値を生むことが読み取れる。第 3章では、日本を外国諸国とキャッシュレス比率・施策例・決済手段で比較することによって日本はいかにキャッシュレス化が進んでいないのかを示した。キャッシュレス化が進展している先進国におけるその背景、取組内容、実績を把握するためにスウェーデンと韓国の 2国を取り上げてそれぞれの特徴を解説した。第 4章では、日本のキャッシュレス状況を政府の取り組みの観点から述べ、そこから発展して日本でキャッシュレス化の普及が遅れている原因について社会情勢・実店舗等・消費者・支払いサービス事業者それぞれの視点から述べた。セキュリティ面への不安感は執筆者自身がクレジットカードの不正利用被害に遭ったことを踏まえて、日本の目指すべきファイナリティの姿に迫った。第 5章では、これまで述べてきた現状と課題を踏まえ、今後の取り組みについて加盟店と消費者それぞれの立場で提案している。決済時に個人情報を対価としてポイント還元を受けるのは嫌な人が一定数いる日本で、さらに消費拡大を誘発する仕組みづくりからキャッシュレス決済の“利便性”ではなくその後のデータ活用の可能性についても言及している。現状では日本では現金への圧倒的な信頼、キャッシュレス端末導入にかかる費用的問題、システム安全性の不足と付加価値の認知の 4つが大きくポイントとなっている。ケータイの普及に伴ってデータの生成・収集・蓄積などが容易になったことで様々な事象が“見える化”した今、そのビックデータを分析することで、その事象の状況把握をしたり、より正確な未来予測や以上の検地などを行ったりできるようにもなった。

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ヴィジュアル系ロックバンドの歴史と特性の考察

増村 季美花

ヴィジュアル系ロックバンドとは、1980 年代に誕生し、1990 年代に人気に火が着いた、派手なメイクや衣装を身に着けた見た目が特徴のロックバンドである。この論文では、ヴィジュアル系ロックバンドのライブや音源に対するファンの考え方等に特に焦点を当てて、これまでのヴィジュアル系ロックバンドの歴史や特性などを考察した。第 1章では、バンドがヴィジュアル系ロックバンドであるか否かを決めるのはファンであるという意見を元に、濃いメイクや派手な服装をして音楽活動をしているということと、メンバー本人たちが自分達はヴィジュアル系ロックバンドであると認識して活動を始めており、主な活動がヴィジュアル系ロックバンドであるということの 2つの条件が揃ったときにファンはバンドをヴィジュアル系ロックバンドと認識すると考えられるということを述べた。第 2章では、ヴィジュアル系ロックが、音源やライブ等で人々にどのように楽しまれているのかを考察した。その結果、ヴィジュアル系ロックは、ファン以外の人々にとってはなかなか聴く機会を得ることが出来ないコアな音楽であるが、ファンは CDなどの音源に多くのお金をかける傾向にあるということが分かった。また、ヴィジュアル系ロックバンドがライブハウスの興隆を支える要因の一つとなり、ライブハウスの興隆がヴィジュアル系ロックバンドの興隆へとつながったということを明らかにした。さらに、ヴィジュアル系ロックバンドのライブでは「フリ」と呼ばれる、ファンが音楽に合わせて体を動かすことが定着しているということを示した。第 3章では、ヴィジュアル系ロックバンドのファンはバンドと一体となってコミュニティを形成していくという特徴を持っているということが、フリを行う文化が定着した理由であるということを主張した。第 4章では、近年見られるヴィジュアル系ロックバンドの傾向、特徴をあげ、かつてはメンバーとファンが作り出す閉鎖的な面が強い空間であったヴィジュアル系ロックバンドのライブがファン以外の人々も参加しやすく変化しているということや、SNSの普及やフリの複雑化がバンドの新たなアピール方法やファンの服装の変化へと繋がっているということを示した。最後に、これまでの考察を振り返りまとめたうえで、時代のニーズに合わせて変化を遂げながらこれから先もヴィジュアル系という音楽ジャンルが続いていくのではないかと結論付けた。

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ヒップホップ・カルチャーとアイデンティティ

宮森 里沙

ヒップホップ・カルチャーは、1970年代にアメリカのサウス・ブロンクスに住む貧困層の非白人の若者から誕生した文化といわれる。そのスタイルは、「グラフィティ」「ブレイキング」「DJ」「MC(ラップ)」の四要素で表現され、世界中に拡がっていった。同時に彼らは独自のファッションも創り出した。それが近年、一流ブランドとスポンサー契約を結び、既存のハイブランドに身を包むスタイルへ変化している。本稿では、ヒップホップ・カルチャーの美学に見られる「アイデンティティ」を探り、四要素の中でも「MC(ラップ)」を中心的に取り上げ、こうしたハイブランド志向やコマーシャルにまみれる彼らの姿勢は、彼らのアイデンティティにどのような影響をもたらすのかを検討した。第 1章では、調査会社ニールセンによる「全米音楽消費レポート」(2016-2019)を基に、

2017年度に史上初めて「R&B/ヒップホップ」が「ロック」越えのシェアを占めたことを確認し、ヒップホップが音楽の枠を越えて、ファッション業界や企業にも影響を与えていることを提示した。第 2章では、ヒップホップ・カルチャーとはどのようなものか、当時のアメリカ社会の状況について述べながら、四要素「グラフィティ」「ブレイキング」「DJ」「MC(ラップ)」の歴史と特徴をまとめた。また、それぞれに見られる共通点から、ヒップホップ・カルチャーの本質に存在する「アイデンティティ(自己の証明)」について言及した。第 3章では、社会への反抗心をロックと比較しながら、そのライフスタイルと価値観を検証した。ヒップホップには資本主義社会を否定する精神は存在せず、それを実証するためにラップミュージシャンの歌詞を複数挙げ、彼らの物質主義的な価値観を考察した。消費社会を助長するこの価値観は、現代社会と相性がいいことを示した。第 4章では、ヒップホップとファッションの重要性、その変容を言及した。その上で、近年に見られる、ラップミュージシャンと現代企業のパートナーシップ締結の現状について述べ、いくつかの事例を取り上げながらその関係性を考察した。第 5章では、企業に支配されている現状や、彼らのハイブランド志向からは、もはやヒップホップ・カルチャーとしての「アイデンティティ」が失われていると指摘した。その一方で独自のオリジナルブランドを経営するミュージシャンが存在することも併せて提示した。それでも、ヒップホップ黎明期に重視されてきた「そこから来た自分」ではなく「現在の自分が位置するポジション(社会的なステイタス)」へ価値観を移しているミュージシャンが現れており、リアルな過去を含む「自己」の確立が曖昧になってきていると結論付け、本稿のまとめとした。

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吸血鬼と恋愛~『トワイライト』シリーズを中心に~

山内 みみ

元来、その長い歴史の中で人間に忌み嫌われる存在であった「吸血鬼」は、近年のフィクション作品において人間と生きる社会を共にし、悪役ではなく「ヒーロー」として描かれるようになった。そして時には、主に女性にとって、憧れを全て満たす恋愛の相手としても描かれるようになった。本稿ではそうした吸血鬼の描かれ方の変化に着目し、吸血鬼を題材とした作品『トワイライト』シリーズを中心にいくつかの作品の比較を行った上で、吸血鬼を相手にした恋愛がどのようなものであるか、そして吸血鬼を「ヒーロー」として描いた作品がアメリカを中心に広く人気を博している点について考察した。また実際の社会における女性の立場を踏まえ、女性読者とロマンス小説の関係について分析した。第 1章では、研究の中心である『トワイライト』のあらすじを紹介し、他の吸血鬼ロマンスとは異なり、ヒロインが「ごく普通の人間」として描かれていることについて言及した。第 2章では「吸血鬼伝説」を基に、吸血鬼の歴史や『トワイライト』との関係を明らかにした。吸血鬼伝説は世界各地に存在するが、現在「吸血鬼」と呼ばれる一連の怪物に最も近い伝説はトランシルヴァニアを中心として活発になった。「生ける死体」が主な起源である吸血鬼は人間が「恐怖」する存在とされ、吸血鬼をヒーローとして描いている『トワイライト』においても恐ろしい面が描かれていることについて言及した。第 3章ではフィクションにおける吸血鬼とアメリカ社会との関係を明らかにした。先行研究によって明らかにされている①ヴァンパイア・ブーム、②パラノーマル・ブーム、③ゴシック・ロマンス・ブームとアメリカ社会の関係についてより詳しく追究し、加えて『トワイライト』に関しては、ハリウッドが発見した売れ筋映画のジャンルの 1つである「ラブロマンスとスペクタクル映像の融合」とも深い関係があると結論づけた。さらに吸血鬼を媒介とするアメリカとヨーロッパの関係についても考察した。第 4章では、先行研究によって提唱されている 2つの「ロマンス小説と認識されるための条件」を基に、ロマンス小説の特徴について明らかにした。新たに「かわいそうなヒロイン像」と「恋敵の存在」という 2つの特徴を共通して持つことを提唱し、また『トワイライト』が怪奇小説ではなくロマンス小説に分類される理由についても考察した。第 5章ではロマンス小説と女性読者の関係について検討した。英語圏において 18世紀に登場した女性向けロマンス小説は、現実の生活の重圧から女性を解放する逃避小説となった。さらに『トワイライト』が属する「ヤングアダルト」というジャンルに着目し、その読者層と出版形態の特徴・関係を明らかにした。加えてロマンス小説の「セクシャリティ」に関する表現について検討し、吸血鬼の特徴的なセクシャリティの表現について言及した。

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写真とアボリジニ:トレイシー・モファット論

山田 佳苗

写真史の流れにおいて、女性によるセルフ・ポートレイトには、これまでも大きな注意が払われてきた。アメリカの写真家で言えば、セルフ・ポートレイトによって女性とメディアとの関係を明確化させたシンディー・シャーマン(Cindy Sherman, 1954-)や、自分と身近な他者との関係性を赤裸々に捉えたナン・ゴールディン(Nan Goldin,1953-)などが挙げられる。彼女らのような女性のセルフ・ポートレイトによる自己追求は、写真史のメインストリームの 1つとみなされてきた。本論文で中心的に取り上げたトレイシー・モファット(Tracey Moffatt,1960-)は、オーストラリア出身の芸術家である。彼女もまた、女性セルフ・ポートレイトの流れの中に位置づけられる。モファットの作品の特色は、写真による自己探求を、生まれた場所や民族の固有性といった、アボリジニというアイデンティティに関係する要素とを関連付けている点にあると言える。本論文では、モファットの作品を他の写真家と比較しながら分析することで、モファットの写真作品にみられるアボリジニ的要素の意義を考察した。第 1章では、アボリジニを取り巻くオーストラリアの歴史と、写真におけるアボリジニの表象の歴史について取り上げた。アボリジニは白人主義の政策によって、社会的に疎外された存在であり、権利が認められるようになった今もなお社会的に不当な立場に置かれていること、写真によるアボリジニ表象に関しては、アボリジニの民族性のみが強く写し出された作品から、写真としての物語や芸術性を持った作品へと変化していることが分かった。第 2章では、前述のシンディー・シャーマンとナン・ゴールディン、およびジリアン・ウェアリング(Gillian Wearing, 1963-)の計 3 名の写真家の作品を取り上げ、それぞれの作品の特徴と、モファットの作品との共通点や相違点などを考察した。モファットの作品は、写真の中に含まれるメロドラマ的要素や、自身の経験に基づく要素といった、これら 3名の写真家それぞれの持つ特徴に共通している部分を持ちながらも、アボリジニとしてのエスニシティを色濃く演出していると結論付けた。第 3章では、トレイシー・モファットの作品の中でも、アボリジニと直接的な関係のある

「もっと何か(Something More)」(1989年)と「一生の傷(Scarred for Life)」(1994年)を分析した。この 2作品は、作者であるモファットの実体験に基づいた、写真による物語の表象であり、被写体の視線やポーズ、装飾品などによって、モファットのアボリジニとしてのアイデンティティを演出しているが、写真を見る我々にとっての物語としても機能しうる、誰もが共感できる普遍性の高い作品になっている。エスニシティが生み出す多様な解釈の可能性を含んだモファットの作品は、彼女が言うところの「どんな文化の人でも共感できるような普遍的物語」になろうとしているのである。

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コントにおける笑いの表現技法~ハナコ,しずる,バカリズムを中心に~

龍 直也

日本一のコント師を決める大会『キングオブコント』は 2008年から昨年に至るまで実に12年間無休で開催されてきた。これは、漫才日本一を決める大会『M-1グランプリ』よりも長い継続年数である。このように、漫才、漫談、落語等、多種多様なものが存在するお笑い界の演目において、多様に変化し進化してきたコントの躍進は計り知れない。そこで私は、コントにはそれ特有の笑いの表現技法、笑いを産み出す仕組みが存在するのではないかと考えた。本論では、日本のお笑いという文化の中でも、特にコントに着目して、その技術、内容について分析する。具体的な研究対象として、コント芸人として近年特徴的なハナコ、しずる、バカリズムの 3組のコントを主に取り上げて、コントにおける笑いの表現技法を研究した。第一章では、コントにおける舞台効果と演者の出演比率によるコントへの影響について述べた。具体的には、題材としてハナコのコントを取り上げ、演者の出演時間の偏りと、照明、音響などの舞台効果がコントに与える影響を分析、考察した。その結果、コントは出ハケの自由度が高いため、演者の出演時間、登場のタイミングを自在に操ること可能である。そのため、観客は非論理的で予期せざる突然の認識が発生し、強烈なズレの笑いを産み出すことが可能になると考察した。また、照明によって時間経過、BGMによって内容説明の強化が行われることで、コント全体の含有内容が増加するという結論にも至った。第二章では、コントにおける設定への干渉について述べた。研究方法として、しずるのコントを題材として取り上げ、演者がコントの設定に干渉する場合とそうでない場合、また、演者の役が設定を認識している場合とそうでない場合における笑いの発生の詳細について分析、考察した。その結果、演者が設定に干渉しない場合、する場合と比べてボケの数が増加し、ボケから笑いの発生までが短くなること、また、演者が設定を認識していない場合、認識している場合と比べてボケへの振りが短縮化され、また振りを必要としない自発的なボケの割合が高くなることが明らかになった。第三章では、コント領域の伸縮について述べた。具体的にはバカリズムのコントを題材に、コント領域が拡大縮小と、それに伴う笑いの発生数を分析、考察した。結果として、コント領域が能動的に拡大された場合、大きな笑いの発生数が増加し、共感性の笑いを誘発することが明らかとなった。以上の結果から、コントにおける笑いの表現方法によって、舞台効果を用いた内容増加、出演比率によるズレの笑いの発生、設定認知干渉の有無による分化した笑いの発生、コント領域の伸縮による笑いの増加と共感性の笑いの発生が見込まれると結論付けた。

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現代ポピュラー音楽におけるニューウェーブの影響分析~hydeとニューウェーブの関係を中心に~

渡辺 和貴

本論は、1970 年代後半にイギリスで生まれたニューウェーブと呼ばれる音楽が、現代ポピュラー音楽シーンにおいて、どのような影響をもたらしているのかを分析したものである。分析にあたり、ニューウェーブが自身の音楽的ルーツであることを公言するミュージシャン・hydeを取り上げ、彼の音楽活動から、ニューウェーブの考察を行った。第 1章では、ニューウェーブの概要を歴史的過程から分析した。ニューウェーブは、パンクを源流としつつ、より芸術的で知的な音楽を追求することで、多様な音楽性を獲得する。成立初期は負の側面を耽美に表現する音楽であったが、メディアの発達に応じて派手なルックスとポップな楽曲を押し出すようになる。これにより、ニューウェーブのパブリックイメージは、負の音楽から、華やかでポップな音楽へと変化した。第 2章では、hydeの音楽活動へのニューウェーブの影響を、L’Arc~en~Ciel初期の活動から分析した。初期の L’Arc~en~Cielは、音楽活動に関わる全ての事柄を自身で行うという自主独立のスタンスを固持し、楽曲に初期ニューウェーブの影響を漂わせながらも、新たな音楽性を取り入れようとするという特徴が見られた。hyde自身は、歌唱法の中にニューウェーブの特徴を盛り込んでおり、活動初期において、特にその傾向が強いということが確認できた。ヴィジュアル面では、ヴィジュアルを商業戦略として用いた後期ニューウェーブのアーティストたちの影響を受けつつも、あくまで音楽性へのリスペクトを体現したものであるというスタンスを貫いていることを確認し、その差異を示した。第 3章では、L’Arc~en~Cielにおいて転機となった 4thアルバム「True」リリース時と、最盛期である 1998年から 1999年の期間、また、hydeの L’Arc~en~Ciel以外の音楽活動に注目し、さらに考察を深めた。「True」において、hydeが大衆性を意識した楽曲制作をしていたことを示し、その一方で、芸術性の追求という姿勢を維持していることを確認し、L’Arc~en~Cielが大衆性と芸術性の両立を意識していたことを明らかにした。1998年から 1999年の最盛期には、L’Arc~en~Cielそのものに大衆性が付与されていると指摘し、この大衆性により、L’Arc~en~Cielの芸術性の追求が担保されていると考察した。ソロ活動、VAMPSでの活動においては、いずれも「L’Arc~en~Cielで表現できない音楽性」を追求していることを示した上で、hydeがニューウェーブの楽曲のカバーを音源化するなど、ニューウェーブそのものを発信しようとする動きがより顕著であることを確認した。以上より、hydeは L’Arc~en~Ciel初期から現在に至るまで、ニューウェーブを自身の音楽に取り込み、世に発信しようとする姿勢を一貫して持ち続けていると結論付けた。

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