5
植 物 防 疫  第 63 巻 第 2 号(2009 年) 90 ―― 30 ―― et al., 2007)。本邦ではチャおよびリンゴのハマキガ類 を対象とした GV 製剤が 2003 年に,ダイズ,エダマメ, イチゴ,レタスのハスモンヨトウを対象とした NPV 剤が 06 年にそれぞれ上市されている。ハスモンヨトウ NPV 製剤は適用作物が拡大され,2008 11 月現在, キャベツ,シソにも散布できる。これらウイルス殺虫剤 として利用されているバキュロウイルスは,宿主昆虫に 感染してから 5 7 日程度で致死させる,バキュロウイ ルスとしては速効的な病原性をもつものが多い。しか し,バキュロウイルスには感染宿主を長生きさせる遅効 的な病原性をもつ種類も存在し,上述のハマキガ類の GV 製剤はこちらに該当する。そこで,本稿では宿主の 致死までに要する時間を指標としてバキュロウイルスの 病原性について解説し,その感染特性に応じた害虫管理 における活用法について検討する。 I バキュロウイルスの感染様式 バキュロウイルスは,ウイルス包埋体に汚染された植 物を宿主幼虫が摂食することによって経口感染する (図2)。バキュロウイルスのウイルス粒子は,感染の 過程で,包埋体由来ウイルス(Occlusion derived virus : ODV)と出芽型ウイルス(Budded virus : BV)の 2 類が産生される。ODV BV はウイルス DNA の遺伝子 情報は同一だが,ヌクレオカプシドを包むエンベロープ の組成が異なる。包埋体に包まれた ODV は,宿主中腸 の消化液で包埋体が溶かされることによって中腸内腔に 放出され,中腸細胞と ODV エンベロープの膜融合によ ODV 内のヌクレオカプシドが細胞に侵入する。中腸 細胞あるいは中腸組織内に存在する気管皮膜細胞で増殖 したヌクレオカプシドは,宿主の細胞膜をまとって血体 腔に放出され,BV となる。BV は宿主体内での細胞間 感染に特化しており,宿主細胞のエンドサイトーシス (食作用)を利用して細胞に侵入し,増殖を繰り返す。 感染後期になると細胞の核内で ODV とそれを包む包埋 体が形成される。 多くの NPV および一部の GV は,宿主体内のあらゆ る組織に感染して増殖することができる。25℃条件下で は,感染幼虫は 5 6 日程度で体内にウイルス包埋体が 充満して発育を停止し,その後 1 2 日で死亡する。例 は じ め に バキュロウイルスは,昆虫に特異的に感染する環状 2 本鎖 DNA ウイルスである。その形態的特徴から,バキ ュロウイルス科は包埋体に複数のウイルス粒子が含まれ る核多角体病ウイルス(nucleopolyhedrovirus : NPVと単一のウイルス粒子が含まれる顆粒病ウイルス granulovirus : GV)の 2 属に分類されていた(図1)。 近年,バキュロウイルス科の分類が再検討され,チョウ 目に感染する NPV GV をそれぞれアルファバキュロ ウイルス属とベータバキュロウイルス属に改称し,ハチ 目に感染する NPV をガンマバキュロウイルス属,ハエ 目に感染する NPV をデルタバキュロウイルス属として 独立させることが提言され(JEHLE et al., 2006),2008 に国際ウイルス命名委員会によって承認された。しか し,新称の認知度はいまだ低く,本稿ではチョウ目に感 染するバキュロウイルスのみについて述べるので,ここ では従来の NPV および GV の呼称を用いることとする。 バキュロウイルスの中でも NPV は,包埋体の直径が 数μ m あることから,ウイルスとしては珍しく光学顕微 鏡での観察が可能である。そのため,古くから昆虫病原 体として知られており,カイコなどの有用昆虫の保護や チョウ目害虫に対する防除資材としての利用に関する研 究成果が蓄積されてきた(ARIF, 2005)。微生物殺虫剤と して実用化され成果を上げているバキュロウイルスは, ブラジルにおけるダイズのヤガ科害虫に対する Anticarsia gemmatalis NPV 製剤や,米国,オーストラ リア,中国等でヤガ科タバコガ類用に使用されている Helicoverpa zea NPV 製剤などが知られている MOSCARDI, 1999)。また,欧州においては果樹のコドリ ンガ防除に Cydia pomonella GV 製剤が広く利用されて いる。しかし,この製剤にはウイルス殺虫剤としては初 めて野外における抵抗性系統の出現が報告され,ウイル ス殺虫剤においても化学合成農薬と同様に厳密な散布間 隔の管理が必要であると指摘されている(ASSER KAISER Pathology of Baculoviruses and Their Use in Insect Pest Management. By Shigeyuki MUKAWA and Chie GOTO (キーワード:核多角体病ウイルス,顆粒病ウイルス,微生物殺 虫剤) バキュロウイルスの感染特性とそれを活用した 害虫管理への利用 かわ しげ ゆき ・後 とう 中央農業総合研究センター

バキュロウイルスの感染特性とそれを活用した 害虫管理への …jppa.or.jp/archive/pdf/63_02_30.pdfNPV 製剤は適用作物が拡大され,2008 年11 月現在,

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  • 植 物 防 疫  第 63巻 第 2号 (2009年)90

    ―― 30――

    et al., 2007)。本邦ではチャおよびリンゴのハマキガ類

    を対象とした GV製剤が 2003年に,ダイズ,エダマメ,

    イチゴ,レタスのハスモンヨトウを対象とした NPV製

    剤が 06年にそれぞれ上市されている。ハスモンヨトウ

    NPV 製剤は適用作物が拡大され,2008 年 11 月現在,

    キャベツ,シソにも散布できる。これらウイルス殺虫剤

    として利用されているバキュロウイルスは,宿主昆虫に

    感染してから 5~ 7日程度で致死させる,バキュロウイ

    ルスとしては速効的な病原性をもつものが多い。しか

    し,バキュロウイルスには感染宿主を長生きさせる遅効

    的な病原性をもつ種類も存在し,上述のハマキガ類の

    GV製剤はこちらに該当する。そこで,本稿では宿主の

    致死までに要する時間を指標としてバキュロウイルスの

    病原性について解説し,その感染特性に応じた害虫管理

    における活用法について検討する。

    I バキュロウイルスの感染様式

    バキュロウイルスは,ウイルス包埋体に汚染された植

    物を宿主幼虫が摂食することによって経口感染する

    (図― 2)。バキュロウイルスのウイルス粒子は,感染の

    過程で,包埋体由来ウイルス(Occlusion ― derived virus :

    ODV)と出芽型ウイルス(Budded virus : BV)の 2種

    類が産生される。ODVと BVはウイルス DNAの遺伝子

    情報は同一だが,ヌクレオカプシドを包むエンベロープ

    の組成が異なる。包埋体に包まれた ODVは,宿主中腸

    の消化液で包埋体が溶かされることによって中腸内腔に

    放出され,中腸細胞と ODVエンベロープの膜融合によ

    り ODV内のヌクレオカプシドが細胞に侵入する。中腸

    細胞あるいは中腸組織内に存在する気管皮膜細胞で増殖

    したヌクレオカプシドは,宿主の細胞膜をまとって血体

    腔に放出され,BVとなる。BVは宿主体内での細胞間

    感染に特化しており,宿主細胞のエンドサイトーシス

    (食作用)を利用して細胞に侵入し,増殖を繰り返す。

    感染後期になると細胞の核内で ODVとそれを包む包埋

    体が形成される。

    多くの NPVおよび一部の GVは,宿主体内のあらゆ

    る組織に感染して増殖することができる。25℃条件下で

    は,感染幼虫は 5~ 6日程度で体内にウイルス包埋体が

    充満して発育を停止し,その後 1~ 2日で死亡する。例

    は じ め に

    バキュロウイルスは,昆虫に特異的に感染する環状 2

    本鎖 DNAウイルスである。その形態的特徴から,バキ

    ュロウイルス科は包埋体に複数のウイルス粒子が含まれ

    る核多角体病ウイルス(nucleopolyhedrovirus : NPV)

    と単一のウイルス粒子が含まれる顆粒病ウイルス

    (granulovirus : GV)の 2属に分類されていた(図― 1)。

    近年,バキュロウイルス科の分類が再検討され,チョウ

    目に感染する NPVと GVをそれぞれアルファバキュロ

    ウイルス属とベータバキュロウイルス属に改称し,ハチ

    目に感染する NPVをガンマバキュロウイルス属,ハエ

    目に感染する NPVをデルタバキュロウイルス属として

    独立させることが提言され(JEHLE et al., 2006),2008年

    に国際ウイルス命名委員会によって承認された。しか

    し,新称の認知度はいまだ低く,本稿ではチョウ目に感

    染するバキュロウイルスのみについて述べるので,ここ

    では従来の NPVおよび GVの呼称を用いることとする。

    バキュロウイルスの中でも NPVは,包埋体の直径が

    数μmあることから,ウイルスとしては珍しく光学顕微

    鏡での観察が可能である。そのため,古くから昆虫病原

    体として知られており,カイコなどの有用昆虫の保護や

    チョウ目害虫に対する防除資材としての利用に関する研

    究成果が蓄積されてきた(ARIF, 2005)。微生物殺虫剤と

    して実用化され成果を上げているバキュロウイルスは,

    ブラジルにおけるダイズのヤガ科害虫に対する

    Anticarsia gemmatalis NPV製剤や,米国,オーストラ

    リア,中国等でヤガ科タバコガ類用に使用されている

    Helicoverpa zea NPV 製剤などが知られている

    (MOSCARDI, 1999)。また,欧州においては果樹のコドリ

    ンガ防除に Cydia pomonella GV製剤が広く利用されて

    いる。しかし,この製剤にはウイルス殺虫剤としては初

    めて野外における抵抗性系統の出現が報告され,ウイル

    ス殺虫剤においても化学合成農薬と同様に厳密な散布間

    隔の管理が必要であると指摘されている(ASSER ― KAISER

    Pathology of Baculoviruses and Their Use in Insect PestManagement. By Shigeyuki MUKAWA and Chie GOTO(キーワード:核多角体病ウイルス,顆粒病ウイルス,微生物殺虫剤)

    バキュロウイルスの感染特性とそれを活用した害虫管理への利用

    務む

    川かわ

    重しげ

    之ゆき

    ・後ご

    藤とう

    千ち

    枝え

    中央農業総合研究センター

  • バキュロウイルスの感染特性とそれを活用した害虫管理への利用 91

    ―― 31――

    ガ GV(XecnGV)を接種した結果,幼虫の死亡が観察

    されるのは接種後 10日以降であり,最長 27日間の生存

    が認められた(図― 3 C)。この例では,ウイルスを接種

    しない対照区の幼虫は 9~ 11日後に蛹化するのに対し

    て,XecnGV感染虫は終齢(6齢)幼虫期が延長して顕

    著に肥大成長し,蛹化することなく死亡する(MUKAWA

    and GOTO, 2008)。

    えば,ヨトウガ 5 齢幼虫に 95%致死濃度のヨトウガ

    NPV(MabrNPV)を経口接種した場合,幼虫は接種後

    7日前後で死亡する(図― 3 A)。この傾向は同ウイルス

    をアワヨトウ 5 齢幼虫に接種した場合も変わらない

    (図― 3 B)。一方,主にヤガ類に感染する多くの GVで

    は,感染部位に組織特異性があり,脂肪体のみで包埋体

    が産生され,宿主の致死までに長時間を要する。例え

    ば,アワヨトウ 5齢幼虫に 95%致死濃度のシロモンヤ

    核多角体病ウイルスNucleopolyhedrovirus(NPV)

    顆粒病ウイルスGranulovirus(GV)

    ウイルス粒子

    包埋体

    ヌクレオカプシド

    0.4~15μm

    0.12~0.3μ

    mヌクレオカプシド

    0.3~0.5μm

    図-1 バキュロウイルスの形態ウイルス粒子はゲノム DNAを含むヌクレオカプシドがエンベロープ(外皮)によって包まれた桿状(棒状)の形状をとっており,これがさらにタンパク質の塊に内包されて包埋体を形成する.NPVの包埋体は多角体と呼ばれ,複数のウイルス粒子を含む.GVの包埋体は顆粒体と呼ばれ,単一のウイルス粒子を含む.

    出芽型ウイルス(BV)

    包埋体由来ウイルス(ODV)

    包埋体

    ④ 全身の組織

    血体腔

    ③ 中腸細胞

    ② 中腸

    図-2 バキュロウイルスの感染過程①幼虫が包埋体を摂食することにより経口感染する.②包埋体がアルカリ性の消化液で溶解し,内部の ODVを放出,ODVが中腸細胞に膜融合してヌクレオカプシドが細胞内に侵入する.③細胞の核内でウイルスが増殖し,宿主細胞膜をまとって BVとして血体腔に出芽する.④ BVが様々な組織の細胞に感染し,増殖を繰り返す.⑤感染後期に ODVとそれを包む包埋体が形成される.

  • 植 物 防 疫  第 63巻 第 2号 (2009年)92

    ―― 32――

    60~ 66時間後に最大濃度に達した(MUKAWA and GOTO,

    2008)。これらウイルスの増殖を Gompertzモデルにあ

    てはめて解析したところ,予想に反してヨトウガ体内に

    おけるMabrNPVの増殖速度とアワヨトウ体内における

    XecnGVの増殖速度は同等であることが明らかになった

    (MUKAWA and GOTO, 2008)。MabrNPVは体内で BVが最

    大濃度に達してから約 4 日で宿主を殺すのに対して,

    XecnGVは 7日以上宿主を生存させる(図― 4)。すなわち,

    バキュロウイルスが体内で増殖する速度にはウイルス種

    間で差はなく,致死時間は宿主血体腔内で BVが充満し

    た後にウイルスの戦略に依存して決まると考えられた。

    一般に NPVに感染した宿主は行動を制御され,感染

    末期に植物体の上部に移動する。死体はウイルスが作る

    酵素によってすみやかに溶解し,風雨により飛散して植

    物体を広く汚染し,次の感染源となる。この性質のため

    に宿主個体群密度が高いとき,NPVはしばしば流行病

    を引き起こす。すなわち,速効的なバキュロウイルスは

    宿主が高密度のうちにすみやかに感染を連鎖させること

    によって,宿主個体群中でのウイルス増殖を最大化する

    戦略をとっていると考えられる。そのために,宿主体内

    で増殖後なるべく早期に宿主を殺して,包埋体を環境中

    に拡散させる必要があるのだろう。一方,多くの GVで

    は主に脂肪体のみで包埋体が産生される。そのため,宿

    主の脂肪体が最大量に達するまで発育を許容しないと包

    埋体の産生量が十分に得られないと予想される。そこ

    で,遅効的な GVは 1頭の宿主をウイルス増殖の資源と

    して最大化させるために,幼虫の状態で延命させる制御

    をしていると考えられる。

    II 宿主体内におけるウイルス増殖特性

    宿主を早く致死させる速効的なMabrNPVと長期間生

    存させる遅効的な XecnGVでは,体内でのウイルス増

    殖速度が異なるのだろうか?

    ウイルスに感染した宿主幼虫から経時的に体液を採取

    し,遠心分離によって血球を除去することによって,体

    液中に遊離した BVのみを得ることができる。筆者らは

    この体液上清から DNAを抽出して,定量的 PCRで目

    的ウイルスの DNA量を測定することにより,宿主体内

    での BVの増殖特性を調査した。MabrNPVを接種した

    ヨトウガ幼虫体内におけるウイルス増殖を調べた結果,

    MabrNPVの BVは接種後 20時間以内に体液中に出現

    し,その後 40~ 60時間で最大濃度に達することがわか

    った(MUKAWA and GOTO, 2006)。同様の方法で,アワヨ

    トウ体内における XecnGVの BV増殖についても調査し

    たところ,接種後 18時間以内に BVが体液中に遊離し,

    (A)

    (B)

    (C)

    100

    80

    60

    40

    20

    0

    100

    80

    60

    40

    20

    0

    100

    80

    60

    40

    20

    0

    0 4 8 12 16 20 24 28

    生存率(%)

    0 4 8 12 16 20 24 28

    0 4 8 12接種後日数

    16 20 24 28

    図-3 バキュロウイルスを接種された幼虫の生存率の推移

    小滴飲下法によりヤガ類 5齢幼虫にウイルス包埋体懸濁液を接種.(A)MUKAWA and GOTO(2006)の方法に従い,ヨトウガにMabrNPVを 106包埋体/larva濃度で接種.(B)アワヨトウにMabrNPVを 106包埋体/larva濃度で接種.(C)アワヨトウに XecnGVを107.5包埋体/larva濃度で接種.

    体液中のBV濃度

    接種後日数 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

    MabrNPVXecnGV

    MabrNPVの場合

    XecnGVの場合 病徴 致死

    病徴 致死

    図-4 宿主体液中のウイルス濃度の推移と病徴発現との関係

    MabrNPVでは接種 4~ 5日後に体色の乳白色化や活動性の低下などの病徴が現れ,約 7日後に死亡する.XecnGVでは接種 6~ 8日後に体色の黄白色化や脂肪体の過剰生産による肥大成長などの病徴が現れ,10~ 20日後に死亡する.

  • バキュロウイルスの感染特性とそれを活用した害虫管理への利用 93

    ―― 33――

    ってウイルス間での宿主資源をめぐる競争が生じること

    はタバコガ類のウイルスでも報告されており(HACKETT

    et al., 2000),宿主体内で速やかに増殖する GVが NPV

    感染に干渉するのではないかと考えられる。そこで,筆

    者らは XecnGVの包埋体タンパク質をアルカリ条件で

    溶解し,遠心分離によってウイルス粒子を除去した上清

    を調整することで,GVによる NPV感染増進作用のみ

    を引き出すことを試みた。この GV上清(GVPs)には,

    少なくとも二つのエンハンシンが含まれることが推定さ

    れ,アワヨトウ 5齢幼虫に対するMabrNPV感染増進効

    果が示された(MUKAWA and GOTO, 2007)。さらに,

    GVPsのMabrNPVへの添加により,MabrNPV単独接

    種時の 10%以下の濃度でヨトウガ,オオタバコガの 2

    齢幼虫を効果的に防除できることが示された(MUKAWA

    and GOTO, 2007 ; MUKAWA et al., 2008)。この NPV感染増

    進効果はヨトウガ 4 齢および 5 齢幼虫でも認められ,

    GVPs濃度に関しても効果を維持したまま低減できるこ

    とが確認されている(務川・後藤,未発表)。今後,こ

    の技術を発展させて,NPVと GVの 2種を製造するコ

    ストに見合うだけの低濃度で安定的に高い効果を得られ

    るウイルス殺虫剤の開発が見込まれる。

    ( 2) 接種的な散布の有効性

    速効的なバキュロウイルスは短いサイクルで感染を拡

    大するため,連続的に宿主が存在するような条件下で

    は,圃場内で流行病を引き起こす可能性が高く,優れた

    防除効果を発揮する。このようなウイルスは食害量の少

    ない若いステージで害虫を殺すことができる反面,宿主

    の肥大成長を許さない分,1頭の感染宿主が生産する次

    世代ウイルス量は少なくなる。そのため,害虫の発生世

    代が重ならず,感染可能な宿主が断続的にしか出現しな

    い場合には,圃場内でのウイルス密度は急激に低下する

    と予想される。事実,これまでのバキュロウイルスの害

    虫管理への利用は,持続的効果を期待しない大量散布が

    主流であった。しかし,永年性作物などで,周期的に害

    虫が発生を繰り返す条件では,宿主当たりのウイルス増

    殖量を最大化する遅効的なバキュロウイルスのほうが持

    続的な防除効果を期待できる。実際に,ハマキガ類用の

    GV 製剤として日本で販売されている遅効性の GV で

    は,ウイルスを散布してから 2,3世代後の害虫に対し

    ても高い感染率を維持することが知られている(和田,

    2003;佐藤,2004)。すなわち,遅効的なバキュロウイ

    ルスは接種的散布により長期的に害虫を防除できるた

    め,牧草地,果樹や森林などで利用できる可能性が考え

    られる。

    III 害虫管理への利用

    速効的なバキュロウイルスは世界中で製剤化され害虫

    管理に利用されているが,遅効的なバキュロウイルスの

    利用例は少ない。確かに,宿主の最大化を図るようなウ

    イルスは,そのまま散布すると害虫による一時的な食害

    量の増加をもたらす危険がある。しかし,遅効的なバキ

    ュロウイルスにも有用な機能があり,その潜在的な利用

    の可能性は決して小さくない。ここでは,その利用法を

    紹介する。

    ( 1) 感染増進物質としての利用

    ウイルス殺虫剤の欠点として,ウイルスが生きた細胞

    中でしか増殖できないために生産コストが高くなる点が

    挙げられる。安価な製剤を製造するためには,製剤当た

    りのウイルス濃度を低減するのが近道である。しかし,

    害虫がバキュロウイルスに対して高い感受性を示す発育

    段階は,多くの場合,若齢幼虫期に限られており,発育

    が進むにつれ幼虫のウイルス感受性は低下する(BRIESE,

    1986)。圃場において幅広いステージで存在する害虫に

    対して安定した効果を発揮させるためには,低濃度でも

    中齢以降の幼虫に感染させられる技術の開発が必要であ

    る。そこで,バキュロウイルスの感染性を増強するよう

    な物質が古くから探索され,スティルベン系蛍光漂白剤

    などに NPVの感染増進作用が発見されている(後藤,

    1999)。

    一部の遅効的な GVや昆虫ポックスウイルスなどの昆

    虫病原ウイルスが産生するタンパク質にも,NPV感染

    増進効果が見出されている。GV由来のウイルス感染増

    進物質はタンパク質分解酵素の一種で,エンハンシンと

    呼ばれている。エンハンシンには,病原体侵入に対する

    防御壁である昆虫中腸の囲食膜の構成成分を分解して囲

    食膜を崩壊させる作用,並びにウイルス粒子のエンベロ

    ープと宿主の細胞膜との膜融合を促進する働きが報告さ

    れている(CORSARO et al., 1993)。このようなウイルス由

    来のタンパク質ならば,蛍光漂白剤のような難分解性の

    化学合成物質と違って環境への影響が少ないと判断され

    るので,GVを速効的な NPV殺虫剤の助剤として利用

    する試みがなされている。

    既知のバキュロウイルスの中で最大のゲノムサイズを

    もつ XecnGVには,四つのエンハンシン遺伝子が存在

    する(HAYAKAWA et al., 1999)。XecnGVを NPVとともに

    シロモンヤガ幼虫に接種すると,5齢では NPV感染増

    進効果が認められる(GOTO, 1990)。しかし,4齢では

    GV感染の増加によって NPV感染増進効果が阻害され

    る(GOTO, 1990)。GVと NPVが重複感染することによ

  • 植 物 防 疫  第 63巻 第 2号 (2009年)94

    ―― 34――

    生物が関与しており(FUXA, 2004),保全された標的外生

    物の存在によってバキュロウイルスの効果は増大するも

    のと期待できる。すなわち,IPM技術と組み合わせて

    安定的な害虫密度の抑制を図るうえで,バキュロウイル

    スをはじめとする天敵微生物の活用場面は今後大きく増

    えることが予想される。

    引 用 文 献

    1)ARIF, B. M.(2005): J. Invertebr. Pathol. 89 : 39~ 45.2)ASSER ―KAISER, S. et al.(2007): Science 317 : 1916~ 1918.3)BRIESE, D. T.(1986): The biology of baculovirus, vol. 2, CRC

    Press, Boca Raton, Florida, p. 237~ 263.4)CORSARO, B. G. et al.(1993): Parasites and Pathogens of Insects,

    vol. 2 Pathogens, Academic Press, New York, p. 127~ 145.5)FUXA, J. R.(2004): Agric. Ecosyst. Environ. 103 : 27~ 43.6)後藤千枝(1999): 植物防疫 53 : 303~ 307.7)GOTO, C.(1990): Appl. Entomol. Zool. 25 : 135~ 137.8)HACKETT, K. J. et al.(2000): J. Invertebr. Pathol. 75 : 99~ 106.9)HAYAKAWA, T. et al.(1999): Virology 262 : 277~ 297.

    10)JEHLE, J. A. et al.(2006): Arch. Virol. 151 : 1257~ 1266.11)MOSCARDI, F.(1999): Annu. Rev. Entomol. 44 : 257~ 289.12)MUKAWA, S. et al.(2008): Appl. Entomol. Zool. 43 : 323~ 329.13)―――― and C. GOTO(2006): J. Gen. Virol. 87 : 1491~ 1500.14)――――・――――(2007): J. Econ. Entomol. 100 : 1075~

    1083.15)――――・――――(2008): J. Gen. Virol. 89 : 915~ 921.16)佐藤 威(2004): 植物防疫 58 : 463~ 467.17)和田哲夫(2003): 同上 57 : 560~ 562.

    お わ り に

    近年,安全・安心な農作物に対する消費者の需要増加

    や,環境保護に対する意識の高まりから,環境保全型農

    業の推進が望まれている。そのために,総合的有害生物

    管理(IPM)の技術体系として,化学的防除に加えて物

    理的防除,耕種的防除,および生物的防除を組み合わせ

    た作物保護が進められている。生物的防除では,標的外

    生物に影響の少ない微生物農薬の使用による圃場内およ

    び周辺の生物多様性の保全や,これに伴う土着天敵の保

    護利用などの技術が普及しつつある。

    バキュロウイルスは速効的なものでも害虫の致死まで

    に 1週間近くを要するが,感染幼虫は死亡の 2~ 3日前

    には活動性の低下などの病徴を現す。このような幼虫は

    天敵による攻撃を回避する能力に劣ることが推測され,

    害虫密度低下に効果が現れるのは感染による致死時期よ

    りも早いかもしれない。捕食性天敵が感染虫と健全虫の

    区別なく捕食行動を示す例や,捕食者の排泄物中から活

    性のあるウイルス包埋体が検出された例も知られてい

    る。圃場におけるバキュロウイルスの分散には,捕食者

    や捕食寄生者などの天敵や感染死体を食べるハエなどの

    バキュロウイルスの感染特性とそれを活用した害虫管理への利用