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壁温スイング遮熱法によるエンジンの熱損失低減 1. はじめに 地球温暖化防止の観点から自動車へ の CO2 削減の要求は強く,内燃機関 の熱効率向上への要求は,今後もます ます高まることが必至である. 内燃機関の各種損失の中で,燃焼ガ スから燃焼室壁面への熱損失は大きな 割合を占める.このため,1980 年頃 から,燃焼室をセラミックスで断熱す る研究が行われてきた.しかしながら, 壁温度が常に上昇する(図1:従来遮 熱壁)ことにより,性能低下や排気ガ スの悪化などの背反 (1) が発生し,実用 化には至っていない. 筆者らは,これらの欠点を克服する ために,吸気行程の燃焼室壁温を上げ ない「壁温スイング」遮熱法を提案 (2) し,実現を目指してきた.本稿ではこ の新たな遮熱法を用いたエンジンの熱 損失低減技術について紹介する. 2. 壁温スイング遮熱コンセプト 一般的に,エンジン筒内において燃 焼ガスから燃焼室壁面への熱損失は式 (1)で記述される. Q’=h×(Tgas-Twall (1)  ここで,Q’:単位面積当たりの熱損 失,h:熱伝達係数,Tgas:ガス温度, Twall:燃焼室壁温度である. 壁温スイング遮熱法は,サイクル中 の燃焼室壁温度がガス温度の変化に追 従するように上昇・降下する(図1スイング遮熱壁)ことによってガスと 燃焼室壁の温度差を小さくし,熱損失 を低減することを狙っている. 筆者らの試算によれば,燃焼室壁面 に形成する遮熱膜の熱伝導率と体積比 熱を共に小さくするほど高いスイング 幅が得られ(図2),熱損失の低減効 果は高くなる.たとえば,熱伝導率が 0.1W/mK,体積比熱が 100kJ/m 3 Kの 遮熱膜をディーゼルエンジンのピスト ン,ヘッド,バルブの各表面に形成す ると熱効率が約 8% 向上する (2) シミュ レーション予測が得られている. 3. 材料開発 燃焼室壁面に形成される遮熱膜は, エンジン稼働中の熱および応力への耐 久性に加え,前述の低熱伝導率かつ低 体積比熱の熱特性が求められる.この 特性を達成するため,外部から遮断さ れた空隙を含む多孔質セラミックスに 着目した.ピストン材料に広く用いら れるアルミニウム合金を電解液中で電 荷をかけ酸化させると,中央に孔の空 いた柱状のアルミナがアルミニウム表 面から膜の厚さ方向に多数成長し,陽 極酸化皮膜が形成される. 筆者らは,従来の皮膜よりも膜内部 の空隙の量を増やし,かつ熱および応 力への耐久性を高めるために膜表面に シリカを充填したシリカ強化多孔質陽 極 酸 化 皮 膜(Silica Reinforced Po- rous Anodized aluminum: 略 称 SiR- PA)を新たに開発 (3) した(図3). 4. ディーゼルエンジンへの適用 開発した SiRPA 皮膜をディーゼル エンジンのピストン表面に形成し,表 面温度の計測と,性能評価を行った. 表面温度の計測には,非接触かつ高 応答で温度測定が可能なレーザ誘起燐 りん 光法を適用した.SiRPA 皮膜の表面 温度は,通常のアルミ壁の条件に比べ て燃焼時のみ上昇し,吸気行程では低 下して (4) ,狙いどおりサイクル中に変 化することが確認できた. 性能の評価結果では,SiRPA 皮膜 を形成したピストンは,通常のアルミ ピストンと比べて,排気ガスの悪化を 伴わずに,熱損失が低減し,仕事と排 気エネルギーが増加していることが確 (5) できた.本結果より,吸気行程の 壁温度は上げず,燃焼行程でのみ壁温 度を上げることで排気ガスの悪化を伴 わず,熱効率を向上できることが確認 できた. 5. おわりに 本稿では,内燃機関の熱損失を低減 し,低減したエネルギーをピストン仕 事と排気エネルギーに分配して熱効率 を向上させるための壁温スイング遮熱 法について,コンセプト,材料開発, ディーゼルエンジンへの適用結果を紹 介した. 今後は,膜の遮熱特性を向上させる とともに,膜を形成する範囲を拡大し て,より高い熱効率向上率を追及して いく所存である. な お, 本 技 術 は ThermoSwing Wall Insulation Technology, TSWIN と 名 づ け ら れ, 新 開 発 2.8L ターボディーゼルエンジンの一部仕様 にて世界で初めて実用化された.ここ に至るまでの研究開発の過程で多くの 関係者に貴重な助言と協力をいただい た.記して感謝の意を表する. (原稿受付 2016 年 6 月 30 日) 脇坂佳史 (株)豊田中央研究所,    川口暁生 トヨタ自動車(株)〕 ●文 献 ( 1 )たとえば,Bryzik, W. and Kamo, R., TA- COM/Cummins Adiabatic Engine Pro- gram,SAE Technical Paper ,(1983), 830314. ( 2 )小坂英雅・ほか,壁温スイング遮熱法によ るエンジンの熱損失低減―第 1 報,自動車 技術会論文集,44-1(2013),39-44. ( 3 )西川直樹・ほか,壁温スイング遮熱法によ るエンジンの熱損失低減―第 4 報,自動車 技術会論文集,47-1(2016),55-60. ( 4 )福井健二・ほか,レーザ誘起燐光法を用い た高応答温度計測技術,自動車技術会論文 集,47-1(2016),61-66. ( 5 )脇坂佳史・ほか,壁温スイング遮熱法によ るエンジンの熱損失低減―第 2 報,自動車 技術会論文集,47-1(2016),39-45. 図 1 壁スイングコンセプト ガス 2 500 2 000 1 500 1 000 500 0 温度℃ -360 -180 TDC 180 360 クランク角° スイング遮熱壁 従来遮熱壁 金属壁 スイング幅 図 2 熱物性とスイング幅の例 アルミニウム合金 1 000 100 10 10 100 1000 10000 1 1 0.1 0.01 スイング幅 (ディーゼル 高負荷) アルミナ(緻密質) ジルコニア 鉄鋼 250K 500K 1000K 空気 1500K 発泡樹脂 耐熱樹脂 熱伝導率W/mK 体積比熱kJ/m 3 K SiRPA 図 3 SiRPA 皮膜の模式図 S-4800 1.5AV 1.5mm×200k SE(U.LAO)            200mn シリカを充填 100µm 空隙 200nm 上面視 アルミニウム合金 Si ─ 43 ─ 日本機械学会誌 2016. 9 Vol. 119 No. 1174 525

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壁温スイング遮熱法によるエンジンの熱損失低減

1.はじめに 地球温暖化防止の観点から自動車への CO2 削減の要求は強く,内燃機関の熱効率向上への要求は,今後もますます高まることが必至である. 内燃機関の各種損失の中で,燃焼ガスから燃焼室壁面への熱損失は大きな割合を占める.このため,1980 年頃から,燃焼室をセラミックスで断熱する研究が行われてきた.しかしながら,壁温度が常に上昇する(図 1:従来遮熱壁)ことにより,性能低下や排気ガスの悪化などの背反(1)が発生し,実用化には至っていない. 筆者らは,これらの欠点を克服するために,吸気行程の燃焼室壁温を上げない「壁温スイング」遮熱法を提案(2)

し,実現を目指してきた.本稿ではこの新たな遮熱法を用いたエンジンの熱損失低減技術について紹介する.2. 壁温スイング遮熱コンセプト 一般的に,エンジン筒内において燃焼ガスから燃焼室壁面への熱損失は式(1)で記述される.  Q’= h×(Tgas-Twall)� (1) ここで,Q’:単位面積当たりの熱損失,h:熱伝達係数,Tgas:ガス温度,Twall:燃焼室壁温度である. 壁温スイング遮熱法は,サイクル中の燃焼室壁温度がガス温度の変化に追従するように上昇・降下する(図 1:スイング遮熱壁)ことによってガスと燃焼室壁の温度差を小さくし,熱損失を低減することを狙っている. 筆者らの試算によれば,燃焼室壁面に形成する遮熱膜の熱伝導率と体積比熱を共に小さくするほど高いスイング幅が得られ(図 2),熱損失の低減効果は高くなる.たとえば,熱伝導率が0.1W/mK,体積比熱が 100kJ/m3K の遮熱膜をディーゼルエンジンのピストン,ヘッド,バルブの各表面に形成すると熱効率が約 8%向上する(2)シミュレーション予測が得られている.3. 材料開発 燃焼室壁面に形成される遮熱膜は,エンジン稼働中の熱および応力への耐久性に加え,前述の低熱伝導率かつ低体積比熱の熱特性が求められる.この特性を達成するため,外部から遮断さ

れた空隙を含む多孔質セラミックスに着目した.ピストン材料に広く用いられるアルミニウム合金を電解液中で電荷をかけ酸化させると,中央に孔の空いた柱状のアルミナがアルミニウム表面から膜の厚さ方向に多数成長し,陽極酸化皮膜が形成される. 筆者らは,従来の皮膜よりも膜内部の空隙の量を増やし,かつ熱および応力への耐久性を高めるために膜表面にシリカを充填したシリカ強化多孔質陽極酸化皮膜(Silica Reinforced�Po-rous�Anodized�aluminum:略称 SiR-PA)を新たに開発(3)した(図 3).4. ディーゼルエンジンへの適用 開発した SiRPA 皮膜をディーゼルエンジンのピストン表面に形成し,表面温度の計測と,性能評価を行った. 表面温度の計測には,非接触かつ高応答で温度測定が可能なレーザ誘起燐

りん

光法を適用した.SiRPA 皮膜の表面温度は,通常のアルミ壁の条件に比べて燃焼時のみ上昇し,吸気行程では低下して(4),狙いどおりサイクル中に変化することが確認できた. 性能の評価結果では,SiRPA 皮膜を形成したピストンは,通常のアルミピストンと比べて,排気ガスの悪化を伴わずに,熱損失が低減し,仕事と排気エネルギーが増加していることが確認(5)できた.本結果より,吸気行程の壁温度は上げず,燃焼行程でのみ壁温度を上げることで排気ガスの悪化を伴わず,熱効率を向上できることが確認できた.5. おわりに 本稿では,内燃機関の熱損失を低減し,低減したエネルギーをピストン仕事と排気エネルギーに分配して熱効率を向上させるための壁温スイング遮熱法について,コンセプト,材料開発,ディーゼルエンジンへの適用結果を紹介した. 今後は,膜の遮熱特性を向上させるとともに,膜を形成する範囲を拡大して,より高い熱効率向上率を追及していく所存である. なお,本技術は Thermo�Swing�Wall� Insulation�Technology, 略 称TSWIN と名づけられ,新開発 2.8L

ターボディーゼルエンジンの一部仕様にて世界で初めて実用化された.ここに至るまでの研究開発の過程で多くの関係者に貴重な助言と協力をいただいた.記して感謝の意を表する.(原稿受付 2016 年 6 月 30 日)〔�脇坂佳史 (株)豊田中央研究所,   川口暁生 トヨタ自動車(株)〕

●文 献( 1 )たとえば, Bryzik, W. and Kamo, R., TA-

COM/Cummins Adiabatic Engine Pro-gram,SAE Technical Paper ,(1983),830314.

( 2 )小坂英雅・ほか,壁温スイング遮熱法によるエンジンの熱損失低減―第 1 報,自動車技術会論文集,44-1(2013),39-44.

( 3 )西川直樹・ほか,壁温スイング遮熱法によるエンジンの熱損失低減―第 4 報,自動車技術会論文集,47-1(2016),55-60.

( 4 )福井健二・ほか,レーザ誘起燐光法を用いた高応答温度計測技術,自動車技術会論文集,47-1(2016),61-66.

( 5 )脇坂佳史・ほか,壁温スイング遮熱法によるエンジンの熱損失低減―第 2 報,自動車技術会論文集,47-1(2016),39-45.

図 1 壁スイングコンセプト

ガス2 500

2 000

1 500

1 000

500

0

温度

-360 -180 TDC 180 360クランク角°

スイング遮熱壁

従来遮熱壁

金属壁

スイング幅

図 2 熱物性とスイング幅の例

アルミニウム合金

1 000

100

10

10 100 1000 10000

1

1

0.1

0.01

スイング幅(ディーゼル高負荷)

アルミナ(緻密質)

ジルコニア

鉄鋼

250K500K

1000K

空気1500K 発泡樹脂

耐熱樹脂熱伝

導率

W/m

K

体積比熱kJ/m3K

SiRPA

図 3 SiRPA 皮膜の模式図

S-4800 1.5AV 1.5mm×200k SE(U.LAO)            200mn

シリカを充填

100µm

空隙

200nm

上面視

アルミニウム合金

Si

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日本機械学会誌 2016. 9 Vol. 119 No.1174 525

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